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一 自分も納得できるし、相手(利用者・当事者本人やその関係者保護者・家族などまた事業所・ヘルパーの雇用契約のある所など)も納得し満足できるという段階二 自分が納得できる介護ができた段階 相手は無関係三 とにかく利用者が無事ならば良しとする段階このうち三の介護が発生したら、速やかにその環境から抜け出すことが肝要である。すなわち所属する事業所から距離を置くというものである。当然退職を考えなければならない。それが保身のためであり、自分の職業人としての処し方である。
2018年10月28日
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たとえ自分の実と見えたとしても、冷静によそからそれを見てみれば、偶然とか他人の力が多く与っている。そこにがついているかどうか。また、それを冷めた目で検証できるかどうかが、真の実力者たるかどうかの分かれ目なのである。自分で物事を複雑にし、難しくしておいてその余計になったところを解決して(しかも他人の力を借りて)それで物事全体を、自分が、い決したかのごとくに錯覚しているのは、哀れというほかない。
2018年10月18日
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セネカが言いたかったのは、怒りの上に乗っかって、行動してはいけないということである。「怒らない、だが復讐するだろう」怒りのエネルギーなどというものに頼らず、冷静に確実な復讐を実行する。これぞローマ人の紳士の証。ということであろう。感情に左右される行動はろくな結果を生まない。
2018年10月15日
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ある組織において、ある立場の人間が、その人間力とでもいうべき力を発揮して、「その人がいなければ」「その人だから」その仕事が成り立っているとしたら、それは間違いである。もしその人がいなかったら回らなくなる仕事というのは長くは続かない。そういうやり方というのは、プロジェクトの立ち上げとか、危機の時とか時間や場所に限りのある場合に有効なのであって、事業や組織の継続・存続という見地からは危うい状態と言える。そこに気が付いていない組織はいずれうまくいかない。そしてまずいことに、そういう状態を実は作ろうとしているのである。
2018年10月03日
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