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沖縄で独立論を唱える人が増えているらしい。歴史を振り返ると、独立を主張するのは当然なわけで、むしろ歴史を忘れたこれまでが不自然だった。 沖縄/琉球は17世紀から島津氏の植民地的な存在になった。中国(明/清)との交易で栄えていたことに目をつけ、侵略したのである。そのため、利益を生む仕組み、冊封関係は維持されて形式上は独立国家として存在した。沖縄/琉球が名実ともに日本の支配下に入るのは「明治王朝」が行った「琉球処分」の結果であり、これが日本の東アジア侵略の出発点になった。 第2次世界大戦で日本が敗北した段階で、独立の道を選ぶことが沖縄にとって自然の道だったが、実際は天皇とウォール街の取引材料に使われただけで終わる。平和条約/安保条約が発効すると、アメリカは沖縄を基地化しはじめ、ラテン・アメリカへの棄民も推進された。 こうした日米の支配を受け、豊かだった沖縄/琉球には貧困が蔓延していく。その象徴的な現象が売春婦の増加。竹中労によると、1960年代の後半には2、3万人に達していたという。当時、沖縄の女性人口は約50万人。しかも、ある島の商工会議所などは、遊郭をつくって賭博場をひらくという計画を立てていたようだ。 売春は貧困と深い関係があるわけだが、例えば、ボリス・エリツィン時代のロシアではクレムリンと結びついた一部の人間が不公正な取り引きで巨万の富を手にする一方、庶民は貧困化、売春婦が増大したと言われている。エリツィン時代のロシアは「新自由主義経済」を推進していたが、その先輩にあたるイギリスでも似たような現象が起こっている。 イギリスのインディペンデント紙によると、学費を稼ぐために女子学生へ「思慮深い交際」を紹介する「ビジネス」が存在している。こうした「ビジネス」は蔓延しているようだ。庶民が教育を受けようとするならば、体を売らなければならない現実がイギリスにはある。男性ならどうするか・・・。ともかく、それがマーガレット・サッチャーの残した遺産のひとつ。 昔、日本では売春の世界を「苦界」と表現していた。貧困は庶民を苦界へ突き落とすのだ。TPPが導入されれば、日本も同じような状況になる可能性がある。(スケベじじいが溢れる支配層はそれを願っているかもしれないが。) 第2次世界大戦の終盤、沖縄では凄惨な地上戦が展開された。1944年10月にアメリカ軍は沖縄に大規模な空襲を行い、翌年の3月には慶良間列島に上陸、7月に沖縄作戦の終了を宣言しているが、その後も局地的な戦闘は続いたと伝えられている。 戦闘の最中には、非戦闘員の「集団自決」もあった。それだけ日本で行われていた洗脳が徹底していたということだろうが、戦争の最終盤には「それまで、皇軍協力を叫んできた知識人・教職員が率先して米軍政に走った」(森杉多著『戦争と教育』近代文藝社)ともいう。沖縄のエリートは洗脳されていたわけでなく、単に、利己的な理由で権力者に媚びを売っていたのだ。 本ブログでは何度か書いたことだが、1923年の関東大震災を切っ掛けにして、日本はJPモルガンを中心とするアメリカ金融資本の影響下に入った。(アングロサクソンということになると、幕末からということになる。)復興資金の調達をこの巨大金融資本に頼ったことが大きい。 この日米関係のキーパーソンがジョセフ・グルーと大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后(九条節子)。このふたりは、ジョセフの妻、アリス・ペリー・グルーを介してつながっていた。1921年11月に裕仁親王(後の昭和天皇)が20歳で摂政に就任するが、影響力の点では貞明皇后の方が上だっただろう。関東大震災は摂政就任から3年後ということになる。つまり、昭和天皇は20歳代のころからJPモルガン(ウォール街)とコネクションができあがっていた。 当時、JPモルガンの総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだったが、ジョセフ・グルーはその親戚。戦後、ウォール街は日本支配を強化してくるが、その中心的な存在がジャパン・ロビーであり、彼らの活動拠点がACJ(アメリカ対日協議会)。その中心にいたのがグルーだ。その背後ではウォール街の代理人、ジョン・フォスター・ダレスが暗躍していた。 こうした経緯があるため、敗戦後、昭和(裕仁)天皇はアメリカよりもコミュニストを恐怖している。そして1947年9月、アメリカ軍の沖縄占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むという天皇のメッセージが出てくる。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫) こうした交渉を経て、1952年4月28日に「日本国との平和条約」と「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」は発効した。この日、日本が主権を回復したと安倍晋三首相は言う。 日本の支配層にとって、沖縄はアメリカへの貢ぎ物であり、そのひとつの結果が苦界。そうした状況を作り上げたという点で、日本とアメリカは同罪である。1972年5月に「施政権」がアメリカから日本へ「返還」されたというが、これは占領者間の取り引きにすぎない。「返還」の前、屋良朝苗たちが展開した「祖国復帰運動」は根本的に間違っていたのではないだろうか? すでに、沖縄はアメリカ軍にとっての重要度は低下しているが、東アジアの主要都市を結ぶ扇の要の位置に沖縄が存在している事実に変化はない。アメリカ軍が引き上げれば、東アジアにおける人や物資の移動でハブとして機能できるだろう。そうなれば、観光客も増えるはずだ。今、沖縄は本来の姿を取り戻そうとしている。
2013.04.30
シリアの反政府軍がアル・カイダと結びついていることは、2年前に戦闘が始まった直後から指摘されていた。ここにきて「西側」のメディア、ニューヨーク・タイムズ紙も反政府軍に「非宗教勢力は見当たらない」と認めざるをえなくなったようだ。スンニ派の狂信的な宗教勢力が反政府軍の実態だと言うことであり、サウジアラビアやカタールに雇われた傭兵だということ。アル・カイダと重なる。 昨年5月、ホムスのホウラ地区で虐殺があった際、反政府軍や「西側」は政府軍が実行したと宣伝したが、事実との間に矛盾点が多く、すぐに嘘だとばれてしまう。そのホウラを調査した東方カトリックの修道院長も反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社が伝えた。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えた。 ちなみに、サラフ主義(サラフィーヤ)とはサラフ(イスラム初期の時代)を理想として掲げるイスラム改革運動で、その中にサウジアラビアの国教、ワッハーブ主義も含まれている。 その修道院長によると、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っていた。また、現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判している。つまり、「西側」のメディアは嘘をついているということ。 最近、イギリス、フランス、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)が直接的な軍事介入を叫び始めた理由は、「サラフィ主義者や外国人傭兵」がシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒せないことに焦りを感じているからにほかならない。シリア人から見れば2年にわたる戦闘は軍事侵攻にほかならず、同調する人が少ないのだろう。 この軍事侵攻を「民主化」と表現し、「人権」を守ると主張してきたのが「西側」のメディアや自称「左翼」。最初にこうしたシナリオを主張したため、修正できなくなっている人もいるようだ。傍から見ていると哀れなのだが、本人たちはその醜態に気づいていないのか、厚顔無恥なのか。「化学兵器」についても「西側」や反政府軍の宣伝を真に受けているのか、宣伝に協力している。イラクへ軍事侵攻する前、米英が嘘八百を並べたことを忘れてしまった(ふりをしている)ようだ。 狂信的な宗教勢力が台頭してくることを「西側」が予想していなかったとは言えない。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはジョージ・W・ブッシュ政権時代の2007年に発表した記事で、シリアやイランをターゲットにしたアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの秘密工作について書いている。しかも、その手先としてスンニ派の武装グループ(アル・カイダも含まれる)を使うとしていた。現在の状況は、予定通りということだ。欧米の支配層とアル・カイダが対立しているとは言えない。 アル・カイダの歴史は、1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密プロジェクトから始まる。ブレジンスキーはCIA人脈に属すと言われている人物だが、そのブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーに目をつけられ、大統領に選ばれたのがジミー・カーター。カーター政権でブレジンスキーは大統領補佐官に就任するが、恐らく、実際の力関係はブレジンスキーが上。(カーター大統領はイスラエル/イスラエル・ロビーからは嫌われていた。) その当時、アメリカはイスラエルと同様、王制のイランと同盟関係を結んでいた。そのイランの情報機関だったSAVAKの協力を得て、1978年にCIAはアフガニスタンのモハメド・ダウド政権を支配下に置き、左派と見なされた人を粛清していく。 そうした強権政治への反撃で成立したのがモハメド・タラキ政権。今度は、この政権に対する反撃で治安は悪化し、旧体制の指導者たち約2万7000名が処刑されたと言われている。 そして1979年4月、ブレジンスキーが主導する形で反タラキのゲリラ戦を計画する。5月にはCIAイスタンブール支局長がパキスタンの情報機関ISIのアドバイスでアフガニスタンのリーダーたちと会談、指導者として選ばれたのが麻薬業者のグルブディン・ヘクマチアルだ。 この後、CIAはイスラム武装勢力を組織、訓練、武器/兵器を提供するようになる。そうした武装勢力の中からアル・カイダも生まれた。ソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのは1979年12月。「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と後にブレジンスキーは答えている。アフガニスタンでの工作にはサウジアラビアも参加していた。 いわば、アメリカの支配層とアル・カイダは親子関係。リビアやシリアでの体制転覆工作で、この関係は今でも壊れていないことが確認された。
2013.04.29
ボストン・マラソンのゴールライン近くで引き起こされた爆破事件の容疑者とされているのはタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟だが、その母親、ズベイダ・ツァルナエバは一貫して息子たちは無実だと叫んでいる。 この叫びは無駄になっていない。彼女の証言によって、事前にロシア政府からFBIへ兄弟についての警告があったことも判明した。自らの利益を度外に置く人は権力者でもコントロールが難しい。ズベイダもそうした種類の人間かもしれない。 それに対し、兄弟のオジにあたるルスラン・ツァルニは爆破事件の真犯人だという前提で話をしている。アルメニア人の「ミーシャ」なる人物が兄弟を洗脳し、イスラムに改宗させたというのだ。タメルランの義理の兄弟だったエルミルザ・ホズゴフも同じ話をしているのだが、「ミーシャ」が何者かは不明。しかも、アルメニアはキリスト教社会。イスラム教徒はきわめて珍しい存在で、この証言に首を傾げる人も少なくない。 この「ミーシャ」よりも興味深い人物はルスラン自身だ。1992年から2年の間、CIAがしばしば隠れ蓑に使うUSAID(米国国際開発庁)の「顧問」としてカザフスタンで働いている。日本の核ビジネスが関係を深めている国としても有名だ。 このカザフスタンでルスランは2005年4月に石油会社で役員になる。前にも書いたことだが、この会社を経営していたS.A.セフスバログルはハリーバートンの経営者だった。リチャード・チェイニーが2000年までCEOを務めていた、あのハリーバートンだ。 しかも、フロリダ州を拠点に活動しているジャーナリストのダニエル・ホップスティッカーによると、ルスランが結婚した相手はCIAの幹部だったグラハム・フラーの娘、サマンサ。その後、ふたりは離婚している。 CIA時代、フラーはトルコ、レバノン、サウジアラビア、イエメン、アフガニスタン、香港を担当し、1982年には近東・南アジア担当の国家情報オフィサーとなり、1986年には国家情報会議の副議長に就任した。1988年に国防総省系のシンクタンク、RANDコーポレーションへ移っている。 前にも書いたが、タメルランは2012年の夏にコーカサス地方の若者を対象としたワークショップ/セミナーに参加している。主催したNGOのコーカサス基金はCIA系のジェームズタウン基金と協力関係にある。ジェームスタウン基金は1984年にソ連の反体制派を支援するために創設されたが、その際にウィリアム・ケイシーCIA長官が支援している。 ツァルアエバ母子の周辺にはCIAのネットワークが存在、しかもFBIの監視下にあった。そうした環境の中にいたツァルナエフ兄弟が爆破事件を起こせばCIAやFBIの存在が浮上してくるのは当然。ズベイダ・ツァルナエバの言うように兄弟が無実なら、実際に爆破事件を引き起こした人物/組織にとってふたりは恰好の「防御装置」になり、アメリカ政府を揺さぶることができると言える。
2013.04.28
4月15日に開催されたボストン・マラソンのゴール・ライン近くで爆発があり、3名が死亡し、百数十名が負傷したわけだが、その直前、現場近くは通常の大会と違う雰囲気があった。 本ブログでは何度か書いたことだが、ゴール・ラインの近くに複数の爆発物探知犬がいたほか、黒いバックパックを背負い、キャップを被った複数の人間が目撃されている。後に、黒いバックパックの一団は州兵だったことが明らかにされた。「訓練なので心配しないように」というアナウンスが流れていたともいう。 爆破は午後2時49分だったのだが、その2時間前、午後12時53分にボストン・グローブ紙はTwitterに興味深い情報を流している。1分以内に「図書館の逆サイド」で訓練のために制御された爆破があると予告していたのだ。死傷者の出た爆破もボストン公共図書館の向かい側で起こっている。 2001年9月11日に航空機がニューヨークの世界貿易センターにそびえていた超高層ビルに突入、国防総省の本部庁舎が攻撃されているが、この時もNRO(国家偵察局)などが軍事演習を実施していたことを思い出す。その年の5月から6月にかけてNORADが行った演習は、巡航ミサイルでアメリカの東海岸が攻撃されるという想定だった。このほか、複数の演習が実施され、当日の混乱につながったとも言われている。 今回の事件ではイスラエル警察のトップ、ヨハナン・ダニノも捜査に協力しているようだが、どのような成果があったかは不明。メディアは予想通り、FBIやCIAの「無能」を宣伝しているが、このシナリオには疑問がある。 例えば、前にも書いたように、容疑者兄弟、タメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフのオジにあたるルスラン・ツァルナエフにCIAの影がつきまとっている。この人物は、1992年から2年間、USAID(米国国際開発庁)の「顧問」としてカザフスタンで働き、2005年4月にはカザフスタンの石油会社で役員になったようだ。 USAIDはCIAが隠れ蓑に使う組織で、カザフスタンの会社を経営していたS.A.セフスバログルはハリーバートンの経営者だった。リチャード・チェイニーがCEO(最高経営責任者)を務めていた会社で、情報機関とも関係が深い。ルスランとセフスバログルは旧知の間柄だった。 それだけでなく、ロシアのイズベスチア紙によると、容疑者のうち兄のタメルラン・ツァルナエフは2012年の1月から7月にかけてロシアに滞在、この年の夏に行われたワークショップ/セミナーに参加している。主催したのはNGOのコーカサス基金で、ジェームズタウン基金というワシントンDCを拠点とする団体と協力関係にある。 ジェームズタウン基金は1984年、ウィリアム・ケーシーCIA長官の支援を受けて創設された組織で、2010年からズビグネフ・ブレジンスキーも理事として名を連ねている。ブレジンスキーとCIAとの関係も有名だ。つまり、タメルランはCIAに雇われていた可能性がある。ロシア政府がこの情報をFBIに伝えたならば、FBIが捜査に動くことは難しいだろう。CIAのエージェントとして反ロシア勢力に接近していたなら、その部分だけを知らせていたかもしれない。 実は、実際にツァルナエフ兄弟が本物の爆弾を仕掛けたという証拠は明らかにされていない。FBIとCIAを巻き込むため、本当の実行者(組織)がこの兄弟を選んだ可能性もあるということだ。例えば、アメリカ軍をシリアに軍事侵攻させたい勢力にしてみれば、バラク・オバマ政権を揺さぶることができる。 サウジアラビアやカタールは論外として、イギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカのネオコン(親イスラエル派)は証拠を示すことなく、シリア政府が化学兵器を使ったと宣伝してきたが、アメリカ政府は化学兵器の使用に否定的な見解を示していた。が、ボストン・マラソンの爆破事件後、発言のニュアンスが変化している。 現在、国連の調査団はキプロスで待機しているようで、スウェーデン人のアケ・セルストロームをはじめ、北欧、ラテン・アメリカ、アジアの国々からメンバーは集められたという。ただ、WikiLeaksのケースを見てもわかるように、スウェーデン政府はアメリカ政府の影響下にある。 化学兵器の使用について最初に調査を国連へ求めたのはシリア政府だったのだが、現在は反シリア政府側の要求に従って調査するようで、イラク攻撃前のデジャブだと言われている。軍事侵攻の準備のため、重要な場所を事前に調べようとしているという疑念を持っているかもしれない。そこでシリア政府はロシアや中国の専門家を調査団に加えるように主張している。
2013.04.27
4月28日、「昭和節」の前日に政府は「主権回復の日」式典を開催するらしい。「日本国との平和条約」の発効したのが1952年4月28日だったので、それを記念するのだという。 この条約は1951年9月8日、アメリカとイギリスが主導する形でサンフランシスコのオペラハウスにおいて調印された。日本の全権団は首相兼外相の吉田茂をはじめ、大蔵大臣の池田勇人、衆議院議員の苫米地義三、星島二郎、参議院議員の徳川宗敬、そして日銀総裁の一万田尚登。条約に調印したのは日本を含めて49カ国。その中には中国(中華人民共和国/中華民国)、ソ連、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、インド、ビルマ(現在のミャンマー)は含まれていない。朝鮮半島の国の名前もなかった。 本来なら、日本を占領していたアメリカはこの条約によって軍隊を引き上げねばならなかったのだが、現在も居座っている。連合軍の占領は終わるが、同時にアメリカ軍の占領が始まったというわけだ。 言うまでもなく、アメリカ軍の日本占領は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」に基づいている。この条約も1951年9月8日に調印され、翌年の4月28日に発効している。調印の場所はアメリカの第6兵団が使っていたプレシディオ。その1週間前、同じ建物でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国が「ANZUS条約」に調印している。日本側で調印式に参加したのは吉田首相ひとりだった。 平和条約と安保条約が調印される前年の4月、昭和(裕仁)天皇がダグラス・マッカーサーと会った1週間後に池田勇人蔵相は、秘書官だった宮沢喜一をともなって訪米、アメリカ軍を駐留させるために「日本側からそれをオファするような持ち出し方を研究」してもかまわないというメッセージを伝えている。 ところが、その3カ月後に吉田首相は参議院の外務委員会で、アメリカに「軍事基地は貸したくないと考えております」と発言している。嘘を言ったのか、吉田の与り知らない場所で基地の提供が決められたのか・・・。 1951年1月にはジョン・フォスター・ダレスが率いる講和使節団が来日、アメリカが「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を求め、2月にダレスは天皇側の要請で天皇と会った。その会談でダレスは天皇に対し、「日本側の要請に基づいて米軍が日本とその周辺に駐留すること」について説明、天皇は「衷心からの同意」を表明している。そして1951年9月8日を迎えた。 1952年4月28日に平和条約/安保条約が発効すると、アメリカは沖縄を基地化しはじめ、1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になったという。このとき、ラテン・アメリカへの棄民も実行されたが、アメリカ軍から「トラブル・メーカー」だと見なされた人を追放する手段にも使われたと言われている。 土地の略奪やラテン・アメリカへの棄民をアメリカ軍が続けていた1955年から57年にかけて、興味深い人物が琉球民政長官を務めている。ライマン・レムニッツァーだ。後に統合参謀本部議長に就任、キューバへアメリカ軍を軍事侵攻させるために「ノースウッズ作戦」という偽装テロのプランを立てた人物。その時代、1956年10月に比嘉秀平琉球主席が55歳の若さで急死している。 沖縄は日本の「人身御供」になった。昭和天皇がアメリカの支配層へ沖縄を捧げたのである。 沖縄が日本領になるのは、「明治王朝」になってから。この新王朝は1871年7月に廃藩置県を実施、全国を中央政府が支配するシステムを導入する。これで「藩」は廃止されたはずなのだが、1872年に琉球藩を設置、79年に沖縄県を作った。いわゆる「琉球処分」である。琉球は17世紀から島津氏の植民地的な存在になっていたが、形式上は独立国家で、中国(明/清)との冊封関係は維持されていた。 廃藩置県の後に藩を作るという不自然なことを明治政府が行う発端になる事件が1871年10月に起こっている。宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、そのうち何人かが殺されたのである。この事件を理由にして台湾へ軍隊を派遣しようということになり、そのために宮古島の漁民を日本人にする必要があった。1874年に明治政府は台湾へ派兵する。 1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させ、94年には「邦人保護」を名目にして軍を派遣、日清戦争へとつながる。日本の東アジア侵略は琉球処分から始まっている。ちなみに、福沢諭吉が『脱亜論』を発表したのは1885年のこと。日本の東アジア侵略が開始されて10年以上が経過していた。 現在の安倍晋三政権だけでなく、菅直人政権や野田佳彦政権も日本をアメリカの巨大資本に捧げようとしてきた。彼らが推進しているTPPは「自由な企業活動」を実現するために参加国の政府、議会、裁判所の手足を縛り、企業活動や金融システムに対する規制、食糧の安全、環境汚染の防止、労働者の権利保護、社会保障制度などを各国の政府や議会が決定することを困難にする。インターネットの監視、規制も同時に進んでいる。 そうした主権放棄政策を推進している安倍政権が「主権回復の日」なるイベントを企画した。悪いジョークとしか言いようがない。
2013.04.27
シリアの体制転覆を目指す勢力にとって、「化学兵器」は直接的な軍事介入を決断したことを示す表現。サウジアラビアやカタールは半ば公然と傭兵を雇い、武器を提供、リビアに続いてシリアの体制を倒す意志を示してきたが、イギリス、フランス、アメリカ、イスラエルは間接的な、あるいは秘密裏の支援。この状況を変えるため、シリア政府が化学兵器を使ったと主張し、自らの手でバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしている。 アメリカ政府の内部にはシリアを攻撃したいと考える人もいるようで、昨年の早い段階から「匿名のアメリカ政府高官」からシリア政府が化学兵器を使うという話が流れていた。 ただ、アメリカ政府としてはシリア政府が致死性の化学兵器を使ったという情報に否定的だったのだが、ここにきてニュアンスが変化している。確かな証拠が必要だという前提ながら、シリア政府が少量のサリンを使った可能性があるとホワイトハウスはジョン・マケイン上院議員とカール・レビン上院議員に解答したのだ。 ロシア政府の許可を受けずにシリア政府が化学兵器を使うとは思えず、ロシア政府が許可するとも思えない。現時点で誰かが化学兵器を使ったとするならば、反政府軍の可能性が高いのだが、そうしたことは話題にならない。 しかし、アメリカの政府や上院議員だけでなく、イギリス、フランス、イスラエル、サウジアラビア、カタール、いずれも反シリア政府軍が化学兵器を使用したかどうかには興味を示していない。NATOと湾岸産油国がアル・カイダを使ってリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒した後、武装勢力が化学兵器を持ち出したとする情報がある。 化学兵器の使用自体を懸念しているならば、反政府軍が化学兵器を保有しているかどうかは大きな問題なのだが、アサド体制の転覆を目指す勢力にとってはどうでも良い話。アサド政権が実際に化学兵器をつかったかどうかにも興味はないようにしか見えない。 NATOや湾岸産油国がシリア攻撃を決断したとしても、まだ大きな障害がある。ロシアの存在だ。ロシアが反対している限り、全面核戦争を決断しない限り、軍事侵攻には踏み切れない。 今年1月、イスラエル軍はロシアの姿勢を試すような攻撃を実施した。4機の戦闘機でシリアの首都ダマスカスを空爆したのだが、このときはロシア軍がすぐに反応、ミグ31戦闘機をシナイ半島からイスラエルへ向けて飛行させ、イスラエルを威圧している。イスラエルとしては、アメリカを引き入れないとシリア、そしてイランを攻撃することは困難だと認識したことだろう。 そのロシアもシリアの戦況が悪くなると見通しているようで、最近もCIS(独立国家共同体)の人びと104名をIL-62旅客機でモスクワへ運んだ。ロシア政府がどこまでNATOの直接的な軍事介入に反対するかが注目されている。 モスクワへの輸送が行われる少し前、米国マサチューセッツ州ボストンで爆破事件が引き起こされた。FBIがロシアからの警告を無視、容疑者の周辺にCIAのネットワークがあることは本ブログですでに書いたが、この事件とシリア情勢との間に関係があるのではないかと考える人もいる。 ネオコンや米英の情報機関はコーカサス地方に反ロシア武装勢力を組織、破壊活動を続けさせてきたのだ。この武装勢力は「自由の戦士」と見なされてきたが、ボストンの事件ではチェチェンの反ロシア勢力と「テロリスト」が結びつけられる可能性がある。その武装集団への支援をアメリカが休止、あるいは中止するかわりに、シリアでNATOの軍事介入を黙認するという裏取り引きがあったのではないかという推測がある。 勿論、これは推測にすぎない。ロシアの内務省はボストンの事件の容疑者で射殺されたタメルラン・ツァルナエフがCIAと結びついている団体のワークショップに参加していたことを明らかにしているわけで、「コーカサスのテロリスト」がアメリカとロシアを攻撃したというシナリオにはならない。せいぜい「ブローバック」。 また、ウラジミール・プーチン大統領はボストンの事件に関し、「ロシアも国際テロリズムの犠牲者だ」としたうえで、その「テロリスト」は情報、資金、政治的支援を受けていると語っている。コーカサスだけでなくシリアの状況を語っているようにも聞こえる。そうなると、反シリア政府軍に対するNATOや湾岸産油国の支援を批判しているということになる。 実際に舞台裏で何が起こっているかは不明だが、ボストンの事件がコーカサスやシリアの状況に影響を与える可能性は否定できない。しばらくの間、シリアの状況は注意深く見ている必要があるだろう。
2013.04.26
ボストン・マラソンのゴールライン近くで爆発があってから10日になる。事前にロシアの当局からFBIに対してタメルラン・ツァルナエフに関する警告があったことはアメリカ側も認めているが、容疑者兄弟、タメルランとジョハルの母親は、3年から5年の間、FBIが彼女にも接触していたと語っている。つまり親子は監視下にあったということ。にもかかわらずFBIが手を出せなかった理由は何なのか? こうした問題が起こると、判で押したように当局の「無能」が理由にされる。優越感をくすぐられるのか、「左翼」を自称する人びともそれで満足し、「一件落着」になるのだが、多くの場合は表にできない事情が隠されている。今回の場合、FBIも手を出せない組織が関係していると考えるのが自然だ。 フロリダ州を拠点に活動しているジャーナリストのダニエル・ホップスティッカーが注目したのは容疑者兄弟のおじ、ルスラン・ツァルナエフ。イギリスのアンドリュー王子が住んでいた邸宅の売買に絡むマネー・ロンダリングで名前が出た人物だが、1992年から2年間、USAID(米国国際開発庁)の「顧問」としてカザフスタンで働いていることが重要な意味を持つとホップスティッカーは考えている。この当時、ツァルナエフはカザフスタンの近く、ダゲスタンで生活していた。蛇足ながらつけ加えると、USAIDはCIAが隠れ蓑にしばしば使う機関で、昨年、ロシアから追い出されている。 ホップスティッカーによると、ルスランは2005年4月、カザフスタンの石油会社で役員になっている。この会社を経営していたS.A.セフスバログルは、ハリーバートンの経営者だった。言うまでもなく、ハリーバートンはイラクへの軍事侵攻で大儲けした会社であり、リチャード・チェイニーが2000年までCEO(最高経営責任者)を務めていた。ルスランとセフスバログルは旧知の間柄だったという。 容疑者の家族は10年ほど前にアメリカへ移り住んだのが、父親はダゲスタンに残っている。詳細は不明だが、おじが母子の面倒を見ていた可能性がある。 ロシアのイズベスチア紙によると、タメルランは2012年の1月から7月にかけてロシアに滞在、この年の夏に行われたワークショップ/セミナーに参加している。対象はコーカサス地方に住む若者で、主催したのはNGOのコーカサス基金。この団体はジェームズタウン基金というワシントンDCを拠点とする団体と協力関係にある。 ジェームズタウン基金は1984年に創設されたが、その際にウィリアム・ケーシーCIA長官が支援、2010年からズビグネフ・ブレジンスキーも理事として名を連ねている。活動のターゲットは中国、ユーラシア、ロシア、そしてグローバル・テロリズムなのだという。またコーカサス基金は2008年、グルジアが南オセチアを奇襲攻撃してから3カ月後に誕生した。 グルジアのミヘイル・サーカシビリ大統領がチェチェンの反ロシア勢力を支援してきたことは本ブログでも触れた通り。サーカシビリが実権を握った「バラ革命」の黒幕と言われているのがグルジア駐在のアメリカ大使だったリチャード・マイルズで、サーカシビリ政権にはふたりのイスラエル系閣僚がいたこともすでに書いた。 MI6やCIA、あるいはネオコン(アメリカの親イスラエル派)のACPC(チェチェンの平和のためのアメリカ委員会)がチェチェンの反ロシア勢力を支援していることも知られている。故ボリス・ベレゾフスキーもチェチェンの反ロシア勢力と結びついていた。 イズベスチアの情報源はロシアの内務省らしいが、こうした情報を流した背景はここに示されている。アメリカ、イギリス、イスラエルがロシアに対して仕掛けてきた破壊プロジェクトに対する怒りだ。CIAは自分たちの手駒がアメリカに牙を剥くと思っていなかったのか、今回の爆破も彼らの計画に含まれていたのか・・・いずれにしろ、FBIは動けなかったのだろう。
2013.04.25
イギリスやフランスに続き、イスラエルもシリア政府軍が化学兵器を使っていると宣伝しはじめた。勿論、アメリカを直接的な軍事侵攻に引きずり込むことが目的だ。アメリカではネオコンが軍事介入に積極的な姿勢を見せているが、バラク・オバマ政権は消極的。致死性の化学兵器が使われたとする話にも懐疑的な見解を表明している。それに対し、バシャール・アル・アサド政権は反政府軍が化学兵器を使用したと主張、国連に迅速で公正な調査を求めてきた。 イスラエル軍の情報調査分析部門を統括しているイタイ・ブルン准将によると、彼らはシリア政府がサリンを使用した可能性があると評価したという。写真を見た印象という程度の話なのだが、化学兵器とシリア政府とを結びつけ、直接的な軍事介入に結びつけたいということである。 リビアでもそうだったが、民主化を求める人民の声を政府が暴力的に弾圧し、多くの死傷者が出ているというストーリーを「西側」のメディアは宣伝する。多くの人がこうした「報道」を真に受けたようだが、実態は違った。イギリス、フランス、アメリカ、トルコのNATO加盟国、サウジアラビアやカタールという湾岸の産油国、そしてイスラエルが傭兵を使い、訓練し、武器を提供するなどして体制転覆を仕掛けていたのである。 こうした背景はリビアで戦闘が続いている間に知られ始めたが、カダフィ体制が倒れた後にベンガジでアル・カイダの旗が掲げられると隠しようがなくなった。YouTubeで映像が流れただけでなく、「西側」のメディアも報道している。(もっとも、見て見ぬ振りをする会社も多いが。)この後、リビアからシリアへ戦闘員や武器/兵器が移動した。 シリアでも「民主化」や「人権」という用語が飛び交う。その象徴的な存在がダニー・デイエム。シリア系イギリス人の「活動家」で、外国勢力の介入を求める発言を続けていた。「西側」では英雄扱いされていたが、その実態を明らかにする映像がインターネット上に流れて「偶像」は崩壊する。その映像には、ダニーや仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子も含まれていたのだ。 このダニーはホムスでもシリア軍の「残虐行為」を非難、アメリカや国連に軍事介入するよう求めているのだが、2012年5月にはそのホムスのホウラ地区で虐殺があった。「西側」の主要メディアは反政府軍の宣伝を垂れ流していたが、「証言」が映像が示す状況と違うことが明らかになり、軍事介入を望む勢力も主張が変化していく。つまり、信頼できないことが明らかになった。 ロシアのジャーナリストは早い段階から反政府軍による犯行だと伝えていたが、それだけでなく、現地を調べた東方カトリックの修道院長も反政府軍のサラフィ主義者や外国人傭兵が実行したと報告している。さらに、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙がキリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えた。 その後、反シリア政府軍の主力がアル・カイダだということは広く知られるようになるが、それでもイギリス政府の別働隊とも言われる「人権団体」の話を垂れ流すマスコミも少なくない。彼らは恐らく確信犯。事実を追求しようなどという気は更々なく、プロパガンダに徹しているのだろう。 リビアが狙われた最大の理由は、カダフィがアフリカを欧米の軛から解放し、自立させようとしていたことにある。地中海の東で発見された天然ガスや石油は、エジプトからギリシャまでの地域に対する欧米やイスラエルの欲望を刺激しただろう。 シリアの沖にもそうした資源は眠っていると見られているが、そこからイラク、イラン、パキスタンを経由して中国へパイプラインがつながることを欧米は嫌うはず。アフリカにも中国は食い込んでいた。 東アジアに目を向けると、今年3月から2カ月にわたって米韓両軍は合同軍事演習を実施している。B52爆撃機が朝鮮半島の上空を飛行、ステルス爆撃機のB2は模擬弾頭を投下、ステルス戦闘機のF22も投入された。朝鮮を威嚇しているとアメリカのメディアも見ている。 朝鮮戦争では、人口の2割とも3割とも言われる朝鮮の国民が空爆で殺された。その記憶を朝鮮側に呼び起こさせることが爆撃機を飛行させる目的だという。直接的には朝鮮政府を挑発する内容だが、この演習も中国を意識しているだろう。
2013.04.24
麻生太郎副総理をはじめ、168名の国会議員が4月23日に靖国神社を参拝、安倍晋三首相は「真榊」を奉納したという。議員の内訳を政党別に見ると、自民党132名、民主党5名、日本維新の会25名、みんなの党3名、生活の党1名、無所属2名。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なる集まりのメンバーだという。この参拝に中国や韓国は反発し、韓国の尹炳世外相は訪日を取りやめた。 中国や韓国が反発する理由は靖国神社の歴史にある。明治(睦仁)天皇の「安国の聖旨」に基づき、「東京招魂社」が創建されたのが1869年。現在の名称へ変更になったのは1879年のことだ。神社に祭られているのは、「明治王朝」を樹立した戊辰戦争で功があったとされる人びと、あるいはその後の戦争で死亡した軍人や軍属であり、琉球処分から台湾への派兵、朝鮮半島や中国への侵略を象徴する存在だと日本の周辺国では一般に見なされている。 連合国が何を日本の侵略行為と見ているかは、カイロ宣言で触れられている。中国、アメリカ、イギリスの首脳、つまり蒋介石、フランクリン・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルが定めたカイロ宣言には、「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲、台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」と書かれている。 蛇足ながらつけ加えると、この宣言についてポツダム宣言は「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と明記している。ポツダム宣言を受け入れた以上、日本はカイロ宣言も受け入れなければならず、本州、北海道、九州、四国以外の領土は連合国が決めるということだ。 そして、1946年1月に出された連合軍最高司令部訓令によると、その小島とは「対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」で、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹等を除く」とされている。 日本の支配層がこうした宣言を無視するかのような発言を繰り返すのは、1945年4月にアメリカ支配層の方針が反ファシストから反コミュニストへ大きく変化したことによるのだろう。ヤルタ会談やカイロ宣言を主導したルーズベルトが執務中に急死したことが最大の原因だ。 1941年1月からルーズベルト政権の副大統領を務めていたのはヘンリー・ウォーレスだが、この人物はニューディール派で、反ファシスト。民主党の「保守派」からは嫌われていた。そこで1944年の大統領選挙で副大統領候補は反コミュニストのハリー・トルーマンへ交替になる。ウォーレスはルーズベルトが急死する3カ月前に商務長官へ「左遷」され、そのポストも1946年9月に追われた。 ルーズベルトの死によってウォール街がホワイトハウスで再び主導権を握る。その象徴的な人物がジョン・フォスター・ダレス。アメリカで権力構造に変化が生じた影響は日本にも及び、日本が降服した後、1923年から1932年までの日米関係に戻す作業が始まる。その中心にいたのがジョン・フォスター・ダレスと昭和(裕仁)天皇。 1923年とは、関東大震災が起こった年。日本は復興資金の調達をJPモルガンに頼り、それを切っ掛けにして、この巨大金融機関の影響下に入った。ダレスはウォール街の弁護士、つまり代理人。JPモルガンなどが日本へ投入した資金を回収する必要があり、そのため、戦争中から「過度の破壊」には反対していたようだ。 ダレスと天皇、ふたりの下にはウォール街の大物が顔を揃えるジャパン・ロビーが存在し、その実務部隊が「ACJ(アメリカ対日協議会)」。この団体の中心にいたのは、元駐日大使でジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの親戚、ジョセフ・グルーだ。 ダレスたちは「天皇制官僚システム」の存続を願った。その象徴が靖国神社。GHQ/SCAPの内部では靖国神社の焼却を主張する将校が多数派だったのだが、これに反対の意見をダグラス・マッカーサーに述べたのがふたりのカトリック聖職者。つまり、上智大学で学長を務めていたブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール宣教会のパトリック・バーン。ちなみに、麻生はカトリックの信者だという。 ビッターはニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だと言われているが、スペルマンは筋金入りの反コミュニストでCIAとつながり、アメリカが秘密工作に使う資金についても詳しく知る立場にあった。 その後、イタリアや東ヨーロッパで実施された秘密工作の資金源は「ナチ・ゴールド(大戦中、ナチが略奪した金塊)」だと言われているが、送金などを請け負っていたのはバチカン銀行だった。 1952年のアメリカ大統領選挙でドワイト・アイゼンハワーが当選するが、副大統領は39歳のリチャード・ニクソン。この人選は、ニクソンが「闇資金」を動かしていたからだと言われているが、その資金は日本で作られていたとする情報がある。 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、1953年秋に来日したニクソンはバンク・オブ・アメリカ東京支店のA・ムーア副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」という。その際、戦争中に日本軍が大陸で略奪した財宝を原資とする秘密資金の運用について話し合われたと言われている。その会談に出席していた第3の男がビッター。 会談の2カ月後、ビッターは霊友会の闇ドル事件で逮捕される。同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だった。この件の金額は大きくないが、その背後では巨額の闇ドルが動いていた。この件に絡んで押収された書類はふたりのアメリカ人が警視庁から持ち去り、捜査は打ち切りになっている。
2013.04.23
4月15日に米国マサチューセッツ州ボストンで爆弾が炸裂して3名が死亡、百数十名が負傷した。この事件の容疑者だとされているタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟のうち、兄のタメルランは射殺され、弟のジョハルは重傷で証言できる状態ではないという。 爆発はマラソン大会のゴール・ラインの近くであったのだが、レース前、その近辺には黒いバックパックを背負い、キャップを被った人びとがいた。警備/傭兵会社の人間だと見られていたのだが、実際は州兵だったようだ。その近くに爆発物探知犬がいたとするモビール大学でクロス・カントリーのコーチ、アリ・スティーブンソンの証言と考え合わせると、事前に爆破計画に関する何らかの情報を警備当局は入手していた可能性がある。 実は、容疑者のひとり、タメルラン・ツァルナエフをFBIは遅くとも2年前に事情聴取している。「イスラム過激派」を支持している疑いがあると外国政府(ロシア)から警告されてのことだ。この年、タメルランはダゲスタンに滞在、その際にチェチェンも訪れて武装勢力の幹部、アミル・アブ・ドゥジャナ(別名、ガジムラド・ドルガトフ)に会ったとも推測されている。昨年1月から7月にかけてロシアを訪れたともいう。 こうした背景がある以上、FBIが1度の事情聴取で終わらせるはずはない。何しろ、アメリカの捜査機関は、戦争や環境汚染に反対している人びとを「テロリスト」だとして監視、捜査の対象にしているほどだ。容疑者兄弟の母親によると、FBIは3年から5年前から兄のタメルランを監視、彼を「過激派」のリーダーだとしていたという。しかも、爆破事件から射殺されるまでの間に兄はFBIから電話を受けていると容疑者の家族は主張している。勿論、その間、ふたりは逃げようとしていない。 チェチェン系の兄弟が容疑者になって以来、チェチェン=イスラム=「テロリスト」だという話が流れている。ネオコン(親イスラエル派)系の上院議員、リンゼイ・グラハムやジョン・マケインは兄弟をジョージ・W・ブッシュ政権のように「敵戦闘員」と呼んでいるが、つまり公開の場で証言させたくないということだろう。 米英の情報機関、つまりMI6やCIAはロシアを揺さぶるためにチェチェンの反ロシア武装勢力を支援、同じように、ネオコンはACPC(チェチェンの平和のためのアメリカ委員会)などの団体を通して支援してきた。こうした事情がジョハルの口から飛び出すことを懸念しているはずだ。 先日、ロンドンで死亡したボリス・ベレゾフスキーもチェチェンの武装勢力と結びついている。彼はボリス・エリツィン時代のロシアで巨万の富を築いた人物だが、チェチェン・マフィアを暴力的な背景にしていた。そのグループは反ロシア勢力ともつながっている。 反ロシア勢力をグルジアのミヘイル・サーカシビリ大統領も支援してきた。彼は2003年の「バラ革命」で実権を握ったのだが、その黒幕と言われているのがグルジア駐在のアメリカ大使だったリチャード・マイルズ。ベルグラード駐在大使としてユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチを倒した後、2003年にグルジアへ移動している。 2008年8月にグルジア軍はサーカシビリ大統領の命令で南オセチアを奇襲攻撃した。そのグルジア軍を訓練してきたのがアメリカとイスラエルの傭兵会社。イスラエルの会社、「防衛の盾」は2001年から予備役の将校2名と数百名の元兵士を教官としてグルジアへ送り込んだほか、無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどの武器/兵器を提供している。 サーカシビリ政権にはふたりのイスラエル系閣僚がいた。ダビト・ケゼラシビリ国防大臣(2006年から2008年)とテムル・ヤコバシビリ再統合大臣(2008年から2010年。その後、駐米大使)。ともにヘブライ語を操ることができる。それだけグルジアはイスラエルとの関係が深いということであり、サーカシビリの言動はイスラエルの影響を受けているということだ。 南オセチアへの奇襲攻撃はイスラエル軍の作戦に基づくとロシア側は主張しているが、ロシア軍の反撃で軍事侵攻は失敗する。結果だけをみて「無謀な作戦」と言う人もいるが、背景を考えるとそうとは言えない。 ベレゾフスキーたちエリツィン時代に登場した富豪は多くがイスラエル系であり、当時のロシアは半ばイスラエルに支配されていたようなものだった。その勢力を抑えつけているのがウラジミール・プーチン。そのプーチン体制を倒し、再びロシアを手中に収めるつもりのように見える。 チェチェン、グルジア、コソボなどの状況を見ると、ネオコン/イスラエルとイスラム武装勢力(アル・カイダ)が手を組んでいることがわかる。1970年代の末にズビグネフ・ブレジンスキーが始めた中央アジアでのプロジェクトには、アメリカのほか、パキスタン、イスラエル、そしてサウジアラビアが加わっていた。 何度も書いたことだが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、2007年の段階でアメリカはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、スンニ派の武装グループを利用してシリアやイランに対する秘密工作を始めていた。勿論、スンニ派の武装グループはアル・カイダと重なる。 ボストン・マラソンでの爆発事件では当初、サウジアラビア出身の学生、アブドゥル・ラーマン・アリ・アルハルビが容疑者とされた。4月17日にはサウジアラビアのサウジ・アル・ファイサル外務大臣がワシントンを訪問、バラク・オバマ大統領らと会談したという話も流れている。この人物からも、まだ目を離すことはできない。
2013.04.22
TPP(環太平洋経済連携協定)への道を突っ走る安倍晋三首相。交渉へすでに参加している11カ国は4月20日、日本の交渉参加を承認する共同声明を発表したという。「鴨が葱を背負ってきた」といったところだろう。 政府やマスコミはいろいろ言っているが、交渉の内容は秘密にされている。交渉がどの方向へ進んでいるのかを熟知しているのは大企業が送り込んでいる約600名の顧問。一般に知られているのはリーク情報で、各国の議会もメディアも「公式な情報」は得ていないはずだ。TPPは「1%」が世界を支配する道具であり、この協定を受け入れることは独立を放棄することにほかならない TPP推進の旗振り役を演じている日本のマスコミも中身を知らないだろう。知っていて報道しないなら犯罪的だが、知らないで報道するのは無責任。 マスコミはカネ儲けが目的の営利企業にすぎないわけで、「権力の監視」とか「社会の木鐸」といった歯が浮くようなことを言う気は更々ないが、営利企業であっても「不良商品」を売るべきではない。利益は広告/CMから得ているかもしれないが、読者や視聴者に見放されたなら、営利活動は難しくなる。 よく指摘されるように、TPPで最大の問題はISDS条項。「自由や企業活動」を実現するために参加国の政府、議会、裁判所の手足は縛られる。つまり三権は機能を停止、各国はアメリカの巨大資本に支配されることになり、社会がどのように変化するかは巨大企業の思惑次第だ。 TPPが導く方向は、アメリカで何が起こっているかを見れば見当がつく。例えば、本ブログでも書いたことだが、3月に成立したアメリカの包括予算割当法案(H.R.933)の第735条は、消費者の健康を害する懸念がある遺伝子組み換え作物の種子でも法的に植え付けを差し止めることができないと定めている。遺伝子組み換え作物で大儲けしているモンサントを守る条項だと批判され、「モンサント保護法」と皮肉られているは当然だ。 食べ物の安全性では、日本も安全基準を下げ始めている。象徴的な出来事は、BSE(牛海綿状脳症/狂牛病)に関する全頭検査の中止決定。勿論、アメリカ政府から圧力を受けた結果だ。厚生労働省と農林水産省は4月19日に都道府県などへ出した通知で、7月1日から全頭検査を一斉に中止するように求めたという。 全頭検査の中止は、アメリカ産牛肉の安全性について「誤ったメッセージ」を出すものである。アメリカではBSEが蔓延している可能性があり、日本人の健康に重大な結果をもたらす恐れがあるのだ。 本ブログでは何度か書いたことだが、1989年に発表されたエール大学の調査では、アルツハイマー病と診断された患者46名のうち6名がCJD(つまりBSEの可能性が高い)、同じ年に発表されたピッツバーグ大学の調査によると、54名のうち3名だったという。 一般の人が自腹を切って親族の遺体を解剖することはほとんどなく、正確な数字は不明だが、アルツハイマー病と診断された人の一部はBSEだった可能性が高い。症状が激しいケースは怪しいと考える人もいる。 TPP交渉に参加している国は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、ペルー、メキシコ、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、ベトナム。アメリカ企業は低賃金で劣悪な労働条件が許されている国を探し、そこに工場を建てるわけだが、アジア諸国はその対象。そうした国々で労働者の声が高まり、労働者の権利を認め、働く環境を改善すべきだという動きが出てきたなら、TPPは抑えつけることになるだろう。 4月18日にアメリカ下院を通過したCISPA(サイバー情報共有保護法)は愛国者法からさらに一歩、ファシズム化を進めるための法案。インターネットの監視を強化、事実上、あらゆる情報をアメリカのDHS(国土安全保障省)が入手できるようにすることが目的だ。昨年4月26日にも下院で可決されているのだが、上院を通過しなかった。今年、再び持ち出されたわけだ。TPPはインターネットに対する規制/監視を強化するように求めてくるだろう。 このほか、環境汚染に対する規制を「大企業好み」に緩和し、金融規制も緩め、あるいは撤廃させたいのだろう。最近、オフショア市場のネットワークを利用した資産隠し、課税回避が問題になっているが、そうした分野の規制を「1%」は望んでいない。 漏れ出た情報によると、アメリカのUSTR(通商代表)は各国政府に対し、巨大医薬品メーカーに対する保護を強化するように圧力を加えている。ジェネリック薬品(後発医薬品)が規制され、医療や健康保険のアメリカ化と相まって、低所得者は医療を受ける権利が奪われるかもしれない。TPPに賛成するとは、そういうことである。
2013.04.21
米国マサチューセッツ州ボストンで4月15日に開催されたマラソン大会のゴール近くで爆発があり、3名が死亡、百数十名が負傷した。その容疑者としてタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟が浮上、兄のタメルツランは射殺され、弟のジョハルは拘束されたと伝えられている。 この爆破事件には奇妙なことがある。例えば、前にも書いたが、爆発の前、ゴール・ラインの近くに複数の爆発物探知犬がいるのを見て変だと思ったとモビール大学でクロス・カントリーのコーチをしているアリ・スティーブンソンは語っている。レースが始まる前から屋根には監視員が配置され、「訓練なので心配しないように」というアナウンスが流れていたともいう。 バックパックを背負った州兵の一団がレースに参加していたことはともかく、ゴール近くに黒いバックパックを背負い、キャップを被った警備/傭兵会社に所属すると見られる人間が監視カメラに映っているのも奇妙な話。そのキャップにはアメリカ海軍の特殊部隊SEALのロゴ(髑髏の絵)と似たワッペンがついていた。 アメリカでは特殊部隊の「元メンバー」を雇った「警備会社」が存在、傭兵の派遣もしているのだが、そうした会社はSEALのロゴを使いたがる傾向がある。イラクへの軍事侵攻/占領で問題になったブラックウォーター(後にXe、さらにアカデミへ名称変更)もそうした会社のひとつだ。 こうした人びとの存在を捜査当局は無視しているが、何の目的で現場にいたのか:警備のためなのか、訓練のためなのか、あるいは別の目的があったのかを説明する義務が当局にはある。何しろ容疑者の特徴に合っている。 ところで、最初に容疑者とされたのはサウジアラビア出身の学生。この時はAQAP(アラビアのアル・カイダ)が関与していると疑われたが、この学生は後に容疑者リストから外される。次はインド系のスニル・トリパシ、そしてツァルナエフ兄弟へたどり着いたわけだが、その両親は息子について、爆破事件を起こすような性格ではないと訴えている。 母親によると、3年から5年の間、FBIは彼女の息子たちを監視下におき、母親にもしばしば接触、「過激派のウェブサイト」を息子が利用していると警告していた。兄のタメルランは「過激派のリーダー」だと話していたようだ。 当初、FBIはタメルランを事情聴取したことを否定していたが、その後、2年前に話を聞いていたことを認めている。ただ、違法行為は発見されなかったという。「過激派のリーダー」になること自体は「違法行為」でないのかもしれないが、監視対象になるはず。 この事情聴取は外国政府(ロシア?)の要請に基づくものだったという。2001年頃、ツァルナエフ一家は戦乱を避けてチェチェンからカザフスタンへ逃れ、そこからダゲスタンを経てアメリカへ移住しているようなので、チェチェンの反ロシア武装勢力との関係を疑われたのだろう。 FBIの説明と容疑者の母親の主張には違いがあり、FBIの姿勢に不自然さを感じる人も少なくない。そうしたこともあり、ツァルナエフ兄弟はアメリカの情報機関に雇われていたのではないかという推測も出てくる。サウジアラビアの学生が容疑者になった直後、捜査当局が容疑者の写真を公表したが、ふたりはサウジアラビアの情報機関に雇われていたとする人もいる。ツァルナエフ兄弟はワッハーブ派の武装勢力につながっているとも言われているが、ワッハーブ派はサウジアラビアの国教である。 チェチェンの反ロシア勢力をアメリカのネオコン(反イスラエル派)は支援してきた。ロシアを揺さぶるためだ。支援機関のひとつがACPC(チェチェンの平和のためのアメリカ委員会)で、委員にはリチャード・パールなどネオコンの大物が顔を揃えている。 また、チェチェンからの亡命者にも支援のネットワークが存在する。その支援網には3月23日にロンドンで死亡したボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンへ改名)、あるいはジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ基金につながるNGOなどが含まれ、支援対象者にはモスクワなどで爆破事件を起こしている人物もいる。 ベレゾフスキは本ブログに何度も登場しているロシア出身の富豪。ボリス・エリツィン時代のロシアでクレムリンの腐敗した勢力と結託、チェチェン・マフィアを暴力的な背景として、不公正な取り引きで国民の資産を略奪して巨万の富を築いた。不公正取引のキーワードは「規制緩和」と「私有化」。イギリスへ亡命したのはウラジミール・プーチンが実権を握った直後、2001年のことだ。 亡命後、ベレゾフスキーは「西側」の有力者と親交を深める。例えば、ブッシュ・ジュニア大統領の弟でS&Lの金融スキャンダルで名前が出てきたニール・ブッシュ、1980年代に「ジャンク債」を売りまくり、その裏で行っていた違法行為が発覚して有罪判決を受けたマイケル・ミルケン、盗聴事件で苦境に立つ「メディア王」のルパート・マードック、そしてジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナサニエル・ロスチャイルドらだ。 今回の爆破事件を掘り下げていくと「西側」の支配層、特に親イスラエル派にとって都合の悪い話が出てくることは避けられない。FBIも矢面に立たされる可能性があり、「個人的な犯罪」で決着させたいだろう。
2013.04.20
戦乱が中東全域に広がる可能性がある。ネオコンの影響力が小さくなっている現在のアメリカ政府はそうでもないが、替わってイギリスやフランスが戦争に積極的な姿勢を見せている。この2カ国にサウジアラビア、カラール、イスラエルが好戦派を形成しているわけだ。 言うまでもなく、戦乱が広がれば日本は石油を確保することが難しくなり、原発を動かしたところで日本の経済、社会は破綻する。そもそも、原発を動かすために石油が大量に必要で、発電を全て原発に頼ってもエネルギー状況は良くならない。原発のシステムが石油を必要とすることは「公然の秘密」であり、マスコミも知っているだろう。 今年2月に日本が原油を輸入した先を見ると、サウジアラビア27.3%、アラブ首長国連邦23.9%、カタール11.1%、ロシア8.4%、クウェート6.8%、イラン6.0%、インドネシア4.2%、イラク2.7%。 リビアやシリアの体制転覆プロジェクトで、反政府軍の戦闘員として傭兵を雇い、武器を提供しているのはサウジアラビアとカタールだと言われている。傭兵の主力はアル・カイダだった。 リビアでの作戦で反政府軍の地上部隊はアル・カイダ系のLIFGが主力。LIFGは2007年11月にアル・カイダに正式加盟したとされ、その幹部も自分たちとアル・カイダとの関係を認めている。ムアンマル・アル・カダフィ体制を倒した後、アル・カイダの戦闘員は武器を携えてシリアへ移動した。 そのシリアでの戦闘が長引いているが、最大の理由は反政府軍をシリア国民が支持していないからであろう。2011年3月から反政府軍は住民を殺害し、その後も虐殺を繰り返しているので、シリア国民から見れば、侵略軍以外の何ものでもない。最近では「西側」も反政府軍の主力がアル・カイダだということを認めざるをえなくなっている。 アル・カイダを生み出したのはイスラム武装勢力。その武装勢力を1970年代の終わりに組織したのはアメリカの情報機関と軍、そしてパキスタンの情報機関ISIであり、サウジアラビアが資金面から協力している。ソ連軍をアフガニスタンに引き込み、このイスラム武装勢力と戦わせるというズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいていた。 ソ連軍の撤退、そしてソ連の消滅でイスラム武装勢力を雇う必要はなくなったが、そうなると戦闘員は失業する。生きるために盗賊化しても不思議ではない。その一方、戦乱で社会が破壊され、経済活動もままならない世の中になれば、傭兵の予備軍は増えていく。そうした人びとをサウジアラビアやカタールは雇っているわけだ。 一般に、アル・カイダはニューヨークの世界貿易センターや国防総省の本部庁舎を攻撃した「テロリスト」であり、アメリカの敵だと見なされている。が、FBIの判断は違う。 アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンをFBIは指名手配していたが、その容疑は、1998年に実行されたタンザニアやケニアのアメリカ大使館爆破。2001年9月11日の出来事は含まれていない。 それはともかく、イスラム武装勢力を雇い、訓練し、武器を与え、シリアに攻め込ませたが、状況は泥沼化している。リビアではNATOが空爆や電子戦で協力したが、シリアの場合はロシアが直接的な軍事介入に反対、バラク・オバマ政権も消極的だ。 そうした中、今年1月30日に4機のイスラエル軍戦闘機が超低空飛行でシリア領空に侵入し、首都ダマスカスの近くにある軍事研究センターを空爆した。これに対し、すぐにロシア軍は反応、ミグ31戦闘機をシナイ半島からイスラエルへ向かって飛行させた。イスラエル側からの警告を受けてから西へ転回、地中海に出ているが、そこには18隻で編成されたロシア軍の艦隊が待機していた。 これは明らかにイスラエルやアメリカに対するロシア政府の警告である。シリアへ軍事介入するなら、ロシアとの戦争を覚悟しろということであり、世界規模の核戦争に発展する可能性があるということだろう。 それでも軍事介入を求めているのがアメリカの議会だが、そうした要求をチャック・ヘイゲル国防長官やマーチン・デンプシー統合参謀本部議長は今のところ、拒否している。飛行禁止空域の設定など、直接的な軍事介入を行えば後戻りは不可能で、意図しない戦争の拡大に巻き込まれる可能性があるということだ。話し合いが最善の策だとしている。 アメリカ政府とは違い、イギリスとフランスは軍事介入を望み、武器の直接的な供給にも前向きな姿勢を見せている。政府内でネオコンの影響力が低下しているアメリカより、この2カ国が好戦的な姿勢は鮮明。最近、英仏はアレッポの近くで採取した土から化学兵器が使用された痕跡を見つけたと主張、政府軍が使ったとして軍事介入を求めている。 この地域で反政府軍が化学兵器を使ったとシリア政府は3月19日に発表、国連が速やかに調査するよう、求めていた。シリア政府に化学兵器を使用するメリットはない。イギリスとフランスは詳細を語っていないが、反政府軍の立場から強引なシナリオを書いているようだ。アメリカ政府は「化学兵器」の使用自体に懐疑的な見解を示している。 化学兵器に関する情報では、イギリスのセキュリティ会社、ブリタム防衛の幹部同士がやりとりした電子メールも無視できない。カタールから持ち込まれた依頼がテーマで、シリア政府がロシアの協力を得て化学兵器を使うという形で「偽旗作戦」を実行して欲しいということのようだ。メールが本物かどうかは明確でないが、調査する必要はある。
2013.04.19
安倍晋三首相がTPP交渉へ参加する意志を明確にした後、アメリカ資本の要求が少しずつ明らかにされ始めた。が、マスコミはまだ本質に触れようとしていない。本ブログでは何度も書いていることだが、TPPは「関税交渉」でも「通商交渉」でもなく、アメリカを拠点とする多国籍企業がカネ儲けしやすい仕組みを作ることが目的。ISDS条項によって参加国政府の手足は縛られ、主権国家はアメリカの巨大資本によって支配され、社会/共同体は破壊されることになる。 マーガレット・サッチャー元英首相は生前、社会の存在を否定していた。勿論、社会は存在する。庶民が結びつき、助け合う共同体を破壊すべき対象と彼女は考えたわけだ。 TPPもサッチャーが信じていた「教義」から出てきた決め事。「国」には支配システムという側面だけでなく、共同体としての側面もある。その共同体としての側面を壊そうとしているのがサッチャーの仲間だ。 そうした人びとはフリードリッヒ・フォン・ハイエクやミルトン・フリードマンを信奉し、税金を庶民のために使うことを憎悪している。ところが、ハイエクと親しくしていたサッチャーの葬儀は「国葬に準じた扱い」で行われたという。葬儀にかかった費用は推計で1000万ポンド(約15億円)だという。自分たちのためなら国のカネを惜しげもなくつぎ込むということ。サッチャーを象徴するような幕切れである。 ハイエクやフリードマンの教義の象徴として、チリのオーグスト・ピノチェト体制も忘れてはならない。1973年9月11日(最初の9/11)、アメリカ政府(ヘンリー・キッシンジャー)の支援を受けたピノチェトが軍事クーデターで民主的な手続きを踏んで成立したサルバドール・アジェンデ政権を倒し、その後、アメリカ資本のカネ儲けに邪魔な人びとを虐殺、反対の声がなくなったところでフリードマンの弟子たちが活躍したのである。 サッチャーは1979年から90年にかけてイギリスの首相を務めた。この間、イギリス経済を建て直したと主張する人もいるようだが、正しくない。息子と一緒に武器を売り歩いた「死の行商人」という陰口をたたく人もいるが、最大の要因は石油。オイル・ショックのおかげで北海油田が利益を生むようになり、立ち直っただけの話だ。 メディアの人間であろと、学者であろうと、こうした事実は百も承知のはず。にもかかわらず、この点を語りたがらない。彼らも強者総取りの新自由主義経済を信奉し、自分たちも利益を得ようと思っているからだということなのだろう。 オイル・ショックは1973年10月の第4次中東戦争を切っ掛けにして引き起こされているのだが、その5カ月前に石油価格の大幅な引き上げは欧米の支配層によって決められていた。その決定に従ってOPECが動いたにすぎない。 イギリスのオブザーバー紙によると、値上げを決めた会議はスウェーデンで開かれた。その会議でヘンリー・キッシンジャーを中心とするアメリカとイギリスの代表は400%の原油値上げを要求したという。ちなみに、この会議を開催したのはビルダーバーグ・グループ。欧米支配層の利害調整機関とも言われている。 この後、石油価格は上がり続け、北海油田が生み出す利益でイギリス経済は持ち直したように見えたわけだ。この上昇相場に乗って首相となったのがサッチャーだが、彼女の経済政策は金融を肥大化させただけである。 オフショア市場のネットワークを整備、つまり資産を隠す仕組みを作り上げ、資金が投機市場へ流れるパイプを建設した結果、投機市場が肥大化して「カジノ経済」の時代に入る。その集大成が1986年の「ビッグバン」だろう。 1981年にイギリスは石油の輸出国になり、サッチャー政権を支えたが、1980年代の半ばになると石油相場が天井を打ち、サッチャー政権は幕引きに向かう。そして、2005年からイギリスは再び石油輸入国になったようだ。トニー・ブレア政権がアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権と手を組んで「押し込み強盗」を始めた背景がここにある。 このブレアは親イスラエル派として知られている。1994年1月にブレアは妻と一緒にイスラエルを訪問したが、経費はイスラエル政府持ちだったようだ。その2カ月後、ロンドンのイスラエル大使館で紹介されたのが富豪のマイケル・レビーで、この後、ブレアのスポンサーになる。つまり、ブレアは労働組合のカネを必要としなくなった。そして5月に労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死、ブレアが後任に選ばれる。 元々、イギリスの労働党はイスラエルと友好的な関係にあったのだが、1982年に状況が変わる。イスラエル軍とレバノンのファランジスト党がレバノンのパレスチナ難民キャンプ(サブラとシャティーラ)を攻撃、数百人とも3000人以上とも言われる人が殺されたのだが、この虐殺事件が原因で労働党とイスラエルとの関係が悪化する。同時にアメリカとの関係も悪くなった。 この状況を憂慮したアメリカのロナルド・レーガン政権はメディア界の「大物」、つまりルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、「後継世代」について語っている。そして組織されたのが「BAP(英米後継世代プロジェクト)」。 BAPには若手のエリートが参加しているが、特徴はメディアとの結びつき。BBC、フィナンシャル・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者など米英のメディア関係者が多数、メンバーになっている。BAPはブレアを支援、1997年の選挙でブレアを勝たせることに成功した。 ジェイコブ・ロスチャイルド(ロスチャイルド卿)やエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドがブレアと親しいというが、政界から退いた後のカネ儲けとしては、ウォール街の巨大銀行「JPモルガン」やスイスの保険会社「チューリッヒ・インターナショナル」が重要。こうした会社から毎年300万ポンド(約4億5000万円)の報酬を得ているという。クウェートやカザフスタンの政府とも取り引きがあるようだ。 これが「ニュー・レーバー(新労働党)」の実態。日本の政治家やマスコミがニュー・レーバーを持ち上げていた理由がわかる気がする。が、この裏では庶民が地獄へ突き落とされている。TPPの構図も同じだ。
2013.04.18
大統領選の終わったベネズエラで緊張が高まっている。僅差で敗れたエンリケ・カプリレス・ロドンスキは投票数を数え直すように要求、ニコラス・マドゥロは応じる構えを見せたのだが、作業を待たずにカプリレス派は街頭での示威活動を始めたのだ。混乱の中、すでに7名が死亡したとも伝えられている。アメリカの国務省もカプリレスの動きに呼応し、選挙結果を受け入れないと宣言した。 これまでアメリカの支配層は自立/独立への道を進むベネズエラを不安定化させようとしてきた。前にも書いたことだが、今回も投票の前、ベネズエラを不安定化させる目的で雇われたエル・サルバドルの傭兵がボリビアで摘発され、コロンビアからゲリラ戦のために潜入した戦闘員もベネズエラで逮捕されたと言われている。コロンビアの戦闘員はベネズエラ軍の制服を所持、プラスチック爆弾のC4も携帯していたという。 今回の選挙は、ウゴ・チャベスの後継者を自認するマドゥロとチャベスとの決別を主張するカプリレスの対決だった。チャベスはアメリカの巨大資本と対立、そのネットワークを中東やアフリカに広げていた人物で、アメリカの支配層にとって許し難い敵。その路線を止めさせるため、アメリカ政府が肩入れしているのがカプリレスだ。つまり傀儡。 バルカンにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、アメリカの体制転覆プロジェクトは大使館が司令部。ロシアでもウラジミール・プーチンの体制に反対、「西側」から支援されている勢力がモスクワのアメリカ大使館に公然と出入りしている。 大使自身が中心的な役割を果たすこともある。例えば、ユーゴスラビアの解体とグルジアの「バラ革命」ではベルグラード駐在のアメリカ大使だったリチャード・マイルズ、最近ではシリア駐在アメリカ大使、ロバート・フォード。この人物はシリアで戦闘が始まる直前、2010年12月にシリアへ赴任している。リビアに駐在、領事館が襲撃された際に殺されたクリストファー・スティーブンス大使も体制転覆プロジェクトに関わっていたと見られている。 チャベスが大統領に就任したのは1999年のことだが、2001年にアメリカでジョージ・W・ブッシュが大統領に就任すると、チャベスを排除するための工作が始まる。2002年にはクーデター計画が試みられたが、実行部隊の中心にはアメリカ政府の高官がいた。 その高官とは、ネオコンでイラン・コントラ事件のも登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使で、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテだ。 このクーデターは事前に情報がチャベス側に伝えられていたため、失敗に終わる。その当時、OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスから知らされたのである。 このクーデターは中東と深く結びついていた。リビアとイラクがアメリカに対する石油の禁輸を計画、対抗してアメリカはベネズエラの石油を確保するため、計画していたクーデターを急遽、実行することにしたというのである。 2006年にもクーデターが計画されている。WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、大統領選を睨み、ベネズエラを不安定化させる計画を立てているのだ。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入し、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとしている。 この構図は現在も基本的に変わっていない。いや、中東/北アフリカの不安定化が進む現在、ベネズエラの価値が上がっている。しかも、2011年にチャベス政権はベネズエラにサウジアラビアを上回る石油埋蔵量があると発表している。 1953年にイランのムハマド・モサデク政権を倒したクーデターから現在に至るまで、アメリカの体制転覆プロジェクトは「デモ」から始まっている。リビアやシリアではそのデモを弾圧、多くの死傷者が出たという話に展開するのだが、実際に住民を殺していたのは「西側」や湾岸産油国が送り込んだ傭兵だった。 ベネズエラでも傭兵が拘束されているが、ほかに潜入した戦闘員がいないとは言えない。ラテン・アメリカでも「アラブの春」を繰り返し、どちらの候補が勝っても、マドゥロ(チェベス)派を装って殺戮を始め、再びラテン・アメリカをウォール街の「裏庭」にしようとしている可能性がある。
2013.04.17
アメリカのマサチューセッツ州ボストンで開催されたマラソン大会のゴール近くで爆発があり、3名が死亡、百数十名が負傷したと伝えられている。 この事件についてワシントン・ポスト紙のブロガー、ジェニファー・ルビンは「今のところ、ローカル犯罪の話にすぎない」とTwitterで表現、批判された。確かに、これがアメリカ以外の国での出来事なら日本のマスコミが今回のように大きく取り上げるとは思えず、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどで起こったならば、取り上げないかもしれない。 それはともかく、ボストン・マラソンの爆破事件に関し、奇妙な話が流れている。爆発の前、ゴール・ラインの近くに複数の警察犬がいるのを見て変だと思ったとモビール大学でクロス・カントリーのコーチをしているアリ・スティーブンソンは語っているのだ。レースが始まる前から屋根には監視員も配置され、「訓練なので心配しないように」というアナウンスが流れていたという。 そこで、事前に何らかの警告があったのではないかとスティーブンソンは考えているようだが、FBIの囮捜査が失敗したのではないかという見方もある。2001年以来、FBIは目をつけた人物(例えば、イスラム系の人びと)に「テロ」を持ちかけるという囮捜査を繰り返し、「摘発」してきた。 FBIが仕掛けなければ「テロ」に興味を持たなかったであろう人も中にはいるだろうが、興味を持たないまま逮捕されたケースもあるかもしれない。冤罪事件を生み出している可能性もあるということ。 今回の場合、こうした囮捜査が失敗し、本当に爆破事件がおこったのではないか、という疑惑を持つ人もいる。囮捜査を利用し、何らかの組織がダミーの爆弾を本物に変えた可能性もあるだろう。 そうした疑惑がある一方、アメリカの少なくとも「一部支配層」は「テロリスト」と友好的な関係を結んでいることも事実。リビアやシリアでの体制転覆プロジェクトでNATOはペルシャ湾岸の産油国と手を組み、その産油国はアル・カイダを傭兵として雇っていた。NATO派事実上、アメリカ、イギリス、フランスの3カ国、湾岸の産油国とはサウジアラビアとカタール。 1979年代の終盤からアメリカはアフガニスタンでソ連軍と戦う武装集団を組織、戦闘員を訓練し、資金、武器/兵器も提供していた。この時に協力していたのがパキスタンの情報機関とサウジアラビア。「イラン・コントラ事件」とも密接に関係、同じグループがCOG(一種の戒厳令計画で、後に愛国者法として具体化)プロジェクトを推進した。 イラクを先制攻撃した4年後、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが手を組んで秘密工作を始めたと書いている。ヒズボラのほか、シリアやイランをターゲットにしているという。しかも、手先としてスンニ派の武装グループ(アル・カイダと重なる)を使っているというのだ。 アメリカは1980年代にアル・カイダを生み出し、2007年頃には秘密工作の手先として使い、2011年になるとリビアやシリアの体制転覆プロジェクトでも地上軍として利用しているわけだが、その間にも関係は続いていた。 アル・カイダの指導者はオサマ・ビン・ラディンと言われていたが、2001年7月、ドバイの病院に入院していたビン・ラディンをサウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人、そしてCIAのエージェントが訪問したとフランスのル・フィガロ紙が伝えている。ビン・ラディンは感染性の腎臓病を患っていたという。 そして9月11日の攻撃があるのだが、その数カ月後、アンワール・アル・アウラキなる人物が国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)での食事に呼ばれているとする報道もある。この人物はニューメキシコ州で1971年に生まれたアメリカ人。アル・カイダの重要人物だとして、2011年9月に無人機の攻撃で殺されている。9/11からまもなくして、アメリカ軍はアル・カイダの重要人物を食事に招待したことになる。 これまでアメリカは「テロとの戦争」を口実にしてファシズム化を推進してきた。準備はロナルド・レーガン政権の時代に本格化、9/11の後はジョージ・W・ブッシュ政権もバラク・オバマ政権もファシズム化を進めている。監視社会という点ではイギリスも歩調を合わせ、日本も後を追いかけている。ボストン・マラソンでの爆破事件もファシズム化に利用されるのだろう。
2013.04.16
ウゴ・チャベス大統領の死を受けて行われたベネズエラの大統領選挙で、チャベスと同じ支持母体のニコラス・マドゥロが勝利した。投票前、55%以上を獲得すると予想されていたが、実際の得票率は50.7%。ライバルでウォール街の傀儡と言われるエンリケ・カプリレス・ロドンスキは49.1%で、その差はわずかだ。カプリレスの陣営は例によって「不正」を主張、全て数え直せと要求している。 かつて、選挙監視団の一員としてベネズエラの選挙に立ち合ったジミー・カーター元米大統領はベネズエラの選挙を世界で最善と表現していた。選挙妨害だけでなく、怪しげな投票システムで行われているアメリカとは雲泥の差だ。最近では電子投票システムが導入され、投票数の操作は容易になったと言われている。 それはともかく、今回の選挙で2候補の得票が接近していたことは確か。マドゥロに反対する人がそれだけ多いわけで、国の運営は難しくなるだろう。しかも、マドゥロにはアメリカ政府、つまりアメリカ資本という敵が存在する。チャベスの敵でもあった。 チャベスが初めて大統領に就任したのは1999年のこと。2001年から2期目に入るのだが、その年にアメリカでも大きな出来事があった。ジョージ・W・ブッシュが裁判所の力を借りて大統領になったのである。この選挙で不正が行われたとする声は消えていない。 ブッシュ・ジュニアの周辺にいたグループの中からチャベスを排除するためのクーデター計画が出てくる。実行部隊の中心は、ネオコンでイラン・コントラ事件のも登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使で、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテ。ジェームズ・ロジャーズ中佐の関与も指摘され、クーデターの際、アメリカ海軍がベネズエラ沖で待機していたという。 結局、このクーデターは失敗に終わるのだが、最大の理由は事前にチャベスが計画を知っていたことにある。当時、OPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからの情報だった。 イスラエルを支えているアメリカに対する石油の禁輸をリビアとイラク(言うまでもなく、この2カ国はすでに潰された)が計画、それに対してアメリカはそれまでに練り上げていたベネズエラでのクーデター計画を実行に移す可能性があるとロドリゲスは伝えたという。ベネズエラの油田を押さえれば、中東からの石油が減少しても対応できるということだったようだ。 そのベネズエラにはサウジアラビアを上回る石油埋蔵量があると2011年にチャベス政権が発表をしている。その情報が正しいならば、ますますベネズエラの重要度は増す。つまり、アメリカ資本はそれだけベネズエラを支配下に置きたいという気持ちが強まっているはずだ。 WikiLeaksが公表したアメリカの2006年付の外交文書によると、大統領選を睨み、ベネズエラを不安定化させる計画を立てている。まず「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入し、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるという内容だった。 今回の選挙の直前にもベネズエラを不安定化する計画があったが、これはボリビアの軍と治安機関が摘発したという。エル・サルバドルの傭兵がベネズエラを不安定化させる目的で活動していたようだ。また、コロンビアからゲリラ戦のために入っていた戦闘員を逮捕したとも発表されている。コロンビアの戦闘員はベネズエラ軍の制服を所持、プラスチック爆弾のC4も携帯していたという。 これでアメリカ資本がベネズエラ、そして南アメリカをあきらめるとは思えず、今後も自立/独立をめぐる厳しい戦いが続きそうだ。
2013.04.15
1948年にシオニストがイスラエルを「建国」する際、前から住んでいた多くの人びとが故郷を追われた。現在、ヨルダン川西岸やガザはパレスチナ人(先住のアラブ系住民)のものだとされているが、実際はイスラエルに支配されている状態だ。パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領たちは現状維持で満足、状況を完全する意志は感じられない。そうした中、子どもたちを含む住民が投石して抵抗の意志を見せている。 そうしたパレスチナ人の投石を当然の権利だとハーレツ紙に書いたイスラエル人ジャーナリストがいる。イスラエルの新聞にこうした記事が掲載されれば強い反発があることは予想できるが、それでも書いたのはアミラ・ハス。記事に対する非難に動じていない。 パレスチナ人の居住地は巨大な壁に囲まれ、人や物品の出入りは厳しく制限され、兵糧攻めの状態が続いている。住民は銃撃され、拷問を受け、土地を奪われてきた。イスラエル軍の攻撃で建造物は破壊され、多くに住民が虐殺されている。 2009年1月にはベネディクト16世がガザでの戦闘を止めるように訴え、「正義と平和評議会」の委員長を務めていたレナート・マルティーノ枢機卿はガザの状況を「巨大な強制収容所にますます似てきた」と批判している。枢機卿の表現は適切であり、母親がナチの強制収容所を生き抜いたハスは、そうしたパレスチナの状況を憤っているのかもしれない。 こうした国であるにもかかわらず、イスラエルに対する「国際世論」とやらの対応は甘く、何をしても制裁されることはない。歴史を振り返ると、19世紀の前半にイギリス政府は「ユダヤ人の復興」を考え、1882年にはエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を出しているようだ。パレスチナ問題の直接的な原因になった「バルフォア宣言」はアーサー・バルフォア英外相の名義で出された書簡に書かれていたが、その宛先はウォルター・ロスチャイルドだ。「国際世論」は強者に弱いようだ。 「ユダヤ人の国」と自称、つまり宗教差別、人種差別を「国是」とするイスラエルが民主的な国であるはずはない。ナチスと似た政策を採用、パレスチナ人を隔離する「アパルトヘイト国家」でもある。そうした国にもアミラ・ハスのような記者が存在し、彼女の記事を載せる新聞もある。そうした意味で、日本よりは希望が持てる国だと言えるかもしれない。
2013.04.14
ミャンマー民主化の象徴的な存在で、現在は同国の野党、国民民主連盟の党首として活動しているアウンサンスーチーが4月13日に来日した。日本の要人と会談するほか、在日ミャンマー人の集会にも参加するそうだが、そうした集まりに出ることを拒否されたミャンマー人がいる。イスラム教徒の「ロヒンギャ」と呼ばれている人びとだ。 ロヒンギャの多くはミャンマーの西部、ヤカイン州に住んでいるのだが、昨年には6月と10月に僧侶を含む仏教徒に襲撃され、多くの住民が殺されたと伝えられている。6月には88名、10月には80名以上が殺されたという話が流れているが、別の情報では6月だけで650名が殺され、1200名が行方不明になったとされている。仏教徒は彼らを国外へ追放するように求めてもいる。今年3月にも衝突で20名以上の死者が出たようだが、犠牲者の大半はロヒンギャだという。 襲撃したグループのリーダーだというウィラトゥは「ビルマのビン・ラディン」とも呼ばれている人物らしいが、その集団はアウンサンスーチーを支持している「民主化運動」の活動家たちでもある。そうした事情が影響してなのか、ロヒンギャの虐殺についてアウンサンスーチーは沈黙している。 この殺戮の背後に、アウンサンスーチーを支援している「西側」の思惑が関係しているという指摘がある。この地域に食い込んでいた中国の影響力を弱めようとしているというのだ。 ミャンマーの北部では、石油/天然ガスのパイプライン建設や銅山開発が問題になっているが、やはり中国との関係で象徴と見られているのは「ミッソン・ダム」。北部カチン州のイラワジ川上流に中国と共同で建設していたが、2011年3月に「民政」へ移管、その年の9月にテイン・セイン大統領が工事の中断を発表している。 中国との関係では、軍事的な面でもミャンマーは重要。朝鮮戦争の最中にCIAが国民党軍を率いて中国への軍事侵攻を試みたことを本ブログでは書いたが、その工作ではビルマ(ミャンマー)が拠点として利用された。中国侵攻が失敗すると、麻薬取引を始めるために居座ることになる。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 勿論、ダムの建設に環境破壊がともなうことは避けられない。この工事中断もそうした問題が指摘されているのだが、それだけでなく、中国とのジョイント・ベンチャーを破壊したいという「西側」の利権に絡んだ思惑があると見る人は少なくない。 ダム建設の中断ではNGOが大きな役割を果たしているが、そうした団体のスポンサーとして名前が挙がっているのは、アメリカのフォード財団、タイズ基金、イギリスのシグリド・ラウシング・トラスト、あるいは世界規模で「体制転覆」を仕掛けてきたジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ基金など。そのほか、CIAの別働隊とも言われるNED(ナショナル民主主義基金)の資金も流れ込んでいるようだ。ダム建設反対の運動にはアウンサンスーチーも関与している。 この地域がカチン州だということも興味深い。ベトナム戦争の際、CIAは「黄金の三角地帯」(ミャンマー、タイ、ラオスにまたがる山岳地帯)で麻薬取引に手を出していたのだが、その際、山岳の少数民族を使っていた。つまり、カチン州にはCIAのネットワークが残っている可能性がある。 麻薬はともかく、ミャンマーには豊かな資源がある。石油採掘を目的とした会社の設立も早い。1886年にはイギリス系(ロスチャイルド系)のバーマー石油が作られ、この会社はイランのAPOC(アングロ・ペルシャン石油)を生み出す。 APOCは後にAIOC(アングロ・イラニアン石油)、そしてBP(ブリティッシュ石油)と名称が変更された会社で、その利権を守るため、1953年にはイギリスがアメリカと手を組んでイランのムハマド・モサデク政権をクーデターで倒したことは有名な話だ。 ミャンマーの場合も、イギリスはアメリカと組んで再植民地化を狙っているかもしれない。中国へ軍事的にプレッシャーをかける意味でも、この国を押さえたいところだろう。
2013.04.14
アメリカと韓国が合同軍事演習をする一方、朝鮮は攻撃的な発言をエスカレートさせ、朝鮮半島の軍事的な緊張は高まっている。 今のところ、朝鮮が戦争の準備をしている兆候は見られないようだが、4月15日頃に朝鮮がミサイルの発射実験を行うと言われ、不測の事態に備えてアメリカ軍と韓国軍の連合司令部は4月10日に警戒態勢の指標であるWatchconを1段階引き上げ、上から2段目にしたほか、12日にアメリカ軍はDEFCON 4から3へ警戒指標を高めているようだ。ちなみに、DEFCONは5段階あり、核戦争が差し迫っている状態は1。 戦争が勃発した場合、最初のターゲットは東京だと朝鮮政府は警告しているようだが、日本が最も敏感に反応しているので、宣伝効果があると考えての選定かもしれない。 この警告によると、朝鮮は先制攻撃しないということになっている。それに対してアメリカの支配層、つまりネオコンなどの好戦派だが、1990年代から朝鮮を先制攻撃する計画を作成してきた。前回も書いたことだが、ジョージ・W・ブッシュ政権時代の2003年には、核攻撃を想定したCONPLAN 8022を作成したと言われている。そうした計画が始動することを朝鮮は恐れているのかもしれない。 4月11日にはダグ・ランボーン下院議員が公聴会でDIA(国防情報局)の報告書を引用し、朝鮮の核攻撃能力について質問した。報告書の一部が秘密解除になり、そこには弾道ミサイルへの核弾頭搭載は可能だと書かれているようだが、信頼度は低いという。この報告書に対し、国防総省のスポークスパーソン、国家情報長官、あるいは韓国の国防省スポークスパーソンらは、正確さに疑問を表明している。 前回も書いたように、1998年には朝鮮を先制攻撃して体制を転覆させ、傀儡政権を樹立させるというOPLAN 5027-98が、99年には朝鮮の体制崩壊を想定したCONPLAN 5029が、そして2003年にはCONPLAN 8022が作成されている。 そして今年3月には、こうした計画で使われる可能性の高いB-2ステルス爆撃機が米韓合同軍事演習に参加、さらにF-22ステルス戦闘機が沖縄の嘉手納基地から韓国のオサン(烏山)空軍基地へ移動、海では2隻の駆逐艦、マケインとフィッツジェラルドが近くの海域に派遣されていた。 いわば、ロシア軍がベネズエラやキューバとアメリカの国境近くで合同軍事演習をするようなものであり、この演習を挑発でないと言うことはできない。しかも、アメリカの核攻撃作戦のマッチしたB-2が参加している。アメリカ支配層の内部に「第2次朝鮮戦争」を引き起こそうとしている勢力が存在するとしか考えられない。 過去の経緯を考えれば、ネオコンが戦争の画策をしている可能性が高いが、バラク・オバマ政権は中国を動かし、軍事力を使わずに朝鮮の体制を転覆させようとしているとも言われている。TPPで巨大資本が支配する環太平洋帝国の樹立を目論んでいることを考えると、アメリカにとって朝鮮は邪魔な存在になっている可能性もある。 しかし、事態が思惑通りに展開するとは限らない。本格的な戦争になれば、朝鮮はミサイルなどを使わずに特殊部隊を潜入させ、原発やその関係施設を破壊することはありえる。中国やロシアが動けば、地球規模の核戦争に拡大する可能性も否定できないだろう。そうならないためには、アメリカの好戦派が挑発をやめる必要がある。日本もその片棒を担ぐべきではない。
2013.04.12
朝鮮半島で軍事的な緊張が高まる中、4月11日から13日にかけてアナス・フォー・ラスムセンNATO事務総長が韓国を訪問し、朴槿恵大統領のほか、尹炳世外交部長官や金寛鎮国防部長官と会談する予定だという。良い予兆だとは言えない。 最近、NATOはさまざまな国を侵略している。まず1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃し、4月にはスロボダン・ミロシェビッチ大統領(当時)の自宅を、また5月にはベルグラードの中国大使館を爆撃している。中国大使館に3方向からミサイルを撃ち込み、破壊したのはアメリカ軍のB2ステルス爆撃機で、CIAが設定した目標に入っていたのだという。誤爆とは考えにくい。 それ以来、NATOは積極的にEUの外へ軍隊を出し、戦っている。アフガニスタンで住民を殺害、リビアではアル・カイダと手を組んで体制転覆に成功している。シリアの場合はロシア軍に行く手を阻まれて側面からの支援を行っている状態だ。 朝鮮戦争は1953年7月に休戦となったが、講和条約の締結はアメリカが拒否して現在に至っている。今回の軍事的な緊張と無関係な訪問であろうと、なかろうと、NATO事務総長が朝鮮半島へ来ること自体に問題がある。それだけ焦臭い人物だということだ。 第2次世界大戦で日本が敗北、朝鮮半島に統一国家を成立させる道が開けた。独立運動に参加、大韓民国臨時政府の要職を歴任した大物で、「右派」に分類されている金九は金日成側とも接触していた。 1948年に金日成を中心に朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が北側に成立するが、現在とは違い、アメリカの傀儡だった李承晩より人気があった。そこで、大韓民国(韓国)の少なからぬ兵士が武器を携えて朝鮮側に投降している。この時点で選挙があれば、アメリカにとって好ましくない体制ができる可能性が高かった。そこで、1949年にアメリカは金九を暗殺、統一の動きを止めた。 それでも南から北へ投降する兵士は続く。そこで、投降を装って朝鮮軍の司令部へ入り込み、そこで幹部を皆殺しにするという作戦を展開したという証言がある。元特務機関員で、戦後はアメリカの情報機関で活動していた中島辰次郎の話だ。中島自身、1950年の2月頃からそうした作戦に参加していたという。朝鮮戦争の勃発はその3カ月後だ。 1953年に休戦して以来、朝鮮半島では「冷戦」が続いてきたわけだが、ソ連が消滅すると、アメリカではネオコン/好戦派が武力で世界を制覇するというビジョンを描いている。本ブログでは何度も書いたように、1991年にネオコンはシリア、イラン、イラクに対する攻撃を決めていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官の証言である。 この当時、リチャード・チェイニー国防長官(当時)は先制核攻撃計画に着手したと言われている。このチェイニーが副大統領になったジョージ・W・ブッシュ政権の時代、イラクを先制攻撃する直前に先制核攻撃に向かって動き始めるが、この中心にはネオコンのジョン・ボルトンがいたという。 朝鮮を先制攻撃して体制を転覆させ、傀儡政権を樹立させるというOPLAN 5027-98が1998年に、また99年には朝鮮の体制崩壊を想定したCONPLAN 5029をアメリカは作成しているのだが、ブッシュ・ジュニア政権は03年に核攻撃を想定したCONPLAN 8022もできていた。もし、核攻撃が差し迫っているとアメリカが判断したなら、この計画は始動するともいう。 ワシントン・ポスト紙のウィリアム・アーキンによると、2004年の夏にドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時)は「暫定グローバル攻撃警戒命令」を出している。イランや朝鮮を攻撃する準備をするように指示するものだったようだ。これは「挑発」の領域を遙かに超している。アメリカ軍が核攻撃すると朝鮮側が考えても仕方がないと言えるだろう。 ところで、創設当初からNATOには闇の部分があった。1990年にイタリア政府が正式に認めた秘密部隊の存在である。1960年代から1980年頃まで続いた「極左勢力によるテロ活動」の大半はNATOの秘密部隊(イタリアではグラディオと呼ばれた)が指揮していたのである。 この秘密部隊にはNATOより古い歴史があり、CIAとMI6(イギリスの対外情報機関)を中心に動いていた。イタリア在住のジャーナリスト、フィリップ・ウィランによると、NATO加盟国は秘密の反共議定書にも署名する必要があるのだという。 秘密部隊の歴史をさかのぼると、第2次世界大戦中に組織されたジェドバラに行き着く。イギリスで破壊活動を担当していた組織SOEがアメリカの戦時情報機関OSSと共同で作り上げたゲリラ部隊である。OSS自体、イギリスの指導で作られた組織であり、イギリスが産みの親だと言っても良いだろう。この人脈がOPC(後のCIA計画局/作戦局)も作り上げている。後にSOEはMI6に吸収された。 この辺の詳しい話は次の機会に譲るが、ともかくNATOは碌でもない組織であり、アングロ・サクソンのエリートが西ヨーロッパを支配する道具として創設されたと見るべきである。左翼勢力の殲滅は彼らにとって重要な任務だった。そうした意味で、イギリスやアメリカの利権を維持拡大するために世界中で活動するのは必然なのかもしれない。 だからこそ、1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年に欧州連合軍最高司令部をパリから追い出し、1991年にはフランソワ・ミッテラン仏大統領とヘルムート・コール独首相は「ユーロ軍」を創設しようと計画したのだろう。このユーロ軍創設計画はアメリカに潰されてしまったが。
2013.04.11
「教育基本法に愛国心、郷土愛とも書いたが、検定基準にはこの精神が生かされていない」と安倍晋三首相は4月10日に開かれた衆議院の予算委員会で語ったという。 安倍首相が「買弁政治家」だということは以前にも書いたことがある。アメリカを支配する巨大資本の命令に従い、日本の自然、社会、人々をカネ儲けの亡者たちに売り渡そうとしてしているのだ。TPPの推進もその一環。 そうした買弁勢力に忠誠を誓うような人間を育てることを安倍首相たちは「愛国」と呼んでいる。彼らの悪巧みに気づき、反対するような庶民が育っては困るわけで、そうならないためにも「教育改革」を進めている。 教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は教育改革の目的を次のように語っている: 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』) つまり、自分たちの仲間に引き入れる予定の一部生徒は別にして、大多数の庶民は「実直な精神」だけを持つロボットのような人間に育てるということだ。安倍首相が言うところの「道徳」とはそういうものだろう。 また、安倍首相は現行憲法を「占領軍が作った憲法」だとして、「改憲」を主張するのだが、この改憲もアメリカ支配層の命令に従ってのことだ。「占領軍が作った」のは確かだが、当時と事情が変わり、アメリカは現在の憲法が邪魔になっている。 憲法が制定された頃、アメリカ国内を含む連合国に属す人びとの日本を見る目は厳しいものがあった。日本はポツダム宣言の受諾を1945年8月の上旬に決め、14日にはこの事実を連合国側に通告、15日には「玉音放送」とか「終戦勅語」と呼ばれている放送が流され、9月2日にはミズーリ号で降伏文書に調印して日本の敗北は正式に決まった。 勝者である連合国には靖国神社を破壊し、天皇の戦争責任を問うべきだとする人も少なくなかったのだが、アメリカの支配層は天皇制官僚国家という仕組みを維持したいと考えていた。何しろ、戦前からの関係がある。 本ブログでは何度か指摘したことだが、関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の強い影響下にあり、支配層の世界では「日米同盟」が成立していたのである。だからこそ、血盟団による襲撃、五・一五事件、二・二六事件などが起こったとも言える。ただ、決起した人びとは天皇が同盟の一員だと気づかないという致命的な間違いを犯したが。 ところが、その関係は1933年に大きく揺らぐ。JPモルガンと対立関係にあったフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任したのである。その直後、ルーズベルトを排除してファシズム体制を樹立するクーデターの計画もあったのだが、これは失敗する。その事情は本ブログ、あるいは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』(三一書房)で書いた通り。 ウォール街にとって邪魔な存在だったルーズベルト大統領が1945年4月、執務中に急死する。それを切っ掛けとしてホワイトハウスは反ルーズベルト派が主導権を奪い、ナチスの残党を保護し、南アメリカなどへの逃亡を助け、雇い入れるようになる。日本でも「右旋回」が起こるわけだ。イギリスのウィンストン・チャーチルが5月にソ連を奇襲する作戦「アンシンカブル」の立案を命じたことは本ブログでも書いた通り。 この作戦はイギリス軍に拒否され、チャーチルは7月に下野するのだが、翌年の3月にアメリカで「鉄のカーテン」演説を行い、「冷戦」の開始を宣言した。その裏ではソ連に対する核攻撃をアメリカ軍の一部は計画、そのピークが1963年。そうした状況のとき、ソ連との平和共存を訴えたジョン・F・ケネディ大統領は暗殺されたわけである。 ともかく、ルーズベルト後のアメリカ政府は早く天皇制官僚国家の存続を確かなものにする必要があった。そこで、戦争の放棄、民主化の推進とセットで天皇制を定めた憲法を制定したわけである。民主的な内容の憲法でなければ連合国の内部を説得することができず、天皇制の維持は無理だっただろう。 一応、憲法で天皇は「象徴」とされたが、実際には戦後も昭和(裕仁)天皇がアメリカとの交渉で最高責任者として動いていることを関西学院大学の豊下楢彦教授は明らかにしている。吉田茂とダグラス・マッカーサーのラインでなく、天皇とワシントン(ジョン・フォスター・ダレス)との間で戦後の日本が進む方向が決められ、安保条約の締結も天皇の意志が反映されていたということであり、沖縄の問題も昭和天皇を抜きに語ることはできない。 4月10日の予算委員会で下村博文文部科学相は「自分の国に誇りと自信を持った歴史教育を実行しなければならない。」と語ったという。歴史の「教育」とは、不確かだということも含め、事実を教えることから始めるべきであり、下村文科相の言っていることは洗脳にほかならない。戦前の「妄想史観」からまで抜けられないのだろう。
2013.04.10
TPP(環太平洋経済連携協定)への参加を後押しする日本のマスコミがマーガレット・サッチャーを誉め上げるのは当然のことだろう。一部の強者が好き勝手なことができるアナーキーな状態を作り出そうという新自由主義を最初に導入したのは軍事クーデターで実権を握ったチリのオーグスト・ピノチェトだが、欧米へ持ち込んだのはサッチャー。そうした考え方を協定にしたものがTPPだ。 アナーキーといっても、全ての権威が否定されるわけではない。支配システムに庶民も参加できる仕組みを組み込んだ「国家」が破壊され、強者が直接支配する仕組みという意味での無政府状態である。「完全な自由社会」とは正反対であり、「近代封建制」だと言える。 前回も書いたことだが、サッチャーはイギリス経済を建て直してはいない。彼女を担いでいたグループは、所謂「オイル・ショック」を利用して政権を握り、北海油田の稼ぎを使って「強者の天国」を作り上げようとしたのだ。 オイル・ショックは1973年の第4次中東戦争、1979年のイラン革命で引き起こされているのだが、その背後で石油価格の大幅な引き上げが石油資本によって決められている。その決定に従ってOPECが動いたにすぎない。 イギリスのオブザーバー紙によると、この値上げは1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議で決まった。そのとき、ヘンリー・キッシンジャーを中心とするアメリカとイギリスの代表は400%の原油値上げを要求したという。この秘密会議とは、5月に開かれたビルダーバーグ・グループの会合である。 この結果、1975年には27%のインフレという形になって表れるが、78年頃には安定化している。さらに、石油価格が大幅に上昇したため、コストの高かった北海油田が利益を生むようになり、イギリス経済を潤すことになる。サッチャーとは全く関係のない話だ。 この時期、つまり1970年代の後半にイギリスでは経済的に大きな出来事があった。オフショア市場のネットワークができあがり、強者は資産を隠し、課税を避けることが容易になったのである。金融機関にはめられていた箍が緩められ、資金が投機市場へ流出していき、1986年の「ビッグバン」につながる。 こうした政策の結果、サッチャーが首相を務めた1979年から1990年にかけて弱者(庶民)の貧困化が進む。平均の60%以下の収入で生活する人の割合は1979年が13.4%だったのに対し、1990年は22.2%。製造業の衰退も進んでいる。 新自由主義の基本は強者総取りであり、富が一部の強者に集中して弱者の貧困化が進むことは誰にでも予想できたこと。にもかかわらず、そうした政策が推進できたのはメディアのプロパガンダもあるが、1982年に勃発した「フォークランド/マルビナス戦争」も無視できない。 この戦争でチリのピノチェトはアルゼンチンに関する情報をイギリスへ伝えている。その担当者はフェルナンド・マテイ・アウベール。そうした協力を受けてもイギリスは苦戦しているが、最大の原因はエグゾセというフランス製のミサイルだった。例えば、イギリスの軍艦、HMSシェフィールドに命中して損害を与えている。 フランスのジャーナリスト、アリ・マグーディによると、サッチャー首相はフランスへ飛び、フランソワ・ミッテラン仏大統領を脅している。ミサイルを無効化するコードを教えないとアルゼンチンを核攻撃するというのだ。(朝鮮政府より迫力がある)その結果、エグゾセは兵器として機能しなくなった。 ともかく、サッチャーは一部の強者に奉仕、イギリス社会に大きなダメージを与えた。今後、ますます社会は不安定化する可能性が高く、その準備を怠らない。ロンドンは監視カメラだらけであり、イギリスはアメリカと並ぶ世界有数の監視国家になっている。その後を追いかけているのが日本だ。新自由主義を導入する前、チリで軍事クーデターが実行され、アメリカや地元の巨大資本に邪魔な人びとが殺されたり投獄されているが、似たことは新自由主義を導入した国では起こると覚悟するべきだろう。
2013.04.09
4月8日にマーガレット・サッチャー元英首相が平安な死を迎えたという。リチャード・ニクソンでさえ社会を不安定化させると考えて自国には導入しなかった強者総取りの新自由主義経済を経済政策として採用し、弱者を痛めつける害毒を世界に広める切っ掛けを作った人物だ。 そうしたシステムを彼女がイギリスへ導入することができたのは、1982年の「フォークランド/マルビナス戦争」でイギリスが勝利、国民が高揚していたため。サッチャーにこの経済システムを教えたのが親友のフリードリッヒ・ハイエクであり、彼の弟子がミルトン・フリードマンである。 1973年にスウェーデンで開かれた「ビルダーバーグ・グループ」の会議で石油価格の引き上げがヘンリー・キッシンジャー主導で決められ、実際に相場が大幅に上昇、北海油田が利益を生み出すようになったこともサッチャーには「幸運」だった。 新自由主義は1973年にアメリカ政府(キッシンジャー)を後ろ盾とする軍事クーデターが成功したチリで初めて実践され、悲惨な結果になったことは本ブログでも何度か書いたこと。そのチリを介してマーガレットの息子、マークはサダム・フセイン時代のイラクへ武器を売り、儲けていた。 このサッチャー親子とは違い、社会的に虐げられた弱者のために戦ったひとりがマーチン・ルーサー・キング牧師。公民権運動の指導者として知られる人物だ。このキング牧師は今から45年前、1968年4月4日に暗殺されている。 そもそもアメリカとはヨーロッパからの移民が先住民を虐殺し、土地を奪って成立した国。アフリカから多くの人を拉致、奴隷として綿花栽培など南部の過酷な作業をさせた歴史がある。 このアメリカという国の礎を築いたのは1620年にメイフラワー号でやって来たピューリタンだとされている。いわゆるピルグリム・ファーザーズ。カルビン派の影響を受けた人びとで、自分たちはアメリカを開拓する使命を神から授かり、「サタンの息子」である先住民を殺してもかまわないという理屈で侵略を正当化していたようだ。 1492年にクリストファー・コロンブスがカリブ海に到達した当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたのだが、1890年に先住民の女性や子どもがウーンデッド・ニー・クリークで騎兵隊に虐殺されたころには約25万人に減少していた。 100万人から1800万人・・・元々、先住民が何人生活していたか不明確なのは、アメリカの支配層が自分たちの殺した人間を「カウントしない」からである。この「伝統」は今でも生きている。(日本も似たようなものだが) ウーンデッド・ニー・クリークでの虐殺から65年後、アラバマ州モンゴメリーでアフリカ系の女性、ローザ・パークスが逮捕された。公営バスで白人に席を譲ることを拒み、ジム・クロウ法(人種分離法)違反の容疑でローザ・パークスが逮捕されたのである。 この事件に抗議してバスをボイコットする運動が始まるが、この運動を指導した人物がキング牧師。1956年には連邦最高裁がバス車内における人種分離を違憲とする判決を出している。この事件を切っ掛けにして公民権運動は広がっていった。 キング牧師たちの運動は人種差別に反対するだけの留まらず、労働者の権利を求め、戦争に反対するようになる。1963年8月には、約20万人が参加したという「仕事と自由のためのワシントン行進」が行われた。「私には夢がある」と牧師が演説したのはこの時のことだ。 その2カ月前、ジョン・F・ケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言していた。その年の10月に大統領はアメリカ軍をベトナムから撤退させるため、NSAM(国家安全保障行動覚書)263を出している。この覚書が出される直前、アメリカ軍の準機関紙であるパシフィック・スターズ・アンド・ストライプス紙は、「米軍、65年末までにベトナムから撤退か」という記事を掲載している。 しかし、この決定は実現しなかった。11月22日に大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたからである。リンドン・ジョンソン新大統領はNSAM273とNASAM288によってケネディ大統領の撤退計画を取り消してしまった。 1964年1月にジョンソン大統領はOPLAN34Aを承認、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOGが編成された。7月には部隊のメンバーふたりが約20名の南ベトナム兵を率いてハイフォン近くのレーダー施設を襲撃、その報復として北ベトナム軍はアメリカ海軍の情報収集船マドックスを攻撃したと言われている。いわゆる「トンキン湾事件」だ。 それに対し、アメリカ政府は北ベトナムが一方的にアメリカの駆逐艦を砲撃したと宣伝し、アメリカ議会は「トンキン湾決議」を可決、1965年2月に「報復」と称して本格的な北爆が始まる。多くのアメリカ人は自国の軍隊が圧勝すると信じていただろうが、実際は泥沼化して反戦運動が激しくなった。 そして、1968年4月4日にキング牧師が、6月6日にはケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ元司法長官が暗殺されている。その翌年に大統領となったのがリチャード・ニクソン。大統領補佐官に就任したヘンリー・キッシンジャーはカンボジアに対して秘密裏に大規模な空爆を実施、一説によると爆撃による直接的な死者だけでも60万人に達する。その当時、カンボジアの人口は700万人程度だったという。 ちなみに、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が1975年から78年にかけて虐殺した人数は7万5000人から15万人だとされている。餓死や病死を加えると100万人に達するとも推測されているが、その原因をアメリカも作っていることは間違いない。朝鮮戦争でアメリカ軍は朝鮮を空爆、人口の2割とも3割とも言われる人を殺している。それほどではなかったものの、大きな被害だ。 クメール・ルージュの行為が許されないことは当然だが、それ以上に許されないのがアメリカ。しかも、クメール・ルージュとアメリカ、1980年代になるとベトナム対策のために手を組むことになる。正に類は友を呼ぶ。
2013.04.08
パレスチナのガザを拠点とするハマス(イスラム抵抗運動)。一般にイスラエルの宿敵と見られているが、そのハマスの軍事組織、アル・カッサム旅団がシリアで反政府軍の兵士を訓練、自分たちも戦闘に加わっているとする話が伝えられている。ガザで培ったトンネルを掘る技術を使い、シリアへ武器を運び込んでいるともいう。 この情報が正しいかどうかは明確でないが、事実であっても不思議ではない。そういう背景があるのだ。 ハマスはムスリム同胞団から誕生したスンニ派の組織で、創設は1987年。ムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していたアーマド・ヤシンが中心的な存在だった。ヤシンは2004年3月、イスラエルに殺害されているが、ヤシンが頭角を現す切っ掛けを作ったのもイスラエルである。 1967年6月にイスラエルがエジプトとシリアを奇襲攻撃、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領した。この戦争でアラブ諸国の動きは鈍かったのだが、そうした中、果敢に戦ったのがファタハ。そのスポークス・パーソンだった人物がヤセル・アラファト、後のPLO議長だ。アラブ諸国の民衆はファタハを支持、アラファトの人気も高まっていく。 こうした状況を見てアラブ諸国やイスラエルの政府はファタハ/PLOを警戒、例えばヨルダンは1970年に軍隊をパレスチナ難民のキャンプに突入させ、翌年にはPLOの戦闘員約5000名をアジュルーンの森で虐殺している。 イスラエルはアラファトに対抗させる人物を物色、目をつけたのがヤシンだ。1970年にイスラエルは同胞団に協力、同胞団はヨルダン国王を支援、つまりPLOの追い出しに協力した。その際、イスラエルはシリアを牽制し、PLOへの支援を妨害している。 1976年にヤシンはイスラム協会を設立、イスラエルは同協会を人道的団体として承認し、新聞の発行や資金の調達を認めた。その後、サウジアラビアからの資金援助もあり、ムスリム同胞団はパレスチナで勢力を伸ばしていった。そして1987年のハマス創設につながる。ヤシンが暗殺された8カ月後にアラファトも死亡(暗殺説がある)、その2年後の議会選挙でハマスは勝利した。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、ハマスが選挙で勝利したころにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリアやイランに対する秘密工作を始めている。工作の一環として、サウジアラビアはハマスとファタハを和解させることになっていたという。 また、最近、アメリカのジョン・ケリー国務長官はトルコに対し、イスラエルとの関係を修復するように求めたという。イラクを攻撃する前、イスラエル/ネオコンはヨルダンからトルコまでを「親イスラエル国」でつなげ、シリアとイランを分断しようとしていた。孤立させて叩きつぶすということだ。だからこそ、1980年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒すことに執着していた。 アメリカとイギリスにイラクを先制攻撃させ、フセイン体制を崩壊させることには成功したのだが、トルコとイスラエルとの関係が悪化しては話にならない。しかも、アメリカやイスラエルはイラクを思い通りにできていない。イラクも親イスラエル国にする必要があるのだが、これは困難な状況だ。親イラン/シリアの安定政権ができないようにするしかないだろう。
2013.04.07
衆議院で「税・社会保障共通番号法案」が審議されているようだ。日本国内に居住する人に12桁程度の個人番号がつけられ、ICチップ入りの写真付きカードが発行されるのだという。 言うまでもなく、「より公平な社会保障制度・税制の基盤」などではなく、住民基本台帳ネットワークと同じように、国民を管理/監視するための制度だ。他人に成りすます人物が出てきたり、情報が漏洩する可能性もあるだろうが、それよりも国民が管理/監視されるという点が大きな問題である。しかも、官僚に大きな利権を提供することになる。 新自由主義者、つまりフリードリッヒ・フォン・ハイエクやミルトン・フリードマンの教義を信仰している人びとは強者総取りの経済システムを築こうとしてきた。当然、富は一部に滞留し、滞留した資金は金融/投機市場へと流れていく。 いわゆる「カジノ経済」だが、人びとが生活する社会からは資金が流出し、景気は悪化して庶民は貧困化する。国は疲弊、巨大企業や富裕層に支配されようとしているのが現状だ。こうした流れは意図的に作られ、日米の支配層はTPPを推進している。TPPとは巨大資本が国を支配する仕組みにほかならない。 少数の人びとに富が集中し、大多数の人びとが貧困化する社会が安定するはずはない。支配層にとって犯罪の増加は大きな問題でないだろうが、暴動、さらに革命ということになると事情は違う。 こうした事態を事前に押さえ込むため、権力に反抗的な性格の人間を子どもの頃からあぶり出すシステムもアメリカでは開発されている。どのような傾向の本を買い、借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかといった情報を集め、分析するのだという。 1950年代からFBIはコミュニストや戦争に反対する人びとを監視してきたが、1970年代になるとコンピュータ技術を使い、膨大な個人を監視するシステムを作り始めた。アメリカでは国防総省のDARPAも開発、個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆる個人情報が収集/分析されている。 GPSを搭載した携帯電話を持ち歩いていれば、行動を全て把握されてしまうが、それだけでなく通話やメールの内容も監視される恐れがあるのが現代社会。例えば、エジプトで抗議活動が盛り上がっていたとき、通信を切断したり、インターネットや携帯電話の通信内容を調べ、目標を絞って追跡する装置が使われている。抗議活動に参加している人のつながりを調べることもできる。 アメリカやイギリスは街に多くの監視カメラが据え付けられ、最近では顔を認識し、自動的に追いかけることも可能になっているようだが、それだけでなく、鳥や昆虫に似せた「飛行ロボット」も開発中だ。今後、室内に侵入して監視するようになる可能性がある。そうした飛行ロボットに毒針などを仕込み、暗殺に利用することもありえる。実際、バラク・オバマ政権は、アメリカの市民権を持つ人物を裁判なしに殺している。 アメリカでは「愛国者法」が成立した段階でファシズム体制へ入り、そのあとをイギリス、そして日本が追いかけている。そうした流れの中、「税・社会保障共通番号法案」も登場してきたわけだ。囚人は番号で呼ばれる。
2013.04.06
金融緩和で株式相場が上昇したとマスコミは浮かれているようだ。救いようのない提灯記事。昔、宴席で客の機嫌をとる太鼓持ちという職業の人がいたが、彼らも客の言うことに2、3度は逆らい、最後に持ち上げるらしい。客の言いなりの太鼓持ちは二流にもなれない三流。今のマスコミはこれだ。 経済活動が上向かない最大の理由は、人びとが実際に生活する社会で資金が一部に集中して循環が滞り、金融/投機市場へ大量に漏れ出していることにある。その原因を作ったのはイギリスのマーガレット・サッチャー政権やアメリカのロナルド・レーガン政権だと言えるだろう。 規制緩和策で富が一部の巨大資本や富裕層へ集中する仕組みを作り上げ、投機を規制するルールが廃止、ロンドン(シティ)を中心とするオフショア市場/タックス・ヘイブンのネットワークを整備したのだが、ほかの国々も両国に追随してカジノ経済を生み出したのである。 この仕組みに変化がない以上、資金供給量を増やしても金融市場へ流れていくだけのこと。どの市場へ流れるかは状況次第だが、日本の株式相場が上昇したと騒ぐ愚かさがわかるだろう。 問題は経済活動が上向くかどうかということだが、庶民の生活が好転することは期待できない。庶民へ資金が回るパイプは締められつつあるからだ。自民党/公明党にしろ、民主党にしろ、庶民からカネを搾り取る政策を推進、庶民の生活を向上させようと考えていないことは明らか。そうした政策の止めがTPPである。 日本の経済政策はいまだに新自由主義、つまりフリードリッヒ・フォン・ハイエクやミルトン・フリードマンの教義に基づいている。この教義は1980年代の初頭に中国へ伝わり、ボリス・エリツィン時代のロシアでも信仰されたが、実践された最初の国は南アメリカのチリ。 まず1973年9月に軍事クーデターで民主的プロセスを経て選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒し、アメリカの巨大企業やチリの富裕層のカネ儲けに邪魔な人びとを殺害してからフリードマンの弟子たちが大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。 彼らは国有企業を私有化、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、そして外国からの投資を促進、1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。 1982年にラテン・アメリカで債務危機が起こると、外国の金融機関は銀行の国有化を要求、その代償として私有化された国有企業の株券を受け取ることが許された。その結果、チリの年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになる。似たことが南アメリカの軍事独裁政権、つまりウォール街の傀儡政権は実行している。 景気を回復させるためには、まずふたつの政策を実施する必要がある。ルールを公正にして富が集中することを防ぎ、投機市場への資金流出を押さえるということだ。このふたつの問題を解決するカギはオフショア市場/タックス・ヘイブンが握っている。最近、その情報が漏れだしているようだが、支配層の内部にも何らかの規制をする必要があると考える人が出てきたのかもしれない。このまま行けば、資本主義そのものが崩壊する。
2013.04.05
朝鮮半島の軍事的な緊張が高まっている。朝鮮の勇ましい発言が口先だけのものだということは、アメリカや日本の政府やメディアもよく理解しているはず。朝鮮が戦争を準備している様子はなく、能力的にもアメリカ本土をミサイルで攻撃することは無理だろう。問題は、むしろアメリカ軍の反応にある。 実際に軍隊がどのように動いているかを見ると、目立つのはアメリカ軍。3月11日に始まった米韓合同軍事演習にB-2ステルス爆撃機を参加させたことは十分に挑発的であり、その後、F-22ステルス戦闘機をオサン(烏山)空軍基地に配置した。そのほか、海では2隻の駆逐艦、マケインとフィッツジェラルドが近くの海域にいるようである。 本ブログでは何度も書いたことだが、1998年からアメリカ軍は朝鮮を攻撃する姿勢を見せてきた。その背景には国防総省のONA(純評価室)のアンドリュー・マーシャルがいる。この部署が創設された1973年から室長を務めている人物で、かつてはソ連の脅威を過大に評価して危機を煽り、1990年代からは中国脅威論を叫んできたのだ。 金正日体制を倒し、朝鮮を消滅させて韓国が主導する新たな国を建設することを目的とした作戦、OPLAN 5027-98が1998年には作成されている。この年の8月、朝鮮は太平洋に向かって「ロケット」を発射、翌年の3月には海上自衛隊が能登半島の沖で「不審船」に対し、規定に違反して「海上警備行動」を実行している。この段階で日本はネオコンの戦争計画に沿って動き始めたということだろう。 1999年には、金体制が崩壊、あるいは第2次朝鮮戦争が勃発した場合に備える目的でCONPLAN 5029が検討され始めている。日本は第2次朝鮮戦争に備えるため、アメリカ軍への協力を決めたという。マーシャルは中国というよりも東アジアを潜在的なライバルと認識、早めに潰してしまうべきだと考えていたようだ。 ネオコンは武力で覇権を握ろうとしてきた。マーシャルとはネオコン仲間のポール・ウォルフォウィッツが1991年、国防次官だったとき、シリア、イラン、イラクを殲滅すると語っている。すでにイラクは破壊に成功、現在はシリアを攻撃中であり、次のターゲットとしてイランに揺さぶりをかけている。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年にニューヨーカー誌で、アメリカはイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと書いていた。 そして2001年、ニューヨークの世界貿易センターや国防総省本部庁舎が攻撃を受けた直後にブッシュ・ジュニア政権はイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するプランができあがっていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。この予定表通りに事態は推移している。 つまり、ネオコンは戦争を引き起こし、その地域を破壊するという手口を使ってきた。東アジアで同じ戦略を使う可能性はある。現在の軍事的な緊張を楽観的に見ると大変なことになりかねない。 実際、2003年3月、イラクに対する先制攻撃と同じ時期に空母カール・ビンソンを含む艦隊が朝鮮半島の近くに派遣され、また6機のF117が韓国に移動、グアムには24機のB1爆撃機とB52爆撃機が待機する緊迫した状況になっている。 ところで、朝鮮半島の問題で注目すべき文書が2010年11月にWikiLeaksから公表された。その文書が作成されたのは2009年7月。その月、韓国の玄仁沢統一相はカート・キャンベル米国務次官(当時)と会談、朝鮮の金正日総書記の健康状態や後継者問題などについて説明している。金総書記の健康は徐々に悪化、余命はあと3年から5年だとしたうえで、息子の金正恩への継承が急ピッチで進んでいると分析していた。確かに金総書記の健康状態は悪かったようで、2011年8月、つまり玄統一相とキャンベル国務次官が会談した2年後に死亡している。 この会談で玄統一相は朝鮮が11月に話し合いへ復帰すると見通していたのだが、実際は10月に韓国の艦艇が1日に10回も領海を侵犯、11月に両国は大青島沖付近の海上で交戦、話し合いどころではなくなった。韓国側に和平を嫌う勢力がいたということだろう。 その後にアメリカや日本、韓国が行った挑発行為に関しては本ブログですでに書いたことでもあり、ここでは割愛する。日本の支配層はネオコンを信仰しているようだが、彼らは東アジアを破壊しようとしているのだということを忘れてはならない。(日本の「エリート」は、そんなことを気にしていないかもしれないが。)
2013.04.04
安倍晋三首相はTPP交渉に参加すると発言していた。そのための事前協議で日米両政府は大筋で合意し、日本は7月にも交渉に正式参加すると報道されている。アメリカを拠点とする多国籍企業のカネ儲けに協力することがTPPの目的であり、ISDS条項によって参加国政府の手足は縛られ、主権国家はアメリカの巨大資本によって支配される。TPPは「関税交渉」でも「通商交渉」でもなく、実態は「独立放棄交渉」。安倍首相は日本に住む人々、その人々が生活する社会、自然、そういったものをカネ儲け集団に売り渡そうとしているのだ。少々古い表現をすると、安倍首相は「買弁政治家」である。 健康、労働、環境などに関する法律によってアメリカの巨大企業が「将来に期待された利益」を企業が実現できなかった場合、各国政府に対して賠償を請求することがTPPでは許される。低賃金で劣悪な労働条件が許される国へ安心して工場を建て、自由に資本を移動させることを可能にする。「国産品を買おう」や「地産地消」という運動は規制の対象になりかねない。 最近、アメリカでは遺伝子操作作物の作付けを規制、あるいはブレーキをかけることを禁止する「モンサント保護条項」入りの包括予算割当法案が成立、日本ではBSE(狂牛病)の全頭検査を廃止するのだという。アメリカ資本の命令に従っているのか、その意向を忖度しているのだろう。 以前から、アメリカでBSEの蔓延している可能性があると指摘する研究者もいる。前にも書いたことだが、1989年に発表されたエール大学の調査では、アルツハイマー病と診断された患者46名のうち6名がCJD、同じ年に発表されたピッツバーグ大学の調査によると、54名のうち3名だったという。 TPP成立後は、BSEとアルツハイマー病の関係を調べること自体が規制対象になりかねないが、それだけでなく、企業活動や金融システムに対する規制、食糧の安全、環境汚染の防止、労働者の権利保護、社会保障制度などを各国の政府や議会で決定することは事実上、不可能になる。生存権が奪われると言っても過言ではない。 議会も裁判所もアメリカの巨大資本の利益が絡んだ瞬間、「無用の長物」になる。巨大資本にとって不都合な情報が飛び交うインターネットの監視強化も計画されているようなので、庶民は言論の自由を奪われることになるだろう。 国家とは支配システムであり、庶民を抑圧するという側面もあるが、「民主主義」を掲げる国なら、庶民の意見を反映させる仕組みもある。そうした権利を獲得するために多くの血が流されたのだが、アメリカや日本の支配層はTPPによって、そうした仕組みを破壊しようとしている。社会主義革命は勿論、市民革命以前の状態へ戻そうとしている。 つまり、巨大な多国籍企業や金融機関を主権国家の上に置き、絶対君主のような存在にしようとしているのだ。民主主義を破壊し、「近代的封建制」を実現するつもりだと表現する人もいるが、間違いとは言えないだろう。人間社会は徐々に進歩していくという「予定説」を信じる人もいるようだが、それほど単純ではない。 菅直人にしろ、野田佳彦にしろ、安倍晋三にしろ、こうしたTPPの実態は理解しているだろう。彼らを馬鹿にしてはいけない。たとえ彼らが愚かだったとしても、そばには「優秀な官僚」がついている。マスコミの社員も状況を理解する程度には「優秀」であるに違いない。彼らはアメリカの巨大多国籍企業に協力し、主権国家を企業が支配する「国際秩序」を作り上げようとしているのである。庶民が骨までしゃぶられ、野垂れ死にする様子を左団扇で見物するつもりだ。 人口が多すぎると思っている支配層にしてみれば、庶民が何十億人死のうと、何も感じないだろう。殺戮と破壊の戦争も彼らにとってはカネ儲けの手段にすぎず、国の財政破綻は願ってもないチャンスであるに違いない。
2013.04.03
破綻が明らかになったキプロスの2大銀行、キプロス銀行とライキ銀行(キプロス・ポピュラー銀行)をどう処理するかが決まったようだ。伝えられるところによると、10万ユーロまでの預金は保護されるのだが、キプロス銀行の場合、保険対象外の預金者は最大60%の損失負担が求められ、ライキ銀行の保険対象外の預金者は預金のほぼ全額が失われるという。 大口の預金者に厳しい内容なのだが、それを事前に知った有力政治家や会社経営者が預金を避難させていた。しかも、その中にニコス・アナスタシアディス大統領の義理の息子の実父が所有する企業もあるということで、問題になっている。この会社、預金への課税が決まる直前、3月12日と13日にライキ銀行から2100万ユーロを引き出し、半分をロンドンへ、残りの半分をキプロス銀行へ送金したという。 確実に資産を隠し、課税を回避したいなら、ロンドンを中心にして張り巡らされたオフショア市場のネットワークを利用するべきだと言われている。そうした意味で、ロンドンに送金した心情は理解できる。ロンドンのシステムは信託の仕組みを利用しているようで、誰がどの程度の資産を持っているかを調べることは至難の業だという。 キプロスにはロシアの富豪やマフィアが資金を預け、マネーロンダリングもしていたというのだが、もし本当だとするならば、隠す気が希薄だったのか、間抜けなのか、どちらかだろう。ボリス・エリツィン時代に不公正な手段で巨万の富を築いた「オルガルヒ」の多くはロンドンかイスラエルへ逃亡している。勿論、EUであろうと、IMFであろうと、ロンドンのネットワークにメスを入れることはない。 今回の一件で「ロシア・マネー」がキプロスから逃げ出すと予測する人も少なくないだろうが、これこそが今回の「救済策」の目的だと見る人もいる。アメリカやイギリスにとってキプロスは戦略的に重要な場所にある。そこにロシアの影響力が及ぶことを「西側」の支配層は好ましく感じていないはずだ。 キプロスから東へ約100キロメートル進むとシリア、北へ約65キロメートルの場所にはトルコ、南へ400キロメートル進とスエズ運河があり、ロシアを監視するにも最適である。1953年にイランで民族主義政権を倒したクーデターでもキプロスの施設が利用された。 1960年にキプロスはイギリスから独立、最初の大統領選挙でギリシャ系のマカリオス大司教(ミカエル・モースコス)が当選するのだが、アメリカの支配層にとって新大統領は好ましくない人物だった。非同盟諸国やソ連とも友好関係を結ぼうとしていたのだ。そこでアメリカは彼を追放しようとする。 この計画は1960年代の後半に実現する。まず1967年にギリシャで軍事クーデターがあり、それと並行する形でキプロスでは右翼(親米)団体EOKA-Bが活動を激化させる。言うまでもなく、ギリシャのクーデターもEOKA-Bも裏ではCIAが蠢いていた。 クーデターはキプロスにも波及する。キプロス駐在のアメリカ大使だったテイラー・ベルチャーによると、キプロス政府の高官は彼に対し、アメリカ政府の一部が参加してクーデターが実行される可能性があると言われたという。 そして1974年、警告された通り、EOKA-Bが武装蜂起する。マカリオス大統領は死亡したと伝えられたが、実際は生きていた。その当時、イギリスの首相だった労働党のハロルド・ウィルソンは軍にキプロスへ部隊を派遣してマカリオスを救出するように命じたのだが、アメリカは終始、傍観していた。イギリス軍部隊はマカリオス大統領を救出、ヘリコプターでキプロス南部にあるイギリス軍基地に運び、そこからマルタ島経由でロンドンへ連れ出している。 キプロスは人口の約8割がギリシャ系、残りの2割がトルコ系。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された直後、住民同士の対立が内乱に発展するのだが、その背後ではアメリカ政府のキプロス分割計画があった。ギリシャ系とトルコ系で分けようとしたのだ。 マカリオスが排除された後、アメリカのキプロス分割計画が実現する。トルコ軍がキプロスに軍事侵攻して北部地域を占領したのだ。 NATOに加盟している国同士が衝突するという本来なら危機的な状況だったのだが、アメリカ政府は動かない。キプロスの国家警備隊も動きが鈍かった。すぐに動いたのはソ連で、艦船を黒海から地中海に移動させている。このソ連の動きにアメリカはすぐに反応した。 戦略的に重要な場所にあるだけでなく、キプロスの近くには天然ガスが眠っている。これは本ブログで何度も書いたことだが、21世紀に入ってから、地中海の東側に膨大な量の天然ガスや石油が眠っていることが知られるようになった。USGSの推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガス、そして34億バーレルの原油が眠っている。 キプロスの財政問題を解決する最善の方法はここにあるのだが、無視したり、屁理屈をこねて無理だと言ったりするのが「西側」の支配層。どうやら、この海域にある天然ガスをアメリカはイスラエルへ贈呈するつもりらしい。シリアもレバノンもガザもエジプトも目障りだと考える人がいても不思議ではない。
2013.04.02
朝鮮半島の軍事的な緊張が高まっている。アメリカのプロ・バスケットボールのスターだったデニス・ロッドマンを招待するなど、一時期、朝鮮はアメリカに友好的なサインを送っていたのだが、3月11日にB-2ステルス爆撃機やイージス艦も参加した米韓合同軍事演習を始めると、板門店の南北直通電話を遮断するなど強硬な姿勢を見せる。それに対してアメリカはF-22ステルス戦闘機をオサン(烏山)空軍基地に配置、朝鮮を威圧している。 しかし、朝鮮のGDPは日本の年間軍事支出の半分程度にすぎず、日本のGDPの1%以下だという。つまり、日本やアメリカの軍事力、生産力を考えれば、脅威と呼べるような存在ではない。 そもそも、海岸線に原発を乱立させていることを考えれば、ミサイルを撃ち込むより、特殊部隊を潜入させて原発を破壊すれば済む話。いや、建設中にエージェントを潜り込ませ、爆弾を仕掛けるという手もある。(イスラエルはイスラム諸国の重要な建造物に爆薬を仕掛けているとモサドの元工作員が証言している。)つまり、日本の支配層は軍事的に攻撃されることを想定していない。もし、間抜けにもそうした事態を忘れていたとしても、今、原発再稼働を口にするはずはない。 しかし、逆に朝鮮がアメリカを恐れていることは確かだろう。アメリカの支配下にある日本や韓国も警戒しているはずだ。 今回、朝鮮は休戦協定を破棄すると宣言したようだが、勿論、この休戦とは朝鮮戦争の休戦。1950年6月から始まり、休戦は53年7月。この期間にアメリカは大規模な空爆を繰り返し、作戦を指揮していた米空軍のカーチス・ルメイも人口の20%を殺した語っている。30%が犠牲になったともいう。現在の日本に換算すると、2600万人、あるいは3800万人が殺されたことになる。この悪夢は記憶から消えていないだろう。 ところで、日本ではこの戦争を仕掛けたのは朝鮮だと言うことになっている。が、正しいとは言えない。元特務機関員で戦後はアメリカの情報機関でエージェントとして働いていた中島辰次郎によると、その年の2月には金日成軍に対する挑発行為、つまり偽装帰順し、相手の将校を皆殺しにするという作戦を繰り返していたという。「開戦」前から小規模な軍事衝突は頻発していたとも語っていた。 また、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。「開戦」の2日前から韓国軍は北側を空爆し、地上軍は海州を占領したとも言われている。 朝鮮半島へ潜入する前、中島は中国で活動していた。当時、アメリカ政府が支援していたのは国民党軍。その勢力の敗北が避けられないと判断したアメリカは、天安門広場にコミュニストの幹部が勢揃いする時に全員を暗殺、それを合図に偽装帰順していた部隊を蜂起させて一気に形勢を逆転するという計画をたてた。が、途中で情報が漏れて取りやめになり、始まったのが朝鮮半島での工作だという。 朝鮮戦争の最中もアメリカは中国への軍事侵攻を試みている。1951年4月にCIAは国民党軍の兵士を率いて中国領内に軍事侵攻、1952年8月にも再度攻め込んでいるのだが、いずれも中国側の反撃で撃退されてしまった。 こうしてみると、「朝鮮問題」とは「中国問題」にほかならないことがわかる。アメリカが朝鮮との講和条約締結を拒否してきた理由のひとつも、中国を念頭に、火種を残しておきたかったということだろう。この点、尖閣諸島と似ている。 その朝鮮半島が1998年に焦臭くなった。この年、アメリカでは金正日体制を倒し、韓国が主導する形で新しい国を作るという「OPLAN 5027-98」が作成されたのである。その翌年、朝鮮の国内が混乱して金体制が崩壊した場合を想定して「CONPLAN 5029」も作成、さらに2003年には核攻撃も含む攻撃計画「CONPLAN 8022」も仕上げられている。 1999年6月、そして2006年6月にも韓国と朝鮮の艦艇が交戦しているが、2008年に韓国で李政権が誕生すると、一気に東アジアの軍事的な緊張が高まった。まず2009年11月の韓国海軍の艦艇と朝鮮の警備艇が交戦しているのだが、その前月に朝鮮側は韓国の「領海侵犯」を非難していた。 そして2010年3月、領海をめぐって対立している海域で軍事演習中だった韓国の哨戒艦が爆発、沈没している。当初、国防大臣も国家情報院長も朝鮮が関与した証拠はないと発表していたのだが、5月になると、韓国政府は沈没の原因を朝鮮軍の魚雷攻撃にあると主張し始める。 この主張には疑問が多く、例えば、アメリカのロサンゼルス・タイムズ紙も韓国政府の説明に疑問を投げかける記事を掲載した。さらに、韓国駐在大使を務めた元CIA高官のドナルド・グレッグも疑問の声を上げている。ハンギョレ新聞のインタビューでグレッグは、韓国政府がロシアの調査を妨害し、ロシア側は不満を抱いているとする話を紹介、さらに中国政府が調査チームを派遣しなかった事情を中国政府高官の話として語っているのだ。 そして11月に韓国軍は大規模な軍事演習を領海問題の海域で強行、韓国での報道によると、この演習には沖縄に司令部のある第31MEU(海兵隊遠征隊)が韓国駐留の第7空軍と参加したという。そして延坪島への砲撃があったわけである。 こうした出来事も考えるときも、中国とアメリカの好戦派(ネオコンや戦争ビジネス)との関係を考慮する必要がある。現在、アメリカと中国とは経済的に深く結びつき、中国の若手指導者は親米派が多いと言われているのだが、敵対関係にあることも事実。ネオコン系シンクタンク、PNACが2000年に公表した報告書『アメリカ国防の再構築』は現在のバラク・オバマ政権にも影響を及ぼしているのだろう。東アジアを潜在的ライバルとして警戒すべきだと書かれていた。 アフリカでもアメリカと中国、両国は激しく衝突している。先月、中央アフリカでミシェル・ジョトディアがクーデターを成功させたが、すぐにフランスは500名以上の部隊を派遣して新政権を支援する姿勢を見せている。この新政権が先ず行ったことは、前政権が中国と結んだ石油に関する契約の見直しだった。 このケースに限らず、中東/北アフリカでは中国を含むBRICSの影響力を排除して利権を維持拡大するため、アメリカ、イギリス、フランスなどが活発に動いている。中国とアメリカとの関係は微妙だ。
2013.04.01
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