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『ペルソナ――三島由紀夫伝』猪瀬直樹(文春文庫) ……えーーっと、この著者の御職業はいったい何ですかね。 「物書き」でいらっしゃることは間違いないとして、天皇について書いていたり(『ミカドの肖像』『天皇の影法師』あたりですかね。内容については、今となってはどちらがどちらかほとんど記憶にないのですが、少なくともどちらかはとてもスリリングで面白かったように覚えています。)、本書の三島由紀夫とか、太宰治と井伏鱒二について(太宰・井伏については『ピカレスク』ですね。これは、太宰の部分はあまり覚えていませんが、井伏の部分はとてもとても面白かったです。)、あと、読んでいないのですが、菊池寛とか川端康成について書かれた本もあるようです。 で、この方の御職業は何だろうかと考えるのですが、文芸評論家という括りには入らない感じですよね。 ふと思いついたのは、沢木耕太郎と近いんじゃないかという事で、確かあの方も『テロルの決算』(これもなかなかの名著ですねー)とかの一方で、檀一雄のことを書いた『檀』(この作品はあまり印象に残っていません。タイトルがすごいといえばすごいですね。)などをご執筆で、なるほど似てますよね。 そして沢木耕太郎の場合はわたくし、「ノンフィクション作家」という、まー、レッテルを自分の中では貼っておりますので、この猪瀬直樹氏もそうであろうと、まず理解します。 「まず理解」なんて奥歯に物の挟まったような書き方をしたのは、例の件のせいですね。 あの、2013年に東京都知事を辞職した際の一連の出来事。 ひょっとしたら少し失礼な言い方になるのかと逡巡しますが、わたくし西日本に住んでいるもので、この方の東京都知事としての実績についてはほとんど理解しておらず(それは住んでいる地域のせいではなく、単に私が政治音痴であるためでありましょうが)、だからあの時テレビで再三放映されていた鞄を使ったパフォーマンスのことしか知らず、上記にも触れているように、それまで私はこの方の著作を何冊か読みそれなりに感心をしていたのに、この方はいつの間に「鞄芸人」になっていたのだとあきれました。そして失礼ながら、こんなことわざがふっと浮かんだんですね。 「九仞の功を一簣に虧く」 このことわざは、わたくし以前より知っていました。でも実際の処どんな状況下で使うものかよく知らなかったのですが、私はこのことわざが浮かんだ時、思わず「うーん」と唸りましたねぇ。なるほどこのことわざは、この一連のパフォーマンスのためにあったようなものだったんだ、と。 とまぁ、そんな思いがあったので、初心に戻って(?)この方の職業名探しを冒頭に書きましたが、本作は筆者が九仞の功を虧く以前の著書で、むしろ上記に触れた『ピカレスク』のように面白かったです。 三島由紀夫の自死についてはすでに半世紀になんなんとする過去のことでありながら、今でも五月雨式に書籍が出ています。本書は1995年「週刊ポスト」に連載された作品なので、三島事件から四半世紀という区切りの良さもあって書かれたのかもしれません。 450ページもある本書ですが、実際のところ最終的には、あの事件の謎を追うという内容になっています。 そんな本書のオリジナリティは、三島由紀夫の父親、そしてその父親(三島の祖父)に大きく注目したところにあると思います。 以前より三島の母親並びに祖母については様々な伝記的指摘があって、三島文学への影響関係が説かれていました。しかし父方の家系と三島文学の関係を説くというのは、なるほど新たな視点であると思います。 そしてそこから何が読み取れるのかというと、晩年の三島が再三述べていた日本の「戦後民主主義社会」への「嫌悪感」が一種の欺瞞であるという理解です。 説かれてみれば当たり前なのですが、「戦後の民主主義社会」とは厳密にいえば「戦前から連綿とつながっているレッテルだけを張り替えた官僚社会」であるということで、三島ははっきり、これをこそ嫌っていると宣言すべきであった、と。 しかしそんな宣言が彼にとって矛盾に満ちているのは、三島の家系が、短期間ではありながら彼自身が大蔵省官僚であったことも含めると、三代にわたっての官僚家系(それもはっきり言うと充分な出世ができなかった官僚家系)であったことから明らかです。 そしてもう一点の本書のオリジナリティは(これは厳密にいえば本書のみの指摘ではなさそうですが)、三島由紀夫が「誤診」によって徴兵を免れたということ、そしてその時、まさに三島の家族は本人を含む全員が驚喜したという事実であります。 自らの直近の死を前提に作品を綴っていた者が思わず命拾いをしたものの、その際の「死からの逃走」の記憶が、彼にとってその後長期間にわたる自己破壊衝動を伴う「後ろめたさ」の源泉であったろうことは十分理解できます。 また三島の天皇理解についても、天皇も自分と同様の後ろめたさを抱いているべきだという視点から生まれたものだと説きます。なるほど『英霊の声』に見られる天皇観はまさにそのように読み解けます。 最後に、本書にも少し触れられていますが、三島由紀夫が太宰治に会いに行った時の有名なエピソードがありますね。 三島は何人かの友人と太宰に会いに行くのですが、その場で「私はあなたの文学が嫌いです」と言ったといいます。それを受けて太宰は「嫌いだというけれどもこうして会いに来ているのだから…」と返したと。 三島は他にも太宰文学への嫌悪を何度か書いていますが、本書を読んで私が思ったのは、結局のところ三島の自死は「自殺衝動」のあるなしというところにかなりの原因が読み取れるようで(突き詰めるほどに彼の自死に政治イデオロギー的なものがなくなっていきます)、だとすればそれは、間違いなく太宰治の「自殺マニア」と同根のものでありましょう。 つまり三島は太宰に対し、同病相嫌った、ということですかね。……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2017.05.28
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『騎士団長殺し・第1部第2部』村上春樹(新潮社) 前回の続きです。 前回は、冒頭の村上春樹大長編小説を読んだ後に下記の本を読んだらとっても面白かったという話をしていました。 『みみずくは黄昏に飛びたつ』村上春樹・川上未映子(新潮社) いろいろ面白いところは一杯あったのですが、特に興味深かったのが、冒頭の小説を書いている時の筆者のリアルタイムの思考について語られた部分でありました。 ちょっとそのあたりをまとめてみたいと思います。 まず村上はインタビュー中再三このように言っています。 「それが何を意味するとか、いちいち考えている余地はない」 「頭で解釈できるようなものは書いたってしょうがないじゃないですか。物語というのは、解釈できないからこそ物語になるんであって、これはこういう意味があると思う、って作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなの面白くもなんともない。」 村上はノープランで小説を書きあげると言っているわけですね。それに対して、これは我々の共通の疑問であると思うのですが、そのような作り方だと作品としての脈絡がなくなってしまわないかと、インタビュアーの川上が食い下がります。すると、こんなふうに村上は答えます。 (略)だから、小説が……僕はとにかくプログラム無し、プラン無しで話をかいていくわけだけど、その暗がりの中で自分が何をつかめばいいのか、何をつかんじゃいけないのか、そういうことはだいたいわかるんです。僕に小説家としての才能がどれくらいあるかとか、そういうことはまったくわからないけれど、そういう能力とかがある程度自分にあるということは感じるんです。 どうですか。 少なくとも私は、ここ数作前からの村上作品に対する私の個人的なもやもや感が(それがあっても村上作品は好きなのですが)、一気に晴れたような気がしました。 そして、後二つだけ付け加えたい(付け加えたいといっても、上記の内容とこの二つは、村上春樹の中ではたぶん同等の重みだろうと思いますが)ことがあります。その2つ目3つ目はこんな感じのことです。 2.村上春樹が書こうとしていることは「近代的自我」ではないという事。 3.村上春樹が小説で最も大切にしていることは文体(文章のリズム)であるという事。 まず「2」については、家の例え話があって、地下一階は「近代的自我」の階で、多くの小説家はこの階で止まった話を書いている、日本文学史に出てくる明治以降のほとんどの作品もそうであると述べています。 しかし村上が目指すのは、そこよりもうひとつ下の階である、と。 その地下二階にあるのは、例えば自分の中の闇であったり、世界や宇宙と響き合うものであったり、古代から連綿と続く集合的無意識であったりします。もちろんそれらには、簡単に理解できるような意味や整合性はありません。だからこそ、村上はそれをできる限りそのままの形で、一つの物語のまとまりとして読者に提出するのだと説くわけです。 そしてそのことを保証するのが、「3」の文体の力である、と。 村上はこんな風に書いています。 で、そこで何より大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。(略) どうですか。この3点の解説があれば、一応近年の村上作品について、面白がるかどうかはともかく、納得はできそうに私は思います。 さて、冒頭の作品についての読書報告をするスペースがなくなってきたのですが、前回の報告の冒頭で、第2部の中盤あたりまではとにかく一気呵成に読んだという事を書きました。 しかしなぜ最後までそれが続かなかったのかについて、上記にインタビュー本の3つのまとめとして私が挙げた項目になぞれば、とにかく2つ目3つ目の小説的な結実は大いに堪能した、と。でも1つ目の「暗がりの中で自分が何をつかめばいいのか」ということについては、その物語の塊りは、少し私のイメージとは違っていると感じたということでありましょうか。 もちろんこれは、私という一読者の勝手な、しかしすべての読者が自由に抱いていいはずの「感想」でありますが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2017.05.14
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『騎士団長殺し・第1部第2部』村上春樹(新潮社) この度の村上春樹の大長編はわたくし、出版されて比較的早く買いました。 振り返ってみれば、村上春樹作品を出版されるやすぐに買っていたのは、たぶん『ダンス・ダンス…』あたりまでだったと思います。 下記にもありますがやはり村上作品は私にとってフェイヴァレットでありますゆえ、買うか買わないかというとまず買うだろうなと自分ではわかっている書籍ではありますが、何といいますか、村上作品の新作発表が「社会的事件」みたいになるに及んで、やはりちょっと引いてしまったのですね。 だから結局『スプートニク…』と『海辺のカフカ』は、ハードカバーではなく文庫本でしか持っていません。(でもそれは、文庫になるまで読まなかったのではなくて、買う前につい友人に借りたり図書館で借りて読んでしまったんですね、心ならずも。) ということで「本体」の2冊は割とすぐに購入したものの、少しの間読まずに放ったらかしにしてありました。 そしてこの度、えいやっと読み始めたのですが、……うーん、やはり面白かったですねぇ。特に第1部は一気呵成で読んでしまって、第2部の終盤だけ少したゆたってしまいました。その訳も後で考えてみたいと思います。 ところで、本作を読み始める前、4月の初め頃に新聞に村上春樹のインタビュー記事が載っていました。割と興味深いことが書いてありましたが、その記事のヘッドコピーがこの二つでした。 「物語の力信じている」 「再生につなげたいという思い強く」 その時私はまだ本作を読んでいなかったので、あ、そうなんだ、そんな風に作者が考えている作品なんだ、くらいの気持ちを持ちました。 そしてこの度、本書を読み終えて、さらに最近めったに行かないリアル本屋さんにたまたま時間つぶしで行ったら下記の本が平積みされていたので、そのまま買ってしまいました。 買った時に私はちょうど本書の第2部の真ん中あたりを読んでいまして、とても面白いあたりだったので、あれこれ考えずそれこそすっと手が伸びて買ってしまったんですね。この本です。 『みみずくは黄昏に飛びたつ』村上春樹・川上未映子(新潮社) そして冒頭の本書2冊読了後まだその余韻冷めやらぬ頃に読み始めると、とにかくこのインタビュー本はめちゃめちゃやたらと面白いではありませんか。 あれよあれよとこの本も読み終えてしまいました。 というのも、この本には村上春樹が本書を書いていた時のリアルタイム・ドキュメントが書かれてあります。もちろんそれは結局村上自身が語った言葉ですから、本当の本当にドキュメントかどうかは判断次第でもありましょうが、しかしそれでもとっても面白かったです。(しかしそれによって私は、上記の新聞記事の見出しの二つ目は、たぶん新聞記者がいかにも新聞記事的にまとめたコピーだなという事が分かりました。) あまりに興味深いので、こちらのほうの報告からちょっと書いてみます。 私も同様ですが、村上春樹の「創作秘話」についてもっと知りたいのはこういうところです。川上はこのように発言します。 ――(略)たとえば村上さんは「物語にはうなぎが必要」であり、「困ったら、うなぎに相談する」と常々おっしゃっているんですが、最初にそれを読んだとき、「ほんとは全部わかって書いているのに、またうなぎとか言ってる! 何も決めないで、あんな小説書けるわけないじゃん!」とか思ったりしたこともあったんですけれど(笑)、違うんですね。村上さんは、本当にうなぎに相談しているのかもしれない。率直で、これは驚くべきことだと思いますよ。 この発言が述べている疑問と、それにちゃんと答えようとしない(としか取りあえず理解できない)村上への不満は、たぶん以前より多くの読者に共通していたことだと思います。 でも、どうやらそうでもなさそうだという事が、このインタビュー本には書いてあったということです。 ……という風に書くと、なかなか興味深いでしょ。 つまり、「うなぎに相談する」という意味が、まー、書かれているといえば書かれているわけですね。 ちょっとついでの話になるのですが、上記の川上発言に対して村上春樹は、その直後には、やはりはぐらかしたようなこんな答え方をしています。 村上・うーん、褒めてもらえるのは嬉しいですけど、でもねえ、僕自身はずっと、世間から嫌われていると思って生きてきたんです。 ね。ちょっとかみ合っていないですよね。うなぎに相談するとこれが正しい文脈なのかもしれませんが、やはり村上春樹的はぐらかしを感じるところでありますね。 という面白いところですが、……えーっと、次回に続きます。すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2017.05.07
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