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『司馬遼太郎の「かたち」』関川夏央(文春文庫) えー、冒頭文庫本の読書報告の3回目になってしまいました。今回で、頑張っておしまいにしたいと思います。 前回の文章の真ん中当たりに、私は関川夏央のお話(随筆、評論含む)の面白さを、「山田風太郎的面白さ」と書きましたが、文体的にもよく似たこんな感じがあります。 その前夜、酒席で「大サービス」をした司馬遼太郎は、腰部近辺の痛みの鍼治療を受けるため自室に退こうと立ち上がりながら、和田宏と中央公論社の山形真功に、部屋へ来ないか、といった。スウィートだから次の間がある。そこで治療が終るまで飲みながら待っていてくれ、というのである。夜半に部屋まで、それも治療中に、そんな誘われかたははじめてで、和田宏はとても意外な気がした。 和田宏にとって、またほとんどの編集者たちにとって、この名古屋が司馬遼太郎との最後の語らいの機会となった。 これは司馬遼太郎が亡くなる1966年の正月の話なんですが、こんな書き方は明らかに伝奇小説的な書き方、いわゆる「語り」の文体ですね。 一昔前の文芸評論家なら(たぶんちょっと恥ずかしく思ったりするのかも知れませんが)こんな書き方はしません。でも、このほうが、間違いなく面白いですね。 (以前『坊っちゃん』について本ブログで取り上げた時に、「坊ちゃん」の通っていた学校はどんな学校であったかということなどを考察した関川夏央の文章に触れましたが、その時も、読んでいてあっと驚くようなストーリー性(伝奇性)を持った評論の展開でありました。) さてそんな関川夏央の司馬遼太郎論ですが、これも前回の最後に、一言だけ書きましたが、本書は司馬遼太郎の小説についてはほとんど言及していません。なぜなら、筆者が対象として取り上げた亡くなる前の10年間に、司馬遼太郎は一作も小説を書いていないからであります。 この10年間、司馬遼太郎の書いたものは(単発的な作品をはずすと)、『この国のかたち』と『街道をゆく』シリーズだけでありました。 「エッセイ書くと小説書けんようになるねん」というのが司馬自身の言葉でしたが、そしてその通りとなった10年間、言い換えれば、本来司馬遼太郎が司馬遼太郎である第一義的な仕事を外した後の司馬遼太郎の、いったい何を、関川夏央は描くのかというと、実はこういった「寝技」的な書き方が、関川文芸評論の特徴であります。 白樺派を描くのに、武者小路実篤の「新しき村」運動を中心に据えたり、前述山田風太郎を描くのに架空の対談の形を用いたりと、様々な仕掛けを施しています。 本書も同様で、小説を書かなくなった小説家を描くという形を取りながら、結局筆者が描いているのは、総体としての司馬小説の実体評価であり、その様な実体を生んだ作家の苦悩でありました。 まずその評価ですが、それは一言で言えば、 司馬文学は永遠の青春文学であったということであります。 そしてこのように評価される歴史小説作家としての苦悩の対象が、大きく二つあったと筆者は説きます。 その一つは、司馬遼太郎評価を巡る有名な部分ですが、『この国のかたち』の第3回に出てくる、司馬遼太郎がやや冷静さを欠いたような、「鬼胎」「異胎」という言葉を用いて呼んだ、日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦までの四十年のことです。 関川は、しかしこの時期は間違いなく、あのさわやかな『坂の上の雲』の時代が生んだものだと説きます。つまり、一つの時代=青春が終わったのだと。 もう一つは、晩年に司馬遼太郎が遭遇してしまったバブル景気であります。 特に司馬が憤ったのは、地価の急騰でありました。日本国民がこぞって、国土を安易な経済対象としたことに、司馬は激しく反発し、太平洋戦争敗戦後の、何もなかったが未来だけは開かれていたような日本社会の帰結が、この有様かと苦悩します。 そして本当に司馬の苦悩を深めたのは、この両者の時代の迷走の根幹に、「国民=民衆」の意思が大きく関わっていることを「国民作家」司馬遼太郎が熟知しているという事だと筆者は説きます。 最晩年の司馬遼太郎が、自分はたぶん21世紀には生きていないだろうという文を書き、小説を捨ててまで生き急いだように日本の未来への提言をし続け、そしてそのあげくの死について、筆者はこんな風にまとめます。本書の結語であります。 一九九六年二月十二日午後八時五十分,史上最高の青春小説の書き手にして、晩年には強烈な憂国の思いから、「この国のかたち」を、文字どおり精魂こめて十年間書きついだ偉大な作家、「司馬さん」は長逝した。七十二年と六カ月の、はなばなしくも実り多い生涯であった。 しかし、もし「司馬さん」が今生きていたとしたら、……いえ、二十一世紀の憂いの限りの日本の姿をお見せしない方が、きっと「司馬さん」への、我々のせめてもの志でありましょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.29
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『司馬遼太郎の「かたち」』関川夏央(文春文庫) 冒頭の文庫本の読書報告の2回目であります。 前回述べていたのは、 山田風太郎--関川夏央--司馬遼太郎という「トモダチの輪」でありましたが(なんかよくわかんない話だな)、私に山田風太郎小説の面白さと(特に明治小説ですね)、そしてそれが司馬遼太郎の諸作に匹敵するものであることを教えてくれたのが、関川夏央なんですね。 だって、一般的に考えて、山田風太郎と司馬遼太郎ではバランス取れてないって感じがするではありませんか。司馬遼太郎が「日本国のご意見番」のごとくであるのに対して、山田風太郎といえば、痛快ではあるが所詮荒唐無稽な大衆伝奇小説作家、って感じではありませんか。(かなり勝手なバイアスがかかっているんでしょーかー。) (ついでの話ですが、そしてこの話はどなたをも貶めるつもりで書くのではないのですが、当時山田風太郎の文庫本の表紙を(角川文庫ですね)描いていらっしゃったのが佐伯俊男という画家でありまして、この方がまた、何といいますかー、控えめに言いましても、とってもインパクトの強い画風でありまして、いえ、はっきりいいますと、いやらしさの極地、エロスの固まりのような画風で、つい手に取ってみたくなると同時に、内容も同種のインパクトのある本かと、……まー、別にそれでよろしいんですがー。) えー、すみませんが、もうちょっとだけ、関川夏央との出会いの話をしますね。 山田風太郎の話を読んだ後、目に付いた関川夏央の本を、改めて私は次々と読んでいったのですが、それがどれもこれもとても面白いではありませんか。 でも私は思っていたんですが、この面白さは「山田風太郎的面白さ」である、と。 つまり、後世有名人となる人々の無名時代を描きつつ、その有名人同士をストーリーの中でぶつけ合わせるというパターンで、これはなかなかお話を二次的にわくわくさせる効果を発揮するのですが、その嚆矢はたぶん山田風太郎の明治小説である、と。 その「山田風太郎的面白さ」の最も典型的な例がこれであります。 『坊ちゃんの時代』(全五冊)漫画・谷口ジロー 関川夏央は原作を書いているんですが、これがとっても面白いんですねー。 常々私は、日本漫画のほとんど無限のごときキャパシティーの大きさ広さに感心をしているのですが(だって現在漫画にならない分野のものって、もうほとんどありませんよね。小説はもちろん、映画をも遙かにぶっちぎっているという感じです)、これも、漱石・鴎外・石川啄木・幸徳秋水など、文学者を主人公にして、素晴らしい漫画世界(新しい漫画の地平)を造り出しています。 と、さて、そんな関川夏央のかいた司馬遼太郎論でありますが(やっと、前回の最後に戻ってきましたが)、前回の冒頭に私は「メンター」の話を少し書いたのですが、本当は司馬遼太郎は、「メンター」じゃ、ないですよね。 司馬遼太郎はやはり、「メンター」というよりも、上記にも書いていますが「ご意見番」でしょう。そんな感じがします。 (また、ついでの話ですが、わたくし、常々(「常々」ばっかりやぁ)思っていたんですがね、司馬氏亡くなって既に16年、後述しますが、ますます日本国は大変な状況下にありそうですが、司馬氏亡き後「日本国のご意見番」となっていらっしゃるのはどなたかと。ちょっと小粒で、知識の方向性は異なり、かつ、そう言った役割をかなり避けていらっしゃいそうですが、わたくし思うに、養老孟司氏ではないか、と。いかがでしょう。ついでのついでに、さらにもしこの養老氏がお亡くなりになれば(まっこと失礼な仮定ですみません)、次のこの役割は内田樹氏ではないか、と。そんなことを考えているんですけれどね。) ところが、今となってはそんな風に単純に、当時の「日本国のご意見番」のごとくに思える司馬遼太郎ですが、実は晩年になるまで、リアルタイムの政治に意見を述べることを極力はばかっていたと、本書にはあります。 最晩年の『この国のかたち』においても、直截な形での政治論評は描いてありません。しかし司馬氏の晩年(『この国のかたち』を書いた1986年~96年)は、地価急騰(いわゆる狂乱バブル景気)から始まってその崩壊、阪神淡路大震災に続いてオウム事件と、司馬氏にとっては「不幸」と言わざるを得ない時代でありました。 なぜ司馬氏にとって「不幸」なのか。それも、本書に書いてあります。 それは、司馬氏が常々「エッセイ書くと小説書けんようになるねん」と言っていて、そしてその通りになってしまったことです。 だから、本書は、小説家司馬遼太郎が小説を書かなくなってからの10年間を描くという(事実小説についてはほとんど言及のない)、極めて「偏った」評論になっています。 ……が、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.26
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『司馬遼太郎の「かたち」』関川夏央(文春文庫) 「メンター」という言葉があるそうで。 大概、流行ものとか流行言葉に縁のない人間で、新聞紙上に注釈もなくその言葉が出てくる頃になって初めて、はてこれはどういう意味の言葉だと感知し、そしてちょっとごそごそ調べ、いわばトラック二回りくらい遅れて新しい言葉を(所詮その多くはすぐに廃れる流行言葉なんですがねー)読みます。 「メンター」なんて言葉もその一つで、これも何の注釈もなく、新聞の地の文に出てきて、また知らない言葉だ、困ったことだなー、と。 そんな時は、安易と言われても、取りあえずインターネットは便利ですよねー。少なくとも入門的知識については、ちゃんとフォローしてくれます。 こんな感じで書いてありました。 メンター=特定の領域において知識、スキル、経験、人脈などが豊富で成功 体験を持ち、役割モデルを示しながら指導・助言などを行う人。 なるほど。『オデュッセイヤー』にその語源を持つ、なんて事も書いてあります。 『オデュッセイヤー』なら確か私、大昔に読んだような気がするんですが、当然の事ながら全く記憶に残っておりません。(いばるなよー。) さて、「メンター」の話です。 はばかりながら、わたくしも考えて見ますれば、ずるずると近代日本文学小説をうん十年も読んできまして、その間、今考えてみたら「メンター」と言えるような書き手が、確かに書籍の中にいらっしゃいました。 思うのですが、この「メンター」ってニュアンスは、いわゆる「評論家」(文学対象なら「文芸評論家」)というのとは、ちょっと違うような気がするんですがね、わたしとしては。 ひょっとしたらそれは私の勝手な思いこみかもしれませんが、とりあえず私的にそう思っておきますね。すみません。 で、考える「メンター」ですが、小説をちょっと気合いを入れて読み始めた頃の私の「メンター」は、たぶん丸谷才一氏であったんじゃないかなと思います。 もちろんご本人とは面識はありませんが、丸谷氏の文学関係の随筆をかなり読みました。丸谷作品を通して、様々な作品の評価を学びました。いわゆる、最も信頼できる書き手でありました。 その後も長く丸谷氏の「ファン」みたいなものであったのですが(もちろん丸谷氏の小説も含めて)、しかしまー、読者とは勝手なもので、そのうちちょっと別のものを摘み食いしたくなったりします。 摘み食いしたものがなかなかよかったりすると、もう「河岸」を代えてしまって、かつての「メンター」を、勝手に「もう丸谷も世代交代だな」なんて傲慢に思ったりなんかして、……うーん、難儀なものですねー。(いえ、本当は今でも丸谷エッセイは大好きなんですが。) で、私の日本文学の次の「メンター」なんですが、それが今考えてみれば、関川夏央ではなかったかと。この方を、日本文学については、私かなり信頼しています。 (ついでの話ですが、関川夏央と並んで、私が日本文学について信頼している作家はもう一人いまして、それは高橋源一郎であります。この方もとっても面白いんですが、それはまた後日。) 私が関川夏央のことを「信頼」し始めた最初の本は(初めて読んだ本ではありません。これ以前にも何冊か読んでいたはずで、でもなぜかあまりピンとこなかったんですね)、たぶんこの本であります。 『戦中派天才老人山田風太郎』(ちくま文庫) この本はまた、めちゃめちゃに面白い本で、後日再読して本ブログで取り上げようと、わたくし密かに狙っておりますんですがね。 なぜこの本で関川夏央を見直したかと言いますと、山田風太郎の面白さと凄さを教えてくれたからであります。 それは、少し大きなとらえ方で言いますと、私の中で、日本文学史における山田風太郎の位置づけを換えてくれたと言うことで、それ以降、私は関川夏央の文芸評論の類を(そのほとんどは純粋には文芸評論とは言えないと思いますが)、「日本文学史の新たな書き換え」のごとくに読み、そしてそのたびに、新しい解釈(新しい評価)の記述に、驚きと快感を感じているのであります。 という、私にとって「メンター」な作家の書いた司馬遼太郎論でありますが、司馬遼太郎といえば、実は本文中にもありますが、出版界の「困った時の司馬頼み」、あたかも日本国のメンターのような人が、特に晩年の司馬遼太郎でありました。 本書は、そんな話なんですが、えー、次回に続きます。すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.22
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『虚構のクレーン』井上光晴(新潮文庫) えー、この作家は、とりあえずわたくし、「第二次戦後派」のカテゴリに入れたんですが、まー、もともとさほど意味があったり、学術的な裏付けがあったりしてのカテゴリではありませんから、いろんなところでぼろぼろと無理が出たりしています。 でも、今回読んだ小説なんかはいかにも「戦後派」的な作品です。 主人公の青年・仲代庫男を中心に、昭和二十年の春あたりから初冬くらいまでの頃という、昭和史の中で最も「濃いー」半年を時代背景に、友人や地域、さらにはひと時すれ違った程度の群像も巻き込んで描いていきます。 その描き方は、例えばこんな感じです。 なにか不思議に恐怖感はなく、はね上がる火焔とまきこむような音をたてはじめた煙の下で、東京の空襲はひどかったからなという気持がどこかにうかび、この街はあまり爆弾の音もしないで燃えはじめたなと彼は思った。立上がった時、また意味のわからぬ叫び声と悲鳴がたてつづけに起り、その悲鳴にさからうようにして彼は走った。自分の神経がまるで現実の空襲の外側のところをまわっている感じで、足だけがぴくぴくと前にでた。 どうでしょう。こういう描き方は、どの様に考えるべきなんでしょうね。 なんかとっても「素っ気ない」様な感じがするんですが、そんなことないですか。 例えば坂口安吾の『白痴』に、主人公が空襲に合って逃げ回るシーンがありましたが、あの「情念」的な描写に比べると、とてもクールな気がします。 でも、現実の場面としては、こっちの方がきっと「リアリズム」なんでしょうね。 実際、人間って、ほとんどどんな状況下にあっても、いつの間にかそれを日常にしてしまいますものね。例えばこんな描写。 「死なんでもよかったのにね」津川工治はいった。 「うん」鹿島明彦は声だけの返事をした。 「どうなるかね、これから」 「何が……」 「いや、日本さ、朝鮮も台湾も失くしたらどうもならんやろう」 「なんとかやっていくさ、なんとか生きていけるよ。空襲でやられたと思えばどんなことでもできるけんね」 「死んだものは損だな」 「死んだらいかんよ、折角生き残ったのに、いま死んだらいままで何のために生きてきたかわからんけんね。天皇陛下だって生きとられるんだから。……天皇陛下が戦争で死なれたら一緒に死ぬ意味もわかるけど、いまさら自殺してもどうにもならんよ」 主人公が聞く、敗戦を告げる玉音放送のシーンも、何かちっともドラマティックでなく(もちろん作者がそういう風に書いているんですね)、上記引用文の、会話をしている二人の青年は仲代庫男の友人ですが、彼らは敗戦後いち早く、軍の建物や市役所に忍び込んで物資を盗み回ります。実に「あっけらかん」としております。 結局の所、この小説は、登場人物の内面に深く食い込んで描いていくタイプのものではなく、個人の行動、人間同士の関係が、次の個人の行動を生みだして、次々に展開していくという形のものではないか、と。 ただ描かれているのが、貧しい人々であったり、炭坑で働かされている朝鮮人であったりしているので、それをがちがちに書いてしまうと、とっても「重苦しく」なってしまうのかも知れません。(とはいえ、「戦後派」の人々は、そんなことをがちがちに描いている人が、結構いるような気はしますが。例えば、野間宏とか。) で、さて、ここからなんですがー、上記のように感じる本作を、私の好みは、はっきり言ってあまり可としないところに、何といいますか、少し困ったことだなーと、思っているわけであります。 いえ、それは、お前の知性のなさ、視野の狭さ、社会的問題意識の低さが原因だろうといわれると、はい全くその通りでございますと、ほぼ100%賛同致しますんで御座いますがね、いかんせん、わたくし、いい年をしていまだにピーマン嫌いですから……。 ちょっと後半、悪ふざけが過ぎたような文章になってしまい、誠に申し訳ありません。 しかし実のところ、私は本作を読みながら、描かれている事柄の重さは理解しつつも、それらが自分の「肌合い」と一向に合わないことに、苦痛、……ではありません、一抹の寂しさを感じつつ、最後まで読んでいたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.19
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『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫(中公文庫) さて、上記小説の読書報告の3回目になってしまいました。どーも、すみません。 今回は、前回までを振り返らず、一気に行ってみたいと思います。 キーワードは、「エンペドクレス」でした。 この「エンペドクレス」のエピソードは、主人公の薫くんが、ガールフレンドの由美ちゃんと電話で話した時に一番に出て、そして二人の喧嘩の切っ掛けとなった話題ですが、これが実は、今回読んでいて、私には今ひとつぴんと来なかったのですが、昔読んだ時は分かったんでしょうかね。 いえ、今回も、何となく分かった気になる、くらいの所までは分かった気になるんですがね、でもそれをもう少し明確にしたいと考えると、あまり分からないんですね。 まー、そんなものなのかなと思って読み進めていったのですが、次に小林君という友人が現れます。その小林君が、薫くんに長々と泣き言のような話をし、その後薫くんは急激にそして強烈に、社会に対して悪意のような憎悪のような感情を抱え込むのですが、このあたりも、分かると言えば分かるし、いえ、かつては確かに分かっていたような気がするのですが、それは何だっただろうと、なかなか思い出せないでいました。 その時、私に浮かんだのは、関川夏央の『本よみの虫干し』という岩波新書に書かれてあった、高野悦子の『二十歳の原点』に対する評論でありました。 私は本棚から取り出して読み返してみたのですが、わずか三ページの文章ですが、高野悦子を紹介するこんな書き出しで始まっています。 高野悦子は一九六九年に二十歳で、立命館大学史学科三年生だった。小柄で、笑うと八重歯がのぞいた。指が細くて長かった。美人だった。 そして、彼女が学園紛争の中に、急速に主体的に巻き込まれていく様子を綴った後で、彼女の紹介をこんな形で終えます。 そうして高野悦子の疲労は少しずつ積もった。彼女は六九年五月四日の日記に書いた。 「階級闘争あるのみ(ウソだなあ、どうしたってこれはウソだよ)」 五月二十三日、キャンパスで機動隊に投石し、連行された。逮捕はまぬがれたが、警棒で殴られ、髪を引っ張られた。六九年六月二十四日未明、睡眠薬の眠りからさめた彼女は下宿を出て歩き、列車に身を投じた。 (今、書き写していて気が付いたのですが、六九年の五月号の『中央公論』に『赤頭巾ちゃん気をつけて』は掲載されたのであります。あの頃時代の流行の雑誌は『朝日ジャーナル』だったと思いますが、高野悦子ははたしてこの小説を読んでいたでしょうか。) そして関川夏央は、三ページの文章の最後をこんな風に書いています。 六〇年代末、時代の空気には、彼女に限らず、誠実な青年に過剰適応を強いる悪意が潜んでいた。いたましい、とつぶやくのみである。 友人の小林君が帰った後で、彼の嘆きを引き継ぐようにしながら社会に対する憎悪を増殖していった薫くんのリアリティとは、まさにこの「誠実な青年に過剰適応を強いる(時代の)悪意」であります。 これこそが、この度本書を読んでいて、最初私が忘れていた(十代の頃の私には普通に感知できていた)時代の「ニュアンス」であり、筆者が、すぐに古びるピンポイントな固有名詞を駆使してまでこだわった六〇年代末であり、まさに筆者が描こうとしたものではなかったかと、私は感じたのでありました。 実は風俗小説を読み切るには、作品内各所に点在しているこんなちょっとしたスイッチを、一つずつ見付けて丁寧にチェックしていくことが必要であり、特に作品がリアルタイムを過ぎるとその発見は少々困難になっていくのですが、それは同時に作品解釈の楽しさにもなっています。 ところで、「エンペドクレス」はどこに行ったかといいますと、これも後になって私は、これが思わぬ伏線であったことに「あっ」と驚いたのですが、作品内にエンペドクレスの説明がこう書かれてあります。 「世界最初の、純粋に形而上的悩みで自殺した」 いうならば、全編を通して流れている「人類の知性に対する信仰告白」とでもいえそうな薫くんのポジティブ・シンキングな生活と意見に、小林君から引き継ぐ形で彼に襲いかかってきた時代の「純粋に形而上的悩み」(と、その克服)こそが、この作品のストーリーの骨子そのものではありませんか。 エンペドクレスは自殺をし、高野悦子も列車に身を投じ、しかし薫くんは、由美ちゃんの手を後ろから握りしめ、ゆっくりゆっくりと歩くのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.15
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『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫(中公文庫) 私の高校時代に面白い国語の先生がいらっしゃいまして、その先生にこの小説を薦めましたら、「僕には、ちょっと内容がちゃらちゃらした感じがして、うまく読み切れなかった」と言われました。 少しご年輩の先生でしたが、そう言われた時私は、なるほどこの小説の新しさは「年寄り」(なんと失礼な言い方でありましょうか)には分かるまいと思ったのを憶えています。(生意気なガキですよねー、わたしって。) (後日その国語の先生には、また別の小説、確か織田作之助の『夫婦善哉』を、面白かったですとお勧めしたら、それは僕も読んだとおっしゃって、「君はなかなか面白い本を読むんだね」と褒められたことも憶えています。) さて、冒頭の小説の読書報告の後半であります。 青春時代、「バイブル」のようにしてむさぼり読みながら、節操なくその後急速に熱を冷ました本書を、私は久し振りに読みました。 その感想を一言で言えば、「よかった。今でもとても面白かった。」でありますが、でもこの本は、一般的な小説として、今でも現役であるのかについては、少し疑問に思いました。 というのも、読み始めてしばらくして気づいたことですが、これだけ限定された時代の固有名詞が沢山出てくる小説は、あまりないんじゃないかと言うことであります。 流行歌手やテレビ俳優の名前が頻繁に出てきて(その中には、後に筆者が結婚した中村紘子の名前も出てきて、もちろん中村紘子は「はやりすたり」の方ではないでしょうが、少し微妙なところもありますよね)、また流行歌の歌詞なんかが(これは割と効果的な用い方をしている個所もありますが)あちこちに出てきます。 風俗小説の宿命ではありますが(いえ、別に「風俗小説」と限らなくても、そもそも小説とは世態風俗を描くものでありますから、それは逃れられない宿命ではあるのですが)、やはりいろいろなものが、特にその細かな「ニュアンス」において古びてきて、よく分からないものになっています。 しかし、繰り返しますが、ここまで時代にピンポイントな固有名詞がちりばめられている小説はあまり記憶にありません。 (村上春樹の『海辺のカフカ』の中に、井上陽水の歌の歌詞が出てきて、私は少し驚いたことがありました。村上春樹は、作品中に沢山の歌に関する情報を詰め込むことで有名ではありますが、そのほとんどはクラシック音楽であったり世界的なレベルで有名なポップスであります。それに、このころ発表される村上春樹の小説は、まさに「世界文学」レベルでありましたのに。) こういった固有名詞が一番に古びることを、小説家が知らないはずはありません。だとすれば、筆者の意図は一体どこにあったのでしょうか。 そしてもう一つ気になりながら読んだのは、「文体」であります。 古今東西、強烈に個性的な文体というものは、その作家の中においてもなかなか使い廻しのしにくいものであります。 例えば、初期の宇野浩二の文体とか、野坂昭如の文体とか(なんか関西っぽいのばかりですが)、あるいは平野啓一郎のデビュー作などもそんな感じがしました。堀辰雄などもそうではなかったでしょうか。 こういう、いかにも個人の色の付いたような文体は、とても特徴的で人々の印象に残りやすいですが、反面古びやすいものでもあります。 そんな意味で、本書もかなり個性的な文体でしたが(この文体に対してサリンジャーとの影響関係をうんぬんされていたのは有名な話ですが)、今でも読めるものだろうかと気になっていたのですが、率直なところ、思ったよりまだ読める、という印象を(少しほっとしつつ)持ちました。まだ現役的であります。 と、ここまでだらだらと、私の「再読の印象」といった程度の感想を羅列してしまいましたが、前回の報告の最後に、今回私がそのように読んだ、本書のテーマについて触れていました。 それは、結局本書には何が書いてあるのかと言うことですが、そのキーワードを前回最後に書いておきました。 「エンペドクレス」であります。 あ、今回もまた、同じ単語で終わってしまった。 どーも、すみません。次回こそは、終わりにしますので。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.12
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『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫(中公文庫) 本小説の初出は1969年とあります。そしてその年の芥川賞を受賞し、小説はベストセラーになった、と。 なるほど。私の年齢で言いますと、リアルタイムでの読書はちょっと無理っぽい微妙な年度ですが(シリーズ第4作目の『ぼくの大好きな青髭』が、私にとってはリアルタイムの読書でした。連載当時と単行本との内容が、大きく異なっているのに驚いた記憶があります)、しかし読みましたねー、この「薫くんシリーズ」は。 時代をほぼ同じくする方ならきっと大いに同感し、そして懐かしがっていただけると思いますが、本当に当時はむさぼるように読みました。 そして、すごく影響を受けました。 今日に至るまで、好きな作家はいろいろと出てきましたが、あれほど強烈に影響を受けた小説は、私にとっては、他にはないと思います。 それは、そのころの読書好きな青少年にとっては、おそらくライフスタイル全般に関わった、ほとんど「全人格的」な影響じゃなかったかと思います、私もその一人でありますが。(本作はベストセラーになったし、映画化もされていますから、別に読書好きな青少年だけに限ったわけではないですが、しかし読書好きな青少年にとっては、たぶん別格だったと思います。) そんな、そのころは我が青春の「バイブル」のように思っていた作品でしたが、その後急速に「熱が冷めた」(少々はしたない話ですが)のは、少し客観的かつ散文的に考えますと、やはり新作が出なかったからでしょうね。 同じような感じで、デビュー作『風の歌を聴け』から読み始め、それも始めはさほど「ぞっこん」の読者でもなかった村上春樹が、いまだに私のフェイヴァレット作家であることを考えますと、やはりある程度、次々と新作を発表していただかねば、読者はいつまでも付いていないことが分かります。 だって、恋愛と同じでしょう。どうしても去る者は日々に疎くなっていきます。 というわけで、この度、全く久し振りに本書を手にしましたが(例の大型古書籍販売店で再廉価本の棚にありました。私がかつて読んだ本は、たぶんもう我が家にはないと思いますが、ひょっとしたらどこか本棚の隅にあるかも知れません)、うーん、何といいますか、ちょっと、客観視しにくいですよねー。 あたかも、初恋の彼女に数十年ぶりに会ったみたいで。 脈絡のない、分析的でない感想が、だらだらと浮かんできたりしました。 この「由美ちゃん」は、今読んでもやはりなかなか魅力的なお嬢さんだなー、とか、あ、思い出した、乳房を見せてくれた女医さんはアンニュイに煙草を吸っていたんだっけ、とか、やはり久し振りに出会った初恋の彼女(別に初恋の彼女でなくてもよいとは思いますが)みたいに、あの遊園地に二人でよく行ったよねー、とか、カラオケでユーミン得意だったよねーとか、あなたはよく浜省歌っていたじゃない、とか、全くとりとめのない会話がしばらく続きます。 そして、少し落ち着いて振り返った時、私に浮かんだのは、この小説にはどんな事件が起こっていたのだったっけということでありました。 実は、この小説には、何も事件が起こっていなかったのであります。 スキーのストックに足の親指をぶつけて生爪を剥がした薫くんが、ガールフレンドの由美ちゃんと喧嘩をする(まー、じゃれているような喧嘩でありますが)話と、友人の小林君が家にやって来てぐずくずよく分からない話をして、そしてその後片足を引きずりながら街に出た薫くんが5歳位の女の子と知り合いになるという話と、まー、これだけであります。 出来事の量的なものだけで言いますと(一般的に考えられる「質的」なもので言っても)、例えば保坂和志の何も起こらない小説と同じくらいのものであります。 でも、言うまでもなく、保坂和志の小説とは読後感がかなり違います。(これは別に保坂和志の小説がダメだと言っているわけでは、もちろんありません。) では結局、この小説には何が書かれていて、昔の私は、一体何に強烈に惹かれていたのかと、少し考えてみました。 分かったのはこういう事でした。そして少し驚いたのですが、私の考えついた作品のテーマ(にひょっとして近いと思われるもの、あるいは作品全体の骨格)には、作品中にキーワードが書かれていました。これであります。 エンペドクレス えー、すみません。次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.08
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『暖流』岸田国士(新潮文庫) 筆者は、一般的には劇作家として知られていますね。だから(「だから」ということもないですが)一応本ブログのカテゴリーとしては、劇作家に置いておきました。本書は、実は小説であります。(今までも、萩原朔太郎とあっても、詩の読書報告は書いておらず、正岡子規とあっても、俳句の報告はしていません。えー、どうでもいいようなつまんない話で、すみません。でも、次、岸田国士を読む時はぜひ戯曲を読みたいと思います。) さて、病院が舞台の小説であります。 私はさほど知っているわけではないですが、病院舞台の小説って、結構たくさんありそうですよね。小説に限らず、映画でもテレビでも。 だってちょっと考えただけでも、病院というところは、いかにもいろんなドラマを生み出しそうではありませんか。 例えば、人の命のドラマ。生命のドラマは、いやがおうにも感動を生み出します。泣きます。 例えば、富裕層の人間関係のドラマ。医者といえば、高額所得者であります。病院といえば、そんな方々の集まりでありますから、すぐにそんなドラマは成立しちゃいます。富は人間の葛藤を生み出す最大の原因であります。 そして例えば、権力のドラマ。「パワハラ」とか「ドクハラ」なんて言葉がありますが、パワーエリートであるお医者さんによる病院内の権力争いとくれば、まさにドラマの温床ではありませんか。 そしてそれぞれに、なんか、どろどろとしてちょっとエッチっぽい話が絡んできそうですよねー。 (……えー、すみません。根が下品な人間なもので。でも、「お医者さんごっこ」といえば、うれしはずかし幼ないころのセピア色の記憶じゃありませんか。違うのかな。) というわけで、いかにも、病院はドラマの揺籃であります。 ありますが、本小説がそんな話かといいますと、そんな部分も全くないとはいいませんが、もう少し「やわい」です。(「やわい」とは、柔らかいといいますか、弱いといいますか、その真ん中あたりのニュアンスで用いました。) なぜ「やわい」かといいますと、思い当たる理由は二つあります。 まず「その1」は、本書が昭和13年に朝日新聞に連載されたものであるということ。本書の解説に、『暖流』というタイトルの由来を作者自身の言葉として紹介していますが、こんな文章です。 私はむしろ、最も冷酷な現実のなかにこそ人間の生きようとする意志が、「神聖な火」が燃えていることを信じ、たとえば風雪の海上に一脈の暖流を探ろうとするのである。 別に新聞小説だからということではありませんが(だって、漱石のほとんどの作品や鴎外の史伝まで新聞掲載なんですから。もっとも、鴎外の史伝は新聞掲載としては極めて不評だったそうですし、それにそもそも、漱石鴎外の頃と岸田国士の頃では新聞の読者層がかなり異なっているかも知れませんしね)、制作に当たっての筆者の意識が、さほど「タイト」なものではなかったということですね。 次に、本小説が風俗小説だということでありまして、風俗小説といえば、近年の日本文学の極めて上質な結実として、やはり丸谷才一の諸作品を外すわけにはいきません。そして丸谷風俗小説と比較して明らかな差は、風俗を描きつつ登場人物の心理にどれくらい深く食い込めるかという事だと思います。 ひょっとしたら、それは比べる相手がよくないだろうといわれるかも知れませんが(上記のように丸谷風俗小説は時代の一級品であります)、やはりそこに「弱さ」が見られるように思いました。 ただ本作を、もともとそんな「やわさ」の位置にある小説だと思って読みますと、例えば太宰治の『斜陽』ばりの設定と展開が出てきたりして、哀愁を大いに刺激するところがあったりします。 主人公の家族は、一代で大病院を作り上げた父親を中心にしつつ、その父親が亡くなった後、没落をしていくという展開の中にあります。 この、チェーホフの『桜の園』を彷彿とさせるような設定とは、そもそも近代日本社会にどの程度あったものなんでしょうか。つまり「没落」というものが、そこいらにあった時代、今の言い方でいえば「滑り台社会」が、普通であったとも言える時代であります。 しかし、まー、『平家物語』の冒頭を思い出すまでもなく、それは世の習いであったのでしょう。これは、つい十数年くらい前までそうであり、そしてまた再び、そんな世の中になりつつある現在です。 作品内の没落は哀愁を漂わせますが、現実の「滑り台社会」については、なかなか厳しいものがあります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.04.05
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