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グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。 このたびグレゴリさん初期の『グ印亜細亜商会』を読んでいるのだが、亜細亜に溺れるテイストがええでぇ♪ということで、グレゴリさんの本を集めてみました。・グ印亜細亜商会(2003年刊)・夢を吐く絵師・竹中英太郎(2006年刊)・『外地探偵小説集 上海篇』(2006年刊)・グ印関西めぐり(濃口) (2007年刊)・薄幸日和(2014年刊)R1:『グ印亜細亜商会』を追加【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会『グ印亜細亜商会』2:陳澄波の≪嘉義街景≫『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎***********************************************************************グレゴリ青山は朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていたが、たいして気にしてなかったわけです。ところが、朝日の「竹中英太郎への旅 グレゴリ青山展」の記事に、グレゴリ青山と竹中英太郎のイラストが出ていて・・・見直したというか驚いたのです♪旅、昭和レトロ、探偵小説を通じて、グレゴリ青山と竹中英太郎の時を超えた感応が絶妙で・・・とにかく、お二人の妖しい雰囲気のイラストがええわけです♪【夢を吐く絵師・竹中英太郎】鈴木義昭著、弦書房、2006年刊<「MARC」データベース>より江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作に寄り添い、妖美、怪奇な画風で時代の寵児となった英太郎は、突然絵筆を折って満州に渡り消息を絶つ。その叛逆の青春、息子・労との戦後までを活写する。<読む前の大使寸評>★【記念館オープン十周年記念展開催中】竹中英太郎は昭和の挿絵画家【山梨湯村】で竹中英太郎の作品を見たが・・・ええでぇ♪Amazon夢を吐く絵師・竹中英太郎***********************************************************************【『外地探偵小説集 上海篇』】藤田知浩編、グレゴリ青山画、せらび書房、2006年刊<出版社説明>よりオールド上海、そこは東洋と西洋の合わさった巨大国際都市。賭博、娼婦、麻薬といった悪習がはびこり、秘密結社や秘密機関が跋扈する危険な街……。忘れられた〈外地〉を舞台とするミステリ・アンソロジー、満洲篇に続く第二弾が登場。オールド上海を舞台にした九編の探偵小説に加え、巻頭にガイドとして、編者・執筆、グレゴリ青山・イラストによる「探偵小説的上海案内」を置く。日本の探偵小説がとらえた"魔都"の正体とは!? <読む前の大使寸評>青山は専門学校を中退し中国への一人旅を敢行したそうで、この本のイラストを描くうえで、素質十分の人物なんだろう♪serabishobo『外地探偵小説集 上海篇』***********************************************************************【グ印関西めぐり(濃口) 】グレゴリ青山著、メディアファクトリー、2007年刊<商品説明>より「KANSAI Walker」の人気連載マンガが、待望の単行本化!京都で生まれ育ち、大阪で古本屋さんのバイトを経験し、和歌山の山奥で2年ほど生活していたこともあるグレゴリ青山による、超ディープな関西ガイド。大阪のウメチカ(梅田の地下街)、銭湯マニアとめぐる京都の旅、船舶画伯にガイドしてもらう神戸港、滋賀の草津にもある温泉などなど、グレゴリ青山独自の視点から見たおもしろ関西をご紹介します。<読む前の大使寸評>グレゴリ青山による、超ディープな関西ガイドとのこと・・・興味深々でおま♪この本は、アマゾンの古本で汚れなし309円というのがあったので、速攻で注文したのです。古本の場合は、古本屋から発送するので最速でも5日ほどかかるようです。rakutenグ印関西めぐり(濃口) ***********************************************************************【薄幸日和】グレゴリ青山著、小学館、2014年刊<商品説明>よりグレゴリ青山、ストーリーまんが最新刊!! 日常の小さな片隅に潜む”薄幸”それを探して人は旅をする。転校先でいじめに遭っていた夕子。その夕子に手を差し伸べた不思議な同級生・薄井幸子。幸子は、生八つ橋に人生の機微を読み解く謎の少女だった。<読む前の大使寸評>グレゴリ青山のストーリーまんがとやらを見てみたいものです。rakuten薄幸日和アホなイラストばっかりではなかったのか♪・・・とにかくグレゴリ青山ワールドにはまったのです。勝手に関西遺産14:大阪環状線、全駅違う発車メロディ勝手に関西遺産13:ごまめの歯ぎしり
2019.10.31
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「ニッポン国」でしょうか♪<市立図書館>・内乱の予感・パステル画のテクニック<大学図書館>・バルトン先生、明治の日本を駆ける!・伽耶から倭国へ図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【内乱の予感】島田雅彦著、朝日新聞社、1998年刊<「MARC」データベース>より誰もが持っているもう一つの名前を、普段、彼は夢の中にかくまっておく。他人事ではないミステリー、狙われているのは君だ。殺し屋はなぜ殺しをためらったのか…。著者初の長編ミステリー。<読む前の大使寸評>追って記入amazon内乱の予感【パステル画のテクニック】立花千栄子著、誠文堂新光社、2012年刊<商品説明>よりパステルの技法から用具、基本的な塗り方、画材の併用のしかたまで、パステル画のテクニックを、イラストレーターが写真つきで分かりやすく解説する。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパステル画のテクニック【バルトン先生、明治の日本を駆ける!】稲場紀久雄著、平凡社、2016年刊<「BOOK」データベース>より謎に包まれたバルトン先生の全貌解明!帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、日本初のタワー・浅草十二階の設計を指揮、さらに写真家として小川一真の師でもあったバルトン先生。彼の貴重な写真も多数収録。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenバルトン先生、明治の日本を駆ける!【伽耶から倭国へ】金達寿×平野邦雄、他著、竹書房、1986年刊<「BOOK」データベース>より古代史の焦点・加耶(かや)とは?朝鮮半島との関係を抜きに日本古代史は語れない。いにしえの天皇家はどこから来たのか。「任那日本府」なるものはどんな実態と意味を持っていたのか。「加耶(かや)」、それは閉ざされた日本の古代の扉を開くカギ。実際に研究者たちは加耶の古地から九州へと古代の道を歩いた。<読む前の大使寸評>徴用工問題で、お互い上げた拳の下ろしどころがないような日韓関係であるが・・・この際、日韓関係を古代史にまで遡ってみたいと思ったのです。amazon伽耶から倭国へ************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き404
2019.10.31
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図書館に予約していた『日本が売られる』という新書を、待つこと9ヶ月ほどでゲットしたのです。この新書は買って読もうかと思ったが、図書館で半年待って読めるとふんだのが甘かったようです。よくあることでおます。【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>この新書は買って読もうかと思ったが、図書館で半年待って読めるとふんだのが甘かったようです。よくあることでおます。<図書館予約:(2/05予約、10/26受取)>rakuten日本が売られる「働かせ方法案」について、見てみましょう。p138~141<どんなに働いても違法にならないワケ> 「二度と働きすぎで命を落とす人が出ないよう、決意を持って働き方を改革する」 電通社員の自殺が過労死認定された時、安部総理は神妙な表情でこう宣言した。 日本国憲法第27条2項には、「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」とある。 だが国内の過労死件数は、毎年増大中だ。2018年7月6日に厚労省が発表した2017年度の過労死労災請求件数は、前年より161件増の2572件で過去最多、1日7人以上が、脳や心臓疾患、精神障害で労災となっている。 国連からも強く非難されている『蟹工船』のような環境がまかり通っているのだ。 それから間もなくして、総理は自らの宣言を行動に移し、日本人の働き方が改革された。 今後、過労死認定される労働者の数は、間違いなく減ってゆくだろう。 どれだけ働きすぎても、これからは合法になるからだ。 2018年5月31日。 衆議院本会議で「働き方改革法案」が可決された。 数々の問題が指摘されていた上に、厚労省がデータを捏造するなど法案決定プロセスもめちゃくちゃだったこの法案、特にその中の「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)は、極めて危険な内容なので、日本中のサラリーマンは絶対に知っておいた方がいい。 労働者の命と健康を守る「労働時間の規制」が、事実上なくなるからだ。 会社はあなたを4週間で4日間休ませれば、残り24日間は24時間働かせても合法になる。 もはや長時間労働が原因で死んでも「過労死」とはみなされないので、統計上の「過労死」が減るという、まさに雇う側と政府の両方いとっては一石二鳥の法律だろう。「高プロの対象は年収1075万円以上で専門分野の人でしょう。自分は関係ないです」と思っているといたら、ちょっと待ってほしい。 この法律は多くの国民に重要部分が知られておらず、かなり誤解されているからだ。 まずこの法律には「年収1075万円」という数字は、どこにも書いていない。 「厚労省の決めた基準平均給与の3倍+若干色をつけた額」がそのくらいという意味で、この金額は国会を通さずに厚労省が好きなように決められる(10円でもOKだ)。 しかも基準給与は、実際もらう給料ではなくもらえる見込みの額なので、例えば1000万円で契約した後、会社から押し付けられた大量の仕事が半分しか終わらずその分給料を半額にされても、あなたは「高プロ」の対象なので、残業代はなしだ。 そんなのおかしい、許されるはずがない! 一体なぜだ? とあなたは思うかもしれない。 これについては、この法案の旗振り役だった、産業競争力会議の竹中平蔵氏がわかりやすく説明してくれている。「時間内に仕事を終えられない生産性のひくい人に、残業代という補助金を出すのは、一般論としておかしいからです」 竹中氏を含め、メンバー全員が大企業役員で構成された政府の産業競争力会議も、もちろん全員一致で同じ考えだ。 共にこの法案をプッシュした経団連と前厚労大臣も、「対象年収はやはり400万円まで下げるべきですなあ」などと言っており、給料が高い低いにかかわらず、とにかく無能な社員に残業代を出すこと自体が間違いだという。 代わりに「時間でなく成果で評価する」高プロを入れれば、そういう社員の生産性が上がるだろうというわけだ。『日本が売られる』1
2019.10.31
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図書館に予約していた『日本が売られる』という新書を、待つこと9ヶ月ほどでゲットしたのです。この新書は買って読もうかと思ったが、図書館で半年待って読めるとふんだのが甘かったようです。よくあることでおます。【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>この新書は買って読もうかと思ったが、図書館で半年待って読めるとふんだのが甘かったようです。よくあることでおます。<図書館予約:(2/05予約、10/26受取)>rakuten日本が売られるなぜかアメリカの要求に弱いニッポンの各種規制について、見ていきましょう。p56~60<世界は続々とネオニコチノイド禁止へ。日本は?> 農薬メーカーの手は、巨大市場であるヨーロッパにも伸びている。 2008年にEUでネオニコチノイドが認可された時、欧州委員会消費者保護部門が根拠として提出した報告書の骨子を作っていたのは、化学薬品生産メーカーである世界最王手「バイエル社」だった。 その後、複数の市民団体や独立した第三者研究機関が再検証すると、危険性を示す実感結果が明らかになる。欧州委員会の自作自演に激怒した彼らは世論に訴え、関係者にしつこく見直しを働きかけ、EUの農薬政策は大きく方向転換させられることになった。 2013年12月。 EUは、欧州食品安全機関(EFSA)の、「一部ネオニコチノイド系農薬に子供の脳や神経などへの発達性神経毒性がある」との科学的見解に基き、安全性が確定するまで、ネオニコチノイド系農薬を主成分とする全殺虫剤の使用を一部禁止した(その後2018年に全面禁止)。 このEUの決定を受け、他の国も次々に後に続いてゆく。 スイスはすぐにEUと同じ内容で一部使用禁止(その後全面禁止)、翌年2014年には韓国とオランダが禁止を決定する。 2015年にはブラジルが綿花の開花時期に畑の周りでネオニコチノイドを使用することを禁止、カナダは2015年、16年、17年と3年かけて段階的に使用禁止にし、台湾では2017年に一部禁止、かつて日本で冷凍毒入り餃子や残留農薬が凄まじい冷凍インゲン(基準値の3万4500倍)が大騒ぎになったあの中国ですら、習近平になってから農薬の規制強化と禁止を具体的に進め始めた。 もっと素早い国もある。 すでにフランスは2006年に使用を、ドイツは2008年に販売自体を禁止していた。 養蜂家たちの働きかけで2008年からトウモロコシのネオニコチノイドの種子処理を禁止したイタリアでは、年々増えるミツバチの大量死がパタリと止まったという。 相変わらず農薬メーカーと二人三脚のアメリカでは、一つの州(2016年にメリーランド州が禁止)を除き、一種のみの一部規制と新規登録停止以外は、全土で使用され続けている。 では日本はどうだろう? 前述した山田敏郎教授(当時)が2013年に発表した実験結果でも、諸外国と同じ結論が出た。 致死量でない低濃度でも、ネオニコチノイドが残留いた餌を食べたり汚染された水を飲んだりしたハチは帰巣本能を失い、群れが崩壊する。念のため濃度を100倍に薄めてみたが、12週間後には死滅したという。これは見過ごせない結果だった。例えばブドウ一つとってみても、日本人は安全基準値がヨーロッパの500倍という濃度で、ネオニコチノイドを体内に入れているのだ。 山田教授はこの実験データを示し、ネオニコチノイドの削減を呼びかけた。 2010年には日本農業新聞が、北海道など全国22ヶ所でのミツバチ死滅被害報告を発表、ハチの死骸の92%から、ネオニコチノイド農薬が検出されている。 だが米国のミツバチ大量死現場を視察した日本政府が出した結論は、福島第一原発事故後に国民が繰り返し聞かされたのと同じ、あの台詞だった。「ミツバチの大量死の原因は、ストレスです」 そして日本政府のお墨付きを得たネオニコチノイド農薬は、猛スピードで使用量が拡大してゆく。<日本は野菜40種のネオニコ残留基準を大幅に緩和> 2013年10月。政府はほうれん草、白菜、カブなど40種の食品の、ネオニコチノイド系農薬「クロチアニジン」の残留農薬基準値を最大2000倍に引き上げた。クロチアニジンは、独バイエル社と住化武田農薬の2社が特許を持っている。今回その製造と販売をする住友化学から基準値引き上げの要望を受けた農水省が改定を申請し、厚労省医薬食品局の食品安全部基準審査課が然るべきデータをもとに安全審査を行ない、基準値を変更したという。
2019.10.30
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図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊<「MARC」データベース>より名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。<読む前の大使寸評>おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪amazon歴史の中で語られてこなかったこと付喪神民俗学とは何か?、ということなんですが。p157~160<民俗学と民具学の「不幸」> 網野:最近、宮田さんは柳田民俗学の批判的発展という観点から、都市民俗を取り上げておられますが(『都市民俗論の課題』未来社)、民具と職人の問題とも関連してくると思うので、ご自身の最近の構想や今後の日本の民俗学がどうあるべきかについてのお考えをお聞きしたいのですが…。宮田:今おっしゃった民具の問題で、最近、小松和彦さんが付喪神という妖怪を取り上げている。つまり道具の化け物ですね。それを室町時代のデータで説明しているんです。民俗学の例からも道具にともなう霊的なものがあって、妖怪になってあちこちに出現する例があるんです。 家の中の器材はお膳とかお椀が多いんですが、それが踊りだすというのは特別な霊力が働いたことになる。柳田さんは、膳椀を作った職人は山の民で、彼らが農民の日常の場に入ってきた。そして朱塗りのお膳や椀が家の宝になる。椀貸し伝説を背景に持った木地屋の力が背景にあることを指摘している。 山人の作ったものが里に入ってくると、里の人間はそれらに対して畏怖感を持つ。道具そのものに対して霊的なものを感ずれば、それを家財として文献に残しておかなくてはならないということになる。そこで記録に残すわけです。無用なものは捨ててしまうわけですが、道具が保存されると、それにともなって器物の霊力が妖怪となり、つくも神という名称を持つわけです。これはものと人間の精神史を考えるうえで需要なデータだと思われます。 問題が民俗学と民具学の共通の話題となって出てくるわけです。柳田民俗学と民具学は、組織が別であったという因縁がそのまま今でも続いていてはよくないわけですよ。それが解消されていくような研究課題が設定されなければならない。 ものを知らない民俗学と、カミをぬきにした民具学という割り切り方でいくのは、そもそも不幸だと思います。そういった方向がなくなっていく可能性はあるのではないか。若い世代も生まれつつあるという気がうるわけですがどうでしょう。河岡さんや網野さんがもっとラッパを吹かれるといいのでは(笑)・・・。 民俗研究全体いえば、何が中心なのかわからない状態ですから、民具学の柱をしっかりたてる必用があると思います。私が都市を問題にしているのもまったく同じことでありまして、あまり深味のある言い方ではないんですが、都市を研究することいよって従来の民俗学だけではなく、いろんな学問と一緒に議論できるような場になっていくという、そういう意味で都市をもちだしています。 もともと私は民間信仰にひかれている傾向が強いですから、いつも生産関係をぬきにして原始・古代から現代まである、という言い方をするためによくお叱りをうけます。これは民俗学全体に対する歴史学からの批判でもありますけれども…。ですから民俗学だけならいいけど歴史学の方には余り口バシを出すな、というふうに育てられてきたわけです。ウーム あとからスタートした民具学などは、いろんな学際領域からのイジワルに耐えながら発展してきたようですね。一方で役人の権威を利用した柳田民俗学には批判がつきまとったようです。よう知らんけど。『歴史の中で語られてこなかったこと』2:「コメと日本人」p229~234『歴史の中で語られてこなかったこと』1:タタラ集団・巫女・エボシ御前p16~19網野:宮田:
2019.10.30
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図書館で『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』というムックを、手にしたのです。シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。【シルクロード(ナショナルジオグラフィック)】ムック、日経BP出版センター、2004年刊<「BOOK」データベース>より果てしない砂の海、タクラマカン砂漠。天を突くような峰々がそびえ立つパミール高原。広大な中央アジアの大地を、東から西へ、西から東へと、ラクダや馬でたどった旅人たちの行く手には、いくつもの自然の要害が立ちふさがった。その道を、絹はいつ頃どのように西へ運ばれたのか。東の中国と、はるか西方のヨーロッパ世界とを結んだ絹の道「シルクロード」。隊商やマルコ・ポーロたちの残した足跡と、そこに暮らす様々な人々の生活の記録を、「ナショナルジオグラフィック」誌の100年の記事から紹介する。<読む前の大使寸評>シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。amazonシルクロード(ナショナルジオグラフィック)莫高窟1951年の敦煌を、見てみましょう。p70~73<仏教の聖地・敦煌 石窟に眠る1000体の仏像:フランク・ショー>西へ向かうシルクロードは、仏教遺跡で有名な敦煌の近くで二手に分かれ、その先は過酷な砂漠と山岳地帯となる。旅人たちはこの町で行く手の安全を祈願し、やがて敦煌は仏教の聖地となった。崖に500もの石窟が掘られ、それぞれ仏像や壁画で埋め尽くされた敦煌の莫高窟は、宗教美術の一大ギャラリーだ。(1951年3月号) 2000年の昔、世界の文明の中心がまだ東方にあった頃、中国の財宝は長大なシルクロードを通ってインドへ、ペルシャへと運ばれていた。古代中国の都、長安(現在の西安)から西へ延びるシルクロードは、甘粛省の玉門の辺りで万里の長城に別れを告げる。 厚い城壁に囲まれた敦煌の町から少し西に進むと、絹の道は二手に分かれる。一方は北西へ向かい、ゴビ砂漠を抜け、ハミやトルファンを経由してペルシャ(現イラン)へと続く。もう一方は南に向かい、ロプノール砂漠を抜け、水もない土地をホータンへ、さらに山岳地帯を越えてインドへと続く。だから敦煌は、隊商の一行が食べ物と水を補給し、休息できる最後の町だった。 キリストの生誕から400年後、敦煌を通る商人たちの間では、新しく生まれ活気のある仏教が信仰を集めるようになっていた。人々は自然と敦煌の町で足を止め、祈りを捧げるようになっていった。彼らの行く手には危険な長い旅が待っているからだ。 敦煌の城壁から20キロほど先の鳴沙山と三危山の間の峡谷で、仏教僧たちは川岸の崖に大きな石窟を開き、その中に寺院を建立した。高さ60メートルほどの崖に、1・5キロ以上にもわたって数多く石窟を掘ったのだった。 4世紀半ば、ある商人が絵かきを雇って小さな窟に装飾を施し、僧に旅の安全を祈願させたのが始まりだった。その後1000年以上にわたって、500もの石窟が仏陀と弟子たちを描いた壁画や像で埋め尽くされた。そして熱心な仏教徒たちは、人里離れたこの地に巡礼に訪れるようになった。これが敦煌の莫高窟である。 この50年間、欧米の探検家らによって、経典などが略奪されてしまったが、石窟の多くは今も無傷のまま残されている。ここはまさに東洋の宗教美術の宝庫で、知られざる世界の不思議の一つである。1948年の夏、妻のジーンと私は莫高窟を見に行くことにした。中国には3年間滞在したが、西北部の辺境の地へは足を踏み入れたことがなかった。 敦煌の向こうには、今や共産党の支配下にある新疆がある。その都ウルムチまで飛行機で飛び、陸路を戻る途中で莫高窟を見ることに決めた。ウルムチに1ヵ月滞在した私たちは、政府の公用トラックで町を後にした。ウルミチからトルファン、ハミ、そして中国領の西部では大きな町、安西を経て、ようやく敦煌に着いた。 敦煌の町を出て車で砂漠を横切り、石窟へ向かった。しばらく走ると、しっくいを塗った居住区へ入った。2部屋のアパートの壁いっぱいに、石窟の壁画の模写が描かれていた。 翌朝、朝日が偉大な崖を照らし出すところを見ようと、早起きして石窟まで歩いた。崖の表面はほとんど色あせた壁画で覆われていた。古代から残る木製の通廊が三重、そこが窟への入り口だと分かった。たくさんある崖の窪みには、小さな仏像が収められていた。<日本人も手本とした唐代の絵> 幸か不幸か、“修復”作業は資金不足で滞っており、美しくあせた色合いが、派手な色で塗りつぶされずに残っていた。砂漠の乾いた空気のおかげで、保存状態は非常によく、日光を浴びていない石窟内の壁画は今も色鮮やかだ。外壁に描かれたものは柔らかい色合いになり、砂漠の砂の色と美しく溶け合っていた。『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』2:ラクダの隊商『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』1:さまよえる湖
2019.10.30
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図書館で『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』というムックを、手にしたのです。シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。【シルクロード(ナショナルジオグラフィック)】ムック、日経BP出版センター、2004年刊<「BOOK」データベース>より果てしない砂の海、タクラマカン砂漠。天を突くような峰々がそびえ立つパミール高原。広大な中央アジアの大地を、東から西へ、西から東へと、ラクダや馬でたどった旅人たちの行く手には、いくつもの自然の要害が立ちふさがった。その道を、絹はいつ頃どのように西へ運ばれたのか。東の中国と、はるか西方のヨーロッパ世界とを結んだ絹の道「シルクロード」。隊商やマルコ・ポーロたちの残した足跡と、そこに暮らす様々な人々の生活の記録を、「ナショナルジオグラフィック」誌の100年の記事から紹介する。<読む前の大使寸評>シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。amazonシルクロード(ナショナルジオグラフィック)ラクダの隊商を、見てみましょう。p80~83<ラクダの隊商に加わって内モンゴルから新疆へ:オーウェン・ラティモア>古代から中世にかけて、絹など中国の産物を、広大な砂漠や険しい山々を越えて、はるか彼方の西洋世界にまで運んだ“シルクロード”。数知れぬ歴史のドラマを秘めたこの交易路を、中国に7年滞在した著者が実際に隊商の一員に加わってたどった。(1929年6月号) 隊商たちのルートは、中国内陸部からモンゴル西部、さらにアジアの中心部、新疆(中国領トルキスタン)へと続く。現代文明とは無縁の、世界でも最も辺ぴな土地だ。その一方で、こうした交易路は、壮大な歴史の物語に満ちてもいる。 今から650年前には、マルコ・ポーロがこの道を旅した。中国で作られた絹は、この道を通って地中海世界やローマ帝国のすみずみに届けられ、逆にギリシャやペルシャ、インドの芸術や文物はこのルートで中国に伝えられた。 約7年の中国滞在を終えた私は、1926~27年に、かつて隊商が通った交易路をたどって、昔のままに旅してみた。北京から汽車に乗り、交易路の起点であるモンゴルとの国境近くのフフホトへ、その後いよいよ新疆を目指した。 この旅で私は大きな隊商に加わった。隊商の一員として、同じテントに寝泊りし、同じ物を食べ、同じ仕事をし、旅を終える頃には服装までほとんど同じになっていた。 隊商はたいてい夜に移動し、昼間はラクダを1ヶ所に集めて放しておく。移動は夕方に始まって深夜に終わり、時間にして7~8時間、距離にして約32キロになる。時間の割には距離が伸びず、結構疲れたが、重量が160キロもある荷物を背負うラクダが時速4キロでしか進めないことを思えば無理もなかった。 夜明けには、この地方の人々がよく飲む、お茶の葉を堅く固めた磚茶を入れて飲む。モンゴルでは、この茶は通貨として使われるほどの価値がある。実際、牛や羊毛がこの茶の塊を単位として取り引きされたり、小額の取引の場合にはその大きな塊を砕いて、かけらを支払いに当てたりする。 私は1日の移動距離のうち、約半分をラクダに乗り、残りを歩くことにしていた。私が乗るラクダ」は衣類を数袋積んでいて、これがクッション代わりになった。歩みの遅さは、私には心地よく、よく聞くラクダによる“船酔い”とは無縁だった。<ゴビ砂漠の“掟”> 隊商流のラクダの乗り方を私はじきに習得した。ラクダをしゃがませてその背中に乗り、荷物を積んだまま立たせると、ラクダの体力を消耗させるので、ラクダが立ったままの状態で、鼻輪についたひもを引いて頭を地面に付けさせ、その背中にまたがるのだ。 ごくまれに、別の隊商とすれ違うことがあった。その折に何度か、彼らに手紙を託した。毎回、謝礼を申し出たが、そのつど丁重に断られた。「それがゴビ砂漠の掟なのさ」と、隊商のリーダーは言った。「お互いさまだよ」 隊商にとって、この「ゴビ砂漠の掟」とは、友情や敵意、幸運や災難など、砂漠の生活で彼らの身に降りかかるすべての出来事を律する言葉であった。結局、私が託した手紙はすべて確実に届けられた。彼らが私を仲間として認めていたことの証しである。『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』1
2019.10.29
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図書館で『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』というムックを、手にしたのです。シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。【シルクロード(ナショナルジオグラフィック)】ムック、日経BP出版センター、2004年刊<「BOOK」データベース>より果てしない砂の海、タクラマカン砂漠。天を突くような峰々がそびえ立つパミール高原。広大な中央アジアの大地を、東から西へ、西から東へと、ラクダや馬でたどった旅人たちの行く手には、いくつもの自然の要害が立ちふさがった。その道を、絹はいつ頃どのように西へ運ばれたのか。東の中国と、はるか西方のヨーロッパ世界とを結んだ絹の道「シルクロード」。隊商やマルコ・ポーロたちの残した足跡と、そこに暮らす様々な人々の生活の記録を、「ナショナルジオグラフィック」誌の100年の記事から紹介する。<読む前の大使寸評>シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。amazonシルクロード(ナショナルジオグラフィック)最初に「さまよえる湖」を、見ていきましょう。p44~46<さまよえる湖の謎 中世の物語を検証する:エルズワース・ハンチントン>筆者は、米国エール大学教授。中国領トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)にあるロプ盆地を探検し、そこに広がる荒涼としたタクラマカン砂漠と、中世の物語に“さまよえる湖”として描かれたロプノール湖を調べた。そして、中世の神話に登場する“砂の海”や“貴石の川”の記述が正しかったことを発見した。(1908年4月号) 中国領トルキスタンにあるロプノール湖がヨーロッパ人によって発見されたのは、わずか30年前のこと。しかし、そのはるか前、中世の英文学の創始者とされる14世紀の詩人チョーサーや先人たちは、すでに私たちと同じくらいこの地方についての知識を持っていたようなのだ。 というのも、チョーサーの詩に、公爵夫人ブランチの美徳を語る一節があり、そこで彼女は多くの崇拝者たちに、こんな優しい処遇をしたことが書かれている。「…彼らをワラキアやプロシアへタタールやアレクサンドリアへそしてトルコへ送ることを望まなかった帽子もかぶらず乾いた海へ行きカレナーレを経て戻るようにとは彼女は命じなかった…」 この詩に登場する「乾いた海」と「カレナーレ」は、詩人チョーサーの知るかぎり最も遠い場所であり、ワラキアやプロシア、タタール、トルコのさらに向こうにある土地だった。 文芸評論家たちは、そこが地理的にどこか突き止めようと、熱心に議論した。そしてJ・L・ローズ教授は、「カレナーレ」が中国領トルキスタンの東端にある小さな塩湖「カレノール」に違いないと主張した。 カレノールは広大なゴビ砂漠にあり、万里の長城の終点から西へ320キロほどの所にある。中央アジアを何度も探検したオーレル・スタイン博士の最近の発見によれば、万里の長城はかつてこの湖の先まで延びていたという。 さらにローズ教授は、詩の「乾いた海」はカレノールから西へ数百キロにあるタクラマカン砂漠であると推測している。あるいは、カレノールとタクラマカン砂漠にはさまれた地域、つまりかつてのロプノール湖の湖床だった広大な塩の平原だとも考えている。夏はすさまじく暑く、冬は寒いこの地域を、詩にうたわれたように「帽子もかぶらず」に訪れる者などいないだろう。 14世紀のチョーサーの時代、ヨーロッパの人々は中央アジアに関する知識を、あの有名な『プレスター・ジョンの手紙』から多少なり得ていた。「プレスター・ジョン」とは、中世ヨーロッパで東方にあると信じられていた半神話的なキリスト教国の王である。12世紀後半、その王からのものとされる手紙がローマ法王に送られ、その内容は300~400年もの間、ヨーロッパ人の関心を集め、その王国探しに無益な努力をする者も多かった。 その手紙に自慢気に書かれた、プレスター・ジョンの広大な領土や威光、そうそうたる従者たちは、すべて架空のものだ。しかし、脚色されてはいても、手紙には多くの真実が織り込まれていた。だから手紙の筆者は、並外れて中央アジアに通じていたに違いない。 プレスター・ジョンの手紙にはこう記されている。「わが国で何より素晴らしいのは、水のない“砂の海”だ。砂は流れ、波打ち、海のうねりのように静まることがない。船でも、その他のいかなる手段でも渡ることができない。一滴の水もないが、岸には他の土地では味わえない美味な多種の魚が打ち上げられる」
2019.10.29
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図書館で『グ印亜細亜商会』という本を、手にしたのです。グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会嘉義街景「第4章 幻町の亜細亜」の「電信柱の画家の街」で陳澄波に触れたあたりを、見てみましょう。要するに、ニッチでかつディープなグレゴリさんの拘りなんですが。p157~162<電信柱の画家の街>■まずは、台北市立美術館 この画集には、嘉義の地図が載っていて、親切にも彼が描いた嘉義の絵の場所が地図上に記してあり、こりゃー嘉義に行った時に役立ちそうだとうれしくなりました。 さらにページをめくっていくと、終わりの数ページには急に“陳澄波興二ニ八”“陳澄波被槍殺時所写的遺書”“陳澄波於嘉義火車站被槍斃時”などというキナくさい漢字が現れてきました。 二ニ八? 被槍殺時? 二ニ八事件といえば戦後の台湾で、もともと台湾に住んでいた本省人と、大陸からやって来た外省人の間に起こった暴動のことだったっけ? そのとき彼は殺されてしまった? なぜ?(中略)■「台湾人」というかき氷屋さんで ぼんやりとその店の白い壁をながめていると、おやっ? 陳澄波の≪嘉義街中心≫と≪調配船廠的風景≫の複製画がかかっているではありませんか。さすが、画家のふるさとだけあって、きっとこの店の主人が彼の絵の愛好者なのでしょう。グはカキ氷を持って来た店主に「陳澄波!」と絵を指して言うと、 へえー…って、ええええ!? おっちゃん、今、とんでもなこと言わへんかったか!?「陳澄波的家!?」「対、ほら、こっち、このあたりが彼のアトリエだったところだよ」 というような身ぶりで、彼は店の奥のドアを開けて見せてくれるのでした。ホントに? マジで? オッちゃん、ほら、見てよこの画集、私、陳澄波のふるさとやっていうからわざわざこの街にやって来たんやから、ということを今から思うと日本語で言ったか英語か中国語で言ったかわからない。 コーフンして、ほとんど半泣き状態になっているグに、おっちゃんは言いました。「じゃあ、今から陳澄波の息子さんに、電話してあげる」 これは夢か? テーブルの上のカキ氷はもう溶けそうになっています。■陳澄波の絵のある部屋で その部屋に入ったとたん、これは夢ではないかと、昨夜から繰り返し自問してきたことを恍惚と繰り返してしまいました。その部屋の壁には、陳澄波の絵の本物や複製が、そこに住んでいる人を見守るようにして並んでいます。しかも目の前にはその画家、陳澄波の長男である陳重光さんがおだやかな顔で座っていらっしゃいます。 徳島県近代美術館でひとめぼれしてしまった陳澄波の絵と、その絵の舞台を探す台湾の旅は、台北市立美術館で≪夏日街景≫の絵に再会でき、画集も手に入れ、≪嘉義街景≫の絵の舞台となった嘉義市の一角にたどりつけたことで、その目的は充分に達せられたことになったはずでした。 ところが、たまたま入ったカキ氷屋が陳澄波の住んでいた場所だったこと、しかも「じゃあ、陳澄波の息子さんに電話してあげる」と言って、カキ氷屋の主人が電話のプッシュボタンを押し始めたことで、現実は、グの目的を軽く越えてしまったのでした。『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎
2019.10.29
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図書館で『グ印亜細亜商会』という本を、手にしたのです。グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会ハルピン ハルビン(哈爾浜)よりハルピンや竹中英太郎に触れたあたりを、見てみましょう。p137~143<第4章 幻町の亜細亜> 舞台は大正9年のハルピン。19世紀末にロシア人が中国に建設したヨーロッパ風のこの街…“キタイスカヤ界隈の豪華な淫蕩気分、フーチヤテンのアクドい殷賑さ、ナハロフカの気味悪い、ダラケた醜怪さ”…の中で、日本兵、赤系白系のロシア人、混血のスパイ、軍と共謀する日本料亭の女将、ジプシーの血をひく露西亜娘が蠢き、陰謀に巻き込まれた主人公は北満に、シベリアに、ウラジオに、そして最後には“氷の涯”へと流れて行くという、“探偵小説が似合う街”どころか、堂々たる“探偵小説の舞台の街”だったのです。(中略) 夢野久作をはじめ江戸川乱歩、横溝正史といった巨星たちの小説に妖気に満ちた挿絵を描き、挿絵画壇の寵児となりながらも、ある日忽然と姿を消した画家がいました。彼の名は竹中英太郎。戦前の探偵小説ファンにとっては伝説的な存在の画家です。(中略) 竹中英太郎はなぜ筆を捨て、そしてどこへ消えてしまったのか・・・と、まるで彼自身が探偵小説の主人公のようですが、これがまさにその通りで、失踪後の昭和11年2月27日の夜、彼はニ・ニ六事件関連の容疑で特高に連行され、さらにその三年後に今度は憲兵隊に逮捕されます。逮捕されたその場所は、満州のハルピン。そう、夢野久作の『氷の涯』の、あの哈爾濱です。 夢野久作の小説に絵をつけていた画家は満州、哈爾濱でいったい何をしようとしていたのか?…と、もうこの謎だけでグの中で哈爾濱という街はますます魅惑をましていきます。 わかっていることは『月刊満州』『少年満州』という雑誌の刊行、編集に携わっていたこと、そして満州国創設を推進した石原莞爾と親交があったということ、そして竹中英太郎が逮捕、強制送還された年は東条英機の陰謀により石原莞爾が関東軍を去ることになった年だったということで、何やら本当に国家謀略を背景にしたスパイ、スリラーめいているのです。 彼の長男である、ルポライターで今は故人となった竹中労(すごい父子だ)の回想によると、“昭和6、7年から満州時代にかけて具体的にどのような事件と人々に関わりあったのか、父は四人組の張春橋のように完黙”して語らなかったといいます。 ただ、父の友人から、満州時代はマージャンでメシを食っていたとか、ハルピンで白系の混血の少女と云々という伝説を聞かされたことがあるそうで、ますます『氷の涯』の主人公と竹中英太郎の姿が重なり合ってくるのです。 もともと夢野久作の文章と竹中英太郎の絵は、久作の文章からしみ出たインクで描かれたものが英太郎の絵なのか、英太郎の絵のインクがとろけて久作の文章になったのではないかというぐらい二人の個性が溶け合っていて、何か因縁めいたものを感じずにはいられません。『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎
2019.10.28
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図書館に予約していた『漢字の字形』という新書を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。【漢字再入門】国字の湯飲阿辻哲次著、中央公論新社、2013年刊<「BOOK」データベース>より漢字学の第一人者が、漢字の意外な成り立ちや読み方の歴史、部首のふしぎなど、学生時代に知っておけばよかった知識を伝授し、真に必要な知識を解説、さらに望ましい漢字教育を提言。<読む前の大使寸評>この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(10/15予約、10/22受取)>rakuten漢字再入門国字の湯飲「1時間目 漢字の数」の続きを、見ていきましょう。p16~19<日本で作られた漢字> さらに、漢字は中国だけで作られたわけではありません。そのことも漢字の数が増えた理由のひとつです。 漢字は発祥の地である中国から周辺の国にも広がっていき、日本や朝鮮半島に建てられた国々、そしてかつてはベトナムなどでも、自分たちのことばを書き表すのに漢字を使いました。それらの国々にはもともと文字がなく、すぐ近くにあった中国という大国から文字を借りました。しかし漢字は中国で作られたものですから、周辺の国々から見たらいくつか不便なことがありました。 たとえば中国には存在しないモノや概念を表す漢字が中国で作られるはずはありません。そのことの不便さを、ここでは≪魚≫ヘンの漢字を例として考えてみましょう。 古代中国文明は黄河を中心にさかえたことは小学校でも学習しますが、黄河は淡水の川ですから、そこにはコイやフナがいます。だからそれを表すために、「鯉」や「鮒」という漢字が作られました。また古代では黄河流域に暮らした人たちが実物を目にすることはなかったでしょうが、どこかの海にはクジラという非常に大きな魚がいることを耳にしていたので、それを表す「鯨」という漢字が作られました。 しかしイワシという魚は黄河にはいません。同じように、黄河流域に暮らした古代中国人は、ブリもカツオもハタハタも見たことがなかったにちがいありません。見たこともない魚を表すことばはありませんし、したがってそれを表す漢字も作られるはずがありません。 でも四方を海に囲まれた日本ではどこでもイワシがとれ、重要な水産資源でしたから、その魚を漢字で表現する必要がありました。漢字がないのだったら、ひらがなかカタカナで書いたらいいじゃないか、といまの私たちは考えてしまいがちですが、奈良時代から平安時代にかけては文字の使いわけがあり、カタカナは主に仏教の世界で、ひらがなは和歌や物語などの文学作品に使われ、朝廷や役所などで使う文書は漢字だけで書くこととされていました。 このように文字の使いわけがあった時代に、朝廷や役所などで使う文書にイワシのことを書く必要があったとしても、イワシを表す漢字はありません。しかたないので、はじめは漢字の発音だけを使って「伊委之」と書いていました(このような書き方を「万葉仮名」といいます)。 しかしそれではわかりにくいので、それで、どこかの誰かが、≪魚≫と≪弱≫を組合わせて「鰯」という漢字を作り、水から出たらすぐに死んでしまう弱い魚であるイワシを表す文字としました。ちなみに、いまの中国人はもちろんイワシという魚を知っていますが、イワシは中国語では「沙丁」と書き、シャディンと発音します。(中略)<そんなにたくさんの漢字を、中国では全部使っているのですか?> 何万という漢字が作られた背景には、だいたい右のような理由が考えられます。だからこそ五万とも八万とも数えられる大量の漢字が作られてきたのですが、しかしそんなにたくさんの漢字すべてを、これまでの中国人や日本人、あるいは韓国人が実際に使いこなしてきたわけでは決してありません。ここまでに述べてきた漢字の総字数とは、あくまでも歴史的な蓄積の結果であり、これまで存在したあらゆる漢字を全部かき集めたら八万字くらいになるだろう、ということにしかすぎません。 中国でも日本でも、それぞれの時代に社会で使われていた漢字は実際にはそれほど多くなく、どんなに多く見積もってもせいぜい一万もあれば十分でした。そんなはずはない、いまの日本ならそうかもしれないけれど、中国にはひらがなやカタカナがなく、文章をすべて漢字で書かないといけないのだし、特に古い時代の中国だったらもっとたくさんの漢字を使っていたにちがいない、とよく思われがちですが、しかし使われている漢字は案外少ないものです。 たとえば日本にもたくさんの愛読者がいる『老子』という有名な本がありますが、そこに使われている漢字はわずか802種類にしかすぎません。孔子のことばと行動を弟子たちがまとめた『論語』は、かつて中国だけでなく東アジア全体の知識人にとって必読の書物でしたが、そこに使われている漢字だって1355種類しかありません。いまの日本で漢字を使うときの目安とされている「常用漢字」に入っている漢字は合計2136種類ですから、その半分プラスアルファという程度です。『漢字再入門』1
2019.10.28
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「ビジュアル本」でしょうか♪<市立図書館>・日本が売られる・AI VS.教科書が読めない子どもたち・サピエンスのすべて(科学雑誌Newton)<大学図書館>・グ印亜細亜商会・シルクロード(ナショナルジオグラフィック)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、10/26受取予定)>rakuten日本が売られる【AI VS.教科書が読めない子どもたち】新井紀子著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より大規模な調査の結果わかった驚愕の実態ー日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。気鋭の数学者が導き出した最悪のシナリオと教育への提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/22予約、10/26受取予定)>rakutenAI VS.教科書が読めない子どもたち【サピエンスのすべて(科学雑誌Newton)】雑誌、ニュートンプレス、2019年刊<出版社>より人類・文明・科学はどのように誕生し,そして発展してきたのか・Part1 人類の誕生・Part2 文明の芽生え・Part3 科学の躍進<読む前の大使寸評>追って記入newtonpressサピエンスのすべて(科学雑誌Newton)【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会【シルクロード(ナショナルジオグラフィック)】ムック、日経BP出版センター、2004年刊<「BOOK」データベース>より果てしない砂の海、タクラマカン砂漠。天を突くような峰々がそびえ立つパミール高原。広大な中央アジアの大地を、東から西へ、西から東へと、ラクダや馬でたどった旅人たちの行く手には、いくつもの自然の要害が立ちふさがった。その道を、絹はいつ頃どのように西へ運ばれたのか。東の中国と、はるか西方のヨーロッパ世界とを結んだ絹の道「シルクロード」。隊商やマルコ・ポーロたちの残した足跡と、そこに暮らす様々な人々の生活の記録を、「ナショナルジオグラフィック」誌の100年の記事から紹介する。<読む前の大使寸評>シルクロードと聞けば、大使のツボでんがな♪ナショナルジオグラフィック誌の100年の記事から紹介するってか・・・期待できそうである。amazonシルクロード(ナショナルジオグラフィック)************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き403
2019.10.28
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図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊<「MARC」データベース>より名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。<読む前の大使寸評>おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪amazon歴史の中で語られてこなかったこと第二部から「コメと日本人」を、見てみましょう。p229~234<主食になったのは農地解放後> 網野:コメや水田に対して、日本人の思い入れが非常に強いことは、疑いのない事実だと思います。ただ、どうして、またいつから、そうした思い入れが始まるのかということになると、なかなかむずかしいところがあります。それが果して、水田を耕す人たち自身の中から出てきたものなのかどうかについても、厳密に考える必要がありそうです。というのは、実際に田地を耕作している人が、主食としてコメを食べられるようになったのは、戦後の農地解放以後だといわれるような現実があるわけですから。 もうひとつ、忘れてはならない視点について申しますと、最近、琉球大学の集中講義ではじめて沖縄へ行きましたが、講義で「日本」という言葉を使うときに非常に緊張しました。つまり、明治政府の琉球併合まで沖縄、琉球は日本ではなかったわけで、うっかりすると「日本」といったとたんに歴史そのものをゆがめてしまうし、沖縄の人の心をきずつけることにもなりかねないからです。 それは稲作についてもいえることで、簡単に「日本人とコメ」といいますが、沖縄が稲作社会であったかどうかは、かなり問題があるでしょう。まして北海道のアイヌはまったく違うわけです。宮田:沖縄の人たちは、本土に住むわれわれのことをヤマトンチュと呼びますね。日本史の教科書はまさに畿内の大和政権、京都政権が、各地域に力を及ぼす形で記されています。そういう制圧される側からこちらを見ると、自然にヤマトという言葉が出るんでしょうか。網野:そうでしょうね。しかし、「ぼくは甲州人で、決して大和人じゃない」と言ったんですけれども(笑)。私の郷里は山梨なんですが、水田はそれほど多くないですよ。だから、山梨県は遅れた県だ、山国だから貧しいのだといわれてきたのです。 ところが最近、山梨県史に関わって少し調べてみると、中世、近世の山梨、甲斐は、決して貧しいとはいい切れないんですよ。たとえば、田地のほとんどない郡内では銭の流通が非常に活発です。独特の甲斐絹のような織物をはじめ、いろいろな産物を背景に盛んに商業をしている。 盆地の方でも、川の交通が活発で、商人が非常に多い。いわゆる「甲州商人」ですね。これは水田を開発して増やしていく方向、稲作社会への志向とは違う方向に、甲州人が動いてきたということだと思います。少なくとも、そういう方向で動いている地域が、本州・四国・九州にもあちこちにあるということですね。宮田:今おっしゃった沖縄と山梨には共通点がありそうですね。たとえばお正月にお餅を食べる習慣がない地域のひとつでしょう。沖縄はブタ肉を儀礼食にしている地域で、正月にお餅は食べません。山梨県内にも餅なしの事例が多いのでしょう。網野:私の郷里では、正月1日に餅は食べませんね。宮田:「うどん正月」という言葉があるくらいで、正月はムギから作ったうどんを食べる。お盆には畑からとれたソバ。とくに山梨はその傾向が強いんですが、一般に関東から東北にかけては、正月にお餅を強調いたりしません。餅はもともと西日本の稲作地帯から出たものでしょうから。 お餅を食べる現在の日本らしい正月の風景はいつできたかというと、民俗学者の桜田勝徳さんは、城下町からだと言っています。また、やはり民俗学の都丸十九一さんの「餅なし正月と雑煮」という論文によりますと、江戸中期に高崎の城下町で、「正月にお餅を食べる習慣が、町の武士たちと商家で始まった」という記録があるという。 明治に入ると、武士出身の人々が支配者のレベルに入ってくるから、自然とお餅を重視する習慣が浸透していった。お餅を食べるのは都市の民俗で、全国で当たり前になったのは昭和十年くらいです。つまり、お餅すなわち白米に対して高い評価を置くのは、18世紀以後の都会から始まって、明治にその地域が広がり、戦後に定着したわけです。しかもみんながコメを食べるようになったのは、配給制度を定めた食管法の成立後でしょう。それ以来、山の奥でもおコメを三度食べる習慣になってくる。<稲作地帯は近世の現象> 網野:コメが非常に普及していたと主張する方々は、よく、江戸では長屋の住民までコメを食べていた、だから日本人はみなコメを食べていたのだなどといわれるでしょう。実は、あれは都市の現象なんですね。事情はお餅とまったく同じで、江戸や大坂の都市民が三食ともコメを常食していた。宮田:そうそう。その都市民というのがくせものなんです(笑)。網野:山梨と同じような例をもうひとつ申しあげると、ここ十年間、奥能登で調査を続けておりましてね。この地域は中世の匂いが非常につよいところでして、地名にも中世の名(みょう)の名前がいたるところに残っています。時国とか常利、則貞のような地名は名の名残ですし、歩いてみましても中世の面影をよくとどめた水田があちこちにあるんです。 実は、ついこの間まで、これは能登が遅れているから中世の名残が残っているのだと考えていたんですよ。ところが、よくよく調べてみますと、能登は遅れているどころか、中世以来、たとえば珠洲焼や鉄、鋳物、塩などのように、非農業的な生産が活発で、それを背景とした非常に活発な交易が行われているんですね。江戸時代になってもまったく同様で、商業、海運によるたいへんなお金持ちがたくさんいる地帯なんです。時国家はその典型です。 この事実を前提に置いて考えますと、奥能登は遅れているから中世の水田が残っているのではない。むしろ能登人は水田以外の生業に全力を挙げている。しかし、水田は非常に大事な、永い伝統を持ったものとして中世のままに保全して、そこでは「饗のこと」のような神事を今でも続ける、というやり方をしてきたのです。水田を開発する方向には力を入れていないのです。 同様に豊後の国東半島も中世の匂いが実によく残っている。ところが、国東は遅れているわけじゃなくて、瀬戸内海上交通の最要地ですね。こういうところにむしろ古いタイプの水田が残っている。こういう構造は本州・四国・九州のいたるところにあります。ですから、現在、コメどころといわれる東北、あるいは新潟のような稲作地帯が生まれてくるのは、近世的な現象なんです。とくに近世中期以後のことでしょうね。 渋沢敬三が戦後まもなく言い切っていることですが、東北のコメの生産は企業だと言うのです。流れ者が来て水田を開いたわけではなくて、企業として水田の経営をやっているというわけです。渋沢さんはやはり炯眼をお持ちですね。 このような事例からもわかるように、日本人がコメに思い入れがあるというのはあくまでも一面の事実だということを十分認識したうえで、コメ問題を考えなくてはなりません。一時期の、一地域の事例をもって日本のすべてに及ぼしたり、歴史的にもはるか古くからの事実だと考えてしまうと、現代のコメ問題についても本当の意味の解決の仕方は出ないのじゃないかと思うのですが。『歴史の中で語られてこなかったこと』1:タタラ集団・巫女・エボシ御前
2019.10.27
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図書館で『歴史の中で語られてこなかったこと』という新書を手にしたのです。おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊<「MARC」データベース>より名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。<読む前の大使寸評>おお、「もののけ姫」のエボシ御前の正体ってか・・・これは読むしかないだろう♪amazon歴史の中で語られてこなかったことアジールという観点で『もののけ姫』を、見てみましょう。p16~19<タタラ集団・巫女・エボシ御前> 網野:ともかく、宮崎さんないしその周辺のプロデューサーの鈴木敏夫さんなどが非常によく勉強して、その成果の上に先ほど宮田さんがおっしゃったようなイメージで、つまり平地を切り捨て、山地や森に舞台を設定した。さらに「山地のアジール」と、タタラ場の都市のアジールとを対立させることになっています。意識的にこうした場面を設定したらしいですね。宮田:タタラ集団の所在地は山中で、砂鉄や鉄鉱石の鉱脈がなければいけない。そういった場所に都市を建設することが可能な立地条件だとすると、湖の畔しかない。網野:もちろんこの映画は創作で、あんなに多くの女性集団が山の中にいることはちょっと考えられないですね。宮田:それも女房中心でしたね。網野:ただ、タタラ場の周辺には女性がたくさんいることもあり得ると思いますね。今も掘ってますが、現在の島根県にある石見銀山の周辺には鉱山町ができて都市が形成されています。慶長ごろ(16世紀末~17世紀初頭)の院内銀山(秋田県)には傾城(遊女)や鍛治屋やたばこ屋の集住する町ができあがっていましたから、これはまったくあり得ない話ではありません。ただ、女性だけでタタラを踏むことはないでしょうね。宮田:タタラの集団や鍛治屋の信仰は、大分県の国東半島にある宇佐八幡信仰の源に当たるらしい。国東半島には「六郷満山」の修験道が入っていて、その周辺の山民集団は仁聞菩薩を崇拝していた。その仁聞菩薩の縁起を見ていくと、最初は女性神なんです。その女神に仕える巫女は、朝鮮半島との関係からシャーマンとして位置づけられていた。八幡はヤハタとも読みますが、朝鮮半島との関係で出てくる外来集団を指しています。 彼らは六郷満山のような山岳を支配し、そのトップにシャーマン的な女性を置き、その下に鍛治の翁がいる。翁はもちろん男性で、それを原型とした修験者が集まり、天台系の寺院を造っている。神仏混交の世界を基本に、非常にまとまりのある集団だった。『もののけ姫』を観ていて、なんとなくそういう世界を想像しました。古代の修験たちは朝鮮半島と往来していて、仏教公伝よりもはるか以前に日本列島に入っていた。つまり、密教的あるいはヒンズー的な呪術を持った集団が、頻繁に半島と列島の間を往復していたわけです。 そして彼らが、山間部に入って王国を作り上げる条件があるとすれば、製鉄業を基盤にしてもおかしくない。最近の研究では、古代吉備の国は製鉄の技術を持った渡来人の子孫が作った国だったようですね。 製鉄のためには、山の木々を大量に伐採し山を破壊する。地域開発センターのタタラ場のまとめ役のエボシ御前は、山の世界を守ろうとする山の精霊たちとの戦いの先頭に立つ。一方で彼女はあらゆる職能集団を包括し、平地民にとっては桃源郷のような理想の土地を作ろうとする。 柳田国男の『遠野物語』は、山人集団の存在を想定し平地民を震撼させた。同書のマヨイガ伝説は、山中の隠れ里を彷彿させ、平地民に山人たちへの憧れと畏怖の念をイメージさせていた。『もののけ姫』には、大勢の登場人物がいますが、人気投票をしたら、おそらくエボシ御前がトップになるのではないでしょうか。網野:しかも被差別民を集めたところは、「考えたな」という気がしました。これについては、どこからも抗議されることはなかったそうです。私は、この映画のパンフレットの文中で私の意見としてはと断って「非人」という言葉を使ったのですが。宮田:この映画の舞台はやはり中世ですか?網野:中世後期を素材にしたことは確かです。宮崎さんもそう言ってました。宮田:主人公の一人であるアシタカという少年は蝦夷の血をひいているということになっていますが、中世後期に蝦夷がいたんでしょうか?網野:実際はいないでしょう。もうアイヌだったはずです。しかし柳田国男が若いころに行った東北の『遠野物語』の世界を連想できます。宮田:強いていえば、焼畑民や狩猟民も登場しているはずですね。網野:マタギもいますね。そういう意味では、ともかくよく勉強されて、総合的に映画のイメージを作っているのには感心しますね。宮田:学生たちにこの映画の印象的シーンを聞いてみますと、いきなり冒頭にタタリ神になった巨大なイノシシのすさまじい突進があり、イノシシの全身にヘビが絡み付いた場面が強烈だったようです。網野:あのときの音響と映像は凄かったですね。宮田:体が腐っていくような感じになる。網野:そのタタリ神に矢を撃ち込んで殺してしまった蝦夷の少年の腕にヘビが巻き付き、アザとして残る。宮田:タタリを象徴するスティグマ(聖痕)になるわけですね。
2019.10.27
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図書館で『笑説 大名古屋辞典』という本を、手にしたのです。以前、清水さんの「やっとかめ!大名古屋語辞典」を読んで面白かったので、先行したこの本も面白いはずである。【笑説 大名古屋辞典】清水義範著、角川書店、1998年刊<「BOOK」データベース>よりその特殊性を指摘されて久しい“名古屋”。他の地域とは、大きく異なる文化をもつ。生活、思想も独自の道を歩み、独立国であるかのようだ。本書は、その点を踏まえ、名古屋独特の言葉、行事、食べ物、その他あらゆる領域を取り上げている。などと書いていると、とっても真面目な辞典のようだが、漫画、写真が並び、ギャグもふんだんに入ります。楽しくて面白くてためになる。名古屋を知るためには、必携の一冊。<読む前の大使寸評>以前、清水さんの「やっとかめ!大名古屋語辞典」を読んで面白かったので、先行したこの本も面白いはずである。rakuten笑説 大名古屋辞典名古屋弁を、見ていきましょう。p65~68<がや> 名古屋語としてあまりにも有名な「ぎゃあ」と同じ。「…だがや」等と断定するときに使われることが多い。三河地区では「がや」、名古屋地区では「ぎゃあ」が使われることが多いが、どちらも名古屋語として公認されており、意味は通じるのであまり神経質になる必要はない。 それにしても、最近、名古屋のことを駄我屋などと言う東京人が増えた。はっきり言って、不愉快である。<かん> 本来は「いかん」(いけない)「あかん」(だめだ)なのだが「い」や「あ」が省略されるか、ほとんど発音されないので他国人には「かん」と聞こえる。この種の省略は他の言葉にも見られるので注意が必要である。→いかん「今年のドラゴンズ、かんなあ」(今年のドラゴンズ、だめだなあ)「応援、かんとかんなあ」(応援に、行かなければいけないなあ)以前、読んだ『やっとかめ!大名古屋語辞典』です。【やっとかめ!大名古屋語辞典】清水義範著、学研プラス、2003年刊<「BOOK」データベース>より本書は、名古屋語の、生きた姿をやみくもに伝えてしまうかつてない辞典である。<読む前の大使寸評>おお 清水義範さんの本やないけ♪この本は、過去に一度借りたことがあるが、それを承知の上で借りたわけでおます。rakutenやっとかめ!大名古屋語辞典『やっとかめ!大名古屋語辞典』1
2019.10.27
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図書館で『純情漂流』という本を、手にしたのです。夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。【純情漂流】夢枕獏著、角川書店、1992年刊<「BOOK」データベース>より天山越えの氷河古道ヒマラヤの白い高峰アラスカのユーコン下り…。作家・夢枕獏の魂の軌跡を綴った半自伝的紀行エッセイ。<読む前の大使寸評>夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。amazon純情漂流大雁塔と玄奘三蔵像「第二部一章 虚空の鶴」で、シルクロードを、見てみましょう。p174~179<「第二部一章 虚空の鶴」9> ぼくは今、長安にいる。 現在の呼び方で言えば西安だが、ぼくにとっては『西遊記』の昔からの長安である。『長恨歌』にうたわれた、玄宗皇帝と楊貴妃との愛欲の日々があったところの長安であり、秦始皇帝の長安であり、そして玄奘三蔵が天竺へ向かって出発し、16年後に帰ってきたのがこの長安である。 それまで、名もない一沙門であった空海が、一千年以上も前、はるばる日本から辿り着き、二年の歳月を過ごし、密教を丸ごと貪り盗っていったのがこの長安である。 唐の都だ。 三千年の歴史を持つ都である。 シルクロードの東の果てだ。 ここから西に向かってシルクロードは始まり、一方の西の果てにはローマがある。 ほろ酔いだ。 長安一片月 長安一片の月 萬戸打衣声 万戸衣を打つの声 約千二百年前、李白がそのようにうたった月こそ出ていないが、ここは、まぎれもなく夜の長安である。 昨年の今頃も、ぼくは、せっせとひと夏を原稿を書いて過ごしたのであった。 昨年の夏は、凄い夏だった。 夏の間中、ぼくは、毎日毎日、蟻のいうに原稿を書いていた。ガタコン(SF大会)というSFファンのイベントが、やはり夏にあり、そこで影絵を久しぶりにやったりするために、原稿の合間をぬってあ、やありせこせこと細かい作業もしていたのである。 とにかく、たいへんな夏だった。 その年、ぼくは、9月後半から、10月後半にかけて、ヒマラヤに行かなければならなかったのである。 ヒマラヤの高峰を越えてゆく鶴を見るためである。 そのことについては、前巻の“あとがき”で触れた。 ぼくはそのキマイラの“あとがき”を書き終えて、ネパール・ヒマラヤへ向かったのである。 結局、鶴を見ることはできなかった。 ぼくを、ベースキャンプまで連れていってくれた遠征隊も、マナスル登頂を断念した。途中、雪崩にあい、シェルパ一名が死んだ。体力的には、ごくごく普通であるぼくのような人間が、一生のうちに、一度か二度、やっとあるかどうかという体験をさせてもらった。 テントの中で、くる日もくる日も、男同士が顔を合わせ、エロ話やらまじめな話などをした。春は、アフリカの砂漠をジープで走っていた男はいるし、ボルネオのジャングルでオウムを食っていた男もいる。 アフガンの地雷地帯をカメラを抱えて走ったことのある男もいる。 ぼくだけが、ただの小説家だ。 ひとりでは何もできないに等しい人間だ。彼等はそうではない。 それが何故かくやしかった。ほんとうはぼくは小説家ではなく、彼等のようになりたかったのではないか。 そんなことを考えながら、昨年の10月は、同じこのユーラシア大陸の山の中で、雪崩が上の方で始まり、ゆっくりと下に落ちてくる低い轟きを耳にしながら、ナイフを握りしめ、ぼくは寝袋の中で身体をこわばらせていたのだった。(中略) もういとつは、大雁塔へ行くことである。 大雁塔は、玄奘三蔵が天竺から持ち帰った経典を翻訳するために建てられた慈恩寺の塔である。長安の街の南のはずれにあり、登れば北に長安の街を見ることができる。 現在の青龍寺には、当時の面影をしのぶものは、ほとんどない。 ぼくは道を訊きながら行ったのだが、辿り着けず、陽が暮れて夜になった。山にいて地図を見ることには自信があったのだが、その地図が正確でないのだ。実際に行ったのは翌日である。 タクシーを利用したのだが、しかし、車の運転手も一緒についてきたふたりの大学生も、青龍寺の場所を知らなかった。ようやく辿り着いてみれば、畑の真ん中で、形だけの寺らしき建物がふたつあったが、むろん、最近の建物であり、今は寺として機能してはいなかった。日本から送られた本や、青龍寺の建物や調度品のかけらを展示しているだけである。土産物屋が、中にあるだけだ。 空海の記念碑があった。石の碑だ。 つい最近建てられた、おおげさな碑だった。『純情漂流』2:「なぜ天竺だったのか」の続き『純情漂流』1:「なぜ天竺だったのか」
2019.10.26
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図書館で『純情漂流』という本を、手にしたのです。夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。【純情漂流】夢枕獏著、角川書店、1992年刊<「BOOK」データベース>より天山越えの氷河古道ヒマラヤの白い高峰アラスカのユーコン下り…。作家・夢枕獏の魂の軌跡を綴った半自伝的紀行エッセイ。<読む前の大使寸評>夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。amazon純情漂流「二章 天竺夢想」で、「なぜ天竺だったのか」の続きを、見てみましょう。p56~58<「二章 天竺夢想」3> 玄奘を衝き動かしていたエネルギーは、智への飢え、胸の痛くなるような智への渇望であったはずである。 唐にあった経典の全てを、玄奘は読破した。経典を読めば読むほど、疑問は玄奘の胸に湧きあがってきたことであろう。この経のこの考え方は、どうなのか。この経のこの文章をどう解釈したらよいのか。次から次へと、飢えた獣のように経典を読み漁ったあげくに、玄奘が気づいたのは、もう、この長安には、自分の疑問に答えてくれる経典、人間はいないという結論であった。 唐で入手できた経典は、完全本ではなく、欠落している部分がある。また、訳が不正確である。さらには、まだ訳されてない万巻の経典がある。 どうすればいいのか? 天竺へゆくしかない。 それが玄奘の結論であった。 天竺になら、経典がそろっている。その経典を、天竺の言語で読む。仏教の開祖であるゴータマ仏陀の生れた土地へゆく…その発想を得た時、玄奘の身体は、興奮のため、激しく震えたはずだ。 飢えた獣のように、玄奘は、国禁を犯して長安を飛び出し、17年、3万キロ以上におよぶ天竺への旅に出かけてゆくのである。 その旅もさることながら、玄奘の真の偉大さは、長安へ帰ってきてからにある。自ら持ち帰ってきた膨大な量の経典を、残りの一生をかけて、玄奘は中国語に翻訳してゆくのである。おの翻訳のため、まったく新しい漢字すらも、玄奘は造った。 日本に渡ってきている仏典のほとんどは、この玄奘訳のものである。 玄奘の旅のことであった。 結局、ぼくが玄奘の旅に出ることになったのは、危機感からであった。 書くことの旅は、思うにまかせず、わずかしか進まない。その間に肉体は衰え、たまの旅は、その手続きを編集者にやってもらう。 そんな旅をしていると、自分というものがなくなってしまうのではないか。 ザックひとつを背にして、言葉もわからない国をたった独りでうろうろすることなどできない人間に自分はなってしまうのではないか。仕事に区切りをつけてからなどと考えていると、結局、時間はなくなり、牙は抜かれ、書くことの旅すらできなくなってしまうのではないか。伝奇バイオレンスの渦の中にあって、そういう危機感にさいなまれるようになったのである。 自分を、たった独りの旅の中に放り出さねばならなかった。(中略)<「二章 天竺夢想」4> 6月1日に、グラビアの撮影をかねて、鮎解禁の早川に出かけた時には、まだ、天山に出かけられることを、ぼくは信じていた。 学生たちは、天安門広場に集まっていたが、とりあえずのところ、その民主化運動は非常によい雰囲気で進んでいるように、ぼくには見えた。 ついに、中国もここまで来たのかとの灌漑はあったが、まさか、軍隊が、人民や学生に向かって発砲するようなことになろうとは、ぼくは考えてはいなかった。 基本的に、なにもかもが順調に進んでいるように、ぼくには見えた。 問題は、出発の6月17日までにかたづけねばならない山のような原稿と、氷河や岩盤をよじのぼるぼくの体力だけのように思えた。『純情漂流』1
2019.10.26
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図書館で『純情漂流』という本を、手にしたのです。夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。【純情漂流】夢枕獏著、角川書店、1992年刊<「BOOK」データベース>より天山越えの氷河古道ヒマラヤの白い高峰アラスカのユーコン下り…。作家・夢枕獏の魂の軌跡を綴った半自伝的紀行エッセイ。<読む前の大使寸評>夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。amazon純情漂流「二章 天竺夢想」で、なぜ天竺だったのかを、見てみましょう。p50~53<「二章 天竺夢想」3> 何故、玄奘の旅を、ぼくもまた始めることになったのか。 そもそもは、子供の頃からの夢であったのだ。 子供の頃に読んだ『西遊記』の物語が、おそらくはこの旅の出発点にあたるのだろうと思う。『西遊記』もまた、ここから向こうへゆく旅である。 それも、古代中国の破天荒な旅の物語である。奇書だ。異様な混沌と秩序を有した物語である。夢枕獏という書き手に、もし原点というものがあるとすれば、それが、この『西遊記』であるのではないか。 ぼくの中にある、仏教志向、中国、インド、西域、ヒマラヤ、妖物、仙人、ヒンドゥーの神々、彼岸、輪廻、螺旋、宮沢賢治、山…そいうものへの執着の根が、この『西遊記』の中にあるのではないか。 常に、地平線の向こうへ視線を放ち続けること。 それは、光と重力とをひとつの理論の中へ捕らえようとして果たせなかったアルバート・アインシュタインが、宇宙へ向け続けたはずの視線と同じものだ。胸が痛くなるような、呼吸が苦しくなるような、そういう視線を、ほとんどの男は、意識のどこかに捨てずに隠し持っている。 ぼくの場合、それが、“天竺”であったのである。 だから、玄奘の旅であったのである。 伝奇バイオレンスのまっただ中にいたそのころ、ぼくは、物語と心中する気でいた。 ぼくは、自分が山では死ねない人間であることに、その時、すでに気づいていた。 山は好きだが、死ぬ覚悟で山には登れない。思想や、運動に命をかけるつもりもない。 しかし、物語となら…。 もし、小説を書くことで、病気になり、自分の肉体が蝕まれてゆくのなら、その結果が死であってもかまわないと、その頃ぼくは考えていた。 自分がそういう人間であることに気がついたのは、ヒマラヤの、マナスル山中の雪の中であった。十日以上も降り続いた雪に閉じ込められ、夜毎、いつやってくるかしれない雪崩の恐怖に怯えながら、テントの中で、そのことにぼくは気がついたのだ。寝袋の中で、脱出用のナイフを握りしめながら、歯を噛みながら眼を尖らせていたその時に、自分は、山とではなく、物語と心中すべき人間であることに気がついたのであった。 そのマナスルに出かけたのも、似たような動機からであった。原稿で何もかもが埋ってゆく日々に飽いて、ヒマラヤへゆき、その時も、結局は、自分が書くべき人間であることを発見して帰ってきたのだった。 考えてみれば、いつもそうだった。 天山の前もそうだった。来る日も来る日も、ぼくは書き続けていた。 東海道線の中でぶっ倒れたこともあり、カンヅメ中のホテルで、胃の痛みと吐き気のため、ついに一行も書けなくなり、何度も吐いた後に、這いずるようにしてホテルを出、病院に転がり込んだこともあった。(中略) これでいいのかと思った。 増えてゆく体重が気になり、みるみる失われてゆく体力に、ぼくは恐さを覚えていた。 体力のある今、やっておかねばならないことがあるのではないか。 しかし、それでもいいとぼくは考えていたのである。とにかく、今を乗りきることであった。書いて書いて書き続けて、約束の仕事をかたづけ終えたら、その時こそ、自分のやりたい旅をやればいいのだと思っていた。 今は書くことの旅でいいと。 家庭を持つ三十代半ばを過ぎた男は、誰もが、胸にひとつの刃をしのばせている。おそらく、それは、一生抜かれることのない刃である。 妻を捨て、子を捨て、仕事を捨て、家庭や地位を捨てて、ただの風となってどこかへ吹かれてゆくこと…そういう旅への欲望が、刃物のように、どんな男の胸のうちにも、ほとんど一生抜かれることなく、眠っているのではないか。 そういう刃物は持っている。 しかし、それは一生抜かれることはないだろうと、自分はそういう刃物を抜く人間ではないだろうと、そういうふうに、ぼくは自分のことを考えていたのである。 しかし… なお、奇妙な不満がぼくの内部で燻っていた。 ぼくは書き続け、書き続けても書き続けても仕事は終わらなかった。 しかし、基本的に、ぼくは病的に、書くことが好きであるという、ひとつの根本的な困った問題がある。 情けないほど、書くことに対してスケベな人間にできあがってしまっているのである。 だから、書く。 とにかく書く。 体力だけが失くなってゆく。
2019.10.26
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使堀江栞「献灯使」の続きを、見てみましょう。献灯使の選定にふれたあたりです。p141~144<献灯使> 夜那谷はいつからか、大人に対する話し方と子供に対する話し方を区別しなくなってきていた。知らない単語は知っている単語の中にあらわれることで、辞書を引かなくても、意味が理解できる。知っている単語の中に1割くらい知らない単語の混ざったものを読み続けることで語彙は増えていく。 自分に教えられるのは言葉の農業だけだ。子供たちが言葉を耕し、言葉を拾い、言葉を刈り取り、言葉を食べて、肥ってくれることを願っている。 世界地図を広げて海の向こうの国の話をしてやると、子供たちは露に濡れた葡萄のような瞳を向けて、飽きることなく耳を傾けている。その中から一番「献灯使」にふさわしい子を選び出さなければならない。毎日たくさんの小学生を観察できる環境にいる夜那谷は、それが自分の使命と思っていた。無名に白羽の矢を立ててはいるが、これからどんな風に成長していくのか数年見守ってからでなければ最終的な判断は下せない。 無名は激しくまばたきした。頭の芯がずきずき痛む。心臓の鼓動が胸から耳の奥に移ってきた。鼻の奥でかすかに血のにおいがする。でも今身体の不調を訴えれば、先生は地理の話をやめてしまうだろうと思い、何度も唾をのみ、拳骨を握って我慢していた。 無銘には世界地図が自分の内臓をうつし出すレントゲン写真のように見えてきた。アメリカ大陸が右半身、ユーラシア大陸が左半身だ。腹にオーストラリアが感じられる。今、先生なんて言った? 日本列島はもともとは大陸にくっついていた? そんなことって、あるんだろうか? 大昔は半島だった? もしそうなら昔は歩いて大陸に渡って、地球がまるく感じられるくらい大きな地面を横断して、気が遠くなるくらい遠くへ行くことができたんだろうか。「どうして大陸から突き放されたんですか?」 と誰かが訊いた。誰だろうと思って無名は振り返ろうとしたが、首が硬くなっていて、まわらなかった。「日本はわるいことをして大陸から嫌われたんだって、曾おばあちゃんが言ってた」 と、龍五郎君が得意になって言うと、それを聞いて夜那谷は苦しげな笑いを浮かべて頷いた。「ほら、見てごらん。世界の真ん中には大きな海がある。これが太平洋だ。この海をはさんで、左にユーラシア大陸とアフリカ大陸、右にアメリカ大陸がある。太平洋の海の底に沈んだ板が時々大きくずれる。するとその板の縁で大きな地震が起こって、津波が来ることもある。それは人間の力ではどうにもならないことだ。地球というのはそういうものんんだ。でも、日本がこうなってしまったのは、地震や津波のせいじゃない。自然災害だけなら、もうとっくに乗り越えているはずだからね。自然災害ではないんだ。いいか。」 夜那谷がそう言った途端、教室の火災警報がけたたましく鳴り始めた。夜那谷は赤い機械に近づいていって、スイッチを切った。「地球はまるいんだよ」 と無名は気がつくと柔らかいがよく響く声で発言していた。自分が何を言おうとしているのかわからないのに声が勝手に飛び出した。まわりの子たちが不思議そうに無名を見た。無名は鳥が翼を動かすように両腕を動かし始めた。苦しまぎれにやったことだが、ふざけて鶴の真似をしているようにも見えた。先生は目を細めて笑って、「そうだ、地球はまるい。まるいものを平面に描いたのがこの世界地図だ。そのことを言うのを忘れていた」 と言って、頭をかく真似をした。安川丸がだまされて怒ったような顔をして、「え、まるい? じゃあ、これは嘘?」 と言った。龍五郎君も呆れたような声を出した。「なあんだ、まるいのか。」 夜那谷は答えに窮した。だますつもりはなかった。地球がまるいということよりもっと大切なことを言うつもりだったんだ。でも、若しかしたら地球がまるいことも大切なのかもしれない。「あとでみんなで紙を切って、鞠みたいな地球儀をつくってみよう」 無名は頭の両側から錐をねじ込まれるような痛みに耐えるために必死で腕を動かし続けた。ウーム グローバリズムの闇が語られているというか・・・とにかくニッポンの大陸侵攻を意識した近未来小説になっているようです。『献灯使』4:国際海賊団、言語の輸出入『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:ナウマン像『献灯使』1:冒頭の語り口
2019.10.25
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<図書館予約の軌跡199>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在91位・そしてバトンは渡された(4/19予約、副本22、予約1036)現在659位・川村元気『百花』(6/14予約、副本10、予約196)現在35位・伊坂幸太郎『フーガはユーガ』(7/24予約、副本34、予約462)現在282位・伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』(7/31予約、副本1、予約197)現在127位・デービッド・アトキンソン『日本人の勝算』(8/20予約、副本14、予約157)現在98位・上田岳弘『キュー』(8/26予約、副本3、予約15)現在8位・劉慈欣『三体』(9/09予約、副本8、予約179)現在148位・森絵都『カザアナ』(9/21予約、副本11、予約109)現在87位・呉善花『韓国を蝕む儒教の怨念』(10/02予約、副本3、予約56)現在48位・橘玲「上級国民/下級国民」(10/24予約、副本16、予約283)・川上弘美『某』(10/27予約、副本7、予約70)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・柳美里『ねこのおうち』・有馬哲夫『原発・正力・CIA』・橋本治『黄金夜界』・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・高樹のぶ子『アジアに浸る』・書物の破壊の世界史・つげ義春『ガロ 1968 前衛マンガの試行と軌跡』・メカニズムの事典・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:図書館未収蔵・天子蒙塵 (四):図書館未収蔵・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・内澤旬子『ストーカーとの七00日戦争』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・八画文化会館vol.6 総力特集:レトロピア岐阜:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・禁じられた歌(田)<予約分受取:9/21以降> ・リービ英雄『天安門』(9/17予約、9/21受取)・米中ハイテク覇権のゆくえ(6/30予約、9/25受取)・チャイナ・スタンダード(9/22予約、10/02受取)・五日市哲雄『もの忘れと記憶の科学』(9/24予約、10/05受取)・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、10/13受取)・多和田葉子『容疑者の夜行列車』(10/11予約、10/17受取)・落合淳思『漢字の字形』(9/20予約、10/22受取)・阿辻哲次『漢字再入門』(10/15予約、10/22受取)・日本が売られる(2/05予約、10/26受取)・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、10/26受取)【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか・・・・1年近く待つんやろか?<図書館予約:(4/19予約、副本22、予約1036)>rakutenそしてバトンは渡された【百花】川村元気著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばすー。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本10、予約196)>rakuten百花【フーガはユーガ】伊坂幸太郎著、実業之日本社、2018年刊<「BOOK」データベース>より常盤優我は仙台市のファミレスで一人の男に語り出す。双子の弟・風我のこと、決して幸せでなかった子供時代のこと、そして、彼ら兄弟だけの特別な「アレ」のこと。僕たちは双子で、僕たちは不運で、だけど僕たちは、手強い。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本34、予約462)>rakutenフーガはユーガ【クジラアタマの王様】伊坂幸太郎著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。打ち勝つべき現実とは、いったい何か。巧みな仕掛けと、エンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって、伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/31予約、副本1、予約197)>rakutenクジラアタマの王様【日本人の勝算】デービッド・アトキンソン著、東洋経済新報社、2019年刊<「BOOK」データベース>より在日30年、日本を愛する伝説のアナリスト×外国人エコノミスト118人だから書けた!大変革時代の生存戦略。【目次】第1章 人口減少を直視せよー今という「最後のチャンス」を逃すな/第2章 資本主義をアップデートせよー「高付加価値・高所得経済」への転換/第3章 海外市場を目指せー日本は「輸出できるもの」の宝庫だ/第4章 企業規模を拡大せよー「日本人の底力」は大企業でこそ生きる/第5章 最低賃金を引き上げよー「正当な評価」は人を動かす/第6章 生産性を高めよー日本は「賃上げショック」で生まれ変わる/第7章 人材育成トレーニングを「強制」せよー「大人の学び」は制度で増やせる<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/20予約、副本14、予約157)>rakuten日本人の勝算【キュー】上田岳弘著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より前世に太陽と同じ温度で焼け死んだと話す少女が同級生だった「僕」は、この惑星で平凡な医師として生きていたが、いきなり「等国」なる組織に拉致された。彼らによれば、対立する「錐国」との間で世界の趨勢を巡り争っており、その中心には長年寝たきりとなっている祖父がいるという。その祖父が突然快復し失踪、どうやら私の恋人を見つけたらしい。一方、はるか未来に目を覚ました自称天才の男は迎えに来た渋い声の異郷の友人と共に、“予定された未来”の最後の可能性にかけるため南へ向かい、途中、神をも畏れぬ塔を作り重力に抗おうとしたニムロッドの調べが鳴り響く。時空を超えた二つの世界が交差するとき、すべては完成する…?<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/26予約、副本3、予約15)>rakutenキュー【三体】劉慈欣著、早川書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?アジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/09予約、副本8、予約179)>rakuten三体【カザアナ】森絵都著、朝日新聞出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より平安の昔、石や虫など自然と通じ合う力を持った風穴たちが、女院八条院様と長閑に暮らしておりました。以来850年余。国の規制が強まり監視ドローン飛び交う空のもと、カザアナの女性に出会ったあの日から、中学生・里宇とその家族のささやかな冒険がはじまったのです。異能の庭師たちとタフに生きる家族が監視社会化の進む閉塞した時代に風穴を空ける!心弾むエンターテインメント。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/21予約、副本11、予約109)>rakutenカザアナ【韓国を蝕む儒教の怨念】呉善花著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「不可逆的に最終合意」したはずの慰安婦問題をひっくり返したかと思えば、韓国の最高裁は、すでに日韓基本条約で解決済みの徴用工裁判で日本企業に対し、賠償判決を出す。一方で、文在寅大統領は中国、北朝鮮に擦り寄り、反日を加速させている。日本と韓国の関係は戦後最悪の状態にある。普通の日本人の感覚からすれば、まったく理解できない。いったいなぜなのか。ヒントは、反日主義にしなければならなかった韓国の歴史にある。それが現代にまで続き、自壊の道を辿っているのだ。韓国出身の著者がその謎を史実に基づき解き明かす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/02予約、副本3、予約56)>rakuten韓国を蝕む儒教の怨念【上級国民/下級国民】橘玲著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「下級国民」を待ち受けるのは、共同体からも性愛からも排除されるという“残酷な運命”。一方でそれらを独占する少数の「上級国民」たち。ベストセラー『言ってはいけない』の著者があぶり出す、世界レベルで急速に進行する分断の正体。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/24予約、副本16、予約283)>amazon上級国民/下級国民【某】川上弘美著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より名前も記憶もお金も持たない某は、丹羽ハルカ(16歳)に擬態することに決めた。変遷し続ける“誰でもない者”はついに仲間に出会うー。愛と未来をめぐる、破格の最新長編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/27予約、副本7、予約70)>rakuten某【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡198予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。
2019.10.25
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図書館で『長江有情』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。【長江有情】田中芳樹×井上裕美子著、徳間書店、1994年刊<「MARC」データベース>より青蔵高原のタングラ山脈から流れ出て歴史を懐に秘めつつ中国大陸の腹部を貫く大河・長江。麗しき山域・重慶から瞿塘峡巫峡、大寧河を経て西陵峡の終点南津関、宜昌の街まで、写真と文の旅。鮮烈な自然と懐しい人の営みと。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。amazon長江有情井上さんの三峡下りを、見てみましょう。p73~74<大寧河の底に沈んだ石:井上裕美子> 中国の雨には、やはり漢字の表現が似合っている。どこで降っても雨にかわりはないはずだけれど、しとしとというよりは、「瀟瀟」「センセン」という擬音の方がしっくりとくる。 川の流れはやはり、ありきたりだけれど「滔滔」だろうか。 川と雨の両方をじかに目の前にしている今、たいした語彙を持たない頭は漢字の表現力に感心するばかりだ。 早朝、長江を下る観光船の発着場に立った時の感想である。重慶の東端、朝天門埠頭から直接、出発するものだと思っていたが、晩秋の渇水期のせいか、市街からはかなり下がった川岸にその白い船は待っていた。 桟橋などと呼べるような場所ではない。かろうじて岸の途中まではコンクリートが打ってあるが、砂地の河原を直接歩き、最後はハシケの甲板を回りこんで乗船する。船は思ったよりも安定はしていたが、それでも足を滑らせるのではないかとひやひやした。季節によって水位が変化するため、固定した桟橋よりこの方が合理的なんだろう。 音が妙にこもって聞こえるのは、両岸の山に反響するせいだろうか。 あたりに停泊している、クレーン船や赤錆のういた貨物船から、時おりがんがんと物を叩く音が聞こえるのも、なんとなくうら寂しい。 空が暗い。 夜が明けるか明けないかという時間もあるが、昨日からずっと、降ったりやんだりのうっとうしい天候が続いている。「巴山夜雨」という言葉を思いだした。巴の雨は夜に降る。そうか、ここは巴蜀の地だったかと、ようやく思いあたるのは、歴史地図と現在の風景とがうまく重なってくれないせいだ。 …子供のころ、中国の古い話をけっこう読んできた弊害かもしれない。歴史上の物語を、志怪小説やなにやかやとひっくるめて、遠いお伽話かないかのように感じているふしが私にはある。ちょうど、水墨画のように単色で描かれた絵と、カラー写真とでは、おなじ風景を写しても別の印象があるのと似ている。 船の名は「隆中号」 むろん、三国志の三顧の礼の地名からの命名。まずチェック・インから乗船作業は始まる。この船は、三泊四日を過ごすホテルでもあるのだ。でも、船内の売店の背後に描いてあるのは、白帝城での「託孤遺命」の名場面だったけれど。 船室は、正直にいって狭い上に古い。清潔ではあるけれど、窓は服務員に申し出ないと開閉ができず、シャワーの栓はきちんと締まらない。でも、こんなものだと思ってしまえば、なんとでもなる。船室は一層目で、水面が近く見えるのがかえってものめずらしかった。ちなみに、船の客室部分は三層。展望室は甲板に乗った四層である。(中略) 長年の念願だった長江下りを決行する気になったのは、三峡ダムの完成が97年に迫っていると知ったときだった。 そんなダムの計画は以前から聞いていたけれど、中国の時間感覚から推察して、着工は十年先ニ十年先のことと勝手に信じこんでいた。影響を受ける範囲を、せいぜい街の三つ四つぐらいだろうとたかをくくっていたのは日本人の感覚だが、そもそもこの環境保護運動のさかんなご時世に、どんな影響を周囲の自然にもたらすかの調査も十分せずに、着工してしまうとは思わなかった。香港返還と同じ年に、上流の大部分が水没してしまうとは予想の外である。 水没の範囲が広い上、水位の上昇も日本のダムなんぞ比較にならないほど大きい。そして、沈む物も。 それでも、白帝城をはじめとする三国志関連の史跡が沈むと知った時には、もったいないとは思ったが、慌てるまでのことはなかったように記憶している。私が問題にしたのは、忠県という町だった。 秦良玉、あざなを貞素。 日本では無名だけれど、明代の末期、女将軍として明史の列伝にも名を残す人である。 彼女が生れたのが、長江流域の忠県。そこから、やはり長江の支流をさかのぼった石チュウに嫁ぎ、夫の死後、その職を継いだ。やがて明末の混乱の中、男装して軍を率い、あいつぐ地方反乱を鎮圧し北の清の侵入を食い止め、文字通り東奔西走する。女将軍忠貞侯として生涯を終えた時、彼女は七十歳を越し、明はすでに滅んでいたのだけれど。…長江本流からはずれる石チュウはもちろん、観光名所ではない忠県に立ち寄ることは無理だと覚悟していた。それでもせめて、彼女も見たはずの風景を実際に見ておきたいと願ったのだが…実はほんとうに来られるとも思っていなかった。『長江有情』1
2019.10.25
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図書館で『長江有情』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。【長江有情】田中芳樹著、徳間書店、1994年刊<「MARC」データベース>より青蔵高原のタングラ山脈から流れ出て歴史を懐に秘めつつ中国大陸の腹部を貫く大河・長江。麗しき山域・重慶から瞿塘峡巫峡、大寧河を経て西陵峡の終点南津関、宜昌の街まで、写真と文の旅。鮮烈な自然と懐しい人の営みと。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。amazon長江有情三峡下り三峡が出ている辺りを、見てみましょう。p24~25<秦良玉から岳飛への旅:田中芳樹>■重慶から三峡へ 長江の旅は重慶から始まり、武漢で終わった。当初は気づかなかったが、この両都は、北方異民族の侵攻に抗した中国史上の英雄ふたりに関係している。重慶は明末の女将軍秦良玉が拠った地であり、武漢は南宋初期に岳飛が活動した主要な舞台のひとつである。 岳飛については後述するとして、秦良玉はつい先日まで歴史的ヒーローとしての資格が完全ではなかった。ヒーローは歴史上の実像世界と虚構上の虚像世界と、両次元の世界を生きねばならないのだが、彼女は虚像世界と無縁であった。 つまり最近まで彼女は小説に描かれたことがなかったのである。何しろ彼女が敵として戦いつづけたのは清軍であって、清が天下の主となった以上、小説という形で彼女の功績を称揚することはできなかったのだ。 歴史上文学上の女将軍たち(花木蘭、ボク桂英、梁紅玉ら)に比べてまことに不遇であった彼女が、ようやく虚像世界に席を得ることができたのは、日本人の筆によってである。「女将軍伝」によって秦良玉の席を虚像世界にもうけたのは井上裕美子さんである。雨に閉ざされた重慶の街を見やって、井上さんの感慨はひとしおであったにちがいない。 重慶は上古、巴国の土地であった。考古学上きわめて重要な土地である。またアジア近代史においては、1937年から45年にかけて国民政府の所在地となり、外交と戦略の中枢となって、書き落とすことのできない地名となった。当然、近代史に取材した小説の舞台ともなっている。 だが上古と近代との間がまったく空白である。四川省の地は一般に蜀と呼ばれ、治乱興亡がくりひろげられたが、その中心となったのはつねに成都であった。蜀漢の劉備、前蜀の王建、後蜀の猛知祥、いずれも成都に帝府をおき、南宋の名だたる武門であった呉一族も成都を根拠地とした。 唐の玄宗皇帝やキソウ皇帝が行在所としたのも成都であった。歴史をつかさどる神は成都にのみ照明をあて、重慶には冷淡であったように思われる。 わずかに光点がふたつある。ひとつはむろん秦良玉で、いまひとつは後漢末期に名があらわれる厳顔である。史実においてはほんの数行の記述があるのみだが、「三国志演義」というアジア最大の虚像増幅システムによって、その名は多くの日本人に知られている。「万人の敵」張飛を苦戦せしめたことで厳顔の名は永く残るのだが、彼の個人的な武名はともかく、東方から蜀へ侵入する者は、かならず重慶を通過しなくてはならない。まさに「兵家必争の地」なのである。 重慶が要害の地であることは、朝天門に立って実感した。朝天門は長江と喜陵江とが合流する地点で、やや古い事典には「朝天嘴」と記述されている。「嘴」とは絶妙な表現で、その先端部に立つと、右手を長江が、左手を喜陵江が、それぞれ流れ下り、鋭角にまじわって大長江となる。合流点は、上空から見ればまさしく東方へ突き出した嘴の形となる。 そこに立てば長江を往来する大小無数の船がことごとく一望できる。この地を陸上から攻撃しようとすれば、南の長江か北の喜陵江を渡河せねばならず、水上から攻めようとすれば河流にさからって船を接近させねばならない。唯一の攻撃路は西だが、起伏に富んだ地形は迎撃に易い。近代以前においては難攻不落であったろう。 この要害の地に軍旗を屹立させ、長江の水面をにらんで清軍撃退のチュウ策をたてる女将軍秦良玉の姿を想う。現存の権力者の像を立てて崇拝するのは醜怪だが、歳月を経てほぼ評価のさだまった人物の像はあってよい。そして彼女の像を立てるにもっともふさわしい場所は、朝天門の突端、まさに嘴の先端部であるにちがいない。
2019.10.24
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図書館で『森と人間と林業』という本を手にしたのです。これまで全敗のようなニッポンの林業であるが・・・この本の目次を見てみると、大使のツボが疼いたのでおます。【森と人間と林業】村尾行一著、築地書館、2019年刊<出版社からのコメント>より21世紀、日本の数少ない成長産業といわれる林業。敗戦後の木材不足から、全国で進められた拡大造林(四季の変化に富む広葉樹の森から、真っ暗な針葉樹モノカルチャー林への植生転換)によって生まれた膨大なスギ、ヒノキの森林が大都市周辺部を含め、成熟期を迎えつつあります。国土の7割を占める日本列島の森林。人口減少が進み、耕作放棄地は森に戻りつつあります。森林から、どのように持続可能なかたちで恵みを引き出し続けるのか。また、木材や、バイオマスエネルギーを取るだけではなく、防災やリクリエーションの場として、どのような森を育てていくのが良いのでしょうか。<読む前の大使寸評>これまで全敗のようなニッポンの林業であるが・・・この本の目次を見てみると、大使のツボが疼いたのでおます。amazon森と人間と林業まず「まえがき」で結論を見てみましょう。イラチなもので。pi~iv<まえがき> 客観的には日本林業の環境は好く展望も明るい。ところが林業人の主観ではコトは全く正反対なのである。日本林業を取り巻く環境は厳しく、だから苦しい状況はに立たされており、展望も暗いと思い込みがちである。 つまり日本林業衰弱の原因を、安価な外材の殺到や人口減少による木材需要の縮小といった外在的なものに求め、自らの経済的・技術的未熟さといった内在的なものとはしないのだ。 しかし原因が外在的なものであれば、林業界は自力ではどうにもできず、日本林業は出口なき暗黒のトンネル内に立ち往生するのみである。ところが現実を直視すれば、幸いにも原因は内在的なのだ。そうであるならば林業は自らの改革によって容易に回生できる。 本書はこうした考えのもとに、日本林業復活の道を、ただし辛口で述べる。辛口といったのは、現状の日本林業を分析すればするほど改善すべき難点がいくつも発見されるからだ。したがって日本林業の復活とはこの諸難点の克服なのである。だからこの書はいうなれば説得の書と受け取ってもらってもよい。 筆者は勢い国の林業政策を厳しく批判する。なぜならそれは森林・林業に大きな影響を及ぼすものなのだが、日本林業再生の道を逆走しているからだ。控えめにいっても的を外しがちである。したがって日本の林業人は国の施策に拘束されることなく、自らが主体的に選んだ道を歩むことが正道だと筆者は提言したい。 森林には大別して「物材生産」「環境保全」「レクレーション」の三機能がある。環境保全とレクレーションを合わせて「公益的機能」といっておくと、従来の認識は「生産林対公益林」と「生産林か公益林か」という二項対立である。現実においても両林はまま衝突してきている。 そこで本書は二項対立を斥けて、三機能林が一体である林業に進化する道、すなわち一つの森林に三機能を同時に発揮させ続ける三位一体の近代林業へと日本林業を改造することを提案する。そのためには生産林を定義し直すことがぜひとも必要なのだ。 日本の場合、ほとんどの生産林の存在形態はこうである。①スギならスギだけの単純林、②各林木が同じ樹齢の同齢林、③上木層が無い単層林、④そうした林木を一斉に伐採する皆伐林、⑤皆伐跡地に再びスギならスギの苗木を植栽する人工林、という皆伐系同齢単層単純人工林である。だから現在の生産林は農業類似の「木材栽培業」だといえる。 これに対して筆者は次のような生産林を望ましいとする。すなわち①さまざまな樹種から成る混交林、②材木の樹種がさまざまな異齢林、③上木層の下に何段階もの中下木層と豊かな林床植生のある多層林、④木材を伐採しても森林状態が維持されて森林を裸地化しない択伐である恒続林、⑤林木の再生を人工造林法と天然更新法を併用して行う人工天然林、⑥自然の法則に則り、自然林に構造と様相が酷似した施業林…と生産林を定義しなおしたい。 つまり従来の林業観では生産林に向かないとみなされる「合自然的で近自然的な異齢多層混交状態が恒続する人工天然林」に生産林がなるのである。こうした生産林を集約林、正確にいえば一本一本の樹木を丁寧に吟味して扱う知識集約的林業というのだ。これを「単木施業」とも呼ぶ。そうであればこそ林業が林業従事者に高所得をもたらし、需要を満足させ、森林の生産・保全・リクリエーションという三機能を一体化させるのだ。最近読んだ「林業がつくる日本の森林」という本を紹介します。(2017年に読了)【林業がつくる日本の森林】藤森隆郎著、築地書館、2016年刊<「BOOK」データベース>より半世紀にわたって森林生態系と造林の研究に携わってきた著者が、生産林として持続可能で、生物多様性に満ちた美しい日本の森林の姿を描く。日本列島各地で、さまざまな条件のもと取り組まれている森づくりの目指すべき道を示した。<読む前の大使寸評>ドイツやオーストリアでできている森林経営が、なぜ日本では成り立たないのか?…そのあたりを知りたいのです。<図書館予約:(1/08予約、3/11受取)>rakuten林業がつくる日本の森林『林業がつくる日本の森林』1『林業がつくる日本の森林』2『林業がつくる日本の森林』3
2019.10.24
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図書館に予約していた『漢字の字形』という新書を、待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。【漢字再入門】阿辻哲次著、中央公論新社、2013年刊<「BOOK」データベース>より漢字学の第一人者が、漢字の意外な成り立ちや読み方の歴史、部首のふしぎなど、学生時代に知っておけばよかった知識を伝授し、真に必要な知識を解説、さらに望ましい漢字教育を提言。<読む前の大使寸評>この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(10/15予約、10/22受取)>rakuten漢字再入門「1時間目 漢字の数」を、見ていきましょう。p7~10<文字が多ければ覚えるのも大変なはずなのに、いったいなぜこんなにたくさんの漢字が作られたのですか?> ■表音文字と表意文字 これまで漢字が非常にたくさん作られてきたことには、いくつかの理由がありますが、なかでももっとも大きな理由は、漢字がこれまでずっと表意文字として使われてきた、という点にあります。 たとえば「山」という漢字には「やま」という意味が、「鳩」という漢字には「はと」という意味があります。このようにそれぞれの文字が意味を表すものを表意文字といいます。それに対して、ひらがなやローマ字のように、それぞれの文字には意味がなく、単に発音しか表さない文字を表音文字といいます。 表意文字であるということ、つまり一字ごとに固有の意味があるということを逆に考えれば、それぞれの漢字は最初ある特定の意味を表すために作られた、ということになります。地表で水が流れている細長いくぼみを表すために「川」という漢字が作られ、動物や植物の外側をおおっている部分を表すために「皮」という漢字が作られました。(中略) 漢字が表している意味は、川や目など具体的なモノだけではなく、抽象的な概念もあります。家来が主君にまごころをつくして仕える気持ちを表すため「忠」という漢字が作られ、水や酒などの液体を容器にそそぎこむ動作を表すために「注」という漢字が作られました。穀物がたわわに実ったことを神に感謝するために「豊」という漢字が作られ、決まりや規則を表すために「法」という漢字が作られました。それらをひらがなで書けば、「ちゅう」とか「ほう」と同じ形になりますが、漢字ではやはりそれぞれの文字がことなった意味を表しています。 人間が暮らしている環境において、このようなモノや概念はいわば無限に存在します。まだ文字がなかった時代では、口で発する音声でそれらのモノや概念を表していましたが、時代が進むと、やがてそれを文字で表記するようになってきました。そのときに、ローマ字やかなのような表音文字を使っている人ならば、たかだか数十種類の文字を組みあわせることで、あらゆるモノや概念を表すことができます。しかし表意文字である漢字は、それぞれのモノや概念を示すためにひとつずつ文字を作るしかありませんでした。 漢字の種類が時代とともに増えたのは、いわば表意文字としての宿命だったのです。■新しく作られつづける漢字 それに加えて、さらに漢字には長い歴史があります。漢字の字数が増加した理由の二つ目は、その使用時間の長さにあるといえるでしょう。 漢字が非常に古い時代に、中国のどこかで作られたことはおそらくまちがいありませんが、いつごろ誰が、中国のどこで、どのようにして作ったものであるかはまったくわかりません。それについては考古学の発掘で発見されるものから考えるしか方法がありません。そしていま見ることができるいちばん古い漢字は、紀元前1300年前後の殷という時代に使われた「甲骨文字」で、そこから数えても現在までに三千年以上の歴史があります。この長い時間に、中国ではたえまない文化の発展があり、社会には新しいモノや概念がどんどんと登場して、それに応じてたくさんの漢字が作られてきました。
2019.10.24
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「古本」でしょうか♪<市立図書館>・長江有情・純情漂流<大学図書館>・歴史の中で語られてこなかったこと・笑説 大名古屋辞典図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【長江有情】田中芳樹著、徳間書店、1994年刊<「MARC」データベース>より青蔵高原のタングラ山脈から流れ出て歴史を懐に秘めつつ中国大陸の腹部を貫く大河・長江。麗しき山域・重慶から瞿塘峡巫峡、大寧河を経て西陵峡の終点南津関、宜昌の街まで、写真と文の旅。鮮烈な自然と懐しい人の営みと。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。amazon長江有情【純情漂流】夢枕獏著、角川書店、1992年刊<「BOOK」データベース>より天山越えの氷河古道ヒマラヤの白い高峰アラスカのユーコン下り…。作家・夢枕獏の魂の軌跡を綴った半自伝的紀行エッセイ。<読む前の大使寸評>夢枕獏という著者名が女々しいせいか、この作家の本はスルーしてきたのです。ところが、この本で描かれた漂流はかなりハードコアであり、見直した次第でおます。amazon純情漂流【歴史の中で語られてこなかったこと】網野善彦×宮田登著、洋泉社、1998年刊<「MARC」データベース>より名作アニメ映画「もののけ姫」のエボシ御前の正体は? 女が支えた養蚕と織物の歴史の意外な事実、自由主義史観・教科諸問題まで、歴史学と民俗学の両雄が描く「列島社会」の歴史の深層。98年刊の単行本を新書化。<読む前の大使寸評>追って記入amazon歴史の中で語られてこなかったこと【笑説 大名古屋辞典】清水義範著、角川書店、1998年刊<「BOOK」データベース>よりその特殊性を指摘されて久しい“名古屋”。他の地域とは、大きく異なる文化をもつ。生活、思想も独自の道を歩み、独立国であるかのようだ。本書は、その点を踏まえ、名古屋独特の言葉、行事、食べ物、その他あらゆる領域を取り上げている。などと書いていると、とっても真面目な辞典のようだが、漫画、写真が並び、ギャグもふんだんに入ります。楽しくて面白くてためになる。名古屋を知るためには、必携の一冊。<読む前の大使寸評>以前、清水さんの「やっとかめ!大名古屋語辞典」を読んで面白かったので、先行したこの本も面白いはずである。rakuten笑説 大名古屋辞典************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き402
2019.10.23
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図書館に予約していた『漢字の字形』という新書を、待つこと1ヵ月ほどでゲットしたのです。この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。【漢字の字形】落合淳思著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より「馬」の字からはタテガミをなびかせ走るウマの姿が見えてくる。しかし、「犬」からイヌを、「象」からゾウの姿を想像することは難しい。甲骨文字から篆書、隷書を経て楷書へー字形の変化を丹念にたどると、祭祀や農耕など中国社会の変化の軌跡を読み取れる。漢字がもつ四千年の歴史は、捨象と洗練と普及の歴史なのだ。本書では小学校で習う教育漢字を取り上げた。眺めて楽しい字形表から漢字の歴史が見えてくる。<読む前の大使寸評>この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(9/20予約、10/22受取)>rakuten漢字の字形「序章 漢字の歴史」を、見ていきましょう。p5~9<初期の王朝…文字の萌芽> 古代中国では、今から四千年ほど前、紀元前ニ千年ごろに最初の王朝が出現した。世襲の王が広大な地域を支配し、また多くの人々を動員して都市や宮殿を造営していた。この時代には、青銅器の大量生産も開始されており、武器だけではなく神を祭る礼器も作られた。 この王朝の遺跡からは、まとまった文字資料が発見されていないため、漢字が最初に作られた年代は、今のところ正確には分かっていない。しかし、こうした巨大な政治組織の出現とその運営には、文字が活用されたと考えるのが自然であり、紀元前ニ千年ごろに漢字の原型ができたのではないかと推定されている。 一つの都市やその周辺の支配だけであれば、支配者が直接的に見て回ることができるが、王朝規模の支配範囲になると、すべてを視察することは不可能である。おそらく、そうした広域支配を構築する過程で、情報伝達の手段として文字が発達したのであろう。また、王朝を運営するための知識や技術を残していくためにも文字が活用されたと考えられている。 なお、最初の王朝が出現したのは黄河の中流域であるが、そこから少し離れた下流域では、同時期に文字が出現していたことが判明している。 ここに挙げた図は、下流域の遺跡から発見された陶片であり、おそらく縦書きで一行につきニ文字ずつの文章が刻まれている。残念ながら漢字とは別系統の文字体系であり、また出土数もごく僅かなので解読はできないが、同じような時代に下流域に文字が存在していたのであれば、中流域にも文字が出現していたとしても不思議はない。<殷王朝の甲骨文字…統治手段としての文字> 現在までに発見されている最古の漢字史料は「甲骨文字」であり、特に殷王朝の後期に大量に作られた。当時は亀の甲羅や家畜の骨を使った占いが盛んにおこなわれており、使った甲羅や骨に占いの内容を刻んでいた。これが近代に発見され、解読が進められた結果、漢字の古い形であることが判明したのである。 甲骨文字は、硬い甲羅や骨に青銅製の彫刻刀で刻まれた。そのため直線的な字形になっており、また彫刻しやすいように画数が少ないものが多い。章扉の画像のうち、上が甲骨文字の例である。 甲骨文字の記述によれば、殷代には、王が祭祀や軍事などの王朝の重要事項について甲骨占トをおこない、その結果に従って政策を実行していた。そのため、殷王朝の政治は「神権政治」とも呼ばれる。 しかし、甲骨占トは純粋な占いではなかった。甲骨占トの方法は、甲骨に熱を加え、発生したひび割れの形で将来を占うというものであったが、「吉兆」が出やすいように事前に加工がされていたのである。 これは筆者が実験をして明らかにしたことであるが、殷代の甲骨は裏側に窪みが彫られており、それによって表側に出現するひび割れの形をコントロールできたのである。(中略)<西周王朝の金文…儀礼記録としての文字> 殷王朝の次に建国されたのが西周王朝であり、漢字資料としては、青銅器の銘文である「金文」が中心である。金文がはじめて出現したのは殷代であるが、当初は文章になった銘文は少なく、それが大量に作られるようになったのは西周代になってからである。次頁の図は西周代の青銅器であり、表面には呪術的な紋様が鋳込まれ、金文は器の内部に記されている。 金文の例は章扉の画像のうち下に挙げたが、青銅器に鋳込まれるため、甲骨文字よりも曲線的な形になっている。また、青銅は当時としては最高級の媒体だったため、文字も画数が多く、また美しい形になっていることが多い。 金文には、主に儀礼の内容が残されている。西周代初期の王畿内の金文には、王や有力者が臣下への報奨として宝貝や銅の地金などを与えた「賜与儀礼」が多く見られる。奉仕と恩賞の関係によって君臣関係が構築されていたのであり、原始的な支配体制と言えるだろう。『漢字の字形』1
2019.10.23
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図書館に予約していた『漢字の字形』という新書を、待つこと1ヵ月ほどでゲットしたのです。この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。【漢字の字形】落合淳思著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より「馬」の字からはタテガミをなびかせ走るウマの姿が見えてくる。しかし、「犬」からイヌを、「象」からゾウの姿を想像することは難しい。甲骨文字から篆書、隷書を経て楷書へー字形の変化を丹念にたどると、祭祀や農耕など中国社会の変化の軌跡を読み取れる。漢字がもつ四千年の歴史は、捨象と洗練と普及の歴史なのだ。本書では小学校で習う教育漢字を取り上げた。眺めて楽しい字形表から漢字の歴史が見えてくる。<読む前の大使寸評>この本は「ビッグイシューVOL.365」で紹介されていたので、漢字が気になる大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(9/20予約、10/22受取)>rakuten漢字の字形白川フォントそれでは、この本の腰巻に図示されている「鳥」の字から、見ていきましょう。p36~37<鳥にも4点があるが・・・> 「鳥」は、鳥の姿を文字にしたものである。飛んでいる状態ではなく、翼をたたんで休んでいる様子を表現している。 殷代の①は、上部にくちばしのある鳥の頭があり、左下に足、右下にたたんだ翼がある。特定の鳥種ではなく、鳥類の一般形である。 殷代の異体には、両足を表現した②や頭部以外を簡略化した③などがある。後者は西周代まで継承され、④になったが、それ以後には見られない。⑤は、くちばしを一本の線で表現したり、翼を線で表したりするなど、やや特殊な異体であるが、これが後代に残った。 東周代になると、くちばしや翼を線で表現した⑥のほか、翼をを簡略化した⑦や、くちばしを省いた⑧などが作られた。 秦代の字形については、おそらく⑨が⑥を継承した形であり、またこれが隷書に残った。異体のうち、⑩は略体であり、線の本数を減らしている。また⑪については、全体の形としては⑨に近いが、くちばしを省いた点では⑧に近い。そして、始皇帝が定めた篆書は⑫であるが、⑪をさらに意匠化しており、おそらくその複雑さのために後代には残らなかった。 隷書の⑬は、下部を四つの点にしており、これが楷書に継承されて⑭鳥となった。楷書のうち、一画目が鳥のくちばしであり、「日」のような形が頭部にあたる。また、下部の四つの点のうち、三つは字形表をたどると鳥の足や指であることが分かるが、残りの一つの由来は不明と言わざるを得ない。 先に取り上げた「馬」にも下部に四点があり、前述のように「馬の四足のつもり」だった可能性があるが、鳥については四点にする根拠が見あたらない。鳥に対する認識に何らかの変化があったとも考えられるが、「馬」のほか、後で取り上げる「魚」なども四点で表示されているので、あるいは、動物に関係する文字は一律に四点にしてしまった方が覚えやすいという程度のことだったのかもしれない。ウン、先生は学生たちと3年間で気の遠くなる約7000字のフォントを追加したそうで、ほんにご苦労さまでした。「ビッグイシューVOL.365」を紹介します。【ビッグイシュー日本版VOL.365】雑誌、2019年 8.15号<購入場所>JR三宮駅前<読む前の大使寸評>JR三宮駅前で、ビッグイシュー販売員を見かけたので、気になっていたバックナンバーを探してもらって、VOL.365を購入したのです。なんでVOL.365かというと、「漢字を包摂した日本語」という特集が載っているのを、事前に知っていたからです。bigissueビッグイシュー日本版VOL.365『ビッグイシュー日本版VOL.365をゲット』2:「字形表」『ビッグイシュー日本版VOL.365をゲット』1:「企」や「武」という漢字のエピソード
2019.10.23
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今、多和田葉子著「献灯使」という本を読んでいるのだが・・・ネットで「多和田葉子「献灯使」特設サイト」というのを見つけたので紹介します。著者挨拶、著者インタビュー、動画などいろんな趣向が、ええでぇ♪ 多和田葉子「献灯使」特設サイトより堀江栞<献灯使>■考えると明るくなるキャンベル: 最後に『献灯使』というタイトルについてうかがいたいです。もとになっているのはもちろん、唐に派遣された「遣唐使」で、これは小説家である義郎がかつて取り組んだ最初で最後の歴史小説のタイトルでもあります。外国を示す「唐」をなくそうと、「献灯使」という漢字の組み合わせになったこの言葉は、日本のためにーー密航ですがーー海外に派遣される子供たちを意味します。十五歳になった無名は、この使命を帯び日本を出ることになります。外に出ていくことが、非常に重要な意味を持っている。多和田: まさにおっしゃるとおり、『献灯使』という題名には、外に出て、大陸に学ばないとだめなんじゃないか、という思いが込められています。無名は、身体は決して丈夫ではありませんが、「頭の回転が速くても、それを自分のためだけに使おうとする子は失格」、「他の子の痛みを自分の肌に感じることのできる子でも、すぐに感傷的になる子は失格」というような献灯使になるための条件をクリアできる子で、彼がいつか日本を出て、海の向こうに渡って何かを学び、交流が始まり、鎖国が終わるというのが、この小説のひとつの希望になっているんです。キャンベル: 日本から出る、だけでなく、東京から出る、というのも重要なポイントですよね。無名と義郎が暮らしている「東京の西域」は自給自足がほぼ不可能で、沖縄のような汚染されていない土地から豊かな農産物を輸入している。義郎の娘で、行動力があって決断の速い天南は、早々に夫婦で沖縄に移住しています。 食料を輸出できる沖縄は強気で、言語の輸出で経済を潤した南アフリカとインドの真似をして沖縄の言語を売り出そうか、などと考えた日本政府に、そんなことをしたら本州に二度と果物を送らないよ、と脅す。これはとても面白いです。多和田: おっしゃるとおり、『献灯使』には、東京が他の県より重要だという考え方は全くありません。むしろその逆ですね。特に23区は住んでいる人もいなくて、西域だけが機能している。キャンベル: 多和田さんが育った国立から西ですね(笑)。多和田: 国立から奥多摩にかけてでしょうか。でも、それも東京への愛着から、あまり遠くに離れられないから仕方なく住んでいるだけで、本当はもっと遠くに行った方がいいんです。先ほど指摘していただいた沖縄なんかは実際、農業のおかげで非常に栄えていて、自分が正しいと思う政治を行うことのできる自治区みたいになっています。 それから、お金がものを言わない社会になっているんですね。食べることが一番大切になってくるから、たとえば沖縄などは、日本では沖縄でしかできないものがたくさんとれるので、発言権が強い。東京はお笑いみたいに植物の蓼を作ってみたりするのですが、全然だめで産業がない。 これも私の考えたウソではありますが、東京から離れた別の土地、たとえば沖縄などで無農薬の農業を始めている人も最近は結構いますから、そういう傾向が実際ないわけではない。やはり、いまのことを描いた小説なんです。キャンベル: 物語は、決して明るいエンディングを迎えるわけではありません。献灯使として船に乗り込まんとする無名は、もうすぐ自発呼吸ができなくなるかもしれないとにおわされていて、とても心配です。だからといって最後の1ページを閉じたときに惨憺とした思いになるかというと、そうでもない。それは、さっきまさにおっしゃったように、真剣なお話をするのに軽やかに言葉で遊んでいらっしゃるからかもしれないし、無名と義郎の依存し合わない、けれど互いをひとつの生命として見つめ合っているような関係のおかげかもしれません。多和田さんは書いている時に、小説を読んだ後に読み手にこんなことが残るといいなとか、そういうふうに考えることはありますか?多和田: 書く側としては、書くという行為そのものに明るさを感じるんです。たとえば福島について語ったり書いたりすると、暗く重くなってしまうから避けるという人がいますが、私はそうじゃなくて、むしろ語ったり書いたりした方がいいと思う。だってそれは他人事ではないのだし、第一どんなことをしていても不安は決して自然に消えてくれるわけじゃない。だったら真正面から見つめて、言葉をフル回転させて考えたり、書いてみるんです。すると明るくなってくる。考えるという行為、そして書くという行為は、脳みその中に電気がバーッとつくような、エネルギーを生むんです。こんないい発電の方法はないですよ。自然を破壊しないで発電できる(笑)。キャンベル: 「気をつけろホルモン」もいらないんですね。なるほど。多和田: 「気をつけろホルモン」は、観察しているときに出ますね。社会現象を観察していると怖さを感じて「気をつけろホルモン」が出る。そうすると、もっとよく観察できるようになるんです。その上で、いろいろ考えながら小説を書いていると、今度は「幸福ホルモン」が出てきますね。まあ、そういうホルモンが本当に存在するのかどうかは知りませんし、「幸福」という言葉もかなり疑ってかかった方がいいのでしょうが、これは単なるものの例えです。 書き手である私が、読み手の感想を操作するつもりは全くありませんが、読む人も、私が書いているときと同じように、ただ文字を追うのではなくて、自分でいろいろ考えながら読んでくれていると思うんです。そうすると、その考える活力によって、非常に気分が明るくなるんじゃないかな。そうだといいなと思ってます。キャンベル: ありがとうございました。
2019.10.23
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使堀江栞「献灯使」の続きを、見てみましょう。国際海賊団、言語の輸出入にふれたあたりです。p110~112<献灯使> 国際海賊団に入っている日本人たちは日本を無断で離れたため、もう帰国する権利がなない。「帰国するよりも、いろいろな国から来た同僚たちといっしょに海賊の仕事をしていた方が金も儲かるし命も安全だ」というとんでもない手紙を新聞に投稿した日本人がいた。それを読んで義郎は大声をあげて笑ってしまった。新聞がそういう投稿を載せるということは、言論の自由もまだトキみたいに絶滅したわけじゃないんだなとも思った。 海賊組織なのでバイキングの伝統を誇るノルウェー人やスウェーデン人が活躍しているには何の不思議もないが、海に縁のなさそうなネパール人やスイス人なども参加しているそうである。日本人もかなりの比率で参加しているということは、鎖国の遺伝子など存在しないということだろう。 南アフリカ政府はあらゆる海賊と断固として戦う姿勢を示している。義郎はこの間足を運んだ「サメの将来とかまぼこの未来」についての講演会で、国際海賊組織の話を聴いた。講演原稿には検閲がないのでナマの情報が耳に入ることがある。義郎は歩いていける十キロ範囲内で講演会があると必ず出掛けていく。講演会場はいつも満員だった。 南アフリカとインドは、地下資源を暴力的なスピードで工業製品に変えながら安価を競うグローバルなビジネスからいち早く降り、言語を輸出して経済を潤し、それ以外のものは輸入も輸出もしないという方針をとっていた。南アフリカとインドは「ガンジー同盟」という名前の同盟を結び、世界の人気者になりつつあった。 この仲のよいペアに嫉妬する国もいくらかあった。二国が喧嘩をするのはサッカーについてだけで、人間と太陽と言語に関しては意見がいつもぴったり一致していた。南アフリカとインドは、諸外国の専門家たちの予測に反して、経済的にどんどん豊かになっていった。 日本の政策も、地下資源の輸入と工業製品の輸出をとりやめたところまでは同じだが、輸出できるような言語がなかったので、そこで行き詰まってしまった。政府は沖縄の言葉が日本語から完全に独立した一つの言語だという論文をお抱え言語学者に書かせ、中国に言い値で売りとばそうと企んだこともあったようだが、沖縄はそんなことは許さない。もしも沖縄の言葉を売り飛ばすつもりならば、これからは果物をいっさい本州に出荷しない、と強く出た。 義郎の朝には心配事の種がぎっしりつまっているが、無名にとって朝はめぐりくる度にみずみずしく楽しかった。無名は今、衣服と呼ばれる妖怪たちと格闘している。布地は意地悪ではないけれど、簡単にこちらの思うようにはならず、もんだり伸ばしたり折ったりして苦労しているうちに、脳味噌の中で橙色と青色と銀色の紙がきらきら光り始める。寝間着を脱ごうと思うのだけれど、脚が二本あってどちらから脱ごうかどうしようかと考えているうちに、蛸のことを思い出す。もしかしたら自分の脚も実は八本あって、それが四本ずつ束ねて縛られているから二本に見えるのかもしれない。更に読み進めました。p118~120「無名、まだ着替え終わってないのか。学校遅れるぞ」 と言いながら、曾おじいちゃんが近づいてくる。激しい声を出そうとしているのは分かるけれど、ちっとも恐くない。 無名の襟首から立ちのぼる子どもの甘い匂いを義郎は深く吸い込んだ。この匂いだ。娘の天南がまだ赤ん坊だった頃、抱き上げて顔を近づけるとこの匂いがした。それは女の子の匂いなのだと勝手に思っていたが、無名はこの匂いを濃厚に発散している。天南が大人になって飛藻を生み、ある時靴下を履かせてやってくれと頼まれて、りんごに袋を被せるみたいに靴下をはかせた時、子供の小さい足に激しいいとおしさを感じたことは今でも覚えている。 しかし飛藻は、無名ほどいいにおいはしなかった。幼い飛藻の身体から発散されるにおいには、すでに泥と汗が混ざっていた。飛藻は小学校に入学する頃には靴下など無視して、裸足で運動靴の踵を踏みつぶして、「行って来ます」も言わずに勝手に外に遊びに行くようになった。落ち着きも思いやりもない子だったけれど体力はあった。 無名が生まれて飛藻が戻ってきた時、「自分の子がかわいくないのか」と思わず陳腐な台詞を吐いてしまった義郎に対して、飛藻はその場の勢いで、「俺の子かどうか、どうしてわかる」と言い返した。義郎はどきっとした。売り言葉に買い言葉の口喧嘩で言ったことに真実を求めても仕方ないと思い、飛藻の言葉をすぐに忘却炉に投げ込んでしまったが、だいぶ後になって灰の中からささやき声が聞こえてきた。無名の父親が本当に飛藻なのかどうか、飛藻自身も自信がないのだということだ。 無名の母親は、おしどりでもペンギンでもなかった。貞節という言葉も書けず、腰が軽く、浮気が日常、責められても上の空、罪の意識はなく、うわばみみたいによく飲む女でもあった。もうとっくに灰になっているので、無名の父親が誰だったのか訊きたくても訊くことができない。たとえ生きていたとしても、ひょっとしたら本人ももう覚えていないのかもしれない。ウーム 元気な曾おじいちゃんは別にして、無名のすさまじい家庭環境である。『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:ナウマン像『献灯使』1:冒頭の語り口
2019.10.22
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使「献灯使」の続きを、見てみましょう。日本の鎖国にふれたあたりです。p51~55<献灯使> 義郎は、自分が孫に教えたことが間違っていたことを認めるしかない。「東京の一等地に土地があれば将来その価値が下がるということはありえない。不動産ほど信用できるものはない」と孫に言った覚えがあるが、一等地も含めて東京23区全体が、「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」に指定され、土地も家もお金に換算できるような種類の価値を失った。 個別に計った場合は飲料水も風も日光も食料も基準をうわまわる危険値がはじき出されることはないが、長期間この環境にさらされていると複合的に悪影響が出る確率が高い土地だということらしい。測量は個別にしかできないが、人は総合的に生きるしかない。 危険だと決まったわけではないが23区を去る人が増え、それでもあまり遠くへは行きたくないし、海の近くは危険なので、奥多摩から長野にかけての地域に目を向ける人が植えていった。23区に相続した家と土地を売ることもできず、そのままにしているのは義郎の妻の鞠華だけではない。 子孫に財産や知恵を与えてやろうなどというのは自分の傲慢にすぎなかったと義郎は思う。今できることは、曾孫といっしょに生きることだけだった。そのためにはしなやかな頭と身体が必要だ。これまで百年以上も正しいと信じていたことをも疑えるような勇気を持たなければいけない。誇りなんてジャケットのように軽く脱ぎ捨てて、薄着にならなければならない。 寒さに襲われたら、新しいジャケットを買うことを考えるのではなく、熊のように全身にみっしり毛が生えてくるようにするにはどうすればいいのか考えた方がいい。実は自分は「老人」ではなく、百歳の境界線を越えた時点から歩き始めた新人類なのだと思って義郎は何度も拳骨を握りなおした。(中略) 義郎は外に立ったまま新聞を広げた。実は若い頃は新聞を読んでいなかったが、一度新聞というメディアが潰れて、あらためて復活してからは、新聞を隅々まで読むのが日課になった。政治欄の上を低空飛行すると、「規制」「基準」「適合」「対策」「調査」「慎重」などの穂先が目にささる。内容を読み始めると、沼にずぶずぶ入っていく。朝から新聞など読んでいてはいけない、まず無名を学校に送り出すことだ。「学校」という言葉にはまだかすかな希望が宿っているような気がした。 新聞を玄関に置いて台所に戻り、義郎はしぼりたてのオレンジジュースを入れた細い飲み口の付いた竹のコップを無名に手渡した。「オレンジは沖縄でとれるんでしょ」と一口飲んでから無名が訊く。「そうだよ。」「沖縄より南でもとれる?」 義郎は唾を呑んだ。「さあ、どうだろうね。しらない。」「どうして知らないの?」「鎖国しているからだ」「どうして?」「どの国も大変な問題を抱えているんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそえぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。前に昭和平成資料館に連れて行ってやったことがあっただろう。部屋が一つずつ鉄の扉で仕切られていて、たとえある部屋が燃えても、隣の部屋は燃えないようになっていただろう。」「その方がいいの?」「いいかどうかはわからない。でも鎖国していれば、少なくとも、日本の企業が他の国の貧しさを利用して儲ける危険は減るだろう。それから外国の企業が日本の危機を利用して儲ける危険も減ると思う。」 無名は分かったような、分からなかったような顔をしていた。義郎は自分が鎖国政策に賛成していないことを曾孫にははっきり言わないようにしていた。ウン 百年以上も生きてきた義郎は、復活した新聞という紙媒体を愛好しているようです。この老人好みがええでぇ♪『献灯使』2:ナウマン像『献灯使』1:冒頭の語り口
2019.10.22
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図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車オーストリアといえばまずウィーンであるが、リンツのような小都市を、見てみましょう。p117~120<ハンブルグへ> リンツは、ヒットラーがドイツ帝国の首都にしようと考えていたこともあった町だ。今ではオーストリアの小都市の一つに過ぎないが、そう言われて、まわりの町並みをぐるっと見回してみると、確かに、眠っている間に、煉瓦を唇に乗せられたような気分になる。 狭い額に憂鬱そうな皺を浮かべ、濁った充血した目で、恨めしそうにこちらを睨んでいる男のような町。骨組みはがっしりしているが、背の割に肩幅が広すぎて、腕の筋肉が重くぶら下がっている。いや、これは言い過ぎかもしれない。 あなたはリンツをそれほど嫌っているわけでhない。目を光らせて、現代音楽に耳を傾け、自分の踊りを吸い付けられるように見ている人たちが、この町にはたくさん住んでいることを、あなたは知っている。でも、これから、夜行の来るまでの時間をこの町で過ごさなければならないと思うと、何か得体の知れない物い呑み込まれはしないか、と不安になる。 ウィーンを出た夜行列車がこの町に着くのは、十時半過ぎ、あなたはそれまで、この町で時間を潰さなければならない。時間を潰すというのは、なんて嫌な言い方だろう。まるで、時間が蠅であるかのよう。時間蠅という種類の蠅がいる。タイム・フライズ・ライク・アン・アロウ。時間は矢のように飛んでいく。光陰矢のごとし。これをコンピュータに訳させたら、「時間蠅たちは、矢がお好き」という訳が出た、という話をつい昨日、読んだばかりだった。 しかし、夜行の来るのを待つ間、時間は矢のようには過ぎ去ってはいかない。蠅のように飛び去ってもいかない。まさに、その逆で、かたつむりのようだ。かたつむりの通った後には、一本の光る筋が残る。あれは、触ったら、ねばねばしているんだろうか。線路のように、背後に軌跡を残して。でんでんむしは、電車の一種か。頭から、アンテナが二本、伸びていて、遠くの誰かと通信しているようにも見える。 リンツで時間を潰すには、どうしたらいいのか。まず、植物園へでも行ってみようか。先週、ダンスのワークショップに来ていた参加者の一人が言っていたことをあなたは思い出した。「あたし、一番好きな場所は植物園なんです。踊りたい人間が植物みたいに動きのないものに惹かれるのは変かもしれませんが、わたし、いつもものを考える時には植物園に行くんです」あなたは植物に興味を持ったことはなかったが、そう言われてみると、なんだか、植物園に行ってみたくなった。 もう何年も、植物園になど、足を踏み入れたことがない。そうか、なるほど、動きのないものか。ダンサーにとって、静止の時間というのは大切かもしれない。いや、静止というのは、こちらの誤解。花だって、動いている。太陽のある方向に首を曲げたり、茎が伸びて成長したり、枯れたり。ただ、その動きが恐ろしく遅いだけだ。 植物の動きに比べたら、あたつむりなど特急列車ではないか。遅い動きというのは、体力を多く消耗するから、疲れる。ひまわりおように、1時間かけて首を右から左へ動かせと言われたら、大変だ。どうして、ひまわりは、そんな動きをしても疲れないんだる。そんなことを考えていたら、なんだか、たまらなく植物園に行きたくなってきた。 リンツの植物園にはさんさんと日が降り注ぎ、つつじの蜜が地面にこぼれそうだった。薄くてひらひらレースのような花びらが下着のようで、ちょっとみだらな感じもする。蜂はうまく羽を動かして、花の中を覗き込みながら、空中のある位置に停まり続ける。蜜があるあどうか偵察しているのだろう。あなたは、どんなに高く飛び上がることができても、すぐに地面に落ちてしまう。ダンサーなんて、そんなものだ。 蜂がお尻を振って踊るのを映画で見たことがある。蜂のダンスは、蜜のある場所を仲間に教えるためにやるんだ、と聞いた。おしべにめしべ。一つの花の中には、めしべ女とおしべ男と、両方住んでいる。そうだ、植物にとっては、両性具有が普通なんだ。自分の心の中にも、女と男と両方住んでいるのかもしれない、とあなたはふと思う。 牡丹は、ぼったりと咲いて、花の重みでぼったりと落ちそうである。 紫陽花は、どんなに日が照っていても、雨の日の記憶を肌に残して、しっとりと咲いている。 花壇の間を抜けて、道がくねくねと続く。植物園は、小さな山の麓に作られている。花壇の間をぬって走る終わりのない小道が、いつの間にか木立の中に入っていく。はくしょいと、あなたは、くしゃみをした。いつの間にか、両端に樫の木が立っていた。あなたは、樫の木は苦手である。いわゆるアレルギーがあって、近づくと、くしゃみが止まらなくなる。あわてて引き返す。『容疑者の夜行列車』2:北京へ『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ
2019.10.22
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図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車マルチリンガルの中国人学生との関わりを、見てみましょう。p61~67<北京へ> 鋼鉄の摩擦音が月を蝕み、駅が暗黒宇宙の真ん中にぽっかり浮かびあがる。どちらが上、どちらが東。あなたは、平均台の上を歩くように、腕でバランスを取りながら、停まっている汽車の方へ近付いていく。 驢馬一頭分くらいの荷物を肩に背負って歩く女がいる。子供の手を引いて急ぎ足に歩いていく男がいる。二人連れの男。腰の曲がった老人。映画俳優のように額を輝かせる若者。道端に地蔵のように並んでいるおは、靴磨きの少年たちだ。物売りの裸電球の光が薄闇に滲む。濡れた紙に墨が滲むように。 あなたは、運動靴やリュックサックに付いた商標を薄闇が隠してくれるのをありがたく思った。決して高級品ではないが、まだ80年代のことで、資本主義国の会社の製品を身に付けていただけで、外国人であることが分かってしまう。好奇の目から逃れて、まわりの人間達と同じ歩行の影になろうと務める。自分の乗る列車を探しているのは、どうやらあなただけではないらしい。 きょろきょろうろうろしている人たちが他にもいる。目の前に列車が停まっているが、それに乗ればいいのかどうか分からない。あなたはポケットから、透き通るほどウうい切符を出して見る。列車の番号がカスレタインキで印刷されている。これが本当に切符なのだろうか。もし違ったら、という疑いが掠め通る。もし違ったら、騙されたのだから、又、お金を払って、新しい切符を買うしかない。 騙されることが一番の勉強だ、と誰かが言っていた。ああ、馬鹿馬鹿しい。あなたはそういうもっともらしい説教が嫌いだ。苦い薬が必ずしも身体に効くとは限らない。甘い果物を買ったつもりでかぶりついて酸っぱかったら、ぺっぺと吐き出すだけだ。何の勉強にもならない。甘いものばかり食べて、良い仕事をした芸術家だっているはずだ。いないなら、自分がその第一号になってやろう。(中略) 途方に暮れていると、後ろから誰かが背骨をさわった。骨と骨の間の妙な隙間に指を入れるように。ぶるっと身震いして振り返ると、眉の美しい昨日の学生が立っていた。 昨日、西安の町中で、この学生が声をかけてきた。七ヶ国語が話せる、という。 夜行の切符を買うのには時間がかかる。自分が買ってきてやるから、あなたは観光でもしているがいい、と言うので、まとまったお金を渡し、夕方ホテルのロビーで逢う約束をして、別れた。ところが、別れて兵馬俑行きのバスに乗ってみると、あなたは不安になってきた。名前も知らない学生に大金を渡し、もし彼が戻ってこなかったら、どうするのだ。 警察に話しても笑われるだけだろう。自分の国でも、知らない人にお金を渡してものを頼んだりはしない。なぜあんなことをしてしまったのか。1週間食いつなげるだけの金額だった。学生だから人を騙さないとは限らない。第一、あれが学生であるかどうかさえ分からない。語学ができるのは確かであるけれども、語学があんなにできるのは却って怪しいのではないか。真面目な生活を送ろうとする人間が、七ヶ国語も勉強するだろうか。疑う心から鬼がぼろぼろ生まれてくる。急に学生の美しい眉が妖しげなものに思われてきた。 それは密に繁っているだけに毛虫のように見えた。艶やかではあったが、それは唾をつけて艶をつけていたのではないのか。繊細な指つき、しなやかな首、柔らかい声、少し照れたような笑い、悪いことなどできなそうな顔ではあった。しかし、羊のセーターを借りて着ている虎もいる。言葉が上手くて滑らかな人間に道徳的に優れた人間はいない、と昔中国の賢人が言っていなかったか。 あなたは一日中落ち着かず、兵馬俑の人形達の顔を見ていても、そこに学生の顔が浮かび上がってくるようで困った。夕方、あなたは下痢をしてしまった。いらいらしながらロビーに早めに降りて待っていると、時間通りに学生が現れた。日中と全く同じ明るい眉をして、夜行の切符とお釣りをあなたに渡した。お釣りは予想外にたくさんあった。あなたは学生を疑ったことが後ろめたくなって、うつむいた。(中略) あなたは本を読み続けた。少しも眠くならなかった。夜行列車の中では、理由もなくひどく眠くなることもあれば、一晩中眠れないこともある。 三十分くらいたっただろうか。顎ヒゲ頬ヒゲ繁る商人が麦酒のにおいをさせて戻ってきた。ドアのところに立ったまま、上のベッドに横たわった桃の妖精たちと話を始めた。男が何か低い声でぶつけるように言う度に、二人は、ひらひらと笑うのだった。笑い声の中には言葉も混ざっていた。 あなたが文庫本の活字から少しでも目をずらすと、男の骨盤の辺りが視界に入った。男の声は、聞いていると内蔵を触られるように不快だった。このまま深い眠りに入って、自分の周りにある世界を消してしまいたい、とあなたは思った。どのくらい時間がたったか、男はドアを閉めて、姿を消した。男はどうやら、他のコンパートメントに寝台を予約しているらしい。『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ
2019.10.21
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図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車この本の語り口を、見てみましょう。p30~32<グラーツへ> チューリッヒ行きの電車が来て、あなたとヒコボシはまるで友人同士のように同じコンパートメントに乗り込んだ。国境警察が物売りのように車内を通り過ぎていった後、スイス鉄道の車掌がまわって来ると、男は急にスイス方言に切り替えて、あなたの事情を説明してくれた。 同じ土地の人間として方言で頼まれると、嫌とは言えないようだった。方言はお金よりも強く人を縛る。車掌は、電話で夜行に連絡して聞いてみます、と約束して去った。信頼の置けそうな口調だった。ところがそれっきり戻ってこない。どこで油を売っているのだろう。それとも、約束のことなど忘れてしまったのか。もうすぐチューリッヒ駅です、という放送が入った時、やっと、車掌は息せき切って戻ってきて、「すいません、電話がどういうわけか、ずっと繋がらなかったんです。夜行はもう出てしまいました」 と誤まった。 嘘とは思えなかった。あなたはお腹の力が抜けていくのを感じた。今夜は、チューリッヒに泊まるしかないのだろうか。明日の早朝列車があったとしても、昼前にはグラーツに着けないだろう。ヒコボシは、「これから、いっしょに窓口に言って相談してみましょう」 と言って立ち上がった。 あまり自信のある言い方だったので、あなたは巨人に負ぶさって空を飛ぶようなつもりでついていった。窓口では、男はまたスイス方言で相手をぐいぐい押すように質問を重ねている。しばらくすると、あなたの方に振り返って、メモを手渡した。「これから、ウィーン行きの夜行が来るから、それに乗って、あけがたの四時にザルツブルグで降りなさい。そこからグラーツ行きの始発に乗れば、昼には着きますよ」 あなたは手品でも見せられたように、ぽかんとしている。だまされたような、救われたような気持ちである。そうか、方角のちょっと違う夜行に半分だけ乗って、途中で乗り換えることで軌道修正すれば、間に合うのか。そういう考え方もある。「本当にお世話になりました。もし、あなたがいなかったら、途方に暮れていたところです。」「グラーツ公演も頑張ってください。」「あなたもお元気で」 彼女によろしく、と言おうとして、あなたは口を噤む。男の浮気の目撃者になるつもりはなかった。もちろん住所も交換できない。今度チューリッヒのどこかで偶然出逢っても、向こうは他人のふりをするだろう。向こうは、奥さんといっしょかもしれない。ウン モームの「アシェンデン」を彷彿とするテイストであるが・・・まだパンスカ風テイストは強くはありませんね。この本も『多和田葉子アンソロジー』R2に収めておくものとします。
2019.10.21
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「漢字」でしょうか♪(図書館予約受取予定分を含む)<市立図書館>・容疑者の夜行列車・漢字の字形・漢字再入門・森と人間と林業<大学図書館>(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車【漢字の字形】落合淳思著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より「馬」の字からはタテガミをなびかせ走るウマの姿が見えてくる。しかし、「犬」からイヌを、「象」からゾウの姿を想像することは難しい。甲骨文字から篆書、隷書を経て楷書へー字形の変化を丹念にたどると、祭祀や農耕など中国社会の変化の軌跡を読み取れる。漢字がもつ四千年の歴史は、捨象と洗練と普及の歴史なのだ。本書では小学校で習う教育漢字を取り上げた。眺めて楽しい字形表から漢字の歴史が見えてくる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/20予約、10/22受取予定)>rakuten漢字の字形【漢字再入門】阿辻哲次著、中央公論新社、2013年刊<「BOOK」データベース>より漢字学の第一人者が、漢字の意外な成り立ちや読み方の歴史、部首のふしぎなど、学生時代に知っておけばよかった知識を伝授し、真に必要な知識を解説、さらに望ましい漢字教育を提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/15予約、10/22受取予定)>rakuten漢字再入門【森と人間と林業】村尾行一著、築地書館、2019年刊<出版社からのコメント>より21世紀、日本の数少ない成長産業といわれる林業。敗戦後の木材不足から、全国で進められた拡大造林(四季の変化に富む広葉樹の森から、真っ暗な針葉樹モノカルチャー林への植生転換)によって生まれた膨大なスギ、ヒノキの森林が大都市周辺部を含め、成熟期を迎えつつあります。国土の7割を占める日本列島の森林。人口減少が進み、耕作放棄地は森に戻りつつあります。森林から、どのように持続可能なかたちで恵みを引き出し続けるのか。また、木材や、バイオマスエネルギーを取るだけではなく、防災やリクリエーションの場として、どのような森を育てていくのが良いのでしょうか。<読む前の大使寸評>追って記入amazon森と人間と林業***********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き401
2019.10.21
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<我が町のツバメはいずこ(復刻)>朝夕、ツバメの群れが、空を舞っているが・・・これは、長旅の出発の機会をうかがっているのだろうか?とにかく、七十二候の「玄鳥去」から、実態が1ヵ月ほどズレているようです。ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。
2019.10.20
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図書館で『正しいコピペのすすめ』という新書を手にしたのです。太子が日々綴るブログは、ほとんどデッドコピーの連続である。引用元を明記しているからいいだろうと思っているが・・・これって著作権の侵害ではないかと一抹の不安があり、この新書を読むことにしたのです。【正しいコピペのすすめ】宮武久佳著、岩波書店、2017年刊<「BOOK」データベース>より他人が撮った写真をSNSにアップする、web上の文章を自分のレポートに貼り付ける、ネットで見つけた動画をダウンロードして視聴する…、これらの大半が著作権に関係しています。「許されるコピペ」と「許されないコピペ」の違いは何なのでしょうか?コピペ時代を生きるために必要な著作権ルールをわかりやすく解説します。<読む前の大使寸評>太子が日々綴るブログは、ほとんどデッドコピーの連続である。引用元を明記しているからいいだろうと思っているが・・・これって著作権の侵害ではないかと一抹の不安があり、この新書を読むことにしたのです。rakuten正しいコピペのすすめ「第2章 コピーのルールとは」で、「著作権の中身」を見てみましょう。p30~32<著作権の中身> では著作権とは一体、どのような権利なのでしょうか。著作者が持つ権利の中身をみてみましょう。 著作権という時、10以上の権利のうちのどれかを指しています。実は、「著作権」という言葉はこれらの権利の総称に過ぎません。 注意すべきは、著作権とは、著作者あるいは権利を譲り受けた人だけが持つ「独占的な権利」だということです。コンテンツを作る人は強力な権利を持ちます。 以下では分かりやすくするために6つに分けて説明します。なお、この分類は、文化庁の著作権課が作った『著作権テキスト 初めて学ぶ人のために』の方法を参考にしています。それぞれの権利を細かく見るのは煩雑ですので、6つを大づかみして理解してください。(1) コンテンツを複製する独占的な権利(複製権) 著作権法の中心的な権利です。「複製権」は、著作権の「一丁目一番地」と言ってよいでしょう。複製できる権利です。あなた以外の人が、あなたが作ったコンテンツを複製してはなりません。著作権を、英語で「コピーライト」と言いますが、このことを端的に表しています。コンテンツを作る人、つまりキングだけに与えられた権利です。 著作物はこの「複製権」で守られています。「複製する」とはコピー機で書類をコピーすることだけでなく、写真撮影やパソコンやスマートフォンに動画、映画、音楽を取り込むことも意味します。 機械に頼らずに写し取る行為も複製に当たります。つまり、絵筆による絵画の模写はもちろんのこと、講演や授業で、講師や先生が話していることを「手書き」でそっくりそのまま書き取ることもコピー行為とみなされます。 ただし、後述しますが、自分自身や家庭内だけで使う程度の「私的な使用のための複製」や「学校教育現場における複製」などは例外として認められていますので、安心してください。(2) コンテンツを人々に伝える独占的な権利(上演権・演奏権、上映権、公衆送信権、口述権、展示権など)(3) コンテンツを二次的著作物に改作する独占的な権利(翻案権、翻訳権、二次的著作物の利用権など)(4) 未公表のコンテンツを公表する権利(公表権)(5) コンテンツに作者を表示する権利(氏名表示権)(6) コンテンツの内容を変更する権利(同一性保持権)(2~6項は太子側で内容省略)『正しいコピペのすすめ』2:著作権とは『正しいコピペのすすめ』1:コピペの違法性
2019.10.20
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図書館で『正しいコピペのすすめ』という新書を手にしたのです。太子が日々綴るブログは、ほとんどデッドコピーの連続である。引用元を明記しているからいいだろうと思っているが・・・これって著作権の侵害ではないかと一抹の不安があり、この新書を読むことにしたのです。【正しいコピペのすすめ】宮武久佳著、岩波書店、2017年刊<「BOOK」データベース>より他人が撮った写真をSNSにアップする、web上の文章を自分のレポートに貼り付ける、ネットで見つけた動画をダウンロードして視聴する…、これらの大半が著作権に関係しています。「許されるコピペ」と「許されないコピペ」の違いは何なのでしょうか?コピペ時代を生きるために必要な著作権ルールをわかりやすく解説します。<読む前の大使寸評>太子が日々綴るブログは、ほとんどデッドコピーの連続である。引用元を明記しているからいいだろうと思っているが・・・これって著作権の侵害ではないかと一抹の不安があり、この新書を読むことにしたのです。rakuten正しいコピペのすすめ「第2章 コピーのルールとは」で、ずばり「著作権とは」を見てみましょう。p21~23<著作権とは> 著作権の対象となるコンテンツや作品についてのさまざまな制度やルールを定めているのが著作権法という法律です。この法の目的は「文化の発展に寄与する」ことと明記されています。同時に、ルールを定めて、「著作物」を生み出した人の権利を保護することも法律の目的です。 誰かが努力して素晴らしいコンテンツを作っても「他の人が無断で使ってしまう」状況があれば、ばかばかしくなって誰もコンテンツを作らなくなってしまいます。著作権の制度とは、「がんばって作ったコンテンツを、他人に勝手に使われないように、国が保護してくれる」制度と理解してよいでしょう。 しかし、著作権法が「文化の発展への寄与」という時、それは「個々の人の利益のため」ではなく、「社会全体のため」を意味することに注意が必要です。「コンテンツを作る人の利益」と「公共の利益」とのバランスを考えた上で、「公正な利用」つまり、公共性が優先される場合がある、というのが著作権法の精神でもあります。 では、著作物とは具体的に何でしょうか。著作権法によると、著作物とは「思想または感情」を「創作的に表現」したものであって「文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」と規定し、次のように著作物を例示しています。1. 小説、脚本、論文、講演など言語の著作物。短歌や和歌、俳句など詩歌も含みます。2. 音楽の著作物(詩と曲)。作られた曲が対象です。指揮者や歌手など実際に演奏する「実演家」は曲をつくったわけではないので著作権を持ちません。3. 舞踏(ダンス)や無言劇(パントマイム)の著作物。「振り」を考案した人が権利を持ちます。4. 絵画、版画、彫刻、マンガ、イラストなど美術の著作物。5. 建築の著作物。ただし、外観がアート性の強い建物に限ります。6. 地図や図面や図表の著作物。7. 映画の著作物。テレビドラマやコマーシャル映像、アニメなど。8. 写真の著作物。肖像や風景の写真が相当します。9. コンピューターやゲームのプログラム この分類をみると、自動車の車体や服装のデザインは著作権の対象ではありません。こうした工業デザインは「応用美術」に含まれるひとつの形態とみなされ、著作権の対象外となる場合があります。近年、さまざまな議論が取りざたされている分野でもあります。 著作物とは、何もレオナルド・ダ・ヴィンチの≪モナ・リザ≫やベートーヴェンの交響曲のように、高度のクオリティーを持たなくてもかまいません。例えば、幼稚園児の描くひまわりの絵。自分の創作性に基いて描くならこの絵が著作物です。『正しいコピペのすすめ』1
2019.10.20
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18日のNHKドラマ『ミス・ジコチョー』を見たのだが、このドラマで「失敗学」なるものが出ていました。 失敗学の権威、畑村洋太郎教授がインタビューで「原発事故の真相が解明されないまま『安全神話』は続く」と説いているので、紹介します。(畑村教授へのインタビューを10/18デジタル朝日から転記しました)東京電力福島第一原発事故で強制起訴された旧経営陣3人に、東京地裁は先月、無罪を言い渡した。事故がなぜ起き、防げなかったのかは、今も十分に解明されたとは言えない。7年前、自ら提唱する「失敗学」の手法で原因究明を目指した畑村洋太郎・東京大学名誉教授は「いまも悔いが残る」と語る。「失敗」の訳を聞いた。Q:政府の事故調査・検証委員会の委員長を務めた立場から、今回の判決をどうみましたか。A:あの事故を責任問題または刑法の方向からだけ見て、それでよしとする社会は、『幼稚』という感じがします。事故から何を学ぶか。再発防止も大事ですが、それ以前に現象がどう進んでいったか、被害がひどくならないように収める方法はなかったか、そういうことを事故が起こる前に考えておかなければいけなかった。Q:関係者に率直に打ち明けてもらうことで、再発防止の鍵を探る。そんな「失敗学」の手法を畑村事故調はとりました。報告書をまとめてから7年経ちましたが、振り返って何点ですか。A:責任追及のための普通の事故調ではなく、再現実験などで事故を実証するところまでするという条件で委員長を引き受けました。委員会の名称に『検証』の2文字も入れましたが、再現実験ができず、結果として検証をあきらめざるを得なかった。60点と思いたいところだが、30点ですかね。Q:そこまで悔やむ理由はどこにあるのですか。A:失敗学的な考えを委員全員で共有できなかったことが、最大の要因だと思います。約60人いた事務局スタッフの約3分の1は検察や警察からの出向者。 頭は切れて事実を記述する面では優れていましたが、失敗学を十分理解していたわけではありませんでした。一方、私はやればやるほど自分が原子力の門外漢であることを痛感しました。かといって調査はすごい勢いで走り出しており、原子力の専門家をメンバーに追加することもままならなかった。肝心の再現実験を提案しても予算がないと言われ、その必要性も理解されませんでした。Q:委員長職を賭してでも「再現実験をやれ」と政府に訴えようとは考えなかったのですか。A:考えなかったなあ……。考え方の共有に精力を使うと調査が進まない。検証の重要性を訴えても、周りの誰からも支援がない。時間と金と考えを共有する人がおらず、『畑村流』はほとんど貫けなかった。『じゃあ、お前がすべてやれ』と言われても、原発事故の検証の仕方を考えるとなれば、途方もないエネルギーが要る。重要性は分かっていましたが、すべての力を注ぐところまではできませんでした。Q:最終報告書では「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる」などを事故で得られた知見として掲げましたね。A:福島第一原発の事故では1号機の非常用復水器が作動しなかったことが悲劇を招きました。スペインの原発関係者によれば『復水器を動かすと、雷のようなすごい音がするからすぐにわかる。運転中にテストした経験があるから、スペインではみな知っている』という。一方の日本は運転中のテストはしておらず、多くは復水器の仕組みを知識として知っていただけなので、事故時に作動していないことに気づかなかった。 日本の原子力業界は、絶対安全で事故はないんだと言うばかりで事故がどう進行するかを真剣に考えたことがなく、実証テストをしなければならないとは考えなかった。そもそも議論が出るのを抑えてきたために、こんな体質になってしまったのです。最終報告書では政府や電力会社などに様々な提言をし、継続的な原因解明や被害調査を求めましたが、ほとんど進んでいませんね。 ■ ■Q:事故を機に原子力業界の「安全神話」は崩壊したのでは。A:事故後に規制のルールも変わりましたが、体質は変わっていません。万一の際に、格納容器を守るために内部のガスを外に逃す『フィルター付きベント』の実地テストは義務づけられていない。放射性物質を外部に出すからという理屈です。日本の原子力業界は今も安全神話という特有の『気』に包まれているように思います。 最近は原子力政策を進めた政府がおかしい、業界がおかしいというより前に、自分の目で見て自分でちゃんと考える国民がいなかったのが最大の要因だと思うようになりました。危うさを知ったうえで利用する。その覚悟がなければ、私たちに原子力を使う資格はないと思うのです。 ■ ■Q:失敗学を提唱されて30年になります。A:成長や進歩に失敗はつきものです。失敗が起きても結果が我慢できる程度に収まるように準備することがなによりも重要です。 日本の国内総生産(GDP)はここ30年、ほとんど伸びていません。つまり明治維新、高度成長の『成功』の後、『失敗』が続いているのです。世界中の知識や科学を総動員して日本の行動様式や考え方にある欠陥、欠点を改めるべき時期だといえます。今こそ失敗学が求められていると思いますが、そうした論調は出てきません。Q:なぜですか。A:日本社会は、失敗に向き合うことが苦手だからです。明治維新がうまくいったことが苦手の根底にあるように思います。世界中に手本になるモノを探しに行って、具合良くできあがったものがどこかにあれば、それを取り込むことにばかり一生懸命になった。技術を生んだ国はドイツもフランスも300年以上数々の失敗を重ねて、痛い目にあっています。日本は明治維新から150年しか経っていない。失敗の蓄積が少ないがために、技術の危うさに気づく人が少ないのです。 工学では考える領域を限らないと、議論や設計ができません。そこで考える領域を定めます。その外側には考えないことにした領域が残っていますが、いつしか考えなくてよい領域になり、ついには考えてはいけない領域になります。さらに『あり得ないこと』にされ『想定外』が膨らむのです。Q:失敗学の成果の実例を一つ挙げるとしたら何ですか。A:2004年の新潟県中越地震で時速約200キロで走っていた上越新幹線『とき325号』が脱線しましたが、100人以上いた乗客・乗務員に死傷者は出ませんでした。 1995年の阪神・淡路大震災で山陽新幹線の高架橋が落ちた『失敗』に学んだ結果でした。 地震の揺れと軟弱な地盤が重なると新幹線の橋脚も壊れうると知って、JR東日本は約8万本の橋脚を全て調べ、一番危ないところから補強を始めていました。その補強した高架橋を『とき325号』は地震発生時に通過していました。現場では地盤の液状化が起こっていて、補強していなければ高架橋が落ちたところに新幹線が突っ込み、大惨事になっていたでしょう。Q:原因解明というと、技術偏重のように聞こえるのですが。A:まず起きたことを技術的な視点から明らかにするのが基本です。しかし失敗の真の原因は工学的なものに限りません。 1999年に茨城県東海村のJCO東海事業所の核燃料加工施設内で臨界事故が起きて作業員2人が亡くなりました。臨界事故防止を重視した正規のマニュアルではなく、『裏マニュアル』に沿って作業をしていたことが直接の原因でした。しかし、根本には『合理化』が進み、十分な知識のない作業員が携わっていたことがあったのです。 ■ ■Q:福島の原発事故を機に失敗学が定着するかに見えましたが、そうはなっていません。A:事故から8年半たったのに今なお文化というか、物の考え方から全体をみるということができていないと感じます。日本社会は、福島の事故も形だけ学んだことにして、忘れようとしているのではないでしょうか。物事を深く考えて語る人が減り、表面的な形だけ整えておしまい、という人が増えているように感じます。 今は社会の基準や規範を変える最大のチャンスだと思います。今しなければ、チャンスがあったのになぜ生かさなかったのだろうと多くの国民が後悔するときが来るのではと懸念しています。心配なのは将来、高い確率で発生が見込まれる南海トラフの大地震です。最大30万人以上が死ぬだけでなく、その何倍もの人がけがをし、社会の活動ができなくなります。日本の国そのものが成り立たなくなる恐れがあるのです。Q:どうすればよいのですか。A:事故や災害は起こるものとして、被害を抑えるための方策を考え、実施する。人の一生という短期間の経験だけに頼って起きっこないと油断していると、大変なことになります。こんなことが起きたら大変だという危惧感に基づいて事前に対策をとるのが、費用対効果からみて一番いい。 何もしないで発生する損害額の千分の1のコストをかければ、大地震が起きても致命的な被害は回避できるでしょう。(聞き手・大牟田透) *畑村洋太郎:1941年生まれ。畑村創造工学研究所代表。2002年にはNPO法人失敗学会を設立。消費者庁の消費者安全調査委員会委員長も務めた。「失敗」を直視せよ畑村洋太郎2019.10.18この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR13に収めておきます。
2019.10.19
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図書館で『正しいコピペのすすめ』という新書を手にしたのです。太子が日々綴るブログは、ほとんどデッドコピーの連続である。引用元を明記しているからいいだろうと思っているが・・・これって著作権の侵害ではないかと一抹の不安があり、この新書を読むことにしたのです。【正しいコピペのすすめ】宮武久佳著、岩波書店、2017年刊<「BOOK」データベース>より他人が撮った写真をSNSにアップする、web上の文章を自分のレポートに貼り付ける、ネットで見つけた動画をダウンロードして視聴する…、これらの大半が著作権に関係しています。「許されるコピペ」と「許されないコピペ」の違いは何なのでしょうか?コピペ時代を生きるために必要な著作権ルールをわかりやすく解説します。<読む前の大使寸評>太子が日々綴るブログは、ほとんどデッドコピーの連続である。引用元を明記しているからいいだろうと思っているが・・・これって著作権の侵害ではないかと一抹の不安があり、この新書を読むことにしたのです。rakuten正しいコピペのすすめ「第1章 コピーする日常」で新聞記事コピペの違法性について、見てみましょう。p10~12<「コピーした? 捕まりますよ」> 次に私たちに身近な新聞記事について考えてみましょう。新聞はこのごろは、紙で読むよりはスマホやタブレットで読む人が多いのですが、紙媒体であっても、オンライン上であっても、新聞や雑誌の記事や写真には著作権があります。そして記事はよくコピーされます。 訪問先の企業や団体で、新聞記事が無断でコピーされて回覧されている光景を目にすることがあります。社長インタビューや新製品発表、あるいは不祥事の記者会見など、大きな企業ほど、毎日届く多数の新聞や雑誌を丹念に調べて、自社と関係のありそうな記事をコピーし、関係部署に配布したり、社内メールで送ったりしています。 この光景を見て、私はその会社の人に「記事には著作権がありますよ。無断コピーは法律違反。捕まりますよ」と冗談を言います。そうすると「え? 記事には著作権はないでしょ。記事は公共のものではないのですか」という答えが返ってきます。「ウェブで無料のニュースがあるではありませんか」と言われたりします。(中略) コピーする際には、後述する例外的な場合を除けば、新聞に盛り込まれた記事や写真には著作権があると考えていいでしょう。 記事を違法にコピーしたら捕まるのでしょうか? 安心してください。悪質なことをしないかぎり、通常は刑事事件になることはありません。事件となるためには、被害を受けた人が警察に届け出をしないと違反の手続きが実施されません(著作権の侵害罪は「親告罪」と呼ばれ、被害を受けた人が告訴しないと侵害した人を処罰できません)。 なので、社内で無断コピーしていることを知った記者または新聞社が訴えない限り、刑事責任が問われることもありません(私は、だからコピーして良いですよと言っていません。違反は違反です)。 他方で、新聞記事を、自分の個人的な使用で用いる場合は「著作物の私的使用」として扱われるので、著作権の侵害に問われることはありません。このことは第2章で述べることにします。 私が「(記事をコピーすると)逮捕されますよ」と冗談を言うのには理由があります。どんな形であれ、他人の文章や写真を扱う人には「コンテンツは必ず誰かが苦労して作った」ことを知ってほしいからです。ウーム 有料記事をバラすのは良くないが、朝日さんに告訴されなければいいわけか、という悪知恵が付いたみたいでおます。
2019.10.19
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図書館で『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』という本を、手にしたのです。第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪【奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<商品の説明>より◆特集◆正統なんてぶっ飛ばせ!奇想と言えば、若冲や蕭白などの江戸時代の絵画。だが実は、日本人には縄文時代から奇想DNAが流れていた!●はじめに 文・山下裕二●奇想八カ条●奇想の美術史年譜―そいつは時々、爆発する【第一部】奇想幼年期 大陸とせめぎあう奇想の島 縄文時代~桃山時代【第二部】奇想青年期 徳川の平和は奇想の楽園 江戸時代【第三部】奇想壮年期 世界一体化と奇想の行方 明治時代~現代<読む前の大使寸評>第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪amazon奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)ゆるかわ系絵巻物を、見てみましょう。p31<こんなにいるよ、ゆるキャラのご先祖さま> 右頁の≪かるかや≫と双璧をなす中世のゆるかわ系絵巻物には、福原遷都を成しとげた平清盛が、和田岬に港を作るため人柱を沈める説話「築島物語」の各場面が描かれている。残酷なストーリーとは裏腹に、簡略化・類型化された人物表現は天真爛漫。たとえば筏の漕ぎ手の下半身を大胆に省略してしまうなど、なげやり(?)な描きぶりには、唖然とさせられながらも、笑みを誘われる。 ウン 大胆な省略やでぇ♪ ちなみに福原、和田岬とはドングリ国の領内でおます。 『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』3:岩佐又兵衛『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』2:はじめに:山下祐二『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』1:バンクシー非公式展覧会
2019.10.19
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図書館で『知られざる弥生ライフ』という本手にしたのです。ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版であり、大使好みの装丁である。この本のキモとしては、個人的には「米つくりはどのように広まったか?」ではないだろうか。【知られざる弥生ライフ】 譽田亜紀子著、誠文堂新光社、2019年刊<「BOOK」データベース>より【目次】彼らに会いに行く前に知っておきたい弥生知識/1章 社会の移り変わり/2章 衣食住とお仕事/3章 弥生時代の祭祀/4章 弥生遺跡ガイド/5章 続縄文時代と貝塚時代/6章 卑弥呼と邪馬台国の謎<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版であり、大使好みの装丁である。この本のキモとしては、個人的には「米つくりはどのように広まったか?」ではないだろうか。rakuten知られざる弥生ライフ「環濠集落」や争いの痕跡を、見てみましょう。p32~35<環濠の中はとっても安心!?> 弥生時代の社会を語るうえで欠かせない大きな特徴のひとつに「環濠集落」があります。これは水田稲作と共に大陸から持ち込まれた集落のあり方で、外敵や害獣、ときには洪水などの自然災害から集落を守るために、さらにはムラの集団意識を高めるために周囲に濠を巡らしました。 集落によっては、何重もの堀を巡らす環濠集落もありました。その内部には集落の人々が暮らす住居はもちろんのこと、米を保存しておく高床式倉庫や、遺跡によっては食料を貯蔵しておく貯蔵穴などがありました。また食料だけでなく、田畑を耕すために共同で使う農耕具を入れておく倉庫もあったかもしれません。 環濠集落の「かんごう」には、「環濠」と「環壕」の2つの表記があります。厳密に言うと、「濠」と書く場合は、深く掘り下げた堀に水を巡らした状況をいい、「壕」と書く場合には、水を入れない空堀を言います。本書では、一般的な「環濠集落」という表現を使っています。 環濠の場合、自然の河道と繋がっていることも多く、洪水対策や用水路の機能も兼ねていたようです。 環濠作りは、当時としてはかなり大がかりな土木工事だったはずです。今のようにショベルカーなどの大型機械があるわけではありませんから、集落の人たちが総出で、木製の鍬などを使って手作業で掘ったのでしょう。連日続く、激しい掘削作業に不満はつきものですが、自分たちの暮らしは自分たちで守る、という集落に対しての愛着、そして強い連帯をもたらしたのではないでしょうか。 水田稲作だけでなく、こうした大掛かりな工事を通して、集落の指導者はより権力を高め、集落の結束を促したのかもしれません。環濠集落はより強い仲間意識を作り出す装置だったとも言えそうです。『知られざる弥生ライフ』1:米つくりの広がり『知られざる縄文ライフ』3:縄文人はどこから来たの?『知られざる縄文ライフ』2:縄文の美の発見者『知られざる縄文ライフ』1:鬼界カルデラで大噴火があり
2019.10.18
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図書館で『知られざる弥生ライフ』という本手にしたのです。ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版であり、大使好みの装丁である。この本のキモとしては、個人的には「米つくりはどのように広まったか?」ではないだろうか。【知られざる弥生ライフ】 譽田亜紀子著、誠文堂新光社、2019年刊<「BOOK」データベース>より【目次】彼らに会いに行く前に知っておきたい弥生知識/1章 社会の移り変わり/2章 衣食住とお仕事/3章 弥生時代の祭祀/4章 弥生遺跡ガイド/5章 続縄文時代と貝塚時代/6章 卑弥呼と邪馬台国の謎<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版であり、大使好みの装丁である。この本のキモとしては、個人的には「米つくりはどのように広まったか?」ではないだろうか。rakuten知られざる弥生ライフまず、「米つくりの広がり」を、見てみましょう。p26~27<コメの美味さに激震走る!?> 縄文時代の晩期、東北地方の亀ヶ岡文化圏を中心に遮光器土偶が盛んに作られていた頃、九州の北部では水田稲作を暮らしの中心に据えた弥生文化がすでに始まっていました。先にお話ししたように、南北に長い日本列島の中で、異なる文化が同時に存在したのです。 そもそも大陸からの人の交流は弥生時代に始まったことではありません。それ以前にも人の行き来はありましたが、朝鮮半島南部で水田稲作をしていた人々が新天地を求めて移り住んだのがこの時期だったのです。 一例として、九州北部、福岡県早良平野にある有田七田前遺跡の人々を見てみましょう。室見川の上・中流域に縄文的な生活で暮らす人々(縄文人)がいて、その下流域に大陸から渡ってきた人々が水田稲作をしながら暮らしています。水田稲作をする人々と伝統的な暮らしをする人々は、住み分けをしながらも、お互いの存在が気になっていたことでしょう。 両者は少しずつ距離を縮め、ゆっくりと意思疎通をはかります。そうして新しい文化を受け入れていったように思います。もしかしたら、大陸の人々は米を炊いて縄文人に食べさせたかもしれません。渡された米を縄文人はおそるおおる口に入れ、噛みしめるほどに広がる旨味に衝撃を受けました。 あくまでも想像ですが、その味を知った縄文人は、今まで味わったことのない米の美味しさの虜になったのでしょう。もしかすると、私たちが思う以上に、縄文人たちは積極的に水田稲作という新しい文化を取り入れたのかもしれません。 弥生時代の始まりは、それまでの縄文時代の暮らしの上に水田稲作という社会システムが重なり、それがグラデーションのようにジワジワと広がりながら作り上げられていったのです。この本が出た2年前に『知られざる縄文ライフ』が刊行されているので、紹介します。【知られざる縄文ライフ】譽田亜紀子著、誠文堂新光社、2017年刊<出版社>より 現代を生きる私たちにとって、誰もが知っているようであまり知らない、縄文時代。この本は研究から見えてきた縄文を、小難しいことを抜きにしてザックリ知るための縄文入門です。 縄文時代ってどんな時代だったのでしょう?1万年というとてつもなく長い年月の中、縄文人たちはどのように暮らしていたのでしょうか?ご飯は? トイレは? 服はどんなものだった??そんな身近な疑問をヒントにすれば、意外と知らなかった縄文時代をノゾキ見するための手掛かりがきっと見つかるはず。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル本である・・・とにかく、疲れてきたらビジュアル本でんがな♪rakuten知られざる縄文ライフ『知られざる縄文ライフ』3:縄文人はどこから来たの?『知られざる縄文ライフ』2:縄文の美の発見者『知られざる縄文ライフ』1:鬼界カルデラで大噴火があり
2019.10.18
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先日、(三谷幸喜のありふれた生活#963)を紹介したのだが・・・三谷さんの新聞連載コラムに最新の#964が出たので紹介します。#964では、三谷さんと和田誠さんの二十年ちかくのお付き合いが語られているのだが、この連載コラムで(最初で最後の)三谷さんの挿絵が見られます。三谷さんの挿絵(2019.10.17(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズから転記しました)朝日の(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズをスクラップしているのだが・・・デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。<(三谷幸喜のありふれた生活964)三谷さんの挿絵> 僕が五本目の映画を作った時、和田誠さんからこんなエールを頂いた。巨匠監督の五作目を列記して、それは例えばコッポラの「ゴッドファーザー」であり、フランクリン・J・シャフナーの「猿の惑星」であり、マーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」であるのだが、つまり、どの監督も五作目は面白い。だからあなたの「ステキな金縛り」は面白いのだ、と。 こんなステキな言い方で映画を誉めて下さるのは、世の中に和田さんしかいない。 和田誠さんが亡くなった。 中学生の頃、著作のファンになった。シンプルだけど深いその絵。豊富な映画の知識。「お楽しみはこれからだ」のシリーズは何度読み返したことか。和田さんの絵をひたすら模写した。筆跡まで似せた。 ヘンリー・スレッサーの小説「快盗ルビイ・マーチンスン」に刺激を受けて、僕は「青池さんちの犯罪」という舞台を作った。同じ頃、和田さんはその小説を原作に映画「快盗ルビイ」を撮った。僕は和田さんに芝居の招待状を送った。映画の宣伝で多忙だった和田さんは、観に行けない代わりに、僕を映画の完成披露試写会に招いてくれた。それが和田さんとの出会いだ。 ビリー・ワイルダーについての対談に呼んで下さり、僕の本の装丁をして下さり、映画の本を一緒に作り、その表紙を一緒に描き、そして新聞の連載が始まったら、そこに素敵な絵を描いて下さった。つまりこの「ありふれた生活」。和田さんはほぼ毎週、絵の中に僕を登場させ、本物の僕よりもイラストの僕の方が一般的になった。 僕の映画にゲストで出て頂き、そのお礼に僕も和田さんの映画にワンシーン出演した。一緒に食事にも行ったし、かれこれ十年以上続く「和田誠を囲む会」と称した飲み会には、僕はお酒も飲めないのに必ず参加してきた。 二十年以上にわたって、お付き合いさせて頂きました。あちらはどう思っていたか分からないけど、僕にとって尊敬する大先輩であり、信頼出来る仕事仲間であり、なにより和田さんとその作品に出会わなければ今の自分はいないわけで、和田さんはまさに僕にとっての「育ての親」だったと言ってもいい。 レミさんがいつかこんな話をしてくれた。 「和田さんはね、丸一日、ホント、一日中ずーっと絵を描いてるの。それで寝る時にね、『ああ、今日もいっぱい描けて、楽しかった』って言うのよ。もうね、和田さんはね、そのくらい大好きなの、絵を描くのが」 和田さん、僕はあなたのようになりたい。 この「ありふれた生活」は、まもなく二十年を迎えようとしています。これから先は、和田さんは新しい絵を描いてはくれません。でも和田さんの書いたタイトル文字とおしゃれなカットが残る限り、和田さんは生き続ける。レミさんも賛成してくれました。 和田さん、今後もよろしくお願いします。(三谷幸喜のありふれた生活964)先輩、仲間、「育ての親」2019.10.17(三谷幸喜のありふれた生活963)記憶に残った映画の宣伝2019.10.10久々の封切り映画:記憶にございません!
2019.10.18
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大使がリピーターとして通っているミュージアムを、その頻度順に並べてみると・・・・横尾忠則現代美術館・県立美術館・竹中大工道具館・市立美術館・・・あたりになるのです。竹中大工道具館の企画展には、大使のツボがうずくわけで・・・・ネットで見てみると、以下ヒットしました♪今回、竹中大工道具館の企画展は「木組」を取り上げています。<「木組」>より 日本には木組の精神が息づいています。豊かな森林に恵まれたため、太古の昔から木に親しみ、木と木を組み合わせることで、さまざまなものをつくり上げてきました。日常生活に使う小さな入れ物から家具、住宅に至るまで何もかも木組で。 しかしでき上がった作品の表面からでは世界に誇る職人の木組の技術や美意識は見えてきづらいものです。 そこで本展では、いろいろな木組を分解してみることにしました。伝統的なものをはじめ、世界的にも珍しいもの、中身を知れば驚くようなものなど、さまざまな木組を分解した状態で展示します。 合わせて西洋の木組やパズル的な木組も折り込みました。職人の手仕事ならではの美意識と心遣い、そして無垢の木ならではの柔らかな風合いと繊細さ。本展にて紹介する作品を通して、それら木組の魅力が伝われば幸いです。会期:2019年10月12日(土)~12月15日(日) ・・・ということで、新神戸駅近くの竹中大工道具館にでかけたのです。(10月16日観覧)企画展の展示の一部を紹介します。竹中大工道具館NEWS-Vol.41から引用します。<特集 木を組む>よりp2■継手・仕口について 木と木を組み合わせることを「木組」といいますが、そもそもなぜ木と木を組む必用があるのですか。 日本の木造建築のほとんどは、垂直材の柱を立てて、それを横架材の桁や梁あどでつなぐ、いわゆる軸組構造です。軸部を組んだ後、桁に垂木を打って軒を架けて屋根をつくります。 そこで、ある程度、広い空間をつくろうとすると、軸組には長い部材が必用になります。特に横架材は長くなりますね。その部材は、木と木を継がない一丁材を使うのが最も強度上は良いのですが、使える木材の長さには限度があって、必用な長さを確保しようとすると、木と木をつなぐほかないのです。村田健一氏も著書『伝統木造建築を読み解く』(学芸出版社)で書いていますが、良質の木材が多かった古代でさえ建築に使える木の最大の長さは10メートルが限度でした。 先ほど「木組」という言葉がでましたが、建築では木と木を組み合わせることを継手・仕口といいます。継手は材を長さ方向につなぐ場合、仕口は角度をもって材と材を組む場合の用語です。 この継手・仕口の種類はかなりの数にのぼります。構造面を考慮して、基本的には材と材を、釘を使わずにぴったり組み合わせることを目的とする場合が多いです。日本の継手・仕口は、同じ東アジアの中国や韓国に比べると、かなり複雑で精度が高いものが多いのはなぜですか。 継手・仕口に限らず、木工事全体にいえると思うのですが、加工精度の問題は木造建築の工法の発展と、それに伴う大工道具の発展が関係していると思います。 法隆寺本堂(7世紀)や唐招提寺金堂(8世紀後半)などの古代建築は、大体チョウナとヤリガンナぐらいしか使っていないので、継手・仕口もざっくりしていて精度もそれほど高くない。それが鎌倉時代、12世紀になると、大陸から禅宗様という新しい建築技術が入ってくることで変わっていきますね。 この新様式の建築は当時の建築が残っていないので何ともいえませんが、古代の建物より小さい部材で構成されています。組物はその様子をよく見せています。柱が細くなると他の部材も小さくなるので、それを加工するための道具、例えばノミ、カンナ、ノコギリなどが発達し、複雑かつ精度の高い継手・仕口が可能になったのでしょう。 では、日本はなぜ精度の高さを求めていくのか、ということですが、そうですね、結局民族性なのでしょうか(笑)ウーム 結局民族性なのでしょうかチャンチャン(苦笑)ってか・・・この傾向は現代まで繋がっているが、辺境の閉鎖性(行き止まり?)なんでしょうか。古代建築には、大陸、朝鮮半島の建築が反映されていることが歴然として分かるわけで、この点は謙虚に敬意を持つべきでしょう。
2019.10.17
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<和田誠アンソロジーR4>図書館で「和田誠切抜帖」という本を借りたこの際、和田誠アンソロジーを作ってみました。・(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ(2019年配信)・オフ・オフ・マザー・グース(1989年刊)・物語の旅(2002年刊)・青豆とうふ(2003年刊)・ほんの数行(2014年刊)・和田誠切抜帖(2007年刊)・字幕の中に人生(1994年刊)・仕事場対談(2001年刊)・気になるイラストレーターR4:『(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ』を追記<(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズ>10月7日に和田誠さんが逝去されたが(10月11日事務所が発表)、10月10日朝日配信のシリーズ#963には、もちろん言及はありません。 この(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズには和田誠さんの挿絵やカットが添えられているように、三谷さんと和田さんの付き合いは古いわけで・・・三谷さんは、この訃報にふれて、「和田誠さんになりたい!」と題した追悼のコメントを発表したそうです。「和田さんの描く絵は、どれもスマートで、繊細で、暖かい。和田さんご自身もそんな方でした」「今も変わらず僕は思い続けます。和田さんのようになりたい、和田さんのように生きたい、と」不肖、太子のブログにもシリーズ#963を取りあげていたので、以下のとおり紹介します。(三谷幸喜のありふれた生活963)記憶に残った映画の宣伝<『オフ・オフ・マザー・グース』>お話しをひとつ、見てみましょう。p4~5<ねことヴァイオリン>ぎこぎこ ごりんねことヴァイオリン牝牛が月をとびこした子犬がそれ見て笑った そしてお皿がおさじと逃げだしたTHE CAT AND THE FIDDLEHey diddle, diddle,The cat and the fiddle,The cow jumped over the moon;The little dog laughedTo see such sport,And the dish ran away with the spoon.【オフ・オフ・マザー・グース】和田誠訳、筑摩書房、1989年刊<「BOOK」データベース>より和田誠の新訳60篇。原詩の韻にこだわって。やっぱりマザー・グースは面白い。<読む前の大使寸評>おお 和田さんが訳したマザー・グースではないか・・・絵本はやはりイラストレーターが訳するのがええでぇ♪rakutenオフ・オフ・マザー・グース<『物語の旅』1>図書館で『物語の旅』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。【物語の旅】和田誠著、フレーベル館 、2002年刊<「BOOK」データベース>より書物の国からの絵はがき。著者が選んだ54作品。カラー挿絵とともに四方山ばなし満載!子どもの頃に初めて読んだ「かちかち山」から現在に至るまでの“読書体験”の数々。本好き・装丁好きの著者がその思い出をふり返る。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、和田さんのカラー挿絵がええでぇ♪この挿絵のために紙質を選んだと思われるが、この本を持つとずっしりと重たいことに驚いたのです。amazon物語の旅『物語の旅』3:霧笛『物語の旅』2:アシェンデン 『物語の旅』1:長いお別れ<『青豆とうふ』>図書館で『青豆とうふ』という本を、手にしたのです。この本は二人がかわりばんこにエッセイを綴ったもので・・・したがって目次のページがないのです。どこから読んでも面白い♪【青豆とうふ】安西水丸×和田誠著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より二人がかわりばんこに文と絵をかいた、楽しさあふれるしりとりエッセイ。タイトルは村上春樹さんが付けてくれました。描下ろしカラーイラストレーション満載!<読む前の大使寸評>この本は二人がかわりばんこにエッセイを綴ったもので・・・したがって目次のページがないのです。どこから読んでも面白い♪amazon青豆とうふ『青豆とうふ』3:和田さんや安西さんのロボット談義『青豆とうふ』2:和田さんの映画談義<ほんの数行>図書館予約で借りた和田誠著『ほんの数行』を読んでいるが・・・ええでぇ♪安西水丸さんが亡くなり・・・イラストレーター界の大御所のような存在であるが、偉ぶらないのが和田さんの持ち味なんでしょうね。この本で、装丁した3000冊を超える本から名ゼリフがキラリと光る100冊を選んだとのことです。表紙のイラストとエッセイが楽しめる構成が、グリコのアーモンド味みたいで・・・ええでぇ♪100冊のうち、1冊を紹介します。<イブのおくれ毛>よりp72~73「そら、マサシゲさんかてしたはるわ。マサツラさんがいてはるもん」 田辺聖子「イブのおくれ毛」(文芸春秋)より 田辺さんは「文芸春秋」に「女の長風呂」というタイトルのもとにエッセイを6年ほど連載されていた。それが5冊の単行本になり、さらに「ベスト・オブ女の長風呂」として3冊のアンソロジーにまとめられた。その3冊の装丁をぼくが担当したわけです。「女の長風呂」はシモネタが多かった。シモネタと言っても下品ではない。ユーモアのオブラートに包まれていて、楽しいのである。 引用した数行は、女学生時代にセックスについての知識を仕入れた同級生が友だちに一人ずつ耳うちしたが、当時の田辺さんは楠木正成までそんなことしたとは信じられず、その話の63パーセントはウソだと思う、ときいて発した同級生の言葉。 戦時下のことである。後醍醐天皇を守る楠木正成は忠臣中の忠臣と教えられたいた。銅像も立っていた。「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ・・・」という歌も知られていた。戦場に向かう正成を追ってきた息子の正行を泣きながら国に帰す情景を歌ったもので、このエピソードは小学校(当時は国民学校)の学芸会の演目にさえなっていた。 そんな正成は多くの日本人の尊崇の的だったので、セックスと結びつけることなど畏れ多いことだったのだ。でもこの同級生は「正成さんにも正行さんという息子がいるのだから、セックスしている筈だ」とクールに言う。そういうセリフが面白い。【ほんの数行】和田誠著、七つ森書館、2014年刊<商品の詳細説明>より 半世紀以上にわたってイラストレーター、デザイナー、映画監督と多才な活躍を続ける和田誠さん。装丁した3000冊を超える本から、名ゼリフがキラリと光る100冊を選びました。和田さんのインスピレーションを刺激した「ほんの数行」のフレーズとブックデザインをめぐる想い出を、装丁家ならではの視点で楽しく綴ります。<読む前の大使寸評>「この本の装丁も和田誠だったのか」といつも思うのです♪「商品の詳細説明」の目次に、和田さんの好みとか交友関係が表れているようです。<図書館予約順番:7(9/23予約、11/18受取)>rakutenほんの数行<和田誠切抜帖> 図書館で借りた「和田誠切抜帖」から、和田さんの人となりの一部を紹介します。西域フェチの大使にとって「月の砂漠」という童謡は気になる歌でもあるのですが…和田さんはこの童謡から古い映画にさかのぼって語っているので、紹介します。<「月の砂漠」異説>よりp5~7 童謡「月の砂漠」は七五調の詞に曲がついたもので、形は典型的な日本の童謡だが、詞の中身はまるで日本調ではない。王子と姫が金と銀の鞍をつけたラクダに乗って砂漠を旅する風景なのだから。(中略) まず、加藤まさお氏(作詞者)は抒情詩を書いた人でもあるが、本業は挿絵画家だった。とすると、「アラビアン・ナイト」などの挿絵を描いたことがあるのではなかろうか。少なくともそういう風景に興味を持つことはあったのだあろう。イマジネーションで、アラビアン・ナイト的な詞を書いても何の不思議もない。 モデルの存在を晩年になって認めたことについて考えると、発表された大正年間は、たぶんのんびりした時代であり、詞のヒントについて問いただされることもなかったのではなかったのではないか。時が過ぎ、リアリズムが尊ばれるようになって、どこの砂漠をイメージしたのですか、などと訊ねられ、うーむと考えていると、あなたは若い頃御宿海岸で過ごしたことがあると聞くが、そこではないのか、と畳みかけられて、そうかもしれない、と答えたのが広く伝わったのではないか。 そこまで考えて、ぼくはふと「カスバの女」という流行歌を作詞した久我山明さんに会った時のことを思い出した。あの歌の舞台はアルジェリアである。ヒントは何ですか、とぼくが聞いたら「映画ですよ。私たちが若い頃は『モロッコ』だの『外人部隊』といった映画をよく観ていましたから」と答えてくれたのだ。(中略) それから十年ほどたって、『別冊太陽』で『童謡・唱歌・童画100』というのが出た。「月の砂漠」のページも当然ながらあって、加藤まさおのご子息、嶺夫氏のエッセイが載っていた。それによると「特定の場所などを描いたりはしていないといっていいだろう」「父は砂漠も砂丘も見たことがない」とあり、千葉県のある海辺の町に関しては、「ある方が本人に話したところ、『せっかく観光のメダマにしてくれているのに反対するほどのこともないでしょ』と笑いながら答えたという」と記してあった。【和田誠切抜帖】和田誠著、新書館、2007年刊<「BOOK」データベース>より「昭和15年、4歳。そのころからイラストレーションを描いてました」何が飛び出すか。ほんのすこし懐かしい、不思議なスクラップブックです。<読む前の大使寸評>週間文春の表紙を書き続けているイラストの大家であるが・・・大使より一回り年上の和田さんの、ややスローな感性に癒されるわけです。rakuten和田誠切抜帖 <字幕の中に人生>戸田奈津子さんの『字幕の中に人生』という本の表紙を和田さんが手がけているが・・・これがええでぇ♪アメリカ映画に造詣が深い和田さんだから、戸田奈津子さんとお付き合いがあったのでしょうね。【字幕の中に人生】戸田奈津子著、白水社、1994年刊<「BOOK」データベース>より一秒四文字、十字×二行以内のせりふ作りにすべてを賭ける映画字幕の第一人者が、『第三の男』の名訳を目にして以来あこがれつづけた字幕翻訳者への道が『地獄の黙示録』で花開き、以来ひっぱりだこの人気と実力を得るようになった今日までの半生をたどる、はじめての書き下ろしムーヴィー・ライフ。<大使寸評>今はなき大御所清水俊二さんの薫陶を受けた戸田奈津子さんであるが・・・映画字幕に入れあげた末に、大御所にまでのぼりつめた感があるのです。映画の台詞とは異文化そのものともいえるが、その翻訳がこれほどアナログな世界であるとは・・・いつまでたっても自動化できない世界のようですね。『第三の男』で字幕に開眼し、『地獄の黙示録』で大ブレークするあたりが、シブいというか・・・映画が好きなんでしょうね♪それはそうと、和田誠の表紙イラストがええなぁ♪rakuten字幕の中に人生 <仕事場対談>和田誠さんの「仕事場対談」という本を読んだのですが、一歩間違えば変人と言われかねない規格外の人がいたりして、面白いのです。これをきっかけに、イラスト作品が気にいっている人、その生き方が面白い人など・・・ネットからイラスト作品を探してみました。なお東京イラストレーターズ・ソサエティ(略称TIS)の顔ぶれを見てみると・・・和田さん交遊関係や私のご贔屓は旧世代になっていることがわかります。当然かもしれないが。【仕事場対談】和田誠著、河出書房新社、2001年刊<「MARC」データベースより>和田誠が仕事上影響を受けて来たイラストレーター24名の仕事場を訪れ、制作から過去・日常・趣味までさまざまな話を聞き出し、創作の秘密に迫る! 巻末に番外編・同世代3名との対談つき。『イラストレーション』連載。 <大使寸評>27人との対談なので、和田さんが嫌う人でなければ(笑)、古手の著名イラストレーターは、ほぼ網羅しているのかも。一歩間違えば変人と言われかねない規格外の人がいたりして、面白い本である。個人的に気になる人は・・・下谷二助、沢野ひとし、安西水丸、南伸坊、田島征三、横尾忠則、ささめやゆき、山本容子、長新太、宇野亜喜良、etcAmazon仕事場対談気になるイラストレーターの作品を並べてみます。**************************************************************【ベン・シャーン】社会派画家としても、クロスメディア・アーティストとしても別格ですね。ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト**************************************************************【横尾忠則】この人も別格ですね。天井桟敷のポスターを描いていた頃がいちばん元気だったかも。横尾忠則の日記**************************************************************【テリー・ギリアム】映画監督なので、イラストレーターと並べるのは失礼かもしれないが・・・監督の描くコンセプトボードはイラストとして、立派なものでんな♪テリー・ギリアム監督アンソロジー**************************************************************【沢野ひとし】独特の哀愁がただようが・・・・へたうまで、「これなら俺でも描ける」と思わせてくれるイラストレーターである。(実は、椎名誠との2人3脚という強力なメリットを生かして、今の地位を得たものである)でも、シロウトにやる気を起こさせたことは、社会に貢献できたのかも?**************************************************************【下谷二助】破天荒な海外生活を経験しながらも、本筋のアートに辿りついたようです。**************************************************************【宇野亜喜良】このイラストは・・・うまいとしかいいようがないでぇ♪**************************************************************【ささめやゆき】ささめやゆき:絵本ナビ**************************************************************【田島征三】田島征三の生き方に惹かれるものがあるのです。**************************************************************【安西水丸】村上春樹と組んで文庫本に登場することが多い人ですが、東京イラストレーターズ・ソサエティ(略称TIS)の理事長なんですね。偉いんだ。**************************************************************【和田誠】ご本人多くのイラストレーターとの交遊があり、人徳があるのでは。東京イラストレーターズ・ソサエティ**************************************************************【山本容子】この人の銅版画もええなぁ♪ この人から教わった著名イラスレーターも多いそうです。これは、虫愛づる姫君のようですね。山本容子美術館**************************************************************【佐野洋子】絵本「100万回生きたねこ」の作者として、また作家として有名ですね。amazon100万回生きたねこ**************************************************************【山藤章二】おっと 山藤章二さんを抜かすわけには、いかないだろう。(あと何人も抜けているかも?)週刊朝日 山藤章二の似顔絵塾 掲載作品一覧**************************************************************
2019.10.17
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<図書館予約の軌跡198>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・日本が売られる(2/05予約、副本22、予約354)現在10位・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、副本23、予約302)現在12位・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在100位・そしてバトンは渡された(4/19予約、副本22、予約1036)現在671位・川村元気『百花』(6/14予約、副本10、予約196)現在43位・伊坂幸太郎『フーガはユーガ』(7/24予約、副本34、予約462)現在296位・伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』(7/31予約、副本1、予約197)現在135位・デービッド・アトキンソン『日本人の勝算』(8/20予約、副本14、予約157)現在106位・上田岳弘『キュー』(8/26予約、副本3、予約15)現在8位・劉慈欣『三体』(9/09予約、副本8、予約179)現在154位・森絵都『カザアナ』(9/21予約、副本11、予約109)現在92位・呉善花『韓国を蝕む儒教の怨念』(10/02予約、副本3、予約56)現在50位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・柳美里『ねこのおうち』・有馬哲夫『原発・正力・CIA』・橋本治『黄金夜界』・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・橘玲「上級国民/下級国民」・高樹のぶ子『アジアに浸る』・書物の破壊の世界史・つげ義春『ガロ 1968 前衛マンガの試行と軌跡』・メカニズムの事典・川上弘美『某』:図書館未収蔵・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:図書館未収蔵・天子蒙塵 (四):図書館未収蔵・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・内澤旬子『ストーカーとの七00日戦争』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・八画文化会館vol.6 総力特集:レトロピア岐阜:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・禁じられた歌(田)<予約分受取:8/10以降> ・『新・日本の階級社会』(7/18予約、8/10受取)・浅田次郎『帰郷』(8/08予約、8/10受取)・多和田葉子『地球にちりばめられて』(2/18予約、8/28受取)・多和田葉子「エクソフォニー」(8/31予約、9/05受取)・『ソロモンの指環』(9/03予約、9/08受取)・リービ英雄『天安門』(9/17予約、9/21受取)・米中ハイテク覇権のゆくえ(6/30予約、9/25受取)・チャイナ・スタンダード(9/22予約、10/02受取)・五日市哲雄『もの忘れと記憶の科学』(9/24予約、10/05受取)・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、10/13受取)・多和田葉子『容疑者の夜行列車』(10/11予約、10/17受取)・落合淳思『漢字の字形』(9/20予約、10/22受取予定)・阿辻哲次『漢字再入門』(10/15予約、10/22受取予定)【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、副本22、予約355)>rakuten日本が売られる【AI VS.教科書が読めない子どもたち】新井紀子著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より大規模な調査の結果わかった驚愕の実態ー日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。気鋭の数学者が導き出した最悪のシナリオと教育への提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/22予約、副本23、予約302)>rakutenAI VS.教科書が読めない子どもたち【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか・・・・1年近く待つんやろか?<図書館予約:(4/19予約、副本22、予約1036)>rakutenそしてバトンは渡された【百花】川村元気著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばすー。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本10、予約196)>rakuten百花【フーガはユーガ】伊坂幸太郎著、実業之日本社、2018年刊<「BOOK」データベース>より常盤優我は仙台市のファミレスで一人の男に語り出す。双子の弟・風我のこと、決して幸せでなかった子供時代のこと、そして、彼ら兄弟だけの特別な「アレ」のこと。僕たちは双子で、僕たちは不運で、だけど僕たちは、手強い。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本34、予約462)>rakutenフーガはユーガ【クジラアタマの王様】伊坂幸太郎著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。打ち勝つべき現実とは、いったい何か。巧みな仕掛けと、エンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって、伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/31予約、副本1、予約197)>rakutenクジラアタマの王様【日本人の勝算】デービッド・アトキンソン著、東洋経済新報社、2019年刊<「BOOK」データベース>より在日30年、日本を愛する伝説のアナリスト×外国人エコノミスト118人だから書けた!大変革時代の生存戦略。【目次】第1章 人口減少を直視せよー今という「最後のチャンス」を逃すな/第2章 資本主義をアップデートせよー「高付加価値・高所得経済」への転換/第3章 海外市場を目指せー日本は「輸出できるもの」の宝庫だ/第4章 企業規模を拡大せよー「日本人の底力」は大企業でこそ生きる/第5章 最低賃金を引き上げよー「正当な評価」は人を動かす/第6章 生産性を高めよー日本は「賃上げショック」で生まれ変わる/第7章 人材育成トレーニングを「強制」せよー「大人の学び」は制度で増やせる<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/20予約、副本14、予約157)>rakuten日本人の勝算【キュー】上田岳弘著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より前世に太陽と同じ温度で焼け死んだと話す少女が同級生だった「僕」は、この惑星で平凡な医師として生きていたが、いきなり「等国」なる組織に拉致された。彼らによれば、対立する「錐国」との間で世界の趨勢を巡り争っており、その中心には長年寝たきりとなっている祖父がいるという。その祖父が突然快復し失踪、どうやら私の恋人を見つけたらしい。一方、はるか未来に目を覚ました自称天才の男は迎えに来た渋い声の異郷の友人と共に、“予定された未来”の最後の可能性にかけるため南へ向かい、途中、神をも畏れぬ塔を作り重力に抗おうとしたニムロッドの調べが鳴り響く。時空を超えた二つの世界が交差するとき、すべては完成する…?<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/26予約、副本3、予約15)>rakutenキュー【三体】劉慈欣著、早川書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?アジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/09予約、副本8、予約179)>rakuten三体【カザアナ】森絵都著、朝日新聞出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より平安の昔、石や虫など自然と通じ合う力を持った風穴たちが、女院八条院様と長閑に暮らしておりました。以来850年余。国の規制が強まり監視ドローン飛び交う空のもと、カザアナの女性に出会ったあの日から、中学生・里宇とその家族のささやかな冒険がはじまったのです。異能の庭師たちとタフに生きる家族が監視社会化の進む閉塞した時代に風穴を空ける!心弾むエンターテインメント。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/21予約、副本11、予約109)>rakutenカザアナ【韓国を蝕む儒教の怨念】呉善花著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「不可逆的に最終合意」したはずの慰安婦問題をひっくり返したかと思えば、韓国の最高裁は、すでに日韓基本条約で解決済みの徴用工裁判で日本企業に対し、賠償判決を出す。一方で、文在寅大統領は中国、北朝鮮に擦り寄り、反日を加速させている。日本と韓国の関係は戦後最悪の状態にある。普通の日本人の感覚からすれば、まったく理解できない。いったいなぜなのか。ヒントは、反日主義にしなければならなかった韓国の歴史にある。それが現代にまで続き、自壊の道を辿っているのだ。韓国出身の著者がその謎を史実に基づき解き明かす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/02予約、副本3、予約56)>rakuten韓国を蝕む儒教の怨念【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡197予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。
2019.10.17
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図書館で『世界の家族、家族の世界』というビジュアル本を手にしたのです。おお 椎名誠の写真付き旅行記(フォトエッセイというんだそうです)ではないか♪・・・これまでにこの種のシリーズをわりと読んできたので、その一環として借りたのです。【世界の家族、家族の世界】椎名誠著、新日本出版社、2019年刊<商品説明>より写真家シーナが出会った家族は千差万別。大家族ぶりに驚いてしまうモンゴル遊牧民、家族写真を枕元に「地の果て」パタゴニアで三年も出稼ぎする人、カヌーの軍団でサメ狩りをする勇者たち。みんなそれぞれの姿で生きている。生きることに懸命で、素晴らしい暮らしを営み続けている「家族の世界」を、情感豊かに活写したフォトエッセイ!<読む前の大使寸評>おお 椎名誠の写真付き旅行記(フォトエッセイというんだそうです)ではないか♪・・・これまでにこの種のシリーズをわりと読んできたので、その一環として借りたのです。rakuten世界の家族、家族の世界アイスランドで訪ねた一家について、見てみましょう。p78~81<北欧の幸せな一家> アイスランドは、スコットランドとグリーンランド、イングランドの三ヶ所からほぼ同じぐらいの距離にある大西洋の中の孤島である。大きさは九州と四国を合わせたぐらいで、人口は三十二万人。島の北部のほうはほとんど火山地帯で、年間平均して五、六ヶ所の火山が噴火するというすさまじいところだ。北のほうにある小さな島はもう北緯66度以北。つまり北極圏である。 世界の幸福度ランキングというのがあって、OECDと国連がそれぞれ年に一度ずつそのランキングを発表している。スイス、デンマーク、ブータンなどに混じって、この凄絶な火山国アイスランドはいつもベストテンに顔を出している。聞けば、溶岩台地のために農業などはほとんど成り立たず、漁業も北の海であるために魚の種類も限られている。土地が岩だらけだから林業も成り立たない。そうした厳しい国がなぜ幸福度ランキングの上位を占めているのかを探るのが、この国を旅したテーマだった。 いくつか要因があった。ランダムにあげていくと、まず原発がない。軍隊がない。警察はあっても警官たちは銃を携帯していない。そんな物が必用な事件などおきないというのだ。その一方で、消費税は25パーセントと高く、レストランなどの料金も日本から比較すると倍以上はする。どうしてそういう条件の国が幸福であるのか、そのカギは滞在しているうちにだんだんわかってきた。 まず学校の授業料や教材は国家が負担している。医療費も全て同じように国家負担だ。はなはだしいのはこの国の人がどこかよその国へ行って、病気になり入院なり手術などをした場合、そこでかかった費用の支払い明細を持って帰ると、国家が全額支払ってくれるという。国民が納めた税金の還元が日常生活に見えるしくみだ。 人口三十二万人のうちほとんどは南のほうの平野部に集まっているが、密集しているという印象はなく、個々の家がそれぞれ一体何階建てなのだろうかと首をかしげるくらい複雑に上下左右張り出していて、それはそれで住み心地がよさそうだった。(中略) 何軒かの家にお邪魔してその暮らしぶりについていろいろな話をした。最初に行ったのは漁師のベネディクトさんの家で、昼間、ぼくはその人のふねでに乗ってタラ漁を体験取材していた。タラは驚くほど簡単に大きなものが釣れる。その他にはオヒョウやオオカミウオ(食べられる。美味)など種類は限られているが、どれもおいしい。 そのベネディクトさんの家の食事に招かれたのだが、食卓にあったのはきれいに飾り付けをされたタラ料理だった。この島では他に牧畜もやっているから羊肉なども食べるというが、漁師の家だから圧倒的に多いのは魚料理であり、つまりはやり方しだいで食材はほとんどがただということになる。 ベネディクトさんにあなたの国は世界的に見て幸福度が非常に高いと言われていますが、どんなところに幸福というものを感じますか、と質問した。「それはこうして毎日家族と一緒に食事ができることですよ」 と笑いながら言った。『世界の家族、家族の世界』1:大家族主義のモンゴル遊牧民
2019.10.16
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使「献灯使」の続きを、見てみましょう。「ナウマン象」が出てくるあたりです。p29~31<献灯使> 無名は小児科の先生が好きで、定期健診に行くのを全く嫌がらない。歯医者に行く時は嫌がらないどころかむしろ遠足の日のような浮かれようで、気が重いのは義郎の方だった。無名は高い椅子にすわって歯医者と話をするのを何より楽しみにしていた。この間も、「牛乳のにおいが嫌いな子に無理に牛乳を飲ませてはいけませんよ。でも、好きな子にも飲ませ過ぎてはいけません」 と歯医者に言われて義郎が、「はい、その話hもう伺いました」 と答えると、歯医者は今度は無名の顔を覗き込んで、「君は牛乳が好きか」 と真剣な声で訊いた。無名は迷わず、「ミミズの方が好きです」 と答えた。義郎には牛乳とミミズを繋ぐ線が見えず、内心うろたえて窓の外に視線を逃したが歯医者は平然として、「そうか、それじゃ君は子牛ではなくて、ひな鳥だな。子牛はお母さん牛のお乳を飲んで育つが、鳥の雛は親鳥がとってきてくれたミミズを食べて育つ。でもミミズは土の中に住んでいるから、土が汚染されていた場合、汚染度は高いよ。最近の鳥があまりミミズを食べないのはそういうわけだ。だからミミズは余っていて獲りやすい。雨の降った後なんか、ミミズがたくさん道路に出てのたうちまわっていることもある。でも君は余っているミミズなんか食べるな。空を飛んでいる羽虫をつかまえて食べるんだ」 と言った。まるで歯の磨き方について説明しているような淡々とした口調だった。義郎が作家だと知っていて競争心を起こして、わざと飛んだ話をしているのだろうか。それとも無名と歯医者はいつの間にか同じレベルの未来に達していて、義郎だけが取り残されてしまったのだろうか。 歯医者には巧みな話術を楽しむ人が多いが、それはおそらく一秒でも長く自分の美しい歯を人に見せていたいからだろう。この歯医者もまもなく百五歳の誕生日を迎えるそうだが、顎は頑丈そうに角張って、口をあければ大きな四角い歯が一列に並んで白く光っている。 できることならそれを奪って曾孫にプレゼントしたいものだと義郎がひそかに思っていると、歯医者はまた大きく口を開いて話し始めた。「カルシウムは魚や動物の骨から摂取するのがいいという説もあります。ただしその骨は地球が還元不可能なところまで汚染される前に生きていた動物のものでなければいけない。だから地下のとてつもなく深いところから恐竜の骨を掘り出せばいいなんて言い出す連中がいる。北海道にはすでにナウマン象の骨を発掘して粉にして売っている店がるそうです」 義郎はどういう偶然か翌日、古代生物学の研究をいている教授が文化遊園でナウマン象について講演するというチラシが小学校の塀に貼ってあるのを見つけ、家に戻ってから壁にかけた暦に「ナウマン象」と書き込んだ。講演を聴きに行くのは義郎の道楽だった。 無名は暦の前を通る度に「ナウマン象」という言葉に釘付けになって、せわしなくまばたきした。まるで言葉そのものが動物で、じっと見つめていればいつか動き出すとでも思っているようだった。義郎は無名をその場に縛りつけてしまった魔法を解くように。「ナウマン象は、五十万年前に生きていた象だよ。大学の先生が来てその象について話をしてくれるそうだ。聴きに行こうね」 と言ってみた。すると無名はぱっと顔を輝かせて、「極楽!」と叫んで両手を挙げてその場で宙に跳ね上がった。義郎はびっくりしたが、無名の跳躍のことはそれっきり忘れてしまった。 ナウマン象だけではない。サギでもウミガメでも、無名は生き物の名前を見たり聞いたりすると、名前の中からその生き物が飛び出してくるとでも思っているのか目を離すことができなくなる。『献灯使』1
2019.10.16
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JR三宮駅前で、ビッグイシュー販売員を見かけたので、気になっていたバックナンバーを探してもらって、VOL.365を購入したのです。なんでVOL.365かというと、「漢字を包摂した日本語」という特集が載っているのを、事前に知っていたからです。【ビッグイシュー日本版VOL.365】雑誌、2019年 8.15号<購入場所>JR三宮駅前<読む前の大使寸評>JR三宮駅前で、ビッグイシュー販売員を見かけたので、気になっていたバックナンバーを探してもらって、VOL.365を購入したのです。なんでVOL.365かというと、「漢字を包摂した日本語」という特集が載っているのを、事前に知っていたからです。bigissueビッグイシュー日本版VOL.365「漢字を包摂した日本語」ということの意味を、見てみましょう。p10<異なる文化を包摂できる日本語>より そもそも、約4000年ほど前に中国で生れたと考えられる漢字が日本へやってきたのは弥生時代の頃と考えられている。「九州や山陰など、列島の西のほうに暮らしていた人たちは、漁などで海に漕ぎ出した時、中国大陸や朝鮮半島に暮らしていた人たちと接触することが頻繁にあったでしょう。その時に貨幣や陶器など、漢字が書き記された物品を目にすることも当然あったと思われます」 日本にはもともと固有の文字がなかったため、当時の日本の人々は中国で使われていた漢字を受け入れることで、初めて日本語を表記することができるようになった。それは文字の導入に伴い“異なる文化”を包摂することも意味した。「日本語は『雨』『風』『雲』に関する言葉が多いといわれます。豪雨、こぬか雨、小雨、にわか雨、きつねの嫁入り…。雨だけでも言葉のバリエーションがものすごくある。一方、モンゴルでは『4歳のメスの羊』を一つの単語でぽんと言い表せるそうです。 また中国は大家族制度で暮らしていますから『父方のおじさん』と『母方のおじさん』で単語が違う。言葉はその土地の文化に応じて、細分化されているんですね。古代の日本では、そうした自然を愛でる日本の感性と、外来語である中国の文化が渾然一体となることで、現在の『漢字仮名まじり文』が誕生したわけです」 日本語はその後も、ローマ字やギリシャ文字(α、β、γ)などを受容していくが、これだけ異なる種類の文字が共存して日常的に使われる言語は世界的にも珍しいと阿辻さんは言う。「文明開化の時には『エコノミー』や『ソサエティー』といった新しい概念を、明治の思想家たちが『経済』や『社会』という漢字に翻訳しました。そうして作られた新しい漢字は、今度は逆に中国は輸出されたんです。あの頃、中国はアヘン戦争以降の侵略によって苦しんでいた時期ですから、学問は非常に困難だった。そこで日本でつくられた言葉が魯迅など日本に留学していた若者たちによって輸出され、中国で使われるようになった。 そんな“翻訳の交流”が可能となったのも、日本が外来語であった漢字を受け入れ、言語生活を展開してきたからに他なりません」 そして現在。グローバル化で世界中の文化が拡散し、融合していく中、漢字と日本語はどのように進化していくのだろうか?「漢字が日本にもたらされた時、いくつかの不便なことがありました。古代中国文明は黄河を中心に栄えましたから、淡水の川に棲む『鯉』や『鮒』という漢字はあったものの、海の魚を表す漢字がなかった。そこで生れたのが『鰯』や『鯖』といった和製漢字(国字)です。 こうした時代の必要性に応じて生まれる漢字は、一種グラフィックデザインの世界で、現代でも『創作漢字コンテスト』などを通じて新しく生まれています。漢字は情報化社会に対応し、これからも新しい役割をきっと発揮できる。私はそんな漢字のおもしろさを紹介する伝道師でありたいと思っています」『ビッグイシュー日本版VOL.365をゲット』2:「字形表」『ビッグイシュー日本版VOL.365をゲット』1:「企」や「武」という漢字のエピソード
2019.10.16
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JR三宮駅前で、ビッグイシュー販売員を見かけたので、気になっていたバックナンバーを探してもらって、VOL.365を購入したのです。なんでVOL.365かというと、「漢字を包摂した日本語」という特集が載っているのを、事前に知っていたからです。【ビッグイシュー日本版VOL.365】雑誌、2019年 8.15号<購入場所>JR三宮駅前<読む前の大使寸評>JR三宮駅前で、ビッグイシュー販売員を見かけたので、気になっていたバックナンバーを探してもらって、VOL.365を購入したのです。なんでVOL.365かというと、「漢字を包摂した日本語」という特集が載っているのを、事前に知っていたからです。bigissueビッグイシュー日本版VOL.365字形表特集「漢字を包摂した日本語」から「字形表」を見てみましょう。p11~13<古代の喜怒哀楽を保存した“タイムカプセル”> 漢字がどのようにして今の形に変化したかを解き明かす「字源」研究を続け、近年、約400字の成り立ちがわかる「字形表」を発表した落合淳思さん(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員)。字形変化の特徴や、字源研究から見えてきたこととは?「馬」の4つの点は脚か尾か? 最古の甲骨文字から楷書まで漢字の変遷を追った「字形表」 目に見える特徴を表した絵のような文字(象形文字)が、今私たちが使っている漢字になるまでには、いったいどんな変化をたどったのだろうか。 たとえば「馬」という漢字。最後に書く4つの点は馬の4本足を表しているのかと思いきや…。「いえ、最初の2つの点は前脚と後ろ脚、残りの2つの点は馬の尾を表しているんですよ」と落合淳思さんは言う。なぜ? と不思議に思うが、落合さんが作成した「字形表」を見ると納得する。「字形表」は、縦の軸が「殷(紀元前13~11世紀)」「西周(紀元前11~8世紀)」「東周(紀元前8~3世紀)」「秦(紀元前3世紀)」「隷書(2世紀頃)」「楷書(4世紀以降)」という6つの時代や書体を表し、横軸には、その同時代に使われていた複数の漢字(異体字)が並ぶ。(中略)「字形表」を作成にするにあたり、落合さんは原典の文字をそのまま複写して並べるのではなく、「見やすい表を作ることで、多くの人に興味をもってもらえたら」と学生たちとコンピューターで一文字一文字フォントを作った。以前に作った甲骨文字フォント役万字に、この3年間で新しく約7000字を追加、「気の遠くなる作業でした。」と笑う。 完成した「字形表」の多くは殷時代の甲骨文字から始まっている。それはなぜなのか。「漢字の原型は、古代中国に最初の王朝が誕生したと考えられる紀元前2千年頃に生まれたと推測できます。巨大な政治組織の出現とその運営には文字が活用されていたはずですから。ただ、その時代の文字は発見されておらず、現在までに発見されている最古の漢字史料が殷の甲骨文字なのです」(中略) 落合さんはすでに小学校3年生までに習う440字の漢字の字源を一覧表にした。「より身近な文字を中心に研究していこうと思っています。ですので、次は6年生までに習う約1000字までをカバーし、その後は常用漢字(2136字)にまで対応させたい。漢字には古代に生きた人々の生活や文化、喜怒哀楽が込められていると感じます。字源を通してそれらを知ることで、人間という存在や社会の成り立ちを考えることにもなると思うのです」ウン 落合淳思著『漢字の字形』については図書館に予約中なので、もうすぐゲットの予定でおます。『ビッグイシュー日本版VOL.365をゲット』1
2019.10.15
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