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岸田政権が新潟県の柏崎刈羽原発周辺の避難道路整備について、国庫から予算を出すと決めたことに島根県知事が疑問を表明したことを、14日の東京新聞は次のように報道している; 岸田政権が6日に開いた原子力関係閣僚会議。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向け、避難道路などを国負担で拡充する方針を決めた。そこに異論を呈したのが、島根県の丸山達也知事だ。同じく原発を抱える県のトップが怒った理由とは。丸山知事の主張をどう評価すべきか。(中川紘希) 原子力関係閣僚会議には、8月の段階で退陣を表明した岸田文雄首相のほか、林芳正官房長官や斎藤健経済産業相らが出席した。再稼働に向けて地元同意が焦点となる柏崎刈羽原発について、6方向で30キロ圏外へ避難するための道路整備の費用を確保することを决めた。県の負担を極力減らし、道路拡幅や橋の耐震化を進める方針という。 岸田首相は「東日本の電力供給構造の脆弱性、電気料金の東西格差などの観点から、再稼働の重要性は高まっている」と強調。関係閣僚に「避難路の整備など避難対策の実効性を高めて」と指示した。 国の方針を巡り、丸山知事は11日の定例会見で「住民の避難対策は柏崎刈羽だけに求められるものではない。なぜ新潟だけ特別に対応するのか」と口にした。 島根県は政府に対し、要支援者を含めた住民避難の円滑化のため道路整備の拡充を訴えてきた。県の担当者は「具体的に建設や拡幅をしてほしい道路を明示しているわけではないが、避難経路の充実の支援を求めている」と話した。他に地域振興の交付金の拡充、中国電力への事故発生時の汚染水対策の指導も求めた。 県都の松江市には中国電力島根原発がある。2号機は8月の再稼働か計画されたが、工事の長期化で12月に延期された。丸山知事は、島根原発は30キロ圈に人口約45万人が集中する特殊性があると指摘。「なぜ新潟の豪雪地帯という特殊性だけに対応するのか。説明がないのは問題だ」と語る。 特別扱いに首をかしげるのは知事だけではない。 島根大の保母武彦名誉教授(地域経済学)は「原発は沿岸部や過疎地に建設される。道路は少なく、避難路の確保の問題は全国共通だ」と話す。 それなのに、政府が新潟に重きを置くのはなぜか。 新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「政府にとって柏崎刈羽の再稼働は悲願だ。事故を起こした東電の原発で再稼働が認められれば、他の再稼働に向けても弾みが付くという期待もあるのでは」と話す。 「東電も原発を再稼働すればもうけが増える。福島原発の処理費などを負う立場としては一日も早く動かし利益を出したいのだろう」◆費用投じたら解決できるの? 新潟県内で支援を厚くしても懸念は残るという。 2021年に県が行った避難計画の検証では、原発30キロ圈の住民が一斉に避難すれば放射性物質の検査地点で大規模な渋滞が起き、圏外への避難完了までに130時間かかるとされた。 佐々木氏は「地震などで損傷する道路の位置や数によっては、避難時間がより長くなる。道路を拡充し、その時間を少し削ることができても、焼け石に水だ」と語る。それでも「支援」をうたう政府については「道路の建設費を地元に差し出すことでリスクをのんでほしいだけだ。本当に安心安全につながるかは考えないといけない」と訴えた。 他の地域でも住民避難は容易ではない。 前出の保母氏は、島根県の避難計画でも道路寸断や土砂崩れといった複合災害のリスクが十分に検討されていないと批判。風向きによっては放射性物質が同県の隠岐島を覆い、島民は逃げようがなくなることも例に挙げ、「どれだけお金をかけても、避難にまつわる全ての懸念を解消しきれないのが原発の問題。安全な再生エネルギーの活用へと転換すべきだ」と話した。2024年9月14日 東京新聞朝刊 11版 18ページ 「こちら特報部-島根県知事、怒ったわけは」から引用 政府が新潟県の原発事故避難道路にはカネを出すのに、なぜ島根県の事故避難道路には出さないのか。政府は言い訳として「電力需要の違い」とか「柏崎刈羽の原発が稼働できれば、周辺の再稼働にも弾みがつく」などと言ってるが、本当のところは自民党に対する東京電力と中国電力の政治献金額の差ではないかと思います。それにしても、政府が莫大な予算を支出して避難道路の幅を広げて耐震性を強化したところで、いざ事故ともなれば、それでも避難を完了するまで130時間かかるということが、今から分かっており、この問題はどうにも解消のしようがありません。と言うことは、やはり、発電事業に原子力を使うのは「邪道」であることを意味しており、このような「一度使ったら、使用済み燃料を20万年も『保管』しなければならない」などという原子力発電は、経済原理にそぐわないものであり、人類が手を出してはならないものであることを、私たちは知るべきだと思います。
2024年09月30日
戦前に毒ガス兵器の製造工場があった広島県大久野島の、戦前の工場跡地に現在は竹原市が運営する「毒ガス資料館」があり、当時戦闘に使われた武器等を展示している。その資料館を見学したフォトジャーナリストの安田菜津紀氏は、11日の東京新聞に次のような一文を寄稿している; 広島県竹原市、忠海港からフェリーに乗り15分ほどで到着する大久野島は、一周が4キロほどしかない小さな島だ。ここに建設された日本軍の工場で毒ガス製造が始まったのは1929年。日本軍の毒ガスは主に中国戦線で使用され、日本の敗戦後も、遺棄されたガスによって多くの被害を生み出してきた。 こうしたかつての「機密」が広く知られるようになったのは、80年頃からだ。学者らの研究によって米国の保持する公文書から、日本軍の毒ガス使用命令書など、関連資料が次々と発見されたのだ。そのうちの一つ、陸軍習志野学校案「支那事変二於ケル化学戦例証集」のコピーが大久野島にある「毒ガス資料館」に展示されている。その展示の前に、下記のようなただし書きが貼ってある。 「※ 一般的に用いられた戦術ではなく、緊急的に対応した稀な事例である。(防衛省防衛研究所)」 この「化学戦例証集」は、日中戦争開始から42年までの、日本軍による毒ガス戦の例が56例、掲載されている。毒ガス資料館を運営する竹原市の担当課に問い合わせると、2020年12月に「ある団体の方」から指摘を受け、調査のために当時の市担当職員が「防衛省防衛研究所」へ直接問い合わせ、同月中にただし書きを加えたのだという。その「ある団体」について尋ねても、「団体名は回答できない。主な活動内容等も詳細に知らない」という。 中央大学名誉教授の吉見義明さんは、この「ただし書き」に疑問を呈する。「嘔吐性ガスは、中国戦線で、特に1938年の武漢攻略戦以降常用しています」。「例証集」には、その嘔吐性ガスである「あか剤」を用いた作戦例が並び、大規模使用した例も含まれている。 実は展示の内容が「指摘」を受けて変わった例が他にもある。小高い丘の上から、ヘルメットをかぶった兵士が、もくもくと煙のたちのぼる平野部を見下ろしている一枚の写真――吉見さん著『毒ガス戦と日本軍』(2004年 岩波書店)に詳しいが、これは『アサヒグラフ』(1939年10月18日号)に掲載された、中国戦線・新墻河(しんしょうが)渡河作戦(39年9月)の写真であることが分かっている。 竹原市は写真について、実際に「抗議」があったことを認め、毒ガス資料館の展示から2020年10月頃に外したとして、こう見解を示した。「写真は旧日本軍の毒ガス戦のものではないと認識している。この戦闘において毒ガスが使用された事実もない」 驚いた。確かに過去、同じ場面を別角度からとらえた写真について、「毒ガスではなくただの発煙筒の煙」であるという旧軍人たちの証言が新聞で報じられたことがあった。しかし作戦にあたった第11軍の報告(「呂集団軍状一般」)にも、「瓦斯(がす)放射」を行ったことが記され、後に編纂(へんさん)された兵士らの体験記(町尻部隊編『第六師団転戦実話』カン湘編)にも、「初めての瓦斯に大慌て」と題する文章や、ガスが一部逆流し現地住民が被害に遭ったこと、ガスマスクが与えられなかった新兵がガスを吸って目も見えず口もきけなくなるほど苦しむ様子が細かに記されている。 この写真が『アサヒグラフ』に掲載された当時、キャプションには毒ガス戦であることは記されていなかったが、吉見さんは著書の中で、軍の検閲を通るよう、毒ガス使用の事実を隠す意図があったと分析している。逆に「この写真は毒ガス戦ではなく、毒ガスが使用された事実もない」と、竹原市が断定的に示す根拠となるものはあるのか? 残念ながら市の側は、特によってたつ公文書や資料は確認できないとした。歴史を伝える資料館を運営する自治体としては、不誠実な態度ではないだろうか。 大久野島に限らず、日本の「加害の歴史」が公権力によって十分に検証がなされてきたとは言い難い。しかしさまざまな学術研究が、過去をふりかえるための手がかりを丹念に見つけ、歴史を少しずつひもといてきた。「過ちを繰り返さない」のであれば、それらと徹底して向き合い、次世代に継承していく記憶を、歪めないための取り組みが不可欠なはずだ。(やすだ・なつき=フォトジャーナリスト)2024年9月11日 東京新聞朝刊 6ページ 「社会時評-『加害の歴史』誠実に継承を」から引用 この記事が主張するように、広島県竹原市は「よってたつ公文書や資料は確認できないが、一部に抗議する団体があるので、とりあえず『毒ガス作戦は一般的に用いられた戦術ではなく、緊急的に対応した稀な例である』と防衛省の了解を得て表示して、言いがかりをつけてくる団体向けの対策とする」という「姿勢」は、見学者全員に「事情説明」をするならともかく、一般の見学者には知る由もないわけで、そのような対応では「毒ガス資料館」本来の目的を達成することが出来ないのですから、一日も早く、無駄な但し書きは撤去するのが良いと思います。
2024年09月29日
立憲民主党の党代表は任期満了で、今月選挙を行うことになっているが、4名の立候補者の中で野田佳彦氏が最有力との情勢が明らかになった8日の東京新聞に、元文科官僚の前川喜平氏は次のように書いている; 立憲民主党ができた時のことを覚えている。小池百合子都知事が国政に乗り出そうと、当時の前原誠司民進党代表らと談合して希望の党をつくろうとしたが、憲法改正と安保法制の容認という踏み絵を踏まなかったため小池氏から「排除します」と言われた民進党議員たちが、「枝野立て」の声に押された枝野幸男氏を中心に立ち上げた。 だから、安保法制による集団的自衛権の行使容認を違憲とする立ち位置は、同党の原点だったはずだ。その後の野党共闘は「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が共産党や社民党との橋渡しをする形で構築されてきた。 ところが今、同党の代表選で最有力候補と目される野田佳彦氏は、日本維新の会と組もうとしている。今年3月にはBS番組で、関東は立民、関西は維新という「すみ分け」を提唱。8月には維新の勉強会に講師として出席し、候補者一本化を訴えた。しかし維新は安保法制の「存立危機事態」を限定すると言うだけで、集団的自衛権の行使は認めている。そんな党とどうして組めるのか。 5日の会見で野田氏は従来の安保政策を踏襲すると言ったが、安保法制も踏襲するつもりなのか。2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定以前に戻れと、なぜ言わないのか。党名の立憲の2文字はどこへ行ってしまうのか。(現代教育行政研究会代表)2024年9月8日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-立憲はどこへ行く?」から引用 その後、立憲民主党は野田佳彦氏を代表に選出して選挙戦は決着し、今後の野党共闘に期待した多くの国民を裏切る結果になった。元はと言えば、野田氏を応援した小沢氏は元自民党幹事長だった人物であり、野田氏ももし選挙区が関西であれば最初から「維新」に入っていて不思議のない人物だったのだから、この二人が手を組めば「集団的自衛権行使」は当たり前、「立憲主義」も遠からず雲散霧消するものと私たちは覚悟しなければならないと思います。したがって、まだ党内で「立憲主義」を大切に考えている議員は、これからは居心地が悪くなることを覚悟するべきだし、場合によっては離党する議員も出てくる可能性はゼロではないと思います。野田氏・小沢氏が考えている「作戦」は、自民党が裏金問題や統一教会問題でここまで評判を落とせば、自民批判票を取り込む「チャンス」だという発想と思われるが、今まで自民党に投票してきた人たちが、果たして「今度ばかりは自民党にお灸をすえる意味で立憲民主党に入れよう」という合理的な判断で行動できるのかどうか、私は大いに疑問だと思います。
2024年09月28日
ある日の朝日新聞に、都内に住む60代の主婦の次のような投書が掲載された; 自民党の総裁に求めたいのは、経験や政策の前に、正しい判断ができるという「人としての基礎」だ。会見で立派な発言をしても、党内議員の顔色をうかがうようでは実現はおぼつかない。「白は白、黒は黒」と言い、堂々と実行する潔さと度量が必要だろう。 特に今回の裏金事件は、党の膿(うみ)を出し切ってほしい。しかし、総裁を目指す候補のほとんどが、処分された議員の公認の是非について歯切れが悪い。議員たちは事件にふたをしてくれる人を総裁にしたいのだろう。今の自民党には正しいことを言えない土壌があると感じる。この「悪の温床」を壊さない限り、党を刷新できないと思う。 森友学園の問題を国会で追及されるなどした安倍晋三元首相の「遺志を引き継ぐ」とか、裏金事件で役職を外された安倍派議員の登用を訴える議員には総裁になってほしくない。問題ある政治が何世代にもわたり影響するからだ。国民の気持ちに立ち、有言実行できる人が国のリーダーに、と願う。2024年9月11日 朝日新聞朝刊 13版 ページ 「声-正しいことを言い、堂々と実行を」から引用 この投書は現実の世の中を全く無視して、出来もしない「理想論」を口にして自己満足に陥っている、世間的には何の役にも立たない駄文である。そもそも今頃になって「裏金事件は、党の膿を出し切ってほしい」と書いているが、現実には自民党内ではかなりの人数の議員が政治資金報告書に虚偽記載をするという違法行為をしたことが分かっていながら、立件されたのは数名の下っ端議員と議員秘書だけで、大部分の「違法議員」がそのまま党内に残って自分たちの代表を選ぼうというのが、現在の自民党の実情である。そういう党内で、「今から、裏金事件の膿を徹底追及して、裏金に関与した議員は全員、党籍をはく奪、選挙の「公認」はしません」などとぶち上げれば、そんなことを言う候補者には、誰一人投票はしないであろうことは、歴然としています。そういう自民党内の実情を広く世間に訴えて、現実を認識してもらった上で、次の選挙は絶対に自民党以外の政党候補に投票する、という方向に話をもっていかない限り、政治の腐敗は続き、経済は低迷し、庶民の生活苦はますます増大するというスパイラルから脱出することはできません。
2024年09月27日
日本政府は1993年に河野官房長官(当時)が旧日本軍従軍慰安婦に関する談話(いわゆる『河野談話』)を発表して以来、「従軍慰安婦」に関する資料を収集・保管し、将来世代に継承することで同じ過ちを二度と繰り返さないように努力してきておりましたが、この度、日本共産党の紙智子議員が国会図書館で保管している大審院判例集に「長崎県の女性を上海の慰安所に移送した」事例が「誘拐罪」で有罪となったケースがあることを発見し、当該判例集を国会図書館の協力を得て、内閣官房へ送付することとなった、と11日の「しんぶん赤旗」が報道している;◆強制示す証拠を政府公認資料に 国会図書館報告へ 戦前に15人の日本人女性がだまされ長崎県から中国・上海の「海軍指定慰安所」に送られた事件で誘拐などの有罪を確定した大審院(現・最高裁)判決の判例が、国立国会図書館から内閣官房へ送付されることが10日までに分かりました。判例は日本軍「慰安婦」が誘拐拉致されていたことを示すものです。 政府は「河野談話」(1993年)に基づき「いわゆる従軍慰安婦に関連する資料」を収集・保管しています。 日本共産党の紙智子参院議員が7月23日に同判例を収録した「大審院刑事判例集」を所蔵する国会図書館に協力を求めたことに対し、国会図書館が「関連資料」を収集・保管する内閣官房副長官補室に「関連資料」として報告すると回答しました。 歴史研究者や市民は長年、同判例を「関連資料」に認定するよう求めていました。 法務省は、同事件の下級審の概要を内閣官房副長官補室に報告しましたが、判決文は報告しない態度をとり続けていました。 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の小林久公氏は、「関連資料」認定を歓迎した上で、「判例は政府見解の根幹を崩すものです。『強制はなかった』との国会答弁や強制性を否定した歴史教科書を合格させる方針は、ただちに改めるべきです」と強調しました。◆強制否定 政府見解撤回を-紙参院議員が談話 「満州事変陸軍衛生史」の「慰安所」設置基準に続き、今年2例目となる大審院刑事判例集の判例を「慰安婦」資料を収集している内閣官房へ送付することが明らかになりました。政府が日本軍「慰安婦」問題で強制性を示す根拠になりうるものです。長年の市民の研究と運動の成果で、きわめて重要です。 戦前に女性を性奴隷状態にした「慰安所」の設置や管理、女性の移送で日本軍の関与と強制を認めた「河野談話」に基づき、政府は早急に強制性を否定する見解や方針を撤回すべきです。 また、政府は民間研究者らが発見した資料を「関連資料」に含めようとしません。「民間の研究を含め、十分に関心を払」うとした「河野談話」に背く姿勢が厳しく問われます。2024年9月11日 「しんぶん赤旗」 13ページ 「日本軍『慰安婦』は誘拐拉致」から引用 歴史上の事実を「そんなことは無かった」と言い張る歴史修正主義者だった安倍晋三氏は「日本軍は朝鮮半島の女性を強制連行して慰安婦にした」という史実を否定するために「日本軍が土足で民家に押し入り、若い女性を強制連行したなどということを示す史料は存在せず、従ってそのような事実があったとは考えられません」と主張したのであったが、別に土足で民家に押し入らなくても、強制連行する「手段」はいくらでもあるわけで、実際に戦前の法廷で「有罪」の判例が、この度共産党議員の努力で日本政府の「公文書」として保管・管理されることになったのは朗報と言えます。上の記事が主張するように、安倍政権時代の「慰安婦に関して、強制はなかった」などという史実に反する国会答弁は、直ちに訂正されて然るべきです。
2024年09月26日
自民党の総裁選挙に2名の議員が立候補した神奈川県の「情勢」について、7日の東京新聞は次のように報道している; 12日に告示される自民党総裁選は、小泉進次郎元環境相=衆院神奈川11区=が6日に出馬を正式表明し、党県連内から2人が次期首相の座に挑むことになった。先に名乗りを上げた河野太郎デジタル相=衆院神奈川15区=との間では、県内の国会・地方議員の支持獲得に向けた綱引きが活発化しているが、本紙が情勢を探ったところ、現段階では小泉氏優勢であることが分かった。(曽田晋太郎、志村彰太) 総裁選で投票ができる県内の国会議員は衆参合わせて19人。党関係者らへの取材によると、現状では約半数が小泉氏を推している。河野氏が所属する麻生派の一部も取り込んでいる。河野氏への支持は広がりを欠いている。小林鷹之前経済安全保障担当相を推す議員もおり、3分裂の様相だ。 地方議員は自身の支持者に党員・党友としての投票を呼びかけるため、県内で約6万5千票ほどと見込まれる地方票の行方を左右する。県議は46人いるが、小泉氏は7割超を押さえたもようだ。河野氏支持は、選挙区である茅ケ崎市などを地盤とする議員中心にとどまる。小林氏や、近く出馬表明の会見を開く予定の高市早苗経済安保担当相を推す声もある。 菅義偉前首相の影響力が強いとされる党横浜市連は、佐藤茂会長が旗を振り所属する35人全員を小泉氏支持でまとめた。ただ、河野氏や高市氏に流れるとみられる議員もおり。「内実は一枚岩ではない」(ある横浜市議)という。 小泉氏優勢の背景について、県議の1人は「県連会長として各種選挙の応援に入るなど、地方議員とのつながりができていることが大きい。みんなお世話になっているという気持ちが強い」と指摘する。2024年9月7日 東京新聞朝刊 川崎版 15ページ 「自民総裁選、県内は小泉氏優勢」から引用 自民党の総裁選挙は言うまでもなく「党内」の代表を選ぶのであって、党員でない者にとっては関係ない話ではあるが、与党の代表はイコール「総理大臣」ということになるので、無関心ではいられない。「総理大臣」になり得る立場ともなれば、それなりに「実績」を持った人物が選定の対象となるべきであり、河野議員であれば、その人となりは別としてもそれなりに年季を積んで、外務大臣その他何回か閣僚経験もあるというものだが、小泉進次郎氏の場合は、親の七光りで議員になってまだ日も浅く、一応環境大臣になったことはあったが、記者会見では記者の質問に、何やら意味不明な応答をするものだから、「ポエムのような答えが返ってきた」などと評されたくらいで、国家の重責を担うイメージからはほど遠い感じである。県議会の選挙で応援してもらった恩義があるから今回は応援する、といった程度で総理大臣が決まるというのも、ずいぶんレベルの低い話だと思います。
2024年09月25日
10年前に宮内庁が公開した「昭和天皇実録」について、毎日新聞専門記者の栗原俊雄氏は7日の同紙コラムに、次のように書いている; 10年前の2014年9月、宮内庁が「昭和天皇実録」を公開した。四半世紀、約2億3000万円(人件費を除く)をかけて国家が編さんした「国の正史」だ。今後、天皇や昭和史について専門的に調べる際の最初の手がかりとなるだろう。ただ、私には発表当時から強い懸念があった。節目の年に振り返ってみたい。 実録は「明治天皇紀」「大正天皇実録」に続く天皇紀で、極めて重要な歴史書でもある。公表前に毎日新聞は取材班をもうけ、私も加わった。和とじ本で61冊、後に東京書籍から刊行されたものは全19冊(別巻1冊を含む)の大長編。取材班は短期間で読み込み、限られた紙面で報じるべき要素を読み取る必要があった。時代を区分して記者たちが担当した。 * * 取材班の最大の関心事は、従来の研究を覆すような新発見があるかだった。私は担当した大正期とは別に、現代史の大きな画期となるところを読んだ。例えば2・26事件や太平洋戦争開戦、敗戦の経緯、戦後外交への天皇の関わり方など。それらを読むうち、「歴史学の通説を更新するような新事実は、記されていない」と判断した。今も正しかったと思う。 ただ、別の意味で発見はあった。それは極めて重要ないくつもの事実が、まるでなかったかのように記されていないことだ。 二つだけ例を挙げよう。まずは6月1日の本欄で記した「大日本帝国の終戦構想」だ。米国を軍事力で降伏させることはできない。そう分かっていた帝国の為政者たちは、(1)同盟を結んでいた独伊と連携し英国を屈服させる(2)それによって米国の戦意を失わせ、講和に持ち込む――ことをもくろんだ。願望に空想を重ねた、この蜃気楼(しんきろう)のような「終戦構想」が決定されたのは1941年11月15日。政府と軍首脳による「大本営政府連絡会議」でまとめられた。天皇は結果的にこれを受け入れた。 この日の実録は、天皇が陸海軍首脳から戦争の見通しなどについて説明を受けたことを記している。典拠は、ただし書きから推察するに、防衛庁防衛研修所戦史室が編さんし「公刊戦史」とも言われる「戦史叢書(そうしょ)」だと思われる。だが、国家の命運を決めた「蜃気楼の終戦構想」にまったく触れていない。戦史叢書に明記されているにもかかわらず、だ。 * * もう一つは、敗戦までの経緯だ。45年8月10日、天皇は連合国から突きつけられた降伏勧告=ポツダム宣言の受諾を、戦争継続を訴える軍首脳などの反対を押し切って決めた(1度目の「聖断」)。ただし、「国体」つまり「天皇が国家を統治する、大日本帝国体制の有りよう」を維持することが条件だった。だが連合国は「国体護持」を明言しなかった。このため、軍首脳らは再び戦争継続を訴え、戦いは続いた。 「昭和天皇独白録」(文春文庫)によれば、米軍はポツダム宣言の宣伝ビラを日本で飛行機からまいた。天皇はこれが軍の手に入るとクーデターが起きると思い、宣言受諾を早める決心をした。14日。天皇が2度目の「聖断」をし、ようやく戦争終結が決まった。この「聖断」は実録のハイライトシーンの一つだ。47もの典拠が記されている。 私が注目したのはその2日前、12日に開かれた皇族会議だ。前掲の独白録によれば、「最も強硬論者である朝香宮」が講和に賛成しつつ「国体護持ができなければ、戦争を継続するか」と天皇に聞いた。天皇は「もちろんだ」と答えた。独白録は天皇の側近が記したもので、実録が各所で典拠としている。 この時点で、米軍によって広島と長崎に原爆が落とされていた。帝国が連合国との講和の仲介役として期待したソ連からは宣戦布告を受けている。「連合国との名誉ある講和」はすでに不可能で、敗戦以外の選択肢はなかった。1度目の聖断の後も、空襲は続いていた。昭和天皇は、戦争を続けたら国民の被害はさらに広がることを知っていたはずだ。それでも、戦争を終わらせることより「国体護持」を優先した。このことを確認しておきたい。 この独白録のくだりを実録は採用していない。2度目の「聖断」で敗戦が決まるまでの間に、国民の被害は拡大していった。「国体護持」にこだわらず敗戦に踏み切っていれば、助かった命がたくさんあった。 編さんにあたった宮内庁書陵部は10年前、「確実に史料などで確認されたことを中心に記述した」と強調した。しかし、判断が恣意(しい)的にもみえる。こうした極めて重要な事実に関する実録の「沈黙」が、国家による意図を雄弁に語っている気がする。すなわち「平和を希求した天皇」像を国史として刻もうとする、編集方針。いわば「正史の文法」だ。 国家は今後も「正史」を編さんするだろう。「ウソは書かないが、都合の悪いことは史実でも書かない」という実録のノウハウが再現されるかもしれない。実録は歴史書であると同時に、私たちが「正史の文法」を学ぶ教科書でもある。(専門記者)2024年9月7日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「現代をみる-昭和天皇実録『雄弁な沈黙』」から引用 戦前の日本は、天皇を中心にした国家体制と表向きはなっていたが、その内実は軍人がやりたい放題の国家体制だったのであり、軍人に服従しない者をたしなめる手段として「天皇陛下にはむかう気か」などと利用される立場であった。また、上の記事でも指摘する通りで、「いざというときは、ソ連に仲介を頼もう」などと、国際情勢をまるで理解できておらず、さらに天皇自身も「今ここで戦争を止めなければ、この後、何万人の国民の命が犠牲になるか」などという考えはまったく持っていない、素人同然の状態で「国家元首」の席に座らされていただけだったのである。「オオカミの威を借りる狐」ということわざがあるが、戦前は「天皇の威を借りる軍人」だった。それでは、戦後はどうなっているかと言えば、岸信介がCIAから調達した資金で結成された自民党を、経団連その他大企業から提供される資金で運営するという仕組みでここまでやっては来たが、このシステムもそろそろ行き詰まりを見せ始めており、そろそろ軌道修正を必要とする時期に差し掛かっているのではないかと思料する次第です。
2024年09月24日
関東大震災から101年目となった今年は、関東の各地で開かれた朝鮮人犠牲者追悼式典に対し自治体首長から追悼文が送付されるケースが出てきたことについて、5日の東京新聞社説は次のように論評している; 関東大震災発生直後に虐殺された朝鮮人犠牲者の慰霊式に、自治体の首長が追悼文を送る動きが広がっている。「負の歴史」を教訓として後世に伝えるため、こうした取り組みを後押ししたい。 1923年9月1日の大震災直後、朝鮮人による暴動が起きたとのデマが拡大。各地で官憲や民間の自警団が朝鮮人らを殺害した。内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書によると犠牲者数は震災死者の「1~数%」。千~数千人に当たる計算だ。 大規模な殺りくとして記憶にとどめ、後世に伝える責任が、今を生きる私たちにはある。 千葉県の熊谷俊人知事は、1日に船橋市で開かれた民間式典に追悼文を送付。埼玉県の大野元裕知事も、4日にさいたま市で行われた民間式典=写真=に追悼文を送った。いずれも今回が初めてで、主催者から案内状を受け取ったことがきっかけだという。 一方、東京都の小池百合子知事は今年も、1日の墨田区での民間式典に追悼文を送らなかった。歴代都知事が1974年から続けていた追悼文の送付を、小池氏が2017年に取りやめた。 小池氏は「別の法要で全ての震災犠牲者を慰霊している」などと釈明するが、虐殺は家屋倒壊や火災による死と意味合いが違う。追悼文の送付中止は不適切だ。 小池氏は朝鮮大虐殺を巡り「さまざまな研究がある」と明言を避け続ける。虐殺が「なかった」とも「あった」とも言わない。 ドイツなどでは、ユダヤ人の大量殺りく(ホロコースト)を公に否定する行為を処罰対象とし、歴史の修正は許されない。 日本に同様の法律はなく、政府も近年、朝鮮大虐殺を巡り「記録が見当たらない」と事実認定を避ける見解を繰り返している。 受け止めがたい「負の歴史」でも、事実を把握し、後世に正しく伝えていくことが、過ちを再び起こさないためには欠かせない。 特に、選挙で選ばれた政治家には、その責任を強く自覚する必要がある。私たちメディアも、記憶や教訓を風化させないための報道を続けたい。2024年9月5日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「社説-『負の歴史』伝えてこそ」から引用 この社説が紹介している「内閣府の中央防災会議が2009年にまとめた報告書」はれっきとした日本政府の公文書であり、最近の政府高官が発言している「朝鮮人虐殺事件があったとされる公文書は見当たらない」は、明らかなうそである。メディアも野党も、このような政府の虚偽発言を容認することなしに、虚偽発言の責任を追及するべきだと思います。政府がこのようなうその発言をすることによって、都知事の小池百合子のような「さまざまな研究がある」などとあたかも歴史学会の内情を知っているかのような発言を誘発するのであるが、これも実際は「虚言」に過ぎず、「虐殺はなかった」などという言説は学術の世界では一切相手にされていないのが実態である。東京都以外の関東の自治体首長の間では、そのような常識が健全に維持されており、追悼式典を継承していくことは将来に起こり得る悲劇を防止する上で必要な行事であることを、若い世代に伝えていってほしいと思います。
2024年09月23日
立憲民主党の代表者選挙に野田佳彦氏が立候補したことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は4日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 夏目漱石の『坊っちゃん』に「野だいこ」略して「野だ」という人物がいる。権力者たる教頭・赤シャツのたいこ持ちに徹する嫌な人物だ。 野田佳彦元首相が立憲民主党の代表選に立つと知り、連想したのがこの野だだ。野田氏首相在任中(2011年9月~12年12月)の実績は厚顔無恥そのものだった。 【消費増税】自民公明との3党合意で5%から10%への消費増税を決定した(12年3月)。 【原発再稼働】原発事故の収束宣言を早々に出し(11年12月)、大飯原発の再稼働を決定(12年6月)。再稼働撤回を求める大規模デモが官邸前に集結するも彼は「大きな音だね」と反応、人々の失望と反感を買った。 【党内分裂】かような政策の結果、内閣支持率は20%を切り、70人以上の離党者まで出した。 【自爆テロ解散】当時の自民党・安倍晋三総裁の挑発に乗る形で衆院を解散(12年11月)。12月の総選挙で惨敗して政権を明け渡し、安倍長期政権への道を開いた。 旧民主党政権を潰したその人が不遜にも再度政権交代を目指すという。しかも維新や国民民主と組んで。かつて希望の党にも秋波を送って断られた野田氏。「もし野だ」が実現したら野党の存在意義は失われ、立民の支持者やシンパは離れ、次の総選挙でまた自爆しよう。ここまで人心が読めないのは致命的。信じられない。(文芸評論家)2024年9月4日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-『もし野だ』の憂鬱」から引用 この記事が言うように、野田佳彦氏が首相を務めた民主党政権の末路は「悲惨」の一語であった。政権与党だったのだから、別に野党に対して弱みがあるわけでもないのに、自民公明に意味もなく妥協して消費税を倍増するだの、無理やり「原発事故収束宣言」を出すとか、あの頃は新聞やテレビで野田氏を見るにつけ「この人は次の総選挙で民主党が野党に転落したら、自分だけ自民党に拾ってもらうための算段をしているのではないか」と、いぶかしく思ったのは私だけではなかったと思います。その後、民主党が雲散霧消して再度「立憲民主党」に結集したときは、「民主党の失敗」について党内で徹底討論して「何が問題だったのか」はっきりさせるべきだったと思います。その時に問題の摘出を怠ったためのツケが、今ここに出てきているのですから、今からでも仕方がないから、「あの時は、何がいけなかったのか」徹底討論して、自民公明に意味のない妥協をするなどという「失敗」を二度と繰り返さないための対策をしっかり講じてほしいと思います。
2024年09月22日
敦賀原発2号機について、原子力規制委員会が「不適合」との判定を下したことについて、総合研究大学院大学名誉教授の池内了氏は、1日の東京新聞に、次のように書いている; 3・11の福島第1原子力発電所のメルトダウン事故の後、直ちに問題になったのは、日本においては原発の「推進」と「規制」という矛盾する要請を、同じ経済産業省の2つの部門が担っていたことであった。アクセルとブレーキを一つのペダルで踏んでいたようなもので、結局アクセルが優先されブレーキはまともに機能しなかったのだ。 事故の後、規制のための独立委員会として「原子力規制委員会」が新たに設置され、「新規制基準」を定めて厳しく審査することになった。原発稼働のためには、この審査で「適合」認定を受けなければならない。 以来、27基の原発から申請が出され、17基が適合と認められた。これまで「不適合」とされた商業用原発は1基もなく、原子力規制委は果たして本当に厳格な審査をしているのか疑問が持たれている。何しろ新規制基準は、いわゆる「原子力ムラ」に属する原発推進派の専門家が多く参加して策定されたからだ。 安倍晋三元首相がよく「世界一厳しい基準」と言っていたが、実際には世界の標準的な基準を採用したにすぎず、決して「世界一厳しい」というわけではなかった。ただし、「活断層」の真上に原子炉建屋を建てることを新規制基準が禁じているのは、「世界唯一」とは言えるかもしれない。何しろ他国ではほとんど地震が起こらないため、そう厳密に記述されていないためである。 「断層」とは、地震によって地層が破壊されて生じた「ずれ」(食い違い)のことで、断層が一つ生じると、それに沿う地盤は弱くなり、再び力が加わると動きやすい。ずれは断層の両側が互いに反対方向に動くので地面にねじれる運動が生じ、その上の建物を引き裂くような力が働く。 断層のうち、12万~13万年前以降に活動した可能性が否定できず、今後も活動すると予想される場合が「活断層」である。原子炉建屋が活断層の真上に設置されていたら、地震が起こったとき原発が破壊される危険性が高い。そのため、建屋周辺部の活断層の有無は規制委でも特別にチェックしてきた。最近では変動地形学の研究が進歩して断層調査が格段に進んだが、研究者によって結果の解釈が異なることもあり、活断層であると決め難かった。 敦賀原発2号機では、2012年と13年にも、その直下の断層が活断層であるとの可能性が指摘された。それに対し、日本原子力発電(原電)は追加調査を行って活断層ではないと主張してきた。しかし、15年の有識者会合の検討では、原電の主張を考慮しても活断層であるとの結論が出ている。 規制委の甘いところは、電力会社が審査継続を申請すると、それを受け入れて審査を続け、最後に「適合」と認めてきた例が過去に何度もあったことだ。そのため、電力会社側は粘ればいずれ規制委は「適合」を出すだろうと高をくくっていたのではないか。 ところが、原電の資料には千力所以上の誤りがあった上、20年には別の資料を無断で書き換えていたことも発覚。ついに規制委も堪忍袋の緒が切れたのだろう。「原子炉建屋の直下に活断層がある恐れが否定できない」と結論づけ、8月28日、「不適合」とする審査書案を公表した。 私は、規制委は「予防措置原則」に立って、原発敷地内に活断層の存在が示唆されたら、たとえ明確に確認されなくても、予防のために、直ちに「不適合」との審査結果を出すべきだと考えている。<いけうち・さとる=総合研究大学院大名誉教授>2024年9月1日 東京新聞朝刊 11版 20ページ 「文化-規制委は『予防措置原則』を」から引用 この記事は論理が明快で当たり前のことを理路整然と主張しているので、読んで気分が良くなる気がする。原子力発電ともなると、現代科学の最先端のテクノロジーなのだから、そのテクノロジーに準拠した事業に携わる人間も、おのずと理路整然とした思考に基づいて行動するものであろうと信じ込みやすいのであるが、これがとんだ食わせ物で、地下に活断層が存在する可能性を無視して原子炉の建設を強行し、完成した後でいろいろとまやかしの言葉を並べて「活断層は存在しない」かのような雰囲気作りで乗り切ろうという「発想」は、「科学」とはまったく無縁の、損得勘定の世界の発想である。そういう人たちが運営する原子力発電所は、あまりにも「危険」である。いずれにしても、活断層と疑われる地層構造の上に建設した原子力発電所は、何百億円を投資したにしても、もはや直ちに廃炉にするほかないのですから、日本原子力発電はここを年貢の納め時と心得て、直ちに廃炉作業に取り掛かるべきです。
2024年09月21日
「命を大切に」との立場から、元文科官僚の前川喜平氏は1日の東京新聞コラムに、次のように書いている; すでに6人の犠牲者を出した台風10号が吹き荒れる中、関東大震災から101年の9月1日を迎える。能登半島地震では災害関連死を含め、これまでに362人が亡くなった。発災から8ヵ月だというのに、いまだに1次避難所の生活を強いられている人たちがいる。この人たちの命が心配だ。南海トラフ地震も首都直下型地震も、いつ起きてもおかしくない。日本は自然災害列島だ。79年間1人も戦争で死んでいないのに防衛予算の要求額は8兆円を超えた。人の命を守るのなら、防衛予算より防災予算を増やすべきだ。 震災後の流言飛語を信じた日本人が朝鮮人や朝鮮人とみなした人たちを虐殺した。その犠牲者は6千人を超えるともいわれる。この悲劇を繰り返さないためには、負の歴史に正面から向き合うことが不可欠だ。しかるに小池都知事は今年も追悼式典にメッセージを出さない。朝鮮人の命をなんだと思っているのか。19日に亡くなった歴史学者の伊藤隆氏は「歴史から学ぶ必要はない」と断じたが、ならば同氏らが編集した育鵬社の歴史教科書で、いったい何を学ばせようとしたのか。 多くの学校で明日から新学期が始まる。今日は子どもが自殺する危険が一番大きい日だ。死にたくなるような学校なら、そんな所へ行かせてはいけない。学校より何より大事なのは命だ。(現代教育行政研究会代表)2024年9月1日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-命を思う日」から引用 この記事に出てくる「歴史学者の伊藤隆氏」は、歴史学者としてはかなり優秀な方で、だからこそ東京大学教授も勤まったのだろうと思いますが、人間的にもかなりユニークな人物でした。戦前にも国粋主義の「歴史学者」が東大にいて、この方の場合は「天皇陛下は神の子孫だ」と公言する人で、戦後は北陸のほうの神社の宮司をしていたと聞いた記憶があります。伊藤隆氏も、そういう雰囲気をもった人物のように見えましたが、この方の場合は現職の東大教授としては余りにも常識を踏み外したような「右翼路線」を口走るわけにも行かず、精一杯の「抵抗」が「歴史から学ぶ必要はない」という発言になったのだろうと推測するわけですが、それにしても「歴史から学ぶ必要はない」のなら、何のためにあなたは歴史を研究してきたのですか?と尋ねてみるべきではなかったかと思います。
2024年09月20日
政治学者で国際基督教大学助教の具裕珍氏は、日本社会の右傾化について3日の朝日新聞で、次のように述べている; 私は「保守化」や「右傾化」と呼ばれる現象に関連して、日本の政治と社会の関係を研究しています。 冷戦が終わり、世界中で保守勢力が台頭しました。日本でもナショナリズムや歴史修正主義といった主張を掲げる勢力が台頭し、保守化や右傾化が注目されてきました。ただ欧州などと異なり、日本にはこれまで有力な極右政党が存在せず、社会の保守から極右までの様々な要求が既成保守政党である自民党に集約されてきました。 私は自民党に集約され、右傾化を支える社会勢力を「保守」と呼び、代表的な団体である日本会議の動員や政策提言活動に注目して分析を続けています。特に「戦後レジームの総決算」を掲げ、憲法改正を目指していた第2次安倍晋三政権の存在が大きかったのは間違いないでしょう。 日本会議が1997年に設立された当初、最も関係が深かった政治家は自民党政調会長などを歴任した中川昭一氏でした。中川氏が死去した後は、安倍氏への期待が高くなりました。2012年から20年まで、第2次安倍政権が結果的に長期政権になったことは非常に重要で、日本の政治空間で、保守的なテーマがある種タブーでなくなったのではないかと思います。 安倍氏がいなくなって2年が経過しましたが、岸田文雄首相が憲法記念日に改憲派の集会に自民党総裁としてビデオメッセージを寄せるなど、安倍氏の影響は続いているようです。 しかし、日本の保守は、まだ次のリーダー候補を絞り切れず、模索を続けているのではないでしょうか。 また「一強」とも呼ばれ、日本会議と関係の深い安倍政権が長く続いた結果、保守運動の側が純粋なイデオロギーや思想を貫く当初の姿勢から、いくらか権力寄りになったのではないかと思います。ですから、今起きているのは、それに飽き足らない人々が離れたり、より明確に保守主義を掲げる政党が出来たりということだと思います。 安倍政権が何をやったのか、分析と検証がこれからも必要でしょう。例えば女性活躍の一環で起用された女性政治家の台頭とその役割に注目する必要があるのではないでしょうか。それが、女性の人権に基づいた政策を打ち出すものなのか、あるいは保守派の家父長的家族観を後押しするものなのか、政治と社会の視点からのさらなる研究が求められていると思います。(聞き手・池田伸壹) *<ク・ユジン> 1980年韓国生まれ。大学院博士課程から日本で研究を続ける。2024年4月から現職。単著に「保守市民社会と日本政治」。2024年9月3日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論・安倍氏の記憶の現在地-保守派、続くリーダー探し」から引用 この記事も、日本社会の右傾化を見つめるという点では、なかなかユニークな視点を提供してくれているように思いますが、日本の右傾化をすすめる大きな力となっているのは、日本会議のほかに旧統一教会の存在も無視できないのではないかと、私は思います。旧統一教会は、韓国を発祥の地としながらも韓国の人々の間ではそれほどの知名度はなく、欧米ではカルト団体扱いされている、そういう団体が何故日本では大きな力を得て政府与党と密接な関係を築くことが可能だったのか、その辺も研究する価値があるのではないかと思います。また、岸田首相も安倍氏を模倣して、改憲集会にビデオメッセージを送ったそうですが、安倍氏ほどには受けなかった、その辺の理由も探ってもらうと面白いのではないか、と思いました。
2024年09月19日
安倍晋三氏の記憶について尋ねられた作家の目取真俊氏は、3日の朝日新聞で次のように述べている; 安倍晋三氏の記憶? 特にありませんね。あれほど権勢をふるい、沖縄にむち打った人でも、亡くなれば忘れ去られる。それが政治のリアルでしょう。 沖縄が日々対峙(たいじ)しているのは自公政権であり、もっといえばヤマト(本土)。沖縄対ヤマトという変わらぬ基本構図の中で、ただ役者が変わってゆくだけ。憲政史上最も長く首相を務めたとはいえ、安倍氏は役者としては凡庸だったということでは。称賛する側も批判する側も、「過大評価」の印象が拭えません。 ただ安倍政権が、沖縄をめぐる記憶の書き換えに熱心だったことは間違いない。第1次安倍政権下の2007年3月、高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められました。「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうか明らかとは言えない」と待ったをかけたのです。 これは沖縄県民の記憶に対する一種の「暴力」です。怒りは全県に広がり、同年9月の県民大会には11万人が集まった。保革を超えた「オール沖縄」の素地が紡がれました。 ではなぜそのような記憶の書き換えが必要だったのか? 「軍隊は住民を守らない」。沖縄戦が残した教訓を無化するためでしょう。そして第2次安倍政権では、中国や北朝鮮の脅威を盾に自衛隊の南西シフトが進んだ。沖縄はまたも本土防衛の「捨て石」にされるのではないか――。県民の記憶はうずきます。 相次ぐ米兵による事件についても同様です。16歳未満の少女への性的暴行事件が起き、在沖縄米空軍兵長が今年3月に起訴されていたのに、県に知らされていなかった。発覚すれば、多くの県民の脳裏に1995年の少女暴行事件の記憶がよみがえったはずです。政府はそれを恐れて隠した。そう思わざるを得ません。 今、辺野古のテント村で新基地建設に反対して座り込んでいるのは、95年の事件を受け、米軍基地を早く撤去させていればこんなことは起きなかったと自分を責めた人たちです。基地問題を自分たちの代で終わりにしたいと願っている。かなわないことは皆わかっています。それでも、座り続ける。私もカヌーで海に出て、監視・抗議をする。 「ヤマトの勝手にさせない」。安倍政権が進め、今も続く沖縄の記憶の書き換えに抗するために、体を張ってヤマトに示し続けます。(聞き手 編集委員・高橋純子) *<めどるま・しゅん> 1960年、沖縄県今帰仁村生まれ。97年、「水滴」で芥川賞受賞。近著に「魂魄(こんぱく)の道」「ヤンバルの深き森と海より」など。2024年9月3日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論・安倍氏の記憶の現在地-沖縄戦の教訓、進めた修正」から引用 目取真氏の「安倍評価」は実に適切で正確な評価だと思います。首相の在任期間が史上最長だとは言っても、それは当人の政治的手腕が評価された結果ではなく、単なる偶然に過ぎなかっただけのことなのだから、今さら「安倍晋三氏の記憶」などと言ってみても、凡庸な世襲政治家だったという以外には何の感慨もないというのが現実だと思います。安倍氏の首相在任中に、沖縄の人々にとって不本意な出来事が多々あったにしても、それは安倍政権だったからそうなったわけではなく、誰が政権を担当しても「やることは同じ」で、あとは政権担当者によっては多少は県民感情に配慮して、遠慮がちに政策を進めるのか、そんなことには無頓着で事務的に進めるのか、という違いはあるかもしれないが、結果的には同じことなわけで、「ヤマトの勝手にさせない」という沖縄の人々を応援したいと思います。
2024年09月18日
安倍晋三という「政治家」について、朝日新聞は何を意図したのか、3人の文筆家にインタビューして、安倍氏に関する人々の「記憶」がどうなっているのかを語らせている。その記事の中で、ノンフィクション作家の梯久美子氏は、次のように述べている; 2年前の耕論「安倍氏の記憶の行方」で、私は「為政者が安倍氏の死をどう歴史に位置づけていくか注目したい」と話しました。戦争の取材の中で、悲劇的な死を遂げた者が英雄化され、政治的に利用されるのを見てきたからです。でも、自民党の政治家は現在に至るまで、安倍氏にほとんど言及せず、三回忌にあたる今年の命日も、ほぼスルーされたと感じました。今のところ利用価値はないと判断されたのでしょう。 どの地点から振り返るかによって過去の持つ意味は変わります。今、安倍氏の死に言及すれば、おのずと旧統一教会のことがついてくる。安倍派の裏金問題もあります。異例の長さの総裁選を通して「活力」や「刷新感」を演出しようとしている自民党は、安倍氏の記憶にフタをしようとしているかのようです。 野党やメディアも、「死者にむち打つな」といった声を気にしてか、政治家としての安倍氏をまともに検証していません。でも、過去を検証するのは後ろ向きなことではありません。人が見ることのできるのは過去だけであり、未来について判断するには、歴史を顧みるしかないのです。 最近、「スケールの大きい政治家」を待望している自分に気付くことがあります。その中身に賛同できませんでしたが、「戦後レジームからの脱却」など大きなビジョンを掲げた安倍氏は、ある意味、政治家らしい政治家だった。対照的なのが岸田文雄首相です。この国をどうしたいか語らないまま、保険証の廃止や防衛費増額などの重要テーマを「処理」するかのように進めていった。総裁選の候補者にも、この社会はどうあるべきかというビジョンを語る人は見当たりません。そんな中で、安倍氏が透明化されたまま、「大きな政治家」を求めてしまうことに危うさを感じます。 はたして安倍氏は戦後政治史に残るスケールの大きな政治家だったのか。等身大の安倍氏との間にギャップはなかったか。それを知るための突破口は安倍昭恵さんかもしれません。朝日新聞のインタビューで、森友学園問題に関して「(自分は)証人喚問に出てもいいと言ったけど(安倍氏が)だめだと言った」という新証言がありました。評伝を書く時には「この人が話してくれれば書ける」というキーパーソンがいます。政治家の記憶を決めるのは為政者だけではない。いずれ昭恵さんにも「語るべき時」が来るはずです。(聞き手・田中聡子) *<かけはし・くみこ> 1961年生まれ。編集者を経て文筆業に。「散るぞ悲しき」で大宅壮一ノンフィクション賞。近著に「戦争ミュージアム」。2024年9月3日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論・安倍氏の記憶の現在地-刷新感求め フタする自民」から引用 この記事では、安倍氏が首相を務めたという史実は「今のところ利用価値がないと判断されたのでしょう」などと言っているが、これは「今のところ」だけではなく、これからもずっと「利用価値」は出てこないと考えるのが「常識」だと思います。安倍氏の取柄と言えば、長く総理大臣の席にあったというだけのことで、その在籍期間に彼が行った数々の違法行為が、すべてテキトーな言い訳と周りにいる秘書だの事務員だのという「取り巻き」に責任をなすりつけて、当の本人は涼しい顔をしてあわよくば3度めの「総理の座」を狙っていたというおぞましい現実があったという話に過ぎない。安倍氏が時折いっぱしの政治家であるかのような口を利くことがあったのは、彼を利用価値があると見込んで接近してきた葛西某というJR東海の元社長が、いろいろとそれらしい「セリフ」を吹き込んだからであって、安倍氏自身に確かな「信念」があったわけではなかったのは、今となっては誰もが知る事実である。
2024年09月17日
自民党の総裁選挙に備えて候補者が出そろった様子をメディアはどのように報道しているか、弁護士の白神優理子氏は1日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; 岸田文雄首相は、裏金問題や統一協会との癒着で退陣に追い込まれました。ところが、メディアの大半は、自民党政治の本質に切り込むのでなく、自民党の思惑通りに、総裁選(12日告示、27日開票)への「期待」をあおっています。 大手紙は――。 「活発な論戦を通じ、政治への信頼回復につなげるべきだ」(「日経」社説8月21日付) 「自民党全体が、生まれ変わっていくのにふさわしいかどうか・・・活発な論戦を期待したい」(「読売」社説21日付)など、信頼回復ができるような書きぶりです。 総裁選候補のだれも、裏金事件の真相解明を口にせず、問題の根幹である企業・団体献金の禁止には一切触れません。統一協会との根深い癒着にも言及しません。 メディアは、看板だけを変えて「刷新感」を演出し、総選挙を有利にしようとする自民党の姿勢を問うべきです。 他方、地方紙には踏み込んだ論調も。 北海道新聞社説(16日付)は、「次期衆院選に向け『党の顔』を変えるだけの目くらましは過去に何度も見せられてきた・・・問われているのは自民党の体質」とします。 神戸新聞社説(16日付)も「『選挙の顔』を代え、疑似政権交代を演出するのは自民党の常とう手段」「忘れてはならないのが・・・自ら改革に踏み込もうとしなかった自民党に重い責任があるということ」と厳しく批判します。 「東京」社説(24日付)は、総裁選で裏金や統一協会問題での「納得できる議論」が聞こえてこないのは、「責任は私たちメディアの側にもあります。極言すれば自民党と共犯関係」と、推薦人の集まりや立候補の表明時期ばかり問うメディアの姿勢にあると自省します。 ″総裁選イベント″で国民に目くらましを狙う権力に踊らされず、自民党政治そのものを問う姿勢がメディアに求められます。(しらが・ゆりこ=弁護士)2024年9月1日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-総裁選 自民政治を問え」から引用 この記事の冒頭に「岸田文雄首相は、裏金問題や統一教会との癒着で退陣に追い込まれた」と書いている点に、私は「えっ? そうだったかな?」と一瞬、疑問を感じました。私が見てきた感じから言うと「岸田首相は裏金問題も統一教会問題も、あまり大げさな「騒ぎ」にしないで、穏便な決着(?)で強引に幕引きを図り、貧弱な野党は「手をひねられた赤子」のようにおとなしくなっており、そのような「結果」に不満な「世論」だけが依然として「低支持率」を突きつけている、という構図だと思います。まあ、そのような状況をまとめて手っ取り早く言えば「裏金問題、統一協会問題で退陣に追い込まれた」という表現になるのかも知れないが、仮にも「自民党を与党の座から引きずり落そう」という「戦い」に挑むためには、敵側の細かな状況分析は緻密にするべきであり、裏金問題も統一教会問題もテキトーに誤魔化して総裁選を「お祭り騒ぎ」に仕立てようとする大手新聞を批判するためにも、志のあるメディアには、「事実」に基づいた「自民党批判」を展開してほしいものです。
2024年09月16日
およそ100年前の関東大震災のとき、被災地の多くで朝鮮人中国人に対する虐殺事件が発生したという歴史を学ぶ学習会が催されたことを、8月28日の東京新聞が次のように報道している; 昨年9月が100年の節目だった関東大震災での朝鮮人虐殺に関する学習会が東京都内であり、専修大の田中正敬(まさたか)教授(朝鮮近現代史)が追悼や真相究明、国会質疑を振り返った。政府が虐殺関連の公文書の存在をかたくなに認めない姿勢に「虚偽答弁させず、虐殺の責任を認めさせる活動が必要だ」と語った。 昨年は東京以外に群馬、埼玉、千葉、神奈川各県など関東一円で朝鮮人・中国人被害者を追悼する行事があった。田中教授は虐殺を否定する勢力からの妨害もあったとして「政府の姿勢が歴史修正主義をはびこらせている」と指摘した。 国会では昨年、野党議員らが何度も虐殺に関わる公文書を示しながら政府に答弁を迫った。田中教授は「政府側は『記録が見当たらない』と逃げ、存在を認めざるを得ないときは『内容について確定的なことは言えない』『作成経緯が不明』と逃げた」と報告。 「行政の基盤である公文書を否定し、平気でうそをつく政府だ」と批判した。 学習会は市民らによる「1923関東朝鮮人大虐殺を記憶する行動」が20日夜に開催。オンラインを含め約100人が参加した。2024年8月28日 東京新聞朝刊 12版 18ページ 「政府に認めさせる活動必要」から引用 この記事が述べるように、自民党政府は自ら数年前に設置した総合防災会議が、1923年の関東大震災のときに「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というようなデマが流布され、そのデマに扇動された民衆が自警団を組織して無実の朝鮮人を多数虐殺したとの報告書をまとめ、政府はその報告書を受理した事実があるにも関わらず、政府は「記録は存在しない」などと虚偽の答弁をして虐殺の「史実」を認めようとしていないのが現状で、田中教授が「平気でうそをつく政府だ」との指摘は正にその通りである。しかも、政府のそのような態度を批判するメディアも数が少なく、このままでは史実を否定する政府の態度を当然とする間違った歴史認識の国民を増やすことにもなりかねず、正しい歴史認識を政府に求める「活動」は必要だと思います。
2024年09月15日
日本弁護士連合会が都内で「ヘイトスピーチの規制について考える」緊急集会を開くことを、8月25日の東京新聞が、次のように報道している; 埼玉県川口、蕨両市で暮らすトルコ出身クルド人の排斥をあおるヘイトスピーチについて、日弁連は26日午後5時半から、緊急集会を東京・霞が関の弁護士会館で開き、ヘイトスピーチの規制について考える。在日クルド人団体や支援団体関係者らのパネル討論はオンライン配信する。参加無料。 集会第1部で、在日クルド人の暮らしやヘイトスピーチ問題を取り上げた映像を上映。第2部を配信。パネル討論では日本クルド文化協会のチカン・ワッカス代表理事、日本語教室を開く市民団体「在日クルド人と共に」の温井立央(ぬくいたちひろ)代表理事、ノンフィクションライ夕ー安田浩一さんらが登壇。ヘイトスピーチ根絶に取り組む弁護士のリレートークもある。 日弁連は「ヘイトスピーチは対象者の尊厳を踏みにじり、反論・自己表現の力を奪う重大な人権侵害」と指摘する。 在日クルド人は日本に保護を求め、難民申請をしている人も少なくない。ヘイトスピーチは難民申請中でも強制送還を可能にする入管難民法改正案の国会審議が始まった昨春ごろから、交流サイト(SNS)で増加。昨夏以降は川崎市でヘイトスピーチをしていた団体などが川口、蕨両市でデモや街頭宣伝を繰り返している。(飯田克志)2024年8月25日 東京新聞朝刊 川崎版 13ページ 「ヘイトスピーチ規制を」から引用 川崎市では全国でも唯一、罰則付きの「ヘイトスピーチ禁止条例」を制定しており、その効果は抜群で、以前は大音響でJR川崎駅前でがなりたてていたレイシスト団体は、近頃はすっかりなりを潜めていると思ったら、どうやら「ヘイトの矛先」を替えて埼玉県の川口市や蕨市に出没しているらしい。ヘイトスピーチ等の人権侵害については、行政が「これは違法だ」という姿勢をはっきり打ち出す必要があります。川崎市で、まだ罰則付きの「禁止条例」がなかった時代は、レイシストのヘイトスピーチに対して市民団体が「ヘイトはやめろ」と抗議のデモをかけると、警察は「表現の自由をまもれ」とばかりに市民単体のデモとレイシスト集団の間に割って入って、あたかも「レイシスト集団」を守るかのような行動をしておりました。しかし、市議会が罰則付きの「ヘイトスピーチ禁止条例」を制定すると、警察の態度はころりと変わり、「ヘイトスピーチは条例違反だ」と判断し、警察官の制止を無視して演説するレイシストを次々逮捕するようになり、ついには川崎駅前を諦めて、まだ条例のない埼玉県に移っていった模様です。したがって、近い将来は「ヘイトスピーチ禁止法」を作って、全国どこもヘイトスピーチは禁止なのだと、高らかに宣言できるように、法律を制定する必要があると思います。
2024年09月14日
高校野球の夏の甲子園大会で京都国際高校が優勝したことについて、元文科官僚の前川喜平氏は8月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 夏の甲子園。優勝は京都国際高校だった。関東第一高校は一歩及ばず準優勝。都庁展望室で観戦した小池都知事は「優勝インタビュー」の機会を逸して残念だったろう。 京都国際高校の前身は在日コリアンの民族学校「京都韓国学園」。2004年に学校教育法1条に基づく中学校・高等学校になったが、今も校歌は韓国語。韓国の尹大統領からは優勝を祝うメッセージも寄せられた。 同校は、英語、韓国語、日本語のトリリンガル教育や異文化理解、人権学習などを通じて真の国際人の育成を目指しているという。民族教育に重点を置く朝鮮学校とは異なる路線だが、こういう学校も貴重な存在だ。 同校の校歌をめぐっては、ネット上に差別的な投稿が多数見られた。日本海を「トンヘ(東海)」と呼び、「ハングク(韓国)の学園」と称していること、それを「東の海」、「韓日の学び舎」と訳したことなどを「問題視」し、「反日学校」「出場辞退させろ」などと罵る内容だ。許しがたいヘイト行為である。日本海をトンヘと呼ぶのは表現の自由だ。何も問題はない。歌詞の「意訳」には、無用な摩擦を避けようとする苦心の跡がうかがえる。 西脇京都府知事が差別的投稿は許されないとして削除を要請したのは、政治リーダーとして当然の態度だ。これが小池都知事だったら、同じ態度をとるだろうか。(現代教育行政研究会代表)2024年8月25日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-祝優勝・京都国際高校」から引用 京都国際高校が優勝して良かったと思います。別の報道記事によれば、優勝校の校歌斉唱のときには準優勝校の関東第一高校の応援席からも手拍子が沸き起こったとのことで、スポーツマンシップに則った応援団の姿勢が感じられて、さすがだなと思いました。また、「X」などに投稿された差別的な投稿の削除を運営会社に要請した京都府知事の態度も立派だと思います。知事とか総理大臣というような立場にいる政治家が、ヘイト投稿のようなものに対して毅然とした態度を取ることは、広く世間に「差別的な投稿は、いけないことなのだ」という認識を人々に持たせる効果があり、そのような活動の連鎖が差別のない明るい社会を作り出すものと思います。小池都知事のように、レイシストの団体にそそのかされて歴代知事が送付してきた朝鮮人被害者追悼式典への追悼文送付を拒否し続ける姿勢は、大都市「東京」の首長にしては余りにもお粗末としか言いようがありません。
2024年09月13日
少し前にはトヨタグループの日野自動車やダイハツ工業の「不正」問題が報道されたことがあったが、今年になってトヨタ本社の「不正」発覚が報道されて、世間に衝撃が走ったのであったが、事件の経緯について8月25日の「しんぶん赤旗」は、次のように論評している; 自動車の大量生産に必要な「型式指定」の取得で、国土交通省は7月31日、新たにトヨタ自動車の7車種で不正が見つかり、道路運送車両法に基づく是正命令を出しました。トヨタでは初です。 トヨタはこれまで型式指定の申請試験で、7車種で不正を行い、生産中の3車種の出荷停止の指示が国から出ています。 トヨタは内部調査の結果、新たな不正はなかったと7月5日に報告しました。しかし国交省が本社に立ち入り検査し、同省認可の1車種と海外当局認可の6車種で新たに不正を確認しました。この間トヨタは「(国の)基準より厳しくしている」「認証制度に問題がある」と強弁と責任回避を繰り返していました。 ◆ ◇ ◆ 是正命令は、2019年の法改正で新設された行政処分です。自動車生産で不正をした企業に、国交省が「組織体制の抜本的な改善が必要」と判断した場合に出し、再発防止策の策定と進展状況の報告を求めます。 過去の是正命令(表)はいずれもトヨタグループ企業でしたが、今回はトヨタ自動車本体です。 国交省は再発防止策として「経営層による認証ルールの理解・順法意識の向上」「開発から認証の全体統括管理」を求めています。つまり経営陣にこれらが欠如しているということです。 型式認証は、新車の大量生産のために安全・環境性能と品質の均一性の審査を受ける制度です。車の安全管理体制の完備、十分な人員や開発、検査を確保すべきです。 豊田章男会長は6月の自社調査不正公表中間報告で「(認証業務の)全体像を把握している人は1人もいない」と認証業務全体のずさんさと体制不備を認めています。 グループ企業ダイハツと豊田自動織機の不正には共通性があります。 「世界一トヨタ」の世界戦略で、多種多様な新車の開発期間を極端に短くしています。開発と認証の体制も混然一体とし、開発段階のデータを認証試験に使うなどの不正行為に対するチェック体制がありません。人員を大幅に削減し、少人数に膨大な業務を担わせ、現場で声が出せず問題を指摘できない実態を調査報告書は指摘しています。 ◆ ◇ ◆ トヨタ本体も開発試験データを無断で認証試験に流用するなどの不正をしています。グループ企業の不正の根源は、トヨタ本体の高収益最優先の経営姿勢にあることが、今回の是正命令で明らかになりました。不正は、企業利益最優先による新車短期開発、開発工程数と認証制度への予算を削減した結果です。安全・安心の確保を最優先して守るべき型式指定認証の国際基準・国内基準を軽視し、違反したのです。 安全・安心で高品質の自動車生産は、社会的責任です。それは、認証制度を「トヨタ都合」ではなく法の定める基準で確実に守り、開発と認証の制度を確立し、自動車生産全体を管理する体制をとり、安全・安心な車づくりへの国民の信頼を得ることです。国はその責任を果たさせるべきです。<佐々木昭三(ささき・しょうぞう) 労働運動総合研究所理事>2024年8月25日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何-トヨタに初の是正命令」から引用 この記事によれば、国交省から指摘を受けて本年7月上旬に「社内調査を行った結果、不正はないことを確認しました」と回答しておきながら、それではというので国交省が立ち入り検査をしたら、その場で6件の「不正」が確認された、というのは、世界に冠たる大企業にしてはあまりにお粗末な話です。しかも、その「不正」が起きた原因は、人件費削減のために「検査要員」を配置しておらず、開発段階で得られた「検査データー」をコピーして、1台1台の製品の「検査データー」とするというデタラメをしていたとは呆れた話です。「儲けのためには違法行為も辞さない」という根性では、世間に害毒をまき散らすことにもなりかねず、「世界のトップメーカー」などとは言えた義理ではありません。大企業がなぜこのような不正の道に迷い込んだのか、それは経営体制が創業者一族に支配されているからではないでしょうか。経営者会議には労働者代表も出席するという体制にして、経営者会議の民主化を図ることが大事で、それによって労働者の待遇も改善し、「法令順守」の機運も生まれるものと思います。
2024年09月12日
去年の9月に発足した日本保守党の党員が、今年4月の衆院東京15区補欠選挙に立候補して9人中4位と善戦したことについて、8月28日の朝日新聞は次のような記事を掲載した; 作家の百田尚樹氏を代表とする政治団体「日本保守党」が昨年9月に発足した。「岩盤保守」と呼ばれる層の結束を示すように捉える向きもある中で、作家の古谷経衡さん(41)は、むしろ岩盤保守内部の分裂があって結党につながったと分析する。■今回の論考 古谷経衡「日本保守党の研究」(地平8月号)/推薦した論壇委員 青井未帆・学習院大学教授=憲法 ◇ 今年4月の衆院東京15区補欠選挙に立候補した日本保守党の飯山陽(あかり)氏は9人中4位だった。小池百合子東京都知事の支援を受けた乙武洋匡氏を上回り、善戦という評価も。同党のX(旧ツイッター)公式アカウントのフォロワー数は32万超と自民党をも上回る。 古谷さんは、保守層の中でも排外的主張など極端な論調をとる人たちを「岩盤保守」と呼ぶ。かつて保守系の媒体で主に活動した時期があり内情を知る古谷さんが、岩盤保守の近年の動向を読み解くのがこの論考だ。■「不正選挙説」信じるかで溝 昨年の日本保守党の結党宣言では、岸田文雄政権が立法化を進めたLGBT理解増進法に「祖国への無理解」がみられるとして憂え「断固として日本を守る」ための勢力が必要と訴える。現政権への反発から、伝統的な家族観を重んじる岩盤保守が結集――そう考えればわかりやすいが、古谷さんによれば岩盤保守では2020年末に「大分裂」があり、飯山氏の選挙でも保守票を固められたわけではないとみる。 歴代最長政権となった第2次安倍晋三政権時代は、岩盤保守は政権を支持することでおおむね統制が取れていた。 しかし、同年9月の安倍首相退陣が変調につながる。そして同年11月の米大統領選後、敗れたトランプ氏が言う「不正選挙」を信じるかどうかで決定的な分裂が起きたと古谷さんは分析する。 当時、岩盤保守に大きな影響力を有していたネットメディアの番組に出演する言論人では、百田氏やジャーナリストの有本香氏ら不正選挙説を信じる側が「主流派」として残り、信じない出演者は退場したという。 他国の大統領の進退をめぐり分裂が起こったことについて、古谷さんは「保守の精神的な支柱である安倍氏が退陣した後、安倍氏と蜜月を築いたとされるトランプ氏に尊崇の念を仮託したのではないか」と分析する。■精神的支柱の安倍氏も失う さらに広く保守勢力に衝撃を与えたのが、22年7月の安倍氏の死去だった。保守系言論人にとって安倍氏と個人的に会えることは、自身の正統性と求心力を維持する最大の源泉となっていたという。さらに「分裂」後も続いていた百田氏らの番組も、同年11月に打ち切りが発表される。 古谷さんは「日本保守党の結党とは、露出の機会が減った百田氏の派閥が、求心力を維持するために打って出た奇策ではないか」と指摘する。その後も岩盤保守は複数の小派閥に分裂したままだという。「安倍政権のときは一致して推せるため、団結しているように見えただけだ。分裂状態は続くのではないか」 自民党総裁選では保守系の議員として高市早苗氏や小林鷹之氏の名が挙がるが、古谷さんは「岩盤保守は高市氏一択の様相だ」とみる。ただ現段階では支持の広がりは見通せず「岩盤保守の影響は減退したままだろう」と話す。(女屋泰之)2024年8月28日 朝日新聞朝刊 13版S 24ページ (論壇Bookmark)「『岩盤保守』の分裂示す、新党結成」から引用 百田尚樹が新党を結成して今年の衆院補欠選挙で善戦したなどというニュースのどこに、新聞が書き立てるほどのニュース・バリューがあるのか、私には理解ができません。LGBT理解増進法に「祖国への無理解」がみられるなどと言う主張は、選択的夫婦別性制度に対して「日本の伝統をないがしろにする制度だ」などと主張するのと同じで、そう主張する本人の勉強不足に過ぎず、歴史研究家の田中優子氏によれば、江戸時代の落語には「同性愛の男性も、長屋の一員として周囲から白い目で見られることもなく楽しく暮らす様子が伺える」のだそうで、現代の日本人がものを知らないために多様性を認めようとしないから「LGBT理解増進法」をわざわざ制定しなければならなかったのであるし、夫婦が同じ姓を名乗るというのも、そもそも江戸時代までの日本人は苗字などなかったのであり、明治になってから急に全国民が姓名を名乗る制度になっただけの話であって、「伝統」などと言うほどのシロモノではないのだ。そのように、ものを知らない輩のグループを保守政治家呼ばわりするのは、やめたほうがいいと思います。
2024年09月11日
自民党の総裁選挙に立候補した小泉進次郎議員が「国民を守るために命がけの仕事をしている自衛隊を、憲法に書いていないのはおかしいと思いませんか」と、まことしやかに演説したことについて、今朝の「X」に小西ひろゆき参議院議員が、次のように反論している;「今も日本の領海・領空・領土を死守するために命懸けで任務を遂行している・・・今も全国で災害が発生し、現場に真っ先に向かう自衛隊・自衛隊員が私たちの国の憲法に書いてすらいない。おかしいと思いませんか。」⇒全くおかしくない。小泉氏は日本国憲法の制定目的、存在意義を全く理解していない。日本国憲法は前文で、「日本国民は、・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、・・・この憲法を確定する。」と戦前の太平洋戦争などの惨禍を踏まえ、平和主義に立つことを宣言しています。そして、「全世界の国民の平和的生存権」なども含め、前文の平和主義の理念が具体化した規定として9条が規定されています。(=最高裁砂川判決、歴代政府解釈の見解)要するに、日本国憲法は「軽薄で愚かな日本の政治家が無用の戦争を起こして日本国民を殺傷してしまうことを永久に阻止する」ために制定された特別の憲法なのです。他国の憲法のように軍隊の存在を憲法に明記すれば、政治家が発動できる様々な武力行使の存在を真っ正面から認めることになり、その結果、戦前と同じ過ちを犯す危険があります。例えば、もし9条がなければ、日本は、間違いなく(米国の政治家の多くも過ちと認めている)米国のベトナム戦争やイラク戦争に参戦していたでしょう。一方で、9条は全否定のように見える文理解釈でありながら13条との論理解釈によって、日本に対する武力攻撃の発生から国民の生命等を守り抜く必要最小限度の実力である「自衛隊」を持つことを可能としています。https://youtube.com/live/mSJdEpUbY6M(28分10秒より)これは、まさに日本の政治家に対して、他国の侵略から日本国民の生命等を守ること以外の自衛隊の運用(武力の発動)を防ぎ、「政府の行為による再びの戦争の惨禍」を防ぐ効力を発揮しているものなのです。このように、幣原首相が発案した戦争放棄の規定(9条)は、人類最大の発明と言っても過言ではないと考えます。もし、世界中の国が9条を採用すれば戦争はこの世からなくなります。小泉氏は、こうした前文の平和主義に基づく9条の意義や役割、そして、9条が戦後に自衛官や一般の日本国民を現実に守ってきた力を何も理解せずに、無邪気に「自衛隊・自衛隊員が私たちの国の憲法に書いてすらいない。おかしいと思いませんか。」などと主張しているのです。これほど軽薄な政治家はいないと言わざるを得ません。なお、日本国憲法には、時に命懸けで任務に当たる警察官も海上保安庁職員も(災害救助も担う)消防隊員なども明記されていません。だからといって、これらの公務員の任務の尊さとそれに対する国民からの感謝と敬意が欠ける訳ではありません。憲法に自衛隊を明記しないことがおかしいということにはならないのです。むしろ、小泉氏のような軽薄な政治家による無用の武力出動の危険を永久に封じるためには、憲法に自衛隊を明記しないことの方が自衛官その家族のためになることは、戦前の日本軍兵士やその家族が被った惨禍、そして、今日も世界で行われている戦争の惨禍(侵略戦争で戦死するロシア軍の兵士など)を見れば明らかなのです。2024年9月9日の「X」から一部を引用https://x.com/konishihiroyuki/status/1832798024629915744?t=0VAekYFe2pDgs-N0wFhZOA&s=03 かつて安倍晋三が自民党総裁だったときに、彼は「自衛隊員を父親に持つ小学生が、学校で『自衛隊は憲法違反だ』と言われているのを聞きつけて、家に帰って父親に『お父さんは憲法違反なの?』と涙ながらに尋ねたという。こういう気の毒な状況を改善するためにも、憲法を改正して、自衛隊を明記するべきです」とぶち上げたことがあったが、その後野党議員が「あの話は事実なのか?」と国会で質問したところ、政府は「そのような事実があったとの確認はとれていません」と答弁したのであった。つまり、安倍晋三氏の「我田引水」の作り話だったのである。そして、この度の進次郎議員の発言はその二番煎じであり、所詮は世襲議員の考えることはその程度であり、こういうレベルの演説しかできないような人物が「総理大臣」の席をゲットするのでは、この国の「右肩下がり」は今後も延々と続くことを意味します。西欧でも韓国でも、国民所得は経済発展に合わせて改善しているのに、日本だけは大企業が繫栄して国民所得は年々目減りしていく。いつまでも我慢しているのではなく、「これはおかしい」と声を上げるべきであり、そういう声を拾い上げるには、世襲議員では全然対応が出来ないのだということを、そろそろ気付くべき時になっていると思います。
2024年09月10日
電力各社が原発の新規建設に消極的だからというので、経済産業省が「これから建設する原発の費用を電気料金に上乗せして消費者に請求できる制度」を検討しているとのニュースについて、映画監督で「週刊金曜日」の編集委員をしている想田和弘氏は、8月23日付同誌巻頭コラムに、次のように書いている; 7月24日、朝日新聞デジタル版が独自取材記事を掲載した。「原発の建設費を電気料金に上乗せ、経産省が新制度検討 自由化に逆行」との見出しである。 それによると、原発の新増設を進めるため、建設費を電気料金に上乗せできる制度の導入を経済産業省が検討しているそうだ。なぜなら福島第一原発事故以降、原発の安全対策費が膨らんだ。また電力の自由化が進み、電力会社が原発の新増設に及び腰になっているからだという。 ははあ。だが、電力会社が原発の新増設に消極的になって、何が困るというのか。福島原発事故の最大の教訓は、私たち人類、いや、生きとし生けるものは、決して核とは共存できないということだ。過酷事故のリスクが巨大なだけでなく、10万年以上も放射性廃棄物を管理・保管しなければならず、しかも保管方法すら決められない。 原発はドラッグと同じで、そもそも決して手を出してはいけないものだったし、絶対にやめなければならないものなのである。つまりこのまま原発が廃れていくなら、むしろ渡りに船である。 また、原発の新増設に特別な支援が必要だということは、コストが高く経済合理性もないことを意味する。かつて原発推進派は「原発は安いから」と推進の理由を挙げていたが、もはやそれすらも成り立たない。 実際、環境科学やエネルギー政策が専門の明日香寿川(あすかじゅせん)東北大学大学院教授によれば、すでに原発は再生可能エネルギーよりもはるかに発電コストが高い。国際エネルギー機関(IEA)のデータでは、運転中の原発は太陽光発電の約6倍、新設すると約19倍も高い。ところが日本の太陽光の発電コストは世界で2番目に高く、ドイツやイタリアの2倍以上に上る。明日香氏はその理由が日本政府の政策の欠如にあると指摘する。要は海外に比べて再エネの導入を積極的に後押しする政策が弱いので、コストが十分に下がらないというのである。 岸田政権は原発推進の理由として二酸化炭素の削減を挙げているが、それを達成したいなら再エネにこそ投資すべきであろう。少なくともその方が断然安い。 にもかかわらず、なぜ岸田政権は原発にしがみつこうとするのか。合理的な理由は見出せない。結局は一種の中毒なのだと思う。僕が原発はドラッグだと申し上げるのは、単なる比喩ではないのである。2024年8月23日 「週刊金曜日」 1485号 3ページ 「風速計-原発ドラッグ」から引用 電力各社が原発の新規増設に消極的であるというのは、経済原則に照らして「まともな反応」である。「原発は安い」という原発推進派の主張はまったくの「デマ」なのだということを証明しているとも言える。にも関わらず、建設費用を消費者に負担させてまで、新規原発の建設を推進したいのが経済産業省であるが、何故そんなにまでして、新規原発の建設にこだわるのか、相田氏は「ドラッグ」みたいなものだと言っているが、何を言いたいのか抽象的で理解しにくい。私の目には、岸田氏が原発にしがみつこうとしているようには見えず、新規建設の費用を消費者に負担させようとする経産省官僚に対して「そんなことは、やめろ」と指導力を発揮できずにいるだけ、というのが真相ではないかと思います。そうであるとすれば、経産省官僚に「圧力」を加えているのは誰なのか? いずれにしても、原発をこれ以上増やすのは国を亡ぼす元になるのであって、経済原則に従って安全な再生可能エネルギーに切り替えていくのが、これからの国の繁栄に至る「道」だと思います。
2024年09月09日
日本政府は、宜野湾市の中央部に位置する普天間飛行場の移転先とするために大浦湾を埋め立てているが、近年になって大浦湾の海底は飛行場の土台とするには地盤が軟弱であることが判明したため、その軟弱地盤を補強する工事も必要となり、果たして目論み通りに工事が完成する目途はあるのかどうかも疑問であると、8月21日の東京新聞が報道している; 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古の大浦湾側で、防衛省が20日、埋め立てに向けた本格工事を始めた。反対する沖縄県を押し切った形だが、海底の軟弱地盤改良は前例のない規模の工事で難航する可能性がある。新基地は滑走路が短く、米軍からは不満も漏れる。専門家は「工事の実現性が疑問視され運用面でも問題があり、合理的でない」と語る。◆マヨネーズ 午後2時過ぎ、クレーンでつるされた金属製のくいはゆったりと揺れながら、青く澄んだ大浦湾の海中に沈んでいった。雨が降る中、近くでは多くの作業員が様子を見守っていた。 工事は埋め立て区域を囲む護岸を造り、土砂を投入する。ネックがマヨネーズに例えられる軟弱地盤の存在だ。 砂を固めたくいを打ち込んで改良する計画で、軟弱地盤は最深部で海面下約90メートルに達するとされ、難しい作業が見込まれる。埋め立て工事全体の完了は2033年4月ごろの予定だが、順調に進むかどうかは不透明だ。◆可能性 沖縄県の玉城デニー知事にとって、辺野古移設阻止は最大の公約だ。法廷闘争を繰り広げてきたが、今年6月の県議選で玉城氏を支持する勢力が過半数を割り込み、原則的に県議会の同意が必要となる新たな訴訟の提起は困難になった。「辺野古阻止のカードを全て失った。死に体だ」と自民党県議は話す。 県が大浦湾側の環境保全などに関し要望を示してきた防衛省との協議は、県議選2日後の6月18日、事実上打ち切られた。防衛省関係者は「淡々と進める」と語り、県幹部も「打つ手がない」と認める。 ただ、軟弱地盤が工事を阻む可能性はある。玉城氏は20日、記者団の取材に「完成する可能性は極めて低い」と断言。国が工事の設計変更を申請する可能性や、工事の長期化に言及し「工期もコストもはっきり説明することができない工事は直ちに中止し、精査し直すべきだ」と語った。◆最悪シナリオ 日本政府が辺野古移設を閣議決定したのは1999年。中国が海洋進出を強めた2010年代以降とは安全保障環境が大きく異なる。06年に決まった現行の整備計画では、滑走路は普天間の約2700メートルより短い約1800メートルで、使い勝手が悪いとされる。 ある在沖縄米軍幹部は「辺野古は最悪のシナリオだ」と切り捨て、移設後は嘉手納基地(同県嘉手納町など)で、部隊の運用を補完する可能性に言及した。 軍事評論家の前田哲男氏は、中国のミサイル能力向上などを背景に、米軍は部隊の分散化を進めていると指摘。新基地が攻撃対象にされることは明白で「移設計画は軍事的合理性が乏しい」と強調した。2024年8月21日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「辺野古難工事 突き進む国」から引用 地盤がマヨネーズのように軟弱であるなら、杭を打ち込んで滑走路を支える支柱にすれば良いというのはアイデアではあるが、水深90メートルの深さまで届く杭を打ち込んでうまくいったという経験はまだないのだから、どのような素材でそのような工事が可能なのか、雲をつかむような話である。しかもそういう無理な工事をして、うまくいって完成したとしても、米軍が期待したよりも滑走路が短いとか、中国のミサイルの精度も向上しているから、一発打ち込まれればお仕舞になるのではないかとか、いろいろ問題がありそうです。六ケ所村の核燃料再処理工場とか、リニア新幹線とか、このまま予算をつぎ込んで事業を継続していいのか、疑問符のつく事業が多すぎるのではないか。「結局、失敗だった」と結論が出たときには、誰がどのように責任を取るのか。最後はツケが国民に回ってくることを、私たちは覚悟しなければなりません。
2024年09月08日
終戦記念日の8月15日にTBSテレビが自衛隊に女性初のF2戦闘機のパイロットが誕生したことを紹介する番組を放送したことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は8月21日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 日本の8月は不戦の誓いを新たにする月だったのでは。終戦記念日の15日、TBSの情報番組「ひるおび」を見て危うく卒倒しかけた。航空自衛隊の宣伝めいた特集をやっていたからだ。 女性初のF2パイロットに密着、戦闘服に身を包んだ女性アナウンサーに搭乗体験までさせる。カッコイイとはしゃぐアナ。歓声があがるスタジオ。それをこの日に流すとは、千鳥ケ淵や武道館で不戦を誓う人々へのあてつけか。それともニュースや報道番組では一応反戦の姿勢を貫いてきたTBSの転向宣言か。 自衛官の志願者は年々減っている。防衛省の7月の発表によれば、2023年度の採用者は9959人で、2万人近い採用計画のわずか51%。自衛官全体も、24万7千人の定数に対して約2万人の不足という。 このところ不祥事続きの自衛隊。16日のフジテレビ「潜入!リアルスコープ」もブルーインパルスの女性パイロットを軸にした空自礼賛番組だったから、女性を表に出してPRするのが広報の新戦略なのだろう。 でもそれは自衛隊側の事情である。メディアが率先して協力する義理はない。まして今般の防衛政策は、集団的自衛権の行使容認から敵基地攻撃能力の保有まで、専守防衛の原則を大きく逸脱する方向に進んでいる。終戦記念日に相応しい特集はそっちだったのではないか?(文芸評論家)2024年8月21日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-8月15日の愚挙」から引用 斎藤氏が言うように、日本の8月15日は戦没者を追悼する日として戦後永く理解されて来た日であるが、戦後の中途半端な教育の結果、民族としての悲惨な経験が正しく子孫に継承されることなく、自分たちには関係ないという世代が増えてきて、8月15日でも戦闘機に乗ってはしゃぐテレビ番組が出てきたのは、大変残念なことで、これは単に歴史認識に限らず、経済活動の低迷、国民所得の低下、外国人ヘイトの横行と、社会の様々な局面に「落ち目」であることが顕在化してきている。にも関わらず、大部分の国民には「危機感」がないため、与党の代表選に立候補する「次代の指導者」は、相変わらず「公務員としての憲法順守義務」を理解せず「改憲の国民投票を一日も早く実現したい」などと公言して憚らず、「裏金問題」が発覚してもごく一部の議員を訴追しただけで、大部分は「おとがめなし」で済まそうとしている。先進国グループから転落して、どこまで落ち込むのか、お先真っ暗とはこのことです。
2024年09月07日
一昨日、昨日と当ブログに引用してきた「前衛」の記事の続きは、自衛隊の元幹部が定年退職した後で靖国神社の要職に就任していることなどについて、次のように論評している;■遊就館の展示が語るもの さらに『靖国』を見ていくと、16年には「遊就館を拝観した後に本殿に参拝した」という記述があった。17~19年にも「遊就館拝観後に正式参拝した」とある。靖国神社の本殿と拝殿のすぐそばにある遊就館は、靖国史観の宣伝塔といえるものだ。旧日本軍の侵略戦争を「国家存亡の危急」と描いて、そこで戦死した軍人・軍属を顕彰する展示内容となっている。その展示の狙いは、1932年(昭和7年)に発行の「遊就館要覧」は「世人は万世不易の日本精神の伸張に、旺盛なる国防観念の養成に最も相応しき構成を有する本館…」と、誇っている。こうした意図が今でも大きく変わっていないことは、現在の遊就館の展示からも推察できる。 遊就館には、靖国神社に祀られた「英霊」がどのように戦死したのかを紹介するコーナーがあり、力の入った展示となっている。そこでは、「英霊」たちが家族らに書いた手紙などとともに、戦死したことを「玉砕」「(乗艦した)沈みゆく艦と運命を共にした」と表現している。展示された「英霊」の中には、太平洋戦争開戦時の首相だった東条英機ら東京裁判で有罪判決となり、刑死したA級戦犯らも「法務死」として展示されている。 アジア太平洋戦争では日本車の死者230万人のうち6割にあたる140万人が餓死によるものと推定した研究があるが、こうした旧日本軍の無謀な戦争の”負”に言及した展示は少ない。戦死が美化されたものとなっている。 遊就館の展示は、靖国神社に祀られた戦死者を物語ることによって、天皇の戦争のために死ぬことは名誉、靖国神社に祀られることは誉れということを見る者に印象づける。遊就館は、靖国神社と一体の関係にある。 戦史研究家の山崎雅弘さんは「軍と宗教の結びつきは、大日本帝国時代の非常に危険な特徴でした。これがあったから旧日本軍は、兵士の生還を前提としない、命を粗末にする作戦を実行できました。戦死を『立派な行い』と称揚し『英霊』として祀る靖国神社と、『死んでも魂が靖国神社に還(かえ)る』という物語がなければ、特攻隊などの人命軽視の命令は成立しなかったでしょう」(「しんぶん赤旗」4月20日付)と語っている。 こうした死を賛美する精神文化を自衛隊に持ち込ませてはならない。■生徒に参拝仕向ける 5月15日にあった衆院外務委員会での穀田議員の質問は衝撃的だった。 防衛大臣直轄の陸上自衛隊高等工科学校の生徒約350人が2019年に「研修」として靖国神社に行っていたのだ。同校は採用対象が15歳から17歳未満で、全3学年あり、生徒総数が千数十人の教育機関だ。靖国神社には、当時の1年生が2回にわたり行っていた。同校の公式X(旧ツイッターには、「靖国神社では遊就館を見学し、戦前・戦後の歴史を学ぶことができました」(19年9月2日)、「市ヶ谷等現地訓練において市ヶ谷記念館研修、殉職者慰霊碑献花及び靖国神社遊就館研修を行いました」(同年1月22日)と投稿していた。また、生徒らが整列して靖国神社の拝殿と本殿に向かって参道を行進し、大鳥居をくぐる動画も投稿していた。 穀田議員から、同校の生徒のこの「研修」での参拝の有無を聞かれた鬼木誠防衛副大臣は「研修において靖国神社への参拝は行っていないと承知しております」と答弁した。そこで穀田議員が、生徒らが行進する動画を見たか問うと、「すみません。私はその動画は確認いたしておりません」と答えた。さらに穀田議員が「この学校では、これまでの研修で靖国神社は参拝していないと断言できるわけですか。過去も含めて徹底調査したわけですか」と問うと、鬼木副大臣は「過去にさかのぼって徹底調査しているわけではありません」と答えた。自衛隊で相次いでいる集団参拝を直視しようとしていないのだ。 それに靖国神社に足を運んだことがあるならば、”遊就館には行ったが、参拝はしていない”という説明がかなり苦しいものであることがわかる。遊就館から出れば、目の前に拝殿と本殿があるからだ。海自の練習艦隊と同様に、参拝を仕向けていることがわかる。果たして、この「研修」は、生徒たちにどんな教育効果があったのだろうか。 この「研修」が行われた直後の社報『靖国』(19年10月号)に「遊就館 拝観者の声」という欄があった。 遊就館に置かれた自由記述ノートに、こんな感想があったことを紹介している。 「私は陸上自衛隊高等工科学校生徒として日々勉学に励んでおりますが、靖国神社を参拝し、もっと努力しなければならないと思いました。英霊の遺書はとても涙が出ました。そして、英霊の想いを受け継ぎ、祖国の防人にならなければ、と感じました。これからも祖国を想い、努力していきたいと思います」 こうした「研修」が導く先には何がまっているのだろうか。■靖国神社トップに元海将 今年になって相次ぎ判明した自衛隊の靖国集団参拝。これはたまたまの出来事として片付けることはできない。 今年月、靖国神社トップの宮司に元海上自衛隊海将の大塚海夫氏が就任した。自衛隊の将官経験者が宮司になるのは初めての出来事だ。そして、一般の神社で氏子総代にあたる靖国神社の「崇敬者総代」10人の構成にも目を向ける必要があるだろう。総代には、日本経団連の元会長、元警察庁長官、元検事、旧皇族、財界人や元自民党国会議員ら日本の政官財界人がずらりと並ぶ。この中に、元海上幕僚長の古庄幸一氏と、元陸上幕僚長の火箱芳文氏がいる。古庄氏は、首相の靖国神社公式参拝を求める「英霊にこたえる会」の会長でもある。火箱氏は、国内トップの軍需企業である三菱重工業の顧問だ。 自衛隊の元最高幹部が、ここまで靖国神社の中枢を占めるまでになった理由はなんだろうか。 戦前は、陸軍省と海軍省が所管した靖国神社は、戦後、GHQ(連合図軍総司令部)の「神道指令」(1945年12月)を受け、翌年に宗教法人として再出発する。それを支えたのは遺族だ。しかし戦後80年近くとなり、遺族の高齢化が進む。靖国神社が、遺族に代わる新たな担い手にしたいのは自衛隊ではなかろうか。 社報『靖国』では、例えば元陸幕長の岩田清文氏による「自衛官は靖国に祀られるのか」(2023年11月号)などといった内容の論説がたびたび掲載されている。 とくに、旺盛に発信しているのが崇敬者総代の一人である火箱元陸幕長だ。『日本の息吹』(昨年8月号)や社報『靖国』などで「国家の慰霊追悼施設としての靖国神社の復活を願う」という論説を発表している。そこで火箱氏は「将来、国土を守るために戦死する自衛官が生起するかもしれない。(中略)一般公務死ならば防衛省の慰霊碑に祀られるが、戦死の場合それでいいのだろうか。筆者ならば靖国神社に祀ってほしい」と述べている。 火箱氏について注目すべきは、旧日本陸軍将校の同窓組織である偕行社の理事長だったことだ。偕行社は旧陸軍将校の高齢化などで会員加減少したことから、陸自幹部退官者でつくる「陸修会」と今年4月に合同し「陸修偕行社」となった。火箱氏は、その理事長に就任している。退官者でつくるとはいえ、旧陸軍と陸自が一体となった団体ができたということの意味は小さくない。陸修偕行社の活動内容は「英霊の慰霊顕彰及び自衛隊殉職者の追悼」となっている。「英霊の慰霊顕彰」ということは、旧陸軍との歴史観の共有につながっていくのだろうか。また陸修偕行社の活動には、現役自衛官への支援活動も入っている。現役の自衛官に少なからぬ影響を与えていくことが懸念される。 今年4月には、陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、硫黄島(東京都)であった日米合同の戦没者追悼式について公式X(旧、ツイッター)で「大東亜戦争最大の激戦地」「日米双方の英霊のご冥福をお祈り」するなどと投稿していた。 また同連隊はXのプロフィールで「近衛兵の精神を受け継いだ部隊」と紹介している。「大東亜戦争」は1941年12月に太平洋戦争が開戦した直後、東条英機内閣が閣議決定した日中戦争なども含む呼称だ。「大東亜」という文言は「大車亜共栄圈」など、東アジアや東南アジアなどを日本が侵略・支配する国策を表す言葉として使われた。 戦後の45年にGHQの「神道指令」で「国家神道、軍国主蔟、超国家主義」に緊密に関係する言葉だとして、「八紘一宇」などとともに公文書への使用を禁止された。 そもそも「大東亜」という呼称が、侵略戦争を美化するためにひねり出された言葉だ。 よく知られたエピソードがある。1941年11月に、対アメリカ、イギリスへの開戦方針を決断した後のことだ。昭和天皇が「大義名分を如何に考えるや」と東条英機首相に尋ねている。この時の東条首相の答えは「目下研究中」というものだ。この呼称が後付けだったことを物語っている。 こうした靖国史観に連なる言葉が侵略戦争の美化に連なっており、この言葉を自衛隊内で語られていることを軽視してはならない。 以上のように、接近を強めている自衛隊と靖国神社について述べてきた。なぜ、いま接近しているのか。東京大学名誉教授の高橋哲哉氏が「祀る国とは戦う国なのである」と述べている。 いま自衛隊が戦争に参加し、自衛官が戦死し、どう戦死者を遇するかが、生々しい現実の課題となっているのではないだろうか。戦争の歴史と戦死を美化することは、将来、起きるかもしれない戦争への抵抗を和らげることにならないだろうか。軍事化の道を進ませないためにも、取材班は戦争と戦死の現実に目を背けたくない。そのためにも自衛隊と靖国神社の接近をこれからも取材していきたい。(了)月刊「前衛」 2024年8月号 58ページ 「自衛隊と靖国神社の点と線」から一部を引用 防衛省は実力部隊である自衛隊に対して、文民統制の立場からその行動の是非を判断し、場合によっては規制しなければならない立場である。にも関わらず、その実態は自衛隊学校の生徒を「研修」と称して団体でバスに載せて、遊就館を見学し、見学が終わって出口に来ると目の前には神社があるから、そのままぞろぞろと歩いて行って参拝している。それを、規制する立場の防衛省幹部は「目的は『研修』であって、その後の神社参拝は各自の自由意志に基づいて行われたものだから、何ら問題はない」と、実に不自然な説明でつじつまを合わせようとしているが、これは防衛省官僚が己の職責を果たしていないことをごまかすための言い訳だ。上官の命令だからと言って自分の命を粗末にするような自衛官を育てることは、わが国憲法の目指す社会の在り方から大きく逸脱するものであって、現代の社会では許されるものではないことを、国会の場で確認する必要があると思います。
2024年09月06日
昨日の欄に引用した「前衛」の記事の続きは、防衛省がかつて自衛隊員が宗教施設へ出かける際の「隊員としての心得」を作成し、参考書として出版社から出版されていること、靖国神社参拝は陸自に限らず、海自も遠洋航海に出かける前に、毎年参拝しており、これも違法性が疑われること等について、次のように書いている;■違反を見逃す防衛省 陸幕副長らの靖国参拝の話に戻ろう。 防衛省の調査では「私的参拝だった」「部隊参拝や参加の強制には当たらないことから、宗教的活動に関する事務次官通達の違反は無かった」とした。 しかし、防衛省の調査がずさんだったことが徐々に分かった。その端緒は、防衛省が日本共産党の穀田恵二衆院議員に提出した「令和6年の年頭航空安全祈願実施計画」と題した一部黒塗りされた文書だ。内容は、小林弘樹副長を委員長とした陸自航空事故調査委員会による靖国参拝の日時や集合時間、記帳はどの肩書きで行うか、などが事細かに記されている。そして、提出されたのはもう一つ。「令和6年の年頭航空安全祈願ロジ」という文書がある。「実施計画」と内容が重複しているが、勤務員の配置図や小林副長を案内する際の動線を記したものとなっている。 これらは、防衛省の説明によると「私的文書として作成され」たが、陸自幹部らの所在等を共有する目的で、「陸上幕僚監部内に共有されたため行政文書になったもの」との主張だ。 しかし両文書を見れば、「私的文書」のはずがなく、これだけ綿密に計画した参拝が「私的」参拝なわけがないと思うだろう。 実際、2月13日の衆院予算委員会で資料として配布された際、委員会席から与党の議員からも「これは(私的参拝で通すのは)無理だろう」といった声があがった。 穀田議員は両文書を示し「(事務次官通達が禁じる)部隊参拝以外の何物でもないじゃありませんか」と迫った。 対する木原稔防衛相は「参拝案内を41人に対して行いまして、そのうち22名が参加したものです。19名は不参加の意思表示をしたということであります」と答えた。参拝に誘った者のうち19人が参加しなかったから、通達違反ではない、という理屈だ。 ここで穀田議員が切り返す。 「自衛隊は、当時、能登半島地震の対応で非常勤務態勢が発令されていたわけです。19名が参加しなかったのはそのためなんですよ。小林副長ら幹部は、そうした非常事態の最中にもかかわらずその参拝を行った。つまり、震災対応より靖国参拝を優先させたということが大事なんですよ」 そして穀田議員の質問で、もう一つの焦点は文書の黒塗り部分に何が書いてあるのかだ。 穀田議員は「部署の名前が記されているとすれば、『実施計画』は私的文書として作成されたものではなく、航空事故調査委員会の庶務を担当する部署が公務として作成したことになります。木原大臣は黒塗りが外れたものをごらんになっているはずですよね。ですから、そうした記述があるのかないのか、明確に答弁すべき」とたたみかけた。 木原防衛相は「隊員それぞれにも信教の自由があります。したがって、隊員が特定され得る情報につきましては、その信教の自由を侵害する恐れがあることから、極めて慎重に取り扱うべきだ」と、答弁を拒んだ。さも、黒塗りの下には隊員の個人名でも書いてあるかのような言いぶりだった。 しかし、木原防衛相のごまかしはすぐに破たんした。4月3日の衆院外務委員会で、穀田議員は独自に入手した黒塗りが外れた「実施計画」を示したからだ。 黒塗りで隠されていたのは、隊員の個人名などではなく、「装備計画部」という航空事故調査委員会の庶務を担当する部署だ。 この日答弁に立った鬼木誠防衛副大臣は「防衛省としてこれまで公表した資料であるとは承知しておりません。どういった経緯によって入手されたものか明らかでない限り、当該資料の性質や位置づけについてお答えすることは困難でございます」とまともに答えなかった。木原防衛相も鬼木副大臣も、黒塗り前の文書を見ている。本来なら、小林副長らの参拝が「部隊参拝」であるとして、指導・監督すべき立場にありながら、国会での追及に、ごまかしの答弁で陸自幹部らの言い逃れを見逃そうとしたのは情けないと言わざるを得ない。■防衛省ルールでも”アウト” そして、この質疑でもう一つ明らかになったのは、今回の参拝が防衛省で積み重ねてきたルールから見ても「公的参拝」となるということだ。先に紹介した文書「安全祈願ロジ」には、陸上幕僚監部の担当者が防衛省人事教育局からの聞き取り内容をまとめたものがあった。それは「私人としての参列については、以下の要件を満たす必要がある」として、「私的参拝」の6要件が書いてあった。この一つにでも反すれば「私的参拝」と見なすことができない。「1、記帳に関して、職名、肩書を記載しない。2、玉串料等については、私費で支弁する。3、官用車の使用を控える。4、随行者はつけない。(以下略)」 本稿冒頭の参拝当日の様子を思い返していただきたい。小林副長らは官用車を使い、随行者を伴っていた。これは”勝負あった”というべきだ。公的参拝以外の何物でもない。 この穀田質問に続いて「しんぶん赤旗」(4月7日付)は、陸上幕僚監部の人事部が監修した本でも、小林副長らの参拝が”アウト”になることがわかった。その本は『陸上自衛隊 新服務関係Q&A』(学陽書房)という自衛隊員向けの本だ。 この中で「神社の例大祭に招待を受けた場合、これに参加してよいか」という問いがあった。これへの答えは「次の事項に留意することが必要」として「官用車を使用しないこと」「随行者は伴わないこと」などの4点をあげていた。こうした本にまでまとめられている服務関連の”イロハ”を陸自幹部が知らないことはないだろう。小林副長らの参拝は、明らかな「部隊参拝」だったと言える。 これだけ明らかな通達違反を防衛相が先頭に立ってごまかしにかかることに危惧せざるをえない。 山口大学の纐纈厚名誉教授は「しんぶん赤旗」(1月17日付)のインタビューで「今回の行動は、こうした文民統制が全く機能していないことが明らかになった事件として厳しく批判されるべき」と述べた。文民統制(シビリアンーコントロール)とは「自衛官は文民統制に服し、軍事組織としての自衛隊が再び戦前の軍隊のように政治介入し、侵略戦争へと誘導した歴史を繰り返さないよう」にした仕組みだ。自衛隊を旧日本軍のようにはさせないための歯止めが、ここでも掘り崩されようとしている。■”忠誠心”試す海自「研修」 靖国神社への集団参拝が、陸自だけにとどまらない。 「しんぶん赤旗」(2月17日付)は、昨年5月に海上自衛隊の練習艦隊が遠洋練習航海を前に司令官(当時)の今野泰樹海将補はじめ、一般幹部候補生課程を修了した初級幹部ら165人が正式参拝したことを報じた。 靖国神社の社報『靖国』(2023年7月号)には白い制服姿の海上自衛官がずらっと並び、頭を下げる写真が掲載されていた。 海自の広報文書によると、この遠洋練習航海に派遣予定者数は「約160人」となっている。『靖国』には参拝者数が165人となっている。派遣予定の初級幹部全員が参拝したのではないのか。 陸自の参拝で、木原防衛相は参拝に不参加だった者がいたことをあげて、隊員の自由意思による「私的参拝」だと強調していた。とすれば、海自の場合は「部隊参拝」にあたるのではないか。社報『靖国』をさかのぼってみたところ、新たな事実がわかった(「しんぶん赤旗」2月26日付)。少なくとも1998年から海自の練習艦隊はほぼ毎年、靖国神社に集団参拝をしていたのだ。参拝が確認できなかったのは新型コロナウイルスが世界的に流行していた2020年から22年の3年。それを除いて毎年、集団参拝をしていたことが確認できた。海自の広報文書で、遠洋練習航海の派遣予定の初級幹部の数が確認できた2015~19年、22年の参拝者数を比べてみた。それを見ると、参拝者数が初級幹部の人数を下回ることはなかった。 取材班が防衛省に取材すると、木で鼻をくくったような回答だった。昨年5月の参拝について防衛省は「歴史学習のため九段下周辺にある史跡等を巡る研修を実施しました。この際、当該研修の休憩時間を利用し、個人の自由意思により靖国神社を参拝したと承知しています」というのだ。 また公用車を使用したか尋ねると「練習艦隊が停泊していた晴海ふ頭から九段下までは官用バスにて移動、その後、史跡等の間は徒歩で移動しました」と答えた。遅くとも1998年から靖国参拝が行われていることを尋ねると、「練習艦隊として、靖国神社を参拝した事実は確認していません」とした。 とんでもない回答だろう。「史跡等を巡る研修」という名目をつけて、靖国神社が近い千代田区九段下まで初級幹部らを公用バスで運んだという。これは、靖国参拝に仕向けるためのお膳立てと言われても仕方ないだろう。しかも防衛省と海自は、休憩時間中の”自由意思”による参拝ということで、責任逃れができるということだ。 想像してほしい。「研修」と称して、靖国神社のそばまで連れていかれ、これから数力月の遠洋練習航海を前に、航海を共にする司令官や同僚から「みんなで参拝に行こう」と誘われたら、それを断ることがどれだけ難しいかを。 恵泉女学園大学の斎藤小百合教授(憲法学)は「自衛隊という上意下達の組織で、どこまで個人の自由意思が守られるのか。忠誠心をあおり、従わない者をあぶりだす役割を果たしていないか」と「赤旗」のインタビュー(5月3日付)で語っている。海自の事例は、まさに靖国神社が「忠誠心」を試す場に利用されていないだろうか。(つづく)月刊「前衛」 2024年8月号 58ページ 「自衛隊と靖国神社の点と線」から一部を引用 かつて防衛省は防衛庁だった時代に、新しい憲法の下で民主主義国にふさわしい組織として実力部隊を文民統制の立場から運営するという「自覚」をもって、自衛隊員が宗教施設を訪問するには、どのような点に留意する必要があるのか、子細な規則を定めたのであったが、戦後80年に近くなって与党が世襲議員だらけになると、文民統制の意味を理解せず、自衛隊員のルール違反を諫めるどころか、必死にごまかして、明らかなルール違反も「問題なし」として片付けるということを、今後も繰り返していけば、やがては国を亡ぼすような大惨事を引き起こしかねません。このような問題を、軽視せずに「非」は「非」として厳正に対処していく必要があると思います。
2024年09月05日
今年の元日は能登半島に大地震が発生し、多くの家屋が倒壊し火災も発生し津波にも襲われたのであったが、その震災直後に自衛隊幹部が部下を引き連れて靖国神社に参拝したことが「しんぶん赤旗」によってスクープされたのであったが、その経緯について、しんぶん赤旗取材班は月刊「前衛」8月号に、次のように書いている;■白いミニバンで来た男 よく晴れた1月9日午後3時過ぎ。東京都千代田区にある靖国神社の南門には、スーツ姿で短髪の精悍な男たちがタクシーで乗りつけてきた。門前や門をくぐった先にもスーツ姿の男たち。案内係なのだろう。そして、まもなく3時半というころ、高級ミニバンが滑り込むように南門の前に停まった。ミニバンの左側後部ドアが開くと、スーツの男性が降り立った。この男性は、陸上自衛隊のナンバー2、陸幕副長(当時、現在は中部方面総監)の小林弘樹氏。陸自の階級で最高位の陸将だ。 先にいた男たちは、小林副長を丁重に靖国神社の本殿へ案内していった。 神職の男性に導かれ、小林副長を先頭に整然と、本殿の長い廊下を歩く姿が外からも見えた。参拝を終え、小林副長が本殿から出てきた。彼のすぐそばには、秘書であろう男性が2メートルほど前を歩いていた。小林副長のものと思われるカバンと自身のものと二つのカバンを抱えていた。靖国神社の北門へと向かう小林副長に、本紙の記者が声をかけた。 小林副長は、本人だと認めた。そして「私的参拝です」「毎年の恒例行事なので」と、この日の参拝のことを説明した。 淡々と答える小林副長だったが、乗ってきた高級ミニバンのことに話を向けても答えを渋っているようだった。そして、記者が「恒例行事ということは、昨年もこんな感じだったんですか」と尋ねると、小林副長は「昨年は、九州(前任務は第八師団長)におりましたのでわかりません」と答えた。 そして小林副長は、職務のために陸上幕僚監部に戻ると言って、行きと同じ白い高級ミニバンに乗って、靖国神社を去って行った。 小林副長への取材を終えて、いくつか気になる点があった。一つが、運転手付きの白い高級ミニバンの正体だ。車のフロント部分には、官公庁への入構許可証と見られるものがあった。小林副長が公用車を使って靖国神社へ参拝に訪れた疑いが浮上した。 そして二つ目が、陸自幹部が毎年、組織的に参拝をしている疑いだ。小林副長は「毎年の恒例行事ですから」と言った。一方で、昨年のことを尋ねると「九州におりましたのでわかりません」と言う。いったい、この参拝は誰が音頭をとって、実行に移しているのだろうか。小林副長の説明からは、陸幕内で靖国神社への年頭参拝を定めたマニュアル的なものの存在を感じ取った。 三つ目が、能登半島地震が1月1日にあったばかりなのに、あえて集団参拝を実行してしまう陸幕の硬直性だ。取材班の記者には、石川県での震災取材から帰ったばかりの記者もいる。自衛隊の災害支援が現地で不足していることを感じていた。そんな中、1月7日に陸自の第1空挺団が千葉県の習志野演習場で、パラシュートによる「降下訓練始め」を実施。これには震災直後から、「訓練でなく被災地支援に」と中止や計画見直しを求める声が地域住民からあがっていた。そして、今回の靖国神社への集団参拝。倒壊した家屋にまだ住民がいるかもしれない、この時期に、陸白の幹部や精鋭部隊が、年中の「恒例行事」を変わらずこなそうとする所に、釈然としないものを感じた。■防衛省動かすスクープ 「しんぶん赤旗」(1月10日付)は「陸自幹部ら靖国参拝 官用車使い 憲法の政教分離に抵触か」と報じた。取材班は、9日に靖国神社での取材後に防衛省に取材。小林副長が利用した白い高級ミニバンが「官用車(公用車)」との回答を得ることができた。 そして事態は動き出した。1月11日に防衛省は、小林副長らの集団参拝を調査することを明らかにした。 ここで整理しておきたいのが、自衛隊員が宗教施設に参拝すると、どんな場合が問題となり、問題とならないか、だ。 目本国憲法第20条は「第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2、何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と厳格な政教分離を定めている。 この条文には、戦前の天皇制政府が支配の安定を図るために、神社信仰を国家の祭祀として、国が神社を等級化して管理し、神社信仰と他の宗教を区別した国家神道への反省がある。 そして防衛庁(当時、今は防衛省)は1974年に「宗教的活動について」という事務次官通達を出している。 今回の参拝と関連するのは、以下の部分だろう。「3 部外行事への参加について 非宗教団体が主催する慰霊祭、追悼式等であって宗教的色彩がないものに参加することはむろん差し支えない。また、それが宗教的形式をとる場合であっても社会儀礼上相当であると認められるものである限り、部隊の長等がその招待に応じて、公人として参加することは差し支えない。神祠、仏堂、その他宗教上の礼拝所に対して部隊参拝すること及び隊員に参加を強制することは厳に慎むべきである。4 宗教教育及び布教活動について 部隊の長等は、特定の宗教のための宗教教育を行い、職務上の地位を利用して特定の宗教を奨励し、若しくは布教活動を行ってはならない。また、特定宗教を信仰することのみを理由として身分上の取扱いに特別の利益又は不利益を与えてはならない。5 宗教上の施設について 施設内に神祠、仏堂その他の礼拝所等宗教上の施設を設けることは、国費の支出を伴わない場合であっても厳に慎むべきである」としている。 防衛省による調査は、小林副長らの参拝がこの事務次官通達違反の有無を調べるものだ。 調告結果は1月26日に出た。「事務次官通達の違反はなかった。しかしながら、(中略)公用車を使用したことについては、不適切な判断があった」とした。小林副長ら3人は「訓戒」という「注意」に次ぐ軽い処分となった。減給や停職などの懲戒はない。 防衛省の調査によると、「参拝に参加した22名は、いずれも今般の参拝は隊員個人が各々の自由意思に基づき私人として行った私的参拝と認識」していたという。間近で目撃した者の実感から、ずいぶんかけ離れた内容だった。しかも防衛省は「全国的な実態調査は行わないが、今後通遠の見直しや禁止事項の明示化についても検討したい」とした。靖国参拝とほぼ同時期に、宮古島で陸自隊員がマイクロバスで神社に集団参拝したことが明らかになっており、こうした事象を黙殺しようという防衛省の姿勢がうかがえる。 しかも木原稔防衛相は「通達は昭和49年に発簡をされた非常に古いものであります。50年前のものでありますから、(中略)その内容というのは不断に検討し、必要に応じて改正を行うべきものというふうに私は考えている」(1月30日)と通達の見直しにまで言及した。 先ほど紹介した憲法第20条と事務次官通達を読む時、その条文に明記されてはないものの、靖国神社と旧日本軍の関係が再来することへの警戒感があったと思わざるをえない。■靖国神社と「正義の戦争」 ここで靖国神社の成り立ちに触れてみたい。 靖国神社の前身である東京招魂社が今の東京都千代田区九段に創建されたのは1869年(明治2年)だ。当初は、幕末の志士や戊辰戦争の官軍側の死者を祀った。祀られる祭神は、天皇のための生前の功績があった者だ。その功績を天皇が末永く讃えるもので、天皇自らが参拝する「御親拝」が行われた。 この神社の特殊性の一つは、敵味方を関係なく祀るのでなく、敵味方の峻別が行われる点だろう。明治維新の功労者、西郷隆盛だが、西南戦争(1877年)では賊軍のリーダーだ。西郷は靖国神社に祀られていない。 その後の1879年に東京招魂社が明治天皇から靖国神社の称号を与えられる。そして、天皇の忠臣、功臣を祀る「別格官幣社」に格づけられる。靖国神社の他に別格官幣社となっているのは、南北朝時代の楠木正成が祭神の湊川神社(1872年創建)や各地の護国神社がある。 その前年の8178年に近衛野砲隊が反乱を起こした「竹橋事件」が起きていた。日本陸軍を形作った山縣有朋は事件に衝撃を受け、1882年に「軍人勅諭」をつくる。その内容は「死は鴻毛(鳥の羽毛)よりも軽しと覚悟せよ」などと軍人の心得を説き、天皇の軍隊への絶対服従を求めたものだ。同年には靖国神社の境内に展示施設、遊就館が開館する。山縣有朋が主唱してつくられたものだ。また1890年には「教育勅語」が発布される。 靖国神社への改称と「軍人勅諭」の制定が重なるのは偶然ではないだろう。旧日本軍が対外侵略戦争を繰り広げていく上での基盤づくりだったと言えないだろうか。 また靖国神社は、陸軍省と海軍省が所管する特殊な神社だったことを強調したい。 靖国神社に軍人が参拝することが特に尊ばれた。国民を軍国主義にひざまずかせるための、“装置”だったことの一例が、1932年(昭和7年)の「上智大学生参拝拒否事件」だ。事件は、陸軍将校に引率された上智大学の学生3人がカトリックを信仰していることを理由に靖国神社への敬礼を拒否したという。引率した将校から報告を受けた陸軍省は文部省に、上智大が国家にとって有害であるかのように通告した。配属された将校が引き揚げたことが新聞で報じられ、大学は攻撃を受ける。文部省は「敬礼は、愛国心と忠誠を表すもの」とする見解を示し、カトリック教会も靖国神社の参拝を「社会的儀礼」と容認する。ここからカトリック教会が、戦争協力に舵を切る転機となった。 靖国神社には現在、246万6000余柱の祭神がいる。その中には、「韓国併合」後に「日本人」とされた韓国の人たちが創氏改名された日本人の名前で祀られている「英霊」もある。 靖国神社の祭神が、どこでの戦闘で戦死したかを記録したものに「靖国神社忠魂史」がある。そこでは、日本の侵略に抵抗した住民たちの鎮圧を「朝鮮暴徒討伐」「台湾理蕃」と名付けている。「台湾島が我が領土となって以来、そこに棲んでいる蕃人、蕃族を、どうして治めてきたか、又これまでには、どれだけの尊い犠牲を払ってきたかを紹介しよう」(編集注・旧字や文語体を読みやすくした)と、どこまでも旧日本軍の侵略を「正義」と描いている。「理蕃」とは、「未開の地の先住民族を治めていくこと」。「朝鮮暴徒討伐」では「暴徒と化し、不逞の徒これに雷同して勢い熾烈を極めた」などと、侵略した国で、日本軍に抵抗した住民を蔑視した表現が至る箇所にある。 靖国神社は、日本の戦争が「正義の戦争」だったとする靖国史観と分かちがたい関係にある。そして「正義の戦争」と裏表一体で、日本軍が侵略した国、国民への蔑視があることを忘れてはならない。 旧日本軍の精神的支柱として侵略戦争に突き進ませた靖国神社。ここに、戦後、発足した自衛隊幹部が集団参拝することにはいくつもの問題がある。決別したはずの旧日本軍の伝統や歴史認識が自衛隊内で復活することの危惧だ。 そして、自衛隊員は入隊の宣誓で、「日本国憲法及び法令を順守」することを誓う。自衛隊法施行規則や自衛隊員倫理法などでも「国民全体の奉仕者であり、国民の一部に対してのみの奉仕者ではないことを自覚し」なければならないことを強調している。 これまで政府が否定してきた集団的自衛権の行使が第二次安倍晋三内閣で容認され、敵基地攻撃能力の保有すら認め、憲法9条がないがしろにされる中、自衛隊は誰の奉仕者なのかが真剣に問われている。(つづく)月刊「前衛」 2024年8月号 58ページ 「自衛隊と靖国神社の点と線」から一部を引用 この記事が指摘するように、靖国神社は戦前の考え方に基づいて国民を戦争に駆り立てるための「機関」であったのは事実であり、戦前の近隣諸国侵略を反省して国民主権の民主主義国家として再出発した「日本」には、今となっては全く無用な「骨董品」に過ぎません。こういうものを旧態依然として存在させておけば、訳も分からず昔の皇国史観を蒸し返そうとする輩を悪乗りさせるだけであり、憲法の平和主義に照らして靖国神社は廃止するべきです。政府が1974年に発出した「宗教的活動について」という事務次官通達は、自衛官の宗教施設に対する行動について注意事項を縷々述べており、有益な文書であるが、木原防衛大臣は「50年前のもので、古いから、新しい時代に向けて改定が必要である」かのような言い方をしている。しかし、実際にはこの通達は憲法に立脚した宗教施設への対応の仕方を説いたもので、「時代遅れ」と言われそうな要素は何もない。何かあるとすれば、将来また漢字が読めない者が総理大臣や防衛大臣になった時に備えて、全ての漢字にふりがなを付けることくらいであろうと思われます。
2024年09月04日
今から31年前に着工して26年前には竣工していたはずだった青森県六ケ所村の「使用済み核燃料再処理工場」は、直近の予定では来月竣工の予定となっていたが、どうも今回も見込み違いがあり、27回目の「延期」をすることになるらしいと、8月18日の東京新聞が報道している; 日本原燃が、使用済み核燃料再処理工場(青森県六ヶ所村)の完成目標を従来の9月末から2年半程度延期し、2026年度内とする方向で検討していることが、関係者への取材で分かった。原子力規制委員会から工事計画の認可を得るのに時間を要しており、月内にも延期を表明する見通しという。完成延期は27回目。 1993年に着工した再処理工場は、原発の使用済み燃料からウランやプルトニウムを取り出して再利用する国の核燃料サイクル政策の中核施設。97年完成の予定だったが、試運転中のトラブルが相次いだ。東京電力福島第1原発事故を踏まえた新規制基準に適合しているとして、20年7月に規制委の審査を通ったものの、耐震評価の基になる地盤モデルの作り直しが必要になるなどして完成に至っていない。 核燃サイクルを巡っては、再処理待ちの使用済み燃料を保管する中間貯蔵施設(同県むつ市)が9月にも初めて燃料を受け入れる。県・むつ市・事業者の3者は保管を「最長50年」とする協定を結んだが、燃料の搬出先と想定される再処理工場が完成していないため、永続的な貯蔵になるのではないかという懸念が出ている。2024年8月18日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「原燃再処理工場、完成2年半延期」から引用 使用済み核燃料には未反応のウランやプルトニウムが一定の割合で残っているので、一度使用した後で未反応の部分を分離収集して再度原子炉に入れて核分裂させてエネルギーを取り出せば良い、というのは「アイデア」であったが、実際にはそんな理屈を「実現」することは至難の業であり、アメリカでもフランスでも「非実用的なアイデア」とされて、実行している国はない。要するに非現実的な、空想の世界のアイデアなのである。だから、いざ実行しようとしても必ず試運転中に予期しないトラブルに見舞われて、その度に「完成延期」と言ってもう既に27回も延期して今日に至っている。もうそろそろ、「使用済み核燃料の再処理なんて、無理なのだ」という「結論」を出す時期(本当はとっくの昔に出すべきだった)なのだ。しかし、そんな結論を出すと、全国50数基の原発の使用済み核燃料の「保管番所」が無くなって、「どこへ保管するんだ」という大問題が出てくるので、今はとりあえず「六ケ所村の再処理工場が動き出せば、全国の原発の使用済み核燃料を再処理のため、一時六ケ所村の工場に移動する」と、胸を張って六ケ所村に持ち込むことができる。これが出来なくなると全国の原発が「万事休す」ことになるので、政府と日本原電は必死で「あともう少しで、再処理工場は稼働しますから」というポーズを取っているということです。しかし、こんなことをいつまでも続けるわけには行かないのですから、もうそろそろお仕舞にしないと、先々とんでもない「大事故」が待ち構えているのではないかと、大変心配です。
2024年09月03日
靖国神社の宮司や崇敬者総代に定年退職した自衛隊幹部が就任するという異常な事態について、元文科官僚の前川喜平氏は、8月18日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「終戦記念日」に岸田首相は靖国神社に玉串料を奉納した。自民党総裁としてだというが、政教分離原則に照らせば、首相の地位にいる者が行うべき行為ではない。後継総裁候補と目される小泉進次郎、小林鷹之、高市早苗らの面々は自ら参拝した。見逃せないのは木原稔防衛大臣の参拝だ。 日本国憲法の政教分離は国家神道の否定に眼目があるが、それは何より「軍教分離」でなければならない。現人神(あらひとがみ)とされた天皇を大元帥と仰ぎ、軍国主義に突き進んだ軍部が、国民を戦争に駆り立てた精神装置が靖国神社だからだ。 防衛省は自衛隊の部隊参拝を禁止しているというが、木原大臣の参拝はむしろそれを促進するだろう。自衛隊員の集団参拝は次々と明るみに出ている。靖国神社の崇敬者総代に元陸上幕僚長、宮司に元海将が就任するなど、旧軍へ回帰する危険な事態が進んでいる。 石橋湛山は1945年10月に発表した論考で、靖国神社の存続は「我が国の国際的立場に於て許さるべきや」と問い、国民にとっては「唯だ屈辱と怨恨(えんこん)との紀念として永く陰惨の跡を留むる」ことになるとして、「之れを一掃し去ることが必要であらう」と論じた。 靖国神社は国家から切り離して宗教法人にするのではなく、むしろ神道から切り離して国立の平和祈念公園か何かにすべきだったのだ。(現代教育行政研究会代表)2024年8月18日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-靖国神社廃止論」から引用 この記事が言うように、靖国神社は「現人神である天皇を守るために命を犠牲にした国民を神として崇める」という神社だったのだから、戦争に負けて侵略戦争を反省し、陸軍省・海軍省を廃止し、天皇が「自分は神ではない」と宣言したときに、靖国神社も同時に廃止するべきであったと思います。戦後80年になるというのに、今どき自衛官を退職して靖国神社の宮司に就任するなどという「事態」が始まっているからには、今からでも「靖国神社廃止に向けた議論」を始めるべきだと思います。靖国神社を廃止した暁には、現在ある社屋は解体し、神社の敷地は「戦没者祈念公園」として、立派な追悼碑を建てるのが良いと思います。それにしても、戦争に負けたその年に靖国神社廃止論を発表した石橋湛山氏は、「靖国神社の存続は国民にとって唯だ屈辱と怨恨との紀念として永く陰惨の跡を留むる」ことになるだけだから廃止するべきだと主張したとのことであるが、また確かに戦没した日本軍兵士は、勇敢に戦って戦死した兵士はごくわずかで、大部分は当時の日本政府や軍上層部の戦争指導の不手際で、食料武器弾薬を継続的に供給できなかったために飢死した兵士が5割以上もいたという「事実」は、遺族に伝えられていないせいか、はたまた、「親族がこのような立派な神社に祀られるのは名誉だ」と思い込んでいるせいか、石橋湛山氏が憂えた「屈辱と怨恨との祈念」にはなっていない点が、当時の「靖国神社廃止論」の弱点と関連しているのかなと思いました。
2024年09月02日
人気作家の百田尚樹氏は2018年頃に「日本国紀」という本を幻冬舎から出版し、たちまちベストセラーとなって今では文庫本にもなっていますが、そこに書かれている「歴史」は事実なのかという「問い」について、歴史学者で一橋大学教授の加藤圭木氏は、8月14日の毎日新聞夕刊で、次のように述べている; 79回目の8月15日を迎える。戦没者を悼むとともに、歴史と向き合う日でもある。近年、ちまたで広がるのが「日本は韓国を植民地支配していない」または「日本は良いことをした」論だ。本当なのか? 日韓の歴史に詳しい一橋大の加藤圭木教授にお願いし、ファクトチェックを含めた「特別授業」で検証してもらった。◆1時間目 「日本は植民地支配していない」論 以前、人気作家の百田尚樹氏がX(ツイッター)にこんな書き込みをしていた。 <日本が朝鮮を併合(植民地ではありません)した当時……>(2019年4月6日) 定義でいえば、植民地とは「ある国の経済的・軍事的侵略によって支配され、政治的・経済的に従属させられた地域」(明鏡国語辞典)である。 百田氏によれば「韓国併合」でこうした行為はなかったことになる。そのベストセラー「日本国紀」でも、「韓国併合は武力を用いて行われたものではない」(21年の文庫版下巻、132ページ)と強調する。 事実はどうか? 加藤さんの答えは「誤りです。そんな事実はありません」とシンプルだ。 「『韓国併合』は1910年ですが、その過程で、例えば1895年には朝鮮王朝の王妃・明成皇后(閔妃(ミンピ))の殺害事件(日本と距離を置く王妃を王宮に乱入した日本人官憲らが殺害した事件)があり、1904年には日本軍が首都・ソウルを占領し、韓国(大韓帝国)の閣僚を日本に拉致して、(日本軍の土地の強制収用などを認める)日韓議定書の調印を強制しました」 韓国から外交権を奪い、「保護国」とした第2次日韓協約(1905年)も、軍事力を背景に強制的に調印させた。 「こうした日本の振る舞いに、人々は『義兵』として立ち上がって抵抗します。日本軍はこれに激しい弾圧を加え、多数の住民が殺されました」 当時の日本軍の統計では、1910年までに約1万8000人の朝鮮人が犠牲になった。これらは一例である。 「このようにさまざまに武力弾圧を用い、『併合』を強制したのです。ちなみに『併合』は、国家を滅ぼすという実態を隠すため、この時、初めて作られた『政治造語』です」◆2時間目 「日本は良いことをした」論 「韓国併合」後、つまり日本支配下の朝鮮の実態はどうか。 前出の「日本国紀」には「全国の児童に義務教育を施し・・・・鉄道やダムを建設し、農地を増やして米の収穫量を増やした」(文庫版「日本国紀」下巻、132~133ページ、要約)とある。要は「良いことをした」論だ。 「まず教育です。基本から間違えています。朝鮮では日本本国と異なり、義務教育制が敷かれたことはありません」 「併合」後、確かに日本支配下で、朝鮮には4年制の普通学校が建てられた。 「だが義務教育ではなく、就学者は1937年になっても男子は3人に1人、女子は10人に1人程度。そもそも『併合』前でも、朝鮮では『愛国啓蒙(けいもう)運動』の高まりとともに、有力者がお金を出し、近代教育を取り入れた私立学校が盛んに作られた。『併合』当時で3000~4000校あったとみられます。ですが『併合』前後に日本が私立学校に統制を加え、廃校に追い込んで数が大きく減ってしまうのです」 要はそれまでの朝鮮人の努力を事実上、無視した形だ。 「普通学校だって朝鮮人が費用を負担して建てたケースも多く、授業料はもちろん、運営費の多くは朝鮮人から徴収した。そもそも日本が行った教育は『同化教育』で、これ自体が暴力的です」 ではインフラ面はどうか。 「確かに鉄道網や電力用ダムが整備され、企業も進出して工場が建ちました。でも、言うまでもなくこれは日本人がもうけるために造ったもので、朝鮮人のためではありません」 しかも根底には朝鮮人を軽んじる差別があった。 「日本ではあり得ない巨大なダムが造られました。なぜか。植民地朝鮮では住民への配慮は不要とみなされ、強権的に土地買収が進められたからです。都市計画などの法令も日本本国より強権性がありました」 さらに、である。 「日本では公害防止運動の高まりで企業は公害防止措置をある程度は取らざるを得ず、『工場法』には不十分ながら公害規制の規定があった。一方、朝鮮では企業利益が優先され、工場法もありませんでした。後に日本で水俣病を引き起こす『チッソ』の傘下企業『朝鮮窒素肥料』は大工場を造りますが、環境汚染を引き起こし、住民に健康被害ももたらした。日本ではできないことが朝鮮では許された。差別以外の何物でもありません」 付言すれば、日本が朝鮮の米の生産を増やしたのは事実である。だが、それは正確に言えば日本本国への移出用の米だ。なるほど生産量は1920~22年平均と30~32年平均を比べると、約240万石(1石は10斗)増えた。だが、日本への移出も439万石増えた。つまり増収分を上回る米が朝鮮から持ち出された。(岩波ブックレット「日本の植民地支配」) 「朝鮮の人々はやむなく満州(現中国東北部)から輸入された安い雑穀でしのいだ。米の増産も彼らの利益を考えたものではなかったのです」◆3時間目 「欧米の植民地支配よりマシだ」論 欧米のアフリカやアジアなどの植民地支配と日本のそれとは違う、という正当化論である。百田氏も「日本国紀」などで力説していた。 「学生にも多いんです、その考え。植民地支配は日本に限らず、欧米の多くの国が手を染めてきた。その形もさまざまですが、そこで暮らす人たちの主権や意思を無視して、従属的な立場に置いた、という意味で全て問題があるんです」 「良い侵略」も「悪い侵略」もない、ということだ。 「付け加えれば、ここまで指摘してきた植民地肯定論は、当時の大日本帝国の政治宣伝そのままです。特に目新しいものではありません」◆4時間目 歴史を学ぶ意味 「そもそも『○○ができた』『××が増えた』といううわべの現象を切り取ったところで歴史は捉えられません。そこに暴力や虐殺が伴った事実こそが問われているのですから」 近年、欧米各国はアフリカやアジアでの植民地支配の責任を問われ、国家レベルで謝罪するケースも増えてきた。加藤さんがまとめた。 「過去の非を認めても、私たちの誇りが損なわれることにはなりません。現代社会には日本軍『慰安婦』をはじめとする性差別や植民地主義の問題を含め、克服すべき多くの課題があります。その現代社会はどう成り立ってきたのか、過去と対比しながら見ていく。そして課題を克服するヒントを探る。歴史を学ぶのは、昔の日本人は悪いことをした、と言い募るためではなく、より良い未来への道筋を考える指針とするためです」【吉井理記】2024年8月14日 毎日新聞夕刊 4版 「特集ワイド-植民地支配『していない』は本当か」から引用 百田尚樹氏も小池百合子氏も、歴史の事実を否定して「そんなひどいことは無かった」ことにすれば、日本人としてプライドが傷つかずに済むと思っているのかも知れないが、そんな理由で過去の歴史を無かったことにすれば、それで今後の日本人は立派に生きていけるのかと言えば、それはとんでもない間違いで、下手をすれば同じ過ちを再び繰り返すことにもなりかねません。上の記事で加藤氏が言うように、私たちは過去の歴史に学んでより良い未来への道筋を考えるべきであり、そうしてこそ明るい未来が約束されるのだと思います。
2024年09月01日
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