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とうとうイラクで、日本大使館員が殺害されたとか・・。意外でないことが、まず悲しい。2日間日記を書いていないのだが、時間もないので今のやりきれなさだけを書いておきたい。ブッシュ大統領のイラク訪問も、イラクの人達はどのように感じたのだろうか。もう一つのガッカリ・・。またもや人工衛星打ち上げ失敗ですって?もう、スタッフの総入れ替えでもしなくては、この壮大な無駄遣いが続くばかりなのじゃないのかしら。「失敗は成功の母」にできない人がやっているとしか思えない。それって、日本全域に蔓延している病(やまい)なのかも。自分だけは罹患していないと思うのも、この病気(症候群かな?)の特徴のようだ。
2003年11月30日
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偶然にも、人間関係で悩める若い二人(AさんBさん)から話を聞くことになってしまった。●最初はAさんから「実は、Bさんと気まずくなってしまって・・」彼女が言うには、Bさんから電話やメールでの相談に応じているうちにどんどん心配が募ってきて、彼女の「もうダメ」というメールに対して電話をした時、鬱陶しいようなことを言われてショックだったのだという。その後は、メールも電話もしていないのだが、とても気になっているということだった。そして本当は、メールが頻繁に入るようになってから、自分自身も荷が重くなっていたので、Bさんから連絡がなくなった事に対しては、ホッとしている部分もあるのだと。この時私は、「私は、自分がイヤだと感じたり、荷が重いと感じるようになったら、相手に配慮しながらも距離を置くようにしている。あなたとBさんのことについては、直接見聞きしているわけではないから何も言えない。もしもあなたがBさんのことがどうしても気になってそれがストレスになるなら、さりげなく声をかけてみたら? まだその気になれないのなら、もう少し時間に手伝ってもらったらどうだろう。相手の出方を待つのではなく、自分がどうしたいのかを考えて欲しい」というような話をして別れた。●それから間もなく、何とそのBさんに相談されてしまった。私はAさんから話を聞いたことは、黙っていた。「実は、Aさんと仲良くしていたのだけど、ある時期から個人的な話をするようになって、それ以来付きまとわれているような感じがして重たくなって・・、一度少しキツイ言い方をしたら気分を害したようで、それ以来全く連絡がない」。Bさんの言い方では、自分の方がAさんの相談に乗っていたようなことになっている。また、驚いたことに(当然なのかも?)、Aさん同様「自分自身も荷が重くなっていたので、Aさんから連絡がなくなった事に対しては、ホッとしている」というのだ。人間関係って、本当に難しいものである。その一番の原因は、人は「主観で考える」ということのようだ。はからずも両者から話を聞いてしまうことになった私は、二人の言い分がそのままコピーしても使えるような内容であることに驚くばかりで、同じ事を感じているにも関わらず(いや、だからこそか?)、現状は断絶・冷戦状態なのだ。さて、私はBさんから話を聞きながら、ひょっとすると共通の知人である私に話すことで探りを入れていれながら、どちらも自分の言い分の正当性を認めて欲しいということなのだろうと判断した。両者の話の食い違いを指摘したところで意味がないだろう。それぞれに、相手のことを思っての優しさの行動のはずが、いつのまにかお互いに重いものになっていて、あるきっかけで自分を守るためにお互いを突き放したということだ。Bさんにも、Aさんへの言葉を繰り返すことになった。それにしても、携帯電話やメールという手段は、いつでもどこでも時間や場所を問わず、かつ手紙のように冷静になる時間の猶予もなく、感情のままに相手に言葉を送ってしまう。二人とも、そんな話をしながらも携帯を握り締め、メールや電話が入ると私との話を中断している。うーんこの道具、よく言われているように「功罪」を強く意識しなければ、人間関係を破壊することになるのやもしれない。この二人、ちゃんと向き合って話をしているのだろうか。基本的に自分の問題は自分で何とかしなくてはならない。自分の問題と相手の問題の区別をするところから、人間関係の修復は始まる。当事者でない者は下手に深入りせず、「気付き」も含めて本人に判断を任せるしかない。そして、たとえ失敗があったとしても、努力や真情のへの理解や励ましをするしかない。二人の関係が、このことによってより強い絆に成長することを願っている。
2003年11月28日
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昨日は朝から何となく調子が悪かったのですが、某会の打ち合わせなどで出歩いたのが良くなかったのか、夕食準備の頃から悪寒と吐き気が・・・。ということで、昨夜は夕食もそこそこにバタン・キューでした。本当に久しぶりに、38度の熱が出ました。息子達がいたら「鬼の霍乱」と言われるところです。そのくらい、久しぶりの発熱でした。たまには熱を出して寝込んでみたいと罰当たりなことを考えたりするのですが、やっぱり具合が悪いのはイヤですね。今回はお腹の調子が悪いのと吐き気があったので、一層不快でした。それでも今日は随分楽になって、熱も微熱程度。まだお腹の調子が悪いので体調万全とは言えないですが、明日はどうしても出かけなくてはなりません。私は気力が体調に勝るタイプなので、きっと明日は元気でしょう。というわけで、今日は朝からグタグタしていた一日でした。
2003年11月27日
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中規模の病院の薬剤師をしている知人と話していた時のこと。その病院は、どちらかというと整形外科が中心なのだけれど、一応総合病院ということになっている。彼女は私と同年代ですでに薬局の責任者の立場にあり、もちろんベテランである。昨今の医療ミス事件などを見聞きする時、彼女は「他人事ではない」と危機意識を持ち、毎日神経をすり減らしてチェックに明け暮れているようで、それだけにお疲れの様子である。そして話は、彼女の病院に最近ケースワーカーという職種の人が入ったということになった。私は福祉関係の仕事をしていたので、「ケースワーカー」という単語を聞けばその仕事がどのようなものかはすぐに理解できる。同時に、「医療・福祉分野」の人達は、当然私程度の認識があると思っていたのだが・・・。・・・彼女はケースワーカーを知らなかった・・・確かに彼女の職場には最近までケースワーカーはいなかったのだから、その仕事の実際を知ることはできなかったであろう。しかし、医療・福祉分野の仕事をしている人ならば、常識としてケースワーカーの役割を知っているのではないかと思っていた私は、非常識だったようだ。素直に「ケースワーカーって、どんなことをするの?」と聞いた彼女は、とてもマジメで前向きな人だと思う。私は内心の驚きを押えながら、病院におけるケースワーカーの役割を、知っている範囲で伝えた。すると彼女は、「そうなんだー。とても大切な仕事だよね。なのに、どうして今までウチの病院にはいなかったんだろう」。私もその点についてはよくわからないが、多分現在の医療システムにおいては、ケースワーカー(病院では一般的にはソーシャルワーカーと呼ばれることが多い)は、病院のサービスという位置づけなのだろう。設置義務もないから、サービスに重点をおかない病院にはワーカーはいないのだろうと話をした。それにしてもだ、・・・知らないんだねえ。当のご本人に「あなたはどんな仕事をするの?」とも聞きづらくて、話のついでに私に聞いたのだろう。うーん、その役割をちゃんと他の職種の人に説明もせずに配置されたワーカーも、さぞ大変なことだろう。私は会ったこともない「とってもいい人だよ」というそのワーカーに、同情を禁じえない。
2003年11月26日
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昨日の新聞で、またもや医療ミスが報じられていた。京都の病院で、麻薬を10倍も投与していたという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031122-00001046-mai-soci 人はミスを犯す動物だと思うけれど、どうしてこんなにも医療ミスが頻発するのだろう。今までは、いかにこの手のことが「闇の中」に葬られていたかと思うと、ゾーッとする。(実際に、本当は医療ミスで死んだのではないかと思う人も複数いる)ミスを犯すことを想定して、それを防ぐためのシステムを作っておかなくてはならないだろうと思うが、医療関係ではそれらの工夫がされていなかったということなのか?百歩譲って、過去はそうであったとしても、これだけ色々な医療ミスが報じられている現在、「自分の病院は大丈夫か?」と、チェック体制を強化することくらいできないのだろうか。劇薬を使用する際には、医師・薬剤師・看護婦など複数の人が確認するだけでも、このようなミスは防げたのではないかと思うのは、素人考えなのだろうか。「他山の石」という言葉は死語になってしまったのかと、嘆きたくなる。
2003年11月25日
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マイケル・ジャクソンの幼児性的虐待の件も、ケネディ大統領の暗殺事件についても(随分飛躍したニュースの並べ方だけど)、色々なことが報じられたり「新事実発見!」なんて言われるけれど、真実ってみつかるものなのだろうか。プラトンの「イデア」ではないけれど、そんなものは我々人間には「憧れ」に過ぎないのではないかと思うことがよくある。しかし、真実を求める意志や、憧れに近づこうという願いがなくては、人は生きる意味を見失ってしまうのも事実だ。「事実」は確かにあるのだろう。マイケルがやっていたことは、今のマイケルにはわかっているはずだ。しかし10年後には、マイケル自身にも記憶の変化や修正がなされ、事実とは少しズレている可能性が高い。ましてや40年が経過して、関係者のほとんどが死亡しているとなれば、たとえ関係文書が公開されたとしても、それに基づく仮説しか出て来ないはずだ。話は変わるが、かつてある事件の身近にいたことがあり、事情聴取されたことがある。たった3日前の事実を問われたのだけれど、普通に生活していた時間のことを追求された時、ほとんど記憶していない事実に愕然とした。幸いなことに私は容疑者ではなかったため、記憶していなくても「わかりません、覚えていません」と冷静に言うことができたけれど、もしも疑われていると感じたらどれほどのパニックに陥ったことか。その時でさえ、自分の言葉によって誰かを不利にさせるとなると、とても怖かった。自分の中にある種の「仮説」のようなものはあったけれど、それは主観だと思い口にすることはしなかった。結局、その事件は闇の中で終わってしまった。真実を求める心は大切だと思うけれど、同じ心が傍若無人に何かをもてあそぶこともあると自戒していきたい。
2003年11月24日
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これも図書館で借りてきた本の一冊。本多勝一氏の本を読んだのは初めてであるが、新聞や雑誌などで彼の書いたものを読んだ時に、「なるほど・・」と思ったことが多い印象がある。だから、図書館の新刊書コーナーでこの本を見て、迷わずに手に取った。まだ全部を読み終えてはいないのだが、「なるほど」の連続である。彼の見方が全面的に正しいかどうかはわからないけれど、私にとってはとてもわかりやすく、そして納得のゆく考え方ではある。「はじめに」で彼はこう書いている。『合衆国の歴史を検討すればすぐに判明することですが、太平洋戦争も含めて歴史をさかのぼっていきますと、合衆国の戦争が片端から侵略または侵略に関係することがわかります』つまり、現在のイラク問題も、その延長線上にあるということで、この構図は実にわかりやすい。さて、我々の日本の国の構図はどうなのだろうか。そんなことを考えつつ、この本を読んでいる。
2003年11月23日
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掲示板でマー坊さんが教えてくださったので、シメシメとこのテーマで書くことにする。ところで「いい夫婦」ってどんな夫婦なんだろう。多分私たちは、百人に聞いたら百人とも、「いい夫婦!」と太鼓判を押してくれるだろうが、さて相手はどう思っていることやら。私自身は、現在は「まあ、いいんでないかい・・」と言う気分だけれど、これは内心の様々な葛藤の日々を何とかクリアーしてきた今だから言えることであって・・・。多分、相手もそう思っていることだろう。夫も私も、イヤになるほど「外面(そとづら)」が良い。その意味では似たもの同志だ。その上、極端なほどの「平和主義者」であることも同じ。つまり、喧嘩のできない体質である。だからといって、心の中に不平不満がないはずはない。私の日記をずっと読んでいる人はわかるだろうが、素直なようで天邪鬼であり、かなり斜から物事を見るし、多少理屈っぽい。そして、自分のこと(退職や、大学進学など)は自分で決めて行動するから、すべては事後承諾である。(もちろん、夫がらみのことや子どものことは話し合うけれど)夫はその点私よりも単純であり、見た目と違い「賭け事」に通ずるものが大好きである。現在は収まったけれど、結婚した当時はパチンコ・マージャンに明け暮れ、一見家庭的に見えるのだが家事育児は妻にお任せ主義だった。その代わり、私のやることにはよほどのことがない限り文句は言わなかったから、何とか持ってきたというのが私の言い分。というのは、私の結婚の条件は「仕事を続けること」。当時は、そんな普通の望みを黙って了解してくれる男性が周囲に少なかったから、私はその一点にしがみついたような面もある。(団塊世代は、意外と保守的である)そのほかにも色々あるが、それは私の言い分であり、相手にとっては「良妻賢母、黙って俺についてくる人」とは全く違う私に多分ゲンナリして、ますますマージャン・パチンコにのめり込んだのかもしれない。それでいてケンカをしたことがないというのは、これは問題を棚上げし続けた結果とも言え、仮面夫婦に近いかもしれない。前日の日記のように、私は年に何回か「良妻を目一杯演じ」て、その贖罪を果たしていたかも。夫は夫で、子どもと休みの日に遊ぶことが唯一の家庭サービスであり、ドライブ中に私を熟睡させることが贖罪行為だったかも。さて、こんな私たちは「いい夫婦」なのだろうか?多分、きっと、素晴らしい夫婦なんだろう。
2003年11月22日
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私は、年に何度か「良妻」を頑張る。それは、夫が職場の人達を連れてくる日と、夫の親族が集まる日。(それから、一ヶ月に何日かは「良きばあちゃん」になり、時々「良き娘」になったりもする)さて、今日は「良妻」を頑張る日だった。夫の職場の部下達が10人、さほど広くもないこの家に集まった。たてまえは「夫の手打ちそば賞味」の日であるのだが、蕎麦だけとは言うわけに行かない。定番の「天ぷら」を初めとして、若い人達(本日は若い人達メイン)のお腹が一杯になるようにと、朝から台所に立ちっぱなし。私は、料理が下手な方ではないらしい。しかし、決して料理が好きなほうではない。好きではないから、いかに手抜きをして、手抜きに見えないようにするかに知恵を絞ってきた日々であった。同時に、子育て中はずっと働いていたので、スピードも人には負けないようである。それでも、私は料理が好きなほうではないというのが、自分でも不思議なところだ。ということで、全員が帰宅して、台所の後片付けが終わったら、12時を過ぎていた。夫が「お疲れさん」と、布団を敷いてくれた。常々「パラサイト妻」として、好き勝手な毎日を送っているわけで、年に何度かの「良妻を演じる」ことで、私達夫婦のバランスは取れるのだから、ありがたいありがたい。本日のお客様は、本当に良く食べてくれた。それはそれで、気分爽快に近いものがある。たまの「良妻」もいいものだ。
2003年11月21日
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私は、雑誌類は図書館で借りてくることが多い。だから、新刊のものは図書館で斜め読みし、じっくり読むのは時間が経過してから・・というパターンがほとんど。(現在は自分で収入を得ていない「パラサイト妻」なので)ということで、「婦人公論7月号」を借りてきた。これに、私の好きな森山良子さんと谷川俊太郎さんの対談があった。そこでの谷川さんの言葉である。「人間の成熟というのは、木の年輪みたいなものでね、中心にはゼロ歳の自分がいて、その周りに5歳、10歳、20歳、50歳と全部の年輪の自分がちゃんといるのね、71歳の僕の中に。だから、若い頃の詩を《今》の自分が読めるんです」うーん、うまいことを言うと、うなってしまった。本当にそんな気がするし、そう思うととっても豊かな気分になる。さらに彼はちゃんと、「嘘かもしれないよ」と付け加えているところがいい。きっと、茶目っ気たっぷりの表情で、そう言ったのだろう。そう言えば、私が生まれて初めて行ったコンサートは、森山良子さんのものだった。透き通るような歌声に、全身が震えるような感じがした。前の方の通路側の席だったので、握手までしてもらって、とっても嬉しかったことを思い出す。彼女も私も、とっても若い頃だった。あれからずっと、彼女は歌い続けているんだな。私は・・、やっぱりウロウロと迷いながら歩いている。
2003年11月20日
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「国際テロ組織アルカイダと名乗る組織からロンドン発行のアラブ紙に16日、自衛隊をイラクに派遣すれば自爆テロは今後日本の首都、東京の中心でも起きると警告する声明が電子メールで届いた。フランス公共ラジオが伝えた」記事全文は下記http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20031117/20031117a3920.html あー、とうとうこんな脅しが来たか!バグダッドの日本大使館にも発砲があったようだし、いよいよ危険が身近になってくる気配。「テロに屈しない!」と威勢が良いのはいいけれど、イラクでの米軍の武装勢力掃討作戦をテレビで見ていると、どっちがテロなのかわからなくなってくる。武力勢力だけを選別して空爆できるわけもないだろう。あの爆弾の下では、罪のないイラクの人達が、どれほどの恐怖を味わっているだろうと思うと、たまらない気持ちになる。さて、「東京へのテロ」などと聞くと、私は理屈ぬきに「やめてくれー」の気持ちになる。東京の新宿には、私の大事な息子が働いている。決して「脅しだ」とか、「メールだから信憑性が・・」なんて捨て置けない。息子にもしものことがあったら、どうしてくれるんだ!もう、仕事なんてどうでもいいから、田舎に帰っておいでと親ばか丸出しでいいたくなる。私が息子達に望むことは唯一つ、「とにかく生きていて欲しい。私より先に死なないで欲しい」。もちろん、事故や病気などの不可抗力でどんなことがあるかはわからないと思うが、テロや戦争で殺されるのはイヤだ。小泉さん、どうしてもイラクに自衛隊を派遣しなくてはならない本当の理由を、私にもわかるように説明してください。
2003年11月19日
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ある人のホームページを見てみて、ふと思い出した。私は団塊世代の尻尾にぶらさがったような世代に属している。ということで、私達には学生運動のしぶきがかかっていて、高校時代の上級生には学生運動家の子分のような人達もいた。当時、私達の高校は結構校則が厳しくて(それでも、今よりマシだったようにも思う)、私達が入学した頃はそれらの一部の上級生を中心に、高校(校則)革命(?)運動が展開されていた。確かに、それらの校則はあまり意味のないものもあったけれど、私達新入生にとっては、それがその高校の特徴とでも言うようなものだったので、少なくても私には、さほどの問題意識はなかった。しかし、昼休みなどに上級生リーダーがアジリに来るのを聞いているうちに、私には彼らがとても理知的で、物事を深く考えていて、これからの学校や社会のあり方について真剣に考えているように思えてきた。それに、その人達は演説をしないその他大勢の上級生達よりも、成績も良かった。(当時の高校では、学力テストのたびに成績順位が廊下に張り出されていたから、みんなどの程度の成績を取っているか一目瞭然だったのだ)私は、見習うべきモデルを、一部リーダー達に重ねたのだ。・・・しかし・・・悲しいかな、彼らが「主体的に考えろ」だの、「問題意識を持て」だの言われても、当時の私の内部を見詰めるにつけ、自分が空洞の入れ物に感じてきてしまった。私には、自ら湧き上がる課題意識や主体性はないように思えた。私はまぎれもなく、彼らがバカにしているように見える「大衆」であった。だから、少しでも彼らの側に近づきたいと思えば、彼らの言葉に共感を示し、拍手をし、そして授業ボイコットなどに走らなくてはならなかった。何だかよくわからないけれど、それの方が正しいように思うしかないと思った。今思うと、そこに私の問題意識や主体性が隠れていたのに・・。私は多分、彼らに本気で共感していなかったように思う。彼らを「カッコいい」とは感じていたが、何となく違和感があったのも事実であり、その証拠に私は彼らの言いなりの行動はとれなかった。しかし、その理由は自分でもよくわからないので、ただ勇気がないからだと自分を卑下していたように思う。私は「ノンポリ」であることを、自虐的に自覚していた。幸いなことに(?)、私達の学年にはそのような人達が多く、一部リーダーの端くれになっていた人たちからはばかにされながらも、肩身が狭くはなかった。その後も学生運動が盛んな時代は続き、学生運動が狂気へ突進する時代でもあった。私は相変わらず、それらの人達をどこかで尊敬し、心の中でエールを送りながらも違和感と葛藤し続けていた。なぜか、リーダー的な人達が自分達の世代を代表する人達だと錯覚さえもしながら・・。そして、私は情けないノンポリだけど、あのように真剣に社会改革を考えている人達が沢山いるのだから、きっと良い時代になったゆくに違いないと希望を持っていた。やがて学生運動は頓挫し、あんなに頑張っていた人達の姿があっという間に見えなくなった。私も社会人となり、仕事と家庭(子育て)との両立に必死に生きてきた。せめて仕事を続けることが、ノンポリだけでは終わりたくないという意地の表明の側面があったように思う。そして40代になり、様々な社会問題が噴出してきた。特に、私達を含む団塊世代が育てた子供達に、様々な問題がでてきていた。「どうしてなのだ!? なぜ?」私はそれに気付いた時、髪をかきむしりたいような思いにとらわれた。もっと良い社会をと、使命感に燃えた世代であったはずの先輩達はどうしたのだ?論理的に私達を説得しようとした、とても主体的に頑張ることのできた人達が、どうしてこんなに自殺するのだ?ふと気付くと、あの頃元気だった人達の多くは、当時の私達同様「その他大勢」になっている。あんなにキラキラ輝いていたように見えた人が、普通の元気のないおじさんやおばさんになっている。私は、今はそんな違和感に戸惑い続けているのだが、何となくその構造や理由も見えてはいる。はっきり言おう。例外は勿論あるけれど、団塊周辺の私達世代は、昔も今も強いものに追従しやすい「その他大勢が大多数の世代」だったのだ。とにかく人数が多いから、その中で目立つことができるのはほんの一部。うまく目立てなかった人間は、自分が少しでも共感でき、かつ強そうに見える人の手足となり、そこに自分の居場所を見出そうとしてきた。かく言う私もその例にもれない。これは、このような世代に生きる者の宿命とも言える。こうやって書きながら、私は高校時代と似たような感覚にとらわれる。私に主張すべきものはあるのか? どんな言葉も、誰かの受け売りではないのか? 私自身の信念はあるのか?そして、見聞きしていることのどれだけが本当なのだろうか?ふー、あれから40年近くたっているけれど、私って本当に成長ないやつだ。しかし、なんだかんだとブツブツいいながらも、こうして生きているという事実は大きい。それに、色々あっても私はやっぱり人間が好きだ。何だか情けなく見えるオジサンになっていても、私は彼らを憎めないし、やっぱり好きなんだろうと思う。挫折を繰り返し、ボロボロに疲れてしまっていても、何とか踏ん張って生きているような「かつての闘士」も嫌いではない。だけど、必要以上に自分を美化したり正当化するヤツは大嫌いだ。
2003年11月18日
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千葉県我孫子市で、母親と祖母に虐待されて五歳の子が死んだ。(記事詳細は下記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031116-00000204-yom-soci この子は、保育園からの通報で2000年10月から今年1月までの間に計3回にわたって県柏児童相談所に一時保護されていたという。虐待の再発の可能性が高いこの家庭に対して、児童相談所が充分な訪問指導を継続していなかったことが、今更ながら苛立たしい。近年、児童虐待が急増しているため、相談所の対応が追いつかないという現実を見せ付けられる。それにしても、テレビで見る限り近所の人達は虐待の実態を知っていたにも関わらず、どうしてこのようなことになるのだ。それぞれの地域には、民生・児童委員がいる。普通、虐待が疑われるケースが生じた時には、児童相談所がコーディネーターになって、児童委員などがさりげない見守りを続け、必要と思われる時には児童相談所への通報や、地元の福祉事務所等の相談員が訪問するなど、親に対する牽制をしていくことがマニュアル化されているはずだ。今回は、それらのことが全くなされていなかったのだろうか。近所の人達も、そのような社会的ネットワークのシステムを知っていれば、自分が直接の関わりを持たなくても、児童委員への情報提供などという形で、この子どもを救う力になれたはずなのに。この世に生を受けて、たったの5年。愛してくれるはずの母親と祖母に虐待され、どんなに恐ろしく悲しいことであっただろう。少なくても、虐待を繰り返す家庭に子どもを戻す時には、再発を防止するために最大の配慮をしてほしい。そのためには、児童相談所のケースワーカーなどの体制を、もっともっと強化して欲しい。この国は、「少子化だ、大変だ」と言う割には、現実に生きている子供達を大切にしていないとつくづく思う。
2003年11月17日
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今日は、実家で雑用をしていたのだが、テレビでは「東京国際女子マラソン」の実況をやっていたので、時々チラチラと見ていた。前半で見た時は、高橋選手とアレム選手がぶっちぎりの様子だったので、多分高橋尚子さんが満を持しての勝利ということになるのだろうと思っていた。ただ、その時にとても汗をかいていたので、「暑そうで大変だな」と、チラッと思った。この季節に25℃なんて、調子狂うだろうな・・と。またしばらくしてテレビを見ると、高橋選手のペースが落ちてきたらしい。しかしその時、あの小出監督は「何とかつじつまを合わせるだろう」なんてことを言っていたような気がする。私も、監督が言うのだからそうだろうと思い、テレビから離れた。次に見たのは、アレムさんが競技場に入ってくるシーンだった。「あれ、高橋選手は?」と思い、ズーッとテレビを見続けている夫に聞いた。「もう、バテバテよ・・。でも、二着にはなるだろう」私はマラソンや高橋選手に特別の思い入れもないので、「あー、かわいそうにね。最初に無理しちゃったかな・・」なんて夫と会話をしながら、せっかくだからゴールを見届けようとテレビの前に座った。やがて高橋選手が競技場に入ってきた。確かに、足の伸びが全然ないし、とても苦しそうだ。アナウンサーが何か言っていたけれど、あまり記憶がない。ただ、このトラックの一周をどんな思いで走るんだろうと思っていた。競技場にいる人達だけではなく、日本全国の観客が、高橋選手の一等賞を待ち望んでいた(ようだ)。無関心派の私ですら、最初の様子を見て彼女のトップを願った。そして誰よりも、彼女自身がそのことのためにどれほど苦しいトレーニングを積んできたことだろう。彼女にとっては、トップ以外の状態は「想定外」であったのではなかろうか。この一周は、長いだろうな。ゴールした時、彼女の顔を見るのが辛いな・・、そう思いながらも私はテレビを見続けていた。・・・ところが・・・ゴールした彼女は、少し弱弱しいけれども笑顔を見せたのだ。どうして笑顔なのだ・・?きっと彼女のことだから、「期待にこたえられずにごめんなさい」くらいは言うだろうとは思っていたが、笑顔とは・・・。彼女、大丈夫だろうか? とっさに私は心配になった。決して笑えるような状態ではない時に笑うことは、その人の強さでもあるけれど同時に弱さであることも多い。私は、それ以上彼女を見ていることに忍びない気持ちになり、テレビの前を離れてしまった。・・、これが私の弱さである。しかし、弱いことは強いことでもあるのだ。自分の心が必要以上にダメージを受けないようにすることは、とても大切なことだと思っている。夜のスポーツニュースでの、小出監督のコメントも辛かった。自分が面倒をみてやらなきゃやっぱりダメなんだって、言ってるように聞こえた。そんなことないよ。どんなに頑張ったって、どんなに用意周到にやったって、生身の体が思うようにいくはずない。それが人間の証だと、私は思うよ。
2003年11月16日
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「裏話」というほどのことでもないのだけど・・。私の住む町には自衛隊の駐屯地があるので、今回の自衛隊イラク派遣については、主義主張以前の関心がある。私たちはあまりにも身近に自衛官の家族が住んでいるので、直接この問題を議論する機会はほとんどない。私なりに自衛隊問題については関心を持ってはいるが、この町では一歩外に出ると自衛隊関係者が沢山いらっしゃるので、自分の考えを語ることもないのが現実なのである。自衛隊に関係のない市町村の人から見たら、「どうして? だからダメなの」と言われそうだが、それが実情なのだ。さて昨日、町内会の世話役の人達と話す機会があった。その人は、最近開発されてきた新興住宅地に住む人で、「私の町内は、若い人達も多くて活気があるし、独居老人などもほとんどないし、問題は少なくて助かる」とおっしゃっていた。さて、その話の流れの中で、そこの新住民には自衛官の人が多いと聞き、「エッ! 自衛官には、最近は転勤はないのですか?」と聞くと、「いえいえ、転勤はあるのでご主人は単身赴任をすることが多いようで・・」そうか、以前はご主人の転勤で数年で転居する人が多かったけど、自衛官の人達もそのようになっているのかと思いつつ、「お家を建てて、今回のイラク派遣にも可能性があるとなると、ご家族の人達は不安なことでしょうね」と聞いた。するとその人は、「ところがね、結構、奥さんの方からイラクへ行くことを勧める人もいるようで・・・」一瞬「エッ?!」と思ったけれど、次の瞬間に私は妙に納得していた。だが、その納得の仕方に、私は自分自身にガッカリしていた。イラクに派遣されると、危険手当(正式には何という手当てなのかよくわからないが)がかなり出る。特に今回は、今までとは比べようもなく高額のようで、半年派遣されたら500万以上にもなると噂されている。家のローンがある人達にとっては、この臨時収入はとてもありがたいことだろう。しかし、それだけの危険が予想されるということなのに・・・。結局、自衛官の妻といっても、この平和な日本でぬくぬくと育ってきた若い人達である。「人間の死」からも、随分距離があるままに育ってきているし、ましてや戦争なんてまったくリアリティーがないのかもしれない。夫や父親が死んだり障害者になることの意味は、想像もできない人がいるかもしれない。さて、当の自衛官はどうなのだろう。新しい家のために単身赴任し、危険な地域への派遣を妻に勧められ、国民からは「日本のために頑張ってください」というような、強い期待や尊敬を必ずしも受けているわけでもなく・・、うーん、こう書いているだけで悲しくなってきてしまった。もちろん、家族も色々であろうから、派遣の命令が降りることがないようにと、大きな声ではいえないけれど必死に祈っている家族もあるだろう。かつて日本が戦争をしていたころ、召集令状に「バンザイ」と叫びながら、押入れで泣いていた銃後の妻のように・・。戦争状態とは違うと言っても、赤十字でさえ攻撃される国だ。さらに「イスラム」という、普通の日本人にはその国の常識もまったくわからない国に行くのである。どうしても派遣しなくてははならないのなら、せめてその国についてキチンと教育をしてから送り出して欲しい。つまらないことでイラクの人々の顰蹙や怒りを買い、攻撃の標的にならないようにと祈るばかりだ。
2003年11月15日
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昨夜、NHKクローズアップ現代で「痴ほうの人・心の世界を語る」を、たまたま見た。46歳で若年性痴ほう症(アルツハイマー病)を発症したオーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんへのインタビューを軸に、痴ほうの人の「心の風景」をたどり、どのようなケアが望ましいのかを考える番組だった。クリスティーンさんの脳は、既に百歳をとっくに超えた状態で、重い記憶障害があり、日常生活は夫のヘルプが不可欠のようである。しかし、きちんと自分の状況や心理状態を語ることができ、表情もとても美しいことに、驚きと共に感動を覚えた。彼女の語る痴呆の人の心理状態は、私にはとても納得できるものだった。私の祖母は90歳の頃から痴呆が始まり、デイ・サービス→ショートステイ→特別養護老人ホーム→病院と、心身状態の変化に伴って環境が変わる中での辛い十年を生き、101歳で亡くなった。在宅でいるときの家族と本人の関係は、修羅場に近いものがあった。私は別に生活していたので、できるだけ実家に行って両親と祖母のヘルプをすることに努めたが、それにも限界があった。当時も、ある程度の痴呆に対する知識はあったので、いつも生活する両親にそれを伝えようとしたが、「一緒に暮しているものの気持ちが分かるか!」と怒り出すことが多く、それ以上のことを上手に話し合えもせず、間に立って実に辛かったことを思い出す。やがて、特別養護老人ホームに入ったのだが、ここからが祖母の本当の地獄の始まりだった。老人ホームへ通うのは、主に私の役目となり、最初の頃はホボ毎日通ったけれど、これまた本当に切ない日々であった。老いて特別な介護が必要になった老人の、ついの住処としてのホームであるはずだけど、プロであるはずの介護職員や看護士のはずなのに、老いてゆく切なさや悲しみ、焦りや怒りにパニックになる老人に対して、どうしてこのような態度ができるのかという人も結構いる。家族である私は、何度怒りに体が震えそうになったり、切なさにいたたまれず、見境なく祖母を連れて帰りたくなったことだろう。しかし、私もまた身勝手な人間であった。祖母を我家で介護するということの重さを考えると、どうしてもそこまではできなかつたのだ。だから、他人のことは言えないのだけれど、それだからこそ一層、その職で働く人達にはプロになって欲しい。祖母は、クリスティーンさんのようにきちんと語ることはできなかったけれど、日々祖母と接し、祖母の表情を見ていた私には、祖母の悲しみや苦しみ、不安や焦りはよくわかった。その日の状態によるけれど、かつての元気だった時のように、忍耐強く理性的で、そして周囲への思いやりを持っている祖母は、最後まで健在だったと思う。最期の日、私は祖母の最後の食事介助をした。その頃はもう、言葉で話すことはできなくなっていたけれど、私の話しかけに耳を傾け、ちゃんとわかっているよと目で合図してくれる祖母がいた。「また、明日来るからね」と、枯れ枝のような手を握った私をジーッと見詰めて、ギュッと私の手を握り返してくれたその手のぬくもりを、私は決して忘れないだろう。祖母はその手を、なかなか離そうとはしなかった。きっと、それが最期の別れになると、祖母はわかっていたのではないか。それから二時間後、病院からの連絡で駆けつけた私を待っていたかのように、祖母は眠るような大往生を遂げた。私は確信する。どんなに痴呆が進んだとしても、人としての感情は決して衰えないのだということを。寝たきりで反応がなくなっているかのように見えても、その人の意識や感情は常に動いているのだということを。ただ、それを表現できなくなっているだけなのだから、そのことを肝に銘じて周囲の人は接して欲しい。私は、自分がボケていった時に、「何も分からない物体」のように扱われるのだけは、死んでもイヤだと思う。
2003年11月14日
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時々「よみうり教育メール」http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/index.htm を見ているのだが、その中に気になる記事を見つけた。S県教育委員会の調査で、不登校児童・生徒の調査をした結果、学校に行けなくなった理由のうちで最多の回答が、「家庭の出来事」だったという。不登校・登校拒否に悩む親子と比較的多く話す機会がある私は、「そんなバカな!?」とよく読んでみると、何と「担任」の回答での調査結果だという。まあ、担任が回答したらそうなるだろうな・・と納得してさらに読み進むと、「事態を重く見て、保護者も含めた対策の検討を始めた」とある。やれやれ、どうしてこんなことになるのか。当の子どもでも、一番身近で悩んでいる親でもない者の回答が、どうして現実を反映していると考えるのだろう。はっきり言わせて貰えば、学校の先生は「学校に来ている子どもたちへの対応で精一杯」で、学校に顔を出さない児童生徒ととの接触は、無きに等しい。子ども自身の話にじっくりと耳を傾けることのない先生が、親との対応などからの想像上での回答がほとんどだろうという、そのくらいの想像力も教育委員会は持っていないということに、今更ではあるが怒りを覚える。さらにまた、先生は不登校のきっかけすらも(多分)わかっていないのだろうから、自分(教師)や学校には責任がないと期待を込めて思い込み、家庭や子ども自身の問題だと決め付けているだけだ。こんな調査結果を基にして対応策を考えたなら、見当違いもはなはだしい。それどころか、一層子どもや親には苦しい圧力がかかるに決まっている。せめて、家庭や子どもへのアンケートなども平行して実施し、その違いを吟味した上で検討して欲しいものだ。S県やその周辺にも、不登校の親達の会や、フリースクールなどもあるだろう。せめてそのような団体にでも意見を聞いたらどうか。しっかりしてよ、教育委員会!
2003年11月13日
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苫小牧市の住宅地から海岸にかけて、熊が散歩しているらしい。親戚が苫小牧に住んでいるので、出没している場所はよくわかるのだが、あんなところをウロウロするなんて、道産子の私もビックリしている。冬眠の時期を控えて栄養を取らなくてはならないのに、山には食べ物が少ないのだろうか?まだ見つかってはいないようだが、熊も焦っていることだろう。早くもとの住処に逃げ込むことが出来ればいいのだけれど、住宅地に近い場所でハンターに見つかったら、射殺されるに決まっている。それにしても、人間の危機管理能力が低下しているのは理解できるが、熊もそうなのだろうか。人間が山に投げてくる食べ物を食べるようになって、人間への警戒感が低下しているのかもしれない。それとも、自然の恵みよりも人工的な味の方に惹かれるようになっているとか・・。いくら人間に親近感を持つようになろうとも、熊は間違いなく野生の獰猛な動物である。はやく見つからなければ、近くに住む人達はどんなに不安なことだろうと思う。蛇足であるが、私は生まれも育ちも、そして現在も熊出没の可能性のあるところに住んでいるが、幸か不幸か、野生の熊に出会ったことはない。
2003年11月12日
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楽天のホームページを色々見ていると、実に様々なものがある。結構「多いなー」と感じるのが、恋愛に関するもの。もちろん人間として生まれたからには、誰にでも恋愛の体験はあるはずで、恋愛のない人生なんて寂しいものだと私も思う。それにしても、私の感覚では不倫に限らず恋愛は「ひめごと」に属するものだ思っているので、このように不特定多数の人達が見ている場に晒す気にはとってもなれない。だから、特に「不倫」の実況中継のようなものに出会ったりすると、「これ、創作じゃないのかしら?」と疑問に思う。本当のところは、どうなんだろう。私だって若い頃には恋愛体験の一つや二つあったし、確かにその頃は「日記」に思いを綴っていた。だけど、それは私の「秘密の日記」であり、誰にも絶対見せる気持ちにはならなかった。なぜ、見せたくなかったのだろう・・?恋愛感情は、決して美しいものばかりではない。妬みや疑い、不安や畏れ、錯覚や幻想が入り乱れて、自分が自分でないような感情に翻弄されることが多い。私はそのような自分自身を恥じていたのではないかと思う。今よりもまだまだ人生経験が浅く、未熟ではあったけれど、その程度の自己認識はあったように思う。今、様々な場面で「ありのままの自分でいい」と言われることがある。かつての私のように「ありのままの自分を恥じる」という気持ちだけでは辛いけれど、善悪美醜まるごと「それでいい」というわけでもないだろう。ありのままの自分を認めた上で、「悪と醜」は少しずつ乗り越えていくようにしなくてはならないのではないか。「悪と醜」の部分を恥じるからこそ、不倫は「ひめごと」になりやすい。だから、ひめごとでなくなった恋愛は堕落するような気がするのだけれど、いかがなものだろう。それと、「恋」と「愛」は似て非なるものだと私は思っている。だから「愛」に裏付けられていない恋愛は、ただ身勝手なものだと思う。【補記】不倫を含む恋愛は、自分の意志に関わらず、穴に落ちたような状態だと思うので、そのこと自体を批判するつもりはないので、念のため。
2003年11月11日
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「マニフェスト」を連呼した民主党は、作戦成功と言って良いのかも・・。結果を見ていると、お昼のワイドショーでも誰かが言っていたが、結構日本人ってバランスを取るんだなとまず思った。あまり激しい変動は望まない国民性があるのかもしれない。かく言う私だって、主義主張よりバランス優先の投票行動をしたと言えるかもしれない。私の選挙区は、元来自民党がとても強い所なのだが、今回はいつもの自民党候補者が辛勝はしたけれど、今までの状況と比べたら負けたと同様の結果。従来は所属する組織の影響を強く受けていた選挙民が、今回は自分なりの判断での投票をしたことが想像される。それにしても、戦後二番目の投票率の低さはどういうことだ。政治家や政治にブツクサ言うならば、投票くらいしてからにしてよと言いたい。それとも、投票に行かない人達は、それなりに現状に満足しているのだろうか。選挙の時にいつもイヤだなーと思うのは、「土下座する候補者」。きっと、何年に一度だけなりふり構わず土下座して、当選したら有権者に土下座させているんじゃないかなんて思ったりする。土下座姿を見て感動して投票する人って、いるんだろうか?禊が終わったと、何かの問題で離党した人が復党することもよくある。なんだかなあ・・、という感じである。それから、いつも「無駄だなー」と思うのが、同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査。本当に考えて×をつける人って、国民の何パーセントいるんだろう。ちなみに私は、もう随分昔から棄権している。何かの時に(もう何だったか忘れたけど)、こいつは納得できないという最高裁判決があって、その時だけ×をつけた。人に聞くと、白紙で出したり、みんな×にするといったり、いい加減な人がほとんどだ。この仕組み、何とかして欲しいとずーっと思っているのだが、議論になっているのかいないのか・・。とにかく、選挙は終わった。政権公約の行方を、気をつけて見ていなくてはならないのだけど、私自身やがて忘れてしまいそう。
2003年11月10日
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私はコスモスの花が好きなので、春の雪解けと同時に昨年取っておいた種を庭の片隅に植えました。種は順調に芽を出し、やがて夏になると次々と花を咲かせ始めました。(この地方では、コスモスは夏から秋にかけて咲くのです)背丈が低いうちに咲き始めるコスモスもあれば、ある程度背が高くなって咲き始めるものなど、見ているとコスモスにもそれぞれ個性があります。でも、その中に、とても元気に葉は茂っているくせに、ぜんぜんつぼみをつけないものが二株ありました。他の花達は、次々と花を咲かせ、やがて役目を終えたように枯れていくものまで出て来はじめた頃、私は花がないコスモスを見ながら、「おまえは、花を咲かせずに葉っぱだけで終わってしまうの?」と、少々哀れんでおりました。せっかくコスモスに生まれながら、ピンクの花の一輪も咲かせずに終わるなんて、寂しいことだと感じていたのです。でも、花を咲かせずともこのように元気に生き抜くという姿に、また何かを教えてくれるような気もしていたのです。ところが・・・一ヶ月ほど前、何と葉の影に小さなつぼみがいくつもついているではありませんか。それを見つけた時、私は思わず「おー、やったねえ。とうとう花をつけたんだねえ。偉い偉い!」と、そのコスモスをメンコメンコしてあげたい気持ちになりました。でも、いつ霜が降るか分からない季節に入っているので、とにかく一輪でも花を咲かせるまではガンバレという気持ちでした。半月ほど前、その二株のコスモスは、やっと可憐な花を咲かせました。ピンクと白の二種類でした。他のコスモスたちは、ほとんど花も終わりかけの中、この二株は「これからが私達の出番よ!」とばかりに、次々と花を咲かせ始めたのです。今も、この二株は生き生きと花を咲かせ続けています。私の願いが通じたのでしょうか、まだ霜はダメージを与えるほどには降っていません。毎日このコスモスを見詰めながら、同じ土壌・同じ気候の中で、同じような種から育てたのに、このように遅咲きのものもあるということに少し感動しています。植物ですらそうなのですから、人間ならばなおさらでしょう。私たちは子どもたちに、「這えば立て、立てば歩けの親心」で、次から次へと成長を促しているように思いますが、いくら成長を促そうと、時期がこなければどうにもならないということが多いはずです。人それぞれの成長のペースを無視してしまっては、その人の伸びようという芽を傷つけることになるでしょう。そんなことは既に知っている積りの私でしたが、このコスモスたちにもう一度教えられたような気がしています。
2003年11月09日
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私達の若い頃は、「キレル人」というのは誉め言葉だったし、今でも良い意味で使われることはもちろんある。しかし、最近は「キレル」と言えば感情を抑制できず危ない人というような意味で使われることが多い。いつの頃からこのような傾向になったのだろうと、ふと考えてしまった。最初に「あいつはキレやすいから危ない」という言葉を身近に聞いたのは、もう15年以上も前のことだった。その頃、仕事で高校生のボランティア活動の世話役のようなことをしていて、ある福祉イベントの最中のことであった。主に、市内の二つの高校の生徒達が一緒に協力していてくれたのだが、両校のリーダー的な男子生徒が、あまりうまくいっていなかった。しかし、お互いにそれなりに我慢したりしながらやっていたらしいが、ある出来事で片方の子が我慢できずにケンカになってしまった。このようなことは、大勢の高校生が何かやる時にはありうることなので、私は単なる調整に入ったのだが、一方の男子生徒はいわゆる「キレタ」のか、プイッと挨拶もせずに出て行ったのである。私は、そのうち冷静になったら戻ってくるだろうと思っていたのだが、他の高校生達は「あいつはキレやすいから、ほおっておくのは心配だ」と口々に言い、彼がキレた時の言動のあれこれを御注進してくれる。それを聞いているうちに私も多少不安になってきたのだが、「大丈夫だよ。彼は今日のことで、それほどのことにならないと思う」と作業を進めさせ、同僚にはこっそりと「事務所に物品をとりに行くついでに、車で探してみて」と頼んだ。すると簡単に近くの公園で見つかり、同僚はさりげなく「ちょうど良かった」などと彼を誘い、一緒に物を取りに行って戻って来たのだ。しかし、当人同志は当然バツが悪いので、別々の場所で行動してその日は無事に終了した。次の日、出て行ったほうの高校生が事務所を訪ねてきた。「昨日は、忙しい時に心配かけてすみません」と、謝りに来たのだ。私はその彼の行動と、仲間達が「キレやすい」という言葉とのギャップに戸惑った。もちろん、仲間達がそんなことを言っていたとは言えなので、「急に出て行ったから、みんなも心配していたんだよ」と伝えた。彼は神妙な顔で、「あのままあの場所にいたら、俺、どんなことするか分からなかったから・・」と言う。私は「偉いよ、ちゃんと自分の感情を押えられたじゃない。でも、今度出て行くときは、大人の誰かにちょっと耳打ちしてね」と言い、ちょうど誰かが差し入れてくれたお菓子を一緒に食べた後、彼はスッキリしたような顔で帰っていった。その会話の中で、彼は「○○さん(私のこと)には、絶対に迷惑かけられないと思った。だから、我慢できた」と言ってくれたのだ。私は特別に彼を可愛がっていたわけではない。彼がキレやすいことも知らなかった。しかし、彼らが一所懸命協力してくれることを、常に「ありがとう」とは言うようにしていた。ひょっとしたら、その私の感謝と信頼の言葉のシャワーが、彼のどこかでブレーキになっていたのかもしれない。さて「キレる人」と「キレやすい人」、言葉はとても似ているが、意味合いはかなり違う。言葉が同じということは、頭の中での「キレル」という構造も、かなり近いのではないだろうか。ほんの少しのコントロールができるかどうかが、プラスになるかマイナスになるかの差なのかもしれない。そのブレーキの作用に大きな役割を果たすのは、「人間のことば」のような気がしている。いわゆるキレル人の言葉が、時折鋭すぎてグサッとくることがある。そのような言葉のシャワーを浴びていると、心がだんだん鈍感になってくるような気がする。私自身、時々自分の言葉がきついように感じることがある。何か嫌なこと、納得できないことを語る時には、どうしてもそのようになりがちだ。暖かい言葉、感謝の言葉を、意識的に使いたいとふと思う。
2003年11月08日
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しばらくバタバタしていたので、あまりキチンとニュースを見たり考えたりしていなかったのだが、西安市の留学生のことでは、中国の大学生が妙にエキサイトしたらしい。どうしてこういうことになるのだろうと、とっても不思議な気がする。当の学生が非難されるのは仕方がないにしても、無関係の学生たちにまで暴力をふるうことはないだろう。それほどまでに、反日感情があるのだろうか。昨年ツアーで中国を旅行して、西安市にも行った。全般的に中国での印象は、日本人から儲けてやろうという感じを受けることが多くて、なんだか気分が良くなかった。(私たちは、気前良くお金を落として歩くタイプではないので)さらに、歴史的な遺跡や建物も、お金を得るための道具にしているような感じで、先人からの賜物への敬意が感じられないことが多く、中国も何だか危ういな・・という感じがしたことを思い出した。(もちろん、兵馬俑や万里の長城などには感動したけれど)中国人を日本人留学生が侮辱したというけれど、中国人自身がどれほど自分の国への本物のプライドを持っているのかと、少しばかり首を傾げてしまう。もっとも、あれほど沢山の人口を抱えているのだから、中国人だって色々だろう。(日本人も、色々だし・・)だけど、日本よりは知的エリートであるはずの大学生が、あのように簡単にデマに乗ってしまい、群集心理的に暴動に近い行動に走ることには、おバカな日本人留学生同様に憂慮してしまう。ふと、文化大革命の時の「紅衛兵」を連想してしまった。そしてまた、日記リンクしている七詩さんも書いているけれど、外務大臣のコメントも片手落ちだ。中国人留学生の一部が、日本においていただけないことをしていることに対して、中国の政府は遺憾の意を表していたっけ・・?
2003年11月07日
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昨日の疲れのせいか、朝から頭痛がしている。なのに、本日は乳児検診会場でのボランティアの当番の日。今朝になって別の人に変わってもらうわけにもいかないので、自分を励まして会場に向かう。検診会場では、赤ちゃんが検診を待っている時間を利用して、絵本の読み聞かせなどをするのだ。文字は当然読めない赤ちゃんでも、絵本には興味を示す。絵本を通しての親子のふれあいの時間を少しでも増やし、小さい頃から想像力や集中力、言葉でのコミュニケーション力を高めるお手伝いをしたいということでの、ボランティアである。ボランティアメンバーのほとんどは、読み聞かせなどをしているグループの人達なのだが、私は個人的に参加している。元気な時なら、赤ちゃんと一緒に遊ぶのは楽しいことなのだが、何せ今日は疲れていて頭痛がしているのが辛い。赤ちゃんと遊んでいる時は忘れているのだけれど、ちょっと空白の時間があるとズキズキを感じるのが不思議。悪いことに、午後からのメンバーが少ないというので、結局午前と午後付き合うことになってしまった。それでも、私の身体はとても丈夫で優秀らしく、調子が悪かろうと、それをあまり感じさせずに乗り切れるタイプ。なんとかかんとか無事終了して帰宅したのだけど、家に帰りつくなり頭痛は「ズキズキ」から「ガンガン」になってしまった。もう我慢ができずに、頭痛薬を服用。30分後、少し痛みが治まったので夕食準備ができたのだが、食後にまたガンガンが始まった。ふと気付くと、肩がバンバンに張っている。電動肩たたき機でしばらく肩を叩いてみても、ちっとも楽にならない。仕方がないので、夫にお願いして肩を揉んでもらう。最初は全然痛みも感じなかったけれど、次第に「効くー」という感じなり、やがて「イタッ!」と感じてきた。痛いのに肩が軽くなるのって、とっても不思議だ。あー、肩を揉んでくれる人がいるって、本当にありがたい。久しぶりに(?)、夫に心から感謝したことだった。
2003年11月06日
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某研修会で事例発表をするため、前日のパソコン疲れを引きずって、電車に乗るために駅へ急いだ。ホームのベンチで電車を待っていると、目の前を顔見知りの少年が歩いていく。あれ・・と思いながら、「○○君!」と声をかけると、「あー、□△さん・・」と寄ってくるなり、「もう、ダメ・・」と顔が歪んだ。・・・・それからの約40分近く、電車の中で色々彼の話を聞いた。「人の一生は重き荷物を背負って歩くが如し」と誰かが言っていたが、若くても(いや、まだ子どもの部類だ)色々な荷物を背負わされて生きなくてはならない人がいる。私も時間のゆとりがないので、とにかく話を聞いて少しでも彼の心の荷物を軽くしてあげたいと思ったのだが、聞いたとしても私の手助けできることはほとんどないのが現実。「私にできることがあったら言ってね」と別れたのだが、その言葉の虚しさもまた感じている。・・という心の疲れを上塗りして、研修会場へ。こちらの方は、・・まあ、こんなものだろうという感じ。事例発表となると、やはりそれなりに「こうやっています」という感じにならざるを得ない。言葉では一言で終わってしまう背景に、悩みや不安や失敗や恥が渦巻いているのだけれど、限られた時間ではそのようなことには触れずに終わってしまうのが常。でも、発表後のフロアからは、色々な質問やある種の批判も相次いだ。他人のことであれば、質問などが出る発表は、それだけ聞いている人にある種の刺激を与えているという意味で、「良い発表だ」と思う私なのだが、まな板に乗っているのが自分自身となると話は別になってくる。手が上がるたびに「ビクッ」とヒビリ、(どうかうまく答えられる質問でありますように・・)と祈る気持ちになる。そして、やっとのことでそれが一段落したら、(どうか、もう手が上がりませんように)と願ってしまう。やっと時間がきてお役ご免になった時は、ドッと疲れてしまった。知っている人や見知らぬ人の何人かに、「良かったよ。本当にお疲れ様」と声をかけられて、とにかく責任は果たしたという安堵感が、やっと心を落ち着かせてくれた。本当はさっさと帰宅してバタン・キューと布団に入りたいのに、何とこの日は、もう一つ夜の会合に出なくてはならなかったのだ。時間に間に合うように大急ぎでそちらに移動。こっちの方は参加しているだけでいいのだけれど、とにかく沢山の人達と顔を合わせ、それなりの会話をしなくてはならず、途中からは頭痛を耐えながら無理やりの笑顔を作り続けていたという感じ。やっとのことで帰宅したのは、九時過ぎ。・・と、そこに留守電が・・・。嫌な予感があったので、できれば無視したかったのだが、緊急かもしれないとやはり電話をしてみた。やっぱり予感どおり、あまり良い電話ではない。とにかく善後策での電話のやりとりや、関連のある人にメールを出したりなどで、お風呂に入れたのは十時過ぎ。最近まれにみる、とても疲れた一日だった。
2003年11月05日
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ある研修会で発表しなくてはならない。とってもとっても、気が重い。今日はその原稿をパソコンで打ちながら、気分転換にたまっていた日記を書いたりしていたので、結局ズーッとパソコンの前に座りっぱなし。実に不健康だ。自分たちのやっている活動のことについて話すのだから、気が重いこともないはずなのだが、やっぱり気が重い。色々な思いがあるけれど、それを言葉に出すと何だか違うものになって勝手に飛んでゆくような気がするのだ。言葉はとっても大切なものだけれど、時にはとても虚しく感じることがある。自分の発している言葉自体が、うそ臭く感じることもある。それが「言葉の限界」だと理解していても、「なんだかなー」という感じなのである。・・と、グチャグチャ言っていても仕方がない。自分なりに言葉に心をこめるしかないな。
2003年11月04日
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「普通」という言葉が使われている時、私は時々考えてしまう。何が普通なんだか誰もはっきりと説明できないのに、「それが普通だよ」と言われたらそんなものかと思ったり、自分ではまっとうだと思っていても「普通はそんなこと言わない」とか言われたら、何だか心細くなって、自分が間違っているのではないかと思ってしまったり・・。まあ、大抵の場合は「多数派」が普通の範疇となるようである。・・ということで、「普通の国家」という言葉である。今では「憲法第九条」を頑固に主張していると、何だか普通じゃないような論調さえ見られる。私は、憲法は改憲論議されて当然だと考えているのだが、「戦争放棄、軍備および交戦権の否認」という九条だけは、何とか保持して欲しいと考えている。はっきり言おう。私が九条は平和のために重要な思想だと思うのは、「直感」である。しかし、自分の直感の根拠を論理的に述べたいと思っても、悲しいかなそれができる力量がないので、結局「空想的ロマンチストの感情的な主張」みたいになってしまいがちだ。現に、日本が「普通の国家」としてアメリカを初めとする大国と肩を並べ、責任ある立場をとらなくてはならないと考える人たちは、九条を主張する人達を普通ではないように批判したりもしている。多数派が正しいと決まったものではないのに、どうして「普通でない」というような曖昧な言葉で批判するんだろう。この国で、「普通」で何かが主張される時ほど、危ないことはないのでははないだろうか。ついつい悔し紛れに、そのように天邪鬼な言い方をしたくなるのだが、それでは同じ穴のムジナかな。私はできれば周囲と協調路線で、「普通の傘の中」でぬくぬくと生きて行きたいタイプなのだが、どうも希望と現実は違うみたいで「普通じゃない」と言われてしまうことも多い。だけど、そのように言われることを必ずしもイヤだとは思っていない。だから憲法九条についても、私は「普通じゃない国家」で頑張ってほしいのだけど、いまやそれを主張するのはあの社民党と共産党くらい。どうも、分が悪いな・・。
2003年11月03日
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お天気が良いので、孫達と一緒に少し足を延ばして、札幌市のはずれにある「滝野すずらん公園」http://www.takinopark.com/ に行ってみることにした。この公園が造成されていることは知ってはいたけれど、行ってみてビックリ!その広大さは想像をはるかに超えていて、まずビックリ!子供達が喜びそうな「子どもの谷」にたどり着いたら、またまたそのスケールの大きさにビックリ。まったく北海道と言うところは、以前に行った「モエレ沼公園」もそうだったけれど、「これでもか!」というような広大さを感じさせてくれる。まあ、北海道にはまだまだ原始林が多いから、それを自由に使ったらこのようなこともできるということだ。この日は、気象上の歴史的にも珍しい「小春日和」で、気温も20℃近くあったと思う。3歳の孫はもう夢中になって汗だくで遊びまわる。大きな滑り台や、「ありの巣トンネル」「ありの巣ドーム」「ふわふわエッグ」など、時間がいくらあっても足りない。さらに、陽気に誘われて来場者もどんどん増えて、当然子どもの数も増える一方。アリならぬ子ども達がうじゃうじゃ走り回り、ちょっと目を離すと我が子を見失ってしまう。三歳半の孫は結構慎重な(臆病な)タイプで、今までは親の姿をいつも確認しながら遊ぶほうだったので、私たちは注意をしながらも、さほどの心配はしていなかった。また、見知らぬ子どもと仲良く遊ぶことも「今まではなかった」ので、それも油断の一つであった。ハッと気がつくと、その孫の姿が見えなくなっていた。ちょうど一歳の孫が遊びつかれて母親の腕の中で寝てしまったので、私がベビーカーに移して子守をするためにバトンタッチしていたほんの僅かの時間のことであった。それから約15分、お嫁さんがアリの巣トンネルの一つの出口で発見した。孫に「どうして一人で違う場所に行ったの?」と聞くと、(見失った時には、アリの巣ドームの滑り台で遊んでいた)「お友達と一緒に行ったんだもん。一人じゃないよ」と答えたそうだ。つまり、滑り台を何回も行き来しているうちに、少し年長の子供達と仲良くなって、その子達と一緒にアリの巣トンネルに移動したらしい。つまり今日は彼にとって、「遊び友達できたよ記念日」と「迷子記念日」となったのである。これからはもっと注意深く子どもを見ていないと、本当に見失って大変なことにならないとも限らない。お嫁さんと孫の成長を喜びながら、心配も次の段階に入ったことを感じた日であった。
2003年11月02日
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お嫁さんが、タイヤ交換のために孫二人を連れて来た。息子家族が住む町はここより北で、なおかつ田舎なので、そろそろ雪が降ったり路面が凍ったりする危険性があるのだ。私の実家は何でもつっ込んでおける物置小屋があるので、タイヤなどかさばるものはそこに保管してある。わざわざ二時間近くをかけてこちらに来るのだから、当然泊まっていくわけで、結局連休の3日間は孫のお守に明け暮れることになる。本当は、ちょっと予定が狂って内心焦っている部分もあるのだけれど、「おばあちゃーん!」なんてしがみつかれると、私個人の都合などぶっ飛んでしまう。お嫁さんは、何かと都合をつけてこちらに来ることを楽しみにしている様子。世の中には、息子をお嫁さんに取られたと嘆く人も少なくないようだから、私は本当に幸せな姑ということになるのだろう。肝心のタイヤ交換のほうは、夫にお任せである。11月になると、いつ雪が降ってもおかしくはないのだから。
2003年11月01日
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