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『銀座復興』水上滝太郎(岩波文庫) 岩波文庫に長く『大阪の宿』以外の小説を持たなかった(小説以外では『貝殻追放』という随筆集があり、またかつては『大阪』という、『大阪の宿』の姉妹小説がありました)水上滝太郎に新しい文庫ラインナップが出版されました。 奥付による第1刷の発行年月日は、「2012年3月16日」となっています。(ここまでするなら「3月11日」にしてもよかったのにと考えるのは顰蹙ですかね。) 言うまでもなく、関東大震災後の『銀座復興』と東日本大震災とを関連づけた出版となっていますが、私は読んでみて、結果的に関東大震災時の復興が「古き良き時代」(語弊のありそうな書き方で申し訳ないのですが)のように感じてしまいました。 本書の解説を坂上弘という方がお書きですが、まぁ、なかなかそうも行かない諸事情があるのだろうとは推測できますが、東日本大震災に触れながら原発事故について全く触れられていません。私は、今回の地震から原発事故の要素を取り去って語ることは、もはや全く不可能ではないかと思うものですが、いかがでしょう。 現代文明は、引き起こされた災害についても、そんな素朴さでは対応しきれない時代になっていることを白日の下に曝した、と私は愚考いたします。 話は少し飛びますが、少し前に庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読みました。 もう、かなり古い小説で、そして若かった頃私がとても影響を受けた小説だったので、今回再読するに際しては、実は少しこわごわ読んだのですが、それなりに今読んでも面白かったのでほっとしました。 しかし、やはりあの時代の作品、特に『赤頭巾…』に強く表されている、今となっては「無辜」なばかりの「知性に対する全面的信仰」は、もはや完璧に色あせてしまったという感慨は持たざるを得ませんでした。 原発事故は、今回の地震と関東大震災との間に決定的な差異を見せています。 それに触れないで、同じ震災復興なのだと語るのは、……うーん、少々言葉を選びますが、「偽善」、とは、やはり言いすぎでしょうか。 しかし私は、それに近い感想を持ってしまいました。 とはいえ、今述べたものは、本書の内容そのものの批評には、当たり前ながら、なりません。ただやはり、本書にも素朴な文明信仰があり、それが水上滝太郎らしい健康的な作風にマッチしてはいるのですが、上記『赤頭巾…』の例で触れたように、やはり時代的な限界を感じてしまいました。 今、私は水上滝太郎の健康的な作風と書きましたが、それは以前『大阪の宿』を読んだ時にも同様に感じたものでありました。 今回の岩波文庫で言えば、収録されている『果樹』という短編が、その作風について際だっており、かつとてもユニークなものになっています。 この作品は一言で言えば「心洗われる話」であります。 しかし、なかなか本物の「心洗われる話」でありまして、私が過去に読んだ作品でそんなのを思い出してみると、……んー、太宰治『黄金風景』、森鴎外『田楽豆腐』、志賀直哉『好人物の夫婦』、……こんな感じでしょうかね、なかなか類書が思い浮かびません。(あ、落語の『芝浜』なんかもそんな感じですかね。) そして類書がうまく思い浮かばないことについて考えますに、確かにこの手の本は読めば心温かくはなるのですが、さて、文学作品として考えてみると、これは「本道」から外れるのではないかと思います。 人間世界に怒りがあり悲しみがあり苦しみがある中、実際心洗われてばかりもおれず、だから(「だから」というのが正しいかどうか分かりませんが)これらの「心洗われる話」は短編ばかりであります。 今回読んだ文庫本の解説の中に、筆者が「二足の草鞋」をやめたがっていたと言うことが書かれていました。(ご存じのように水上は明治生命保険の重役職をしていました。) 鴎外と同列に説くことは出来ないまでも、「二足の草鞋」の文学者には、例え残された業績がどれほど素晴らしくとも、もし文学専念していれば、と思わせる部分が確かにあります。 水上について言えば、まれに見るユニークな作品である『果樹』にしても、描写力として円熟境地にある『大阪の宿』にしても、どこか、力を注ぎ尽くせていない感が残ります。 文学に専念したい意欲を持ちながら、結局それが叶わなかった筆者の人生を思う時、『果樹』のウォームフルな素晴らしさは、一点淋しさに繋がっていると私が感じるのは、結果論の穿ちすぎでありましょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.09.27
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『武洲公秘話』谷崎潤一郎(中公文庫) 鼻、というものは、確かに、その様に指摘されてみれば、少々不思議なモノですね。 芥川龍之介の小説『鼻』は、漱石が絶賛し、彼の文壇への華々しいデビューとなった作品ですが、説話に依拠した作品ながら、鼻に着目しているのは、芥川、やはり鋭いと言えば鋭い気がします。鼻には、他の人体臓器にはない、批判精神を伴う不思議な存在感があります。 むかーし読んだきりですから、どんな内容だったかよく覚えていないのですが、ゴーゴリーにやはり『鼻』という短編小説がありましたね。 確か、鼻の欠落がもたらす不思議な効果をビターなユーモアで描いた、カフカ張りの不条理小説だったように覚えています。 これも、鼻、顔面の中央にあって、容貌美醜の大事な決定要素ながら、変にニヒリスティックでユーモラスで、そしてひょっとすれば少々エロティックな気さえするもの、それはきっと、肉体内部に深く繋がっていく下向きに穿たれた二つの穴のせいでしょうか。 さて本編には、この「鼻の欠落」が大きなテーマとなって描かれていますが、もちろんそこにはやはり谷崎的な処理が施されています。 「鼻が欠落した男←→加虐的な高貴な女性」というパターンであります。こう書くと、なるほどいかにも谷崎的になってきますね。 本作は、昭和6年7年に探偵小説雑誌『新青年』に連載されていますが、この昭和6年前後というのは、谷崎潤一郎の絶好調の時期であります。 大正の末から『痴人の愛』『蓼食ふ虫』『卍』と力作が続き、昭和6年『吉野葛』『盲目物語』、昭和7年『蘆刈』そして、昭和8年には谷崎の最高傑作(ということは、近代日本文学史上の最高傑作の一つ)『春琴抄』が発表されます。 この時期の谷崎というのは、何といいますか、向かうところ敵なしというか、千切っては投げ千切っては投げ、というなんかよく分からない表現ですが(すみません)、イメージ的にはそんな感じの、とんでもなく素晴らしい時期であります。 だから、この名作の森のような中で、大衆小説雑誌に書かれた本作においても、とても見事な描写と展開がなされています。例えばこんな部分。 (略)法師丸は、その美女の前に置かれてある首の境涯が羨ましかった。彼は首に嫉妬を感じた。ここで重要なのは、その嫉妬の性質、羨ましいと云う意味は、此の女に髪を結って貰ったり、月代を剃って貰ったり、あの残酷な微笑を含んだ眼でじっと視つめて貰ったりする、そのことだけが羨ましいのでなく、殺されて、首になって、醜い、苦しげな表情を浮かべて、そうして彼女の手に扱われたいのであった。首になることが欠くべからざる条件であった。生きて彼女の傍にいると云う想像は一向楽しくなかったが、もしも自分があのような首になって、あの女の魅力の前に引き据えられたら、どんなに幸福だか知れない。――と、そんな気がしたと云うのである。 こんな素晴らしい描写と説明が随所に見られるのですが、冒頭の「鼻」と関係してくるのが「女首」と呼ばれる存在で、それは鼻をそぎ取られた首のことであります。 私はその部分を読んで、これもずっっと昔読んだ白土三平の『カムイ伝』の中に、鼻をそぎ落とされた男の絵があったのを思い出しました。 確か、拷問か何かで鼻をそがれ、その跡には、木のへらの様なものをあてがっていた顔の絵でした。 私はなぜこんな絵を、覚えていたのでしょうか。 それは思うに、そもそも鼻をそぎ落とされるというイメージの中に、激しい恐怖と一種エロティックな感覚が、つまりは、いかにも谷崎的な嗜好の源泉があったからだと思います。 谷崎潤一郎は上記の文の後、さらにこう続けています。 少年(「法師丸」のこと・引用者注)は、此の矛盾に充ちた奇異な空想が脳裏に涌いて、それが自分に無限の快感を与えていることを、自ら驚き、訝しんだのであった。今迄の彼は、自分が心の主であり、心の働きはどうでも思い通りに支配することが出来たのだが、その心の奥底に、全く自分の意力の及ばない別な構造の深い深い井戸のようなものがあって、それが俄かに蓋を開けたのである。彼はその井戸の縁へ手をかけ、まっくらな中を覗いてみて、測り知られぬ深さに怯えた。自分は達者な人間だと信じていた男が、思いがけぬ悪性の病気があることを発見したのと同じような気持ちだった。 結局の所、この文章の意味するものが自分の中にもあることに気づかない人は、たぶん谷崎潤一郎の作品が理解できない人であり、そしてやはりたぶん、ほとんど文学というものに縁を持たない人であろうと思います。 だからといって、その人が幸福なのか不幸なのかは全く別物ではありますが、ともかく、大衆小説雑誌に書かれた本作には、思いの外に谷崎自身の生涯の重要なテーマについて、直接的に赤裸々に描かれています。 さらに加え、名作『春琴抄』と本作はほとんど同様の「語り」の形を取っていますが、本作にはあって『春琴抄』には無いものさえあります。 それは「ユーモア感覚」であります。 その理由を、純文学小説と大衆小説の差であると簡単にいってしまっていいものとは思いません。それが証拠に、さらに晩年の谷崎作品には、巧まぬ(巧んだ?)ユーモアが様々なところに見て取れるからです。 確かに上記引用文中の、「自分の意力の及ばない別な構造の深い深い井戸のようなもの」という表現の意味する深刻さが、純文学作品では追求深化されているゆえかも知れませんが、しかし考えてみれば、そもそも谷崎作品のテーマとは、このシリアスなものを性的快楽に変えてしまおうという、やはりその重みを正面から受け止めるのをそらしたものであったはずです。 春画のことを「笑い絵」ともいったように、古来、性と笑いは相通じるものであったはずです。 晩年、谷崎は『武洲公』の続編をぜひとも書きたいと言っていたと聞きます。 それがもし実現していればと考えると、うーん、実に、実に惜しいものでありますねえ。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.09.23
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『妊娠小説』斉藤美奈子(筑摩文庫) 本書の元になった単行本は、1994年に出版された、筆者のデビュー作であります。 筆者による後書きに、本書は「ある種の文学製品に関するバイヤーズガイドないしユーザーズハンドブックのようなもの」とありますが、言うまでもなく、本書は文芸評論書であります。 文芸評論が様々な時代の思潮と不即不離の距離を保ちつつ、そして様々な視点から文芸作品に切り込んで行ったことは(その結果、今となってはそんな読みはないだろうと思われるような文芸評論書が残ったことも含めて)、改めて説くに及びません。 何より本書は、社会学とかフェミニズムとかで考えるのではなくて、新しい視点からの文芸書の読みの試みと捉えた方が、はるかに面白いと思います。 そういえば、文芸評論の中で新たな「権威」になりつつある高橋源一郎の評論文章とも、展開の仕方、新しい価値観の提出の仕方が、なんだかとってもよく似ているように思います。 ということは、本書が堂々たる文芸評論であると言うことであります。 ……で、本書に何が書いてあるかと言えば、それは、文芸思潮の新ジャンルの発見についてであります。 「妊娠小説」という新しいジャンルの、命名、定義、歴史(あしどり)、意味と価値等が、かなり書き込んだ形で提出されています。少々長すぎるのではないかと思ってしまう部分もないわけではありませんが、新ジャンル創設の大変さと面白さがまんべんなく書かれいてます。 実際の所、文芸の新ジャンルの創設というのは、一つの「世界観」の創設といっても良く、なかなか生半可な取り組みでできるものではありません。 綿密な取材、緻密な分析、そして大胆な発想と構成力、それらの点で本書には、制作途上で様々な僥倖があったとしても、筆者の卓越した独創性と、後、まぁ、なんといいましょーかー、大いなるハッタリ性は、明らかであります。 で、「妊娠小説」ですが、その定義を筆者はこのように行っています。 「妊娠小説」とは「望まない妊娠」を登載した小説のことである。 このシンプルな定義を核にして様々な分析を行っていくのですが、例えば上記の文に、「登載」などという言葉が斡旋されています。この言葉の持つ文脈上の軽い違和感と浮遊感覚の中にこそ、上記に触れた筆者のオリジナリティと「ハッタリ性」の源泉があるように私は思います。 さて定義に戻りますが、筆者はさらにこんな風に続けていていきます。 受胎告知シーンこそ、妊娠小説のかなめであり、アイデンティティである そしてさらにこのように畳みかけます。 だいたいこれだけ均質化が進んだ世の中ですから、二十歳や二十五歳で小説向きの波瀾万丈を経験している若者なんか、そうそうはいるはずもない。自分のであれ周囲のであれ、妊娠中絶が青春を彩る唯一の人生らしい事件だった、なんて事態もありうることです。 上記の三つの引用を私は、本書の冒頭あたり、中頃、そして終盤からそれぞれ抜き出してみましたが、いわば全編このような、独断と紙一重の歯切れの良さで書かれています。なんだか舞踏のような、あれよあれよという間の展開ですが、確かにスポーツ観戦のような面白さがあります。 そしてさらに、「妊娠小説」が、あるいは現実における「望まれぬ妊娠」が、本書が書かれてから既に二十年近くたとうとしている現在、どの様な状況になっているのか。 私は寡聞にして、この両者の問について答えうる客観的データーをほとんど持ち合わせていないのですが、本書にこのような事が書いてありました。 「妊娠小説」の「父」は、明治時代の森鴎外の『舞姫』であり、「母」は同じく島崎藤村の『新生』である。近世に「妊娠小説」はなかった。なぜかというと、江戸時代には「中条流」の繁盛などに見られるように、堕胎は日常的に行われており、「堕胎罪」は明治十三年になって初めて発足されたものである。罪悪感のないところに、文学は生まれない、と。 この筆者の分析に則って考えますと、現代は「妊娠小説」の受難期に突入しているように、わたくしは愚考するのですが、さて、いかがなものでしょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.09.17
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『雲は天才である』石川啄木(角川文庫) 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる この歌は言わずと知れた啄木の第一歌集『一握の砂』の冒頭歌であります。 例えば、ベートーヴェンの交響曲第5番という曲は、頭の中で考えてみると、何といってもとってもよくできた曲で、指揮者の金聖響さんなんかも、ベートーヴェンの交響曲の中でも、完成度でいえば断然一等賞、と述べられております。 しかし、あまりにその作品が人口に膾炙されてしまうと(この第5番でいえばやはり冒頭のテーマ部ですかね)、何といいますか、フレーズだけが単独に頭の中に何度も漏れだしてくるようで、なんかデパートのバーゲンセール時の店内に流される音楽のような気がして(これはちょっと言い過ぎですかね)、まっとうに鑑賞してられないような所、ありませんかね。(バッハのトッカータとフーガの中にもそんなのが確かありましたね。) あんまり有名になりすぎると、本物であるはずのその作品の存在自体が「パスティーシュ」みたいになってくるんですね、きっと。素晴らしい作品とその作品を鑑賞する享受者の姿のパロディ、みたいに。 冒頭の啄木の歌も、私は若い頃は、なんやねん、この歌は! と思っていました。(あいかわらず愚かしい私でございます。恐れ入ります。) しかし、この度、ちらちらと啄木の歌集を読んでいましたら、この感傷性はそう悪いものでもないな、と思いました。(えー、あまり、私、反省していませんかね。) でも、例えばこんな歌。 庭のそとを白き犬ゆけり。 ふりむきて 犬を飼はむと妻にはかれる。 この歌は啄木の最晩年の歌です。既に啄木一家は次々と病気に臥せってゆき、貧しさの極みにいました。そんな悲惨さの中でふっと口から出た一言を、啄木は実に見事に掬い取っています。 第一歌集冒頭の「東海」の歌から、晩年の「犬」の歌まで、啄木歌集は突き放して書けば、甘さの極みのように思います。しかしこの甘さは、人間が人間である限り、やはり逃れることのできない「生きた」感情でもあります。 有名な「歌は私の悲しい玩具である」というフレーズからも読み取れますが、啄木はこのくらいの高レベルの歌を、おもちゃを造り出すごとく、息をするごとく、次々と紡ぎ出すことができました。 いえ、「できた」という表現は正確ではなく、啄木の実感で言えば、「紡ぎ出すことしかできませんでした。」 この表現は、言葉の矛盾でありましょうか。 しかしそれは、啄木という文学者の、文学性の資質の矛盾でありました。 この度私は、初めて啄木の遺した小説(の断片)を読みましたが、残念ながら今ひとつ感心しませんでした。 その理由の第一は、何といっても収録されている4編の作品ことごとくが、未完であることであります。未完ゆえに充分な小説的な広がり(虚構空間)が造り出されていないことであります。 というより、やはりこれらの作品は、何といっても「習作」でありましょう。 作品集を出すときに習作しか残っていない作家が、個性的な文学的才能を示した啄木という文学者の現実であることは、やはり我々に痛々しさを感じさせないわけにはいきません。 最初の作品『雲は天才である』は、明治39年、啄木20歳の時の作品であります。それから、啄木が亡くなるのが明治45年、26歳赤貧の中の死でありました。(第一歌集『一握の砂』上梓は明治43年、第二歌集『悲しき玩具』は遺稿歌集であります。) もちろん26歳までに優れた小説作品を書いた作家は決して少なくはないでしょうが、後10年啄木に命があれば、いわゆる「夭折」と呼ばれる天才作家になった可能性は大いに見えてきそうに思います。 例えば芥川没年35歳、梶井基次郎31歳、中島敦33歳等々、これらの早世を惜しまれる作家ですら、啄木より長生きであります。 逆に、26歳で亡くなっていたら、漱石などは日本文学史上に全く名前を遺していません。 そう考えますと、啄木は明らかに「天才歌人」としての名前は永遠に残したのですから、もって瞑すべしと、考えるべきなのでしょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.09.13
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『桐畑』里見とん(岩波文庫) 「いやどうも、みんな揃ひも揃つて、呆れた怠者だ」と岩本が結論的に言つた。「怠者つたつて、本を読まないとか、書くことが少いとかいふ意味ぢやァない。その意味でなら僕なんぞは一番ひどいが、……なんて言つたらいいか、つまり緊張を欠いてる、とでも言ふのかな。何しろ会つてみて、こいつァ出来てるな、と思ふやうな人間は実に少いね。ふわふわッと育つて来たやうな人間ばかりだ。彼らの書くものがうまいと言つても、鋭いと言つても、機智に富んでると言つても、どんな才能でもが、みんな生れた時から享けて来てゐるものなんだ。さういふ自分のなかの美点を統一して、一個の人間として、えらさなり味はひなりを出してゐるやつは殆ど一人もないと言つていいな。つまり、人間として出来上らうとする勉強が足りないといふ意味での怠者なんだ。だから、世間からは悪党のやうに考へられてゐるやうだが、実はみんな無邪気なものさ。ほんとの意味での人格なんてものは、持ち合せてゐないんだから、何をしたところで、子供がしたことと同然、腹も立てられないといつたわけのものなんだ。あんな暢気な気持でゐる仲間からは、名人や上手は出るかも知れないが、決して達人は出ないね。もしこんなことをいつて聞かせたら、彼等の答は、それでいいんだ、と言ふにきまつてる。作者としてよくさへあれば、人間としてはいくらぐうたらでもかまはない、つていつた風な考へ方なんだから、どだい手がつけられないよ」 里見とん、です。「とん」が漢字にならないのがとっても悲しいです。 わたくし、こんなブログを書き出すまでそんなこと思ってもみなかったのですが、何かというと、白樺派っておもしろいな、何となく気持ちが落ち着くな、ということであります。 ヘンな言い方になっちゃいましたが、この感覚はいったい何なのでしょうね。 実は同じような感覚を持つことが、別に一例あるのですが、これはごく個人的な感覚だろうから、ちょっと書くのを逡巡するんですが、少しだけ書いてみますね。 私の住んでいるのは、関西は阪神間といわれるところなのですが、隣の大阪府に行きますと、今でも西鶴さながらの猥雑且つエネルギッシュなエリアがあります。(とはいえ、もう長く続く不況のため、大阪もかなり疲弊しているようですが。) そんなエリアの一つに、少し言葉を選ぶのですが、文学作品に代弁を願って言いますと、開高健の『日本三文オペラ』、小松左京の『日本アパッチ族』の舞台にかつてなった地区がありまして、そのへんは今に至るもかなり「猥雑的」であります。 ところがわたくし、そこに行くと、なんとなくほっとするんですね。 何といいますか、心の中の「凝った」部分がゆっくり解されていくような感覚になります。それと、同じような感覚が、この白樺派に。 ……えー、白樺派って、その理想主義的思想が、一種とぼけたような雰囲気を醸し出すところがありませんか。冒頭の一文は、本小説内に書かれてあるのですが、「岩本」という小説家が、仲間内の小説家達を批判する部分です。しかしこれは、まるでまるまる白樺派についてではないですか。 そしてこの「公家集団」に、まー、もちろんいろいろ批判はありましょうが、わたくしは、育ちの良さをとっても感じるのでありました。 さて、冒頭の本書ですが、そんな「公家集団」の一人の書いた、とてもユニークな小説であります。 これは一種の実験小説なんでしょうかね。 主人公を絞り込んで(三角関係の話で、二人の男と中に挟まれる女だけの話です。ただ、中に挟まれる女が、五人もいます)、実験的状況を作り出し、心理分析を行っています。 ただ、その心理分析が、また何といいますか、とつても、ユニークなんですね。 それは、そのユニークさの背景に、例の「まごころ哲学」があるからであります。 以前私は、同作家の『多情仏心』というかなり長めの長編小説を読みましたが、そこには、話が長い分もう少し丁寧に書き込まれていましたが、本書でも「まごころ哲学」に関係して、例えばこんな風に書かれています。 「君の言ふのは、それァ恋ぢやァあるまい。当時流行の『愛』ぢやァないのかい。それなら、僕だつて同時に幾人もを愛することが出来るよ。併し『恋』と『愛』とはまるで違ふからなァ。……おきぬの問題だつてさうさ。君が今のおきぬを愛するといふのなら、それァ僕だつて承認するが、恋すると言ふのは、どうも受け取れない」 「ところが、有難いことには、僕の気持では、愛するといふことと、恋するといふことと、さう大して変りはなくなつて来たんだ。早い話が、可愛いんだ。可愛いなァ、と思つた女は、その時からもう僕に恋されてゐるんだ。だから、相手がなんであらうと、僕は躰ごと所有したい欲望を感じるよ」 なんか高校生の会話みたいですね。でもこういう論理って、今読むと何となくこころが解されませんか? それは、お前の感じ方の根本に、かなり問題があるのだと言われれば、確かにそうなのかなと考えもします。 しかし、まー、これは哲学思想書ではなく小説でありますゆえ、で万人に理解していただければと、私はこっそりと思うのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2012.09.06
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