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『くれない』佐多稲子(新潮文庫) わたくし、佐多稲子の小説は2冊目でありますが、前回読んだのは、『時に佇つ』という連作短編集で、これがまた、まれに見る密度の濃い小説でした。 どんな小説をすぐれた小説と考えるかという問はなかなか難しいもので、何故ならこの問は、小説とは何かという問題を根本に持つからであります。 かつて三島由紀夫は小説とは何かという問を自らに差し出した後、アザラシのようだと言ったり、ヌエのようだと答えたりしつつ、結局は、小説とは何かを考えることの無意味さに言い及んでいます。 そして小説とは、小説とはこういったものだという定義を述べたとたんに、そこからすり抜けていくものであると述べました。(たしか。)(『小説とは何か』) そんな意味で、すぐれた小説の本質を語ることは極めて難しいようですが、問を矮小化して、個人的に好きな小説、感心する小説の傾向としてしまうと、これは、まー、一気に書きやすくなります。 私は今日も、小説好きで、かつ、私の小説の好みとは全く方向性の異なる友人と話をしていたのですが、好みの傾向の違う人と話をする時の方が、返って自らの嗜好の傾向や偏りがよく分かるようで、私は、倫理的に尊敬できる小説を好むと言うことに改めて気づきました。(こういった傾向はけっこう汎用性があるようで、私の音楽家の好みにも同じ要素があって、これまた私と好みの傾向を異にする別の音楽好きの友人からは、倫理性や人間性が何の音楽性と関係あるねん、そんなもんない方が芸術家らしいわ、と馬鹿にされているんですが。) 佐多稲子は、プロレタリア小説作家としてデビューした後、苛烈な時代の中で「転向」を余儀なくされ、そして転向を果たしてしまった自らを、その後何十年にもわたって、反芻するように思い出し続け、探り続け、噛みしめ続け、そして断罪し続けるという、まさに、『時に佇つ』とは、読んでいて思わず背筋の伸びるような連作小説でした。 そして、今回読んだ小説も、やはりこの作家に相応しい密度の高い小説でありました。 まず密度が高いとは、筋書き以前のものとして、圧倒的な緻密な筆力が感じられると言うことで、例えばこんな表現。 この丘の上から昼間は海がひらけて見えるのだが、今はただ狭い周囲に小松の幹が透けて見えるだけである。つめたい土と濡れた草の感触のなかで広介の掌だけ温かく明子に血を通わせた。町の方から、警笛を鳴らしつづけてきた電車が響きながら次第に近づいてきて、丘の下の線路を丘とすれすれに通過して行ったが、小さな箱のような電車の車内の灯がその一瞬、丘の上の二人の姿を映し出した。電車は終発であったと見え、間もなく停留所の電灯は、一斉にぱっと消えて、闇と霧の中に没した。 何気ない描写でありますが、極めて明晰で、痒いところに手の届くような、本当に気持ちのいい文章であります。 今となっては、こんな易しく書かれていながらも、きちんと描写と説明の責を果たしきっている文章の書ける作家は、現代日本文壇にほぼいないんじゃないでしょうかね。 と、まず、文体について感心するのですが、そして筋書きに入っていきますと、これがまた、とっても「キツい」筋書きなんですね。 夫婦の話なんですが、そして、夫が他に女性を作ってしまうという、こんな風にまとめてしまうとよくある展開ですが、「キツい」のは、その男女が共に小説家であるというところであります。(さらに言えば、民衆に誠実なる先進的プロレタリア作家ですかね。) 上述した三島由紀夫は、こと恋愛の対象として見る時の女流作家に対する敬遠を、いろんな文であちこちに述べていました。彼は、女性の小説家は、それがすぐれた小説家であるほどに恋愛の対象になり得ないと考えていました。何故なら小説家とは、一に理性と明晰さをその「商売道具」とするものであり、それは恋愛の没理性性とは全く相容れないと考えていたからですね。 この三島の考え方が正しいかどうかは置くとしても、妻も夫も小説家という状況は確かに息の詰まりそうな設定であり、しかし、女流作家にとっては、充分リアリティのあるものでもあります。 つまり、本作は、筆者の自伝的な小説であるわけです。 小説は、この小説家夫婦の、ジェットコースターに乗って上下左右に全身を揺すぶられるような理性と感情肉体の相克・歪みを描きつつ、最後は一応の「小康」状態をもって完結としますが、実はテーマもストーリーもほとんど終わっていません。 例えば漱石の『行人』や『道草』などがそうであるように、こういった家庭小説、あるいは夫婦小説は、それがハッピーであろうがバッドであろうが、どちらにしてもなかなか終末を迎えないわけであります。 それを、人生の深層にまで切り込んでくる倫理的な作品と捉えるか、ひたすら重い暗いの小説と捉えるかは読者によって様々ではありましょうが、私は上述しました文体のまろやかな明晰さと合わせ技で、久々に、存分に、しみじみと、「腹に応える」小説に触れたと思うのでありました。(少々腹に応えすぎ=凭れた感じはあるのですが……。) よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.31
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『厭世家の誕生日』佐藤春夫(岩波文庫) これはなかなかおもしろい短編集でした。7つの作品が入っていますが、それぞれ趣向が異なっていて、もちろん好みもあるでしょうけれども、ことごとくが面白い、というより作品としてのレベルが高いと思いました。 含まれているほとんどの短編がよくできているという短編集は、実はさほどないんじゃないかと私は思っているのですが、はて、どんな短編集が頭に浮かぶでしょうか。 やはり総集編みたいなものが浮かびますかね。流行歌で言えば『グレイテスト・ヒット』ですね。 シングル版のA面の曲ぱかり集めたやつですね。(って、シングル版のA面の曲っていう言い方は、今でも通用するんでしょうか。そもそもレコードのシングル版に準じたものは今でも売っているのでしょうか。そういう売り物から離れて久しくなりますもので、よく分かりません。) ともあれそんな「グレイテスト・ヒット」みたいのを集めた、収録作品どれも出来が良いという感じの短編集として私の頭に浮かぶのは、岩波の太宰治の作品集、新潮の織田作之助の作品集、岩波の森鴎外の小説をやめて史伝の世界に入っていく辺りの短編集、それから、岩波の上司小剣の『鱧の皮』もよかったかな、そんなあたりですかね、ぱっと浮かぶとしたら。 「グレイテスト・ヒット」じゃないトータルアルバムのLPみたいなので言えば、これはもっと浮かばなくなりますね。そもそもこの手の本はあまり出版されていないんじゃないでしょうか。短編集はあまり売れないと聞きます。 私としては、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』を挙げたいと思います。村上春樹は充実した短編集をたくさん出していますが、それでも全作出来がよい(私の好みに合う)となると、この一冊が一等賞だと私は思います。 後、こんな短編集があったらなぁと私が勝手に思っているので言いますと(ひょっとしたら、実際にあるのかも知れませんが)、志賀直哉の客観小説ばかりを集めたもの。筆者に重なる一人称の怒りっぽいおじさんの出てこないヤツ。『清兵衛と瓢箪』みたいなヤツばかりの。 そして、芥川龍之介の切支丹ものばかりの短編集もきっと面白いでしょうねぇ。 と、まぁ、「妄想」まで含めてあれこれ考えますと、それなりに面白そうな短編小説集は浮かびますが、さて冒頭の短編集に戻って、この短編集を上記の「短編集ジャンル」でいいますと、これは「グレイテスト・ヒット」型になりますかね。自選の初期短編集になっています。(と、前書きに筆者自身が書いています。) とにかくとてもレベルの高い短編集であります。収録作品はこの7つです。 『西班牙犬の家』『お絹とその兄弟』『一夜の宿』 『星』『旅びと』『侘びしすぎる』『厭世家の誕生日』 まず冒頭の『西班牙犬の家』が、わずか文庫本12ページながら、読者の意表をつく素晴らしいできばえであります。この作品の後、『お絹とその兄弟』『星』などと読んでいきますと、この作家が確かに浪漫主義作家で、かつ浪漫主義の面白さを満喫させてくれる作品ばかりが、本当に次々と現れてくるなあと思います。 なるほど谷崎潤一郎などと「血縁」ぽい小説であります。 そしてその谷崎に絡む作品が『侘びしすぎる』でありまして、私は以前より本作については名前は知っていましたが、読んだのは初めてであります。 以前より名前は知っていたというのは、この作品は谷崎の最初の妻を巡って、谷崎がいかにも谷崎的なわがままを行った結果、佐藤春夫との仲が絶交状態になった、後の「細君譲渡事件」をモデルとした小説だからであります。 今を遡ること既に何十年もの話でありますが、私の大学の卒論の中心作品が、谷崎側からこの事件の周辺を描いた『蓼食う虫』という長編小説でありました。 だから当然この『侘びしすぎる』もその時に読んでいなければならなかったはずなのに、なぜ読んでいなかったのかと思い出しますと、……というか、そんな昔の話は思い出しようもないんですが、今考えますと、そのころの私は、ひょっとして谷崎寄りの感覚を持っていて読まなかったのでしょうかね。 というのも、このスキャンダルは文壇ではやはりかなり有名で、いろんな人がいろんな論評をすることについて、谷崎もけっこう苦々しいものを持っていたようですか、彼が最も堪えたのが、佐藤春夫の『秋刀魚の歌』とこの『侘びしすぎる』だったというのを、私はどこかで読んだような気がします。 なるほど、この作品の出来は、かなりいいですよね。 単に主人公を巡る三角関係を書いただけではなくて、主人公の弟夫婦のこれまたややこしい関係を絡ませているのが、とても作品に奥行きを与えて、モデルとなった出来事を見事に文学的に昇華しています。 そして、何より文体が素晴らしい。今回の7つの作品は、文体としては2パターン的に私は感じるのですが、一つはいかにも浪漫主義的な濃厚な文体。もう一つはその濃厚さを少し嫌ってノンシャランな感じを漂わせた文体。 どちらも素晴らしいですが、この『侘びしすぎる』はこの両者が渾然一体となったような名文であります。 考えてみれば佐藤春夫といえば、あの散文詩のような『田園の憂鬱』を書いた作家であります。文章が下手なはずがありません。 にもかかわらず、なぜ私は、今回佐藤作品を見直すという、ある意味今までの評価が不当に低い感覚を持っていたのでしょうか。 かつて谷崎経由で読み始めたことが、案外誤った評価に繋がっているように思えて、なるほど作品との出会いというのも、現実の人間の出会いと同じで、いろんな偶然がいろんな判断を生み出してしまうものだなと、私はつくづく感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.24
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『青森県のせむし男』寺山修司(角川文庫) えーっと、書き出す前に、少し気になったもので、一部分を仮にアップロードしてみたのですが、ちゃんとブログに乗ったので安心したといいますか、まー、よかったな、と。 何の心配だったかといいますと、本のタイトルについてですね。 「せむし男」という部分。 ちょっと気になったんですね。 そこで、そもそもこのタイトルの「本歌」であっただろう小説についても、ついでに調べてみました。冒頭の戯曲のタイトルは、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダムのせむし男』から取っているんでしょうね。この小説のタイトルは、今どうなっているのかと、ネットで調べたわけです。 すると、今では少し違うタイトルになっているんですね。 『ノートルダム・ド・パリ』とか『ノートルダムの鐘』とか、ちょっと後者は、こじゃれた感じのタイトルになっています。 でもさらに見ていきますと、今まで私が知らなかったことが書かれてありました。 それは、そもそものユーゴーの原題は『Notre-Dame de Paris』であったということであります。 とするとなんですか、「せむし男」という少々問題を含みつつ、しかし一方でかなり作品自体を象徴しているタイトルは、日本語に翻訳する段階で入ったということなんですねー。 例えばわが国には昔から、外国映画のタイトルについて封切りの際日本語のタイトルにする時に、原題を直訳せず、なかなか雰囲気のあるタイトルを付けてきたという伝統がありましたものね。 (ついでの話ですが、少し前に、この伝統が最近なくなってきて原題のアルファベットを単にカタカナに直しただけの、味も素っ気もないタイトルばかりになってきたことを嘆いた文章を、誰の文章でしたか、読んだことがあります。世の中には、いろんな嘆きがあるものですね。) しかし、そのやや問題のあるタイトルを最初につけたせいで、今となっては、一時は人口に膾炙していたタイトルがなくなってしまい、改名後の何とも馴染みのない(パロディにしてもそうだと分からない)中途半端なものとなってしまいました。 ということですが、さて、冒頭の戯曲集であります。以下の5つの戯曲が入っています。 『青ひげ』『青森県のせむし男』『大山デブコの犯罪』『邪宗門』『犬神』 制作され初演の演じられた時代は、例の(この「例の」ってのは何でしょうね。小劇場演劇の最も注目された時代ということでしょうかね)1970年の前後なんですね。 最近、70年前後だけに限らず、昭和後半の時代を振り返る本がけっこう出ているような気がしますが、現状不如意によるノスタルジーなんでしょうかね。 それとも、昭和から四半世紀が過ぎ、そのちょっとした長さが、あの時代のいろんなものに対して、あたかも小高い丘から眺めるような見通しの良さを生みつつあるのかも知れませんね。 ともあれ、本作を今読んでみると、これは以前にも70年代あたりからこちらにかけての戯曲集を読んだ時に触れましたが、やはり演劇における言語の役割の相対的低下が見られます。 ただ、たぶん同年代である唐十郎の作品よりは、言語は機能的に動いている、つまり、簡単にいえば、ストーリーをかいま見ることが出来るという感じがしました。 それは、戯曲を造った作家の資質の違いかなと思います。山吹 ほんに地獄に、春が来た。(とにっこり)春にほろほろ啼く鳥の、 声をきくたび思い出す。あたしの捨てたおっ母さん、いま頃どう しているのやら、飢餓が三年、旱が五年、止むにやまれぬ口べら し、あまりにはげしく泣くときは、草刈り鎌を月に研ぎ、母の舌 をば切りおとし、舌切り雀のお葬式(ふと声をおとして)あたし が川で水浴びをしていると、村中の男たちの目が光る。嫁にほし い、嫁に来てくれ、と言われるたびに、あたしは言ってやるんだ よ。”ひとつ家に、女が二人じゃうまくはいかぬ。あたしを嫁に ほしかったら、まず、母親を捨ててからおいで”と。 例えばこんな科白に見られる言語の役割は、状況を次々に生み出していくと同時に、言葉自体の持つ詩性を表現することが強く求められます。 その詩性にこだわりつつ場面を展開していくというのは、かつて戯曲の最も基本的条件でありましたが、さて、今はどうなっているのでしょうか。 そんな意味では、70年前後という時代とその時代を代表する劇作家達は、大きく歴史と伝統を切り回したと思います。 ただその方向付けたものがさらにその後どんな展開を生み出しているのか、寡聞にして私には分析説明する能力がありません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.20
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『武蔵野夫人』大岡昇平(新潮文庫) 前回の続きであります。 前回書いていたのは、若かりし頃読んだフランス心理主義小説はとっても面白かったな、という愚にもつかない我が懐旧談でありました。どうもすみません。 そこでこれ以上の前回のまとめは放っておいて、進んでいきます。 さて冒頭の小説を読み始めまして、しかし大岡昇平の心理主義小説的な書きぶりは、私としては実に懐かしかったのであります。 若い頃こんな感じの小説を(そのほとんどは恋愛小説ですね)けっこう読んだよなー、と思い出し、とても嬉しかったです。 いかにもフランス心理主義小説っぽくて、がっちりと登場人物の心理を解剖学者のように「腑分け」しつつも、エレガントさは残してとても優雅な感じがしました、少なくとも、半分くらいまでは。 ……うーん、しかしねー、何といいますかー、舞台は第二次世界大戦敗戦後、わずか数年の日本なんですよねー。 例えば登場人物の男女が、初めて二人きりで旅行をするシーンで、混み合った列車に共に乗っているのは、満員の「買い出し」の人々であります。 もちろん作者は、そんな事は分かっていながらこのシーンを書いているのですね。つまり、敗戦後の日本を舞台にして、フランス心理主義的恋愛小説をいかに形造るかという「挑戦」を、筆者は行っているわけであります。 そして、その結果はどうなったのでしょうか。 冒頭にも書きましたが、作品前半かなり優雅に書かれていた展開が、後半なんだか「貧相」な、コメディアスなものになっていきます。 それは、ストーリーとしてみますと、主人公である「武蔵野夫人」道子の「恋人」の勉が、一緒に住んでいた家を出て行くからですね。 それが結果として、去る者日々に疎くなる状況になってしまったわけであります。 しかし一方で、こんな説明があったりもします。 最後にまた勉と一緒に暮す幸福の幻影が浮んだが、彼女はそれも打ち消した。それは二人もまた秋山や富子と同じ畜生道に陥ちることだ。それじゃなくっても、あの子はあの女の肩へ手をかけたりするような子なのに。そうだ、財産を残したら、あの子だって少しは思い知るだろう。自分はやはり死なねばならぬ、と思い定めて道子は父の墓前を離れた。 筆者は、もちろんこういった感じ方に対して「批判的」であるのでしょうが、筆者の批判はともかく、このような考え方が一般的感性として根強く息づいている国民集団に「不倫小説」を定着させるのは、実際なかなか容易なことではありませんよね。 道子は「死なねばならぬ」と思い詰めるわけであります。 そして、さらに「死ぬ」ことについて、こんな風に書いてあったりします。 墓石は無論答えなかったが、武士の子であった父が、よく自分は死生観について筋金が入っていると自慢していたのを思い出した。「私の子供のころ、日本人はまだよく腹を切ったものです。キリスト教が自殺を禁じているのは、奴隷にどんどん自殺されては主人が損するからですな。儒教にはそんなふやけた思想はありません。死んで死に甲斐がある時自分を殺す。これは立派な君子の行為ですからな。わが国の切腹は儒教の当然の帰結です」 私の連想はここでふと、別の小説に飛ぶのですが、本作の書かれたのは1950年(昭和25年)であります。ベストセラーになりました。 そして同じく戦後ベストセラーになった太宰治の『斜陽』の発表は、1947年(昭和22年)であります。 それぞれの作者の意図も違いますし、作品の狙いも違いますので単純な比較は出来ませんが、『武蔵野夫人』より3年前に書かれた、『斜陽』の主人公和子の「恋と革命」意識が、いかに斬新な価値観を表現したものか、一方の道子の旧弊なモラルとの隔たりに(もちろん大岡昇平は、そんなモラルを持つ主人公として描いたのですが)、私は少々驚いてしまいました。 そういえば、どちらも金も物資も何もない戦後日本を描きながら、太宰はそんなものは何もなくても、『桜の園』のように『斜陽』を描きました。 大岡の本作は、心理小説としては一定のレベルは保っているとは思いますが、私としては読者の「わがまま」で、今回読まなかった太宰の「新しさ」に、改めて目を洗われるような気がしました。 少々申し訳ないまとめではありますが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.17
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『武蔵野夫人』大岡昇平(新潮文庫) 「恥の多い人生を送って来ました」と書いたのは太宰治ですが、わたくしも振り返って見ますれば、「恥」はもちろん今に至るもとても多く、そしておそらくこれからも恥だらけの人生であろうとは想像できますが、その恥にも増して、たいがい「ムダ」の多い人生でもありました。 それは趣味的なもの、そもそもわたくしは熱しやすく冷めやすくという性格でありまして、いろんなものに一時期凝って、しかし極めるところまでは行かず、ものにならずと、……まーしかし、それはきっと私だけでもないだろうとは思うんですがね。でしょ。 とにかくいろんなものに散財をし(「散財」だなんて、そんな大層なことは本当は臆病者ですからできもせず、ちょっとお小遣いを傾注した程度のことなんですけれどもね)、そして今となっは、何も残らない、と。いえ、「ムダ」だけが残った、と。 そんなものならずのだらしない趣味もさることながら、今回私がちょっと思っているのは別のことで、それはものにならなかった学問のことであります。 まーこれは、まだこれから先のことは分からないとも思いつつ、しかしこの年になって改めて勉学に励むというのはなかなかパワーのいることで、世間には停年退職後大学に再入学する方も今の時代けっこういらっしゃるものの(私の知人にもいらっしゃいますが)、でもちょっと大変そうであります。 そんなわけで、取りあえず「今のところ」というエクスキューズを一応付けて、ものにならなかった学問に、大学の第二外国語があります。 しかしこれも、ほとんどの方について同様でありましょう。 先日、外交官の方のお話を聞く機会があったのですが、その方は英語とロシア語は話されるものの、大学で学んだ第二外国語のフランス語はものになっていないとおっしゃいました。なるほどねー。 とにかく、今出ました「フランス語」であります。 全く何の役にも立っていませんねー、私の場合。 大学時代、最初のフランス語の授業の時に、先生が、「あなた達のほとんどは、大学の必修単位として無理矢理フランス語を学ばせられるというのが実際の所だと思います。実にお気の毒と思いますが、せっかくですから、一つだけ学んだらいかがでしょうか。」というニュアンスのことをおっしゃったのを憶えています。 そして一つだけ憶えておきなさいとおっしゃったのは、フランス語の読み方のことで、これは英語に比べて法則性が高く、基本的な発音方法さえ最初に憶えたら、後は意味は分からないでもとにかく読める、という事でありました。 私は、先生のそのご意見に何となく納得しまして、なるほど読めるようにだけはなろうと、本当に「最低限」の努力はしたんですがね、そして一時は、その通りに取りあえずフランス語の文を読める(発音できる)と言うところまで行ったはずなのに、……はずなのに、ああ、はずなのにぃ……、今となっては忘却の彼方であります。 「ムダ」ですなぁ。 ところで、そもそもなぜ私が、第二外国語にフランス語を取ったかといいますと、これは打てば響くように言えますね。 芸術の国フランス、文学の都パリ、と、とってもミーハーな文学青年だった私は考えていたからであります。 だって高校3年生の頃私が読んでいた小説家、例えば大江健三郎ならサルトルでしょ、倉橋由美子はフランスのヌーボロマン、三島由紀夫はフランス心理主義小説と、当時、現代日本文学のはやりの「店舗」は、ことごとくフランスが「元祖・本家」という感じであったように思います。 その中でも、三島由紀夫が影響を受けたフランス心理主義小説、恥ずかしながら私も、頑張って読みました。(もちろん、ものにならなかったフランス語ではなく、翻訳で。) 『クレーヴの奥方』『マノン・レスコー』『危険な関係』『アドルフ』そしてスタンダール、など。 面白かった記憶はあるんですがねー。というより、なるほどこんな書き方が小説の本道なんだなと感心した覚えがあるんですがねー。 今となってはやはり、忘却の彼方であります。 えー、なかなか、冒頭の小説につがっていきませんねー。 毎度の事ながら、とっても申し訳ない思いであります。(本気で反省せーよ。) というわけで、申し訳ないながら、次回に続きます。どーも、すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.13
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『戦中派天才老人・山田風太郎』関川夏央(ちくま文庫) 山田風太郎は、このブログでかつて一度取り上げたことがあります。 このブログの数少ないコンセプトは、高等学校で用いられている『日本文学史』の教科書に近現代文学として取り上げられている小説家を対象とするというものであります。 (そもそもの初めは、そんな教科書が大型古書店舗で105円で売っていたのを買ったことから考え出したという、そんな安易なものなんですがー。) しかしそんな教科書には、山田風太郎は出てきませんね。江戸川乱歩も出てきません。司馬遼太郎だって危ないところです。そこでもう少し「規制」をゆるめまして、風太郎も乱歩も(乱歩は何回かにわたって書いています)、さらに国枝史郎なんかも書いてみました。(取り上げた国枝史郎の作品は三島由紀夫が絶賛していたもので、こういう、文学史教科書に載っている作家が褒めている小説、ってのもけっこう選ぶポイントにしています。しかし、そう考えれば何のことはない、たんなる「権威主義」でありますなー。) 文芸評論家においても同様のことが言えます。 これも放っておくと、小林秀雄くらいしか文学史教科書には出てきません。 まぁ、小説がベースという考え方でしょうからそれでもいいのかなとは思いますが(一方で、日本の文芸評論には歴史に残る作品が少ないことも事実のように思いますが)、斉藤美奈子なんかも取り上げてみましたし、そして、今回の読書報告の作者、関川夏央もであります。 本書にこんな表現があります。 「元来、手品みたいなことが好きなんだな、ぼくは。手品みたいなことばっかり書いている。しかし、これは文学じゃないんだな」――それは志賀直哉が長生きしすぎて、志賀先生が好まなかった作物は軽んじられた、そのせいでしょう。ぼくも手品が好きですよ。手品みたいな文学が大好きです。 少しだけ説明をしておきますと、本書は「座談的物語」(筆者の表現)になっていて、一重カギでくくっているのが山田風太郎の発言という形になっています。 そんな長編インタビューみたいな本書ですが、前半のテーマは主に「老いと死」であり、後半のテーマは、山田風太郎の半生を追いながら「戦中日記」を中心に語っています。 後半も悪くはないですが、切れ味の良いのは前半です。 筆者自身が再三指摘していますが、「老いと死」をめぐる山田風太郎の発言は、全編これアフォリズムといった体を成しています。 例えばこんな感じ。 ――人間には、他人の死やボケをやたらにおもしろがるところがあります。「そのかわり、自分の死だけには驚く虫のいい動物でもあるね」「(略)そもそも人間は、自分で死にかたを選べない。大半の死は推理小説のように、本人にとってもっとも意外なかたちでやってくる。いわば、人生の大事は大半必然にくるのに、人生の最大事たる死は大半偶然にくる」「千人近くもの人の死を見て思うことは、人間の死には早すぎる死か遅すぎる死しかないということだ。主観的にも客観的にも早すぎず遅すぎず、ぴたりといいところで死んだ、などという幸福な人間はまずいない」 「千人近くもの死を見て」という部分は、山田風太郎の怪作『人間臨終図巻』の事を指すのですが、この作品がまた、びっくりするような面白い作品であります。 そして後半の「戦中」の部分は、山田風太郎自身も認める「戦中派」という世代の一般的共通認識というとらえ方に、基本的には収斂しつつ、しかし随所に独自の鋭い観察眼が光ります。例えばこんな所。「よく思うんだが、軍事教練ほど軍に害を呼んだものはない。どの学校でも学生たちは教練の将校をばかにしていた。中学だけじゃない、東京医専でもおなじだった。また、実際ばかにされても仕方のない人物が多かったんだ。そのやりかたも不合理そのものだった。そのせいで当時の知識青年たちは誰も軍人を尊敬しなくなったんだな。それは戦後にも引きつがれていて、戦後という時代の色調のひとつをつくった。一大愚行といわざるを得ない」 こういう「透徹した」視線は読んでいてとても面白いですね。イデオロギー的なものから離れた、純粋な知性というものの美しさのような気がします。 と、そんなことの書かれた本書でありますが、筆者関川夏央の功績は、例えば日本人に圧倒的人気を誇る歴史上の人物坂本龍馬の明るさが、司馬遼太郎の作品によって作られたように、山田風太郎の風貌を、木訥とした天才老人に「設定」したことでありましょうか。 これこそが、筆者の「批評」内容であり、そして実に見事な人物紹介といえましょう。 私は関川夏央の本をいつもとても面白く読むのですが、読むほどに、そこに張り巡らされている仕掛けをつい考えてしまうのは、本当は少々品のない読書法であるのかも知れませんが。……反省。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.10
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『二百年の子供』大江健三郎(中央公論社) 上記「ファンタジー」の読書報告の後編であります。 「ファンタジー」である(と筆者がおっしゃっています)本作が、私はとっても読みづらく難渋したということを、前回書いておりました。 そして、その原因の中心は、それこそ大江健三郎のデビュー作以来いわれている、実に独特な文体ゆえであります。 こんなエピソードを思い出すのですが、三島由紀夫が、人から「次の日本人のノーベル文学賞受賞者はあなたでしょうね」といわれた時、「いえ、大江君でしょう」と返したという話です。 三島由紀夫の批評眼には定評がありまして、「一に批評家、二に劇作家、三、四がなくて五に小説家」といわれたほどだ、と。(しかしこれは褒めているのか貶しているのか分からないフレーズですよね。) その三島が、大江をノーベル賞レベルと評価し、そして、その通りになったわけですね。 そして、その大江の文体が、私には難しい、と。 ……ということは、私にはほぼ純文学なんて分からないということでありますわね。 いえ、まー、別にそうであってもいいんですがー、少しだけ、言い訳っぽいことを書いておきますと、大江健三郎が芥川賞を受賞した時、文豪谷崎潤一郎は、私には大江君の文章がよく分からないといったとかいう話も、ちょっと知っています。 (ついでのついでの話ですが、三島由紀夫は、谷崎潤一郎の批判能力について、自らの才能の質を正確に認識して生涯ぶれなかったのは、自己に対する批判的能力としては極めてすぐれていたと褒めましたが、その前に、他人の作品についての批判能力は、谷崎はほぼ無能であったように書いています。) さて私は、冒頭の本を、特に文体に注意しつつ読んでいったのですが、例えばこんな所に注目しました。 翌日、あかりと真木は、朔が向こう側での出来事をまとめるための調査について行った。 アサ叔母さんも、子供の時に岩鼻へ遊びに行って、岩から魚のかたちにはがれた石をひろっては、穴を開けて笛を造ったって……ウグイの石笛というそうだ。 別々の場所から抜き出した二文です。別にどうということのない文だとも思いますが、目で読み終えて内容を理解するのに、一瞬の遅れ(理解するのに懸かる時間)があるように感じるのですが、どうでしょう。 一文や二文だけではどうということはありませんが、こんな文が続きますと、これはけっこう「ストレス」ですね。ただ、慣れるとそうでもないような気もします。 どちらにしても、ここに描かれている文は、解説・説明の文というよりは、詩や戯曲のための文のように思います。 意味が一瞬遅れて後追いにやってくる。だからその一文一文に、謎と解決が現れてくるともいえそうですし、ちょっとそれに疲れますと、わかりにくいと感じてしまいそうです。 そう言えば、作品の構成も同様になっています。出来事をまずそのまま辿り、その意味は後で少しずつ現れてくる、もっともこれは小説の構成の王道であるのかも知れませんが、見通しがよくなるのは、絶えず一つのエピソードの終盤からであります。 そんな、いわば息の抜けない読書が要求されると、私は読みながら思ったのですが(だから読み終えた後には勉強になったような気がすると思ったのですが)、しかしそのプロセスを過ごした後に現れてくるものは、やはり私が若かった頃に感じた「大江健三郎的感動」と同種のものでありました。 それはいかにも世界文学としての「大江的」な、個人的な体験から人類的普遍の課題に繋がっていく広がりを持った「感動」であります。 ――パパがさ、東京の家の居間のソファに寝そべって、いまの日本人には関係のないような本を読んでるでしょう? そして、面白いなあ! と大声でいうんだ。 ほかにはだれもいなかった時に、どんな内容? とおつきあいに聞いてみたらさ、書かれている内容より、書き方が面白いって……つまり、「言葉」が新しいんだ、というのね。 そして、「新しい人」は、「新しい言葉」から作られる、と格言みたいなこともいった。 そう言えば、読んでいて名詞にとても力があるとも私は感じたのですが、このように「『新しい人』は『新しい言葉』から作られる」と大江健三郎がいうと、確かにそういう努力をこの作家は絶えず行ってきたのだと納得され、とても強い説得力を、改めて私は感じたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.06
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『二百年の子供』大江健三郎(中央公論社) 私が高校生から大学生にかけて、その頃の現存小説家で、新しい作品が出る度に買ってしっかり読んでいた作家は、たぶん大江健三郎と安部公房だったと思います。 でもそれは別に特別なケースではなくて、きっと少なくない「文学青年」の読書傾向が同じだったと思います。 その新刊書の中心にあったシリーズは、なんといっても新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」ですよねー。 大江健三郎で言えば『洪水は我が魂に及び』あたりでしょうかね。そして安部公房で言えば、これは脂の乗りきった頃の公房の作品のほとんどが入ってきますものねー。『燃えつきた地図』『砂の女』『箱男』『密会』『方舟さくら丸』と、まさに公房の文学的変遷がそのままに辿れる作品群であります。 大江と公房以外にも、遠藤周作の『沈黙』があったり、倉橋由美子の『聖少女』などがあったりと、こうしてみるとあのシリーズは、昭和時代後期の文学史そのものでありましたねー。 でも、あのシリーズ、いつくらいまであったのでしょうね。どうしてなくなっちゃったんでしょうね。 そもそも私は、どの辺りまであのシリーズを追いかけていたのでしょうか。 大江の『同時代ゲーム』、だいたいこの作品が、私にとっては少々「ケチの付き始め」(えー、よくない表現ですみません。極々個人的な感覚のものであります。すみません。)でありまして、買ったけれど最後まで読み切れない作品でした。今でもこの作品は読んでいません。(でも、まだ家にありますので、また頑張って読んでみましょう。) 丸谷才一の『裏声で歌え…』辺りは、このシリーズの最後のほうなんでしょうか。 筒井康隆の『虚航船団』はどうなんでしょう、なんか私のイメージでは、このあたりから「純文学書き下ろし特別作品」のきらめきが失われてきたというか、パワーがあまり感じられなくなったというか、例えば新聞に新刊の広告が出ても、「あっ」と声を挙げて、「これは買わなければ」と呟いて、そして、わくわくしながら本屋に行く、という感覚がなくなってきたように思います。 なかなか大変ですねー。 というわけで、大江健三郎作品の読書報告を書こうとしているんですが、率直なところを言いますと、実に読みにくかったです。 本作品は、本の帯に「私の、生涯唯一のファンタジー」と書かれているように、どちらかといえばごく若い読者層を想定して書かれたと思うのですが、いえいえ、なかなかそんな取り組みやすい作品とは思えませんでした。 ただし、だから面白くなかったというわけではないところが、やはり、大江健三郎の凄いところで、こんな本を読み終わると、何といいますか、「うーん、いい勉強をしたなー」という感じになるんですが、それって、元々の素地が賢くない私故、でありましょうか。 そこで、かつての若かりし日の自分の読書のことを思い出したのでありました。 あの頃私は、どんな感じで大江健三郎の作品を読んでいたのであろうか、と。 あの頃、大江の小説の多くは新潮文庫に入っていました。(大江だけではなく、新潮文庫は純文学小説に強くシフトした文庫でした。今はどうなんでしょうか。) 一時期はそのほとんどを読みましたよ。長い『遅れてきた青年』なんかも読みました。 新潮文庫じゃなかったですが、『万延元年のフットボール』も、とても面白くて、ほぼ徹夜をして読んだ記憶があります。 (これは以前にも書きましたが、数年前に『万延元年……』を再読しようとしたら、なんかとってもむずかしくって、途中で止めてしまいました。) 二十歳前後の頃の私は、よく分かっていたのでしょうか。 でも内容的には、今思い出しても、とても面白かったような気がします。 ポイントは、何といっても、あの文体ですよねー。あの文体に、若かった頃の私は充分堪えられていたのでしょうか、我が事ながら、とても不思議な気がします。 というのも、今回の作品、「ファンタジー」と銘打たれておりながら、読むのにとても時間が懸かりました。少し読んでは本を閉じ、の繰り返し。 それこそ、なぜこんなに読みにくいのかということを考え考えの読書でありました。 そして、私なりに考え、思ったことは、もはや大江健三郎作品について「定説」であるような、実に独特な文体のことでありました。 えー、続きます。すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.05.03
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