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『草枕』夏目漱石(新潮文庫) 本書をぼうっと読んでいて(なぜぼうっと読んでいたかは以下に記します)こんな個所に出会い、突然ふっとグレン・グールドに連想が飛びました。こんな所ですが。 われわれは草鞋旅行をする間、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曽遊を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々して、したり顔である。これは敢て自ら欺くの、人を偽わるのと云う了見ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曽遊を語るときは既に詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。 ははん、と気の付く方もたくさんいらっしゃると思いますが、不世出のカナダのピアニスト、グレン・グールドは晩年、この『草枕』をとても愛読していたそうであります。それも偏愛という言い回しが相応しいくらい。(でも、グールドといえば、有名な「変わったお人柄」ですから。) そして、グールドの読んだ『草枕』の英訳のタイトルが(えーっと、正確な言い回しを失念いたし、誠に申し訳ないのですが)、なんでも『三角の世界』とかなんとか、そんなのだったと、グールドの伝記でしたか、一時期私はグレン・グールドの関する本を図書館から次々に借りて読んでいたことがありまして、そんなことを一斉に思い出しました。 で、今回この個所を読んで、ははあ、ここから取っているんだなと分かった次第なのですが、この個所からタイトルを取るということは、翻訳者はここがこの小説のテーマだと考えたわけでしょうかね、少しストレートすぎるような気はしますが。 要するに、この部分は芸術についての説明個所であり、つまり『草枕』は芸術小説である、と。 なるほど、そういわれれば確かに特に間違っているとは思いませんが、『草枕』と『三角の世界』(不正確で申し訳ありませんが)の表現の持つニュアンスの違いたるや、甚だしいものがあると、くらくらと眩暈のするばかりに思うのですが、これは翻訳の限界なんでしょうかね。 逆に外国語から日本語に翻訳した有名小説なんかにも、元のお国の人が読んだら、「ソレチガイマス。トテモシンジラレナーイ。」などとお思いになっているタイトルもあるのでしょうかね。 もしそうならば、どんなタイトルがそれに当たるのか、ちょっと知りたいですね。 ……サルトル『嘔吐』とか、カミュの『異邦人』なんかに、そんな感じの部分があるとか読んだような気がしますが、どうなんでしょうね。どなたか語学にご堪能なお方、お教えいただけませんでしょうか。どうぞよろしく。 ということで、一応「芸術小説」の『草枕』なんですが、上記の文脈の趣旨の(「趣旨」があるとしてですがー)続きでいいますと、本書にうかがえる圧倒的な文章力は、翻訳でも味わえるものなんでしょうか。 新潮文庫には小宮豊隆の解説がついているんですが、そこに、漱石は本書を読むにあたって、中国の漢詩の源流の一つである『楚辞』を読んだとあります。 この絢爛豪華な漢語の世界は、読んでいて誠に惚れ惚れとする一方、本書の読者たる者はこの程度の教養は当然身に備えてなければならないといわれているとすると、私なんかは第一次面接できっちり撥ねられてしまいます。 この作品が書かれた時代には、これくらいの文章内容は直ちに理解しうる教養人が、けっこう沢山いらっしゃったんでしょうかね。それとも今でも、その総数としてはあまり変わらない程度の漢文脈教養人が、やはりいらっしゃるのかも知れませんね、単に私が無教養なだけで。 つくづく自分の無教養が情けなくなってきます。(この後、いつもなら「例えば」として、本文中の一表現を引用したりするのですが、今回はそれをしようにも、本文に使われている漢字を探し出すだけで、うんざりするくらい時間が懸かりそうなので、やめておきます。) 結局本小説を味わうということは(上記文脈の『草枕』と『三角の世界』の違いを味わうということは)、この漢文脈を味わうということであり(そこに私は自らの情けなさを感じたのでありますが)、それが同時に作品のテーマである「非人情」の内容でもありましょう。 しかし、小説の展開として整理してみれば、本書も「非人情」だけではストーリーを完結しきれておらず、そもそも文中にも「いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼等の特色である。」とあるごとく、『草枕』は人情的展開をもって作品の幕を下ろしています。 ここに気が付いた時、私は「小説の進化」という言葉がふと浮かんだのでした。 21世紀になって既に久しく、ここに至って「世間を出る事」のできている小説や芝居は、たぶんかなりの数に及ぶと思えます。 ただしこれは、進化がそうであるごとく、優劣を表すものではありません。現代は、人間的感情を完全に捨て去った地点から発想していく小説が可能になっているということで、そんな小説が、あるいは「非人情」の小説、なんでしょうかね。 だとすると、なるほど、小説も確かに進化しているのであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.31
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『斜陽』太宰治(新潮文庫) 私の持っている『斜陽』の文庫本は、各ページの周りがぐるりと日に焼けてしまった古い新潮文庫であります。(筑摩の全集は別に持っているんですが。) 今回、読もうと手に取ってぱらぱらと見ていたら、あちこちに傍線が引いてあって、なにやらこちょこちょと書いてあるのに気が付きました。 このへたくそな字は、間違いなく私の字であります。 しばらく読んで思い出しました。これは大学の時に、何かの授業でレポートを書いた(じっと考えて少しずつ思い出してきたのですが、確か「比較文学」とかなんとか、そんな授業だった気がします)その時のメモ書きであります。 でも、別にちっとも懐かしくもありません。 なぜなら改めて読んでみて、何ともつまんないことしか書いていないからであります。 最近、加齢のせいで物事が深く考えられないと思っていたのは間違いで、若い頃から私は何も深い事なんて考えられてないという、えー、なんとも、実に情けないことが分かったのでありました。 それからもう一つ、この『斜陽』は3回目の読書だということが分かりました。(1度目はたぶん高校時代に読んでいます。) で、この度読み終えて、今回の読書がたぶん一番面白かったんじゃないかと、少々自分でも思いがけないことを感じました。 なぜ面白かったかといいますと、それは主人公の「かず子」が面白かったからですね。 「かず子」が面白いということは、つまり、章立てでいいますと、冒頭からだいたい「二」くらいまでが面白かったということであります。 「二」章の最後に「それから、直治が南方から帰って来て、私たちの本当の地獄がはじまった。」とあって、その後、太宰治の分身のような弟直治とか作家上原が出てくるんですが、これらの人物はいかにも晩年の太宰治的であります。 私は太宰治の作品が好きですから、別にそれでもいいんですが、晩年の太宰の作品には、何といいますか、「その心余りて言葉たらず」(これは『古今集仮名序』に書いてある、紀貫之の、在原業平に対する人物批評ですね)という感じの所があって、要するに、小説の人物に作者は溢れるばかりの思いを込めているのに、人物造形としては十分書き込めていないというパターンが見えるように思います。 でも、そこんところにあまり重点を置かずに読めば、本書は結構面白く読めます。 とはいえ、読んでいて「かず子」に感情移入が完全にできるかといえば、まー、やはり完全にはできないわけで、それは再三文中に現れるこんな表現ゆえであります。 「私は、あなたの赤ちゃんがほしいのです。」 この手の表現が、ほんとうに何カ所も出てきます。 わたくしこれを読んで、あれこれ考えたり想像したりするのですが、どうもよく分かりません。もちろんそれはおまえが男だからだろうと、まー、考えられましょうが、文中「かず子」の科白にこんな表現も出てきます。 チェホフの妻への手紙に、子供を生んでおくれ、私たちの子供を生んでおくれ、って書いてございましたわね。ニイチェだかのエッセイの中にも、子供を生ませたいと思う女、という言葉がございましたわ。私、子供がほしいのです。 ここにも子供が欲しいとありますね。 えー、少しヘンな話になりますが、普通女の人は(男の人もかな)、こんなふうに極めて主体的に子供が欲しいと考えて、そして妊娠なさるものなんでしょうか。 うちの場合は、もっとアバウトといいますか、他人任せ(「他人」じゃなく「自然」任せ、他人に任せてたら大変ですー)といいますか、無責任といいますか、なんか気が付いたらできていたという(それはお前ところだけだ!って突っ込まれたらそんな気もしますがー)、そんなんでありました。 ということで、ここん所がきちんと感情移入ができないんですが、一つ気づいたのは、これは男女の感じ方の差ではなくて、(『斜陽』を読む上では当たり前なのかも知れませんが)作品舞台の日本の徹底的敗戦という前提に、どれだけ実感をおけるかということが、理解のポイントだということであります。 なんか当たり前の結論になってしまいましたが、なぜこんな当たり前のことを改めて感じたのかというと、私が普段、太宰作品からこういった「時代性」を感じることがほぼなかったからであります。 人間関係と人間心理を描く太宰の作品には、作品舞台の時制に囚われない普遍性があります。本作にももちろんそれは見られ(それがむしろ前半部に多く見られ)、少なくとも私にとっては、太宰作品の艶やかな大きな魅力であります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.28
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『目玉』吉行淳之介(新潮文庫) 作家の司馬遼太郎は、……と、今「作家」と書きましたが、彼は亡くなる8年前から、小説家としては筆を折っていました。 最後の小説は『韃靼疾風録』で、その時の彼の年齢は65歳でありました。 今こうして改めて書いてみますと、65歳という年齢はいかにも若いような気がするのですが、そんなことないですかね。 というのも、小説の筆を断った理由が、確か、この年齢になり小説の構成について納得いくものが作れなくなったという趣旨のものだったと記憶するんですが、もちろん司馬遼太郎が書くタイプの小説としては、ということでしょうが(つまり総ての小説について汎用的に言えることではなくということですが、当たり前ながら)、やはり65歳というのは、少し早い気がしますね。 例えば、と挙げていけば、きっとたくさんの作家の名前が挙がるんでしょうが、その中でたぶん一等賞に近い人として、まず、野上弥生子氏、最後の小説『森』執筆時99歳というのがあります。99歳ですよ、凄いですねー。というより、これって凄すぎませんか。 まー、このケースはかなり特殊でしょーねー。 見方をちょっと変えて、別の小説家を挙げてみます。 谷崎潤一郎が65歳の時にどんな仕事をしていたかとみますと、『細雪』の執筆を終え、『源氏物語』の新訳も一応の区切りをつけ、次の話題作が70歳の『鍵』であります。 ……ふーむ、やはり65歳という年齢は、小説家にとって、晩年に向けてのターニングポイントといえそうな年齢という感じが、少ししますね。(谷崎はさらにその後も『瘋癲老人日記』なんて怪作を書きますが。) ところでその谷崎が、47歳の時に書いた傑作『春琴抄』なんですが、……えーっと、さっきから『春琴抄』の執筆事情について谷崎が書いた文章を探してたんですが、どーも見つからず、仕方がないので、申し訳ないながらうろ覚えで書きますね。どうもすみません。 確かこんな内容だったと思います。 ストーリーがほぼ浮かんだ後、さてそれをどういう文体で書くべきかを考えた谷崎は、あれこれ考えたが、描写するのが少し面倒に思えたので、結局「楽」なこの形を取った、と。 この形とはつまり、「語り」の文体ですね。 しかし面倒だからと選んだ「語り」文体でこんな凄いものを作り上げるのですから、全く天才という人達は、何をしでかすものやら困った人達ですね。(もちろん、何も困りはしませんがー。) ……えっと、話を戻します。描写が面倒、という部分であります。 年を取っていくと、描写って、きっと面倒になってくるものなんですよね。 司馬遼太郎は加齢ゆえの構成力の難を指摘しましたが、あるいは同種の趣旨なのかな、と思います。 と、ここまで引っ張って、さて、冒頭の短編小説集についてであります。 吉行淳之介がこれらの短編を書いたのが、やはり65歳あたりなんですね。しかし、吉行はこれらの短編小説を、谷崎型を取らずに、いうならば「志賀直哉型」で書きました。 志賀直哉型というのは、要するに心境小説的な書きぶりですね。 (そういえば志賀直哉の『灰色の月』は、筆者63歳の時の作品であります。) まー、もともと吉行氏を含む「第三の新人」といわれる方々は、私小説の伝統の許にある方が中心であります。(そうじゃない方もいらっしゃいますよね。そもそも「第三の新人」なんてまとめ方が、極めて便宜的なものですから。) ただ私が読んでいて少し気になったのは、本書に入っている短編七作のほとんどが、心境小説的な筆致であるのに加え、ストーリーが連想によるモザイク化していることであります。(例外もあります。『いのししの肉』『葛飾』などは一本道のストーリーで、私としては面白かった分です。) 短編で、心境小説で、ストーリーがぶつ切れになれば、それはほとんど「~をめぐる思い出」みたいなものになっちゃいませんかね。 本作でいえば、「病気をめぐる思い出」であります。 これもまた私の勝手なイメージなんですが、吉行淳之介と病気はとってもよく似合う、と。それも、特に循環器系の病気に、「いかにも」という感じがします。 事実この方は、幼時から少年時代は喘息で、成人後は肺疾患でいらっしゃいました。自ずと病気をめぐるエピソードには事欠きません。 文章も、さすがに随所にきらりと光るものがあったりします。例えばこんな文。 眼の手術には、とくに感覚に軋むところが多い。麻酔にしても、鉤状に曲った大きな針を、下瞼のあたりに射して深く入れる。目玉と注射という取り合わせは、考えただけでかなりこたえる。(『目玉』) こんな文章なんか、いかにも「循環器系疾患的透明な明晰さ」(何なんでしょうね、この表現は)って気がしますよねー。 というわけで、65歳のすでに「大家」であった筆者の作品は、身辺雑記と違いがよく分かりませんでした。 結局日本文学(それも「純文学」)を楽しむとは、こんな小説を楽しむことなのだとは思うのですが、ごくごく個人的に、わたくしは一抹の寂しさを感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.24
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『お目出たき人・世間知らず』武者小路実篤(岩波文庫) 上記タイトル中の前者の小説の冒頭部、丸善で本を買っての帰り、四つ角で見知らぬ二人連れの女性を見つけた主人公が、彼女たちをじっと見ながら思う部分です。 二人とも美しくはなかつた。しかし醜い女でもなかつた。肉づきのいい一寸愛嬌ある顔をしてゐた。殊に一人の方は可愛いい所があつた。 自分は二人のゐる所を過ぎる時に一寸何げなくそつちを見た。さうしてその時心のなかで云つた。 自分は女に餓ゑてゐる。 誠に自分は女に餓ゑてゐる。残念ながら美しい女、若い女に餓ゑてゐる。七年前に自分の十九歳の時恋してゐた月子さんが故郷に帰つた以後、若い美しい女と話した事すらない自分は、女に餓ゑてゐる。 ……なるほどねぇ。引用部の後半4行のうちに、「女に餓ゑてゐる。」という表現が4回も出てきていますよ。すごいですねぇ。 本作が、書き下ろし単行本として発表されたのは、明治44年(1911年)であります。 田山花袋の『蒲団』が明治40年で、森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』が明治42年ですから、確かに本作もなかなかのものですよねー。 ついでに、イプセンの『人形の家』のノラのような「新しい女」を、師弟で描いたまず漱石の『三四郎』が明治41年、森田草平の『煤煙』が42年ですから、ちょうどこの辺りの年代って、近代日本の新しい女性観の萌芽、ということはつまり、新しい恋愛観の「ハシリ」の時期だったのかも知れませんねー。 なるほど、そこに武者小路実篤も乗ってきて、「女に餓ゑてゐる」と4回も書いたわけですか。 確かに改めて考えてみれば、こんなフレーズって、思いついてもなかなか書けるものではありませんよねー。何か強い思いこみのような意志が(あたかも白樺派的ノー天気な意志が、あ、書きすぎ)なくっちゃ。 中年の作家が、若い女弟子の去った後、彼女の使っていた蒲団に顔を埋めて臭いを嗅ぐという変態的な田山花袋の『蒲団』と、まー、考えようによっちゃ、「双璧」という感じなきにしもあらずでありますなー。 また、『世間知らず』には、接吻の場面が何回も出てくるのですが、確か森田草平の『煤煙』もそうだったですね。 ところが漱石が、弟子の書いたこの『煤煙』と比べて、武者小路の『お目出たき人』を褒めているということを、私は本書の解説で初めて知りました。 漱石が小宮豊隆に出した手紙に書いてあるということで、それによりますと、漱石門下生達が本作に批判的な文章を発表しているのに対して、漱石が、お前達は武者小路の良さが分かっていないとたしなめた文章であります。 そして漱石は、本作に見える武者小路のうまさを、どの点において褒めているかというと、要するに、恋愛を知ったかぶりもせずに、実に徹底して素直に書いてあるのがよい、ということのようです。 ……うーん、なるほど。……しかしねぇ。 確かに漱石の批評眼には定評がありまして、彼の褒めた作家・作品は文学史に名前を残しているものがとても多いのですが(芥川はいうまでもなく、それ以外にも例えば、中勘助の『銀の匙』とか長塚節の『土』とか)、そして確かに武者小路も、後世文学史に名前の大きく残っている作家ではあるのですが、しかし漱石のこの褒め方は、分からないでもないが、かといって納得できるものでもないような気がするのですが、えー、そんなことありませんかね。 わたくし思うのですがね、これは「敵の敵は味方だ」的な、本当の意図は少し別の所にある批評なんじゃないかしら、と。 つまり、本当の敵とは「自然主義」であります。 どうです? そんな気が、しませんか? ともあれ、武者小路実篤の実質的なデビュー作と、続く第二作目がこの二小説であります。そして確かに、この二作中には武者小路文学の持つあらゆる要素が詰まっている感じではありますが、そんな作品を読んで、実は私は、よく言えば「武者小路は永遠の青春文学である」と思いましたが、一方で少し意地悪にいえば、「もはや大人は読んでられない」という、かなり恐れ知らずな感想も抱いたのでありました。 例えば太宰治の作品を、「永遠の青春文学」などという言い回しで表すことがあるようですが、太宰作品に見える人間観察は、決して青春期だけで完結するものではありません。 しかし、武者小路のこれら作品に見られる青春像は、正に青春期特有の長短所のデフォルメでありましょう。自分にもそんな時期があったと振り返ることは可能でありますが、そこから人生の成熟期に相応しい新たな糧を得るのは、かなり困難な気がします。 そんな意味でいいますと、今回の読書は、人生の長距離走の折り返し点を遙か以前に走りすぎた私の選択ミスであって(しかし、この小説は私どちらも再読のような気がするんですが)、本作の本質的な価値に言及するものではないと、最後に少々、「罪滅ぼし」を書いておきますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.21
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『月山・鳥海山』森敦(文春文庫) どうもいけません。 何がいけないといって、よーするに書いてあることがちっとも分からないんですね。 いえ、本小説のことではありません。(本当はちょっとくらいは本小説のことでもありますがー。) 何がちっとも分からないかというと、解説の文章のことであります。 解説の文章なんて、そんなもの分からなくてもかまやしないという考えもありましょうが、これだけ何が書いているか分からないと、ちょっと不安になってきます。 本書の解説は、小説家の小島信夫が書いているんですね。 小島信夫といえば、「第三の新人」グループの中でも極めて異色な作家で、特に晩年になっていくほど、ほとんどシュールレアリスムみたいな作品が出てきたりしていました。 まー、そんなシュールっぽい作品を書くような方だから、解説文も一筋縄ではいかず、一つの作品のごときものである故、だから何が書いてあるか分からない、と。 そう考えることもできます。それに、解説文と書きましたが、実はこの解説は本書のために書かれたものではなく、雑誌に文芸時評みたいに書かれたものの転載であります。 ということは、ますます一つの評論としての文芸作品だから、小島カラーでシュールっぽく、何が書かれているかさっぱり分からない、と思ってもいいわけではあります。 ただ、面白い指摘もありました。 というより、この指摘が興味深いゆえに、他の分からない部分がじれったいという思いなんですが、こんな指摘です。 (略)漱石の名をあげたのは「月山」という小説がひどくおおざっぱにいったとき、「草枕」に似ているが、「明暗」をへた「草枕」だということをいいたいからである。 この指摘は、読んだ時はっとしましたね。さすがに鋭い感性と分析力だなと思いました。 実は本作は、まさにそんな話です。そして「草枕」の話が、なんともストーリーとしてよく分からないように(ただし私が「草枕」を読んだのはずっと昔で、単にストーリーを忘れているに過ぎないのかも知れません。また読み返さなくっちゃ)、この話もほとんどストーリーが、何といいますか、ないんですね。 こういう筋らしい筋のない小説は、かつて芥川が谷崎と論争したそんな昔より、連綿と日本文学の中に繋がっています。 本作も、全体として紀行文のように月山・鳥海山界隈の自然と風土と、そしてそこに住む人間の様子を綴っています。その筆致は、さすがになかなかのものだとは思います。例えばこんな感じ。 遠くこれを望めば、鳥海山は雲に消えかつ現れながら、激しい気流の中にあって、出羽を羽前と羽後に分かつ、富士に似た雄大な山裾を日本海へと曳いている。ために、またの名を出羽富士とも呼ばれ、ときに無数の雲影がまだらになって山肌を這うに任せ、泰然として動かざるもののようにも見えれば、寄せ来る雲に拮抗して、徐々に海へと動いて行くように思われることがある。海抜二.二二九メートル、広い庄内平野を流れる最上川を挟んで遙かに対峙する月山よりも僅かに高く、ともに東北地方有数の高山とされているが、たんに標高からすれば、これほどの山は他にいくらもあると言う人があるかもしれない。しかし、鳥海山の標高はすでにあたりの高きによって立つ大方の山々のそれとは異なり、日本海からただちに起こってみずからの高さで立つ、いわば比類のないそれであることを知らねばならぬ。 この文章は、連作「鳥海山」の中の第一話「初真桑」の冒頭ですが、実に見事な文章ですね。めちゃめちゃ気合いが入っています。 この気合いの文章だけでも、読むに十分だといえばそうなんでしょうが、ただねー、私としましては、これにもうちょっとよく分かる筋らしい筋が欲しいんですけれど、それって、ピントはずれな要求なんでしょうかねー。 本文庫本には、「月山」のタイトルの連作で「月山」と「天沼」という二つの話、そして、もう一つの連作が「鳥海山」のタイトルで五つの話が入っています。けっこう長いです。340ページあります。 ところが、その中で印象に残るくっきりとしたエピソードは、私としては、一つきりであります。(これだけ極端なのは、もちろん私の乏しい読解力ゆえでありましょうが。) それは、村にやってきたよそ者で行き倒れになった者をミイラにしてしまう、という話なんですが、これは印象的でした。 しかし、340ページでそれしかない(低読解力の私ゆえですが)という読書は、これは、けっこう辛いと思いませんか。 辛かったです。 上記に触れましたが、筋らしい筋がなくて、その代わり美術品のように鍛え上げた文体の力で読ませる小説は、日本文学の中に長く続いており、またそんな作品に対する評価は、今に至っても極めて高いように思います。 ただ、ちょっと、わたくし、思うのですが、評価、高すぎません? もちろん読んでいて心地よい名文は、読書の楽しみの大切な部分ではありましょうが、もう少し筋の方でも読者に「サービス」していただけないものでしょうかねぇ。 私のような「下手の横好き」っぽい読者も、世の中にはけっこういると思うのですが。 そんなことを、ふと考えました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.17
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『都会の憂鬱』佐藤春夫(新潮文庫) 先日ぼんやりと新聞を読んでいましたら(最近ぼんやりとしか文字が読めないんですが、これは加齢のせいというより、そもそもの頭の作りがアバウトなせいだとは思いますが、どちらにしても困ったものであります)、作家の津島佑子さんが、ヨーロッパと日本の大学の作り(「建学の精神」ってもんですかね)について触れていらっしゃいました。 簡単にまとめますと、ヨーロッパの大学の建学理念には、神学研究という太い柱が伝統的継続的にしっかりと根付いているが、日本の場合は、明治維新以降の「文明開化」「富国強兵」政策のための学問という、いわば「便宜的」なものしかない、と。 (明治以降の大学制度の前身としては、江戸時代の幕府や各藩の学問所の系譜はあるものの、それは維新後の「文明開化」の名のもとに伝統と切り離され、実質的には建学理念の継続性はほぼないという説明もありました。) そしてその結果どうなったかというと(このあたりから、この津島氏の文章のまとめは、ほとんど私のバイアスの懸かったものになっていきますから、よろしく)、『坊ちゃん』が生まれた、と。(ははは、は。自分の文章になったとたんに、めちゃめちゃな論理展開ですなー。) いえ、それは別に『坊ちゃん』でなくてもよく、二葉亭『浮雲』の内海文三でもよく、鴎外『舞姫』の太田豊太郎でも、……おっと彼は危ういところで、坊ちゃんや文三の仲間にならないですみましたが、要するに明治国家や社会の中の、エリート「落ちこぼれ」であります。 たとえそれが痛快であっても、客観的に見ればその地を敗れ去っていくという『坊ちゃん』の物語は、必ず敗れ去る者(=必敗者)独特の美意識と、近代日本の国家や社会が内包している矛盾や底の浅さをその視点から暴いていくという作品の原型を作り上げました。(漱石の前期作品群は基本的にこの原型を踏襲しています。) そんな日本文学の「必敗者」の系譜の発生原因が、最高学府である大学の理念ならぬ理念から生まれているという津島佑子氏の指摘は、なかなか面白いものでありましたが、実は冒頭本書の主人公も、この「必敗者」であります。 ただ、本書の主人公を見ていますと、『坊ちゃん』型の必敗者、つまり近代社会制度からのアウトローというより、文芸思潮的にいえば「私小説」の系譜という側面の方がより強く描かれていそうです。 それはつまり、実学や経済活動が唯一の正しい国家の根源であり、その研究と追求こそが最高学府の使命であると考えられていた時代に、いかにも「無用者」的である文学を目指す自分(=作者)の社会的学問的立場は何かを描く、ということであります。 それは例えば太宰治的にいえば(太宰は一筋縄ではいかない「私小説作家」でありますが)、彼がヴェルレーヌの言葉として引用した「選ばれてあることの恍惚と不安」、すなわち表現者の自負と苦悩を描き、そして究極的には、上述した「必敗者」へと繋がっていきます。 さて、上記に「必敗者独特の美意識」と書き、「表現者の自負と苦悩」と書きましたが(これは一種のナルシズムだと思うのですが)、思いの外にこの「賛同者」は多く、かなり多くの作家が一度はこのテーマに筆を染めています。(それは近代日本文学に延々と私小説的方法論が継続しているからでもありましょうけれど。) いわゆる「私小説作家」の作品は、ほぼ総てがこれに当たるように思えますが、彼ら以外でも、例えば芥川は『戯作三昧』に、谷崎は『異端者の悲しみ』に、三島は『仮面の告白』に、鴎外はそれをさらに二段構えにして『妄想』に描いており、他にも探せばきっとまだまだ出てくると思います。 さて、冒頭の佐藤春夫作品に戻りますが、主人公は「必敗者」と「選ばれてあることの恍惚と不安」を一身に引き受けているかのごとき人物です。ただ、佐藤春夫のオリジナリティとしては、やはりその文体にあると思えます。 姉妹作である『田園の憂鬱』の、情念と感受性の過剰めいた文体とはかけ離れておりながら、客観的、重層的に描く筆致は一方で終始ユーモアを含み、作品世界に広がりと深みをもたらせています。 ただ、設定された主人公の「必敗者」のあり様は、強調して描かれているゆえでありましょうが「憂鬱」というよりは「薄志弱行」めいていて、楽屋落ちと紙一重の所に位置し、単なる判官贔屓のような偏った美意識のようにも感じてしまいました。 本作も、日本文学になかなか柄の大きい骨太の主人公・作品が現れない一例、といってしまえば、やや単純化しすぎでしょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.14
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『天使は瞳を閉じて』鴻上尚史(白水社) 本書に「ごあいさつにかえて」という筆者の前書きがあるのですが、その中に「テントジ」という言葉が出ています。 それが目に止まって、私は、なんだかとても懐かしい気持ちになりました。 と申しますのも、私の娘が高校生だった「今は昔」、娘の親友が演劇部だったこともあって、そしてもちろん私も高校演劇に興味があったからですが、今考えますとあれは県大会なんでしょうかね、結構な数の高校の演劇部が競い合うという大会を見に行きました。 ホールで一日中しているんでよね。それも確か二、三日間。 とっても全部を見切れるものではありませんでしたが、でも適当にセレクトして適当に見ていると、それが結構面白かったりして、たぶん3年間(娘が高校在学中ですね)私は毎年見に行きました。 そしてその時、よく上演されていたのが「テントジ」でありました。 いえ、私はこの『天使は瞳を閉じて』を「テントジ」というなんて事は当時知らなかったんですがね。 しかし、『天使は…』を「テントジ」というのなら、同じく鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』はなんていってたんでしょうね。「アサユウ」ですかね。これはちょっと面白くないですね。どなたかお教えいただければ幸いです。 あの頃、高校演劇でよく演じられていたのは鴻上尚史以外にどんな方がいらっしゃいましたかね。……うーん、よく憶えていないですねー。 成井豊、北村想、……後はよく憶えていないですねぇ。 とにかくそんな劇作家のお一人として私は鴻上尚史を知ったのですが、この度、例の大型古書籍販売チェーン店でたまたま見つけたもので、買ってみました。 いやー、懐かしい。 いえ、懐かしくはあるのですが、……懐かしくはあるのですが、しかし、これはいったい何なのでしょうね。 ……ここんところ、ぼちぼちと戯曲を読んだりしているのですが、そして本書の場合はさほど極端なものではないのですが、読み終えると、戯曲と表現形式について考えてしまう作品がとても多いです。 つまり戯曲という表現が、書籍というメディアに本当にマッチしているのかということであります。 昔の戯曲は、読んだ後そんなことを思うことは余り無いですね。戯曲と書籍との幸福な蜜月時代であったのでしょうか。 ところが、戯曲と書籍との仲は、近年急速に「性格の不一致」が表面化してくるんですね。それは、小説と書籍との仲とは比較にならない質量においてであります。(小説と書籍だってきっと、本当のところ、そんなに仲むつまじいわけではないでしょうが。) その説明について、ちょっと視点を変えまして、オペラの変遷をアバウトに取り上げて(精密に取り上げるには私の知識が少なすぎますゆえ)、考えてみますね。。 オペラの黎明期、主役は何といっても人気歌手でした。その歌手の歌が聴きたくて人々はホールに集い、歌手はそれに答えて自らの芸を力一杯披露していました。その場において作曲とは、歌手のためにどれだけいい曲を作るかということであり、特に話の筋は、ほぼどうでもいいという程度のものでありました。 その後、オペラの中心は、作曲家になります。 作曲家の名前で客が入るようになり、今度は歌手は、或る意味交換可能な「部品」になっていきます。オペラの最盛期ですね。ロッシーニあたりから始まって、モーツァルト、ヴェルディ、ワーグナーなんかの頃でしょうか。 ほど経て、次にオペラの主役となったのは、指揮者であります。これが大体、二十世紀の中盤当たりでしょうか。 この理由は、はっきり言うと、オペラに際だった新作が作られなくなったからでありますね。(さらにそれは、オペラという形式が、もはや時代に対応しきれなくなった結果であります。)やはりカラヤンの名前が挙がりますねぇ。 そして現在、いわれているオペラの主役は、演出家である、と。これは、歴史的な流れでいえば、オペラの退廃期(衰亡期?)でしょうか。少し意地悪な言い方をすれば、作品の解釈を変えて目先を変える、……とは、やはりちょっと言いすぎでしょうかね。 さて以上の歴史的変遷の傾向を簡潔にまとめますと、作品における純粋音楽的部分の重要度の割合が、どんどん下がってきたということであります。 (一部のスポーツにも同様の傾向があると聞きます。フィギアスケートとか、新体操とかにおいて、純粋身体能力的部分の割合が下がりつつある、と。そしてその代わりに相対的に重視されつつあるのが、ファッション、だそうです。ちょっと驚きますね。) この傾向は、まー、客観的に述べますと、総合芸術への志向というものでありましょうか。それがいいとか悪いとか言っても仕方なく、もはやこの流れは止められない「時代の流れ」でありまして、その潮流の中にまさに演劇も乗っている、ということであります。 (突飛な例ですが、医療の世界も同様ですよね。現代の主流はチーム治療でしょう。かつてのように一人の医者がリーダーで、他のメンバーはその指示を聞くだけという治療では、現代の複雑化した医療はとても対応しきれないんですね。まさに時代の流れです。) ということで、本来の読書報告に戻りまして、まず一点。 本書を読んで、私ははっきり言えば、とても軽いものを感じたのですが、それは、演劇における文字担当部分の重要度が相対的に縮小したからで、時代潮流的に当然のことである、と。 そしてきっと、作品全体の「総重量」は、何ら変わっていないのでありましょう。 で、もう一点ですが、それは上記の「書籍と戯曲」の関係のことであります。 例えばオペラのCD化について、オペラをこのメディアに乗せることの意味はもはや終わっているという意見がある如く、「戯曲本」というメディアも、現代演劇という総合芸術の成熟の中で、そろそろ息の根を止められつつあるのではないか、と。 いえ、もちろん私は、それに賛成しているわけでは、全くないのですけれど……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.10
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『戯作三昧・一塊の土』芥川龍之介(新潮文庫) 本文庫本の収録作品は、こんなラインナップです。 『或日の大石内蔵助』『戯作三昧』『開花の殺人』『枯野抄』 『開化の良人』『舞踏会』『秋』『庭』『お富の貞操』『雛』 『あばばばば』『一塊の土』『年末の一日』 本書の解説を吉田健一が書いているんですが、それによると芥川の歴史小説は、「今昔もの」「切支丹もの」「王朝もの」「江戸期もの」「明治開化期もの」と分けることができるということでありますが、えーっと、でも、これって、日本史の時代区分ほぼ全部じゃありませんか。だってこういう事でしょ。 「王朝もの」……平安時代 「今昔もの」……平安時代後期~鎌倉時代 「切支丹もの」……安土桃山時代~江戸時代初期 「江戸期もの」……江戸時代 「明治開化もの」……明治時代初期 ちょっと弱いのは「中世」ですかね。奈良時代も弱そうですが、そもそも奈良時代の小説なんて、全体として余り無いんじゃありませんかね。(だからこそ書けば良かったという考え方はもちろんありますが。) 芥川の小説家としての実動期間を以前調べてみたことがあるんですが、わずか約十年なんですね。(1917年処女短編集『羅生門』上梓から1927年睡眠薬自殺として。) それを考えますと、書きも書いたりという感じがします。それも、一定のレベルを常に維持し続けて。 とはいえ、やはり本人にも得意不得意はあったでしょうし、はばかりながら読者にも少々好き嫌いがあったりします。 今回の短編集の中で私が一番面白かったのは、やはり『戯作三昧』かなという気がします。 有名な作品ですし、出来もよさそうですし、たぶん私も過去に読んだ覚えがあるんですが、今回特に思ったのは、やはり作家はこんなのを書きたく思うのだなということでありました。 これは同じく芥川の『地獄変』とセットの話ですよね。『地獄変』がネガで『戯作三昧』がポジ。表現者の光と陰ですね。 特に『戯作三昧』には、(最後にアリバイのようなエンディングはありますが)思いの外に作家が表現者としての自分自身を赤裸々に描いています。例えばこんな部分。 馬琴の経験によると、自分の読本の悪評を聞くと云う事は、単に不快であるばかりでなく、危険もまた少なくない。と云うのは、その悪評を是認する為に、勇気が沮喪すると云う意味ではなく、それを否認する為に、その後の創作的動機に、反動的なものが加わると云う意味である。そうしてそう云う不純な動機から出発する結果、しばしば奇形な芸術を創造する惧があると云う意味である。時好に投ずることのみを目的としている作者は別として、少しでも気迫のある作者なら、この危険には存外陥り易い。だから馬琴は、この年まで自分の読本に対する悪評は、なるべく読まないように心がけて来た。が、そう思いながらもまた、一方には、その悪評を読んでみたいと云う誘惑がないでもない。 どうですか。ほとんど、楽屋話か創作余話の様ではありませんか。 この作品は1917年に書かれていますが、なるほど、芥川の、職業作家と呼べるような呼べないような「駆け出し」の頃の、小説との蜜月時代を扱ったものゆえかも知れません。 ついでに、もうひとつ、思ったことがあるのですがね。 それは、なぜ馬琴なのかと言うことです。馬琴と言えばいわずと知れた大長編作家ですし、一方芥川は何度か長編小説(中編小説?)に挑戦し、そのたびに失敗しています。(『偸盗』『邪宗門』などがそうですね。でもこれらのお話は、現在の未完の形でも結構面白いんですけどねぇ。) そんな典型的な短編小説作家の芥川が、なぜ自らの内面を語るに大長編作家馬琴をモデルとしたのか、このテーマは、この視点でいろんな作品を読み直してみたら、ひょっとすると瓢箪から駒で、何かが出てくるかも知れませんね。 ともあれ、『戯作三昧』の、牧歌的といってもよい創作活動そのものがテーマの話は、その後この作品のネガのようなペシミズムの見える『地獄変』(1918年)を経由して、とうとう晩年には『歯車』の様な痛々しい姿になってしまいます。 芥川の師であった漱石の、小説家としての実動期間もほぼ十年。(1905年『猫』連載開始から1916年死去まで。) 漱石は芥川に、花火になるな牛になれという有名な手紙を送っていますが、芥川は奇しくも師の職業小説家期間とほぼ同量の小説家期間を過ごした後、牛になれずに花火となって自死しました。 漱石は、晴れて職業小説家になった時、肺腑にたくさんの空気が入るような気がしたと書きましたが、そのような小説との蜜月時代は、見る見るうちに過ぎ去り、その後小説は、彼を殺した胃病の最大原因となってしまいました。 芥川も、こんな所まで師に倣わなくてもよかったのにという気が、つくづくしますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.07
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『回転人魚』野田秀樹(新潮文庫) 例えば、監督ミロシュ・フォアマン、脚本ピーター・シェーファーの映画『アマデウス』の中に(もうあの映画が30年以上も前の映画なんですよねー)、モーツァルトへの激しい嫉妬に苦しめられ、彼を陥れようとしていた宮廷楽師のサリエリが、モーツァルトの書いた楽譜を見て驚愕しつつも、神の寵愛を一身に受けたごとき美しい楽曲に陶酔してしまうというシーンがありましたが、えー、あんなものなんでしょーかねー。 例えば、パウル・クレーとかワシリー・カンディンスキーの抽象絵画。 何が描かれているかさっぱり分からない絵を見て(分かる絵もありますが)、何が描かれているかさっぱり分からないと言う感想は、まぁ、あまり意味がないですよねー。 だってもともと特定される具象を描いていないわけですから。 色と色の響きあいとか、色の深みとか、画面構成とか、そんなものから何かを感じて、そして私たちは、結構いい気持ちになったりします。 あんなものなんでしょーかねー。 別に芸術ぶらなくたっていいですよね。 今私の眼の前には一本のコーヒースプーンがありますが、キッチンのスプーンが入ってある引き出しから、私が取り出すスプーンはたいてい決まっています。 柄の部分が細くて、すくう部分との接続部がきゅっと締まっていてとってもチャーミングなヤツです。 と、書きましたが、こんなのと同じなんでしょーかねー。 ……えー、冒頭から何を訳の分からないことを書いているのだとお思いの貴兄、まことに申し訳ございません。これからその説明をさせていただきますが、それと同時に、人は、訳の分からない文章を読み続けさせられると怒りがこみ上げてくるということを、身をもって理解していただきたかったというねらいもあります。 はっきり申しまして、今回冒頭の戯曲集を読みまして、わたくし、何も分かりませんでした。(厳密に申しますと、やや上記表現には語弊があります。少しくらいは、感じるところがありました。) 何も分からないものをずっと読ませられますと、だんだん怒りがこみ上げてきますよね。 まさに今回の私の読書風景はその如きものでありました。 しかし私の偉いのは(自分で褒めるなよー)、物事は客観的に判断するべきだという考えが働くところでありまして(そんな考えなんか犬に喰われてしまえという考え方ももちろんあります。でも小心者の私はそんな畏れ多いことはとても言い出せず)、あれこれと考えた過程が上記の三例なのですが、一応、ちょっとだけ説明してみますね。 まず一つ目の『アマデウス』の話ですが、要するに、戯曲というのはひょっとしたら楽譜と同じものなのかしらん、という思いつきであります。 わたくし、クラシック音楽が好きで結構あれこれ聴いたりするのですが、はばかりながら楽譜は全く読めません。見事に何にも分かりません。 だから例えば、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番の楽譜を見ても、全く快感には浸れません。でも楽譜を読める人は、あたかもサリエリの様に、目で見て陶酔してしまうものなんでしょうか。 そして、戯曲とは、それと同様の表現形式なのでしょうか。 次に二つ目の話なんですが、これは我々が「分かる」という意味は、文字に直して説明ができて、そして納得しているに過ぎないということを考えたんですね。 女性が描かれた絵を見て我々が分かったというレベルは、「あー、女の人が描かれているな。なるほど巧いものだ、まるで本物そっくりだ。」という程度に過ぎず、本当はこんな理解こそ、その絵を何も分かっていないのと同じなのだ、と。絵画理解とは、言葉による言い換えが目的ではないのだ、と。 そして三つ目の話は、そんな風に考えてみると、現実の日常生活において、我々の持つ好悪の感覚や判断の基準は、よく考えてみれば、言葉=意味を媒体としていないものの方が遙かに多いということに気づいたわけです。 「センス」とか「感覚」なんてものは、そうとしか言い表せず、そして実は我々の日常生活の様々な判断基準は、ほとんど「言葉とは無関係な感覚」に拠っているんですよね。 つまり、野田戯曲とは、そんな戯曲なのである、と。 これで一応、(似非)客観的な理解はできました。 でも本当は、そんな屁理屈をこねていないで、一度足を運んで舞台に臨めばよろしい、というのが一番の正解なのでありましょう。 しかしねー、漱石の『猫』に出てくる珍野苦沙弥先生のごとき「牡蠣的性格」の私と致しましては、一応文字で描かれた印刷物はやはりそれだけで一応の完結を見せて欲しいと思うばかりなんですが、こういう考え方ってきっと、100年くらい遅れた文学観なんですよねー。 でもねー、例えば武者小路実篤の戯曲『その妹』や、井上ひさしの戯曲『父と暮らせば』のクライマックスにおけるいかにも劇的な「意味」ある言葉による感動的表現は、戯曲として、そんなに簡単に棄てていいものとも、思えないんですがねぇ。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.03.03
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