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今年も1年待ちました。 もはや年に一度の定期便、クリスマスプレゼントと化したのでしょうか? でも、ちゃんと続きを読むことが出来るのは嬉しい限り。 羽海野先生、今年もありがとうございました! ***駒橋高校文化祭に間に合った零。ひながとっておいてくれた甘味を妖怪カフェで食すと、自分のクラス会場を確認。そして始まった後夜祭「ファイヤーパーティー」。その流れの中での「ひなちゃん 君が好きだよ」。時は流れ、野火止あづさ6段(21歳)との対局、師子王戦4組準決勝。かつて高校生騎士誕生と持て囃された野火止だったが、その後登場した二階堂や桐山に、人々の注目はさらわれてしまった。元天才を自認する野火止は、強烈なライバル心を持って桐山に挑むが……そして、迎えた師子王戦4組決勝。相手は野火止の師匠でもある、千駄ヶ谷の巨大重機・田中太一郎7段。50歳を超えて自分の将棋を変え、強さを増して現在好調。深夜に及ぶ激闘の末、「こんなに怖い勝ち方は初めて」という勝利を零は得る。 以前だったら 悩み始めたら そのまま何日でもどんどん落ち込んで 何も食べられなくなって 体調くずして そのまま何週間も引きずって… なのに今回は 夕べ あんなに悩んでたのに 起きて気づいたら… おにぎりむしゃむしゃ食べてたんです 窓の外見ながらそれは、晩ご飯を食べた後、あかりとモモがお風呂に入っている間に、零とひなたが二人で、残ったご飯をみんなおにぎりにしておいたもの。その後、順位戦B級2組第6局に敗れた零は、今期の昇級が難しくなる。それでも、本当に失くしてはいけないものは、今、零の側にあった。 ***今回、本編での登場が少なかったあかりさんは、巻末の「あかりの銀座物語」というエピソードで堂々の主役。炭水化物づくしの高カロリー食を提供し、ボタンがはじけ飛んでしまいましたが、これも『3月のライオン』ですね。
2019.12.30
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時代の寵児として首相の座に昇りつめた真垣統一郎。 しかし、現在は感染症を患い意識不明の重体。 そして、その事実は、政局の関係で世間には伏せられたまま。 内閣官房長官・樽見政純は、首相と瓜二つの劇団員・加納慎策を替え玉に据える。 荒唐無稽の設定。 どう考えても、現実にはあり得ないことばかりのお話なのに、 一つ一つのシーンには緊張感があり、何故かリアリティすら感じてしまう。 もちろん、現実の政治は、こんな単純明快なものではないだろう。それでも、首相の替え玉を演じる加納慎策を、ついつい応援したくなってしまう。閣僚や野党、官僚、テロ、そして国民という難敵に挑むど素人。その素人の純粋さに、彼と同じく政治の素人の私たちは親近感を覚えてしまう。そして、読み進める中で、時々ハッとさせられるようなフレーズに遭遇することになる。 政治というのは正しさの追求ではない。 意見が対立する者と擦り合わせ、妥協し、着地点を決めることです。 正論は正しいが、正論を振りかざすことは全く正しくない。(p.71)これは、樽見が慎策に語った言葉。次は、慎策が首相として、通常国会で野党議員に答弁した言葉。 この政策が失敗した時には、総辞職だろうが解散だろうが何でも従ってやる。 しかし他方、責任を問われない安全地帯で 好き勝手に喚きたてるのは控えていただきたい。(p.155)現実には、おそらくお目にかかることはないだろう痛快な一撃。でも、本当はこんな風に言ってやりたいと、歴代首相は思っていたのでは。 闘いではなく交渉。 論破よりも説得。(p.242)これは、慎策が衆議院本会議場で官僚出身議員の質問に答弁する際、心の内で自らを戒めるシーン。 だが、もし人質リストを公表しようものなら、どんな事態が発生するのか。 考えるだに鬱陶しい話だが、そうした家族に心ない仕打ちをする 卑劣極まりない輩が多数存在する。 匿名の下劣な野次馬、家族の悲劇を商品化しようとするマスコミ。 情報統制はそうした配慮による苦渋の選択だった。(p.320)これは、在アルジェリア日本大使館が、テロリストたちにより占拠された際の、官房長官による緊急会見のシーンでの記述。こういう状況は、これまでにも実際あっただろう。次は、防衛大臣が慎策に語った言葉。 本来自衛官は感謝されてはいけない存在です。 平時においては胡散臭がられ、恐れられ、遠巻きにされ、 時には非難や誹謗を受ける。 それでいい、身近な存在になってはいけない。 なぜなら、自衛官が国民から歓迎され感謝される時は、 外国から攻撃されて危急存亡の秋か国民が困窮している時だ。 自衛官は日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ…… これは吉田茂元首相の言葉です。(p.395)これに続く、慎策の思いを述べた文章は次のようなもの。 公僕だから、税金で生活しているのだからというお決まりの文句が空疎に響く。 同じ公務員でも、霞が関でふんぞり返る連中とは抱く矜持も懸けるものも違う。 報われない仕事、感謝されない存在。 それでも彼らは日々汗を流し肉体を酷使するのを厭わない。(p.396)自衛官は本当に大変だ。でも、霞が関で働く者の思いにも、もう少し寄り添ってもいいのではないかとも思った。決してふんぞり返っている人たちばかりではないはずだ。
2019.12.29
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ジークが巨人たちを呼ぼうとしたとき、それを止めたのはエレン。 弟・ファルコを連れた、兄のコルトがそこにいたから。 コルトは、ファルコがジークの脊髄液を口にしてしまったことをジークに伝え、 ファルコが「叫び」の効果がある範囲を出るまで、それを待ってくれと懇願する。 しかし、ジークは叫び、巨人化したファルコはライナーのうなじに喰らい付く。 そして、ジークとエレンが接触しようとした、まさにその時、 ガビの放った一撃が、エレンの頭部を吹き飛ばしたのだった。 エレンとジークは、「すべての道が交わる座標」と思われる場所へ。そこには、始祖・ユミルがいた。「不戦の契り」の鎖につながれたジークは、そこで自由に動くことのできるエレンに、次のようにユミルに命じろと言う。「すべてのエルディア人を、今後永久に子供を作れない体にしろ」。が、エレンは「エルディア人の安楽死」を拒絶する。すると、ジークは自らを縛っていた鎖を解き放ち、次のように告げた。ユミルは、王家の血を引く者を自分の主人だと思い、服従するだけの存在で、エレンは、始祖の力を引き継ぐためのカギに過ぎず、ジークがその力を得たのだと。その後、ジークとエレンは、父・グリシャの記憶を一緒に覗き見る。そこで、グリシャは壁の王に対してこう言った。 予てより「進撃の巨人」の継承者は何者にも従うことが無かった 私にはその理由がわかる すべては王の独善に抗うため… そう…この時のために 皆がこの記憶に導かれた… 「進撃の巨人」は未来の継承者の記憶をも覗き見ることができる… つまり未来を知ることが可能なのだ レイス家を父親以外皆殺しにするよう、グリシャの背中を押しをしたのはエレンだった。グリシャは、ジークに酷い父だったと謝り、エレンを止めてくれと頼む。そして、ジークはエミルに命じた。すべてのユミルの民から生殖能力を奪えと。 ***身に覚えのない罪をかぶり、故郷を追われた奴隷・ユミル。そこで巨人化する力を得たユミルは、その力でエルディアに貢献し、王からフリッツの子種を賜ると共に、憎きマーレを滅ぼすよう命じられる。そして、王をかばって死んだユミルは、その娘たちに食い尽くされた。その背骨は、子から孫へと食いつながれ、エルディアは、巨人の力によりこの大地を支配し続ける……そして、場面は再び「すべての道が交わる座標」へ。そんなユミルの呪縛を解き放とうとするエレン。 お前は奴隷じゃない、神でもない ただの人だ 誰にも従わなくていいい お前が決めていい 決めるのはお前だ お前が選べ 永久にここにいるのか 終わらせるかだ オレをここまで導いたのはお前なのか? 待っていたんだろう ずっと 二千年前から 誰かを ***そして、時間は、エレンの頭部が吹き飛んだ時点へ。壁が崩壊を始め、そこに現れたのは…… ***いよいよ佳境に入ってきたという感じ?次巻は2020年4月9日(木)発売予定です。
2019.12.22
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今年、著者の大河原先生のお話を聞かせていただく機会がありました。 内容はとても興味深いもので、私はお話にどんどん引き込まれていきました。 その後、先生の著作の中では比較的新しいものである本著を早速購入。 読み終えた後は、久々に付箋だらけの一冊になってしまいました。 所謂専門書ですが、どなたでも読み進めることが出来る内容かと思います。 *** 子どもの感情制御の脳機能が健全に育つためには、 負情動・身体感覚が承認されることにより 安心・安全が得られることが必須である(p.27)アスファルトの道路にたたきつけられるように転んだのに、母親から「痛くない!」と叫ばれた3歳の男の子は、顔をゆがめながらようやく起き上がりました。それを見た母親は「えらい!」と褒めました。男の子は、何事もなかったように、スキップをしていったそうです。著者は、これが「過剰適応=不快感情過剰制御」の姿であるとし、ここで、一次解離反応が生じたと見ることができると述べています。このような、親が子供の不快感情の表出を強く望まない関りをしていると、子どもは一次解離反応によって、親の前では「よい子」の姿を示すようになります。もちろん、「親の前でも学校でもよい子」の姿を維持できる場合もありますが、「親の前ではよい子で、学校できれる子」の姿を示すようになることもあるそうです。 問題行動を起こしたときの記憶があいまいで、なんとなくそうかもしれないけれど、 自分がやったという実感がともなわない離人感に近い感覚を持つ子どもも多い。 解離様式で適応している子どもは、その場面によって さまざまな自我状態(Ego State:解離障壁で区切られる状態)を体験しており、 それぞれの自我状態が記憶を保持するので、 異なる自我状態になると記憶の連続性が失われるということが生じるのである。(p.79)子どもはうそをついているのではなく、場面が変わると、自我状態が異なってしまっているのです。この場合、統合された1つの自我状態で生きていけるよう、働きかけが必要です。また、不快なことがあったとき「死ね!」「ぶっ殺すぞ」と言う子どもは、不快な身体感覚に、間違ったラベルが付いてしまっています。この場合も、教育や支援によって、このラベルの張替えをしていく必要があります。 子どもの心理的問題は、「親が原因」か「教師の関りが原因」か「いじめが原因」か 「子どもの発達障害が原因か」のどれか1つに収束されるものではない。 心理的問題の援助に携わる人は、 一般に人が抱きやすい「直線的な原因論」から自由でなければならない。 子どもの心理的問題は、子供がこのままでは健やかに育つことができない状況に おかれているということに対するSOSのサインであり、 常に複数の要因が複雑にからみあっているのである。(p.126)とても示唆に富んだ指摘であり、そのような複雑な状況を整理する枠組みとして示された「エコシステミックな見立ての枠組み」は、様々な問題の解決に向けて、重要な道標となってくれそうです。
2019.12.15
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副題は「あなたを蝕む愛着障害の脅威」。 タイトル、副題共になかなか過激。 でも、読み始めると、そのネーミングに納得してしまいます。 さすが、岡田さんです。 ***本著によると、人に喜びや幸福を与える生物学的な仕組みは、3つしか存在しないそう。1つ目は、お腹いっぱい食べたり、性的な興奮の絶頂で生じるもの。生理的な充足により、私たちが生きることに最低限の喜びを与えてくれるもので、エンドルフィンなどの内因性麻薬(脳内麻薬)が放出されて生じる快感です。2つ目は、報酬系と呼ばれる仕組みで、サッカーのゴールや麻雀でロンをした瞬間に、大脳の線条体の側坐核でドーパミンが放出され、「やった!」という快感を味わうもの。このドーパミンの短絡的な放出を引き起こすのが、麻薬やアルコール、ギャンブル等で、報酬系を悪用したものと言えます(麻薬には内因性麻薬放出を伴う場合もあります)。そして3つ目が、愛する者の顔を見たり、愛する者と触れ合うとき、安らぎに満ちた喜びが湧き起こるという、愛着の仕組みです。これは、生命維持や回復促進のために、免疫系や神経系、内分泌系を調整するオキシトシンという、視床下部の神経細胞から産出されるものの働きによります。しかしながら、親からの無条件の愛情を与えられず、不安定な愛着を抱えた人は、オキシトシン系の充足が不十分になってしまいます。その結果、不安や苦痛を感じやすくなり、痛みや原因不明の身体症状、うつや不安に苦しめられることもあります。その不足は、ドーパミン系の充足や生理的な快感で補うことになりますが、短絡的な充足は耐性を生じ、より強い刺激を必要とするようになってしまいます。 ***さて、本著で最も衝撃的なのは、次の記述ではないでしょうか。「愛着障害」という言葉の世間への広まり等、誰もが気付きかけていたと思いますが、ここまで正面切って、この問題について書かれたものを、私は、これまで目にしたことがありませんでした。 そして、実際に臨床で、 「大人のADHD」を疑って来院する人たちの生活史を見ていくと、 彼らが親との関係に苦しみ、虐待劇状況に置かれてきたことが明らかとなることが、 非常に多いのである。 これらのすべての事実は、彼らが苦しんでいるものの正体が、 養育要因に起因する愛着障害に由来することを、強く示唆しているだろう。 だが、そうした結論をうすうす感じていても、 専門家ほど、そのことを口にすることは許されなかった。 そこには、ぶ厚い障壁が立ちはだかり続けていたのだ。 その障壁とは、ADHDは遺伝的要素が7、8割にも上る、 先天性の強い神経発達障害だという定説であり、 不注意や多動といった問題に、養育要因は無関係だという ここ何十年かの「常識」だ。 実際、ADHDの養育要因について論じたりすれば、嘲笑とバッシングを受けた。 多くの専門家たちが、この30年以上、 ADHDに養育要因など関係しないと言い切ってきたのであるから、 それをいまさら覆されるわけにはいかないのである。 だが、その牙城が、今世紀初めぐらいから徐々にほころび始め、 最近では崩壊がだいぶ進んでいる。 音を立てて崩れ落ちる日も近いかもしれない。(p.167)
2019.12.07
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久しぶりに荻原さんの作品を読みました。 これで5冊目になります。 今回も、表題作を含む6つの短編からなる一冊。 直木賞受賞作ということで、期待して読み始めました。 いつも通りの(?)ライト感覚。 扱っている内容は、結構重たいはずなのですが、 「ズシーン」とか「ドーン」とくる感じではなくて、 「ジワジワ」とか「スーッ」とくる感じ。この辺りは、読み手によって好き嫌いが分かれるかも。(私も、著者の作品を前回読んだのは8年も前だしなぁ……)まぁ、肩に力を入れずに、リラックスして読めるのは良いことだと思います。(内容自体は重たいはずなのに……) *** 大人になると、自分の親を客観視できるようになるものだ。 けっして特別な存在だったわけではなく、 良くも悪くも普通の人間だったのだな、と思える。 とりわけ記憶のときどきの親の年齢を自分が追い越してしまえば。(p.186)本著収録の『時のない時計』の一節で、今回、私の記憶に最も残った部分。よく分かります。
2019.12.07
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わずか182頁のコンパクトな一冊ですが、読む価値は大いにあります。 今年の夏に刊行されたものですが、今なお売れ続けているのも頷けます。 著者は、立命館大学産業社会学部の宮口教授。 児童精神科医で、医療少年院で勤務したこともある方。 その経験をもとに書かれた本著は、非行少年の実態を知るには絶好のもの。 そして、その知見は、非行少年に限らず、 子どもを理解するために、知っておくべき事柄であふれています。 誰もが、「そうだったのか!」と気付かされるとがきっとあるはずです。 *** 同じことは学校教育にも当てはまります。 悪いことをした子がいたとして、反省させる前に、 その子にそもそも何が悪かったのかを理解できる力があるのか、 これからどうしたらいいのかを考える力があるのか、を確かめなければなりません。 もしその力がないなら、反省させるよりも 本人の認知力を向上させることの方が先なのです。(p.57)いきなりズバッと来ました。そして、この状況は「子」だけに起こるものではなく、保護者である「大人」でも、同様に起こりうることを心にとめておかねばなりません。学校を卒業して、年齢を重ねれば、皆、誰もが同じようになっているわけではありません。 子どもの課題を保護者に理解してもらうことの難しさは、 保護者に関わっておられる専門家や学校の先生方ならよくご存知のことと思います。 (中略)自分の子どもが殺人を犯してすら、 子どもの問題を理解・受容しようとしない保護者がいるくらいですから、 子どもの少々の問題だけでは危機感を抱かず 聞く耳を持たない保護者がいても不思議ではありません。(p.96)もちろん、親の感情として「受け入れ難い」ということは理解できます。しかし、「それだけではない」と思わざるを得ない状況も、ままあるのが現実。そして、それは、ひょっとすると上記のような事情があるかもしれないのです。そんな場合の対応は、本当に難しくなってしまいます。 ・聞く力が弱い→友達が何を話しているか分からず話についていけない ・見る力が弱い→相手の表情やしぐさが読めず、不適切な発言や行動をしてしまう ・想像する力が弱い→相手の立場が想像できず、相手を不快にさせてしまう(p.80)「なぜ?」と思わざるを得ないような行動の背景には、このような「聞く力」「見る力」「想像する力」の弱さがあることも。目の前の子どもたちの、こんな状況は何とかしないといけない。何ともできないまま卒業、大人になってしまうと後々困ることになるのですが…… つまり、今の学校教育には系統だった社会面への教育というものが全くないのです。 これは大きな問題です。 社会面の支援とは、対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、 問題解決力といった、 社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身につけさせることです。(p.127)これは、大きな問題提起だと思います。もちろん、学校が何の手立ても施していないということはないでしょう。各校とも、場面場面をとらえて、様々な取り組みを行っているはずです。しかしながら、「系統的」かと言われると、「そうではない」と言うしかありません。では、実際にどうすればよいのでしょう?著者は、自身が取り組んだ様子について記してくれてます。 人が自分の不適切なところを何とか直したいと考えるときは、 「不適切な自己評価」がスタートとなります。 行動変容には、まず悪いことをしてしまう現実の自分に気づくこと、 そして自己洞察や葛藤をもつことが必要です。(p.150)「現実の自分」に気づかせることは、そう簡単なことではありません。でも、それなしには、次のステップへと進んでいけないことは確かでしょう。自己に注意を向けさせる方法のひとつに、「他人から見られている」があり、少人数のグループワークが有効であるとの指摘は、大きなヒントになりそうです。 コグトレとは、認知機能を構成する5つの要素 (記憶、言語理解、注意、知覚、推論・判断)に対応する、 「覚える」「数える」「写す」「見つける」「想像する」の 5つのトレーニングからなっています。これも、本著が提供してくれる大きなヒントの一つ。この認知機能強化トレーニングについては、書籍も販売されているとのこと。そして最後に、本著で興味深かったのは、次の「自尊感情」に対する記述。これまで、あまり見たことのない内容で、目からうろこでした。 つまり、自尊感情が低くても社会人として何とか生活できているのです。 逆に、自尊感情が高すぎると自己愛が強く、 自己中のように見えてしまうかもしれません。 大人でもなかなか高く保てない自尊感情を、 子どもにだけ「低いから問題だ」と言っている支援者は、矛盾しているのです。 問題なのは自尊感情が低いことではなく、 自尊感情が実情と乖離していることにあります。(中略) 無理に上げる必要もなく、低いままでもいい、 ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要なのです。 もういい加減「自尊感情が……」といった表現からは卒業して欲しいところです。(p.125)
2019.12.01
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今、話題の書。 百田さんの『今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう』にも、 私がこれまで知らなかったことがたくさん書かれていましたが、 本著は、それを上回る内容と密度でグイグイと迫ってきます。 そのプロローグのタイトルは「嘘の国」。 小見出しは「嘘をつく国民」「嘘をつく政治」「嘘つきの学問」「嘘の裁判」等々。 書かれた方としては、もちろん面白くはないでしょう。 ましてや、それを書いているのが、身内の側のはずの人間であれば、なおさら。朝鮮土地調査事業による土地収奪、朝鮮米強奪、強制動員、強制徴用、賃金差別等、本著では、その実態を調査資料に基づきながら明らかにしていきます。そのうえで、韓日請求権協定や韓日会談について論じ、さらに、白頭山神話や独島、鉄杭神話、旧総督府庁舎解体に話は及んでいきます。そして、親日清算、被害賠償請求、反日種族主義について論じた後、慰安婦問題について大きく紙幅を割いて、様々な角度から検証、論述していきます。この部分は、本著の中でも中核となる部分であり、改めて、この問題が日韓の間で大きな障壁となっていることに気付かされます。日本国内でも、様々な立場の人が、それぞれの立場から資料を収集・提示し、それらに基づいて、それぞれの主張を展開しています(新聞もしかり)。韓国内でも、当然そのようなことがあっても不思議はないのですが、自国に対し批判的な意見への圧力は、日本の比ではないように感じます。もちろん、私達には、提示された資料の信憑性を含め、何が真実なのか、本当のところ知る由もありません。声が大きいとか、多数の人が支持しているとか、よりもっともらしいというのは、決して、真実であることの裏付けにはならないのです。
2019.12.01
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