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短歌用語辞典2月1日(金)ひ(73)ひよ鵯(名詞)ひよどり。秋には山林より庭の柿の梢などにきてやかましく鳴く。尾は長く全身灰色。鵯は胸をかきむしる鳥 あかるき銃声にますぐに落つる鳥 葛原妙子とどまりてまた登りゆく関の坂ひよ鳥啼けば恋ほしひよ鳥 安永蕗子逃げてばかりをりし土鳩が居直りて今朝は餌台に鵯とあひ撃つ 吉野昌夫(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.31
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2月1日(金)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。失敗の恩恵教会のキリスト教は、成功した時に神の恩恵を認めます。これに反して、キリストの福音は、失敗した時に神の限りなき愛が示されます。人間にとっての最大の恩恵は、キリストを識(し)ることです。ですから、失敗の苦しい十字架を味わなければ、十字架のキリストを識(し)ることは出来ないのです。.一日一生(内村鑑三)2月1日(金)自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅(かた)く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。(ガラテヤ書五・一)自由は吾人の固有性にあらず。ゆえに完全に自由ならんと欲せば、吾人は完全に自由を有する神に至らざるべからず、すなわち吾人は神によりてのみ真正に自由なるをうるなり。詩人テニソンいわく「われらの意志は、そをなんじ(神)にささげんがために、われらに与えられしものなり」と。吾人の意志は吾人の意志を持ってこれを神にささぐべきものならざるべからず。もちろん人は不可割的個体なるがゆえに、いかなる場合においても他体に吸収さるべきものにあらず。されども人、その自由を国家の使用に供してかえって国家大の自由を獲得するがごとく、これを無限の神の使用に供して、無限大の自由、すなわち真正の自由を享有するにいたる。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。2月1日(金)マリヤよ、恐れてはいけません。主はあなたを善しとされました。見なさい、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。彼をイエスと名付けなさい。 (ルカ 1:30-31) 受胎告知(じゅたいこくち) 神の子であり人類の救い主である方が、人間として受胎したというのです。これにまさる厳粛(げんしゅく)で恩恵に満ちる報告がかつて人の耳にもたらされたことがあるでしょうか。これは限りなく聖、極(きわ)みなく真、まじりなく清く、絶対に新しい出来事です。古来多くの人間が世に生まれ来、その中には世を救うために活動した人も少なくありません。彼らはある意味において人を救う使命をもって世に生まれ来たのです。しかし私たちは人間の能力がいかに微弱(びじゃく)であって、罪に悩む小さな一人の心に平安を与える力のないことを経験によって良く知っています。そこにはただ人間の一人よがりと気休めとがあるだけで、絶対的な救いの希望はありません。このような中にあって、人を救うために神の御霊(みたま)と至高者(しこうしゃ)の能力により、神の子が人間として世に生まれるという驚くべき知らせが告げられたのです。実に人類の救済(きゅうさい)史上最大の事実は、ガリラヤの田舎女(いなかむすめ)マリヤに、天使ガブリエルが受胎を告知したその瞬間(しゅんかん)に成ったのであり、人類の歴史はここに全く新しい段階に入ったのです。私たちが受胎告知の記事を読んで、何よりもまず敬虔(けいけん)で清新な感じをもつのは、このためです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.01.31
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月31日(木)ようやくに開き始めた紅梅を何か自分のごとく喜ぶ菜の花が咲き紅梅が咲き始む霜置く伊豆に春きざしたり一輪のカーネーションを挿しているもう一週間経っただろうか静岡のてんかん病院へ施設より向った息子結果はどうか天城嶺は凍りていぬか病院に行った息子が峠を帰る私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.31
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1月31日(木)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(72) ひもじい(ひもじ)饑じ・飢じ(形容詞シク活用)飢えている。空腹である。心なほひもじくてあれ彗星を観たるものなしわれの周りは 篠 弘いつくしき雉の雄鳥(をどり)はひもじきや堆肥の山を踏み越えてくる 石川不二子ひやびや冷や冷や(副詞)非常に冷たい感じ。ひややか。「ひやひや」とも。顔洗ふ水のひやびやと十の指疲れてくぼむ眼窩に触れぬ 千代国一秋雷の絶えたるのちの冷々と卓に黒耀(こくよう)の粒なす葡萄 馬場あき子ひやひやと/夜は薬の香のにほふ/医者が住みたるあとの家かな 石川啄木(つづく)短歌用語辞典
2013.01.30
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月31日(木)神につかえる時期神にささげるものは、最善最美が望ましいのです。生涯での最も善い時期をもってすべきでしょう、老衰しきった時期ではなく、失敗を重ね余命いくばくもない時期ではなく。神御自身は、人間がいつでも自分のところへ帰ってくるのを待っておりますが。神御自身は、人間の生気旺盛な時期を必要としておるのです。しかし、人間は青年時代を肉欲放縦に費やし、壮年時代は野心遂行のために濫用し、老い朽ちようとする時になって神のもとに帰って来るのです。これは、本当は神の喜び給わないことなのです。一日一生(内村鑑三)1月31日(木)あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。(エペソ書四・二十一~二十四)イエスは平民である。余は平民の模範として彼を仰ぎまつる。かくいいて、余はイエスはいまのいわゆる平民であるというのではない。平民とはその持つところの位の有無、富の多少によって定めらるべきものでない。貴族の中にも平民あれば、平民の中にも貴族がある。自己を貴とよばざる者、これが平民である。自己になにか貴い者であるように思う者、これが貴族である。ゆえにイエスは平民であると言わんよりは、むしろ平民とはイエスのごとき者であるというべきである。すべてイエスを主としてあおぐ者、彼に罪をあがなわれんとする者、これみな平民である。すなわち神の子としての貴尊をみとむるほか、その他の貴尊をことごとく拒否する者、これが真正の平民である。「内村鑑三全集」第十三巻『感想』よりなんじの財産を神に献(ささ)げよ、さらば神は己が有(もの)としてこれを守り、いかに紊乱(びんらん)せるものなりといえどもこれを整理し、ふたたびこれをなんじに委(ゆだ)ねて、己が(神の)ものとしてこれを使用したもうべし。なんじの身体を神に献げよ、さらば神は己がものとしてこれを養い、疾病(やまい)の重きにかかわらずよくこれを癒し、ふたたびこれをなんじに与えて、己が(神の)ものとしてこれを使用したもうべし。なんじの霊魂を神に献げよ、さらば神は己がものとしてこれを聖(きよ)め、なんじの罪は緋(ひ)のごとくあるも雪のごとく白くなし、ふたたびこれをなんじに還(かえ)し、己が(神の)ものとしてこれを使用したもうべし。神に献げよ、神の有(もの)とせよ、神にして自由にその能力(ちから)をほどこさしめよ。さらば困難としてまぬからざるはなし、疾病として癒されざるはなし、罪として潔(きよ)められざるはなし。乱れしそのまま、病みしそのまま、汚れしそのまま、今これを神に献げよ、しかして神をしてその大能をもって、なんじにかわりて整理、治療、救済の任にあたらしめよ。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1 月 31 日(木)私の言葉を受けた人は誠実に語らなければなりません。私の言葉は焼きつくす火のようではないですか、岩を砕くハンマーのようではないですか。 (エレミヤ 23:28-29) 預言者藤井武 藤井武は神の言葉が永遠であることを宣べた預言者でした。多くの人は彼を知りません。しかしながら彼によって宣べられた神の言葉は永遠に立ちます。草は枯れ、花はしぼみますが神の言葉はしぼみません。ある時藤井が私に語った言葉の中にこういう事がありました、「自分の宣べる言葉によって自分が審かれるかも知れません。けれども仕方がありません、神の言葉だから宣べなければなりません」と。これは極めて重大な事柄です。神の言葉ですから、それによって審かれるものはすべての人々、すべての国民であり、自分がそれの例外をなすものではありません。人はこれを見て、あるいは自分を偽善者と言うかも知れません。けれども自分を審く力のないような言葉は、神の権威をもつ言葉ではありません。人間に、特に自分自身に、口触りのよい言葉が、神の言葉であり得るはずがありません。自分の宣べる言葉によって自分が傷つけられても、神の言葉ですから宣べなければなりません。それが神の言葉の権威を重んずるとうい事です。この神の言葉を、自分の名誉以上、自分の安全以上、自分の判断以上に重んずる人が預言者です。 内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.30
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月30日(水)霜に耐えひそかに咲ける枇杷の花見ることもなくみな通り行く腰痛の痛みようやく弱まりて歩けることの喜び思う春耕というにやあらん霜おける田にトラクター動き始まる霜おける枯草に日が差しこみてきらきらするを喜びとする無理するも若さゆえとは思えども何も分らず力みおりしか苦しむも貴重だなどと言うわれも当時は逃げていたかも知れぬわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.30
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1月30日(水)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(71)ひめる(ひむ)秘む(他動詞下二段活用)かくす。内につつみかくしておく。弾力を内に秘めたるうつくしさ青みづみづと若き竹群 阿久津善治水やると降り立つ庭木 葉のかげにぞつくり堅く蕾ひめゐし 太田青丘大寒の夜中の二時にめざめゐて人に秘むべき吐息つきたり 吉野秀雄(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.29
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月30日(水)真のパプテスマ一般に、パプテスマを洗礼と言います。しかし、わたしは葬式と呼びます、肉体と自分自身を葬って、霊と神とに生まれ変わる式なのです。ですから、パプテスマは一回だけでなく、日々必要なことです。とくに、年の始めにおいては必要な事です。わたしたちは、教会において牧師の手から、水でもって授かります。しかし、わたしたちは、パウロがロ-マ人への手紙六章3節以下に書いてあるように、心の中に、聖霊によって、神から直にパプテスマを施されるべきなのです。内村鑑三一日一生より1月30日(水)「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきてくださった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そしてわたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。(テモテ第一書一・十五~十六)余輩がもし自身を指してキリスト信者であるというならば、これ決して余輩の高徳をほこっていうのではない。キリスト信者とは名誉の名であるように思うているのが、そもそも真正のキリスト信者でないもっともよい証拠である。キリスト信者は罪人の一種である。自身の罪深きをみとめて、神の赦免(ゆるし)を乞わんがためにキリストの十字架にすがる者である。いまでこそ、パウロが信者でありペテロが信者であったと聞けば、いかにもかれらの名誉でありしように思うなれども、その当時においては、これはかれらにとって社交的には大不名誉のことであったのである。人の前に自分の罪人なるを表白しえない者は、けっしてキリスト信者ではない。しかるを、キリスト信者となりしとて文明的君子となりしように思う人は、いまだキリスト教の初歩をだに知らない人である。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月30日(水)「私の時はまだ来ていません。しかしあなたたちの時はいつも備わっています。この世はあなたたちを憎みませんが、私を憎んでいます。私がこの世の悪である事を証しているからです。あなたたちこそ祭りへ行きなさい。私は行きません。私の時がまだ満ちていないからです」。 (ヨハネ 7: 6-8) 一つの命 イエスの生涯は求めずして戦闘の生涯となりました。しかし戦いというのは事ごとにケンカを吹きかけることではありません。またいつでも敵弾雨飛(てきだんうひ)の中に身をさらして立っていることでもありません。どうせ自分の生命を真理の敵との戦いにおいて捨てるにしても、私たちはただ一つしか生命をもっていないのです。それを一生に一度捨てるのです。だから地上で果たすべき最後の使命を果たす日までこれを大切にしなければなりません。敵との小競り合いによって、福音宣伝のための精力を浪費することは避けなければなりません。イエスは進むも退くも、聖霊に導かれて風のように自由でした。彼の生涯の大目的は神の国の建設でした。彼の前途にはすでに十字架が芽を出していましたが、なお残る地上わずかの生涯を専心神の国のために労しなければならないのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.29
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月29日(火)祖父父の守りて来る酒店舗売り物件となり載りている長子われの継がざりし店広告に売り物件と写真載りいるわが実家売りに出ること重ければ押しつぶされてなる腰痛か弟に任せた実家あれこれと口をはさめる資格あるまい停留所聞かれ教える「良いお天気で」「ええ」と言いつつわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.29
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1月29日(火)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によりますが、一部省略などしています。ひ(70)ひまわり(ひまはり)向日葵(名詞)盛夏に黄色の大輪の花を開く。「ひぐるま」とも。 向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ 前田夕暮天日にくるめき燃ゆる向日葵の一茎はわれよりはるかに高し 渡辺順三旧地主帰りたるあと向日葵は斧の一撃待つほどの黄 寺山修司炎天に真面目に咲ける向日葵へ真面目に対すおろそかならず 佐佐木幸綱たかだかと炎昼に咲くひまはりのどれも貧しき戸口を塞ぐ 小池 光(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.28
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月29日(火)真のパプテスマ一般に、パプテスマを洗礼と言います。しかし、わたしは葬式と呼びます、肉体と自分自身を葬って、霊と神とに生まれ変わる式なのです。ですから、パプテスマは一回だけでなく、日々必要なことです。とくに、年の始めにおいては必要な事です。わたしたちは、教会において牧師のてから、水でもって授かります。しかし、わたしたちは、パウロがロ-マ人への手紙六章3節以下に書いてあるように、心の中に、聖霊によって、神から直にパプテスマを施されるべきなのです。一日一生(内村鑑三)1月29日(火)イエスは答えて云われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。また祈りのとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう。(マタイ伝二十一・二十一~二十二)世に金銭の勢力あり、政権の勢力あり、知識の勢力あり、されどもいまだ祈祷の勢力におよばざるなり。これじつに誠実の勢力にして、山をも透(とお)し岩をも砕くの勢力なり。世の大事業ととなえらるるものは、みな祈祷の力によってなりしものなり。祈祷の力によらずして建てられし国家は虚偽の国家にして、永久的不変の基礎の上にすえられしものにあらず。祈祷の力によらずしてなりし美術に、天の理想を伝うるものあるなし。祈祷は精神的生命をうる唯一の秘訣なり。ゆえに祈祷なきの国民より大政治、大美術、はたまた大文学、大発見、その他大と称すべきものの出できたるべきはずなし。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月29日(火)主は私の岩、私の城壁、私の救い主です。 ・・・ あなたが私の手を戦いのために訓練されたので、私のうでは青銅の弓を引くことができます。あなたは救いのたてを与え、愛の助け手をのべ、私を大きな人とされました。 ・・・ あなたは戦いにあたって、私に力を帯びさせ、敵を私の足元に伏せられました。 (第二サムエル 22:1,35,36,40) キリスト者は強い 今のキリスト者と称する人は、一般に自己の小さなことを知りますが神の大きなことを知りません。それゆえにその信仰告白が常に地にはって、暗く湿っぽいのです。しかし小さな自分が神に依り頼むとき、神は私を救って洪水より引き上げ、神の法を私に示して、神の力を私に与え、ペリシテ人と戦い、アマレクと戦い、サウルの党と戦って、神の国における私の地位を確立させます。たとえ私が自分の罪と小ささを知っても、それは私を神より隔てるものではなく、かえってますます神の救いを私に近づけるものです。自分の小さなことを忘れて神の恩恵の大きさに見とれるところに、主を信じる者の感謝と賛美があります。世の終わる日の来た時、私たちの全生涯を回顧(かいこ)して、ダビデと共にこの感謝と賛美の歌を歌いたいと思います。なぜなら神を信じる人は老いて疲れず、病んで衰えず、主より新たな力を与えられ、ワシのようにつばさを張って天に昇り行くからです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.28
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月28日(月)月曜の朝になりたりゴミ棄てに子の後追ってそろり歩けるつま先をしっかり見つめゆっくりと腰痛かばい子の後を追う腰痛の要点なるか視野狭くしてつま先を見つめて歩く病院の待合室にいるときにぼきりと背骨がもとにもどりぬレントゲン写真数枚撮りたるがホカロンのためやり直しとなる腰痛の薬をもらい帰る時心安けく痛みうすらぐ私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.28
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1月28日(月)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるひ(69)ひまご曾孫(名詞)孫の子ども。ひこまご。ひいまご。生れたる曾孫を見むと出でたりき此の小き坂堪へて往来(ゆきき)して 土屋文明したたかに八十路の夏を生きる母窓辺に曾孫の浴衣縫いおり 高倉芳子ひこまごのうまれむしらせ待ち遠に喜びいまさむわが老(おい)母は 藤川忠治曾孫もいく人かある筈なれど足手まとひか葬儀には出ず 相良義重(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.27
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月28日(月)キリストそのものであれ わたしたちは、キリスト信者であることで満足してはいけません。キリストそのものでなくてはならないのです。それは、自分自身が神になろうとすることではなく、キリストと同化することによって成し遂げられるのです。英語のクリスチャンもドイツ語のクリストもキリスト信者と訳するのは誤りです。クリスチャンはキリストの意味です。「われはかれの身の枝なり、かれの肉より出で、かれの骨より出でしなり」(エペソ書五章30節)クリスチャンはキリスト以外の者ではないのです。二者が同体であることを理解できないのであれば、キリスト教のほんとうの教えをさとる事は出来ないでしょう。一日一生(内村鑑三)1月28日(月)知恵の初めはこれである。知恵を得よ、あなたが何を得るにしても、さとりを得よ。それを尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする。それはあなたの頭に麗しい飾りを置き、栄えの冠(かんむり)をあなたに与える。(箴言四・七~九)人は宗教と科学との衝突をいう。されどもわれはいまだそのこれあるを認むるあたわず。宗教は霊界の科学的考究の結果というべく、科学は物界の宗教的観察というも可(か)なり。吾人は宗教を攻究するに科学的方法を応用するを恐れざるのみならず、普通の科学的常識にかなわざる宗教的思想は棄却して採用せず。またこれと相対して、科学的研究法に宗教的精神の用なしと信ずる者は、いまだ科学、宗教ふたつながらを解せざる者といわざるべからず。それは真率なる心、謙遜なる心、すべてのものにまさりて真理を愛するの心は、宗教においても科学においても、最始最終の必要物なればなり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1 月 28 日(月)「行ってあなたたちは見聞きしている事をヨハネに伝えなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人は清まり、耳しいは聞こえ、死人はよみがえり、貧しい人は福音に接しています。私につまずかない人はさいわいです」。 (マタイ 11: 4-6) イエスと民衆 イエスは民衆を愛されたのです。彼らをあわれまれたのです。民衆は粗野(そや)ですが正直です。無知ですが実生活上の生きた要求をもっています。彼らはパリサイ人の課する日常生活上の律法を厳格に守りきれませんが、しかし人間らしい心が彼らの中には動いています。学者たちは彼らを軽蔑(けいべつ)するだけで、救ってやろうとしません。しかしイエスは彼らの友となり、彼らの生きた要求をあわれんで満たされたのです。そしてまたイエスに対する深い信仰が時に民衆の中からひらめき出ました。民衆こそイエスの愛の対象であり、またイエスが福音の種をまかれた畑なのであります。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.27
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月27日(日)腰痛は忘れた頃にやって来ぬそろりそろりと歩くほかなし施設より帰り散歩をする子なり慣わしなればついて行きたりこごえたるわれの歩みを見つけたる水仙の花笑顔ふりまく痛きほど冷たくなりし手の指を缶コーヒーで温めている自販機の缶コーヒーの温かさ朝の散歩のオアシスとなる腰痛で法事に出ること出来なくてまた義理ひとつ欠いてしまいぬ肩痛い高見盛は懸命に有終の美を納めたるなり叔父上の四十九日に行けざれば付き合い悪しとまた誹(そし)られん仮病にてあらざりしかど運悪く腰痛なれば行けざりしなり山茶花の垣沿いの道歩みおり蘂はこんなにあざやかなるか私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.27
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短歌用語辞典1月27日(日)ひ(68)ひま隙(名詞)すき間。あいだ。時間。青羊歯の隙に群れ生ひ山石の累々たるを山頂とよぶ 田谷 鋭道を行くひまに曇りて風いづるなど春の日の心さわがし 佐藤佐太郎茶ぶきんもかわくひまなき梅雨ゆゑに湿(しめ)りにむれてくさみそめつも 生方たつゑ(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.26
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1月27日(日)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。生と死キリストのようになろうと思う時、わたしの中には、まだわたし自身の欲望が生きています。自分自身の無能を認めてすべてをキリストに委ねる時、はじめてわたし自身がなくなりキリストがわたしの中で生きるのです。キリストのようになりたいのであれば、キリストのようになりたいというその欲望をなくさなければなりません。道徳的こころよりもキリストにすべて委ねることを優先するのでなければ、キリストと共に生きることは出来ないでしょう。わたしたちが対決する最後の敵は、聖徒になろうクリスチャンになろうと求める道徳的な欲望です。一日一生(内村鑑三)1月27日(日)人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好(この)みにまかせて教師たちを集め、そして、真理から耳をそむけて、作り話の方にそれて行く時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務(つと)めを全うしなさい。(テモテ第二書四・三~五)宗教なるものは人類と神との間の関係を明らかにするものにして、これを世に伝うるは人類を最も幸福なる地位に立ち帰らしむるものなれば、この教理を世に伝うることはじつに善の善にして、博愛事業中この事業にまさるもの他にあることなし。伝道は仁人君子の職(つとめ)にして、これにまさるの業を余輩は余の思想中に見出すことあたはざるなり。いま伝道を以って人類を神に立ち帰らしむるの事業となさば、その区域はじつに広(こう)かつ大なるものなり。言語をもって教理を説明するはもちろんその方法の一つなり。されども説教または筆硯の業をもって伝道事業の大部分または全部とみなすは、大いなる誤謬といわざるをえず。伝道の要は、すべての方法をもってすべての人を神に立ち帰らしむるにあり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月27日(木)「私はあなたがまだ母の胎に宿らない前からあなたを知り、あなたが生まれ出る前にあなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者としました」。 (エレミヤ 1: 5) 誕生日 私が自分の誕生日を覚えてこれを祝うようになったのは、過ぐる戦争中からの事です。戦争中私は孤独でした。孤独者にとって最善の友は自分自身です。私が私をあわれみ、私が私をなぐさめ、私が私を励まし、私が私と泣きました。私を隈(くま)なく知る人、かゆいところに手が届くように私の心を抱いてくれる人は、私自身だけでした。私の誕生日がめぐって来た時、私は私に言いました、「あなたは生まれて来ていまここに在ます。元気をだしなさい」と。世が私を無視する時、常に私と共に居て存在を認める人は私自身だけでした。 しかし私自身が私を知るという事には、大きな限度があります。私の生涯の意味と目的は、私自身がいくら考えてもそれを知ることは出来ないのです。これは神の啓示によって知らされる外はありません。しかし自分の生涯の意味と目的を知らなければ、なぐさめも励ましも望みもすべて根拠の薄いものとなり、しばしば一人よがりの自己偽まんに終わるのです。それゆえに私たち自身の生涯の意味と目的を教えてくれる人こそ、私たちの最善の友でなければなりません。 そのような友は神御自身です。あるいは神の子イエス・キリストです。父なる神とその使わされたイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは自分の生まれて来た意味と目的を知り、初めて自分の誕生を祝う根拠を与えられるのです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.01.26
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月26日(土)野獣でも吠えるがごとく寒風がわが家を夜半に襲い止まざり夕食の仕度の妻に喜びて磋牙司がいま勝ったと叫ぶ七十キロ体重少ない磋牙司徳真鵬を寄り切りにけり大男徳真鵬を磋牙司一寸法師のごとく寄り切る十敗目高見盛が敗れたりああ来場所は幕下なるか渾身の力をここに集中し日馬富士今日優勝果たす私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.26
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1月26日(土)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(67) ひびく響く(自動詞四段活用)音が聞こえ渡る。こだまする。余韻を生ずる。「ひびき」は名詞。身にしみて秋ぞと思ふ青空にひびきて今朝はもずのなくこゑ 四賀光子片蔭のしめり濃きはなの赤まんまこの花むらに秋韻(ひび)き入る 坪野哲久山鳩は子を育つるか鳴き交す声低けれど谷にひびけり 辻 克巳地下電車のひびきのなかに眠りゐて響のやみしときに目覚むる 長沢一作薄ら日に風たつ梅の苑ゆきて寒のひびきを身は懽べり 加藤知多雄(つづく)短歌用語辞典
2013.01.25
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月26日(土)異端と真の道「悪を避けなさい、そうすれば神を信じることが出来るでしょう」と言うのは、異端です。真のキリスト教の道は、「まず神を信じなさい、そうすれば善をなすようになるでしょう」と言います。「心を潔くしなさい、そうすれば神の聖霊の恩恵にあずかるでしょう」と言うのは、異端です。聖書は明らかに教えていいます。「神の聖霊を受けて、心を潔くされなさい」と。行いを先にして、信じることを後にするのは、異端です。キリスト教は、信じることを先にして、行いを後にする人です。神の恵みを信じることが薄い人ほど、自分の行いの報酬として天の恩恵にあずかろうとするのです。天空が地上より高いように、神の思いは人の思いより遥かに高いのです。神が人間の不信を怒り給うのは、人間が行いでもって神の恩寵を買おうとするからです。一日一生(内村鑑三)1月26日(土)主は知恵をもって地の基(もとい)をすえ、悟りをもって天を定められた。その知識によって海はわきいで、雲は露をそそぐ。わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない。それはあなたの魂の命となりあなたの首の飾りとなる。(箴言三・十九~二十二)詩人テニソンの最も注意せし問題は、霊魂不滅、未来存在の問題なりしという。故グラッドストン氏、またこの問題に彼の終生の思考をそそぎ、死に瀕する際、パトラーの『アナロジー』の評注をくわえ、彼の豊富なる観察と思考との結果を世にのこして逝けり。政治家にあれ、文学者にあれ、あるいは商売人にあれ、職工にあれ、つねにこの世以上の一問題をかれの脳中にたくわえておくことは、彼の品格を高め、かれの悟性(ごせい)を明らかにし、彼をして俗界の汚気にふるるの憂いなからしむるために必要なり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月26日(土)この地では驚くべき事、恐るべき事が行われています。預言者は偽りの預言をし、祭司は自分の手で教会を治め、そして私の民は彼らに従う事を愛しています。ああ、あなたたちは終りの日にはどうするつもりですか。 (エレミヤ 5:30-31) 現実の直視 信仰は現実を無視せず、かえって最もありのままに現実を見る勇気と知識を私たちに与えます。同時に信仰はあらゆる現実を通して神の意思の実現を信じます。現実の中より神の国の現れる過程は、必然的に「審判」です。歴史の過程は審判です。 内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.25
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月25日(金)山山に囲まれているわが里は西も東も朝焼けているかんかんと晴れてるもとに台風のごとき寒風吹きすさぶなり一回は読んでもらえる幸運よ載る載らざるは問題の外こんなにも勝利の味はおいしいか高見盛が今日勝ちしこと十両の二枚目にして磋牙司勝ち越したれば幕内ならんわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.25
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編集より(同人誌「賀茂短歌」1月号 下書き) 後藤人徳 本年もよろしくお願いします。 一月の歌会の折、渡辺さんのお話でひとつ心に残ったことがあります。時々お世話になる介護施設の若い従業員の人に自分のエッセイ集と歌集をあげたというのです。そして、読後感を聞きましたら、エッセイ集はよく分り感動したが、歌集は分らなかったと言われショックだったようです。 われわれの会も高齢化が進んでいます、短歌界自体がそういう傾向のようです。ですから、若い人になんとか短歌を分ってもらいたいのが私たちの願いなのです。それなのに、「短歌は分りません」と言われてしまう。悲しいことです。そんな経験を何度もして私はふと「猫に小判」という諺を思い出したのです。開き直りかもしれませんが。ただ聖書を読んでいてはっとしました。マタイ伝七章に次のような記述がありました。「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚になげてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」というのです。わたしたちにとって短歌は、神聖なものかもしれません、真珠のような大切なものかもしれません。だから、分らない人に無理にあげるのはやめようと思ったのです。自分自身で大切にしておこう、それでほんとうに分る人がもし現れたらすべてあげよう。それまでは、大切に保管しておこうそう思ったのです。わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.25
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1月25日(金)短歌用語辞典(飯塚書店発行)(注)省略している箇所もありますひ(66)ひひ霏霏(形容動詞タリ)雪や雨などの降りしきるさま。続いて絶えないさま。太陽が中天にぴたりとまりたる時しもひひと雪降り来たる 加藤克己雪、霏霏と降る夜しずけくこの国の史(ふみ)のあわれを知りて吾(あ)はゆく 下村光男ひびかせる(ひびかす)響かす(他動詞四段活用)ひびくようにする。ひびきわたらせる。春はまことにはればれしくて四つ辻のお巡査(まはり)さんも笛をひびかす 斎藤 史(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.24
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月25日(金)失敗の恩恵教会のキリスト教は、成功した時に神の恩恵を認めます。これに反して、キリストの福音は、失敗した時に神の限りなき愛が示されます。人間にとっての最大の恩恵は、キリストを識(し)ることです。ですから、失敗の苦しい十字架を味わなければ、十字架のキリストを識(し)ることは出来ないのです。.内村鑑三一日一生より1月25日(金)あなたがたは、世の中の光である。山の上にある町は隠されることができない。また、あかりをつけて、それを枡(ます)の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ伝五・十四~十六)イエスの弟子は世の光である。文明の先導者である。霊光の供給者である。このことについて疑いをいだく物はいない。世のいわゆるキリスト教に迷信がないではない。いわゆるキリスト教会なるものが頑迷無知の巣窟(そうくつ)と化したることは幾回もある。されど過去千九百年間の人類の歴史において、イエスの弟子が光明の炬火(たいまつ)の把持者(もちて)であったことは、いかなる人といえども疑わんと欲してあたわざるところである。われは世の光なりとイエスはいいたもうた。しかして信者はイエスにかわりて世を照らす者である。もちろんイエスのごとくにみずから光をはなつあたわざるといえども、しかも各自の信仰の量にしたがい、彼の光を反射するのである。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1 月 25 日(金)イエスは汚れた霊を叱って言いました。「ろうあの霊よ、私はあなたに命じます。この子から出て行きなさい。二度と入ってはいけません」。するとその霊は叫び声を上げ、ひどく引きつけさせて出て行きました。その子は死人のように動かなかったので多くの人が死んだのだと言いました。しかしイエスが手を取って起こされるとその子は立ち上がりました。 (マルコ 9:25-27) 悪霊追放 私たちははじめて世の欲を去ってイエスを信じる時に、出てゆくサタンのために烈(はげ)しくけいれんを起こします、大きな産みの苦しみをしますが、信じた後にも何度か熱病にかかります。しかしそれは何でもありません。イエス様が手を取って引き起こして下さいます。私たちは肉体も弱く精神も弱いのですから、何度も疲れまた傷つきますが、そのつど愛と信頼とをもって「私は疲れています」、「傷ついています」と、イエス様に申し上げれば、イエス様はわけなく治して下され、またお事(つか)えできるようにして下さいます。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.24
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月24日(木)寒の雨降りし朝(あした)に紅梅のつぼみようやく開き始める残念だ高見盛が九敗になってしまったもう後がない土俵から高見盛が消えたならどうして気合入れたらいいのテレビ見てオウオウオウと叫びたり高見盛の気合に合わせ三段目幕下なれど生活があればおのおの見ごたえがあるわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.24
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1月24日(木)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によりますが、一部省略などしています。ひ(65)ひばり雲雀(名詞)春の野に空高く上がってさえずる小鳥。背羽は赤褐色の地に黒褐色の斑がある。 春日かげかげろふ空に一つひばり羽(はね)振りあがりまぎれむとする 窪田空穂春きざすとて戦ひと戦ひの谷間に覚むる幼な雲雀か 塚本邦雄てらふなくぐんぐん揚りゆきにけるひばり直截に世界に抱かる 伊藤一彦告天子ひばりのこゑは大空に粒子となりて飛び散りにけり 武下奈々子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.23
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月24日(木)失敗の恩恵教会のキリスト教は、成功した時に神の恩恵を認めます。これに反して、キリストの福音は、失敗した時に神の限りなき愛が示されます。人間にとっての最大の恩恵は、キリストを識(し)ることです。ですから、失敗の苦しい十字架を味わなければ、十字架のキリストを識(し)ることは出来ないのです。.一日一生(内村鑑三)1月24日(木)わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊(みたま)である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないで、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。わたしはあなたがたを捨てて孤独とはしない。あなたがたのところに帰って来る。(ヨハネ伝十四・十六~十八)われらがキリスト信者となりたりというは、洗礼を受けてキリスト教会に入りたりということではない。またはわれらの知能をもってして、キリスト教の教理を理解したということでもない。われらがクリスチャンとなりたりということは、われらがある「聖者」を友として持つに至ったということである。しかも単にあるふるき記憶において、ある理想の人を発見したというのではない。いま活けるある聖(きよ)き友人を発見して、そのともなうところとなったということである。すなわちわれらは大なるパラクレートス、すなわち「側(そば)にある者」をえたということである。寂寞(せきばく)の世にあって孤独の生涯を送るをやめて、大なる「訓慰師(なぐさむるもの)」を平常の友として持つに至ったということである。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月24日(木)「ああ、私の子アブサロムよ、私の子よ、私の子アブサロムよ!あなたの代わりに私が死ねばよかったのです!ああ、アブサロム、私の子よ、私の子よ!」 (第二サムエル 18:33) ダビデの家庭教育 罪の悔い改めがなければ生命の完き保護はありません。従って罪の悔い改めを通して生命に導くことこそ、人に対する真の愛です。主はこの愛を以てダビデに対しましたが、ダビデはこの愛を以て自分の子供に対しなかったのです。彼はアムノンの非行を怒りましたが信仰によって怒らず、アブサロムを愛しましたが信仰によって愛せず、人情にとらわれて義しい怒りと真の愛を徹底できなかったのです。 信仰の人ダビデも自分の子を教え導くことにおいては失敗しました。それほど子を教えることはむづかしいのです。ある時は厳しすぎ、ある時は優しすぎ、子の罪を責めながら、親は自分の罪に泣くのです。ダビデの家庭にはバテシバ事件後間もなくアムノンの事件が起こり、それから引きつづいてアブサロムの逃亡、次いで反乱となり、ダビデ自身が家庭の神聖を汚したことの余波が、子供たちの不祥事(ふしょうじ)に及んだのでしょう。少なくともダビデはそう感じて、ますます主の神の前にへりくだった事と思われます。しかし子供の教育に関する失敗を以て、ダビデ自身の不信仰の証拠と見るべきではなく、また第二サムエル12章に記されているダビデ自身の罪の悔い改めを偽(いつわ)りと思うべきではありません。罪は主によって完全に赦されたのです。しかし罪の結果は肉体的あるいは社会的に残存し、それが人の生涯に多くの失敗と悲哀を生み出すのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.23
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月23日(水)自動車と壁の隙間を抜けて来ぬ幼子(おさなご)は狭き所好みてどんよりと曇りし空のところどころ雲薄ければ明るみているはつらつと歩いているが前のめりしている姿がガラスに映る前のめりしているわれは思うほど体が追いつかないのだろうか月のなき夜道歩けば自動車が眼(め)を光らせて飛びかかりくる私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.23
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1月23日(水)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるひ(64)ひねもす終日(副詞)朝から晩まで。一日中。ひがな一日。ひすがら。雲の下に吾在り雲のかがやくをひねもす待ちてひねもす空し 扇畑忠雄ひばりの音そらに満つるを縫ふごとくセッカ鳴くなりひねもす浜に 玉城 徹風景より風景としてバス停のそばにひねもす栗売る男 俵 万智終日の電話のメモを千切り終へ乾き切りたる両手が火照る 篠 弘(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.22
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月23日(水)神につかえる時期神にささげるものは、最善最美が望ましいのです。生涯での最も善い時期をもってすべきでしょう、老衰しきった時期ではなく、失敗を重ね余命いくばくもない時期ではなく。神御自身は、人間がいつでも自分のところへ帰ってくるのを待っておりますが。神御自身は、人間の生気旺盛な時期を必要としておるのです。しかし、人間は青年時代を肉欲放縦に費やし、壮年時代は野心遂行のために濫用し、老い朽ちようとする時になって神のもとに帰って来るのです。これは、本当は神の喜び給わないことなのです。一日一生(内村鑑三)年の初めに主は永久に「在らんとするもの」である。今日の主は明日の主ではない。明日は今日よりもさらに大にして貴く、明年は今年よりもさらに大にして貴く、かくして十年また百年、永遠にわたり、かぎりなき真理と恩寵とを人類に現示したもうのである。換言すれば、彼は永遠に約束して、しかしてこれを実行したもう神である。I will be that I will be.在らんとして在らんとするもの、かく在らんと言いて、最後にこれを実現したもうもの、かくのごときものが主なる神である。『モーゼ十戒』1月23日(水)モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。主は彼に言われれた、「だれが人に口を授けたのか。おし、耳しい、目あき、目しいに、だれがするのか。主なるわたしではないか。それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。(出エジプト記四・十~十二)憂うるなかれ、なんじ、朴訥(ぼくとつ)の青年よ、なんじはつねに俊才怜悧(しゅんさいれいり)の人に愚者としてうとんぜられ、なんじの世事に長ぜざるをもって不用人物としてみまさるることあり。しかも全能なる神はかえってなんじがごとき者を求め、なんじをして人間の思想の達しうべからざる知恵と希望と喜悦とを有せしめんと欲す。いうをやめよ、なんじ、俊才怜悧なる青年よ。われ人を統御するの才あれば、われ世の風潮を観察するの卓見あれば、われは伝道師となりて教会を組織し、教理を伝播せんと。なんじはよろしく伝道師たるの念をすてて他の事業につくべきなり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月23日(水)それからイエスは御霊(みたま)によって荒野に導かれ、四十日四十夜、断食をし、空腹を覚えました。するとサタンが試みました。 (マタイ 4: 1-2) 荒野のイエス イエスは「神の子」であるとの天来の声を耳にしました。しかし自分で良く考えてみなければなりません。自分自身について神様から受けた啓示が大きれば大きいほど、ほとんど反射的にこの世の活動、世間の表面から身を引いて、自分の心の状態をしらべ、はたしてその啓示に値するかどうかの確信を得なければなりません。私は神の子だ、一つ大いにやってやりましょう、などという浅薄(あさはか)なものではありません。イエスは自分が神の子であると言う声を聞いて、居ても立ってもいられず、親近の人を避けて荒野にかくれ、四十日四十夜けものの住む荒野に居て、静思(せいし)の時を過ごしました。けものが居たことは、何物も居ないよりもいっそう寂(さみ)しさを増したのであります。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.22
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月22日(火)雨降りの天城峠を越え行けり道両側に雪高く積む天城嶺(あまぎね)の北と南の違いあり北の雪にはいつも驚く母親の薬もらいに行く道の雪の景色を喜びとする人影は一人も見えず天城嶺の昭和の森は雪に覆わる廃園となりて久しきいのしし村広き駐車場雪に覆わる一番に病院に行き朝ドラを待合室に見ていたりけり母の名を呼ばれ一瞬とまどいぬ薬をもらいに来たわれなるに張りのある声にて順番呼びているナースは長く勤めているか掲示板受付番号表示さる二時間待ちて番が近づく病院てこんなにいつも混んでるかしばしあたりを見回している私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.22
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短歌用語辞典1月22日(火)ひ(63)ひにひに日に日に(副詞)日ごとに、日を追って。日ましに。毎日毎日。「日(ひ)に異(け)に」とも。吾が家に育つつばくらの雛三羽(さんば)日に日に染まる胸の紅(くれなゐ) 土屋文明わが躰たもつ力の弱くして生のほとりは日に日に寂し 佐藤佐太郎(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.21
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1月22日(火)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。キリストそのものであれ わたしたちは、キリスト信者であることで満足してはいけません。キリストそのものでなくてはならないのです。それは、自分自身が神になろうとすることではなく、キリストと同化することによって成し遂げられるのです。英語のクリスチャンもドイツ語のクリストもキリスト信者と訳するのは誤りです。クリスチャンはキリストの意味です。「われはかれの身の枝なり、かれの肉より出で、かれの骨より出でしなり」(エペソ書五章30節)クリスチャンはキリスト以外の者ではないのです。二者が同体であることを理解できないのであれば、キリスト教のほんとうの教えをさとる事は出来ないでしょう。一日一生(内村鑑三)年の初めに主は永久に「在らんとするもの」である。今日の主は明日の主ではない。明日は今日よりもさらに大にして貴く、明年は今年よりもさらに大にして貴く、かくして十年また百年、永遠にわたり、かぎりなき真理と恩寵とを人類に現示したもうのである。換言すれば、彼は永遠に約束して、しかしてこれを実行したもう神である。I will be that I will be.在らんとして在らんとするもの、かく在らんと言いて、最後にこれを実現したもうもの、かくのごときものが主なる神である。『モーゼ十戒』1月22日(月)わたしは、更にすすんで、わたしの主キリスト・イエスを知る絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。(ピリピ書三・八)病むも可(か)なり、余はただ神の聖意(みこころ)を知らんと欲す。貧するも可なり、余はただ神の聖意(みこころ)を知らんと欲す。人に憎まれるも可なり、余はただ神の聖意(みこころ)を知らんと欲す。余の不幸の極みは、聖意を知りえざるにあり。余は疾病をおそれず、貧困をおそれず、孤独をおそれず。余はただ神にすてられて、その聖意の余に伝えられざるに至らんことをおそる。神よ、ねがわくは余にいかなる患苦(なやみ)の臨むことあるも、なんじと余との間に霊の交通のたえざらんことを。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1 月 22 日(月)塩は善いものです。しかし塩がその塩からさを失ったならば何によって味付けられるでしょうか。あなたたちの心に塩を保ち、そして互いに和らぎなさい。 (マルコ 9:50) 塩を保ちなさい 塩をつけると傷口が痛みます。しかし、それによって防腐剤(ぼうふざい)としての効用があるのです。また塩はからいです。しかしそのからさによって、調味料としての効用があるのです。ぼけた塩ほど役に立たないものはありません。外に掃き出されて、人に踏まれるだけです。あなたは、罪に関する感覚を常に敏感にしなさい。罪の傷口に、塩のしみる痛さを感じなさい。聖言に接して自分の罪の傷口の痛みを感ずる人は、塩が効いているのです。痛くとも耐えて、十分に罪の審判を受けなさい。これによってあなたは常に新鮮に罪の赦しの恩恵を感謝し、永遠に神の国の民なのです。永遠の生命は常に新鮮な生活であり、生活の新鮮は聖言の塩の効力です。罪の感覚が鈍ったキリスト信徒ほど、役に立たないものはありません。本当に「何をもてこれに味つけしましょうか」です。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.01.21
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月21日(月)しんしんと霜置く里の明け方はしみじみ心しずまりてくる施設へと子を預け来て歌会の下準備する今日は白浜高齢化しているためか歌会は欠席多く七名でする世話人の原さんさえもマスクして声が出ないと苦しんでいる明日(みょうにち)は母の薬を貰うため天城越えする雪よ降るなよ私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.21
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1月21日(月)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(62) ひにけに日に異に(副詞)日に日に、日ごとに。「け」は「日(か)」の複数形という。日にけに瘦(や)せゆく妻もあはれなり乳(ちち)のみ張りて子はあらぬかも 岩谷莫哀日にけにみどりのりくる楓(かへるで)のねたましきまで滴らむとす 河野慎吾氷見の海の鰤(ぶり)のさかりとなりにけり日に日(け)に空は暗く暴(あ)れつつ 岡部文夫(つづく)短歌用語辞典
2013.01.20
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月21日(月)わたしの救いわたしの救いは、イエス・キリストです。わたしは、キリストを見習って救われるのではありません。わたしは、キリストを見習う能力など、とてもありません。わたしは自分自身を脱ぎ捨て、新しくキリストを着せてもらって救われます。救いはキリストを除いては、考えられません。私たちは、キリストの肢体となってはじめて救われるのです。わたしとキリストは相対するものではなく、一体とならなければならないのです。キリストがわたしの中で生き、キリストが生きることによってはじめてわたしが生きるのです。キリストとわたしの関係は、師弟ではなく、主従でもありません。枝と幹との関係、一人の人間における、頭と手足の関係であります。一日一生(内村鑑三)発行:1960年十二月七日 発行所:(株)教文館1月21日(月)「わたしは主、あなたがたの聖者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である」。海のなかに大路(おおじ)を設け、大いなる水の中に道をつくり、戦車および馬、軍勢および兵士を出てこさせ、これを倒して起きることができないようにし、絶え滅ぼして、灯心(とうしん)の消えうせるようにされる主はこう言われる。(イザヤ書四十三・十五~十七)奇跡とは何であるかというに、奇跡とは神の事跡であるというまででございます。すなわち人を造り、宇宙を造りたまいし神がなしたまう業(わざ)であるというのであります。人間には奇跡はできるものではありません。(特別なる神の援助をうるにあらざれば)。なぜなれば彼自身の位置が自然界の一部分であるのみならず、彼は彼の堕落によって、彼の能力の大部分を失いましたからであります。われらは元来天然以上のものでありましたけれども、われらが神をはなれて自己に頼り出しましてより、われらは天然の奴隷となりさがった者でございます。しかし神は己れの造った天然を自由にすることができます。神が宇宙の運行を早めようが遅らしようが、それは時計が時計の指針を自由にすることと同然で、なにも驚くにはたらないことであります。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月21日(月)霊によって歩みなさい。そうすれば肉の欲を満たすことはありません。なぜなら肉の欲するところは霊に反し、霊の歩むところは肉に反するからです。あなたたちはこれら二つのものを互いに争わせているので、自分の意志する善ができないのです。 ・・・ 霊に歩めば、愛、喜び、平和、忍耐、あわれみ、善意、誠実、柔和、自制の実を結びます。イエス・キリストにある人は自分の肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのではありませんか。もし、私たちが霊によって生きているのなら、また霊によって歩もうではありませんか。 (ガラテヤ 5:16-18,22-25) 信仰の努力 「この身このままに救われる」というのは神の恩恵に対する感謝でありますが、それは決して自分が信仰的努力をしなくてもよいとか、自分の道徳的状態は現状で満足だとか言うものではありません。霊の力によって肉の欲望を矯(た)めてゆき、霊の喜びによってこの世的な快楽から解放されてゆくという努力、すなわち信仰の生活の励み、その実践をおこたってはならないのです。 内村鑑三とともに内村鑑三 内村鑑三の研究価格:3,001円(税込、送料別)中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.20
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月20日(日)朝ごとに霜に凍りて幾日ぞ今日さざんかの花散りており夜半床に浮かびたる歌どのような歌でありしか思い出(い)で来ぬ七回の七十倍を許せとはイエスの言葉思い出(い)でたり横綱の大鵬関はわたしより三歳上であるだけだった苦しさに堪えたる人の優しさと思いていたり大鵬関を静岡県男子駅伝静岡の結果十一位入賞ならずわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.20
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1月20日(日)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ひ(61)ひなびる(ひなぶ)鄙ぶ(自動詞上二段活用)いなかくさい。鄙びたる花とはいはじ春の菜の緑うすくしてほの黄なる花 窪田空穂鄙びたる己れわびしも道のべの温き日射しに芽ぐむ蓬生 岩波香代子門前のひなびし茶店に帰りしな気軽く入りていちじくを買ふ 藤川忠治(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.19
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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月20日(日)わたしの救いわたしの救いは、イエス・キリストです。わたしは、キリストを見習って救われるのではありません。わたしは、キリストを見習う能力など、とてもありません。わたしは自分自身を脱ぎ捨て、新しくキリストを着せてもらって救われます。救いはキリストを除いては、考えられません。私たちは、キリストの肢体となってはじめて救われるのです。わたしとキリストは相対するものではなく、一体とならなければならないのです。キリストがわたしの中で生き、キリストが生きることによってはじめてわたしが生きるのです。キリストとわたしの関係は、師弟ではなく、主従でもありません。枝と幹との関係、一人の人間における、頭と手足の関係であります。内村鑑三一日一生より1月20日(日)わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。(ローマ書九・一~三)宗教家は愛国家ならざるべからず。博愛主義に則(のっと)ると称して国家の存立すべき理由を解せず、国家の威厳を犠牲に供して外国宣教師の命にただこれ従うがごときは、これいまだ宗教家の大義を解せざるものなり。真正の宗教家はみなことごとく愛国者なりき。国のためにせざる宗教のごときは、これ邪教として排すして可(か)なり。もし天使の形を装うもの、くだりてわれに一宗教を授けんとし、われに告げて「余はなんじに宗教を授与せんとす。なんじの愛国心を去りてこれを受けよ」といわんか、吾はその時彼にむかっていわん、「余はなんじの宗教を要せず。われはむしろわが国を守りて無宗教家として死せん。われの胸中に燃ゆる一片の愛国心、われはこれに換(か)えるべきものを知らず。なんじに用なし。去ってふたたびわれに来るなかれ」と。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月20日(日)私の友よ、私をあわれみなさい、私をあわれみなさい、神の手が私を打ったからです。あなたたちは何ゆえ神のように私を責め、私が肉にすぎない者である事に満足しないのですか。どうか私の言葉が書き記されますように。どうか私の言葉が鉄と鉛の筆とをもって永く岩に刻みつけられますように。私は知ります、私をあがなう人は生きています。後の日に彼は必ず地の上に立ちます。 (ヨブ 19:21-25) 心の誠実 イエスを救い主と信じるについて最も必要な根本的条件は、私たちの心の誠実です。心の最も深い所における真理に対する感受性です。イエスは私たちの純なる心を要求されます。そしてイエスに対する心の誠実さえ失わなければ、私たち人間の「すべての罪と、けがすけがしとは赦される」のです。ヨブは神様に向かってずいぶん暴言を吐きましたけれども心の底では神を疑わず、神に誠実でありました。だから彼はすべての罪とけがしとを赦されたばかりでなく、大きな真理の啓示を受け、神との深き交わりに入られたのです。 誠実な心でなくては悔い改めることができません。悔い改めがなければイエスを聖霊の人・神の子と認めることができません。かえっていっさいの価値判断が転倒して、善を悪と呼び、不正を正義と呼び、聖霊の働きをサタンの力と呼ぶのであります。これに反し、悔い改めて心を神の方に向け換えれば、イエスを救い主と仰ぐことができ、そしてすべての罪は赦されます。イエスの味方となる人はだれですか。それは心の深い所から救いを望む人です。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.19
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月19日(土)凍りたる轍を砕き走り行く車一台若者を乗せ昨年のカレンダー千切りちぎりたり電話のメモにするほかはなく七十を過ぎてしまえり高齢者保険証今日届けられたり山茶花の花びら散りてちりぢりにかなしきまでに地に散らばれり入つ日が今だせつなく山の端に輝いている寒さに負けず寒風に負けず輝く入つ日よわれの眼を射らんとするや幼き日清掃したる忠魂碑今寒風が掃き清めおりわが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.19
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1月19日(土)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によりますが、一部省略などしています。ひ(60)ひなた日向(名詞)日光の当たっている所。冬の日溜りは格別である。 冬の日に日なたぼこしてわがあれば子も来て並ぶその膝かかへて 窪田空穂蘭の香や冬は日向に面(おも)寄せてただにひとつの命(いのち)養ふ 北原白秋物の慾すでに枯れたるすがたにて雪の時間の日向に母あり 鹿児島寿蔵身の透けて心あらはになるごとき秋の日向の白きに遊ぶ 富小路禎子背をそつと押されて入りし生活の冬の日向に毛玉摘みをり 栗木京子(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.18
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月19日(土)生と死キリストのようになろうと思う時、わたしの中には、まだわたし自身の欲望が生きています。自分自身の無能を認めてすべてをキリストに委ねる時、はじめてわたし自身がなくなりキリストがわたしの中で生きるのです。キリストのようになりたいのであれば、キリストのようになりたいというその欲望をなくさなければなりません。道徳的こころよりもキリストにすべて委ねることを優先するのでなければ、キリストと共に生きることは出来ないでしょう。わたしたちが対決する最後の敵は、聖徒になろうクリスチャンになろうと求める道徳的な欲望です。 (内村鑑三 一日一生)1月19日(土)それゆえ、あなたがたの神、主が命じられたとおりに、慎(つつし)んで行われなければならない。そして左にも右にも曲ってはならない。あなたがたの神、主が命じられた道に歩まなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつさいわいを得て、あなたがたの獲る地において、長く命を保つことができるであろう。(申命記五・三十二~三十三)聖書にいうところの「天にいますなんじらの父の完全なるがごとくなんじらも完全なるべし」(マタイ伝五・四十八)とは、神の絶対的完全に達しうべしというにあらずして、神が神として完全なるがごとく、人も人として完全なるべしというなり。完全なる馬とは、人のごとく物言い、人のごとく思惟する馬をいうにあらずして、馬の馬たる用を完全になすものをいうなり。ゆえに人に罪ありというは、人が人たるべき完全を欠くというにあり。キリスト教が義人一人もあるなしいうは、このことをいうなり。神がわれを責むるは、われ雨を降らしえず、日を輝かしえざるがゆえにあらずして、われ人を愛すべきに人をにくめばなり、われ怒るべからざるに怒ればなり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1 月 19 日(土)少しの物を所有して神を畏れるのは、多くの財宝を持って思いわずらうのにまさります。 (しん言 15:16)野菜をかてとして互いに愛し合うのは、肥えた肉を食べて互いに憎むのにまさります。 (しん言 15:17)ひからびた一つのパンしかなくて親しいのは、ほふり物に満ちて争いの絶えない家庭にまさります。 (しん言 17: 1) 質素な生活 この三つのしん言は質素な家庭生活の幸福を教えたものです。貧しくして野菜と一かたまりのひからびたパンを食べても、主を畏れる信仰と互いに愛する愛を以て睦(むつ)まじく暮らす家庭は、富んで御馳走(ごちそう)を食べても、わずらいとうらみ、争いのある家庭よりはるかに幸福です。そして質素な家庭に愛と平和が伴い、ぜいたくな生活にわずらいと争いがつきものであることは、神の公平の当然の結果です。 どんなに貧乏な暮らしでも、信仰と愛と平和のやどる家庭は楽しいです。同時に、質素な生活そのものが、信仰と愛と平和を養なうためにふさわしいのです。それは、質素な生活はこの世の宝に心を取られることなく、神にむかって心が集中しやすいからです。家庭の生活は、天の使いが入りやすいように、質素に暮らすがよいのです。おごる食卓には、サタンが席を占めやすいのです。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.18
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月18日(金)屋根に降り八つ手の葉にふり初雪が伊豆の山々うっすらおおう横たわる木の電柱に伊豆の雪いたわるように積りていたり枇杷の木の花に隠れている小鳥よく見ればなんと目白でないか柿の木に体まるめて止りおり鈴なりとなる雀の群れは「雪國」を初めに唄いつぎ「酒よ」カラオケさらに盛り上がりたり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.18
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箱根駅伝(同人誌「賀茂短歌」1月分五十首詠下書き)後藤人徳 箱根路にいかなるドラマ生まれるや師走の風に吹かれて思う箱根路をいの一番に登るのはどこの大学二日後待たるる柏原竜二なきあと箱根路をごんごん登る男出て来い東洋か駒沢早稲田青山か明治中央順天堂か朝焼ける東の空を見ておればなにか希望のごとき湧きくるしんしんと霜置きている青菜たち耐えるというはかかる形か青き葉に霜おく見れば青春の心はいつも傷つきやすい色々なことがあるのが人生と口には言えど悟るは難(かた)し残りたる最後のものが短歌かも放すまいぞとすがりてゆかん寒風の吹きすさびたる大晦日(おおみそか)道の落葉を掃き清めゆくおだやかな薄日が差せば長ながとわが影のびる霜の舗道に霜置ける伊豆の下田に思いたり今朝の箱根路いかにあらんかなにかしら波乱を予感させるごと今日の箱根路風強きなり夢にまで走り来たるや一年の総決算ぞ箱根駅伝わが校がトップを取ると十九の大学競う今日の箱根路箱根路はいかにと見れば遠山にかかれる雲の朝焼けており柏原竜二のいない東洋に双子の設楽兄弟がいる大迫を補欠とするか早大がいかなる戦法をとるかが見もの青山のルーキー久保田に注目すそれがひとつのわれの見どころ風強き湘南の道をひた走り選手は一路箱根へ向うつなぐんだなんも思わずつなぐんだただただ走れ襷(たすき)をつなげ青春だこれがまさしく青春だ襷をつなげただただつなげあと一人あと一人とてベンジャミン十二人抜きトップとなれり龍のごと箱根の山を駆け登りし柏原竜二の二世は出るかどのようなニューヒーローの誕生か箱根の山も待ちわびおらん箱根路を走りしことはなけれでも一途に尽くせし若き日があり箱根路を走りしことが勲章だいかなる道に君ら行くとも一区より無難にトップの東洋が箱根の山で三位となりぬ法政の関口頌悟しっかりと箱根の山で八人抜きぬ亡き父に誓いし箱根の山征し服部翔大笑顔のフィニッシュ山上は二十メートル強風に中央城西大学棄権今日もまた風強きなり箱根路を湘南の海を吹きすさぶらんそんなにも襷繋ぎてうれしいか泣き崩れたり平迫幸紀寒風に吹かれていればなにゆえに感謝の言葉出(い)でてきたるや有難うございましたと何回も寒風の中唱えていたり生きている生かされているこの頃は受身の心湧きてくるなりかけがえのなき一日と思い立ち夕日をしばし眺めていたり雲多き一日が今暮れんとし黄金の色に染まりていたり国学院早稲田東洋大学は駅伝もまた短歌も盛ん霜覆う三日の朝を迎えたり箱根はさらに凍りておるや箱根路を下る復路よ火達磨のごとき思いか朝焼けの空箱根路を走り下れば平坦の道が登りに感じると言うその襷(たすき)繋がんとして走り来てつなぎ終われば泣きじゃくるなりそんなにも襷繋ぎてうれしいか泣き崩れたり平迫幸紀なぜかくも涙の出るや箱根駅伝襷つなぎて泣き崩れたり雪に泣き凍りに泣きて風になく箱根駅伝涙の歴史マイナスをプラスに変える力こそ箱根駅伝醍醐味ならん長距離の逃げ切り策の難しさ今年の箱根駅伝に見る駅伝の余韻は今も消えずあり生きながらえん来年も見ん何回の箱根駅伝残れるか生き抜きて見ん次また次も自分との戦いならん箱根駅伝二十数キロ走り抜くのは敗れたる涙は拭きて来年の箱根に向けてさあ出発だ正月もこれで仕舞いかその思い駅伝終りし後にきざせり雲覆う四日の朝よ駅伝も正月も終った寒き朝明け長男に生まれ家業を継がざりし悔いいるごとく駅伝愛す箱根路をわれ越えくれば十国の峠より見る伊豆の初島私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.18
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1月18日(金)短歌用語辞典飯塚書店発行:「短歌用語辞典」(1993年)によるひ(59)ひな雛(名詞)ひよこ。ひな鳥。または、ひな人形。「ひひな」とも。雛祭り。巣のへりに外を見て居る雛三羽今日か立つ明日か立つ明後日(あさつて)なりや 土屋文明かんばせはいかに歪みて燃え尽きし戦ひの日の雛をおもへば 稲葉京子わが妻が母より承けて今宵また飾る不揃ひの雛のしづけさ 川島喜代詩(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.17
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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。1月18日(金)異端と真の道「悪を避けなさい、そうすれば神を信じることが出来るでしょう」と言うのは、異端です。真のキリスト教の道は、「まず神を信じなさい、そうすれば善をなすようになるでしょう」と言います。「心を潔くしなさい、そうすれば神の聖霊の恩恵にあずかるでしょう」と言うのは、異端です。聖書は明らかに教えていいます。「神の聖霊を受けて、心を潔くされなさい」と。行いを先にして、信じることを後にするのは、異端です。キリスト教は、信じることを先にして、行いを後にする人です。神の恵みを信じることが薄い人ほど、自分の行いの報酬として天の恩恵にあずかろうとするのです。天空が地上より高いように、神の思いは人の思いより遥かに高いのです。神が人間の不信を怒り給うのは、人間が行いでもって神の恩寵を買おうとするからです。一日一生(内村鑑三)1月18日(金)あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果(はて)の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのような翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることがなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ書四十・二十八~三十一)思想はすべて実現してその終末に達するものなり。人その思想の実現を見て、彼はすでに彼の最終期に達せしなり。つねに若からんと欲せば、つねに実現せられざる思想をいだかざるべからず。青年は夢想する人なり。夢想つき、利害を知覚するにおよびて、彼は老物と化せしなり。つねにインポシブル(不可能)を計画する人、つねに大改革を望む人、つねに詩人的にして夢想する人、、つねに利害の念にうとき人、つねに危険を感ぜざる人、これが青年なり、壮年なり。すでにパシブル(可能)を計画し、すでに温和主義を主張し、すでに散文的にして実務に着目し、利害の念にするどく、脚下に注意するものは、彼の齢(よわい)をかさぬる幾回なるを問わず、彼は老物にしてすでに廃棄物なり。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月18日(金)「あなたたちは私をだれと思いますか」。シモン・ペテロが答えました「あなたこそ生ける神の子キリストです」。イエスは言いました「ヨナの子シモン、あなたはさいわいです。あなたにこの事を言わせたのは血肉でなく天にいます私の父です」。 ・・・ それからイエスは自分がエルサレムで祭司長たちに殺され、そして三日後によみがえる事を弟子たちに示しました。するとペテロはイエスを引き寄せ、いさめ始めました。イエスは振り返ってペテロに言いました、「サタンよ、退きなさい。あなたは神の事を思わないで人の事を思っています」。 (マタイ 16:13-23抄) サタンよ退きなさい 前に五千人のパンの奇跡(きせき)の直後、群衆および弟子たちに対するイエスの態度が急に変わられたように、ピリポ・カイザリアにおいても勝れた信仰の告白をしたペテロをたちまちサタンと叱られたのです。人が非常に高い信仰の境地に上った時は、サタンの最も強く働きかける時でありまして、そのため急転直下、信仰の墜落(ついらく)を見ることは、怖ろしい霊的事実であります。神のことを思う人は勝利し、人間の事を思う人は必ずサタンに敗れます。イエスがこの点を警戒して、人情に引かれず情実にとらわれず、常に断固とした信仰的英断に出られたのは、まことに勇ましい御戦(みいくさ)でありました。そして彼はいつも英断によって、りっぱな勝利を得られたのであります。 私のおすすめの本内村鑑三とともに内村鑑三中央公論社・内村鑑三/松沢弘陽中公バックス日本の名著38 内村鑑三 余はいかにしてキリスト信...価格:2,000円(税込、送料別)
2013.01.17
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月17日(木)手袋をどこに置いたか探しおり霧たちこめるごとく思いて散髪をしてさっぱりとしたるなり遠回りして帰らんとするうす日さす畑の隅に霜置きて菜の花ここはもう春という冷え性の足の冷たさ防ぐよう靴下二枚重ねはきたり眠られぬ夜もよかろう心臓を呼吸を統(す)べる神に任せん私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.17
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短歌用語辞典1月17日(木)ひ(58)ひとりごつ独り言つ(自動詞四段活用)ひとりごとを言う。朝な夕な笹竹の子を食ひつづけ喉こそばゆしとひとりごちつも 結城哀草果ねむりつつ馬鹿野郎と君ひとりごつ自身にか吾にか世の人にか 鈴鹿俊子今宵死にて居るやも知れずとひとりごつごとく言ひたまふ声の静かさ 大悟法利雄 (つづく)vc_pid=877935733&vc_vcptn=blog%2Fp%2FAysRdpD1D6aphp3dZWi0gs8-&vc_text=%C3%BB%B2%CE%CD%D1%B8%EC%BC%AD%C5%B5&vc_url=http%3A%2F%2Fstore.shopping.yahoo.co.jp%2Fcau1books%2F9784752210078.html私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.01.16
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1月17日(木)「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。神につかえる時期神にささげるものは、最善最美が望ましいのです。生涯での最も善い時期をもってすべきでしょう、老衰しきった時期ではなく、失敗を重ね余命いくばくもない時期ではなく。神御自身は、人間がいつでも自分のところへ帰ってくるのを待っておりますが。神御自身は、人間の生気旺盛な時期を必要としておるのです。しかし、人間は青年時代を肉欲放縦に費やし、壮年時代は野心遂行のために濫用し、老い朽ちようとする時になって神のもとに帰って来るのです。これは、本当は神の喜び給わないことなのです。(内村鑑三 一日一生)より1月17日(水)ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。わたしは人に貸したこともなく、人に借りたこともないのに、皆わたしをのろう。主よ、もしわたしが彼らの幸福をあなたに祈り求めず、また敵のため、その悩みのときと、災(わざわい)のときに、わたしがあなたにとりなしをしなかったのであれば、彼らののろいも、やむうぃえないでしょう。(エレミヤ書十五・十~十一)われはかつてエレミヤと共に嘆じていえり、ああわれは禍(わざわ)いなるかな、人みなわれと争い、われを攻む、みなわれを詛(のろ)うなりと。されどもいまに至りてわれは感謝していう、ああわれは幸いなるかな、人みなわれと争い、われを攻め、われを詛いたれば、われは神にむすばれてその救済にあずかるをえたりと。人にすてらるるは、神にひろわるるなりき。人ににくまるるは、神に愛せらるるなりき。人に絶(た)たるるは、神にむすばるるなりき。いまに至りて思う、わが生涯にありしことにして最も幸福なりしことは、世にあなどられ、嫌われ、辱(はずか)しめられ、斥(しりぞ)けられしことにてありしことを。「矢内原忠雄の今日の言葉」あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。1月17日(木)正しい思いからキリストを宣べ伝える人は、私が福音の証人として立てられ愛の心から伝道していることを知っています。 (ピリピ 1:17) 伝道の精神 伝道の精神とは、一言でいえば、愛です。愛は奉仕であり、犠牲(ぎせい)です。愛は聖書の福音を伝えることです。その方法としては、第一に聖書を教えることであり、第二に生活においてキリストの愛を実践することです。言葉と生活による聖書の解き明かしがキリスト者の任務であり、キリストの福音を伝えるために使わされるという意識が、伝道者の精神です。この伝道の精神は、宣教師として外国に行く人々だけでなく、すべての職場、すべての家庭が、個々のキリスト者にとって伝道地です。そこには、いろいろの困難と事情があり、個々の信者にとって知恵と忍耐を必要としますが、しかし何よりも必要なものは、キリストに在る愛の精神です。愛によるぎせいと奉仕の精神です。自分の使わされる職場あるいは家庭がどのようなところであろうとも、その示された場所に行き、喜んで自分の最善をつくすべきです。 私のおすすめの本内村鑑三【送料無料】内村鑑三「代表的日本人」を読む価格:680円(税込、送料別)
2013.01.16
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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌「人徳の部屋」よりhttp://www.izu.co.jp/~jintoku/1月16日(水)たくさんの赤き蕾をつけており希望のごとく梅の木が立つ作りたる少しばかりの野菜でも子らに送れば喜ばれたりあらかたの穂を飛ばしたるすすきたち真直ぐ頭を立てて揺れおりただ一羽孵えりたる雛母親の羽を飛び出しあたり啄む清張の小説常に人間の心の闇に光を当てる七十を過ぎたる女性なんとなんと芥川賞受賞をしたり私のおすすめの本後藤瑞義(人徳)わが家の天使価格:1,260円(税込、送料別)
2013.01.16
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