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宮崎吾朗監督、ジブリ離れTVアニメ初挑戦 NHK・BSで今秋放送 これは本気で期待してます。というのは一作目の「ゲド戦記」でおもいっきり味噌がついてしまった宮崎吾郎監督ですが「コクリコ坂」はいったい何が起きたんだ?!というぐらい出来が良かった(映画館に2回見に行ったほど)ので注目してます。 前にいわゆる2世タレントや2世作家を取り上げた本を読んだことがあるのですが、親が偉大な子供のプレッシャーというのは半端ない、そして、他の人より下駄をはかせてもらっている、という負い目から常に逃げられない、出来たものが及第点であっても世間では駄作扱いされるというインタビュー記事で、むしろ大変なんだろうなと。 が、少なくとも作品を見た上で「今回も期待!」と思っている監督なので楽しみだなあ・・・
2014.01.31
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以前、大きな会社に勤務していた頃ですが。あるゲームつくりでキャラクターのモーションデータを作る際、別のラインの過去作品のキャプチャーデータを使わせてもらおうと思ったのです。で、私にラインを跨いだその権限はないので上長にお願いした。で、その上長がその別ラインの責任者に申し込んだところ、却下されたという・・・ 理由はごちゃごちゃした言い回しでしたが、要約すると「うちのラインの予算で作ったデータを別のラインの奴が使うなんて許せない」と・・・で、結局似たようなデータをもう一度モーションキャプチャーするという、なんとも間抜けなお話で。 こういう事って大きな会社だとよくあって、フロアが違うと相手が何を作っているのかわからない、同じ人体モデルなのに社内的に骨構造の名前が統一されていないからモーションデータの流用が出来ない、似たようなUI表示システムなのにソースの流用など許されず、一から作り直さなくてはならない・・・ これって現場レベルだと「ああ、いいっすよ。ここにデータあるので適当に持って行ってください」ぐらいの感覚でやり取りできるのですが。 たとえば外部との会社の契約でそういうことができないケース(作品以外のデータの流用禁止)はあります。が、内制の、しかも非常によく似た作品が以前に作られているにもかかわらず、そのノウハウがまったく生かされていない、会社にとっても損失なのですが。 今の会社はとにかく人が足りないので、前に作ったツールやデータ、ソースなどを流用、発展、改造は当たり前なのですが、下手に大きな会社のセクショナリズムがこういう部分での経費削減を阻害しているんだろうなあ・・・
2014.01.30
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今週の伊集院光のラジオでも語っていて自分もそう思ったのですが、コンビニのフォアグラ弁当をフォアグラは製作法が残酷だからやめろ!というクレームが20件あったから販売中止、ということはフォアグラ大好き、こんな安価でフォアグラが食べられるなんてうれしい、という意見が30通来たら復活させてくれるのか?というお話で。 同様に今話題になっているドラマに関しても「一回目の放送の後、いい意味でも悪い意味でも話題になったから視聴率がぐんと上がると思っていたら一回目とほとんど変わらない、むしろ0.5%下がった程度。ということはスポンサーが「こういう批判があるから(企業イメージが悪くなるので)下ります、ってのも意味がない。しかももっと変なのは大手新聞の投稿欄に「○○のドラマではこういう描写があるようだが~」って人から聞いた話はダメだろうと。 番組では上の2つをイルカ漁に対するアメリカ一部政治家の意見に似ていると総括していましたが。ここからは自分の意見 普通、一般の人は相当な怒りとか苦痛がない限りこの手の自分の意見を直接相手に伝える事はない。だからそういうことをする結局「ごく一部の声のでかい人間」に恐れをなしていろいろ物事を決めるともっと大きな支持層を失ったり、あるいは消去法でしかモノが作れなくなる。切れ味のいい包丁を作るはずが安全性や万が一の事を考えすぎて当初の切れ味を削ぎ、まったく使い物にならない包丁になってしまったような。 そして何より、わずか20通程度の意見(嗜好)で世の中は変えてしまえる。しかもそれは「自分が嫌いだから見ない、食べない、無視する」という一番簡単な解決方法があるにもかかわらず。自分が見たくないから、他人にも見せない、食べさせないという傲慢というか。これは昨今のエロマンガの取締りにも見られますが。 「意見を言うな」というのではありません。それこそ言論封殺になるから。大切なのは意見を受け取った側がどう対処するか?という問題で。特に嗜好品のような世界の場合、フォアグラが中止できるならコンビニで煙草も売るな、酒もダメ、豚、牛を使った商品も動物愛護の精神からダメ、と、すべて少数の意見で店側の利益すら奪える。フォアグラ弁当を「誰のために作ったか」を前提にしないと、いらない人の意見を聞いても売り上げにはつながらない。
2014.01.30
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ゲームつくりなどでは現場での効率化がミスを防ぐ事にもつながるケースは多くて。 たとえばデザイナーが作ったデータをプログラマーさんにいちいちコンバートしてもらって実機確認、だとプログラマーさんの手間を取らせる(仕事を止めてしまう)のが、専用確認用のツールを作ってもらってデザイナーのみで確認、であれば作業の回数も多くなり、チェックも細かく出来るようになる。データを細かく分割し、一つづつバラバラに登録するとヒューマンエラーが起き易くなるが、一括で管理し、それぞれのデータの特性をエクセルで直接入力してプログラマーさんがそのデータを毎回自動で読み取るようになれば更新の際の時差で古いデータがそのまま、なんてミスもなくなる。 何より視覚的に確認するのが楽、ということは「トライ&エラーがやりやすい」ということになるので「確認が面倒だから」的なことが防げる。 社員のミスの多いことを「気合が足りないから、集中していないから」という精神論で防ごうとする前に、ミスが起きにくい、ヒューマンエラーは起きることを前提にした環境を作ることと、ミスがあってもその人を過剰に責めない、仕事の中でそれを効率的に修正できる環境を作ることが最終的に安定性を高める、ということでもあり。 体育会系根性論や懲罰でミスを防ぐってのはヒューマンエラーを起こしやすい原因でもあり。ミスを犯したら殴る、って発想であってミスしないことが前提に立ったリスクコントロールになっているからなあ・・・
2014.01.29
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都知事選挙前で新聞やTVなどでも各候補の主張やらが見られるようになりましたが、論議の中心が原発とか国防論とか消費税とか・・・ 都知事にそんな権限はないけど、そういうところばかり取り上げられるのはどうしたものかと。 「国家論も交えた大局的な視点」という事だと思うのですが、実際は「都知事選挙で選ぶ基準にならない」ところばかりで。 とりあえず地味でいいから実務能力に長けている人を選びたいのですが・・・石原さんのようなエキセントリックで結局問題ばかり起して都政の問題点を何も解決していない人は勘弁してくれ。
2014.01.29
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自分には3歳年下の妹がいるのですが、尊敬してます。 妹は学校でも結構頭が良くて、大学受験の際に上のランクの大学を受けました。が、落ちまして。当時相当落ち込んでいた光景をよく覚えています。で、一浪して予備校に通い、翌年その大学に晴れて入学出来まして。まあ、それぐらいならよくあるお話ですが。 何がすごいって大学で猛烈な勉強をし、3年次にほぼ卒業までに必要な単位をすべて取得してしまったという。で、残りの1年を目いっぱい遊んでいた(就職先もとっとと決めてしまったので)、なんつうかすげえなと。「一年浪人したから一年取り返す!」というなんだかマンガみたいなお話ですが。一度挫折を味わったからこその生き方というか。 今は旦那さんの出張で海外にいますが、「ああ、あいつならどこにいても大丈夫だろ」と変な安心感がある、尊敬する妹です。
2014.01.28
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日本が比較的安全な国だったのも、それなりに満たされた人が多かったからだ。 今後とも今のような閉塞感と労働者搾取が続けばさらに多くの事件を生むだろう。 これは同感で。治安が悪くなる最大の要因は世界共通で「貧困」です。で、同じ貧困であっても「未来に希望が見出せる」場合は比較的それを押さえ込める。若いときに給料が安くても毎年少しづつ給料が上がれば我慢できる。しかし、今後この状況が一生良くならない、という閉塞感を与えた場合、そのストレスで不特定多数に無差別テロという形で発露する恐れがある。 銀行員の給料が高いのは、目の前で大金を扱う仕事であるからこそ、その金に手をつけないだけの給与と社会的地位、責任を与えて未然に犯罪を防止している、というお話がありますが。世の中も昔は重要な、危険な、多くの人命にかかわる仕事に付く人には高給が対価として支払われました。が下請け、孫請け、さらにその派遣社員、みたいな現場で働く人に行き渡らないこともあります。だとした場合、社会の根本の危機になることもある。仕事の責任は給料分です。逆に言えば「サービス残業」のようなことが日常化しているのは危険であり。 治安を守るのは、エロ本やゲームを規制したり、ゆとり教育を見直して詰め込み教育を復活させたり、特定愛国心を無理やり押し付けたり、警察官や防犯カメラを増すことじゃないと思うんだけど・・・
2014.01.28
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月収14万の契約社員が農薬を商品に混ぜる危険性が有るから、持ち物検査や監視カメラを整備して一人あたり何万円をかけてでも監視コストを掛けよう!!……って発想。「料金所の機械のメンテ費を捻出するために無料道路を有料に変えた」みたいな皮肉トンチ話っぽい。 なんだかすごく意味がないですよねえ・・・だいたい、「農薬を混入させて会社に迷惑をかけよう」というほんの一人の人間、しかも、その人間は社内にもういない、にもかかわらず、監視カメラや持ち物検査のような疑いを何もしていない従業員に今後徹底とは・・・ なんだかここに逆に危険性を感じる。会社が契約社員を「どのような目で見ているか」という。
2014.01.27
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コンビニのフォアグラ弁当を残酷だからやめろ、という抗議で中止になったことに対して「くだらねえ!一部の人間の勝手な趣味に企業が屈するなんて」ということをツイッターで書いていた人がいましたが、確かこの人、フジテレビが韓流ドラマを流す事に対して「ふざけるな、見たくもねえ韓国クソドラマを放送しやがって!売国放送局め!免許停止にしろ!スポンサーに抗議のメール入れてやる」って書いていた記憶が・・・・ うわあ・・・なんだこれ? 自分の単なる嗜好で嫌いなものを見たくない、食べたくないから他人にも強要するのは同じ事だと思うけど。
2014.01.26
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最近、話題になって当時見損ねた映画をレンタルDVDで借りてくるのが週末の楽しみになっているのですが、その中でも特に気に入った作品「英国王のスピーチ」がありまして。以下ねたばれあります。 第2次世界大戦直前のイギリス。吃音(きつおん)に悩む後の英国王ジョージ6世が独特の克服方を教える民間人言語障害カウンセラー:ライオネルと、常に自分を支える王妃と共に歴史に残る演説をするまでの物語。 吃音、いわゆる「どもり」があるにもかかわらず、生まれ持った権威ある立場上、多くの人前で演説しなければならない王の苦悩、そこには平民も、王族も関係ない「誰でも出来るといわれることが出来ない自分への恥ずかしさ、周囲が落胆する情けなさ」が辛い。しかし、ユーモア交えた訓練法と周囲の支えによってそれを克服していく。 何よりこの映画の構成がすばらしいと思ったのは、最後の演説。これ、どこかで聞いたことがあると思ったら、昔、NHK特集でやっていた第2次世界大戦を扱った番組でポーランド侵略したナチスドイツに宣戦布告するイギリス国王の悲痛で、絶望的なラジオ放送で。番組ではこれから来る世界を巻き込んだ戦争への号砲という悲惨な演説であったはず・・・なのですが、この映画ではそんな戦争への悩みではなく、きわめて個人的な「マイクの前でスピーチを上手く出来るか」という悩みにし、悲惨な内容の演説であるにもかかわらず無事終えた喜びをコントラストとして見せる。すばらしく皮肉でありながら感動的な光景でした。 映画の中でアドルフヒトラーの演説(実写)が入るのですが、それに対して王が「(ドイツ語なので)何を言っているのかわからないけど演説がすばらしい」と憧れるように語るシーンがありますが、これってすごく皮肉が利いているんですよね。その演説の上手さによって熱狂的人気があったヒトラーがその後、世界を巻き込んだ戦争に国民を導き、破滅させる。「弁が立つ」のと「政治家として国民を幸せに出来る」のはまったく違う。よく日本の選挙でも「地味だが実務的に優れた人より、エキセントリックな主張を大声で面白おかしく語れる政治家が当選する」などということがありますが、それをまさに表わしているような切り口で。 むしろこの王の誠実さが上手くしゃべれない事から伝わってくるような。とても「いい映画を観た」というほっこりした気分でした。
2014.01.26
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衛生感覚に関してもう一つ思い出したこと。 工場で大量生産する食品の作業工程を紹介する動画があるのですが。その工程の中で数か所、機械でなく人の手によって作業がなされている過程がありまして。それに対して「他は機械なのにここだけ人が触るってのは不衛生」と思う人もいるらしい・・・ もちろん、この工場で働く人は作業着としてエプロンにマスク、帽子をかぶっている。にもかかわらず、要は「知らない他人が触れた」という工程が感覚的に不衛生としてしまう人もいる、ということ。 似た例として、アメリカに日本食の寿司の店を開く場合、州によっては職人が手袋をしなければいけない(生鮮食品に直接触るのは不衛生、ということらしい)というのも聞いたことがあります。もちろん、日本ではそんなことはありえませんが。 こうやって考えると衛生感覚って実際の細菌とか食の安全以上に「感情の問題」であると。コンビニのバイトがアイスのケースに寝そべったことも、アイスそのものは密封された袋に入っているから衛生的には100%問題ない。しかし、アイスケースごと破棄、という対処を見た時と同じ客に「納得感」を出すための演出なんだろうなあ…
2014.01.24
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私の行きつけだったある料理店。もうかれこれ5年近く行っているのですが。その理由の一つに店の「看板娘」ならぬ「看板ネコ」がいまして。店内のレジ横にいつも丸くなっている。お会計と共に軽くなでたりしてもおとなしくしている。 で、最近その姿を見かけないので「あれ?ネコちゃんどうしたんですか?」と聞いたら、店のおばさんが「いえねえ・・・最近食べ物屋でネコがいるのは不衛生だっていうお客さんがいてね。仕方ないから店に入れないようにしたの」と。 で、気が付いたのは、私の実家では昔からネコを何匹も飼っていました。だから、猫と食卓を囲むなんて日常で、別に不衛生とも思ったことはなく。しかし、猫を飼ったことのない人によっては「毛が食べ物に入ったら不衛生」という感覚なのかもしれないと。 店の方針なのでそのあたりの判断は客である私には何とも言えませんが。少なくとも猫目当てに通っていたところのある自分にとっては一つ足が遠のくきっかけになりそうで。
2014.01.23
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編集の介入とは何なのか?と思ったお話でもあり。リマスター原稿!!描いても描いても終わらない笑 漫画家さん側の一方的な意見なので話半分に聞いたとしても、相当ストレスを貯めてしまっている時点で担当編集者として失敗だと思いますが。 たとえばこれが新人であれば「指導」という意味で編集者の方が経験がある、のですが、この方はすでに業界歴も長く、ヒット作も世に出している。ってことは漫画としての実績は圧倒的で。 で、文章を読んでいるとわかるのは、この編集の方は「自分に降りかからないリテイクは恐れない」タイプの人だと(W。そうじゃなければ自分が出した修正要求に自分でダメ出しするようなことはできない。手間がかかる(書きなおす)のは相手である。からこそ、こういういい加減なリテイクが出せるわけで。 で、怖いのは「リテイク基準があやふやだと、作る側も何をどうやったら正解なのかわからない。さらには曖昧な編集者に正解をもらったところで読者が面白いとは限らない」というか。 ゲームつくりでもあります。クライアントの修正要求が思いっきりぶれまくって、結局最初のものとかわらないじゃん!のような。これって「なんとなく良くないよね」のなんとなくで指示を出した末の迷走であり、最も効率が悪く、ゴールも遠い。 この漫画家さんは結局「リマスター」として単行本で書き直しを決意したそうですが、本来、漫画家になろうという人は我の強い、自分の個性を紙の上で主張したい人です。だからこそ車の両輪にならなければ上手くいかないはずですが。編集者が「絵のかけない自分の書きたい漫画の代筆屋」として扱っているとしたら・・・それは怖いなあ・・・ もちろん、編集にはプロの編集者としての仕事があるので、マンガ家の好きにさせればいい、って話だと創刊2巻で潰れてしまった漫画家主体マンガ雑誌のようになると思いますが。
2014.01.23
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「結婚相手の男性に求める年収が500万以上」というアンケートに「だから自分が見えない女は結婚できないんだよ、行き遅れ年増女はそんな男と釣り合う価値があるか!これだから3次元の女は・・・」って返しがありますが、ハーレム学園アニメの「何の取り柄もない主人公が、なぜか一方的に美人からモテモテ」 って都合のいい設定を好むのと大して変わらない気がする・・・ 結婚相手に求めるものを、すべて「自分の都合のいいこと」に置き換えるとこういうことになっちゃうんだろうし。何も取り柄がない普通人間なら年収500万以上の相手も一方的モテモテもファンタジーの世界ですな。
2014.01.22
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たとえば、ウチの開発会社はだいたい経理や総務の人も含めて70人ぐらいの社員です。で、社内の開発ではだいたい常に5~6本のラインが動いている。一人で複数ラインを掛け持ちすることもあるのですが、平均して1本のラインに企画、プログラム、デザイナーあわせて10人程度がかかわっている(ゲームの内容によって増減はあります)。音楽関係は外部の会社。 で、今度出る次世代機、とよばれる高性能ハードにおいてはそれこそ一作あたりの人件費が桁違いなクオリティーをユーザーも求めると思う。となると海外のすごいグラフィックゲームに対抗するにはそれこそ社員全員で一本のゲームを作る、ぐらいの人数が必要になる。 しかし、売り上げは今より確実に落ちる(普及台数から) ってことは、最初から「やってられない」というのが多くの国内メーカーのホンネだと思う。何しろ開発費の高騰はPS2時代から言われていて、今世代(360やPS3)では飽和状態。大手がギリギリがんばったハイエンドゲームを作っている以外は主軸を完全に携帯ゲームやスマホゲームに軸足移している。 これは海外も同じようで。EAのような大手も「次世代機では発売ラインを絞って一本に注力する」とインタビューで幹部の発言。こうなるとエンタメ業界で重要な「多様性」というのが失せていく。 「グラフィックにこだわらなくてもゲーム性で勝負すればいい」という人もいるけど、そういう人が後方互換のない次世代機を積極的に買うとは思えない。「コアなファンに向けた」商品というのはコアであるからこそ、求められるものが一般ユーザーとは違う。 私はむしろ、今の日本のゲーム会社が全力で次世代機に勝負を賭けるとしたら不安になりますし「それでは海外との競争に負ける~」と言っている経済新聞にはこの人たちが言っている海外のゲームマニアが何人、日本のゲームを買ってくれるのか」を問いただしたい。 というか、今世代の据え置きハードですら国内で100万本以上売れたソフトが結局任天堂タイトル以外ほとんどなかった状況を考えれば。
2014.01.22
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誘っておいて面接で落とす――ここがヘンだよ日本の人事 これは確かに「現場で必要とされている能力が、必ずしも人事や上司のメガネにかなうものではない」ということでもあり。 自分の話で恐縮ですが、今の職場は前の職場でうまく芽が出なく、また、関わっているゲームの作り方も売れるとは思えない、上の方針であるそのやり方だと会社の売り上げに貢献するどころかコストばかりかけて失敗しているようにしか思えない状況に自分自身鬱々としていた頃、ちょうど求人で業界内では結構有名で、かなり自分にフィットする方向性の開発会社で、作品と履歴書を送ったところすぐに面接、給与面や待遇なども申し分なくその面接の席で今の上司に「ぜひ来ていただきたい」と即断で言われ、とても嬉しかったし、求められ、そういう仕事を与えられた以上、その期待に応えなきゃいけないなあ、と考えてがんばっていますが。 上の記事では人事担当者の画一的な質問が、きっと「求められて行った筈なのに・・・」という期待を打ち壊してしまった例だと思います。(その場で椅子を蹴ってしまったのはどうかと思いますが) 技術系中途採用の場合、現場で必要とされるのは「前職で身につけた仕事の能力」であり、正直「ウチでどんなことがしたいと考えていますか?」というのは入ってから会社側が決めることであって。 私も今の会社で面接を「する側」になることがありますが、基本は面接にまで呼ぶのは「採用予定者」です。提出してきた作品の内容が8割で。あとは直接合ってみて「面接時間に遅刻しない」「提出作品の説明を具体的に出来る」「極端にヤバイ人じゃない」であれば他の面接官の方の基準は知りませんがOKにしてます。 しかし・・・自分が面接する立場になってわかるのはたくさんのエントリーの中から「コレ」と思う人を見つける難しさで。そのとき現場で求めているスキルの人と違うけどレベルの高い別分野のスキルが高い人もいるからなあ・・・
2014.01.21
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休めない日本 根深い「皆勤」文化の弊害 これは考えさせられます。そもそも異常だと思ったのは「体調不良を押してまで日常業務を優先しなければならない仕事に対する強制圧力」で。以前、子供が高熱を出した、という理由で会社を早退しようとした人が上司から嫌味を言われた、という話題がありましたが。こういう上司って、おそらく自分にもその縛りをしていると思います。 ですが、冷静に考えたら、その人が数日休んだ程度で業務に支障が出ることがリスク管理が出来てない証拠でもあり。むしろ「休んだ時のために余裕を設けておく」ことが肝心で。「その人にしかできない仕事」というのをなるべくなくす事も重要です。その重要なたった一人が交通事故で、なんてこともあり得ますから。 以前新聞に「怪我や発熱した生徒もいたけどみんなで励まし合って3年間クラス全員皆勤賞」という記事を見てぞっとしたのですが・・・美談じゃねえよ、そんなのは。
2014.01.20
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私の周りで凄く評判が良くて、しかも皆一様に「この映画は3D版を見るべし!」と言われて気になっていたSF映画「ゼロ・グラビティ」を週末に同人を一緒に作っているアニメーターさんと見に行きました。 以下、ネタバレもありますので注意。 まず、3D映像を「飛び出して見える」というびっくり箱的な面白さで作ったのがアバターだとすると、こちらはそこから踏み込んで「宇宙空間の浮遊感、不安感、孤独感」という、まさに足場のない、ふわっとした心細さを演出するのに圧倒的でした。 シナリオ自体はものすごくシンプルで、宇宙空間で船外作業中のクルーがデブリ事故に巻きこまれ、体一つで宇宙に投げ出されてしまう。そこから地球帰還を目指す、という、何のひねりも、陰謀もない直球なお話。でも、意図的にそうした「ワンショットカメラの長さ」と「わかりやすいトラブルの連続」「リアリティーを消さない程度のご都合主義」が映画を最後まで独特で、それでいて飽きさせない世界を生み出していたというか。 そして何より、最初は事故に巻き込まれ、振り回され、必死にその場しのぎに生き残ることだけを考えていたヒロインが、あるきっかけで「生還する」という行動に全力で挑む。無重力状態でなすすべなく漂っていただけのヒロインが、明確な意思を持って困難を切り開き、自ら力強く突き進む。辛いことがあっても膝を抱えてうずくまっているのではなく、今ある知恵を振り絞ってあがき続けろ。そうすれば世界は変わる。 そういうポジティブなメッセージが込められていた展開でした。 そして何より最後のシーン。あの「体の重さ」はそれまで90分間あった浮遊感を一気に取り払ったようなずっしりした重さで。この重さを表現するために3D映像であったのではないか、と思った次第。 と、いうわけで映像的にも、ドラマ的にも誰にでも男女問わずお勧めできる3D映画でした。
2014.01.20
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「ケーキを作りたいから勉強のためにケーキいっぱい食べます」みたいなの本当に意味分からなくて、まず自分で生地こねて作らないと作り方わかんないですよ。「小説を書きたいからまず勉強してる」みたいなこと言う人いますけど、そういう人が書き始めるの見たことないですよ。 これはすごくわかる。モノつくりのプロになれる人と、単なる批評家、評論家で終わる人の違いというか。 ゲームを100本クリアした、極めた、という人は、それはゲームを「作ること」とは違う能力を極めていること。逆に一本でもゲームを作っている人の経験値にはかなわない。それは野球部でプロ目指して毎日トレーニングをしていた人と、野球中継を毎日見てスコアをつけていたり、選手年鑑の知識を暗記したりするのではどちらが「グラウンドに立てるか?」という話でもあり。 だから、稚拙でも小説を書いたことがない、絵を書いた事がない、楽器を使ってオリジナルソングを人前で歌ったことがない人間が、そういう人たちを「お前ら勉強が足りなんだよ、○○やりたけりゃもっと勉強してから出直してこい」なんて偉そうに言っている人の意見など意味がない。その馬鹿にした人間の言うところの「勉強」ってのがまったく出来ていない側の人間の説教なのだから。 「黒歴史」とか「中二病」なんて言葉に怯えていると、本当に青春時代のもっとも感性豊かで伸びシロの大きな時代を、皮肉と嘲笑と自虐で終えてしまいますよ。勉強とは自分が「必要だ」と思った時にするのが一番効率よく、そして身に付くものです。免許を取るために自動車学校に行くのではなく、自動車を運転したいから自動車学校に行って免許を取る。 この順番を間違えないようにしたいです。特に漫画や小説、ゲームつくりのような趣味の創作物なんて免許も許可も要らないのですから。他の人の作品を見る、というのは「創作の片手間に」できるものですし。
2014.01.19
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愛や友情とか世の中には金で買えないかけがえのないものはある!って言葉をよく漫画やドラマで聞くけど、金銭トラブルで友情を壊した例をNHKの「バラエティ生活笑百科」の質問でよく見るからなあ・・・ 金銭トラブルで金で買えない筈のものを壊す矛盾。
2014.01.19
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昔の作画の凄いアニメ、たとえば今でも第一線級のアニメーターが若いころに多数参加した「AKIRA」を、現代の視点から「あのころのアニメーターはすごい、すべてを手書きでこの動きを作りだした魂を感じる、それに比べて今のアニメはCGに頼り切り~」の言葉を耳にするたびに「あの当時はCGという選択肢がなかっただけ。だから、あの当時今と同じ技術があったら、必要な場所ではそれを使っていただろう。全てを人力で建造された巨大ピラミッドも当時クレーン車やトラックがあったら使われたはず。より演出意図が伝わる効果的なものを選択する」 と思ってしまう自分がいます。 手書きアニメにはCGにない魂が宿ります。しかし、CGアニメにも手書きとは違う作り手の魂が宿る。どっちが優れているではなく、「いいもの」であればそれは手法関係なく評価される。 だから、作画マニアと呼ばれるファンが「魂論」という曖昧なものをそういう部分で語ることには違和感を感じます。 とんでもない「AKIRA」が公開されていた当時のTVアニメの平均的な質とか、今から比べると「え?こんなものなの?」と思いますよ。それだけデジタルの恩恵を受けた今のTVアニメの質が桁違いだ、ということでもあり。
2014.01.17
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行政がアニメ放送前から舞台になっている地方でアニメの聖地化で客を呼び込もう、ということに関して。 これって本末転倒なんだよね。地元を盛り上げるためにアニメをヒットさせよう、というか。そうじゃないだろ?面白いアニメの舞台がたまたまその地区だった、自然に人が集まってきたから「じゃあ、いろいろイベントやってみるか」で十分遅くないのに。 なんだかこういうところが「お役所が日本の文化であるアニメとかマンガに口出しされると勘違い迷惑」を表しているんだよな。箱さえ作れば後は勝手に人が集まると思っているというか。 肝心なことはしないのに余計なことには積極的。
2014.01.16
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技術屋さんの転職の盲点で、自分も現在、面接する側になることもあるのですが「自分には技術がある、過去にこのゲームに関わった」というだけでは、実はあまり効果がない、その凄さが伝わってこないという。 たとえば有名大作ソフトに関わった、といっても、それこそ何十人、多い時は100人クラスのスタッフが関わった場合、その能力は 1/人数 と捉えてしまう。以前の会社内では評価されていたとして、新しい会社側ではそのすごさがわかりにくい。意外といるんです。過去の参加作品の名前だけズラズラっと書いて「実績」として履歴書を出してしまう人とか。 ですので具体的に「どういうものを作っているか」をゲーム動画なりで資料としてきちんと提出してくれる人は「実力がある」ということを初見の人に見せられる準備がされている人だと判断し、好印象を持ちます。 経験者に限らず、新卒者の企業説明会で学生さんが「どのようなものを作品として作っていったらいいですか?」などと質問されると、正直唖然とします。今から大慌てで作るのかよって・・・
2014.01.16
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■平成24年、少年犯罪戦後最低を記録 こういうグラフを見ると、日々どれだけ自分たちが印象で動かされているかわかります。冷静に考えればわかりますけど、ベビーブーム世代と少子化の現代では二十歳未満の若年層の人数が大幅に少ない。で、過去の少年犯罪が多発した世代というのは、当然その層の人口が多い。 こうして考えると、現代は戦後からもっとも「青少年が健全な時代である」とも言えますが。 メディアで先日も成人式で大暴れする新成人を取り上げていましたが、思うのは、自分の下の世代が「バカであってほしい、ダメな世代であってほしい」という欲求がどこかにあるのではないか、ということ。でも、そんな奴らは昔も今もごく一部。若者論にされたらたまったもんじゃない。ましてや「青少年の健全育成のために」という名目でマンガなど表現規制の口実にされるのはおかしな話で。 「昨今はネットの影響で馬鹿なことをして目立とうとする若者が増えた、これは希薄な人間関係が・・・」なんてラジオでコメンテーターが言っていましたが、それこそ80年代、校内暴力とか暴走族などがブイブイ言わせていた時代より、世の中はずっと平和になっている証拠でもあり。 なにしろコンビニのアイスケースに寝転んで炎上程度の事件が年末の「今年の話題の事件」に取り上げられるのですから。
2014.01.15
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うわあうわあな記事 サムライスピリッツって・・・この記者日本人の何割がサムライだったと思ってるの? 日本人が古くから持っていた倫理観を壊したのは、実はこの手の言葉が大好きな記者が肯定する「明治維新以降、敗戦まで」の時代。サムライが日本から消えた後のわずかな期間に作られた倫理観であることを忘れちゃいけない。 わかりやすい例だと「夜這い」の風習とか。農村部などで古来より行われていた性風習であり。それが明治以降、西洋的海外からの価値観に合わない、という理由で急速に「淫らな文化」としてタブー化された価値観です。 「軽薄な価値観や正義感だけまかり通る現代」というのであれば、わずか1世紀も持たなかったその時代、戦争に突入し、日本の歴史上類を見ない大量の死者を出した明治~敗戦まで時代を「至高の時代」とする文化の方がどれだけ薄っぺらいか。単に今の世の中の不満を「昔はよかった」で否定したいだけで。 私は「自分の言いたいことをこうして自由に発言できるだけでも、今の時代の方がよほどいい」と思っています。そもそも「武士道」なる言葉が世の中に普及したのがすでに武士のいない時代、しかも海外からの逆輸入的に新渡戸稲造の書物から現れたことを考えると、元々そんなのは日本の文化風習の歴史の中では無きに等しい存在だったわけで。 と、いうわけで「そもそもサムライなど現代にいない!」としておきましょう。
2014.01.14
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毎年恒例のように成人式で暴れる「荒れた若者」をピックアップして「これから大人として社会に出るのにこういった無責任な行動は~」のニュース記事やコメントを見ると「え?でも社会で大問題を起こしているのって大半が大人だよね?」 としか。結局、それこそ社会の根幹でいい年した大人がひどいこと、とても理解できないような行動を起こしているのを見れば、結局人間性と年齢は関係ない、ってことがわかります。 と、いうわけで新成人諸君!年齢など生きていれば誰でも積み重ねられる。 成人の日だからこそ無様な大人を見て「いい年した大人がみっともない・・・」と他山の石にしよう!
2014.01.14
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年始開けの前期から継続系アニメ放送で「作画がところどころおかしい、スタッフは年末から年始にかけて正月特番などで放送がない期間が2週間もあったのに手を抜いた」という書き込みがある程度事情を知っているはずの「オタク系掲示板で」書かれていたことに戦慄する自分。 年末年始はお前らが学校や会社を休みなように、社会全体が休みだよ・・・むしろ元日から初売り、と称して営業している店が最近多くなったことが異常な訳で。逆に漫画家さんなどもそうですが年末進行で普段より大変になる時期でもあり。 なんだか「客の些細なメリットのために働く側は365日、24時間常に平常運転が当然」という社会が怖い・・・昔はその手の時期に働いている人はその分、特別手当が出るのが当然だったのですが、最近はそれもない「平常業務として」お給料に換算している業界も増えているようだし。 正月やお盆など世間が休みなときにも日常を支えてくれている、それこそライフラインを支えてくれている方々に感謝。と、同時にみんな「盆暮れ正月、休むときは休もうよ」
2014.01.14
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海外の何百人規模のスタッフと桁の違う開発費と開発期間5年、なんていうゲームを持ち出して「同じハードでどうしてお前らにはこういう表現が出来ないんだ」と、プロでありながらその差を「個人努力」で埋められるような感覚で語る企画者を見るともう・・・ねえ・・・ それに、無理してそんな相手と「同じレベルのもの」を作って同じ土俵に上がっても、すでにブランドが確立している相手にかなうはずがない。でも、エンタメの世界は何でもそうだけど「土俵は一つじゃない」。
2014.01.13
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今期のアニメの何作かで、まるで計ったように一話目の見せ場として「女の子によるダンス」がありまして。それこそ動画枚数をたくさん使い、CGの背景をグリグリ回したり、派手なエフェクトと多人数がシンクロして激しく踊る。どれもレベルが高い。 ですが・・・ちょっと思ったのはたくさんあるとレベル高くても驚けなくなる、という贅沢で。 特にダンスに関してはそれこそ最近ではアイドル系のアニメだけでなく、プリキュアシリーズでも定番になり、視聴している側の目が慣れてしまう。しかし、作っている側はとてつもない労力と予算をそこにぶち込んでアニメの「売り」にしていることが多くて。この辺は一発何か当たると他のメーカーも似たようなものをこぞって作ることによって、レベルは上がるけど新鮮さやキャッチーさがガタ落ちする、ゲーム業界と同じ構図で。 ラノベのタイトルでやたらに最近長いものが増えたのも、結局一作当たると2匹目のドジョウを狙って皆が殺到し、本来「個性的であったこと」が逆に没個性になってしまう。お客さんの目を引くことが大切なエンターテイメント業界では安パイどころか危険牌になることもある、ということで。
2014.01.12
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SF映画で俳優が真剣に見つめるコード、よく見ると…んん? たしかに6502アセンブラ言語だ・・・このCPUは最も一般的に普及したハードは任天堂のファミコンですね。私もこれでプログラム経験があり、確か50ちょっとの命令文で構成されているんですよね。あの当時は今から思うと「こんなので?」と思うような性能で必死になってゲーム作っていましたが、意外とやりくりして作れたものです。 今はマシン語やアセンブラで直接CPUを叩く、なんてことはほとんどありませんが(もっと人間に使いやすい高級言語を使う)、あの当時は性能が低いが故に人間とCPUがガチの殴り合い、性能の引き出しあいで四つに取っ組み合いしていたころ。 とはいえ、プログラムという根底の考え方は昔から同じ「人間のやりたいことをコンピューターに翻訳して伝える」なので、ゲームつくりでよくプログラム的イメージのない企画者が「そこはいい具合に調整して」なんて指示にプログラマーさんがぶち切れる、なんて光景を未だに見ます(笑。人間側に明確に伝わらない要望をまして機械相手に翻訳(プログラム化)できないので。 プログラマティブな思考はゲームを作る上で必要条件です。
2014.01.11
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正しい日本語サンについて。 たとえば機械など説明の最中に突然ある人が「ちょっと待ってください」と手を上げる。説明役が何事かと説明をとめる。他の聴衆もその人が何を言いたいのか注目する。 そこで「今の「穿った見方」の穿ったという言葉は~」の解説を始める。機械の説明とはまったく関係のないことだとしたら? 「それって、今、言わなければいけない事か?」 コレに尽きると思う。映画を見ていて、隣の人間が上映最中に「ね、いまの変だよね?あんな風に人間って吹っ飛ばないよね?いくらアニメだからって正しい重力感覚で映像を作らないと。本来はもっとナナメに・・・」なんて言い出したら張り倒したくなる。 それと同じ感覚。ウンチクが語りたければ雑談が許される時間と場所でやればいい。話の流れを読まない突っ込みだからダメなんだろうな
2014.01.10
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たとえばその人にとって役職などが荷が重い、実力が伴わない場合「あの人は役不足だ」という言葉に対して「これは本来の意味ではない。本来役不足という言葉は~」の突込みをしてくる、「正しい日本語サマ」がいます。 が、最近の辞書を引くと、両方の言葉が併記されています。また、日常会話で使われる形で意味が通用するのも前者であるケースが多い。 つまり、この「正しい使い方」を突っ込みたい人は一体何に対して「正しい日本語」と主張しているのか?結局自分のうんちく自慢したいだけ? 私はこういう無粋な突込みをして他人の話の腰を折るような人間にはなりたくないなあ。会話の流れを遮ってまで指摘したところで話している側は迷惑、他の聞いている側にも迷惑なだけだし。 それに「穿った考え」のようなアンケートで9割の人間が本来の使い方と逆の意味だと思っている言葉の場合、起源がどうであれその古い意味で使ったら誤解されるのはそっちだし。
2014.01.09
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よく考えたら「同人作家は他人のキャラでエロ描いてボロ儲けしている」って意見に対して「儲かっているのは一部だけ、ほとんどは赤字かトントンがいいところ」って証拠を見せて反論すると「好きでやってるんだろ!嫌ならやめちまえ」って罵声で返す輩って、理論が一貫してないよな・・・ 「同人は皆ぼろ儲けしている」って勘違いで食いついてきたのは自分なのに・・・
2014.01.08
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同人で頂く意見を纏めると、 人気サークルさんの方は大変だなあ、と思うのは、マジでこういうことを「権利として」言ってくる輩がいて、しかもそういうヤツほど同人というものが「売り手側、作り手にもイベントを楽しむ権利が一番優先される」ことに気が付かない、自分の要求に応える事がサークル側の義務である、でも、相手に大きな利益(儲け)が出ることは気に喰わない、なんて都合のいい思考につきあわされることでしょうな。 いずれにせよ、アマチュア同士のイベントである以上、「てめえのその態度が気に入らないからあなたにはこの本をお売りできません」って事も可能な、対等な「参加者」という立場である事を忘れたくないし、「金を払っている以上、商売なんだからプロと同じだろ!」って人は本屋さんの公式市販品だけ買ってください。お金の対価として受け取れるサービスはせいぜい落丁本の交換ぐらいで。 ちなみに某大手サークルさんの同人誌を「公式の絵と違う!似てない、詐欺だ」とクレームをつけた輩が本当にいるそうで・・・あう・・・
2014.01.08
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年頭にあたり 「あたり前」を以て人口減を制す 前後の記事も読んでいただければと思うのですが。 結局、この方の言う「昔に戻せ」は、当時の悪いことをすっかり忘れた「昔はよかった論」であり。「政府が個人の生き方に必要以上に干渉する」ことを認めろ、という、なんとも恐ろしい時代への逆行になります。 なんだろな?こういう人って「今、自分がこうして女性でありつつこういった論壇で語れるのは、戦後の自由主義や女性の権利向上運動があったおかげで個人の生き方が認められているから」ということに気が付いていないのかもしれません。 この国だってわずか1世紀前までは「自分の生き方は生まれた時にほぼ決められていた」というのに・・・ 子供は宝であり、将来の希望でもあります。が、うめよ増やせよで国家方針で「作られた子供」の悲劇は「チャウシェスクの落とし子」で検索していただければ。
2014.01.07
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正月の帰省でバスの中での時間つぶしのために3DSのゼルダの伝説を買いました。 これが実にいい!というか、いい具合に頭を使うというか。元々ゼルダの面白さの肝はアクションより「ああ!このアイテムをここで使えばいいんだ!」的な、ある意味推理部分で。 で、先に進めなくて同じ場所を延々とウロウロしていて、ふとネットに攻略を求めようと心が揺れる、でも・・・と葛藤したり。で、自力で謎が解けた瞬間の「ああ!」という驚きと解放感は別格です。 ネットが普及してググれば簡単に攻略ページが見られる時代、しかしそれはその「試行錯誤という面白さ」をすっ飛ばし、単にゲームを作業にしてしまう悲しさもあります。 どうしてもわからなくてゲームを投げてしまうところまで行ってしまったら攻略に頼るのもよいかと思いますが、このゼルダの謎には「必ずヒントがあり、手掛かりがある、詰みにはならない」という信用があるので「もうちょっと・・・」と続けられます。 そういう意味で煽りサイトが「新作ゼルダ、〇時間で攻略」的なボリューム不足を煽るような表題には疑問。同じゲームでも攻略サイトを最初から見てやればボリューム不足に感じるのは当然だし、推理力に個人差があるように人によってプレイ時間に差が出るゲームです。
2014.01.07
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買収後売り上げが激増 プロレス人気再燃を新日オーナー語る 長く低迷を続けていた日本のプロレス業界ですが、ここに来て光明が少し見えた気がします。で、このインタビューを読んで大切だと思ったのは>コアなユーザーがライトなユーザーを拒絶していたがために、プロレスが衰退していった面もありました。僕は“すべてのジャンルはマニアが潰す”と思っていますから。 これはゲーム業界でもありすぎで。特に格闘ゲームの世界で顕著だったのですが、初代のスト2の時は多くの人が楽しんだからこそあれだけの大ヒットとなりました。が、それがどんどん高度化、学問化、知識化することによって一部マニアにしかついていけないゲームになる。と、同時にマニアによる「ゲームはかくあるべし」論が狭い市場をさらに支配して、新人やちょっと興味を持った人間を「こんな事も知らない人間が〇〇を語るな!もっと勉強してこい」みたいな最初のとっかかりを阻む。これはマニア特有の選民思想だと思うのですが。 ですが、原理主義者が台頭するとその趣味はジャンルとして衰退する。そりゃそうだ。趣味なんて大半の人は「遊び」であり、時間つぶし。にもかかわらず勉強し、練習し、特別なものとして崇めなければならない、なんて面倒なことこの上ない。下手くそなことを笑われ、バカにされ、叩かれるような怖い世界に新人が寄り付くものか。 上のプロレスの世界も冬の期間が長いのはそういった凝り固まったファンによって「俺たちがプロレス業界を支えている、だから俺たちの住みよい世界が正しい」になって、他者を寄せ付けなかったことでもあり。武士ロードの社長の「宣伝やメディア露出を多くしてプロレスにちょっとでも興味のある人を「特別な趣味ではない」という感覚にしたかった、というのはまさにその通りで。 濃いプロレスファンにとっては言いたいことがあるでしょうが「たとえ一時的ブームであったとしても、このまま先細りでマニアにすら買い支えられなくなって消滅するよりはよほど業界のためになる、それを自分達の優越感を守るために阻害するとしたら、それこそプロレスの敵になるのは自分たちだ」と。 これはあらゆる趣味のジャンルで言えることです。
2014.01.06
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正月に久々に食べて「旨いなあ」としみじみ思ったものに、実家で食べたくるみ餅がありまして。 正月の甘い餅といったら、しるこやズンダ餅などが一般的ですが、ウチの地方はクルミをすりこぎでつぶしてお湯と砂糖を加えて作るくるみ餡に絡めて食べるのが主流で、そのくるみも実家の裏の山に自生しているクルミを秋に拾ってきて身をほじって乾燥させていた、本当に「実家の味」でもあり。甘さの中に木の実特有の渋みが混ざってとてもいい塩梅で。 正月の地元新聞でも読んだのですが、長野県はくるみの生産量が全国一だとか。山国だけにこういった素朴な「山の幸」を楽しめるのはありがたい限りです。普段、一般の食生活でくるみなんて食べないからなあ・・・
2014.01.05
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コミケから直行で田舎に帰って3が日を過ごして戻ってきました。あけましておめでとうごじゃい とりあえず田舎ではネコをいじりつつモチを食って寝ているという、実に正月らしい日々でして。そんな中で父親が正月明けから作り始めた1/350の戦艦大和のプラモデルを手伝い。といっても塗装部分しかやっていませんが。久々に手が塗料の色で汚れる感触を味わいました。モノを作っている感覚、というか。 小さい頃からこの手の模型つくりは好きで、特に父親の趣味でもあったので最近はコンピューター相手のもの作りばかりでしたから、こういうのもいいですな。ちょうど艦隊コレクションに嵌っている時期もあるのでやはりおもしろいです。 と、いうわけで本年もよろしうに・・・
2014.01.04
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