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何気なくつけたテレビに、たまたま「サトウキビ畑」が写った。つい引き込まれて見て感動し、それについて色々書いていたのに、途中で電話が入って話しているうちに、なぜかパソコン画面が消えていた。電話を受けるために移動した時、どこかに触れてしまったのか・・。ショックである。気を取り直してもう一度、とは思うけれど、もうこちらの時間的ゆとりがない。とにかく、久々にドラマにひきこまれてしまった。ドラマならではの不自然さも散見されるが、これは仕方がないだろう。とにかく、これらの出来事は、沖縄の人たちが体験した事実の、ほんの一部であろう。殺人が正義になってしまう戦争を、普通の人たちは誰も望まない。書いたのに消えるようなことは諦めるとしても、折角生まれてきたのに人を消したり消されたりするのはいやだ。私は、息子達が生まれた時、心から願った。「この子達が生きている間、戦争だけはあってほしくない」と。人を殺めるようなことだけは、この子の人生にあってほしくはない・・と。そして、職業に貴賤はないけれど、願わくば「銃」を持つ職業にはついてほしくないと。国の役に立って欲しいと思わないけれど、人の役に立って欲しいと。どれも、私が「戦争」を他の人以上に嫌悪する感情から生まれた願いだ。私の願いはイデオロギー抜きである。「サトウキビ畑の歌」は、若い頃からとても好きな歌だった。いつか、ゆっくりと沖縄を旅して、色々なことを考えたいと思っている。
2003年09月28日
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慶應の通信で一緒に卒業した友人に誘われ、道立旭川美術館で開催されている「舟越桂展」を観に行った。(舟越桂 http://show-p.com/funakoshi/menu.html )私は絵画や彫刻に特に興味があるわけではないし、知識もほとんどないのだけれど、年とともにそのようなものに触れること自体が楽しく感じるようになってきた。だから、今回も彼女に誘われて、ホイホイと付いていったのである。さて、主目的であった道立旭川美術館 http://www.dokyoi.pref.hokkaido.jp/hk-asamu/ での『舟越桂展』は、期待以上であった。彼の作品は、今までは写真などで見ていただけで、少しばかり不思議な(というより不気味に近い)作品のように思っていた。しかし、本物の作品を前にすると、全く違う印象を持った。具象の木彫に彩色をしているほぼ等身大の作品がほとんどで、大理石の目がはめ込まれている。近づいて見るとこの目がとてもリアルなのだが、どれもが少しばかり斜視気味というか、ボーッと遠くを見ているような目をしている。友人の説明によると「一番遠いのは自分自身で、これらの作品はみんな自分を見詰めているらしいよ」ということだ。そうか・・、自分を見つめているのか。自分自身が一番わからないってことか・・、私も自分を見詰めている時にはこんな表情になるのだろうかと思った。でも、多分、私がこのようにボーッと遠くを見ている時は、過去の自分を取り巻く様々な思い出や、もう会えなくなった家族や知人・友人のことを考えている時のように思う。舟越桂さんは、これらの作品を制作しながら、きっと自分自身や人間について考え続けているのだろうな。作品を前にしながら、様々な思いが心をかけめぐる。ひそひそとお互いの感じたことを語りながら見て歩くのは、とても楽しい。同じものを見ていても、私の感じ方と友人の感じ方は微妙に違う。それを話し合うことで、また作品が息づいてくるような気がする。同じ旭川市内の「彫刻美術館http://www.fukido.co.jp/nakahara-hp/asa-mus/asa-mus.html 」で、舟越桂氏の父親である「舟越保武展」が開催されているというので、せっかくだからとタクシーに乗ってそちらにも足を延ばした。この美術館の詳細は上記のHPを見ていただきたいが、明治時代に建てられた雰囲気のあるもので、建物を見ただけで何だか嬉しくなってしまった。さらにビックリしたのは「入場無料」であり、所蔵されている作品群を見て、ものすごく得をした気分になった。ここでも、あれこれとヒソヒソと感想を話しながらロビーに下りると、ラウンジに「喫茶コーナー」がある。少し休もうとメニューを見ると、コーヒー・紅茶は各200円。道立美術館でも200円でコーヒーを飲んできたので、ここでは紅茶を注文した。すると、何とポットに入った紅茶が出てきて、大きめのミルクポットも付いてきた。「一杯目はそのままお飲みください。二杯目は少し濃くなるので、ミルクティーにしてどうぞ」と説明される。聞くと、ここの喫茶コーナーもボランティアが運営しているという。時間が押していたが、隣接する「井上靖記念館」も駆け足で見学し(ここも無料)、何だかとっても心が豊かな気分になり、大満足で帰ってきた。この小旅行で、旭川に対する認識を新たにした。口先だけではなく、本当に文化を大切にしている姿勢が感じられた。道立美術館でも彫刻美術館でも、ボランティアの人たちがにこやかに迎えてくれて、その施設を自分たちのものとして大切にしていることが感じられたことに、私は感動している。機会があれば、また旭川に行って、市内に点在している彫刻めぐりをしてみたいものだ。
2003年09月27日
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グラグラッ・ミシミシッ(家がきしむ音)で、朝の5時前に飛び起きた。結構な揺れだったので、万一に備えて物が落ちてこない場所に身を置き、テレビをつけて情報を待った。さすがに数分もたたないうちに地震情報が流れ、震源地には知人がいないことに安心し、我家のあたりは震度4だということを確かめ、「これで震度4ならば、震度6は大変だろう」と思いながら、再びの眠りについた。約一時間後、またもや同じような揺れで跳ね起き、同じ行動を繰り返す。その後出かけなくてはならなかったので、バタバタと外出して先ほど帰宅。パソコンを開くと、何人かの知人から「お見舞いメール」が届き、このHPにもお見舞いの書き込みがあって、ありがたく思う。今晩はまた出かけなくてはならず、明日も早朝から出かけて日曜日の夕方まで留守にするので、今日はこれだけの記事でごめんなさい。また月曜日に書かせてもらいますね。
2003年09月26日
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町内の人が亡くなり、葬儀に参列した。町内会の仕事などを一緒にやったこともある女性だが、ここ数年、体調を悪くして療養なさっていると聞いていた。最後にお会いしたのは、もう三年ほど前のことである。乳癌の手術をして、やっと外出できるようになった頃だったようで、電車の中で出会ったのが会話をした最後だった。その後、どうなさっているかと思いながらも、個人的に親しくしていたわけではなかったので、そのまま時が過ぎてしまった。いつも身奇麗にしていて、長い髪を服装によってアップにしたり、風にふわふわとなびかせていたりしていて、私より少し年上かと思っていたのだが、葬儀でもう七十歳を超えていたと知って、本当にビックリした。祭壇の白い花に囲まれた写真もとても美しくて、女優さんのようだった。最近は、葬儀の最後に音楽と共にスナップ写真がスクリーンに写されるのだけれど、どれもがとても素敵な写真ばかりで、思わずうっとりしてしまう。どんな時にも(普段着にさえも)おしゃれだった彼女だから、家族も写真を選ぶのに大変だったことだろう。70を過ぎても、「美しい」と思える写真を残せるなんて、本当に羨ましい。そう思いつつ、自分を振り返ってしまった。あー、私の家族は、今私が死んだら別の意味で困るだろうな。ボロを着ているわけではないが、上品とは程遠いし、どう見たって「美しい」のカテゴリーには入らない。誰かの結婚式や葬儀の写真ならまだまともだけれど、普段着の私の姿は、自分で見てもガッカリするものばかり。もう少し、常日頃から身なりには気をつけなくてはならないかなと、つくづく思う一瞬であった。しかし、残念ながらそれは「一瞬」で、結局は「無理して上品ぶっても、きっと私だとわかってくれないだろう」と勝手に納得し、美への努力は葬儀場から帰宅すると同時に諦めて、さっさと擦り切れたジーパンとトレーナーに着替える私であった。
2003年09月24日
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このホームページを作るきっかけになったのは、左の欄に並んでいる「通信教育」の記事を載せるためだった。別の「teacup,みんなの掲示板」で、私自身が通信教育で卒業した体験を書いていたのだけれど、それが長くなったのでこのHPにまとめることにしたのだ。楽天の無料HPを知ったのは、その掲示板にカキコしてくれた人のおかげだった。通信教育のことは、自分の体験が後輩達への参考になればと思っていたのだが、始めてみると色々と通信教育に関するサイトがあって、私の体験など何ほどの参考になるものだか・・という感じがして、「やめようかな」と思うことも何度もあった。でも、時々質問をしてくれたり感想を書いてくれる人がいたり、アクセス記録を見ると結構な数であったりと、見ている人がいるということは、何かの励ましになっているのかと思いなおして、現在に至っている。この日記は、通信教育のことよりも、現在の私の日々雑感を書いているのだが、題名が通信教育に関係するような時には、アクセス数がドッと増える。つまりは、通信教育に関心を持っている人が多いということなのだろう。平均寿命がどんどん伸びて、高齢者期間もどんどん伸びている。そのせいもあるのだろう、通信教育でのスクーリングには、中高年が結構多い。すでに仕事を終えた人にとっては(私もそれに近いが)、大学卒の資格など、さほど役には立たない。だからこそ、資格や評価を気にすることなく、純粋に学ぶことの喜びを味わえるといえるだろう。卒業できたという満足感や、大学卒になったという人知れぬ誇りはもちろんあるが、それ以上に知らなかったことを知り、それによって視野が広がったり、物事を深く感じ取ることができるようになることの嬉しさは、若い頃(中・高校生の頃)には味わうことがなかった。きっと、学ぶ喜びは、子どもにとっても同じなのだろうと思う。小学校に入学したばかりの子どもが、授業中に元気良く「ハイ・ハーイ」と手を上げて、大きな声で答えたり発言するのも、わかったことを自分で確認する純粋な喜びからだろう。それがいつのまにか、親や先生の評価を気にするようになり、他の友達との比較を気にするようになり、やがて競争に勝つことの手段になったりしてゆく。人間の成長には、競争も時には必要であろう。勝利の喜びも、もちろんあるだろう。しかし、人間の喜びには、もっと色々なものがある。「私は何のために生まれてきたのか」。若い頃から何度も繰り返してきたこの問いに、最終的な答えを見つけていないのだが、現時点では「喜びを一杯味わうために」と思っている。命を与えられたことは、喜びを味わうチャンスを与えられたことだと思う。そして、学ぶことは喜びの種を増やし、それを周囲に蒔くことができることだと思うのだ。掲示板によって、顔は知らないけれど対話する人が増え、その人から種をいただき(色々なことを学び)、またこのように発信している。それがまた、誰かの喜びの種になっているかもしれない。学ぶことは、学校に行くこととは限らない。色々な形の学びがあって良い。しかし、私にとって「大學」は、今までとは違う「体系的」な学び方と、それによってどのように視点が多様化するかを実感させてくれるものだった。人によって、体験するのに適切な時期というものがあるだろう。私には、40代で学ぶことが最適だったのだと、つくづく思う。
2003年09月23日
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人間関係のスタートは、挨拶をすることから始まる。しかし、これが結構、簡単なようで難しい。私はどうも、脳の認知細胞が少ないか、あるいは回路が一本足りないようで、人の顔を正しく覚えることできず、名前と顔がなかなか一致しないのだ。顔の認識能力に問題があるとわかったのはつい最近だ。モンタージュ記憶ゲームのようなものがこのパソコンについていて、それをやってみると私のレペルはとんでもなく低かった(他のゲームは、そこそこの点数を取れるのに)。その時初めて、今まで記憶力や覚える気のなさによると思っていた「顔と名前が一致しない」原因が理解できた。この弱点によって、今まで随分恥や失敗を重ねたものだ。「あ、Aさんだ」と思って話をしていて、途中で違う人だとわかった時のバツの悪さ・・。町で人に呼び止められて、それが誰だかわからずに冷や汗をかいたりなどは、日常茶飯事である。体験的に、私は三回以上しっかりと会話しなければ、その人と出会ったときに「どこの誰か」を思い出せない。だから、町を歩く時はいつも緊張してしまう。誰かと目が合って会釈などされてしまうと、頭の中はチカチカと火花が散る。いつも、「私は名前と顔を覚えることがとても苦手な欠陥人下だ」と公言しているので、数回しか会ってないと思う人には、素直に「ごめんなさい、どちら様でしたか?」と聞いたり「○○さんでしたよね」と確認したりできるが、確実に何度も会話していると感じる人に対しては、あまりにも失礼な気がして聞けないこともある。そのようなときに、会話の中でさりげなく情報を探り、次第に的をしぼってゆくテクニックは、経験を積んで身に付けてきた。結局名前を思い出すことができなくても、別れてからアドレス帳や名簿ファイルで確認することが出来るし、そのような作業をした人のことはさすがに覚えることができる。そうはいっても、次第に私も年を重ねてきて、記憶力そのものも低下してきた。その結果として、緊張しながら人と挨拶することが面倒になってきたのである。そこで次の知恵である。一つは、できるだけボーッとして人と目を合わさないように歩く。それでも誰かと会って、特に挨拶までしなくても良いと感じる人には、「とりあえず笑顔」で会釈し、相手が声をかけてくるより早く、サーッと身をかわしてしまう。今までは、できるだけ多くの人と良好な人間関係を作っておこうと努力していたが、「もういいや」という気分になってきてしまった。複数の地域活動を円滑に進めたいという欲がないわけではないが、無理せずに出来る範囲でボチボチやろうと思っている。とにかく、面倒な人間関係に巻き込まれるのだけはゴメンだ。嫌われたっていいや、というように思えるようになってきたのは、私が年をとったという証なのかもしれない。まあ、とりあえず笑顔戦術で、ボチボチいこうと思う。
2003年09月22日
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朝から快晴の「農作業日和」。今年は、二種類の蕎麦を私の実家の畑に蒔いたのだが、同じ蕎麦でも種類によってこんなに生育状態が違うのかとビックリ。一種類は早々に実をつけて、先月末に刈り取って干しておいたのだが、もう一種類は今日になってもまだ白い花が咲いていて、青い実がついている状態。しかし、そろそろ霜が降りる心配があるので、まだ収穫には少し早いような気がするけれど、今日刈り取ることにした。ということで、本日は「刈り取り」と、干してあった蕎麦の「脱穀」の作業に一日を費やした。まずは、先月刈り取ってあった蕎麦の束を畑から運び、家の前に広げたシートに広げておいて、半日乾燥させる。乾燥させている間に、残っている蕎麦の刈り取り作業。本日の作業員は、私達夫婦と妹の三人。高齢の上に腰の悪い母は、総監督である。この総監督が口だけは達者で、色々と私達素人のやりかたに注文をつける。自分でできないだけに歯がゆいらしいのだけれど、私達は「自分でできないんだから、言わなきゃいいのに」とブツブツ文句をいいながらも、悔しいことに母の言うとおりにする方が効率がよいのである。やはり、本人曰く「畑仕事だけしかできなかった」という経験は、バカにしたものではない。もっと謙虚に、その知恵を学ばなくてはならないのだろうけれど・・。昼食をとって一息ついてから、いよいよ脱穀作業である。まず、「ブリンコ」と呼んでいる道具で、広げておいた蕎麦をバタンバタンと叩き、実を落とす。その後、わら取り除いて残ったものを「唐箕(とうみ)」という箱型の装置で蕎麦の実とゴミとを分別する。この「唐箕」は私の祖父の手作りの装置で、昭和17年に製作したことが唐箕の側面に墨で書かれている。当時も多分市販はされていたのだろうが、それを参考に改良工夫して作ったものらしく「○○(私の実家の姓)型唐箕」と、誇らしげに墨書されている。ブリンコも唐箕も、私の記憶では小学生の頃までは使われていたけれど、その後は物置に放置されていたものだ。三年ほど前から、夫の道楽で蕎麦を栽培するようになってから、もう一度働き始めたのだ。予定の作業を終了したのは夕方であった。久しぶりの農作業で心地よい汗を流したのではあるが、毎日をこの連続で追われていたら、「心地よい汗」と言ってはいられないだろう。それでも、自分で蒔いて、自分で刈り取り、自分で脱穀製粉し、自分で打って食べる蕎麦の味は格別であり、現代ではこれ以上の贅沢はないように思う。実は、実家には以前「石臼」もあったのだが、現在は市の「資料館」に収蔵されている。やはり、「石臼」で蕎麦を挽かなくては完璧とは言えないだろうと、どうにかしてあの石臼を取り戻せないかと思案している。実家の両親は、「一度寄付したものを、返してくれとは言えない」というし、石臼で挽くことの大変さを知っている母は、「機械の方がいい」と主張しているのだが・・。
2003年09月21日
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天気が良かったので、お嫁さんと孫を誘ってドライブに出かけた。(息子は仕事が忙しくて、顔を見ただけ)息子の家から一時間足らずの場所に、かつてのテーマパーク「カナディアン・ワールド」が、現在は市民公園になっているというので、子どもを遊ばせるのには良いだろうと行ってみた。行ってみて、ビックリ! 土曜日だというのに、人が閑散としている。以前入場料(結構高かったような気がする)を取っていた時には、園内には歩いてしか入れなかったのだが、今は自動車での乗り入れがOK。ここは、芦別市の炭鉱跡に建設された、とにかく広いテーマパークだったので、全部を見て回るのはとても大変だった記憶がある。たしかバブルの頃に建設され、「赤毛のアン」のテーマパークが「赤字のアン」と揶揄されるようになり、経営不振で閉鎖された後、市民公園となっているようだ。それでも、メインの建物にはいくつかのテナントが入っていて営業してはいたが、とにかくあの広い公園内に、人の姿はチラホラ程度。テナントの店員さんたちも、なんだか暇そうにしていて、チョロチョロする孫達の相手をしてくれるゆとりがある。私達にとっては、公園全部を貸切にしたような気分で、100年前のメリーゴーランド(ちゃんと動くし、音楽はやはり100年以上前のジュークボックスから流れてくる)も、全部私達のためにだけ動いてくれた。メリーゴーラウンドを降りてから、乗り物が大好きな3歳の孫が、めざとく見つけた電車を見て、私はおそるおそる聞いてみた。「あの電車、走ってるんですか?」(今思えば失礼な質問だったけれど、そう聞きたくなるほどに人がいなかったのだ)係の人は、「もちろん、動きますよ」と言ってくれたので、孫達と一緒に大喜びで乗り場に向かう。一応そこには「次の発車時刻」が表示されてはいたが、どうも乗客が来たら動くようで、これも私達家族の貸切で動いてくれた。このように、この公園で約三時間、思う存分遊ばせて貰って、大満足で帰途に着いたのだが・・・。うーん、この場所がもう少し都会に近かったら、もっと人が集まるのだろうに。あの場所でお店を開いていても、きっと赤字だろうなあ。テナントの花屋さんで売っていた鉢物がとても安価で、思わず買ってきたけれど、あれでやっていけるのかしら。などなど、他人事ながらとても心配になってしまった。今回は孫を遊ばせることに重点を置いていたので、いろいろな建物を見て回ることをしなかったのだけれど、以前に来た時には、それぞれの建物がアンの時代にディスプレイされていて、結構見ごたえがあったと思うけれど、今はどうなっているんだろう。あれだけの建物を維持管理するだけでも大変だろうと思う。それにあの広大な公園を、雑草だらけにしないだけでも大変なことだと思うのだけど。楽しかったのだけど、とっても複雑な気分になった一日だった。
2003年09月20日
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知人夫婦を見送りに、千歳空港に行った。明日から連休に入るせいなのか、今日の空港もとても混雑していた。知人のご主人が足が不自由で杖を使っているので、私は札幌からのバス降り場で待っているつもりだったが、バスを降りるレーンが想像以上にとても長くて、次々にやってくるバスをウロウロ探しているうちに見失ったらしい。時間が迫っているので、慌てて航空会社の窓口の方に行き、無事に会うことが出来た。搭乗手続きや手荷物を預ける窓口も混雑しているので、彼女(妻)が手続きをする間、ご主人を椅子にかけさせようと思ったら、以前にはあった椅子が撤去されている。確かに、そこは人が混雑しているから、健康な人は椅子がない方が便利なのかもしれない。しかし、足が悪かったり、体調が悪かったり、子供づれだったり、そうでなくてもただ高齢になるだけでも、腰をかける場所があるのとないのとでは大きな違いだ。足の悪い人にとっては、少し離れた場所に移動することも大変である。無い所に椅子を設置するのは、なかなか大変だろうと思うが、どうしてあったものを撤去したのだろう。そこに椅子があると信じて、汗を流してやってきて、なかった時にはとてもガッカリしてしまう。たかが椅子だが、必要な人にとってはとても大切なものなのに・・。理由があってのことだと思うけれど、もう一度もとの場所に椅子を置いておいて欲しい。だんだん私も年をとってくるので、切実にそう思う。
2003年09月19日
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この題名を見て、「どんなことだろう?」と期待した人、ごめんなさい。ホームページを持っている人なら常識の範疇であろうことが、私にはわかっていないことが多い。今日は「壁紙」というものを貼ってみることに挑戦し、見事(?)成功!楽天さんは、素人でもわかるようにちゃーんと順を追って説明してくれているのに、今までわかっていなかった私は何なんだろうという感じだ。(ご覧の通り、「しゃぼん玉」の壁紙になっていますね?)ただこれだけのことなので、期待した皆さん、失礼しました。これだけではあまりにも物足りないので、もう一つ書くことにしよう。このホームページで日記を書くようになり、色々な人の日記を見るようになった。実に多くの人が日々雑感を書いていて、同じ事柄についても、このように視点も感じ方も違うものかと、毎日感心してしまう。他人の日記を読むことなど、このようなツールがなければ決してありえない事だった。頭の中で感じていることや考えていることは、言葉に的確に表現できてこそ、きちんと考えられるネタになる。モヤモヤしていながらそのままになっていることが、日常の中では普通の状態。最初は、日記を公開することにかなりの抵抗があったけれど、今ではその感じも薄れてメリットばかりを実感している。しかしこの感覚もまた、何かを得たならば何かを失っているということかもしない。そのことを少しばかり意識しながら、もう少しこの作業を続けていこうと思っている。
2003年09月18日
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もう、新しい役割は引き受けないぞと決めているのに、成り行きでまた「○○委員」を引き受ける羽目になってしまった。私で役に立てることはしたいとは思っているのだが、「・・委員」というのは生理的に好きになれない。あくまでも、その他大勢の中で誰かを応援していたいと思っているのに、どうしてこうなってしまうのかと、断ることが下手な自分にゲンナリしてしまう。責任感は人並みにあるので、どんなに嫌でも引き受けたからにはやらないわけにはいかない。いつも逃げながら引き受けてしまう私は、きっと「イヤよイヤよも好きのうち」のように見られているのではないだろうか。「あの人、結局ああいうことが好きなのよ」なんて言われているのかもしれないと思うと、それがまたシャクである。思えば、小学生の頃に断りきれずに学級委員を引き受けさせられた時から、このパターンは続いている。私に一番足りない能力は、「毅然として断る力」のようである。
2003年09月17日
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友人に連れられて、N町に新規就農者として畑作を始めた人の家を訪問した。関西から遊びに来た共通の友人に「北の国からのような世界を見せたい」ということで、そこを案内したわけである。大きな倉庫に居住空間を付けたのが現在の住まいで、隣接の空き家は現在改造中であった。無農薬野菜にこだわった農業をめざして、現在試行錯誤をしているようである。その土地も、かつての所有者が離農した後を手に入れたもののようで、農業で生計を立てていくためには、まだまだ苦労が続くことだろう。それでも、家の造作の一つ一つにも、北の地で農業で生きていくことをめざしている人の、ロマンを感じる。友人二人はすべてが物珍しそうで感動していたけれど、私は実家も母の実家も農家であったから、色々なものが懐かしく感じた。土間に置かれたテーブルも、ゆでたトウモロコシに蝿がたかってくるのを振り払いながら食ることも、私にとっては幼い日を連想させる。隣接する鶏小屋で鶏が「コッコッコッ」と鳴いているのも、昔の農家の風情だ。・・というように、友人達が感動している一つ一つが、私にとっては珍しいものではなくて、懐かしいものなのだ。部屋の片隅におかれていた糸を紡ぐ「糸繰り車」でさえ、幼い頃に祖母が綿羊の毛を紡いで毛糸にしていた姿を思い起こすものだった。かつての農家では当たり前だった光景が、今ではこのように「新規就農者」の家でしか見られないのが現実である。私の実家でも、年老いた両親が自家用の野菜を作ってはいるが、鶏もいないし、トイレは水洗だし、糸車も石臼もすでにない。人にとって「食物」は、命の源である。特に野菜や果物、穀物などは、健康な土地で栽培し収穫したものを、すぐに処理して食べることに勝るものはない。私達は「近代化」の流れの中で、その大切な原点をいつの間にか少しずつ見失い、化学肥料や農薬無しの作物などを食べることは、とても大変な時代になっている。その原点を守ろうとしてくれているのが、「新規就農者」なのかもしれない。このような人たちが、苦労しながらも作物を作って食べる感動を伝えてくれることによって、農業政策や農協に振り回されて疲れ、徐々に意欲を失ってきた農家の人たちに刺激を与えてくれるのかもしれない。かくいう私も、「農家だけはいやだ」と思った人間である。私の母も「私は農家しかできなかったから・・」とぼやきながら、そのような生活からの脱出をめざして私達を育てたように思う。嬉々として、「いいねー、こんな生活!」と感動している友人二人を、私は複雑な思いで見詰めていた。
2003年09月16日
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「敬老の日」を設けたのは、いったいどういう意味だったのだろう。時々、いつもお年寄りをないがしろにしていることへの「免罪符」のために、この日があるのではないかと思ったりする。昨今、「老人虐待」がクローズアップされている。介護保険制度が始まり、様々な職種の人たちが在宅の老人の実態を垣間見る機会が増えて、老人虐待の発見につながっているらしい。色々問題や課題はあるけれど、悲惨な状態から救われるお年寄りが増えたなら、それだけでもこの制度が始まってよかったのかもしれない。老人虐待は、当然ながら昔からあったはずだ。私の実家の祖母は、90歳からボケ始め、その後色々あってショートステイ→特別養護老人ホーム→病院という経過をたどり、最後は病院のベッドの上で、眠るような大往生だった。みんなは、「おばあちゃんは幸せ者だ」と言ってくれたけれど、確かに「もっと悲惨な人から比べたら」相対的に幸せな部類だと思うけれど、あの施設や病院の日々が、人として幸せなのかと考えると、首を縦に振るわけにはいかない。かといって、私が引き取って幸せな老後を保障できたかといえば、絶対に無理であっただろう。人間にとって何が一番苦痛か。それは、人によって多少は違うだろうが、自分の存在を邪魔にされ、バカにされ、嫌悪され、物体として扱われることではないか。どんなにボケていたって、人としての感情は最後まで残るものだ。祖母は「老人ホーム」が姥捨て山だと考えている世代だったから、そこに自分が暮していること自体がとても苦しかっただろう。足腰が丈夫だったため何度も脱走し、そのつど叱責され、パニックになり、私は施設からの電話で飛んでいって、何度祖母をなだめることを繰り返したことだろう。それでも、飛んできた孫が「おばあちゃん、私、ここにいるよ。大丈夫だよ。安心してね」と言ってもらえる状況にあった祖母は、確かに他の人よりは幸せだったのだろう。私は何度、自分自身の切なさや怒りに任せて、「おばあちゃんを連れて行きます」と叫びたくなったことだろう。それでも、そのことによって私が「優しい孫」ではいられなくなることもわかっていたから、その言葉はいつも飲み込んで、一緒に涙を流しながら祖母をたなだめるしかなかった。施設は施設である。職員には色々な人がいる。世の常として、声が大きくて強引な人が幅をきかせる傾向がある。失禁をしたり脱走する老人に向かって、罵声をぶつける職員の行為は、誰にも罰せられない。下手に上司に言いつけたりすると、一層陰湿ないじめがあることを、老人達は体験的に知っている。反対に心優しい職員は、なかなか認められることが少ないし、職員仲間でいじめにあったりしている。施設は決して家庭ではない。そのことを肝に銘じて、せめて他人としての親切に徹して欲しいし、お給料分だけは笑顔や優しい言葉をかけてほしいと、いつもいつも思っていた。毎年、施設で開かれる敬老会には、私も家族として参加していた。その日ばかりは素晴らしい演出で入園者を主役にしている(嫌いな職員)を見て、私の心は煮えくり返っていた。敬老の日になると、あの悔しかった「その日」が思い出されてならない。
2003年09月15日
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中学校を卒業してから、もう35年以上にもなる。私は田舎の中学校を卒業したのだが、その同期会がS市のホテルで開催された。遠くは関西や東京からの参加者もあり、会場では様々な再会ドラマが繰り広げられた。当時の少年少女も、今では50代。当時の先生達も出席してくださったが、並んでみると「誰が生徒で先生か?」である。先生よりも貫禄があったりする人も、何人もいる。中学卒業以来初めて会う人の中には、どうしてもかつての顔と現在の顔が重ならず、全くの別人のように感じる人もいる。つくづく、「人間は変化する存在である」と、哲学者のようにつぶやきたくなる。かといえば、一瞬にして50代の顔が中学時代の顔に変化してしまう人もいる。たしかにその顔にはシワもシミもあり、白髪混じりになってはいるのだが、話し方や笑い方、そのしぐさまでが「昔とおんなじ!」と思う人もいて、そのような人には「変わらないねー、若いねー」と叫んでしまう。となると、前言を撤回して「人間の本質は変わらないものである」といいたくなってしまう。私は卒業した地元に住んでいるので、いつも幹事役をやることになり、クラス会や同期会のたぐいには出席率100パーセントなのだが、みんなと思い出話をしながらいつも感じることがある。それは、「記憶は事実とは違うのかもしれない」ということである。同じように体験したはずのことでも、人によって印象や状況がずれていることが多い。「あの時、○○君はこう言ったね」「いや、それを言ったのは△△だよ」「あの日は吹雪だった」「いや、その日は台風で臨時休校だった」などなど、なんでこのように違って記憶してるんだろうと首を傾げてしまうことがある。何かの本で「記憶は嘘をつく」というのがあったと思うが、確かに「嘘」とまでは言わなくても、人の記憶はかなりあやしい。それでも、色々な人たちの思い出をすり合わせていると、思いがけない再発見をすることもある。あるいは、新たな感動が引き起こされることもある。当時は子どもだったからわからなかった様々な人間模様や心理も理解できるのは、年を重ねて経験を積み、苦労や痛みを乗り越えてきたからこそであり、思い出話の中にも新しい意味を発見できることもある。それにしても、このようなことを感じることが出来たのも、このような場があってこそ。そして、その思い出話の中に、かつての恩師達がいてくれてこそ。同期会に出席できるということは、身心共に会場に足を運べる程度に健康であって、その程度の経済力もあり、外泊できるような家庭環境にあるということだ。次回の同期会がいつになるのかわからないが、また元気に思い出話や近況報告に花を咲かせたいと願う。みんなが、それまで元気にいて欲しい。
2003年09月14日
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「田んぼdeミュージカル」は、北海道穂別町のお年寄り達が総出演した、町民手作りのミュージカルである。(詳しくは、下記を↓)http://www.mainichi.co.jp/life/cinema/kiji/0302/16-02.html 。昨夜は、当市でその自主上映会が開催され、脚本を書いた町教育委員会の斉藤征義さんによる、撮影エピソードなどをお聞きした後、45分の映画を鑑賞した。脚本・作曲・振り付けなど、すべて町民有志によるもので、町民の熱意に動かされた映画監督・崔洋一氏が指導があったとはいえ、すべてが素人の手によるものと聞いてビックリ仰天した。もう一つびっくりしたのが、この映画制作期間(約一年間)の間に、ほとんどがお年寄りというスタッフであるにも関わらず、たった一人の死亡者もいなかったということである。特別に元気な人ばかり集めたわけではない。老人ホームやケア・ハウスの入所者もいるし、撮影の時には必ず保健士がついて、血圧測定や問診のあとに撮影したという状況なのにだ。そして、斉藤さんもビックリしたというのだが、撮影が進む間に、どんどんお年寄りが若返っていったというのだ。納得できることではあるが、画面で実感すると感動ものである。ミュージカルなど見たこともなかったり、ダンスや踊りなど他人事に思っていたはずのお年寄り達が、実に楽しそうに生き生きと笑ったり歌ったり踊ったり。もちろん、素人の手作りの映画だから、作品としての完成度を望んではいけない。だけど、芸術作品では決して味わうことのない感動を、この映画は伝えてくれた。人としての喜び、人間の可能性、自分の中に眠っていた夢、仲間と何かを作り上げる喜び、役割があることの素晴らしさ、諸々のものが、映像の中からビシビシと伝わってくる。人間って、ほんとに捨てたものではない。良いものを見せていただいた。穂別町のみなさん、本当にありがとう。ちなみに、穂別のメロンはおいしいですよ。
2003年09月12日
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心からの感謝の言葉を言っているだろうか?ふと、そう思った。儀礼的で挨拶的な「ありがとう(ございます)」は、多分一日に一回以上は言っているだろう。だけど、心の底からほとばしるような「ありがとう」は?最近の私は、誰かに対してというよりも、目に見えない何かに対して「ありがたいなあ」と思っていることの方が多い。でも同時に、直接顔が見える人にも感謝の言葉を伝える方が、お互いに嬉しいに決まっているのだが・・。たとえば、食べ物がなくておなかがすいて、自分ではどうしても手に入れられなくて辛い時、誰かがパンのかけらでも与えてくれたなら、本当に本当に感謝して「ありがとうございます」と言えるだろう。たとえば動くことが出来なくて、トイレに行きたくて辛い時、嫌な顔をせずに連れて行ってもらえたら、どんなにかありがたいことだろう。たとえばものすごく忙しくて、やらなくてはならないことに追われていて食事のしたくもできない時、煮物などを作ってくれたなら(煮物は、何度でも温めて食べられる)、本当に嬉しいことだろう。だけど、今の私はそのような状況にない。世の中は本当に便利になった。洗濯や掃除はもとより、家事一般は私達の親の時代から見たら、何分の一かの時間で済んでしまうだろう。大抵のものは、お金さえ出したら手に入る。というわけで、「ありがとう」の言葉は本当に軽くなった。もう十数年前、中学生・高校生を対象にした「ボランティア体験研修」をやったことがある。特別養護老人ホームで、お年寄りの介助をしたり話し相手をする活動が主だった。食事介助の時、一人の女の子が涙ぐんでいた。どうしたのだろうと心配になり、声をかけた。その子は涙を浮かべて言った。「おばあちゃんが、ありがとうって言ってくれた・・」食事が自分でできない老人にとっては、高校生の女の子の介助は、本当に本当に嬉しかったのだろう。だから、その「ありがとう」は心の底からのものだったから、少女は涙ぐむまでに感動したのだろう。今の子ども達は、大人から本当の「ありがとう」を言ってもらっう機会は本当に少ない。たとえお手伝いをしたとしても、きっと親の言葉は儀礼的なものだろう。だって、親は子どもに手伝ってもらわなくてはならない状況にないのだから。特に、専業主婦の人にとっては、子どもに手伝いをしてもらうのはなかなか大変だと思う。色々気遣って手伝いをしていただいて、やっと終わった子どもに心からのありがとうは、ちょっと無理がある。心からの「ありがとう」は、困った状況、辛い状況の中で成立する。言うまでもないが、子どもにお手伝いをしてもらうことは大切なことだ。しかしそれは、一緒に家族としての経験を積み、役割を果たすという意味において。本当に難しい時代だと思う。
2003年09月11日
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今日は、ずーっと棚上げしていた某レポートを書くぞと決心し、参考資料や本を広げてみたのだが・・・。最近、このような作業から遠ざかっていたためか、どうも集中力が続かない。レポートの下書きをするために、パソコンを開いているのが邪魔をしている面もある。時々「気分転換」と言い訳しながら、このようにHPを見たりして・・。結果として、全然レポートは進まぬままに時間が過ぎる。あー、こんな私が、どうして通信で大学を卒業なんて出来たんだろう。別の誰かの話しではないかと、自分を疑いたくなる。いやいや、まだエンジンがかかっていないだけ。(そういえば、当時はパソコンという気が散るものはなかったな)まあいいや。今日はウォーミング・アップの日としよう。この年になると、何をするにも準備運動が必要なことは、十二分にわかっているはず。コツコツと毎日時を刻む時計のように取り組めばいいのだから。よーし、わかっているじゃないの。明日は少しは進むことを信じて、ちょっと買い物にでかけることにしよう。
2003年09月10日
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今日は趣を少し変えて、好きな花を並べてみよう。私は、特別に花が好きな方ではない。実家の母は、異常なくらいに花が好きで、(というより花作りが好きなのかな)種から育てた花で庭を飾り立てるのが趣味である。そして、訪問した人に「素晴らしい!」と誉めていただくのを生きがいにしているように見える。その母の娘である私は、そのあたりに勝手に育って勝手に花を咲かせるようなものが好きだ。要するに、さほど手をかけなくても咲いてくれる花が好き。というわけで、好きな花を思いつくまま書いてみよう。マーガレット、コスモス、かすみそう、たんぽぽ、たんぽぽもどき、あじさい、すずらん、すみれ、というように、思いつくのは雑草に近い花ばっかり。たんぽぽなどは、どうしてこんなに強いのだろうと感心してしまう。一番好きなのは、マーガレットかな。我家には、白・ピンク・黄色のマーガレットが咲いている。春から秋まで、次々に花が咲き続けてくれる。コスモスも大好きだ。風にホワホワと揺れている姿を見ると、心が優しくなるような気がする。母が一所懸命に種から一年草を育てるので、私もそのお余りをいただいてきて、花壇も作っているのだが、それはそれできれいだと思うけれど、今ひとつ心が動かないのはなぜだろう。そうそう、花壇の花で唯一毎年必ず植えるのは、マリーゴールド。タンポポに似た、明るい黄色が好きだ。花占いをしたら、私はどのような性格と出るのだろうか。
2003年09月09日
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今日は、雨交じりの肌寒い一日だった。あまりの涼しさ(?)に、とうとう小型の電気ストーブを点けてしまった。しかし、その雨のお蔭で、思いがけない秋の味覚がドーンと届いた。隣町で農業を営む姪が、かぼちゃとトウモロコシを運んで来てくれたのだ。町育ちの夫の姪が、農業を営む現在の夫と出会い、周囲の心配をふりきって恋愛結婚してから、もう20年近くになる。覚悟していたとは言え、きっと農作業の厳しさや、雨でなくては休むことのできない日々に、こっそり涙した日もあったのではないだろうか。しかし、今の彼女は、元気一杯の農業婦人だ。「このかぼちゃ、ホツクホクだよ。おいしいんだから!」その顔は、収穫の喜びに輝いている。久しぶりに休みにしたので、あちこちの親戚に届けるのだと、玄関先での立ち話で風のように去って行った。さっそくかぼちゃを煮て、トウモロコシをゆでた。彼女が言ったとおり、ホクホクでとてもおいしかった。収穫したての食べ物をいただけるのは、本当にありがたいことだとつくづく思う。
2003年09月08日
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孫が滞在した3日間は、「孫三昧」であった。二週間会わない間に、一歳三ヶ月の女の子の成長がめざましいのにビックリ。ヨタヨタ歩きが、すっかり安定した歩き方になっているし、喃語でのおしゃべりがとっても多くなった。3歳半の兄のすることを何でも真似をするので、歯磨きも手洗いも、お茶碗の片付けすらも、兄の後追いをしながらやっている。どちらかというと兄の方はマイ・ペースなので、自分の興味のあることにこだわるタイプのようで、「させられる」ことを嫌がる傾向が強いのだが、下の子は、いつも誰かのやることをジーッと見ていて、同じようにやってみることに楽しさを感じるタイプのようだ。天気が良かったので、市内の公園を三つ巡って歩いた。その一つの公園は、あまり利用が多くはないようで、中央の小高い山一面に、たんぽぽもどきが一杯咲いて、黄色い花が揺れていた。上の子はそれを見たとたん、「ワーァ、きれい!」と歓声を上げて、一目散に花の咲く小山に向かって走り出した。その時は、私と夫の二人で連れて行ったので、彼らの母親はいなかった。ひとしきり花の中を駆け回ったり、花を摘んで遊んだりした後、上の子は、「お母さんに、お花を持って行く」と言って、一所懸命花を摘み始めた。三歳半の子が、母親にお花をあげたら喜ぶと思っている心情に、私の心もポワーンと暖かくなる。少し摘んでは、「おばあちゃん、持っていて」と私に預けに来る。「きっとお母さん喜ぶねえ」と言うと、「うん、お母さん、お花大好きなんだよ。嬉しいなーって言うよ」と元気に答える。ああこんなにも、子どもは母親を喜ばせたいと思うものなのだ。このようなことから、子どもは「人を喜ばせる喜び」を知るのだ。マイ・ペースで、自分の好奇心中心のように見える子も、このように人の心を考える力を持っているということに、何だかとても感動してしまった。下の子も、兄の真似をして花を摘み「ハーイ!」と持ってくる。こちらの方は、手の力が弱いので茎を折ることが出来ず、花だけをちぎっているけれど、それでも私達に手渡すことでしごく満足の様子。それを見ている私達も、何だか心が満たされる。帰宅して、おみやげの少ししおれた花束を渡すと、お嫁さんは「わー、嬉しいなあ。ありがとう!」と、ギュッと子ども達を抱きしめていた。子どもの心を裏切らない彼女を見て、本当に頭が下がった。私はこのように優しい母親だっただろうか。日々の忙しさに追われ、子どもの心を一杯傷つけていたような気がする。それでも息子達は文句も言わず、それなりに成長してくれた。今更ながら、子ども達に感謝せずにはいられない。
2003年09月07日
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私は、二人の男の子を育てた。仕事をしていたため、普段の日はゆっくりと遊ぶ時間もなかったけれど、夫が子煩悩なこともあり、休日には家族で山・川・海におにぎりを持って遊びに行ったものだ。正直に言えば、私は休日にはたまっている洗濯や掃除をし、のんびり読書でもしたい心境だったけれど、日頃色々な面で子ども達に我慢させているので、疲れた身体に鞭打って、朝からおにぎりを握った。(子どもが幼児の頃には、このあたりにはコンビにはなかつた。今なら、迷わずコンビニでおにぎりを調達するだろう)でも、車に乗って数分で私はいつも爆睡し、目的地に着いてもよく居眠りをしていた。ちなみに、今はまったく昼寝などしない。あの頃の私はいつも、睡眠不足で疲れていたんだと思う。遊園地などよりも、子供たちは自然の中に居る方が楽しそうだった。海や川では、飽くことなく水に石を投げたり、砂や石で堤防を作ったり、チョロチョロしている小動物に歓声を上げ続けた。子どもは、どうしてこんなことでこんなに楽しいのだろうと、当時の私は不思議にすら思った。私達は、特別子どもと一緒に遊んでいたというわけでもなく、危険がないように見張りをしていたという感じだった。帰りの車の中では、今度は遊び疲れた子ども達が、数分もたたずに爆睡し、私は自然から得た癒し効果なのか、「また明日から頑張ろう」という気持ちになっているのが常だった。子供たちは毎日、「あと幾つ寝たらお休みの日?」と聞いたものだ。お休みの日に親と一緒に自然の中で遊びまくるのが、子供たちにとって何よりの心の栄養だったように思う。さて、今の私には二人の孫がいる。お嫁さんから、最近の子育て事情を色々と聞く事がある。私が子育てしていた頃は、ビデオなどは一般的ではなかったし、幼児用の学習教材もさほど多くはなかった。しかし、今は、それこそ星の数ほど、年齢ごとに色々な教材があるらしい。私は、幼い頃は子どもはできるだけ自然の中に放すのが大切と思うし、息子自身もそのように考えているらしい。しかし、お母さん仲間と色々話をする機会のあるお嫁さんは、時々それだけでいいのかと不安になるらしい。息子の家では、まだ3歳の孫にはビデオを見せる習慣はない。私はそれでいいと思うのだが、同じ年齢の友達の家では、3歳の子が自分専用のビデオを自分で操作して見ているらしい。さらに、教材的な子供向けの月刊誌(私はよくわからないのだが)を買っていて、お勉強もしているらしい。それを聞いて、私は時代遅れなのかもしれないけれど、びっくり仰天。「3歳で、何を勉強するの?」「文字とか、数字とか・・」「そんなことしなくたって、うちの○○だって字も読めるようになったし、数も数えられるじゃない」「それはそうなんですけど・・」孫は、私の息子達が遊んだ「文字積み木」(つまり、父親のおさがりの積み木)で、ひらがなは読めるようになっているし、数もちゃんとわかっている。何を心配してるんだと思うのだが、あまりにも教育的なことにお金をかけていないのに、気がひけるらしい。「人それぞれの考え方だけど、私は今のままで充分だと思うよ。子どもには、お金はかけないに越したことないんだから。それよりも、できるだけ自然の中で遊ばせた方が、人間らしい人間になるよ」私は、そのことを自信を持って言えるのだけれど、様々な情報が錯綜する中で子育てをしなくてはならない今のお母さん達は、本当に大変だと思う。迷った時は、子どもの笑顔に問うてみて欲しい。心からの笑顔を見せていることが、子どもにとって必要なもの。それは、お金の価値とは一致しないことの方が多い。さて、そろそろ孫達がやってくる。今回は、どこで遊ばせようかな。
2003年09月05日
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某HPを見ていて、ふと思い出したことがある。何年か前に、友達からこんな質問をされた。「あなたは宇宙旅行が出来ることになりました。でも、帰ってくることはできません。ついては、一人だけ一緒に行けるので、誰と行きたいかを考えてください」。彼女はカウンセリングの勉強をしていて、その研修の一つにそんな課題が出たらしい。二人だけが乗れる宇宙船、あなたなら誰と一緒に行きたいですか?私は少しだけ何人かの顔が浮かんだのだが、すぐに考えるのをやめた。「選べないよ。帰ってこれるなら別だけど、帰れないのなら一人で行く」彼女はちょっとびっくりしたような顔をしたが、次の質問をした。「じゃあ、旅行には出来るだけ早く出発しなくてはならないけれど、準備のために最低何日が必要か?」私は、またちょっとだけ考えて、「一週間」と答えた。私は不精なので、家の中が片付いていない。残った人が困らないように、片付けと大切な書類などの整理をしなくてはならない。帰ることのない旅行なのだから、会いたい人には会っておきたい。でも、それもキリのないことだから、キリの良いところで一週間と思ったのだ。彼女は次の質問をした。「じゃあ、その旅行の行き先はどこだと思う?」この質問には、私の方が質問したくなった。「だって宇宙なんでしょ? どこに行くって言われても困っちゃうよ」この質問には、正解はないようだ。彼女自身、勉強の途中だったせいもあって、私に納得できる説明はなかったけれど、どうも「死」をどのように考えているかがわかるらしい。それを聞いて、同行者に夫を選ばなかった私は冷たい奴といわれそうだと思った。が、誰にせよ二人っきりでずーっとというのも気詰まりだと考えた面もある。それよりは、好きな本を何冊も持ち込んで、星を眺めながら読書三昧で行こうと思ったのだ。行き先については、本当に何もイメージできなかった。どこかの星にたどり着いて、異星人との遭遇を期待した方が良かったかな。傾向的に、宗教を持っている人は、私のようにそっけない答えにはならないらしい。宇宙をたった一人で漂うということは、とても孤独なように感じるけれど、私はまだそのような絶対的孤独を味わったことがないので、さほど怖さを感じない。思い出のアルバムや、好きな音楽、好きな本、好きなビデオなどを持ち込めたら、一人での宇宙旅行もいいかもしれない・・なんて思ったりして・・。
2003年09月04日
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この数日、夏のように暑い日が続いている今年は夏がなくておしまいかと思っていたのだけど、九月に入ってから天気が良い。冷夏のせいで穀類が不作のようで心配していたけれど、これで少しでも取り戻せたらいいのだけれど。今夜は、某会議のためにでかけなくてはならない。あんまり気が進まない、つまらない会議だ。この世の中には、あってもなくても同じように思える会が、結構ある。できるだけそのようなものに首を突っ込みたくはないのだが、この社会である種の役割を果たそうとしたら、一見つまらぬことにもちゃんと関わる必要がある。そのような積み重ねが、目に見えない信頼となって、何かの時に役立つと言うことがよくあるものなのだ。無駄をどんどん省いてしまったら、合理的かもしれないけれど殺伐とした社会になってしまう。能力ある人だけを生かしたとしても、決してユートピアにはならないだろう。今夜は「枯れ木も山のにぎわい」の枯れ木ならぬ、生枯れ枝となって、おとなしく時間を過ごしてこようと思う。
2003年09月03日
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先日の集まりで、近くに「ひまわり畑」があることを教えてもらった。北海道では、北竜町をはじめとして、あちこちに有名な「ひまわり農園」があり、当市にも「ひまわり迷路」があることは知っていた。しかし、今まで聞いていた場所は、自動車が運転できない私には一人で行くことは無理。だから、誰かが「行こう」と誘ってくれなければダメだと思っていたのだが、先日教えてもらった所は、何と自転車で10分程度の場所だ。というわけで、今日は散歩がてら一人でその場所に行ってみた。「本当だ! すごい!」。迷路はないので、一面が黄色いひまわりに埋め尽くされている。知られていないせいか、観光客も地元の人すらもいない。農道に入ると、そこには私一人がひまわり達に抱かれている。ひまわりに抱かれていると、幼い頃に菜の花畑で甘い香りに包まれていたことを思い出した。何ともいえない安らぎが、心を満たしてゆく。私達は自然の一部なのだという当たり前のことを、五感が感じている。こんな時間、人間には必要だ。人には仲間も必要ではあるけれど、自分の生命力を取り戻すためにも、たった一人で自然に向き合う時間が必要だ。こんなに近くに、こんなに素敵な場所があったなんて・・。今日は、とっても得をしたような感じがする。
2003年09月02日
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