全27件 (27件中 1-27件目)
1
今日は、夫の三人のお姉さん達が、弟(夫)の手打ち蕎麦を食べに来た。夫には三人の姉と一人の兄がいる。つまり、彼は末っ子である(あと4人、兄や姉がいたらしいが、幼い頃に死亡した)。長姉は18歳年上であり、夫は姉達に育てられたようなものらしい。そのせいもあって、60を過ぎた現在でも、姉達には「Sちゃん」と呼ばれている。この姉達の夫は既に他界しているため、3人で旅行したり、お互いの家に行き来したりして、とても仲が良い。ついでに(?)我が夫とも、非常に仲が良い。結婚した頃は、夫の親族達があまりにも頻繁に行き来するので、本当にびっくりした。かわいい弟の嫁ということで、私はとてもかわいがってもらっているが、夫の兄が少し離れたところに住んでいるので、盆や正月、そのほか何かにつけて我家に遊びに来るのには、若い頃は正直なところ少々うっとうしく感じたこともある。しかし、世間の夫の身内とのトラブル話などを聞くにつけ、今までそのようなことで耐えられないほどの苦痛を感じたことがない私は、やはり幸せな星の下に生まれているのかもしれないと思ったりする。というわけで、姉達が来た今日は、いつもの通り夫は蕎麦を打ち、私は天ぷらを揚げたり、煮物を作ったり。何となく、幸せを感じることが出来た一日だった。
2003年08月31日
コメント(0)
今日は、実家でジャガイモの収穫。もう80歳前後の両親が、自分達(私達も含む)で食べるだけの野菜類を作っているのだが、腰が悪かったり体力がなかったりの老人なので、必要に応じて私も手伝うわけである。今年は冷夏で穀類は不作のようだが、ジャガイモはなぜか大豊作。近年見たこともないような大きさのものがゴロゴロ出てくる。それに、「腐り」もとても少なくて、両親は大喜びである。自分の畑で自分で作ったものを食べるのは、今ではとても贅沢なことだ。私達家族も両親のお蔭で、その分け前をいただき続けている。私達が健康なのは、そのおかげなのかもしれない。今日は、掘りたてのジャガイモと、ナス、トマト、ピーマンなどなどをいただいてきた。もう少しでトウモロコシも食べられそうだ。とても楽しみであるが、久しぶりの農作業で少々腰の痛を感じる。両親も年をとったが、考えてみれば私もそれなりに年なのである。
2003年08月30日
コメント(0)
今日は、毎月一度の「〇〇の会」の例会の日。不登校(登校拒否)や引きこもりの子どもを持つ親を中心にした、話し合いの会である。今日も11人が集まってきて、それぞれの出入りはあったけれど、10時から3時半までずーっとあれやこれやとおしゃべり。子どもの元気がなくなり、学校へ行かなくなって慌てない親は(例外はあるだろうが)、ほとんどいない。なにしろ、ある年齢になったら学校へ行くということが、常識というか信念のようになっているのが日本人だし、全国で14万人近い小中学生が学校に行かなく(行けなく)なっていても、それが少数派であることに違いはない。今日の話しの中で、夫婦のあり方についての話題が多かった。日本では、子育ては母親の仕事という考えが、男女共に当たり前のことのようになっている。(そして男は仕事である)だから、子どもが不登校になった時に、母親は自分が何とかしなければと必死になる。しかし、母親一人で頑張れば頑張るほど母子間の葛藤が強くなり、葛藤が強くなりすぎると歯車もかみ合わなくなる。いよいよ困った母親は、もう一人の親である夫に、やっとSOSのサインを出すのだが・・・。ここで妻に真剣に向き合ってくれる夫は、残念なことにそれほど多くはないようだ。さて、夫がキチンと向き合ってくれない時、妻はどうするか。今日の話で、本当に様々な夫婦があるものだと思った。ケンカしたり泣いたりわめいたりして、夫を否応なく巻き込んでしまうタイプ。わかってくれない夫とのストレスの方が強くなって、自分の体調を崩す人。夫との戦いは諦め、ひたすら自分が子どもとの良い関係を築くことで、家庭の平和を維持しようとする人。夫が苦しむことを案じて、やはり自分が頑張ろうとする人。夫婦それぞれの性格や能力によって、10の夫婦があれば10通りのパターンになるようだ。どれが良い悪いではない。それぞれが最善と思うことを必死に頑張っている。少なくても、このような会に集まり、何かヒントを得たいと行動する人は、例外なく頑張りやさんばかりだ。ある人は、夫の暴力などにも耐え続けた結果が、子どもに悪影響を与えたのだと医師に指摘され、「私は夫と子どものためと思って頑張った年月は何だったのだろう」と慟哭した。その悲しみや悔しさを思う時、誰もが言葉を失った。子どもを傷つけようとしてがんばる親はいない。結果から過去を責めることは、何の意味もない。その人は、我慢できる力を持っていたのだ。自分の痛みに耐えて、夫や子供のことを思う力があったのだ。あり過ぎたからといって、どうして彼女を責められるだろう。また、「自分が弱いから、夫や子どもに迷惑をかける」と涙する人がいた。その人は、ストレスが身体に出やすい体質なのだ。風邪をひきやすいからといって、「あんたはどうしてそんなに風邪をひくのだ。もっと強くなれ」と言ったって、強くなりたいと誰よりも思っているのは本人なのだ。誰でも、自分の体験しない痛みに対しては、実に実に鈍感なもので、共感はできないかもしれない。しかし、本人が「痛い、苦しい」と訴えたなら、「痛いのだな。苦しいのだな」という理解くらいはできるのではないか。そして、痛くないようにするには、自分は何ができるのかを考えるくらいはできるのではないか。「やればできる」という言葉は、他人に向かって言うものではない。自分に向かって言う時に、はじめて効力を発することが多いからだ。自分自身に問うてみて、「やってもできないだろう」と感じることよりも、「やったらできるかもしれないこと」にエネルギーを使いたい。夫婦が苦しみも悩みも共有し、コミュニケーションを密にして、共に子どもの問題に取り組むのは確かに理想ではあるが、夫婦の個性によってそれが難しいことも多い。無理して理想に向かうのではなく、少しでもストレスを軽減するために、お互いに何ならできるのかを探したい。少なくても多くの妻は、それをしようとしている。夫達には、せめて妻が痛い顔をしていたら、「どうしたの?何か手伝うかい?」くらいは言ってあげて欲しい。実際に手伝えなかったとしても、妻は夫が自分を気にかけていてくれると感じただけで、肩の荷物がとても軽くなるのだから。ちなみに私達夫婦は、できるだけ争いを避けたい気質の持ち主同士。だから、夫婦喧嘩はしたことがない。だからといって、お互いに葛藤がないわけではもちろんない。しかし、ある意味で似たもの同士だから、お互いの葛藤や痛みや不満に、それなりに気づく。(気付くように、サインはだしているから)そして、それぞれのストレスは、相手にぶつけずに他のことで解消しようとする。落ち着いたなら、何もなかったようにテレビや新聞のニュースや、我が子の話題などでボソボソと会話してチャンチャン。というわけで、私達はとても会話の少ない夫婦だけれど、何も言わずにシーンとしていてもホッとするというのが、夫婦ならではだと思っている(他人とであれば、沈黙が怖くてしゃべり続ける私なのだが)
2003年08月29日
コメント(1)
池田小学校で児童8人を殺害した宅間被告に、死刑の判決が出た。日本の法制度においては、このような事件を起こした犯人に対してこの判決は当然だと思うが、どっちを見てもすっきりしない、気分の悪さがある。遺族の立場になれば、犯人を何度死刑にしても足りない気持ちであろう。だが、死刑にしたらそれで気持ちが治まるものでもないだろう。私は、「人が人の命を奪う」ということにおいては、死刑も殺人も同様だという気がしていて、いくら「法律」とはいえ、死刑という殺人を完全に正当化できないのではないかと思っている。つまり、人を殺して良いという正しい理由など、ないのではないかと思うのだ。死刑の是非論とは別に、気持ちが釈然としない理由はまだある。宅間被告が、人間や社会への恨みを増幅させていった結果、このような事件を起こしたという「事実」だ。生まれたばかりの赤ちゃんが、人間に対して恨みなど持っているわけはない。どこかの段階で小さな恨みが芽生え、それを解消したり昇華する機会のないままに、雪達磨式に憎悪が心を麻痺させ、人間らしい感情を失わせていったのだろう。この社会は決して平等ではないし、現代のように競争に生き残ることを是とする社会では、競争が苦手な人や、もともと不利な状況でスタートする人にとっては、まったく優しくない社会だ。経済的・能力的・家庭的に不利な状況に生まれた子どもは、個人の努力だけではどうにもならない現実に呻くことになる。そんな中で、ある者は諦めて人や社会に依存できるだけ依存するようになるだろうし、ある者は社会の不条理や冷淡さに怒りをぶつけることだろう。マイナス要因をプラスに転化できる人は、人との良い出会いや、もともと高い能力を持ち合わせて生まれた、ある意味で恵まれた人間ではないかと思う。一見堕落に見える状態を、「本人の努力が足りない」だの、「もともとクズの人間だ」などと切り捨てる人は、それを言える分だけ恵まれた人のように思う。自分で体験しない痛みには、私も含めて人は限りなく鈍感だ。どうしようもなく泥沼の中でもがく人に対しても、私達は限りなく鈍感で冷淡だ。宅間被告の死刑判決を当然と思う私の心の中に、そのような冷淡さがあり、その冷淡さが知らぬ間に誰かを追い詰めているのではないかと思ったりする。もしそうであるなら、第二第三の宅間被告は、また出現してくるだろう。宅間被告をあのような行動にまで追い込んでいったのは、はたして彼の中の「悪魔」だけだろうか。そうとは言い切れないことが、私の気分をひどく悪くさせている。
2003年08月28日
コメント(2)
今日は、福祉関連の某会議に出席。受付で「E市の○○です」と名乗ると、その隣にいた中年男性から「○○さん!」と声をかけられた。その声の主を見ると、何と十数年ぶりに会う、かつての仕事仲間の笑顔が!仕事仲間と言っても同じ職場ではなく、他市の同じ職種仲間で、関連する会議や研修会などで、年に何度か顔を合わせていた間柄である。だから、退職してからは会う機会はなくなり、時々「どうしてるかな」とは思っても、個人的に手紙や電話をするほど親しくもなかったので、そのまま十数年が過ぎていた。出会った時はまだ初々しい青年だったが(私もまだ30代に入ったばかりだったっけ)、今ではすっかり落ち着いた雰囲気の中年になっていた。彼も以前の職場を退職し、今年から現在の職についたのだという。とはいえ彼も私も、立場こそ違うけれど、以前の仕事と無関係ではない世界をウロウロしているから、今日のような再会となったわけだ。会議終了後に少し立ち話をして、かつて会議や研修などで激論を戦わせた仲間達の消息などを聞いた。今でも同じ仕事を頑張り続けている人、キャリアを生かして学生を教える立場になった人、転職した人、それぞれの人生を歩いているようだ。歩く道は違っても、同じような仕事で汗を流し苦労した体験を、それぞれの人なりに生かしているようなのが嬉しい。私自身、以前の仕事で煮詰まり、疲労困憊して退職はしたけれど、その仕事によって培った様々な思いが、退職後の通信制大学への入学、そして卒業となった。そのことが、現在の私につながっている。あの当時、私は大学を出ずにその仕事をしていることに、内心コンプレックスを感じていた。しかしそれだけに、専門的知識のある彼等から学んだことは多かった。今日再会したA氏は私より若いけれど、彼から学んだこともまた多い。またこのような場で再会できたことを、心から嬉しく思う。
2003年08月27日
コメント(0)
人は、生まれてから死ぬまでに、何人くらいの人と関わるのだろう。以前、仕事をしていた頃、常に持ち歩いていたアドレス・ノートの人数を数えて、ビックリしたことがある。何と、500人を越えていたのだ。そして今、携帯電話に登録されているのが50件(私は、携帯電話を使う人は限定している)、年賀状を出す人は300人くらい、パソコンにアドレスを入力している人は、400人くらい。でも、これは「現在」関わりを持つ人なので、過去をさかのぼるとどのくらいになるのか、見当がつかない。ちなみに、私はそれほど交友関係が多いほうではないと思っているのだが・・。毎年、この中から数人は、あちらの世界に旅立っている。この世では決して会う事のない人の数も、随分増えた。だから、死ぬことも次第に身近なものになってきて、いつ旅立っても不思議はないと思うようになったし、もしもあの世というものがあって懐かしい人に会えるのなら、それも楽しみだと思ったりもする。そんなことを感じるようになってから、「一期一会」ということを思いつつ、人と話していることも多い。一方で、人間のつながりは、実はとても限定されているように思う時もある。初めて出会った人と話をしていて、実は共通の友人がいたり、縁戚だったりすることもよくある。縁とは、不思議なものである。どんなに近くに存在していても、縁がない人とは出会わない。やはりこの世は、不思議だと思う。
2003年08月26日
コメント(2)
今日は友達との再会について書こうと思っていたのだが、それはまたの機会にすることにして、昨夜実感した「音楽の不思議な力」について書くことにしたい。実は、昨日、突然にコンサートのチケットが回ってきた。それは知人が義理で買ったもので、本人はさほど興味がないので、「もし良ければ、行ってくれない?」ということだったのだ。E市のレンガ倉庫を改装したミニ・ホールでの、「坂元昭二& HARD TO FIND」のコンサートだった。ギタリストの坂元昭二さんは、「北の国から」のテーマソングのギター演奏などで、その人を知らなくても彼のギターはよく耳にしているはず。さだまさし(この人も、私は大好き!)のコンサート・ツアーに、17年も一緒に活動していた経歴を持つ。「HARD TO FIND」は、札幌を拠点に活動するアコースティック・アンサンブルで、主にアイルランドの伝統楽器での演奏をしているというが、私は今回初めてそのバンドのことを知った。もちろん、演奏を聴くのは初めてである。さて、このように、思いがけず手に入ったチケットだったが、これが想像以上に素晴らしかった。私は、ジャンルとしては「フォークソング、民俗音楽」などが好きな方である。だから今回のコンサートは、その意味でまさに私好みではあったのだが・・・。 実は、昨日は午前中に少し力仕事兼神経を使うことをしたので、午後からはずっとひどい肩こりと、それに伴う頭痛が続いていた。だから、チケットの話があった時も、夜出かけることが少し億劫だったので、少し迷ったのだ。しかし、音楽ジャンルや「北の国からの坂元さん・・」という魅力に負ける形で、自分を励まして会場に足を運んだ。開演が始まるまで、私は首を回したり、肩を自分で揉んだりして、肩や首、そして頭痛を少しでも軽減したいと思っていたのだが・・・。演奏が始まり、中世の楽器「ハンマーダルシマ」の幻想的で心に響く音色や、物悲しくも軽やかなバイオリンの調べ、そしてアイルランドの縦笛「ペニーホイッスル」や、個性的な太鼓「ボウラン」の音色などに、私は魅了された。さらに、坂元昭二さんのギター演奏や、前記の楽器との合奏などに、私の心も脳も身体も、心地よいマッサージを受けたようになっていたのだ。約二時間のコンサートが終了した時、不思議なことに私の頭痛はケロリと消えていた。そして、あれほど重苦しかった肩や首の凝りも、何だかスーッと軽くなっていたのだ。本当に不思議で、キツネにつままれたような気分だった。音楽によるヒーリングなどについて聞くことはあったし、好きな音楽を聴くことで心が軽くなったり楽しくなったりする経験はあったが、肉体への効果を体感したのは初めてである。というわけで、すっかり坂元さんと「HARD TO FIND」のファンになってしまった私である。チケットを譲ってくれたSさん、本当にありがとう!
2003年08月25日
コメント(0)
日記を読み返して、このところあんまり楽しくない文章ばかりで、自分でもがっかり。どうせ生きるのなら、楽しいことを見つけながら生きようと思っているのに・・。で、今日と明日は楽しいことを書けるのが嬉しい。今朝、突然、学生時代の友達から電話が入った。彼女は本州に住んでいるのだが、身内の葬儀でこっちに来ているという。「これから、あいてない? 明日、帰るんだけど」「えーっ、私も午前中は出かける予定があつて・・。夜じゃダメ?」「うーん、午後からO市の親戚の家に行くの。じゃあ、明日の午前中は?」「あー、良かった。大丈夫だよ。うちに来てくれる? それともどこかで会う?」「そっちへ行くよ。じゃあ、明日ね」私は若い頃、はっきり言って友達の多い方ではなかった。それどころか、私を友達と思ってくれる人がいないのではないかと、ひそかに悩んでいたくらいだ。だから、誰かが声をかけてくれるととても嬉しくて、なんとしてもその人の気持ちに応えたいと思ったものだ。彼女は、数少ない友人の一人で、進学・就職・結婚で離れてしまったけれど、私がせっせと手紙を書くことで、つながりを保ってきた。筆不精の彼女は、私が手紙を出すと電話をくれた。そんな彼女も、家族のことで色々大変な時期もあり、北海道に里帰りすることもめっきり少なくなったが、私が通信の学生だった頃、夏スクーリングで上京した時には、東京まで出てきてくれて会うのが楽しみだった。その彼女と、本当に久しぶりに北海道で会える。彼女が我家に来てくれるのは、もう20年ぶりくらいだ。それにしても、何と突然の電話。せめて、昨夜にでも電話をくれたらいいのに・・・。それにしても、明日、予定が入ってなくて本当に良かった。
2003年08月24日
コメント(0)
養護施設で育った人のサイトで、「里親」という言葉について考えさせられた。通常「里親」という言葉は、親のいない子ども(あるいは事情によって育てられない子)を家庭で引き取って育てる人のことを言う。しかし昨今は、引き取り手のない猫や犬を育てる人のことも「里親」と言っている。私も以前から、動物を育てる人に対して「里親」ということには、若干の違和感があったが、さほど深く考えることもなく見過ごしていた。しかし、養護施設で育った人にとっては、人間の子どもと動物とを一緒にしたような使われ方は、とても不快感を覚えるという。確かにそうだろうと思う。事情があって親から離れて施設に暮す子どもにとっては、里親に育てられる可能性もあるし、それが犬猫と同様の言葉を使われるのは嫌に決まっている。犬や猫は「家族同様」とは言っても、あくまでもペットであるから、「里親」ではなくて「飼い主」と言って欲しいという主張には、全面的に賛成する。誰しも、自分の体験によって感じることには敏感である。「養護施設」や「里親」のもとで育つ子供たちは少数であり、上記のように至極当然の訴えに対しても、「些細な言葉にこだわっている」という見方をする人がいる。しかし、「嫌だ、不快だ」と言う人に対して、「言葉にこだわるな」はないだろう。誰かが嫌だといったら、それが特に不当な主張でない限り、配慮をするのが当然だと思う。また、どれほど職員が子どものために頑張ったとしても、施設は施設であり家庭にはならないだろう。子どもが育つには、自分だけを見つめて付き合ってくれる大人が必要だ。しかし、施設は基本的に集団生活であり、その中で子供たちは、様々なことを我慢し続けているはずだ。そのような中で、職員によるいじめや虐待があるなど、許されることではないのだが、現実にはそのようなことも少なくはないようだ。ただでさえ、人生の初めから厳しい状況の子供たちが少しでも良い人生を送ることが出来るように、私達はもっともっと配慮しなくてはならないだろう。一般の私達が出来ることは、そう多くはない。しかし、ネット上でそのような立場の人の声を聞けるのだから、その声や叫びに謙虚に耳を傾け、自分の出来ることから行動に移していくことが、彼らを応援することになると思いたい。まず私は、今日から動物を育てる人に対して「里親」という言葉は使わないようにしよう。
2003年08月23日
コメント(0)
2日前に「不登校問題を考える全国の集い」で知り会ったAさんから、メールが届いた。その人は、同じ分科会で出会ったのだが、はるばる北海道までやってきて、得たものも多かったけれど、カウンセラーの仕事をしている人の言葉に、とても傷ついたのだという。その場面は、私もはっきりと記憶している。Aさんは、ご自分の子どもの不登校のことだけではなく、色々な課題を抱えていた。とても責任感の強い人のようで、必死に頑張って疲れている様子が、その言葉や表情から伝わってきた。人生には、頑張れば頑張るほどうまくいかない時もある。少し力を抜いた方が良いと自覚していても、目の前の課題を捨ててはおけずに、精一杯背伸びをして転びそうな状態になることもある。私から見ても、Aさんはそのような状況に思えた。その姿は痛々しく、彼女の心の痛みや苦しさ、切なさがビシビシと伝わってきて、私の心も辛くなっていた。いくつかのやりとりや、同じような体験者からの励ましやアドバイスの後に、カウンセラーだというBさんは言った。「頑張りすぎや自己犠牲は良くないです。○×△・・・」Aさんの痛みを感じ始めていた私には、その言葉が、鋭いナイフのように突き刺さった。そして、固まってしまい、その後のBさんの言葉すら覚えていない。(私はAさんではないのに・・)ただ、(そんなこと、わかってるよ。わかっていても出来ないから苦しいんだよ。もうそれ以上責めないで!)と思っていたことだけを覚えている。私と同じようにいたたまれなくなった別の人が、Bさんのアドバイスに割り込むようにして、緊張の時間はストップした。何も言えずに固まってしまった私は、ホッとした気持ちと自己嫌悪の中で揺れていた。Aさんは、「今の言葉、とっても痛かったです」と気丈にも自分の気持ちを伝えていた。その姿に、この分科会の中で一番ダメだったのは私かもしれないと、またまた少し落ち込んだ。分科会終了後、Aさんは私に名刺(メールアドレス入り)を渡してくれた。そのほかのやり取りの中で、私に親近感を抱いてくれたようなのだ。お盆の慌ただしさが終わってから、私はAさんにメールを送り、その返信が一昨日届いたわけだ。その中で、やはりあの時のBさんの言葉がとても痛くて、その後とても落ち込んでいたと書かれていた。Bさんの言葉はもっともで適切なアドバイスなのだと言い聞かせても、自分の気持ちがわかってもらえず責められたという気分が抜けなかったらしい。それでも、私からのメールで、共感してくれた人がいたということを知り、嬉しかったと書いていてくれた。もっと早くメールを出さなかったことを、少しばかり後悔したが、彼女の方も夏休みやお盆で忙しかったようだから、許してもらおう。それにしても、カウンセラーでもあるBさんが、いくら肩書き抜きで話しても良い場所とは言え、向き合っている人の痛みに一般論としてのアドバイスをしたことに対して、私は少しばかり怒っている。カウンセラーであろうとなかろうと、向き合う人に対しては優しくあってほしい。痛そうな人には、できるだけ痛みを和らげるような言葉が欲しい。私はカウンセリングの勉強をしたことはない。しかし、勉強をしている人、あるいはそれを仕事としている人に、時として「マニュアル、一般論、理論どおりの対応」のようなにおいを感じることがあり、私はそれがとても嫌だ。私もまた、理屈で自分を律するタイプの人間なので、もしもカウンセリングの勉強をしたら、私が嫌う落とし穴にはまってしまうことが見えるような気がするのだ。それを自覚してから、私はカウンセリングの勉強をしたいという欲望は捨てた。それよりも、目の前の人と真摯に向き合い、気持ちを理解し、その時の私の感情に素直に従ったほうが、心を通じ合えるような気がしている。(何よりも、時として向き合う人に共感しすぎてしまうこの体質では、カウンセラーなどやれるはずもないのだが)。今後も、ただのおばさんとして、また隣人として人に接しよう。今回のことを通じて、またその気持ちを強めた。
2003年08月22日
コメント(0)
昨日図書館で、ふと目に付いたこの本を借りてきた。北朝鮮に弟を拉致された家族達が、この24年間どのような思いで家族を取り戻そうとしてきたのか、拉致被害者家族連絡会事務局長である著者が、積もり積もった思いを吐き出すように書かれた内容に、一気に読み終えた。そして、この本を通して、この日本という国を仕切っている官僚や政治家達が、自国民がこのような状況になった時に、どれほど頼りないものであるかを痛感した。また、家族というものの「絆」が、人が勇気を持つ上にどれほど重要なことであるかにも感動した。頼りない日本をある意味では見限って、強いアメリカに希望を託さざるを得なかった経緯も、家族としたら当然であろう。私は、アメリカのある種の帝国主義的なところはとても好きにはなれない。アメリカの言う「正義」に対しても、懐疑的にならざるを得ない。アジアの一員として、北朝鮮を単純に敵扱いもしたくないし、様々な歴史的な経緯も含めて、複雑な気持ちではある。しかし、このような理不尽な行為に対しては、毅然として向き合って欲しいと思う。個人が国を相手に戦うことには限界がある。いかに頼りない相手であろうと、国として対応してもらわなければ家族を取り戻せない現実の中で、どれほど悔しく虚しい思いを噛み締めながら、蓮池氏ら家族達は官僚や政治家に頭を下げ続け、お願いし続けてきたのかと思うと、私まで涙が出そうになる。今はまだ、たった五人しか帰国していないのだ。蓮池さんたちの子ども達のみならず、まだまだ多くの拉致被害者が存在している。故郷や家族から突然引き離され、そして今は我が子たちと引き裂かれているこの人たちに、心から安心できる日を与えて欲しい。個人ではどうしようもないことをカバーするために、国というものがあったのではないか?危険な状態を見殺しにするような国家の指示に、人々ははついていきたいとは思わない。だからといって、違う国に所属したいとも、よほどのことがない限り思いはしない。拉致問題の解決を通して、日本の国が頼りになる国だと思得る日が来て欲しいと祈る。
2003年08月21日
コメント(0)
久しぶりに義兄夫婦が遊びに来た。長男(30歳)の結婚が決まったという、おめでたいお土産付だった。以前からこの長男のことについて心配していたので、「ワー、よかったですねえ。おめでとうございます!」と言うと、義姉はちょっと曇り顔で、「それがねえ、手離しでおめでたくもないのよ・・」と言う。咄嗟に私の脳裏には、いくつかの「おめでたくないバージョン」がチカチカ点滅した。「その気もなかったのに、出来ちゃった結婚」「お嫁さんが子連れ」「とんでもない(親子ほどの)姉さん女房」「身内にヤバイ人がいる」などなど。しかし、よく話を聞けばそのどれでもなく、私からみたら「親の理想の結婚ではない」ということだけ。内心(なーんだ)と思いつつ、「本人が好きで、相手もそれで良いと言ってくれて、二人が幸せなら何も言うことないじゃないですか」と言うしかなかった。ところが、次の言葉で私は一瞬絶句し、そっちの方がよほど問題ではないかと思ってしまった。「だってねえ、こっちが全部お金を出すのだから、少しは私達の希望も言っていいと思わない?」「えっ、結婚費用を全部親が出すんですか?」「だって、息子には貯金もないし(今まで、親と同居してたにもかかわらず?)、人並み(ってどんな程度?)のことするには、こっちがお金を負担しなくちゃ出来ないでしょ」私達は、息子夫婦が結婚する時には「自分達で出来る範囲で結婚しなさい」と言い渡した。もちろん、親だから相談には乗るし、親としてのご祝儀も出したけれど、それ以上は一銭も出してはいない。だから、結婚費用の収支も私達は知らないのだ。結婚はゴールではない。その時からシビアな二人の生活が始まるのだから、二人の愛情が強い時だからこそ、一緒に色々相談して「自分達らしい、身の丈に合った結婚式」をした方がよいと思っていたのだ。もちろん、親としての夢や希望がないわけではなかった。でも、それは「親の希望」であり、それを押し付けるのはご法度と、「金も口も出さない」ようにしたのだ。世間では、最近は親丸抱えの結婚式があると聞いてもいたが、まさかこんな身近にそのタイプがあったとは・・。本来なら、義兄家族のことなのだし、それぞれの価値判断ですべきだとは思うのだが、私にとっても可愛い甥のことでもある。甥の今後のためにもと、つい口出しをせずにはいられなかった。そして、息子夫婦の結婚式の経緯とか、私達の金銭的なけじめのつけかたなどを、参考までにという形で話した。そんなことは、今まで義兄夫婦とは話していなかったので、義姉は「へーっ、式の費用を負担しなかったの? 全然知らなかった。そんな方法もあるんだ」などと、本当にビックリした顔をされて、私はその反応にビックリしていた。もっとビックリしたこともあるのだけれど、もう書かないことにしよう。とにかく、親というものは本当に欲張りで、必要以上におせっかいになるものだと痛感した。人のことはよくわかるけれど、自分のことはわかりにくいものだ。偉そうに言ってる私だって、やっぱり欲張りでおせっかいなのかもしれない。気をつけなくちゃ・・。
2003年08月19日
コメント(0)
孫達が何日か滞在し、その様子を見ていて痛感したことがある。「人は笑いを学ぶ」ということである。孫は、上の子が3歳(男の子)、下は1歳になったばかり(女の子)なのだが、上の子が良く笑うのに対して、下の女の子があまり笑わないのが少し気になっていた。どうしても上の子がチョロチョロするので、危険回避が至上命題となっている母親は、ゆっくりと下の子と時間をかけて相手をすることが少なくなってしまうようだ。その結果、上の子にはよくやっていた「手遊び」や、体を使った遊びが不足気味になるということを、お嫁さんも気にしていた。我家に来てからは、それぞれの子どもにちゃんと付き合えるので、下の女の子とも「いないいないばー」やくすぐり遊び、まだまだ不安定なアンヨにも、その子のペースに合わせて付き合うことが出来る。その影響なのだと思うが、たった五日間のことなのに、この間に一歳の子がとてもよく笑うようになったのである。その上、大人に対して遊びの要求をするようになり、喃語でのおしゃべりもとても増えたのだ。やはり子どもは、笑った顔がとても可愛い。可愛いと、一層相手をされる回数が増える。その結果、人とのコミュニケーションの楽しさも知るし、コミュニケーションの回数が増えることと比例して、対人関係の技術も体得していく。そのことは知識としてはわかってはいたが、今回は孫を通して実感することが出来た。自分の子育て中には、そんなことをじっくり考える暇もなかったけれど、孫となると客観的に見ることができる。また、常に一緒に暮しているわけではないから、その変化もよくわかるのである。孫達の母親(嫁)は、「ここに来ると、子ども達が成長するような気がする」と言い、車で二時間かかるのだが、結構まめに遊びに来てくれる。人の成長には、変化も必要だ。特に子どもには、非日常と日常のメリハリのある生活が、その成長を促すように思う。今回は、下の子の笑顔の表情が、とても豊かになった。やはり、笑顔も学習するもののようである。
2003年08月18日
コメント(1)
12日から我家に滞在していた孫達が、今朝自宅に帰った。一足早くお嫁さんと孫二人が遊びに来ていて、2日前から息子も合流したのである。普段は仕事で忙しい息子も、この2日間は子ども達(三歳と一歳)と一緒に沢山遊び、幼い子供たちにとってはとても楽しい毎日だったようだ。昨日一日は私達がいなかったので、息子一家は札幌のモエレ沼公園に行って、水遊びや自転車、公園の芝生や遊具で一日遊び疲れて、私達が帰宅したときはぐっすり眠っていた。息子も明日からまた仕事なので、今日は午前中に帰っていった。孫は「来てよし、帰ってよし」というけれど、昨日の疲れも含めて私も何だかグッタリ。さて、明日からの日常生活に備えて、私も今日は早く寝るようにしよう。
2003年08月17日
コメント(0)
バスに揺られて6時間、浅い眠りから目覚めるとそこは網走だった。四時頃だったと思うが、すでに朝日が昇っているようだ。朝焼けのオホーツク海が、私達を出迎えてくれた。一直線に伸びるオホーツク海岸線の国道をひた走り、6時にはウトロのホテルに到着。そこで朝風呂に入り、ホテルのバイキング朝食を取る。ここのバイキングは、和洋取り混ぜたメニューが豊富で大満足。おなか一杯になってから、知床峠と知床五湖に向かう。残念ながら峠は霧がかかっていて、見えるはずの硫黄山や国後島は影も形も見えない。だが、知床五湖では快晴。現在は、一湖と二湖だけが解放されている。あとの三つの湖付近は、熊達が暮しているのである。その後、今回の旅の主目的である知床観光船に乗船。気温は22度くらいだが、快晴の上に風がないので、体感気温はもっとあるように感じる。船から見る知床半島は、予想通りの美しさ。断崖絶壁にはばまれて人が入りにくかったため、大自然が手付かずで残っているのだ。つくずくと、そこは日本の紛れもない秘境であり、宝物であると感じた。船でのもう一つの楽しみは、カモメに餌をあげること。「カモメのえさ」と称して、カッパエビセンが船の中でも売っている。それを目当てに、出航するやいなやカモメが船を追いかけてくる。投げた餌を、飛びながらすばやく口でくわえるカモメのナイスキャッチに、あちこちから歓声が上がる。私もやってみたが、これが結構面白くて、とうとうカッパエビセンを一袋、カモメに食べさせてしまった。いつもエビセンをおなか一杯食べているせいか、何だかカモメが太っているような・・。カモメには成人病はないのかな?そのあとの昼食は、値段が高めなのに味は今ひとつというものであった。道外の観光客から、北海道の観光地の食事は不味いと言われてしまうのも仕方がないかな。その後、オシンコシンの滝を見てから、また一路札幌へ。途中、道路が渋滞しており到着時間が遅れるのではないかと心配したが、無事に午後十時には札幌に到着。とにかく、ほとんどの時間をバスや船に乗り続けた24時間であった。我家に帰宅したのは、午後11時過ぎ。ふーう、疲れた!
2003年08月16日
コメント(0)
お盆で息子家族が来ているにも関わらず、早くから申し込んでいた、夜行バスでの知床観光ツアーに、夫と二人で参加した。夕食を済ませてからJRで札幌駅に行き、22時に札幌を出発した。募集定員満席の40人が参加していた。バスは座席指定になっていて、私達は前から四列目。時によっては乗り物酔いをする私にとっては、ペスト・ポジション。何だか幸先が良くて、嬉しい。今回のバスツアーは、夜行バスでの一泊2日(24時間)で、9800円という格安価格と、知床観光船に乗れるということで申し込んだ。知床には夫の運転で二度ほど行っているが、ただ車を走らせて行っただけで、まだ観光船には乗ったことがなかったのだ。札幌から旭川までは高速道路を走り、その後は真っ暗な中をひたすらバスは走って知床に向かう。知床のウトロ到着は午前六時の予定である。3日前から孫達の相手をしていて疲れているにも関わらず、バスの中では熟睡は難しい。しかし、眠らなければまずいと思い、とにかく目をつぶっている。ウトウトしては目が覚めることを繰り返しているうちに、何となく空が明るくなってきた。続きは明日の日記に・・・
2003年08月15日
コメント(0)
今日から夫の夏休み。というわけで、お盆でもあるので、今日は墓参りをすることにした。市内の墓苑にある夫の両親の墓、夫方の義兄の墓、隣町の墓苑のやはり夫方の義兄の墓、そして最後に、私の実家の墓である。実家のお墓以外は、すべて市の墓苑が整備された以降の、この十数年の間に建てられたものである。当市の墓苑もどんどん拡大されていて、素晴らしいお墓が並んでいる。しかし、これらのお墓は、ちゃんと末代まで手入れがされるのだろうか。最近は少子化が進んでいるし、実家の近くで子ども達や子孫が住み続けられるとも限らない。実際に、義兄の墓だって、本州にある本家の墓では家族がお参りできないという理由で、当市に建てられた。こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、義姉と同居している長男夫婦は女の子ばかりで、次男は本州に住んでいる。つまり、現在40代の長男夫婦が死んだ後は、この町に子孫が住んでいるという保証はない。多分、どの家でも似たような状況だと思うのだが、今でも「○○家の墓」と記されたものが多い。私の実家の墓は、裏山に「碑」とだけ書かれた、およそ墓らしくない形をしている。それを見詰めながら、私が中学生の頃に死んだ祖父は、どのような気持ちでこのような「碑」を建てたのかとふと考えた。多分、この地に子孫がいなくなって荒れたとしても、このような形なら他人にあまり迷惑をかけないと考えたのではないか。祖父もまた、本州の家を始末して北海道に渡った開拓者であったから。
2003年08月13日
コメント(0)
一昨日の「全国の集い」での基調講演の講師である、高垣忠一郎氏の著作。高垣先生の講演にとても共感し、会場で図書販売していたので、購入してきた(ついでにサインもいただいた)。高垣先生は立命館大学大学院で、臨床心理やカウンセリング論を教えている。特に「登校拒否の子どもやその親のカウンセリング活動を通じて、今日の社会における子どもとりわけ思春期の子どもの心の発達と病理について研究している」方である。さて、今日はその本を読もうとページを開いた。最初に書かれていたのが、「子どもを二つの目でとらえる」ことの大切さ。それは「やさしい目(共感的に理解する目)」と、「厳しい目(評価的に理解する目)」だという。左右の目で見たときに、世界が奥行きを持って見えてくると同様、上記の二つの目で見てこそ、子どもが奥行きを持って見えてくるということである。・・・とても、納得・・・最近の子ども達を見るとき、私達大人はこの両方の目を持っているだろうか。ともすれば評価的な目でだけ見てはいないだろうか。反対に、共感的に見るあまりに、肝心な大切なことを見落としてはいないだろうか。利き手があるように、目にも「利き目」があるそうである。さて、私が子ども達(あるいは人)を見るときの利き目はどっちだろう。両方の目をしっかり使って、バランスよく物事を見たいものだと思う。この本は、子どものことを考えるのに、さまざまなヒントを与えてくれるような気がする。
2003年08月11日
コメント(0)
台風の北海道上陸に合わせて、全国の集いが北海道で開催された。私はその実行委員の末席として、2日間をハラハラドキドキしながら動き回っていた。集いには、全国各地から600人(実人数)を超える親や子ども達、そして学校や相談機関など、立場はそれぞれ違っても、不登校問題に関心を持ち、悩み、試行錯誤を続ける仲間達が集まった。台風の影響で、関西や東京からの飛行機が飛ばないのではないかととても心配したけれど、奇跡的に欠航にならず、無事に集いは開催された。この会は、全国の「不登校のこどもを持つ親の会」が中心になって開催され、今回で八回目。子どもが学校に行けなくなったとき、うろたえたり焦らない親はほとんどいないだろう。不登校・登校拒否は、現在の社会や教育システム、大人全体の価値観に大きく影響を受けているにもかかわらず、いまだに「子ども本人や家族の問題」と捉えられがちである。親自身も、それまでのそのような一般的認識から出発するので、「自分の育て方が・・」などと必要以上に悩んだり、自分を責めたりしてしまう。さらに、「学校に行かない」のであるから、学校が居心地良い場所ではないのははっきりしているのに、それを「甘え」とみられるし、大抵の子どもは、自分で苦しさを上手に言語化できないから、「学校では問題はないのに・・」、とも思われる。かくして、「頑張れコール」が四方八方から子どもを襲い、いよいよ子どもは追い詰められる。追い詰められた子どもと毎日接するようになる母親は、子ども以上に追い詰められることもある。学校に行かないことが悪ではないのだ。人間の成長には苦労も必要だけど、必要以上の苦しみやそれによる深い心の傷は、人の元気をどんどん奪っていく。元気を失った心は、生きる意欲をなくしていく。そのことこそが、人にとっての危機なのだ。人によって傷ついた心は、人によっての癒しでしか治らない。向き合っている人の心の痛みに思いをいたして、それに通ずる自分の心を探り当て、共感できる接点を見出した時に、人は多少なりとも心を通わせることが出来る。一人ではないと感じた時に、人は安心し、そして元気の種が芽を出すのではないかと思う。そんなことを感じさせられた2日間だった。
2003年08月10日
コメント(0)
土曜・日曜は、「登校拒否・不登校問題全国のつどい」が開催される。私もその運営委員の末席にいるのだが、気になるのは刻々と北上する台風のゆくえ。全国の集いだから、当然、関東や関西からの参加者も多いのだが、明日の午前中、無事に飛行機が飛んでくれるだろうか。半年以上も前から、この集いに向けて札幌周辺の人たちは大変な努力を重ねてきた。主要メンバーの人たちの努力が報われるように、お天気の神様、何とかご協力を!その他大勢の実行委員である私でもこんなに心配なのだから、責任ある立場の人たちは眠れないのじゃないかしら。雨でもいいから、嵐にはならないでほしい。
2003年08月08日
コメント(2)
今日は、特に思いつかないので、思い出の一冊について。この本を最初に読んだのは、中学生の時だった。変動する中国(時代背景は辛亥革命前後)で、貧しい農民の王龍(ワン・ルン)の青年時代から死(第一部)、王龍の三人の息子達のそれぞれの生き方(第二部)、そして王龍の孫の生き方(第三部)を描いた、三部構成の物語。時代の中で精一杯に生きる人間の姿に、中学生の私は魅了されたのだが、なぜか一番面白かったのは第一部だった。やがて私も成長し、二十歳前後の頃にもう一度読んだ時、第三部にとても共感し、中学生の頃に読み流してしまったのが不思議だった。結婚し、子育てをしながら仕事をしていた頃、またふとこの本を手にとって読んだ時、またまた引き込まれて3度目の読書。驚いたことにこの時は、第二部が身につまされるように面白かったのである。同じ本を二度読むことは時々あるけれど、三度読んで、それぞれの時期に感動する部分が違ったのは、今のところこの本だけだった。そして、三度目につくづく思ったものだ。私の読書は、いかに自分にひきつけて読む方法なのかと。自分のその時の気持ちとフィットする時にだけ、私は「面白い」と思うのだろう。もう一つ感心したのが、小説家のすごさである。しかし、三度目にこの本を読んだ頃から、私は小説をほとんど読まなくなった。それ以降は、ノンフィクションやエッセイ、そして必要に迫られる読書の方が多くなった。そして今、私の読書ジャンルはには、ほとんど小説は入ってはいない。時々読んだりもするのだが、昔のようにドキドキ・ワクワクしなくて、あまり面白いと感じない。私の感性が鈍くなってしまったのだろうか。・・もう一度「大地」を読んだら、今度はどのように感じるのだろう。中学生の時購入したこの本は、ちょっと文字が小さくて読みづらくなった。それでも、懐かしいこの本、老眼鏡をこの際購入して、読んでみようかな。
2003年08月07日
コメント(0)
今年もまた、この日がやってきた。広島市長や、子ども代表の言葉の力強さに比べて、小泉首相の言葉がとても形式的で、心がこもっていないように感じたのは私だけだろうか。それとも、市長や子ども達の言葉の前に、ご自分の行っていることに対しての自信のなさが、あのような「棒読み」になったのだろうか。いずれにしても、日本人で戦争や核兵器にに賛成する人は少数であろうし、人間であるならばみんな、平和を願っているのではないかと思いたい。だからこそ、平和に対しての願いを語る時には、言葉に心をこめてほしい。言葉は「言霊」である。魂のこもった言葉は、人を動かす力を持つと思っている。小泉首相の言葉に「言霊」が感じられなかったことが、とっても気になる。息子達がまだ小学生の頃、原爆記念式典に家族で参加した。まだ幼い子ども達が、戦争を憎み平和を願う心を持って欲しいと願ってのことだった。その前日、原爆資料館の見学途中で、小学四年生だった次男は、「僕、気持ちが悪いから外で待ってる」と、一人で廊下に出てしまった。気が優しく多少臆病な彼は、むごい写真を正視出来なかったようだ。しかし臆病なくせに、私に「一緒に出よう」とは言わなかった。子どもながらに、私達が見ることの邪魔をしてはならないと思ったようだ。小学六年生だった長男は、私以上に一つ一つ真剣に見ていたし、説明文を読んでいた。私達は、原爆の被害のあまりのむごさに、資料館を出た後も、それぞれの思いにひたっていて会話がなく、無言で照りつける日差しの中を歩いた。次の日の式典もとても暑かったのだが、二人とも神妙な顔をして席に座っていた。息子達の心に、あの日がどのように生きているのかはわからない。ただ、その日以来、「はだしのゲン」が二人の愛読マンガになったことは事実だ。
2003年08月06日
コメント(0)
近くの公園から、子ども盆踊りの音楽と太鼓の音が聞こえる。裏の町内会は、自衛隊官舎が並んでいて、町内会活動もそれなりに盛んである。この盆踊りも、町内会行事としてやっているのだ。少子化で、児童公園はどこも閑散としているが、その公園だけは別格。いつも子どもが遊んでいるし、夏休みのラジオ体操も健在である。自衛隊の町に住んでいるので、イラク支援特措法の時は複雑な気持ちだった。今の自衛隊員は、戦闘地域に派遣されることを想定してこの仕事についたわけではないだろう。この子ども達の父親の中にも、イラクに派遣される人がいるかもしれない。そして、とても危険な目に逢ったり、最悪の場合は・・・。子ども盆踊りの時には、お父さん達も太鼓をたたいたり、焼き鳥屋さんになったりと、みんなで短い夏のひと時を楽しんでいる。大砲の音ではなく盆踊りの音を、安心して楽しめる日々が続いて欲しい。
2003年08月05日
コメント(2)
今まで肌寒かったり曇り空だったりと、なかなか夏らしい日が来なかったけれど、今日はまさしく「夏」。今年は、本州も梅雨明けが遅かったようだし、北海道は日照不足で、農作物の状況が気がかり。「雨のち晴れ」は、雑草がとても元気になる。というわけで、午前中は少し草むしり。なれない暑さの中で下を向いていたので、ちょっとばかり貧血と言うか、クラクラしてしまった。昨日見たビデオを返却して、今日まで「47円」ということで、またまた借りてきてしまった。やらなくちゃならないこともあるのだけど・・と思いつつ、「ユキエ」(松井久子監督、 新藤兼人脚本)を見てしまう。アルツハイマーに罹った妻と夫の物語であるが、状況設定などで様々に見るものの想像力をかきたてる作品。次第に自分がダメになっていくのを感じる時の不安や苦悩を、私は祖母と付き合う中で多少は感じてはいたつもりだ。しかし、私にとってそれはやはり未知の世界だし、様々な老い方をシュミレーションして覚悟してはいるつもりだけれど、特に「痴呆」については不安がある。でも、ユキエの言葉に、少し道が見えたようにも感じた。「私の中で何が起きているのかわからないけど、これはあなたたちと、ゆっくりしたお別れをしていると思うのよ」そうだった。祖母もそのように、私達とゆっくりとお別れをしてくれた。この言葉、いつか孫達に言ってやれたら、かっこいいなあ。まあ、忘れなければの話だけど・・。ボケていてもカッコいいってことは、確かにある。憧れてしまうなあ。
2003年08月04日
コメント(0)
雨模様だったのでどこに出かける気にもなれず、妹を呼んで夫と共に、ビデオ鑑賞会をすることにした。先日は「10円」だったけど、本日は「47円」だったということもある。で、ビデオ店に行くと、以前からちょっと気になっていた「ジョンQ」があったので、迷わずそれを借りたのだが・・。家に帰って良く見ると、それは「9デイズ」だった。つまり、ケースと中身が違っていたのだ。「9デイズ」は以前に見たことがあるので、腹を立てながらビデオ店に戻りったが、お目当ての「ジョンQ」は全て貸し出し中でない。仕方がないので、デンゼル・ワシントンの他のビデオを探して見つかったのが、「タイタンズを忘れない」だった。 1971年、アメリカでの実話。人種差別が強い町の高校で、白人と黒人の高校のアメフト・チーム“タイタンズ"が統合され、黒人ヘッド・コーチのブーン(ワシントン)と白人コーチのヨースト(パットン)のもとで、最初はいがみ合う高校生達が、肌の色を乗り越えて友情を育み、チームとしての結束を強め、連戦連勝を続けるという“奇跡"の物語。アメリカには問題も多いが、このようなことも実際にあるという、懐の深さを感じる。何よりも、人と人とは、互いに本気でぶつかり合い、相手を知ろうとしたならば、どのような違いも乗り越えて心が通じ合うのだということを感じさせてくれて、心地よい感動が全身を包んだ。でも、この物語が「奇跡的」ということで映画になったということが、現実の厳しさを物語ってもいる。それにしても、どの映画を見てもデンゼル・ワシントンは素敵だなー。やっぱり次は、なんとしても「ジョンQ」を見よう。
2003年08月03日
コメント(0)
札幌に出かける用があり、少し早めに家を出て、デパートで開催されている「星野道夫写真展」を見てきた。彼が最後の日まで取り続けたアラスカの大自然は、鳥肌が立つほど美しく、そして神秘的だった。そして、野生動物の愛らしいこと・・。リスやキタキツネの愛らしさは勿論であるが、ヒグマ、白くま、カリブー、トド、アザラシ、オオカミ、鯨など、獰猛な印象の動物達も、みんな自然の中では片寄せあって生きる仲間達。夜空を覆うオーロラの美しさや、白銀の世界の厳しい美しさ・・。どれも、信じられないほど美しく、これを見ていた星野道夫の感動が、写真を通して心に突き刺さるようだった。きっと彼は、あの大自然に抱き取られるように死んだのだろうと思った。ひょっとすると彼を襲った熊も、大宇宙からの使者だったのかもしれない。そんなことさえ本気で思ってしまうほど彼の写真は壮大であり、人間もこの地球のちっぽけな生き物なのだと感じさせるものだった。
2003年08月02日
コメント(2)
昔馴染みのおじいさんのお通夜に参列してきた。いつも元気で、ニコニコしているとてもよい人だった。いつもの笑顔のままの写真を見詰めながら、また一人あちらの世界に行ったんだな・・と思っていた。人間の死亡率は、100パーセント。誰でも必ずその日はやってくる。それがいつのことかなんて、誰にもわからない。たとえ臓器移植などで頑張ったって、永遠の命は絶対にない。だからこそ、今、生きていることを大切にしたい。人を恨んだり、ぼやいたり、ましてや人をあえて傷つけたりして、限りある命を無為に使いたくない。私達の世代には、自殺者が多い。生きていることがそれほど辛いのはとても気の毒だけど、何とか生きていられなかったのかと、そのようなニュースを見るたびに残念に思う。私は自殺でも何でも、自分の決断による行動は、とりあえずは認める立場だ。だけど、家族など親しい人たちに与える衝撃の大きさや悲しみを思うと、何とか生きて欲しかったと心から思う。おじいさんは、仕事を全うし、老後は他の人のお世話役に撤して生きて、多くの人たちに愛され頼りにされ、そして80過ぎても惜しまれて逝った。可能ならば、私もそれにあやかりたいものだと願う。
2003年08月01日
コメント(2)
全27件 (27件中 1-27件目)
1