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「若者にも積極的に政治参加を」と言っている産経新聞が国会前で昨年デモを行った学生団体を考えが薄いとバカにしたり、公立高校で学生の休日デモ参加の際に届け出をさせる動きがある、など、そういうのは、なんやかんやで結局は「自分たちに都合のいい政治活動しか許さない」ということなんだろうなと思う次第。 そもそも政治的なことを若い人が語ると「うざい」「かっこ悪い」「生意気」な空気があって。そりゃ避ける訳だわ。
2016.06.30
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「性同一性障害、社内に知られた」 社員が職場提訴へ なんともはや、呆れるような事案ですが。これって他のことで例えるなら、髪の毛をカツラにしている社員に「私はカツラです」と社員の前で言わされるようなことだ、とすると感覚がわかるのではないかと。 ちょっと思ったのは、テレビでいわゆる「おねえキャラ」という立ち位置の芸能人がいて、いろんな形でいじられたり、突っ込まれたりする。これは芸ですからあくまで芸能人だから許されている。 しかし、一般の性的少数者の人は別で。そういった「いじり」を求めていないし、傷ついたり不快に思う人が多い。それを恐れているからこそ、ひた隠しにしているのが実情ではないかと思います。 それとも「やましいことじゃなければ堂々と皆の前で公表しろ」的な考え方の人が未だに幅を利かせているのかなあ?
2016.06.29
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近所の書店が閉店になりまして。これで私の住んでいる近所では事実上、本屋さんがなくなってしまった(デパートの中にある書店だけ)ことになりました。 確か10年前は駅周辺だけで5件ぐらいあったはずですが、こうなると紙媒体の本を買うということが難しい街になった、ということで。かといって、電子書籍がそこまで普及しているわけでもなく。 本屋さんと同じく、急速になくなったものとしてCDショップ、レンタルDVD店が消えている。これらはネットで代用できる、ということなのでしょうか。 でも、本の購入などはネット通販だとかえって面倒なものでもあるんだよなあ・・・
2016.06.28
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自分の好きなものが常に時代の本流とか王道ではない、という話について。 ツイッターであるゲーム開発者の方の「自分が好きじゃないジャンルはゲームじゃない。自分が好きじゃないゲームが流行ってるとゲーム文化が死ぬ。」どんだけ傲慢なんだよ。 という意見には激しく同意で。それは多様性を認めないことになる。この手の話題は他のジャンルにもあって、それまでなかった作品が大ヒットし、そのタイプの大きな流れが業界潮流になると、それに乗れなかった、あるいは好きではない人にとって自分たちが無視される存在になる不快感というか、焦りというか。 意外と知られていないのは、日本のゲーム人口って増えています。それまでゲーム=専門ハードを買って遊ぶ、しかなかったのがスマホの普及で子供だけでなく、主婦やサラリーマン、中高年にもゲームを遊ぶという文化が広く広がっていて。 ちなみに現在、日本のゲーム市場でコンシューマゲームの売り上げは3割程度だと言われています。 むしろ、最初に触ったゲームがスマホのゲームである小学生がいる時代ですから。そういう人にとってゲーム=コンシューマではないのでしょう。 スマホのゲームでヒット作が出始めた時「こんな単純で浅いゲームなんてブームはすぐに終わる」と言われました。が、もしかして通勤の片手間とか、ちょっとした時間つぶしにゲームをやりたい、というそれまでコンシューマゲーム開発者が無視していた大きな市場を開拓したのはこの手のゲームであり。 また、この手のゲームも淘汰は非常に厳しい。一年以上サービスが継続できるソフトは限られていて。だからテレビなどで膨大なCMを流したりとゲームの開発費以上に宣伝費用が掛かる。黎明期にあった「安く作れて一発当たれば大儲け」なんて時代はとっくに終わっています。 ここまで市場が変化している時代、特にユーザーの持つコンシューマだからという特権意識は何の意味もなさなくなっている気がします・・・
2016.06.27
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庶民ってどこまで政治や経済のことをわかっているのかなあ?と思うこと。 たとえば今回のイギリスのEU離脱問題。投票前までは「意見が拮抗はしてはいるけど、最終的に残留に落ち着くでしょう」というのが大半のメディアや経済学者の意見でした。が、ふたを開けてみたら離脱。これによって一気に株が大暴落、市場が大混乱、日本も円が一時100円を割るなど世界的な経済の大混乱を起こしたわけで。 だけど、庶民にとっては経済のことはとんとわからない。株が上がろうが下がろうが、株を持っていない人にとっては自分に対しての利益も損も感じられない。むしろ、自分の生活圏で最近目にするようになった外国人労働者に対する漠然とした不安が、何をされた、実害があったのでなくても感情に直結しやすい。 アメリカの大統領選挙で最初は単なる泡沫候補としか思われていなかったトランプ氏がここまで人気になったことを多くの知識人や専門家は予想できなかった。理由は簡単。彼らは「頭がよすぎる」から。まさか、こんなおかしな人間を支持しないだろう、まさかこんな差別主義者が世の中の多くに支持されることはないだろう・・・ しかし、自分も含めてだけど庶民というのは高度な知識がないから直情と感情で動く。どんなにテレビや新聞で政治経済の番組をやっていても見ない。タブロイド紙やゴシップ雑誌、ネットの噂、テレビのワイドショーで煽られればあっさり流されてしまう。 そのギャップがあるから、頭のいい人には考えられないような法律が支持されたり、とんでもない極端な人が選挙で選ばれたり。これは日本でも長年実務を堅実にこなして勤め上げた議員が知名度が高いだけの芸能人議員に大差で敗れてしまうような形でもよくあって。 何より、頭のいい経済学者も何の学も知恵もない自分みたいな人間も同じ一票。そして、頭の良い人、というのは確実に全体数から見れば少数派。だから選挙では専門家には予想できないことが起こることがある。
2016.06.26
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イギリスのEU離脱にたいして、理由の一つに移民によって国内労働者が仕事を奪われる、という危機感が根底にあった、というのがあり。 で、イギリスに限らずヨーロッパでもアメリカでも、この手の外国人労働者差別というのは不景気になると「あいつらが悪い」のやり玉にあげられやすい。でも、実際は「国内労働力が足りないから企業が外国人を使う」というのがほとんど。そして、彼らもその土地に暮らして経済活動を行い、税金を納めている以上、その国の国民と同じ社会保障や各種行政サービスを受ける権利があって。 逆に言えば、それを認めない、同じ権利を与えない外国人労働者は「奴隷」といいます。だから、移民に限らず、日本でもある外国人に対するヘイト運動などは、その奴隷制度を認めろ!といっているのと同じで。イギリスでおきている移民排斥の動きは、人類を中世の、それこそ人権のなかった時代に逆行させる行為でもあり。 ネットでちょっとぞっとしたのは、今回の問題に対して「外国人労働者が増えると世の中が悪くなる」と思っている人が結構いること。そうじゃない、かれらの待遇を悪いものにしていたり、極右勢力が公然と外国人を迫害できることこそが社会不安を生み出しているんだと思うのですが。 たとえばコンビニの弁当。この弁当を作った工場の労働者が日本人だろうが外国人だろうが、作業手順と材料が同じであれば結果の商品の品質は変わらない。もし問題があるとしたら、同じ仕事をしているのに彼らだけ賃金や待遇が低いことだと思う。
2016.06.25
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イギリスがEUから脱退、ということで思ったこと。 先週の先日のTBSラジオ「セッション22」で取り上げられていたのですが、今回は経済的な理由より、民族感情的な、古い「偉大なる大英帝国」に対するあこがれが国民世論を動かした、ということで。特にイギリスは昨今の移民、外国人排斥の動きなどにあるように、経済的な今後の不利益、不安より、感情論を選んだ、という結果になったというかたちでしょうか。 もっとも52:48という真っ二つに分かれた結果から見ても、全員がその感情論に走っている訳ではないことがはっきり出ていますが、これってどちらを選んでも「国民の半分の意見を無視した」になる。 結果が今後どうなるかはわかりませんが、第2次世界大戦前も各国がナショナリズムの台頭、各国協調より過激な自国第一主義の発言をする政治家が支持を得た時代だっただけに、いろんな不安が出てきている。その火種は常にあって、誰かが火をつけたら止まらない。 戦争がはじまるきっかけというのは、こういった排他的であったり自国主義であったり、国内の人気におもねった、国民の民族感情論を実質論が上回った政治家の動きから始まります。戦前の日本でも、実質のアメリカとの戦力差を知っている人間ほど「戦争をやってはいけない!」と訴えた、にもかかわらず、なまじ日露戦争での勝利経験が「我が国は大国に科根性論で勝てる、神風がある」といった空気が押し流した。何しろ戦争前の新聞も各社開戦をあおり、世論もそちらに向かっていた。結果は… いつの時代も変わらないのは戦争被害で庶民が幸せになることはない、むしろ取り返しのつかない長期間、破壊と殺戮の日々が待っている。 戦争を意地でもやらない、って、意外と難しいんですよね。
2016.06.25
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自分の子供の頃はテレビの定番番組に必ず「時代劇」があり。水戸黄門、大岡越前、暴れん坊将軍、必殺仕事人など、シリーズで延々とやっていました。が、現代のテレビ時代劇ってほとんどなくなった、ということは時代劇の定番がなくなったということ。これってTV時代劇というジャンルがひとつ消えてしまったことなんですよね。 だから、今の子供には水戸黄門の印籠を出す、とか、銭形平次の銭を投げて~というのが通用しないネタになっていてもおかしくなくて。 何となくテレビ時代劇って「みんなが知っている日本人の知識」と思っていましたが、すでに記憶がない世代がいるのだと考えると不思議な気分であり。
2016.06.23
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甲子園沸かせたPL野球部、消滅の足音…創部60年に休部へ 相次いだ不祥事「事実上の廃部」OB危機感 PL学園というと自分が子供だった時代、甲子園の代名詞みたいな学校でした。ですが、PL出身の桑田投手が批判したように非人道的な野球指導が行われていた、それこそ「学校教育にあるまじき行為」ですから、それが「野球で強いから許される」というのがおかしな話で。 よく、この手の話で過去に優秀なプロ野球選手を生んだからこの学校のやり方は正しかった、という人がいますが、それは生存者バイアスというもの。野球が好きなのに、野球以外の辛さ、たとえば奴隷のように使われるとか、理不尽な体罰、いじめといったもので表ざたになったモノ以外にどれだけ歪んだ3年間を過ごさせられた生徒がいるかも考えなければいけない。でなければこういった不祥事が起きる訳がない。 野球の強さが亡くなった今、生徒が減っていくのは当然で。これはPLだけに限らず、どの学校の部活でも起こり得ること。しかし、学校教育である以上、一般社会で許されない犯罪行為が教育として認められることはありません。
2016.06.22
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恒例の音楽イベント「フジロック」に学生政治団体のSEALDsがゲスト参加ということについて「音楽祭に政治を持ち込むな」という意見があり、それに対して「元々ロックもフォークも反社会的な政治メッセージ的なものはつきもの」という意見もあり。 で、自分に置き換えた時にどういうことかなあと思うと、たとえばコミケに参加していたら急にコスプレブースで政治家が演説を始めた、準備会公認だからイベント的には問題はない、ということなのかなあと。 表現の自由とか、政治運動の自由というものの難しさは、自分と同じく相手にもそれをやる権利がある、ということ。音楽には昔から政治的メッセージが強い歌はあり、それをステージで歌手が歌うことは問題ない。けど、多分、多くの反対派の人が不満な理由は、SEALDsの人は歌手ではない、あのステージに上れる人ではない、ということなのではないかと思う。 でも、これに関しても普通のアーティストのコンサートでも歌手以外の有名人をサプライズゲストとして紹介する、なんてことはあるし。イベントの賑やかし的なもののひとつではないかと考えれば、さほどおかしな話ではない。「ロックに限らず音楽には昔から政治的メッセージが込められているものも多い」という意見、逆に「俺らは純粋に音楽イベントに来ているのであって政治活動をしている人間を見に行くのではない」という人。 個人的な意見としては「主催者が公認している以上、認められているから、あとは聞いたものがそれこそ「この歌手、好き、嫌い」レベルと同じ扱いでいいんじゃないか」と。いろいろ混ざり合ったカオスな状態なのがフジロックの魅力でもあるし。
2016.06.21
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「運動中に水を飲んではいけない」「昔はアレルギーなんてなかった」…などの謎理論が展開されていた時代#昭和に戻りたくない理由 これ、私がいわゆる保守系団体の言う「昔の日本はよかった」を胡散臭く感じることの最大の理由で。たとえば昔はアレルギーがなかったのではなく、アレルギーという存在が知られていなかった、だから、たとえばそばアレルギーの人がそれで死んだとしても「突然死」として処理されていた。なにしろ同じものを食べた他の人が平気なわけであるから。 映画3丁目の夕陽の時代、まるで世の中が皆、平和で牧歌的で夢があり、幸せだった様な描写ですが、犯罪や公害、事件事故は現代の比較にならないほど多い。これは昨年の犯罪統計が過去最低だったことを考えただけでもわかります。なにしろ工場の排煙や汚水をガンガン外に垂れ流していた時代ですよ?環境がいい訳がないし、だからこそ公害問題が深刻な社会問題で新聞をにぎわせたのですから。 人間は過去をどんどん美化します。それこそ部活でひどい理不尽なしごきにあった体育会系部員も「いい思い出」に脳内変換する。しかし、現実としてそんなわけがない。同じことを下の世代に味合わせることは単に負の連鎖でしかない。 昨今、昔のように寿司職人の見習いを殴るけるで体に覚えさせようとするとすぐに辞めてしまう、若い連中は根性がない、という年寄りの話を聞きましたが、当たり前だと思います。そんなことをやってれば後継者不足にもなるし人が寄ってこない訳で。味や技術の伝統を潰しているのは自分たちであるという自覚がまったくない。 「厳しい教え」の中にどれだけ必要なものがあるか?逆に言えば暴力などの辛さで本来残るべき才能を潰していたとしたら? 冒頭の話に戻りますが、水を飲んじゃいけない部活もアレルギーも科学で否定されている。にもかかわらず「自分たちはこうだったから」という年寄りには、だったら自分がいま、その年齢で同じことをもう一度やれるか?そこを考えないといけない。
2016.06.19
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リオ州政府が“財政危機”と非常事態宣言 「破産状態」で「五輪を開催する義務を果たせない」 未来の東京を見ているような気分になります。正直、東京オリンピックを強引に進めようとする世代って、以前の高度成長期の東京オリンピックの幻想を見ている、としか思えない。 戦争で壊滅した日本に建築ラッシュで高速道路や新幹線などいままで「なかったもの」を作る特需があったから経済発展の原動力にもなったと思いますが、今の日本には単にイベントに金を使う口実にしかならない。オリンピック終了後の廃墟と財政赤字の苦労は長野オリンピックがすでに証明しているのに・・・ 今回のオリンピックは当初「コストが安い」ことを売りにしていました。が、決まった途端、見積もりの数倍の予算を平気で使おうとしている。国の威信という訳の分からない口実を振り回しているだけで必要性は見いだせない。 オリンピックをやるな、というのではなく、財政破たんしてもオリンピックを開こう、赤字のツケは次世代に放り投げろ、という、それこそ狂った感覚がどこかにあるのだろうなあ・・・
2016.06.18
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天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?まず「学校に髪形を規制される理由はない」ということ。髪型の強要というのは立派な人権侵害である、ってことにいまだに理解がないこの手に人達って何なのだろうか? 髪の毛については自分がすごく嫌な思い出があります。自分の髪の毛は生まれつき母方の家系で茶色っぽい。特に日中の日の光が明るいところだと軽く色を抜いたように見える。 で、この髪の毛について当時中学(公立)の生徒指導の先生に因縁をつけられる。どんなに説明しても「脱色してるだろう」と。そして、来週までに髪の毛を黒く染めてこい、でなければバリカンで丸坊主にする、と恫喝されました。 家に帰って両親にそのことを話したところ、激怒。翌日母親が学校に乗り込んできて、その生徒指導の先生と担任に「先生、息子が自ら脱色したのであれば私も校則違反だったとして黒く染めさせます。ですが、ごらんのとおり私の毛も、この子の姉も妹も同じように茶色い毛をしているのです。先生方は学校にもし海外からの金髪の留学生が来たら強引に染めさせるのですか?」 結局、この抗議でこのままでよい、ということになりましたが。でも、冷静に考えて何の権利があって生徒の頭髪に制限をかけるのか? それに、母親の訴えで引っ込めてしまうような程度の意味しかない校則であった証拠です。この学校ではほかにも天然パーマの子は許可証が必要とか、服装でも通学でコートを着ていいのは10月から、とか、つくづく意味のない人権侵害的な校則が蔓延していました。 体罰のもそうですが、本来の実社会では犯罪とされることが学校という組織内だと指導の名のもとに正当化される。上の記事を読んで当時のいやな気分を思い出しました。
2016.06.17
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小中学校で道徳や愛国心に生徒の成績を付ける動きがあることについて。 まず考えるのは「愛国心って何をもって評価するのか」という部分。たとえば「今の政府や政治家は腐っている!国のために革命を起こすべし!」という行動。逆に「今の世の中を守れ」という行動、真逆な方向でありつつどちらも愛国心であると思う。 では学校ではどういう点数をつけるのか?片方に100点をつけ、もう片方に0点をつけるのか? 歴史を見ればわかるけど、どちらの思想も時代や社会的状況で権力の中心にも、迫害の対象にもなりえる。今の世の中をよくするために起こした革命運動が成功したとたん、今度は自分たちに反対する勢力を反社会的として弾圧に回った政権などは枚挙にいとまがない。 そもそも、愛国心とあるように「愛」を子供に点数成績つけて指導すること自体、ナンセンスではある。こどもが成績を上げるために、実際はそうとは考えていない回答をテストで書くことも十分考えられる。 国旗、国歌の問題もそうだけど、やたらにこの手の「愛」を押し付ける思想は気持ちが悪い。それは必ず皆が同じ思想でなくてはならないというのと同じで、個性を否定するものであり。 それに愛国心という、なぜかこの日本という国単位で考えてるのもなあ・・・愛国心の愛の対象が日本以外でも構わないはずなのですが。
2016.06.17
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仕事を全自動化して6年間も働かず年収1000万円を得ていたプログラマーが最終的にクビに なんとも不思議な記事ですが。以前に会社のゲームプログラマーさんに聞いた話で、プログラマーに向いている人間とは楽をするためにシステムを作ることの苦労を惜しまない人だ、という言葉。これはなるべく機械任せにできる部分を作ることによって人力での作業を減らすのがいいプログラムの一つであるということで。 それを考えると上の記事のプログラマーは恐ろしく優秀な人であったとw。なにしろ6年間、自分が遊んでいても仕事が回ることができるシステムを作ったのですから。 「だったらこのプログラムがあればこの人はいらなくないか?」という意見があると思うのですが、それを開発できる人がいたから言えることで。 仕事とは「体を動かし、汗を流すこと」という概念に取りつかれているからこそ、こういうことが「ズルいことをしている」ようにみえてしまうのもあるかもなあ・・・もっとも、この人は今はコードをかけなくなってしまっている、ということでまるでブラックボックスのようなシステムなのかも。
2016.06.16
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ちょっと思った言い回しについて。 都知事辞任のニュースがありましたが、その前に本人には辞任の意思がない、とはっきり言っている時に、自民党含め県議から「自らの意思で辞めるべきだ」という意見が出たのには「本人にその気がないのに自らの意志っておかしくない?」ということ。 なんだか日本によくありがちな「自主的な参加を強要する」「仕事が間に合わない場合、社員が自発的に深夜勤務をするように」というパターンに似た、ヘンな話なんですよねえ?
2016.06.16
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昔あった人気番組「進め!電波少年」は、売れていない芸人に突然目隠しで拉致し、海外に連れ去って現場でいきなり無理難題を与え、「この企画、やりますか?」と返答させる。 これって、昨今のモデル仕事として派遣された先でAV出演を聞かされ、断れない(断ると違約金やら撮影費が~で恫喝)状況にするのと変わらないよなあ・・・ 当時はそれを「面白さ」だと思っていたけど、弱い立場の人間を権力を持つ人間が断れない状況に追い込んで強制させる、すさまじく理不尽で悲惨な内容であったこと。それをテレビの前でみんながゲラゲラ笑いながら見ていたこと。 今でも売れない芸人に理不尽をさせる番組はありますが、そういうことなんだよなあ。
2016.06.15
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アメリカの銃乱射事件の後に、現在大統領選挙候補者、トランプ氏が「イスラム教徒を入国拒否にしろといった私の主張は正しかった」と発言していることについて。 どうしてこういう状況で、こういった過激な発言ができるのか?というと、私が思うに彼を支持する有権者に向けた発言であって、元々米国内のイスラム教徒などから支持を得ようとは思っていない、むしろ不安をあおって自らの強烈な主張に引き寄せられる人をこの機会に集めるという行動なのだと思ってます。 世の中でこの手の不安が起きると、アメリカだけでなくどの国でも強烈なリーダーのこの手のわかりやすい主張を支持しやすくなる。アメリカの9.11の後に報復の戦争を行うという大統領支持率が異常に上がったように。 しかし、過激な主張をしている人間が本当にその行動に移ると、更なる被害、悲劇が生まれる。○○人をこの国から追い出せ!という指導者が選挙で民主的に選ばれてしまった場合、その行動を実行に移した結果がどうなるか? 差別される側というのはたいがい「少数者」であって、選挙では絶対に勝てない。民主的手続きで差別が法的に肯定される。こういう事があってはいけない。 もし、今回の事件がそういった差別を肯定する材料に使う人物がいるとしたら、そういった人間は警戒しなければいけないのですが・・・なにより、差別をする側は絶対に自分がその立場ではないからこそ主張できるのだし。
2016.06.14
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ある健康雑誌のコーナーで「体を柔らかくすると頭も柔らかくなる」のような記事があり。その先生曰く「体の柔軟性と思考の柔軟性はシンクロしている、私の知っている体の硬い人はほぼ間違いなく思考に柔軟性がなく、偏屈で、差別的偏見がある」と書いているのを読んで・・・ 本人が気が付いていないのだろうけど、ああ、体の柔らかさと頭の柔らかさは別に関係ないと立証してしまっていると思ったw
2016.06.13
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アメリカで50人もの死者を出した銃乱射事件がありました。詳しくはまだわかっていないのですが、単純に考えて一人の男が50人もの人間を短時間に殺すことができる武器を入手できる、というだけで、アメリカという国の銃の文化があることに戦慄を感じます。 もちろん、銃だけでなく爆弾でも毒ガスでも、大量に人を殺害する方法はありますが、銃というものが特定の差別的主義主張を持つ人間の手に渡った時の「正義を断行する武器」になった恐ろしさ。 今回は性的マイノリティー(同性愛者)の集まるクラブで行われた、ということであり。犯人の身内の話によると、数日前に町中で抱き合う同性愛者を見て激高している様子が確認されているとか。でも、この主張って、例えば日本国内での特定外国人差別団体が「○○人を殺せ!この国から追い出せ!」という行動の行きつく先でしかなくて。 だから人種、国籍、宗教、性別などあらゆるヘイトスピーチは怖い。ヘイトクライムに移行するなだらかなスロープになるから。
2016.06.13
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ひとつ前のブログを書いていてふと思ったのですが「優秀で能力があって積極的で常に会社のために一生懸命、自分を犠牲にしてくれて報酬を低くても喜んで仕事をしてくれる明るい社員」って、なにそれ都合のいいエロゲのヒロインみたいな人材を求めてるの?
2016.06.12
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「最近の若者は仕事よりプライベートを優先する傾向にある」って言葉を聞いたけど、当たり前だ。残業や休日出勤してもその分の金を出さないのは仕事じゃない。 むしろ、金も出さずに仕事させようなんて「仕事を舐めてるの?」としか。ウソだと思ったら、その辺の見ず知らずの人間にタダで会社の労働させられるか考えてみよう。会社は社員を「金で」仕事させているんだ。仕事に対する情熱とか義務感なんてプライベートより下に決まっている。 つい数年前は不況で企業側が圧倒的優位な立場で求人できた。けど、団塊世代引退で今後はどの業界も人手不足になる。企業側の「いやならやめちまえ」という言葉で困るのは自分たちだよ。
2016.06.12
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社会常識の変化と法律がずれてくることについて。 最高裁が検察側上告退ける…ダンスクラブ元経営者「無罪」確定へ この中で気になっていたのが「ダンスによる男女の接触は国がとやかくいうことか?」という点。たとえば、仲のいい男女が手をつなごうと抱き合おうと一緒に何をしようと、本来国家がとやかく言う筋合いはない。なのに、このダンスという部分になると急に変な介入があった訳で。 警察だけではなく、どこかに「男女が一緒に踊ることはけしからん」という一定層がいて。でも、考えたら何がいけないのかは説明ができない。こういうクラブで若者が麻薬の取引などが行われる、というのはダンス関係なく、あくまで麻薬の問題だし。クラブNOONの無罪判決から考える文化・芸術の重要性 この中にあるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアメリカでの銃乱射事件がロックバンドと結び付けられ、秋葉原での殺傷事件がすぐにアニメやゲームと結び付けられたように、社会を揺るがす出来事が起きたときにいつもスケープゴートとしてやり玉に挙げられるのは芸術行為だ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー はまさにその通り。 上の最高裁の上告棄却が、こういった無意味な差別意識を取り除くきっかけになればいいのですが。
2016.06.10
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様々なメディアがある中で、ラジオだからこそ、と思ったこと。 先日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」でゲストとの会話の中でメディアの現状、のような話があり、その中で大竹さんが「ラジオは無視されている(ほとんど影響がない、という意味)から、自由にできる」という話を。確かにそういうところがあるなあと感じることがあります。 たとえば自分がラジオを聞き始めた学生時代(もう30年近くなるかな)にも、クラスでラジオを聴いている同級生は2,3人。基本メディアの中心はテレビで。そのころですら影響力があるとは思えませんでした。 で、その後にネットという新しい情報メディアが現れて、さらに目立たないメディアになった・・・のですが。 ですが、その注目を集めにくいということが逆に番組の独自色を出す。DJの個性、番組の方向性などが強く打ち出されるのと同時に、目立たないテーマや事象を取り上げることができる。スポンサーも寛大でDJの自由にさせてくれる。 ラジオのインターネット放送とスマホなどの普及で、昔より聞きやすくなっています。でもこの「無視されているメディア」だからこそできる、テレビやネットにはない魅力があるんですよね。
2016.06.09
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様々なメディアがある中で、ラジオだからこそ、と思ったこと。 先日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」でゲストとの会話の中でメディアの現状、のような話があり、その中で大竹さんが「ラジオは無視されている(ほとんど影響がない、という意味)から、自由にできる」という話を。確かにそういうところがあるなあと感じることがあります。 たとえば自分がラジオを聞き始めた学生時代(もう30年近くなるかな)にも、クラスでラジオを聴いている同級生は2,3人。基本メディアの中心はテレビで。そのころですら影響力があるとは思えませんでした。 で、その後にネットという新しい情報メディアが現れて、さらに目立たないメディアになった・・・のですが。 ですが、その注目を集めにくいということが逆に番組の独自色を出す。DJの個性、番組の方向性などが強く打ち出されるのと同時に、目立たないテーマや事象を取り上げることができる。スポンサーも寛大でDJの自由にさせてくれる。 ラジオのインターネット放送とスマホなどの普及で、昔より聞きやすくなっています。でもこの「無視されているメディア」だからこそできる、テレビやネットにはない魅力があるんですよね。
2016.06.09
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「違法ではないけど不適切」ということは何なのかな?と思ったこと。 法律の穴、という言葉がありますが、たとえば政治資金規正法では株や不動産などでなければ申請さえすれば政治家側が「これは政治活動に必要である」といえば今回の舛添さんのように関係ない書籍や絵画の購入費も違法ではない。 本人も絶対にたとえば家族との旅行の宿泊代やピザの焼き方の本が都政と関係あるなんて考えてはいまい。でも、それが「出来てしまうシステム」なのが最大の問題であり。 舛添さんだけでなく、国会議員でも地球何周分もできるガソリン代を請求していた場合、これは明らかに「意図をもってお金を引き出した」ケースである、が、「違法ではないが不適切」という言葉で許されてしまうのか? 逆に言えば「使い方が不適切だから違法」なのではないか?と思うのですが。
2016.06.08
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綱紀粛正の意味のなさをつくづく感じたこと。 沖縄で在日米兵が飲酒運転で事故を起こした、というニュース。先の米軍関係者による女性殺害事件の後に基地内では綱紀粛正を訴えていた矢先の事故。 で、思うのはどちらも「個人的な不祥事」に対して、無関係な米軍人に「今後しばらく基地外での飲食の禁止、休日の外出禁止」といった締め付けを厳しくするのって、全く意味のないことだよなあ・・・ これは学校での連帯責任論と同じで。たとえば高校球児の一人がけんか騒ぎを起こした、という理由でチームが甲子園出場を辞退、のような。全く意味のない懲罰。 おそらく「怒っている沖縄県民に対しての反省のポーズ」なのでしょうが、過去に同様の事件事故が何度も起こり、そのたびに綱紀粛正、でも結局個人の犯罪には全く意味をなさない。むしろ何もやっていない善良な米兵が苦労をするだけ。 いい加減、この手の「反省ごっこ」に意味を持たないようにしないかなあ・・・
2016.06.07
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高校野球夏の高知大会 出場全34校部員に決勝観戦義務付けへこの「全員観戦させる」というのがよくわからなくて。高校球児にとって、決勝で戦っているチーム以外はもはやその夏は「終わった」わけですよね?見たくない、行きたくない生徒もいるはずで。 これが高校球児で希望する生徒は無料、というのならわかるのですが。試合を見るのであれば、それこそ各校でテレビでも見られるし。それに、いくら入場がタダになったとしても、県内の遠距離地域では移動にかなりの手間と時間がかかる。こういうのって義務つける類のものじゃないのではないだろうか? 「県内の高校野球を盛り上げるのが狙い」と書かれていますが、強制的に集めた観客で盛り上げる演出をしても、それって単に「サクラ」って言わないかなあ? 強制的に部員に野球を見せる、なんだか妙な感じがします。
2016.06.07
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NHKの「ブラタモリ」や長年やっているテレビ朝日の「タモリ倶楽部」などを見ていて、このタモリさんというタレントの地形や地理に対する博学ぶりに驚く、というより、自分にとって全く興味のないもの、たとえば高低差とか道路の作りといった事柄に面白さを感じる番組にしているのは、やはり伝え方の面白さなんだろうなと。 同じことを学校の勉強で先生に教えられたとしても多分、退屈な授業としか感じないんだろうなと。でも、この番組は人気がある。 たとえば、面白い時代劇や歴史小説、映画やドラマなどから史実に興味を持って歴史に興味を持つ人がいるように、最初に学問的な知識から大量にあびせてもちっとも関心が持てないことはたくさんあるのだろうなと。 ゲームを作りたい、という人にいきなりC言語の基礎から独学で学べ、と分厚い本を渡しても挫折してしまうように、最初はおもしろいことを伝えるのは重要だと思いました。
2016.06.07
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川崎のヘイトデモ、出発直後に中止 反対の数百人が囲む ヘイトスピーチ、特に特定民族に対する言われない差別、偏見による暴言を言う人々の行動を、それ以上の数の反対派が同じ抗議行動で抑え込むという案件で。 思うのが、こういう行動で出てくるのが「反対派は表現の自由を侵害する」というもの。ですが、ちょっと思うのはこれってヘイトスピーチをする側の主張に「合理的正当性があるか?」という部分。例えるなら震災の時にデマや流言を流す人間について「これも表現の自由だ」と認めるか?ということ。そのデマを流すことによって実害を受ける、時には殺人さえ行われた、それが過去の関東大震災という歴史でこの国は立証している。 ヘイト団体の主張を彼らのホームページなどを見るとわかるのですが、明らかにおかしい(事実でないという意味)主張を強力に発している。そもそも、自分の努力でどうにもならない出生や国籍による人格の否定には合理がなくて。 で、ヘイトスピーチのまずいところは「放置しておくと「差別してもいい」「こういう連中は差別されて当然」と考える人、踊らされる人を作る」ということ。たとえば今の日本の経済状況が悪いのは特定民族が利権を牛耳っているからだ、だからそいつらをこの国から追い出せ!・・・こういうことを本気で信じている人がいる。ただ、冷静に考えればそんな馬鹿な話はない。 また、何か凶悪犯罪が起きるとまだ容疑者が捕まっていない段階で「在日の仕業」とネットに大量の書き込みがある。そのあとに犯人が日本人であったことが報道されると、すっとその話題が無くなる。何の根拠もなかったデマ。しかし、また別の凶悪犯罪が起きるとそのたびに同じ流言が流れて・・・ ちょっと呆れたのは、この手の主張をしている人のツイッターに「日本人なら当然の行動」と書いていること。おいおい、あなたのやっていることを支持している日本人の方が圧倒的に少数派なんだけど。 今回のようにカウンターデモが彼らより圧倒的に大人数で行われたことに対して彼らは何を思うのか?・・・まあ、彼らも分かってると思う。自分たちには合理的主張が何もできていない、ということを。
2016.06.06
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先のブログを書いていて思い出したこと。 自分が中学生時代、A君という友達がいた。ごく普通に話すクラスメイト。そんな彼が中学3年生で自分たちが受験校どうするか、みたいな時期に一人だけ「俺、高校行かないで働くんだわ」と。 当時高校進学率が9割以上の時代です。私もだから中学を卒業したらみんな高校に行くものだと疑わなかった。だけどA君の家は母子家庭であり、彼も一日も早く家計を助けたい、ということだった(ちなみに成績は中より上のまじめな生徒だった) 自分が初めて「世の中、みんな公平なようで大きな格差がある」というのを感じた瞬間であり。その後、A君は地元の工場で働くようになった。 日本という国は先進国の中で「子供に国がかける学費が最も低い」ことで有名です。では、その分の学費をだれが負担しているか?それは親であり、本人。しかし、そうなると本人の能力以上に「勉強ができる経済的環境」を自分の生まれで決まってしまう。 荻上チキさんのラジオで語られていたが「東大、京大といった頭のいい学校に通う生徒の親の年収は平均より高所得者が圧倒的に多い、これは統計で出ていて、お金があるから塾に通ったり、いい私立のレベルの高い教育をうけられている」というのがはっきりしていて・・・ 自分が高校に行く、という時、親は何の問題もなく学費を出してくれた。自分もそれが当たり前だと思っていた。 A君のような人が世の中にはたくさんいる。そういうことは常に意識したい。
2016.06.05
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今日は、様々な専門分野の大学院生に講演をする機会があり、終わった後の質疑応答で、「なぜそもそもセーフティネットなどが必要なのでしょうね?努力しないで貧困なら仕方ないですよね?」というような質問が複数、真顔で出されて、この人たちの生きている世界の狭さを思い知った。知ってはいたが。 これは読んでいて切ない痛みを感じました。この大学院生さんは「恵まれていることに気が付かない」人である、というのと同時に、世の中には個人の努力とか能力ではどうにもならないことが多くて、それを支えるのがセーフティーネットである、という原則を忘れちゃいけない、という話であり。 たとえば、この大学院生の家庭環境がどんなものか知りませんが、少なくとも大学に通えるだけの「お金があった」環境であること(たとえそれが学生ローンや借金であったとしても)は、生活保護とかセーフティーネットを必要としている人の生活環境は想像できない。個人の努力で何とかなる、と思っている。 しかし、人生の大転換期、あるいは人生設計が大幅に狂うというのは、個人の問題だけでなく予期せぬ形で訪れる事も多い。たとえば、人もうらやむ大手家電メーカーに勤め、バリバリ働いていたのに、自分も知らない上層部の不正によって会社全体の信用が落ち、社員が部門閉鎖&リストラの憂き目にあう、なんてことが昨今ありましたよね? また、人生常に自分の体が健康体であるとは限らない。不慮の事故、病気、自分でなくても家族が、で貧困に陥ることも考えられる。 昨今ニュースでも報道されましたが、生活保護受給者が過去最高を記録。そのほとんどが高齢者、という・・・まじめに働いていたのに引退後、年金などで生活できない、そういう人は「努力が足りない人」なのでしょうか? 昔、さだまさしのセイ!ヤングという番組内で、当時あった「若者が公園のホームレスに遊びで暴行する事件」があった際、様々なハガキの中でDJが「たくさんの意見がある中でこれだけは僕は許せなかった」と読んだハガキ。文面は「ホームレスになるような人は世の中の役に立たない、だからこうなっても仕方ないのではないか」という・・・これに対してさださんは珍しく声を荒げて「みんな一生懸命生きてるんだよ!一生懸命やって、どうにもならなくて、こういう境遇になる人だっているんだよ!だから、こんな風に言うのは僕は絶対許さない」と・・・ 上のツイッターを読んでいて、ふと同じ感覚をその学生さんの発言に感じました。 世の中個人の努力で解決できるのは運がいいことである、たまたま頭がいい、勉強するとテストでいい成績とれる「恵まれた環境」で育った人は、そのスタートラインにすら立てない人がいることを見落としがちである。自分の今の地位は全部自分の能力で手に入れたと勘違いするということ。また、個人がどんなに有能であっても、たとえば親の経済状況や家庭環境で人生が恐ろしくハードになっているケースは往々にしてある。ちなみに現在、小学生の6人に一人が貧困家庭だと言われています。 上の学生さんも、自分がそのセーフティーネット対象者になるとは、おそらく微塵も考えたことがないのだろうなと。
2016.06.05
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「礼儀・作法」がなっていない国会議員は自衛隊に体験入隊を 一言「自衛隊を礼儀作法とか精神を鍛える学校だと思っている精神論者は何なの?」 この手の考え方はたとえば「今の若者はけしからん!一定期間徴兵して鍛えるべき」というバカなことを言っている政治家の方がいましたけど、経歴を調べたらこの人も戦後生まれて自衛隊経験者でもない。自分がやらなかった苦労を若者には押し付ける、しかも、効果があるとは思えないやり方。 あほらしいなあと思うのは礼儀作法というあくまで「形の上での所作」であれば、日本舞踊でも茶道でも華道でも、また、日本のもののみならずとも世界にはいろいろあって。しかし、こういった作法を覚えれば品格が備わる、相手のことを考える人間になる、なんてことはない。 だいたい行方不明事件からいきなり国会議員の話に、全く脈略も関係もない。こういう突っ込みどころ満載、論理破たんしているコラムを書いている記者を鍛える編集者が仮にも新聞社にいないのか? ちなみに自衛隊内での自殺事件、昨年一年間だけで66人出ています。 この数字を見ても、いったい何をもって自衛隊で教育論ってのの意味が分からない。
2016.06.04
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しつけのために放置され行方不明になっていた男の子が発見された、という速報が入りまして。まずは安堵という形になりました。いろいろ今回は謎が残るので、これからどうなるか、事態の解明が求められます。 で、今回の一連の「しつけ」についてのやり方で立場によってさまざまな意見が出ているのが興味深くて。たとえばあるラジオ番組内で、子育てを経験した母親的な人の場合「いうことを聞かない子供をデパート内に放置などをしつけでやってしまうことはある」的な意見。それに対して「デパートのようなある程度安全が確保されている場所と違って自然林に放置は短時間でも危険でしつけの度を越えている」という投稿メール・・・ 難しいのは人によって「このぐらいは大丈夫」の度合いが違うこと。これってたとえば一昔前は教師が生徒をビンタするのが指導として「ごく普通」であった時代がありましたが、冷静に考えると明らかに暴力。しかし、これによって育った世代にとっては「ビンタぐらいは普通。最近の子供はぜい弱過ぎ」と軽く見る傾向がある。 今回の放置に関して、まだわからないことが多すぎるので(一週間もの期間、どうやってこの子は生きていられたのか?など)すが、とりあえず山国育ちの人間としては「山というのは都会と違ってちょっと入り込むと大人でも生命の危険がある」かなり危ない場所ですので、しつけでの放置はやめよう、ということです。
2016.06.03
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カタログスペックという言葉がありますが、商品のカタログに載っている性能と実際に使ってみた時の性能が全く違う、というケースはよくあって、たとえばノートパソコンのバッテリーがいい例です。カタログではフル充電で8時間持つ、とされていましたが、実際は画面のバックライトを最も暗くし、円盤メディアなど可動部分に使う電力を極力押さえ、さらにCPU処理も負荷のかからない状態での8時間である、しかし、実際の使用ではそんな使い方をする人はいない。だから誤差が大幅に出てしまう。 昨今の燃費不正問題をラジオで特集していたのですが、いかに燃費をよくするか、のために各社専門のドライバーが腐心して運転する。最も効率のいい速度を維持し、最高の燃費性を出した状態を「カタログに乗せる」ことで商品の売りにできる。でも、実際町中で走れば加減速、信号停止、荷物の量などで全く違う、はるかに下回った燃費性能しか出せない。 こうなるとこのカタログスペックの意味が本当にわからなくなってきてしまう・・・
2016.06.02
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昔は失業者が多い=景気が悪い、になっていたのですが、今は仕事をしていても支払われる賃金が低くて~となっている世の中。フルで働いているにもかかわらず生活保護の金額にしかならない仕事などが蔓延していることを考えると、昨今発表された「有効求人倍率がバブル並み」という話も胡散臭く感じる人が多い理由がわかる気がします。 たとえば近所の飲食店もそこらじゅうで従業員募集のポスターが張られている。けど、その時給で一日8時間働いたとしても、とても家族を雇える、そこそこ娯楽に使えるお給料だとは思えず。 なんだか首相の言っていたアベノミクスは確実に成果を出している、の言葉が実感として全くつかめない人が大半だから景気がよくならないし将来に不安を感じて大きな買い物ができないのだろうしなあ・・・
2016.06.02
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なぜ監督・脚本家は原作ストックあるのに、アニメオリジナルを入れたがるのか・・・大体オリジナル回で評判良かったのはないし 煽り系まとめサイトの戯言なのですが、思うのはこの手の・・・たとえば「アニメや漫画の実写がうまくいったことはない」的な意見。これ、それを言った人って実際成功例があっても見てないだろう?というのがあります。 たとえば最近の実写化の成功映画として「ちはやふる:上の句」があると思います。これも発表当時は「原作レイプ」だの「アニメがいい出来なんだから3期の予算をまわせ」だの書かれていました。で、実際、公開されて私も見たのですが、すごくいい出来です!原作をうまく再構成し、青春ドラマとして非常に熱い。これ、私だけの感想かと思ったら他の映画批評サイトや一般の方の感想でも評価が高い。しかし、この評価が高い実写「ちはやふる」を公開前に失敗作扱いした人の何人が見たか? この作品だけでなく漫画原作の実写映画作品の成功例などはたくさんありますし、映画だけでなくTVドラマでも「え?これ原作はマンガなの?」というものもあります。逆に言えば、どんなに成功例を作っても見ていない人にとってはいつまでも「実写化はだめ」でしかない。見ないのだから記憶が上書き更新されない。 それでいてダメだった実写化作品ばかりネタとして取り上げる。それも口コミで悪い話を聞いているだけで実際には見ていない。 作品が違うように、いいものも悪いものもあって当然。一概に「○○は全部だめ」だとは言えない、当然の話で。逆に言えば自分の目で見て感想を言っていないのでは・・・ 元ネタの「アニメオリジナル回」についても、成功例はたくさんあります。中には原作を知らない人にはオリジナルだと気が付かないケースも。 そもそも原作がある作品内でのオリジナル話って、監督や脚本家が無理やり、というより最初から要望があって、ということなのでしょうから。
2016.06.01
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