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実は、今年は日本のフォルクローレ関係者にとっては、厄年のような1年でありました。まず、2月、「グルーポ・イラ・イ・アルカ」のMさんが脳出血で倒れられました。もっとも、その報告自体、3ヶ月くらいたってから初めてお伺いしたのですが。Mさんは仕事でミャンマーと日本を頻繁に行き来しており、倒れたのはミャンマーから帰国した数日後だったそうです。ミャンマーの医療環境についてはよく知りませんが、おそらく倒れたのが日本帰国後だったのは、かなり不幸中の幸いだったのだろうと思います。長い闘病生活を経て、現在は仕事に復帰し、演奏も(麻痺があって、元どおりの腕前とは残念ながら行かないようですが)再開していらっしゃいます。続いて、5月にボリビア在住のSさんが、日本への一時帰国中、肋骨動脈からの出血により後腹膜に血腫ができそれが内臓を圧迫し腸閉塞併発、という急病で入院。Sさんについても、正直なところ発症したのが日本帰国中だったのは不幸中のさいわいと思いました。ボリビアと日本では医療水準が違うし、ボリビアで日本に近い医療水準を求めると、医療費は大変な高額になりますから。更に6月、ケーナ奏者のYoshioさんが演奏中に転倒、左足を骨折するという事態が発生してしまいました。で、厄年のいけにえ4人目になってしまったのが、すでにご報告のとおり、私自身でありました。左脚腓骨骨折と内側の靭帯断裂。上記Yoshioさんには、左脚骨折の先輩として、色々なアドバイスをいただき、大変感謝しています。これで、フォルクローレ界の厄年は終わったかと思いきや、更に続きがありまして、今週初め、この方はてんまつを一般に公開していないので、頭文字も含めてお名前は非公開とさせていただきますが、ある笛吹きの方が通勤中に転倒して右の手首を骨折されてしまいました。悪いことに年末のため、手術は年明けになるそうです。この狭い世界で入院・手術を要する重病、重傷者が1年間に5人も続くという異常事態になってしまいました(他に、私の把握していない重症、重病者がいないかどうかは定かではありませんが)。特に後半3人はいずれも骨折で、いったいいつから骨折が伝染するようになったのか、と。そんな1年も、もう終わります。年が明ければ、きっと来年はよい1年になるに違いありません。と、いうわけで、この1年の私の演奏の記録など。4月9日(日)所沢の航空公園「第32回市民文化フェア」にて演奏 ティエラ・クリオージャ5曲を演奏しました。8月29日(土)江戸川区のライブハウス「HOTコロッケ」にて演奏 エストレージャ・アンディーナ(リリオとのジョイントライブ)曲は思いっきり詰め込んで、12曲演奏しました。9月、勤務先の労働組合の行事にて演奏 エストレージャ・アンディーナこれは、詳細な内容も音源も公開しておりません。曲は「コンドルは飛んでいく」など2曲にみでした。アンコールがかかって、「コンドル」は2回演奏しましたが。10月8日(日)福島県川俣町「コスキン・エン・ハポン」にて演奏 ロス・サバージョス日本のプログレ・バンド「ザバダック」の曲をフォルクローレの楽器で演奏しようという企画で、コスキン・エン・ハポンの3箇所のサブステージ(羽山の森美術館、道の駅川俣、絹カフェ「絹蔵」)で演奏しました。しかし、肝心の本ステージでは演奏していないのですが。全部で10曲(複数回演奏した曲多数)演奏した中で、最初の「テスタッチョの広場」だけが唯一フォルクローレの曲で、それ以外はすべてザバダックの曲です。が、改めて聞きなおしてみると、私のフルートはどうしても音程が上ずっているなあ。10月29日(日)中野区新井区民活動センター「あらいまつり」にて演奏 ティエラ・クリオージャアップした「風のおどり」のほか、全部で5曲を演奏しました。11月23日(祝)中野区哲学堂公園演奏 ティエラ・クリオージャ震災復興支援 哲学堂公園チャリティーイベント2017で演奏しました。録音の整理すらしていないうちに、その2日後に骨折してしまいました。12月9日(土)新宿区信濃町「ティアスサナ」演奏 キラ・ウィルカ(カンチャ・ニャンとのジョイント)目下のところ、最新の演奏がこちらです。週の半ばに退院して、金曜日は頑張って出勤、そして土曜日に演奏、という、普通はそんなことはやらないだろうというスケジュール。このあと当面演奏の予定がなかったので、なんとしても演奏したかったのです。まあ、よいこの皆さんは真似してはいけません。(復職に関しては、主治医のOKはいただいていました)演奏曲は、グループとして8曲と2グループ合同で1曲、合計9曲でした。ただ、手術後演奏当日の朝方まで、声がかすれていたため、私がメインボーカルの1曲を外し、私か参加しない曲に差し替えたので、実際に私が演奏したのは8曲です。皮肉にも、演奏するときには声のかすれはほぼ治っていたのですが。左端のほうでサンポーニャを吹いています。最後に2グループ合同で「モレニータ」を演奏したときの写真だと思います。(写真提供Osarin氏)というわけで、今年は7回演奏の機会がありました。来年は、次の演奏の機会は未定ですが、少なくとも立って演奏ができる状態にはなっているだろうと思います。昨日怪我以来初めて屋外で練習して、少しだけ立って吹きましたが、まだずっと立っていることは無理です。実は、数日前の診察で添え木が外れて、外出時はサポーター(装具)をつけて、地面に足を着けるようになりました。まだ、足首がほとんど曲がらないので、松葉杖がないと歩けませんが、それでも左脚を地面に着けるか否かで歩きやすさは大違いです。まだ、肝心の骨がつながったわけではないのですけどね。もう、これ以上病気や怪我の話を聞かなくて済みますように。それでは皆様、よいお年をお迎えください。
2017.12.31
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最後の最後に怪我をして、しばらく山には登れそうにありませんが、今年のに山登りを振り返ってみたいと思います。1月7日 谷川岳天神平からの往復です。2月4日 大山(丹沢)急に思い立って登ってきました。2月10-11日 八ヶ岳・硫黄岳(途中撤退)毎年のように登っている八ヶ岳。今年は比較的簡単な硫黄岳を目指しましたが、猛吹雪で視界がなく、赤岩の頭で撤退。でも、雪が多くて楽しめました。3月18-19日 上高地またまた天気はいまひとつでしたが、中の湯から入山し、小梨平に幕営、翌日徳本峠までの途中まで登って引き返しました。4月15日 秩父・美の山(蓑山)昨年、高校の同期が31年ぶりに集まって「山呑み部」というサークルを作りました。で、初めてその山行にさんかしたのが、ここ。山と言っても山頂まで車道がきてます。サークルの名前どおり、山頂で酔っ払ってしまい、サンポーニャを落として割ってしまいました。後から考えると、このときだって転倒する可能性はありました。山でお酒はもう少し控えないといけません。4月22日 谷川岳マチガ沢と一ノ倉沢(敗退)前述の「山呑み部」の企画でマチガ沢と一ノ倉沢を見物に行く予定だったのですが、残雪のため企画が延期になってしまいました(登山初心者も多かったため)。なので、一人で行ったのですが、何とマチガ沢方面の遊歩道は除雪中で立ち入り禁止。やむをえず白毛門方面の登山口で笛の練習だけをして、帰りました。ちなみに、このとき、土合駅地下ホームでケーナを吹いてきました。土合駅では上りホームでも下りホームでも吹いています。冒頭が上りホーム、1分24秒からが下りホーム5月4-5日 北アルプス蝶ヶ岳上高地から入って蝶ヶ岳山荘まで登って幕営しました。体力的には今年もっともきつかった登山はこのときです。しかし、素晴らしい写真が取れました。5月28日 大菩薩嶺高校同期の仲間との「山呑み部」のメンバーの一部との企画でした。日帰りで簡単に2000m級の山に登れます。6月12日 鎌倉アルプス同じく高校の「山呑み部」企画でした。ジョッギングシューズで歩きましたが、思っていたより急峻でした。7月14-17日 北海道層雲峡・大雪山・上富良野(15日赤岳-白雲岳-北海岳-黒岳)過去数年、また北海道の山に登りたいと思っていましたが、チャンスは今年と思って頑張って行って来ました。大雪山に登った日は天気がとてもよくて、素晴らしい山行になりました。11年ぶりに上富良野の民宿「ノルテポトシ」とハンモックカフェ「サリーリ」を訪れることができたのも楽しかったです。また行きたいですが、いつ行けるかなあ。層雲峡で2泊幕営し、あとの1泊は「ノルテポトシ」に泊まりました。7月29日 八ヶ岳・西岳家族旅行の途中で西岳に登りましたが、残念ながら今年の夏は天候不順で、この日もずっと悪天候でした。それでも、雨に降られたのは下山中の短時間だけだったのですが。8月25-26日 南アルプス・鳳凰三山今年4回目の高校「山呑み部」企画(一部メンバー)でした。この夏を象徴する不順な天候でしたが、雨に降られた時間はごく短くて、視界も極端に悪くはありませんでした。鳳凰三山は1995年に登って以来、22年ぶりでした。9月23-24日 北アルプス・焼岳5年前の10月下旬に降雪で途中断念して以来、「宿題」になっていた焼岳に登りました。夜行日帰りでも登れる山ですが、夜行バスが満席になってしまい、東京を朝出発して上高地・小梨平に幕営しました。天気は、やはりいまひとつでしたが、雨が降ることはなく、時々晴れ間も出て、気持ちのよい山登りになりました。11月12日 谷川岳・マチガ沢と一ノ倉沢またまた高校の「山呑み部」企画で、本来4月に予定していたものでした。このときも午前中は悪天候で、いったん引き返しかかったのですが、そのときに晴れ間が出たので再度反転して一ノ倉沢まで行って来ました。(たんなる遊歩道です)山頂付近の雲は取れなかったのですが、まずまずの天気になりました。11月25日 この日登った山に関しては、そのうちに書くこともあるでしょうが、今はまだ、公開の場には書かないでおくことにします。当面の間、山登りは不可能な状態になってしまいました。結局、今年の山行はなんと15回(美の山とか鎌倉アルプスとか、実質山は登っていない一ノ倉沢の2回を含んでのことですが)、今までの登山歴中もっとも多い回数の山行となりましたが、結果的には来年登れない分を先取りしただけ、とも言えます。今まですべての山登りが単独行でしたが、今年は高校同期との「山呑み部」が5回を占めました。テント泊は4箇所で5泊。ただし、テントを担いで本格的に登ったのはゴールデンウィーク中の蝶ヶ岳のみで、あとは登山口付近に幕営したのがほとんどで、テントを担いだ状態ではそんなに歩いていません。これも、来年はテントで山登りは無理かもねえ。天候不順なときが多くて、15回のうち、文句なしの晴天だったのは1月谷川岳、2月大山、5月蝶ヶ岳と大菩薩嶺、7月大雪山、そして皮肉にも11月の某山の6回に留まりましたが、それ以外もまあまあ許容範囲程度の天候が多く、全然どうしようもない悪天候は7月の西岳くらいでした。ともかく、来年中に、高尾山でもいいから山に登れる状態に回復したいものですが、果たしてどうでしょうね。もし山登りが再開できれば、今後は高校同期との山行を主に、単独行は従にしていこうと思っています。
2017.12.30
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写真を見て分かると思いますが、怪我をする前に撮影したものです。これ以降、とても外で鳥の写真が撮影できる状態ではないので、多分年内最後の鳥の写真になるでしょう。(家の中からスズメ、キジバト、シジュウカラくらいは撮影できる可能性はありますが)コガラです。シジュウカラ科の小鳥。何度も見ている鳥ですが、上手い具合に写真におさめられたことは、そんなにありませんでした。同じくコガラコガラ。このときは、数羽の群れが至近距離で飛び回っていました。コゲラ。コガラと名前は紛らわしいですが、これはキツツキの仲間のコゲラ。コガラはシジュウカラの仲間(もっと大きくはスズメの仲間)。アカゲラ。先のコゲラより一回り大柄なキツツキの仲間です。この鳥も、何回も姿を見ていながら、写真におさめることに失敗していたのですが、このときは写真におさめることができました。同じくアカゲラです。目下のところ、これが最後に撮った鳥の写真。次にいつ鳥の写真を撮れるか分かりませんが、山登りよりは鳥の撮影の方が早く再開できると思います。
2017.12.28
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小学校、保育園に中傷続く=基地周辺「住むのが悪い」-米ヘリ部品落下・沖縄米軍普天間飛行場所属の米海兵隊CH53Eヘリコプターの窓が、隣接する普天間第二小学校に落下した事故。「学校は後から造った。同情の余地はない」など誹謗中傷する電話が、同校と市教育委員会に相次いでいる。市教委幹部は「戦争で逃げ惑い、ブルドーザーで自分たちの土地を基地にされた歴史がある。事実を認識してほしい」と話す。市教委の話では、21日までに寄せられた電話は32件。校長が謝罪に訪れた米海兵隊幹部に対し「学校上空を飛ばないよう回答いただきたい」と要望した後には、東京在住を名乗る男性から「沖縄は基地のおかげで暮らせている。落下物で子どもに何かあっても、お金があるからいいじゃないか」との電話があった。市によると、同校は1969年に開校。人口過密による土地不足から、やむなく隣接地に建設した。当時は現在ほど普天間の運用は激しくなかったが、同飛行場の機能拡充に伴い、教育環境は悪化していった。誹謗中傷の電話は、7日に米ヘリの部品が見つかった近くの「緑ケ丘保育園」でも続いている。「ここに住んでいるのが悪い」などとする電話が1日に4、5件寄せられるという。園長は「歴史も知らずに中傷している」と憤る。県によると、普天間飛行場は複数の集落を強制的に接収し造られた。戦争で避難していた住民らは元の土地に戻ることができず、周辺に住まざるを得なかった。市教委幹部は「事実誤認も甚だしい。子どもがけがしてもいいと、同じ日本人が言っていると思うと悲しい」と話している。---沖縄で、幼稚園、更には小学校でも、上空を飛行中のヘリコプターからの落下物があったと報じられています。幸い、米軍機は、米国本土では住宅地上空を低空飛行することはありません。沖縄でも、基地内の米軍住宅の上空を低空飛行することはありませんが、基地の外の住宅地上空は、平気で低空飛行をすると言われています。沖縄県知事をはじめ沖縄の人々が怒るのも当然のことなのですが、それに対して、「基地のおかげで暮らせているんだろう」とか、「お金があるからいいじゃないか」とか、挙げ句の果てに「住んでいるのが悪い」とか、はっきり言って異常な言い分です。それを公言すること自体神経を疑いますが、ただ公言するばかりではなく、学校や教育委員会にそのような電話をかけてよこすというのは、どれだけ非常識な人間か、と思わざるをえません。そもそも、沖縄に最初に住んでいたのは沖縄の人たちであって、米軍ではありません。学校は後から作った、という言い方自体が逆立ちした理屈であって、米軍基地自体が、沖縄の人たちを押しのけて、後から作ったものであることはいうまでもありません。現在の宜野湾市の前身である宜野湾村の村役場は現在の普天間基地の中、誘導路付近にあります。役場というものは、基本的には集落の中心にあるものです。普天間基地は、それを押しつぶして作られたものです。普天間基地の南側には県庁所在地の那覇市や浦添市があり、北側には那覇に次いで沖縄で二番目に人口の多い自治体である沖縄市、同じく3番目のうるま市があります。そのような人口密集地を結ぶ中間点、しかも沖縄本島の東西の幅がかなり狭まっている場所に宜野湾市はあり、しかもその大きな部分に普天間基地が居座っているのです。沖縄の南北を結ぶ交通は否応なく基地の近くをとおらざるを得ません。基地の西側の国道58号線も東側の330号線も、基地の至近距離を通っているし、沖縄自動車道も基地から500mも離れていません。そのような立地を考えれば、基地の周囲に人家が立ち並ぶのは当然であり、多くの人が住み、多くの子どもがいれば、その近くに小学校や幼稚園を建てるのも当然のことです。しかも、引用記事によれば小学校の開設は米軍統治時代の1969年のことなのです。ちなみに、地図を確認すると、普天間基地周辺にある学校や公共施設は普天間第二小学校だけではありません。グーグルマップで確認する限り、宜野湾小学校、宜野湾中学校、沖縄国際大学(かつて、ここに米軍のヘリが墜落しました)も基地の至近距離にあるし、宜野湾市消防本部と宜野湾市役所も同様です。かつての宜野湾村役場が基地の中にあったくらいだから、それは当然のことなのです。それにしても、同じ日本国民であるはずの沖縄の人たちが、米軍基地の存在によって大変な迷惑をこうむっているにもかかわらず、それに対して「住んでいるのが悪い」などというトンデモな理屈を振りかざして米軍の肩を持ち、被害者を非難する連中のメンタリティは、私の理解を超えるものがありますが、要するに植民地根性ということなのだろうと思います。宗主国である米国様が日本国民である(はずの)沖縄の人たちより大事、というわけです。もしくは、沖縄の人たちを同じ日本人としてみていない、か。どちらにしても、あるいは両方かもしれませんが、「性根が腐っている」という以外の言葉が、私には見つかりません。
2017.12.26
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生活保護費67%の世帯が減額 18年10月から厚生労働省は22日、生活保護基準の見直しで世帯類型ごとの影響額を発表した。食費や光熱費など生活費相当分(生活扶助費)に子育て世帯や母子世帯に対する加算を加えた受給額は、推計で67%の世帯が減額となった。見直しは5年ごとに実施。受給者以外の低所得者層の消費実態と均衡するよう算定した生活費は当初、最大13.7%減だったが最終的には最大5%の減額に抑えた。来年10月から3年かけて段階的に引き下げ、国費分で年160億円(1.8%)を削減する。母子加算なども含めた受給額が減額となる世帯の割合は子どものいない世帯で69%と高く、特に単身世帯では78%に上った。子どものいる世帯では43%、母子世帯は38%だった。世帯類型ごとの影響額を生活費単体でみると減額は最大月9000円で、増額は1万2000円。町村部よりも都市部の世帯で減額になる傾向が強く、40代夫婦と子ども2人世帯▽子ども2人の40代母子世帯▽50代単身世帯▽65歳と75歳の高齢単身世帯などで最大5%減となった。町村部などの子ども1人の母子世帯では13.4%増となる。(以下略)---少し前に、この問題についての記事を書きましたが、その中で、私は大要として、母子加算の存在理由は不明確であること、一方で単身世帯の生活保護基準は現状でもギリギリであることを指摘しました。ところが、報道される具体的な削減案を見ると、案の定、大都市圏(おそらく、級地区分1級地1ということでしょう)では、単身世帯(60代と70代のみ例示されているので、それ以外の年齢については不明ですが)の削減幅が最大となっているようです。一番生活保護基準が厳しいと思われる世帯構成で一番削減幅が大きい、ということになっています。もっとも、そうなるであろうことはある程度想像がつきました。というのは、母子加算について色々と厳しいことを書きましたが、生活保護受給世帯数に占める母子世帯の割合は、6%から7%というところです。(社会保障審議会資料より)そこを削っても、全体としての削減幅はたかが知れているのです。一方、同じ資料によれば、高齢者世帯の割合は5割を超えています。また、上記の資料から、保護受給人員を受給世帯数で割り返すと、1世帯あたりの人員は1.3人になります。知人の福祉事務所関係者から、生活保護受給世帯の7~8割は単身世帯と以前に聞いたことがありますが、このデータはそれに符合します。つまり、生活保護受給世帯の圧倒的多数は単身世帯なのです。だから、生活保護費の総額を削減ありきで考えれば、単身世帯の生活保護費を大きく引き下げることは必須、ということになります。一方で、大都市圏で生活保護基準の引き下げ幅が大きく、地方では削減幅が小さい、あるいは増となる場合もあるとのことです。確かに、今の時代、大都市と地方の物価の違いは、家賃を除けばそれほど大きくないと思われるので、大都市と地方の生活保護基準の差を縮小していくことは、方向性としては間違ってはいないと思いますが、これも、受給者数の多い大都市の生活保護基準を削ること優先で考えたのかな、と思えてしまいます。いずれにしても、70歳代単身世帯の生活保護基準約7万5千円というのは、家賃は別途住宅扶助として支払われること、医療費はかからないことを考慮してもなお、ギリギリの金額と思わざるをえません。削減額たった160億円のために、そこまでやる、というのは非常に残念な話です。追記新しい保護基準の、もう少し詳しい内容を教えてもらいました。それによると、単身世帯の基準は厳しい引き下げである一方、子どものいる世帯については、必ずしも引き下げ一辺倒ではなく、世帯の状況によっては基準が引き上げられる例も少なくないようです。純然たる生活扶助の基準はすべて引き下げで、母子加算も減額になりますが、その代わり児童養育加算が中学生までから高校生までに拡大されるなど増額の変更もあるので、特に高校生のいる世帯では基準の引き下げはごくわずかにとどまり、あるいは状況によっては増額になる場合もありそうです。
2017.12.24
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トランプ氏、反米なら「援助停止」 エルサレム巡る国連決議トランプ米大統領は20日、国連総会で21日に採決するエルサレムをイスラエルの首都に認定する米国の決定の撤回を求める決議案について、米国に逆らって決議案に賛成した国には援助を打ち切ると表明した。決議案は賛成多数で採択される見通しだが、国連総会での賛否を巡って資金供与の停止に言及するのは異例だ。トランプ氏はホワイトハウスで開いた閣議冒頭で「何億、何十億ドルの援助を受けている国が我々に反対する」として「我々は投票を見ている。反対票を入れさせよう。大きな節約になる」と強調した。同様の決議案は18日にも国連安全保障理事会で採決され、理事国15カ国のうち日本を含む14カ国が賛成したが、米国が拒否権を行使して否決された。21日には国連総会の緊急特別会合で採決するが、米国の決定は中東和平に悪影響を与えるとの懸念が強く、賛成多数で採択されるとみられている。---米国がエルサレムをイスラエルの首都と認めて大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると決定したことは、中東における宗教対立の火に油を注ぐ暴挙以外の何物でもなく、それに対して世界各国から批判が沸き起こっているのも当然のことです。よく知られているように、エルサレムはイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの宗教にとって聖地とされています。それをイスラエルが軍事力で占領し、一方的に「首都」だと宣言して政府機能を移転させたことは、国際社会から認められていません。このため、国連安保理決議によって国連加盟国はテルアビブに在外公館を置くことを禁じられています。当の米国自身も、この決議に賛成はしなかったものの、棄権(拒否権発動せず)によって実質的に追認し、イスラエル大使館をエルサレムには置いてきませんでした。米国が実質的にイスラエルを支援している実態は隠しようがないものの、宗教というきわめてデリケートな問題で、露骨にイスラエルを後押しする態度を示すことは、百害あって一利なし、と民主党であれ共和党であれ、米国の歴代政権は判断してきたわけです。ところが、トランプはそれを公然とひっくり返してしまった。それに対して批判が起こると、言うに事欠いて「何億、何十億ドルの援助を受けている国が我々に反対する」と、金の力で脅しをかけるようなことを言い出す。質の悪い恫喝であり、このような言い分に感銘を受ける人などいないでしょう。案の定、米のエルサレム首都認定を無効とする国連決議には、賛成が128カ国、反対9カ国、棄権35カ国という圧倒的大差がつきました。棄権の中にカナダ、メキシコがあるのは若干意外でしたが(カナダの自由党政権もメキシコのPRI政権も、親米政権ではない)、それ以上に意外だったのは、我らが日本がこの決議に賛成した、ということです。米国のケツを嘗め続けている世界一の親米ポチ政権がどういう風の吹き回しか、と思いましたが、その背景については日経新聞が解説記事を書いています。簡単に要約すれば、そもそも米国政府内でもこの件には賛否が割れていること、英仏など旧西側主要国もみんな賛成の意向なのに、日本だけが米国寄りの態度を示すと、中東諸国の信頼を失うこと、決議案が米国を名指しにはしていないなど、多少米国に配慮した内容であることから、賛成票を投じた、ということです。日本は石油の多くを中東に依存していますから、その中東諸国に対して露骨に喧嘩を売るような態度を取るのは得策ではない、というのはごく当然の判断です。この件に関しては、きわめて珍しいことに、安倍政権はマトモな判断を下したなと思います。
2017.12.23
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BPO「抗議活動者が救急車を停止させて誰を搬送しているのか確認した(数十秒)。これが救急車を止めたと誤解された」←は?沖縄基地反対運動を特集した「ニュース女子」(TOKYO MX)の報道に重大な放送倫理違反があったと結論づけたBPOに世間の反発が相次いでいる。ニュース女子(制作会社はDHCテレビジョン)は2017年1月2日、沖縄ヘリパッド建設に反対する抗議者たちが救急車を止めた」と報じた。その後、一部の者たちから事実無根であると批判が殺到し、BPO放送倫理検証委員会が放送倫理違反がないか検証することになっていた。その間もニュース女子は非を認めず、重要な指摘を行ったという立場を崩さない。さてBPOが公開した報告書の中にある矛盾する箇所を紹介したい。▼「抗議活動者が救急車を停止させた。これが救急車を止めたと誤解された可能性がある」。意味不明だ。▼BPOの見解では「救急車が妨害されたという事実はなかった」。つまり「ニュース女子がデマを流した」ということになる。まず大前提としてどんな人でも救急車を止める権利はない。BPOは当たり前のように「誰を搬送しているのかを確認しただけ」と書き連ねているが、確認の必要自体ないはずだし、数十秒という時間も長過ぎる。現場の事情は詳しくは知らない。だが、おそらく抗議活動者は敵対勢力(防衛局職員、機動隊員)が運ばれていたら妨害するつもりだったのではないだろうか。だからとりあえず救急車を検問して誰を搬送しているのかを確認した。そう考えれば合点がいく。BPO委員会の最終判断は「重大な放送倫理違反があった」というものだった。だが、少なからずBPOの調査とは違う証言も散見される。沖縄にてカナンファームで塩パインを栽培している男性は「消防署長が妨害を認めている」と話している。(以下略)---東京MXテレビの「ニュース女子」の沖縄ヘイト番組をめぐる問題は、以前に紹介したことがありますが、この度BPOから、「重大な放送倫理違反があった」という当然の内容の報告書が出されました。ところが、それに、Netgeekという、極右ニュースサイトが噛み付いています。一読すると、報告書の内容の断片だけしか見ていない(あるいは、意図的に見ようとしない)、かなり頭の悪い内容であることが歴然としています。BPOの見解では「救急車が妨害されたという事実はなかった」それは、BPO自身の独自の見解ではありません。報告書には、基地建設反対派が救急車を止めたとのB氏の発言については、新聞社や他の放送局が国頭地区行政事務組合消防本部に取材したうえで、そのような事実はなかったと報道している。委員会も、念のため、同消防本部消防長に聴き取り調査を行った。 消防長の説明は、以下のとおりである。 1 2016年7月から12月までの間に、高江地区ヘリパッド建設現場付近からの通報は、20件あった。20件のいずれについても救急車の通行を妨害された事実はない。道が抗議活動やそれを規制する機動隊員等のため狭くなり、人を轢いてはいけないので徐行したことはある。 2 20件のうち防衛局職員、機動隊員を病院に搬送したケースが2件あったが、いずれも軽症。他の18件は抗議活動側が傷病者であった。 3 抗議活動側が傷病者であった18件のうち1件について、傷病者を収容した救急車が徐行運転を開始して間もない高江橋で、抗議活動側の人が救急車に対して手を挙げて合図し、救急車に停止してもらい、誰を搬送しているのかを確認したことがあった。救急車が停止した時間は数十秒であった。この事実が「救急車を止めた」と誤解された可能性がある。 (以下略)と記述されています。現場で「救急車を止められた」当事者であるはずの国頭地区行政事務組合消防本部消防長が、「救急車の通行を妨害された事実はない。」が「誤解された可能性がある。」と明言しているのです。当事者である救急隊(を管轄する消防本部消防長)が「止められていない」と言っているのに、「止められたはずたー」と叫ぶ馬鹿馬鹿しさ。更に、Netgeekの頭の悪い主張は続きます。まず大前提としてどんな人でも救急車を止める権利はない。BPOは当たり前のように「誰を搬送しているのかを確認しただけ」と書き連ねているが、確認の必要自体ないはずだし、数十秒という時間も長過ぎる。現場の事情は詳しくは知らない。だが、おそらく抗議活動者は敵対勢力(防衛局職員、機動隊員)が運ばれていたら妨害するつもりだったのではないだろうか。だからとりあえず救急車を検問して誰を搬送しているのかを確認した。そう考えれば合点がいく。まず大前提として、「どんな人でも救急車を止める権利はない。」という言い分はそもそもおかしなものです。救急搬送されたのが誰か確認しようと手を挙げる、救急車がそれに応えていったん停車する、それは、一般的コミュニケーションの問題であって、権利とか義務とかいう以前の問題です。救急搬送の話題は、自分自身も最近搬送されてしまったばかりですが、自分自身が搬送された経験より、自分自身以外の人間のために119番通報した経験の方が数倍、いや十数倍多いし、救急車に同乗したことだって、自分が搬送された回数よりはずっと多いので自信を持って言います。救急車が接近すれば、要救護者がいるのはここだと手を上げて合図して止まってもらいます。そして、搬送者の属性や搬送先病院、同乗者の有無などが動き出す前に分かっていればよいのですが、うっかり混乱して未確認のまま救急車が動き出したら、合図して止まってもらうことはありますよ。だって、家族や同行者に、「××さんが○○病院に搬送されましたよ」と伝える必要がある場合もあるし、「えっ、それなら私病院まで付いていく」という場合もあるからです。それは不思議なことでも何でもありません。救急車は、合図されても止まる義務はないでしょうが、そういった点を現場で確認できたほうが救急隊にとっても好都合なので止まった、それだけのことです。ちなみに、法的な権利義務をいうなら、道交法は緊急車両に関して緊急自動車以外の一般車両(自転車、軽車両を含む)は、その進行を妨げないよう進路を譲らなければならない(以下略)。と定めているのみです(第40条)。歩行者が緊急車両を呼び止めてはいけない、などという規定が、一体どこになるのやら、です。「敵対勢力(防衛局職員、機動隊員)が運ばれていたら妨害するつもりだったのではないだろうか」なんてのは、これこそ悪意あるデマそのもの。引用した消防長の証言によれば、現に防衛局職員、機動隊員を搬送した2回は救急車は止められていないのですから。で、あとは「BPOは反日左翼」とかいう、ある種お決まりのレッテル貼り。要するに自分にとって都合の悪いものはみんな「反日左翼」なのでしょうね。
2017.12.21
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<厚労省>生活保護、減額を最大5%に 批判配慮、幅を縮小厚生労働省は、来年度からの生活保護受給額の生活費相当分に関し、減額幅を最大5%にとどめる調整に入った。2~3年かけて段階的に実施する方針。厚労省は最大13%減の見直し案を示しているが、与党や有識者から大幅減額に対する批判が出ていることに配慮した。ただし、厚労省は保護費の減額分を、生活保護に至る直前の状態にある生活困窮者の支援拡充に充てる方針。受給額の減額を抑えると生活困窮者向けの予算が減ることも踏まえ、年末の予算編成で最終決定する。~受給額は5年に1度、生活保護を受けていない低所得者層の消費水準に合わせて見直している。低所得者層の消費が低迷していることなどから、受給額が多くの世帯で下がる。現在の決め方は、政府が克服を目指す貧困やデフレ、高齢化などの影響を直接受ける。この決め方について駒村康平部会長は「受給額は低い方に吸い寄せられる」と指摘し、政府に見直すよう異例の注文を付けた。厚労省案では子育て世帯のうち「母親、中学生、小学生の3人家族」(大都市部)の場合、今の生活費分の受給額より約1万円少ない14万円台になる。高齢者世帯の多くも引き下げられ、厚労省案通りに見直せば受給水準は中所得層の消費水準の5割台に落ち込む。これまでの部会では「最低生活水準は中所得層の6割を目指すべきだ」との意見が相次いでおり、委員の一人、岩田正美・日本女子大名誉教授は「注意信号だ」と危機感を示した。与党内にも「10%超の大幅減額は到底、受け入れられない」との声が上がっていた。~減額される可能性が高い高齢者世帯も不安を募らせる。東京都足立区の都営住宅で1人暮らしをする男性(76)は約10年前に胃がんを患い、手術後も体調不良で働くことができず生活費として月約7万3000円を受給している。医師から野菜や肉をバランスよく食べるよう言われているが「光熱費の節約ももう限界。体調が悪くなったとしても食費を削るしかない」と話していた。---生活保護は、憲法第25条に定める「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するためのものです。しかし、生活保護の基準(基準生活費)は、「健康で文化的な最低限度の生活にはどの程度の費用が必要か」という絶対評価による経費の積み上げではなく、生活保護を受けていない低所得層の生活水準との対比で決められています。そうすると、多くの人が収入が減って生活が苦しくなると、生活保護制度はその多くの人を助けるために機能するのではなく、基準を引き下げて生活保護の対象者を増やさないように機能する、ということになってしまいます。生活保護の捕捉率つまり生活保護の対象となりうる人のうち実際に生活保護を受けている人の割合は2割程度と言われています。つまり、生活保護を受けられるのに受けていない人も相当多く含まれる※「生活保護を受けていない低所得者層との比較」には問題があるでしょう。※ただし、生活保護の受給条件は収入だけでなく、資産の条件もあります。簡単に言えば、手持ちのお金が生活保護基準の1か月分より少ない(実質的には1か月分の半額)ことが生活保護の要件だそうです。したがって、現在の収入は生活保護基準以下でも、資産の要件で生活保護の対象にならない人はかなり多いものと思われます。というわけで、「総論としては」生活保護基準の減額には大きな問題があるように思います。特に、引用記事の末尾にあるような一人暮らし世帯(必ずしも高齢者に限ったことではありませんが、高齢者世帯が一番保護基準が低い)の生活保護基準は、現状でも明らかにギリギリであり、これ以上の減額は非常に問題です。※※引用記事に生活費として月額7万3000円を受給、とあるのは、おそらく不正確です。東京23区を含む、「級地区分1級地の1」の生活保護基準はネットで調べることができます。これによると、東京23区での70歳以上の生活保護基準(生活扶助のみ)は74630円。しかしこれ以外に家賃(住宅扶助、引用記事の例は、都営住宅なのでおそらく2~3万円)と介護保険料が加わったものが「保護基準」となり、さらに実際の受給額は、この基準から収入を差し引いた額になります。制度に詳しい知人によれば、この人の保護基準は10~11万円くらいで、受給額が7万3000円が事実なら、この保護基準から年金収入が控除されてその額になっているのではないか、とのことです。その一方で、「各論」になると、減額がすべて許されざるものかどうかは、いささか疑問の余地もあるようです。生活保護の母子加算、減額の可能性 厚労省方針厚生労働省は来年度、生活保護を受ける一人親世帯に支給する「母子加算」を見直す方針を決めた。支給水準は現在検討中の生活費をまかなう「生活扶助」の新たな基準額しだいで変わるが、減額される可能性が高い。(以下略)---母子家庭が、一般の世帯より収入が少ないのは、歴然たる事実です。したがって、その差を埋める制度が必要なのは確かなのです。そのための制度として、児童扶養手当(一人親の世帯に、子ども1人の場合月額約4万2千円、2人目以降5千円ずつプラス)があります。しかし、生活保護の母子加算(という名ですが、父子家庭も対象)は、それとは意味合いの異なるものです。母子加算というのは、前述の生活保護基準を、母子家庭だけ高く設定する制度です。つまり、収入が低いから足りない分を補填するのではなく、足りない分プラスアルファを上乗せする仕組み、ということです。前述の基準額表によると、子どもが1人だと22790円(2人目以降プラス1800円)が加算されるようです。母子加算とは別に、子どもがいる世帯には、「児童養育加算」があり、学校の様々な費用に充てる「教育扶助」もあるそうです。それにもかかわらず、同じ子どもがいる世帯の中で、両親が揃っている世帯より母子家庭の保護基準だけを優遇する理由は、いまひとつ明確ではありません。教育扶助や児童養育加算が不足であるというなら、それは母子家庭だけの問題ではないはずです。そういう意味では、母子加算は「守るべき最低限のライン」とは必ずしも言えないのではないか、というのが知人の意見でした。なお、最初の引用記事に「母親、中学生、小学生の3人家族(大都市部)の場合、今の生活費分の受給額より約1万円少ない14万円台」という記述がありますが、これも知人によれば、「住宅扶助も児童養育加算も教育扶助も母子加算も抜いた、裸の生活扶助部分だけの額」とのことです。それらの扶助を加えた現在の保護基準は、都営住宅なら23~24万、民間賃貸住宅なら28万円くらいだろう、とのことです。もっとも、この保護基準の全額が「受給額」ではありません。母子家庭なら仮に母親がまったく仕事をしていなくても、児童扶養手当(子ども2人で4万7千円)と児童手当(同2万円)は受給しているはずなので、前述の基準からこの合計6万7千円を差し引いた額が生活保護の支給額になる、ということです。追記:記事をよく読むと「生活費分の受給額」とあるので、間違いではないのですが、その「生活費」の定義が示されなければ、家賃や教育費も生活費だと考える人も少なくないはずで、非常に誤読を招きやすい記述です。
2017.12.19
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のぞみ、台車に亀裂 新幹線、揺らぐ安全 破損の原因不明東海道・山陽新幹線「のぞみ」の重要部である台車に亀裂が入っていた問題は、半世紀以上の「安全神話」に疑念が生じる異常事態だけに、関係者らを震撼させている。国の運輸安全委員会は新幹線初の重大インシデントとして、チェック体制や運転を継続していた経緯を調べており、安全管理の徹底を求める声が上がっている。~異常は16両編成のうち13号車の台車で見つかった。台車枠の亀裂1カ所、モーター回転を車輪に伝える「継ぎ手」に焦げたような黒っぽい変色、継ぎ手と車輪の間の「歯車箱」付近に油漏れ-の三つだ。とりわけ、強度のある台車枠に亀裂が入ったことは、「めったに起きることではない」と関係者にショックを広げている。亀裂が生じて広がれば台車が大きくゆがみ、四つある車輪それぞれに均等にかかっていた重量のバランスが崩れ、荷重の軽くなった車輪はレールから外れる恐れが出てくる。新幹線トラブルは以前からあった。ただ、今回の重大インシデントが深刻視されるのは「乗客約1000人を乗せて脱線したかもしれない」という点にある。~焦げたような臭いや、うなるような音など複数の異常が報告されながら、約3時間も運転を続けた東海道・山陽新幹線。JR西日本は状況把握のため、社内規定に沿って途中から車両保守社員を添乗させたが運転はやめなかった。亀裂が見つかった今月11日、車両は東京都内で未明に目視検査を受けた。午前中博多行き「のぞみ15号」として東京駅から博多駅へ。折り返して午後1時33分、東京行き「のぞみ34号」として発車した。乗客や乗員から異変の報告はなかった。しかし、小倉駅を出た同1時50分頃、7、8号車付近で車内販売員と客室乗務員が「焦げたような臭い」に気付く。さらに福山-岡山駅間で、13号車の乗客が「もやがかかっている」と申し出た。JR西には「異常があった場合は担当者が添乗し状況を把握する」との規定がある。車両保守社員3人は岡山駅で乗り込み、「うなるような音」を確認した。この間、断続的に異臭もあった。しかし、同社は運転を続けた。結局、運行管轄の分岐点となる新大阪駅で交代したJR東海の車掌が異臭を確認。名古屋駅で13号車床下を点検し異常発見につながった。運転継続の判断について、JR西の広報担当者は「保守担当者3人を添乗させて音や臭いを確認し、運行に支障はないと総合的に判断した。現時点で、それ以上でも以下でもない」と述べるにとどまっている。ドル箱の新幹線が過密ダイヤの中で誇る「高速・定時運行」を優先させ、緊急点検による遅れなどの混乱を避けた可能性も消えてはいない。(以下略)---台車に亀裂が入るのが重大な事態であるのは言うまでもないことです。それも最高速度300km/hという高速運転中に破断したり脱線すれば、大惨事に至ることは確実です。その亀裂の原因(大きく言えば金属疲労に決まっているわけですが)対策、再発防止策などは今後検討されて行くとして、まず問題となるのは、引用記事にもあるように、明らかに異常な状況にもかかわらず、何故3時間も運転を続けたのか、という点です。私の知る限り、通勤電車だって、異音があれば確認を行うのが普通ではないでしょうか。列車遅延のお知らせで「異音による安全確認」という言葉は、時々目にするように思います(少なくとも首都圏では)。まして、「焦げ臭い」と「もやがかかっている」(要するに煙でしょう)が加われば、鉄道においてもっとも恐ろしい事故である車両火災発生の懸念を抱くべきでしょう。それにも関わらず保守担当者を同乗させたのみで、「運行に支障はない」という誤った判断を下した姿勢は、大いに問題ありでしょう。結果的に脱線に至る前に運行を打ち切ったものの、状況から考えるといつ脱線していても不思議はなかった-と運輸安全委員会が判断したから、重大インシデントに認定したのでしょう。ちなみに、問題の車両はN700A系のK5編成とのことです。Wikipediaによれば、このK5編成は2007年11月10日にN700系のN5編成として落成し、2013年12月20日にN700A系に改造されK5編成に改番されています。製造から10年、改造からは4年経っていることになります。ちなみに、改造の内容はやはりWikipediaによると、(要約)・車輪ディスクブレーキのボルト締結方式を変更(ブレーキの強化)・定速走行装置の搭載・地震ブレーキの搭載で、N700Aの機能の一部を反映・台車振動検知システムの搭載とのことなので、台車にも手を入れているようです。もっとも、後述の台車検査の際、台車は別のものに交換される場合があるので、事故車の台車が落成時、あるいは改造時と同じものだったかどうかは分かりません(同じものではなかった可能性のほうが高い)。新幹線車両は、45日あるいは走行距離6万kmごとに交番検査、18ヶ月または60万kmごとに台車検査、36ヶ月または120万kmごとに全般検査が行われます。トラブルのあった車両の台車がいつ検査されたのかは分かりませんが、この基準に当てはめれば、少なくとも10月下旬以降に交番検査が、昨年6月以降に台車検査が行われていたことは確実です。そこで問題はなかったから、大丈夫なはずである-と判断していたとするならば、安全神話にあぐらをかいた態度、と言わざるを得ないでしょう。原発と同様、それでは神話はまったく無根拠の神話に過ぎない、ということになってしまいます。問題なのは、これが特定の一つの台車だけに固有の問題なのか、他の台車にも遅かれ早かれ起こる可能性がある問題なのか、という点です。現状では後者の前提で考えるしかないでしょう。つまり、類似の事案が再発する可能性はある、と考えておかなければなりません。そのとき、二度と「異常を検知したのに運転打ち切りを先送り」などという事態を再発させないようにしないと、次は本当に大惨事かもしれません。
2017.12.17
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大変申し訳ありませんが、筆者の気分の問題で、当該記事を削除させていただきます。読んでいただいた皆様にお詫び申し上げます。
2017.12.16
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伊方原発、「立地不適」と問題視=運転停止は期間限定―広島高裁決定広島高裁が13日、昨年8月に再稼働した四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じた。西に位置する九州の阿蘇カルデラが大規模に噴火した場合の影響を重視し、伊方原発の立地を「不適」と指摘する踏み込んだ内容となった。火山や立地を問題視して、原発の運転差し止めを命じた仮処分決定は初とみられ、司法や原子力業界、火山学者らの間で議論が活発化しそうだ。高裁決定は、伊方原発から約130km離れた阿蘇カルデラに着目。原発の運用期間中の火山活動や噴火規模は推定できないため、最大規模の噴火を想定する必要性に言及した。約9万年前の巨大噴火と同規模の噴火が発生した場合、四国電の調査やシミュレーション結果からは、伊方原発敷地内に火砕流が到達する可能性を「十分低いと評価できない」と判断した上で、「伊方原発の立地は不適で、認められない」と切り込んだ。~一方で、広島高裁は「仮処分は証拠調べの手続きに制約がある」として、停止期間を来年9月末までに限定。地震想定の甘さや、重大事故対策が不十分といった住民側の主張を認めず、火山対策以外は規制委の判断を「合理的」とした。巨大噴火は、日本列島では約1万年に1回のペースで発生してきたとされる。大規模な火砕流が原発を襲えば、原子炉の冷却機能が維持できず、重大事故に至る恐れが指摘されていた。ただ規制委は、これまでの巨大噴火の発生間隔などから、原発の運用が続く今後数十年間は起きないとの考え。~日本火山学会は2014年、火山の噴火予測では「限界、曖昧さの理解が不可欠」などとする提言をまとめた。確定的な発生時期や規模の予測は困難として、規制委に対し「このような噴火予測の特性を十分考慮し、慎重に検討すべきだ」と訴えていた。---これまで、地方裁判所では画期的な判決が出ることはあっても、上級審でひっくり返されるのが通例でした。ところが、この裁判は地裁では原発の運転差し止めを認めなかったのが、高裁で逆転で運転差し止めを命じるという、ある意味で予想外の結果となりました。当然の判断ではあるけれど、勇気ある決定でもあると思います。ただ、最高裁はどうなるでしょう。願望ではなく予測で言えば、また覆されてしまうのではないかと思います。そうならないことを願いますが。阿蘇カルデラは、およそ26万年前から9万年前までの間に4度の超巨大噴火があったことが知られています。その火山灰は日本全土を覆い、その痕跡は阿蘇から1000km以上離れている関東地方にも、くっきりと残されています。阿蘇の噴火した年代は分かっているので、この火山灰が出てくればそれがいつの年代のものかが、簡単に分かるのです。この4度の大噴火の中で、火砕流が四国に達した例があるかどうかは知りません。が、少なくとも関門海峡を越えた山口県(阿蘇からの距離は伊方原発とほぼ同じ)には到達しています。更に、阿蘇の南に位置する姶良カルデラ(その一角にあるのが桜島)の2万5千年前の噴火では、高知県の宿毛まで火砕流が到達しています。姶良カルデラの火砕流が四国に届いた2万5千年前は、ウルム氷期(最終氷期)最寒冷期直前くらいの時期なので、四国と九州の間はひょっとしたら陸続きだったかもしれません。しかし9万年前は温暖期なので、阿蘇の火砕流が四国に届いたときは、関門海峡は海峡だった可能性が高いのではないかと思います(厳密には不明)。更に、日本では史上最後に起きた超巨大噴火である7300年前の鬼界カルデラの噴火は、海底火山の噴火による火砕流が海を越えて南九州を襲ったことが分かっています。つまり、火砕流は海を渡るものなのです。裁判では阿蘇カルデラのことしか論点に挙がらなかったのかどうか、私は知りませんが、九州南部には阿蘇のほか、加久藤カルデラ、姶良カルデラ、阿多カルデラ、鬼界カルデラと、超巨大噴火を弾きおきしたカルデラが目白押しです。それらのどのカルデラの噴火も、火砕流が四国に届く可能性はあるのです。更に、火砕流の直撃は免れたとしても、火山灰の降下は絶対に免れません。それも半端な量ではありません。1000kmも離れた関東にも、9万年前の地層にはっきりと噴火の痕跡が残っているくらいです。今地層に残っているのは数ミリか1センチ程度ですが、当時は数十センチの降灰があったはずです。関東ですらそうなのですから、四国での降灰は、1メートルを超えるでしょう。そんな火山灰が降ったとき、原発が安全に停止できるのか、停止できたとして、その後に安定的に冷却を保ち続けることができるのか。まず不可能と考えるしかないでしょう。そして、伊方原発は立地的に、何かあった場合にその先の住民が陸路で逃げる術が海路しかありません。そりゃ、地域住民が不安に思うのは当然のことなのです。話は変わりますが、この決定に対して、産経新聞の「主張」が予想どおりの意見を開陳しています。伊方停止の決定 阿蘇の大噴火が理由とは引用はしませんが、「あまりに極端だ。」だそうです。あの産経新聞に「極端」とか言われてもね、という感じです。産経やその系列の右派は、北朝鮮の「脅威」については「危険だ危険だ」の一本やりなのに、原発の危険性については「安全だ安全だ」の一本やり。実際には、人間の作り出す「脅威」は人間の努力で回避することができるのに対して、自然現象は人知の及ぶ範囲外で発生します。北朝鮮とは話し合いができる(産経は話し合いなどしたくないみたいですけど)けれど、火山と話し合うことはできません。であれば、北朝鮮より自然現象の方がよほど脅威度が高いはずですが、産経クオリティ的にはそうならないもののようです。
2017.12.14
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ホリエモン「生活保護世帯への進学支援は『税金の無駄遣い』」 実業家のホリエモンこと堀江貴文氏が、政府が打ち出した生活保護世帯の子どもの大学などの進学支援に対して「税金の無駄遣い」とツイートし、物議を醸している。堀江氏は12月10日のTwitterで「補助金だすとかマジおかしい」「税金で高等教育をあまり役に立たない人に施すのは間違ってると思う」と投稿している。~堀江氏の一連のツイートによると、大学は、一部の人のための教育機関であるべきとみなした上で・成績優秀者には給付型の奨学金制度があること・魅力が薄い、あるいは努力不足などで入学者を確保できない大学が淘汰されないことへの批判といった点から、疑問を提示したようだ。Twitter上では堀江氏に賛同する意見がみられた一方で、「そもそも学歴で判断する社会構造自体から変えるべき」という問題提起や「教育格差を減らすためには良い政策」といった反論もみられた。しかし、NPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長は~成績優秀者が受け取れる返済が不要な奨学金の枠は、欧米などと比べて実際には非常に少ないと指摘し、給付型奨学金の拡充を訴えている。また~お茶の水女子大の研究では、世帯収入と子どもの学力は強い関係にあることがわかっている。また、世帯収入と保護者の学歴で測る社会経済背景が高いほど子どもの学力は高いことが明らかになっている。大学進学者と高校卒業者の間には大きな賃金の隔たりがある。男性の場合~月給でおよそ10万円の差がある。(以下略)---例によってホリエモンの暴言ですが、おそらく世間一般の「声なき声」の多数も似たようなものなのかもしれません。しかし、この話が税金の無駄遣いであるとは、私はまったく思いません。貧困の連鎖という言葉があるように、子どものいる生活保護世帯で、子どももまた(成人後に)生活保護受給世帯になる割合は、決して低いものではないと聞きます。短期的にはそうならなくても、低賃金の不安定雇用で就労して、ちょっと雇用環境が悪化したり自身の健康状態が悪化したとたんに失業するリスクを抱え続ける例も、かなり多いでしょう。自己責任至上主義者は、そうなっても仕方がない、親を恨め、とでも言うのかもしれませんが、誰を恨もうが恨むまいが、そういう人は結局生活保護に舞い戻ってくることになります。大学4年間の学費は、合計で400万前後というところでしょうか。一見高額に思えますが、25歳や30歳の人が生活保護になって、もしも一生生活保護だったりしたら、いったいその何倍のお金がかかるのか。医療費を除いて考えても、単身世帯(家賃含)の3年分くらい、複数人世帯の1人としても、まあ10年分くらいで400万円は超えるでしょう。それだったら、奨学金を給付することで生活保護から脱却してもらうほうが、トータルで見ればどれだけ安上がりか分かりません。損して得取れ、ということです。もちろん、大学に行けばよい職に就けると確実に保障されているわけではないですけど、大学に行かないとそもそも競争のスタートラインにすら立つことができないのが現実ですから。そういう意味では、いわゆるFランと言われるような底辺大学に行く意味があるのか(就職の面で)。というのは、私もちょっと疑問を感じるところではあります。だから、成績劣悪者、大学に行く気がそもそもない人まで無理に大学に行かせることはないでしょう。しかし、少なくとも人並み程度以上の学力と勉強の意欲、仕事をしていく意欲があるなら(限られた成績優秀者でなくても)奨学金の意味も効果も充分期待できます。加えて、「入学者を確保できない大学が淘汰されないこと」は、生活保護受給者がどうこうとはほとんど関係がありません。生活保護受給者は増えたと言っても2%程度、その生活保護世帯の中で子どものいる世帯は1割に満たない。その中で大学進学が問題となる年齢層の子どもがいる世帯が果たしてどれだけか、想像するしかありませんが、おそらく全受給世帯中のせいぜい1%程度ではないでしょうか。全世帯に占める割合で言えば0.02%くらい、ということになります。その程度の人数が底辺大学の淘汰や延命を左右することは、ほぼないでしょう。
2017.12.12
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この間、一部の方はご存知のように、ちょっといろいろなことがあったのですが、定どおり演奏しました。さすがに、私も仕事に復帰していないのに演奏するのは社会人としていかがなものか、という程度の常識はあるので、頑張って仕事にも行っております。というか、そもそも週明けからちょっと重要な業務があるので、演奏云々以前に、それまでにはなんとか復帰しなければと思っていました。実は今回の演奏、わたしの怪我だけでなく、チャランゴのいしのさんがインフルエンザ。ちょっと呪われすぎじゃない?という感じです。怪我は他人に感染しませんが、インフルエンザはうつるので、いしのさんは欠席。代役をカンチャ・ニャンのメンバーに急遽お願いしました。一昨日お願いして、8曲チャランゴが弾けてしまうのだから、凄いとしかいいようがありません。実は、代役の彼とは、遠い昔、1996年に一緒に演奏したことがあるのですが、同じコンフントで演奏するのは、多分そのとき以来、21年ぶりではないかと思います。さすがに今回は録音のみで動画は撮れませんでした。それも、レコーダーを自分の近くにしか置けなかったので、どうも笛、特に私の笛の音ばかりが大きくて、録音のバランスはいまひとつです。おかげで、間違いやリズムから外れてしまったところが目立つこと目立つこと(笑)なお、動画は撮影しておりません。映像は音声とはまったく関係ありません。夏に登った大雪山の赤岳・白雲岳・北海岳・黒岳と富良野の写真です。来年夏くらいまでに、この程度の山に登れるくらい回復していると、いいなあ。自分たちの演奏の写真も撮っておりません。人前での演奏としては初めて座って笛を吹いきました(練習では疲れたときなど座って吹くことは時々あります)。ただ座って吹いたという以上に、ビジュアル的に情けない演奏姿だと思うので、写真は見たいような、あまり見たくないような。というわけで、対バンのカンチャ・ニャンの写真のみ。そうそうBill McCrearyさん、お越しいただきありがとうございました。
2017.12.10
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今日12月8日は、いわずと知れた太平洋戦争が始まった日です。ただし、今日始まったのは、対米戦(イギリスなど連合国各国との戦いも付随)であり、戦争そのものはすでにそれより4年も前から始まっていました。中国への侵略戦争です。これが泥沼化してにっちもさっちも行かなくなるのに加えて、米国から経済制裁を受けると、絶対に勝てるはずのない米国との戦争という狂気の沙汰へと突き進んでいきました。太平洋戦争の無謀な開戦を批判すると、右翼系の連中は「今の視点で当時の決断を非難するな」などと言います。明らかに誤った決断を批判的に検証しないで、どうして教訓を汲み取ったり再発を防止したりできるのか、と思いますが、あるいは「再発を防止」などしたくない、ということなのかもしれません。それはともかく、対米開戦が無謀な選択である、というのは、なにも今日の視点で初めて分かるような話ではありませんでした。五味川純平の「御前会議」(文春文庫)には、対米開戦に先立って行われた御前会議(天皇臨席の、国策策定の最高会議)とその周辺を綿密に取材した傑作ですが、これを読むと、当時においても日本が米国とまともに戦争をして、絶対に勝てっこないことは、明白に認識されていたのです。そりゃそうです。日本と米国では、人口、経済力、工業力(質量とも)のみならず、石油や鉱物資源等の産出量、農産物の生産量すらも大差があるし、そのような経済統計は当時から明らかだったのですから、まともな思考力があれば「勝てっこない」という以外の結論が出るはずがないのです。五味川純平は、戦前、「巨大な製鉄会社の青年社員」であり、前掲書のあとがきには調査関係の職務上、ほぼ1年遅れで列国の戦略重要物資の生産高に関する数字が集まっていた。石油、銑鉄、鋼塊、銅、アルミニウムその他十数品目の日米生産高の比較は74対1だった。比較にならない。戦争などできる数字ではなかった。だから、一青年社員に過ぎない私にさえ基礎的判断材料があるくらいだから、企画院、陸海軍省、商工省などには精密な資料があって、それらは戦争などできないことを示しているはずである。だから日米交渉で日本がどんな強硬な態度を示しても、最後は妥協して戦争は回避されると考えいた。事実は一青年の予想を完全に覆した。私は、いかに軍国主義といえども、少なくとも危機に際して下す政治的判断はもっと客観的であり冷静であると思っていたから、開戦のラジオ放送は驚天動地の衝撃だった(大要)とあります。実際のところ、軍、政府には五味川が言うように、精密な資料はもちろんありました。ところが、その数字を元に、軍と政府の中枢部にする者たちが揃いも揃って日本を破滅に導く誤った選択をしてしまった。彼らは大馬鹿者だったのでしょうか。否、当時の陸士・海兵は現在の東大をも上回る超難関であり、その中でも陸軍省、海軍省や参謀本部、軍令部に勤務するものはとりわけ優秀な成績でした。つまり、秀才中の秀才が揃っていたのです。そして、彼らは米国と戦争して勝てると思っていたわけでもないのです。実際、対米「主戦派」である陸軍でさえ、内部でひそかに行われたシミュレーションでは対米戦惨敗の結果が出ていたし、まして海軍の主流は「米国と戦争をやって勝てるわけがない」と思っていました。ところが、無理が通れば道理引っ込む、声高な強硬論、「積極的」な声に対して、できるわけがないという冷静な声は、消極論と見られることを恐れて、大きな声にならなかったのです。典型的には、海軍の態度です。海軍は、対米戦に勝ち目がないことを腹の中では分かっていました。ところが、それを陸軍や政府に対して公言して対米戦に明確に反対しようとはしなかった。海軍が「できない」「反対」と明言すれば、対米戦など事実上不可能だったのに。その理由は、巨額の軍事予算の7割を海軍が占めて、大艦隊を建造しておきながら、今更対米戦は勝てません、とは言えないという、まったくメンツの問題に過ぎなかったのです。陸軍の対米開戦論もまた、勝てるという確信があってのことではなく、「勇ましい」積極論に面と向かって反対しにくい、一度掲げた積極論を引っ込めたくないという、やはりメンツの問題が大きく関わっていたことは明らかです。結局、誰も(内心では)勝てるとは思っていなかった戦争に突き進んで、日本中が焦土となって300万人が亡くなる結果に終わりました。この手の話は過去のことでしょうか?多分違います。社会の様々なレベルで、くだらないメンツや無意味な強硬論が合理的判断を妨げて失敗を招く話は、掃いて捨てるほどあります。ただし、個人や企業の誤りなら、その個人が破滅したり企業が潰れるだけですが、国家が誤った時の損害は取り返しがつかないほど大きい。また、日本が中国を侵略していなければ対米戦になることもなかったわけで、対米戦の大元には中国に対する侵略があったことを忘れてはいけません。二度と同じ過ちを繰り返さないよう、このことは我々が肝に銘じておかなくてはなりません。
2017.12.08
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高校歴史用語に「従軍慰安婦」 教科書向け精選案「南京大虐殺」も今年度内に告示される高校の次期学習指導要領に合わせ、高校や大学の教員らの研究会が教科書会社などに提言する歴史用語精選の1次案に、中学教科書では消えた「従軍慰安婦」が採用されたことが分かった。精選は、教科書改訂のたびに増え続けた用語を減らし、暗記力より思考力育成につなげるのが狙い。ただ「坂本龍馬」など国民的人気のある人名が外れたほか、論争のある用語が多く含まれ、精選基準をめぐって議論を呼びそうだ。精選案をまとめたのは、高校や大学の教員ら約400人で構成する高大連携歴史教育研究会。「教科書本文に載せ、入試でも知識として問う基礎用語」として、日本史1664語と世界史1643語を選択。現在の各3500語程度からほぼ半減となり、人名では龍馬のほか「吉田松陰」「高杉晋作」なども外れた。一方、近現代は用語が多く、日本史では789語と約半数を占めた。軍による「強制連行」の誤解を与えかねない「従軍慰安婦」や、存否などで論争のある「南京大虐殺」も入った。研究会によると、教科書に記載のない事実が大学入試で問われると、次の教科書改訂で収録される悪循環により、半世紀で用語が3倍近くに増大。高校の授業が用語の説明に追われており、生徒が議論する活動を重視した次期指導要領も踏まえ、学ぶ楽しさを実感できる授業へ転換を図った。(以下略)---「教科書本文に載せ、入試でも知識として問う基礎用語」を大幅に減らすのは、正直言ってあまり賛成ではありません。坂本竜馬、吉田松陰、高杉晋作など(他にも色々あるようですが)の名を歴史教科書から消すのはいかがなものか、と思います。その一方で、従軍慰安婦、南京大虐殺は基礎用語に入っていると。それは、当然でしょうと思います。南京大虐殺、あるいは「南京事件」でも良いとは思いますが、いずれも高校生が当然知るべき用語です。軍による「強制連行」の誤解を与えかねない「従軍慰安婦」や、存否などで論争のある「南京大虐殺」というのは、いかにも産経的ネトウヨ史観。従軍慰安婦に関しては、朝鮮半島で(もちろん日本本土でも)軍が直接人さらいのように強制連行した事案は確認できない、というだけで、南方の占領地においてはそのような事例は存在しました。が、そのことはともかくとして、「従軍慰安婦」という単語それ自体は強制連行を指し示すものではありません。従軍看護婦、従軍記者、従軍僧/従軍牧師・・・・・・別に強制連行されたわけではありません。そして、「存否などで論争のある『南京大虐殺』」という記述もあきれます。マトモな近現代史の議論において、南京大虐殺(あるいは南京事件)の存否の議論などありません。あるのはどの程度だったか、という議論に過ぎません。ネトウヨの機関紙たる産経としては、南京大虐殺など「一切なかった」と言いたいのでしょうが、そんなことはありえないのです。それにしても、この見出し。私としては、高校の日本史から坂本竜馬が消える(と、決まったわけではないですけれどね、あくまでも案に過ぎないので)というほうがはるかに重大な事件であり、従軍慰安婦や南京大虐殺が残るのは当然過ぎて何のニュースバリューもないと思えるのですが、産経的には従軍慰安婦や南京大虐殺の用語が残るほうがはるかに重大で許し難いことなのでしょう。まあ、そういう感覚の持ち主向けの機関紙ですから、当然なのでしょうけど。
2017.12.06
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原発新設、議論着手へ=エネルギー計画見直しで―国民理解に課題・経産省経済産業省は、原発の新設や建て替えの必要性に関する議論に近く着手する。2030年までの国の政策方針を定めた「エネルギー基本計画」改定に際し、地球温暖化対策の枠組み「パリ協定」を踏まえた50年までの長期的視点を新たに盛り込む。温室効果ガスを8割削減する日本の目標に向け、二酸化炭素を出さない原発をどう維持するかが焦点となる。3年ごとの基本計画の改定検討を担う経産省の会議で先月28日、分科会長である坂根正弘氏(コマツ相談役)が「原子力と地球温暖化問題の両面からアプローチしないと答えが出ない」と発言。「50年を考えながら30年の議論をしたい」とも語り、50年までの原発活用を議論する方針を示した。ーーー3.11で致命的な事故を起こしながら、結局は原発依存をやめるという選択すらできず、今後も新しい原発を作る、というのです。あの事故から何も学ばなかったのか、と思わざるをえません。確かに、地球温暖化は重要な問題です。反原発派の一部にも反温暖化論者がいる(広瀬隆とか)のは、残念なことだと私は思います。ただ、温暖化が危険だから原発事故の危険が許容できるのかといえば、許容できません。前回の記事で、高速増殖炉もんじゅの廃炉の件を取り上げました。地震でもなんでもない時にナトリウム漏れによる火災を起こし、その後もトラブル続きでほとんど動かなかったもんじゅは、普通の軽水炉よりはるかに危険な存在であることは確かです。しかし、では軽水炉なら安全なのか。そうではないから福島の事故が起きました。高レベル廃棄物の最終処分場も決まっていない、中間貯蔵施設の容量も遠からず満杯になりそう、という現状で、原発をやめる方向ではなく新設までする方向というのは、もし福島のような事故が今後避けられたとしても(おそらく避けられないと思いますが)核のゴミというツケを将来に先送りする、極めて無責任な方針と思います。そもそも、原発は確かに発電そのもののプロセスでは二酸化炭素を排出しないものの、廃炉作業や事故発生時の終息作業では、大量の二酸化炭素を発する(たとえば火力発電所の解体とは比較にならないくらいその量は多いはず)ことになります。それに、以前から度々指摘していることですが、日本の発電量は、2007年をピークに、ずっと減ってきています。電源別発電量電力量短期的には前年比で多少増えることはあっても、中長期的に見て、人口が減少傾向にある日本で電力需要の減少傾向が変わるとは、とても思えません。エネルギー基本計画がどのような将来予測に基づいて将来の電力需要を計算しているかわかりませんが、過大見積もりの可能性が高いように思えるし、そうであれば、発電設備への過剰投資は将来の不良債権でしかありません。それに30年先50年先を考えるのに、どうして再生可能エネルギーに注力しようとしないのかも、私には理解できません。現在でこそ、再生可能エネルギーには未完成な部分がありますが、小規模水力発電、潮汐発電、地熱発電等、安定性も含めて将来有望な再生可能エネルギーは多数あります。そこに力を注がず、やっぱり原子力というのは、結局3.11と同じ事態を招く道に続いているとしか思えません。
2017.12.03
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もんじゅ設計 廃炉想定せず ナトリウム搬出困難廃炉が決まっている高速増殖原型炉「もんじゅ」について、原子炉容器内を満たしている液体ナトリウムの抜き取りを想定していない設計になっていると、日本原子力研究開発機構が明らかにした。放射能を帯びたナトリウムの抜き取りは廃炉初期段階の重要課題だが、同機構が近く原子力規制委員会に申請する廃炉計画には具体的な抜き取り方法を記載できない見通しだ。ーーーもんじゅが、廃炉を考えていない設計になっている、ということは以前から言われていました。液体ナトリウムの抜き取りすら考えていない設計とは知りませんでしたが。引用記事にも引用外の部分で触れられていますが、ナトリウムは、空気や水に触れると発火する特性を持っています。そうならないように厳重な対策は施されてはいるものの、所詮神ならぬ人間の考える「厳重な対策」ですから、完全無欠ではありません。だからナトリウム漏れによる火災が起きたのです。そのような危険な冷却材を使いこなせる、というのは、技術に対する過信、あるいは思い上がりというものです。もちろん、それは原発全般にも言えることですが。で、この記事に対して原研は「ナトリウム抜き取りは技術的にはだから誤報だ」と主張しています。でも、この反論を見ても、毎日新聞の報道に対する反論の態をなしていないように見えます。「技術的には可能」というのですが、その具体的な手法は詳細に検討して決めるというのです。それって、現時点では決まっていない、言い換えるなら抜き取りの具体的手法は何も考えていなかった、ということです。「技術的には可能」(笑)世の中には、数多くの「技術的には可能だが、実際にはできないこと」が満ち溢れています。採算、危険性との折り合い、等々。そもそも高速増殖炉というもの自体が、「技術的には可能」だが実際には安全に稼働することが不可能な代物ですが。そうではない、できる、というなら「技術的には可能」などという抽象的な言葉ではなく、具体的な手法を、こうしてこうしてこうする、と説明できるはずです。原研は、さらに別紙の反論文で、要約すると、核燃料の方が最優先で取り出さなければならないから、ナトリウムは後回しでよいのだ、という趣旨のことを主張しています。これまたおかしい。核燃料の方が最優先というのはそのとおりだとしても、ナトリウムの取り出し方が決まっていなくて良いことにはなりません。何度も書きますが、ナトリウムは空気(酸素)や水に触れるだけで燃える危険性を帯び、実際に火災事故を起こしており、高速増殖炉の危険性の焦点であり、だからこそ廃炉が決まったのです。それを、こんなふうに軽く扱って見せて済むと思っているとしたら(おそらく、実際には見せているだけ、だろうとは思いますが)、勘違いも甚だしい、と言わざるをえません。実際には、「最優先」と言っている核燃料の取り出しすら、相当の困難をともなうでしょうね。何しろ、誤って落下させた「炉内中継装置」の取り出しだって、何度も失敗してやっと成功したのですから。視認不可能なナトリウム内の燃料棒取り出し(すべて遠隔操作)はとてつもない難事業でしょう。加えて、このナトリウム、日本はなんと危険なものに手を出してしまったのかと思います。原発全般に言えることですが、特に高速増殖炉は、このような危険な物質をトラブルなく使いこなせる、という技術に対する安易な過信の危険性を示しているものと思います。
2017.12.01
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