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『鍵』谷崎潤一郎(中公文庫) たしかー、高校の二年生か三年生の時に、私は本書を初めて読んだと思います。 しかしなんで、こんな本を高校生の時に読んだのかなー。 でもそれは、分からないでもありません。 要するに「性」への興味ですね。もっと即物的に言いますと「谷崎のヘンタイ小説」に対する興味であります。 ついでに、この「谷崎のヘンタイ小説」というフレーズは、三島由紀夫のエッセイか何かに書いてあったと思います。若かりし日読書をしていた三島に、確か叔母さんか誰か、年輩の女性が「また谷崎のヘンタイ小説を読んでいるのか」とからかったという場面だったと思います。 大江健三郎の『性的人間』なんかも、私はこんな興味で読み始めたのじゃなかったかなと思い出すのですが、この『鍵』も『性的人間』も、「性的」にはちっとも刺激的ではなかったです、当たり前ながら。(でも吉行淳之介の『砂の上の植物群』は、違ってましたね。あれはなかなか刺激的でした。) 高校生の時に読んだ感想を、今でも何となく覚えているんですが、とっても苦い感じの読後感でした。それもなんか、何時までも後を引くような。(きっと高校生のくせにこんな本を読んだ罰でしょーね。) で、さてこの度、高校時代に持ってしまった本書への「トラウマ」を振り切って再読をしてみたのですが、数十年経っても読後感はやはり、いやーなものでしたね、基本的には。 でもまー、少しは年の功があるようで、もう少し理性的な押さえ方ができるようになりました。(でもでもその事がいい事かどうかは、別問題ですよね。) まず思ったのは、この作品が、見事に近代的なリアリズムなどを求めていない小説だと言うことであります。 老夫婦の(とはいえ、夫56歳、妻45歳の夫婦ですから、今で言いますと「中年夫婦」ですかね)「性」をめぐる日記のやりとりという内容ですが(ここにリアリズムの希薄さをもたらしつつ、しかしいかにも谷崎的な面白さを生みだしている「見て見ぬ振り」あるいは「見て見る振り」の日記内容が描かれていきます)、私は読んでいて何度か吹き出しそうになりました。上述に苦い読後感と書きましたが、部分的にはとってもスラップスティック的、ドタバタ喜劇的であります。 そんな、少し「変」な話を読みながら、つくづく私が思ったのが、谷崎はなぜこんな小説を書いたのだろうかと言うことでありました。 谷崎潤一郎は、「私小説」の極北の作家のように思われていますが、実はその作品には、書かれた時々の筆者の女性関係が見事に反映しているんですね。そんな意味では、とっても分かりやすい作家であります。 そして、そこに描かれるのは、基本的にいつも谷崎的「ハッピーエンド」であります。 だから本作についても、この作品もはやはり「ハッピーエンド」なんだろうか、と考えたわけです。 なるほど、ラストシーンには、『卍』との類似が見られるようです。 夫を死に追いやった妻が、しかし私も騙されているのではないかと疑念を持ち、一方死んだ夫は、死の間際にこんな日記を書いています。 過去ハスベテ幻影デココニ真実ノ存在ガアリ、僕ト妻トガタダ二人ココニ立ッテ抱擁シテイル。……自分ハ今死ヌカモ知レナイガ刹那ガ永遠デアルノヲ感ジタ。…… 眼ハ書物ノ上ニ注ガレテイルガ、何モ読ンデイルノデハナイ。第一眼ガチラチラシテモノガ非常ニ読ミニクイ。文字ガ二重ニ見エルノデ同ジ行ヲ何度モ読ム。今ヤ自分ハ夜ダケ生キテイル動物、妻ト抱擁スル以外ニハ能ノナイ動物ト化シ終ッタ。 簡単に言えば、こんな状況に陥った男はいったい幸福なのか不幸なのか、というのがテーマであります。 でもこれって、なかなか難しい命題ですよね。 たしか鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』に、香木一つのことで命の遣り取りをすることを虚しいというのなら、そもそも人生そのものは虚しくないのかといったフレーズがあったように思います。 ましてや、今回の話は、「老人の性」でありますしねぇ。……。 実は『鍵』を書き始めた時の筆者の年齢は、70歳なんですね。 自分の年齢より14歳も若い主人公を設定したことに、何か意味があるのでしょうか。 作品が発表された昭和31年頃の、70歳と55歳という年齢のイメージもありましょうが、ここに私はぼんやりと、なんとなく、筆者の心の中が想像できそうな気もします。 しかし取りあえず、この作品の次、さらに7年後(谷崎77歳)に書かれた『瘋癲老人日記』を、わたくし読んでいませんので、まずそれを読んでからあれこれ考えてみたいと思います。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.26
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『護持院原の敵討』森鴎外(岩波文庫) 本短編集には三つのお話が入っています。これです。 『護持院原の敵討』(大正二年) 『安井夫人』(大正三年) 『生田川』(明治四十三年) 最後の『生田川』は戯曲ですが、二十ページほどの極めて短い作品です。『大和物語』の「津の国の乙女」説話の話で、確か、室生犀星も短編小説にしていたと思います。 なかなかファンタジックなお話ではありますが、この短編集の眼目は、やはり総タイトルにもなっている『護持院原…』でありましょう。 実はこの短編小説は、鴎外の短編の中では珍しい「変な」小説であります。 いえ、「変な」小説だと、私は思うわけですが。 例えば鴎外の文学的全業績をまとめる言葉として、「諦念」というものがあります。 (考えてみれば、こんな小さな言葉でまとめてしまうのは、とても「不遜」というか、「無意味」というか、ちょっと困ったことなんですがー。) 「諦念」の詳しい中身はちょっと置いておくとして、とにかく、作品にあまり混乱が見られないのが、鴎外作品の大きな特徴であります。作品内世界を筆者がきっちりとコントロールしきっているという感じであります。 (そんなの当たり前だと思われるかも知れませんが、近代日本文学小説界の鴎外と並ぶ二大巨頭のもう一方、漱石の作品は、大いに混乱しまくっており、しかしそれが「漱石的破綻」なんて呼ばれて、漱石作品の魅力の一端になっているという、うーん、どちらが優れているのやら、なかなか難しいところでありますなー。) ところが、本作『護寺院原…』には、珍しく、落ち着きのない「変な」人物が出てくるんですね。 本作を読めば、必ずや最後まで気にならずにはいられない人物であります。 さらに、この人物の書きぶりが鴎外らしくありません。こんな感じです。 宇平は矢張黙つて、叔父の顔をぢつと見てゐたが、暫くして云つた。「をぢさん。わたし共は随分歩くには歩きました。併し歩いたつてこれは見附からないのが當前かも知れません。ぢつとして網を張つてゐたつて、来て掛かりつこはありませんが、歩いてゐたつて、打つ附からないかも知れません。それを先へ先へと考へて見ますと、どうも妙です。わたしは変な心持がしてなりません。」宇平は又膝を進めた。「をぢさん。あなたはどうしてそんな平気な様子をしてゐられるのです。」 宇平の此詞を、叔父は非常な注意の集中を以て聞いてゐた。「さうか。さう思ふのか。よく聴くけよ。それは武運が拙くて、神にも仏にも見放されたら、お前の云ふ通だらう。人間はさうしたものではない。腰が起てば歩いて捜す。病気になれば寝てゐて待つ。神仏の加護があれば敵にはいつか逢はれる。歩いて行き合ふかも知れぬが、寝てゐる所へ来るかも知れぬ。」 宇平の口角には微かな、嘲るやうな微笑が閃いた。「をぢさん。あなたは神や仏が本當に助けてくれるものだと思つてゐますか。」 九郎右衛門は物に動ぜぬ男なのに、これを聞いた時には一種の気味悪さを感じた。 簡単に説明をしておきますと、「宇平」という若者の父が殺されたわけですね。そして叔父(殺された宇平の父親の弟)と共に敵討ちの旅に出るのですが、まー、現代人の我々では、そんなものどうしたら敵が見つかるのだろうと思うと同様に、なかなか見つからないまま長旅にも疲れ、宇平は精神に変調を兆す、という展開であります。 引用部分に「妙」「変な」「一種気味の悪さ」などの、得体の知れないものに対する表現が出てきます。鴎外作品には珍しいと私は思うのですが、そんなことないでしょうか。 そしてこの後、宇平は、私は勝手にさせて貰うと言って部屋を出ていき、そのまま作品内から姿を消してしまいます。 この展開もまた、まるで鴎外らしくないと、私は思うのですがいかがでしょう。 この「宇平」の存在をどう考えるのかというのは、本作をちょっと一生懸命読んだ人は必ず考えることであります。この後、宇平を除いた遺児達は見事敵を討つのですから、まず考えられるのは「近代的知性の限界」とでも言えそうな気がしますが、それにしては、筆者自身が少し気味悪がっていませんかね。 といって、仮にも、海千山千の鴎外ですから、作品の破綻、ってことはありますまい。(まー、一応。) ……うーん、とわたくしも、考えたのですがね、よくわかりません。 あれこれ考えて、ひょっとしてと思った、それこそ「思いつき」程度のことを最後に書いてみます。 まず、この「宇平」の存在が変だと言うことは、誰もが気づくことです。 ということは、鴎外も、きっと誰もがそう思うだろうということを分かっていながら、そのまま放っておいたということですね。なぜなんでしょ? ここがポイントですよね。 思いつきなんですがね、本当に思いつきに過ぎないんですがね、筆者がそこまで思って放っておいた人物なら、本当に放っておいて構わないんじゃないか、と。 そう思って宇平を放っておいて本作を読めば、本作の持つ雰囲気は、俄然この後の鴎外の「史伝」に近い感じがしてくるような気がするんですが、どうでしょうか。 「史伝」に近いとはどんな感じなのかといわれると、少し困るのですが、簡単にいえば「愛想がない」ということであります。 この愛想のなさは、本短編集収録のもう一つの作品、『護寺院原…』の翌年に書かれた『安井夫人』よりもさらに愛想がないように思います。 行きつ戻りつしながら、ひょっとして、「予行演習」? もちろん、愛想がないことと、面白くないこととは、全く別次元のものでありますが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.22
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『わしも知らない』武者小路実篤(岩波文庫) 「白樺派」の文芸思潮というのは、そのオリジナリティといいクオリティといい、そして作家の多彩さといい、他の流派の思潮よりかなり際だっている感じがしますね。 似た流派は他にないかと考えてみますと、……うーん、そうですね、同じくらいの時代のもので探せば、「自然主義」が少し似ているかなという気もします。 もっとも、先日正宗白鳥の文芸評論めいた文章を読んでいたら、時代を席巻したということでは、自然主義は白樺派なんて「眼ではない」くらい、遙かに時代の「オーソリティ」であったようで(まさに「自然主義にあらずんば人にあらず」という感じで、確か泉鏡花が、そんな時代を思い出して大いに閉口したと書いた文章を読みました)、白鳥の本を読みながら、なるほど「隔絶の観」とはこのことであろうかと思ったのは、特にこんな部分でした。 何でも、自然主義作家間で森田草平の『煤煙』を批評していて、結論となったのは、森田もまだまだだけど漱石に比べるとずっとましだ、という共通認識であったとか。 なるほど、『煤煙』にはかなり自然主義的な感じがありますね。 以前私が『煤煙』を読んだときに思ったのは、漱石の弟子の中で、特に後期の漱石作品に最も近い感じのするのが森田草平だな、ということでした。ただ、漱石作品に比べると、いろんなところが少しずつ歪にずれ、少しずつ稚拙に感じられるという。 話を少し戻しまして、白樺派であります。 白樺派作家は、みなさん結構戯曲を書いているんですね。好きなんでしょうかね。 そもそも白樺派は、小説ばかりでなく、例えば美術の新しい潮流について啓蒙的な文章を書いたりと、文学以外の芸術表現に積極的にコミットしていますものね。 あるいは、白樺派って、何となく「文章的理性」以外の部分に訴えるようなところが(例えば「善意」とか「美」とか「純粋」とか)、あるような気がしますよね。そんなとき、戯曲は小説より書きよいのかも知れません。(今では、理性に全く訴えない戯曲もたくさんあるくらいですものね。) さて、武者小路もそんなお一人のような気がしますが、今回の冒頭の文庫本も、戯曲集であります。 上記に白樺派と戯曲について、判ったようなことを記しましたが、実はわたくしは、さほど白樺派の戯曲を知っているわけではなく、武者小路の戯曲についても読んだ範囲では『その妹』が一等賞によいだろうという程度であります。 本戯曲集には十一編もの作品が入っていますが、ほとんどの作品が一幕もので、とても短いんですね。スケッチ、エスキース、一筆書きみたいな感じです。 でも、こういうのって、「お説教好き」の武者小路に似合っている様な気もします。ただポイントは、その「お説教」に「ポエジィ」が感じられるか否かということだと思います。 「お説教」と「ポエジィ」とどんな関係があるのかといえば、……えーっと、私も分かる様な分からない様な話であるのですが、近い感じのものを挙げれば「愚人聖者」の話ですかね。 確か、漱石の『猫』の中にこんな話がありました。(と、以下に書きますが、めんどーなもので読み返さずに書きます。ひょっとしたら少し違っているかも知れません。) 村にあったお地蔵様が、「道路拡張」の際にとっても邪魔になる。なんとか立ち退いて欲しいものだと人々が鳩首会談をし、ある金持ちが札束をちらつかせながら立ち退きを要求したが地蔵は知らぬ顔。ある政治家が権力的に命令しても知らぬ顔。同じように、村一番の力持ちとか利口者とかが、次々に地蔵を説くものの、一人として成功しない。最後に村で「ばか竹」と呼ばれていた少々おつむが足りないとされていた若者が地蔵に、「みんな困っているからそこを動いてもらえまいか」というと、地蔵は「そんなら早くそういえばいいのに」とすたすたと動いたという。……市が栄えた。 漱石はこんな話がとても好きですよね。武者小路も好きそうです。 そしてこれは、「白樺派」の好きなトルストイの民話にも繋がりそうな話で、うまくいけばとても「ポエティック」な感動を生みそうです。 本戯曲集中こんな「ポエジィ」が感じられる作品としては、『或る日の一休』『わしも知らない』『だるま』あたりがそうかなと思います。 全体に「軽く」、そしてなかなか「ウォームフル」です。 漱石は芥川の『鼻』一作を読んだだけで、彼の稀なる才能を認め、彼を文壇デビューへと導きましたが、確かに一作、二作を読んだだけでも、キラキラするものの存在は分かる様な気がします。 武者小路には詩集もありますが、それも含め、彼の業績全体のエッジの立ったユニークさには、他の追随を許さないものがありますよね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.19
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『魔風恋風・前後編』小杉天外(岩波文庫) 本作の真ん中当たりにこんな場面が出てきます。 貧乏な主人公・女学生「萩原初野」の友人「夏本芳江」と、その母親との会話場面です。夏本家は資産家であります。そして彼女の母親は、娘がそんな貧乏な友人と付き合うことを快からず思っています。 「第一身分が違います、彼様な者と交際しては、夏本家の恥になります。貴女が交ると云つても母親が許しません、今後は、今迄の様に、然う屡々家へ入れる事は出来ません。」 芳江は忽ち涙ぐんで、 「何故です? 是迄親くした人を、急に其様な……、」とはらはらと涙をこぼし、「なんぼ母様の仰有る事でも、此の事許しは私は厭です、何と仰有つても厭です。」 「其様な分らない事を云つて、」と夫人は娘の涙を見ては此の上強い事も云へず、「友達友達と、大層らしく云ふけれどね、最う此夏からは、貴女も良人の有る人ぢやないかね。」 「だッて、何に成つたッて、友達は友達ぢやありませんか?」 「いいえ、良人が有れば、最う友達と云ふ物は要らないものです。」と夫人は、今に母親の言の解る時が来るから、と云ふ様に片頬に笑を浮べたが、(略) ……うーん、こういう社会的なモラルというのは、実はつい最近、といってもまぁ、1945年くらいまででしょうが、その辺までは当たり前のように、ある意味「常識」や「世間」や場合によっては法律にまで守られて、日本に存在していた考え方なんでしょうねぇ。(いえ、今でもまだ存在していると言えるのかも知れませんが……。) と、何でこんな表現にしみじみするのかといえば、そもそも主人公の「初野」が貧乏になったのは、父親が死に、腹違いの兄によって学費を出されていたのが、兄の意に逆らったため生活費の送金を止められてしまったからであります。 この時代(本作は明治36年読売新聞連載であります)、そんな風になった時、女性が学業を続けながら自立していく方法は、見事に、完璧に何もないということが、わたくし、この度本書を読んで解りました。 初野には、生活を徹底的に切りつめて、そして着物などを順番に質屋に持っていくことでしか、暮らしていく手だてはありませんでした。 それ以外にあるとすれば、それはパトロンを見つけることで、これは今でいえば「援助交際」ですかねー。あるいは森鴎外の『雁』の無縁坂のお玉になってしまうことであります。そして女性としての世間的評価は、圧倒的に下がってしまいます。 そもそも一家のすべての財産の継承権が、長男にのみあるという旧民法には、かなり苛烈なものがあったと思うのですが、例えばよく似た事例として(ひょっとしたら似ていないかも知れませんが)「姦通法」というのも(これについては、漱石の『それから』に取り上げられていますね。それ以外にも、文学者としては北原白秋が同罪で訴えられ、有島武郎の心中の一因でもあったと聞きます)、やはり1945年あたりまであったのですものねぇ。 女性の経済的自立を徹底的に認めない(そして「友達」の不要を説く)という社会モラルに、根深い女性差別の歴史を今更ながら思い、私はあれこれしみじみとしてしまいました。 さて、この新聞小説のテーマは「三角関係」であります。三角関係テーマの小説というのは、古来たくさんあるんでしょうねぇ。 四迷の『浮雲』や、紅葉の『金色夜叉』なんかが明治初期のものとしては有名です。江戸時代の「世話物」や「浮世草子」などにまで遡ると、きっと山のようにあるんでしょうね。そう言えば『忠臣蔵』のストーリーにも、確かそんな展開がありましたよね。 しかし、「勧善懲悪」ではない三角関係を小説に定着させたのは、漱石の『こころ』あたりが、時代に先んじているのではないでしょうか。(同じ漱石でも、『坊っちゃん』はもちろん、『それから』でも「勧善懲悪」に近いか、その「変奏」という感じです。) そしてそれに続く有名どころの作品でいえば、武者小路実篤の『友情』でしょうか。 三角関係を勧善懲悪でなく描くには、結局の所、どこに断罪の基準を持ってくるかに掛かるように思います。 具体的にいえば、『こころ』の場合は「倫理性」でありましょうか。 生き方の中心を、倫理的であるか否かに絞って三角関係を描いたとき、『こころ』はあの形で成立したのだと思います。 『友情』でいえば、断罪の基準は、「恋愛感情の純粋さ」くらいの言い方でどうでしょうか。この基準で『友情』のテーマは明快に読めると思います。 そして今回の本書ですが、問題は、通俗的モラルからどんな「断罪の基準」をもって飛び立っていくかということでありましょう。しかし本作品は、通俗的モラル以外の「断罪の基準」を、結局作ることができませんでした。 それは、『こころ』は大正3年、『友情』は大正8年だが、本書は明治36年の作品であるということを考えに入れても、しかしはっきり言って作品は、終盤目を覆うような展開になってしまいました。 と捉えつつも、やはり本書の価値は、明治36年という早い時期に、少なくとも作品の中盤までは、「恋愛感情の純粋性」とでもいうべきものを追求したことにあると思います。 残念なことにそのテーマは、後年漱石が一定の成功を示した「新聞小説」という連載形態に十分対応することができず(鴎外の、読者への「逆ギレ」とまでは行かないまでも)、様々な外野からの声に絡め取られてしまったようになったのは、少々残念なところではありますが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.15
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『何処へ・泥人形』正宗白鳥(岩波文庫) この短編集には、4つの作品が収録されています。 『玉突屋』『何処へ』『泥人形』『牛部屋の臭ひ』 最初の『玉突屋』というのだけ、あまり有名ではないですが(文庫本で5ページばかりの掌編です。内容的にも、何といいますか、ちょっと掠っただけ、では言い過ぎでしょーかー)、他の作品は、筆者の作品の中では、文学史の本に名前が出てくるような「有名作」ですね。(といっても、正宗白鳥ですから、現在、正宗白鳥の名前を知っている人なんて、全国民の0.005%、普通預金の金利程度かな、と思いますがー。) この3つの短編と、後、『微光』なんてお話がもう一つで、これでほぼ、正宗白鳥の代表作は(小説についてですが)、「コンプリート」で良いんじゃないでしょうか。 と、少々冗談じみて書きましたが、しかし実はこの短編集は、かなり出来が良いと私は思いました。 以前、我が家の本棚の肥料になっている「筑摩現代日本文学大系・全97巻別巻1」について触れたことがありました。2冊の配本になっている作家が5人いて、まー、これは日本近代文学史上の「大家」であろう、と。具体的に言いますと、鴎外・藤村・漱石・荷風・谷崎であります。 その次の、一冊まるまるあてがわれている文学者(これもまー、「文豪」といってもいいんじゃないですかね)が12人いて、その中に正宗白鳥も入っていることに、何といいますか、私は少々「違和感」、という話をしました。 しかし、作家のポピュラリティについてはともかく、少なくとも「文章力」については、白鳥はさすがと思わせるところがあると、この度の読書で、物知らずな私も大いに納得いたしました。 もう少し詳しく見ていきますね。この3作の発表年度はこうなっています。 『何処へ』(明治41年・1908年・29歳) 『泥人形』(明治44年・1911年・32歳) 『牛部屋の臭ひ』(大正5年・1916年・37歳) この3作品をこの順番で読んでいけば、作家の筆力がぐんぐん上がっていくのがとてもよく分かります。それはいかにも自然主義的な文体ではありますが、主観性を排除した細かな描写が、正確度を増していく様子がひしひしと分かります。 一方、正宗白鳥といえば付き物のように言われる「虚無主義」についてですが、以前同筆者の戯曲を、これもまた岩波文庫で読みましたが、その時はよく言われているように強烈な虚無性を私も感じました。 しかし、今回の3作品には、さほどのものが感じられなかったのですが、それはなぜかなと考えたのですが、一つは、現代文学の一部にある虚無主義に、もっと先鋭的なものがあるせい(単なる心的傾向ではなく、具体的な肉体の破壊とか他者への犯罪的行為とかを伴っているせい)ではないかと思いました。 現代の虚無主義には、どこか身も蓋もないところがあります。 もう一つ思ったのは、これは私が本作品に虚無性をあまり感じなかった理由となるのかどうかよく分からないのですが、特に『何処へ』について、この作品で筆者は最初に虚無的であると評されたようですが(本書に筆者による「旧作回顧」があり、そこに長谷川天渓に評されたとあります)、この虚無性は、一連の「戦後文学」に共通するものではないでしょうか。 例の司馬遼太郎の『坂の上の雲』の日露戦争が終わり、そして啄木が「時代閉塞」と書いた明治の終焉期のことであります。 白鳥の虚無主義は、この時代の虚無主義ではないのでしょうか。 社会のため主義のため理想のためと思へばこそ、真面目で険崖上りも出来るが、初めから退屈醒ましと知つて荊棘の中へ足を踏込めるものか。理由もないのに独りで血眼になつて大道を馳せ廻れるものか。何故毎日の出来事、四方の境遇、何一つ自分を刺激し誘惑し虜にするものがないのであらう。只日々世界の色は褪せ行き、幾萬の人間の響動は葦や尾花の戦ぐと同じく、無意義に聞えるやうになつた。自分の心が老いたのか、地球其れ自身が老い果てて、何等の清新の気も宿さなくなつたのであらうか。 どうですか。これは白鳥独自の思考傾向なのでしょうか。 日露戦争の終わりに何か大きなものが方向を変えた、というのは有名な「司馬史観」でもありますが(そしてその方向を変えたものが、その後1945年を経ても、しぶとく姿を現そうとしているのではないかと言う危惧が、晩年の司馬遼太郎の危惧であったようですが)、少なくともここに表されているものは、個人的な資質とは異なるもののように私は思います。 しかし、その後の正宗白鳥は、上記のようなすぐれた作品(よりすぐれた作品)を書きながらも、小説という形態からは離れていきます。 それは、他の多くの自然主義作家とほぼ軌を一にする部分があることから、自然主義の時代的限界であったろうと思います。けれども、すぐれた少数の「自然主義作家」、それは藤村や徳田秋声のことですが、彼等は、新しい時代の新しい思潮に耐えて、しぶとく長編小説を、その時々に発表し続けます。 それに比較をすると、実はここにこそ、正宗白鳥の個人的な課題があったはずだと思えるのでありました。 つまらない参考ながら最後に、上述の「筑摩現代日本文学大系」の話ですが、一人一冊の12人の「文豪」の中に、実は徳田秋声も入っていて、かつての私は、この人にも少々「違和感」、でありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.08
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『右大臣実朝』太宰治(筑摩書房・太宰治全集6) 太宰治の作家としての活動期は、大体3期に分けるのが基本となっているような気がするんですがー、簡単に年譜で確認するとこんな風になりますかね。 ○前期・昭和8年~13年 (24歳~29歳) 主な作品……「魚服記」「思ひ出」「道化の華」 主な出来事……自殺未遂・芥川賞候補・武蔵野病院入院・心中未遂 ○中期・昭和14年~20年(30歳~36歳) 主な作品……「富嶽百景」「女の決闘」「津軽」「お伽草子」 主な出来事……結婚 ○後期・昭和21年~23年(37歳~39歳) 主な作品……「斜陽」「ヴィヨンの妻」「人間失格」「桜桃」 主な出来事……入水自殺 こんな感じでしょうかね。主な作品と主な出来事を少し書いただけで、「ストーリー」の見やすい生涯であることが分かりますね。(ついでに書いておきますと、昭和5年21歳の時に、太宰治は心中未遂をし、自殺幇助罪に問われています。) また、近代日本史の主な事項とパラレルにしてみても、「太宰治ストーリー」の細かなポイントが、けっこう見えてきそうな気がします。 プロレタリア活動・転向・太平洋戦争・敗戦 例えばこれらの日本史キーワードと重ね合わせても、太宰治の生涯が理解しやすいものであることが分かります。 ……太宰治って、「わかりやすい」作家だったんですね。 というのは、半分は冗談なんですが、一方太宰治が極めて特異的であるのは、太宰の才能が最も開花している時は、日本社会が最も下を向いている時であると言うことで、これは「たまたま」では、やはり、ないですよね。 それは結局、太宰の才能とは、彼のほとんど躾られなかった基本的生活習慣に対して、かなりの強い抵抗が掛かり、そっち方面に惹きつけられるものが現実的に何も存在しなくなって(つまり戦争中で様々な享楽的物資が払底してしまって)、そこで初めて頭をもたげるという、……うーん、なかなか難儀な「才能」でありますなー。 さて、冒頭の『右大臣実朝』であります。「傑作の森」のような太宰治中期において、しかしこの作品は、少々「地味」な感じがするのですが、たぶんそれは当たっていますよね。実はわたくし、本作は初めて読みました。 太宰作品については、けっこう網羅したつもりでいたのですが、全集を第一巻からぜーんぶ読むという形での馴染み方は、太宰についてはしなかったものですから、細かく見ていくとまだまだけっこう読んでいない作品があります。「火の鳥」とか「新ハムレット」「二十世紀旗手」とか。 読んでみて、太宰作品には珍しい読みにくさを感じました。 話がなかなか進んでいかないんですね。『吾妻鑑』の書き下し文と平行して物語が進んでゆくという展開が、どうも、筆者の傑出した小説テクニックを生かしていないように思いました。 話が突然面白くなるのは「公暁」が出てきてからですね。 実は、この「公暁」に、太宰は自分と同じものを見ているんですね。例えば『斜陽』において「直治」が語っているようなセリフが、「公暁」のそれの中に随所に見られます。 一方「実朝」のほうは、どうなのでしょうか。 同類の太宰作品上の人物としては、私は『津軽』の「タケ」や、『斜陽』の「母親」に近いものを感じます。しかし、これらは女性であって、ひょっとしたら筆者は、男性版のそんな人物像が書きたかったのかなとも思います。 しかし男性にすると、そこに欠点や比較など、リアリズムに則るようなものも書かねばならず、結局一方に「公暁」をおいての「実朝」、という形になったのか、と。 そしてそのことが、作品前半の「面白くなさ」にも繋がっているようで、「実朝」中心の前半が、物語として十分に機能していないということは、太宰が、男の「タケ」や「母親」をうまく描けないでいたと言うことではないでしょうか。 太宰治は、なかなか自らに骨がらみの作家であります。 確か自作中にも、この作家は想像力が極めて乏しく云々という表現があり、まさかこんなフレーズは全く信じてはいませんが、自分の実感しづらいパーソナリティーは、けっこう書きにくかったのかも知れません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.05
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『夕陽の河岸』安岡章太郎(新潮文庫) かつて村上春樹が書いていましたが、「一杯のカクテルを作るにも哲学は必要である」と。 全くその通りですが、しかし、あいかわらず村上春樹はこんな感じのフレーズが、とっても上手ですね。 村上春樹とか、カクテルとかの話ですから、これは決して日本人・日本文化に特有のものという話ではありませんよね。(初期の村上春樹は日本文学にほぼ影響を受けなかったように、書いたりしていたと思いますが、小さい頃の食卓の話題が『平家物語』だったというのは、……えーっと、あれは小説の話でしたっけ。) このフレーズはつまり、人間というものは、あらゆる物に哲学を見つけるということでありますね。ということは、人間はあらゆる物に、正邪、善悪、美醜を見分けるということでもありますよね。 ごく私的な偏見のような気もしますが、それをヨーロッパとかアメリカとかの人がやっている範囲では生まれないのに、これを日本人がやっちゃうと(そしてまた日本人がとってもやりたがるんですが)、そこに「道」が生まれます。 例えば冒頭のカクテル哲学の話ですが、よりよいカクテルを突き詰めることを、日本人以外の人たちは「カクテル道」って、言うんですかね。(もちろんその国の表現として。) カクテルからさらに料理の話全般に拡げますと、日本人の場合、もうそこは堂々たる「道」の世界(あっ、シャレ言っちゃった)であります。 これも何かで読んだと思いますが、料理のお話で、うつわに入ったお水を混ぜる時、右回りに混ぜるのと左回りに混ぜるのでは味が異なる、って、こんなの、私はそもそも物知らずな人間ではありますが、こんなのは料理道では常識に近いことなんですかね。 日本に入ってしまうと何でも「道」になってしまいます。 去年でしたか、介護福祉の専門学校の文化祭に行ったら、そこの生徒達がおそろいのトレーナーを着てたこ焼きを売っていましたが、そのトレーナーには「介護福祉道」って書かれてありました。 日本人は、根が真面目だから、って、本当に日本人が真面目なのかどうか、私はよく知らないのですが、とにかくすぐに「道」ができて、そこに人間性を反映させます。 たとえば「文は人なり」って。 以前文芸評論家の齋藤美奈子が、「文は人」の虚仮威しを徹底的に暴露していた文章を読みました。少し昔の話になりますが、「サカキバラ」事件の犯行声明の文章を取り上げて、文章から人格なんてわかりっこないと断罪していたんですね。(『文章読本さん江』) さて、冒頭の短編小説集ですが、本書を読んでいますと思わず、 「自然観照」なんて言葉が浮かんできます。 第三の新人グループの、筆者晩年の(ここからも「円熟」なんて言葉が浮かんできます)、私小説の、そして「文章道」のお話であります。 日本文学に、今だに私小説が一定の勢力を誇っているのは、志賀直哉が長生きをしたからだという説を読んだことがあります。 第三の新人といえば、志賀直哉の直系ではないまでも、文学上の思潮で言えば、やはり直也の傘下にあるといってさほど誤っていないでしょう。(もっとも「第三の新人」グループは幅広いことは幅広いですが。) (しかし今志賀直哉を読み返してみて、充分鑑賞に堪えるのは明らかに客観小説であります。『清兵衛と瓢箪』などのたぐいですね。不機嫌なオッサンの出てこないやつです。) 本書の文章も、実に「融通無碍」という感じの文体であります。 夕闇の河原を歩きながら、私は、自分が過去の中に生きていることを実際に感ずる。”過去”は薄暗い空気のように幾重にも積み重なって分厚い層になり、私をまわりから支えてくれる。しかしいま、こんなにも明らかな自分の記憶違いを知らされると、自分を取り囲んでいると思った過去が一瞬のうちに毀れてコナゴナに雲散霧消してしまうようでもある……。 どうでしょうか。 かくて文章道を突き詰めた小説家は、晩年晴れて「人格者」になる、と。 (関係があるかどうか分からないですが、太宰治は、小説家と文章家を峻別していましたね。) まぁしかし、実際はそんな簡単なものでもないでしょうが……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.07.01
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