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俺が 老人になったら 敬老の日には 敬ってくれるんか ?
2014年10月29日
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今回の御嶽山噴火につき、言われない事がある。避けられた言葉がある。東日本大震災でそれを言って大ハッシングを受けたどこかの知事がいた。すなわち、「自然の怒りに触れた」「バチが当たった」「神の怒りが降った」等々。これらはタブーとして、忌避される。これらを言うと、「死者を冒涜する」「亡くなった人には何の落ち度も無い」「傲慢」などと言われかねない。こういう現象は、少なくとも、2つの事を表している。ひとつは、日本人が「人の気持ちこそ第一」「人間至上主義」に陥っていること。そしてもうひとつは、昔から持っていた知恵を、一つ捨ててしまったということである。
2014年10月28日
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なんとか会じゃないが、自分も特権階級の特権には反対だ。特権階級のうち、最もひどいものの一つは国会議員の皆様だ。彼らは自分の給料を自分たちで決められるのである。この特権を特権と言わずして何を特権と言うのか。なんとか会の人たちも、この特権を先に何とかしたらどうか。
2014年10月26日
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天路歴程の正編と続編を読み終えました。正編の真ん中辺りから、これはしまったと思いました。キリスト者でも宗教者でも無い私には、苦痛でした。しかし、この「天路歴程」の持つ、もう一つの意味、「近代小説の祖」、その面を考えながら読むのであれば、違った味わいもあるのでしょう。そして、その意味においては、正編よりもむしろ続編の方が評価されてもいいのではないかと思えます。これを獄中で書き上げた、バニアンという信仰者に敬服します。
2014年10月24日
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安くに問題で、困っているのは中国だ。こんなもん別にほっておけばよかったのだ。ところが今となっては、抗議とか、何らかの報復アクションとか、何かしないと収まりがつかない。中国国内に対してだ。中国はこの問題で、ますますメンツを失うことになるだろう。中国に利権を持っている日本の企業がロビー活動をするとか、鼻薬をかがされた政治家や、ハニートラップに引っかかった政府関係者とかが、なんとか支えているのが日中関係で、日本国民の多くは中国の危うさにすでに気がついている。危うさって、勿論、経済ですよ。
2014年10月18日
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身元調査を問題として、禁止し、「身元調査」と戦うという手法で特定の利権を守っているが、本来の差別そのものには、手を付けない。よほどはっきりした形で、差別が単純明快に現れている場合は積極的に出て行って、自分の戦う姿をアピールする。だが、決して差別を根絶しようとはしない。そんなことになったら、自らの利権が無くなって、生きる糧をうしなってしまう。言葉狩りなどは、狩る方は安全でしかもそこそこアピール力がある。それでこれを大いにやったが、実際その仕掛けに多くの人達は気づいている。身元調査、うっかりタブー語を見つけては喜んでいる。しかし、決して差別そのものと対決しようとはしない、そういうことは、当事者本人に任せきり。そんな利権団体に言及すること自体、現代の「破戒」に違いない。
2014年10月16日
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ここまで大丈夫、という線を引く。大抵の場合、はじめは少しくらいは余裕のあるところで線を引いてあるから、本当はここらへんまで大丈夫、というのが本当はわかっている。それでいざというとき、無理をする線まで、行ってしまう。と、ここで、その次に元の線まで戻れるのか、それとも、「あ、ここまで大丈夫」と基準を変更してしまうのか。それが、事の永続性、持続性に影響してくる。物事を駄目にする人は、ぎりぎりのプランを初めから立てている。それができないと自分のプランを棚に上げて、他人や世の中を責める。 くわばら 桑原。
2014年10月11日
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年取ってから、人にかまってほしいと思うことは惨めなものである。「ああまた、同じようなことを言っているな、相手して欲しいんだな」と思うと、ついこちらも同情はしたくなる。しかし、その結果があまりにも、手前勝手で、おまけに自分が相手してもらっているのに、逆に「○○は人が話していると、自分のことを言われていると思って・・・」などと物語を作り出す。そんな輩にもし話をふられても、絶対に乗らないことだ。うっかりすると、言ってもいない噂話の震源にされかねない。実力のある人間は、着々と準備を整え、将来に備えている。一人になろうと慌てることなく努力している。中身も無いくせに、偉そうにものを言っているだけの人間とは違う。話の内容がなんであろうと、話し相手になってくれてありがとうという、感謝の気持ちがないのなら、やがて誰からも軽んぜられ、その場にいない誰かの悪口を言っているのが関の山だ。
2014年10月10日
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お金のない人には、いろいろな種類がある。中でも始末が悪いのは、俺はカネがない、よって、金を貸せとかよこせとか、行政は何とかしろとかいい出す人たちである。この人達は、お金が無いのが問題ではなくて、なぜ自分はカネがないのか、分かろうとする勇気が無いのが問題なのである。したがって、たとえ一時しのぎの金を得たとしてもすぐにそれを使いきり、また同じことを言い出す。そんな人達は、貧困ビジネスの格好の餌食となる。表面上は福祉の担い手よろしく、不正、不平等と戦っているふうを装い、その実、福祉を文字通り食い物にする優雅な人たちのために、一生を他人任せの内に終える。
2014年10月09日
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今般の「朝日叩き」については、早くも「大戦前夜を思わせる」とか「朝日だけがわろいのか」という声も上がるほどとなっている。もし、誤りがあって、それと気づいた後も何とか有耶無耶に処理しようとし、言い訳を何とか捻出しと、そのことを問題にしているのなら、それはそれで、人の弱さの問題でもあるだろう。自分が朝日の立場だったら、100%の自信は残念ながら、無い。しかし、ここでそのようなことはさておいても、朝日がやれること、やらねばならないことは、ある。それは、「慰安婦の実像」を調査・検証し、証言や証拠を集めて、真実を記録し報道することである。それは別にパッシングとは関係なく、できることでありあらなければならないことである。
2014年10月07日
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したい、やりたいという気持ちを満たしていくと、幸せからは遠くなる。なぜなら、それは幻想だから。もし、あなたが、テレビやマスコミの全くないところで生まれ育ち、周りの人達も、例えば自給自足をしているような人たちばかりだったら、あなたは今のような欲望を持っていると思いますか。自分の望みだと思い込んでいる「やりたい」ことは、誰かの儲けたいという欲の手助けでしかない。その儲けたいという人だって、違う誰かの商活動に乗っかっているだけ。====私はそれが、悪いと言っているのではない。そのような活動に、どっぷりと浸かりきって我を忘れ、ふと気が付くと大変なことになっていた、また、やらかしていた、ということになってからでは遅すぎるということだ。
2014年10月06日
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