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リセットボタン2013年も、いつの間にやら半分が終わろうとしている。6月の末日は、12月の大晦日に対応して「大祓(おおはらえ)」と言うらしい。要するに厄払いの日だ。数日前からちょこまかと掃除をしてみたり、不要な物は処分しようと分けたり、心が彷徨ってざわついたり、知らず知らずの内に私の身体もその流れに迷い込んでいた模様。特に何をする訳でもないけれど、意識的にさっぱりと心をリセットしたいと思う。自分なりに何かに区切りを付け、心新たに一歩踏み出すことは重要だ。心の、けじめ。ぽつんと咲いてたよ。
2013/06/30
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虹の向こうの 愛しき人へ。恋愛の話はしないけれど、私にはそれはそれは好きだった人がいた。今日は、その人の命日。そして、入院中だった6年前の今日。病名が告知された。私の中でいろいろな意味で特別な日。一生忘れることはないだろう。
2013/06/29
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【多発性硬化症(MS)と自律神経失調症「恐怖」のお話2(私の場合編)】6/20のつづき。これは経験のない人には到底理解してもらえなかった。それが余計に辛く、ますます私はダメだ、と惨めになる悪循環。それでも、この恐怖を私はどうすることもできなかった。耳を塞いで頭を手で覆い、うずくまりたくなったら、取り返しがつかなくなる前に、解決法はただ一つ、その密閉された空間から抜け出すことだ。電車なら、とにかく降りる。ホームのベンチに座るかトイレに籠って深呼吸し、気分が落ち着くのをひたすら待ち、電車を何本も見送る。しばらくして少し楽になったら、確実に座れる各駅停車の電車に乗り、また無理だと思えば降りて休憩。水分補給も忘れずに。電車の立ち位置もかなり重要だ。車両の繋ぎ目は揺れが激しいから、車両の真ん中辺りがベスト。ドアの両横は一見良さそうな場所だが、あそこほど辛い場所はない。ドアが開く度に人の流れがあるし、ラッシュ時のように混み始めると一番居場所が不安定になるからだ。さらに周りを男性で囲まれてしまうと、どうしても男性よりも背の低い私は圧迫感に息が詰まってしまう。確実なのは、座っている人の前に、吊り皮を持って足を肩幅に開きどんと立つこと。顔の前が何かに覆われることもないし、息もしやすいし、何より外の景色を眺めて気を紛らすことができる。いや、それ以前に座れるに越したことはないのだ。座れるとそれだけで安心できるし、下を向いて目を閉じれば自分の世界に入りやすく、パニックに陥りにくい。つづく。
2013/06/28
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あの時の記憶私はとんでもない方向音痴だった。自分が思っている方向と真逆へ行けば目的地へ辿り着く、ということもしばしば。だが、最近はだいぶん治ってきたように思われる。カフェ巡りをすることが趣味になって以来、それまで地図を見るなんてことをしたことがなかった私が、黙々と、地図に穴が開くほどじっと見入るようになった。幾何学模様が好きな私には、何やら、地図って、興味深い。思うに、方向音痴を治すポイントはただ一つ。「行った後で」今日歩いた道やカフェを地図で確認すること。…ではないでしょうか?今年の夏は猛暑になるらしいですね…。
2013/06/27
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公開遺言状父は、養子だった。母は一人っ子、父は末っ子。だから、父は母と母の両親の家にやって来た。…と、まだここまでは許せる。私がずっと頭にひっかかっていて許せなかったことは、なぜか、父と母が結婚した時に『父姓』を名乗ったことだった。そんなことを露ほども知らない私と妹は、父姓でずっと暮らしてきた。母姓の祖父母と一緒に。そんな時、母の父が死んだ。それを機に、私たちは「決まっていたから」という理由で母姓に名字を変えられた。私は小学生3年生から4年生に進級する時だった。妹は小学校入学時だったから特に問題はない。当時3,4年生の2年間はクラス換えがなかったので、メンバーも先生も同じだった。3月まで「○○尚」だったのに、4年生になったら「△△尚」と名前が変わっている。みんなきょとんとした顔をした。先生までもが、いつまで経っても「○○さん~」と呼ぶ始末。「離婚?」と尋ねてきた友達もいたりしたが、離婚して名字が変わるということがよくわかっていなかった私には、理解不能だった。「私は何かいけないことでもしているのだろうか」家に対しての疑問は日に日に募っていった。まもなく母の母も他界。言わずもがな、4人家族となった。そして阪神淡路大震災を機に、同じ市内の今の家へ引っ越してきたのだった。父は母の両親に対してとても他人行儀で、ずっと敬語だった。なんでだろう?と幼いながらにも疑問だったが、誰にも問い質せず時は流れた。父は、母の父が死に、母の母が死に、拍車をかけたように一気に無口となっていった。こちらの家に引っ越してからは自室に籠りきるようになり、今の私と見事に同じ。まったく以て家族と口を利かなくなった。その後、心労がたたって53歳で他界。私の不登校のことなどかなりの迷惑もかけ、父の苦労に初めて気づいたのがこの時だった。なんという、なんという親不孝な娘なのか。数年後、父の遺品を整理している時、机の中から父姓の印鑑がたくさん出てきた。実印から訂正印まで数種類。処分できずにいた父を思うと、当時、今更ながら父は父姓のお墓に入りたかっただろうに、と涙が止まらなかった。私は長女。もし母が『養子』などという言葉を今後発したとしたならば、私は確実に激怒するだろう。尚家の代は、もう父と母の代でお終いなのだ。先祖代々のお墓に入るのも、母が最後なのだ。私は、ひっそりと、海へ、還ります。
2013/06/26
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おやすみなさい。特定疾患医療受給者証の更新をしてきた。私と母は父親の遺族年金で暮らしているので、通常の書類に加えて、その旨を書いた書類を一枚多く提出しなければならないことになっている。6年前はその所定の書類は用意されておらず、真っ白の紙にその文言を手書きするように言われ、数分かかってつらつらと手書きした。翌年だったか、何にでも使い回しできるような書類がどこからかおもむろに出てきて、よくわからなかったが署名してハンコを押した。その翌年だったか、何やら所定の書類が出来上がったらしく、遺族年金という言葉を枠内に書き入れた。そのまた翌年だったか、チェック項目のような書類に変わっていて、遺族年金の欄にチェックを入れた。そして今日。いつものように保健所の受付で、「父親の遺族年金で暮らしているので、いつももう一枚書類を書いているのですが…」と言うと、受付の方はよくわかっていないようで上司に聞きに奥へ下がったのだが、その上司は「お父さん亡くなってんの!」と大きな声で言い、私は少なからず不快感を覚える。さらに、出てきた書類は明らかに改善され、なんと、年間いくら遺族年金をもらっているかを書く欄が増えていた!書類を病院へ持って行き、後日受け取りに行き、市役所で所得の書類を取り、それらをすべて持って保健所へ行く。(市役所と保健所は若干離れていて、保健所は辺鄙な所にある。)毎年、このストレスがなければどんなに良いことか、と思わずにはいられない。明日はゆっくり休みますね。
2013/06/25
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分かれ道になぜ、私はこんなにも妹を恨み、憎んできたのだろうか。答えはすでにわかっている。それは、血の繋がる妹だからだ。なぜ、私はこんなにも母を恨み、憎んできたのだろうか。答えはすでにわかっている。それは、私を産んだ血の繋がる母だからだ。
2013/06/24
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リュックサックに詰めて流されない、って難しい。何か物が流行れば、それに似たような物ばかりが市場に出回る。著名人が推薦すれば、一気に売り上げが上昇。物の良し悪しの感じ方や価値観は十人十色だ。そんな中で、何が自分に必要な物で、どういう暮らしをしていきたいか、数年先を見据えて物を購入することは、とても大切なこと。もう物に溢れる使い捨ての時代は終わらせなければ。簡素で小回りの利く暮らし。世間に流されない価値観。培い、育めたらいいと思う。こちらはしっとり梅雨です。
2013/06/23
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循環するということ。祖父母がみんな死に、父も死んだ。家族が一人ずつ減っていくことは、何度も経験した。曾おばあちゃんがいる友達だっているのに、なんで尚家はみんなパタパタと死んでいくのだろう。そう、思っていた。そんな尚家に、まもなく新しい生命が誕生する。しかも二つも。死というものがどういうものかは、もうずっと昔に悟った。だが、命の誕生を、私は知らない。おそらくこんな経験は一生に一度のことだ。自分でもどんな感情が沸き出すのか想像もつかないが、その一生に一度限りの感情をひしと受け止め、ここにしっかりと残したいと思う。私は、ずっと妹の出産から逃げることばかりを考えていた。でも、きちんと、向き合います。
2013/06/22
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目で 訴えて処方箋を手に調剤薬局へ行く。医者以上にねほりはほり症状を聞き、医者以上に持っている知識を余すことなくくどくどと披露したがる薬剤師に対して、多少なりとも苛立ちを感じ、動悸を覚えるのは、私だけだろうか。ミドリハカタカラクサ。
2013/06/21
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【多発性硬化症(MS)と自律神経失調症「恐怖」のお話(私の場合編)】前回の汗の症状は私にはかなり辛かったが、この恐怖というものも、いつ襲ってくるかわからなかった分だけ、本当に悩まされたものだった。私は、極度に人の目が怖い対人恐怖症だった。不登校になり引きこもっていた時は、たまの外出はとてつもなく緊張して目が泳いだし、顔は真っ赤になり、声を発しなければならない時は声は震えた。アトピーもとんでもなくひどかったので、「うわ、すごい顔」とか、「かわいそうに」とか、そんなことを周りの人に思われているんじゃないかと思うと、顔を上げることなんてできるはずもなかった。今思うとただの自意識過剰なのだが、それはまた一つ自分を追い詰める材料となったのだった。一番の恐怖は、『人が多い密閉された空間』だった。例えば、他人が運転する車、途中下車できない特急電車や通勤ラッシュのようなみんながイライラと急いている満員電車、風通しのないエレベーター、隣との席がやたらと近い飲食店など、恐怖が募るにつれ身体は硬直し、冷や汗が吹き出した。特急電車なんてこれから20分も止まらないじゃないか…、後15分…後14分…、1分しか進んでない!満員電車なんて身動き一つ取ることができない、他人と密着してる、息がかかる、早く早く着いて!エレベーターなんて暑い、狭い、閉じ込められてる、上下の移動が気持ち悪くて吐き気がする、降ろして!トイレの個室など、狭くても人がおらず一人だけになれる空間なら安心できたが、戸や窓の風通しがない極端に狭い部屋なんかはあまり長くはいられない。逆に、自分の家の部屋の片隅やトイレはなどは確実な安心があるから大好きで、特にトイレは自分の情けなさを思いうずくまって泣く私だけの格好な居場所だった。ただ、電話やチャイムの音にはビクっとしたのだが。要するに心理的なもので、本当におののくほど怖いのだ。パニック症状に陥ったことだって度々あったし、息切れ動悸が激しく、頭もガンガンズキズキ痛む。汗もシャワーを浴びた後ように流れ出るし、疲労感も著しかった。何か他のことで考えを紛らせ続けるにも限度があり、どうしても『恐怖』という二文字が頭の中を埋め尽くしていったのだった。つづく。
2013/06/20
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食べることは、大切です。朝ご飯を、パンからご飯に変えて数ヵ月。食べているのは昨日の残りものの白い冷ご飯。お茶碗1杯の日もあるし半分の日もあり、量はその日によって様々だ。おそらく何か身体に変化が現れるだろうと思っていたし、どんな変化が現れるのか少し楽しみでもあった数ヵ月。どうやら、食べる量には関係なく、パンを食べていた時よりも身体がどっしりと安定するような感覚になり、やっぱりご飯の方が腹持ちが良い。朝の調子が良いと、一日の調子が良くなり、なんとなく疲れにくくなったような気さえする。つまり、心もどっしりとしてくるのだ。パンはもともと好きなので、食べたいと思えばお昼に食べるようにしている。無理や我慢は禁物だ。1年後が楽しみになってきた。身体はすぐには変わらないが、ゆっくりと良いように変わっていくことはちゃんと感じられ、さらにそれが心を前向きにしてくれる。だけど、たまには身体には悪いとされるものも食べて羽目も外しながら。食べることは、大切です。
2013/06/19
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神の御加護がありますように「その代わりにと言ってはアレですが、これをどうぞ」と、小さな花壇が与えられた。私はありがたくそれを頂戴する。何をしていても、そのことが気になって仕方がない。眠っていても、食べていても、お風呂に入っていても、寝落ちる寸前でさえそれは目の前にちらついた。それはとても小さかったので、邪魔にはならないだろうと思い、頭の片隅にちょこんと置いておくことにする。それは小さく、けれど大きく鎮座した。いつの間にか、それに花を咲かせたいと考えるようになる。花は一種だけと、それだけは決めていた。たった一種、しかもたった一輪。一輪咲かすことができれば、いずれ二輪、三輪と咲くはずだ。少々不格好でも、花びらが一枚ぐらい欠けていても、それは気にしない。雨に降られても、風に吹かれても、項垂れることなく、太陽に向かって満面の笑みで伸びる花。そんな花にしたい。そのためには、土が大切だ。愛情を込めて耕し、水を与え、時に肥料も与え、いつもふかふかのベッドのようにしておいてあげよう。種を蒔く前の準備は念入りに。いつ種を蒔けるかな。いつ芽が出るかな。強くてかわいらしい花が咲くことを思い描きながら、毎日土に向かって楽しくおしゃべり中。
2013/06/18
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当事者と傍観者最近よく言われている。以前は何があっても行け、だったが、行きたくなかったら学校へなんて行かなくてもいいよ、と。じゃあ、精神衛生上、私もこの家から離れるという解決策もあるんじゃないだろうか。叫び出したいほどそう思うのに、残念ながら、ここが私の家なのである。
2013/06/17
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好きな 香り我が家には、仏壇がある。祖母が生きていた頃には祖母が、祖母が他界してからは母がお経をあげている。母は朝夕二度の読経を一日たりとも欠かさない。母は書道を教えることができる資格を持っている。若い頃は合宿へ行ったりして、大きな筆を操っていたそうな。机の上には墨と硯が、筆立てには当たり前かのように筆が数本立てられている。ほのかなお線香の香りと墨の香りは、ずっと変わらず我が家の馴染みある香りである。そよそよとなびく風に吹かれ、そんなことをふと考えた三日月の夜であった。
2013/06/16
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終わりなき 螺旋階段私は、日々大きな矛盾の中で生きている。恵みの雨が降りましたよ。
2013/06/15
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審美眼暑いから、美術館へ行ってきた。修学旅行生でごった返す観光地にあるにも関わらず、あまり有名ではないせいか、一歩館内へ足を踏み入れるとそこはひっそりとしたオアシス。私はここがとても好きで、展示替えが行われる度に足しげく通っている。とにかく所蔵が良い。急所を突かれたかのように私の好みなのだ。時間も忘れ、あまりに真剣に凝視するものだから、目が乾いて仕方がない。作品の横に備え付けられているルーペから覗き込んでも、細かい細工はミリ単位に及ぶ。芸術品を存分に堪能し、身体もちょうどよく冷えたところで、カフェへ寄ってから帰宅。こんな一日が私にとっては幸せでたまらない。美術館へ行けば、確実に審美眼が養われるのである。お手紙届いたよ。ありがとう♪
2013/06/14
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心は 誰にも わからないカフェでのんびりしていると、隣に座っていた3人の女性の話が耳に入ってきた。3人とも母ぐらいの年齢だ。娘の職場でうつだった人が退職した。東京にいる息子の結婚が決まった。芸能人のゴシップ。女性が数人集まれば、結局そういう話で盛り上がるのが常だ。盛り上がりは陰ることを知らない。そんな時、一人の女性が友人の噂話の中で、「娘が父親を嫌うことはよくあるが、母親を嫌うことは珍しい」と言った。3人ともそれは信じられない、といった様子。いや、私が実際そうなのだが。私は珍しい…のか?こちらは雨が降りません。35度。私、この夏を乗り越えられるかな。
2013/06/13
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10アニバーサリー私の大好きなおねえさんのカフェ。今月でなんと10周年らしい。私が常連客になってちょうど4年なのだが、まさかそんなに長くされていたとは、失礼かもしれないが少し驚いてしまった。おねえさんとは、ただ、「こんにちは。ありがとうございます。また来ます。」とだけしか話さない。いつ行っても静かに本を読んだり、ぼーっと考え事をしたり、何かを書き留めたり、むしゃくしゃした時に落ち着ける、無条件にそんな居場所が私には必要だから。いつも、「そこにいる」おねえさん。私の心をほっと落ち着かせてくれる空間。何はともあれ、やっぱり素敵なカフェは長く愛される存在になる、ということだと思う。私の目は確かだったかな(笑)
2013/06/12
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ある1ページ6年前。両足の裏が急にビリビリとしびれ始めた。数日で、それは湯船に水を溜めるようにふくらはぎの下辺りまで上昇。さらにそれは、股にも飛び火した。私は戸惑い、近所の整形外科へ行った。椎間板ヘルニアを疑われ、腰のMRIを撮るも異常なし。紹介された現在の主治医であるA先生の元を訪ねる。股もしびれているということで産婦人科検査を受けるが、異常なし。「今の状態よりも少しでも悪くなったらすぐ来るように」ということで帰宅した。当時、仕事がとても忙しかった。休みます、などとは口が裂けても言えない。だが、着実に症状は悪化し、水位が上昇するかのようにしびれが上昇。日に日に歩けなくなっていくという恐怖は、相当なものだった。ついに耐えきれず、深夜に先日行った病院の救急に電話した。だが、専門医がいないということで、話を通しておくから翌日に来るように言われる。仕事を数時間抜け、再び病院へ。A先生の診察曜日ではなかった為、B先生に通される。A先生に言われたことをすがるように訴えるも、「しびれは放っておくしかない」と断固として突き放された。埒が明かないと思い、受付で次のA先生の診察日を尋ねると3日後だということだった。この2日間は土日で仕事は休みだった。限界の中、恐怖と共に過ごす。1分1秒が全く進まない。しびれは結局下半身すべてに及んでいた。眠れない。食べられない。ひどい下痢。それはそれは長い2日間だった。ついに来た、待ちに待った3日目の朝。仕事は休んだ。それどころではなかったし、もう仕事などはどうでもいい。既に歩けなくなっていたのでタクシーを呼び、家の前にびったりと着けてもらう。さすがに一人では行けず、母が付いてきてくれた。診察室に通されたと同時に検査入院が決定した。A先生が神様に見えた。結局私は緊急患者扱いだった。ざまぁみろ、B先生。(因みにB先生は退職されています。)病室が整えられている間に、院内の喫茶室で飲んだウィンナーコーヒーの味は、一生忘れることはないだろう。そんなこんなで様々な検査を受けた結果、多発性硬化症(MS)をという診断が下った。重厚な防音扉が、どんと大きな音を立てて閉じられた瞬間だった。暑いですね。水筒は必需品ですね。
2013/06/11
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私の生きがいなのです。多発性硬化症(MS)を患って6年になった。まだ下半身のしびれは遺るものの、身体はとても元気だ。そして、ブログを始めて5年。よく5年も綴っているなと思わなくもないが、それなりに自信に繋がっているようだ。それも読んで下さっている方々がいるおかげ。私からはどんな方が読んでくださっているかはわからないが、同じ病気の方や、少なくとも私と似たような想いを感じている方々だと、そう思いたい。詰まる所、私は書くことが好き。書きたいことは山ほどあります。これからも、まだまだ書き続けます。お散歩してたら、丁寧に手入れされてるお宅を発見♪
2013/06/10
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【多発性硬化症(MS)と自律神経失調症「汗」のお話3(私の場合編)】5/31のつづき。やっと、今回の日記のテーマである「汗」の症状について。まず、先に書いたように、脱ぎ着しやすい服を重ねるようにした。例えば、冬ならコートにマフラー、手袋、カーディガンなど、一枚ずつ脱いでもおかしくない服。毛糸で編んだような厚手のものなどは以ての外。腕まくりをして手首を出す。いくら寒くても、カイロなんかはNG。いつでも汗を拭けるようにハンカチなら大判のもの、ハンドタオルも常備。自分の汗の多さに幻滅してさらに汗をかくという心理状態の時ならば、満員電車や密閉された空間になってしまうエレベーターなんかには乗らない。そうなってしまったら、一人きりになれるトイレに入って気持ちを落ち着かせるとか、わざと路地裏に入るとか、少し目を覆い視界を暗くするなどして、乗り切る。お茶を飲んで深い深呼吸をして、もう大丈夫と思うまで気長に自分と向き合う。大事なことは、そんな自分を決して責めないことだった。「やっぱり身体がおかしい」ではなく、「だいぶん汗の出る回数が減ってきたね」とか、「汗の量も減ってきたね」とか、「今日は家でゆっくりしなさいってことだ」と言った風に、プラスの思考に転換すること。私の自律神経失調症の自分治療は、こんなことから始まったのだった。完。次項(自律神経失調症「恐怖」)へ。
2013/06/09
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またまた、こんにちは。お散歩が趣味の私。さすがに暑くなってきたのでそれほどは歩けないが、やっぱりお散歩は楽しい。ついでに、私はどうも、どんな時も文字を目で追ってしまう活字中毒のようなので、進んでお散歩に出かけた方が目が休息されていいらしい。私は基本的に下を見て歩いている。いろいろな道をてくてくしていると、「あそこにはあのお花が咲いて、○月にはあそこが写真スポットになって、たぶんあそこに行けばのらねこに会える!」と年間カレンダーが作れるほどになってきた。そして、通ったことのない道を通れば、また新たな発見の連続。最近では、よく会うのらねこの顔も覚えてきたので、名前を付けたりして楽しんでいる。やっぱり自然と共に生活することが、私には向いているのだと思う。それにしても、雨の降らない梅雨ですね。
2013/06/08
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『夕暮れ時の 散歩道』毎日、母の手料理を食べさせてもらっていることは、本当にありがたいことだと思う。
2013/06/07
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私にできることって?あの、公言するのは初めてなのだけれど、私、文章を書く人になりたいのです。いたいた♪
2013/06/06
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精魂果ててもし、もし余命が残りわずかだと告げられたならば、私は一体何を望むだろう。海外旅行へ行く?美術館とカフェへ行く?友達に会う?パートナーと四六時中一緒にいたい?いや、やっぱり私は、余すことなくその想いをつらつらと書き遺すことに精を出すような気がする。やっと死ねると思うのだろうか。最初はそう思っても、間際になると、こんな私でも、もっともっと、もっと生きたいと思うのだろうな。それが、『欲』という感情を持つ、人間の悲しい性。明日とあさってはお休みしますね。
2013/06/03
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芳醇な 人生とは女性20代後半。社会に出始めた20代前半の頃のように若くもなければ、ベテランと呼べる域にはまだまだ乏しい。仕事で役職に就いたり成功したいと狙うならば、男性をずんずんと押しのけて這い上がる闘志を燃やさなければならない。一方で、30歳を目前にし、出産を望むのであれば年々リミットは確実に迫ることにはたと気付き、やにわに『結婚』という二文字がちらつき始める。また、見下していた世の中から少しずつ見放されていくことに、徐々に気付き始めるのもこの頃。「私の人生こんなはずじゃなかったのに。」数ミリずつ、自惚れて思い描いていた将来計画からかけ離れていくことを認めざるを得ない自分。私が多発性硬化症(MS)を発病したのも、そんな26歳の時だった。生活は一変。人生なんて、そもそも思い通りになどいかないものだと思っていなければ、生きてはいけない。人生とは、ただ心臓が動いていること、息をしていること。浮き沈みのない平坦な日々は特におもしろくもないかもしれないが、その分感情の振れ幅が大きくなることもないから、淡々と冷静に生きられる。もしかしたら、それはある意味、一種の諦めかもしれない。希望も夢も儚く散った。人生を悟るのは、一瞬だった。それでも、人は僅かな希望を抱かずして生きてはいけない。それがたとえどんなちっぽけな希望であろうとも、それだけはどんなことがあっても消えることのないよう、諦めずに祈りを込めたい。ぷか~。
2013/06/02
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プラスの重み双子の場合、一人の場合より、何やら手厚い支援を得られるらしい。産休は数ヵ月長くなり、○○金などという金銭的な支援も額が多くなると妹は言う。妹はとても堅実で、とにかくしっかりきっちりしている。特に趣味もなく、通帳の残高が増えていくことが嬉しくてたまらないらしいから、使う時には使っても、ちゃんと節約しているはず。と、妹は何やら得をした気分になっているが、それだけ双子は大変だからじゃないだろうかと思うのは、私だけだろうか。これもバラ園にて。
2013/06/01
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