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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上春樹(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』以来、新しい感覚で現代人の「生」をとらえなおし、日本文学をまさに現代のものにして、文学の世界を大きく広げた村上春樹。その透明な抒情の漂う不思議な文学世界は、いまなお広がりつづけており、多くの読者をひきつけている。例えば評論家・山崎正和氏は『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』に触れて、現代でもなお文学は自由や愛について夢を見、憧れることをやめていないようだ、といい、この作品はその行為が夢にすぎないと認めながらも、なおそれを夢見ることの意味を謳いあげようとしたものだ――と評している。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上春樹(群像日本の作家)丸谷才一さんの群像新人賞選評で、村上評を見てみましょう。<『風の歌を聴け』:丸谷才一>p289~290 村上さんの『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来あがったものです。カート・ヴォネガットとか、ブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでゐる。その勉強ぶりは大変なもので、よほどの才能の持主でなければこれだけ学び取ることはできません。 昔ふうのリアリズム小説から抜け出さうとして抜け出せないのは、今の日本の小説の一般的な傾向ですが、たとへ外国のお手本があるとはいへ、これだけ自在にそして巧妙にリアリズムから離れたのは、注目すべき成果と言っていいでせう。 しかし、たとへばカート・ヴォネガットの小説は、哄笑のすぐうしろに溢れるほどの悲しみがあつて、そのせいで苦さが味を引き立ててゐるのですが、『風の歌を聴け』の味はもつとずつと単純です。 たとへばディスク・ジョッキーの男の読みあげる病気の少女の手紙は、本来ならもつと前に出て来て、そして作者はかういふ悲惨な人間の条件ともつとまともに渡りあはなければならないはずですが、さういふ作業はこの新人の手に余ることでした。この挿話は今のところ、小説を何とか終わらせるための仕掛けにとどまつてゐる。 あるいは、せいぜい甘く言っても、作者が現実のなかにある局面にまつたく無知ではないことの証拠にとどまつてゐる。このへんの扱ひ方には何となく、日本的抒情とでも呼ぶのが正しいやうな趣があります。もちろんわれわれはそれを、この作者の個性のあらわれと取つても差支へないわけですけれど。 そしてここのところをうまく伸ばしてゆけば、この日本的抒情によって塗られたアメリカふうの小説といふ性格は、やがてはこの作家の独創といふことになるかもしれません。 とにかくなかなかの才筆で、殊に小説の流れがちつとも淀んでゐないところがすばらしい。『村上春樹(群像日本の作家)』1
2019.02.28
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文大統領が登場し「積弊のちゃぶ台返し」に着手して以来、悪化する一方の日韓関係である。(こうなっては大統領任期の終わりを待つしかないのかも)朝日のインタビュー欄で、早稲田大学の浅野教授が「対立する国民感情 歴史認識共有し市民として連携」と説いているので、見てみましょう。(デジタル朝日の『(インタビュー)日韓を「和解学」する』を転記しました)******************************************************************** (インタビュー)日韓を「和解学」する 早稲田大学教授・浅野豊美さん 国交正常化から半世紀以上を経た日本と韓国は、歴史問題を前に関係悪化が止まらない。そこで欧州の紛争解決学を参考にしつつ、東アジアの歴史もふまえた「和解学」で解決の糸口を見いだそうとする動きがアカデミズムの世界で出てきた。日韓両国の「和解」の道とは? 研究を主導する早稲田大学教授の浅野豊美さんに聞いた。Q:日韓両国の政治関係の悪化はかつてない深刻さです。なぜこんな状況になったのでしょうか。A:日韓両国は1965年に国交を正常化しました。これは国家対国家の『制度としての和解』だったと言えます。65年体制などと言われますが、この時は日本による35年におよんだ植民地支配が合法か不法かをあいまいにして、いわば双方の『正義』を共存させました。グローバル化の時代となり、その矛盾が露呈してきた。 それでも80年代まではうまく機能していました。日本政界では超党派的な連携がみられ、日韓間でも自民党の知韓派と韓国の知日派が意思疎通を深め、役割を果たしてきた。だが、今はそういった、政治家も含めた『市民』としての連携自体がやせ細り、分裂してしまっています。大事なのは市民としてのつながりなのに、市民ではなく、多くが『国民』として対峙してしまっているため、現状のような関係になっています。Q:市民ではなく国民として向き合っている、とは?A:だれしも一人の人間ですが、市民と国民の両面を併せ持っています。国家の一員としての国民的アイデンティティーを持つのが国民。自由意思をベースに自ら考え、行動するのが市民。そう言えないでしょうか。日韓で政治家や研究者が市民としてつながっていた時は、相手に対する配慮や共感、思いやりがありました。それが今は、交流すればするほど不信感が強まるような状況です。Q:やせ細ってしまった市民のつながりを復元できますか。A:東アジアでは歴史紛争が頻発しています。それを克服するために、私たちは和解学という学問が必要ではないかと考え、研究を進めています。Q:和解学とは耳慣れません。A:近年は紛争解決学が欧米を中心に提唱されています。中東やアフリカの民族紛争や内戦の後の調停などを対象に、国家間のみならず部族や宗教をまたぐ集団間の紛争解決に力を発揮しています。 東アジアでは民主化が進むにつれ、被害者の救済が社会集団間の新たな紛争となって歴史問題が生まれています。日本から見れば韓国は、被害者という立場を政治的に利用する国、韓国からすると日本は加害者としての責任を受け止められない国と映り、互いの国民感情の対立や摩擦を増幅させるという悪循環。和解学は、地域特有の歴史的な空間を意識し、政府と社会集団が入りまじって、異なる次元を超えて展開される歴史問題に解決の方向性を与えようとするものです。これまでのナショナリズム研究をも加えた東アジア発の紛争解決学と言えます。Q:確かに日韓の被害者、加害者の認識は大きく違います。A:韓国の文在寅政権には、かつての軍事独裁の時代に民主化運動に携わった人が多くいます。東アジアの民主化は和解学から言えば、市民社会が歴史の解釈権を握ったことを意味すると思います。つまり韓国では体制の移行があった。しかし、日本ではたとえ与野党の政権交代はあっても、歴史認識の変化を伴うような体制移行は起きていません。日韓のそんな違いも対立を招いています。 歴史問題で日本政府はつねに最終的かつ不可逆的に解決済みだとか、国際法はこうだ、といった法的な論理を持ち出す。一方、韓国は軍事独裁で救済されなかった植民地支配の被害者を今日の人権規範に照らして救うのだと主張する。お互いに依拠する法的論理と『正義』がずれています。そんな対立を包摂するような大きな論理が必要です。和解学は、薄れてしまった市民社会のつながりを人工的に再生する取り組みです。 ■ ■Q:具体的にはどういったことをするのですか。A:なぜ紛争が起き、エスカレートし、解決が難しくなってしまったのかの認識を共有するためには歴史問題を避けずに堂々と議論できることが回復への第一歩となります。その際、熟議型民主主義ではなく、闘技型民主主義であたるべきだと考えています。Q:闘技型? 闘うのですか。A:暴力ではありません。熟議型民主主義は社会の利益を前提に最後は少数者に妥協を迫りますが、闘技型ではアリーナ(闘技場)という対話の空間を大事にしていくというのが基本的なコンセプトです。でも、闘技しながらもアリーナを壊さない。むしろ議論の果てに自分の変化に気づく。自分たちを動かす意欲や感情などを上手に競争のルールの中に入れるようにして、相手を尊重しつつ相手の論理も交えて説得を試みるのです。Q:対立は深刻です。そんなにうまくいくでしょうか。A:もちろん簡単ではないでしょう。でも、そういう場所がないと紛争は永久に続く。理想としての和解を絶えず追求していくための3原則を唱えています。 一つは正義が複数存在するという前提で、自分の正義を振り回さずに議論を進めること。正義の優越を競わないことです。二つ目は、互いの国民感情を近づけるような説得を議論の軸とすることです。感情を支えている記憶や規範を意識しないことには、そうした説得はできない。最後は互いの尊厳を認め合いつつ議論を続けるプロセスを大事にすること。政治には結論を出す期限が伴いますが、議論を続ける場所も必要です。Q:しかし、日韓ともにかなり過激な思想が存在しています。A:これから日韓の歴史がどうなるのか予想できませんが、もしも認識を共有できる方向に進むのなら、過激な主張は周辺化されざるをえなくなるでしょう。 ■ ■Q:みなさんは現在、どんな活動をしているのですか。A:和解学のプロジェクトは文部科学省の新学術領域研究に選ばれ、日本国内を中心に約50人の研究者が各班に分かれて研究を始めています。例えば、東アジア各地でメディアが流す情報が、いかに戦争や植民地にまつわる国民の記憶を形成してきたか、といったことを解明しようとしています。 日韓とも、相手国の代弁者にすぎないと見なされないような議論が必要です。韓国の高麗大などとも提携しています。来月にはブリュッセルで、旧ユーゴの紛争解決と東アジアの歴史紛争との比較が議論されます。Q:浅野さんのこれまでの研究と和解学は関係していますか。A:私は主に韓国併合や旧満州国などの植民地・帝国の法制度や、日本の敗戦後の賠償問題が連合国全体としてどう位置づけられたかを研究してきました。なぜ市民社会は弱いのか、国家はいかに作られたのかといった問題は、まさに和解学に通じます。 ■ ■Q:日韓は昨年秋に韓国の大法院(最高裁)が日本企業への賠償を命じた徴用工判決で激震が走っています。和解学の見地から、この問題をどう考えますか。A:日韓の市民が納得でき、国民としての政治観念にも矛盾しないようにする法的論理が必要です。双方の一方的な措置、つまり韓国大法院判決に伴う強制執行や日本の対抗措置としての制裁は互いの不信感を高めるだけで、誹謗中傷を含めた『暴力』にさえつながりかねない大変危険な行為です。Q:韓国側が受け入れるかどうかはともかく、日本政府は国際司法裁判所(ICJ)への提訴も辞さない考えを表明しています。A:今の日韓の法的な論理を競わせるのではなく、ICJに高い次元からの仲裁をしてもらうという前提であれば良いと思います。国内の裁判所は法的論理を競い合いますが、どの国の国内法も時代状況に合わせて変わっていく。国際社会は激しく変化しているのに、法を変えるような機関がありません。ICJがその機能を担い、日韓の国民をともに納得させられるなら、と思います。 あるいは紛争当事国の合意のもとに、植民地支配に伴う被害者救済のための人権委員会のような枠組みができないかと考えます。各国の措置から漏れた日本人孤児や在日外国人を含む人権被害者を国家の名誉とか国民の法的論理とは関係のないところで救済できないでしょうか。Q:もうすぐ植民地支配下で最大の独立運動「三・一運動」から100年という節目が来ます。A:日本の中では三・一運動が反日だと決めつけているような言説がありますが、あの時代に東アジアを意識し、朝鮮の国民的独立が大事なのだと高い精神性のもとに日本を説得しようと始まった動きだったと思います。欧州でノルマンディー上陸作戦の記念式典に、かつての敵味方の首脳らが参加するように、日韓の間で近代を記憶し、戦争犠牲者をともに追悼できるきっかけになってくれればと思います。(聞き手 編集委員・箱田哲也) *浅野豊美:1964年生まれ。専門は東アジア国際関係史。著書に「帝国日本の植民地法制」(大平正芳記念賞、吉田茂賞)など。(インタビュー)日韓を「和解学」する浅野豊美2019.2.27この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR10に収めておきます。
2019.02.28
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大使は、ふるさと納税たらいうコソクな利殖はやっていないのだが・・・共同通信の「ふるさと納税3倍、大阪・泉佐野」という記事を読むと、財政をめぐる政府と泉佐野市の泥試合にうんざりするわけです。もともとは、ふるさと納税という財政政策が、富を移動させるだけの景気活性化でかつ、富裕層に有利な政策であり・・・このあたりが自民党や政府が進める格差拡大政策であり、貧乏人にとっていいことは何もないのである(怒)それから遅ればせながら、強すぎるGAFAの強引な商法に対して規制、徴税に動き始めた政府である。アマゾンのギフト券というものを使ったこともないのだが、駅のキオスクで見たような気がするのだ。アマゾンのギフト券2019/02/25ふるさと納税3倍、大阪・泉佐野 規制批判し、ギフト券も贈るより 大阪府泉佐野市は25日、ふるさと納税による2018年度の寄付額が、約135億円だった17年度の3倍近い360億円になる見込みだと明らかにした。市はふるさと納税制度で過度な返礼品を規制する総務省方針に反発し、3月末までの予定で返礼品に加えてインターネット通販大手「アマゾン」のギフト券を贈るキャンペーンを始めていた。 千代松大耕市長は記者会見で「キャンペーンの効果が出たが、19年度以降は大幅に減額するだろう。総務省の動きはふるさと納税の縮小につながる」と規制方針を改めて批判した。 市によると、18年度は当初から17年度を上回るペースの寄付が寄せられた。
2019.02.28
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図書館で『漫画のすごい思想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。【漫画のすごい思想】四方田犬彦著、潮出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より政治の季節からバブル崩壊まで、漫画は私たちに何を訴えてきたのか。つげ義春、赤瀬川原平、永井豪、バロン吉元、ますむらひろし、大島弓子、岡崎京子…すべては1968年に始まった!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。rakuten漫画のすごい思想手塚治虫について、見てみましょう。p188~192<治癒する者 手塚治虫> これまで手塚治虫といえば『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』が有名で、『ブッダ』はどちらかといえば論じられることの少ない、やや傍系的な位置にある作品だと考えられてきた。だが、掲載誌の誌名が変わろうとも執筆に拘泥し、完成までに12年の歳月を費やした『ブッダ』の位置は、今後の手塚研究にあって、より重要なものと見なされるべきである。 それでは『ブッダ』は手塚漫画のなかで、はたして孤立した作品といえるだろうか。それともこの長篇を核に据えることで、彼の遺したおびただしい作品を理解する、新しい視座を見出すことができるのだろうか。 この問いに答えるにあたってきわめて興味深いのが、『ブッダ』に少し先行して執筆され、さまざまな理由から未完に終わってしまったもう一つの長篇『火の鳥』である。この作品は12の異なった物語から構成され、いずれもが、いたずらに不死不滅を願って挫折する人間の定義をめぐって、まったく異なる時空において展開している。 その第十編にあたる『火の鳥・異形編』を、ここで取り上げてみよう。というのもこの作品は『マンガ少年』1981年1月号から4月号にわたって連載されており、それはちょうど手塚が『ブッダ』において、アジャセ王物語を構想しちた時期に相当しているからである。『異形編』は舞台を戦国時代にとり、八百比丘尼伝説とSFのタイムスリップとを結合させて構想された、百頁ほどの中篇である。 見崎にある蓬莱寺なる寺に八百比丘尼なる尼僧がいて、訪れてくる民百姓のために病気治療を施している。不思議なことに彼女は永遠に年をとらず、ただ本堂の仏像の裏に隠された不思議な鳥の羽をかざすだけで、人々の傷をたちどころに癒してみせる。ある嵐の夜、左近介なる若侍が寺を訪れ、一刀のもとに比丘尼を切り殺してしまう。実はこの侍は男性ではなく、武将である父親の手で男として育てられ、厳しい剣の稽古を積んできた女性であった。彼は自分の一生を捻じ曲げてきた残虐無比な父親に対する憎悪から、彼の業病に治療を授けた比丘尼を殺害したのである。(中略) 『ブッダ』にもし『火の鳥』と比べて優れている箇所があるとすれば、それは主人公のブッダを含め一人ひとりの人物の思索の道筋を、それなりに説得力をもって辿ってみせたところにある。だがこの違いは『ブッダ』を完結させたが、『火の鳥』を未完に終わらせた。いや、より正確にいうならば、『火の鳥』はそもそも冒頭の時点で、宇宙の真理を体現する鳥という存在を結論のように登場させてしまったがゆえに、物語として決着をつけねばならぬ契機も必要も見失ってしまったのだ。 手塚治虫にとってその執筆は『異形編』の八百比丘尼の治療行為に似て、未来永劫に完結しない作業であったといえるだろう。『漫画のすごい思想』1
2019.02.27
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図書館で『漫画のすごい思想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。【漫画のすごい思想】四方田犬彦著、潮出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より政治の季節からバブル崩壊まで、漫画は私たちに何を訴えてきたのか。つげ義春、赤瀬川原平、永井豪、バロン吉元、ますむらひろし、大島弓子、岡崎京子…すべては1968年に始まった!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。rakuten漫画のすごい思想まず、冒頭の佐々木マキを、見てみましょう。p10~16<杉浦茂への回帰> 1967年11月号の『ガロ』に、佐々木マキの『天国で見る夢』が掲載されたときの興奮を、わたしは忘れることができない。佐々木はそれ以前にも黒い諧謔を持ったSF短篇を二本、すでに同誌に発表していたが、この新作ではまったく違った手法、というよりおよそ日本の漫画界が始まって以来の手法を用いてみせた。 『天国で見る夢』には統一的な物語というものが存在していない。コマとコマは読み進むべき順番をもたず、無時間的な平面のうえにただ投げ出されているばかりである。登場人物はいっこうに科白を語ろうとしない。ときおり現れる吹き出しには、★や林檎の記号、数式、英語やアラビア語といった外国語が記されているばかりである。どの頁から読んでもよく、またどのコマだけを取り出して眺めていてもよかった。 後に佐々木本人が語ったことによれば、彼は全体的な構想もないまま1日1頁のペースで描き続け、書き終わった後で、トランプのカードを切るときのようにページを自由に組み換え、並べ直してみたのだという。15歳だったわたしはこの斬新なる漫画の出現に狂喜し、ただちに『ガロ』編集部に感想を書き送った。それは三ヵ月後、投稿欄に掲載された。 佐々木マキは驚きそのものだった。とはいえ前衛のつねとして、彼の出現を訝しく思う人が少なからず存在したことは事実である。その最たる者は手塚治虫で、彼は佐々木を「狂人」だと罵倒してやまず、雑誌への掲載をただちに中止すべきであるという論旨の文章を、さる総合雑誌に寄稿した。 スリリングな語りの展開にこそ漫画の妙味があると信じてきた手塚にとって、佐々木の出現は世界の終末の予兆のように漢字られたのだろう。とはいうものの佐々木はといえば、幼少時より親しんできた杉浦茂漫画の延長に自分が作画を営んでいるという強い自覚を抱いていた。彼はコマを物語の因果律へ従属させるのではなく、それ自体として完結し充足した画として、読者の前に差し出したのである。 『天国で見る夢』には、何が描かれていたのだろうか。 鉄条網で囲まれた平地を、重い鉄球を引き摺りながら延々と走っている男がいる。チェス盤の向こうではしゃいでいる道化師がいて、首吊り用のロープを眺めている女がいる。絶叫する黒人歌手がいて、溺れかけている大勢の男女の前で一人壇上に立ち、説教をしている神父がいる。巨大な舌をもった一つ目のお化けがいる。このお化けは強制収容所であろうが、飛行機の墜落現場であろうが、いたるところに出現してみせる。(中略) 『天国で見る夢』の次に発表された『殺人者』では、逆にフィルム・ノワールを真似て、古典的なまでに人称をもった語りが作品の柱となっている。とあるバーに二人の男がやって来る。彼らの目的は、そこでロンという男を殺害することである。もう一人の若い男のほうは黙りこくったままで、何も口にしない。彼はまるでボードレールの水彩自画像から抜け出してきたような雰囲気をもち、これから行なわれるであろう殺人について、醒めきった意識を抱いている。(中略) こうした不毛で絶望的な状況にあって、無垢なる少年少女たちの身には何が起こるのだろうか。『アンリとアンヌのバラード』『セブンティーン』『うみべのまち』『ぼうや、かわいい ぼうや』といった一連の作品には、彼らが蒙る受難が痛ましいまでに描かれている。『アンリとアンヌのバラード』は、地上で罪を犯し地獄に送られてきた少年と少女が身の上を語るという作品である。地獄とは「不幸と苦痛のポーズはしていても、傷みはもはや感じちゃいない」場所であり、慣れてしまうことが大事だという点で、地上世界をめぐる、強烈にアイロニカルな隠喩に他ならない。天国でみる夢アンリとアンヌのバラードピクルス街異聞
2019.02.27
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第39回日本SF大賞が24日に発表されたが、円城塔さんの『文字渦』と、山尾悠子さんの『飛ぶ孔雀』に決まったそうです。『飛ぶ孔雀』は第46回泉鏡花文学賞受賞に続いて、『文字渦』は第43回川端康成文学賞受賞に続いての日本SF大賞受賞となったようだが・・・最近のSFは純文学のフロンティアとでも言うべきか。ところで、大使は既に『文字渦』は読んだし、『飛ぶ孔雀』は図書館に借出し予約しているわけで・・・この2作を押さえているあたりは日本SFの勘所だったようでおます。*****************************************************************************【文字渦】円城塔著、新潮社、2018年刊<出版社>より昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい? 秦の始皇帝の陵墓から発掘された三万の漢字。希少言語学者が遭遇した未知なる言語遊戯「闘字」。膨大なプログラミング言語の海に光る文字列の島。フレキシブル・ディスプレイの絵巻に人工知能が源氏物語を自動筆記し続け、統合漢字の分離独立運動の果て、ルビが自由に語りだす。文字の起源から未来までを幻視する全12篇。<読む前の大使寸評>「紙の動物園」のような言語学的SFが大使のツボであるが、この本はそれよりもさらに学術的であり・・・果して読破できるか?と、思ったりする。<図書館予約:(9/05予約、10/16受取)>rakuten文字渦『文字渦』4:「新字」の謎の続き『文字渦』3:「新字」の謎『文字渦』2:「第5回遣唐使」『文字渦』1:CJK統合漢字*****************************************************************************【飛ぶ孔雀】山尾悠子著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より庭園で火を運ぶ娘たちに孔雀は襲いかかり、大蛇うごめく地下世界を男は遍歴する。伝説の幻想作家、待望の連作長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/08予約、副本4、予約26)現在6位>rakuten飛ぶ孔雀
2019.02.27
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図書館で『村上春樹のなかの中国』という本を借りたのです。帰って読み始めると、著者が中国文学研究者であり、中国文学への深い知識に圧倒されるわけで、ちょっと当てがはずれたわけですが・・・ま、いいかと読み進めます。【村上春樹のなかの中国】藤井省三著、朝日新聞出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より村上春樹は中国から深い影響を受けている。「中国行きのスロウ・ボート」『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』など作品中で中国を「記号」として登場させている。一方、中国語圏では台湾、香港、上海、北京と、時計回りに村上春樹現象が出現した。「すっごくムラカミ(非常村上)」という流行語が生まれ、村上作品から影響を受けた「村上チルドレン」が多く輩出され、東アジアに与えた文化的な影響は大きい。近代文学において大きなテーマであった「中国」を村上春樹はどのように描いているのだろうか。また村上受容から見えてくる東アジアの姿とはいかなるものだろうか。魯迅からウォン・カーウァイまで「村上春樹」を軸に中国文学研究者が、東アジアの文化と社会を探る。<読む前の大使寸評>帰って読み始めると、著者が中国文学研究者であり、中国文学への深い知識に圧倒されるわけで、ちょっと当てがはずれたわけですが・・・ま、いいかと読み進めます。rakuten村上春樹のなかの中国村上文学の海賊版について、見てみましょう。p173~174驚くべき海賊版 中国語圏の各出版社が村上文学を翻訳刊行する際、香港・博益出版が初期から版権を取得していた他は、台湾でも中国でも当初は版権を取得していなかった。やがて台湾では時報出版が繁体字中国語版の版権を取得して1994年9月に『世界の終り・・・』を刊行、現在に至るまで村上春樹全作品の版権取得版を出し続けており、海賊版は姿を消した。 中国でも98年9月に璃江出版社が版権取得版の『森』の刊行を始めたようすで、その契約期間切れを受けて2001年には上海訳文出版社が簡体字中国語版の版権を得て、村上のほぼ全作品を刊行し続けている。それにもかかわらず中国では海賊版が今もなお横行しているのは残念なことである。 2005年12月のある日曜日、私は上海市旧城内にある文廟(孔子廟)に出かけた。ここでは日曜ごとに古本市が開かれるのだ。11時に入場料1元(約16円)を払って入場すると、廟の境内は露店の古本屋で埋め尽くされ、ほぼ満員の来客でゴッタ返していた。 人波を掻き分け1時間あまりかけて一回りすると、三種の村上春樹作品集を購入できた。A5判1点、B5判2点でそれぞれ400~600頁の巨冊に立派な装丁を施している。だが怪しいことに無傷のきれいな新本で定価が28元から42元だというのに、売値は10元から12元と格安なのである。 知人の上海の編集者二人にこの三冊の村上作品集をお見せしたところ、彼らは苦笑しつつ三冊とも海賊版であると断定していた。そして帰国後に詳細に版本を検討すると、驚くべき結果が得られたのだ。 三点は共にもっともらしく「2005年8月第1版、同第1次印刷、印数5000、550千字。ISBN7-5063-3015-6、定価38.8元」などという内容の奥付を付しているが、訳者名を掲げていない。唯一編者名を掲げているのが『精編村上春樹作品集』であるが、表紙には「北岳文芸出版社」と明記しながら、奥付にはなぜか「新人民出版社」と印刷されている。 同書の収録作品は『森』『風』『スプートニクの恋人』の長篇三作のほか、「ファミリー・アフェア」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「100パーセントの女の子に出会う」「パン屋再襲撃」など短篇六篇で、長篇三作は林少華訳を用いている。 次の『村上春樹作品集』は大胆不敵にも官立団体である作協直系の作家出版社を版元として名乗っている。収録作品のうち『風』『中国行きのスロウ・ボート』『アフター』などはともに林訳を盗用しており、しかも短篇集『中国行き・・・』の一篇「悉尼的緑色大街(シドニーのグリーン・ストリート)」の標題から「緑」の一字を落とすというお粗末さだ。 そればかりかこの偽作家出版社版は、中国で最も人気の高い『森』に対して、とんでもない改変を加えている。前半の第1~5章に台湾1989年刊行の劉恵禎ほか四名共訳の故郷版『森』を採用し、後半の第6~9章に香港1991年刊行の葉薫訳博益版を採用して、台湾・香港の異なる二種の版本を合成して『森』の中国語訳としているのだ。ウーム 海賊版と知った上で、これらの本を買う人の心境が、よく分からないのである。『村上春樹のなかの中国』1
2019.02.26
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図書館で『村上春樹のなかの中国』という本を借りたのです。帰って読み始めると、著者が中国文学研究者であり、中国文学への深い知識に圧倒されるわけで、ちょっと当てがはずれたわけですが・・・ま、いいかと読み進めます。【村上春樹のなかの中国】藤井省三著、朝日新聞出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より村上春樹は中国から深い影響を受けている。「中国行きのスロウ・ボート」『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』など作品中で中国を「記号」として登場させている。一方、中国語圏では台湾、香港、上海、北京と、時計回りに村上春樹現象が出現した。「すっごくムラカミ(非常村上)」という流行語が生まれ、村上作品から影響を受けた「村上チルドレン」が多く輩出され、東アジアに与えた文化的な影響は大きい。近代文学において大きなテーマであった「中国」を村上春樹はどのように描いているのだろうか。また村上受容から見えてくる東アジアの姿とはいかなるものだろうか。魯迅からウォン・カーウァイまで「村上春樹」を軸に中国文学研究者が、東アジアの文化と社会を探る。<読む前の大使寸評>帰って読み始めると、著者が中国文学研究者であり、中国文学への深い知識に圧倒されるわけで、ちょっと当てがはずれたわけですが・・・ま、いいかと読み進めます。rakuten村上春樹のなかの中国まず、「中国行きのスロウ・ボート」について、見てみましょう。p34~47<魯迅「藤野先生」と「中国行きのスロウ・ボート」> 10代の村上春樹が愛読していた河出書房『世界文学全集』の魯迅の巻には、日本留学時代の恩師を回想した作品「藤野先生」(1926)が収録されている。1902年に東京へやってきた魯迅が見たものは、弁髪を頭上高くグルグル巻にして学帽を載せ上野公園でお花見をしたり、留学生会館の洋間でドスンドスンとダンスの講習を受ける「清国留学生」たちで、魯迅はこんな東京に見切りをつけて中国人のいない仙台の医学専門学校を志望したという。 仙台医専では変人で知られる解剖学教授の藤野源九郎から毎週ノートを赤ペンで訂正するという懇切な指導を受けたおかげで、魯迅は百余名中、中ほどの成績で落第することなく二年生へと進級できたが、ノート添削の際に藤野先生が出題箇所に印をつけていたというう試験問題漏洩の噂が広がり、「なんじ悔い改めよ」という匿名の手紙が届く始末であった。それでも魯迅が先生に報告するいっぽう、友人の級友たちも抗議したのでこの噂も立ち消えとなった。 続けて幻灯事件が起きる。当時医学校では講義用に幻灯写真を用いていたが、授業時間が余ったときなどは日露戦争の「時局幻灯」を映して学生に見せていた。そのような教室である日魯迅は、ロシア軍スパイを働いた中国人が中国人観衆の見守る中で日本軍兵士によって首を切られる場面に遭遇したという。 処刑される者も見守る者も、魯迅の同胞たちはすべて体格は屈強だが顔つきはうすぼんやりとしていた。魯迅は「藤野先生」では一言「考えは変わったのだ」と述べているだけだが、彼の第一作品集『吶喊』の「自序」の言葉で補えば、「具弱な国民」はたとえ屈強な体格であってもせいぜい見せしめの材料かその観客ぐらいにしかなれぬ、まず彼らの精神を改革うべきでありそのためには文学芸術を選ぶべきだと考えた、という。 こうして魯迅が二年を終えて藤野先生に医学の勉強をやめたいと申し出ると、先生は無言のまま悲しそうな顔を見せて、裏に「惜別」と記した自分の肖像写真を与え、魯迅にも写真をくれないかと頼んだが・・・。 恩師藤野先生との出会いと別れ、そして医学から文学への転向をつづった感動的な作品である。別離からおよそ30年後の1934年に増田渉が岩波文庫『魯迅選集』の収録作品について意向を聞いたとき、魯迅は「藤野先生」だけはぜひ入れて欲しいと希望した。それは文庫版刊行によって先生の消息が分かることを期待してのことだった。(中略) 遠隔地の学校で異国の先生に出会い、先生の期待、希望を裏切ってしまう生徒の回想・・・こんな「藤野先生」のような小説を実は村上春樹も書いているのだ。短篇「中国行きのスロウ・ボート」(以下「中国行き・・・」と略す)がそれである。(中略) 村上春樹が1980年の初出誌から1990年の全作品版に至るまでの10年間に「中国行き・・・」に二度の改稿を施して得た結論が、「僕にしか読み取れない」「あまりに遠い」中国であった。それは「僕」が「過去」を友とし、背信と原罪とをより深く自覚することにより到達した、旅立ちのための港であったのだ「中国行き・・・」は初出誌・単行本両版では次のように結ばれていた。 それでも僕はかつての忠実な外野手としてささやかな誇りをトランクの底につめ、港の石段に腰を下ろし、空白の水平線上にいつか姿を現わすかもしれない中国行きのスロウ・ボートを待とう。そして中国の街の光輝く屋根を想い、その緑なす草原を想おう。 だからもう何も恐れるまい。クリーン・アップが内角のシュートを恐れぬように、革命家が絞首台を恐れぬように。もしそれが本当にかなうものなら・・・ 友よ 友よ、中国はあまりに遠い。 そして全作品版に至ると、「だからもう何も恐れるまい」の一句は次のように加筆された。 だから喪失と崩壊のあとに来るものがたとえ何であれ、僕はもうそれを恐れまい。『風』の主人公「僕」が夏休みの帰省を終え東京の大学へ戻る時、ジェイズ・バーのバーテン、ジェイに別れを告げに行くと、この中年の中国人は望郷の思いをこんな風に語っていた・・・何年か経ったら一度中国に帰ってみたいね。一度も行ったことはないけどね。・・・港に行って船を見る度にそう思うよ。 朝鮮戦争からベトナム戦争に至るまで、中国共産党政権と敵対するアメリカの在日軍事基地で働いていたジェイは、『風』の時代の1970年に中国に戻れば正真正銘の「反革命分子」となったことだろう。
2019.02.26
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上春樹(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』以来、新しい感覚で現代人の「生」をとらえなおし、日本文学をまさに現代のものにして、文学の世界を大きく広げた村上春樹。その透明な抒情の漂う不思議な文学世界は、いまなお広がりつづけており、多くの読者をひきつけている。例えば評論家・山崎正和氏は『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』に触れて、現代でもなお文学は自由や愛について夢を見、憧れることをやめていないようだ、といい、この作品はその行為が夢にすぎないと認めながらも、なおそれを夢見ることの意味を謳いあげようとしたものだ――と評している。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上春樹(群像日本の作家)友人でもある安西水丸さんが語る村上評を、見てみましょう。<村上春樹さんについてのいろいろ>p178~180 この夏ひさしぶりに休みをとって、千倉の海であそんだ。海につき出た岩のうえで、とうもろこしをかじりながら、ぼんやりとこの原稿のことを考えた。 そういえば2年ほど前、村上春樹さんと千倉のことについて対談したことがあった。 その時ぼくが、千倉ではヒジキで歯をみがくなんてでたらめなことを言って、村上さんの好奇心をむやみにかきたててしまった。海にはいる時、ヒジキを口にふくむのはぼくのいつものくせだった。 村上春樹さんとは、今まで何度か対談をしたり、インタビューをうけたことがある。村上さんはテープおこしの名人で、なんとなく世間話をしているだけで対談ができあがってしまう。さすがとしかいいようがない。(中略) 村上春樹さんにはじめて会ったのは、彼の千駄ヶ谷のPETER-CATだった。 ぼくを村上さんに紹介してくれたのは、当時若者の人気雑誌だった「ビックリハウス」の二人の女性編集者で、ぼくはPETER-CATの階段を上がった時、カウンター近くで働いている不機嫌そうな表情の若者が、村上春樹さんだとすぐにわかった。こんなことを言っては失礼になるかもしれないけれど、彼はまだ学生のように見えた。 しばらくして、手のあいた村上さんも、ぼくたちのテーブルにやってきてみんなで雑談をしてすごした。はじめて聞く村上さんの声はプラチナ製といった感じだった。 余談。手塚治虫さんの有名な漫画に「鉄腕アトム」がある。このなかにプラチナというロボットが登場する。ちょっと生意気で、アトム以上の性能があり、そのスマートな顔かたちもぼくは気に入っていた。 村上さんの声をプラチナ製なんて書いたけれど、そのプラチナに村上さんは雰囲気がよく似ている。(中略) 村上春樹さんの単行本のカバーにイラストレーションを描いたのは、彼のはじめての短篇集だった。ぼくはそれまで彼の単行本のカバーでは、佐々木マキさんのイラストレーションしか見たことがなかった。 それで少しとまどった。 ぼくは以前から、村上さんは佐々木マキさんのファンだったということを本人からきいていたし、佐々木マキさんを好きな小説家の短篇集のカバーというのは、どんな絵を描いたらいいのかと思ったのだ。 その結果、ぼくはいつも自分の絵の中で、いちばん強い印象があると思っている線をはずしてみた。絵柄は皿にのった二つの西洋梨にした。見つめているとだんだん見えてくるような絵になったらいいと思った。 それが「中国行きのスロウ・ボート」のカバーになった。 つぎの短篇集「螢・納屋を焼く・その他の短編」のカバーは、ぼくの描き文字だけでやってみたいという村上さんの意見をいれて文字だけで仕上げた。 村上さんという人は、自分のこの本はこういう本にしたいといった考えをはっきり持っているのに、絵を描く人を、ほとんど自由にあそばせてくれるといった、ふしぎなアートディレクターの能力を持っている。テンポのよさはさすがとしかいいようがない。 ぼくが村上さんといっしょに出した「象工場のハッピーエンド」なども、まったく別々に作業は進行したのに、実にうまくまとまったと思っている。こういう結果も、前述したような彼の目に見えないディレクションがあったから得られたのかもしれない。いずれにしてもこの本の時は、村上さんの忙しいスケジュールの中ですっかりお世話になった。 余談。村上春樹さんという人は、とても人見知りをする人だけれど、友情のあつさにおいては完璧なものがある。それに待ち合わせ時間などにはほとんど遅れない。原稿もきちんとはいってくる。ぼくは「週刊朝日」とか「日刊アルバイトニュース」といった、締切の周期が短いイ雑誌で、村上さんと長い間組んで仕事をしたけれど、原稿はいつも早めに、しかも三回ぶんくらいまとまってぼくの手もとにとどいた。そんな彼の原稿に絵をつけて編集者にわたすことが、往復書簡のようで楽しかった。安西水丸さんのイラストレーションによる「中国行きのスロウ・ボート」、「螢・納屋を焼く・その他の短編」を付けておきます。
2019.02.26
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「村上春樹」でしょうか♪<市立図書館>・漫画のすごい思想・村上春樹のなかの中国<大学図書館>・ブックライフ自由自在・村上春樹(群像日本の作家)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【漫画のすごい思想】四方田犬彦著、潮出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より政治の季節からバブル崩壊まで、漫画は私たちに何を訴えてきたのか。つげ義春、赤瀬川原平、永井豪、バロン吉元、ますむらひろし、大島弓子、岡崎京子…すべては1968年に始まった!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。rakuten漫画のすごい思想【村上春樹のなかの中国】藤井省三著、朝日新聞出版、2007年刊<「BOOK」データベース>より村上春樹は中国から深い影響を受けている。「中国行きのスロウ・ボート」『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』など作品中で中国を「記号」として登場させている。一方、中国語圏では台湾、香港、上海、北京と、時計回りに村上春樹現象が出現した。「すっごくムラカミ(非常村上)」という流行語が生まれ、村上作品から影響を受けた「村上チルドレン」が多く輩出され、東アジアに与えた文化的な影響は大きい。近代文学において大きなテーマであった「中国」を村上春樹はどのように描いているのだろうか。また村上受容から見えてくる東アジアの姿とはいかなるものだろうか。魯迅からウォン・カーウァイまで「村上春樹」を軸に中国文学研究者が、東アジアの文化と社会を探る。<読む前の大使寸評>帰って読み始めると、著者が中国文学研究者であり、中国文学への深い知識に圧倒されるわけで、ちょっと当てがはずれたわけですが・・・ま、いいかと読み進めます。rakuten村上春樹のなかの中国【ブックライフ自由自在】荒俣宏著、集英社、1997年刊<「BOOK」データベース>より「よい古本に巡り合うのはむずかしい、生涯の恋人に巡り合うほうがよっぽどやさしい」とのたまう貧書生ことアラマタの、悲しくもおかしい古本まみれの人生の来し方。本を愛し、本に癒され、本に囚われたる日々の、知的悦楽に満ちた告白的読書日誌。他に、いかによき古本を手に入れるか、ノウハウをも伝授する。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenブックライフ自由自在【村上春樹(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』以来、新しい感覚で現代人の「生」をとらえなおし、日本文学をまさに現代のものにして、文学の世界を大きく広げた村上春樹。その透明な抒情の漂う不思議な文学世界は、いまなお広がりつづけており、多くの読者をひきつけている。例えば評論家・山崎正和氏は『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』に触れて、現代でもなお文学は自由や愛について夢を見、憧れることをやめていないようだ、といい、この作品はその行為が夢にすぎないと認めながらも、なおそれを夢見ることの意味を謳いあげようとしたものだ――と評している。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上春樹(群像日本の作家)********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き358
2019.02.25
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ブログで取り上げたNHKスペシャルを集めてみました。個人的アーカイブという趣きでんな♪なお、クローズアップ現代も一部ふくめています。NHKスペシャル放送予定********************************************************************【2019年】・NHKスペシャル『ノーベル賞会社員』2019.2.17・NHKスペシャル『アメリカvs中国 “未来の覇権”争いが始まった』2019.1.19【2018年】・クローズアップ現代『難問!どう遺品を整理』2018.10.25・NHKスペシャル『“脳” すごいぞ! ひらめきと記憶の正体』2018.2.04・NHKスペシャル『万病撃退!“腸”が免疫の鍵だった』2018.1.14【2017年】・あなたの家電が狙われている2017.11.26・追跡 パラダイスペーパー2017.11.23・NHKスペシャル『人体 脂肪と筋肉 』2017.11.05・NHKスペシャル『 巨龍中国 一帯一路』2017.10.14・NHKスペシャル『人体 神秘の巨大ネットワーク 』プロローグ2017.10.03【2016年】・NHKスペシャル『自閉症の君が・・・』2016.12.11・NHKスペシャル『終わらない人 宮崎駿』2016.11.13・NHKスペシャル「縄文 奇跡の大集落」2016.5.01・NHKスペシャル『狙われる日本の機密情報』2016.2.07・NHKスペシャル『世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた』2016.1.24【2015年】・NHKスペシャル「縄文 奇跡の大集落」2015.11.8・NHKスペシャル『雇用激変』2015.10.24・NHKスペシャル『戦後70年、豊かさを求めて』2015.6.5・プラントハンター西畠清順2015.4.3・空き家列島の衝撃22015.2.17・空き家列島の衝撃12015.1.19【2014年】・本を読まない人が急増 2014.12.11【2013年】・再発・転移する元凶「がん幹細胞」が見つかった 2013.09.19・NHKスペシャル【メルトダウン】2013.03.10【2012年】・NHKスペシャル「中国文明の謎」32012.12.11?・NHKスペシャル「中国文明の謎」22012.11.11・NHKスペシャル「中国文明の謎」12012.10.14・NHKスペシャル「魚の町は守れるか」2012.2.12
2019.02.25
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先日、NHKスペシャルの平成史スクープドキュメント「ノーベル賞会社員」を観たが・・・興味深い内容であった。“ノーベル賞会社員” 科学技術立国の苦闘2019年2月17日「平成史スクープドキュメント」第5回は、ノーベル賞ラッシュに沸いた科学技術立国・日本の現実を見つめる。民間企業の一エンジニアとしてノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏。実は受賞後メディアの取材を遠ざけていたが、今回16年ぶりに密着取材が実現した。田中氏の知られざる苦闘の歳月から日本が新たなイノベーションを生み出す可能性を探るのは、平成の23年間クローズアップ現代のキャスターを務めた国谷裕子氏。会社によって研究環境を与えられた田中さんが16年ちかくも悩んでいたことは意外に思えたが、期待される者の悩みはアホな一般人には分からないのだろうね。でも、血の一滴でガン検診ができる研究成果を得られたことは、ノーベル賞第2弾にも匹敵する成果であり、やはりすごい人だったようです。田中さんの経験が裏打ちされた言葉であるが「偶然とは強い意思がもたらす必然である」との言葉は並みの会社員には出ない言葉であり、燦然と輝くわけでおます。それから、基礎研究に対する国の予算が削減されている実態も報告されたが・・・技術立国ニッポンの命脈を絶つような財務省、文科省の方針が、いかにもアホ(官僚的)であることか。この記事もNHKスペシャル・アーカイブ(改8)に収めるものとします。
2019.02.25
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図書館に予約していた『天子蒙塵(2)』を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。この『天子蒙塵』の4巻シリーズは副本が多いわりに予約がすくないので・・・予約すると即、入手できるのが、ええでぇ♪、『蒼穹の昴』と比べて地味な印象を受けるのかなあ。【天子蒙塵(2)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがー。一方、満洲国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟の狭間で、溥儀は深い孤独に沈み込んでいた。<読む前の大使寸評>この『天子蒙塵』の4巻シリーズは副本が多いわりに予約がすくないので・・・予約すると即、入手できるのが、ええでぇ♪、『蒼穹の昴』と比べて地味な印象を受けるのかなあ。<図書館予約:(2/07予約、2/10受取)>rakuten天子蒙塵(2)馬占山が張作霖を回顧するあたりを、見てみましょう。p34~36<19> なあ、親分。 あんたはいったい、どこへ行っちまったんだね。 あれから3年あまりも経つんだが、俺はずっとあんたを探し続けている。不死身の白虎張が、列車ごと吹き飛ばされてくたばったなんて、とうてい信じられねえんだ。 戦争にもあきあきしたから、影武者に死んでもらったんじゃねえのか。北京の故同か上海の租界で、呑気な好々爺になっているんじゃねえのかよ。 若い部下たちは、馬占山将軍には隙がないという。そうじゃねえんだよ。小柄で様子のいい年寄りを見かけるたびに、あんたじゃねえかと目を凝らすだけさ。ハルビンの街角でも、チチハルの市場でも、海倫の草原の羊飼いどもの中にも、あんったに似たやつを見つけた。 今さっき、いい加減なご宣託を告げた薩満(さまん)を贋いだと思ったのは、勘働きじゃねえのさ。あんたはどこかで名前も身なりも変えて生きていなさるにちげえねえから、冥府の十王も東岳大帝も、かかわりあるめえと思ったんだ。 だが、少しばかり悔やんでいる。もしあの薩満が本物だったとしたら、俺は生きていようが死んでおろうが、ようやく会えたあんたに背を向けたことになる。帰るみちみち、ずっとそればかり考えていた。 風来坊の俺が、19の歳に肝をくくってあんたの子分に直ったのは、鯱立ちしてもかなわねえ男に、初めて出会ったからさ。 俺の馬は十里の道を風よりも速く走った。だが、あんたの御す馬は、いつだって並ぶ間もなく俺を抜いていった。 俺のモーゼルは空高く投げ上げた饅頭を撃った。だが、あんたの手に余るモーゼルは、銅貨を弾き飛ばした。 あんたも俺も、似たような貧民の子で、読み書きもできなけりゃ、まともな話もできなかった。だからせめて、あんたのようになりたいと思った。 新民府の自警団に過ぎなかった俺たちは、やがて奉天城を乗っ取り、東三省を手に入れた。そして、ついに長城を越えた。そこまでのし上がったのは、あんたが子分どもの誰よりもすぐれた男だったからだ。みながみな、あんたを神のように敬い、人として愛した。 だったら、おかしいじゃねえか。どうして兄貴たちは、あんたの仇を討とうとしねえんだ。知らんぷりで隠居を決めこんだり、蒋介石みてえな小僧に尻尾を振ったり、果ては仇に丸めこまれたやつだっている。 戦争は数の多寡じゃ決まらねえ、とあんたは言った。おっしゃる通りさ。だから俺は、誰に何と言われようが東洋鬼と戦った。 中華民国の黒龍江軍と言ったって、飛行機も戦車もねえんだ。補給も援軍もねえんだから、この馬占山の私兵だろう。 蒋介石は共産軍との戦で手一杯らしい。そうかね。こっちが外国に分捕られそうなときに、やつらとの戦争が先かよ。 要するに、あいつは東北を捨てたんだ。だが、俺は捨てられねえ。生まれ育ったふるさとを、どうして捨てられる。蒋介石が捨てても、ハンチンや兄貴たちが捨てても、俺は満州を捨てない。 鬼でも仏でもねえさ。まさかあんたみてえな啖呵は切れねえが、俺はてめえを馬占山だと思うことにした。『天子蒙塵(1)』3:天津の日本租界『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口
2019.02.24
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<図書館予約の軌跡159>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、副本2、予約37)現在1位・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、副本5、予約83)現在25位・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、副本4、予約26)現在6位・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、副本9、予約67)現在26位・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在241位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在54位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在71位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在25位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在47位・日本が売られる(2/05予約、副本22、予約354)現在324位・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(2/16予約、副本1、予約4)現在4位・多和田葉子『地球にちりばめられて』(2/18予約、副本3、予約34)現在34位・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、副本23、予約302)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・天子蒙塵(3)・三橋貴明『日本経済2020年危機』・樹木希林『一切なりゆき』・領土消失 規制なき外国人の土地買収・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・高橋源一郎『ニッポンの小説』:以前に借りている・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『一汁一菜でよいという提案』・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)<予約分受取:1/14以降> ・『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1/04予約、1/14受取)・いしいしんじ『トリツカレ男』(1/09予約、1/14受取)・装丁/南伸坊(1/13予約、1/20受取)・『ギャシュリークラムのちびっ子たち』(1/14予約、1/20受取)・莫言『転生夢現(上)』(1/18予約、1/25受取)・浅田次郎著『天子蒙塵(1)』 (1/24予約、2/02受取)・創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集(1/31予約、2/05受取)・天子蒙塵(2)(2/07予約、2/10受取)・文明に抗した弥生の人びと(2/10予約、2/13受取)・スメルジャコフ対織田信長家臣団(2/12予約、2/19受取)【洞窟おじさん】加村一馬著、小学館、2004年刊<作品情報>より昭和35年、13歳の少年は「両親から逃げたくて」愛犬シロを連れて家出した。以来、彼はたったひとりで、足尾鉱山の洞窟、富士の樹海などの山野で暮らしヘビやネズミ、コウモリに野ウサギなどを食らい命をつないできた。発見されたとき、少年は57歳になっていた。実に43年にわたる驚愕のサバイバル生活。―これは現代のロビンソン・クルーソーの記録である。<読む前の大使寸評>驚愕の自叙伝というか、平成の冒険的ドキュメンタリーではなかろうか。図書館で探してみよう。<図書館予約:6/07予約、副本2、予約37>amazon洞窟おじさん【the four GAFA 四騎士が創り変えた世界】スコット・ギャロウェイ著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より激変を預言した著名教授が断言。次の10年を支配するルール。【目次】1章 GAFA-世界を創り変えた四騎士/2章 アマゾンー1兆ドルに最も近い巨人/3章 アップルージョブズという教祖を崇める宗教/4章 フェイスブックー人類の1/4をつなげた怪物/5章 グーグルー全知全能で無慈悲な神/6章 四騎士は「ペテン師」から成り上がった/7章 脳・心・性器を標的にする四騎士/8章 四騎士が共有する「覇権の8遺伝子」/9章 NEXT GAFA-第五の騎士は誰なのか/10章 GAFA「以後」の世界で生き残るための武器/11章 少数の支配者と多数の農奴が生きる世界<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/13予約、副本5、予約83)>rakutenthe four GAFA 四騎士が創り変えた世界【飛ぶ孔雀】山尾悠子著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より庭園で火を運ぶ娘たちに孔雀は襲いかかり、大蛇うごめく地下世界を男は遍歴する。伝説の幻想作家、待望の連作長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/08予約、副本4、予約26)>rakuten飛ぶ孔雀【絶滅の人類史】更科功著 、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとって絶滅の歴史に他ならない。彼らは決して「優れていなかった」わけではない。むしろ「弱者」たる私たちが、彼らのいいとこ取りをしながら生き延びたのだ。常識を覆す人類史研究の最前線を、エキサイティングに描き出した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/18予約、副本9、予約67)>rakuten絶滅の人類史【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、副本22、予約355)>rakuten日本が売られる【トランスヒューマンガンマ線バースト童話集】三方行成著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>よりはるか未来、あるところにシンデレラという人類の進化系=トランスヒューマンの少女がおりました。“魔女”から拡張現実ドレスを与えられた彼女はカボチャ型飛行体に乗り、お城の舞踏会へ向かいます。しかしその夜、空から宇宙最強の爆発・ガンマ線バーストの閃光が降り注ぎー「地球灰かぶり姫」ほか「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」など、古典に最新の想像力を配合した童話改変SF全6篇を収録。超個性派による第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/16予約、副本1、予約4)>rakutenトランスヒューマンガンマ線バースト童話集【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/18予約、副本3、予約34)>rakuten地球にちりばめられて【AI VS.教科書が読めない子どもたち】新井紀子著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より大規模な調査の結果わかった驚愕の実態ー日本の中高校生の多くは、中学校の教科書の文章を正確に理解できない。多くの仕事がAIに代替される将来、読解力のない人間は失業するしかない…。気鋭の数学者が導き出した最悪のシナリオと教育への提言。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/22予約、副本23、予約302)>rakutenAI VS.教科書が読めない子どもたち【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡158予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.02.24
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『住まいの冒険』という本を読んでいたら、次のような指摘があり、戸建て2世帯住宅に住んでいる大使ははたと考え込んでいるのです。この本は多面的な事例をもとに、「主体的な住居」を模索するわりと哲学的なトーンで綴られているのです。【高度成長期に核家族のための住まいとして造られた庭付き郊外一戸建ては、もはや高齢の単身者あるいは高齢夫婦のみの住まいとなりつつある】ということでこの際、「主体的な住居」というテーマで今まで読んできた本を並べてみます。・大東建託の内幕(2018年)・日本の家(2017年)・老いる家崩れる街(2016年)・住まいの冒険(2015年)・限界マンション(2015年)・大人が作る秘密基地(2014年)・箱の産業(2013年)・日本人はどう住まうべきか?(2012年)・シェアハウス(2012年)・居住の貧困(2009年)・住吉の長屋/安藤忠雄(2008年)・住まいの中の自然(2008年)・「間取り」の世界地図(2006年)・郊外の20世紀(2000年)・西山夘三とその時代(2000年)R4:「日本の家」を追記【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ*****************************************************************************【日本の家】新建築住宅特集別冊、新建築社、2017年刊<「BOOK」データベース>より日本の戦後の住宅を取り上げる展覧会として過去最大規模となる東京国立近代美術館で開催される展覧会に会わせて出版。56組の日本の建築家による75の住宅を、テーマごと系譜学として構成。500を超える豊富な写真・図版を掲載。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、丹下謙三自邸、レーモンド自邸、赤瀬川原平のニラハウス、安藤忠雄の住吉の長屋など、めぼしい家屋はすべて網羅しているのが、すごい♪amazon日本の家レーモンド自邸日本の家*****************************************************************************【老いる家崩れる街】野澤千絵著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より現在約800万戸の空き家が15年後には2100万戸を超える…3戸に1戸が空き家に!「再自然化」する空き家、スラム化する分譲マンション、漏水・破裂する水道管、不便な立地の「サ高住」住みやすい「まち」に必要なものとは?【目次】第1章 人口減少社会でも止まらぬ住宅の建築(つくり続けられる超高層マンションの悲哀/郊外に新築住宅がつくり続けられるまち/賃貸アパートのつくりすぎで空き部屋急増のまち)/第2章 「老いる」住宅と住環境(住宅は「使い捨て」できるのか?/空き家予備軍の老いた住宅/分譲マンションの終末期問題/住環境も老いている~公共施設・インフラの老朽化問題)/第3章 住宅の立地を誘導できない都市計画・住宅政策(活断層の上でも住宅の新築を「禁止」できない日本/住宅のバラ建ちが止まらない/都市計画の規制緩和合戦による人口の奪い合い/住宅の立地は問わない住宅政策/住宅過剰社会とコンパクトシティ)/第4章 住宅過剰社会から脱却するための7つの方策<読む前の大使寸評>大使の関心としては、住宅過剰社会とか、バブルを煽るかのような新築誘導税制、コンパクトシティ、古民家再生あたりになるわけです。<図書館予約:(12/28予約、5/10受取)>rakuten老いる家崩れる街『老いる家崩れる街』1:空き家問題『老いる家崩れる街』2:住宅過剰社会*****************************************************************************【住まいの冒険】住総研著、萌文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より私たちの住まいや暮らしは、高度消費社会の巨大な市場システムに埋没してしまった。「住む」ことや「暮らす」ことは本来それぞれに自分流があり個性的であってよいのに、その主体である住み手と住まいの間には、代え難い個別的な関係を見い出せていない。では、主体性のある住まいとはいったい何だろうか。本書は生きる場所としての住まいを取り戻そうとする多くの事例を取り上げ、哲学的洞察も交えて多面的な視点から問題提起する。<大使寸評>我々、団塊の世代が一戸建て住宅を取得しリタイアを迎えた頃、いわば人生スゴロクをあがった頃には・・・・終身雇用はなし崩しにくずれ、派遣社員が常態化していた。住宅取得に関しては、無策の政治と大手建売住宅メーカーにしてやられたとの感もあるわけです。rakuten住まいの冒険*****************************************************************************【限界マンション】米山秀隆著、日本経済新聞出版社、2015年刊<「BOOK」データベース>より進む、建物老朽化・住民高齢化ー放置・スラム化は不可避なのか?【目次】序章 マンションという住まいの末路/第1章 マンションの歴史ー埋め込まれた時限爆弾/第2章 マンションの2つの老いと建て替えの現実/第3章 限界マンション化にどのように立ち向かうか/第4章 空き家問題の現在/終章 空き家問題の今後の展開と限界マンション<読む前の大使寸評>なんか既視感のある本であるが、まいいかと借りたのです。帰って調べてみると、2016年3月に借りていました。rakuten限界マンション*****************************************************************************【大人が作る秘密基地】影山裕樹著、DU BOOKS、2014年刊<商品説明>より自由な発想で生き方をデザインする、大人版・秘密基地18の方法これからの時代を生き抜く秘密基地作りのススメ。創造力と心の拠り所になる7類型。特別寄稿:村上祐資(極地建築家)/毛利嘉孝(社会学者)/服部浩之(キュレーター)ほか<大使寸評>冒頭あたりに、「秘密基地の代名詞とも言えるツリーハウス」、「沢田マンションはその代表とも言えるセルフビルド建築」などというフレーズが並んでいて、大使のツボがうずくわけです♪rakuten大人が作る秘密基地空き家とスクォッティングbyドングリ*****************************************************************************【箱の産業】松村秀一, 佐藤考一編著、彰国社、2013年刊<「BOOK」データベース>より プレハブ住宅産業はこうして生まれた!その揺籃期、1960年前後から1970年代までの動きを、当時の若き技術者たちのオーラルヒストリーで生き生きと構成。技術者一人ひとりのものがたりをもとに歴史を紡ぐ技術社会史の労作、ここに成る。<大使寸評>技術者として読むと、産業史として面白いのだけど・・・・プレハブ住宅業界の苦労話あるいは手柄話のような内容になっていて、文化論にはほど遠いのです。当然かもしれないが、プレハブ住宅のマイナス面は語られていません。rakuten箱の産業プレハブ住宅で良かったのかbyドングリ *****************************************************************************【日本人はどう住まうべきか?】養老孟司, 隈研吾著、日経BP社、2012年刊<「BOOK」データベース>より都市集中。過疎。自然喪失。高齢化。そして、震災、津波。21世紀、どこに住み、どう生きるのが幸せだろう。【目次】第1章 「だましだまし」の知恵/第2章 原理主義に行かない勇気/第3章 「ともだおれ」の思想/第4章 適応力と笑いのワザ/第5章 経済観念という合理性/第6章 参勤交代のスヽメ<読む前の大使寸評>おお 養老さんと隈さんが、ニッポンの住宅を語り合った本ではないか♪住宅政策や住宅広告の裏まで突き通してばらしてしまうような内容ではないかと、期待するのです。rakuten日本人はどう住まうべきか?『日本人はどう住まうべきか?』1*****************************************************************************【シェアハウス】 阿部珠恵×茂原奈央美著、辰巳出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より物件も住む人も急増しているシェアハウス。これは地縁・血縁意識の薄い都市部に特有の現象なのか。それともコミュニティの新しい形なのか。実際にシェア生活をしている著者2名が、さまざまな様式のシェア物件に住む人々に取材して考察した、日本のリアルが見えてくる、軽妙で知的なドキュメント。<読む前の大使寸評>最近、目に見えて貧乏になったニッポンの市民にとって、シェアハウスは切実でかつ現実的な選択肢ではないだろうか。rakutenシェアハウス*****************************************************************************【居住の貧困】本間義人著、岩波書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より職を失い、住まいを奪われる人たち、団地で進む高齢化と孤独死、規制緩和がもたらしたいびつな住環境…。人権としての居住権が軽視され、住まいの安心・安全が脅かされている日本社会の現状を詳細に報告。社会政策から経済対策へと変容した、戦後の住宅政策の軌跡を検証し、諸外国の実態をもとに、具体的な打開策を提言する。【目次】第1章 住む場がなくなる/第2章 いびつな居住と住環境/第3章 居住実態の変容、そして固定化へ/第4章 「公」から市場へ-住宅政策の変容/第5章 諸外国に見る住宅政策/第6章 「居住の貧困」を克服できるか<読む前の大使寸評>我が家は、阪神・淡路大震災の後に、一戸建てのプレハブ住宅を建てたわけですが・・・たぶん、この震災がなければ木質系の在来工法を選んでいただろうと思うわけです。この本で、プレハブ住宅がどのように書かれているか、興味深いのです。rakuten居住の貧困居住の貧困byドングリ*****************************************************************************【住吉の長屋/安藤忠雄】千葉学著、東京書籍、2008年刊<「BOOK」データベースより>1970年代から今日まで、常に建築界の第一線を走り続ける安藤忠雄の原点にして、戦後日本の都市型住宅の方向を決定付けた名作「住吉の長屋」。そのすべてを解き明かす。建築家安藤のデビュー作。日本現代住宅史の金字塔となった一軒を徹底分析。 <大使寸評>安藤忠雄のデビュー作にして原点ともいえる住吉の長屋に絞って述べています。とにかく、その狭さと、傘をさしてトイレに行く造りが衝撃的ですね(笑)Amazon住吉の長屋/安藤忠雄*****************************************************************************【住まいの中の自然】 小玉祐一郎著、丸善、2008年刊<「BOOK」データベース>より環境との共生が叫ばれる今日、建築におけるエコロジカルな発想の原点に帰り、太陽や風といったポテンシャルを活かしながら在来エネルギーへの依存を減らし、自然との交感が可能な住宅、自然を楽しむ住居を考えます。<大使寸評>パッシブソーラーハウスを建てた上で20年にわたる実証などを語るという、わりと地味な本ではあるが・・・採光、自然通風に着目したなど、大使のツボにヒットするわけです。ツボというのは「自然と共生する住居」といいましょうか♪rakuten住まいの中の自然*****************************************************************************【「間取り」の世界地図】服部岑生著、青春出版、2006年刊<「BOOK」データベース>より東京・NY・パリ…のアパートの間取りの違い。続き間・縁側・通り庭…狭い日本ならではの工夫。比べてわかる住まいの人間関係学。【目次】1 日本の「間取り」とその変遷(マンション、団地…集合住宅に見る、日本人の暮らしの変化/江戸の武士住宅からつづく、日本住宅の古きよき伝統/間取りから浮かび上がる、暮らしの知恵としきたり)/2 「間取り」の世界地図(比べてわかる、世界の家族観、生活観…のちがい/日・米・英…大富豪の邸宅の間取り)<読む前の大使寸評>手にした時の斜め読みから・・・・著者のかもす民俗学的なセンス、職人の慎ましさが感じられたので、借りたわけです。rakuten「間取り」の世界地図2DKと京町屋byドングリ*****************************************************************************【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀『郊外の20世紀』4:家族の解体『郊外の20世紀』3:神戸市の二つのテーマタウン『郊外の20世紀』2:郊外住宅のゴールの姿『郊外の20世紀』1:戸建ての我が家の位置付け*****************************************************************************【西山夘三とその時代】西山夘三記念すまい・まちづくり文庫、2000年刊<目次>より第1部 西山夘三と日本のすまい 20世紀・すまいのアーカイブスプロローグ西山夘三・人と仕事自分の生涯を対象にした著作から日本のすまい第2部 文書所蔵資料解題文庫所蔵資料の概要文庫所蔵資料をめぐって西山夘三・業績一覧西山夘三・年譜第3部 文庫活動の紹介文庫活動の足跡特定営利活動法人NPOの設立文庫資料の利用方法参考資料<大使寸評>西山夘三といえば・・・日本の住まいを民俗学的な視点で踏査した学者、2DKという間取りに関わってきた建築家というのが、大使の認識である。とにかく、守備範囲が圧倒的に広い人でしたね。ところで、西山さんは1967年のNHK連続ドラマ「ケンチとすみれ」のモデルなんだそうだが・・・このドラマはほとんど見ていなかったので、コメントしようもないのです。hamonika西山夘三とその時代西山夘三とその時代byドングリ*****************************************************************************【関連記事】空き家問題あれこれ非定常空間あれこれ
2019.02.24
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図書館で『日本の家』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、丹下謙三自邸、レーモンド自邸、赤瀬川原平のニラハウス、安藤忠雄の住吉の長屋など、めぼしい家屋はすべて網羅しているのが、すごい♪【日本の家】新建築住宅特集別冊、新建築社、2017年刊<「BOOK」データベース>より日本の戦後の住宅を取り上げる展覧会として過去最大規模となる東京国立近代美術館で開催される展覧会に会わせて出版。56組の日本の建築家による75の住宅を、テーマごと系譜学として構成。500を超える豊富な写真・図版を掲載。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、丹下謙三自邸、レーモンド自邸、赤瀬川原平のニラハウス、安藤忠雄の住吉の長屋など、めぼしい家屋はすべて網羅しているのが、すごい♪amazon日本の家レーモンド自邸冒頭の「日本的なるもの」を見てみましょう。p14<日本的なるもの:塚本由晴> 日本的なるものをめぐる建築表現や言説は、伝統についての様々な議論を生んできた。特に1952年のサンフランシスコ平和条約締結による、国家としての主権回復は、敗戦の痛手から立ち上がろうとする人々の自尊心、愛国心をどれだけ刺激しただろう。建築家、批評家、歴史家を巻き込んで、伝統論争と呼ばれる議論が1955年頃より沸き起こった。 日本の伝統をどの建築の系譜を軸に捉えるかをめぐり、寝殿造りのような高床式の開放的な空間の系譜か、民家のような土間が骨太な柱梁と大きな屋根で覆われた空間の系譜かが争われた。 中でも丹下謙三や川添登が、《桂離宮》を参照して縄文と弥生の弁証法的統合により日本の伝統を位置づけた。しかし、丹下の初期創作は、弥生的な高床式の再解釈と見なせるものに明らかに傾いていた。そこに白井セイ一が《旧江川邸》の土間を引き、縄文の竪穴式住居の系譜に位置付けることで、民衆の力強さを伝統解釈の主役に据えた。 高床は稲作が導入された弥生時代に、穀物を保存するために生れた形式で、貴族の寝殿造りに引き継がれていると言われる。近代建築の透明性や内外浸透を志向する空間と親和性が高い。これに対して土間は、狩猟社会であった縄文時代の竪穴式住居という、さらに古層の空間形式で、民家や町家に引き継がれていると言われる。土壁で守られ、火を使うので黒くすすけており、庶民の暮らしとともにある実践的空間である。 このふたつの対比により、日本的な空間は、近代建築理論を先取りするものと見る可能性と、大陸伝来の稲作農耕以前に起源をたどる可能性の間で揺れることになった。西洋由来の近代建築との統合か、西洋を経由しない独自の起源への同一化か?日本的なるものの伝統解釈の違いには、西洋との距離のとり方が投影されているのである。 少し後になって篠原一男が「日本伝統論」(1960年)で住宅の空間に引き寄せて論じたような、伝統と住まいと暮らしの全的な関係が論じられることはなかった。 だが同時代に設計された住宅の実践にも、暮らしにまで踏み込んだ。日本的な住まいのあり方への問いが見られる。 第二次大戦後にアメリカから日本に戻ったアントニン・レーモンドの《レーモンド自邸》(1951年)は、中庭を挟んで設計事務所が隣接する職住接近の住まいである。戦後間もない材料不足の中で杉丸太の足場材利用したシザーストラスは、日本建築との強い結びつきから木構造を解放し、その新たな可能性を開いた。床は庭とほぼ同じ高さに設定されているが、これは民家の土間とは異なる。光を受けた連窓の障子を背景に並ぶ、重心の低い木製家具と合わせて、土足での生活を想定したものだろう。(中略) 水平性が強調された木造平屋は十分に日本的だが、そこに配合された地中海的なふるまいの想定が、床と庭の関係を変え、縁側をロッジアに変えたと見ることができる。そうした意味で、《レーモンド自邸》は、民族誌や文化人類学的関心が建築のデザインに投影された優れた事例であるが、そこには最初に述べた寝殿造りか民家かといった系譜をめぐる問いはない。それは日本人建築家の間に限られた問題意識だったのだろう。ウン 縁側や土間の開放感が好きだったと思い返しているのです。この本も主体的な住居とはに収めるものとします。
2019.02.23
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉阿部和重との対談を、見てみましょう。p271~275<いま小説家は、どう見えますか?>■翻訳家への道阿部:厳密にはそうではないようですが、ほぼ初対面ですね。そこでまずは鴻巣さんご自身のお仕事について伺いたいのですが、いま、多くの媒体で書評をされていますね。鴻巣:『朝日新聞』の書評委員の他、雑誌にレギュラーで書評を書かせてもらっているのは『東京人』『週刊朝日』『週刊ポスト』でしょうか。2000年ぐらいまではほとんど新聞のコラムや翻訳のみでしたが、この十年は、書評に限らずエッセイなどを書く仕事も増えました。阿部:ちなみに翻訳はいつ頃から?鴻巣:大学四年のときに『翻訳の世界』というカルチャー誌に足を突っ込んだのが最初で、大学院の二年目には自分の名前で翻訳書を出すことができたので、キャリアはもう二十数年になります。阿部:当初から翻訳は文学に関するものを目指されたのですか?鴻巣:洋画の映画字幕をやりたいという希望がまずありました。ただ当時はビデオやDVDなんてものもありませんし、劇場で封切られるものといえば、ハリウッド超大作かヴィスコンティのようなヨーロッパの巨匠の芸術作品、そしてポルノグラフィがほとんどでしたので、若手の字幕翻訳家などなかなか需要がない。戸田奈津子さんや彼女の先生筋の大家によって、席は埋まっている状態でした。 それでどうしようかなと考えていた19歳のある日、写真週刊誌『フォーカス』でひとつの広告を見たんです。「あなたの翻訳力をテストします」という翻訳学校の広告でした。それではじめて、字幕翻訳は無理でも文芸書の翻訳家にはなれるのかも、と。阿部:そこから一直線に翻訳家の道へと進まれたわけですか。鴻巣:恥かしい過去をお話しすると、二十代の頃までは自分でも小説を書き、原稿用紙百枚ほどの短篇を今はなき『海燕』という文芸誌に送ったこともあります。でも翻訳の作業をやってみると、すぐにこれこそ自分にぴったりだと実感しました。もともと読むことが好き、書くことも好き、語学にも興味がある。だけど小説家のようにゼロから構築する才能はない・・・これらの要素をいっぺんに充たす仕事はまたとないな、と。 それで独学で勉強し始めて、翻訳家の柳瀬尚紀先生のところに行きました。最初は「弟子はとらん」と拒否されながらも周囲をウロウロし続けることで、ついに「弟子はとらないが運転手なら」と言ってもらえた。二十代後半まで先生の運転手をしていました。阿部:すごい経歴ですね。たけし軍団の付き人みたいだ(笑)。子どもの頃から積極的に行動するタイプだったんですか?鴻巣:うーん、運転手をしていると先生の周りの猛者の方々ともつきあうので鍛えられはしました。酔っ払った作家や編集者を乗せた車を中央分離帯に乗りあげて大破する、などの人生修業を積んだものです。でも、もとはものすごく引っ込み思案な子どもだったんですよ。阿部:またまた(笑)。(中略)■小説家の五大悩み!?阿部:せっかくの流れなので、ここで、これまでの「和子の部屋」をお読みになったご感想などをお伺いできますか?鴻巣:とにかくお話が哲学的で思弁的で、言葉の密度が濃いと思いました。漠然と「作家の日常をお見せします」的な茶飲み話がなされるのかと思っていましたから(笑)。阿部:じつはわれわれも気楽な茶飲み話のつもりで始めたんです。でもいざやってみると、回を追うごとに相談内容がディープになっていった。小説家に悩みを聞くとこうなるのかと、当初の目論見の甘さに気づかされました。鴻巣:これまでの五回には、創作に関わる「五大悩み」というべきものが網羅されています。タイトルをつけるなら、一人目の角田光代さんは。彼女が「幸せだと小説は書けないのでは」とおっしゃるのに対し、阿部さんは「不幸というファクターは創作に必要ない」と答えられた。そのあざやかな対比が面白かったです。 じつはこれまでわたしも、親への反発をはじめとする何かしらの屈託が、自分を創作や翻訳に向かわせていると考えていた節があります。阿部:ひとつ言い訳めいたことを述べれば、それはあくまで角田さんへの返答である、という部分が少なからずあります。全部通して読むと、「お前、前に言ってたこととこれ、矛盾してないか?」と指摘されかねない回答もあるかもしれません。この連載はライブ感を重視したいということもあり、ほとんどその場の思いつきばかりを僕は述べているので矛盾も生じやすい。それと人生相談の回答って、必ずしも回答者自身の考えをそのまま伝えることが正しいわけでもない。鴻巣:もちろんそれはよくわかります。阿部さんだって、実生活の影響をまったくゼロにすることは不可能ですよね。『本の森 翻訳の泉』3:読書つれづれ日記2006~2007『本の森 翻訳の泉』2:『エクソフォニー』で読む『文字移植』『本の森 翻訳の泉』1:対談 日本語は滅びるのか
2019.02.23
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朝日のコラム「ザ・コラム」にチャイナウォッチャーとも言える吉岡桂子記者の記事を見かけたので紹介します。*****************************************************************************2019年2月21日(ザ・コラム)国家不信と国籍 星条旗を手にした宝宝たちより 青く澄んだ空に、ヤシの並木が映える。カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のアーバイン。学歴が高い裕福な家庭が多く、全米で指折りの治安の良さで知られる。 中国人にとっては「国籍ロンダリング(洗浄)」の「聖地」でもある。出産前に渡り、米国籍を得られる赤ちゃんを産むビジネスが根を張っている。 移民を敵視し、壁まで築こうとするトランプ政権のもと、万里の長城の国から訪れる妊婦さんはむしろ、増えているそうだ。 どんな人たちなんだろう。「月子(ユエツー)中心」と呼ばれる施設を訪ねた。 ◇ 閑静な住宅街の一戸建てに、彼女らは住んでいた。玄関にはベビーカーが並ぶ。「HAPPY BIRTHDAY」。誕生パーティーの写真には、赤ちゃんを抱いた女性が赤いスーツ姿でほほえむ。星条旗にワシが描かれた米国パスポートを手にした「宝宝(パオパオ)(中国語で赤ちゃん)」と、旧正月に中国へ戻った。会社の社長さんだ。 予定日の2ヶ月前に入居し、産後は1ヵ月を過ごす。料理など家事をしたり、月嫂(ユエサオ)という母子の面倒をみたりする中国出身のお手伝いさんがいる。近くの病院には、中国語を話す医者もいる。 月子とは、中国語で産後ひと月をさす。中華圏ではこの間、母親が十分な休養をとる伝統がある。その産後ケアセンターが「月子中心」。元卓球選手の福原愛さんが台湾で利用し、日本でも話題になった。 ただ、米国の「月子中心」の最大の狙いは国籍の取得だ。米国で生まれた赤ちゃんは、両親が外国籍でも米国籍を得られる。この「出生地主義」の廃止を、トランプ大統領が昨秋の中間選挙前に主張したわけだが、中国の人々はむしろ「今のうちに」とせかされた気持ちになったようだ。深まる米中対立の影響を心配して、扉が狭まる前に駆けこむ心理もある。 中国東北部から来た女性は、双方の両親と一緒に5人で一軒家を借りあげていた。会社を経営する夫も近く合流する。「空気がいいし、来て良かった」。仲介業者がさまざまなコースを用意し、妊婦数人の同居なら数百万円から可能だ。今の中国なら負担できる家庭は少なくない。 みんな同じことを言う。「子供の将来の選択肢を増やすため。米国のパスポートは中国のものより移動の自由が大きい。一流の教育も、医療や福祉もうけやすい」。ある業者が付け加えた。「経済も軍事も世界で一番強い国だから安心料なんです。何十年か経てば分からないけどね」 米国は妊婦の入国を禁じてはいないが、こうした業者は極めてグレーな存在だ。2015年には同じ州で大規模な捜査が入り、逮捕・起訴された人も出た。マンションの一室に大勢の妊婦さんを詰めこんだ施設もあった。ロシア人はマイアミ、日本人はハワイを好むとされ、国籍を求めて米国で出産する外国人はいる。ただ、中国人は規模が違う。一戸建てに分散させたのは、目立たぬように潜む手段でもある。 ◇ 不透明な商売だけに数字はあいまいだが、西海岸を中心に全米で数百カ所あり、中国人が米国へ出かけて産んだ子供は、「10年の5千人から12年に1万人を超え、16年には8万人を上回った」(中国・第一財経日報ネット版)。私が会った業者も「12年ごろから増えた」と話す。習近平氏が中国共産党総書記に就いた年である。 親が子を思う気持ちだけとは限らない。子供を足がかりに国内からお金を移し、資金の洗浄に使う場合もある。習政権のもとで腐敗退治から言論弾圧まで国家による監視が厳しくなるなか、動きは加速している。政治家や軍の幹部の愛人といった背景を持つ女性もいるときく。 「中華民族の偉大なる復興の夢」に邁進して豊かになる人が増えれば、米国籍を「買う」人が増える。彼らは米国を信じ切ってはいない。人生のリスク分散の一環なのだ。「孟母三遷」にも似た、歴史を生き抜く処世術ともいえる。経済規模で中国が米国を超えたぐらいでは変わらないだろう。国家に対する信用度の低さは、国のもろさか。人々の強さなのか。 「日本人もおいでよ」。あっけらかんと誘う声に、国家と個人との距離を考えた。*****************************************************************************朝日新聞の吉岡記者といえば、チャイナウォッチャーとして個人的に注目しているわけで・・・・その論調は骨太で、かつ生産的である。中国経済がらみで好き勝手に吹きまくる経済評論家連中より、よっぽどしっかりしていると思うわけです。ザ・コラム一覧に吉岡記者の中国論が載っています。<吉岡桂子記者の渾身記事25>:2019年1月17日
2019.02.23
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図書館に予約していた『スメルジャコフ対織田信長家臣団』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。【スメルジャコフ対織田信長家臣団】村上春樹著、朝日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より不倫相談・ドーナツ情報・村上作品・音楽・映画の話から、なぜか『カラマーゾフの兄弟』まで、「何でも相談室」の村上さんがお答えします。CD-ROMに約4千通のメールを収録!3年半にわたる作家と読者のメール交換の総決算。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。<図書館予約:(2/12予約、2/19受取)>rakutenスメルジャコフ対織田信長家臣団文章テクニックやトライアスロンあたりを、見てみましょう。p15~18<どうしたらうまい文章が書けるか> ときどき「どうしたらうまい文章が書けますか?」という質問を受けるのですが、僕の答えはひとつだけです。とにかく何度でもいいから読み直し、書き直すこと。これしかありません。プロだってアマチュアだって、これは同じことですね。 書き直すときには、書き直しと書き直しのあいだにしかるべき時間を置くといいです。更にいえば、一回の書き直しのときに、それぞれのテーマを設定すること。<余分な贅肉をとって、話題はひとつ> みなさんから寄せられるメールの文章をみていて全体的に感じるのは、「余分なところが多いな」ということです。この文章は3割くらい贅肉をとって、すっきりさせるともっとスピードがでるのにな、と残念に思うことがけっこうあります。 それから「ひとつのメールに、話題はひとつ」というのは、大事なポイントです。そうすると文章がぐっと読みやすくなります。焦点が絞られて、文章の目鼻立ちもよくなります。別の話題があれば、手間を惜しまず別のメールに書くといいです。それから長い文章よりは常に短い文章が好まれます。長い文章を長さを感じさせないように書くには、それなりの高度なテクニックが必要とされるからです。 もっとも当ホームページは「村上春樹の文章講座」ではありませんので、文章のことはあまり気にせずに、気楽にメールを送ってください。<7月12日にトライアスロンに出ました> 話題は変わって、7月12日の「裏誕生日」に二度目のトライアスロン・レースをホノルルで走ってきました。「ティンマン・トライアスロン」という大会で、水泳800メートル、自転車40キロ、ラン10キロを無事に完走しました。とても楽しかったです。成績は957人中444番でした。水泳でミスらなかったらもっとよかったんだけど。ちちち。 ところでこのレースの説明パンフレットに Abusive langage will result in disqualification という注意書きがあtったんだけれど、「罵りの言葉は失格の対象になります」と言われても、どの程度がabusiveなのかわかんないですよね。そんなこと言ったら、エディー・マーフィーなんて一発で退場だもんね。 いずれにせよ、トライアスロンにはまっている村上です。みなさんはきっと興味ないでしょうね。すみません。でもこのシーズンのうちにもう一回レースに出ようと思っています。それから11月にはNYシティー・マラソンを走るつもりです。NY在住のみなさんとは路上でお会いできると思います。ただしあれはなにしろ人数が多いので、見分けがつくかどうか・・・。<正統的オープン2シーター乗りの夏> 全国オープン2シーター(O2S)同好会のみなさん、お元気ですか。♪ぎらぎらと輝く太陽背に受けて(コニー・フランシス)、の夏ですね。ハッピーにお過ごしでしょうか? 「どーせ車のローンに追われて、彼女いないんでしょう」なんて失礼なことを言ってはいけないんですね。冗談です。どうぞ限りある青春を謳歌してください。 ときどきせっかくの良い天気なのにトップをかぶせて、エアコンをがんがんきかせているというコソクな人を見かけますが、そういうのはやはりオープン2シーター乗りとして恥かしいですよ。多少暑くても、意識が朦朧としても、きっちり屋根を開けて、エアコンは切る。 帽子、サングラス、日焼け止め、助手席にはミネラル・ウォーターのボトルと汗拭きのタオル。カーステレオにはクリーデンスかビーチボーイズ。それが正統的オープン2シーター乗りの日本の夏です。なんかもう、ほとんどラバウル航空隊みたいですが。この本も村上春樹アンソロジーR6に収めておきます。『スメルジャコフ対織田信長家臣団』1
2019.02.22
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図書館に予約していた『スメルジャコフ対織田信長家臣団』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。【スメルジャコフ対織田信長家臣団】村上春樹著、朝日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より不倫相談・ドーナツ情報・村上作品・音楽・映画の話から、なぜか『カラマーゾフの兄弟』まで、「何でも相談室」の村上さんがお答えします。CD-ROMに約4千通のメールを収録!3年半にわたる作家と読者のメール交換の総決算。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。<図書館予約:(2/12予約、2/19受取)>rakutenスメルジャコフ対織田信長家臣団「今月の読書」3篇で村上さんの読書傾向を、見てみましょう。p30~32<思わず笑ってしまう高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』> 高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』(小学館)を読みました。高橋さんは僕が『アンダーグラウンド』を書いたときにリサーチャーとして働いてくれた人で、とても有能なノンフィクションのライターです。知り合いだから推薦するわけじゃないけど、これはほんとにおかしい本です。どうして日本人はこんなにもラジオ体操が好きなのかというのを、正面から調査し考察した労作で、読んでいて思わず笑ってしまいます。 僕は知らなかったのだけれど、広島に原爆が落とされたとき、広島にいた兵隊のほとんどはちょうどラジオ体操をしていたのですね。空にB29爆撃機が見えたいえれど、「体操の途中だったので、そのまま続けました」っていうことだけど、すごいですねえ。ラジオ体操って、空襲があっても、途中でなかなかやめられないんですね。<49歳の永井荷風の日記を集中的に読んでみる>『断腸亭日乗』(岩波文庫)は37歳から79歳までの永井荷風の日記ですが、荷風が僕の年のころ何をしていたのかなと興味があったので、49歳のところを集中的に読んでみました。昭和2年のことです。 なんかほとんど毎日銀座で酒を飲んで、女給と遊んでいるんですね。いいなあ。でもときどきいろんなことにひどく腹を立てていて、おかしいです。そのままでは漢字がとても変換できそうもないので、あらすじを現代語訳しますと、「1月6日。銀座に出ようと思って夕方箪笥町の崖下の道を歩いていたら、一群の児童が私の通り過ぎるのを見て、背後から私の名前を連呼した。なんだろうと思って振り返ると、みんなで一斉に拍手哄笑して逃げ去った。まるで狂人か乞食を相手にするような振る舞いである。 しかし近隣の児童がどうして私の名前や顔を知っておるのか。これというのも私がものなんか書いているからである。虚名の災いもここまでくれば、まったく忍びがたい。雑誌や新聞の毒筆なんかは、こっちが見ないでおればそれですむことだが、子供の面罵までは避けようもない。嘆かわしいことである。それにしてもいまどきのガキたちの凶悪暴慢さは憎んでもあまりある」 気持ちはまあよくわかるんだけど、子供相手に「凶悪暴慢」ってのはちょっとないんじゃないかなと思います。いくらなんでも大人げないじゃないですか。でも荷風ってなんかすごく変なおっさんだということが、これを読んでいるとよくわかりますね。<ポール・セロー『地中海旅行記』も怒りっぽい> 腹を立てるといえば、ポール・セロー『地中海旅行記』(NTT出版)も、なんかしょっちゅう腹を立てている本で、この人は年をとるにつれて確実に怒りっぽくなっていますね。『鉄道大バザール』のころもたしかに皮肉っぽくて、ことあるたびに腹は立てていたんだけれど、そこにはそれ以上に新鮮な好奇心があり、ユーモアがあった。 でも最近の彼の本は絶望感みたいなものがだんだん色濃くなっているように思います。この前読んだ『オセアニアの幸福な島々』(これは未訳)は、最初から最後まで日本人に対する悪口で埋まっていた。とても面白いエピソードに満ちた本だし、ぜんぜん手抜きしてないし、言っていることはたしかにごもっともなんだけど、読んでいてだんだん疲れてきます。それに比べたら、荷風の腹の立て方は、それこそご本人が子供みたいであっけらかんとしていて、なかなか可愛いですよね。 人間って年をとると、だんだん怒りっぽくなるんだろうか。僕もなるべくいろんなことに腹を立てないで、少なくとも文章を書くレベルでは、のんびりとマイペースで生きる「O2Sじじい」になりたいです。O2S・・・なんじゃそれ? 調べてみたら、オープン2シーターでした。村上さんはけっこう車好きのようです。
2019.02.22
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉著者の書評を2006年の日記から、見てみましょう。<読書つれづれ日記2006~2007>■2006年9月2日p71~74 翻訳者というのはよく「巫女さん」に喩えられる。神の声をつたえる者、すなわち作者の代理だという発想で、わたしも以前は作者になりきろうとジタバタした。でも、じつは訳者は作者の代理ではなく、読者の代表、いや、読者のひとり。小説家の胸のうちは謎のままだ。 ところが、小説家のエッセイ集というのは、時にその胸のうちを垣間見た気にさせてくれるから、にくい。そうした本のなかでも、『博士の愛した数式』の作者・小川洋子のエッセイ集『犬のしっぽを撫でながら』は、格別にスリリングだ。「無いものを存在させる」虚数や0を発見した数学者というのは、「言葉にできないことを言葉にしようとする」小説家と近い存在なのでは? と感じたのが、あの小説の種子となったとか、「友愛数」という言葉から、博士と家政婦さんの出会いの場面がそれこそ天啓のようにパーッと浮かんでくる、といったくだりに、著者の感性と知性がきらめいいている。 自身の文学の原点だというアンネ・フランクをめぐるエッセイの静かな迫力や、犬と野球への熱愛ぶりもいいが、「フーヴォー村と泉泥棒」という短いエッセイにわたしは胸をつかれ、泣いた。 わけのわからない涙がこんこんと湧いてきた。人の心にインスピレーションが宿る瞬間をこんなに美しく綴ったものがあるだろうか。強いてあげれば、ヴァージニア・ウルフの随筆の最高作『自分ひとりの部屋』ぐらいだ。 ところで最近、おしゃれな「モダン温泉」がすごい勢いでふえているらしい。「お二人さま」でしか泊まれない室内風呂付きデート旅館も大賑わいだそうだ。吉田修一の短篇集『初恋温泉』は、どれもカップルが温泉に行く話だが、登場するのは格式ある老舗か渋い宿ばかりで、イマドキの温泉は出てこない。 家族連れやひとり客も交じっている宿へ、夫婦や恋人やわけありのふたりが、それぞれ思惑をもってやって来る。貸切風呂に恋人をつれこもうと必死になる高校生もいれば、故あってひとりで来て、単身の女と親しくなる既婚の男もいる。(中略)■2006年11月25日p86~87 ドゥマゴ文学賞は、毎年ひとりの選考委員が受賞作を決めるユニークな賞だ。対象作品は、「日本語の文学作品」となっている。今年は山田詠美氏の選考で平松洋子の『買えない味』が受賞したが、こういう例は珍しいのではないだろうか。本書は、アジアのごはん事情に詳しい著者による、食とその周辺のエッセイ。 ドゥマゴ賞にかかわらず、いわゆるフード関係のエッセイが文学賞をとることじたいが画期的ではないか。わたしは、懐かしい味を手放しで恋しがり、ちょっと古風なことばを並べるだけで情緒が出ると思っているような食のエッセイが嫌いだ。その点、平松洋子の『買えない味』には、小股の切れあがった文章のなかに、毎回、小宇宙がでんぐり返るような瞬間があって、どきどきした。箸置きは「自分の戻る場所」になり、檸檬は梶井基次郎的な比喩ではなく本当に「爆弾」になる。 東洋の輪廻思想を愛する西洋人は、四季が移ろうのではなく「めぐる」ことに惹かれる。季節のめぐりを鮮やかにとらえ、すぐれた「四季文学」たる本書のなかでも、「扉に閂を落とすように、夏はぱたりと終わる」の一文で始まり、桃をつやっぽく描く「指」は、その白眉と言えそうだ。ウン この日記の取り上げたページに大使の好みが表れるのだが・・・吉田修一『初恋温泉』を別にして、著者、作品、受賞作、選考委員の全てが女性となっていました。『本の森 翻訳の泉』2:『エクソフォニー』で読む『文字移植』『本の森 翻訳の泉』1:対談 日本語は滅びるのか
2019.02.22
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉言語学的SFという分野が大使のツボでもあるのだが・・・多和田葉子が『エクソフォニー』でそんなSFを書いているので、見てみましょう。p29~32<『エクソフォニー』で読む『文字移植』> この原稿を書き進めていた最中、多和田氏もよく知るオランダの作家、セース・ノーテボームが来日し、わたしは彼の訳者として久しぶりに再会した。奇遇だったな、と思う。 ノーテボームは多和田葉子の愛読者で、彼の旅行記Strange Waterなどは、多和田の作品のことばからタイトルをとっているのだ。文化圏が似ているだけでなく、このふたりの作家には色々と相通じるものがある気がする。実際、その夜、彼らがあるプロジェクトに共に参加したときの話を、ノーテボームから聞いた。それには、二十人ほどの作家・詩人が参加し、それぞれがひとつの景観のなかから好きな場所を選んでそれを詩に詠むという、なかなか大胆なコラボレーションだったそうだ。 それを聞いたわたしの頭のなかで、多和田葉子のことばがまた勢いよく動きだした。 彼女のことばは、じっとしていない。捉えようとすればその手をするりとかわし、境界をしなやかに越え、かと思うと、何かと何かの狭間に姿を消す。 日本で出版された彼女のエッセイ集『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』に、翻訳について書いたこんなくだりがある。しかし、小さな言語で書かれた文学はほとんどの人には読めないわけだから、多くの人の読める言語に訳されることになる。すると、滅びかけた語彙、思考のリズム、語り口、映像、神話などが、翻訳という形で大きな言語の中に「亡命」し、そこに、ずれ、ゆがみ、戸惑い、揺れ、などを引き起こすことになる。これほど文学にとって刺激的なことはない。だから翻訳文学は、大きな言語を変身させる役割も果たす。 まさに、目から鱗が落ちるとは、このことだった。とくに「大きな言語の中に「亡命」し」という箇所では、椅子からころげ落ちそうになってしまった。 翻訳というのは、外国語を自分のことばのなかに引きずりこもうとする、むしろ内向きの作業だと、常々わたしは感じていた。きっと自分が英→和の翻訳者だからだろう。 英語という巨大な言語を日本語という「小さな」言語に移す仕事をしているから、こういう逆の発想になってしまったのだ。英和翻訳は、言語人口から言えば、伝達の可能性を十分の一にする、ある意味「縮小化」なわけで、英語のままにしておけば十億人が読めるものを・・・と、いつもなんとなく申し訳ない気持ちをどこかに抱いている。 エクソフォニーとは、母語の外へ出た状態を表す語だそうだ。日本からドイツに移住し、日本語とドイツ語で創作をつづけている多和田葉子は、ある意味、二つの文化、二つの言語をつなぐダイナミックな翻訳者である。 この翻訳者はダイナミックであると同時に、きわめて用心深い。一般に、翻訳をやるには、多数の言語に習熟しているほうがよいとされるが、彼女は日本語の外に出たからといって、「たくさんの言語を学習すること自体にはそれほど興味がない」と言う。『エクソフォニー』からこのくだりも引用しておこう。言葉そのものよりも二ヶ国語の間の狭間そのものが大切であるような気がする。わたしはA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない。そんな「詩的な峡谷」を知る人こそが、理想の翻訳者ではないかとわたしは思う。 ところが、これ以上はないというほど最悪な翻訳家が登場するのが、『文字移植』である。文庫化のときに改題したようで、わたしの手元にある旧版のタイトルは『アルファベットの傷口』という。 この翻訳家である「わたし」は、まず相当に翻訳が「下手くそ」らしい。少なくとも、学者ウケがとてつもなくわるい。「こんな露骨な翻訳調ではとても文学を読んでいる気になれない」とか、「作品はいいのに、原文の文体を味わわせてくれないのが残念」などと、酷いことばかり書かれている。 しかも、「わたし」は丸1冊訳し通せたことがなく、いつも途中で、同業者の「エイさん」に代訳を頼んでしまうのだ。なんとも理解しがたい「悪訳者」ぶりだが、何か読み解く手がかりはないだろうか。翻訳者だって半身は母語の外に出る「半エクソフォン」であるから、このさい『エクソフォニー』をときどき注釈書にして『文字移植』を読んでみよう。「わたし」はいま、今度こそ1冊訳し終わらせようと、カナリア諸島の別荘にこもって仕事をしている。知人に借りたこの別荘は、バナナ園に隣接し、海を遠くに望む。今日中に訳し終わらないと、「ゲオルク」が来てしまい、そうなると仕事どころではなくなるし、第一締切に間に合わない。今回のはたったの2ページしかないのに、「わたし」はまだ何をどう訳せばいいのか見当もつかない、と言う。彼女の原稿は、たとえばこうだ。 そして、ほとんど、いつも、彼等は、である、ひとりぼっち、友人、助けてくれる人、親戚、はいない、近くに・・・ 日本語としてすんなり読める訳文でないことは確かだろう。どうやら、原文(Anne Duden Derwunde Punkt in Alphabets)の単語を頭からひとつひとつ日本語の単語に置き換えているだけのようだ。ときおり、いつのまにか現れては消える小説のといっしょに、水のない河の底を歩いたりする。『本の森 翻訳の泉』1
2019.02.21
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉『日本語が滅びるとき』というセンセーショナルなタイトルの本を著した水村美苗さんとの対談を見てみましょう。p295~298<対談 日本語は滅びるのか>『日本語が滅びるとき』という刺激的なタイトルの評論を発表した水村美苗氏は、全世界的に権威を振るう世紀に入ったからこそ、日本語をとりまく状況に危機感を募らせる。 なぜ、英語はこれほどまでに流通したのか。日本語の特異性とは? 自国の言語を護るために今、必要なこととは?鴻巣:『日本語が滅びるとき 英語の世紀の中で』を読みまして、翻訳家の身としてさまざまなことを考えさせられました。まず、タイトルが非常に刺激的です。日本語が「堕落」しているとか、閉塞状況にあるというようなことは感じていても、「滅びる」というところまで意識が及んでいる人は学者にしろ作者にしろさほどいないと思います。水村:確かに作家はほとんど考えていないでしょうね。ただ学者のなかには、分野によって、そういう危機感をもった方がかなりいると思います。「滅びる」といっても、人々が真剣に読み書きしなくなるという意味ですが。鴻巣:なるほど書き言葉としての危機ですね。本書の冒頭で、米国のアイオワで参加なさった国際創作プログラムのことを書かれています。「人はなんと色んなところで書いているのだろう・・・」と。 で書いている人々が世界各国にいて、それを水村さんは「各国語の何物にも代えがたい物質性と特異性」というふうに表現しています。また、非英語作家が大勢集まっているさまを「ユーラシア大陸の歴史を乗せて」走るバスのようであったとおっしゃっていますね。水村:あのプログラムに参加して感じたのですが、あのとき集まった集団ほど英語ができない人たちは、アメリカの大学では見たことがありません(笑)。学問の世界で起こっていることと、創作の現場との間には大きな差があるのを、ひしひしと感じました。そして、それが文学にどういう意味をもつかと考え始めたんです。 数式が主な数学や自然科学では、重要な論文は英語で読み書きするのが当然とされていますが、それ以外の分野でも、学問の言葉としては、英語が圧倒的にのしてきています。極端な場合には、文学においても、非英語圏の作品というのはオブジェクトレベルにあり、メタレベルの、その文学に関する言説は英語に移りつつあったりします。■今世紀末までに8割以上の言語が消える?鴻巣:本書では、言葉には序列があるということで、言語の歴史を繙きながら三つのレベルに分けています。まずがあって、次に国民国家誕生と相前後して生まれるがある。そして、その下に、という、国民国家以前の大昔から話されていた、を特にもたない言語がある、と。これらの定義は本書のキーワードにもなっていますね。水村:そもそもというのは、だったと思うんですね、つまり、を独自に生み出すというのは、人類の歴史のなかで極めて稀にしかおこらない。 とは、それをもつ文明から近隣の地域に伝播し、そして各々の地域の人が読み書きするというものだったと思うんです。ですから、かつてはとしかなくって当然だった。西洋の吟遊詩人などはであるで唄っていたわけだし、中世の芝居などもそう。一方、学問や宗教といった、思考する言語としてはが使われていた。鴻巣:=ということですね。それは古くはギリシャ語から、ラテン語やアラビア語であった時代もあるし、サンスクリット語、パーリ語、漢語などの言語もそうですね。そしてを現地の言葉に翻訳する過程でができた。 つまりの成立にはによる翻訳という行為が欠かせなかったという言語の成立事情を、紙幅を割いて強調されていますね。水村:その通りです。鴻巣:たとえば明治期、二葉亭四迷の『浮雲』をはじめとする言文一致という文体は、翻訳を通して作られたと考えられていますが、水村さんはもう一歩も二歩も踏み込んで、その近代日本語はそのものであるという書き方をされています。さらに言えばのは多くの場合、なのだと。わたしはそこまで考える勇気はなかったような気がするんですね。 そこまで考え詰めると、文字を書いている人間にとってはひたひたと危機感が迫るような部分もありますし、今まで一文化のアイデンティティだと思っていたものが根底から揺らいできます。 じつは翻訳学の世界では1980年代から、柳父章氏が「翻訳語としての日本語」の観点から鋭い論考を数々発表してきたのですが、一般読者にまで注目されることはありませんでした。翻訳者でさえ(であるがゆえ)その問題は怖くて直視できずにいました。『日本語が滅びるとき』でようやく目を向けた人は多いと思います。水村:翻訳という行為は、その重要性が、歴史のなかで無視され過ぎていたと思うんです。ことに「書く主体」が特権化された近代において。 ウン 水村さんの『日本語が滅びるとき』を通して翻訳の重要性を語る鴻巣さんの鋭い指摘(翻訳学について)が、ええでぇ。この本も通訳、翻訳についてに収めておくものとします。
2019.02.21
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図書館で『日本人はどう住まうべきか?』という本を手にしたのです。おお 養老さんと隈さんが、ニッポンの住宅を語り合った本ではないか♪住宅政策や住宅広告の裏まで突き通してばらしてしまうような内容ではないかと、期待するのです。【日本人はどう住まうべきか?】養老孟司, 隈研吾著、日経BP社、2012年刊<「BOOK」データベース>より都市集中。過疎。自然喪失。高齢化。そして、震災、津波。21世紀、どこに住み、どう生きるのが幸せだろう。【目次】第1章 「だましだまし」の知恵/第2章 原理主義に行かない勇気/第3章 「ともだおれ」の思想/第4章 適応力と笑いのワザ/第5章 経済観念という合理性/第6章 参勤交代のスヽメ<読む前の大使寸評>おお 養老さんと隈さんが、ニッポンの住宅を語り合った本ではないか♪住宅政策や住宅広告の裏まで突き通してばらしてしまうような内容ではないかと、期待するのです。rakuten日本人はどう住まうべきか?第1章「だましだまし」の知恵を見てましょう。p12~16<津波はノーマークだった建築業界>養老:隈さんは震災のとき、どちらにいらしたんですか。隈:台湾にいました。東京の事務所のスタッフと電話をしていたのですが、初めは普通に「揺れてます」と言っていた電話口のスタッフの声がだんだん切迫してきて、そのうち裏返ってしまったので、これは尋常じゃないなと思いました。1時間ぐらい後から台湾でもニュースがどんどん流れて、とんでもないことが起きたんだと分かりました。 日本に戻ったのはその2日後です。東北にはいくつか僕が設計した建物があり、それがどうなったかも心配でした。自分の建物が地震でつぶれたとなると、建築家の社会的信用に関わりますから。10年ぐらい前に、宮城県石巻市の北上川沿いに「北上川運河交流館」と、そこから北に行った登米市に「森舞台/伝統芸能伝承館」を設計しました。特に北上川運河交流館は、北上川の河口に近いところにあり、しかも意図的に北上川の土手に埋もれるように作ってあるので、津波を完全にかぶる位置なんです。養老:その建物は大丈夫だったんですか。隈:震災から2週間後にやっと電話が通じて、大丈夫だということが分かり、3週間後に現地に入りました。地面は全体が液状化していて、建物の周辺にある歩道はズタズタになっていました。それでも建物本体には奇蹟的に水が入らず、ダメージはなかったんです。建物のすぐ裏側のギリギリにまで津波が来たのですが、建物はほんの少しだけ高さがあって助かりました。運が良かっただけなのかもしれませんが。養老:北上川は津波が50キロも遡ったという話も聞きました。隈:3週間後に現地を見たときは、周辺の地面全体が下がったせいで、川の水位が1メートルくらい上がっていました。川は水位が1メートル上がるだけで、景色がまったく変わって違った場所のようになるんですね。村上春樹の小説『1Q84』で主人公が月が二つある世界に来たみたいに、違う世界に来てしまったような感じがして体が震えました。養老:2004年に起きたスマトラ沖地震で大きな津波被害があったでしょう。僕はちょうどその1年前の同じ時期にプーケットにいたんですよ。1年ずれていたら津波に遭ってエラいことになっていたんだけど、そうういう津波が日本に来るとは思わなかった。 京都大学の総長をやっていた地震学者の尾池和夫さんによると、スマトラ沖地震について研究すると、日本の巨大地震のことを考えるのに役立つそうです。というのも、同じような形をした列島には同じような現象が起こるんです。列島はプレートとの関係でできるから。地図を90度回転させて日本列島とスンダ列島とを比較するとよく分かるそうです。 建築業界では、津波についてどう対策を考えていたんですか。隈:驚くべきことに、津波に関してはノーマークだったんです。日本建築学会では、耐震設計については盛んに研究されていて世界トップレベルなんですが、津波については、部会もなかった。考えてみればこれはおかしかったな、と後でみんな言っていました。 どうしてそういう空白があったかというと、津波は何メートルになるか予想できないもので、どういう方向から来て、どういうふうに流れるのかも分かりませんから、来ることは分かっていても、何も考えなかったのではないか、と。 驚くべき無防備の状態ですよね。無意識のうちに、コントロールできるものと、コントロールできないものとの間に線を引いていたとしか思えない。まさしく養老先生がベストセラーに書かれた「バカの壁」ではないかと。養老:日本人はみんなそういうふうに考えるものなのかもしれない。でも、建築学会って明治から百何十年も続いている学会でしょう。しかもその百何十年の間に、関東大震災でも津波があったし、ペルー沖地震のときだって津波がきたし、奥尻島の地震だって非常に大きな津波被害があった。津波の経験は日本になかったわけじゃないんですよ。隈:建築学会では、いっぱい部会を作って、つまらないと思えることまでこまごまと研究しているんだけど、肝心な津波に関してはまったく研究されていなかった。今回、悲劇の多くは津波によるものでしたからどうかしていたと思います。 確かに日本は一番、津波のリスクが高い国であるはずなのに、膝元の日本建築学会が津波は予測不可能だから「ない」ことにしていたのであれば、人間の頭の構造、特に理科系の人の頭の構造というのは、僕自身も含めて、自分のできることしか考えていないのかもしれません。ウーム あれだけ多重防御を謳っていた原発が全電源喪失に陥ったが、日本建築学会の場合は、津波対策そのものが無かったということに驚いたわけです。『日本人はどう住まうべきか?』1この本も主体的な住居とはに収めるものとします。
2019.02.21
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米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。【伊藤元重が警告する日本の未来】伊藤元重著、東洋経済新報社、2017年刊<「BOOK」データベース>より AI、IoTが生み出す勝者と敗者、保護主義の拡大、日米FTAの行方、働き方改革、生産性をどう引き上げるか、穏やかなインフレで財政再建できるかー団塊世代が後期高齢化する2025年へ向けた課題を読み解く。<読む前の大使寸評>米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。rakuten伊藤元重が警告する日本の未来米中貿易戦争のさなか、えげつないチャイニーズ・スタンダードや“強いドル”を見てみましょう。p131~133<経済標的としての中国の浮上> ナヴァロ=ロス・レポートの中で次に目を引くのは、「中国がWTOに加盟したことによって、アメリカは非常に大きな損失を被った」と述べている部分です。中国は1986年にGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟の申請を行なっていますが、それから15年経った2001年になって、ようやく(GATTの後継機関である)WTOに加盟を認められています。それによって中国経済が成長の大きな機会をつかんだことは事実です。現在、世界第2位の巨大経済国となった中国の成長の原点は、この2001年のWTO加盟にあるといっていいでしょう。 WTO加盟の際は、もちろんアメリカも、条件をつけつつ、中国の加盟を認めたわけです。しかしナヴァロ=ロス・レポートは、それによって中国から安い工業製品がアメリカに流入してきたことで、アメリカは大きな雇用を失ったと主張しています。これは必ずしも彼らの思い込みだけではありません。 経済学者による実証研究もあり、マサチューセッツ工科大学(MIT)のデイヴィッド・オウター教授らは、中国からの輸入品との競争がアメリカ経済に与えた影響を研究しています。1990~2007年のデータを基に、輸入品との競合がその時期のアメリカ製造業の雇用減少の4分の1を説明していると述べています。 また、中国製品の輸入増大は、雇用だけでなくアメリカのイノベーションにも悪影響を及ぼしている、という分析も発表しています。ダロン・アセモグル教授とオウター教授らの共同研究では「中国からの輸入拡大によって、1999~2011年に200万~240万人の雇用減少が引き起こされた」という数字も挙げられています。 ナヴァロは自身の著作の中で、「中国企業はアメリカの技術を不当に盗んだり、パテントや商標で守られているはずの商品のニセ物を作って売っている。あるいは劣悪な労働環境の下で作った安い商品を売っている。アメリカは中国からの輸入に門戸を開いているが、中国はアメリカからの輸出に対して非常に高い関税をかけ、中国に進出しようとするアメリカ企業に対してさまざまな制約を課している。これはアンフェアであり、正されねばならない」というふうに述べています。トランプ政権の通商政策における大きなターゲットが、中国との関係にあることは明らかでしょう。 日本国内ではそれほど話題になっていませんが、ナヴァロ=ロス・レポートは、アメリカと韓国が自由貿易協定を結んだことについても、「間違いだった」と評価しています。次にトランプ政権の為替操作批判を、見てみましょう。p133~134<各国を戸惑わせる為替操作批判> 通商問題と関わりの深い為替レートについてもトランプは大統領就任前の早い時期からコメントしています。 1月の『ウォールストリート・ジャーナル』紙のインタビューでは、「中国は人民元を安値誘導しており、われわれの通貨が強すぎるため、アメリカ企業は競争することができないでいる」と発言したと伝えられます。就任直後にも、製薬会社との会合で「他国が通貨を安く誘導し、アメリカ企業は自国で薬を作れなくなっている」、「中国や日本が市場で何年も通貨安誘導を繰り広げている」として、日本の為替政策も批判しました。 これは日本にとって重要なポイントといえます。トランプ大統領自身、為替レートをかなり重視していて、為替市場におけるドル高を強く牽制しているのです。 冷静に考えれば、今の“強いドル”を生み出している原因が日本や中国の為替操作にあるという主張は、かなり論拠が怪しいといえます。 もちろん各国にもそれぞれ事情があって、たとえば日本では日銀が短期金利をマイナスに、長期金利もゼロ%近傍に抑えるという、大胆な金融緩和を続けています。日銀は経済をデフレから脱却させるためにこの金融緩和を行なっているわけで、為替操作が目的ではないのですが、結果的にそれが円安を導いていることも事実です。 ですから、「金融緩和のやりすぎで円安になっている。けしからん」とトランプから攻撃されたら、これは政府・日銀にとってプレッシャーになってくるでしょう。 トランプ政権の為替操作批判に関連して問題だと感じる点はもう一つあります。為替レートと貿易収支の問題が一緒に論じられていることです。国別の対米貿易黒字をみると、中国と日本が2016年の1位、2位を占めています。トランプ大統領は為替レートそのものよりむしろ貿易収支を問題視しているように思われます。米中の台頭でニッポン一人負けのような状況であるが・・・そのあたりについて経済同友会の小林さんが敗北日本 生き残れるかで警鐘を鳴らしています。『伊藤元重が警告する日本の未来』3:ブロックチェーンやスマホの位置情報『伊藤元重が警告する日本の未来』2:サブスクリプション型ビジネス『伊藤元重が警告する日本の未来』1:二つのイノベーション
2019.02.20
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図書館で『日本人はどう住まうべきか?』という本を手にしたのです。おお 養老さんと隈さんが、ニッポンの住宅を語り合った本ではないか♪住宅政策や住宅広告の裏まで突き通してばらしてしまうような内容ではないかと、期待するのです。【日本人はどう住まうべきか?】養老孟司, 隈研吾著、日経BP社、2012年刊<「BOOK」データベース>より都市集中。過疎。自然喪失。高齢化。そして、震災、津波。21世紀、どこに住み、どう生きるのが幸せだろう。【目次】第1章 「だましだまし」の知恵/第2章 原理主義に行かない勇気/第3章 「ともだおれ」の思想/第4章 適応力と笑いのワザ/第5章 経済観念という合理性/第6章 参勤交代のスヽメ<読む前の大使寸評>おお 養老さんと隈さんが、ニッポンの住宅を語り合った本ではないか♪住宅政策や住宅広告の裏まで突き通してばらしてしまうような内容ではないかと、期待するのです。rakuten日本人はどう住まうべきか?第4章「適応力と笑いのワザ」の冒頭を見てみましょう。p98~101<家の「私有」から病いが始まる>隈:都市にしても、住居にしても、家がプライベートな空間だと思ったときから、いろいろな間違いが始まったのではないかと僕は思っています。プライベートという思いがさらに進むと、「私有」になる。自分の一生の財産であり、人生の目標だと思い込むと、ペンキのヒビ1本も許さなくなるでしょう。そうして、ヒビの入らないビニールクロス張りのマンションができあがり、サブプライム・ローンの破綻に行き着く。養老:日本では分譲マンションが圧倒的に主流ですね。ビルそのものは公共的なものなのに、その公共的な場所の一部分を私有するというヘンな感覚が普通になってしまっている。隈:年月が経つとそのあたりの矛盾が大きな問題になります。マンションは建て替えがしにくい。建て替えられない場合は最終的にはスクラップにするか、スラム化してしまうか、しかありません。それなのに、分譲されるときは、あたかも一生の安心を買ったような気になってしまう。 20世紀の最初に、住宅ローンで家さえ手に入れば幸せな一生を約束する、という上手なウソをアメリカが発明したのですが、そのアメリカ製の幻想が日本で一番うまく効いちゃったわけですね。養老:買うときは、コンクリートだからいいだろう、と思うんだろうけどね。隈:むしろコンクリートだからこそ、実は建て替えも簡単にできない。頑丈だということが逆にマイナスになってしまうわけですが、買うときはそれに気付かないんです。養老:杉の植林と同じだよね。植えるときは5年で大きくなるのはいいんじゃないかと思う。でも、50年後に花粉でみんなが苦しむというのは、まったく分からなかったわけだよね。隈:都市というのは基本的に、賃貸という形を採用することで、家族形態の変化やライフスタイルの変化などに応じて、フラフラと移動しながら住むようにできているんです。経済状態だってしょっちゅう変わるし、それにつられていろいろなことが変わっていく。都市という生き物は、住宅を分譲して「資産だよ」と言った途端に、大きな病を抱え込むことになります。養老:流動性がなくなるということだからね。都市という生命体の代謝が悪くなる。隈:日本人は景観としてもディティールとしても、豊かな住文化を持っていたのに、どうしてそれをぶち壊しにするようなマンションを乱造しっちゃったのか、と外国人は言います。日本ファンの人ほど失望していて、オフィスビルなんかはまだいいけれども、日本のマンションはとても見られないと彼らは言うわけです。資産として売るためにどうしたらいいかという、分譲のマーケティングを徹底した末の肌寒い光景です。養老:だいいいち、アレをみんな求めているんですかね。隈:いわゆるマンションの景観に満足している人はいませんが、実際に買う人はたくさんいるわけです。ですから売る技術だけは、ものすごく進歩しちゃったということですよね。似たマンションが立ち並ぶ場所では、他よりもこういうふうによく見せるとか、駅から遠い立地だったら、別の便利さを付加するとか。そうやってできるだけ高く売る技術だけが異常に進化して、いまだに買う人がいるんです。日本人は、いったん固定された課題の中でやる競争となると、異常に頑張っちゃう。養老:分譲という手法は、高度成長期に大型のニュータウンを作るときに、金融のシステムと一緒に作ったシステムだよね。隈:そうです。確かにそのシステムが経済成長期には内需拡大のドライブになりました。高度成長というのはインフレ容認型の経済ですから。消費者化する日本人に向けて純粋な金融資産だけではお金は増やせないよ、土地を持っていないとお金は目減りするよ、という幻想を与えたんですね。養老:金本位制ではなく、土地本位制だね。隈:おまけに現実には賃貸でろくな住宅が見つからない。それなら賃貸より買った方が資産志向も満たされるし、好きな環境にも住める。そのような幻想がどんどん補強されていったんです。 企業にとってみれば思うツボで、賃貸よりも分譲の方がすぐにお金を回収できる。分譲で投資が処理できたらこんな楽なことはない。養老:なんとも手離れのいいビジネスだねえ。隈:僕は、都市にすむなら賃貸が合理的だと考えますが、もし家を「買う」と言う人がいたら、今お話したような、企業にとっておいしい分譲の背景は知っておくべきです。この本も主体的な住居とはに収めるものとします。
2019.02.20
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「翻訳」でしょうか♪<市立図書館>・スメルジャコフ対織田信長家臣団・本の森 翻訳の泉<大学図書館>・日本人はどう住まうべきか?・日本の家図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【スメルジャコフ対織田信長家臣団】村上春樹著、朝日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より不倫相談・ドーナツ情報・村上作品・音楽・映画の話から、なぜか『カラマーゾフの兄弟』まで、「何でも相談室」の村上さんがお答えします。CD-ROMに約4千通のメールを収録!3年半にわたる作家と読者のメール交換の総決算。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/12予約、2/19受取)>rakutenスメルジャコフ対織田信長家臣団【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉【日本人はどう住まうべきか?】養老孟司, 隈研吾著、日経BP社、2012年刊<「BOOK」データベース>より都市集中。過疎。自然喪失。高齢化。そして、震災、津波。21世紀、どこに住み、どう生きるのが幸せだろう。【目次】第1章 「だましだまし」の知恵/第2章 原理主義に行かない勇気/第3章 「ともだおれ」の思想/第4章 適応力と笑いのワザ/第5章 経済観念という合理性/第6章 参勤交代のスヽメ<読む前の大使寸評>おお 養老さんと隈さんが、ニッポンの住宅を語り合った本ではないか♪住宅政策や住宅広告の裏まで突き通してばらしてしまうような内容ではないかと、期待するのです。rakuten日本人はどう住まうべきか?【日本の家】新建築住宅特集別冊、新建築社、2017年刊<「BOOK」データベース>より日本の戦後の住宅を取り上げる展覧会として過去最大規模となる東京国立近代美術館で開催される展覧会に会わせて出版。56組の日本の建築家による75の住宅を、テーマごと系譜学として構成。500を超える豊富な写真・図版を掲載。<読む前の大使寸評>追って記入amazon日本の家********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き357
2019.02.20
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米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。【伊藤元重が警告する日本の未来】伊藤元重著、東洋経済新報社、2017年刊<「BOOK」データベース>より AI、IoTが生み出す勝者と敗者、保護主義の拡大、日米FTAの行方、働き方改革、生産性をどう引き上げるか、穏やかなインフレで財政再建できるかー団塊世代が後期高齢化する2025年へ向けた課題を読み解く。<読む前の大使寸評>米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。rakuten伊藤元重が警告する日本の未来大使にはブロックチェーンというシステムがピンとこないわけで・・・この章を読んで勉強するつもりでおます。p92~93<金融システムを一変させるブロックチェーン> 一金融機関のビジネスだけでなく金融システムを変える力を持った技術革新が、ブロックチェーンです。ブロックチェーンとは、個々の取引(トランザクション)の記録を多くのコンピューターが共有することによって恣意的な改竄を防ぎ、信用を担保する仕組みです。公開元帳と呼ばれる、関係者なら誰でも見られる勘定帳を作って、取引のたびにそれを更新しながら、記録を積み重ねていきます。 この技術によって生れたのが、仮想通貨として有名なビットコインです。ビットコインができたことで、既存の銀行や金融機関と関係ないところで安全に価値の交換ができる新しい仕組みが出現したといえます。 ビットコインの利用がこの先どのように広まっていくかはわかりませんが、その影響が金融の世界の決裁という部分にとどまることはないでしょう。今日のグローバルな金融システムにおいては、各国の金融政策は中央銀行によって執行され、日本では日銀が金融機関を通じて市中の通貨量をコントロールして物価や景気を調節しています。しかしビットコインはこうした政府・中央銀行の政策とは無縁の状態です。 ビットコインの世界には政府の通貨発行権も従来のような金融政策もありません。そこでは法人や個人の資産の持ち方も変わってくるでしょう。その根底にあるブロックチェーン技術は世の中のさまざまな取引への応用が可能だとされています。 それらの新たな手段が使いやすくて低コストであれば、金融システムという大きな次元でもイノベーターズ・ジレンマが生じて、システムの大きな転換が起こる可能性も考えられるのです。大使はスマホを持っていないので、自分の位置を補足されるということはないのだが、その位置情報の威力を見てみましょう。p94~95<スマホの位置情報の威力> 技術革新のインパクトの第4として挙げたのが、ビッグデータの活用、つまりデータの生産量が爆発的に増え、その重要性、利用価値が非常に高まっているということです。 第1章で「モノによるモノのための、モノの情報システム」という話をしました。これまで人が一つ一つ手で打ち込んでいた情報に代わり、機械がセンサーやカメラを使って勝手に情報を集めて発信するようになりました。それにより、ほんの数年前には考えもしなかったほど、ネット上を流れるデジタルデータの総量が膨れ上がっている、という内容です。 データが大量に積み上がってきたことで、その価値が一層注目されています。集計が容易になり分析手法が進歩したことで、以前とは次元が違うほどにデータの利用可能性が広がってきたのです。 中でもGPSや発信機能を備えたスマートフォンは、有力な情報発信源です。その威力を実感できるのが、グーグルマップの渋滞情報でしょう。 私は、ある国産自動車メーカーの純正カーナビゲーションシステムを使っているのですが、実はおの渋滞情報の性能に不満がありました。渋滞情報の提供が不十分なのです。私がよく使う道路の中で、目黒通りや国道246号などの幹線道路については渋滞情報が出るのですが、よく利用する多摩川沿いの小さな通りについては、それが出てこないのです。ここは幹線とはいえないけれども、便利で車の量も多い道です。メーカーでは「ここはメジャーではない通りだから、渋滞情報は必要ない」と思っていたのかもしれませんが、頻繁にそこを使う私にとっては、なくては困る情報です。 ところが、カーナビには出てこないこの通りの渋滞情報が、スマホを開いてグーグルマップを見ると、ちゃんと出ているのです。しかも情報量は無料です。無料のスマホで渋滞情報が出て、お金を払った日本メーカー製の純正カーナビでは、それが出てこないわけです。 自動車メーカーでもカーナビメーカーでもないグーグルが、なぜ日本のマイナーな通りの渋滞情報を提供することができるのでしょうか。 その秘密を解く鍵は、スマホにあります。グーグルは多くのスマホに基本OSである「アンドロイド」を提供しており、このからグーグルに、それぞれの位置情報が送られているのです。位置情報は一定の時間を置いて発信されるので、それを計測することで、一定時間の間にどれだけ移動したか、つまり移動速度をしることができます。中国に出稼ぎにきたフィリピンのおばちゃん連中が、スマホを使って本国に送金しているそうで、これなんかブロックチェーンやスマホの活用であり・・・いつも笑顔で現金払いの大使は驚いたのでおます。『伊藤元重が警告する日本の未来』2:サブスクリプション型ビジネス『伊藤元重が警告する日本の未来』1:二つのイノベーション
2019.02.19
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久しぶりに(勝手に関西遺産)を紹介します。今回の出し物は、♪やっぱ好きやねん 大阪環状線、全駅違う発車メロディということで・・・通勤客の人なら、たいがい覚えている発車メロディを見てみましょう。2019.2.15(まだまだ勝手に関西遺産)♪やっぱ好きやねん 大阪環状線、全駅違う発車メロディより「♪やっぱ好きやねん」で始まるメドレーは、「♪食べ放題ヨロレイヒ~」とか、「♪飲んで飲んで飲まれて飲んで~」などなど大阪ゆかりの曲を巡って、「♪まわって、まわって、まわって、まわる~」がフィナーレ。JR大阪環状線の発車メロディーは、駅ごとに違うんです。桂雀三郎師匠 2015年3月22日は、世の中おしなべて平穏無事な日曜日だったが、ベテラン落語家の桂雀三郎師匠(69)にとっては忘れられない特別な日だった。 昼下がりになると落ち着かなくなり、JR大阪環状線の鶴橋駅(大阪市天王寺区)に向かっていた。ホームで耳をそばだてながら、午後3時に電車が発車するのを待つ。すると聞こえてきたのだ。「桂雀三郎Withまんぷくブラザーズ」のヒット曲「ヨーデル食べ放題」の歌い出しのメロディーが。 ♪焼き肉バイキングで食べ放題 食べ放題ヨロレイヒ~) 直後に電車のドアが閉まるのを師匠は大感激して見届けた。 「CDが10万枚以上売れたのは2000年のことやからね。ぼちぼち、『本業は歌手です』みたいなギャグは封印しよかと思てたとこやったから、ひさしぶりにドキドキしましたわ」 その日その時刻から、大阪市内をループしている大阪環状線の全19駅のホームで、「ドアが閉まります。ご注意ください」というアナウンスの前に、風変わりな発車メロディーが流れるようになった。普通じゃないのは、駅ごとにモチーフとなる楽曲が違っていることだ(曲目リストをご覧ください)。 それまで注意を促すアナウンスしかなかった大阪環状線で、こんなに凝りまくった発車メロディーを採り入れたのは、13年度から5ヵ年計画で「大阪環状線改造プロジェクト」が始まったためだ。 「アーバンネットワーク」と名づけられた、JR西日本の京阪神路線網の中で、大阪環状線は、19駅の乗降客数が1日116万人にのぼるドル箱路線だが、当時は右肩下がりの危機感に迫られていた。 「車両は古くて駅は汚いというマイナスイメージがまとわりついていたので、全面的なイメージアップに取り組みました。駅ごとに異なる発車メロディーを導入したのは、駅に愛着を感じてもらうためなんです」とJR西日本近畿統括本部の担当者は言う。 選曲には洒落も利いていて、新今宮駅がドボルザークの「新世界より」なのは、通天閣でおなじみの新世界が間近にあるから。逆に森ノ宮駅の「森のくまさん」は、「そのまんまやん!」と突っこまれるの覚悟のチョイスだ。コリアタウンにある鶴橋駅の「ヨーデル食べ放題」は、「ザ・焼き肉の街やから」という駅員の強力なプッシュがあった。 反響は、おおむね好評で、CD化の要望もあったという。 雀三郎師匠も、いまは噺(はなし)の枕で「鶴橋駅で使てもろてます」と語って盛大に受けている。(保科龍朗)【JR大阪環状線全駅の曲目リスト】 大阪駅「やっぱ好きやねん」(やしきたかじん)/天満駅「花火」(aiko)/桜ノ宮駅「さくらんぼ」(大塚愛)/京橋駅「ゆかいな牧場=大阪うまいもんの歌」(米国民謡)/大阪城公園駅「法螺貝」/森ノ宮駅「森のくまさん」(米国民謡)/玉造駅「メリーさんのひつじ」(米国民謡)/鶴橋駅「ヨーデル食べ放題」(桂雀三郎Withまんぷくブラザーズ)/桃谷駅「酒と泪と男と女」(河島英五)/寺田町駅「Life Goes On」(韻シストBAND)/天王寺駅「あの鐘を鳴らすのはあなた」(和田アキ子)/新今宮駅「ドボルザーク交響曲第9番~新世界より」/今宮駅「大黒様」(文部省唱歌)/芦原橋駅「祭」(芦原橋太鼓集団『怒(いかり)』)/大正駅「てぃんさぐぬ花」(沖縄民謡)/弁天町駅「線路は続くよどこまでも」(米国民謡)/西九条駅「アメリカン・パトロール」(米国行進曲)/野田駅「一週間」(ロシア民謡)/福島駅「夢想花」(円広志)勝手に関西遺産13
2019.02.19
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朝日新聞が1面ぶち抜きで、プラごみ問題を取り上げていたので、スクラップしたのです。・・・で、デジタル朝日からコピペして紹介します。2019年2月17日(地球異変)プラごみ漂う「地上の楽園」 インドネシア・バリ島よりプラごみ拡散シミュレーション 海面付近を漂うごみ。プラスチック製品が多く、小魚が隠れていた=2018年12月15日、インドネシア・バリ沖 「地上の楽園」とも言われるインドネシア・バリ島の海が、プラスチックに侵されている。マンタが見られる透明度の高いダイビングスポットに、大量のプラスチックごみが浮かんでいた。飲料ケースに隠れるように小魚が泳いでいる。漂うポリ袋はクラゲのようだ。雨期に、陸地から大量に流れ込むという。 世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で示された報告書によると、世界で年800万トン以上のプラスチックごみが海に流れ出ているという。海の生態系への影響が懸念される。細かく砕けた粒「マイクロプラスチック」は、食物連鎖で人間を含む多くの動物に悪影響を及ぼす恐れがある。海洋プラスチック汚染は地球規模の脅威だ。(杉本崇) ガイドの合図で、ボートに同乗していた観光客らが次々と海に飛び込む。海の中は、カラフルな熱帯魚が悠々と泳ぎ、サンゴ礁の美しさにみとれる。マンタも見られ、みんな笑顔だ。 だが、そこから数百メートル先の海面には、大量のごみが固まって浮かんでいた。「リゾートが台無し」。ドイツから来た女性デザイナー(33)がため息をつく。 菓子袋や飲料入りで売られる透明カップ、ペットボトル、薄茶に色あせたレジ袋……。ほとんどが、プラスチックごみだ。そばを小魚が群れで泳いでいた。 「プラスチックごみが小魚のすみかになり、生態系を作っている。昨日や今日に出たごみではない」。一緒に潜った地元ダイビング店経営のジェイソン・フォンディスさん(42)は話す。フォンディスさんは40分間の潜水で、海中でも浮遊するプラスチックごみを10袋ほど回収した。 海の大半は美しく、潜水場所を変えればごみ一つなかった。ただ、マンタスポットでは3日連続で、プラスチックごみが同様に海面にまとまって浮かぶのを確認した。 海洋プラスチックごみは、どこからやってくるのか。 海にごみがどっと浮かぶのは、毎年、12月中旬~2月。雨期にあたり、大雨で陸地から押し流されてくる。インドネシア政府は「海洋ごみの80%が陸地からの流入」とする。マンタスポットは太平洋とインド洋の海流がぶつかる入り江で、他の島や地域からのごみも流れ込む。WWFのサイトで、海洋プラスチック問題について見てみました。海洋プラスチック問題についてより海洋ごみが完全に自然分解されるまでに要する年数。■今、世界で起きている「海洋プラスチック」の問題洋服から自動車、建設資材に至るまで、私たちの生活のあらゆる場面で利用されているといっても過言ではないプラスチック。手軽で耐久性に富み、安価に生産できることから、製品そのものだけでなく、ビニールや発泡スチロールなどの包装や梱包、緩衝材、ケースなどにも幅広く使われています。しかし、プラスチックの多くは「使い捨て」されており、利用後、きちんと処理されず、環境中に流出してしまうことも少なくありません。手軽に使える分、手軽に捨てられてしまう、そうした面もあるといえます。そして環境中に流出したプラスチックのほとんどが最終的に行きつく場所が「海」です。プラスチックごみは、河川などから海へと流れ込むためです。既に世界の海に存在しているといわれるプラスチックごみは、合計で1億5,000万トン。そこへ少なくとも年間800万トン(重さにして、ジャンボジェット機5万機相当)が、新たに流入していると推定されています。こうした大量のプラスチックごみは、既に海の生態系に甚大な影響を与えており、このままでは今後ますます悪化していくことになります。例えば海洋ごみの影響により、魚類、海鳥、アザラシなどの海洋哺乳動物、ウミガメを含む少なくとも約700種もの生物が傷つけられたり死んだりしています。このうち実に92%がプラスチックの影響、例えば漁網などに絡まったり、ポリ袋を餌と間違えて摂取することによるものです。プラスチックごみの摂取率は、ウミガメで52%、海鳥の90%(※5)と推定されています。このようなプラスチックごみは、豊かな自然で成り立っている産業にも直接的、間接的な被害を与え、甚大な経済的損失をもたらしています。例えば、アジア太平洋地域でのプラスチックごみによる年間の損失は、観光業年間6.2億ドル、漁業・養殖業では年間3.6億ドルになると推定されています。一度放出されたプラスチックごみは容易には自然分解されず、多くが数百年間以上もの間、残り続けます。これらのプラスチックごみの多くは、例えば海岸での波や紫外線等の影響を受けるなどして、やがて小さなプラスチックの粒子となり、それが世界中の海中や海底に存在しています。5mm以下になったプラスチックは、マイクロプラスチックと呼ばれています。マイクロプラスチックは、日本でも洗顔料や歯磨き粉にスクラブ剤として広く使われてきたプラスチック粒子(マイクロビーズ)や、プラスチックの原料として使用されるペレット(レジンペレット)の流出、合成ゴムでできたタイヤの摩耗やフリースなどの合成繊維の衣料の洗濯等によっても発生しています 。(ニッポンの宿題)あふれるプラごみで原田禎夫さんの提言が見られます。
2019.02.19
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米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。【伊藤元重が警告する日本の未来】伊藤元重著、東洋経済新報社、2017年刊<「BOOK」データベース>より AI、IoTが生み出す勝者と敗者、保護主義の拡大、日米FTAの行方、働き方改革、生産性をどう引き上げるか、穏やかなインフレで財政再建できるかー団塊世代が後期高齢化する2025年へ向けた課題を読み解く。<読む前の大使寸評>米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。rakuten伊藤元重が警告する日本の未来定期購買を伴うビジネスをサブスクリプション型ビジネスと呼ぶそうだが・・・わりと高額なプリンターインクが癪に障るわけです。p73~74<サブスクリプション型のビジネスを経済学的に見ると> 早い時期から、業界全体としてサブスクリプション型へのビジネスモデル転換を行なったのが、インクジェットプリンターです。 キャノン、エプソンが並び立つプリンターの業界は販売競争が激しく、本体は赤字覚悟のお買い得価格に設定されています。2万~3万円もあれば、かなり機能豊富な製品が買えてしまう。それはとにかく安くしないと、とくにライトユーザーには買ってもらえないからです。 それだけなら消費者にとっても単純に安い買い物にすぎません。しかしインクジェットプリンターの場合、プリンターで印刷することで、紙やインクを消耗することになります。このうちとくにインクジェット用のインクが、プリンターメーカーの収益源となっています。消費者は「安い」と思ってプリンターを買うわけですが、実際に使うと、インク代が高くつくのでまいってしまう。ウン そのとおりですね。特に毎年、年賀状作成の頃に、そう思ってきました。次に“邪悪なIoT”を見てみましょう。p75~76<IoTによる製造業のサービス化> サブスクリプション型ビジネスモデル自体、技術革新によって日々進化を遂げています。製造業ではセンサーの活用がこのビジネスモデルを大きく発展させつつあります。具体的には、顧客に納入する製品にセンサーを組み込み、メーカー側でそれをオンライン経由でmニターし、顧客に対し、モニターした情報をもとにメンテナンスや設備更新の提案を行なうという形でフィードバックしていくのです。この方法であれば、部品を含むあらゆる製品にサブスクリプションモデルを広げることが可能になります。 こうしたやり方の先駆者として知られているのが、建機メーカーのコマツです。 同社では販売する建設機械にセンサーやGPSを装着し、稼動状況をモニターする「KOMTRAX(コムトラックス)」を2001年から標準装備化し、ビジネスチャンスを大きく拡大したとされます。メンテナンス提案だけでなく、納入した建機がその後フル稼働に近ければ、その顧客は近いうちに新たな建設機械を購入する可能性が高いわけです。 実際に稼動している場所もわかるので、どの地域で開発が進んでいるのかもわかるし、建築業界の景気の動向もいち早く察知でき、効率的な販売戦略や生産計画につなげることができます。 IoTの広がりにより、同じことが建機のような完成品だけでなく、そのパーツについても可能になってきました。パーツをIoT化してサブスクリプションサービスを行なっている企業に、たとえばGEがあります。同社では航空機に使われるジェットエンジンにセンサーを組み込み、エンジンの状態や使用状況をモニターしています。 ある航空機メーカーの経営者から聞いた話ですが、ジェットエンジンそのものは買い叩けばかなり安く売ってくれるのだそうです。しかし航空機のジェットエンジンは定期的なメンテナンスが重要なため、そちらで多くのコストがかかってくるといいます。『伊藤元重が警告する日本の未来』1
2019.02.18
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<『伊藤元重が警告する日本の未来』1>米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。【伊藤元重が警告する日本の未来】伊藤元重著、東洋経済新報社、2017年刊<「BOOK」データベース>より AI、IoTが生み出す勝者と敗者、保護主義の拡大、日米FTAの行方、働き方改革、生産性をどう引き上げるか、穏やかなインフレで財政再建できるかー団塊世代が後期高齢化する2025年へ向けた課題を読み解く。<読む前の大使寸評>米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・団塊世代が後期高齢化するなか、さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。rakuten伊藤元重が警告する日本の未来米中という経済的G2に対して一人負けのようなニッポンであるが、その原因は何だったか?と思うわけで・・・製造業が劣勢のなかで、二つのイノベーションを見てみましょう。p35~37<改良型のイノベーションと破壊型のイノベーション>p35~37 日本はアメリカなどに比べてベンチャー企業が育ちにくいとされ、それが技術革新を妨げているという議論があります。その点を考えてみたいと思います。 イノベーションには改良型のイノベーションと破壊型のイノベーションという二つがあります。ソニーがウォークマンを発売したのは1979年のことでした。開発を指示したのは創業者の一人、井深大。それは音楽の視聴の形態を一変させた、破壊型のイノベーションでした。画期的な音響機器を開発したことで、ソニーはそこで優位なポジションを獲得しました。 ソニーはウォークマンを年々改良して、より優れた製品を出し続けました。音がよくなり、サイズが小さくなり、値段も安くなりました。それはイノベーションのタイプでいえば改良型でした。 進化を続けてきたウォークマンの前にある日、パソコン、インターネットとつなげることを前提とした、これまでとはまったく違う機器が出現します。音楽をネットからダウンロードし、曲の順番なども自由に管理できて、持ち運びも簡単。それがiPodでした。iPodは最初に登場したときから、破壊型のイノベーションでした。その後iPodはiPadやiPhoneという、いずれも同じ種類の機器が存在しない製品へと進化していきます。市場を席巻していたウォ-クマンのようなスタイルからまったく離れて発想することによって、それまでになかった新しいスタイルを誕生させたのです。 ソニーはウォークマンという商品を発明した後は、自ら創りだしたマーケットで収益力の高いビジネスを展開し、それを維持するために製品改良の努力を続けました。しかし、ウォークマンの存続を脅かすような破壊的なイノベーションを追及したかといえば、答えはノーです。それは自分たちの事業を成り立たせている今のビジネスを守らなければならなかったからです。企業としては当然のことでしょう。 一般的に改良型のイノベーションは、すでにビジネスで成功している企業が努力することで生まれてきます。大企業が得意な分野といってもいいでしょう。日本だけでなくアメリカでも、大企業は改良型イノベーションに向かいがちです。 それに対して破壊型イノベーションは、ベンチャーや中小企業、あるいはビジネスでやってないような、ある意味“変り者”の発案、そういうところから生まれてくるケースが多いものです。かつてのアップルも、グーグルやアマゾンも、個人が創業して、既存のビジネスモデルを壊しながら大きくなってきた企業です。<破壊型イノベーションを阻む日本の社会構造>p37~38 破壊型イノベーションを生む土壌であるかどうかという点では、日本とアメリカは事情が大きく異なります。日本では新しい企業が誕生してからなくなるまで、平均で12年といわれています。100年、200年と生き続ける企業もあれば、2、3年でなくなってしまう企業もありますが、平均すると12年程度です。 一方、アメリカでは企業が創業してから消滅するまでの平均年数が6年と、日本の半分です。新規参入企業の数も、アメリカが日本をはるかに上回ります。日本の開業率が一貫して5%以下なのに対し、アメリカは10%前後です。代謝はアメリカのほうがはるかに激しいのです。 大ざっぱにいえば、アメリカは投資資金を集めて新しい企業を作るのは容易なものの、作った以上は高いパフォーマンスを求められます。それが達成できなければすぐに資金を引き揚げられ、強制的に市場から提出させられてしまいます。 日本では創業のための資金を集めるのは簡単ではなく、金融機関からの融資が頼りです。そのため高いリターンや成長よりも、着実に金利を支払うことが求められ、金融機関も融資先の倒産を避けようとします。
2019.02.18
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図書館に予約していた『天子蒙塵(1)』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)『天子蒙塵』を読み進めてきましたが、天津の日本租界あたりを見てみましょう。p202~206 ヨーロッパ列強から見れば、天津は極東ですね。地球を半分回って、いくつもの植民地を経由しなければたどり着けません。シベリア鉄道の特急列車に乗ってもパリから満州までは9日から10日はかかるそうです。 でも日本は隣国。タンクー埠頭からの定期船もあるし、日本領の朝鮮からは1日たらずの汽車旅です。 張園を訪れた日本軍の司令官は、胸を張って夫に申しましたのよ。「ご安心下さい。宣統陛下。われわれは中国兵を、一歩たりとも租界には入れません」 頼もしい限りでしたが、夫は何と答えてよいやら、少々困惑しておりましたっけ。 夫は中華皇帝なのですから、中国兵はどの軍属に属するかにかかわらず、自分の兵隊だと信じているのです。あるいは、本来そうあるべきだ、と。他国の軍隊に護られて、自分の軍隊を遠ざけるということは、理屈に合わないのです。 夫はいくらか不愉快そうに、「よろしく頼む」というようなことを言った。通訳をした吉田総領事の日本語は、ずいぶん長かったように思えましたけれど。 たしかに安心でしたわ。広い租界のあちこちに警察官が立っているうえ、巡察の軍人たちが目を光らせている。よその国の租界にも、私服の警察官や憲兵が出ているという話でした。 張園の周囲には、煉瓦造り二階建ての兵舎がぎっしりと並んでいました。街路との仕切りがないので、ちょっと目には清潔な胡同なのですが、朝の6時にラッパが鳴ると、大勢の兵隊がいっぺんに駆け出てきて整列し、点呼をとるのです。つまりわたくしたちは、日本軍の兵営の中に住んでいるようなものでした。 一方、そのほかの国の軍隊といえば、質量ともにまったく日本軍とは較べものになりません。たまに見かけても、勤務中なのか休暇中なのかわからないくらいです。 わたくしたちはいつでもどこでも、日本人の私服警官や軍人たちに護られておりましたの。どの国の租界を歩き回っていてもあれほど安心していられたのは、わたくしたちの自由を損わぬ程度に遠巻きにしていた、彼らのおかげだったのです。 そうそう、一度こんなことがあったわ。例によってわたくしたち三人の夫婦が、イギリス租界の百貨店であれこれ品定めをしていたときのことです。 夫は夏の麻背広の仮縫いをしており、わたくしとワンロンは少し離れた装身具の売場で、ガラスケースの上にたくさんのネックレスやイヤリングを並べていました。 日本租界の松坂屋は冷房装置があるので快適でしたが、そこは天井に扇風機が回っているだけで、とても暑苦しかった。でも、夫は英国製の背広しか着ませんし、ワンロンは何でもかでも英国製品がお気に入りですから、わたくしも汗をかきかき付き合わねばなりません。 支配人はわたくしたとぉうやうやしく迎え、ずっとついて回ります。最上級のお客なのだから当然ですね。いちいちワンロンを「陛下」と呼び、わたくしのことを「殿下」と呼ぶのはいささか心外でしたけど。 わたくし、ワンロンほどお買物に執心できませんの。だから彼女が大はしゃぎであれもこれもと物色しているうちに、飽きてしまいます。 ふと、大理石の階段の脇に不審な男が立っていることに気付きました。柱に背をもたせかけ、パナマ帽の庇を上げて英字新聞を読んでいるのですが、ときどき鋭い目付きであたりを見回す。わたくしと目が合うと、すぐに顔を伏せてしまいます。 様子のよいたたずまいは日本人に見えるのですが、中国人かもしれないと思った。よほど特別の顧客でない限り、この店は中国人は入れません。 たったひとりの私服警察官は、仮縫いをする夫の近くに立っています。彼に伝えなければ、と思ったとたん異変が起きました。 通路の先で床に油を引いていた中国人のボーイが、溥儀に気付いて「アッ、皇帝陛下だ」と頓狂な声を上げながら指をさしたのです。そのとたん、不審な男は英字新聞を放り捨てて駆け出した。「站住! 要不撃斃ニイ!」 止まれ、動くと撃つぞ。男は拳銃を構えながら、まっしぐらに通路を駆け抜けます。ボーイはモップを放り捨てて両手を挙げました。 いったい何が起こったのかわかりません。次の瞬間にはわたくしも見知らぬ男の人の背中に庇われていました。ほんの一瞬の間に、どこかしら大勢の日本人が湧いて出て、わたくしたちをそれぞれ床に屈ませ、楯になったのです。 彼らはみな拳銃を構え、その銃口は時計の針が1秒を正確に刻むみたいに、標的を探し続けていました。 気の毒なボーイは、うつ伏せに捻じ込まれてしまいました。もちろん濡れ衣なのですが、大声を上げながら指さしたのがいけなかったのです。遠目には拳銃を向けたように見えたのでしょう。『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口この本も満州あれこれR6に収めておくものとします。
2019.02.18
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図書館で『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』という本を、手にしたのです。戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀第7章「郊外と家族」で、地方出身の団塊の来し方を、見てみましょう。p195~1994:家族の解体■団塊の世代 郊外の主役 戦前の郊外住宅に先鞭をつけたのは、都心に居をかまえ、仕事をしていた実業家や商店主たちだった。彼らにとって、すでに都心でしっかりと張っていた根を、郊外に移すには、それなりの覚悟があったに違いない。それに追随することになったサラリーマンなどの中産階級は、都心で借家住まいをしていた層が多かった。近世以来、第二次大戦前まで、都心部では約8割の市民が借家住まいであり、またそれを支えるシステムも確立していた。 都心で借家に住むことを誰もが納得し、当たり前のこととしてくらしていた。彼らを、郊外へ引き出したのは、工業化や高密化に伴う都市環境の悪化であった。都心での借家住まいは別に恥ずべきことではないが、郊外生活のほうが健康い良いという価値意識が、素直に受け入れられたのである。 ところが戦後の郊外住宅ニーズには、必ずしもそうとはいえないところがある。戦前に開発された良好な郊外住宅地を横目で眺めながら、大都市にやってきた新都市住民たちは、「振り出し」は勤め先の寮や近くのアパートに住んで、「あがり」は郊外に戸建て持ち家という「住み替えすごろく」を頭に描いた。経済の高度成長とともに住宅需要は増え続け、地価は高騰していく。そのなかで一刻も早く借家から抜け出し、郊外に持ち家を買うことが、人生の目標にすらなってしまった。 だから地方の出身者は、いったんは都心近くに居を定めても、最終的にその目的を達することができるかどうかは別にして、そこは持ち家を得るまでの仮住まいという意識が強かった。そして「あがり」となる持ち家は、自らの収入と天秤にかけて、ぎりぎりの線で購入した妥協の産物だった。しかしそれでも、やっと購入できたことに対する満足度は高かったに違いない。 大正末期から昭和初期生れの世代が主なユーザーとして登場し、さらに団塊の世代の核家族が、その後をおいかけるようにして住まいを求めた戦後の郊外住宅地は、妥協と満足感の入り混じるものとなった。 ■核分裂家族 都市化の波に押されてほぼ同時期に同条件で都市に流入し、同じように郊外へ出ていった都市住民は、よく似たプロフィールと価値観とをもつ核家族であった。しかし、やがて子供たちが成長し、世帯主が次々と定年を迎えるようになる。核家族の老化は、その分解と多様な結末へのプロローグであった。 良くも悪くも旧来のイエ制度のもとでは、絶大な権力をもつ家父長制のもとで、家族が束ねられていった。そこから飛び出した人々が大都市圏の住民となったわけだが、それでも長い間、イエ制度のネットワークのなかに身を置いていた。多くの大都市一世や二世には、ふるさとがあった。そこには父母や従兄弟との交流もあった。(中略) ところが、自分が年をとるとともに、ふるさとの親や親戚も年をとり、やがて付き合いが薄れる。そしていつのまにか田舎とのヒモが切れる。こうして、核家族は本当に核家族になった。 ところが、すでにその時には、核家族自身が内部分裂の危機を迎えていた。ふるさとのタガがはずれた上に、郊外住宅地では定時制市民でしかなかった父親は、いつのまにかその居場所を失いかけていた。根づく場所を求めて都会をさまよい、やっと居を定められたと思ったのも束の間、そこはやはり現役のサラリーマンが落ち着ける場所ではなかった。やはりデラシネ(根なし草)でしかなかったのだろうか。 ■架空家族を持つ家 鳴海邦碩は、1980年代半ば、千里ニュータウンの戸建て住宅地区において、「架空家族を持つ家」とでも呼ぶべき住宅の増改築が増えていることを指摘した。子育てが終わって世帯分離し、老夫婦が残った家に、やがて同居するかもしれない時のために、あるいは子供夫婦が里帰りした時のためにと、部屋を増築したり、改修したりする。 その夢は決して実現しないかもしれないし、1年のうちわずか数日しか使われないかもしれない。そんな「架空」の「家族」のための家がいくつも生れた。やがて子供たちはその家を相続するが、必ずしもそこに住むことができるとは限らない。むしろ相続を契機に転売されるかもしれない。(中略)■郊外二世のライフスタイル 郊外に住まいをかまえた世代の子供たち、つまり郊外二世たちのライフスタイルは、今後どうなるのだろうか。はっきりいえるのは、彼らにとっては、住み替えすごろくのあがりとして、やっと手に入れた親の世代ほどには、その住まいへの思い入れはないということである。仮に、そこが生まれ育ったふるさとであったとしても。 郊外二世は親の世代よりも、より客観的かつ合理的に住まいを見つめている。少産化によって、彼らの多くが親の住まいを相続することになる。長男長女同士が結婚するとなると、双方の相続することすらある。しかし、だからといって、勤務地の都合などでそこに住み続けられる保証はない。とりあえずは世帯分離をして別居し、郊外には年老いた親が残される。こういう風景が、どこの郊外住宅地にも見られる。ウーム この章は「少子高齢化時代の家造り」とでもいう内容であり・・・こういう警世の書はもっと早く読むべきであったなあと、思ったのでおます。我々、団塊の世代が一戸建て住宅を取得しリタイアを迎えた頃、いわば人生スゴロクをあがった頃には・・・・終身雇用はなし崩しにくずれ、派遣社員が常態化していた。住宅取得に関しては、(大震災という契機があったにせよ)無策の政治と大手建売住宅メーカーにしてやられたとの感もあるわけです。『郊外の20世紀』3:神戸市の二つのテーマタウン『郊外の20世紀』2:郊外住宅のゴールの姿『郊外の20世紀』1:戸建ての我が家の位置付け
2019.02.17
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<図書館予約の軌跡158>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、副本2、予約37)現在1位・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、副本5、予約83)現在25位・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、副本4、予約26)現在6位・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、副本9、予約67)現在26位・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在241位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在54位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在71位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在25位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在47位・日本が売られる(2/05予約、副本22、予約354)現在324位・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集(2/16予約、副本1、予約4)現在4位・多和田葉子『地球にちりばめられて』(2/18予約、副本3、予約34)現在34位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・天子蒙塵(3)・三橋貴明『日本経済2020年危機』・新井紀子著『AI VS.教科書が読めない子どもたち』・樹木希林『一切なりゆき』・領土消失 規制なき外国人の土地買収・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・高橋源一郎『ニッポンの小説』:以前に借りている・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『一汁一菜でよいという提案』・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)<予約分受取:1/14以降> ・『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1/04予約、1/14受取)・いしいしんじ『トリツカレ男』(1/09予約、1/14受取)・装丁/南伸坊(1/13予約、1/20受取)・『ギャシュリークラムのちびっ子たち』(1/14予約、1/20受取)・莫言『転生夢現(上)』(1/18予約、1/25受取)・浅田次郎著『天子蒙塵(1)』 (1/24予約、2/02受取)・創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集(1/31予約、2/05受取)・天子蒙塵(2)(2/07予約、2/10受取)・文明に抗した弥生の人びと(2/10予約、2/13受取)・スメルジャコフ対織田信長家臣団(2/12予約、2/19受取)【洞窟おじさん】加村一馬著、小学館、2004年刊<作品情報>より昭和35年、13歳の少年は「両親から逃げたくて」愛犬シロを連れて家出した。以来、彼はたったひとりで、足尾鉱山の洞窟、富士の樹海などの山野で暮らしヘビやネズミ、コウモリに野ウサギなどを食らい命をつないできた。発見されたとき、少年は57歳になっていた。実に43年にわたる驚愕のサバイバル生活。―これは現代のロビンソン・クルーソーの記録である。<読む前の大使寸評>驚愕の自叙伝というか、平成の冒険的ドキュメンタリーではなかろうか。図書館で探してみよう。<図書館予約:6/07予約、副本2、予約37>amazon洞窟おじさん【the four GAFA 四騎士が創り変えた世界】スコット・ギャロウェイ著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より激変を預言した著名教授が断言。次の10年を支配するルール。【目次】1章 GAFA-世界を創り変えた四騎士/2章 アマゾンー1兆ドルに最も近い巨人/3章 アップルージョブズという教祖を崇める宗教/4章 フェイスブックー人類の1/4をつなげた怪物/5章 グーグルー全知全能で無慈悲な神/6章 四騎士は「ペテン師」から成り上がった/7章 脳・心・性器を標的にする四騎士/8章 四騎士が共有する「覇権の8遺伝子」/9章 NEXT GAFA-第五の騎士は誰なのか/10章 GAFA「以後」の世界で生き残るための武器/11章 少数の支配者と多数の農奴が生きる世界<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/13予約、副本5、予約83)>rakutenthe four GAFA 四騎士が創り変えた世界【飛ぶ孔雀】山尾悠子著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より庭園で火を運ぶ娘たちに孔雀は襲いかかり、大蛇うごめく地下世界を男は遍歴する。伝説の幻想作家、待望の連作長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/08予約、副本4、予約26)>rakuten飛ぶ孔雀【絶滅の人類史】更科功著 、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとって絶滅の歴史に他ならない。彼らは決して「優れていなかった」わけではない。むしろ「弱者」たる私たちが、彼らのいいとこ取りをしながら生き延びたのだ。常識を覆す人類史研究の最前線を、エキサイティングに描き出した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/18予約、副本9、予約67)>rakuten絶滅の人類史【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【日本が売られる】堤未果著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より水と安全はタダ同然、医療と介護は世界トップ。そんな日本に今、とんでもない魔の手が伸びているのを知っているだろうか?法律が次々と変えられ、米国や中国、EUなどのハゲタカどもが、我々の資産を買い漁っている。水や米、海や森や農地、国民皆保険に公教育に食の安全に個人情報など、日本が誇る貴重な資産に値札がつけられ、叩き売りされているのだ。マスコミが報道しない衝撃の舞台裏と反撃の戦略を、気鋭の国際ジャーナリストが、緻密な現場取材と膨大な資料をもとに暴き出す!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/05予約、副本22、予約355)>rakuten日本が売られる【トランスヒューマンガンマ線バースト童話集】三方行成著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>よりはるか未来、あるところにシンデレラという人類の進化系=トランスヒューマンの少女がおりました。“魔女”から拡張現実ドレスを与えられた彼女はカボチャ型飛行体に乗り、お城の舞踏会へ向かいます。しかしその夜、空から宇宙最強の爆発・ガンマ線バーストの閃光が降り注ぎー「地球灰かぶり姫」ほか「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」など、古典に最新の想像力を配合した童話改変SF全6篇を収録。超個性派による第6回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/16予約、副本1、予約4)>rakutenトランスヒューマンガンマ線バースト童話集【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/18予約、副本3、予約34)>rakuten地球にちりばめられて【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡157予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.02.17
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図書館に予約していた『文明に抗した弥生の人びと』を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。【文明に抗した弥生の人びと】寺前直人著、吉川弘文館、2017年刊<「BOOK」データベース>より水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。<読む前の大使寸評>大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。<図書館予約:(2/10予約、2/13受取)>rakuten文明に抗した弥生の人びと「水田をいとなむ社会のはじまり」の続きを、見てみましょう。p85~89<農耕社会の登場>■穀物食の実態 2014年に厚生労働省が実施した国民健康・栄養調査よれば、現在の日本人はエネルギーの約42%を穀類から摂取しているという。これは敗戦直後においてエネルギーの75~80%を穀類に依存していたことから比べると大幅に低下しているといえよう。また、一人あたりの米の年間消費量でいうと、1962年に118.3キログラムとピークをむかえて以降は年々減少し、2014年には55.2キログラムとほぼ半減している。ちなみにパンや麺類などの原料である小麦の摂取量は2014年段階で32.9キログラムと増加傾向にある。今や、日本人の主食は米と小麦であるといえよう。 とはいえ、米を中心とした食事が、どのように定着してきたのかについては、稲作の存在があきらかになった当初から現在まで強い関心がはらわれ続けている。 静岡県静岡市の登呂遺跡を発掘した明治大学の杉原荘介は、単位面積あたりのコメの生産量を現代より少なく見積もって一坪あたり一升としても、一日三合のコメを食するのに十分な生産量であったと推定した。この推定値に対して、国学院大学の乙益重隆は、沢田吾一による『延喜式』などに基づく古代水田の生産量の研究を参考にして、コメの生産量をより低く見積もった。先の登呂遺跡の水田では、奈良時代の中田程度で、44~48人分、下田であれば32~36人分にとどまるとして、コメ以外の食糧の重要性を説いた。 さらに寺沢夫妻が弥生時代の遺跡から出土した食用植物遺体を全国的に集めたとこら、報告遺跡件数でいうとコメは第二位で、もっとも多く報告されているのは、ドングリであると指摘している。(中略) 視点をかえて、できるだけまとまった資料から、その比率を考えてみよう。岡山県倉敷市の上東遺跡から出土した弥生時代後期から終末期に属する土器内面に付着した炭化物の分析では、コメとアワ、そして不明の粒が、53:17:30という比率であった。また、長野県岡谷市の橋原遺跡で発掘された火災で焼失したとみられる弥生時代後期の59号住居址床面および土器からは、コメ35万粒、雑穀2100粒、マメ類約130粒が検出されている。安藤さんがいうように、コメの量が多数をしめている様子がうかがえる。(中略) これらのありかたをふまえるならば、立地や自然環境による地域差は当然あったとみられるが、水稲農耕の卓越を主張する安藤さんの意見には、一定の説得力があるように私は思う。もちろん、安藤さんも弥生時代開始期における畠作の存在を否定しているわけではない。当初は水稲農耕と畠作は併行して行なわれていたが、肥料を与える技術が未発達であったために畠作はしだいに減少していったと、理解している。つまり、水田稲作は日本列島の環境にマッチするばかりか、当時の低い技術段階ではもっとも効率的な農耕だったからこそ、水田稲作が各地に普及し、しだいに畠作よりも多く採用されることになったと考えられよう。 西日本において、集落が増加する地域の地形や自然環境をみると、水田をいとなむのに適した場所が多い。このような資料的状況をふまえるならば、水田の導入は、地域によっては人口増加にむかう大きな画期となったと評価できる。この本を読んでわかったことはと言えば・・・●弥生人どおしの戦闘はあったとしても、弥生人が縄文人を駆逐したという事実はないようである。●この本はふれていないが、九州のカルデラ大爆発によって西日本の縄文人が死滅し、その後に弥生人が移住したのではないかと思うのだが。●家畜を持たない縄文人にとって、施肥しなくても連作できる水稲耕作は定住への第一歩を促した。つまり、コメが人間を家畜化したわけである。●絶海の孤島&水稲耕作を可能とした気候が、文明に抗したような縄文世界を育んだようですね♪ここで、NHKスペシャル「縄文 奇跡の大集落」から縄文世界を再度観てみましょう。**************************************************************************************** <NHKスペシャル「縄文 奇跡の大集落」>先日、NHKスペシャルの再放送で「縄文 奇跡の大集落」を観たが・・・狩猟採集を生活の基盤として、1万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていた縄文人がびっくりポンでおました。番組のなかで、かのジャレ・ド・ダイアモンドも、「農耕に頼らない縄文人の社会は従来の文明論を根底から揺さぶっている」と言っていました。アジア巨大遺跡(第4集)縄文 奇跡の大集落初回放送:2015年11月8日 最終回は、日本人の原点とも言われる、縄文文化。その象徴が、青森県にある巨大遺跡、三内丸山である。巨大な6本の柱が並ぶ木造建造物や長さ32メートルもの大型住居など、20年を超える発掘から浮かび上がってきたのは、従来の縄文のイメージを覆す、巨大で豊かな集落の姿だった。 この縄文文化に、今、世界の注目が集まっている。芸術性の高い土器や神秘的な土偶、数千年の時を経ても色あせぬ漆製品。その暮らしぶりは、世界のどの地域でも見られない、洗練されたものとして、欧米の専門家から高い評価を獲得している。さらに、世界を驚かせているのが、その持続性。縄文人は、本格的な農耕を行わず、狩猟採集を生活の基盤としながら、1万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていた。こうした事実は、農耕を主軸に据えた、従来の文明論を根底から揺さぶっている。 なぜ、縄文は、独自の繁栄を達成し、1万年も持続できたのか。自然科学の手法を用いた最新の研究成果や、長年の発掘調査から明らかになってきたのは、日本列島の豊かな自然を巧みに活用する、独特の姿だった。 さらに、縄文とのつながりを求めて、取材班が訪れたのは、ロシアの巨木の森。そして、地球最後の秘境とも言われるパプアニューギニアで進められている、縄文土器の謎を探る調査にも密着。時空を超えながら、世界に類のない縄文文化の真実に迫っていく。『文明に抗した弥生の人びと』3:農耕社会の登場『文明に抗した弥生の人びと』2:縄文時代、縄文人について(続き)『文明に抗した弥生の人びと』1:縄文時代、縄文人について
2019.02.17
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図書館に予約していた『文明に抗した弥生の人びと』を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。【文明に抗した弥生の人びと】寺前直人著、吉川弘文館、2017年刊<「BOOK」データベース>より水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。<読む前の大使寸評>大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。<図書館予約:(2/10予約、2/13受取)>rakuten文明に抗した弥生の人びと「水田をいとなむ社会のはじまり」を、見てみましょう。p72~74<農耕社会の登場>■水田と日本列島 火山帯にある日本列島の土壌の大半は、酸性度が高い。そのため、土自体は農業にあまり適していない。例えば、東北や関東、九州に多くみられる黒ボク土は、火山灰と腐植土からなる土壌である。火山灰の影響でリン酸が不足しやすく、施肥をしないとやせた土壌となる。しかし、水田はそんな土地でも耕作できる農業技術だ。なぜなら、水の流れによって無機養分が補給され、かつ水がはられることで土壌は中性に近くなり、土壌中のリン酸も溶け出しやすくなるからである。 ただし、水田をいとなむためには、豊富な水源が不可欠であり、くわえて夏期における一定以上の温度や日照も必用である。雨が多く日照時間も長い日本列島の気候は、これらの条件にマッチするので、水田には、適した環境にあったといえよう。 しかしながら、南北に長い日本列島では、夏の気温や日照時間に大きな差があることも事実である。水田稲作という環境選択性の強い指標を、弥生時代・文化の定義に採用するかぎり、その適用範囲はおのずと限定されていく点には注意が必要だろう。また、このあたらしい技術体系が、直接的には朝鮮半島南部から九州島北岸の玄界灘沿岸地域にもたされたという点にも気をつけなければならない。 このような自然環境の多彩さと、水田をはじめとしたあたらしい技術や思想の供給元である朝鮮半島南部との遠近とが複雑に絡み合いつつ、日本列島各地の社会は、縄文時代後・晩期にあった以上の多様性をはぐくんでいく。日本列島における水田稲作の開始は、前段階の狩猟・採集技術と重層化しつつ、日本列島各地での個性的な文化を創出しはじめた出発点であると評価できよう。 しかしながら、弥生時代以降の議論において、各地のちがいを多様性という用語で表現するのは、言葉は悪いかもしれないが、都合のよい「きれいごと」だといえる。今日、弥生時代研究は、水田と金属器、そして権力形成という三要素を中心に議論が進んでいる。そして、研究者はそれらの要素がそろう遅速によって先進地とそれ以外を区分し、前者の地域こそが、邪馬台国、ヤマト王権、あるいは天皇制といった政治的、文化的中枢をなしていく、いわば「誇るべき」創国「物語」の舞台へと「発展」していくという世界観がある。(中略) 議論を水田に戻そう。水田は施肥しなくても、連作できるという大きなメリットがある。これは農地を分割して、牧草地と交代で小麦やマメなどを耕作していたヨーロッパとの大きなちがいである。水田の存在は、日本列島において家畜が、なぜ普及・定着しなかったのかという答えにもなる。休耕地を牧場として利用し、家畜を堆肥の供給源とした農耕社会とは異なる農業環境にあったのだ。ウン 「誇るべき創国物語」とは距離をおきつつ、科学的に推論する著者のスタンスがいいではないですか♪『文明に抗した弥生の人びと』2:縄文時代、縄文人について(続き)『文明に抗した弥生の人びと』1:縄文時代、縄文人について
2019.02.16
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図書館に予約していた『文明に抗した弥生の人びと』を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。【文明に抗した弥生の人びと】寺前直人著、吉川弘文館、2017年刊<「BOOK」データベース>より水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。<読む前の大使寸評>大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。<図書館予約:(2/10予約、2/13受取)>rakuten文明に抗した弥生の人びとまず、縄文時代、縄文人について(続き)、見てみましょう。p40~45<縄文時代とは?>■縄文農耕の評価 ただし、縄文時代の農耕をめぐっては、積極的に評価する立場と、消極的に評価する立場があり、あつい論争を繰り広げているのが現状である。 この論争の歴史は古い。弥生式土器の時代が農耕社会であると論じられる1930年代には、打製石斧を農具だとする神田孝平や大山柏の説がすでに発表されていた。また、戦後には藤森栄一が、彼の故郷である八ヶ岳西南麗の縄文時代中期における人びとの繁栄を、焼畑農耕で説明しようとした。さきほど紹介したように縄文時代後・晩期において、西日本で遺跡の減少がみられないのは、大陸からアワやキビなどの雑穀が伝わっていたからだという意見もだされた。 しかし、1960年代までの縄文農耕論に対しては、穀物という決定的な証拠に欠けている点に批判がよせられ、少なくとも考古学界における議論はしだいに下火となっていった。 しかしながら、1970年代になると縄文農耕論が意外な分野から提唱されることとなる。それは文化人類学者、佐々木高明による照葉樹林文化論である。佐々木は、東南アジアにみられる焼畑文化との比較をとおして、縄文時代にも栽培があった可能性を主張した。時はおりしも、日本列島各地において開発が進展し、大規模な発掘調査が進められた時代でもあった。 植物や古環境の専門家が発掘調査に参加し、栽培植物の具体的証拠が発掘現場において探求されることになった。現場において土壌を水洗し、ふるいにかけることによって、栽培植物の種子が「発見」される事例が、あいついで報告されるようになる。また、土中の花粉やプラント・オパールの分析例、さらには縄文土器の胎土にふくまれるプラント・オパールが続々と報告されていったのである。 これらの方法によって、ヒエは縄文時代前期、アワやコメの栽培は縄文時代中期にさかのぼることが主張された。このような解釈を受けて、1990年代の考古学概説書では、縄文時代にコメをふくむ穀物などの栽培植物が存在することは、もはや定説として説かれるようになる。 ただし、慎重な意見も根強い。例えば、縄文時代前期末の住居床面からみつかったソバや、縄文時代後期の泥炭層からでたオオムギを炭素14年代法で測定したところ、数百年前の穀物であったことが判明した事例が報告されているからだ。(中略) したがって、遺跡から見つかった植物種子などの時期を確実に決定付けるためには、炭素年代法による時期の決定が不可欠であり、炭素年代法の適用が難しい花粉やプラント・オパールなどを植物の存在の基準とすることについては、慎重な立場をとる研究者が、2000年代以降は増えているのが現状である。(中略) 縄文時代後期以降、人びとが植物を栽培、あるいは管理していた可能性は高いと思われる。しかし、今日の資料と論争をみるかぎり、アワやキビのような雑穀があったことを確実視することができない。イネについても同様である。つまり、縄文時代の人びとが栽培植物を利用していた可能性は高いが、現状の植物種子に関する考古学的事実を慎重にふまえるならば、それが主なカロリー源となり、人口増加にいちじるしく影響を与えた可能性は低いといわざるをえない。 したがって、かれらは採取した食材が自然に回復していく量をこえては、食料を得ることができない。いわばみえないガラスの天井の住人なのである。いくばくかの栽培植物に関する知識を得ていたとしても、養分の乏しい酸性土壌が主体となる日本列島において、家畜に欠くことから有効な肥料をもたなかった当時の人びとにとっては、こえることのできない限界があったのではないだろうか。『文明に抗した弥生の人びと』1
2019.02.16
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図書館に予約していた『文明に抗した弥生の人びと』を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。【文明に抗した弥生の人びと】寺前直人著、吉川弘文館、2017年刊<「BOOK」データベース>より水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。<読む前の大使寸評>大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。<図書館予約:(2/10予約、2/13受取)>rakuten文明に抗した弥生の人びとまず、縄文時代、縄文人について、見てみましょう。p36~39<縄文時代とは?>■縄文時代像をめぐって 狩りにあけくれる不安定なその日暮らしを送っていた時代。縄文時代をこのようにイメージする人は、いまや少数派だろう。各地における発掘調査の進展の結果、自然と共存しつつ繁栄したエコで豊かな縄文時代像が喧伝されて久しい。 しかし、縄文時代にふくめるかについて議論のある草創期をふくめると、縄文時代はゆうに1万年をこえる長期間である。実に弥生時代の10倍以上、江戸時代の40倍以上の時間だ。この間、いくどかの温暖化と寒冷化が生じ、それに呼応して、日本列島各地で人びとの暮らしが、各地で発展と衰退を繰り返した時代でもある。 その意味において、単独の「文化」が長期間にわたり続いたというよりも、農耕に適するはずの温暖湿潤気候帯において、例外的に長期にわたって狩猟と採集を主とする食糧獲得システムが、盛衰を繰り返しつつ継続したという点を重視すべきであると、私は考える。 縄文時代の諸文化を、あえて一つにまとめて表現するならば、それは更新世から定新世の変化、すなわち氷河期の終わりにおきた中緯度地域の自然環境と生態の変動に適応するために、日本列島の人びとがうみだした技術体系の総称といてであろう。 俊敏なシカやイノシシをしとめることができる弓矢、煮沸という調理法法の導入によって食材加工の幅を広げた土器、あるいは釣り針や網漁にもちいられた石錐などの多彩な漁撈具の登場。これら新しい道具によって、かれらが利用できる資源の範囲は拡大し、環境とマッチした地域では定住的な生活を営むようになる。 しかし、縄文時代の最初に土器や弓矢といったイノベーションがおこって以降は、人口の増加や生活の豊かさに直結するような実用品の発明や食糧獲得・生産における革新は、時代をとおして、あまり顕著ではない。■繁栄と衰退 しかしながら、縄文時代中期までの温暖化は、日本列島に住んでいた人びとのなかでも東日本の人びとに、豊かなめぐみをもたらす自然環境を与えた。日本列島の温暖湿潤気候は、季節ごとにさまざまな食料資源をはぐくむ。また、海水面の上昇は複雑な海岸線をうみだした。そこは淡水と海水が混じる格好の漁場となり、海辺は貝の採集場所となった。 さらに東日本ではブナやナラ、クリ、クルミなどを主とする落葉広葉樹林が、西日本ではカシ、シイ、クスなどの照葉樹林が広がり、とくに前者の森は豊富で手軽に利用しやすいナッツ類を人びとにもたらした。かれらは、このようにめぐまれた自然環境のもと、青森県の三内丸山遺跡に代表されるような巨大で継続的な集落を営むようになったのである。しかし、限られた技術で自然の産物を最大限利用する生活は、自然のちょっとした変化にも大きく左右されてしまう。■縄文時代後期の変化 その変化の一つが縄文時代後期における変化である。縄文時代中期末になると、それまで発達していた巨大な環状集落がすたれてしまい、数棟の住居からなる小さな集落にわかれて暮らすようになることがしられている。とくに関東内陸部と中部高地では、遺跡数や住居数が激減してしまうことから、人口が減少したと考えられる。 ただし、房総半島の東京湾に面した沿岸部では、加曾利貝塚をはじめてとする大きな貝塚遺跡が引き続きいとなまれている。また、埼玉県から栃木県南部にかけての地域では、環状盛土遺構をもつ集落があらたに形成されている。全体が衰退したというよりは、居住空間の選択が変化したというのが実情かもしれない。 このような変化がおきた原因として考えられるのが、気候の寒冷化である。温暖化のピークを縄文時代前期にむかえた後、気候はふたたび寒冷化にむかう。また、この頃に海岸線が後退していく現象がおきて、地形が変化する。これらの環境変化は植生に変化をもたらし、とくに東日本の内陸部に住む人びとの暮らしに影響を与えたようだ。 一方で、クリなどの大きく栄養豊富なナッツ類をもたらす落葉広葉樹林が西日本にも広がりはじめる。これに呼応するかのように、今まで目立った規模の集落がみられなかった西日本にも、比較的大きな集落が見られるようになり、人びとが定住的な暮らしをするようになったことがわかっている。縄文人と弥生人の関係については、森林の取り持つ縁があったようです藤森隆郎著『林業がつくる日本の森林』より 日本人の祖先である縄文人は、森林・草地での狩猟・採集と川や海での漁労の生活をしながら自然崇拝の文化を築いてきた。またすでに森林の中でクリの植栽をしていたともいわれている。3世紀頃に稲作技術を携えて侵入してきた先進的な弥生人が、縄文人を駆逐しなかったのは、日本の圧倒的な森林の力に対応するために、縄文人の力と文化を必用としたからだと考えられている。 水稲栽培に必用な安定的な水の供給には、縄文人の森林活用の知恵が必要だったのだ。
2019.02.16
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<『郊外の20世紀』4>図書館で『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』という本を、手にしたのです。戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀第7章「郊外と家族」で、地方出身の団塊の来し方を、見てみましょう。p195~1994:家族の解体■団塊の世代 郊外の主役 戦前の郊外住宅に先鞭をつけたのは、都心に居をかまえ、仕事をしていた実業家や商店主たちだった。彼らにとって、すでに都心でしっかりと張っていた根を、郊外に移すには、それなりの覚悟があったに違いない。それに追随することになったサラリーマンなどの中産階級は、都心で借家住まいをしていた層が多かった。近世以来、第二次大戦前まで、都心部では約8割の市民が借家住まいであり、またそれを支えるシステムも確立していた。 都心で借家に住むことを誰もが納得し、当たり前のこととしてくらしていた。彼らを、郊外へ引き出したのは、工業化や高密化に伴う都市環境の悪化であった。都心での借家住まいは別に恥ずべきことではないが、郊外生活のほうが健康い良いという価値意識が、素直に受け入れられたのである。 ところが戦後の郊外住宅ニーズには、必ずしもそうとはいえないところがある。戦前に開発された良好な郊外住宅地を横目で眺めながら、大都市にやってきた新都市住民たちは、「振り出し」は勤め先の寮や近くのアパートに住んで、「あがり」は郊外に戸建て持ち家という「住み替えすごろく」を頭に描いた。経済の高度成長とともに住宅需要は増え続け、地価は高騰していく。そのなかで一刻も早く借家から抜け出し、郊外に持ち家を買うことが、人生の目標にすらなってしまった。 だから地方の出身者は、いったんは都心近くに居を定めても、最終的にその目的を達することができるかどうかは別にして、そこは持ち家を得るまでの仮住まいという意識が強かった。そして「あがり」となる持ち家は、自らの収入と天秤にかけて、ぎりぎりの線で購入した妥協の産物だった。しかしそれでも、やっと購入できたことに対する満足度は高かったに違いない。 大正末期から昭和初期生れの世代が主なユーザーとして登場し、さらに団塊の世代の核家族が、その後をおいかけるようにして住まいを求めた戦後の郊外住宅地は、妥協と満足感の入り混じるものとなった。 ■核分裂家族 都市化の波に押されてほぼ同時期に同条件で都市に流入し、同じように郊外へ出ていった都市住民は、よく似たプロフィールと価値観とをもつ核家族であった。しかし、やがて子供たちが成長し、世帯主が次々と定年を迎えるようになる。核家族の老化は、その分解と多様な結末へのプロローグであった。 良くも悪くも旧来のイエ制度のもとでは、絶大な権力をもつ家父長制のもとで、家族が束ねられていった。そこから飛び出した人々が大都市圏の住民となったわけだが、それでも長い間、イエ制度のネットワークのなかに身を置いていた。多くの大都市一世や二世には、ふるさとがあった。そこには父母や従兄弟との交流もあった。(中略) ところが、自分が年をとるとともに、ふるさとの親や親戚も年をとり、やがて付き合いが薄れる。そしていつのまにか田舎とのヒモが切れる。こうして、核家族は本当に核家族になった。 ところが、すでにその時には、核家族自身が内部分裂の危機を迎えていた。ふるさとのタガがはずれた上に、郊外住宅地では定時制市民でしかなかった父親は、いつのまにかその居場所を失いかけていた。根づく場所を求めて都会をさまよい、やっと居を定められたと思ったのも束の間、そこはやはり現役のサラリーマンが落ち着ける場所ではなかった。やはりデラシネ(根なし草)でしかなかったのだろうか。 ■架空家族を持つ家 鳴海邦碩は、1980年代半ば、千里ニュータウンの戸建て住宅地区において、「架空家族を持つ家」とでも呼ぶべき住宅の増改築が増えていることを指摘した。子育てが終わって世帯分離し、老夫婦が残った家に、やがて同居するかもしれない時のために、あるいは子供夫婦が里帰りした時のためにと、部屋を増築したり、改修したりする。 その夢は決して実現しないかもしれないし、1年のうちわずか数日しか使われないかもしれない。そんな「架空」の「家族」のための家がいくつも生れた。やがて子供たちはその家を相続するが、必ずしもそこに住むことができるとは限らない。むしろ相続を契機に転売されるかもしれない。(中略)■郊外二世のライフスタイル 郊外に住まいをかまえた世代の子供たち、つまり郊外二世たちのライフスタイルは、今後どうなるのだろうか。はっきりいえるのは、彼らにとっては、住み替えすごろくのあがりとして、やっと手に入れた親の世代ほどには、その住まいへの思い入れはないということである。仮に、そこが生まれ育ったふるさとであったとしても。 郊外二世は親の世代よりも、より客観的かつ合理的に住まいを見つめている。少産化によって、彼らの多くが親の住まいを相続することになる。長男長女同士が結婚するとなると、双方の相続することすらある。しかし、だからといって、勤務地の都合などでそこに住み続けられる保証はない。とりあえずは世帯分離をして別居し、郊外には年老いた親が残される。こういう風景が、どこの郊外住宅地にも見られる。ウーム この章は「少子高齢化時代の家造り」とでもいう内容であり・・・こういう警世の書はもっと早く読むべきであったなあと、思ったのでおます。我々、団塊の世代が一戸建て住宅を取得しリタイアを迎えた頃、いわば人生スゴロクをあがった頃には・・・・終身雇用はなし崩しにくずれ、派遣社員が常態化していた。住宅取得に関しては、(大震災という契機があったにせよ)無策の政治と大手建売住宅メーカーにしてやられたとの感もあるわけです。『郊外の20世紀』3:神戸市の二つのテーマタウン『郊外の20世紀』2:郊外住宅のゴールの姿『郊外の20世紀』1:戸建ての我が家の位置付け
2019.02.15
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『住まいの冒険』という本を読んでいたら、次のような指摘があり、戸建て2世帯住宅に住んでいる大使ははたと考え込んでいるのです。この本は多面的な事例をもとに、「主体的な住居」を模索するわりと哲学的なトーンで綴られているのです。【高度成長期に核家族のための住まいとして造られた庭付き郊外一戸建ては、もはや高齢の単身者あるいは高齢夫婦のみの住まいとなりつつある】ということでこの際、「主体的な住居」というテーマで今まで読んできた本を並べてみます。・大東建託の内幕(2018年)・老いる家崩れる街(2016年)・住まいの冒険(2015年)・限界マンション(2015年)・大人が作る秘密基地(2014年)・箱の産業(2013年)・シェアハウス(2012年)・居住の貧困(2009年)・住吉の長屋/安藤忠雄(2008年)・住まいの中の自然(2008年)・「間取り」の世界地図(2006年)・郊外の20世紀(2000年)・西山夘三とその時代(2000年)R2:「老いる家崩れる街」、「限界マンション」、「シェアハウス」、「郊外の20世紀」を追記【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ*****************************************************************************【老いる家崩れる街】野澤千絵著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より現在約800万戸の空き家が15年後には2100万戸を超える…3戸に1戸が空き家に!「再自然化」する空き家、スラム化する分譲マンション、漏水・破裂する水道管、不便な立地の「サ高住」住みやすい「まち」に必要なものとは?【目次】第1章 人口減少社会でも止まらぬ住宅の建築(つくり続けられる超高層マンションの悲哀/郊外に新築住宅がつくり続けられるまち/賃貸アパートのつくりすぎで空き部屋急増のまち)/第2章 「老いる」住宅と住環境(住宅は「使い捨て」できるのか?/空き家予備軍の老いた住宅/分譲マンションの終末期問題/住環境も老いている~公共施設・インフラの老朽化問題)/第3章 住宅の立地を誘導できない都市計画・住宅政策(活断層の上でも住宅の新築を「禁止」できない日本/住宅のバラ建ちが止まらない/都市計画の規制緩和合戦による人口の奪い合い/住宅の立地は問わない住宅政策/住宅過剰社会とコンパクトシティ)/第4章 住宅過剰社会から脱却するための7つの方策<読む前の大使寸評>大使の関心としては、住宅過剰社会とか、バブルを煽るかのような新築誘導税制、コンパクトシティ、古民家再生あたりになるわけです。<図書館予約:(12/28予約、5/10受取)>rakuten老いる家崩れる街『老いる家崩れる街』1:空き家問題『老いる家崩れる街』2:住宅過剰社会*****************************************************************************【住まいの冒険】住総研著、萌文社、2015年刊<「BOOK」データベース>より私たちの住まいや暮らしは、高度消費社会の巨大な市場システムに埋没してしまった。「住む」ことや「暮らす」ことは本来それぞれに自分流があり個性的であってよいのに、その主体である住み手と住まいの間には、代え難い個別的な関係を見い出せていない。では、主体性のある住まいとはいったい何だろうか。本書は生きる場所としての住まいを取り戻そうとする多くの事例を取り上げ、哲学的洞察も交えて多面的な視点から問題提起する。<大使寸評>我々、団塊の世代が一戸建て住宅を取得しリタイアを迎えた頃、いわば人生スゴロクをあがった頃には・・・・終身雇用はなし崩しにくずれ、派遣社員が常態化していた。住宅取得に関しては、無策の政治と大手建売住宅メーカーにしてやられたとの感もあるわけです。rakuten住まいの冒険*****************************************************************************【限界マンション】米山秀隆著、日本経済新聞出版社、2015年刊<「BOOK」データベース>より進む、建物老朽化・住民高齢化ー放置・スラム化は不可避なのか?【目次】序章 マンションという住まいの末路/第1章 マンションの歴史ー埋め込まれた時限爆弾/第2章 マンションの2つの老いと建て替えの現実/第3章 限界マンション化にどのように立ち向かうか/第4章 空き家問題の現在/終章 空き家問題の今後の展開と限界マンション<読む前の大使寸評>なんか既視感のある本であるが、まいいかと借りたのです。帰って調べてみると、2016年3月に借りていました。rakuten限界マンション*****************************************************************************【大人が作る秘密基地】影山裕樹著、DU BOOKS、2014年刊<商品説明>より自由な発想で生き方をデザインする、大人版・秘密基地18の方法これからの時代を生き抜く秘密基地作りのススメ。創造力と心の拠り所になる7類型。特別寄稿:村上祐資(極地建築家)/毛利嘉孝(社会学者)/服部浩之(キュレーター)ほか<大使寸評>冒頭あたりに、「秘密基地の代名詞とも言えるツリーハウス」、「沢田マンションはその代表とも言えるセルフビルド建築」などというフレーズが並んでいて、大使のツボがうずくわけです♪rakuten大人が作る秘密基地空き家とスクォッティングbyドングリ*****************************************************************************【箱の産業】松村秀一, 佐藤考一編著、彰国社、2013年刊<「BOOK」データベース>より プレハブ住宅産業はこうして生まれた!その揺籃期、1960年前後から1970年代までの動きを、当時の若き技術者たちのオーラルヒストリーで生き生きと構成。技術者一人ひとりのものがたりをもとに歴史を紡ぐ技術社会史の労作、ここに成る。<大使寸評>技術者として読むと、産業史として面白いのだけど・・・・プレハブ住宅業界の苦労話あるいは手柄話のような内容になっていて、文化論にはほど遠いのです。当然かもしれないが、プレハブ住宅のマイナス面は語られていません。rakuten箱の産業プレハブ住宅で良かったのかbyドングリ *****************************************************************************【シェアハウス】 阿部珠恵×茂原奈央美著、辰巳出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より物件も住む人も急増しているシェアハウス。これは地縁・血縁意識の薄い都市部に特有の現象なのか。それともコミュニティの新しい形なのか。実際にシェア生活をしている著者2名が、さまざまな様式のシェア物件に住む人々に取材して考察した、日本のリアルが見えてくる、軽妙で知的なドキュメント。<読む前の大使寸評>最近、目に見えて貧乏になったニッポンの市民にとって、シェアハウスは切実でかつ現実的な選択肢ではないだろうか。rakutenシェアハウス*****************************************************************************【居住の貧困】本間義人著、岩波書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より職を失い、住まいを奪われる人たち、団地で進む高齢化と孤独死、規制緩和がもたらしたいびつな住環境…。人権としての居住権が軽視され、住まいの安心・安全が脅かされている日本社会の現状を詳細に報告。社会政策から経済対策へと変容した、戦後の住宅政策の軌跡を検証し、諸外国の実態をもとに、具体的な打開策を提言する。【目次】第1章 住む場がなくなる/第2章 いびつな居住と住環境/第3章 居住実態の変容、そして固定化へ/第4章 「公」から市場へ-住宅政策の変容/第5章 諸外国に見る住宅政策/第6章 「居住の貧困」を克服できるか<読む前の大使寸評>我が家は、阪神・淡路大震災の後に、一戸建てのプレハブ住宅を建てたわけですが・・・たぶん、この震災がなければ木質系の在来工法を選んでいただろうと思うわけです。この本で、プレハブ住宅がどのように書かれているか、興味深いのです。rakuten居住の貧困居住の貧困byドングリ*****************************************************************************【住吉の長屋/安藤忠雄】千葉学著、東京書籍、2008年刊<「BOOK」データベースより>1970年代から今日まで、常に建築界の第一線を走り続ける安藤忠雄の原点にして、戦後日本の都市型住宅の方向を決定付けた名作「住吉の長屋」。そのすべてを解き明かす。建築家安藤のデビュー作。日本現代住宅史の金字塔となった一軒を徹底分析。 <大使寸評>安藤忠雄のデビュー作にして原点ともいえる住吉の長屋に絞って述べています。とにかく、その狭さと、傘をさしてトイレに行く造りが衝撃的ですね(笑)Amazon住吉の長屋/安藤忠雄*****************************************************************************【住まいの中の自然】 小玉祐一郎著、丸善、2008年刊<「BOOK」データベース>より環境との共生が叫ばれる今日、建築におけるエコロジカルな発想の原点に帰り、太陽や風といったポテンシャルを活かしながら在来エネルギーへの依存を減らし、自然との交感が可能な住宅、自然を楽しむ住居を考えます。<大使寸評>パッシブソーラーハウスを建てた上で20年にわたる実証などを語るという、わりと地味な本ではあるが・・・採光、自然通風に着目したなど、大使のツボにヒットするわけです。ツボというのは「自然と共生する住居」といいましょうか♪rakuten住まいの中の自然*****************************************************************************【「間取り」の世界地図】服部岑生著、青春出版、2006年刊<「BOOK」データベース>より東京・NY・パリ…のアパートの間取りの違い。続き間・縁側・通り庭…狭い日本ならではの工夫。比べてわかる住まいの人間関係学。【目次】1 日本の「間取り」とその変遷(マンション、団地…集合住宅に見る、日本人の暮らしの変化/江戸の武士住宅からつづく、日本住宅の古きよき伝統/間取りから浮かび上がる、暮らしの知恵としきたり)/2 「間取り」の世界地図(比べてわかる、世界の家族観、生活観…のちがい/日・米・英…大富豪の邸宅の間取り)<読む前の大使寸評>手にした時の斜め読みから・・・・著者のかもす民俗学的なセンス、職人の慎ましさが感じられたので、借りたわけです。rakuten「間取り」の世界地図2DKと京町屋byドングリ*****************************************************************************【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀『郊外の20世紀』2:郊外住宅のゴールの姿『郊外の20世紀』1:戸建ての我が家の位置付け*****************************************************************************【西山夘三とその時代】西山夘三記念すまい・まちづくり文庫、2000年刊<目次>より第1部 西山夘三と日本のすまい 20世紀・すまいのアーカイブスプロローグ西山夘三・人と仕事自分の生涯を対象にした著作から日本のすまい第2部 文書所蔵資料解題文庫所蔵資料の概要文庫所蔵資料をめぐって西山夘三・業績一覧西山夘三・年譜第3部 文庫活動の紹介文庫活動の足跡特定営利活動法人NPOの設立文庫資料の利用方法参考資料<大使寸評>西山夘三といえば・・・日本の住まいを民俗学的な視点で踏査した学者、2DKという間取りに関わってきた建築家というのが、大使の認識である。とにかく、守備範囲が圧倒的に広い人でしたね。ところで、西山さんは1967年のNHK連続ドラマ「ケンチとすみれ」のモデルなんだそうだが・・・このドラマはほとんど見ていなかったので、コメントしようもないのです。hamonika西山夘三とその時代西山夘三とその時代byドングリ*****************************************************************************【関連記事】空き家問題あれこれ非定常空間あれこれ
2019.02.15
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朝日のコラム「ザ・コラム」にチャイナウォッチャーとも言える吉岡桂子記者の記事を見かけたので紹介します。*****************************************************************************2019年1月17日(ザ・コラム)米中の覇権争い 華為が切り分ける世界より ギャンブラーの聖地、米国のラスベガス。ホテルのカジノのスロットマシンにパンダや竜のイラストがチカチカと踊る。ここで開かれた年明け恒例の家電・情報通信技術の見本市「CES」を訪ねた。今年の主役は人工知能(AI)や次世代通信規格5Gをめぐる技術だ。出展した4500社のうち、1200社が中国企業。中国を狙いうちした米国の関税で経営が悪化した中小企業の一部が参加を取りやめ、前年より2割減った。 おりしも、北京では通商紛争にからんで米中政府が協議していた。貿易黒字や赤字の多寡よりも、技術覇権をめぐる根深い対立である。ビジネスの現場は、どう受け止めているのか。 ◇ まっさきに華為技術(ファーウェイ)を探した。中国当局の影響下にあるとして米国の政権や議会から安全保障上の懸念とされ、一般消費者向けを除いて米国市場から締めだされた。華為は疑いを否定し、5Gからの排除を「スター選手のいないNBA(米プロバスケット協会)」と言い切る。 展示は、パナソニック、韓国サムスン電子、米クアルコム、独ボッシュらにまじってセントラルホールにあった。地味だ。街のふつうの店のように携帯端末など商品を並べている。むしろ、新技術は本拠地深センで発表した。経営幹部が基調講演に登壇した2017、18年とうって変わって、会見もない。中国の有力企業は、日韓と違ってトップの派遣を控えていた。昨年末の華為幹部のカナダでの逮捕を受けて、米国への渡航を避けたとのうわさが飛び交った。 これに対して、若い企業はイキがよい。深センの「柔宇科技」が開発したタブレットの画面を折りたたむとスマホになる端末には、人だかりが絶えない。私もさわるのに20分も並んだ。83年生まれで、米スタンフォード大学の博士号を持つ劉自鴻さんが12年に創業したばかり。スマホにつないで360度画像を撮影できるカメラが話題の企業など、400社以上が深センから来ていた。 ぴかぴかのスタートアップ企業だけではない。「センター」から離れたテント仕立ての会場にも、中国企業がひしめく。電動おもちゃ、美容家電、受付用ロボット、小型電気自動車……。市場の動向にあわせて商品を巧みに変えながら生き残ってきた民間企業群だ。米中対立の中でも「ひとやまあててやろう」とする野心に満ちている。 中国政府は、こうした企業家たちを知的財産権や環境、労働者の人権や消費者保護などについて緩い規制で半ば放任し、巨大市場で競わせながら、成果を国力に還元してきた。梶谷懐・神戸大学教授が指摘する「権威主義的な政府と非民主的な社会と自由闊達な民間経済」が織りなす「共犯関係」を強みに、中国経済は力をつけた。 ◇ その「共犯関係」が、国家を背負って「センター」で踊る華為のような企業には、足かせにもなる時代がやってきた。 国家の命脈を握る通信設備を誰に委ねるか――。この問いには「権威主義的な政府と非民主的な社会」であることは、不信の材料となる。政府の意図に反する行動や問題の告発は難しく、企業は国家の強権から逃れられない。マスコミ嫌いで知られた創業者で経営トップの任正非氏(74)も表で反論を始めたが、華為の宿命ともいえる。 一方で、日本には同盟はすべてを覆う「宿命」かという問いが投げられている。 華為を5Gの市場から「排除」した米国に、日本や豪州は同調した。同じく米国と同盟を結ぶドイツなど欧州の多くは、独自に判断を留保する。新興・途上国は、安くて技術力がある華為を好む国が少なくない。国境を越えて利害が交錯する経済関係を離れて、華為を軸に世界が切り分けられたかのようだ。 米中の覇権争いは長く続く。米国からの「踏み絵」は「華為」で終わらない。当然ながら、日本と米国の国益が重なるときばかりではない。安全保障の範囲も明確とは限らない。事例ごとに理由を示し、借り物ではない言葉で消費者でもある国民に説明する必要がある。膨張する中国と向き合う隣国として、自ら調べる力も高めるべきだ。安保と生活に根ざす経済が交わる領域が、米中の主戦場の一つだからだ。*****************************************************************************朝日新聞の吉岡記者といえば、チャイナウォッチャーとして個人的に注目しているわけで・・・・その論調は骨太で、かつ生産的である。中国経済がらみで好き勝手に吹きまくる経済評論家連中より、よっぽどしっかりしていると思うわけです。ザ・コラム一覧に吉岡記者の中国論が載っています。<吉岡桂子記者の渾身記事24>:2018年10月4日<吉岡桂子記者の渾身記事25>:2019年1月17日
2019.02.15
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今ではテレビで『カンブリア宮殿』というインタビュー番組を持っている村上龍であるが、小説家のなかでは経済的なセンスはぴか一なんでしょうね。コンビニで『村上龍の質問術』という文庫本を買ったのだが・・・とにかく、対談した経済的成功者の顔ぶれがすごいので、思わず衝動買いした次第です。(消費税値上がり初日に衝動買いするアホな大使でおま♪)・・・ということで、村上龍の対談を集めてみました。・村上龍の質問術(2013年刊)・村上龍(群像日本の作家)(1998年刊)R1:『村上龍(群像日本の作家)』を追加し、全体見直し*****************************************************************************【村上龍の質問術】村上龍著、日本経済新聞出版社、2013年刊<「BOOK」データベース>より人気番組「カンブリア宮殿」のインタビュアーとして、300人以上の経営者と対話し、その人間的魅力と成功の秘訣を聞き出してきた村上龍。対談相手や企業の歴史を「文脈」として把握し、本質的な疑問、質問を発見する作家ならではの手法とは?著者初の文庫書き下ろし。 <読む前の大使寸評>『カンブリア宮殿』という番組の構成、台本なんかは、製作スタッフと村上や小池栄子との共同作業で成り立っているとは思うのだが、メインキャスターたる村上の鋭い洞察力が反映されていると思うわけです。amazon村上龍の質問術この本から、ユニクロの柳井社長との対談を、紹介します。昨今はブラック企業と叩かれているが、わりと欧米的なマインドで勝ち進む柳井社長の秘訣が知りたいわけです。<核となる質問>よりp229~231村上:柳井さんの本のタイトルは『一勝九敗』(新潮社)ですが、相撲でいえば完璧な負け越し、野球だったら二軍落ちです。柳井:そうですね。村上:経営者の場合はどうなのでしょう。柳井:反対に皆さんに連戦連勝だと思われているんですよ。でもどんなに優秀な経営者でも、連戦連勝なんてことはあり得ないでしょう、新しいことをやっていたら、失敗して当然です。1勝9敗でもいいくらいでしょう。実は連戦連勝というのは、自分たちが新しいことをやっていないということであり、失敗した原因を分析していないということなんです。商売をやっていたら、いかに冷静に失敗した原因を追究していくか、それが次の成功につながると思うのです。ですから優秀な経営者は連戦連敗だと僕は思っているのです。小池:失敗ということでいうと、昔はスポクロ、ファミクロというのがあったんですね。柳井:スポクロというのはスポーツウェアとシューズに特化したユニクロみたいなもの、ファミクロというのはファミリーウェア、お父さん、お母さんの服と子供服に特化した店です。小池:ユニクロとは別に?柳井:ええ。売れなかったですね。ユニクロと区分けしたので、同じ地域に3店あると、三つ行かないといけない。そんな面倒なことしないですよね、普通。村上:その前に広島にユニクロの1号店を出されるんじゃないですか。これは失敗できなかったんじゃないですか。柳井:ええ、できないです。村上:もちろん失敗していい事業というのはないのかもしれませんが、1号店とスポクロ、ファミクロではリスクが違うんじゃないかと思うんです。柳井:それは全然違いますよ。村上:スポクロ、ファミクロのときはもうすでにユニクロがあった。その中で、どのくらいの分量で勝負していくわけですか。柳井:3分の1くらいでしょうね。ですから僕は、失敗しても会社が潰れなかったらいいと思うんです。そして失敗するんだったら早く失敗しないといけない。ビジネスというのは理論通り、計画通りには絶対いかないんです。だったら早く失敗して、早く考えて、早く修正する。僕はそれが成功の秘訣だと思います。*****************************************************************************<村上龍(群像日本の作家)3>図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上龍(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<出版社>よりドラッグ・セックス・ロック世代の青春を描き颯爽と登場した村上龍。いまデッドロックにのりあげた世紀末日本を根源から問い直す、もっとも先鋭的な作家のすべてを、同時代の作家・批評家が検証した初めてのアンソロジー。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上龍(群像日本の作家)中上健次との対談「存在の耐えがたきサルサ」を、見てみましょう。<ジャズと快楽幻想>p211~213村上:ビートというと、ジャズとかロックというけど、モーツァルトにもありますからね、フッとした瞬間とか。もちろんバッハにもある。だから極端に言うと、メロディーも、リズムのあり方もビートから追っていく、そういうのが昔からあったんですよ。中上:だから、音楽をメロディーラインで追うんじゃなくて、リズムで追っていくという感じだな。村上:そうです。坂本からいつもバカにされるんだけども、メロディーは甘ったるいのが好きなんですよ、ほんとにもう感傷的なやつがね。中上:坂本龍一に関しては、もうちょっと後で言いたいね。 俺はクラシックとジャズという、しかもクラシックの一番古いものとジャズがぶつかった、そしてもう一つの俺の背景として、紀州の土俗的な世界とぶつかったというところがあるんだけどね。 日本の作家の場合、龍でリズムというのがはっきり出てきたんじゃないのかな。リズムということをすごく気にしているよね。気にしているというか、それが音楽の第一主義みたいなさ。ロックっていうのはまさにそうだよね。村上:ええ。中上:ロックのメロディーラインなんてバカみたいだよ。ロックのリズムは若くなくちゃできないようなあれだろ。村上:絶対そうですね。中上:絶対そうだよな。年取ったらあんなのは・・・。村上:心臓が丈夫でなきゃね。中上:そうだよな。ジャズは違うけど、ロックなんてさ。それをもって表現したというのは、君が初めてだからさ。村上:そうですかね。中上:うん。それはやっぱり地殻変動を起したよね。それは俺にもないところだったよ。俺はものすごく面白いと思った。村上:それはあれとは違うのかな。中上さんから最初に言われた、「」とか、「」って。あれとは違うんですか。中上:あれとは違う。村上:俺、いまでも気になるんだよね。リアリズム好きだから。映画でも小説でもリアリズムが好きなんですよ。中上:それと違うよ。俺、対談を読み直したら、「これラリって書いたの?」と訊いたら、「中上さん、ヌーヴェル・ヴァーグの画面あるでしょ。こっち側があって、向こうがあって、全く等価に見えるみたいのがあるじゃないですか」って、君はちゃんと切り返しているよ。村上:ちゃんと言ってますか。中上:言ってるよ。あれは25歳ぐらいか。村上:まだ24歳かもしれないですよ。中上:それが悪いなんて言ってないぜ。君の小説はこうだって一応措定する、君はこういう書き方している、村上龍という新しい作家はこういう書き方している、つまり俺にはこう見えるということを言う。それはいいか悪いかとは別なんだよ。俺はそういうことで言ったんだけどさ。ちゃんと答えている。村上:言われたから言うわけじゃないけど、ああいうところはあんまり自分でも好きじゃないんです。たとえばあるところを描写するときに、きれいな映画のパンというのはきちんとビーンといくんですね。ダメなやつというのは、変に凝って、ホッと止めて、スッとズームしたりするの。小説の描写でも、そういうのってあんまり好きじゃないの。中上:ゴダールなんていうのはきれいに撮れるのをもう十分知ってて、つまりアップしたままパンをして、全部平面的に並べて撮るとか、そういうことをやったわけじゃない。村上:ゴダールは知ってたんですか。中上:知ってるよ。そう考えなきゃ面白くないもの。村上:そうですね。中上:そうだよ。村上:でも案外映画ってハードに拠るところが多いというか、状況に左右されるから、たとえばジム・ジャームッシュなんかでも、フィックスが多いったって、フィックスしかできないです、全部ロケ撮影だから。そういう中で、ゴダールにとって、あれしかなかったんじゃないかな。中上:そうだとしても、新鮮だった。それは言ってみれば機械の力だよ。ハードガソフトに影響を与え、どうしても新手法を発見させてしまうみたいな、そういうあれだからさ。村上:あ、そうか。中上:それはひとつもマイナスじゃない。(後略)
2019.02.15
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図書館で『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』という本を、手にしたのです。戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀第4章「テーマタウン」で、神戸市の二つのテーマタウンを、見てみましょう。p157~1622:テーマタウンのテーマ探し■アーバンデザインの縮図 六甲アイランドシティ 神戸市は、ポートアイランドに続く人工島建設プロジェクトである六甲アイランドにおいて、島の中央部約131ヘクタールを都市機能ゾーンと設定し、その開発を事業化コンペで行なうことにした。昭和60年から4度にわたりコンペが実施され、その第1次事業化コンペ用地31ヘクタールが、住友信託銀行を代表とする企業グループの手に落ちた。また同グループは第1次コンペ地区の南側に隣接する第4次コンペでも当選し、連続的な開発を行なっている。 開発コンセプトは、「海の手六甲」と「行きたい街、住みたい街」というキーワードによって表現される。対岸の六甲山麓は、明治以来、六甲山の自然と阪神間という生活利便性を最大限活用して、日本屈指の郊外文化を育んできた土地である。そうした山の手六甲の地域イメージを意識しながら、海辺の立地を活かした、新しい住環境づくりを目指したのであった。(中略) こうしてつくられた町は、非常にデザイン密度の濃い、華やかな雰囲気をもつものになった。全体がテーマパークか、博覧会場のような空気に満ちている。バブル経済が膨らみかける、作り手も住み手もともに元気一杯の時に誕生した町といってよいかもしれない。やや斜にかまえた言い方をすれば、慢性躁状態の町、元気でなければ住めない町という感じすらする。 ■一連のコンペが築いた町 西神ニュータウン 神戸市の中心部と市営地下鉄で結ばれる、西神および西神南ニュータウン。神戸市はここでの分譲住宅建設に、街区ごとに事業化コンペを連続して行うという方法を導入した。大阪府のように目玉プロジェクトをコンペで実現するというイベント的な性格のものというより、町全体に事業計画のなかに確実に組み込んだというべきだろうか。 二つのニュータウン合わせて平成11年末までに32回のコンペが実施された。それ以外に、市西部のグリーンタウン月が丘でも、ほぼ同じ時期にコンペが実施された。また応募企業はいわゆる大企業だけでなく、地元の中小の建設会社や工務店も参加できるよう、応募資格をそれらに限ったコンペもあった。 ここでのコンペは、派手さはないが、連続して実施していくことで、計画および工事発注を複数の業者に、まんべんなく割り振っていくという役割をもっていたようである。応募企業側からすれば、とにかく参加しておけば、いずれ順番が回ってくるといった期待感が、なかったとはいえない。 つくられた町並みを見てみると、街区ごと、すなわちコンペの対象地区ごとに、住棟配置計画が完結して、表層的なデザインは異なるものの、どの街区の住棟構成もよく似ているという感じを免れない。ほとんどの街区が内側に広場をもつ「囲い込み型」の配置をとり、「通り抜け禁止」の立看板を置いている。その結果、居住者以外の侵入を拒否した排他的な印象を与えてしまっている。またどのコンペ提案を見ても、ライフスタイルや生活サービスという点にまで踏み込んだ計画はなされず、配置計画もユニット計画も、日照や住戸ユニットの市場性などの制限を考慮すると、応募案に差がつきにくかったのではないかという気もする。 こうした問題を解決するには、マスタープラン段階で、各住区が機能面でもデザイン面でも有機的につながる工夫を緻密に調整し、コンペの与件として要項に示すことが必要だったのではないだろうか。ウーム 株式会社:神戸市の面目躍如という観があるわけで・・・土建に関する能力は天下一品ではあったなぁと、そのテーマタウンに住んでいる者として思うのである。少なくとも、今、オリンピック対応で右往左往している政財界のバカタレよりは、地に足がついていたような気がするのです。『郊外の20世紀』2:郊外住宅のゴールの姿『郊外の20世紀』1:戸建ての我が家の位置付け
2019.02.14
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図書館で『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』という本を、手にしたのです。戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀第4章 「郊外の消失」で、郊外住宅のゴールの姿を、見てみましょう。p116~1206:郊外ユートピアの消滅■阪神・淡路大震災後の阪神間 平成7年1月17日未明、あの阪神・淡路大震災が発生した。6281人の死者と、19万2706棟の家屋を全半壊させ、4万8300戸の仮設住宅が建設された。震災は、神戸、阪神地域の市街地景観を一変させてしまった。神戸市灘区、東灘区、芦屋市、西宮市の二区二市では、約32万7600世帯のうち、9万2600世帯の家屋が、全半壊した。被害家屋の90%が木造住宅だった。特に戦後に建てられた文化住宅や長屋などの木造賃貸住宅とともに、最も被害がひどかったのが、明治末期から昭和初期に建てられた木造二階建ての郊外住宅だった。 震災の後、建物が取り払われた敷地には、庭の前栽と、生け垣や塀の基礎だけが、しばらくの間残っていた。それほど豪華ではないが、しっとりとした、趣きのある家がなくなってしまった。このことを、野辺公一は、「サザエさんの家が消えた」と表現する。また彼は、壊れたのは家だけではなく、サザエさん的な戦後家族そのものであるという。震災は、戦前からの伝統を持つ郊外ユートピアの景観と、それにあこがれた戦後家庭の理想像の両方を、消してしまった。 その後に建てられたのは、軽量鉄骨でできた住宅メーカー系の住宅ばかりだった。たまたま老朽化していた木造住宅が多数崩壊したために、木造住宅は地震に弱いという誤解を生み、在来工法による木造住宅が避けられたことが、軽量鉄骨住宅をさらに増加させる原因にもなった。 重い日本瓦をのせ、深くのびた軒が陰影を与えるしっとりとした住宅ではなく、カラッとした乾いた住宅ばかりになった。宅地を切り売りしたり、貸し駐車場にすることで、建て直しの費用を捻出するするために、庭は削られ、外構はどこも同じブロック塀と鉄のフェンスになった。だが、そのことを表立って批判する人は少ない。年をとってから重いローンを抱えなければならないなかで、再建できただけでも立派だ、街並みのことにまでお金をまわす余裕などないから、仕方ないといわんばかりに。 戦前郊外住宅の跡地は、分割されて建売住宅ができたり、絶好のマンション建設用地になった。震災前までは、駅前やその近くにはマンション用地が不足し、山麓や埋立地でしか供給できなかったのに、駅から徒歩圏での供給量が増えた。そのことは、バス圏でのマンションの販売競争力を弱めることにもなった。 震災後3年を経過した頃から、戦前高級住宅地やその近くでのマンションの折り込み広告が増え始めた。広告の多くは、住宅地としての伝統やプレステージを高らかに歌い上げる。理想の郊外ユートピアでのくらしが手に入るというように。だが、実態としての戦前からの住環境は、急速に崩れている。新築マンション自身が環境と伝統を壊していっているのに、それには気がつかないふりをする。 しかし実は、郊外ユートピアの解体は、震災のせいではない。仮に震災がなかったとしても、もう解体し始めていた。邸宅の細分化やマンション化は震災の前から始まっていたのである。震災は、向こう10年から20年かけてゆっくり起きるはずだった変化を、一気に引き起こしただけである。解体の兆しは、ずいぶん前から見えていた。■郊外一戸建て住宅は終の住まいか 大都市居住者の多くは、戸建て住宅は住み替え行動のゴールであり、また資産保全に役立つと考えてきた。巽和夫・京都大学名誉教授は、1960年代半ばですでに、「住み替えは終局的には庭付き一戸建て住宅を指向しており、それを実現するための宅地需要・意欲が非常に強いという事実」を指摘している。 こうした認識は、1990年代半ばになってバブル経済が破綻するまで続いた。地価の下落によってこうした認識が変わりつつあるとはいうものの、少なくとも現時点でも多数派であることは変わりない。この意欲は、いくつかの調査結果を合わせれば、「接地居住指向」「資産形成指向」「老後保証指向」等によって構成されている。 仮に庭付き一戸建て住宅が究極の目的であるにしても、人々は本当にその場所に一生住むことになるのだろうか。実際に住み替え行動のゴールとなるのなら、居住者は土地や家屋を売却の対象とは考えずに、そこで一生を終え、彼らの土地家屋は他の財産とともに子供や配偶者に伝達されるはずである。 一方、資産形成に役立つとは、必要な時にはこれを売却して、換金できるということにほかならない。この二点は、戸建て住宅という入れ物がもつ、安定性と流動性という異なる二面を表す。 確かに住み替えの最後に郊外戸建て住宅を求め、そこで一生を終える人は多い。だがその多くは、子供たちは巣立ち、別の場所に家庭をかまえるので、高齢者夫婦あるいは独居老人世帯となる。その後子供たちが相続しても、そこに住み続けられる保証はなく、相続を機会に転売され、細分化やマンション化が進行する。たとえば、図16は、帝塚山におけるある邸宅地の、敷地の分筆状況を、土地台帳によって示したもので、敷地の細分化と狭小化が、何段階にもわたって起こっていることがわかる。一見購入者の所有期間が長く、安定的に見える場合でも、世代交代を機に流動化する可能性が大きい。しかも住宅地の流動化は、土地の細分化を伴うことが常であり、住環境を悪化させる原因ともなる。 資産として保有し、必要な時に一部または全部を売却するという機能は、確かに震災の時に多数見られた。それによって住宅再建に成功した人が多数いるわけだが、その結果、やはり細分化やマンション化が進行する。(中略) 流動性の高い社会において、郊外戸建て住宅地が建設当初の質と環境を維持していくしくみが、今のところ、ない。所有権と使用権を一体化させ、資産として機能させる以上、戸建て住宅地は流動化し、地価が高水準で安定する限り、流動の過程で大きな宅地は分割され、良好であった居住環境はどんどん擦り減っていかざるをえない。居住者の変化は必然の流れだとしても、居住環境を一定水準に維持したままで流動、伝達させるしくみが必要なのである。昨今のデフレ環境下で、貧乏になった若者たちが住宅を購入することは、より困難になっているわけで・・・居住環境はますます悪化するのではないだろうか。・・・それから、シェアハウスで暮らすなど居住形態を見直すことも、必要となるのでしょうね。『郊外の20世紀』1
2019.02.14
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図書館で『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』という本を、手にしたのです。戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀第3章「郊外の拡大と侵蝕」から見て「戸建ての我が家の位置付け」を、見てみます。<住宅地の多様化と住環境の商品化>p79~82 単調で画一的といわれる郊外生活とは裏腹に、住宅や住宅地のデザインには様々な試みが続いている。戸建て住宅の場合、いわゆる建築家の設計によるものはごく少数で、今まではその大半は、地元の工務店が建てたものであった。木造モルタル塗り二階建てのありふれたもので、単調だけれども、地域ごとにある種のまとまった景観が育まれた。 そこへ住宅メーカーがそれぞれの技術力とデザインを強調した製品を次々と市場に投入し始めた。軽量鉄骨造や軽量コンクリート造、木造ツーバイフォー工法をはじめとする様々な工業化住宅が、郊外に建ち並ぶようになった。もちろん、木造の在来工法による住宅メーカーもこれに対抗して、規格化と量産化の体制を整える。 こうした住宅メーカー系の住宅は、工場での製造工程を増やし、部材の規格化を進めたために、どこの地域でも同じデザインの住宅が建ち並び、地域らしさや住宅地の個性とは無関係の景観をつくりだした。戸建て住宅のこのような動きは、コストを削減することはもとより、自社の商品を社会にアピールしたいという意味で、一種の確信犯だったのかもしれない。 規格化と量産化が個性のない街並みをつくりだした前例としては、一昔前の住宅公団が各地のニュータウンで供給した。まるで羊羹をならべたような団地が、よく槍玉にあげられる。住宅の絶対数が足らない時代に、少しでも早く、大量に住宅を供給しなければならないのとの使命のもとでは、個性の表現まで考える余裕はなかったのだろう。 しかし近年は、民間であれ公的住宅であれ、戸建て住宅、マンションとも、何とかして住宅地としてのまとまりと個性を表現したいとの意思が、特に供給側に見られる。スペイン風、地中海風、イタリア風といったデザインが、住宅に取り入れられ、一種独特の景観を生みだす例が、東京や大阪の郊外各地に見られるようになってきた。 関西ではかなり以前から、都市圏の周縁部で戸建て住宅を比較的安価で開発する建売住宅メーカーがあり、郊外電車の車窓から、会社の広告塔をいただいたオレンジの屋根と白い壁の遠景を眺めることができた。現在の開発では、会社名の広告塔をあげるようなあからさまなことは少ないが、他の住宅地との差別化をはかるために、特徴ある街並みをつくりだそうという動きは見捨てがたい。 住宅だけではなく、ショッピングセンターや小売店舗などを併設する時には、そのデザインを、たとえばスペイン風にするといった事例を多く見つけることができる。公的団体が開発主体となったニュータウンでも、たとえば多摩ニュータウンの「パルテノン多摩」のように、センター地区の公共施設に、異国風のデザインとネーミングを行なって、地区の個性化をはかったり、住民の愛着を得ようとする動きは、枚挙にいとまがない。 レビットタウンの場合は、均質であることが、合理性や近代性を意味しており、必ずしも避けられるものではなかった。いかし、現代の日本の郊外住宅地での動きは、「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・サバービア・ライフ」の模索とでも呼べるような特徴をもつ。 均質で味気ない郊外生活の風景に、少しでも個性と潤いを獲得するために、主な購入者層となる30~40代の核家族世帯が惹かれる設備と空間デザインが、繰り返し検討されたのだろうか。その結果、テーマになるデザインは、アメリカ以外にもスペイン風やイタリア風など、ヨーロッパ的なものが使われる傾向が生れた。もちろんそれはあくまでイメージの上のものであって、実際のヨーロッパをそのままコピーしているものではない。 また一方では、1980年頃から、「ショートケーキハウス」と呼ばれる住宅が建ち始めた。白やパステルカラーで化粧したメルヘン風の、「ショートケーキのような可愛らしい住宅」という意味だが、このようなデザインが生まれてきたのは、無個性な郊外住宅での単調な郊外生活を、少しでも魅力的に見せようとするためではないだろうか。 ふるさとを離れて大都市にやってきたサラリーマンが、郊外住宅地を第二の故郷と見立てるための試行錯誤の結果が、ヨーロッパ風やショートケーキ風の、このような国籍不明の「けったいな」デザインを生みだしてきたとはいえないだろうか。ウーム、国籍不明の「けったいな」デザインとは実も蓋もないおっしゃりようでんがな。我が家は注文どおりの、おちついた色調の無難なデザインであり、街並みにも溶け込んでいると思っております。ハイ。
2019.02.14
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図書館に予約していた『天子蒙塵(1)』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)張学良『天子蒙塵』では張学良の出番が増えてくるのだが・・・この本を読み進めると、春児や溥儀が描かれた『蒼穹の昴』、『中原の虹』、『マンチュリアン・リポート』などと繋がった長篇小説だとわかるわけです。これらの全貌を概観するために、2016年の浅田治郎独占インタビューを再読してみましょう。2016年『天子蒙塵』浅田治郎独占インタビューより小林:『蒼穹の昴』は清朝(1644~1912年)末期の物語。第9代皇帝妃・西太后が権力を握る宮廷が舞台でした。続く『珍妃の井戸』は1900年に起こった義和団の乱を扱い、『中原の虹』では清朝滅亡前後を背景にして馬賊・張作霖その周辺を描き、『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件が軸になっています。そして、待望の新作『天子蒙塵』に続くわけですね。浅田:今回は溥儀と張学良という2人の若き王に焦点を当てています。この2人を通して、あの時代を描いてみよう、と。小林:どのような気持ちで新作に臨まれたのでしょうか。浅田:このシリーズは数十年にわたる私のライフワークであり、生活そのもの。新しいものを書き始めるからといって、特別な気構えはないんです。ただ粛々と書いていると言ったらいいでしょうか。小林:またここへ戻ってきたという感じですか。浅田:このシリーズを書いているときこそが私には日常で、心はむしろ休まっています。小林:溥儀と張学良については、どのような人物とお考えですか?浅田:いずれの人生も、アラビアンナイトの物語に加えても遜色のないような数奇な運命に彩られています。溥儀は3回即位して3回退位した歴史上ただ一人の王です。一方、父親の死を受け、27歳で満洲における全権力を継いだ張学良も、時代に翻弄された王ですね。そんなドラマティックな人生を描いています。小林:「天子蒙塵」という言葉を初めて聞く人も多いと思いますが、どのような理由でタイトルにされたのでしょう。浅田:紀元前、春秋時代の最古の史料『春秋左氏伝』に出てくる言葉です。「天子塵を于外(うがい)に蒙る」。天子、つまり王がほこりまみれになって逃げるという、大変な異常事態を表しています。実は『蒼穹の昴』を書いたときに、すでにこの蒙塵のイメージが頭の片隅にあったのですが、今回、溥儀は紫禁城を追われ、張学良も自分の領地を追い出されて、まさに蒙塵するんです。小林:冒頭のシーンも蒙塵と呼べるものですね。イタリア船のコンテ・ロッソ号で、アラビア海を行く張学良の姿が描かれています。浅田:居場所を奪われた張学良は、船でイタリアへ向かうわけですが、あのシーンは取材旅行で訪れたヴェネツィアでひらめきました。「海洋博物館」に行った際に目にとまったのが、豪華客船コンテ・ヴェルデ号の模型です。コンテ・ロッソ号ではなかったけれど、同型艦の精密な模型があった。小林:取材旅行のときは、船が実際に着岸した場所にも行きましたが、冒頭のシーンの源泉になったのは模型のほうだったんですね(笑)。 浅田:船着き場では、イメージできなかった。でも旅の最後に寄った「海洋博物館」で模型を見た瞬間に、私は小さな張学良になってコンテ・ロッソ号のデッキに転げ込んだんです。一瞬で物語のすべてが出来た気がしました。やっぱり小説の神様は降りてきてくれたんだな、と……。しかし、娯楽小説とはいえ、想像だけでは書けません。大切なのは、それまでにどれだけ資料を読み、かつ分析しているかです。イメージが降りてきたとき、それを正確にストーリーと結びつけるには、それだけの用意がないといけないんです。小林:浅田さんはこのシリーズを書き始めた頃から、張学良を非常に強く意識されていたんですよね。浅田:当時はまだご存命中でしたしね。小林:彼は1901年生まれで、2001年に亡くなっています。浅田:晩年はハワイに住んでいらしたんです。あの頃、私は年に一度くらいハワイへ行っていたから、散歩に出てくるんじゃないかと、彼が住んでいたあたりをウロウロしたりした(笑)。結局会えなかったけれど。小林:溥儀に関してはいかがですか。浅田:やはり非常に思い入れがあります。溥儀の自伝『わが半生』は、映画『ラストエンペラー』が作られるずっと前、20歳の頃に私は読んで、世の中にこんなに面白い読み物があるのかと思ったんです。本がボロボロになるくらいに読みました。小林:今回は溥儀について、側妃の文繍(ウンシュウ)が語るという設定になっています。彼女は歴史上初めて、そして唯一中華皇帝と離婚をした皇妃で、その視点で溥儀を描くというのも新鮮ですね。浅田:この離婚劇を書きたかったんです。にっちもさっちも行かなくなった溥儀から逃れ、自由を求める文繍。では家族とは何なのか、自由とは何だろうと私も深く考えました。そして読者の皆さんには、運命に逆らおうとする人間たちの姿からも、何かを感じ取っていただきたい。小林:『天子蒙塵』は10月発売の第一巻に続いて、12月には第二巻が刊行されます。どのような展開になるのでしょうか。浅田:まだまだ続きます、ということだけは言っておきましょう(笑)。『蒼穹の昴』以降、私もこのシリーズとともにいくらか成長しておりますので、より良いものになっていくだろう、と。はっきり申し上げたいのは、『蒼穹の昴』で立ちどまってしまった読者は不幸だということです。あれは壮大な物語の玄関に過ぎないのですからね(笑)。ウーム 文繍さんは女真族の末裔であり、浅田さんの思い入れも深いようです。それから・・・浅田さんの漢族嫌いのスタンスが感じられるのが、ええでぇ♪『天子蒙塵(1)』1この本も満州あれこれR6に収めておくものとします。
2019.02.13
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・天子蒙塵(2)・文明に抗した弥生の人びと・伊藤元重が警告する日本の未来<大学図書館>・郊外の20世紀図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【天子蒙塵(2)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがー。一方、満洲国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟の狭間で、溥儀は深い孤独に沈み込んでいた。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/07予約、2/10受取)>rakuten天子蒙塵(2)【文明に抗した弥生の人びと】寺前直人著、吉川弘文館、2017年刊<「BOOK」データベース>より水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、2/13受取)>rakuten文明に抗した弥生の人びと【伊藤元重が警告する日本の未来】伊藤元重著、東洋経済新報社、2017年刊<「BOOK」データベース>より AI、IoTが生み出す勝者と敗者、保護主義の拡大、日米FTAの行方、働き方改革、生産性をどう引き上げるか、穏やかなインフレで財政再建できるかー団塊世代が後期高齢化する2025年へ向けた課題を読み解く。<読む前の大使寸評>米中貿易戦争という荒波のなかで、経済的な没落に瀕しているニッポンであるが・・・さあどうする?という思いでこの本を借りたのです。rakuten伊藤元重が警告する日本の未来【郊外の20世紀】角野幸博著、学芸出版社、2000年刊<商品の説明>より郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。<読む前の大使寸評>戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。amazon郊外の20世紀********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き356
2019.02.13
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上龍(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<出版社>よりドラッグ・セックス・ロック世代の青春を描き颯爽と登場した村上龍。いまデッドロックにのりあげた世紀末日本を根源から問い直す、もっとも先鋭的な作家のすべてを、同時代の作家・批評家が検証した初めてのアンソロジー。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上龍(群像日本の作家)中上健次との対談「存在の耐えがたきサルサ」を、見てみましょう。<ジャズと快楽幻想>p211~213村上:ビートというと、ジャズとかロックというけど、モーツァルトにもありますからね、フッとした瞬間とか。もちろんバッハにもある。だから極端に言うと、メロディーも、リズムのあり方もビートから追っていく、そういうのが昔からあったんですよ。中上:だから、音楽をメロディーラインで追うんじゃなくて、リズムで追っていくという感じだな。村上:そうです。坂本からいつもバカにされるんだけども、メロディーは甘ったるいのが好きなんですよ、ほんとにもう感傷的なやつがね。中上:坂本龍一に関しては、もうちょっと後で言いたいね。 俺はクラシックとジャズという、しかもクラシックの一番古いものとジャズがぶつかった、そしてもう一つの俺の背景として、紀州の土俗的な世界とぶつかったというところがあるんだけどね。 日本の作家の場合、龍でリズムというのがはっきり出てきたんじゃないのかな。リズムということをすごく気にしているよね。気にしているというか、それが音楽の第一主義みたいなさ。ロックっていうのはまさにそうだよね。村上:ええ。中上:ロックのメロディーラインなんてバカみたいだよ。ロックのリズムは若くなくちゃできないようなあれだろ。村上:絶対そうですね。中上:絶対そうだよな。年取ったらあんなのは・・・。村上:心臓が丈夫でなきゃね。中上:そうだよな。ジャズは違うけど、ロックなんてさ。それをもって表現したというのは、君が初めてだからさ。村上:そうですかね。中上:うん。それはやっぱり地殻変動を起したよね。それは俺にもないところだったよ。俺はものすごく面白いと思った。村上:それはあれとは違うのかな。中上さんから最初に言われた、「」とか、「」って。あれとは違うんですか。中上:あれとは違う。村上:俺、いまでも気になるんだよね。リアリズム好きだから。映画でも小説でもリアリズムが好きなんですよ。中上:それと違うよ。俺、対談を読み直したら、「これラリって書いたの?」と訊いたら、「中上さん、ヌーヴェル・ヴァーグの画面あるでしょ。こっち側があって、向こうがあって、全く等価に見えるみたいのがあるじゃないですか」って、君はちゃんと切り返しているよ。村上:ちゃんと言ってますか。中上:言ってるよ。あれは25歳ぐらいか。村上:まだ24歳かもしれないですよ。中上:それが悪いなんて言ってないぜ。君の小説はこうだって一応措定する、君はこういう書き方している、村上龍という新しい作家はこういう書き方している、つまり俺にはこう見えるということを言う。それはいいか悪いかとは別なんだよ。俺はそういうことで言ったんだけどさ。ちゃんと答えている。村上:言われたから言うわけじゃないけど、ああいうところはあんまり自分でも好きじゃないんです。たとえばあるところを描写するときに、きれいな映画のパンというのはきちんとビーンといくんですね。ダメなやつというのは、変に凝って、ホッと止めて、スッとズームしたりするの。小説の描写でも、そういうのってあんまり好きじゃないの。中上:ゴダールなんていうのはきれいに撮れるのをもう十分知ってて、つまりアップしたままパンをして、全部平面的に並べて撮るとか、そういうことをやったわけじゃない。村上:ゴダールは知ってたんですか。中上:知ってるよ。そう考えなきゃ面白くないもの。村上:そうですね。中上:そうだよ。村上:でも案外映画ってハードに拠るところが多いというか、状況に左右されるから、たとえばジム・ジャームッシュなんかでも、フィックスが多いったって、フィックスしかできないです、全部ロケ撮影だから。そういう中で、ゴダールにとって、あれしかなかったんじゃないかな。中上:そうだとしても、新鮮だった。それは言ってみれば機械の力だよ。ハードガソフトに影響を与え、どうしても新手法を発見させてしまうみたいな、そういうあれだからさ。村上:あ、そうか。中上:それはひとつもマイナスじゃない。(中略)村上:でも、中上さんはいろいろものを知っているからさ。俺は知らないもの、何にも。今日聞こうと思ってたんだよね。中上:そんなことないよ。君は知らんふりをして、俺は知っているふりをしてるっていう・・・。村上:いや、俺、本当に知らないですよ。(笑)でも、中上さんも自分の興味のあること以外は知らないですものね。中上:今度の『新潮』12月号の島田雅彦と柄谷行人の対談、つまんないだろ。大体、柄谷行人のような攻撃型の人間は下のやつに攻撃されると思っていて、あまりみっともない、ジタバタしないでおこうと思ってるから、攻撃が下手だったら、つまんない対談になる。村上:でも、島田は柄谷さんの攻撃はできない。村上龍(群像日本の作家)1:島田雅彦の村上評村上龍(群像日本の作家)2:『ラッフルズホテル』解説
2019.02.13
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上龍(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<出版社>よりドラッグ・セックス・ロック世代の青春を描き颯爽と登場した村上龍。いまデッドロックにのりあげた世紀末日本を根源から問い直す、もっとも先鋭的な作家のすべてを、同時代の作家・批評家が検証した初めてのアンソロジー。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上龍(群像日本の作家)ラッフルズ・ホテルシンガポールの『ラッフルズホテル』を題材にした村上を、見てみましょう。<『ラッフルズホテル』解説:村松友視>p196~199 村上龍がデビューしたのは、私がまだ中央公論社につとめていて、文芸雑誌「海」の編集部に在籍していた頃だった。そのデビューぶりは最近では例のないケースだが、「限りなく透明に近いブルー」の群像新人賞の受賞自体がすでにしてひとつの事件だった。「海」という雑誌はけっこう突っぱっていて、芥川賞を狙うような古くさい編集方針じゃないなんぞと、私は同僚の安原顕あたりとうなづき合ったりしたものだったが、村上龍の出現には二人ともけっこう取り乱してしまった。 純文学雑誌の新人賞などはしょせん狭いゾーンの中の物語にすぎず、とっぴょうしもない才能なんかは最初の粗よりの段階で落っこちてしまうと、私はタカをくくっていた。この常識が破られたことが、まずもって大きなショックだった。「ちょっとヤバイな・・・」 安原顕と喫茶店でそんな言葉を交わしたことを覚えているが、その翌々日に安原顕は講談社の「群像」編集部へ電話を入れて、新人賞村上龍の電話番号をたずねている。そして、「群像」でそれを教えてくれなかったと彼はえらく憤慨していたが、「群像」編集部が連絡先を秘密にしていたこと自体が、新人賞受賞が事件だったという、村上龍のデビューぶりを表していたのだった。 私は、当時ある雑誌の1頁コラムのアルバイト原稿を書いていたが、「群像」新人賞受賞の村上龍について、この彗星のごとく出現した才能を、いったい芥川賞選考委員たちはどのように待遇するのかといった文章を書いた。これだけインパクトをもって登場してしまったら、とりあえずは論じなければなるまい。しかし、「限りなく透明に近いブルー」は、一種スキャンダラスな匂いとともに脚光を浴びていたので、あまり率直に認めるのもむずかしかろうという気がしたのだ。 つまり、「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞選考委員をリトマス試験紙にかけているといった趣きが、外野席から強く感じられたというわけだ。 けっきょく、この作品は芥川賞を受賞してさらに大爆発をした。スキャンダラスな煙幕を張った「限りなく透明に近いブルー」の文学的本質を、さすがに選考委員は見抜いたというのが私の印象だった。しかし、作品がまとうスキャンダラスな衣もまた、芥川賞受賞によってさらに大きく羽を広げたのであり、これに対する反発も強かった。(中略) 一作で終わる大型新人と位置づけた人々を置き去りにして、この何年か村上龍は機嫌よく疾走している。そして衣にかじりついている観客もまた上機嫌なのであって、彼らが上機嫌でいるうちにまた別の衣を・・・こうやって、村上龍は先へ先へと行くのである。 そのように、村上龍はうしろをふり返ることをしないアグレッシブな作家であり、ノスタルジアの領域を好まないタイプなのだ。その村上龍がきわめてノスタルジックな匂いの濃いシンガポールのラッフルズホテルを作品のターゲットにした・・・このことに私は意外な感じを受けたものだった。ラッフルズホテルは、かつてサマーセット・モームが常宿としていた、コロニアル・スタイルの極め付のホテルとして有名だ。そんな古風な舞台を設定して、村上龍はいったいどんな世界を創り上げようというのだろうか。 この小説は映画「ラッフルズホテル」のノベライゼーションということになっているが、それを真に受けると良い意味で裏切られる。私もその一人だったのだが、この作品におけるノベライゼーションという表現は複雑だ。 小説「ラッフルズホテル」には、映画「ラッフルズホテル」に取り組んださいの刺激が、別な棘となって突き刺さっている。つまり、映画「ラッフルズホテル」が小説「ラッフルズホテル」の下地となり、映画をつくるときに刺さった刺激の棘が小説の中で別な光彩を放っているのだ。しかし、小説家はすべての物事を“”するのだから、もしかしたらこれは当然のことであるのかもしれない。だが、このお色直しは小説家なら誰にでもできるといったレベルの世界ではないだろう。 映画のためにつくった脚本、撮影を通じて興味を抱いた女優、シンガポールのラッフルズホテルやマレーシアのフレザーヒルという名のジャングルといったロケ先・・・それらが映画監督村上龍に与えた刺激が、小説をつくる上で存分に作用している。そういう刺激がなくて小説に取りかかったならば、この作品はかなり危険な方向へずれていたかもしれない。(中略) ノベライゼーションというのは村上龍流のノベライゼーションでなければならないのだが、村上龍はこの危ない橋をいとも簡単に、自分流のステップで渡り切ってしまった。あくまで自分の曲想と旋律を厳格に守り、ペースを乱すことなく、しかも即興曲のごとき軽やかさをただよわせて小説を創り上げてしまったのである。(中略) この作品に大きく影を落とすベトナム戦争やニューヨークという視座も村上龍らしい設定だと思う。ラッフルズというあまりにものどかな極東のノスタルジアに、今日的なフレームを与えなければ気がすまないというわけだ。ニューヨーク、金沢、シンガポール、フレザーヒルと切り換わる視座でストーリーが進んだあと、最後のチャプターをシンガポールにおける日本人ガイドのアングルで締めくくっているのも心憎い。村上龍は「ラッフルズホテル」という映画を撮っていたのか・・・観てみたいものである。村上龍(群像日本の作家)1:
2019.02.12
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