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<図書館予約の軌跡170>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在122位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在8位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在43位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在5位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在23位・日本が売られる(2/05予約、副本22、予約354)現在238位・多和田葉子『地球にちりばめられて』(2/18予約、副本3、予約34)現在25位・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、副本23、予約302)現在216位・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在495位・天子蒙塵・第三巻(3/25予約、副本11、予約47)現在27位・そしてバトンは渡された(4/19予約、副本22、予約1036)現在1048位・開高健『日本三文オペラ』(4/30予約、副本1、予約1)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・小林ふみ子『へんちくりん江戸挿絵本』・村上春樹『羊をめぐる冒険』・書物の破壊の世界史・辻惟雄『奇想の系譜』・三橋貴明『日本経済2020年危機』・領土消失 規制なき外国人の土地買収・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・禁じられた歌(田)<予約分受取:2/28以降> ・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、2/28受取)・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想(3/04予約、3/08受取)・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、3/14受取)・陳舜臣『江は流れず』(3/08予約、3/14受取)・ねじまき鳥クロニクル・第一部(3/12予約、3/30受取)・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、4/03受取)・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、4/09受取)・梅原猛『隠された十字架』(4/07予約、4/27受取)・古処誠二『ニンジアンエ』(4/26予約、4/29受取)・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(2/16予約、5/01受取予定)【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、副本22、予約355)>rakuten日本が売られる【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/18予約、副本3、予約34)>rakuten地球にちりばめられて【AI VS.教科書が読めない子どもたち】新井紀子著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より大規模な調査の結果わかった驚愕の実態ー日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。気鋭の数学者が導き出した最悪のシナリオと教育への提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/22予約、副本23、予約302)>rakutenAI VS.教科書が読めない子どもたち【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/25予約、副本11、予約47)>rakuten天子蒙塵・第三巻【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか・・・・1年近く待つんやろか?<図書館予約:(4/19予約、副本22、予約1036)>rakutenそしてバトンは渡された【日本三文オペラ】開高健著、新潮社、1971年刊<「BOOK」データベース>より大阪の旧陸軍工廠の広大な敷地にころがっている大砲、戦車、起重機、鉄骨などの残骸。この莫大な鉄材に目をつけた泥棒集団“アパッチ族”はさっそく緻密な作戦計画をたて、一糸乱れぬ組織力を動員、警察陣を尻目に、目ざす獲物に突進する。一見徒労なエネルギーの発散のなかに宿命的な人間存在の悲しい性を発見し、ギラギラと脂ぎった描写のなかに哀愁をただよわせた快作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/30予約、副本1、予約1)>amazon日本三文オペラ【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡169予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.04.30
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図書館に予約していた『隠された十字架』という本を、待つこと20日でゲットしたのです。かなり分厚い本であるが・・・若き日の梅原猛の作品とあれば齧りつきがいがあるだろう♪【隠された十字架】梅原猛著、新潮社、1986年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>かなり分厚い本であるが・・・若き日の梅原猛の作品とあれば齧りつきがいがあるだろう♪<図書館予約:(4/07予約、4/27受取)>rakuten隠された十字架まず気合の入った「はじめに」を、見てみましょう。p1~3<はじめに> この本を読むにさいして、読者はたった一つのことを要求されるのである。それは、ものごとを常識ではなく、理性でもって判断することである。常識の眼でこの本を見たら、この本は、すばらしき寺、法隆寺と、すばらしき人、聖徳太子にたいする最大の冒涜に見えるであろう。日本人が、千何百年もの間、信じ続けてきた法隆寺像と大使像が、この本によって完全に崩壊する。 冒涜の書よ、破壊の書よ、危険の書よ、妄想の書よ、人が健全な常識と、正しい良心をもてばもつほど、人はこの本にたいしてそういう非難の言葉を投げつけるであろう。真の意味において革命的なあらゆる学説が受けねばならぬそのような非難を、私もまた甘んじて受けようと思うが、一言のアポロギアが許されてよいであろう。 私は哲学を天職として選んだ。哲学というのは、文字通り、フィロソフィア、知を愛すること、名誉や、権力や、金銭より何よりも真理を愛することである。しかし、真理を愛することは容易なことではない。なぜなら、人間というものはとにかくきびしい真理の女神より、虚偽の淫女につかえることを好むものであるからである。そして、虚偽の淫女が、常識という仮面をかむって、長い間人々に信じられているとき、あたかもその淫女は、真理の女神より一層女神らしく見えるからである。 それ故に、哲学の仕事は徹底的な常識否定の仕事から始まる。それは多くの人々がそれに依拠している常識を否定して、人々を懐疑の中につき落とし、そこから新たに根源的な思惟をはじめさせようとする仕事である。この仕事は本来危険な仕事である。この危険な情熱に憑かれたソクラテスは、そのためにアテナイの常識人の怒りを買い、ついにその命を落とした。 ソクラテスの徒として、私がここで行なったのは、こういう常識の根本否定と、かくされた真理の再発見であった。ここで日本の古代に関する長い間の常識は否定され、隠された真理が現れる。ソクラテスは真理の認識は想起によって起こるという。人間の魂は、かつて真理の国にいて、真理をはっきり見ていた。しかし、今や人間は現象の国に生まれて、真理をはっきり見る眼を失った。それ故、この現象の国で、真理を認識するためには、かつての彼の魂がそこにいた真理の国を想起すればよいというのである。 プラトンの『メノン』にかかれたこの言葉を、今、私は感激をもって思い出す。ここで私の認識の意思は過去へ向かっていた。法隆寺が、その造られた時点において、どういう意味をもっていたかが、私の問いであった。しかし、千年以上もたって、真理はおおいかくされ、誤まった見解が常識として通用していたため、法隆寺は謎に包まれた寺となっていた。 私はある日、その暗い謎の底に真理が微笑みかけるのを見た。推論によって、その真理をひき出して見ると、真理は確固とした体系をもち、あたかも想起によって、過去そのままがそこに再現されるかのようであった。私が真理を発見したのではない。真理が長い間の隠蔽に耐えかねて、私に語りかけてきたのである。 どうやら私の言葉は、一つの本の序文の言葉としては、いささかひびきが高すぎるようである。冷静に事実を語ろう。私が法隆寺にかんする新しい仮説に気づいたのは、一昨年の春であった。 その頃、私はそれより約半年前に考えついた別の仮説の追求に夢中になっていた。それは『古事記』『日本書記』にかんする仮説である。『古事記』と『日本書記』の制作主体を藤原不比等と考え、『記紀』において語られている日本神話を律令体制にもとづく宗教改革の神話と考える仮説である。ウーム 梅原さんとは、こんな高飛車なモノ言いをする人だったのか・・・論理よりその口調に驚いたのです。
2019.04.30
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図書館で『倒れるときは前のめり』という本を手にしたのです。地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。【倒れるときは前のめり】有川浩著、KADOKAWA、2016年刊<出版社>より『図書館戦争』『レインツリーの国』『植物図鑑』ほか映像化続々の人気作家・初のエッセイ集! 日々の生きるつれづれ、創作の裏側、大好きな本や映画、敬愛する人びと、ふるさと高知のことなど、デビュー書籍刊行前から現在までに綴った90本超に、それぞれ振り返りのコメントを書き下ろし。現在入手困難な「ほっと文庫」に収録された短編「ゆず、香る」と、片想いがテーマの恋愛掌編「彼の本棚」の、小説2編も特別収録。当代一の人気作家のエッセンスがここに!<読む前の大使寸評>地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。rakuten倒れるときは前のめりNHKドラマ『半分青い』が難聴者を扱うお話になっていたが、若干違和感があったわけですね。有川さんが難聴者を語っているので、見てみましょう。<知らない人に届けたい>p116~118 難聴者が主人公の話を書く、と申し上げたら取材に応じてくださった方に「自衛隊が不発弾処理とかで難聴になる話ですか」と言われました。いつもそんな話ばかり書いて男性作家によく間違われますが、一応女です。 さて、私が最初に中途失聴者のキャラクターを出したのは『図書館内乱』という9月10日発売予定の本です。そのキャラクターはキャラクターに絡むゲストキャラで、このキャラクターを突発性難聴で難聴者になったと設定しました。 何故、突発性難聴だったかというと、私の家人が突発性難聴に二回罹り、たまたま治療が早かったので二回とも聴覚を失わずに済んだという個人的な出来事があったからです。 家人はある日突然、片方の聴覚が全くなくなったため即日耳鼻科に行きました。そこで下った診断が突発性難聴で、治療が的確であったため1週間ほどで聴力が回復しました。 そのとき私たちは医師から「治療開始は発症から一刻も早いのが望ましい、できれば三日以内、二週間を過ぎると回復は難しい」と聞かされ、肝を冷やしました。家人は急に全ての音が聞こえなくなったので慌てて病院に行きましたが、徐々に聴力が落ちていく場合もあるそうで、「最近ちょっと聞こえにくいな」程度だったら病院へ行くのが延び延びになってしまうことはいかにもあり得ることです。 そんなわけで、自分の本で「こんな恐い病気がある」ということを微力ながら書きたいと思ってそのゲストキャラが出来たわけですが、これを書こうと調べていると必然的に「中途失聴者」の皆さんの存在を知ることになりました。 そして、「喋れるがゆえに障害に気づかれない中途失聴(難聴)者」をヒロインに据えて、恋愛小説を書きたくなりました。 健聴者として今まで知らなかったことを数え上げるときりがありませんし、まだまだ知らないことはあるでしょう。それでも、少しでも調べた私は「知らない人」に比べて格段に皆さんの複雑な世界を知り得たわけです。後ろから自転車のベルを鳴らしても「聴こえない」がために避けられない方がいる、というごく簡単で気づきにくい現実なども。 こうしたことを調べられる書籍や資料はたくさんあることでしょう。しかしそれらは、「知ろう」と思った人にしか届かないという弱点があります。 私は駆け出しの作家ですが、エンターテイメントの強みは「それを知ろうとしていない人にも話に織り交ぜればそれが届く」ということにもあります。そういえば、「半分青い」のヒロインが岐阜県美濃地方の方言を使っているところに、ドラマの肉付けになっていたなあ♪と、思い出したのです『倒れるときは前のめり』3:出版業界の裏話し『倒れるときは前のめり』2:戦争小説『倒れるときは前のめり』1:被災地に印税を寄付
2019.04.30
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図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実訳者の想いを「訳者あとがき」に、見てみましょう。<訳者あとがき>p204~205タンタンとエルジェと私:小野耕世 私がタンタンの生みの親、エルジェに会ったのは1972年11月3日のことだった。私はイタリアのルッカ市で開催された第8回国際コミックス=アニメ大会(LUCCA8)に、日本からの初めての代表として招待されて来ていた。 初めてタンタンのマンガを手にしたのは、1960年のことで、東京・神田の古本屋で「レッド・ラッカムの宝」の英語版(1959年にロンドンで刊行されたもの)を見つけて買ったのである。現行の版と同じハードカバーだが、背中の部分が赤色だった。 読み始めると、すぐに夢中になってしまった。こんなにおもしろく深みがあり、楽しく美しい品格のあるコミックスがあったのか。それから私は「タンタン」の英語版を次つぎと洋書店(丸善)に注文しては、届くのを楽しみにしたものだ。 この本を訳しながら、タンタン・シリーズのなかでも、この「レッド・ラッカムの宝」が最も売れていると知ったのだが、私は偶然、最も人気のある本を最初に読んだことになる。それは幸いだった。私はまっさきに、大酒飲みのハドック船長が大好きになってしまったのだから・・・。 ルッカのホテルでエルジェに会ったとき、私はあこがれの人を前にして、すっかり緊張していた。(中略) そのとき私は、手に小型カメラを持っていたのだが、なんだか恐れ多いような気がして、写真をとらせて下さいと言うことができなかった。いまにして思えば、もちろんエルジェは喜んでカメラに収まってくれたにちがいないのに。その代わり私は、スケッチブックをさしだした。 たいていの人がエルジェニサインを頼むとき、タンタンとスノーウィの絵を描いてもらうのだろうが、「ぜひ、ハドック船長もいれて描いてください」と私は頼んだ。彼は、そうしてくれた。その絵のなかでハドック船長は「コンニャローのバーロー岬!」と(フランス語で)言っている。 私はこの年の10月、東京からまずサンフランシスコに行き、1960年代の末から70年代初めにかけて西海岸を中心に盛んだったアンダーグラウンド・コミックスの旗手ロバート・クラムに会っていた。クラムは最新作のマンガ「フリッツ・ザ・キャット」の原画16ページ分を私に託してくれた。それで私は、さらにニューヨーク、ロンドン、パリ、バルセロナをまわってルッカに至る旅のあいだ、ずっとその16枚の原稿をスーツケースにいれていた。 その話を私がすると、エルジェは身をのりだすようにした「その原稿、いま持っているのかね?」「持っています」「見せてくれないかね?」「もちろんですとも」私はすぐに原画をとりだして、エルジェに渡した。彼は1枚1枚、ゆっくりと目を通していった。「おもしろいね。実におもしろい」と彼はつぶやいた。「クラムは偉大だね。すばらしいよ。いいねえ」。 私はエルジェの反応に感激していた。タンタンのマンガとクラムのいわゆるとは、いわば正反対の描法である。エルジェは保守的だと批判されていたという話も、私は読んだことがあった。そのエルジェが、新しい価値観をひっさげて登場した時代の最先端を行くロバート・クラムのマンガに目を輝かせている・・・。 ああ、そうだ、これが本当のエルジェなのだと、私はそのときさとったのだった。『タンタンの冒険 その夢と現実』4:紅海のサメ『タンタンの冒険 その夢と現実』3:燃える水の国『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮
2019.04.29
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図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実砂漠テーマで更にもう一つ、「紅海のサメ」を、見てみましょう。<紅海のサメ>p150~152ネストルはムーランサール城でアブダラーに手を焼き、タンタンと船長は武器密売と奴隷貿易を探ってアラブ世界へ・・・「タンタン・マガジン」に1956年10月末に連載が始まった新しい冒険は、これまでの物語を回顧するような内容だ。「タンタン一家」に不可欠の主要メンバーはもちろん、ほかにもおなじみのキャラクターたち(その多くは悪役だが)がここにつどっているのがわかるだろう。まるでエルジェは、バルザックの長篇「人間喜劇」をなぞっているみたいだ。 エルジェと同時代のイギリスの作家アンソニー・パウウェルは、全12巻に及ぶ長篇小説「時代の音楽と踊る」を、タンタン・シリーズに重なる1951年から75年にかけて書いたが、そこにも同じキャラクターたちが何度も出ている。 それはタンタン・シリーズを互いに結びつけ、読者を惹きつけるすばらしく魅力的な手法だ。どの物語もそれぞれに完結しており、別に発表順に読まなくてもかまわないのだがおなじみの、キャラクターたちの登場で関連づけられ、連続性も生まれている。(中略)■またしても一族再会!「紅海のサメ」にはおなじみさんがどっさり登場するが、新人はひとり、エストニア人のパイロット、チェツ氏である。彼は1958年に出た単行本の表紙をタンタンとハドック船長とともに飾っているが、後に「シドニー行き714便」にも再登場する。タンタン最初のアラビア行きは25年ほども前の「ファラオの葉巻」だったが、またしてもここに戻ってきたのだから、相性がいいのだろう。 「月世界探検」と「ビーカー教授事件」とをはさんで、この物語はある意味で「燃える水の国」の続編だということも出来そうだ。ムーランサール城での生活をメチャメチャにするアブダラー坊やから逃れて、タンタンと船長は中東へ行く。 アブダラーを溺愛する父ベン・カリシェ・エザブは、その首長国を旧敵バブエルエルに奪われてしまった。旧敵の軍事顧問は「黒い島のひみつ」の悪役ドクター・ミュラーで、ここではムル・パシャの名で現れる。 オリベイラ・ダ・フィゲイラが親切なもてなしぶりを示し、カスタフィオーレ夫人がハドック船長にまた会っても、驚くにはあたらない。でも、上海の共同租界の前警察署長、堕落したドースンの登場は何年ぶりのことか、まったくの驚きだ。タンタンの宿敵、不死身のラスタポプロスも、ゴルゴンゾラ公爵の名で「青い蓮」以来の登場だ。(中略)■奴隷貿易の秘密 この出だしが冒険の流れを決める。いかがわしい武器売買、中東のクーデター、メッカへ行き来する現代の奴隷貿易・・・。タンタンたちはそれをあばこうとする。フランス語原題の「コークスを乗せて」(Coke en Stock)は、物語のなかで船底に乗せられているアフリカ人たちを「コークス」という暗号で呼んでいることからきている。彼らはメッカまで運ばれ、そこで奴隷として売られる。1960年に刊行された英語版のタイトルは「紅海のサメ」(日本版も同じ)だ。 例によって新聞資料をあさるエルジェは、アラブの買い手に奴隷を売る秘密商売についての記事を集めた。それから40年以上も経った現在でも、同じようなことがおこなわれているのである。『タンタンの冒険 その夢と現実』3:燃える水の国『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮
2019.04.29
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図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実砂漠テーマでもう一つ、「燃える水の国」を、見てみましょう。<燃える水の国>p126~129タンタン、アラビアへ帰る! ドイツ人の悪漢ドクター・ミュラー再び現れ、デュポン&デュポンはさらにずっこけ、わんぱく坊主のアブダラーが物語をもつれさせる エルジェは未完結を嫌った。ストーリーのアイデアが根づくと、決して忘れなかった。苦労した「ななつの水晶球」と「太陽の神殿」を終えると、棚上げにしてあった企画を有効に生き返らせてみせた。 その場面は、1939年に第二次大戦が勃発したときエルジェが描き始め、戦時中も続けていたが、ナチによるブリュッセル占領と「20世紀新聞」の閉鎖とともに中断されたままだった。 1939-40年当時のこの冒険のあらすじは、戦前に描かれた物語と関連があった。ライバル国による石油供給を妨害し、その軍事力を麻痺させようとするドイツ人の陰謀。この作戦にエルジェは「黒い島の秘密」の悪役ドイツ人、ドクター・ミュラーを呼び戻した。彼は何年か前、ニセ札作りでいぎりす経済を破たんさせようとして、タンタンに阻止されたのだった。 これは、ナチ支配下では不適当な内容だったので、見送られたのだった。その代わりに、新しい発表舞台の「ル・ソワール」紙に、1940年10月から、政治的に問題のない「金のはさみのカニ」を描き始めたのである。そして、デュポン&デュポンが歌を口ずさみながら車を走らせる陽気な場面で始まる「燃える水の国」は、時期が来るまでのあいだ、ほこりをかぶっていた。 そして1948年、再びドイツの悪人を出すのは、以前に増して政治的に正しい状況となり、「タンタン・マガジン」は次の物語を待ち受けていた。■巨匠の名演 「タンタン・マガジン」には、物語を改めて最初から描き直すことにした。すでに1940年に描きだされた「金のはさみのカニ」でハドック船長が登場していたし、ビーカー教授は1943年以来、読者におなじみになっている。さらにビーカー教授の経済的援助でハドック船長が1943年に手に入れたムーランサール城もあった。エルジェは、生まれながらのジャーナリスティックな才覚で、そのすべてを完結したばかりのインカの冒険に活かしていた。(中略) 「燃える水の国」の単行本は1950年に刊行された。戦前と戦後の連載でも同じように描かれていた最初の部分は、英語版シリーズの出版であるロンドンのメスェン社の要求で、1971年に全面的に改定されることになった。イギリス統治下ノパレスチアとユダヤ人テロリスト・グループに言及した部分は、改訂版では架空のアラブに設定された。エルジェはこの全面的改定に同意した。 同様の要求を受けいれた「黒い島の秘密」の場合のように、今度も結果はがっかりさせるものだった。始めの版にあった、同時代の事件をほのめかすことで生みだされた辛らつな批判はなくなってしまった。『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮
2019.04.29
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図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実「金のはさみのカニ」砂漠は大使の好きな背景であるということで、「金のはさみのカニ」を、見てみましょう。<金のはさみのカニ>p90~92すててあったカニの缶詰めがきっかけで、海を渡ったタンタンはウィスキーびたりのハドック船長に会い、サハラ砂漠に落下する ドイツ人の悪役と国際的な陰謀と破壊行為の物語である「黒い島のひみつ」のあと、暗い情勢のなかに未来はなかった。「プチ20世紀」はナチの侵略により閉鎖となり、発表の場をなくしたエルジェは、将来また再開できるときもくるだろうと、賢明にも原稿をとっておいた。 しかし、もしタンタン自身が冒険を中断していないのだったら、エルジェは彼が活躍し続けられる新聞を見つける必用があった。■戦争のさなかで タンタンは「プチ20世紀」より立ち直りが早かった。発行部数のはるかに多い「ル・ソワール」が、人気者のタンタンを欲しがってきたのである。だが、そこには大きな落し穴があったから、エルジェはだれかの忠告を聞いて、もっと真剣に考えるべきだったろう。 ブリュッセルの代表的なフランス語新聞「ル・ソワール」は、ただちに占領軍に接収された。言い換えると、「ル・ソワール」は、全員とはいかないまでも、敵への協力者たちをスタッフとする占領軍への協力新聞となってしまったのだ。エルジェはどんな立場をとったのか? タンタンの資格保証は申し分なかった。さきの冒険「黒い島のひみつ」では、ファシズムと戦ったことは明白だったし、そもそも最初から彼は、弱い側、抑圧された人たち、悪に対して善のために戦ってきた。いかにもボーイスカウト活動から育った者への期待どおりのキャラクターだった。同じことはエルジェ自身にもあてはまる。 戦後の悪い情勢から生じた疑惑や糾弾は彼の痛いところを突いたが、それにもかかわらず、エルジェやその作品を知る者はだれもが、彼がナチに共感したなどとはとても信じることができなかった。しかし、あとでわかるように、彼はタンタンの名と名声を、間違った側に落ちてしまった新聞と結びつけるというたいへんな誤りを犯してしまったのである。(中略)■ナチによる検閲 「黒い島のひみつ」でイギリスでも親しまれていたタンタンは、ロンドンに離れていてファシズムと悪との戦いを続け、イギリスの爆撃機が落とすプロパガンダ(宣伝新聞など)を通じて、ベルギーとフランスの人たちに彼の冒険を読んでもらうようにしたほうが、きっと良かっただろう。 実際にはタンタンは、ナチのもとから脱出しなかったから、当時の他の文学作品と同じく、ナチの検閲の対象となった。イギリスが舞台だった「黒い島のひみつ」は、そのためあっさりと禁書となり、後に「タンタン アメリカへ」もそのタイトルのために禁じられた。だが最も反ナチ的な「オトカル王の杖」は見逃され、印刷を許されていたのだから、検閲はこの恐るべき少年記者のことを、そんなに深くは調べなかったようだ。 かくして、もはやなくなった「プチ20世紀」を手本に創刊された週刊付録「若者ソワール」の1940年10月17日号から、タンタンの冒険はあらたな設定で再開された。「プチ20世紀」と同じく木曜の発行だ。 その第1号の表紙で、タンタンはいなか道のブリュッセルへの道標の前を、元気に歩いていた。いつになく大きな微笑を浮かべ、肩にかけたサックに「ル・ソワール」を入れ、靴の底には穴があいている。もちろんスノーウィがあとを追い、絵の下には「タンタンとスノーウィが帰ってきた!」と記されていた。 今度は政治状況を避けて進もうとエルジュは決心し、すでに「ファラオの葉巻」で試みたもっと安全で現代的な麻薬密輸のテーマに戻ることにした。この前はハバナ葉巻に麻薬が隠してあったが、今回もやはり、なにげないカニの缶詰めにした。 物語の初めで、いうまでもなくあのおっちょこちょいのデュポン&デュポンの刑事によるニセ硬貨調査の場面をちょっとつけ加えているが、物語が進むにつれて、いつのまにか忘れられてしまう。■永遠の友、ついに登場 描かれた状況は別として、この新しい冒険のすばらしさは、「タンタン一家」に最も輝かしいキャラクターを加えたことである。あの感動的なアル中の船長ハドックがそれで、エルジェは良い子ちゃんすぎるタンタンへの申し分ない引き立て役を生みだすことに成功した。その代わり、以後ハドック船長の役割が増すにつれ、スノーウィの役まわりは小さくなっていく。『タンタンの冒険 その夢と現実』1
2019.04.28
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図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実「青い蓮」まず、大使一押しの「青い蓮」を、見てみましょう。<青い蓮>p50~52混乱の中国でタンタンは親友を作り、エルジェは日本軍の侵攻を予見する。 同じくオリエントを舞台に描いたその2作目は、傑作だ。シリーズ最初の傑作だと一般にいわれており、最良の作だと評する声もある。これがシリーズの転換点をなす作品であることには、異論がないだろう。 初期の一連の作品では、まだつぼみだったさまざまな資質が、ここに一気に花ひらいている。「青い蓮」によって、初めて物語は注意深くしっかりと構成されることになった。プロットはつぎ目なく進展し、結末までゆるみがない。エルジェはもはや、毎週その場の思いつきでストーリーを作ることをしなくなった。 「ファラオの葉巻」では、エルジェは自分の手に負えなくなる方向に、物語が進みだしたとはっきり感じた。その反省から、「青い蓮」は、前もってもっとよく話が練られ、行き当たりばったりではなく、しっかり現実に根ざして着実に進んでいく。自分がどこへどのようにして向かっているのか、エルジェにはわかっていた。■中国人学生と知りあう 「ファラオの葉巻」の物語展開に、エルジェはいらだったからではなく、ブリュッセルでエルジェが中国人の美術学生と幸福な出会いをしたことから、その後の変化は起こった。 それまでは、タンタンが旅する外国とその国の人びとは、1920-30年代にかけてしばしば戯画化されていたように、ありきたりのイメージや写真などにそって描かれていた。ボルシェビキは嘲笑されるべき悪であり、アフリカ人は遅れていて迷信深く、アメリカ人は資本家かギャングであり、エルジェが敬愛するインディアンたちも、どこかだまされやすく単純な姿に描き出されていた。だが、今度はちがった。 コンゴで意欲的に活躍していたベルギーの宣教師たちは、はるか中国にもキリスト教をひろめようとしていた。宣教師の教えに刺激されて、若い中国人たちも、さらに勉強しようと、かなりの数がベルギーにやってきていた。ルーヴァン大学の中国人学生指導官だった司祭のゴセ神父は、エルジェに手紙を出し、紋切り型の描写をやめて、中国人を身近で見て、よく調べて描くようにと書いてきた。 常に学んで完全をめざすことに熱心だったエルジェは、その忠告に意欲的に反応した。1934年、ゴセ神父はエルジェに、ブリュッセル美術アカデミーの有望な彫刻科の学生で、エルジェと同じ27歳のチャン・チョンジン(張充仁)を紹介した。ふたりはたちまち仲よしになった。 ふたりは長く話しこみ、エルジェは新聞の切り抜き資料がもたらすよりずっとはるかに真実な中国のイメージを得た。チャンによって彼は、それから生涯にわたる中国の魅惑に目ざめたのである。その複雑な歴史、広大な土地、ことば、文学、哲学に宗教・・・そのすべてが吸収力の高いエルジェのまえに見えてきた。(中略)■中国文字を正確に エルジェ自身、最初の2冊のタンタン物語で、ステレオタイプを描くというワナにはまったものだ。「タンタンのソビエト旅行」では弁髪の中国人が拷問をするし、「タンタン アメリカへ」の白黒版では、ふたりの中国人に食われてしまうんじゃないかとスノーウィはおびえる。(中略) エルジェによると、これが彼の「ドキュメンタリスト」としての時期の始まりだという。彼は、自分が描きたい真実の中国を撮った写真を集めたが、単に入手した写真からそのまま描くのではなかった。画家と同じように、彼は中国人の姿勢や動きや中国の服や建築物を鉛筆でスケッチして研究した。(中略) タンタンはレストランを意味する漢字の下でお茶を飲み、アヘンを吸う場面の上にも「吉慶如意」(縁が良く順調でありますように)という文字がある。彼は上海の通りを「日本軍にさからった罪で死刑」と記した首枷をはめられて、ひきまわされる。通りの名や看板類は正確に描かれていて、中国語を学ぶ学生たちに楽しみを与え、物語の背景に圧倒的な真実味を加えている。LUTOさんの『タンタンの冒険』より
2019.04.28
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在122位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在8位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在43位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在5位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在23位・日本が売られる(2/05予約、副本22、予約354)現在238位・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(2/16予約、副本1、予約4)現在2位・多和田葉子『地球にちりばめられて』(2/18予約、副本3、予約34)現在25位・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、副本23、予約302)現在216位・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在495位・天子蒙塵・第三巻(3/25予約、副本11、予約47)現在27位・梅原猛『隠された十字架』(4/07予約、副本3、予約1)現在1位・そしてバトンは渡された(4/19予約、副本22、予約1036)現在1048位・古処誠二『ニンジアンエ』(4/26予約、副本4、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・小林ふみ子『へんちくりん江戸挿絵本』・書物の破壊の世界史・開高健『日本三文オペラ』・辻惟雄『奇想の系譜』・三橋貴明『日本経済2020年危機』・領土消失 規制なき外国人の土地買収・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・禁じられた歌(田)<予約分受取:2/28以降> ・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、2/28受取)・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想(3/04予約、3/08受取)・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、3/14受取)・陳舜臣『江は流れず』(3/08予約、3/14受取)・ねじまき鳥クロニクル・第一部(3/12予約、3/30受取)・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、4/03受取)・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、4/09受取)・梅原猛『隠された十字架』(4/07予約、4/27受取予定)・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(2/16予約、4/29受取予定)【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、副本22、予約355)>rakuten日本が売られる【トランスヒューマンガンマ線バースト童話集】三方行成著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>よりはるか未来、あるところにシンデレラという人類の進化系=トランスヒューマンの少女がおりました。“魔女”から拡張現実ドレスを与えられた彼女はカボチャ型飛行体に乗り、お城の舞踏会へ向かいます。しかしその夜、空から宇宙最強の爆発・ガンマ線バーストの閃光が降り注ぎー「地球灰かぶり姫」ほか「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」など、古典に最新の想像力を配合した童話改変SF全6篇を収録。超個性派による第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/16予約、副本1、予約4)>rakutenトランスヒューマンガンマ線バースト童話集【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/18予約、副本3、予約34)>rakuten地球にちりばめられて【AI VS.教科書が読めない子どもたち】新井紀子著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より大規模な調査の結果わかった驚愕の実態ー日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。気鋭の数学者が導き出した最悪のシナリオと教育への提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/22予約、副本23、予約302)>rakutenAI VS.教科書が読めない子どもたち【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/25予約、副本11、予約47)>rakuten天子蒙塵・第三巻【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか・・・・1年近く待つんやろか?<図書館予約:(4/19予約、副本22、予約1036)>rakutenそしてバトンは渡された【ニンジアンエ】古処誠二著、集英社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりインパール作戦前年のビルマ。新聞記者の美濃部は日本軍の英印軍討伐に同行する。捜索が順調に進むほどに、美濃部の胸中にいくつもの疑問が生じていく。捕虜になったイギリス人は、なぜ不遜な態度を崩さないのか?ビルマ人の人質はどこに消えたのか?すべての謎が解けた時、美濃部は「戦地の真実」を突きつけられる。それぞれの正義と信念を圧倒的な筆力で浮き彫りにした傑作長編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/26予約、副本4、予約0)>rakutenニンジアンエ【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡168予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.04.28
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図書館で『新説・あなたの知らない岡本太郎』という大型ムックを手にしたのです。雑誌『カーサ ブルータス』の特別編集ムック・シリーズとのことであるが・・・大型本の全篇に画像満載であり、ええでぇ♪ぱらぱらとめくると、太郎さんの家の内外の写真が多く、興味深いのです。【新説・あなたの知らない岡本太郎】ムック、マガジンハウス、2011年刊<出版社>よりムックにつきデータ無し<読む前の大使寸評>雑誌『カーサ ブルータス』の特別編集ムック・シリーズとのことであるが・・・大型本の全篇に画像満載であり、ええでぇ♪ぱらぱらとめくると、太郎さんの家の内外の写真が多く、興味深いのです。rakuten新説・あなたの知らない岡本太郎≪赤い手/青い手≫「10 パブリックアート」で、全国で見られる太郎の作品を、見てみましょう。<赤い手/青い手>p112~113 1982年、西門買物公園通りの開通に合わせて設置された。このモニュメントは商店街を訪れた人々を出迎えては送り出す。それを日々繰り返すことで、市民の日常の記憶に溶け込んでいく。 太郎がパブリックアートに抱いていた思い「芸術作品として見る必要もなく通りすぎるような空間にあって、無意識に心情を変貌させる」がまさに表現されている作品だ。 ◇神奈川県相模原市の西門買物公園通り。JR横浜線相模原駅から徒歩15分。駅から南に約1km離れた、国道16号線と横浜線に接した全長約450mの商店街。突き当りは広大な米軍基地になっている。もう一つ見てみましょう<歓喜>p109≪梵鐘 歓喜≫ 16世紀末~17世紀初期にかけて創建された曹洞宗の由緒ある寺、久国寺に、常識では考えられないイバラのような角が突き出した梵鐘がある。戦争によって応召された鐘を新調するために住職が依頼し、設置された。現在も大晦日の夜には、除夜の鐘が鳴り、人々の喜びや悲しみなどさまざまな感情、叫びが交じった鐘の音を聴くことができるという。 ◇愛知県名古屋市北区久国寺内。無休。拝観無料。名古屋駅から名古屋市営東山線で栄町駅にて、名鉄瀬戸線に乗り換え、名鉄清水駅下車、徒歩6分。残念ながら、鐘を突くことはできないが、鐘に描かれた人間や動物の絵をじっくりと観察したい。『新説・あなたの知らない岡本太郎』1
2019.04.27
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図書館で『新説・あなたの知らない岡本太郎』という大型ムックを手にしたのです。雑誌『カーサ ブルータス』の特別編集ムック・シリーズとのことであるが・・・大型本の全篇に画像満載であり、ええでぇ♪ぱらぱらとめくると、太郎さんの家の内外の写真が多く、興味深いのです。【新説・あなたの知らない岡本太郎】ムック、マガジンハウス、2011年刊<出版社>よりムックにつきデータ無し<読む前の大使寸評>雑誌『カーサ ブルータス』の特別編集ムック・シリーズとのことであるが・・・大型本の全篇に画像満載であり、ええでぇ♪ぱらぱらとめくると、太郎さんの家の内外の写真が多く、興味深いのです。rakuten新説・あなたの知らない岡本太郎山下祐二さんの説く「岡本太郎学入門」の第三講を、見てみましょう。<縄文の発見>p80~81「私にとって、本当に闘う場所はここではない。・・・自分が捨て去ったつもりでいた『日本』が、大きく目の前に浮かび上がってきた。確かに精神的にとざされた場所かもしれない。しかしそこでこそ自分を賭けよう」(岡本太郎「破局」) そう決断し、日米開戦直前の1940年6月、マルセイユを発つ最後の引き揚げ船で帰国した太郎を待っていたのは、フランスでの芸術運動について口にしようものなら、非国民として糾弾されかねない「大日本帝国」だった。パリでもてはやされ、太郎の渡欧と入れ違いで日本へ戻っていた藤田嗣治はすでに戦争を題材とした「戦争画」を描いていた。 しかし太郎は反戦画も戦争画も描こうとはせず、中国戦線に従軍、1年の抑留生活を含め、後に「冷凍されていた」と述懐する5年間を過ごす。そしてどこまでも対照的なことに、藤田は戦後日本を捨て、太郎は最深部へと突っ込んでいった。そのきっかけとなったのが、「縄文」の発見だったのだ。 フランスからの帰国直後、太郎は奈良や京都へ足を運んでいる。「戦前パリから帰ったとき、私はまず最初に京都、奈良に行った。しかし、絶望した。日本的なものの典型のように言われている京都、それは何百年か前には日本だったろうが、いま残っているのは格好だけ。現実の日本ではない。さらに奈良。これは大陸文化そのものだ。古代の中国や朝鮮から直輸入した、これがどうして日本なのか。 わたしは見て歩きながらしらけた気持ちになった」(同書) ところが51年の暮れ、別に見るものがあって訪れた東京国立博物館の、最後に立ち寄った考古の展示室で、太郎は縄文土器に出会う。その時の様子を、岡本敏子が私との対談で語ってくれた。「『ん? なんかヘンなモノがあるぞ』っていうわけ。・・・縄文土器がなんでもないようにひっそり、石器などの隣に、標本のように置いてあったの。・・・それを見て震えあがっちゃったのね。『なんだこれは』って、かーっと来て、周りをぐるっと回って、それで動けなくなっちゃった」(山下祐二『岡本太郎宣言』) 翌年、太郎は『みずゑ』に「四次元との対話 縄文土器論」を発表。日本史の教科書の冒頭にまず縄文土器の写真が掲載され、2009年に東京国立博物館で開催された『国宝 土偶展』に若い世代が詰めかける現代では信じられないだろうが、戦前は縄文の土器や土偶が美術として評価されることはほとんどなく、考古学の領域でも年代や出土地、文様の分類に終始していた。そこへ投げ込まれた「縄文土器論」が、一大センセーションを巻き起したのだ。「なかんずく爛熟した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである。激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する降線紋。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。しかも純粋に透った神経の鋭さ。常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」(岡本太郎『日本の伝統』) このように縄文土器の造形そのものから受ける感動を言葉にし、美術史にとどまらない日本文化論の根幹をなす造形芸術だと、メディアを通じて広く知らしめたのは岡本太郎が初めてだろう。
2019.04.27
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図書館で『倒れるときは前のめり』という本を手にしたのです。地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。【倒れるときは前のめり】有川浩著、KADOKAWA、2016年刊<出版社>より『図書館戦争』『レインツリーの国』『植物図鑑』ほか映像化続々の人気作家・初のエッセイ集! 日々の生きるつれづれ、創作の裏側、大好きな本や映画、敬愛する人びと、ふるさと高知のことなど、デビュー書籍刊行前から現在までに綴った90本超に、それぞれ振り返りのコメントを書き下ろし。現在入手困難な「ほっと文庫」に収録された短編「ゆず、香る」と、片想いがテーマの恋愛掌編「彼の本棚」の、小説2編も特別収録。当代一の人気作家のエッセンスがここに!<読む前の大使寸評>地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。rakuten倒れるときは前のめり出版業界の裏話しのような「文庫化」について、見てみましょう。<文庫化のタイミング>p91~93 数年前、とある人気作家の作品が映画化された折り、「男だな!」と唸る1件があった。その作品は、映画化にタイミングを合わせた文庫化をしなかったのである。 さて、ここでこのいきさつのどこがどう男かを説明せねばなるまい。 小説というものはまず四六版という版型で単行本新刊として出版され、2~3年後に文庫化するのが基本の販売形式だ。 だが、映像化されると原作が売れる。廉価な文庫になっていればなおさらだ。 そうなると、単行本で出版して間もない本でも「早めに文庫に落として売れ!」となる。 その作品も文庫化には早かった。まだまだ単行本で売り伸ばせる力を持った本だったが、映画化のタイミングで文庫にしてしまうかな・・・と人様の本ながら残念に思っていた。 だが、その作家は文庫化を踏みとどまった。映画化という大きな販売機会を敢えて見過ごし、単行本として地道に売り伸ばすことを選んだのである。 出版業界において、単行本を売り伸ばすことは業界を支えるためにとても大切な作業である。最初からすべての本を廉価な文庫で売ればいいというご意見もあるが、単行本という形態を辞めてしまったら、新人作家を育てることがとても難しくなる。 何故なら、文庫は毎月膨大な数の新刊が出て、前月の既刊と入れ替えられる。その入れ替えはどうしても流れ作業的にならざるを得ない。無名の新人がわずか1ヵ月の間に実績を出して平台に残してもらうことは極めて難しい。「売れなかったから次の本は部数減で」のループにはまってしまう。 単行本は販売展開にもう少し融通が利く。文庫に比べれば毎月の発行点数が少ないし、書店員や出版社の「この作品は長く売りたい」という思い入れが発揮しやすい形態なのだ。 新人が育ってくれないと、出版業界は先細りである。新人育成も含めて出版社が未来へ投資する資金を稼ぐことは、売れている作家の義務である。 文庫化のスパンが短すぎると、お客様は単行本を買ってくれなくなる。ちょっと待てば文庫になると思えば買い控えて当然だ。(中略) きっと私たちが粘ったお金が次世代の新人を育てる資金になっているに違いない。 読者の皆々様も強力な支援者だ。単行本、文庫、雑誌、漫画・・・新刊書店で本を1冊買うごとに、皆さんは出版の未来に投資してくださっている。毎度ありがとうございます。『倒れるときは前のめり』2:戦争小説『倒れるときは前のめり』1:被災地に印税を寄付
2019.04.27
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図書館で『倒れるときは前のめり』という本を手にしたのです。地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。【倒れるときは前のめり】有川浩著、KADOKAWA、2016年刊<出版社>より『図書館戦争』『レインツリーの国』『植物図鑑』ほか映像化続々の人気作家・初のエッセイ集! 日々の生きるつれづれ、創作の裏側、大好きな本や映画、敬愛する人びと、ふるさと高知のことなど、デビュー書籍刊行前から現在までに綴った90本超に、それぞれ振り返りのコメントを書き下ろし。現在入手困難な「ほっと文庫」に収録された短編「ゆず、香る」と、片想いがテーマの恋愛掌編「彼の本棚」の、小説2編も特別収録。当代一の人気作家のエッセンスがここに!<読む前の大使寸評>地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。rakuten倒れるときは前のめり戦争小説といえば、女性作家と対極にあるようなジャンルであるが・・・有川さんの語る戦争を見てみましょう。<冷静なる戦争小説>p145~147 恥ずかしながら戦争小説というものに対して知識がまったく浅い。 過去に起こった戦争を理解するには当時の歴史の理解が不可欠で、私は歴史の素養が実に残念な人なのである。 そもそも近代史というものは、歴史の授業で高校卒業も迫ったころに駆け足で終わってしまう。だから第二次世界大戦は我々にとって最も近い戦争の歴史であいながら、正確な経緯を把握している人が思いがけず少ない。学がない私のような人間においては何おかいわんやである。 読めるかな、と思いながら『ニンジアンエ』(古処誠二/集英社)を手に取った。その心配は杞憂であった。 地味な話である。戦争物でありながらドンパチすらほとんどない。端正な筆致が状況を淡々と記していく。しかし、一気読みだった。 ドンパチがない理由は、取り上げられたテーマが宣撫(ビルマ語で「ニンジアンエ」)だからである。宣撫を手元の辞書で引くと「占領地の人民に本国政府の方針を知らせ、人心を安定させること」とある。要するに占領軍の広報活動だ。 物語では一人の新聞記者がビルマ戦線の宣撫班に取材同行する。記者は宣撫班付きになったことに不満を隠さない。華々しい戦闘を記録することこそが記者の本懐であると思い決めている。 確かに物語にいやすいのは派手な戦闘だ。しかし、戦争の本懐はおこにはない。戦争の“成果”は戦闘で勝利を収めた後、現地住民に自分たちのことをいかに受け入れさせるかにかかっている。 ここで日本が行なった戦争の是非を問うことはなしにしたい。そもそも第二次世界大戦当時の価値観を今の価値観で測ること自体がナンセンスである。植民地政策が是とされていた時代に現代の物差しを一方的にあてがっても事象が歪むだけだ。第二次世界大戦を日本の侵略戦争だと断罪するのなら、まずもって近代西欧諸国の植民地政策から断罪しなければならない。戦地となった国はもちろん自国を蹂躙した国々を許すことはできないだろう、しかし一度も他国に対して後ろ暗い歴史が存在しなかった国もまた存在しない。 古処誠二は戦争の是非を語らない。ただ起こってしまった戦争に従事する人々を淡々と描く。戦争の記憶が遠くなった現代、後世の私たちが戦争を理解する手がかりは、客観的な視点のみである。極端な自虐史観も極端な自由主義史観も、再び戦争という外交手段に陥る罠に通じている。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているということを私たちは忘れてはならない。 古処誠二は戦争を知らない世代の書き手である。そして読者もやがて完全に戦争を知らない世代となるだろう。古処誠二はその世代に戦争を解釈する視座を示している。宣撫は戦争の本質を考える格好の素材だ。物知らずな私だが、読後に戦争の割り切れなさ、やりきれなさに一端なりと触れた気分になった。 戦争を知らない私たちが冷静なる戦争小説の書き手を得たことは、日本の将来に向けて大きな幸いとなるだろう。『倒れるときは前のめり』1
2019.04.26
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図書館で『倒れるときは前のめり』という本を手にしたのです。地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。【倒れるときは前のめり】有川浩著、KADOKAWA、2016年刊<出版社>より『図書館戦争』『レインツリーの国』『植物図鑑』ほか映像化続々の人気作家・初のエッセイ集! 日々の生きるつれづれ、創作の裏側、大好きな本や映画、敬愛する人びと、ふるさと高知のことなど、デビュー書籍刊行前から現在までに綴った90本超に、それぞれ振り返りのコメントを書き下ろし。現在入手困難な「ほっと文庫」に収録された短編「ゆず、香る」と、片想いがテーマの恋愛掌編「彼の本棚」の、小説2編も特別収録。当代一の人気作家のエッセンスがここに!<読む前の大使寸評>地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。rakuten倒れるときは前のめり田辺聖子さんは阪神・淡路大震災のあと、好きでもなかった講演会に出演して、その講演収入を寄付したそうだが・・・同じく阪神・淡路を経験した有川さんは、東日本大震災の被災地に印税を寄付したようです。<自粛は被災地を救わない>p39~413月末に出た『県庁おもてなし課』の印税を、すべて東日本大震災の被災地に寄付することにした。当面は重版分も、ということにしてある。当面というのがいつまでかは決め手いない。最低限、年内にかかった重版まではと思っているが、復興の具合によってはもっと長期も考えている。 こうした動きは私だけのことではなく、他にも多くの作家が印税の寄付に乗り出している。 何故個人的な資産ではなく、わざわざ印税の寄付なのか、と取材で訊かれたこともあるが(言外に売名だと言いたかったらしい)、それについては私なりに理由がある。 印税は本が出版されて初めて発生する作家の収入である。そして本は買ってくれる読者がいないと出版することはできない。作家が本を出せるのは、本を買ってくれるお客様があってこそだ。 心の持ちようの問題だが、印税を寄付することは、日頃応援してくれる読者の気持ちもくんだうえでの寄付だと私は思っている。 友人の湊かなえは印税ではなく個人の資産から寄付を出したそうだが、それも震災後に決行した『花の鎖』(文芸春秋)のサイン会で募金を集め、それに自分の「気持ち」を添えての寄付だった。やはり「読者の気持ちをくんだうえでの寄付」の形に拘ったのだ。 ところで、私と湊かなえはともに阪神・淡路大震災を経験している。そして、阪神・淡路を経験した人が感覚として分かっていることがある。それは自粛は被災地を救わないということだ。よその地域が自粛してくれたところで被災地には何も届かない。被災地に必用なのは率直に言って復興のためのお金である。 そして復興のためのお金は、よその無事な地域が元気に社会と経済を回していあなくては賄えない。阪神・淡路のとき、大阪がけろりと平常営業していたことが、被災地にはどれほど心強かったか。これほど隣の都市がけろりとしているなら、被災地もすぐに復興してもらえるに違いないと思えた。 これほどの災害が起こると、自分が無事であること自体に罪悪感を覚えてしまうものだが、無事な人間は被災地を支援するために無事だったのだと思ってほしい。 そのためにはまず、自分の生活を大事にすることである。そしてこんなときだからこそエンターテインメントを楽しむことを自粛しないでほしい。 張り詰めた糸は長くは保たない。あなたが手に取るエンターテインメントは、張り詰めた心にゆとりを作る役に立つはずである。多くの作家はそのエールもこめて印税の寄付を表明している。 自粛して外出を控えてもあなたの気持ちは被災地には届かない。それに引き換え、あなたが外に出て使うお金は、コンビニで買うお菓子一つに至るまできちんと経済を回すのである。気が向いたときに自分のできる範囲で寄付ができたら更に言うことなしだ。ところで、田辺さんが被災神戸を支援する様が『ナンギやけれど・・・』3で見られます。
2019.04.26
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今回借りた4冊です。(受取予定分を含む)だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「アート」でしょうか♪<市立図書館>・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集・倒れるときは前のめり<大学図書館>・新説・あなたの知らない岡本太郎・タンタンの冒険 その夢と現実図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【トランスヒューマンガンマ線バースト童話集】三方行成著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>よりはるか未来、あるところにシンデレラという人類の進化系=トランスヒューマンの少女がおりました。“魔女”から拡張現実ドレスを与えられた彼女はカボチャ型飛行体に乗り、お城の舞踏会へ向かいます。しかしその夜、空から宇宙最強の爆発・ガンマ線バーストの閃光が降り注ぎー「地球灰かぶり姫」ほか「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」など、古典に最新の想像力を配合した童話改変SF全6篇を収録。超個性派による第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/16予約、4/29受取予定)>rakutenトランスヒューマンガンマ線バースト童話集【倒れるときは前のめり】有川浩著、KADOKAWA、2016年刊<出版社>より『図書館戦争』『レインツリーの国』『植物図鑑』ほか映像化続々の人気作家・初のエッセイ集! 日々の生きるつれづれ、創作の裏側、大好きな本や映画、敬愛する人びと、ふるさと高知のことなど、デビュー書籍刊行前から現在までに綴った90本超に、それぞれ振り返りのコメントを書き下ろし。現在入手困難な「ほっと文庫」に収録された短編「ゆず、香る」と、片想いがテーマの恋愛掌編「彼の本棚」の、小説2編も特別収録。当代一の人気作家のエッセンスがここに!<読む前の大使寸評>地元の言葉で(有川さんなら土佐弁で)正義やら勇気を語るスタンスが、何やら田辺聖子さんを彷彿とするのです。rakuten倒れるときは前のめり【新説・あなたの知らない岡本太郎】ムック、マガジンハウス、2011年刊<出版社>よりムックにつきデータ無し<読む前の大使寸評>雑誌『カーサ ブルータス』の特別編集ムック・シリーズとのことであるが・・・大型本の全篇に画像満載であり、ええでぇ♪ぱらぱらとめくると、太郎さんの家の内外の写真が多く、興味深いのです。rakuten新説・あなたの知らない岡本太郎【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き369
2019.04.26
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“こんまり”こと近藤麻理恵さんの片付け術が世界的に注目されているが、この際、是まで読んできた片付け、整理に関する本を集めてみました。・定年後の知的生産術(2018年刊)・ストレスゼロの整理術(2015年刊)・『情報の「捨て方」』(2015年刊)・決定版 整理術(2007年刊)・貧乏神髄(2002年刊)R1:『定年後の知的生産術』を追加***********************************************************************【定年後の知的生産術】谷岡一郎著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より定年退職後こそ、クリエイティブに、好きな研究、夢や目標に向かって打ち込むチャンスである。これまでの仕事や人生で得た経験が、意外な組み合わせによる新しい発想や、本質を見抜く眼力に通じる。時間的・金銭的な余裕が比較的あることは、シニア世代の大きなアドバンテージである。本書は定年後のクリエイティブ・シニアを応援する一冊。<読む前の大使寸評>クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年後の知的生産術この本に「情報はできるだけ捨てる」という辺りが載っていました。p8~11■クリエイティブ・シニア 世の中はもうとっくに、「情報はできるだけ捨てる」時代になっているのに、検索エンジンを駆使して雑多に(そして闇雲に)情報を集め、それらに溺れて身動きのとれない人々がいる。「あふれる情報のほとんどはゴミに近く、それを見極めることのできない人々は、これからの日本社会をリードすることはできないだろう」というフレーズは、筆者が前の世紀に出津の著作(谷岡、2000)で書いたことでもある。情報を捨てる時代だと、気が付かない人もまだいるものだ。 むろんであるが、検索行為そのものを否定するつもりはない。言いたいことは、「ニセの情報」、「不要な情報」、「有益な情報」、「どうでもいい情報」などを見分けられるか否か。そしてそのために「自分で考え、判断する能力を養う生活習慣」を続けているのか、ということにすぎない。 本書の結論を先に言えば、そのような生活習慣を持たない、もしくは持とうとしてもできないグループの代表は、若者もしくは中間管理職として活躍する50代までの人々(特にオッサン)である。逆に最も知的センスが期待されるグループは、60代になり定年を迎えた、もしくはこれから迎える人々である。 これら比較的高齢の人々のうち、知的生産に生きがいを感じる人々を本書は「クリエイティブ・シニア」と総称しているが、「これからの日本はクリエイティブ・シニアが先導するだろう」と信じる根拠をこれから述べる。 残念ながら、シニア・グループの全員が、クリエイティブ・シニアだと言うわけにはいかないだろう。体力に無理があったり、病気や障害に苦しむお年寄りは少なくないし、何かをやりたくとも(失礼ながら)充分な生活費を確保する時間が必要で、クリエイティブな生産ができない人々もおられよう。 それでも今の若者たち(特に男性)と比べて、より元気パワーを発揮できているのは、定年前後の人々が多いというのが筆者の印象である。 国内外を問わず、観光地において数多く見掛けるのは、海外からの観光客、若い年代から中高年に至る女性の3~5人くらいのグループ、そしてシニアの人々である。旅行以外にも「自分史」に挑戦する人々、「SNS」で交友関係を増やす人々、「俳句や囲碁・将棋」などの手習いを新たに始め、新たなエキスパート・レベルにチャレンジしてみる人々、などなど。それらの多くは、若者ではなく元気なシニアであるケースが多い。***********************************************************************【ストレスゼロの整理術】ムック雑誌、PHP研究所、2015年刊<今月号の読みどころ>より「仕事ができる人は、机の上をきれいに使っている」とよく言われる。身の回りが散らかっていると、モノを探すのに時間を取られてしまったり、気が散ってしまったりして、仕事の効率が下がることは必然だ。とはいえ、「書類が捨てられない」「片づけたいけど、時間がない」「一度片づけても、またすぐにモノがたまってしまう」といった悩みを抱える人は多い。そこで今月の総力特集では、「ストレスゼロの整理術」と題して、整理が苦手なビジネスマンのために、経営者や専門家の片づけノウハウに加え、情報や頭も中の整理術も紹介している。<読む前の大使寸評>また買ってしまった、このてのムック雑誌である。とにかく、溜まる一方の紙の資料を整理したいのであるが…さて?ところで、この「THE21」というのが、この雑誌の名前なんやろか?phpストレスゼロの整理術ミリマリストの言いだしっぺのような佐々木典士さんが次のように述べています。単なる物持たずではなくて、手持ちのメディアを厳選した積極的ミリマリストとでもいう人なんでしょうね♪p70~71 ミリマリスト(最小限主義者)とは、モノを必要最小限にまで減らし、時間や空間、心の余裕を大切にする生き方を目指す人です。(中略) 仕事の紙資料は、スキャンしてPDF化。メモ程度ならばスマホで撮っておき、紙は処分します。これらのデータはdrop boxなどのweb上のクラウドストレージにファイルを置き、職場からでも、外出先からでも、すぐに取り出せるようにしました。 ただし、デジタルデータは、消失のリスクも伴います。その点はRAID機能のあるハードディスクで二重バックアップを取り、リスクヘッジを図っています。(中略)<モノを減らすと行動力が高まる!> 僕の部屋にはモノが極端に少ないのでそもそも「散らかる」という概念がありません。モノがなければ、週末にわざわざ時間を作って掃除したり、片づけたりする手間が必要ないとわかったのです。 また、汚れたらその場で掃除する習慣がつきました。僕はズボラな性格なので、片づけの仕組を作ってそおれを維持するのは無理です。モノを減らしてしまうことが、整理整頓の最大の近道だと思います。 気持ちの面でも変化が起きました。将来の不安がなくなったのです。それは、モノがなくても、僕は全然困らないということがわかったから。最低でも十万円を稼ぎ続けることができれば、今の楽しい生活は持続可能です。 ミリマリストを自称する僕ですが、今も昔もモノが大好きです。しかし、欲しいモノを片っ端から手に入れても、それで自信がついたり、幸せになることに直結するわけではないと気づいたのです。***********************************************************************【情報の「捨て方」 】成毛眞著、KADOKAWA 、2015年刊<「BOOK」データベース>より新聞を読むな。BSテレビを観ろ。メモは「太赤マジック」で取れ。SNS上のバカは即刻「ブロックしてよし」-人生もビジネスも、どう“情報を捨てるか”で質が決まる。「良い情報を探す」前に、疑い、見極め、そうして活かせ。人、街、テレビ、ネット、スマホ…本当の知的生産をするための、「情報活用」以前の教科書。【目次】序章 「情報とは一体何か」-バカを相手にしないための手段として/1章 情報を「入手する」-24時間浴びる、しかしルートは絞る/2章 情報を「見極める」-「どうせウソだよね」という思考習慣/3章 情報の「非整理術」-整理に追われて1日を終える人々/4章 情報を「噛み砕く」-解釈する力のない者は敗れる/5章 情報を「生み出す」-受け取るだけの人間になるな/6章 情報を「活用する」-面白い生き方をしたいなら/特別章 成毛眞「情報」個人史<大使寸評>お説ごもっとも、これこそ「情報活用」の書だと思ったのです。ただ、成毛さんのような有名人はFacebookを愛用するのが当然なのかもしれないが・・・市井の一般人には、ツイッターが向いている思うわけです。(色々理由があるのだが、大使はFacebookが嫌いやでぇ)rakuten情報の「捨て方」情報の「捨て方」byドングリ***********************************************************************【決定版 整理術】雑誌、日経BP社、2007年刊<商品説明>より日経ビジネス Associe 12/04日号【特集】決定版 整理術 ・オフィス激変時代を勝ち抜く「整理の新ルール」 仕事ができる人の机には秘密がある! ・富士ゼロックス 書類のプロの整理術 「記憶を失っても大丈夫」な保管ルール<大使寸評>整理に関する本、雑誌のたぐいが積読状態にあるのだが・・・まず、これを何とかしないと(汗)zassi決定版 整理術***********************************************************************【貧乏神髄】川上卓也著、WAVE出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より生きることにすら効率を求めて、何が生まれるのか。時間の自由、心の自由を求めて。【目次】第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え ほか)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光 ほか)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く ほか)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛-見いだされた力/さよならテレビジョン ほか)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)rakuten貧乏神髄『貧乏神髄』1:コンビニの活用『貧乏神髄』2:目標は大胆に
2019.04.25
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お天気は、曇りときどき雨・・・映画にお天気は関係ない、ということでくだんの2本立て館に繰り出したのです。今回の出し物は「日日是好日」と「シェルブールの雨傘」であり、館主の設けたテーマは「希林さんとルグラン氏に捧げる」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが、今回のテーマとしては、まあいいんじゃないでしょうか♪なお、大使がテーマを設けるなら「日仏の大女優たち」となるわけです。死を覚悟した役者・樹木希林のプロ意識がええでぇ♪【日日是好日】大森立嗣監督、2018年制作、2019.4.24観賞<Movie Walker作品情報>よりお茶の魅力に気付き、茶道を習うことで日々成長していくヒロインの姿を描く人間ドラマ。黒木華が20歳でお茶と出会い、さまざまな体験をするヒロインの10年を演じる。また、2018年9月に亡くなった樹木希林がヒロインの師匠となるお茶の先生を演じ、味わい深いドラマにエッセンスを加える。監督は『さよなら渓谷』の大森立嗣。<大使寸評>撮影の時期には希林さんのガンは進行し、希林さんは体調不良をおして演技したようです。その凛とした役者根性にはおそれいったわけでおます。それから黒木華と多部未華子といえば・・・希林さんの後を継ぐような大物であり、たのもしいでぇ♪movie.walker日日是好日この映画館では毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回はダイエーで買ったおにぎりとサンドイッチでした♪【シェルブールの雨傘】ジャック・ドゥミー監督、1964年仏制作、2019.4.24観賞<Movie Walker作品情報>よりカトリーヌ・ドヌーヴ主演。「新・七つの大罪」(淫乱の罪)のジャック・ドゥミーがシナリオを執筆、自ら演出したミュージカル。戦争によって引き裂かれた男女の切ない運命をつづる。2009年1月31日(土)デジタルリマスター版にて再上映。<大使寸評>2年間の兵役が、2人を引き裂いてしまった。クリスマスの晩に、シェルブールを離れていたジェヌビエーブが偶然に給油に立ち寄ったシーンが泣かせるわけでおます。雪模様のなか、子どもとたわむれるギイ、これがラストシーンとなるが、思いのほか余韻が残るのです。このストーリーが、なんとも切なくて洒落ていたが・・・なんといっても、先日他界したミシェル・ルグランの作曲が良かった♪movie.walkerシェルブールの雨傘この二本立て館は、希林さん逝去の後に急きょ『モリのいる場所』という作品を、取り上げたので紹介します。【モリのいる場所】沖田修一監督、2018年制作、H30.10.18観賞<Movie Walker作品情報>より「祈りの幕が下りる時」の山崎努と「あん」の樹木希林が洋画家・熊谷守一夫妻を演じるヒューマンドラマ。守一の自宅の庭には様々な動植物が生きている。守一は30年以上、それらをじっと眺めるのを日課にしていた。守一の家には毎日のように人が訪ねてくる。監督・脚本は、「モヒカン故郷に帰る」の沖田修一。出演は、「3月のライオン」前・後編の加瀬亮、「谷崎潤一郎原案/TANIZAKI TRIBUTE『悪魔』」の吉村界人。<大使寸評>文化勲章を辞退した熊谷守一夫妻の仙人のような生き方もさることながら・・・気さくで、気丈な演技をしている樹木希林さんは、この時期、体はガンに冒されてボロボロであり、死を覚悟していたようです。movie.walkerモリのいる場所パルシネマ上映スケジュール
2019.04.25
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図書館で『貧乏神髄』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)【貧乏神髄】川上卓也著、WAVE出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より生きることにすら効率を求めて、何が生まれるのか。時間の自由、心の自由を求めて。【目次】第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え ほか)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光 ほか)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く ほか)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛-見いだされた力/さよならテレビジョン ほか)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)rakuten貧乏神髄茨城県在住の川上さんが久々に上京したのだが、さてどんなだったでしょう。古本を買うために、高額な旅費を払ってまで繰りだしたようです。p170~175■秋葉原から神田神保町まで歩きました 上野で京浜東北線に乗り換え、秋葉原に着きました。ここまで、電車が走っている間、ずっと窓の外の風景に脅かされるようにしてきたものですから、その緊張からか、自動改札へ切符を入れようとしましたところ、上手く入れることができず、ちょっとまごまごとしてしまいました。後ろで女の人が舌打ちをして、隣の自動改札から通り抜けていきました。 電気街口から表に出ますと、駅はビルに囲まれていて東京に来たのだということが実感できます。晴れているのに、ビルに囲まれている駅前の広場にはお日様が見あたりません。まだ、目の覚めていない電気街を吹いてくる風が、無機質な臭いと一緒に体にまとわりつくようにしてきますし、陽も遮られていまうから、石下や取手よりも寒かったのです。 こういった、ビルの壁に囲まれた素っ気ない都会ぶりを見てしまいますと、やはり取手などは地方の都市なのだなあと思ってしまいます。ひとつひとつのビルが、どれも取手のそれよりも細く、どれも高いのです。(中略) ともかく、ここから神保町までは、30分ほど歩けば良いはずです。地下鉄を使えばもっと早く着きますし、疲れないのが魅力ですけれど、だいいいちお金がかかってしまうので歩きました。 秋葉原から神保町までには、空襲を逃れた建物もありますから、そういったものを眺めながらぷらぷらと自分の速度で歩くのも良いかなあと考えたのです。きらびやかな電気街を抜け、神保町へと、歩き出しました。 秋葉原から神保町までには美味しいものがいっぱいあるそうです。鰻も甘味も良いですが、なんといっても蕎麦なんざあ、食べたいなあと思ってしまうのです。ああ、食べたいとは思うのですけれど、すでに交通費だけでも3000円以上が確定している旅ですし、古本を買って帰るということが目的でもありますから、予算が限られている今回の旅にあっては、そういったことへの出費は我慢しなければならないのです。 いつの日か、蕎麦味噌で一杯、蕎麦掻きでもう一杯、最後にせいろ二枚、なあんて奢ってもらいたいなあ、などと考えながら、老舗の傍らを通り過ぎました。 靖国通りに出ると、東京に来たんだなあという気持ちが改めてこみ上げてきました。どこまでも続くかと思うような大きくて長い道路の両側には、ただひたすらに細くて長いビルが建ち並んでいるのです。車道には遅い春の陽光が注がれているのですけれど、歩道はやっぱり日陰です。■いきなり見つかったのです ビルに陽を遮られた、あちこちに冷たく雪の残る歩道を、携帯電話を掛けながら歩いているかと思えば急に立ち止まるスーツ姿にぶつかったりしながら歩いていくと、古本屋が現れ始めました。 とりあえず、十分に広い裏通りにあった古本屋に入ってみますと、入口で無造作に積まれている岩波新書の中に、探していた本がいきなり見つかりました。僕の住む石下町の周辺では決して見つけられなかった、写真に関する本です。200円でしたから、岩波新書はいつも100円で買っている僕には一瞬のためらいもありました。けれど、高いだろうということはあらかじめ覚悟をしていたので、購入することにしました。 最初に入ったお店、陳列された本の半数以上は、性風俗に関する書籍や原色の雑誌だったのです。そんなお店では、手頃な辞書も500円で売られていたのですけれど、これは、他の本屋さんも見てみようと思いましたので、そのときは岩波新書だけを購入しました。(中略) 日本屈指の古本屋街、さすがは日本の首都、東京の古本屋だなあと感心したのはディスプレイの凝りようでしょうか。こういう街を歩いているだけで、なんだか賢くなったのではないかと錯覚してしまうのですから不思議です。『貧乏神髄』2:目標は大胆に『貧乏神髄』1:コンビニの活用
2019.04.25
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図書館で『日本の「水」が危ない』という新書を手にしたのです。昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。【日本の「水」が危ない】六辻彰二著、ベスト新書、2019年刊<出版社>より昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。<読む前の大使寸評>昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。rakuten日本の「水」が危ないコンセッション方式のなかで育ったフランスの水企業は、開発途上国をターゲットにすると、その悪賢さを遺憾なく発揮するようです。「第4章 海外水メジャー」で拡大する水ビジネスを、見てみましょう。p154~157■水ビジネスを活性化させる四つの変化 コンセッション方式の導入により、これまで「水鎖国」に近かった日本の市場は、海外企業にも開放された。しかし水メジャー呼ばれる欧米の巨大な水企業は、世界各地で少なからず悪評を買ってきた。日本が水メジャーの標的になっている以上、水道の将来を考えるには、世界の水市場の動向や構造を知ることが欠かせない。そのために、以下ではまず、世界の水ビジネスについてみていこう。 さまざまな批判を招きながらも、世界の水ビジネスはこれまでにんく活発化している。オランダの資産運用会社RobecoSAMによると、2014年に約6000億ドル(約60兆円)だった世界の水ビジネスの市場規模は2018年に約7000億ドル(約70兆円)に達した。この驚異的なまでの規模とペースからすれば、日本の2018年改正水道法は、周回遅れでも逆行でもない。ただし、世界で活発化する水ビジネスの多くは、先進国よりむしろ開発途上国でのものである。 日本総研の調査によると、東南アジアでの民間企業に経営される水道の給水人口は、2007年には3億1500万人だったが、2012年までに4億1130万人に増加した。(中略)東南アジアだけでなく、ラテンアメリカや中東でも、水ビジネスの活発化はうかがえる。 なぜ、水ビジネスは活発化するのか。そこには、大きく四つの理由があげられる。 第一に、人口増加と都市化だ。日本では人口減少が進んでいるが、地球人口は増加の一途をたどり、国連は2030年には86億人を超えると推計している。とりわけ開発途上国での人口増加が目立つが、これと並行して都市化も進んでいる。人口密集地が増えると、19世紀の欧米諸国と同じように、コレラなどの感染症対策として、水道の普及が課題になる。 第二に、開発途上国で経済成長が進むなか、富裕層や中間層を中心に、ライフスタイルに変化が生れていることだ。人間が消費する水のうち、最も多いのは農業用水で全体の役70%を占め、これに工業用水(約20%)、生活用水(約10%)と続く。生産活動が活発化することで、農業、工業での消費量も増えているが、それを上回るほどの勢いでシャワーやトイレなどの生活用水の使用量が増えているのである。 第三に、貧困対策として安全な水の確保が国際的な目標になっていることだ。2015年に国連で採択された世界全体の開発のための「持続可能な開発目標」(SDGs)では、「全ての人々に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する」ことが盛り込まれている。2015年段階で、地球人口の29%が安全に管理された飲料水にアクセスできず、61%が安全な下水システムにアクセスできていないとみられており、SDGsでその改善が盛り込まれたことは、いわば開発途上国での水道の普及にお墨付きが与えられたことをも意味する。 そして第四に、地球温暖化である。地球全体で気候が変動するなか、日本では大型台風やベリラ豪雨といった「過剰な水」が問題になりやすいが、これとは逆に干ばつなど異常な水不足に見舞われる国が少なくない。水が十分手に入らない状態を「水ストレス」と呼ぶが、アメリカのシンクタンク世界資源研究所のシミュレーションによると、2040年には水ストレスが「非常に高い」国は世界全体で33ヵ国、「高い」国は26ヵ国にのぼると推計される。「非常に高い国」にはサウジアラビアなど砂漠の国が目立つが、「高い国」のなかにはアメリカ、オーストラリア、中国、インドなども含まれる。こうした国では、それまで以上に安定的に水を供給する必要があるため、水道の需要が増えているのだ。『日本の「水」が危ない』3:海外水メジャー『日本の「水」が危ない』2:火の車の水道事業『日本の「水」が危ない』1:はじめに
2019.04.24
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図書館で『日本の「水」が危ない』という新書を手にしたのです。昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。【日本の「水」が危ない】六辻彰二著、ベスト新書、2019年刊<出版社>より昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。<読む前の大使寸評>昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。rakuten日本の「水」が危ない「第4章 海外水メジャー」でヴェオリアを、見てみましょう。p169~171 <ヴェオリア 「水の巨人」> 「水鎖国」が解けた日本は、世界の水ビジネスの台風の目になりつつある。その主役である水メジャーには、どのようなものがあるのか。以下では主な水企業について取り上げる。 まず、名実ともに最大の水メジャーであり、日本上陸を果したフランスのヴェオリアからみていこう。ヴェオリアの正式名称はヴェオリア・ウォーターで、同社は環境や物流など異業種の企業からなる複合企業ヴェオリア・エンバイロメントの傘下にある。かつてほどでないにせよ、水道経営では世界最大のシェアをもち、日本総研の調査によると、世界80ヶ国以上で1億3000万人以上に給水している。 その歴史は古く、起源は1853年にさかのぼる。当時のフランスでは、都市化が進むなかで衛生環境の整備が急務になっていたため、皇帝ナポレオン3世の勅命により、水道の整備・運営にあたる会社として、ヴェオリアの前身ジェネラル・デゾーが設立された。翌1854年にはリヨンで、初めてコンセッション方式に基き上水道の経営を受注し、その後の足がかりを掴んだ。 この設立の経緯からも明らかなように、ヴェオリアはフランスの歴代政府と結びつきが強い。そのため、19世紀後半からは帝国主義の時代背景のもと、フランスの世界戦略と連動して海外進出も加速させ、ヨーロッパからアジアにかけて事業を広げた。(中略) そのヴェオリアは、先述のように戦略の見直しを進めている。1990年代、「水道民営化」の波に乗って各地に進出したヴェオリアは、異業種企業を相次いで傘下に収め、アメリカでは映画会社やテーマパークまで買収したが、肥大化した事業を精算するため、2000年代前半からは資産を売却し、本業に回帰し始めた。そこに発生したリーマンショックで、ヴェオリアは水道事業でも優良案件への絞り込みを強めている。 第2章で取り上げたように、ヴェオリアは2010年にパリでのコンセッション契約を更新できず、2013年にはベルリンでの契約を破棄した。これらはいずれも、利用者からの批判を受けた自治体が「水道民営化」そのものを見直すなかで実現したが、一方でヴェオリアにしても、抵抗が強いこれらの大都市からの撤退は、より運営コストが安く済む案件に集約するなかでの決定だったといえる。お次に中国の水メジャーを見てみましょう。p178~171 <中国水メジャーの動静> フランスの大手2社に代表される欧米の水メジャーは、かつて水市場を席巻していたが、その多くが生き残りに必死ともいえる。これと入れ違いに台頭している新興国の水メジャーには、どのようなものがあるか。ここではアジア諸国に絞ってみていくが、まずヴェオリアとスエズを給水人口の面で追い上げる北控水務集団を取り上げる。 第2章で述べたように、中国では「公的機関の企業化」が目立ち、政府や自治体のテコ入れで中国版水メジャーの育成が進められてきた。その結果、三井物産戦略研究所によると、中国における上下水道の給水人口は、1999年には海外企業によるものが2500万人、中国企業によるものが800万人だったのが、2012年までには海外企業によるものが8500万人、中国企業によるものが1億7400万人にまで増えた。 その中でも北京に拠点をもつ北控水務は2800万人以上に給水しており、飛び抜けて大きな規模をもつ国営企業である。 北控水務は、1997年に発足したエネルギー、ビール製造、建設などの複合企業、北京控股有限公司の傘下にある。香港証券取引所に上場しており、業務のほとんどは中国国内での上下水道の経営である。 しかし、近年では徐々に海外市場への進出も確認されている。例えば、2017年2月に北控水務はマレーシアに進出し、ジョホールで上下水道の敷設を含む20億元の投資を成約させた。また、2018年4月には、オーストラリア西部ムンダリングで下水処理場の経営権の25%を35年契約で買収している。 ただし、北控水務に限らず、中国勢の海外進出は必ずしも活発ではない。そこには、中国国内でまだ膨大な需要が見込まれることだけでなく、政治的な理由もあるとみられる。 ユーラシア大陸を網羅する経済圏「一帯一路」構想を掲げる中国は、その沿線上で鉄道、港湾、道路、発電所などのインフラ整備を進めているが、これに対して批判や懸念も少なくない。さらに、中国企業による農地買収なども各国で批判を招いており、北控水務が経営権の一部を買収したムンダリングで下水処理場の案件も、この設備が近隣の肥沃な農園地帯と水道管でつながっていることからオーストラリア国内で懸念を呼んだ。 この状況のもと、とりわけ政治的な摩擦につながりやすい水道事業で海外進出を目指すことは、中国にとって大きなリスクをともなう。そのため、中国水メジャーの海外進出は、当面目立たないレベルにとどまるとみられる。 しかし、これを裏返せば、中国国内での過当競争や中国の経済情勢の悪化などによってこの自制が取り払われたとき、中国水メジャーは伝統的な水メジャーにとって、中国市場だけでなくグローバル市場においても、強力なライバルとして本格的に台頭するといえるだろう。『日本の「水」が危ない』2:火の車の水道事業『日本の「水」が危ない』1:はじめに
2019.04.24
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“こんまり”こと近藤麻理恵さんの片付け術が世界的に注目されているが、この際、是まで読んできた片付け、整理に関する本を集めてみました。・ストレスゼロの整理術(2015年刊)・『情報の「捨て方」』(2015年刊)・決定版 整理術(2007年刊)・貧乏神髄(2002年刊)***********************************************************************【ストレスゼロの整理術】ムック雑誌、PHP研究所、2015年刊<今月号の読みどころ>より「仕事ができる人は、机の上をきれいに使っている」とよく言われる。身の回りが散らかっていると、モノを探すのに時間を取られてしまったり、気が散ってしまったりして、仕事の効率が下がることは必然だ。とはいえ、「書類が捨てられない」「片づけたいけど、時間がない」「一度片づけても、またすぐにモノがたまってしまう」といった悩みを抱える人は多い。そこで今月の総力特集では、「ストレスゼロの整理術」と題して、整理が苦手なビジネスマンのために、経営者や専門家の片づけノウハウに加え、情報や頭も中の整理術も紹介している。<読む前の大使寸評>また買ってしまった、このてのムック雑誌である。とにかく、溜まる一方の紙の資料を整理したいのであるが…さて?ところで、この「THE21」というのが、この雑誌の名前なんやろか?phpストレスゼロの整理術ミリマリストの言いだしっぺのような佐々木典士さんが次のように述べています。単なる物持たずではなくて、手持ちのメディアを厳選した積極的ミリマリストとでもいう人なんでしょうね♪p70~71 ミリマリスト(最小限主義者)とは、モノを必要最小限にまで減らし、時間や空間、心の余裕を大切にする生き方を目指す人です。(中略) 仕事の紙資料は、スキャンしてPDF化。メモ程度ならばスマホで撮っておき、紙は処分します。これらのデータはdrop boxなどのweb上のクラウドストレージにファイルを置き、職場からでも、外出先からでも、すぐに取り出せるようにしました。 ただし、デジタルデータは、消失のリスクも伴います。その点はRAID機能のあるハードディスクで二重バックアップを取り、リスクヘッジを図っています。(中略)<モノを減らすと行動力が高まる!> 僕の部屋にはモノが極端に少ないのでそもそも「散らかる」という概念がありません。モノがなければ、週末にわざわざ時間を作って掃除したり、片づけたりする手間が必要ないとわかったのです。 また、汚れたらその場で掃除する習慣がつきました。僕はズボラな性格なので、片づけの仕組を作ってそおれを維持するのは無理です。モノを減らしてしまうことが、整理整頓の最大の近道だと思います。 気持ちの面でも変化が起きました。将来の不安がなくなったのです。それは、モノがなくても、僕は全然困らないということがわかったから。最低でも十万円を稼ぎ続けることができれば、今の楽しい生活は持続可能です。 ミリマリストを自称する僕ですが、今も昔もモノが大好きです。しかし、欲しいモノを片っ端から手に入れても、それで自信がついたり、幸せになることに直結するわけではないと気づいたのです。***********************************************************************【情報の「捨て方」 】成毛眞著、KADOKAWA 、2015年刊<「BOOK」データベース>より新聞を読むな。BSテレビを観ろ。メモは「太赤マジック」で取れ。SNS上のバカは即刻「ブロックしてよし」-人生もビジネスも、どう“情報を捨てるか”で質が決まる。「良い情報を探す」前に、疑い、見極め、そうして活かせ。人、街、テレビ、ネット、スマホ…本当の知的生産をするための、「情報活用」以前の教科書。【目次】序章 「情報とは一体何か」-バカを相手にしないための手段として/1章 情報を「入手する」-24時間浴びる、しかしルートは絞る/2章 情報を「見極める」-「どうせウソだよね」という思考習慣/3章 情報の「非整理術」-整理に追われて1日を終える人々/4章 情報を「噛み砕く」-解釈する力のない者は敗れる/5章 情報を「生み出す」-受け取るだけの人間になるな/6章 情報を「活用する」-面白い生き方をしたいなら/特別章 成毛眞「情報」個人史<大使寸評>お説ごもっとも、これこそ「情報活用」の書だと思ったのです。ただ、成毛さんのような有名人はFacebookを愛用するのが当然なのかもしれないが・・・市井の一般人には、ツイッターが向いている思うわけです。(色々理由があるのだが、大使はFacebookが嫌いやでぇ)rakuten情報の「捨て方」情報の「捨て方」byドングリ***********************************************************************【決定版 整理術】雑誌、日経BP社、2007年刊<商品説明>より日経ビジネス Associe 12/04日号【特集】決定版 整理術 ・オフィス激変時代を勝ち抜く「整理の新ルール」 仕事ができる人の机には秘密がある! ・富士ゼロックス 書類のプロの整理術 「記憶を失っても大丈夫」な保管ルール<大使寸評>整理に関する本、雑誌のたぐいが積読状態にあるのだが・・・まず、これを何とかしないと(汗)zassi決定版 整理術***********************************************************************【貧乏神髄】川上卓也著、WAVE出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より生きることにすら効率を求めて、何が生まれるのか。時間の自由、心の自由を求めて。【目次】第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え ほか)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光 ほか)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く ほか)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛-見いだされた力/さよならテレビジョン ほか)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)rakuten貧乏神髄『貧乏神髄』1:コンビニの活用『貧乏神髄』2:目標は大胆に
2019.04.24
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図書館で『貧乏神髄』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)【貧乏神髄】川上卓也著、WAVE出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より生きることにすら効率を求めて、何が生まれるのか。時間の自由、心の自由を求めて。【目次】第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え ほか)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光 ほか)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く ほか)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛-見いだされた力/さよならテレビジョン ほか)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)rakuten貧乏神髄“こんまり”こと近藤麻理恵さんの片付け術が世界的に注目されているが、川上さんの断捨離もなかなかのものです。川上さんの断捨離の極意を「本当に捨てるために」に、見てみましょう。p265~■目標は大胆に さてさて、いざ物を捨てるとなりましても、どの程度まで捨てればよいのかということを決めておきませんことには、あまりにも漠然としていて手を着けられません。目標としては、容量を念頭に置くのがいちばん手っ取り早いと言えましょう。 考えてみてください。今、貴方の部屋が突如として半分になってしまうとしたら、果して住めるでしょうか。僕の知る他人の部屋を思い浮かべた限りでは、不要な物を捨てなければ寝る場所すっらなくなってしまうほどに物があります。それほどまでに、人は余計な物をホイホイと持ち込んでしまうのです。 きっと、どれもこれも必用だと思ったり、勿体ないと思ったりして捨てずに、いや、捨てようなどという気持ちも必要性も持たずに来たものです。そんな物を、エイヤッと捨ててしまうには、目標のあった方が気も楽になります。 もちろん、僕の場合は「いつでもすぐに動ける」という条件があるのですけれど、それを具体的に数値にできれば、作業する上でも励みになります。しかし、これ実際には、木綿の着流し4枚と猿股数枚、その他リンゴ箱3個と洗面用具、というわけにもいきません。理想ではありますが、現実は厳しいのです。 まあとにかく、目測でも良いから、「あとこのくらい捨てれば大丈夫」という所を確認できる目標。僕は、四畳半一間での生活を想定し、そこに持ち込める荷物の量を考えた結果、ある目標を立てました。 軽トラック一杯分、です。 まあ、馴染みのない人にはピンとこないかも知れませんけれど、軽トラックの荷台はだいたい、192×141センチメートルくらいで、積載重量は350キログラム。もし巻尺をお持ちでしたら、軽トラの荷台がどの程度であるか、伸ばしてみてください。 トラックと名は付いていますけれど、所詮は軽自動車。これ一杯分の荷物ということになると、本当に厳選しなければならないのです。まあ道交法を考慮しなければ、実は軽トラでも1トンくらいなら積めてしまうのですけれど、できるならばきちんと350キログラムに抑えたい。これは、厳しい目標なのであります。 僕にはテレビはありませんけれど、そのかわりにパソコン1式があります。洗濯機もあるし、小型とはいえ冷蔵庫も持っています。最悪、洗濯機はなくても暮らせますけれど、捨てるには莫大なリサイクル料が必要となるのです。 こうなると、それ以外の身の回りの物については、大幅に削らなければなりません。カーテンだって、しまえば段ボールの箱ひとつくらいは占有してしまいます。本だって、段ボール10個分はありますから、困ったものです。 ちょっと、無理な目標かもしれません。しかし、多少大胆に、無理のあるくらいの目標でなければ、不要な物はひねり出せないのです。『貧乏神髄』1
2019.04.23
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図書館で『貧乏神髄』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)【貧乏神髄】川上卓也著、WAVE出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より生きることにすら効率を求めて、何が生まれるのか。時間の自由、心の自由を求めて。【目次】第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え ほか)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光 ほか)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く ほか)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛-見いだされた力/さよならテレビジョン ほか)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか(笑)rakuten貧乏神髄コンビニといえば「便利だけど高価である」というのが大使の認識であるが・・・コンビニの現状を、見てみましょう。p100~102 <便利さに付け入る、これこそが貧乏> こうなると、貧乏人にはコンビニを利用する術はないのかといえば、実は、いくつかの存在が認められています。コンビニが提供している便利さのなかには、貧乏人が付け入る隙、客寄せのための無料サービスもあるのです。 その代表格と言えるのが、公共料金の支払。口座振替では、どうしようもなくお金がないときにでも容赦なく引き落とされてしまいますから、僕はできるだけ支払票を持っていって自分で払うことにしています。なにしろ24時間365日、いつでも支払うことができるのですから、自動引き落としでなくても十分に便利です。 コンビニには常に客が入っていますけれど、混雑時を避ければレジは開いていることが多いですから、金融機関で順番を待つよりも早いのです。 トイレというのも、コンビニの魅力のひとつです。店舗によってばらつきもありますけれど、大抵は掃除も行き届いていますし、トイレットペーパーも常備されています。街道沿いのコンビニなどは、トイレを売りのひとつにしているところもあり、そのような店のトイレはおしり洗浄器まで設置されていたりして、貧乏人が文明に触れる瞬間とも言えます。 用を済ませた後は手を洗うわけですけれど、ここでも、ペーパータオルやエアータオルを設置してくれている店が多く、好感が持てます。エアータオルだと顔を拭くことができないので、できるならペーパータオルを希望したいところですけれど、そんなトイレが24時間365日、いつでも利用できるのは便利さ爆発。お腹が爆発なときにも重宝します。 雑誌コーナーで立ち読みをすれば、テレビを持っていない貧乏人でも、ある程度の情報を手に入れることができます。知らない土地を旅するとき、地図を立ち読みできるのも魅力です。本屋よりもコンビニの方が多いですし、一緒にトイレを済ませることもできるのですから、こういった便利は是非とも活用したいところです。 立ち読みは嫌がられるのではないかという心配する人も居るかもしれませんけれど、時間帯によっては長居も可能です。(中略) 公共料金、トイレ、雑誌の立ち読み。ささやかではありますけれど、コンビニという有料冷蔵庫を利用してくれるお金持ちのおかげで、貧乏人だって少しだけおこぼれにあずかることができるのです。
2019.04.23
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在職中にサウジに出張して以来、サウジに関しては何かと関心があるのです。ネットに「サウジの原発建設計画」という記事がでているが・・・オイオイ こんな危なっかしい計画があるのかよ、と驚いたのです。2019/04/22サウジの原発建設計画は核武装につながる?より サウジアラビアが原子力発電所の建設計画を打ち出してから久しい。20年間で18基の原子力発電所を建設したいと発表したのは、もう8年前のことだ。それから、韓国、ロシア、フランス、中国、米国等が受注に名乗りを上げているようであるが、まだ建設には至っていない。 米国では、トランプ政権になってから、サウジアラビアとの関係を改善しようとの動きがあり、その一環として原子力発電所建設計画も議題に上がっていたようだ。それについて、今年2月、米国議会下院は、報告書を出し、議会の承認が必要な原子力発電所の輸出をトランプ政権が勝手に推進するのは問題であるとした。 そもそも、サウジアラビアの原子力発電所の計画の背景には何があり、それが及ぼす影響は何か。改めて、この機会に、考えてみたい。 石油の豊富なサウジアラビアが、どうして原子力発電所の導入を検討しているのか。それは、国内の増える電力需要をまかなうのに石油を使っていると、その分だけ輸出に回せなくなり、外貨収入が減ってしまうからだ。それを防ぐために原子力発電所の建設が必要だとの説明がある。しかし、原発導入の真の動機は、石油代替エネルギー源の確保のためと考えられる。サウジアラビアには 100年分の石油資源があると言われているが、将来は基本的には石油は石油化学の原料として使用し、発電は徐々に原子力や自然エネルギーに代えていく方針と思われる。すでに、サウジアラビアには、太陽光発電所が稼働している。 このように、サウジアラビアの原子力発電所の導入には、国内的にはそれなりの意義があるが、国際的には、様々な問題を含んでいる。 1つは、米国議会が、ムハンマド皇太子が実権を握っている限り、サウジアラビアへの原発輸出には反対のようなので、米国から導入する可能性は低く、そうなると、ロシアから導入する可能性が高くなる。そうなれば、サウジアラビアとロシアの関係が改善されることになる。それ自体は悪いことではないが、中東における国際政治の地政学的環境が色々と変化を起こし、新たな対処が必要になってくる。 トランプ大統領は、イランに対抗するとの観点もあり、サウジアラビアとの関係を重視しており、サウジアラビアと米国との関係は良好だが、サウジアラビアのロシアとの原発取引が成立すれば、サウジアラビアは米国との関係に如何に対処するかの問題にとり組まざるをえなくなる。 サウジアラビアの原子力発電所導入のもう1つの問題は、核拡散の観点からの問題である。サウジアラビアが原発を導入する場合、原発だけではなく、核燃料も自国で生産することを考えているようである。すなわち、濃縮か再処理、または双方をするということである。濃縮、再処理は核兵器の製造に繋がる機微な技術である。 ムハンマド皇太子は、もしイランが核兵器国になったら、サウジアラビアも核武装すると述べている。サウジアラビアのイランとの覇権争いから言って、十分考えられることである。サウジアラビアが核武装を目指す可能性は排除できない。 ただ、濃縮や再処理、特に濃縮は、高度の技術を必要とし、その技術は一朝一夕に取得できるものではない。サウジアラビアが早期に濃縮、再処理の技術を取得しようとすれば、外国の支援が必要となる。サウジアラビアを支援しそうな国はパキスタンである。パキスタンは自国の核武装に際し、サウジアラビアから財政的支援を受けているので、サウジアラビアには恩義があり、サウジアラビアを支援するであろうが、サウジアラビアの核武装につながるような支援は、さすがのパキスタンでも躊躇するのではないか。 いずれにせよ、サウジアラビアの原発導入は、核武装につながる可能性が否定できないので、単なるサウジアラビアのエネルギー問題にとどまらず、中東の安全保障に関わりかねない重要な問題と言える。
2019.04.23
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図書館で『日本の「水」が危ない』という新書を手にしたのです。昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。【日本の「水」が危ない】六辻彰二著、ベスト新書、2019年刊<出版社>より昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。<読む前の大使寸評>昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。rakuten日本の「水」が危ない「第1章 なぜ、いま水道法改正なのか」の冒頭を、見てみましょう。p16~19 <火の車の水道事業> 当たり前のように蛇口から出てくる水が、大きな転機を迎えている。2018年の第196回臨時国会では重要法案がいくつも可決されたが、なかでも水道法改正案は上水道を含む水道事業への民間企業の参入を加速させるもので、公営が当たり前だった水道は、これによって新たな時代に入った。 なぜ、水道事業に民間参入が認められたのか。どこにその必用があったというのか。あるいは、それによって利用者にはどんなメリットが期待されているのか。 これらを考えるとき、まず大前提にあるのは、日本の水道を取り巻く厳しい環境だ。近年では水道管などの設備の老朽化が進んでいて、橋や道路などその他のインフラと同じく、メンテナンス費用が膨らんでいる。そのうえ、台風や地震などの自然災害の多発で、復旧のために工事が必要なことも増えている。 それにもかかわらず、必要な資金は年々減り続けている。厚生労働省によると、1998年に1兆8000億円を超えていた水道事業における投資額は、2013年には約1兆円にまで落ち込んだ。 なぜ、必要な資金を投入できないのか。そこには、水道の使用量と水道料金の仕組みが関係している。 少子高齢化が進むなか、水道の使用量は減り続けている。厚生労働省によると、水道使用量は2000年の1日3900万m3から、2014年には3600万m3に減少しており、このペースでいけば2060年には2200万m3にまで落ち込むと推計される。 ところが、上水道の水道料金と下水道使用量は独立採算制が原則で、水道使用量が減れば減るほど、各世帯の負担額は増加することになる。そのため、水道法改正の前から各地で水道料金が引き上げられてきたが、それでもメンテナンスや災害地での復旧のための資金は十分ではないのだ。 これに加えて、水道職員の不足も深刻化している。就職氷河期から採用を絞り込んだ結果、40代未満の水道職員が不足している一方、2000年代半ばには団塊世代の大量退職の時期を迎えた。その結果、最盛期の1980年代前半に約7万5000人いた全国の水道職員は、2000年代半ばには6万人を割り込み、約20年間で20%近く減少したのだ。 こうした厳しい状況のなか、水道事業の存続を図る起死回生の一手として政府が打ち出したのが、民間企業の資金、人材、ノウハウの投入だった。つまり、民間の資金や人材を活用することで公的機関の不足を補え、コスト意識の高い民間企業による公営より効率的な運営でムダを減らせるというのだ。政府によると、それによって利用者にも質の高いサービスが提供できるという。ウーム 民間企業に倫理感が乏しいのは当然であるが、それでは公的機関には倫理感の高い職員ばかりかといえば・・・そうでもないようです。神戸市の場合、ヤミ専従が闊歩し労組の力が強い部門は、水道局、交通局、教育委員会とのことで、つまりこの三つの組織の倫理感が弛んでいるということです。『日本の「水」が危ない』1
2019.04.22
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図書館で『日本の「水」が危ない』という新書を手にしたのです。昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。【日本の「水」が危ない】六辻彰二著、ベスト新書、2019年刊<出版社>より昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。<読む前の大使寸評>昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。rakuten日本の「水」が危ない「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・水問題のキモが「はじめに」に要約されているので、見てみましょう。p3~6 <はじめに> 「日本の水道が危ない」というと「何を大げさな」と笑う人もあるかもしれない。「不安を煽るのは無責任だ」と息巻く人もあるかもしれない。何も思わない人もあるかもしれない。 しかし、2018年11月に国会で成立した水道法改正案は、「安全で安い」水道を危うくしかねず、日本で暮らす全ての人が無関係でいられない。 この改正案の、何が危ういのか。それは改正水道法が、水道事業への民間企業の参入を想定してることだ。 もともと日本の水道サービスは、世界屈指の高いレベルにある。国土交通省の2004年の「日本の水資源」によると、国土全体で水道水を飲める国は世界全体で13カ国にすぎず、日本はその1国だ。つまり、日本の「安全で安い水」は、世界レベルでみれば希少価値の高いものでさえある。 ただし、多くの人は気づいていないが、水道事業の経営は存続すら危ぶまれるほど厳しい状況にある。そのため、政府は「効率的な経営」を掲げ、水道事業に民間企業の参入を促すことで、公的な負担を減らすことができると強調している。これは、いわば利用者や自治体にとってのメリットを最大限に強調する論理だ。 とはいえ、電気、鉄道、電話など、これまでに民営化された公共サービスと比べても、水道事業は人間の生命に直結するもので、ここに民間参入を認めることは、いわば劇薬だ。水道事業への民間参入は世界各地で先行しているが、その多くの事例で水質が悪化して水が飲めなくなったり、料金が高騰して水道サービスを受けられない人が出たりする弊害が多発している。民間事業者の経営は、政府や推進派が力説するような魔法の杖ではない。 それにもかかわらず、なぜ多くの国で水道事業への民間企業の参入が止まらないのか。一言で言えば、水道が新たなビジネスチャンスになっているからだ。 日本人が「安くて安全な水」を謳歌していた間に、世界では水への関心が高まってきた。世界有数の証券会社ゴールドマンサックスは2008年、有望な投資対象としての水を「21世紀の石油」と表現した。水に利益を見出す巨大企業が数多くあるため、問題が発生しても、政治や行政による是正が難しい。つまり、人間にとって不可欠な資源である水が「商品」として扱われる国では、水道事業が巨大企業の儲け口にされているのである。 改正水道法は、世界の情勢からほとんど隔絶していた日本を、こうした水ビジネスにさらすものだ。しかし、これに関する利用者の関心は、決して高くない。その大きな原因の一つは、情報不足にあるかもしれない。 実際、日本でも一部の研究者が以前から水ビジネスの問題を指摘し、関連書も出版されていたが、広く認知されてきたとは言いにくい。言い換えると、多くの国民がほとんど関心も知識もない間に、改正水道法はスムーズに成立したともいえる。
2019.04.22
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図書館で『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』というシリーズ本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。なお、帰って調べてみると(例の如く)この本を3ヶ月前に借りていたのです。で、(その4)としています。【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治大正15年~昭和4年あたりを、見てみましょう。p74~80 <羅須知人協会時代> 社会主義思想・マルキシズムと賢治の関わりについては川村尚三の証言があり、それによるとこのころの賢治は川村にレーニンの『国家と革命』を教えてくれと言って、1時間ほど講義をさせ、そのあと替わって賢治が土壌学を教えるというかたちの交換教授が夏から秋にかけて進められた。 そして一区切りしたある夜、賢治は《講義してもらったが、これはダメですね、日本に限ってこの思想による革命は起こらない》と断言、翌夜からうちわ太鼓で町をまわったという。 この年は田植えの頃から、天候不順の夏にかけて、稲作指導や肥料設計は多忙をきわめた。この年の日付けをもつ多くの詩篇には、稲の倒伏への心配や責任感や、倒れたと思った稲がまた起きたときの歓喜など、文字どおりの一喜一憂が反映している。 また、花巻温泉南斜花壇の設計書をつくり、自ら苗を植えたりしたが、この作業を素材とした詩篇には《食うものもないこの県で/百万からの金も入れ/結局魔窟を存えあげる》などの詩句が見られる。 また、この秋頃、かねて藤原嘉藤治をめぐる音楽愛好者の集まりに出ていた女性の一人で湯口村の小学校教諭であった高瀬露が、近くに住んでいたこともあって協会によく出入りし、洗濯物や買物の世話など申出ていたが、次第に人の口の端にのぼるようになりまた高瀬の気持ちが昂まってきたのを、つよく拒むようになった。 高瀬宛書簡下書には、自分がかつて「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかつたらあなたと結婚したかもしれないけれども」などと云った無考えをはげしく悔やみ反省している。 後年の中館武左衛門あて書簡にも《旧名高瀬女子の件なれば、神明御照覧、私の方は終始普通の訪客として遇したるのみに有之》とある。 この年12月、母校盛岡中学校校友会雑誌のための詩「生徒諸君に寄せる」を下書するが、これは断章群の形のまま感性せず、結局「冬二篇」のタイトルのもとに「銀河鉄道の1月」「奏鳴419」を発表している。 昭和3年2月、第1回普通選挙があり、選挙運動の際は労農党稗貫支部に謄写版一式を提供するなどして陰ながら協力したが、4月になると労農党は日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟とともに解散を命ぜられている。 3月中旬には石鳥谷町に設けた肥料相談所で毎日朝の8時から夕方4時まで休む間もなく肥料設計を行なったが、予定の1週間では相談をさばききれず、30日にも赴いて稲作と肥料についての講演を行なった。『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』3:昭和5年~昭和8年あたりp84~89『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』2:大正11年~15年あたり『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』1:国柱会への入会あたり
2019.04.22
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今回借りた4冊です。(受取予定分を含む)だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「手当り次第」でしょうか♪<市立図書館>・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集・日本の「水」が危ない<大学図書館>・新潮日本文学アルバム宮沢賢治・貧乏神髄図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【トランスヒューマンガンマ線バースト童話集】三方行成著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>よりはるか未来、あるところにシンデレラという人類の進化系=トランスヒューマンの少女がおりました。“魔女”から拡張現実ドレスを与えられた彼女はカボチャ型飛行体に乗り、お城の舞踏会へ向かいます。しかしその夜、空から宇宙最強の爆発・ガンマ線バーストの閃光が降り注ぎー「地球灰かぶり姫」ほか「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」など、古典に最新の想像力を配合した童話改変SF全6篇を収録。超個性派による第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/16予約、4/23受取予定)>rakutenトランスヒューマンガンマ線バースト童話集【日本の「水」が危ない】六辻彰二著、ベスト新書、2019年刊<出版社>より昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。<読む前の大使寸評>昨今では「水道民営化」の是非が取り沙汰されるようになっているが・・・この本のタイトルに危機感を持ったわけでおます。rakuten日本の「水」が危ない【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治【貧乏神髄】川上卓也著、WAVE出版、2002年刊<「BOOK」データベース>より生きることにすら効率を求めて、何が生まれるのか。時間の自由、心の自由を求めて。【目次】第1章 喰うことは生きること(土鍋で炊いたら驚いた/貧乏人こそ米を喰え ほか)/第2章 遊びながら暮らすために(100円ショップの大罪/コンビニの光 ほか)/第3章 我、田園に漂着す(貧乏長屋は田舎の味/貧乏人、東京へ行く ほか)/第4章 一億総貧乏時代を迎えて(貧乏礼賛-見いだされた力/さよならテレビジョン ほか)<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、アナログ老人向きのテーマが並んでいます。一億総貧乏時代を迎えているが、皆さんその心得えができていないと思うわけで・・・警世の書とでもいいましょうか。rakuten貧乏神髄********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き368
2019.04.21
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<映画館で観たミュージカル映画といえば>映画館で観たミュージカル映画といえば・・・そんなに数多いわけではないが、以下に並べてみます。映画館で観たミュージカル映画といえば・・・そんなに数多いわけではないが、以下に並べてみます。60年代から現在までかなりのブランクがあるのだが・・・ハリウッド映画が嫌いというか、特に好きなジャンルでもなかったようです。・ウェストサイドストーリー(1961年米制作)・シェルブールの雨傘(1964年仏制作)・サウンドオブミュージック(1965年米制作)・グレイテスト・ショーマン(2018年米制作)***********************************************************************【ウェストサイドストーリー】ロバート・ワイズ 、 ジェローム・ロビンス監督、1961年米制作<Movie Walker作品情報>よりブロードウェイ・ミュージカルの70ミリによる映画化。「ロミオとジュリエット」を現代化したラブロマンスを縦系にして現代の青春悲劇をリアルに描いた作品。原作は「旅情」の作者アーサー・ローレンツ。脚色をアーネスト・リーマンが担当した。監督は「拳銃の報酬」のロバート・ワイズと振付も兼ねているジェローム・ロビンスの共同。撮影は「5つの銅貨」のダニエル・L・ファップ。画面構成にタイトルをデザインしたソール・バスが一役加わっている。音楽は「踊る大紐育」「波止場」のレナード・バーンスタイン。出演者はナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ラス・タンブリンなど。<大使寸評>ミュージカル映画の魅力に目覚めた映画である♪主役2人が歌う「ツナイト」もいいが、ジョージ・チャキリスの踊りも良かった。movie.walkerウェストサイドストーリー***********************************************************************【シェルブールの雨傘】ジャック・ドゥミー監督、1964年仏制作、観賞<Movie Walker作品情報>よりカトリーヌ・ドヌーヴ主演。「新・七つの大罪」(淫乱の罪)のジャック・ドゥミーがシナリオを執筆、自ら演出したミュージカル。戦争によって引き裂かれた男女の切ない運命をつづる。2009年1月31日(土)デジタルリマスター版にて再上映。<大使寸評>この映画のストーリーが切なくて洒落ていたが・・・なんといっても、先日他界したミシェル・ルグランの作曲が良かった♪movie.walkerシェルブールの雨傘***********************************************************************【サウンドオブミュージック】ロバート・ワイズ監督、1965年米制作<Movie Walker作品情報>よりアカデミー賞に輝く不朽の名作。ナチス支配を乗り越えて生きようとする一家の姿を、美しい音楽を盛り込んで描き出す。2003年に40年の歳月を経てニュープリント・デジタルリマスター版となって登場。2011年<第二回 午前十時の映画祭 Series2/青の50本>にて再上映。<大使寸評>このミュージカル映画では「ドレミの歌」と「エーデルワイス」の2曲でんな♪movie.walkerサウンドオブミュージック***********************************************************************【グレイテスト・ショーマン】マイケル・グレイシー監督、2017年米制作、2019.2.08観賞<Movie Walker作品情報>より 19世紀なかばのアメリカでショービジネスの原点を築いた実在の興行師、P.T.バーナムをヒュー・ジャックマンが演じるミュージカル映画。他の人には真似のできない個性を持ったエンターテイナーを集めた型破りなショーで人々を驚かせたバーナムの半生が語られる。『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞主題歌賞を受賞したコンビが楽曲を手がける。<大使寸評>サーカス公演の原点が描かれているが、歌とダンスの迫力がええでぇ♪ワスプの貴族文化とか、白人暴徒とか当時の世相は混沌としているわけで・・・こんな背景のなかで型破りのショーが生れたようです。バーナムの半生をわりと骨太に描いた出来栄えは、ハリウッド嫌いの大使としても認めざるを得ないのです。movie.walkerグレイテスト・ショーマン
2019.04.21
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図書館で『ナンギやけれど・・・』という本を、手にしたのです。この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。(1995年4月19日講演)田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。【ナンギやけれど・・・】田辺聖子著、集英社、1996年刊<「BOOK」データベース>より震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。<読む前の大使寸評>この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。rakutenナンギやけれど・・・この本は「ナンギやけれど・・・」と「わたしの震災記」の2本立てなんですが・・・「わたしの震災記」の冒頭を、見てみましょう。p71~<わたしの震災記> 長い講演になった。1時間半ばかりのものである。私としてはめったにない、破天荒なことだ。 私は講演はきらいだ。というより、その前の、緊張感に堪えられない。何ヶ月も前から憂鬱だ。私のニンに合わぬことをしているという気がのかない。その上、定刻には必ずその場所に立っていないといけない。原稿の期日さえ守れぬ私に、体をそこへ持ってゆく、という義務は、どんなに苦渋にみちたことであるか。それやこれやで講演は避けてきたのであるけど、こんどの大震災で、私は被災した知人たちにいくらかは支援したり、しかるべき筋にカンパしたり、していたけれど、もっと何か、身を張って援けたい、という気になった。(こういう気分が盛りあがって、たくさんのボランティアの人たちが陸続と神戸へ入ったのであろう。私も若く頑健なら、直接的な力仕事でお手伝いしたいところである) 私の場合、それは嫌いな講演を行なうことではないかと脈絡なく考えついた。なんでこういう理屈になるのか、自分でもわからないが、私の好きなが苦しみ、傷ついている、(人間や形のある町というより、象徴的な色合いの神戸である)そんなとき、私も一緒に苦しむべきだ、という気がしたのだ。あんまり鼻唄でできるようなことじゃいけない、私もうんうん唸って脂汗を流してと一緒に苦しまないと、という気がしたのであった。 つまり、それくらい、私は講演がいやなのだ。(その代わり、よくしたもので、いざ壇上にたつと、あまりあがらずにしゃべることができ、終わると結構昂揚しており、次のお座敷をもう一回ぐらい務められる気になってしまう。かなり私も、オッチョコチョイである) 東京で、震災のことを訴えよう、入場料を頂き、その分を救援金に廻す、というのはどうだろう、と世間知らずのあたまで考えたのであった。何となく朝日新聞社のかたに話してみたら、すぐ文化企画局に話がまわり、あっという間に有楽町朝日ホールでのチャリティー講演が決まった。 いろんな関係者のかたの奔走や協力に支えられて実現したのだけれど、物ごとには時のいきおい、時の流れというものがあるらしい。手順よくことが運んでしまった。 ホールの空いている日をさがし、4月19日にきまった。チケットは二千円、私には高いか安いかわからないが、ほかに色紙も30枚書いて、これは1万円で買って頂くことにした。 その代わり、心こめて語ろうと思った。今までは人に頼まれて語っていたのであるが、今回はのために私はたつのだ。自分で思い立ち、人さまにお願いして話を聞いていただくのだから、それは心こめなければいけない。(のためだっ) と私は気持ちを奮いたてた。(私の裡でははだんだん人格化しつつあったのだ) もう一つ、私には心づもりがあった。講演でもいったけれど、被災ペットのためのカンパである。新聞には毎日のようにペット保護の記事がある。動物救援本部が作られ、救護所には獣医さんやボランティアが、収容される犬や猫、猿、兎などのペットの面倒を見ていた。骨折したり風邪を引いたり、迷子になったペットが救護所に連れてこられる。『ナンギやけれど・・・』2:方丈記『ナンギやけれど・・・』1:阪神大震災と関東大震災
2019.04.21
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図書館で『ナンギやけれど・・・』という本を、手にしたのです。この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。(1995年4月19日講演)田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。【ナンギやけれど・・・】田辺聖子著、集英社、1996年刊<「BOOK」データベース>より震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。<読む前の大使寸評>この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。rakutenナンギやけれど・・・震災田辺さんが『方丈記』を引合いに出して語っているので、見てみましょう。p46~50 随分たくさんのかたがこのたびの大地震で『方丈記』という古典を思い出されたことだと思います。 私は、天皇さまと皇后さまが廃墟の山になった長田区へお見舞いにいらして、被災者の話を聞かれたり、犠牲者の霊におつむを下げて黙祷されていらしたりしたときに、かえって『方丈記』というのを思い出しました。 その辺に住んでいる人たちの、これは女性ですけれど、話によると、いろいろな有名な人が見舞いに来たり、視察に来たりなさったけれども、お花を捧げてくださったのは、確か皇后さまが、私の知っている限りでは初めてだったと思うわといっていました。皇后さまは皇居に咲いている水仙をお手ずから摘んで、そこへ供えられたのでございます。そのおやさしいお気持ちが、やっぱり私には、あ、やはり日本民族の伝統を守ってくださる皇室らしいと思ったことでした。 あの『方丈記』には、皆さまご存じのように、文治元年(1185)の大地震のことが事細かに出ています。『平家物語』にもそれは載っております。山が割れて水が噴き出したそうです。これも全く今の地震と同じでございます。雷鳴のような地鳴りがとどろいて、お寺も見事な大邸宅もありとあらゆるものが覆って圧死者が多く出た。そして火が出ますから、七珍万宝が灰になった。 その前には、養和元年(1181)の飢饉というのがございました。鴨長明は、それをつぶさに見ております。ちょうど八百年昔になりますけれども、そのときには、京中に食べ物という食べ物がなくなってしまった。この年は天下の大飢饉で天災の上に、源平の戦争のため、糧道が絶たれてしまったらしい。源氏も平家もお米を押さえますので、京へ入ってくるお米がなくなってしまった。京都の餓死者は道ばたに満ちたといいます。薪にも困って、仏さまであろうが、仏壇であろうが、みんな壊して、それを売ってそこばくの米にかえたり、煮たきや暖をとった。それに続いて、大風、つむじ風、また疫病の流行、それから、大地震と続きます。 鴨長明は、この世ならぬ地獄をずっとその目で見続けたわけでございます。彼はそれによって、は無常、人生の常ないこと、であると知ります。常ないからこそ、それをいつも考えて、煩悩を断って遁世すれば心も安楽である。すべてを捨てて、大きなものを得た。けれども長明は世を憎んで捨てたのではありません、世を捨てたから人生のたのしいことを知ったのです。より大きな広い愛に生きなければいけない。仏を信ずるということは、そういうことではないかと、そういうふうに私は『方丈記』を読んだのですけれど。・・・(中略) 学者の先生がおっしゃるところによりますと、活断層の上にものを建てたら、それはもうどんなに堅固に建ててもだめだそうです。これはえらいことだなと思いました。それじゃ、永久に、日本では安心できるところに住めないじゃないかと、どこに住んでも火宅ではないかと怖くなります。でも活断層の上であっても、また生き直せるというふうな発想を私たちは育てなければいけない、そんなふうに考えたのでございます。それは自分だけが助かろうというのではなく、みんなで手をさしのべあって生きてゆく、という思想です。 震災と空襲のちがうところはもう一つ。空襲にあった人々は煤と泥dらけで真っ黒になりながら、次から次へと田舎へ脱出していきました。震災では反対に外から肉親、友人を案じて、水と食料を背負った人が、続々と阪神間や神戸をさしてやってきました。寸断された道路を歩きつづけ、瓦礫をふみこえて焦土に入ってきました。 知人や身内のいない人も「おにぎりあります」と背中に書いて歩きました。それを思えば人間の原型はここにあると思います。活断層の上でも生きられる理由です。『ナンギやけれど・・・』1
2019.04.20
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図書館で『ナンギやけれど・・・』という本を、手にしたのです。この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。(1995年4月19日講演)田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。【ナンギやけれど・・・】田辺聖子著、集英社、1996年刊<「BOOK」データベース>より震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。<読む前の大使寸評>この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は軽かったにしろ被災者でもあります。rakutenナンギやけれど・・・この本の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p35~39 私の知人の、そのまた知人のかたですが、阪神大震災をテレビのニュースで知ったときに、お得意さんがたくさん阪神間の西宮にいらしたかたでもあるんですけど、すぐ奥さまに、「とにかく米を炊いて、子供の頭ぐらいの大きなおむすびをつくってくれ」って、「どうなっているかわからないけれども、すぐ持っていってあげる」。 その奥さまは、何かにつけ一言あるかたなんだそうです。ふだんご主人に「はい」とおっしゃったことがないそうなんですが、そのときばかりは黙ってすぐ、釜が一升炊きなので、それを三升炊いて、大分大きなおにぎりをつくられた。42個できたそうです。 そしてそのご主人は、そのおにぎりをいっぱいもろぶた(底の浅い木の箱)に入れて、自転車にくくりつけて、尼崎のおうちから、ずっと西宮、芦屋と行かれたそうなんですが、尼崎市と西宮市をへだてる武庫川を越えるが早いか、すぐ被災した家、ぺっしゃんこの家々、傾いたビル、そういうものが目に入ってきて、その男のかたは、年のころなら51、2の働き盛りの、鬼をもひしぐというようなかたなんですけど、とにかく涙があふれて仕方がなかったと。 男のかたがそんなふうに、かわいそうでかわいそうでとおっしゃるんですね。ここまで戦後50年たって、戦争のときにもう荒廃し切って、隣の人が焼けてても、向かいの人が死んでいてもどうしようもなかったから、ただ茫然と虚脱したみたいに見ているだけだった日本人が、かわいそうでかわいそうでという声を出せるようになった。それだけ日本の国が豊かになって、国力が出てきたのかもわかりませんけれど、人の心が開明的になってきた、開けて温かくなってきたせいだと思いました、阪神大震災は怖いことでしたけれども、そういうものを残してくれたのではないかと思います。 この助け合いということは、別に関西だけのことではないと思いますけれども、ひょっとすると、やっぱり関西地方の、神戸とか大阪とか阪神間とか、そういうふうな地方の気風かもわかりません。気候が温暖で人心がのんびりしていて風景が美しく、富と教養の地盤がある土地なんです。ゆとりがある地方なんですね。もちろん東京だって、もしそんなことがあれば、助け合いの精神が発揮されるかもわかりませんけれど、地震の後で新聞を見ておりますと、東京の新聞の論調とか、週刊誌なんかには、神戸や阪神の被害者を救おうと、縁者や友人があんなに大きな荷物を持ってすぐ担いでやってくる、何という肉親愛というか、友人愛というか、そういうものが神戸は多いんだろうと。 もしこれが核家族化が進んだ東京だったら、本人を助けてくれるのは飼い犬か飼い猫しかいないのではないかと、そういう記事もございました。これは本当言いますと、ずっと前に谷崎潤一郎さんが書いておられます。「私の見た大阪及び大阪人」という文章がございます。 ご承知のように、谷崎先生は、大正12年9月1日の関東大震災で、箱根でそれを経験されました。ちょうど奥さまとお嬢さまは先に横浜に帰っていらした。その日、まさかそんな大きい地震があるとは思わなくて、箱根の泊まっていたホテルから乗合自動車に乗って(というのは原文でございます)乗合自動車に乗って、山を下りようとした。ところが、そのとき何だか体が変なぐあいになった。地震だとすぐ思われたそうです。見ると、窓ガラスのフロントのところ、道がみるみる裂けていく。バスの後ろへ大石が落ちてくる。(中略) そして横浜へはとても入れないのでまず神戸へいき、神戸から船で横浜へ帰ろうと苦労して、やっと、京都、大阪、神戸というふうにたどり着かれたんですが、先生をびっくりさせたのは、大阪駅前と神戸駅前の大変な罹災民への接待ぶりだったそうです。もう地許の人たちが黒山のごとく集まってきて、そして汽車からおりたり船からおりたりする罹災者の人々に、てんでに自分たちがこしらえた慰問袋を渡す。 駅前には、ご接待の湯茶がちゃんとそろっていて、たくさんの人が集まってきて、「疲れたでしょう、お茶でもどうぞ、どうぞ座ってください」と、それこそ、煙と汗と涙で真っ黒になった罹災民の人たちをそんなふうに接待したそうです。なんて関西というところは、人の情けの厚いところだろうと谷崎先生は感心なさいました。
2019.04.20
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本屋の店頭で『定年バカ』という新書を手にしたのです。定年のときの記憶も薄れつつある大使であるが・・・この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年バカ】勢古浩爾著、SBクリエイティ、2017年刊<「BOOK」データベース>より定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。「なにもしない生活」だってアリなのではないか。<読む前の大使寸評>この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年バカ第4章「健康バカ」を、見てましょう。p94~97■「長生き」なんかどうでもいい 20年前、日本がスウェーデンを抜いて長寿世界一になったとき、マスコミは「長寿大国ニッポン」と自画自賛した。もちろん近代医療によって乳幼児の死亡率が減ったり、それまでの死の病いが克服されたりして、個々人の寿命が伸びたことは無条件に寿ぐべきことである。 しかし「長寿大国ニッポン」の「大国」という表現には、外国人、とくに欧米人から認められることを欲している後進国日本が、世界で一番長生きの国になったんだと大喜びをしている情けなさが入っていたように思われる。しかも、その長寿(平均寿命)には、寝たきりの人も入院している人も全員が入っていて、諸手を挙げて喜ぶべきことでもないとわかり、しかも「長寿大国ニッポン」は「老人大国ニッポン」にもなったわけで、この老人たちがとんだ金食い虫になったのである。国も国家予算のなかで高齢医療費が膨大な額になるということがわかって慌てた。 しかも当のじいさんばあさんたちは金を使わない。もう欲しいものがないのだ。いやお金だけはまだ欲しいらしく、怪しげな投資話や振り込め詐欺にかかっては何千万円もなくしてしまうものも出てくる。あとの小金持ちたちは子や孫のためにしか使わない。 で、いまさら、大切なのは平均寿命ではない、自由に動ける体力を維持して日常生活を送ることができる健康寿命だ、などといいはじめた。 長生きなんかどうでもいい、とわたしは思っているが、だからといって、いつ死んでもいい、と思っているわけではない。こんなことをいえるのも、わたしはしばらくは死なないだろうと高を括っているあらである。体力や筋力の衰えはしかたがない。しかし大病になる予感はいまのところない。いささかの不調の自覚はないでもないが、健診を受けていないから、体の内部がどうなっているかはまったくわからない。 まだ不自由なく歩くことができる、自転車にも乗れる、介護保険は払っているが、希望的観測として、自分がそれを使うことはないだろうと思っている。物忘れは頻繁だが、認知症にもならないだろうと思っている。つまり生きている限り、なんとか現状のままいけるのではないか、と楽観視しているのである。こんな楽観にはなんの根拠もない。しかしこのほうが、サプリメントを摂取したりフィットネスクラブなどに行くよりは、一文もお金はかからないし、楽である。 作家で医師の久坂部羊氏は「実際の長生きは苦しい」といっている(『新潮45』2017年6月号)。「できるだけ長生きしたいと思っている人は、たいてい元気なまま長生きできると思っている」。恥ずかしながら、わたしである。 しかし、「高齢者医療の経験が長い私には、それが夢想であることは明らかだ。実際の長生きは苦しい。身体が弱り、機能が衰え、生き物としてどんどんダメになっていくのを、日々実感するのが長生きなのだから」。「むろん、元気で長生きな人もいる」が、それは「宝くじを買えば一億円当る人がいるのと同じ」。ウーム 著者の根拠のうすい楽観は、あえなく否定されたようだが・・・楽観的に生きるのはストレスが少ないというメリットがあるではなないか。『定年バカ』6:「終活バカ」の続きp174~176 『定年バカ』5:湖畔の公園でひとりp104~107『定年バカ』4:なにもしない自由p74~76『定年バカ』3:この本の結論p25~27『定年バカ』2:終活バカp168~169『定年バカ』1:夫と妻の地獄p188~191
2019.04.20
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今回借りた4冊です。(受取予定分を含む)だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「アート」でしょうか♪<市立図書館>・隠された十字架・藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)<大学図書館>・ぐるぐる博物館・ナンギやけれど・・・図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【隠された十字架】梅原猛著、新潮社、1986年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/07予約、4/19受取予定)>rakuten隠された十字架【藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)】雑誌、新潮社、2018年刊<商品の説明>より◆特集◆藤田嗣治と5人の妻(おんな)たちフジタの絵は、妻が替わるたびに変容を遂げた。妻たちとの関係、そして秘蔵の手紙や日記、写真などから、名画誕生の秘密を探る。●妻たちを通して振り返る画家の軌跡1.とみ 真夏の恋で結ばれた、同い年の才媛2.フェルナンド フランスへの同化を誘った女流画家3.ユキ 絶頂期を共にした“トロフィー・ワイフ"4.マドレーヌ 中南米遊歴の果て、日本に散った薄幸のミューズ5.君代 花も嵐も踏み越えて添い遂げた、最後の妻●奈良美智がカメラでたどるフジタの愛した場所<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん、秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪amazon藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)【ぐるぐる博物館】三浦しをん著、実業之日本社、2017年刊<「BOOK」データベース>より人類史の最前線から、秘宝館まで、個性あふれる博物館を探検!書き下ろし「ぐるぐる寄り道編」も収録!好奇心とユーモア全開、胸躍るルポエッセイ。【目次】第1館 茅野市尖石縄文考古館ー私たちはつながっている/第2館 国立科学博物館ー親玉は静かに熱い!/第3館 龍谷ミュージアムー興奮!の仏教世界/第4館 奇石博物館ーおそるべし!石に魅せられた人々の情熱/第5館 大牟田市石炭産業科学館ー町ぜんぶが三池炭鉱のテーマパーク/第6館 雲仙岳災害記念館ー災害に備えつつ穏やかに暮らすということ/第7館 石ノ森萬画館ー冒険と希望の館で失神するの巻/第8館 風俗資料館ー求めよ、さらば与えられん/第9館 めがねミュージアムーハイテク&職人技の総本山/第10館 ボタンの博物館ー美と遊びを追求せずにはいられない<読む前の大使寸評>巻末を見ると、「月刊ジェイ・ノベル掲載分」を主に編集した本のようだが…編集者の企画が良かったのかも♪rakutenぐるぐる博物館【ナンギやけれど・・・】田辺聖子著、集英社、1996年刊<「BOOK」データベース>より震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。<読む前の大使寸評>この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。rakutenナンギやけれど・・・********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き367
2019.04.19
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朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在122位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在8位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在43位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在5位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在23位・日本が売られる(2/05予約、副本22、予約354)現在238位・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(2/16予約、副本1、予約4)現在2位・多和田葉子『地球にちりばめられて』(2/18予約、副本3、予約34)現在25位・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、副本23、予約302)現在216位・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在495位・天子蒙塵・第三巻(3/25予約、副本11、予約47)現在27位・梅原猛『隠された十字架』(4/07予約、副本3、予約1)現在1位・そしてバトンは渡された(4/19予約、副本22、予約1036)現在1048位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・小林ふみ子『へんちくりん江戸挿絵本』・書物の破壊の世界史・古処誠二『ニンジアンエ』・開高健『日本三文オペラ』・辻惟雄『奇想の系譜』・三橋貴明『日本経済2020年危機』・領土消失 規制なき外国人の土地買収・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・禁じられた歌(田)<予約分受取:2/13以降> ・文明に抗した弥生の人びと(2/10予約、2/13受取)・スメルジャコフ対織田信長家臣団(2/12予約、2/19受取)・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、2/28受取)・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想(3/04予約、3/08受取)・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、3/14受取)・陳舜臣『江は流れず』(3/08予約、3/14受取)・ねじまき鳥クロニクル・第一部(3/12予約、3/30受取)・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、4/03受取)・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、4/09受取)・梅原猛『隠された十字架』(4/07予約、4/19受取予定)【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、副本22、予約355)>rakuten日本が売られる【トランスヒューマンガンマ線バースト童話集】三方行成著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>よりはるか未来、あるところにシンデレラという人類の進化系=トランスヒューマンの少女がおりました。“魔女”から拡張現実ドレスを与えられた彼女はカボチャ型飛行体に乗り、お城の舞踏会へ向かいます。しかしその夜、空から宇宙最強の爆発・ガンマ線バーストの閃光が降り注ぎー「地球灰かぶり姫」ほか「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」など、古典に最新の想像力を配合した童話改変SF全6篇を収録。超個性派による第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/16予約、副本1、予約4)>rakutenトランスヒューマンガンマ線バースト童話集【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/18予約、副本3、予約34)>rakuten地球にちりばめられて【AI VS.教科書が読めない子どもたち】新井紀子著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より大規模な調査の結果わかった驚愕の実態ー日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。気鋭の数学者が導き出した最悪のシナリオと教育への提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/22予約、副本23、予約302)>rakutenAI VS.教科書が読めない子どもたち【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/25予約、副本11、予約47)>rakuten天子蒙塵・第三巻【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか・・・・1年近く待つんやろか?<図書館予約:(4/19予約、副本22、予約1036)>rakutenそしてバトンは渡された【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡167予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.04.19
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本屋の店頭で『定年バカ』という新書を手にしたのです。定年のときの記憶も薄れつつある大使であるがが・・・この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年バカ】勢古浩爾著、SBクリエイティ、2017年刊<「BOOK」データベース>より定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。「なにもしない生活」だってアリなのではないか。<読む前の大使寸評>この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年バカ棺桶体験とかいうほとんどバカのようなシーンがテレビで見られるようになったが・・・第8章「終活バカ」の続きを、見てみましょう。p174~176■死のイベント化の派手と地味 「終活」という言葉ができたせいか、業者たちが商売のチャンスとばかりにそれに食いついて(それともかれらが流行らせたのか)、中身をもっとバラエティ豊かにしようと、「入棺体験」やら「死に装束ファッションショー」やら「マイ骨壷」やらを餌としてばらまいた。 すると悲しいかな、これに食いつく人が出てくる。現代は個性や自分らしさが称揚される時代で、いまの人は自分の死にさえ個性や自分らしさを求めているのではないかという気がする。現在では「終活カウンセラー」なんて人までいる。 NPO法人ライフデザインセンター編著『旅立ちのデザイン帖』(亜紀書房、2016)は基本的にはまじめな本だが、こんな提案をしている。「柩はあなたの身体が最後に入る場所です。それならば、事前に気に入った柩を選んでおくのもいいかもしれません。生前準備として、洋服やアクセサリーを選ぶという感覚で、柩を選んでみてはいかがでしょうか」といっている。どこがまじめなのか? つまらないまじめさだ。 お棺も自分が気に入った自分らしいものを選んではどうですか、といっている。死ぬことさえあ、個性を発揮する場と煽られているようでもある。わたしは気持ちがよくない。なにが「柩はあなたの身体が最後に入る場所です」だ。それなら、生まれる前の赤ん坊にも「あなたが最初に入る場所です」と、産湯につかる容れ物を好きに選ばせてやれよ、と思う。 ブリキのタライはいやだよ、とかいうかもしれない。ちなみに桐平柩は5万円から、最高級は桐全面彫刻で50万円からあるらしい。柩見学をする人は、これがいいかな、とか、あっちはどう? などと選ぶのだろうか。 また他の提案として、葬儀用に「あなた自身が『お別れの言葉』や『お礼の言葉』を生前に用意し、それをだれかに読んでもらうか、あるいはテープなどに吹き込んで会場に流す、ということも可能です」とある。会場で手紙が読まれたり、本人の声がテープで流れると、会葬者にとっては「故人を想い出し、心にとめる大切な演出だと思います」というが、この「演出」という言葉が、現在の「終活」のキーワードである。 元アイドルの女性が50半ばで亡くなったとき、このような葬儀が執り行われたと記憶している。それは人それぞれだから、外からとやかくいうことではない。その人自身の考えと家族(人間)関係があるからである。ただわたしは、葬儀で故人のテープを聞かされたり、ビデオを見せられて、うれしくないと思う。よく生前に準備したねえ、と感心はしないような気がする。むしろ、いたたまれない気分になるのではないか。親しかった人、一人ひとりに宛てて手紙を書くぐらいでいいのではないか。 『定年バカ』5:湖畔の公園でひとりp104~107『定年バカ』4:なにもしない自由p74~76『定年バカ』3:この本の結論p25~27『定年バカ』2:終活バカp168~169『定年バカ』1:夫と妻の地獄p188~191
2019.04.19
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真山仁さんがオピニオン欄で「続く国難“愚直”な国民は英雄を欲した」と説いているので、紹介します。(真山さんのオピニオンを4/04デジタル朝日から転記しました)■続く国難、“愚直”な国民は英雄を欲した この喪失感は何だろうか。 それほどまでに、日本が変わってしまったということか。 変化は悪いことではない。だが、日本列島を貫いていた背骨が抜けてしまったように感じるのだ。 その萌芽は、バブル経済崩壊の時には既にあった。そして、東日本大震災で、もはや後戻りが出来ないぐらい日本が分裂してしまったように思う。 「日本は一つ!」 「つながろう、ニッポン!」 そう連呼されればされるほど、日本が散り散りになっていく気がした。 自分は正しいのに他のやつらが社会を壊していく――。そんな自己防衛社会がじわじわと蔓延した。やがて時代の空気とリンクするかのように広がったSNSで、意見の異なる他者を攻撃し、不安を払拭しようとした。 では、誰が悪いのか。 政治家、官僚、メディア、インテリ……。一言でいえば、為政者(おかみ)と呼ばれた存在だ。 日本は「偉大なる“愚民”国家」として繁栄してきたと思っている。それは愚かな国民という意味ではない。国家のかじ取りはおかみに任せて、ひたすら真面目に働き、“愚直”に生きる――。このような社会の成り立ちは、世界でもまれに見る一体感と成長を生んだ。 ところが、大震災と原発事故という国難の時に、おかみが責任を放棄した瞬間、日本は混乱に陥ってしまった。 バラバラになった社会は、リーダーを求めるようになった。強く堂々たる英雄を待望した。 そして、一人の英雄候補が出現した。 彼が現れたのは、東京・秋葉原だ。戦後、電気街として知られ、平成時代にオタクの聖地に姿を変えた。 それが、ある日“政治の聖地”に取って代わられた。 2012年秋、再び自民党総裁に名乗りを上げた安倍晋三の選挙の演説の場として、秋葉原が選ばれた。 その経緯を知りたくて、朝日新聞政治部で自民党担当が長かった西山公隆(48)に尋ねた。 「自民党幹部によると、麻生さんから勧められたそうです。あの場所での演説は、自民党の政治家にとっては気持ちいいのです」 かつて総裁選で、麻生太郎は秋葉原で演説したことがある。自他共に認めるマンガファンの麻生を、同じくマンガを愛するオタクたちが熱烈歓迎したのだ。 社会と折り合うのがどちらかといえば苦手なアキバの若者からすれば、麻生の呼びかけは、感激だったのだろう。事実、自民党としては、金の鉱脈を手に入れた実感があったらしい。 「演説して気持ちいい場所」が、選挙戦を締めくくる場所に選ばれるのは、情けないと思う。 だが、まさにこの瞬間、おかみと“愚民”は一体となったのだ。 同じ快感を安倍も味わった。そして、秋葉原は、自民党が大勝を続ける縁起の良い場所――安倍の聖地となった。 * 今年3月、安倍の聖地を訪れた。 JR秋葉原駅電気街口のロータリー前だ。平日の午後2時、行き交う人はまばらで、客待ちをするタクシーが数台。どこにも聖地を思わせる特別感はない。 選挙戦の最終日、ニュース映像で繰り返し流れた安倍の姿を重ねてみる。安倍は選挙カーのルーフに立ち、マイクを握る。 背後にはガンダムカフェと、AKB48カフェがある。ロータリーはテニスコート1面程度の広さで、立ってみると、野外音楽堂のようだ。選挙カーの上に立てば、向かいの歩道橋に立つ人と目が合いそうだ。 ロータリーがアリーナ席で、歩道橋は2階席。しかも、ステージが高いから、両方とコール&レスポンスできる。 この空間で、ほぼ全員が我が名を呼んでくれたら、確かに気持ちいいだろう。その高揚感、わからなくもない。 とはいえ、ここで口々に安倍の名を叫び、熱狂した若者のいかほどが、投票に行ったのだろうか。 動員で駆けつけた党員をのぞけば、有名人の野外ライブをのぞきに行く程度の興味で集まった人ばかりだ。 様子をメディアが報じ、YouTubeやSNSで拡散したことにより、普段は選挙に関心を持たない人たちの目に触れた。その一部が投票に行き、自民党に一票投じたのだろう。 ■秋葉原、露見した支持の軽さ 自民党が大勝した13年東京都議選で、安倍の支援者を探った38歳の社会部記者・岡戸佑樹は、自分と同世代の答えを聞いて驚いた。 「自民党支持が多いようでした。僕らの世代は、停滞し不安と背中合わせの日本社会しか知りません。だから、安倍首相の強気な発言や、経済政策を評価する人が多いのではないか」 安倍の発言は、日替わりするし、どんどん偽善的になる。しかし、民主党政権で社会がひどくなったと思っている世代からすれば、安倍政権は有言実行しているように見えるのかも知れない。 安倍の発言には、大きな特徴がある。 全ての発言を“断言する”ことだ。今まで、おかみは、将来の展望や政策について、100%保証できないから、言葉尻を濁す傾向にあった。 これは、国民に対しての誠意ではあるが、逃げ腰にも見える。 安倍はそこを変えた。 何事においてもきっぱりと断言する。 「日本を前に進める」 「地方が主役」 時と場所が変われば、正反対を断言するが、それを気にする者は、ほんのわずかだ。 未来を断言する者こそが、英雄だからだ。 「断言首相という見出しを取ったことがある。でも、それがどうしたというのが、国民の反応だったと思う」 西山は、明らかに自民党政治が激変したと感じた。 まさに、分裂時代の英雄登場ということだろうか。 安倍は、それを自覚している――いや、“していた”。 * しかし、そこに異変が起きる。 17年7月1日、東京都議選挙の最終日のことだ。 安倍が聖地である秋葉原で演説中、有権者に徹底的に攻撃され、感情的になり、有権者に怒りをぶつけた。 こんな人たちに負けるわけにはいかない! 「首相にとって縁起の良い場所のはずなのに、アンチ安倍が集結して、主戦場にした。もちろん、安倍支持者がガードしたが、それをアンチ派が非難の声で圧倒した。一体、これは何だと思っているうちに、首相のあの発言が飛び出したんです」 現場にいた岡戸は、そう振り返る。 その場にいた、アンチ安倍はせいぜい数百人程度だろう。だが、この時の模様もメディアとSNSで拡散して日本中に知れ渡った。そして、自民党は都議選で惨敗した。 聖地で安倍をたたけば、安倍は倒せる――。考えてみれば、当然の戦略だ。しかし、国民が待望した英雄なのであれば、その程度で安倍支持が揺らぐはずがない。なのに、一瞬で安倍の支持者が日本から消えたかのような現象が起きた。 そんな薄っぺらな支持だったとは。 無論、都議選時には、もう一人の英雄候補として、小池百合子が急浮上したこともあるが、安倍支持の軽さは異様だった。 その時に思ったのだ。 安倍も自民党も、メディアも学者も、“愚民”の心情なんてまったく理解できていないのではないのかと。 彼らは軽いノリで英雄っぽい人物を支持しただけで、怒りや不安のマグマは、それとは別次元で常にたまっているのではないか。 安定しているかに見える政権が、実は得体の知れない支持に立(りっ)していることが露見したあの日、日本のかじ取りは消滅した。 だが、日本国民が何を考えているのか、おかみはまったく把握出来ていないかも知れないという厳しい現実を直視し、打開するための言葉を発しなければならない。(文中敬称略) ◇ 戦後我々が「あたりまえ」と思っていたことや「日本らしい」と信じていたことが共通認識ではなくなった。そもそもそんな常識など、今や不要になったようなムードすら感じる。 その風潮で、日本人が幸せになれるなら、それもよかろう。 だが、実際は、我々の社会の歪みは大きくなり、息苦しい生きにくい社会に傾斜している。 同じ時代を生きているという実感を喪失していいのだろうか。そもそも日本で今何が起きているのか。 様々な視点から、日本の自画像を描いてみたい。その視線の先に、どんな未来が見えるのかを知るために。 ◇「2020年東京五輪・パラリンピック」を前に、日本各地の景色が変わっています。景色だけでなく、人々の生き方や価値観も変わりつつあるのではないでしょうか。「ハゲタカ」などの著作で知られる作家の真山仁さんが、移り変わる「いま」を、多様なPerspectives(視線)から考えます。(真山仁のPerspectives:視線)プロローグ2019.4.04この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR11に収めておきます。
2019.04.18
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先日、竹中大工道具館の企画展を観に行ったのだが、今後も観に行くことになるので・・・以下の通りこれまでの企画展を整理して、今後の企画展もフォローしようと思ったのです。・竹中大工道具館を観に行こう♪・日中韓 棟梁の技と心・常設館についてもオマケだ。*****************************************************************************<竹中大工道具館を観に行こう♪>お天気好~し♪・・・ということで、先日(16日)竹中大工道具館に出向いたのです。竹中大工道具館の企画展は、常々チェックしているが・・・竹中大工道具館のサイトで、今回の企画展を見てみましょう。水車大工より 水車はかつて日本の各地で利用されていました。電気がなかった時代、水車は庶民が使える唯一の動力で、穀物の精白や藁打ちなどの労力を大いに軽減してくれました。それらの機構一式を作る水車大工は、自然エネルギーを最高の効率で動力に変える環境工学のエンジニアと言えるでしょう。 電気の普及と共に次第に水車は姿を消していきましたが、近年、再生可能なエネルギーを使い二酸化炭素も出さない水車は、改めて注目されています。今回は福岡県久留米市の水車大工・野瀬秀拓氏の技術を中心に、水の流れを動力に変える、匠の技を紹介します。会期 2019年3月30日(土)~5月12日(日)会場 竹中大工道具館 1Fホール開催時間 9:30~16:30(入場は16:00まで)休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)入館料 一般500円、大高生300円、中学生以下無料、65歳以上の方200円(常設展観覧料を含む)道具館はなんといってもシルバー料金200円というのが有りがたい。今回は展示作品の写真撮影OKとなっていたので、バンバンと撮ったのです♪なんか最近の博物館や美術館は撮影条件が寛容なのがトレンディのようですね。*****************************************************************************<日中韓 棟梁の技と心>竹中大工道具館で『日中韓 棟梁の技と心』という企画展が始まったので・・・満を持して出かけたのです。この道具館は地下2階、地上1階という構造で、威圧感はないけど、展示空間は広く・・・なかなかお洒落で実質本意なのが、ええでぇ♪地下2階構造それでは、企画展を見てみましょう。日中韓の比較が要領よく説明されています。中国の特徴は壮大で華麗という感じなんだが、大使好みでないので、はしょります。今回は韓国の建築に注目しているので、詳しく見るとしよう。韓国の棟梁です。韓国の宮殿建築です。大使の好みは、両班の民家なんだけど、今回は展示されていません。取っ手のついた鉋が中国風ですね。このタイプのノコギリは、日本では廃れていますね。さて、日本の展示です。中世の大工たちが働く様子が生き生きと描かれています。企画展の様子です。企画展を切り上げて、常設展に向かいます。常設展を見るのは2回目になるが、何度来ても見所があるわけで・・・言わばリピーターでんがな♪*****************************************************************************<常設館についてもオマケだ。>お天気よ~し♪4日に竹中大工道具館(新館)がオープンしたようだから、8日に満を持して新神戸駅に向かったのです。事前に見た以下の新聞スクラップも持って出かけるという、入れ込み具合でおました♪今と昔の匠の技が集合 竹中大工道具館オープン 国内唯一の大工道具の博物館「竹中大工道具館」(神戸市中央区熊内町)が4日、オープンした。奈良・唐招提寺の一部を実物大の模型で再現。江戸時代の大工道具などの展示に加えて、道具館自体にも現代の匠の技がちりばめられている。 県庁近くにあった道具館の旧館が手狭になったため、竹中工務店の竹中統一会長の自宅跡地に移転、新築された。新聞情報では駅前に出来たとあるが見あたらない・・・・・・かなり探し回ったあげく、交番で場所を教えてもらいました。入口の門から和風建物と庭園の全景が見えるが、地上1階立て(地下2階)で威圧感のないモダンな数奇屋風である。このあたりに建築会社としての力の入り方がうかがえるが・・・これはかなり期待できそうです。観る角度を選べば、六甲山を借景にして緑の中に道具館が見えるわけで、都会の中の静謐なオアシスという趣きもあるのです。館内の展示は充実していて、門外漢のような大使にとってもじゅうぶん面白いが・・・展示のコンセプトは、伝統や匠の技を誇り高く保存することにあるわけで、なかなかのもんやと思った次第です。事実、この建物は関西いちえんのトップ級の職人たちによって作られているそうです。館内展示の一部です。木挽き茶室の木組みドイツの道具レースのように見えるのが鉋クズです。神業の領域でんな♪鉋クズ大工や建築プロの訪問にも耐えられる内容かと思うが・・・これだけの内容があれば、常設展だけでもリピート訪問をもよおす大使でおます。なによりも、入館料がシルバーで200円というのが、ありがたいでぇ♪「日中韓 棟梁の技と心」という企画展が11/1~12/28に予定されているので、また来ようと思います。竹中大工道具館HPにアクセス、展示詳細などが見られます。
2019.04.18
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お天気好~し♪・・・ということで、先日(16日)竹中大工道具館に出向いたのです。竹中大工道具館の企画展は、常々チェックしているが・・・竹中大工道具館のサイトで、今回の企画展を見てみましょう。水車大工より 水車はかつて日本の各地で利用されていました。電気がなかった時代、水車は庶民が使える唯一の動力で、穀物の精白や藁打ちなどの労力を大いに軽減してくれました。それらの機構一式を作る水車大工は、自然エネルギーを最高の効率で動力に変える環境工学のエンジニアと言えるでしょう。 電気の普及と共に次第に水車は姿を消していきましたが、近年、再生可能なエネルギーを使い二酸化炭素も出さない水車は、改めて注目されています。今回は福岡県久留米市の水車大工・野瀬秀拓氏の技術を中心に、水の流れを動力に変える、匠の技を紹介します。会期 2019年3月30日(土)~5月12日(日)会場 竹中大工道具館 1Fホール開催時間 9:30~16:30(入場は16:00まで)休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)入館料 一般500円、大高生300円、中学生以下無料、65歳以上の方200円(常設展観覧料を含む)道具館はなんといってもシルバー料金200円というのが有りがたい。今回は展示作品の写真撮影OKとなっていたので、バンバンと撮ったのです♪ なんか最近の博物館や美術館は撮影条件が寛容なのがトレンディのようですね。
2019.04.17
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私のプロフィール写真は知っている人は知っている・・・この猫の絵は、藤田嗣治の絵なんです。このたび、過去の記事をもとに藤田嗣治のアンソロジーのようなものを作成したので・・・ひとりで悦に入っています♪・『藤田嗣治と5人の妻たち』・『もっと知りたい藤田嗣治』・『戦争画とニッポン』・はじめての藤田嗣治・藤田嗣治手しごとの家・藤田嗣治画文集 猫の本・小さな職人たち・藤田嗣治、本のしごとR4:『藤田嗣治と5人の妻たち』を追記、文字数を見直し*****************************************************************************<『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』>図書館で『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』という雑誌を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪【藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)】雑誌、新潮社、2018年刊<商品の説明>より◆特集◆藤田嗣治と5人の妻(おんな)たちフジタの絵は、妻が替わるたびに変容を遂げた。妻たちとの関係、そして秘蔵の手紙や日記、写真などから、名画誕生の秘密を探る。●妻たちを通して振り返る画家の軌跡1.とみ 真夏の恋で結ばれた、同い年の才媛2.フェルナンド フランスへの同化を誘った女流画家3.ユキ 絶頂期を共にした“トロフィー・ワイフ"4.マドレーヌ 中南米遊歴の果て、日本に散った薄幸のミューズ5.君代 花も嵐も踏み越えて添い遂げた、最後の妻●奈良美智がカメラでたどるフジタの愛した場所<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪amazon藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)人魚『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』3:藤田の住んだ家『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』2:戦中や戦後の藤田『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』1:君代***************************************************************************** <『もっと知りたい藤田嗣治』>図書館で『もっと知りたい藤田嗣治』という本を手にしたのだが・・・とにかく、大使一押しの画家について、もっと知りたいということで、借りたのです。連作を見てみましょう。p82~83 <連作> 1958年秋から翌年の春にかけて、藤田はおもにパリを舞台にさまざまな仕事に従事する子どもたちの姿を数多く描いた。連作に登場する子どもたちは、それぞれの仕事に真剣に取り組んでいるものの、そのしぐさはどことなくユーモアが感じられる。■街に生きる人々への共感 連作における重要なモティーフのひとつは、左官や指物師、椅子職人のような手先の技術によって物を製作する職人たちであり、そのほかには古くからパリの路上でみられた馬車の御者やガラス売り、アパルトマンの管理人や掃除夫などさまざまな職種がみられる。 各作品はタイルのような正方形の世界に表され、そこに藤田自身の空想が重ね合わされており、彼の子どもを描いた作品のなかでも、ひときわ異彩を放っている。 は、当初はアトリエのアンティークの木製扉を装飾するために描かれたが、しだいに点数が増え、藤田が「私の巴里のアトリエの壁面には二百何枚かのこの小品を張り付けた。あたかもタイル張りの如くにした(中略)皆釘付けであった」と述べているように、彼は他のタイル状の小品とともにモンパルナス、カンパーニュ=プルミエール通りのアトリエの壁一面に飾り、それらに囲まれていることを喜びとしている。 何よりも技術そのものを重んじ、作家はアルティスト(芸術家)である前に、腕利きのアルティザン(職人)でなければならないと語った藤田。本連作には、彼の職人仕事に対する敬意、そしてパリという街への特別な思いが凝縮されている。装丁関係について見てみましょう。p46~47本の仕事より 藤田は1910年代末から最晩年まで、継続的に本の挿絵や装丁に関わり続け、その総数は90件を超える。なかでも1920年代のパリと30年代の東京に集中しており、採算を度外視した趣味の領域で、彼の文学者との人脈の広さを物語る。■パリでの日本、日本でのパリ 藤田は生涯で50冊を超える挿絵本をパリで手がけたが、1920年代がその3分の2を占め、残りは50年代以降の戦後となる。 その大半がオリジナル版画を伴う限定版の豪華挿絵本で、愛書文化豊かなこの街で、作家、出版人、版画職人に恵まれ、20年代にはとくに日本の文化や伝統をテーマとした本に次々と関わることになる。30年代、昭和初めに母国に帰国した彼には、パリでの実績もあって、続々と書籍の装丁や高級雑誌の表紙絵の依頼が舞い込む。ここで求められたのはパリのイメージを表象することで、留学経験のある著者の本や仏文学の翻訳本、豪華なグラフ雑誌や婦人雑誌、そして自らのエッセイ集3冊まで彩っていく。日本での出版物はいずれも機械による印刷物だが、一部には普及版以外に特装版もあり、少数部数限定で手描きの表紙なども残している。【もっと知りたい藤田嗣治】林洋子×内呂博之著、東京美術、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】序章 フランスへの憧れー1886―1912(0~26歳)(パリを目指す画学生)/第1章 パリー乳白色の誕生ー1913―1929(27~43歳)(失われゆく「パリ風景」の発見/パリの異邦人美術家コミュニティーで ほか)/第2章 旅する画家ー1929―1938(43~52歳)(中南米での2年間/極東の街頭風俗を描く ほか)/第3章 戦争画の時代ー1938―1948(52~62歳)(戦場への旅/空想への旅フランスへの思い ほか)/第4章 晩年ーレオナール・フジター1949―1968(63~81歳)(ニューヨークでの創作活動/理想の家 ほか)<読む前の大使寸評>とにかく、大使一押しの画家について、もっと知りたいということで、借りたのです。rakutenもっと知りたい藤田嗣治***************************************************************************** <『戦争画とニッポン』>図書館で『戦争画とニッポン』という本を手にしたのです。戦争画といえば、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》などが想起されるが・・・この絵で戦意高揚できるのか?と思ったりするわけですね。そのあたりについて、お二人が語っています。p38~40 <藤田嗣治の巨視的視点>アッツ島玉砕 1943年喀爾喀河畔之戦闘 1941年椹木:改めて、当時の戦争画を見てみても、やっぱり藤田は他の画家たちとは明らかに違いますね。今話に出た《アッツ島玉砕》もそうですが、サイパン島での住民まで巻き込んだ玉砕図《サイパン島同胞臣節を全うす》では、バンザイ・クリフから飛び降りて自決するところまで描いています。今回はふだんあまり出ないニューギニアの死闘のほうを載せました。会田:先ほど「暗い叙情」と言いましたが、僕には太平洋戦争に対して漠然と抱いていたイメージがあって、それはひと言では言い表せない、非常に混沌としたものなのですが、最初に《アッツ島玉砕》を見た瞬間に、「ああ、これは近いかもしれない」と思いました。椹木:《アッツ島玉砕》をはじめとする一連の藤田の「玉砕図」は、見方によっては「反戦画」と言ってもおかしくないくらい、厭戦的な気分が漂っていますよね。あれを見て誰も、こんなふうにむごたらしく死にたいとは思わないでしょう。当時、《アッツ島玉砕》を実際に見た野見山暁治さんも、藤田の戦争画は「戦争がすべてを奪って死の世界へ引きずり込むようなまさしく反戦的な雰囲気を醸し出していた」と書いています。(文字数制限により省略、全文はここ)【戦争画とニッポン】椹木野衣×会田誠著、 講談社、2015年刊<「BOOK」データベース>より70年目の「戦争画」と向き合う。たんなる研究や評論だけでは決して割り切れない、絵描きならではの宿命。【目次】太平洋戦争の記憶/暗い叙情/70年目の「戦争画」/やさしい戦争画/藤田嗣治の巨視的視点/裸婦と戦争画/画家たちの歴史/近代の超克/頭蓋骨が描けないと/肉が足りない/国家とモニュメント/美術家の節操/戦争画のDNA/もうひとつの戦争画ーある画家の絶筆を訪ねて/再録 陸軍派遣画家ー南方戦線座談会/作品解説<読む前の大使寸評>戦争画といえば、その存在自体がキワモノあるいは傍流であるが・・・興味は尽きないのです。rakuten戦争画とニッポン*****************************************************************************<はじめての藤田嗣治>朝日の文化欄で「はじめての藤田嗣治」を見つけたが・・・ええでぇ♪日本画壇からは冷たくあしらわれ、フランスに帰化した藤田であったが・・・日本での評価が落ちたわけではなかったようですね。はじめての藤田嗣治より おかっぱ頭にヒゲと丸眼鏡の奇抜な外見と、美しい乳白色の裸婦像が印象的な画家、藤田嗣治(つぐはる)(1886~1968)。パリでの成功は一見華やかだが、戦争の影と歩んだ人生でもあった。 「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と萩原朔太郎がうたった1913年、藤田は26歳でパリへ渡った。 ピカソが活躍し、シャガール、モディリアニら様々な国の画家が個性を競う「エコール・ド・パリ」の時代。初めて見る前衛美術に驚きつつ、交流を深めた。 渡仏翌年には第1次世界大戦が勃発する。創作でも私生活でもフランスに根を張る努力の結果、西洋の画家と対等に渡り合い、美術史に名を残す成功を収めた。 他人の手法の「反対反対と狙って」(『腕〈ブラ〉一本・巴里〈パリ〉の横顔』)、和と洋の融合に行き着いた。日本画の面相筆で細い輪郭線を描く。透明感のある下地をつくり、浮世絵のように下地をあえて残して、肌として見せる。それが20年代以降、藤田の代名詞「乳白色の下地」となった。 私生活では、日本に残した妻と離縁してフランス人画家と結婚。奇抜な扮装で舞踏会に出没し、目立つおかっぱ頭やヒゲも手伝って社交界の花形となった。 * 裸婦の代表作の一つ、22年の「ジュイ布のある裸婦(寝室の裸婦キキ)」。画家の奈良美智さん(54)は20歳の時、パリの市立近代美術館で見た。「どっしりと量感を持ちつつ、繊細で気品があり、価値あるものという光を放っていた。習っただけの西洋絵画ではない独自のスタイルがあった」 藤田は下地の作り方を隠していたが、近年は研究が進む。 00年に調査した東京芸術大の木島隆康教授によると、下地の上層は鉛白(シルバーホワイトの絵の具)とカルシウム化合物の混合。さらに、ベビーパウダーなどに使われるタルク(滑石粉)をこすりつけて風合いを出していた。土門拳が撮った藤田の写真に「シッカロール」の缶が写っていることが、タルク使用の傍証となった。 * 29年の世界恐慌を機に、16年ぶりに帰国。日中戦争、次いで太平洋戦争が始まると、軍部の要請で戦線を取材し、戦争画にのめり込んだ。そのため、後に戦争責任を追及されたが、単純な戦意高揚と思えない作品も。例えば43年の「アッツ島玉砕」。暗い画面に敵味方も生死もわからない兵士が折り重なる。 大原美術館(岡山県倉敷市)の林洋子・特別研究員は「記録や報道を超えて普遍性を備えた芸術」と評価する。「反戦・厭戦画とみる人が増えた。新たな視点での審判が待たれます」 終戦後は妻・君代と渡仏して仏国籍を取り、カトリックに改宗。戦争協力者扱いされ、故国に絶望したという見方もあるが、林さんは「フランスへ戻りたい気持ちは絶えずあったのだろう」とみる。 晩年は世間と交流を絶ち、空想上の子供の絵と宗教画に没入した。激動の人生の終わりに、愛らしいもの、聖なるものに心ひかれたのだろうか。(安部美香子) <読む> 人物を知るには自筆エッセー集『腕一本・巴里の横顔』(講談社文芸文庫)、近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社文庫)を。絵を見るには、林洋子・内呂博之『もっと知りたい藤田嗣治生涯と作品』(東京美術)は代表作を網羅。作品と時代に踏み込むには、林洋子『藤田嗣治作品をひらく』(名古屋大学出版会)が充実している。 <見る> 東京・銀座のポーラミュージアムアネックスでは28日まで、「フジタ、夢をみる手」展(無料)を開催。「校庭」ほか第2次大戦後の子どもの絵など約40点を展示する。秋田県立美術館では来年1月18日まで、「藤田嗣治と土門拳の交差」展を開催。写真約50点、常設の壁画「秋田の行事」ほか油彩4点も展示する。■いかに目引くか考えた 俳優・オダギリジョーさん 来春完成予定の小栗康平監督の映画「FOUJITA」で藤田を演じます。藤田は絵、僕は芝居ですが、自己表現という点では共通点を感じる。自分を理解して、その自分を使って、いかに作品に投影するか。もっと言えば、自分をどうプロデュースするか。 僕もアメリカで俳優の養成学校に通っていたころは、げたをはいたり、ランドセルをしょったりした。ビジュアル的な、日本的個性みたいなものを通して、自分をアピールしたかったんでしょうね。 藤田の場合、世界中の画家が集まるパリの中で、注目されて初めて、作品を見てもらえる。みんなの目をいかに引くかを、すごく考えたんだろうなと思います。 パリに行ったのは結婚後、20代後半ですよね。一人で行ってしまって帰って来ない。なぜ結婚したのかわからない。でも、絵に関してはとても真面目に向き合って、自信もある。夢も希望も、すべて絵を中心にあったのでしょう。 なぜ戦争画を描いたのかは、一番ひっかかったところです。国に背くことは考えられない時代だったのと、それを利用して自分の表現の場を作ろうとしたのでしょうか。そういう藤田の太さ、強さを描き切れればいいと思います。オダギリジョーが演じる映画「FOUJITA」は、個人的には必見でんな♪オダギリジョー、日仏合作映画で初欧州よりオダギリジョー(38)が、日本フランス合作映画「FOUJITA」(小栗康平監督、来年秋公開予定)に主演することが21日、分かった。1910年代後半からフランスで活躍した画家、藤田嗣治を題材にした作品。世界的にヒットした01年のフランス映画「アメリ」を手掛けたプロデューサーが本作を担当。オダギリの本格的な欧州進出をバックアップする。*****************************************************************************<藤田嗣治手しごとの家>図書館で『藤田嗣治手しごとの家』という本を手にしたが・・・・インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の職人気質が見えるわけです。それから・・・新書ヴィジュアル版と銘打っているとおり、カラー画像満載で嬉しい本でおま♪【藤田嗣治手しごとの家】林洋子著、集英社、20094年刊<「BOOK」データベース>より日本人の美術家として初めて国際的な美術界と市場で成功を収めた藤田嗣治。彼はまた、当時の男性には珍しく、身のまわりのものをことごとく手づくりし、暮らしを彩った、生活の芸術家でもありました。裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、旅先で収集したエキゾティックな品々…。本書では絵画作品にも描かれた、藤田がこよなく愛したものたちに焦点を絞り、そのプライベートな非売品の創作世界を解きあかします。本邦初公開の藤田撮影の写真、スクラップブックなど、貴重な図版多数をカラーで掲載。ここに現代美術の先駆者としての藤田嗣治が、蘇ります。<読む前の大使寸評>インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の職人気質が見えるわけです。それから・・・新書ヴィジュアル版と銘打っているとおり、カラー画像満載で嬉しい本でおま♪rakuten藤田嗣治手しごとの家藤田が最晩年を過ごした家を見てみましょう。<私たちの家>よりp17~22 2000年9月、パリ南郊に位置するエソンヌ県は、県内の小村ヴィリエ=ル=バクルに残る藤田最晩年の家を「メゾン=アトリエ・フジタ」として一般公開しました。そこは、藤田が1961年秋から68年1月の死の直前まで君代夫人とともに暮らした、小規模ながら画家の記憶あふれる場所です。現在でも鉄道の便が悪く、パリ市内から車で一時間程度を要します。 このヴェルサイユにほど近いパリ南郊は、1950年代にはパリの芸術家や文化人たちが週末を過ごす「田舎の家」を好んで持った地域で、彼も知人に招かれて近隣を訪れ、緑豊かな田園風景に魅せられたのがアトリエをかまえたきっかけといいます。しかし、藤田夫婦のように定住した例はめずらしく、パリの喧噪を離れ、70歳半ば過ぎてからの「隠棲」の場として選んだと思われます。 瀟洒で慎ましいこの家は、藤田後半生の代表作《礼拝》にも描きこまれています。洗礼を終えた夫妻がマリアに帰依する姿の背景に広がるのは、画面左手、藤田の後方に見えるヴィリエ=ル=バクルの家とそこからシェヴルーズの谷へとつづく丘陵地帯です。(中略) 移り住んですぐに75歳の誕生日を迎えた彼は、その後の6年余りを過ごすことになります。1955年にフランス国籍を取得して日本国籍を抹消した藤田が、59年に洗礼を受けたのち、「フランス人、キリスト教徒」として住まった家です。確かに、ここでは1966年に完成するフランス北部の都市ランスの礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペのフレスコ画の構想が練られるなど、キリスト教を主題とした絵画が数多く描かれました。この本を作った著者の思いが述べられています。<おわりに:林洋子>よりp193~195 集英社から藤田で新書をというお誘いをいただき、新書のヴィジュアル版という媒体に美術書としての新たな魅力と可能性を感じました。画集や展覧会カタログと比べて、サイズが小さくとも手に持って間近に見ることができる点で、いたく近眼だった画家が手元で愛でていた「もの」をたどるには理想的な版型だろうと。そして、前の本で画家の公的な側面を浮かびあがらせた自分が、これでその「合わせ鏡」となるべき、彼の私的な領域に踏みこむことができると確信しました。 当初、著作権交渉の難航を覚悟しましたが、関係者の尽力もあって君代夫人のご理解を得て、2009年2月に出版が決まりました。直後に夫人が人事不省に陥り、4月2日に亡くなられました。98歳でした。たいへんご壮健で、誰もが100歳までお元気だろうと思っていたところの急逝でしたが、亡き夫の没後40年関連の行事を見届けた彼女を、藤田がそばに呼んだのでしょう。満開の桜が舞い散るなかでの葬儀でした。 こうして、君代夫人が抱える藤田の遺品について書こうと準備していた間に、その持主が亡くなったことで、藤田の遺品は二重の意味での遺品となりました。遺品とは多くの場合、家族にとって故人の身代わりを意味します。だからこそ君代夫人には遺品でも、第三者には意味を持ちにくいものもありました。彼女は亡き夫の下着や羽根布団まで残していました。明治人らしいものを捨てない、ものを大切にする始末のよさと、そして藤田への無限の愛情のなせるわざでしょう。(文字数制限により省略、全文はここ)***************************************************************************** <藤田嗣治画文集 猫の本> 図書館で借りた本であるが、とにかく、猫好きにはたまらない本である。【藤田嗣治画文集・猫の本】 藤田嗣治著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベースより>エコール・ド・パリの巨匠が描いた猫たちが初めて一冊に。フジタの猫たち130匹余!画集未収録作品を中心に約90点の猫の絵とエッセイ。 <大使寸評>とにかく、猫好きにはたまらない本である。Amazon藤田嗣治画文集猫の本藤田嗣治画文集猫の本/画像巻頭のエッセイの一部です。盛り場から夜遅くパリの石だたみを歩いての帰りみち、フト足にからみつく猫があって、不憫に思って家に連れて来て飼ったのが、1匹から2匹、2匹から3匹となり、それをモデルの来ぬ暇々に眺め廻し描き始めたのがそもそものようです。***************************************************************************** <小さな職人たち> 日本から冷遇されて居場所を失ったかのように、フランスに帰化したレオナール・フジタでしたが、絵本の挿絵のような<小さな職人たち>シリーズを描いています。彼自身が技法に拘るアルティザンだったので、しがない職業でも名もない職人でも敬意を持って描いたものと思われます。【レオナール・フジタ】ポーラ美術館監修、東京美術、2011年刊<「BOOK」データベースより>美術館監修で発売するニッチな本には、「BOOK」データベースの説明がありません。 <大使寸評>レオナール・フジタに注ぐ温かい眼差しが感じられる本である。この本の感想とエッセンスです。Amazonレオナール・フジタこの本よりエッセンスの一部を紹介します。<芸術の都パリへ>p14~15 1913年8月、26歳のフジタは、フランスの港町マルセイユに到着した。はじめ3年間という期限付きで渡仏したフジタは、西洋絵画の研究を目的とする他の日本人と留学生と同様、本場のフランスで絵画を学び、箔をつけて日本に帰る予定であったと思われるが、まもなく「すべてを棄てて自分だけは少なくとも本場所の土俵の上で大相撲をとろう」との思いから、10月にはモンパルナスのアトリエ兼住居、シテ・ファルギエールに居を構え、パリに長くとどまる覚悟を決めた。 フジタはパリに着いてまもなく、すでにモンパルナスの住人となっていたパブロ・ピカソやキース・ヴァンドンゲン、アメデオ・モリディアーニらと知り合い、キュビズムなど前衛美術を知り、またピカソを通じて素朴派のアンリ・ルソーの作品から影響を受けた。渡仏直後にフジタは《葡萄の帽子の女》のようなピカソのキュビズム作品に刺激を受け、キュビズム風の静物画などを多数描いたとされるが、現時点で確認できる作品の数は限られている。それは、1914年夏はじまる第1次世界大戦の混乱に際し、暖を取るために多くの作品を燃やしてしまったからである。一方、モリディアーニとはともに戦渦を避けて南仏旅行に出かけるなど、彼がなくなるまで親交は続き、当時のモティーフの選択や構図の取り方、長方形を組み合わせたようなキュービックな対象のとらえ方などに、モディリアーニの影響が認められる。とりわけ《ルニア・チェホフスカの肖像》にみられるような、首の長い円筒状に引き伸ばした描き方をこの時期に試みており、モディリアーニのお気に入りのモデルであったルニアを描いたとされる作品も残っている。(中略) 戦況が落ち着き、パリに戻ったフジタは、ピカソやヴァン・ドンゲンなどモンパルナスの画家たちと交流を深めるなかで、独自のスタイルを確立する必要性を肌で感じるようになる。「その時分(1910年代)は絵具をコテコテ盛り上げるセゴンザックという大家の流儀も流行っていた。それじゃ俺はつるつるの絵を画いてみよう。また外の者がバン・ドンゲンというような画を大刷毛で描くなら、俺は小さな面相、真書のような筆で画いてみよう。また複雑な綺麗な色をマチスの様に付けて画とするならば、自分だけは白黒だけで油画でも作り上げてみせよう」と後に語っているように、フジタは周囲の画家の模倣を避け、日本で培った技術と美意識を油彩画の表現に活かすことを考えはじめる。フジタの1910年代は、西洋美術の源流と歴史を研究しつつ、同時代の前衛的な美術に接近し、時にはそれと距離を置きながら、自ら進むべき道を模索する時期であった。<「素晴らしき乳白色」の誕生>p15~16 第15回サロン・ドートンヌ出品作《ジュイ布のある裸婦》のモデルもキキであった。フジタはキキをモデルにするにあたり、「白はただ物の明暗、それの遠近の明るい意を現すために用いられておるが、僕は白を白色として、その白色の美わしさを土台に使って生かし」ながら肌の白さを表現するとともに、「やわらかい、押せばへこむような皮膚を通して画のもっとも重大な条件である『質』」を描くことを課題とした。そして「皮膚という質の柔らかさ、滑らかさ、そしてカンバスその物が既に皮膚の味を与える様な質のカンバスを考案する事に着手」し、その結果として「すばらしい白い地」もしくは「素晴らしき乳白色」と賞賛されることになる独自の下地(地塗り)を生み出すにいたった。 フジタはまた、自分が考案した白い下地の美しさを最大限に活かす ために、対象の描写を黒い線によっておこなう必要があると考えた。フランスに渡ってから「日本の毛筆に不思議な魅力を感じ」るようになったフジタは、日本画様の毛筆、なかでも極めて細い面相筆と日本の墨を用い、毛髪のように細い黒の輪郭線を滑らかな白い下地の上に施そうとするが、「日本の水を使った墨でかくことは油の上に水を載せるむずかしさがあった」ため幾度も失敗を重ねる。 つまりフジタの試みは、油性の下地のうえに水性の墨をのせようとするものだが、彼は執拗に実験を繰り返すことによって不可能を可能にしようとしたに違いない。そしてついに「タルクをキャンバス全面にふりかけて、油っ気を取り去ることに成功」したことによって、「乳白色の肌」とも呼ばれるフジタの独自の裸婦像が完成したとされている。ただし、「乳白色の肌」を生み出す技法については、フジタは生涯秘密にしたため、科学的な調査・分析が可能な現在においても多くの謎をはらんだままである。<小さな職人たち>p75 1920年代に「乳白色の肌」を特徴とする裸婦像によって、パリのサロン・ドートンヌなどで衆目を集めたレオナール・フジタは、1930-1940年代には人物群像や戦争画などの大画面の分野に挑戦し、それによって人体の描写力と画面の構成力の高さを日本の国民に示した。一方、第2次大戦を経て、再渡仏を果たした1950年以降は、比較的小さな画面を選択する傾向が強まり、彼自身の内面世界に美を求めつつ、それを子供の姿を通して表現したように思われる。 (文字数制限により省略、全文はここ)『レオナール・フジタ ―小さな職人たち』私のパリ、私のアトリエギャラリー イスクラ *****************************************************************************<藤田嗣治、本のしごと>この本には、「本のしごと」に対して藤田嗣治がそそいだ執着と愛着がよく表れています。・・・・晴走雨読の大使が奨める1冊でおま♪「挿絵本の豪華版」のくだりを見ると、挿絵自体が芸術作品として取り扱われたようです・・・・本の価値判断基準に利得、美しさが加わるところが、フランスたる由縁か♪<パリでの挿絵本、「豪華版」との出会い>p26~27より 1890年代から画家に版画制作を依頼して好評を得たアンブロワーズ・ヴォラールは、その後、詩集や小説本を美術家に発注したオリジナル版画を入れた限定版として出版しはじめました。ボナールを始まりに、ピカソ、デュフィ、ルオー、ブラック、シャガール、ドランらが名作を手がけます。彼らのなかには「版画」を単なる複製技術ではなく表現手段のひとつとしてとらえ、紙や活字、テキストの選択にまで関わる者もいました。 (文字数制限により省略、全文はここ)【藤田嗣治、本のしごと】林洋子著、集英社、2011年刊<「BOOK」データベースより>画家・藤田嗣治が80年を超える生涯のなかで、母国日本や第二の祖国となったフランスなどで関わった「本のしごと」-書籍や雑誌を対象とした表紙絵や挿絵-から約90冊を、新たに公開された彼の旧蔵書を核として、国内の公共図書館、美術館や個人のコレクションを交えて紹介。パリ時代のオリジナル版画入り豪華本から、日本でのモダンな女性誌や戦時下の出版まで、そして愛妻のために見返しに少女像を描いた一冊など、貴重な図版を200点以上収録。<読む前の大使寸評>この本の編集、掲載した資料の多彩さ、内容が今でもハイカラなことなど、この本自体がビジュアル的にええでぇ♪rakuten藤田嗣治、本のしごと
2019.04.17
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図書館で『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』という雑誌を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪【藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)】雑誌、新潮社、2018年刊<商品の説明>より◆特集◆藤田嗣治と5人の妻(おんな)たちフジタの絵は、妻が替わるたびに変容を遂げた。妻たちとの関係、そして秘蔵の手紙や日記、写真などから、名画誕生の秘密を探る。●妻たちを通して振り返る画家の軌跡1.とみ 真夏の恋で結ばれた、同い年の才媛2.フェルナンド フランスへの同化を誘った女流画家3.ユキ 絶頂期を共にした“トロフィー・ワイフ"4.マドレーヌ 中南米遊歴の果て、日本に散った薄幸のミューズ5.君代 花も嵐も踏み越えて添い遂げた、最後の妻●奈良美智がカメラでたどるフジタの愛した場所<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪amazon藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)メゾン・アトリエ・フジタフランスで藤田の住んだ家を奈良美智が訪ねているので、見てみましょう。p58~64<メゾン・アトリエ・フジタ > 藤田嗣治は引っ越しを多くした人だ。日本からフランスに渡ってパリのモンパルナスにに住んだが、パリの中でも彼女が変わる度に数回家を変えた。戦争中は日本に戻っていたが、戦後はアメリカにも住み、そこからパリへ渡り、最終的にはパリ郊外の小さな村に家を買って、そこで暮らした。結局のところ、その家が彼にとって終の住処になったのだ。 ヴィリエ=ル=バルクという人口3000人ほどの村を訪ねたのは、5月末の過ごしやすい季節だったが、天気はあいにくの雨だった。けれどもその雨は観光気分だった自分を一転させ、かつてドイツに12年暮らした頃の感覚に戻してくれた。小さな村だと感じたが、藤田が住んでいた頃の人口は400人足らずだったそうだ。 幹線道路を外れた昔からの街道沿いに藤田の家は建っていた。あの有名な画家、藤田の家にしては拍子抜けするほど小さく普通の家だった。しかし裏に回ると斜面に建てられていることがわかり、道路からは2階建てに見えるが庭側から見ると実は3階建てになっている。表からは普通の村人が暮らすのとまったく同じように見えた家は、裏から見ると採光のための大きなガラス窓がはめ込まれた画家の家だった。 1960年、73歳で買った18世紀の民家を藤田はとことんリフォームしていた。村に溶け込んでいるように見えた道路沿いの顔も、実はドアや窓の位置が代えられていたし、家の中にしても買った時とは別世界のように変えたのだ。 表にある玄関ドアはスペインで手に入れたという古い木製のもので、ドアの上の壁には型取りされた馬に乗る騎士のレリーフがはまっている。ドアを開けて中に入ると、そこからは藤田自らが作った諸々の小物たちや収集されたものたちのオンパレード。センス良く配置されたそれらは、自作なのか、どこかの蚤の市で手に入れたものなのかわからなくなるくらい一体感を持っている。しかも、カーテンやクッションも彼が自らミシンを踏んで縫ったものだ。 玄関から台所、イマ、寝室、すべての部屋がそのような手作りの世界で出来ている。よくよく見れば、テーブルの上に置かれた皿や杯、壷や水差し、それらの陶器でさえも南仏にある陶芸の町ヴァロリスに赴いて、自らが絵付けしたり作陶したものだった。(中略)■純粋な喜びに溢れたものたち 自宅でありアトリエであったこの建物に、1968年に藤田が亡くなった後も、君代夫人は日本に帰国するまでの23年間、ひとりで住み続けた。帰国にあたり、夫人は地方自治体にこの家を寄贈する。その後、準備期間を経て2000年に藤田の記念館としてオープンした。コンセプトは「藤田の家に呼ばれた気持ちになれるように」。藤田夫婦が過ごした時そのままに家具や生活用品がディスプレイされている。 そして建物の隣には芝生の庭を挟んで貴重な資料を管理し展示も行うギャラリーがあり、そこでは藤田の手による礼拝堂やアトリエ、住居の模型、おもちゃ、絵の描かれた箱など、販売や発表目的ではない純粋な喜びに溢れた造形物にも出合うことができた。君代夫人が最晩年まで手放さなかった作品のうちの1枚とのこと。《朝の買物》1962年油彩朝の買物『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』2:戦中や戦後の藤田『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』1:君代
2019.04.17
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中・韓では5G対応のスマホが発売され、キャッシュレス社会になっているんだって!?・・・浮き足立ってくる大使である。また、ファーウェイの5Gには、アメリカが中国人副社長を人質にとってまで安全保障対応をとっています。斯様にきな臭い5Gであるが・・・「5Gネットワークが独り歩きしている」と冷静に説くネット情報があったので、見てみましょう。2019/03/035Gが破壊的イノベーションにならない理由より Sub-6Gと呼ぶ6GHz以下の領域の擬似的5Gを5Gとして、詐欺的商法を行うキャリアがある。例えばATTはLTE-Advancedを5Gサービスとしているが、LTE-Advancedは4Gに区分されるべきものである。国内では各社が5Gへの積極的な取り組みをみせているが、各社の5Gネットワーク構築へのロードマップは不透明で、要するに技術課題が多すぎて長期計画が立てられない状況の中で、5Gネットワークが独り歩きしていることに危惧を覚える。 ■5Gの致命的な欠点 5Gをミリ波(28GHz)と定義するならば、広域通信媒体に使うには致命的な欠点がある。直進性が大きく吸収減衰が大きいために、建物の壁や大気、雨などで減衰してしまい回り込みがきかないため、それこそ無数の送受信機器を設置しなければならないからだ。5Gネットワークは仮にできてもアンテナだらけの街になり、郊外での設置は期待できない。 残念だがこの致命的な欠点は周波数に特有の、つまり固有の問題であり、技術開発でなんとかなるものではない。いたるところに小型の送受信システム配置は可能で、無数のスモールセルをリンクしてあたかも広域通信のように見せかけることはできても都市部に限られるだろう。 慎重なドコモも当初はその進化形であるeLTEを維持する戦略で、スタンドアローン5Gと呼ばれる4Gネットワークに依存しない5Gネットワーク構築は最終段階としてとらえ、4Gの広域ネットの傘の中に5G基地局展開を具現化するスモールセルで覆い尽くす構想である。 スモールセル間の同期通信には、Facebookの開発した通信ソフトなど、特殊なソフトやアレイアンテナなどの専用送受信機材が必要になり、5Gネットワークの展開は相当長い期間、スポット的な利用に限られる。■国内企業は焦る必要はない 一方でファーウエイが基地局機材や5G端末の販売を急いでおり、それに遅れをとったとして国内に危機感を煽る記事が溢れかえるが、焦る必要は無用だ。つまり5G広域展開には基本的な問題があり、インフラ構築に時間がかかったあげく実用化できない可能性も否定できないからだ。 5Gが4Gから独立するフェーズは最終段階とされるが、明らかに4Gを置き換えることは不可能にもかかわらず、4Gを置き換えるイメージ戦略に無理がある。米国では1万個以上の衛星で広域をカバーしようとする企業も数社出てきたが、たとえ衛星を使っても大気の吸収でミリ波の伝搬特性が改善されるわけではない。 結論をいえば5Gの代名詞とされるミリ波(28GHz)は、原理的に広域通信は適さないない媒体なので、高速大容量通信の意味があるアプリケーションやコンテンツ開発(ユーザーの希望があればの話だが)に時間をかけるべきだと思う。スタンドアローン5GネットワークはIoTで社会を変革するインパクトがあるとされるが、広域ネットワークが実現できての話であり、現時点ではインフラに不安を抱えた不透明なビジョンにすぎない。 ■破壊的イノベーションとならない理由5Gの周波数帯はこれまで商業サービスに使われてこなかったことから、健康被害リスクアセスメントが不十分である。それでも、民間主導で「5G=IoTによる産業革命」の名の下に進められている。 キャリアや機材メーカーなどIT企業の新規ビジネス開拓の都合が見え隠れする。蛇足だがスマフォ市場は明らかに飽和状態に達していて、折りたたみスマフォや怪しげな5G対応端末を歌ってもスマフォと4Gで新たな価値が生まれたかつての市場の勢いを取り戻せるとは思えない。 同様にIoTの代表であるコネクテッドカーが標準になっても車の販売が増えるとも思えない。要するに過度に期待したIT産業の限界が見えてきたため、突破口としての新たに付加価値を考え出したととれる。 4Gとスマフォが連携して働いた結果、クリステンセンの定義する破壊的イノベーションとなったが、破壊的イノベーションになるためには、万人がその登場を歓迎するというヒューマンファクターがあったはずだ。 それがない「メーカーに踊らされた」イノベーションでは破壊的にならない。誰でも電磁波による健康被害を避ける権利があるが、スタンドアローン5Gネットワークの中で生活する人々は、「受動喫煙」のように電磁波漬けになる。これを万人が好まない限り破壊的イノベーションにはなり得ない。
2019.04.16
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図書館で『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』という雑誌を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪【藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)】雑誌、新潮社、2018年刊<商品の説明>より◆特集◆藤田嗣治と5人の妻(おんな)たちフジタの絵は、妻が替わるたびに変容を遂げた。妻たちとの関係、そして秘蔵の手紙や日記、写真などから、名画誕生の秘密を探る。●妻たちを通して振り返る画家の軌跡1.とみ 真夏の恋で結ばれた、同い年の才媛2.フェルナンド フランスへの同化を誘った女流画家3.ユキ 絶頂期を共にした“トロフィー・ワイフ"4.マドレーヌ 中南米遊歴の果て、日本に散った薄幸のミューズ5.君代 花も嵐も踏み越えて添い遂げた、最後の妻●奈良美智がカメラでたどるフジタの愛した場所<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪amazon藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)哈爾哈河畔之戦闘戦中や戦後の藤田を、見てみましょう。p49~51<5.君代 > 1940年にパリから戻った藤田は、トレードマークのおかっぱ姿を返上し、戦争画にのめり込み始めました。そのひとつのきっかけとなった作品が、《哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘》[上]です。 いわゆる「ノモンハン事件」の責任をとって退役した元陸軍中将の依頼を受けて制作されました。藤田は現地にも取材し、軍装などの細かな指示を受けて、熱心に取り組みました。この作品は、後に軍に献納され、公式の戦争画「作戦記録画」となりました。 そして数ある藤田の作戦記録画の中でも、異例の作品が《アッツ島玉砕》です。1943年、アッツ島の日本兵がほぼ全滅した死闘を描いています。美術界にとって初めての「玉砕図」は藤田によって描かれましたが、それは誰に依頼されたわけでもなく、本人が自発的に制作したものです(後に軍へ献納)。 この作品が展示されると、思わず手を合わせて拝み、賽銭を投げる人までいたようです。藤田が追求してきた「大画面の群像表現」と「公共性」は、こうして戦争画に結実していくことになりました。 終戦直後、藤田は手元にあった戦争にまつわる資料を焼却したと言われています。と同時に、GHQの委嘱で、戦争関連作品の収集に協力します。そんな中、1946年に結成された日本美術会は、独自の戦犯リストを公表し、藤田を非難しました。一方で、47年2月にGHQが公表した戦犯リストには、藤田の名前はありませんでした。 藤田は20世紀前半にあれだけの国際経験がありながら、まったく共産主義に関心を示さなかった、不思議な人です。約60年、制作を続けましたが、スランプという時期がほぼなく、戦後も叩かれながらもしぶとく描き続けました。周囲には反省がないと映ったかもしれません。 藤田は、頭でじっくりと考えてから描くのではなく、まずは手が先に動いてしまうタイプの画家でした。バッシングを受けたのは、作戦記録画の制作だけが理由ではないはずです。むしろ戦後のふるまい・・・GHQとの距離の近さが節操のなさと映ったのかもしれません。 藤田が戦後初めて展覧会に出した作品は、《私の夢》でした。描く対象はふたたび西欧人になりました。彼は日本を離れる決意を固めます。1949年3月10日、日本を出国、まずアメリカへ向かいました。戦後の20年間、藤田の公式な発言は限られます。戦前はあれだけ多くの原稿を書き、本も出していたのに、沈黙してしまったのです。(中略) ニューヨークでの10ヶ月で、藤田は旺盛に絵を描き、個展も開催しました。エコール・ド・パリ時代に戻ったようなスタイルで、滑らかな白い下地と墨の線描は大きな評判を呼び、フランス行きの軍資金も稼ぎました。そして翌年初め、フランスへの渡航許可が下りると、2人はすぐにパリへ向かいます。『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』1
2019.04.16
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図書館で『藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)』という雑誌を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪【藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)】雑誌、新潮社、2018年刊<商品の説明>より◆特集◆藤田嗣治と5人の妻(おんな)たちフジタの絵は、妻が替わるたびに変容を遂げた。妻たちとの関係、そして秘蔵の手紙や日記、写真などから、名画誕生の秘密を探る。●妻たちを通して振り返る画家の軌跡1.とみ 真夏の恋で結ばれた、同い年の才媛2.フェルナンド フランスへの同化を誘った女流画家3.ユキ 絶頂期を共にした“トロフィー・ワイフ"4.マドレーヌ 中南米遊歴の果て、日本に散った薄幸のミューズ5.君代 花も嵐も踏み越えて添い遂げた、最後の妻●奈良美智がカメラでたどるフジタの愛した場所<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・藤田の作品はもちろん秘蔵の手紙や日記、写真など満載で、ええでぇ♪amazon藤田嗣治と5人の妻たち(芸術新潮2018年8月号)人魚最後の妻 君代を、見てみましょう。p44~47<5.君代 > 藤田と堀内君代が出会ったのは1935年と藤田は書いています。君代は茨城の出身で、都内の料亭で働いていたといいます。そしてマドレーヌの死後、36年に2人は一緒に暮らし始めました。 翌年には、藤田は大壁画《秋田の行事》制作のため、初々しい君代を連れて秋田に赴きます。この作品は、地元の富豪・平野政吉の要望に応えて、「誰にも真似できない速さで描く」ことに挑戦したものです。秋田の風俗を題材に、横20メートル以上の作品を、わずか15日ほどで完成させました。 この君代との結婚は、おそらく多くの人には意外な展開だったと思います。フランス人の妻が3人続いていたので、「やっぱり成功した画家はフランス人の奥さんと一緒になるんだ」と世間からは憧れられていたはずです。だから、「あの藤田も日本に定住して、ふたまわりも年下の日本人の奥さんをもらって、早くも現役引退気味?」などと思われても不思議ではありません。 藤田は君代の面長な容貌に魅かれたわけですが、ユキやマドレーヌと違って、彼女を必ずしも描く対象とはしませんでした。例外的に《人魚》[上]は顔立ちは君代ですが、身体は類型化された裸体です。君代は戦後の宗教画には登場しますから、自分たちで使うプライベートな作品には描いても、商品としての絵画のモデルはやはり白人としていた。彼女はドメスティックに、藤田の生活を支える存在でした。 とみるとフェルナンドは藤田の成長を支えた妻であり、ユキとマドレーヌは画家のモデルとなり、制作に貢献する妻でした。そして藤田が最後に選んだのは、日々の暮らしを支える「同胞」の妻だったのです。 1939年、老いたのではないかとのうわさを払拭するかのように、52歳の藤田はまたフランスへ、君代を連れて旅立ちます。しかし、第二次世界大戦が始まりました。くしくも藤田は二つの大戦の勃発をヨーロッパで体験したことになります。そしてドイツ軍がフランスへと侵攻してくるギリギリまで粘ったものの、40年に日本に戻りました。 パリでマダムとして扱われた君代は、帰国する頃にはパリ・モードも板につき、堂々たる画家の妻になっていました。 藤田は自分で服を作ったり、時には料理をすることもありました。今ならそうした男性がいても不思議ではありませんが、戦前の日本では珍しい存在でした。それゆえに、「君代悪妻説」なども囁かれたといわれますが、実際の彼女は潔癖症で、自分で家事をこなす、普通の明治の女でした。 ただ藤田の日記を読んだり、ほかの人の証言を聞くと、2人は家庭内で言い争うこともたびたびだったようです。君代は「大家」に見初められ、シンデレラストーリーを歩んだかのように見えますが、それと引き換えに波乱万丈の人生を送ることになりました。藤田と共に戦中を生き、戦後の20年を異国で暮らすことになった彼女が抱え込んだ精神的負担は、たいへん大きなものだったのです。
2019.04.16
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都市計画家の西郷真理子さんがオピニオン欄で「地域課題 解決する拠点に」と説いているので、紹介します。(西郷さんのオピニオンを4/10デジタル朝日から転記しました)いつでも温かい食べ物を買え、日用品も手に入る。平成の時代に進化したコンビニエンスストアは、深夜でも街を照らし、安心を与えてくれます。でもこの便利さ、永遠に続く?■地域課題、解決する拠点に 西郷真理子さん(都市計画家) コンビニは日本社会の変化にうまく合って、これほど成長したのだと思います。 まず核家族化が進み、小さな単位で食事を用意しなければならなくなったこと。流通のあり方も変わりました。 スーパーが巨大化して集約され、ネットショッピングも普及し、まとめ買いには便利になりました。そんななか、コンビニは「買い忘れた!」という時でも近所で手軽に買える場所になったわけです。 コンビニは本来、1千~3千人が歩いて暮らせるコミュニティーの単位に出店してきました。ただ特に大都市で、事業効率を優先して過密になりすぎた。店同士が競合し、人手不足になるのは当然です。現在の業界規模を維持するのが難しくなっています。 さらに8年前の3・11以降、日本人は物を買うより人のつながりやサービスにお金をかけるようになり、購買行動がモノ消費からコト消費へ変わってきています。物を買わせるだけの事業モデルではもう立ち行きません。 今後のコンビニの可能性は「コミュニティーの拠点」に立ち戻り、そのための社会インフラになることだと思います。人口減少社会になり、コミュニティーで助け合って生活することが重要視されるようになりました。いま独居による孤立化、保育園や学童の待機児童、高齢化による社会保障費の増加などが社会問題となっていますが、そんな課題の解決の場にコンビニはなりうると考えています。 すでに多くのコンビニに飲食スペースがありますが、学生が子どもの勉強を見たり、お年寄りと子どもが遊んだりする場を作るのはどうでしょう。そこに塾や家事サービスなど親が欲しい情報が集まる仕組みを作るのもいい。コンビニを地域の老若男女が集うコト消費の場にするのです。 24時間営業を続けるなら、人が担う部分と無人化を組み合わせる必要があります。人間が機械のように働くことはもうやめるべきです。商品の単純な売買や夜間は機械に任せる。一方で人の役割は、客とのコミュニケーションや、店内で地元食材を使ってヘルシーな弁当を料理するような手仕事に特化すればいい。 住民の購買行動を把握しているコンビニの販売データも地域へオープンし、ICT(情報通信技術)で住民と店、農家などをつなげば、限られた人手や食品といったリソースを有効にシェアできるはずです。こうしたビジョンをふまえ、私たちは宮城県石巻市で復興のまちづくりとしてコンビニなどを活用する居場所作りに取り組んでいます。日常に育まれるつながりは災害時にも役立つと思います。 コンビニがこんな風に生まれ変われば、人口減少社会の波を乗り越える力になると思いますよ。(聞き手・藤田さつき) *西郷真理子:1951年生まれ。住民主体のまちづくりに取り組む。高松丸亀町商店街や川越蔵造りの町並みなどを支援。(オピニオン)24時間 店開けますか都市計画家2019.4.10この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR11に収めておきます。
2019.04.15
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「坂の上の雲」のシリーズ第2弾が終わったけど・・・・大使の歴史認識のミッシングリングは、厳密に言えば日清戦争から満州事変あたりなんですね。で、日清戦争から満州事変あたりについて、読んだ本やウェブ記事を集めてみます。・「天子蒙塵」浅田治郎独占インタビュー・馬賊で見る「満州」・「歴史にみる日本と韓国・朝鮮」・「韓国併合」・石原莞爾と満州帝国(歴史読本2009年9月号)R2:『「天子蒙塵」浅田治郎独占インタビュー』、『馬賊で見る「満州」』を追加********************************************************************<『天子蒙塵』浅田治郎独占インタビュー>『馬賊で見る「満州」』という本を読んでいるところだが・・・浅田治郎『天子蒙塵』と言う本がどうしても気になるので、出版社の宣伝サイトを覗いてみたのです。2016年『天子蒙塵』浅田治郎独占インタビューより小林:『蒼穹の昴』は清朝(1644~1912年)末期の物語。第9代皇帝妃・西太后が権力を握る宮廷が舞台でした。続く『珍妃の井戸』は1900年に起こった義和団の乱を扱い、『中原の虹』では清朝滅亡前後を背景にして馬賊・張作霖その周辺を描き、『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件が軸になっています。そして、待望の新作『天子蒙塵』に続くわけですね。浅田:今回は溥儀と張学良という2人の若き王に焦点を当てています。この2人を通して、あの時代を描いてみよう、と。小林:どのような気持ちで新作に臨まれたのでしょうか。浅田:このシリーズは数十年にわたる私のライフワークであり、生活そのもの。新しいものを書き始めるからといって、特別な気構えはないんです。ただ粛々と書いていると言ったらいいでしょうか。小林:またここへ戻ってきたという感じですか。浅田:このシリーズを書いているときこそが私には日常で、心はむしろ休まっています。小林:溥儀と張学良については、どのような人物とお考えですか?浅田:いずれの人生も、アラビアンナイトの物語に加えても遜色のないような数奇な運命に彩られています。溥儀は3回即位して3回退位した歴史上ただ一人の王です。一方、父親の死を受け、27歳で満洲における全権力を継いだ張学良も、時代に翻弄された王ですね。そんなドラマティックな人生を描いています。小林:「天子蒙塵」という言葉を初めて聞く人も多いと思いますが、どのような理由でタイトルにされたのでしょう。浅田:紀元前、春秋時代の最古の史料『春秋左氏伝』に出てくる言葉です。「天子塵を于外(うがい)に蒙る」。天子、つまり王がほこりまみれになって逃げるという、大変な異常事態を表しています。実は『蒼穹の昴』を書いたときに、すでにこの蒙塵のイメージが頭の片隅にあったのですが、今回、溥儀は紫禁城を追われ、張学良も自分の領地を追い出されて、まさに蒙塵するんです。********************************************************************<『馬賊で見る「満州」』>図書館に予約していた『馬賊で見る「満州」』という本を、ゲットしたのです。ちょうど『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んだところで、このところ「満州」が個人的なミニブ-ムとなっている感があるのです。【馬賊で見る「満州」】澁谷由里著、講談社、2004年刊<「BOOK」データベース>より馬賊が誕生した清末期。あるものは官憲の銃弾に倒れ、あるものは混乱を潜りぬけ略奪者から脱却し、軍閥の長として中原の覇権をうかがう。覇権に最も近づいた男=「東北王」張作霖とその舞台の激動の歴史をたどり、併せて日本にとって「満洲」とは何だったのかを考える。<読む前の大使寸評>ちょうど『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んだところで、このところ「満州」が個人的なミニブ-ムとなっている感があるのです。<図書館予約:(10/01予約、10/06受取)>rakuten馬賊で見る「満州」『馬賊で見る「満州」』6:「満州の馬賊」のおさらい『馬賊で見る「満州」』5:間島地域『馬賊で見る「満州」』4:日清戦争の衝撃『馬賊で見る「満州」』3:清朝滅亡時の国家組織『馬賊で見る「満州」』2:中国最後の王朝・清朝『馬賊で見る「満州」』1:馬賊誕生の背景********************************************************************【歴史にみる日本と韓国・朝鮮】鈴木秀夫・吉井哲編著、明石書店、1999年刊<「BOOK」データベースより>この資料集は高校生のみなさんが日本史の副教材として活用するために編集しました。韓国・朝鮮との関係の歴史は、現在の日本の社会を理解し、隣国の韓国・朝鮮との友好関係をつくるうえで欠かせないものです。共通する東アジアの文化圏のなかに生活していることは事実ですが、ちがいにも目を向けなければなりません。共通性のなかにある差異を知らなければ、とんでもない誤解をすることになるからです。 <大使寸評>最も近い隣国の歴史を知っておきたいのです。この本のエッセンスをここに載せています。Amazon歴史にみる日本と韓国・朝鮮<「日清戦争の義」とその実態>p86~87 日清戦争開始の口実をつくるため、日本政府は朝鮮政府に対し、政治改革を実施すること、および清とむすんできた従属関係を絶つことの二つを要求していた。一方では朝鮮が清から独立することを求め、一方ではその独立国に改革を要求するのは内政干渉ではないかと、朝鮮政府は日本の矛盾をついて反論し、要求を拒んだ。これに対し、日本政府は期限つきの最後通知で、先の二つの要求をくり返し、2000余人の軍をソウルに送った。1894年7月23日、警護の名目で王宮を占領した日本軍は、反日的なミン妃(国王高宗の王妃)一派の勢力を押さえ、ミン妃のライバルだった大院君(高宗の父)をむりやりかつぎだした。そして開化派官僚からなる親日政権をつくりあげた。タイムズ紙は「日本軍が今ソウルを占拠し、国王高宗は彼らの虜囚」と報道した。大院君から、清の軍隊を国外においだしてくれという委託をとりつけた日本は、2日後に豊島沖の海戦をおこなって、清との本格的戦争に突入する。朝鮮の独立を目的にかかげながら日本は、朝鮮軍の武装解除をすすめる。そして組織的に朝鮮の文化財の略奪をおこなっては日本に送った。戦利品は日本各地で展示されて、さらに国民の戦意を高めるのに使われた。日本軍人と軍属20万人の兵糧の調達と輸送のために、朝鮮から強制的な物資と労働力の取り立てがすすめられていった。 この王宮占領の軍事クーデターと日本軍の横暴に対して、朝鮮の農民軍は反日の姿勢をいっそう明らかにして再び挙兵し、民衆や地方の官吏たちのあいだにも、義兵闘争のはしりともいうべき根強い抵抗がわきあがった。(中略) では朝鮮の政治改革を要求した日本政府のねらいは何だったのだろうか。開戦の1ヵ月後に、日本は朝鮮政府とのあいだに鉄道や電信などの利権獲得や、日本軍がより自由に行動できるための条約をむすんだ。外務大臣陸奥宗光は、朝鮮の内政改革はあくまで日本の利益のためであることを回想録に告白している。さらに日本に有利な状況をつくるべく、井上馨が特命全権公使として赴任した。彼は大院君をわずか4ヶ月で引退させ、日本に亡命していた朴泳孝を送りこんで親日政権を強化した。前後して40人におよぶ日本人顧問官を送りこみ、朝鮮政府のすべての政策を監視させ、いわば占領軍日本による強力な内政干渉をすすめた。日本には戦勝のニュースのみが流され、日本国民は勝利者としての優越感にひたった。忠義勇敢な天皇の軍隊のイメージが軍国美談として報道され、のちには教科書や軍歌となって国民に広まった。そのもっとも有名なものが修身教科書の木口小平ラッパ手の話である。 井上馨公使が朝鮮の保護国化をいっそうすすめようとした矢先におきたのが三国干渉だった。これにより日本の力は大きく後退し、反比例してロシアの影響力は増大した。前年の王宮占領以来、政治から遠ざけられていたミン妃は、これを機に、日本に対抗し自派の勢力を回復するためにロシアに接近した。同時に、強引な日本の朝鮮支配に、列強から批判があいついだ。日本はおもてだった内政干渉を中止し、これまでにえた利権の維持に専念せざるをえなくなった。三国干渉以降1900年ごろまでは、日本よりもロシアの方が、朝鮮からの利権獲得においては目立つようになっていく。親日派閣僚の筆頭である朴泳孝は、ロシアと王室の関係を断って情勢をかえようとこころみるが失敗に終わり、逆に朝鮮政府から追放されて日本に再亡命した。********************************************************************【韓国併合】海野福寿著、岩波新書、2004年刊<「BOOK」データベースより>江華島事件を口実に朝鮮の開国に成功した日本は、清国との角逐や欧米列強との利害調整をくり返しつつ、日清・日露戦争をへて、一九一〇年、韓国を「併合」する。それは同時に、朝鮮政府・人民の粘り強い抵抗を排除する過程であり、苛酷な弾圧の歴史でもあった。朝鮮植民地化の全過程を、最新の研究成果にもとづいて叙述する待望の通史。 <大使寸評>この本は一部読んだままで積読状態であるが・・・・悔しいことに本棚に2冊あるのです。いい本なんだけどね。Amazon韓国併合<日清両国が出兵>p88~89 農民軍の全州占領にあわてた朝鮮政府は1894年(明治27)6月1日、袁世凱に非公式に清国軍の出動を要請、3日には公式に出兵を要請した。これをうけて漢城駐在の清国軍は即日出動し、8日からは清国派遣隊が忠清道牙山湾に上陸、忠清道一帯に駐屯した。 清国出兵のしらせは、同時出兵の機をうかがっていた日本政府に迅速な対応をうながした。駐日清国公使汪汪鳳藻からの正式出兵通告があったのは7日であるが、すでに2日の臨時閣議は混成一個旅団の朝鮮派遣を決定していた。さらに5日には大本営を設置し、広島の第5旅団に内命を下して兵員7000~8000人の混成旅団の編成に着手していたのである。そして出兵通告を受けた7日には、日本政府も85年の「天津条約」第3款の「行文知照」の規定にもとづいて、清国政府に出兵を通告した。 急遽、軍艦「八重山」に搭乗して帰任した大島圭介公使が、回航した「松島」「千代田」艦の海軍陸戦隊420人と仁川に上陸したのは10日早朝である。大島公使と日本軍は朝鮮側の制止をふりきって、その日のうちに漢城に入京した。派遣旅団の仁川上陸完了は16日である。 しかし、11日には「全州和約」が成立し、日清両軍は朝鮮駐兵の理由を失っていた。「天津条約」には変乱などが解決したら、ただちに兵を「」し、ふたたび「」という規定がある。大島公使と袁世凱とのあいだで12日から始められた共同撤兵交渉では、15日の時点で日本軍四分の三、清軍五分の四は即時撤兵、民乱静穏化ののち全部撤兵で意見が一致した。だが、日本政府は駐兵と兵員増派計画をかえようとしなかった。<駐兵の口実づくり>p89~90 6月15日の閣議は、朝鮮駐兵の口実づくりに腐心し、農民軍の日清両軍による鎮圧と朝鮮内政の日清共同改革を清国に申し入れる案をこねあげた。どちらも、駐兵の理由としては陸奥外相が決定をためらうほど薄弱である。大島公使からの報告も、牙山の清国軍は動かず、農民軍は平静で漢城付近も静穏であると伝えていた。清国に提案した共同改革案は、朝鮮の内政干渉になるという理由で清国から拒否された。 そのうえ朝鮮政府およびロシア・イギリスをはじめとする各国公使から日清同時撤兵の要求あるいは勧告が出され、清国側は撤兵に応ずる意向を示していた。しかし、日本側はこれを拒否、またしても同時撤兵の機は失われる。このとき日清両国の撤兵が実現していたら、日清戦争はおこらなかったはずである。だが、賽は投げられた。のちに陸奥が書いた『ケンケン録』には「何とか一種の外交攻略を施し時局の一転を講ずるの外、策なき場合となりぬ」とある。大量出兵した以上、無成果のまま撤兵することは国内世論の点からもできなかった。 6月27日、陸奥は大島公使に開戦の口実作成を命ずる指示をあたえた。大島は清国勢力を排除した後でなければ内政干渉の実行は不可能であるが、日清軍の衝突はそう簡単にはおきないから、「内政改革を先にし、若し之が為め日清の衝突を促さば僥倖なり」(6月28日陸奥あて)と考えていた。 大島は7月3日、外務督弁に改革綱領を提示したのについで、10日には内政改革案を朝鮮政府に手わたした。このとき大島は、改革勧告を朝鮮政府が拒絶した場合には、「兵威を以て」漢城の城門および王宮諸門を占拠してはどうか、と陸奥外相に指示を仰いでいる。次項で述べる王宮占領の計画はこのころめばえたのだろう。 16日、朝鮮政府は日本側提示の改革案にたいし、日本軍の撤兵が実施の前提であると回答した。日清、日露の戦いを経て満州の権益を得た日本であるが・・・・その後に関東軍の思い過ごしがあるわけですね。この次の読み込み候補を挙げておきます。********************************************************************【石原莞爾と満州帝国(歴史読本2009年9月号)】雑誌、新人物往来社、2009年刊<出版社サイト>より【特集対論】満洲の二人の帝王 石原莞爾と甘粕正彦の思想と行動松本健一vs佐野眞一【特集ワイド】写真図説 石原莞爾の生涯――波乱万丈の六十年幼少年時代/陸軍幼年学校時代/陸軍士官学校・陸軍大学校時代/漢口・ベルリン駐在時代/日蓮信仰/満州時代1 関東軍作戦主任参謀/満州時代2 満州事変/民族協和と石原莞爾/歩兵第四連隊長時代/二・二六事件/参謀本部作戦部長時代/東條英機との確執/最終戦争論/東亜連盟運動/敗戦と極東国際軍事裁判/晩年【深層探求】「夢と野望の大帝国」満洲の実像・概説――「満洲国文化」のエネルギー源・満洲映画協会――国策会社の枠をはみ出した芸術家・技術屋集団・満洲写真作家協会――満洲の地で確立された日本の近代的報道写真・ハルビン交響楽団――大東亜終戦間近に発揮された「満洲文化」の力・建国大学――共産主義に関する書物も回し読みされた国立大学・超特急「あじあ号」――日本独自の技術によって製作された満鉄の象徴<大使寸評>図書館の旧雑誌放出で入手したのだが、拾い物のムック本といえます♪新人物往来社石原莞爾と満州帝国(歴史読本2009年9月号)
2019.04.15
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図書館で『ねじまき鳥クロニクル・第三部』という本を、手にしたのです。これまで第一部、第二部と読んできたのだが・・・妻のクミコとその兄の綿谷ノボルの動きが読めないというか、謎めいているのです。【ねじまき鳥クロニクル・第三部】村上春樹著、新潮社、1995年刊<「BOOK」データベース>より奇妙な夏が終わり、井戸は埋められた。そして人々はみんなどこかに去っていった。ねじまき鳥の声ももう聞こえない。僕に残されたのは、頬の深く青いあざと、謎の青年から引き渡された野球のバットだけだ。でも僕はやがて知ることになるー何かが僕を新しい場所に導こうとしていることを。意識と過去の帳の奥に隠されたねじのありかを求めて、地図のない冒険の旅が開始される。そしてその僕の前に、ねじまき鳥の年代記(クロニクル)が、橇の鈴音とともに静かにひもとかれる。完結編。<読む前の大使寸評>これまで第一部、第二部と読んできたのだが・・・妻のクミコとその兄の綿谷ノボルの動きが読めないというか、謎めいているのです。rakutenねじまき鳥クロニクル・第三部満州国やノモンハン事件に触れたあたりを、見てみましょう。p272~275<24 羊を数える> 日本が経済制裁あるいは実質的な封鎖を受けながら、北方で長期的な対ソビエト戦争を戦い抜くためには、日本国内における飼育綿羊の頭数は明らかに不足しており、その結果満蒙地域における安定した羊毛(および兎等の毛皮)の供給、および加工施設の確保が不可欠であると考えられる、とその報告者は述べていた。 そして状況視察のために昭和7年、建国直後の満州国にわたったのは綿谷ノボルの伯父だった。そのような供給が満州国内で現実的に可能になるまでに、どれほどの期間が必要とされるかを算定するのが彼の任務だった。彼は陸軍大学を出たロジスティクス(兵站学)を専門とする若手テクノクラートであり、それは彼に与えられた初めての本格的な任務だった。彼はその防寒被服の問題を近代兵站のモデルケースとして捉え、徹底的な数字的分析をおこなった。 綿谷ノボルの伯父は、知人の紹介によって奉天で石原莞爾に会い、差し向かいで一夜飲み明かした。石原は中国大陸を巡ってソビエトとの全面戦争が避けがたいものであること、その戦争完遂のキイが兵站の強化、つまり新生満州国の急速な工業化、自給自足経済の確立にあることを理路整然と、しかし熱っぽく力説した。そして農業牧畜の組織化、効率化については日本からの農業移民の重要性が説かれた。 石原は満州国を朝鮮や台湾のような日本のあかえあさまな植民地にすべきではなく、アジア国家の新モデルにするべきであるという意見を持っていたが、満州国が究極的には対ソビエト戦のための、ひいては対英米戦のための日本の兵站基地であるという認識においては見事にリアリスティックだった。 現在の時点で対西欧戦争を遂行する能力のある国はアジアには日本ただひとつしかなく、他の諸国は彼らが西欧諸国から解放されるために日本に協力する義務がある、と彼は信じていた。いずれにせよ当時の帝国陸軍の将官で、石原ほど兵站問題に強い関心を持ち、また造詣の深い人物はいなかった。 たいていの軍人は兵站そのものを「女々しい」発想として捉え、たとえ整備は足りずとも身を捨てて果敢に戦うことが陛下の軍人の道であり、貧弱な装備と少ない人員で強力な相手に向かい、戦果をおさめることが真の武勲であると考えていた。「兵站の追いつかないほどの速さで」敵を駆逐して前進するのが名誉と見做されていた。優秀なテクノクラートである綿谷ノボルの伯父からすれば、そんな馬鹿げた考えはない。 兵站の裏付けなしに長期的な戦争を始めるのは自殺行為に等しい。ソビエトはスターリンの集約的な経済五ヵ年計画によって軍備を飛躍的に増大、近代化させている。五年間に及ぶ血なまぐさい第一次世界大戦は、旧世界の価値観を一変させてしまった。二年間駐在武官としてベルリンに暮らした綿谷ノボルの伯父にはそのことが肌身にしみてよくわかっていた。しかし日本のおおかたの軍人たちの意識は、日露戦争の戦勝に酔った当時のままに留まっていた。 綿谷ノボルの伯父は石原の明晰な論理と世界観、そしてカリスマ的な人間性にすっかり心酔して帰国し、二人の親交は伯父が日本に戻ってからも続いた。伯父は後年、満州から退いて舞鶴の要塞司令官に転任した石原に何度も会いにいったほどだった。伯父の満州国内における綿羊飼育状況、およびその加工施設についての緻密で的確な報告書は、帰国後間もなく本部に提出され高い評価を受けた。(中略) 綿谷ノボルの伯父がどのような議員で、政治家として何をしてきたのか僕は知らない。大臣の職も一度経験し、地元では大きな影響力を持っていたらしいが、結局国政レベルの指導者にはなれなかったようだった。そして今、その政治的基盤は甥の綿谷ノボルに引き継がれたわけだ。ウーム 綿谷ノボルの伯父は村上春樹の創作であるが・・・・これほど兵站の重要性を主張したテクノクラートは実在しなかったように思うのだが。『ねじまき鳥クロニクル・第三部』1
2019.04.15
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図書館で『ぐるぐる博物館』という本を、手にしたのです。巻末を見ると、「月刊ジェイ・ノベル掲載分」を主に編集した本のようだが…編集者の企画が良かったのかも♪ところで、帰って調べてみると、この本を借りるのは二回目であることが解りました。で、(その2~その4)としています。2年半前に借りていたのだが、(当然)記憶の彼方でおました。【ぐるぐる博物館】三浦しをん著、実業之日本社、2017年刊<「BOOK」データベース>より人類史の最前線から、秘宝館まで、個性あふれる博物館を探検!書き下ろし「ぐるぐる寄り道編」も収録!好奇心とユーモア全開、胸躍るルポエッセイ。【目次】第1館 茅野市尖石縄文考古館ー私たちはつながっている/第2館 国立科学博物館ー親玉は静かに熱い!/第3館 龍谷ミュージアムー興奮!の仏教世界/第4館 奇石博物館ーおそるべし!石に魅せられた人々の情熱/第5館 大牟田市石炭産業科学館ー町ぜんぶが三池炭鉱のテーマパーク/第6館 雲仙岳災害記念館ー災害に備えつつ穏やかに暮らすということ/第7館 石ノ森萬画館ー冒険と希望の館で失神するの巻/第8館 風俗資料館ー求めよ、さらば与えられん/第9館 めがねミュージアムーハイテク&職人技の総本山/第10館 ボタンの博物館ー美と遊びを追求せずにはいられない<読む前の大使寸評>巻末を見ると、「月刊ジェイ・ノベル掲載分」を主に編集した本のようだが…編集者の企画が良かったのかも♪rakutenぐるぐる博物館雲仙岳災害記念館雲仙岳災害記念館を見てみましょう。p117~121<第6館 雲仙岳災害記念館> 我々は島原外港近くのホテルに一泊し、翌日の取材に備えた。むろん、夕飯はホテル近くの小料理屋さんへ行き、海の幸をいただきながら酒を飲む。これまたサイコーじゃ!有明海の底力、まじやばい。こんなに食べ物がうまくていいのか。 ところで、島原のタクシーの運転手さんも、大牟田と同様、親切なかたばかりだった。港からホテルまで、徒歩でも十分ぐらいだったのだが、私たちはホテルの場所をよく把握しておらず、タクシーに乗ってしまったのだ。むろん、乗った次の瞬間、目的地に到着。私たちが恐縮すると、運転手さんは、「あー、いいのいいの。荷物もあるんだし、歩いたらけっこう大変だよ。それに我々は、お客さんを乗せるために存在しているんだから、距離なんか気にせず、どんどん活用してくれりゃいいの」 と、快く言ってくださった。ううう、なんというおおらかな心。 実は私は、島原を訪れるのは三回目ぐらいなのだ。そのたびに、「島原半島の人々は、のんびりしていて優しいなあ」と感じてきた。一例を挙げると、車の速度がのんびりだ。法定速度を守るどころか、それ以下で走っている車も多々見受けられられ、よそものでも非常に運転しやすい。 山のほうの細い道を走っていても、こちらが運転に不慣れだと見て取ると、大幅にバックして道を譲ってくれるひとばかり。もちろん島原のひとたちだって、あせったりいらいらしたりすることもあるはずだが、基本的にはのんびりおおらかな傾向のようだとお見受けする。 これはやはり、比較的気候が温暖で、目のまえの有明海でおいしい魚が獲れるせい? 都会であくせくするのがアホらしくなってくるほど、自然の恵みが豊かだ。 そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、雲仙という山の存在だろう。雲仙普賢岳は1990年に噴火し、96年に終息宣言が出るまで、大きな人的物的被害をもたらした。だが、この火山があるからこそ、良質の温泉が湧き、降り積もった灰によって、果物などの栽培に向いた土壌となっているのも、また事実だ。 江戸時代にも、雲仙は二回噴火した。島原半島の人々は昔から、そんな雲仙とともに生きてきたのだ。火山を相手に、あくせくしたってしょうがない。人的被害を出さないように注意しつつ、「噴火するときはする」の精神で、のんびりいこうじゃないか。どうも、そういう気配を感じるのだ。 さて、朝が来るのを待ち、Fさんと私はタクシーに乗りこんだ。今回取材する博物館は、島原外港から車で十分ほどの距離にある、「雲仙岳災害記念館(通称:がまだすドーム)」だ。「がまだす」とは島原の方言で、「がんばる」「精を出す」という意味らしい。 雲仙岳災害記念館には、以前にも個人的に来たことがある。私は航行の修学旅行で、雲仙に行くはずだった。しかし、噴火が起き、行き先は変更となってしまった。それがとっても残念だったので、大人になってから島原半島を旅していたとき、ふと目に入った雲仙岳災害記念館に寄ってみたのだ。雲仙の噴火について詳しく知りたかったし、博物館好きとしてピンとくるものがあった。 実際、雲仙岳災害記念館は、大充実の博物館なのだ! この博物館探訪記をはじめるときも、いの一番に、「あそこはすごいですよ!」とFさんにプッシュしたほどだ。再び来ることができて、感無量である。 雲仙岳災害記念館が建っているのは、平成町という埋め立て地だ。平成大噴火の際、大量の灰や土砂が、土石流となって海辺の町にまで流れこんだ。安中地区という地域では、多くの家屋が土砂に埋もれ、かろうじて屋根が見えるだけといった状態になってしまった。住民のかたは避難していたので、土石流による犠牲者は出なかったが、住み慣れた家や畑が、すべて土砂に飲まれたのだ。 土石流は、水無川を下って襲いかかり、川には収まりきらなくなって、周囲にもあふれかえる形になった。そこで復興にあたり、土砂を利用して土地をかさ上げしたのち、家を建てたり畑を作ったりすることにした。(中略) だが、土地のかさ上げが完了しても、土砂はまだmだ残っていた。ものすごい量の土砂が雲仙から流れてきたことがうかがわれる。そこで、残った土砂で海を埋め立て、平成町を作った。ここには雲仙岳災害記念館のほかに、体育館が建っている。 記念館は、平成大噴火を忘れずに語り伝え、雲仙をはじめとする火山について学べると博物館。体育館は、島原の人々がスポーツを通して集える場所だ。 では、いよいよ雲仙岳災害記念館に入ってみよう。この博物館の大きな特徴は、係りの方が必ず案内についてくれることだ。「一人で自由に、じっくり見たいんだけどなあ」というかたもおられると思うが、引率形式の案内は入ってすぐの部分だけで、あとは好きなように見てまわれるので、ご安心ください。『ぐるぐる博物館』3:龍谷ミュージアム『ぐるぐる博物館』2:茅野市尖石縄文考古館『ぐるぐる博物館』1:風俗資料館
2019.04.14
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図書館で『新・戦争論』という新書を、手にしたのです。やや古くなった新書であるが、内容はそんなに陳腐化していないようです。【新・戦争論】池上彰×佐藤優、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より最強コンビが語り下す戦略、情報術領土・民族・資源紛争、金融危機、テロ、感染症。これから確実にやってくる「サバイバルの時代」を生き抜くためのインテリジェンス。<読む前の大使寸評>やや古くなった新書であるが、内容はそんなに陳腐化していないようです。rakuten新・戦争論朝鮮との歴史的関係、インテリジェンスを、見てみましょう。p180~184<■日本vs.朝鮮、1対1の戦争はなかった>池上:中国にとっては、北朝鮮の労働力も、地下資源も魅力です。さらに韓国もどんどん中国寄りになってくるから、朝鮮半島がまるごと自分の属国になるという戦略を描いていたわけでしょう。それが不思議なことに、北は離反するような動きを見せ、南が属国になりつつあるという、南北が入れ替わるような様相を呈してきました。佐藤:韓国の朴槿恵大統領からすれば、中国がいかに怖いかは自分たちが一番よく知っている、というのではないですか。ロシアやアメリカや日本は、中国の本当の恐ろしさを知らない。朝鮮民族が中国のすぐ傍にいながら同化されずにやってこれたのは、決定的な喧嘩をしなかったからなんだ、と考えているはずです。歴史をふり返ると、日本と朝鮮が単独で戦争したことはないのです。池上:その通りだ。元寇のときだってそうです。佐藤:元と高麗の連合軍ですから。これは、元韓国大使の小倉和夫さんの『日本のアジア外交』の指摘を読んで初めて気づいたのですが、日本が戦ったのは、いつも中朝連合軍。歴史上、一度も、朝鮮半島の単独政権と戦ったことはない。「過去2000年近くの間に、日本と中国は、五回戦争を行なった。唐と日本の戦争(白村江または錦江の戦い)、元寇、明軍との戦い(秀吉の朝鮮侵攻と明の介入による戦闘)、19世紀の日清戦争、1930年代以降の日中戦争の五回である。 これらの戦争の背景を分析してみると、現代の世代が世代が教訓として学ぶことが、すくなくとも三つあることにきづく。 一つは、いずれの戦争も、その始まりは、朝鮮半島における勢力争いだったことである。1930年代の日中戦争は、満州の権益の問題が、導火線であるようにも見えるが、その背後には、日本の朝鮮半島支配の安定化という、歴史的流れがあった。 このことは、朝鮮問題についての日中対話が、現在及び将来において、いかに重要であるかを物語っている」(『日本のアジア外交 二千年の系譜』藤原書店) そう考えると、やはり中国といかにうまくやるかということが、韓国の生き残りにとっては死活問題になります。朴槿恵はそう気づいているのでしょう。池上:中国が経済力においても軍事力においても強くなる一方、アメリカの力は弱くなっています。北朝鮮の核開発も、結局、アメリカには止められなかった。韓国の安全保障は、アメリカではなく中国に頼んだ方がいいと思っているかもしれません。 2009年、日本と韓国は安全保障上の関係強化のための軍事協定を結ぶ方向で協議を進めていましたが、調印のわずか1時間前に韓国がキャンセルしました。中国から「日本と新たな軍事協定を結ぶな」と脅されたのです。朝鮮戦争では、多くの韓国人が中国軍によって殺されています。本来なら中国に謝罪要求や責任追及をしてもいいはずですが、中国に対してはそんな感情を抱いていない。これが韓国の「事大主義(小が大につかえる)」ですね。韓国は、歴史上、長い間、中国に「事大」し、中国の臣となることで生き延びてきましたから、今も大国・中国の懐に抱かれているのが、心地よいのでしょう。<■中・朝「歴史戦争」が始まる>佐藤:つまり東アアジアの秩序が、冷戦よりもはるか昔に戻っているのです。歴史になぞらえると、南北朝鮮は、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることもできます。あるいは、北朝鮮が渤海だと考えたほうがいいかもしれません。新羅は中国に朝貢していましたが、渤海は日本に朝貢していました。朝鮮半島に統一王朝がない状況で、渤海がなぜ日本に安全保障を求めて来たのか。 金正恩政権になったとき、北朝鮮のポータルサイトの「ネナラ」に変わった論評が出ていました。「遅れた日本に文化を伝えた渤海」というのです。そこには、天皇から衣冠をもらった人など、日本に朝貢していた人の名前が挙げられていました。これは明らかに日本へのシグナルです。北朝鮮の渤海化がいま起きているのかもしれません。 あるいは韓国が新羅と化しつつある。同じ朝鮮半島の国といっても、韓国と北朝鮮は、三国の時代から、もともと違うのであって、だからこそ南北の分断もこんなに長く続くのだ、と言いたいのかもしれない。 金正日が金日成総合大学の学生時代に書いたという、三国時代に関する歴史論文があります。朝鮮半島の統一は、高句麗、新羅、百済、の三国のうち、新羅が主になったと言われてきたが、実はそうではなく、高句麗が主であって、新羅は中国に隷属して自主性のない国だったという内容です。 この論文が企画しているのは、北朝鮮による歴史の書き直しです。その結果、中国とも論戦になりました。中国は、高句麗を「朝鮮民族の国」ではなく、「中国の地方政権」と位置づけているからです。いずれにせよ、金正日論文の図式からすると、韓国人と朝鮮人は、もともと別なのだという見方も出てくるのかもしれません。実際、言葉は、いまや南北で少し違ってきています。 国際的に似た例としては、マケドニア語とブルガリア語があります。歴史的言語としてはほぼ同じですが、ユーゴスラビアとブルガリアに分かれているうちに、別言語の扱いになりました。あるいは、ルーマニア語とモルドバ語も、本来、まったく同じ言語なのに、モルドバ語がロシア語と同じキリル文字に変えた後に、またラテン文字に戻しましたが、ルーマニア語とは、別言語の扱いになっています。池上:人名の「李」さんも、北では「リ」と読むのに、南では「イ」と読みますね。ですから前韓国大統領・李明博は、「イ・ミョンバク」になる。『新・戦争論』1
2019.04.14
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竹中平蔵さんがインタビュー欄で「脱デフレは本気か、疑わせた消費増税、物価観変えられず」と説いているので、紹介します。(竹中さんへのインタビューを4/13デジタル朝日から転記しました)平成経済はバブル崩壊で始まり、いくどかの金融危機にも見舞われた。日本が世界第2位の経済大国から転落していく歴史でもあった。低成長社会のままではいけないのか。経済政策運営には問題があったのか。小泉政権で経済政策の司令塔を長く務めた東洋大学教授の竹中平蔵さんの視点から、平成がどう見えるのかを聞いた。Q:平成の30年間を振り返るとどんな時代でしたか。A:激変の時代です。ただし中身はまだら模様。いい時も悪い時もあった。2年目以降を五つに区分すると、(1)戸惑いの7年(1990~96年)(2)危機の5年(97~2001年)(3)改革の6年(02~07年)(4)最も失われた5年(08~12年)(5)再挑戦の7年(13~19年)です。平成は元年(89年)暮れに株価が、その2年後に地価がピークを打ち、バブル経済が崩壊して始まりました。最初は社会全体として何が起きたかわからず戸惑った。バブルという言葉はあったがあまり使われておらず、『複合不況』と言われた。みな、もうひと山くればと考え、バブル崩壊の深刻さを理解できなかったのです。Q:それが長い低成長時代の幕開けでした。ただその後も、ほどほどの実質成長はありました。人口減少、超高齢化のもとではけっこう健闘したのではないですか。A:もちろん経済の成熟、所得水準の向上とともに成長率が落ちるのは当然です。でも日本より所得水準が高い国、例えば米国などより成長率が低いのはおかしい。成長率は1年では小差でも5年、10年たつと大きな差になる。1人当たりの所得水準で日本は最も高いスイスの半分以下。日本人はそれでもいいんでしょうか。 10年ほど前から世界は第4次産業革命に入り、米国でGAFA(グーグルやアマゾンなど)のような企業が台頭しました。日本ではバブル崩壊に戸惑い、改革を十分にやらなかった。そういう企業が出てこない。先進国にキャッチアップする努力を忘れてしまった。その状況認識なしに次の時代につなげることはできません。Q:むしろキャッチアップされる側になったのでは。A:ある面ではそうです。例えば都市環境。東京圏は3500万人も住むのに、こんなに空気も水もきれい。社会資本が充実している。ただ一方で、産業は競争力を失っています。平成初期に企業の時価総額ランキングで世界トップ10に日本の企業名は7社あったが今は50位内でも数えるほどです。 この8年で世界で最も成長した産業は、私はライドシェア(相乗り)だと思う。米ウーバーが誕生し、企業価値は今、7兆円となって日本のメガバンクより大きい。中国でもシンガポールやインドネシアでも、ライドシェアの企業が急成長している。日本ではタクシー業界の反対でそういうベンチャーが生まれません。これは政策の責任です。 ■ ■Q:平成は「デフレの時代」とも言われます。物価が上がらないのはいけないことですか。A:物価が下がると大変なことになるというのが平成の教訓です。なぜなら売り上げや賃金が下がっても債務は減らない。デフレは相対的に債務を大きくしてしまう。これでは住宅ローンも組めない。デフレこそ不況の元凶だ、という認識を安倍内閣がもったのは正しかったと思います。Q:デフレと言っても物価上昇率はマイナス1%にもならず、ほぼ横ばいです。見事に物価が安定した社会のようにも見えますが。A:日本がゼロインフレ、米国が2%インフレなら、30年で米国の物価は日本の2倍以上になります。それだけ名目国内総生産(GDP)で差が付いてしまう。Q:日本銀行が超金融緩和を6年続けても2%の物価上昇目標は達成しません。目標が誤りでは。A:14年に一時、1・5%まで上昇しました。その後、また下がったのは消費増税のせいです。やるべきではなかった。政府と日銀が強いコミットメント(約束)を示すことで、市場の物価観を変えることができたのに、増税したために、人々から政府は本気じゃないと思われてしまったのです。Q:消費増税をしなかったら、財政状況はもっとひどくなっていました。それでいいのですか。A:歳出を減らせばいいんです。かつて日本の公共事業費はGDP比で欧州の3倍くらいありました。それを小泉政権は半分に減らした。歳出にキャップ(上限枠)も設けた。それがリーマン・ショックを機に外されてしまいました。そうなると、増税したら歳出も増やしていいという気にさせてしまう。しかも08年度まで80兆円台前半だった国の一般会計の歳出は100兆円にジャンプアップした。危機対応の一時的支出なら、その後は減らすべきでした。しかし続くどの政権も減らしませんでした。 ■ ■Q:竹中さんが経済司令塔となった小泉政権の歳出抑制路線で、日本の教育や公共事業、防衛など社会保障以外の予算はすでにGDP比では先進国で最小規模です。A:社会保障費が増えているのはまだ無駄があるということ。例えば大企業の社長にまで年金が出ている。政府がやらなくてもいいことは民間に任せればいい。わかりやすいのは空港。所有権は国でも、運営権は民間に与える。その分、お金が入ってくるので耐震化もできる。それが建設需要になり資本のリサイクルになります。Q:かつて竹中さんがめざした「小さな政府」がここまで実現しているというのに、もっと小さい方がいいというのですか。A:小さな政府をめざしたのではなく、政府の規模が大きくなるのを阻止しようとしただけです。政府規模を決めるのが政治です。スウェーデンのような大きな政府にしようという政党があっていいし予算を削れという政党があってもいい。今はどの政党もそこを明確にせず、困っているから何とかしろというだけ。 今のままだと社会保障費が膨らみ、消費税率は30%でも足りなくなる。そんな高負担に耐えられません。個人的には米国の大都市並みの10%くらいがいいと思う。ただ10月に予定されている消費増税には反対です。手順としてはまず歳出改革、社会保障改革が先。消費税を高齢者のために使うのもまちがっています。若い世代にもっと使わないと。Q:豊かな者が富めば貧しい者にも富が滴り落ちる、という「トリクルダウン」路線は結局、機能しなかったではないですか。A:私はトリクルダウンと言ったことはありません。富は天からは降ってこないのです。しかし株を買う人が増えて株価が上がれば、年金基金の価値は増大します。地価が上がれば多くの不動産所有者に波及効果がある。それぞれに意味はあるのです。 ■ ■Q:日銀がETF(上場投資信託)を買い上げ、株価の底支えまでするのはやりすぎでしょう。A:大胆な金融緩和をもっと早くやっていれば、そんなことにならなかった。デフレ危機が深くなってから始めたので、コストの大きな政策をやらざるをえなくなったのです。 平成の経済政策運営で、一番罪深いのは日銀です。小泉政権のとき、金融緩和を積極的にやってもらうため、私はインフレ目標の導入を求めたが、拒まれました。(市場に大量の資金を供給する)量的緩和を06年に解除したのも誤り。金融政策のタイミングを間違えていました。Q:ゼロ金利や量的緩和の解除がすべて誤りだとしたら、金融政策で引き締めなど一度もできなくなってしまいませんか。A:もちろん引き締めが必要なタイミングもありました。言いたいのは日銀の責任が極めて重いということ。政府は法律1本通すのに2年かかるが、日銀は2日間の会合で政策を決められる。それだけ特権が与えられているのです。金融は難しく、すぐに判断が必要なのでプロフェッショナルでないとできない。にもかかわらず日銀の政策委員は世界的なレベルでいうと専門家が少なすぎます。 「黒田東彦(はるひこ)総裁には同情します。期待にあふれた金融緩和から懸念を抱えた金融緩和になった。それでもやめるわけにいかず辛抱の時代になった。銀行の利ざや、財政赤字の規模に配慮しながら、非常に狭いところをギリギリ続けている。助け舟を出せるのは政府だけ。思い切った規制緩和で経済を活性化することが必要です。Q:これからどんな時代になりますか。A:未来への分かれ道です。日本の潜在成長率は非常に低くなった。これを放置したら長期停滞になってしまう。社会保障の負担もできなくなり、相当みじめな社会になる。思い切った改革が求められます。安倍内閣は目の前の経済を良くするためのことはしっかりやってきました。ただ、次の時代を良くするためのこと、つまりは財政再建も、社会保障改革も、エネルギー改革も、残された課題です。 潜在力を生かせる日本をつくれるのか、あるいは高齢化や人口減少の影響でみじめな社会になるのか。これからが、深刻な分かれ目の時代です。 (聞き手 編集委員・原真人) *竹中平蔵:1951年生まれ。慶応大学教授などを経て、小泉政権で経済財政相、金融相、総務相などを歴任。近著に「平成の教訓 改革と愚策の30年」。(平成から令和へ)長期停滞の危機.txt竹中平蔵2019.4.13この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR10に収めておきます。
2019.04.14
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