全18件 (18件中 1-18件目)
1
Google 一位YAHOO! 三位MSN 一位フレッシュアイ 一位いや、誠にしょーもないことですが、「増田吉彦」を検索すると、各検索サイトで何番目に私が出てくるかということです。この、YAHOO!(JAPAN)は、先日まで二番目だったんですけどね。まだYAHOO!で一番になったことはありません。最近、YAHOO!デジカメマスター(認定試験)の悪口を書きましたからねぇ。それが原因ではないと思うが・・・もちろん、私が重視しているのは、Googleです。しかし、この趣味はそろそろ終わりにしないと、これだけの人になる可能性、あり。
2006年12月31日
コメント(0)
働き者の代表といえば、その一つが蟻(働きアリ)。蟻をトレードマークにしている会社とかもあるし、「蟻とキリギリス」という世界的に有名なお話もある。ところがこの、蟻ですら、一日のうち三分の一はなんと言うこともないとりとめもない活動に費やしているということだ。大事なことは、その一見役に立たないい活動をじゃましてやると、変調をきたし、「働き」の方はおろか、個体としての維持も危うくなるということだ。人間は、これを本能によらず、理性によってコントロールしなければならない。それができない者は、他人に利用されたあげく社会の厄介者として処分されていく。それは自業自得と言わざるを得ない。
2006年12月29日
コメント(0)
24日のことです。さる教会主催のクリスマス会に出席しました。ステージと客席という設定でしたが、今までのいわゆるお楽しみ系のクリスマスではない、心温まる内容でした。自分は道家ですが、こういうものを目の当たりにすると道家の寂しさというか、限界も感じますね。道家思想を元に道教という宗教が発生するのも頷けるという気がしてしまいました。それと、昨日は「リバティ大阪」という人権や差別についての展示を行っている所に行ったのですが、休館でした。それならばと難波まで行ったところ、雨宿りしているうちに雨がいよいよ激しくなり、自転車での移動だったので帰るに帰れず、映画のレイトショウを見ました。「硫黄島からの手紙」です。ホールでポップコーンを食べていると本編が始まってしまっていて、二十分くらい見逃しましたが、泣けました。正直です。私は。「父親たちの星条旗」を見ていたので、この作品も見たのですが、戦争は狂気、それだけです。いい映画でした。それから、やはり「思想」。思想についても思い巡らせました。この件についてはいずれ改めて書くことになるでしょう。入館後すぐ、その映画館の会員になって、クレジットカードを作ってしまっていましたが、いい映画しか見たくない、と思えました。あ、それから、フォトマスター一級不合格通知をもらった日のことですが、一万円当選のメールももらいました。価格.comというサイトのイベントで、ユーザー・レビューという使用リポートを書くと、抽選でお金がもらえるというものです。私は、「オリンパスSP-320」「カシオEX-505」の二つのリポートを書きました。どちらが当選の対象になったかは、不明です。今日は、ヤフー・デジカメマスターという資格認定試験のテキストに誤りがあることを指摘するメールを、資格審査の主催者と、テキストの出版元にそれぞれ送りました。それというのは、光にも色がある、という記述です。まるでど素人です。ニュートン以来の物理学を知りませんね。テキスト中、ホワイトバランスや、色温度に関する項目の所です。後で分かったのですが、テキストの出版元へのメールはうまく送信できませんでした。主催者側からは、「この問題はテキストの出版元に言ってくれ」という、返事が来ました。無責任な対応ですが、こんなもんでしょう。これで、受験意欲が無くなり、受験料が浮きました。
2006年12月27日
コメント(0)
元プロ野球の選手で、ドラフト三位指名、多額の契約金を手にしながら、罪を得て、判決は懲役二十年だとか。今後、控訴その他があるのかは知らないが、犯罪の理由が、遊ぶ金ほしさということだ。もっともらしい理由だが、この遊ぶという行為は、ホモ・ルーデンスたる者の特徴で、これをあだやおろそかにしてはならないのである。金でする遊びを遊びと言うな、というのが私の結論だが、さて、それ以外に適当な呼び名もない。しかし、一つ遊びについて真剣に考える必要はある。金で遊んでいるのを遊びとしていると、行き着く先は無間地獄。欲望の肥大に任せて、遊んでいるつもりが頭のいいやつに奉仕しているだけだ。従って、これはこれとして、本来の遊びの枠の外に、一項目付け足して考えるべきものである。本当の遊びを遊ぼう。そして、楽しみ、喜びを知ろう。これを知らずに成長した者は不幸である。この、元プロ選手の場合、遊びというより、ちやほやされに行っていただけではないのかとも思うが、詳細は知らない。そういうちやほやされに行きたいためにがんばって稼ぐかというと、そんなことはないということだ。彼は、法廷でうなだれ、目には涙があったという。更生されんことを祈る。
2006年12月25日
コメント(0)
フォトマスター検定。一級。不合格通知届きました。不思議なもので、今まで自信の無かった三級・二級・準一級の時は、何とか合格。今回は、自信ありという訳ではなかったが、日がたつにつれて合格したのでは、と妙に思えてきた。が、やっぱり不合格。まあ、あれで合格したら、合格した人に失礼だったことは確か。今日から少しずつやり直しです。写真も撮ります。
2006年12月24日
コメント(0)
大阪の話です。お江戸はNIHONBASI。大阪はNIPPONBASHI。私は大阪人ですが、NIHONBASIと言うことが多いですね。で、この電気の街、日本橋ですが、もう、歩いていていても、店をのぞいても、何か食べるにしても、おもしろくない。肩がこるというか、しんどいです。修理が終わったデジカメをもらいに、府立体育館の近くまで行ったまで、でんでんタウンに行ったわけですが、やっぱりというか、思っていた通り、しんどいです。これもご時世でしょうか、活性化というと、なんぼ儲かる、それだけです。確かにそれは大阪の文化でしたが、その文化を誤解して、短絡的に解釈していますね。そしてそこに集まってくる人々の、なんと余裕のないこと。眉間にしわが寄っているのが地の顔です。そんな客がまた、店や従業員を作っているのです。
2006年12月23日
コメント(0)
アメリカで、高校生がいじめの現場をネットで公開したそうだ。使われたのは例のユーチューブ。私ははじめ、被害者が加害者を公開したのかと思ったが、実際はその逆で、加害者が自分たちのやったことを公開したらしい。こんなことができたのは、加害者が匿名でいられたからである。私は、このサイト「平成詩人」で他人の実名公開をしたことがあるが、それはまさに、いじめの公開であった。現在は削除したが、そのファイルは残っているし、もし、当時の関係者ないし、異論のあるものが物を言ってきたら即座に、それなりの対応はする。つまり、公開だ。アメリカの場合と違うのは、私も相手も公開されるということだ。私の公開に際して、「こんな所で愚痴っていないで・・」ととんちんかんなことを言ってきた御仁がいるが、この公開には力があることは確かだ。普通に善良な暮らしをしている者が、平気でいじめをやっておいて、それを公開されると、その公開こそが悪いことのように言う。それがあたかも正義であるかのごとき社会になってしまったことが、現代の恐怖の一つである。
2006年12月22日
コメント(0)
十三通。デジカメで写真を撮って、それを業者のサーバーへアップ。あらかじめ登録していた宛名に送付してもらうサービスです。ここ何年かはずっとこのやり方です。自分で年賀状をプリントしたことはありません。ちなみに使用したカメラは、カシオのEX-P505です。価格.comに私のレビューが載っています。
2006年12月21日
コメント(0)
自分のやっていることを正当化する、あるいは自分の生活に安心を得ようとして、自分の理解を超えるものや、他人の努力とか、何かに挑戦する姿勢をことさら否定しようとする奴らがいる。そいつらの生活を見ていると、とにかく目先の安易さとか、ごまかしを他人もやるように求める。努力とか、我慢はもってのほかで、誰かが第三者に我慢することを教えようとすると、それが、さもひどい仕打ちであるかのごとく言う。実際は、自分がしている低級な欲望中心の生き方に引き込む方が、どれだけ残酷なことか分からない。少しの努力は、やがて習慣となれば、たいした我慢も要せず自然に実行できているものである。そうすれば、楽していい生活ができるのは、どちらの方か。実は、彼らもそれが分かっていればこそ、他人のがんばりや、我慢を必死で否定しているのだ。
2006年12月17日
コメント(2)
何かさりげない他人の一言とか、偶然に発せられた言葉が、取りようによってはその人のそれ以後を変えることもある。もし、我々が知恵としてそのような偶然を利用するすべを持っていたら、人生をもっと豊かにできることだろう。平成の道家は常から、「言葉には力はない」「言葉に力を与えるのはそれを聞いた者である」という定言(私の造語)から出発した論を組み立てようとしている。私は言葉の文(あや)は分かるつもりだし、言霊信仰を否定する気もないが、一つ、このようなものの言い方も可能であると思うのである。別な言い方をすれば、「あほ」と言われたが、さあ、どうする?ということでもある。
2006年12月15日
コメント(0)
「いじめ」もしかり、何か、誰かをターゲットとして存在している。しかし、ここではその問題にはまだ踏み込まない。たとえば、誰かが、何かを非難するとする。するとその避難した者めがけて説教をたれる御仁たちがいる。まあ、決まって匿名。己は安全な所にいる。「・・相手を動かしたかったら、まず自分が変わりましょう」とか、「・・自助の精神を貫きましょう」とか、文脈に関係なく、自分の知っている言葉を当てはめようとしたあげく、自分の予想外の展開になるととたんに泣きを入れるやつ。そういうやつは相手に向かっては言う。「こんな所で愚痴っていないで・・」と、相手の言うことは愚痴、と切り捨てる。ここが、トリックである。もし、本当に愚痴だというのなら、はじめからほっといたらいいだけのことだ。相手の言うことを自分の知っていることに当てはめてものを言ってしまった後に、引っ込みがつかなくて四苦八苦、引き際見苦しいことこの上ない。まあ、自分も注意したい。株と同じで、分からないものには手を出さないことだ。
2006年12月14日
コメント(0)
喜びは、誰かに何かを要求することによっては得られない。そこには、我慢とか、努力とか、昔ながらの泥くさぁあい地味なしんどさがつきまとう。大事なことは、そのしんどさを自分自身で体験するということだ。なにか自分のしたいことをできなくするやつを排斥したり、目先の勝ちにこだわって、その場は勝利を得たとしても、実は協力者を一人失っただけのことだ。それで、当面はしたいことができているようでも、実は何の進歩も無い。そうするうち、次々に自分の中に欲望だけが肥大してくる。そしてとうとう精神的におかしくなるか、体に病を持つか、事件でも起こして回りから総すかんを食らうか、その辺のことだ。もし、周りにそんなやつがいたら、私は逃げます。関わりません。目先の低級な欲望を追いかけているやつの人生、末路哀れなること確実である。
2006年12月10日
コメント(0)
1945年8月15日の日本の敗戦を以て大戦は終わった。しかし、その瞬間から今日まで、世界のどこかで戦争は続いているのだ。戦火の止んだ瞬間は無いのである。私は、たぶんあれはまだ二十世紀の頃だったと思うが、ある宗教団体の主催する「平和展」なるものに行った。そこで、私を招待してくれた人のすすめもあって、平和へのメッセージというものをアンケート形式で書いた。私は「戦争を無くすには・・」という切り口で書いたが、その人は、その文章への感想として、「戦争が無いからといって、平和とは限らない・・」という次元の違う正論を持ち出して反論した。私はその宗教団体には以前から懐疑的であったが、その日以来、それは決定的となった。今、病気で苦しんでいる人の枕元で、「病気で無いからといって、健康とは限らない。」と、言っていいはずはない。おっと、その宗教団体というのは、創価学会です。これを言わねば私らしくはないね。
2006年12月09日
コメント(0)
今日は日本がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入して行った日である。そして今日ほど、戦争について考えるにふさわしい日はない。核廃絶と軍縮は日本の国是であり、その実現のために、皆さん、共に考えましょう。
2006年12月08日
コメント(0)
日本の経済を言うとき、バブル崩壊から始まる不況の時代を「失われた十年」と言う。ほぼ1990年代がこれに重なる。ここで、個人について考えてみると、たとえば少々の成功(実は成功でも何でもない)に甘んじて成長の志を失ったよう者は、それからの何年もの間を失うことになる。彼らに共通するのは他人の足を引っ張ることに神経を使い、物事の背景にある深刻さに目を向けないという態度である。自分のやり方と違う者がいると、少しの表面的な瑕疵を見つけては大喜びする。そこにチャレンジ精神のかけらもなく、ただ言い訳ばかりがうまくなる。人の言うことを馬鹿にしているから、自分以外に頼れる者はいない。そんなやつにかぎって、自分こそ回りから頼られていると思っているのだから、お笑いだ。
2006年12月07日
コメント(0)
楽天広場は、元はホームページをじっくり作り込む人たちの集まりだった。そのことを知る人も今は少ない。楽天広場の人たちの中に、日記一本勝負!というスタイルの人が増え出した頃、世の中では、「ブログ」という形でのホームページ作りがはやりだした。そのころ楽天の「いちおく」は、ヤフーの「ヤフオク」に大きく水を開けられていたことも手伝って、世の動きに迎合すべく、楽天広場はブログでいきます宣言をしてしまった。そして今日、例のミクシの成功を見て、楽天広場の機能にそーしゃるねっとわぁあくなるものを取って付けた。後追いばっかりで、お疲れさんの所もうちょっと独自性を出してもらいたいと、感じるこのごろです。
2006年12月06日
コメント(0)
来年二月に、大阪市で新たな条例が可決の見通しらしい。それは、「路上喫煙禁止に関する条例(仮称)」。このような条例が生まれるというのは、ひとえに喫煙者の自覚のなさを原因としている。未成年者の喫煙を注意しても、「自分を見逃している者も不利な立場に立つことになるが、それでもいいのか」と開き直る始末。私の家は代々たばこ販売に関わってきた(自分で四代目)が、毎朝する仕事は、家の前のたばこの吸い殻を掃除することに始まる。自動車、自転車からのたばこのポイ捨てを見ない日はほとんど無く、公共の場所の灰皿はもくもくと悪臭を煙らせている。ちなみに、かつて大阪市立平野図書館では、しきりもない所で喫煙が許可され、そこで缶コーヒーを飲むことはいけないという、とんちんかんなことが平然と行われていた。東京では、一つの区すべてが禁煙ということになった所もあるらしいが、それも、これも、喫煙者が、喫煙は大人にだけ許されたたしなみという自覚を欠いたことによるものである。このままでは、「禁酒法」がアメリカに一種の暗黒時代をもたらしたように、「禁煙法」が日本に悪の時代をもたらさないとも限らない。
2006年12月05日
コメント(0)
(この日記は12/4に書いています。)NPO法人プール・ボランティアの設立六周年記念パーティーに出席しました。最近、ボランティア活動のできていない私ではありますが、五月にボランティア登録してからの活動が、14回あり自分でもこんなにやったかなという実感です。ただし、一回大こけの大遅刻があったので、それがカウントになっているかどうかはわかりません。出席したおかげで新しい縁も生まれて、別のパーティーにも招待されました。この団体は、個性派の人たちが集まっているなあ、というのが感想ですが、正直、ついて行けそうにない人もちらほら。五日を最後に別のNPO法人を辞めるので、今後はプール・ボランティアの活動を中心にやっていくことになりますが、もうすぐマスターズの記録会があるので、最下位脱出をはかりたいですね。(今度という今度は、目にもの見せてくれるっ、というちょっとだけ燃える闘志!を密かに細かくうちに秘めつつ、何回かは秘密練習することを誓います。)
2006年12月03日
コメント(2)
全18件 (18件中 1-18件目)
1


