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一月号歌評(歌誌「賀茂短歌」1月号)下書き 後藤瑞義原 明男一病もおだやかにして年用意餅つく杵の音も伸びやか (評)作者は確か腎臓の摘出手術をされたと記憶しております。「一病もおだやかにして」の一病はそのことと思います。昔ながらの杵で餅をついているようです。現在では珍しい光景でしょう。そこにも作者のこだわりを感じます。杵の音は搗き手によってもあるいは搗き手のその日の健康状態や気分などによっても違うのではないかと想像します。「一病も」の「も」は、気持ちも体もおだやかにしてといったところだと思います。そういったおだやかな状態で餅をつくと杵の音ものびやかになるのでしょう。年用意の餅つきの音に良い年が迎えられそうな予感を感じたかもしれません。渡辺つぎ体重が減るごと足が重くなる老衰というはあなふしぎなり (評)本当に「あなふしぎなり」です。わたしなどは、体重が重く動きがにぶくなるために体重を減らします。それが世の常識だと思います。しかし、作者は百五歳になります。百五歳ともなるともはや常識は通用しないのでしょうか。作者もそれに気が付いて驚いているのではないでしょうか。ああこれが老衰ということかと百五歳にならんとするときに作者がやっと気が付いた、そんな感じです。それだけ作者は老いを意識してなかったともいえるのではないでしょうか。それにしましても、悲しむわけでもなく、淡々とご自分を受け入れている作者に感動するのです。鈴木菊江来年の花の配置を夢みつつ狭庭ふみゆくコスモス日和 (評)作者は確か九十八歳になられると承知しています。「来年の花の配置を夢みつつ」に一層の重みを感じます。「狭庭ふみゆく」もしっかり踏んでいる感じがします。事実作者はいまだ杖を使っておりません。明るい秋の一日を想像します。「コスモス日和」がぴったりしているでしょう。おだやかな、すがすがしい感じの一首になりました。 黒田幸子おなますを正月用にどつさりと沢山作ってとたのまれている (評)作者は米寿の祝いをすでにされていたと記憶しています。且つお一人で住んでいらっしゃるはずです。そのうえでの、「おなますを正月用にどっさりと沢山つくって」とたのまれているのです。それは、大勢で行きますからという意味もあり、お母さんのおなますはとてもおいしいのでいっぱい食べたいという意味もあるでしょう。そして、なによりもそれをお嫁さんか誰かははっきりしませんが、頼まれたことに対する作者の喜びが伝わってきます。 後藤早苗家中の窓ガラスふきさわやかに新年迎える準備できたり(評)家中の窓ガラスをふいた作者がいます。窓ガラスは普段は気がつかなくても、実際拭いてみると案外汚れていることに気が付きます。気が付かなかった汚れをも拭き取って、文字通りすっきりさわやかになった作者、作者の心もすっきりさわやかになったことでしょう。すでに新年を迎えたような感じかもしれません。いつ新年になっても大丈夫という心境でしょう。 藤井美智子ありがたくいたゞきましょうまた一つ歳がふえてと媼が笑う(評)「ありがたくいたゞきましょう」の言葉は少し屈折しているようにも感じます。ほんとうはあんまりうれしくないし、もらいたくないのだけれどと言った含みがあるようです。何をいただいたのか、「また一つ歳がふえて」ということです。「媼が笑う」、この媼とは誰でしょう、案外と作者自身かもしれません。そんな想像をするとより味わいが深くなるように思います。 小池美恵子病める眼で婿のくれたる「写メ」を見る小さき画面に女孫は踊る(評)作者は網膜剥離の手術をなさったと承知しています。「病める眼で」がそれです。娘さんのご主人が子供の動画をメールで送ってきたのでしょう。携帯の小さな画面にお孫さんが踊っている動画のようです。それは、作者が一番喜ぶことだとお婿さんが知っているためでしょう。目を病んでいる作者にとって小さな携帯電話の画面を見つめるのは楽ではないことが想像されます。ただ、お孫さんが元気よく、あるいはかわいらしく踊っている姿は、作者にとってはこの上ない癒しなのではないでしょうか。病める眼さえ忘れてお孫さんのかわいらしい踊る姿に見入っている、見詰めている作者の姿が浮かびます。 鈴木きみ白鷺も渡り鳥を退職し群れずひたすら狩野川に住む(評)まず、「白鷺も」の「も」に作者の思い入れを感じます。作者の「も」なのか、別の誰かの「も」なのかは分かりませんが。それに、「渡り鳥を退職し」と鳥に人事で使う言葉をからませています、それで白鷺は何かの、誰かのことをたとえているんだと思うのです。「狩野川」も単なる白鷺が今いるといった単純なものではないでしょう。もう五十六七年前になるでしょうか、狩野川が氾濫し数千人の死者を出したことを思い出すのです。この一首の背後にある孤高な感じは、いつ昔のように暴れるか分からない危うさも受け入れてこの地に生きてゆこうとする意志を感じるからだとおもうのです。さらに言えば、この「狩野川」自体も何かの譬えのように思うのです。たとえばご病気であったり、ご病気の再発の怖れだったりを想像するのです。 土屋文恵めらめらとたぎる炎よ怨念を焼き尽くしませ和平の世へと (評)今回、五首を「竹燃ゆる」という題で連作しています。早めに送られてきていますので、左義長(どんど焼き)ではないかもしれません。ただ、「めらめらとたぎる炎よ」といい、「怨念を焼き尽くしませ」といい、なかなか強い言葉を使っています。そして、「和平の世へと」とおさめているわけです。昨今の世界各地をゆるがすテロの事件、誰しも心を痛めます。それを真正面に据えて、精一杯強い言葉を使ってまとめあげた、そんな作者の真面目な気持ちを素直に受け止めたいと思います。
2016.01.29
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鑑賞:歌集「悲しき玩具」(四十三)(下書き) 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 人がみな 同じ方向に向いて行く。それを横より見てゐる心。 大きく、二つのセンテンスからなっています。「人がみな同じ方向に向いて行く。」と「それを横より見てゐる心。」の二つの文章です。最初の文章を「人がみな」と「同じ方向に向いて行く。」と行を分けているのにもそれなりの意味はあると思います。「ひとがみな」ということと「同じ方向に向いて行く。」ということをはっきり分けたい意図があったのでしょう。 それにしましても、私たちは(私ではなくあえて私たちと言わせてもらいます)、この世の中で社会生活をするうえで、なるべく角がたたないように、なるべくスムーズに世渡りが出来るようにと必死になっているのが常識だと思います。そのために、目立たず、みんなと同じような行動をとって身を守っているのです。たとえ少しばかり違和感のあることでも自分を抑え必死に世の中の流れに乗るように努力しているのです。これは当たり前のことです、常識です。もっとも、最近の若い人は多少変わってきているかもしれませんが。この常識を啄木は問題視しているわけです、なんでみんな同じようにするんだろうか、同じ方向を向いて行くんだろうか。ここに啄木の啄木らしさがあるのだと思います。個人主義が叫ばれ、個性が尊ばれるようになった昨今でさえやはり私たちは、あるいは、私は同じ方向に向いて行こうとしている自分に気が付くのです。まして、明治時代ですので、啄木のこの個性といいますか、先進性を高く評価したいとわたしは思います。ただ、「それを横より見てゐる心。」に啄木の哀しみが滲み出ているのを感じるのです。なぜ、自分だけこうなんだろうか。そんなうめきにも似た啄木の深い孤独感をわたしは感じるのです。人がみな 同じ方向に向いて行く。 それを横より見てゐる心。
2016.01.29
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短歌鑑賞:紀貫之の一首 後藤瑞義人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之 百人一首の有名な歌でいまさら鑑賞といわれても困ります。インターネットでも色々(解釈は大差はないと思いますが)書かれていますから参照にしてください。 ただ、あらためて読み返しまして多少目に止まったところがありました。たとえば、「人」とか「心も」の「も」とか、「花」とか「香ににほひける」の「香に」とか、実作者の私としては、興味をもったのでした。 作歌を始めたころは、なにも分からず、誰かの真似をして歌らしくしていたのを覚えています。そのうち、一般化はいけないのだ、具体的に、あるいはリアリティがあるような歌がいいというようにぼんやりと思い始めたのです。そうしたわたしの考えからして、「人」という表現、あるいは梅ではなく「花」という表現にまず注目したのです。これは、いわゆる一般化ではないでしょうか。「あなた」とか「君」とか「汝(なんじ)」とかでなく「人」という表現です。花もしかりです。花では桜と間違えられます。 正岡子規が「古今集」をけなし、その選者である紀貫之をけなしていることは有名な話です(「歌よみに与ふる書」に書かれています)。子規が何をもって貫之をけなしたのかは分かりませんが(私の勉強不足で)、たしかにこの一般化は子規の、写生やリアリティに重きを置く子規にとっては許せないことかもしれません。ただ、貫之は貫之で子規とは別の基準、写生やリアリティとは別の基準で歌を作っていたのではないでしょうか。この歌なども、なにかおおらかさのようなものを感じるのです。 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
2016.01.28
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白浜短歌会一月歌評(一月二十日)下書き A子新年を迎えて休む三ケ日テレビと遊ぶ優雅な日課 髪切りてすましておれば曾孫見てバアバ髪切り可愛いねと云う1.新年になって、元旦から三日までの三ケ日、作者は外には出掛けずテレビを見て過ごしたようです。箱根駅伝なども見たのでしょうか。テレビを見ることが、遊びのようだと言っています。ここも特徴があります。なにもせずテレビを見て過ごせる、なんと優雅な生活なんだろうかと作者は感謝の気持ちを歌にしているのでしょう。若い頃には考えられなかったことかもしれません。2.さっぱりと髪をきって新年を迎えた作者。それを、「すましておれば」と表現しているように思いました。それを目ざとく見つけた曾孫さん、いつもと違ってさっぱりしている作者に「可愛いね」と言ったのでしょう。かわいらしい曾孫さんから「可愛い」と言われ戸惑う作者、まんざらでもない感じがします。 B子 ピーの家(うち)庭から引越し縁側に手のひらの友春はもうすぐ 童謡(うた)のごとコタツでまどろむミケのいる妬ましすぎるお前の平和 哀しみを粉々にして舞い散らせ新しい風身体つきぬけ 1.「ピー」というのは、作者の可愛がっているインコの名前のようです。寒くなってきたので庭から縁側に鳥籠を移したのでしょうか。鳥籠を「家(うち)」といい、「手のひらの友」といっています。いかに作者と親密であるかが分かります。結句の「春はもうすぐ」がなかなか意味深ですが、可愛いピーちゃんに「春はもうすぐ」だから、寒いけれどがんばってね、と言った含みを感じたのでした。2.童謡「雪」の歌詞にあったでしょうか。「猫は火燵で丸くなる」、そのようにコタツまどろんでいるミケ(これは猫の名前でしょうか)がいるのでしょう。テロ事件が頻発する物騒な世の中、「お前は平和でいいね」と言っているようです。わたしもあやかりたいといった気持ちでしょうか。3.初句から「哀しみを」と言っていますが、新年を迎えた作者の意気込みみたいなものを感じます。この歌は、暗喩あるいは隠喩(メタファー)の歌だと思います。直喩、なになにのようにといういいかたではなく、あたかも「哀しみ」という物体が心の中にあるように詠っています。これも詩歌の表現方法で、心のような目に見えないものを詠うときには効果があると思います。一直線によどみなく歌い切ったのが、力強くよかったと思います。 C子亡き父母の寫眞に向い新年の挨拶をする九十二才のなにごとも仕事ですよと割り切って入浴介護のデーの人たち 書き染めに福と云う字を書きましたデイサービスに幸福くるよう1.作者のご両親は何歳でお亡くなりになったのでしょう。たぶん作者より若くしてなくなられのではないでしょうか。九十二歳の長寿を賜ったのもあるいはご両親のお陰があかもしれません。そんなことも思いながら、ご両親の寫眞の前で新年の挨拶とお陰さまで無事九十二歳になりましたと報告をしているようなふうに感じるのです。2.デイサービスに通っている作者です。デイサービスのなかで入浴が楽しみだと話していたのを思い出しました。頭を洗ってくれたり、体も洗ってくれるのでしょうか。「大変だね」とか「すまないね」とかいう会話があったかもしれません。介護しているたぶん若い人が 「いや、仕事ですから、心配いりませんよ。大丈夫ですよ。」などと話したのかもしれません。参考:なにごとも仕事ですよと入浴の介護をしつつ若者が言う3.デイサービスで書初めをしたのでしょうか。「福」という字を作者自身が選んで書いたようです。自分がお世話になっているデイサービスの幸多かれと祈っているような感じでしょうか。「書き染め」は、「書初め」のことだと思います。 参考:書初めに福という字を選びたりデイサービスに幸多かれと D子いただきしポインセチアにしくらめん日だまりのごと心あったかおだやかな海をながめつ歩をすすめ世の安寧を波に祈りし1.ポインセチアとシクラメンをどなたからかいただいた作者です。お礼、感謝「有難うございました。」を伝えたい気持ちが出ています。「心あったか」が良いでしょう。日だまりを体ではなく心に結びつけたのがよいでしょう。2.「ながめつ」は、「ながめつつ」「ながめながら」の助詞「つ」でしょう。まず、おだやかな海の眺めにこころがなごんだのでしょう。そうした心の安定が「世の安寧を波に祈りし」という言葉になったのでしょう。「安寧」、作者のなにかこだわりがある言葉かもしれません。一般的には歌の言葉は平明さをもっとも尊ぶのです。なるべく頭脳を使わずにわかる言葉のことです。こころに直接飛び込んでくるような言葉のことだと思います。「祈りし」の「し」は過去の回想の助動詞、「祈りぬ」(「ぬ」は完了の助動詞)くらいがよいのではないでしょうか。 E子 移り来て十年経たる山の家今年も無事にと大き門松また一つ歳をもらいて九十一一茶の俳句思い出しおり暖冬に庭の桜が三分咲き心ほのぼの憂さを忘れる 1.作者は民宿をなさっていたと思います。まずは、十年間無事にやってこられたのでしょう。今年も無事にお客様が大勢いらっしゃるようにと大きな門松を立てたのでしょうか。松は「待つ」に通じるように思いました。2.「めでたさも中くらいなりおらが春」、一茶の俳句はこれが浮かびました。新しい年になっておめでたい、しかしそれだけ一つ歳をとる、それで「めでたさも中くらい」と詠んだのでしょう。作者は確か九十歳を越えておられたと承知しています。3.時期的に桜は河津桜でしょうか。ピンクの鮮やかな花が三分咲きなのでしょう。「心もぼの」と温かくなった感じでしょうか。心の温かさは心の苦しさや憂さを忘れさせる力がありそうです。作者は、暖冬は植物の開花をうながし、人間にとっては身体だけでなく心にも恩恵を与えることに気が付いたようです。その気づきが貴重だと思います。 F子それぞれの子らの生活を思いつゝ老いしわれらは餅ふたつやく 新しき年の陽のさすリビングにひとり聞きいるシューベルトの曲1. お子さんが何人かいらっしゃるのでしょうか。それぞれご結婚されているのでしょうか。お子さんはそれぞれお一人お一人異なる生活があるのでしょう。必ずしもすべてうまくいっているわけではないかもしれません。しかし作者は、「老いしわれら」といっています、たとえ子供の生活が思わしくない場合であっても、もはや手を差し伸べることは難しいかもしれません。「老いしわれらは餅ふたつやく」、自分たちはつつましく生活をしてゆくしかない、と言っているように感じるのです。2. 今年はお孫さんたちがいらっしゃらなかったのかもしれません。静かな新年を迎えられたように思います。「リビングにひとり聞きいる」と「シューベルトの曲」がよく響きあっているように思います。新年らしい明るさもありいいと思いました。 ナポリの海 G男ちっぽけな魚屋なれど水槽に大鯛小鯛海老もひしめくちっぽけな魚屋なれど水槽に耳を澄ませば聞こゆ潮鳴りポンペイやナポリの海の蒼からむ古りし旅券に記憶を拡ぐ1.まず、小さな魚屋さんに水槽があったようです。そのなかに大鯛小鯛それに海老がひしめくように泳いでいる、そういう光景なのでしょうか。「ちっぽけな魚屋なれど」になにかしら作者の思いがこもっているようにも感じました。それは、めでたい(鯛や海老にあふれている)ことが、強調される効果があるように思います。めでたさは大きさではなく、密度、あるいは濃度のようなものが大事ではなかろうかといった作者の思いを感じました。二案の「耳を澄ませば聞こえゆ潮鳴り」も内容的には同じような思いを詠っているように思ったのです。小さな魚屋さんの水槽から大海の潮鳴りが聞こえるようだと言っているのです。2.作者は過去にイタリアに旅行をした経験があるようです。師走で大掃除でもしたのでしょうか。古い旅券を見つけたようです。それは、イタリア旅行の旅券だったようです。そして、見学をしたポンペイやナポリの記憶が呼び覚まされたのでした。白浜に住む作者、海辺に住んでいる作者ならではでしょうか、「海の蒼さ」の記憶がよみがえったのでしょう。きっとあの日のように海が青青としているのだろうなあ、と思い出に浸っているのでしょう。たぶんその当時の作者自身も青々と澄んでいたのかもしれません。
2016.01.17
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編集より(白浜短歌会1月号)下書き 後藤瑞義「悲しみを汚れちまったと詩人云う今なら判る還暦越えて」 齋藤うら子齋藤さんのこの歌が少し気になっていました。もちろん中原中也の詩「汚れつちまつた悲しみに」に材をとっています。「よごれつちまつた悲しみに」という題を見て、わたしはまず、作者が汚れたことに気がつきそれを悲しんでいるように解釈したのでした。つまり、汚れが先で悲しみが後ということになると思います。それに対して、齋藤さんは、「悲しみを汚れちまったと詩人云う」と、「悲しみ」が先にあって、その悲しみが汚れてしまったと解釈しています。汚れが具体的な物につくのなら、例えば「よごれつちまつたハンカチ」とか、「よごれつちまつた心」とか、「よごれつちまつたわたくし」とか、これなら分かりやすいんですが、中原中也のことをあまり知らないわたしには、「よごれつちまつた悲しみ」は、わかりずらかったのです。ただ、今はそう解釈した方がよいようにわたしも思います。歌会の席で、齋藤さんが「中也は悲しみを慈しんでいたようです」というような発言があったように記憶しています。これこそがこの詩の核心なのかもしれません。われわれはどうしても常識的な判断をしがちです、いや、われわれではなく「わたし」といったほうが良いかもしれません。一方中也は、啄木もそうだと思うのですが、自分の世界観、価値観があって、それに忠実に生きようと必死になっているように思うのです。そうした人たちには、社会の常識的な価値観は通用しないように思います。彼らは純粋であったり、真実であったり、正直であったり、そうしたものを求め、そうした生き方がいかに大変で難しいかを知り、苦しみ生きているのではないでしょうか。晩年の啄木の歌に自分がなんと嘘つきな人間なのかといった歌がいくつもあります。それは、逆に真実に、正直に生きようとしている人間の言葉としてわたしには伝わってくるのです。
2016.01.06
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