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作家でジャーナリストの門田隆将さんによる一冊。 著者は、週刊新潮編集部で記者、デスク、次長、副部長を務めた方だが、 ytvの「そこまで言って委員会NP」を見てる方なら、 どんな考えの持ち主かは、よくご存知のはず。 本著は、そんな門田さんが産経新聞に連載している「新聞に喝!」と、 月刊『正論』に掲載された原稿を元に加筆、再構成したもの。 2014年の夏から今年の春までの間に書かれたものが、 各項目ごとに、時間を前後に行き来しつつ掲載されている。「新聞」と一口に言っても、そこに掲載される内容は、新聞社によって大いに異なるものである。著者は各新聞社の個性について語り、時には痛烈な批難を加えている。もちろん、「新聞」というメディア全体に向けての提言も忘れてはいない。
2019.11.30
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『精神科にできること』や『新版 うつ病をなおす』の著者である 精神科医の野村総一郎先生による一冊。 今回取り上げているのは「老子」。 「精神科医が老子?」と違和感を覚える方もいるかもしれませんね。 でも、『うつ病の真実』を読んだことがある方なら、 「野村先生なら、分かる気がする」と感じられるかも。 もちろん、最初違和感を覚えた方でも、 読み進めるうちに「なるほど、こういうのもありかも」と思ってもらえるはず。 ***さて、本著の中で私が心に残ったのは、次のような部分。 「人からひどい仕打ちを受けた」という事実自体、 もちろんストレスになります。 しかし、それに加えて「相手を恨み続ける」ということが新たなストレスとなり、 心に大きな負担をかけてしまいます。(p.119)「恨み続ける」ことが、自分自身にとって大きな負担になってしまうのなら、そんなものは、さっさと捨て去った方が、うんと楽になれるということ。「なるほど」と思わされると共に、「恨」なんかが文化になってしまった折には、本当に生きづらいだろうなと感じました。 漫才コンビ・オードリーの若林正恭さんはあるテレビ番組で 「仕事を楽しまなきゃいけない」という世の風潮を 「エンジョイ・ハラスメント」と呼んでいましたが、 そんな彼の発言に共感する人が大勢いるのも事実です。(p.202)私は、不勉強にもこの言葉を知らなかったのですが、「なかなか上手いこと言うな」と思いました。好きなことを仕事にできた人もいれば、そうでない人もいるし、好きなことでも、いつも楽しいことばかりではないでしょうから。さて、続いては老子の言葉で印象に残ったもの。 地位、名誉、お金、評価を求める人は多いけれど、 自分自身の身体を犠牲にしてまで、 「手に入れなければならないもの」など何もない。(p.147)私も、今はそう思います。でも、そう思わない人もいるのでしょうね。 完璧な準備をしたってうまくいかないことはある。 よかれと思ったことが裏目に出ることもある。 いつも、いつも「正しい因果関係」があるわけじゃない。(p.191)これも、大きく頷けます。世の中、残念ながら理不尽なことはある。 大問題も、まず何でもないような小さなことから起こり、だんだん大きくなる。 だからこそ、難しい仕事はそれが易しいうちに考え、 大きなことはそれが小さいうちに対処することが大切だ。(p.212)これは、老子にしてはポジティブなお言葉。もちろん、大いに同意します。 知ったかぶりは結局ボロが出る。 知っていても「知らない」と言うのが謙虚な人間である。 だいたい知っていると言っても、 どのレベルで知っているのか怪しいものだ。 ここは「知らない」とするのがよい。 まして知らないのに「知っている」と言えば災難がもたらされるだろう。(p.218)我が身を振り返り、猛反省。さて、次は最も感銘を受けた言葉です。 所詮、価値は相対的なもの。 絶対的な価値基準など存在しない。(p.025)本当にそうですよね。でも、現在の世の中は、二者択一思考が幅を利かせています。そして、何か事が起きると、ネット上やマスコミ報道では、自分は安全な側に立ち、不利な側を叩きのめすことが横行しています。 「自分は真面目で、正しいことをしている」と思っている人には、 もちろん悪気はありません。 しかし、あえてもう一段深く踏み込んで考えてみると、 その「正しさ」というのは自分が思っているだけで、 「ほんとうは何が正しいのか」なんて誰にもわからない。 まさに「自分がジャッジしている」だけで、 もしかしたら、それを誰かに押しつけているのかもしれません。 常識やモラルもすべて同様です。 「不真面目な人」「ズル賢い人」を見ると、 「あの人はダメだ」とお説教をしたくなるかもしれません。 でも、そう決めてしまう前に 「もしかしたら、私は自分の価値観を押しつけようとしているのかもしれない……」 「あの人には、あの人なりに不真面目にしている理由があるのかもしれない……」 と想像してみることもときには必要なのです。 何が善で、何が悪か。 そんなことは、究極的には誰にもわからないからです。 すべては相対的なものであり、 「どっちが正しくて、どっちが間違っている」というジャッジそのものをしない。 それこそ、本著で述べている老子のスタンスです。(p.116)
2019.11.30
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内科を専門とする産業医が、自身のこれまでの経験から 現在のうつ病のパラダイムに疑問を投げかける一冊。 文中には「あらかじめお断りしておきますが、~つもりはありません」 という表現が多用されますが、否定的姿勢であることは疑う余地がありません。 DSMが主流となる以前の日本では、 ドイツ医学の流れをくむ精神病理学に基づいてうつ病が診断され、 激しい気分の落ち込み(うつ状態・抑うつ反応)が、 本人の性格やストレス環境に由来するものを「心因性」、 体の病気に由来するものを「外因性」、 それ以外のもの(はっきりした原因は不明だが、 遺伝・身体レベルの何らかの障害に由来すると仮定されたもの)を 「内因性」と分類していました。 このうち、いわゆる「うつ病」と見なされていたのは「内因性」だけです。(p.30)ところが、現在では、うつ病の診断基準が広げられてしまったため、本著で言うところの「本当のうつ病」である「内因性」ではないのものに対しても、「うつ病」の診断が下され、投薬治療が行われていることに疑問を呈しているのです。世間で「新型うつ病(現代型うつ病)」として知られる「ディスチミア親和型うつ病」が、その典型です。第2章「うつ病を量産する、いいかげんな仮説」における小見出しには、「精神科医はいいかげんな専門家」「海外の大手製薬会社が日本にうつ病を『輸出』した!?」「SSRI発売後もうつ患者が増え続ける不思議」「モノアミン仮説はあくまでも仮説のひとつ」等が並びます。また、第3章「うつ病の診断がおかしい」には、「不真面目な精神科医ほど人気が出る!?」「DSMが正しいのは、みんなが使っているから?偉い先生がつくったから?」「DSMでは人生の悩みとうつ病を区別しなくていい」「DSMは本来臨床診断用のマニュアルではない」等が並んでいます。そして、第4章「うつ病の投薬治療がおかしい」の小見出しは、「『本当のうつ病』は、実はそれほど多くない」「自殺を防ぐための薬の副作用が自殺!?」「やみくもな長期投薬治療は薬を使ったロボトミー」「もはや製薬会社もモノアミン仮説やDSMを信用していない」等です。これらの記述を受け、第5章「うつ病のパラダイムがおかしい」という本著の主題が論じられ、第6章「薬を飲む前にできること」で締めくくられています。ほとんどが、どこかで見たことのある内容でしたが、目新しい情報もありました。例えば、アメリカでうつ病と診断され、レクサプロを処方された患者が、3か月経っても症状が改善しないと主治医に訴えたところ、SSRIの処方を中止してビタミンDを投与する栄養療法的治療に切り替え、さらにTMS(経頭蓋磁器刺激療法)を行って改善した例などです。また、新しいタイプの抗うつ薬として、ケタミンが注目されているという記述もです。もともと麻酔薬として使われてきた薬で、現在日本では麻薬に指定されているため、使用が制限されていますが、その抗うつ作用と即効性が注目を浴び、製薬会社各社が開発に挑んでいるとのこと。本著は2018年3月に発行されたものです。内容的に大部分のことは既知の事柄だとしても、このように新しい発見もあるので、やはり、定期的に新刊は読むようにしないといけないなと感じました。
2019.11.30
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驍宗は自力で函養山の底から脱出。 一方、阿選の命により函養山に向かった友尚の軍は、土匪と戦闘状態に突入。 それを知った李斎は朽桟の救援に赴き、友尚軍を掃討。 そして、その最中、遂に驍宗との再会を果たしたのだった。 しかし、すぐさま、文州師と王師の軍が反撃に出る。 安全な場所を求め、李斎らと共に移動中だった驍宗は、 古戦場に涌くと言われている妖魔・賓満に憑かれた敵の急襲を受け、捕らえられてしまう。 その後、李斎らと共に行動していた勢力は瓦解する。「驍宗は天意を踏み躙って位を盗んだ。それを広く公にする必要がある」「禅譲の前に民の面前に引き出し、その罪を弾劾し、謝罪させる」そして、憤懣に流され、雪崩を打った民の投石で、驍宗は打ち殺される……阿選は、宮殿前を驍宗を屠る場として選んだ。残されたわずかな希望に賭け、驍宗奪還のため宮殿に集う李斎ら。その時、泰麒が側にいた兵卒の剣を奪い、その剣を兵卒の腹に突き立てた。正面の御簾を引き落とし、驍宗の下に駆けつけると、その膝をつく。すると、そこに鋼のような黒銀の体躯、額に真珠の一角の獣が姿を現したのだった。驍宗らは王宮を抜け出し、延王、そして延麒との対面を果たす。その後、阿選は驍宗らによって討ち果たされることになった。 ***久しぶりの「十二国記」でしたが、これまで最長のお話で、十分堪能させてもらいました。おそらく続編も書かれると思うので、今から楽しみです。また、陽子に会いたいな。
2019.11.23
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『AI vs 教科書が読めない子どもたち』の続編。 というか、本著はRST(リーディングスキルテスト)について述べた一冊。 RSTは、著者らが考案した基礎的・汎用的読解力を測定するもので、 「事実について書かれた短文を正確に読むスキル」を 6分野に分類、設計されています。その6分野とは、1.係り受け解析……文の基本構造(主語・述語・目的語など)を把握する力2.照応解析……指示代名詞が指すものや、省略された主語や目的語を把握する力3.同義文判定……2文の意味が同一であるかどうかを正しく判定する力4.推論……小学6年生までに学校で習う基本的知識と 日常生活から得られる常識を動員して文の意味を理解する力5.イメージ同定……文章を図やグラフと比べて、 内容が一致しているかどうかを認識する能力6.具体例同定……言葉の定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力これまでに小学6年生から一流企業の社会人まで、のべ11万人を超える人々が、有償版RSTを受検しているとのことですが、本著には、その「体験版」が掲載されており、イメージがつかめるようになっています。(結構、気合を入れて取り組まないと、痛い目に合うのでご注意を!)これまでのデータから、その結果には代表的なタイプがあると言います。それは、1.理数系が苦手?<全高後低型>2.自力でもっと伸ばせる<全分野そこそこ型>3.中学生平均レベル<全低型>4.知識で解いてしまう<前低後高型>5.読解力ばっちり<すべて10点満点型>第7章以降は、「リーディングスキルの向上」について記されています。読解力を培う授業案や、著者の身近な人物の体験談が掲載されおり、また、著者が考える「幼児・児童期の教育のあり方」もまとめられています。この部分こそが、本著のタイトルに示された内容になっていると言えるでしょう。
2019.11.23
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歴史上稀なる優れた功績を残し、後世にその名を知られる偉人・賢人。 本著は、その偉人・賢人たちの、偉業達成後の人生について教えてくれる。 平穏で充実した人生の終末期を過ごした者もいれば、 華やかだった人生のピーク以後は、苦境の連続だった者もいる。 取り上げられているのは、古代の偉人として、小野妹子、鑑真、藤原道長の3人、 中世の偉人として、平清盛、源義経、北条政子ら6人、 近世の偉人として、明智光秀、足利義昭、石田三成ら14人、 そして、近代の偉人として、西郷隆盛、陸奥宗光、中江兆民ら7人。 *** 朝廷の実権を握り、摂関政治の全盛期を築き、 この世の春を謳歌した藤原道長だったが、 まるで望月の歌がきっかけになったように、以後の人生は暗転し、 とくに晩年の数年間は、病と怨霊に苦しめられたうえ、 娘や息子に先立たれるという、不孝な生活を送ったのである。(p.41)人生の波の振れ幅が、最も大きかったのではないかと私が感じたのは、この藤原道長。平清盛や源義経らも、それに近いものがある。それに対し、教科書が描きだす歴史舞台からの退場後に、さらに活動し続けた者もいた。例えば、次の足利義昭。 いずれにせよ、足利義昭は京都から追い出された後も、 幕府の再興のために積極的に政治活動をおこなっていたのだ。 まさに執念の男といえるだろう。(p.111)そして、私が本著の中で、特に印象に残ったのが、ひたすら大好きな絵だけを描き続け、臨終の間際まで向上心の塊だった葛飾北斎と、剃刀と呼ばれた天才でありながら、総理の椅子を目前に病に倒れた陸奥宗光。一休宗純や中江兆民は、これまで持っていたイメージからかなり離れた人物であった。
2019.11.23
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夜半、泰麒は黄袍館を抜け出し、 王宮の裏道を通って、阿選のいる六寝へと向かう。 その後をつける耶利は、「次蟾(じせん)」という、 人の魂魄を抜く妖魔を、そこで見つける。 泰麒は、阿選に民を救うよう懇願するが、黄袍館へと連れ戻される。 が、項梁・耶利と共に再度六寝に出向き、虜囚となっていた正頼に再会。 拘束されたままの正頼は泰麒に、馬州にいる草洽平(そうこうへい)に 「英章を捜して、不諱(ふき)を訪ねろ」と伝えるよう申し述べる。賊の侵入を知った阿選は、泰麒に「誓約」を迫る。麒麟は、王以外の者に平伏することが出来ないはずだったが、泰麒は、抵抗する力をねじ伏せ、暗黒に頭蓋をめり込ませた。そして遂に、玉座に着く阿選の脇に控えることとなる。一方、李斎は石林観本山主座・沐雨から、驍宗は身罷っていないと知らされる。そして、石林観の修験道に足を踏み入れ、驍宗の足跡を追ううち、7年ぶりに霜元との再会を果たし、これまでのことを語り合う。そして、驍宗は落盤によって函養山に閉じ込められている可能性に思い至る。 ***今巻の最後で、いよいよ驍宗が登場。そして、阿選は友尚に驍宗を迎えに行かせ、玉座を禅譲させる決意を固めました。クライマックスに向け、事態は急速に展開し始めました。次は、いよいよ最終巻です。
2019.11.17
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副題は「理解と改善のためのプログラム」 著者は、精神科医の岡田尊司さん。 「社交不安障害」について、その要因や経過、診断について説明し、 それを乗り越える手立てを提示してくれています。 まず、「社交不安障害」とは何か。 人とかかわる場面において、不安や緊張が強いために、 社会生活に支障が出る状態のことを社交不安障害と言う。 「社会不安障害」という訳語が長く用いられていたので、 そちらの方が、なじみがあるという人もいるだろう。 それ以前は、「社会恐怖」や「対人恐怖」といった用語も使われた。 やや年配の方だと、 「対人恐怖症」という言葉を聞かれたことが多いかもしれない。 ほとんど同じ状態を指すのだが、対人恐怖という用語は、 人間そのものを恐れるというニュアンスになるが、 実際には人前で話すのが苦手なだけで、 それ以外の友人付き合いは普通に楽しめるという人も多いわけで、 用語として対人恐怖という言い方は廃れ、 適用範囲が広い社会(社交)不安という言い方に 変わってきたという経緯がある(p.15)「私は『やや年配の方』だったのだ」と、あらためて認識させられた一文。でも、とても理解しやすい説明です。この後、「社交不安障害」の診断基準についても丁寧に説明してくれており、第2章を読み終える頃には、バッチリ理解できているはずです。そして、第3章では、病状のメカニズムについて説明。 注意が向くほど、身体感覚の異変は強まり、制御できなくなっていく。 感覚とは、それを意識すればするほど敏感になり、 強まる性質をもつものだからだ。(p.60)「気にすれば気にするほど、そこから抜け出せなくなってしまう」負の連鎖反応。そこから脱却するには…… うまくいこうがいくまいが、 笑われようが喝采されようが、 聴衆の反応ではなく、自分が伝えたい思いの方に集中する。(p.64)「言うは易く行うは難し」のような気もしますが、実際、それしか手立ては無いのでしょう。 馬から落ちたら、すぐ馬に乗れ。 さもないと、もう馬に乗れなくなる、と言われる。 回避しなければ、失敗体験を成功体験に変え、 自信を取り戻せたかもしれないのだが、 回避してしまうことによって、チャレンジすることさえ困難な恐怖の対象になる。 これが、苦手意識と回避による症状の固定化のプロセスだ。(p.92)そして、これもそう簡単なことではないように思いますが、実際に、乗り越えて行くしかない山なのでしょう。本著では、この山を乗り越えていくための道標として、認知行動療法やACTの手法を提示してくれています。 このK君のように、 不登校やひここもりといった適応障害に陥った社交不安障害のケースは、 背後に、いじめなどのトラウマ体験だけでなく、 家庭の安全基地機能の低下があることも多い。 その結果、誰に対しても心を開けないという状況に置かれてしまっている。(中略) 専門的なトラウマケアを行う場合も、 安全基地となる存在の役割が重要である。(p.166)とても明確で、重たい一言です。
2019.11.17
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杏さんの書いたものを読むのは『杏のふむふむ』以来。 本著には、2013年1月から2016年7月までに書かれたものが掲載されている。 (「文庫版あとがき」は2018年11月に記されたもの) 相変わらず「上手いなぁ」と思わされる。 これらの文章が書かれた時期は、杏さんが大ブレークしていた時期。 TVドラマの「ごちそうさん」「花咲舞が黙ってない 第1シリーズ」 「花咲舞が黙ってない 第2シリーズ」「デート~恋とはどんなものかしら~」 映画では「真夏の方程式」「オケ老人!」と、私も見まくっていた。その頃の、作り手側の様子がしっかりと描かれていて、とても興味深い。そして、杏さんがそれらの作品に真摯に立ち向かっていった姿勢に心を打たれる。また、プライベートの充実ぶりには驚かされる。結婚生活や子育てについての記述も微笑ましい。 山が険しければ険しいほど、終わった後の達成感は大きい。 また、いつまで経っても思い起こして 「あの時はああだったねぇ」なんて語り合うことができる。 また一つ、皆で力を合わせて超えられた。 のど元過ぎれば熱さを忘れる。 山が無ければ超えることもない。 険しい山も、過ぎてみれば良い思い出だ。 険しい山の道中は、そんなこと決して思えないのだけれど。(p.214)全く、同感。
2019.11.17
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副題は「追いつめられた家族の告白」。 本著は、2015年12月~2016年6月に毎日新聞(大阪本社発行版)で展開された シリーズ企画「介護家族」に大幅加筆・訂正して2016年に発行したものを、 2019年6月に文庫版として出版したもの。 ***認知症の配偶者を在宅介護している夫、そして妻。長期にわたり、母親への献身的介護生活を続けている娘、そして息子。重い障害を持つわが子を、介護し続けている高齢の母親。祖父の介護をするため、自らの夢を捨てることになった孫。重度障害者の娘を自宅介護していた妻が認知症になったため、娘と妻の二人を介護する高齢の夫。今や、周囲を見渡せば、珍しくなくなってしまった家族模様。決して他人事ではなく、いつ誰がこのような状況になっても不思議はない。そして、そのような生活に、精神的に、そして経済的に行き詰まり、周囲からの支援が思うように得られぬまま、限界を超えてしまった時…… ***巻末の重松清さんによる「解説」が秀逸。ぜひ一読を。
2019.11.04
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内田先生が自ら記した半生記。 幼少期から現在に至る歩みが、赤裸々に綴られています。 それは、想像以上に波乱万象の日々。 こうして、内田先生が内田先生になったんだなと気付かされます。 *** 父子家庭を始めたときに自分で決めたことが一つありました。 それは「仕事で成功する」ことをもう求めないということでした。(中略) 「家事育児のせいで、研究時間が削られた。子どものせいで自己実現が阻害された」 というふうな考え方は絶対にしない。 朝晩きちんと栄養バランスのとれたおいしいご飯を作って、 家をきれいに掃除して、服を洗濯して、布団をちゃんと干して、 取り込んだ洗濯物にきれいにアイロンかけして、服のほころびは繕って…… ということができたら「自分に満点を与える」ことにしました。 その「贈り物としての余暇」に本を読んで、翻訳をして、論文を書く。 そこで達成されたものは「ボーナス」のようなものだから、 あれば喜ぶけれど、なくても気にしない。 そういうふうにマインドを切り替えました。(p.147)「すごいな」と思いました。家事育児に対し、これほどの覚悟を決めて臨まれていたのですね。言うは易し行うは難し。それで、たくさんボーナスを手にすることになられたわけですから、本当にスゴイ。 それからまた数年したら、今度は大学の管理職になるという年回りになりました。 2005年に教務部長に選ばれたときも「しばらく研究は諦める」決意をしました。 自分が赴任してきたときに、先輩たちから「若いときは思い切り研究しなさい。 学務はわれわれ年長者がやる」と言われました。 その代わり、僕が彼らの年齢になったら、 今度は若い人たちの研究の支援をしなければならない。 こういう仕事は順送りです。(p.151)これも、内田先生らしいなと思います。こういうことで、世の中は回っているのだと気付かされます。 あらゆる仕事には、 「誰の分担でもないけれど、誰かがしなければならない仕事」 というものが必ず発生します。 誰の分担でもないのだから、やらずに済ますことはできます。 でも、誰もそれを引き受けないと、いずれ取り返しのつかないことになる。 そういう場合は、「これは本当は誰がやるべき仕事なんだ」 ということについて厳密な議論をするよりは、 誰かが「あ、オレがやっときます」と言って、 さっさと済ませてしまえば、何も面倒なことは起こらない。(p.154)『村上春樹にご用心』にも登場した「雪かき」の仕事のことですね。残念ながら、現実社会は真逆の方向に向かっており、仕事の押し付け合いです。
2019.11.03
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「私はあなたを怨んでいます。それでも貴方が王です」 泰麒の言葉の真偽を判断すべく、琅燦の進言を受けた阿選は泰麒に斬りかかる。 使令の守護を得られない泰麒は、斬撃をまともにくらい腕を切り裂かれてしまう。 これにより、泰麒は阿選に帰還を許され、仁重殿の一郭に居を移すことになった。 阿選が正式に登極するためには、驍宗に蓬山に向かわせ禅譲させることが必要。 泰麒のこの言葉に強く反発する張運に、琅燦は「一理ある」と諫める。 その後、泰麒の周囲にもわずかながら変化が。 州宰に阿選の麾下・恵棟が、項梁以外の大僕として耶利が着任したのだった。一方、琳宇で驍宗の足跡を追っていた李斎たちは、岨康でトラブルに巻き込まれ、函養山を牛耳る土匪の首領・朽桟に捕らえられてしまう。しかし、そこで朽桟から函養山一帯の様子を教えてもらうことに。李斎たちは、さらに北へと進み、驍宗の従者を務めていた臥信の麾下・静之と出会った。函養山、銀川、付近の廃里、白琅と何の手掛かりも得られない旅が続いていたが、古伯に近い小さな里・老安で、住人の数に比し必要な薬の数が妙に多いという情報が。しかしその後、その里で重傷を負った武将が亡くなったとの情報も入ってくる。「もしも驍宗様が身罷られていたら、私はどうするのだろう……?」 ***お話としては、前巻からほとんど進展がなかった第2巻。ただ、阿選の行動の裏には、何か隠された意味がありそうな感じが漂ってきました。また、琅燦や耶利らの女性陣が、今後のカギを握るような活躍をしてくれる予感も。第3巻、第4巻は一週間後、11月9日(土)に発売です!!
2019.11.02
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