MUSIC LAND -私の庭の花たち-

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金子みすゝ゛の詩に作曲


歌「私と小鳥と鈴と」


歌「星とたんぽぽ」


歌「みんなをすきに」


歌「明るいほうへ」


歌「つゆ」


歌「こだまでしょうか」


歌「まゆと はか」


歌「つもった雪」


歌「わたしの かみの」


歌「鯨法会」


歌「お魚」


歌「大漁」


歌「ぬかるみ」


歌「たもと」


歌「木」


歌「わらい」


歌「みこし」


歌「こころ」


歌「美しい町」


歌「口真似」


歌「失くなったもの」


歌「おとむらいの日」


相田みつをの詩に作曲


歌「巖冬」


歌「あなたのこころが」


歌「だれにだって」


曲「ただいるだけで」


歌「いのちの根」


歌「いのち」


歌「自分の番」


作詞作曲した曲


歌「鏡の向こうの私」


歌「淋しいとき」


歌「癒し」


歌「流れる雲」


歌「プライド」


歌「許し」


歌「強さと優しさ」


歌「そよかぜ」


歌「争い」


歌「あの青さの中に」


歌「私は信じています」


歌「それで幸せ」


歌「渦巻く想い」


曲「人間」


曲「もう一度あなたと」


曲「あなたと私の道」


曲「秋風」


曲「あなたの瞳」


曲「雪の二人」


曲「あなただけ」


歌「愛しいあなた」2006.4.24


歌「月光」2006.4.25


歌「自分を好きになりたい」2008.8.16


曲「おやすみなさい」


歌「遥かなるあなたへ」2009.2.3


回覧板さんの詩に作曲


歌「さくらのうた」


曲「旅立ちの歌」


歌「おもかげ」


歌「鳥のうた」


歌「みなもに名を書きし者」


歌「思い出すこと」


歌「リラの門」


歌「愛」


歌「願い」


曲「神様のハンカチーフ」


歌「海の匂い」


歌「鎮魂歌」


歌「別離」


yosiさんの詩に作曲


歌「かすみ草」


歌「驟雨」


歌「あなただけではありません・・・」


他の方の詩に作曲


歌「山姥」 影絵「山姥の鏡」より


歌「自分の皮」 影絵「山姥の鏡」より


歌「スキヤキ組の歌」愛先生と子ども達


曲「ダンスナンバー」


歌「ありがとう」作詩ミンミ


歌「ありがとう、君へ」作詩 mappun


曲「素直な想い」作詩すぴすさん


曲「安らぎ」


曲「虹のムコウへ」作詞 すぴすさん


歌「憧れて秋」作詞 美憂ひかりさん


曲「空」作詩まりあーじゅさん


曲「クリスマスソング」


歌「紫苑」作詞美憂ひかりさん


歌「新月の円舞踏」作詞アリスMOONさん


曲「果てのない道」作詞すぴすさん


曲「花は咲いているかい?」作詞アリスさん


曲「いのちのうた」作詞愚信さん


曲「1年1組のうた」作詩1年1組のみんな


曲「束の間の幻」作詩アリスMOONさん


曲「鎮魂歌」BGM


歌「5年2組の歌」作詞5-2の子供達2007.4


歌「虫歯かな?」作詞:保健委員会2007


歌「まちこの恋は白い雪の中」神風スズキ


歌「神様お願い」作詞CHOCO2010.9.14


歌「暗い部屋」作詞CHOCO2010.9.22


手作りアルバム(絵本)


ビーズ小物


タグ説明


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音楽の載せ方


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思案中


「Climb every mountain」


動画と詩


紅葉


夜桜


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雪降る日


眠れぬ夜


湖底の想い


星落つる時


月明かり


人魚姫


白い世界


雪解け水


華やいだ紅葉


2001年ハロウィン


小説


「見果てぬ夢」NO.1(1.2)


「見果てぬ夢」NO.2(3.4.5)


「見果てぬ夢」NO.3(6.7)


「見果てぬ夢」NO.4(8,9)


「見果てぬ夢」NO.5(10,11)


「私を呼ぶ声」1


「私を呼ぶ声」2


「嵐のように」1


「嵐のように」2(最終回)


「十三夜の面影」1


「十三夜の面影」2


「十三夜の面影」3


「十三夜の面影」4


「十三夜の面影」5


「十三夜の面影」6


「十三夜の面影」7


「十三夜の面影」8


「十三夜の面影」9


「十三夜の面影」10


「十三夜の面影」11


「十三夜の面影」12


「十三夜の面影」13


「十三夜の面影」14


「十三夜の面影」15


「十三夜の面影」16


「十三夜の面影」17


「十三夜の面影」18


「十三夜の面影」19


「十三夜の面影」20


「十三夜の面影」21


「十三夜の面影」22


「十三夜の面影」23


「十三夜の面影」24


「十三夜の面影」25


「十三夜の面影」26


「十三夜の面影」27


「十三夜の面影」28


「十三夜の面影」29


「十三夜の面影」30


「心の声」1


「心の声」2


「心の声」3


「心の声」4


「心の声」5


「心の声」6


「心の声」7、8


「心の声」9


「白蛇の道」1


「白蛇の道」2


「白蛇の道」3


「白蛇の道」4


「白蛇の道」5


「白蛇の道」6


「白蛇の道」7


「白蛇の道」8


「白蛇の道」9


「白蛇の道」10


「白蛇の道」11


「地獄への道連れ」1


「地獄への道連れ」2(最終回)


「メビウスの輪」1


「メビウスの輪」2


「メビウスの輪」3


「メビウスの輪」4


「メビウスの輪」5


「メビウスの輪」6


「メビウスの輪」7


「メビウスの輪」8


「メビウスの輪」9


「メビウスの輪」10


「メビウスの輪」11


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「メビウスの輪」13


「メビウスの輪」14


「メビウスの輪」15


「メビウスの輪」16


「メビウスの輪」17


「メビウスの輪」18


「メビウスの輪」19


「メビウスの輪」20


「メビウスの輪」21


「メビウスの輪」22


短編「木霊に導かれて」


童話「ベラのペンダント」1・2


童話「ベラのペンダント」3


童話「ベラのペンダント」4


童話「ベラのペンダント」5


童話「ベラのペンダント」6


童話「ベラのペンダント」7


童話「ベラのペンダント」8


童話「ベラのペンダント」9


童話「ベラのペンダント」10


童話「ベラのペンダント」11


童話「ベラのペンダント」12


童話「ベラのペンダント」13


童話「ベラのペンダント」14


童話「ベラのペンダント」15


童話「ベラのペンダント」16


童話「ベラのペンダント」17


童話「ベラのペンダント」18


童話「ベラのペンダント」19


童話「ベラのペンダント」20、21


童話「ベラのペンダント」22,23(完)


おやこ劇場


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子どもの人権講座


人形作り


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俳句2


俳句3


喘息発作の俳句


俳句4


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連句(織姫さんと)


連句(花調べの巻)


付け句、返歌


付け句、返歌1


好きな詩人、作家


永瀬 清子


マーガレット・F・パワーズの「あしあと」


中原中也「汚れつちまつた悲しみに」


「落葉」上田敏ヴェルレーヌ「秋の歌」訳詩


フランス旅行 2013.8.4~11


ドイツ・スイス旅行 2015.8.1~8


次女の結婚式の写真(2015.6.28)


2019年06月16日
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カテゴリ: 講演会など
あそびあーと☆こども劇場いるまの月刊誌に挟まれてたチラシで知った

入間市母親大会の講演会に行ってみました。

「平和の100年」平塚らいてうの時代からわたしたちの時代へ

ー女性がつくる核も戦争もない世界をー



講師:米田佐代子。



立て看板。



会場。







ファンタ・ピンクグレープフルーツを持参。



レジメ。

はじめにー「100年前」に何があったでしょうか?



1.公開された『らいてう戦後日記(1953-58)』にみる「平和ひとすじ」の道。

2.では「らいてうさん」ってどんな人?-「間違いだらけのらいてう像」



3.「母性」って「女は子育て」の性役割?-らいてうの母性主義とは何か

4.戦争の時代とらいてうの選択

5.戦後「沈黙」から「平和」の再発見へ



むすびー21世紀の「女性活躍」「女性が輝く」社会とは何かー

参考ー「平塚らいてうからのメッセージ」



第44回入間市母親大会アピール(案)。賛成多数の拍手で、可決されてました。



スライドと要約筆記。

日本女子大学校時代。(寮の前で中央やや斜め向きがらいてう)写真を撮る時は斜に構えていたそう。



「塩原事件」は大スキャンダルに。心中未遂事件で、妻子持ちの男性より、年若い女性の平塚らいてうが誘惑したと非難の的に・・・



思うことをまっすぐに。



「私ども女性もまた一人残らず潜める天才だ。天才の可能性だ。」(「元始女性は太陽であった1911)

「女は壁を破ろう。それができるのが天才と。今はジェンダー平等と言うけれど・・・」



奥村とは事実婚。このことを考え親は心配した。結果に関わらず、「一つ行き着く処まで行ってみよう」

(「独立するについて両親に」1914)



「頼るものは自分ひとりの力と信念だけ」(『青鞜』50周年の思い出よりー1961年)



戦後の文章。女をみだらなものと批難していた。



闘い続けた青鞜。#Me tooのはしり。一人になっても闘うとの思い。



母性にめざめるらいてう(1915年出産)



(最初子どもは産まないつもりだったが)らいてうは奥村を愛した結果として子どもを産んだ。



エレン・ケイの著書にふれて命を産む性と受けとめた。



第一次大戦時のこと。産んだ子どもを戦場に送ることは許せない・・・



第一次大戦の時戦争に反対した2人。エレン・ケイとジェーン・アダムズ。



レジメのp.3の上に書いてある。戦争のために子どもを産むのではないと。



アダムズはセツルメント活動をした人。平和運動をする・



ノーベル平和賞のジェーン・アダムズ。女性初?



女性が安心してつどえる場として婦人会館を作る。



アピールしてお金を作る。女性が自ら学び、行動できる人にならなければいけない。



当時、教育を受けることさえできなかった。12~13才の子どもも



深夜働いていた。それをやめさせなければいけない。妊婦も。



母性の権利、子どもの権利、そして平和。新婦人協会の思い出インタビュー(1962)から。



「いのちを産む性」に「平和をつくる権利」を

「平和運動」としての女性参政権運動。



女性参政権を。平和のために必要だと。国のためにでなく。



成城に誕生した「消費組合我等の家」



女性が政治に加わることが、戦争にとってよいという政治家もいた。



「家」を作る。暮らしを共同していくことが平和につながる。



日本に対し、中国から手を引けと世界諸国(国際連合)。



それが第二次大戦の方向へ。消費組合への圧力も。いずれ配給制へと進んでいく。



女性の権利のために涙をのんだ。国策団体への誘いはらいてうはことわった。



”疎開地”らいてう旧居跡(2015年6月)



”疎開地”小貝川の今(2015年6月)



戦時中女性は戦争反対した人も多くいた。男子だけが参政権。



農家は税金は払えない。それでも普通選挙になった。(参政権が与えられた)



同時期、治安維持法が生まれる。



国体維持のためという理由で。大変な悪法。



天皇が主権を持つ。軍部のいうことを聞いてしまったが。



共産主義者を男女かかわらず逮捕された。(なぜかそれだけは男女平等?・・・)



女性教師も赤ちゃんを抱いた母親なのに逮捕も。



それでも女性たちは戦争に反対。



小林多喜二も殺された。無実の罪の人も。



戦争はしたくないと思っていた。



東洋平和のための聖戦と言われていた。(ISイスラム国のように?)



中国から仕掛けていると宣伝があった。



先日もホルムズ海峡で日本タンカーが襲われた。



騒ぎ立てる人も。らいてうは疎開先へ。



沈黙を守った。らいてうは戦争体験。



東京大空襲で思い出の品を失った。



孫が生まれ、東京に戻った日に自宅が焼失。



食事も貧しい。疎開先の生活も苦労があった。



「私たちの敵はただ戦争だけ」



考え方を変えた。NHK「トトねえちゃん」に登場したらいてう。



「ゴマじるこ」の作り方を記事に。生活の中にこそ平和が。



「ゴマじるこ」の平和ー日本国憲法9条との出会いー



らいてうにとってゴマじるこを作るのは平和の象徴。



戦争について「国家主権の制限」



(国家主権の制限をしても)戦争をしてはいけないという考えに至る。



憲法の原案の中にも母性の権利も含まれていた。



全ての子ども・母親の権利を明記。



らいてうは「国家には戦争する権利はない」



世界平和アピール7人委員会。



国家には戦争する権利はないと、世界連邦を指示した。湯川秀樹も川端康成も共鳴。



米ソ対立の時代。核反対も効力がない。



広島平和公園の湯川秀樹歌碑(若葉)

「まがつび(厄災の神でここでは原爆のこと)よ ふたたびここにくるなかれ 

平和をいのるひとのみぞここは」



世界連邦も解散の危機。(男性達は諦めかけたが、女性達が叱咤激励したという。



今、大石芳野さん等が引きついで活動。



「戦争責任」をめぐって。



古本屋で手に入れた本(日記)。

戦争阻止しなかった私を恥じると明記。




1962年 新日本婦人の会発足。戦時中の辛い経験をもとに平和をめざしたい。



2000年に国連安保理において。世界の紛争回避には女性の力を要する



決議を通した。



日本も批准。NATOに女性自衛官を



送った安倍首相。



女性参加の名の下に(念願のNATOに派遣したが、意義を認めた女性自衛官のブログを削除させた・・・)

平和構築の為に女性のなすべきこと。



女性が紛争地におもむくことが大事。(男性が行くと縄張り争いばかりするそう・・・)



女性目線で生活実態の改善をめざす。



世界中の女性集会で「平和とは人権である」



らいてうの孫は戦争を生き延びられた経緯を生前語っていた。



日本国憲法が明記する「わたしはわたし」



いのちを守ることが最も大切。



13条(個人として尊重)を大切に。

21条も。



子どもに関する記載も大切。大人が守れるように。子どもの権利条約も。



「安保をなくして平和な日本を」1970年6月 自宅の周りをデモ行進。



21条は・・・

それが9条の担保となる。



長野県上田の「らいてうの家」



らいてうは自宅付近のみで行動し亡くなった。



上田の「らいてうの家」へぜひお越しを。



自然のまま守っていくつもり。協力を。



Q.戦時中のらいてうの沈黙の意味は?反戦の意図?

A.意識的に反戦のためとはいえない。



東京にいたくないと逃げ出したのでは。



身近にいた孫と暮らしたらいてう。



女たちががんばれば平和に近づくという自信がうすらいだのでは?



まわりはどんどん戦争へと向かっていた。



東洋の平和といいながた、日本に戦争をたきつける。



今も同じか。中国、ロシア、北朝鮮の力におびえていた。



当時はそれを指摘できない時代。



らいてうは難破船が沈む前に逃げ出すような



気持ちだったか。なさけないかもしれないが、それが心の内では。



その後また平和を考える。



いかなる戦争もしてはいけないと伝え続けた。



今、私たちはどうか。日本も軍備が必要なのでは?・・・



大丈夫だという信念をもちたいが。



入間ケーブルTVの取材あり。6/18(火)5:45~



100年前に女性解放、平和の為に献身してくれた平塚らいてうに感謝してしまう。

今でも、解決されてはいないから、私たち女性はその想いを引き継いでいかないといけないのでしょうね。





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最終更新日  2019年06月16日 21時42分17秒


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