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●国会議員の国民年金納入状況を開示して欲しい やっぱり、福田官房長官をはじめ、ゾロゾロ未納者がでてきた。追求していた民主党の管代表まで、それも厚生大臣の時にというのは、間抜けというかお粗末だったが、この際、国会議員は全員ご自分で調査していただきたい。 先日の日記で私は、未納や空白状態があったとしても同情するとは書いたけれど、自分が国民年金について物申している人たちに対しては、「勘違い」「仕方がない」「事務上のミス」「人に任せていたので」などは通用しないだろう。 たとえばこの私、退職や転職(夫も含め)の時に、うっかりしていて未納時期があったり、過払い時期があったりしたけれど、「時効の期限以内に自分で気付き」、自ら役所に足を運んで手続きをした。その際、役所の窓口では「申し訳ありません。不勉強だったもので・・」と頭を下げ、窓口の人からの若干の軽蔑の態度を受けつつ手続きをした後、「お手数をかけました。よろしくお願いします」くらいまでは言っていた。たとえ、「このコンピューターの時代に、どうして役所の方で自動的にチェックできないのだ?」と、腹立ちが渦巻いていたとしてもである。 手続きをお役所任せにしていて、未納期間をそちらのせいにするとしたなら、それは責任転嫁というものである。もちろん、役所の方でも、理由はともあれ引き受けたからには、ちゃんとした手続きをするのが当然ではあるが。そして私は、もう一つの構図が脳裏をよぎる。役人にとって、「ギイン先生」は文句なく偉いのである。文句なく偉い人に対しては、必要以上の便宜を図るものである。この問題も、「勘違い」ではなくて役人からセンセイへの便宜の一環の側面が皆無ではないのではないか?例えは違うが、我々のような地方都市では、一般庶民が役所にかけあっても門前払いのことが、センセイが間に入って「何とかならんのか?」というと、なぜか何とかなることが多かった。(過去形で書いてあるのは、私が民間福祉団体の職員として働いていた十年前まではそうだったから。今のことは知らない)市議→道議→国会議員と、格が上がるにつれてその効力は絶大である。そのことと、今回の手続き上のミスは、無関係ではないだろう。国会議員が不利になるような手続きを、役所の人間がするはずがないのである。 国民年金に関する法律を議論・決定する立場にある人は、この際きっちりと自分の状況を確かめ、その結果を開示して欲しい。●イラクの自衛隊員は、どんな気持ち? ファルージャの状況には、少しは歩み寄りが見られるようだが、サマワの宿営地の近くに砲弾が撃ち込まれたという。 このような状況の中で自衛隊は、復興支援などできるはずもなく、宿営地に缶詰状態。使命感を持ってサマワに赴いた自衛官達は、今頃どのようなことを考えているのであろう。しかし、彼らの本音は、決して公にされることはない。自衛隊(軍隊)組織のコマである隊員個人は、自分勝手な考えで言動することは許されない。しかし、「自分の考え」を持っていないということはない。自衛隊員になった動機も、人様々である。ふと、思い出す青年がいる。彼は高校時代「ボランティア部」で活動する、心優しい少年だった。五人兄弟の長男ということで、老人施設でのボランティア活動や、福祉関係のイベントの手伝いには、まだ小学生の可愛い弟を連れてきたりしていた。そんな彼が、卒業後に自衛隊に入ることにしたと聞いた時、私はビックリして「どうして自衛隊なの? 福祉の仕事がしたいって言ってたじゃない?」と聞いた。彼は笑顔で言った。「俺の家は貧乏だから、長男の俺がちゃんとした仕事につかないとダメなんだ。俺、頭が悪いから、役所なんかは無理だろう? オレ、身体には自信あるし、入隊したら自動車免許なども取れるって言うし、親も喜んでるし・・。仕事の合間にボランティア活動だってできるしさ」私は、「そうだね、身体に気をつけて頑張ってね」と、自衛隊入隊を祝福した。あの子はもう、30歳頃になっている。卒業以来会う事もないけれど、今頃どうしているだろう。彼のことだからひょっとすると、「サマワに行けば手当てが一杯もらえるし、家族が喜ぶ」と、志願したかもしれない。そんなことを想像すると、私はいても立ってもいられない気分になる。彼が志願しているかどうかはわからないけれど、きっとそんな人もいるだろうと思うのだ。そのような理由での志願を、誰が笑えるであろうか。笑いながら派遣について話し合っている人がいることを知ると、怒りが突き上げてくる。
2004年04月30日
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今日は、美唄市にあるマガンの集結地「宮島沼」に、マガンたちに会いに出かけた。以前から、マガンが夜明けと共に一斉に飛び立つ光景を一度見たいと思っていた。夜明け前に宮島沼に着くためには、我家を午前三時には出発しなくてはならない。ということで、今朝の起床は午前二時半。真夜中である。実家に立ち寄り父と妹を拾って、真っ暗な道を一路美唄へ向う。近づくにつれて暗い空が次第に明るくなってくる。「春はあけぼの やうやうしろくなりゆく山ぎは すこしあかりて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる・・」学生の頃に暗誦した枕草子の一節を、自然に口ずさみたくなるような、美しい夜明けの光景だった。きっと清少納言は、このような夜明けにあの文章を書いたのだろう。私にもう少し文学的センスがあれば、もう少し何か付け加えたいところだけれど、ここは清少納言さんにおまかせしたい。さて、宮島沼に着くと、最初に目に入るのはマガンよりも人の波。カメラを構えた人たちが、あちこちに列をなして待機している。沼から少し離れた駐車場に車を止めて外に出ると、寒気が身体をキリリと包む。ダウンジャケットに帽子に手袋という真冬のいでたちで沼に向う。車を出たとたんに、マガンの鳴き声が唸りのように聞こえて圧倒される。その声だけでも、相当な数の鳥が沼にいることが予想される。入口のたて看板には、「マガン64000羽」と書かれている。(どのような方法で数えたんだろう?)沼が見える場所に行くと、そこには沼を埋め尽くすようなマガンが・・。マガンで沼が黒く見えるほどである。沼に着いて約十分後。急にマガンの鳴き声が騒々しくなり、やがて隊列を作りながら沼のあちこちからマガンが飛び立ち始めた。それが合図かのように、沼全体が波立つように見えたかと思うと、一斉にほとんどのマガンが飛び立ち始め、今度は空がマガンで埋め尽くされたようになった。羽ばたきの音や鳴き声が頭上から覆いかぶさるようで、とにかくそのスケールの大きさに圧倒されてしまった。あれほどの数の鳥達が飛び回っているのに、ぶつかって落ちるような間抜けな鳥がいないことも不思議。「ワーッ! スゴイ! ウワァーッ!」と叫んでいるうちに、あっという間に鳥達は空のかなたに飛んでいってしまった。沼には、約四分の一くらいの鳥が残っていたが、それも少しずつ飛び立っていく。寒気の中で立ち続けていると体が芯から冷え始め、81歳の父の体調のことも心配だったので、全部が飛び立つ前に自動車に乗り込んだ。駐車場の整理をしている男性に聞くと、昼間はほとんど残ってはいないという。「今朝は天気もいいし、最高だったね」と、その男性は嬉しそうな笑顔で言った。彼は毎日ここでマガンが飛び立ち、夕方には戻ってくる様を見ているのだろうけれど、初めて見学に来た私達が感激していることに、自分のことのように喜んでくれる。ああ、この人は、仕事だけではなくてこの宮島沼やマガンたちを愛しているんだなと思い、そのことに心が温かくなった。
2004年04月29日
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☆年金加入記録公表へ 大丈夫なの? と、他人事ながら少々心配しちゃうのは、私がお人よしの証拠かな・・。というのは私自身も就職→退職→主婦→就職→転職→退職→夫の退職→夫の就職という経緯の中で、うっかりしていて手続きを怠っていて空白状態になり、気付いて慌てて払ったり、反対に払わなくてもいいものまで払ったりしていた経験があるから。国の制度というのは何事においても、ほとんどが「申告制」である。それこそ「自己責任」で処理していかなくてはならない形になっている。たとえば、会社に勤めていたら所得税などは天引きされ年末調整がされるのだが、事務職員のミスで所得税を多く払ったとしても、税務署は「払いすぎですよ」と還付はしてくれない。大抵の人は、税金や年金関係の仕事をしなければそのようなことには疎いから、自分が正しく払っているかどうかなど、考えもしないのではないか。だから、多少の空白期間があったり未払いになったりしても、私は同情をしてしまう。ところが制度は冷酷でもあり、うっかりしていたことが、とんでもなく非情な現実を突きつけられることもある。(今回の「未納三議員」もそう思っていることであろう。確信犯には同情の余地はないが)さすがに、この件については賄賂も裏金も効果はないようで、そのことだけは少しホッとしている。まあ、国会議員の皆さんがちゃんと国民の義務を果たしていらっしゃることを願う。☆イラク関連の記事より 第二次イラク派遣命令が、昨日石破防衛庁長官から下された。イラクで三人の日本人が人質になった時、「このような事態は考えていなかった」と思わず口走った後ほとんど口を開かなかったのは、多分「もう失言は許さない」という官邸の意向だったのではないかと勘ぐっているのだが、やっと口を開いたと思ったら「年金未払いでした」という弁明。その同じ口で、昨日はイラクへの自衛隊派遣命令である。もう、この人の顔は見たくないというのが、私の本音。こんな状況で、こんな頼りないトップの命令で派遣される自衛隊員とその家族の気持ちは、いかばかりかと思う。安田純平さんの手記の最終回。 「終始私たちをかばってくれたのが、Bだった。拘束二日目の夜、イラクの暮らし、日本の暮らしを片言の英語で語り合ううちに、「アルグレイブに住め」とまで言い出した。「次はいつ来るのか」と問うBに、「三ヵ月後ぐらいかな」と答えた。少しの沈黙の後、彼は「そのころ、この辺りにイラク人はいないだろうよ」と言った。彼らの闘争には、悲壮感が漂っていた。」 この部分を読みながら、私は熱いものがまぶたに込み上げてきた。このような人たちのことを「テロリスト」と呼ぶことは、今の私にはとてもできない。日本が戦争中、私達の祖父母や両親の世代の人たちは、アメリカ人をはじめとする敵国の人たちを「鬼畜米英」と呼び、竹槍で敵を攻撃する訓練をしていた。その人たちの戦争中の体験談と、安田氏の証言に出てくるイラク人達が、重なり合ってしまうのだ。「武者小路公秀さんに聞く」より 武者小路氏は、大阪経済法科大アジア太平洋研究センター所長(国際政治学)。インタビュー形式の記事で、私は納得して読んだ。道新のホームページでも詳細を読むことが出来ないので、頑張って書いておこう。 人質事件をふり返ってどう思いますか?「人質が解放された時のイラク・イスラム聖職者協会のクバイシ師の表情に、日本人に対する友情、信用があるのを感じました。被害者が大きな危険を冒しながらも、イラクの人たちのために現地に行ったということが理解されたということです。うれしく、こんな日本人がいれば、日本も捨てたものではないと思いました」 事件に関する「自己責任論」でおもうことは?「つまらないことです。(中略) イラクの人たちは、事件で人質になった人のように、無手勝流で危険を共にする人にこそ、仲間・友情を感じたのです。被害者の存在が、自衛隊派遣のばかばかしさを立証している点に、政府は気付いたからこそ、この人たちを許せないのでしょう」 政府の問題だけではないと思いますが。「市民が政府の発言をうのみにしています。米国中心にものを考え、政府を批判する人が現われると、米国に嫌われ後から困るという考えで批判するのです。国際政治の動きを誤解しています。戦争で何が起こっているか見えていないのです。認識の違いです。」 認識の間違いとは?「占領について日本人は、米国に占領されて良かったと思っているふしがあります。でも武力でイラク人を制圧しようとする米国と一緒に行動し、占領政策の一部として、いわゆる戦後復興をしている日本に対して、地元で暮す人たちは、ありがたい行為だと思っていません。」 大型連休明けには、二次部隊も派遣されます。「イラクに大量破壊兵器はなかったか、あるいはあっても使いませんでした。米国は明らかに国際法に違反して、イラクを攻撃し占領しました。そして今、自衛隊は戦闘地域にいるのだからイラク特措法違反だし、派遣を続けるのも違法です。愚かなことはやめた方がいいのです。日本だけではなくて、他の国もイラクから退き、イスラム世界の国々が平和維持活動をする軍隊を派遣することが、自然なことだと思います」
2004年04月28日
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このHPは、もともとは「通信教育体験」をまとめるためのものだった。しかし、最近は日記更新ばかりで、あまり通信教育には関係ないものになっている。4月は「入学の季節」だから、慶應通信に意欲を持って入学した人も多いことだろう。もう、私が在学していた頃とはテキストや課題も随分変わっているだろうけれど、私自身の復習も含めてレポートを見直し、その時々に感じていたことや参考図書の紹介などをしていきたいと思う。今日は、入学して初めて取り組んだ「日本史」のレポートについて、左ページの最後に追加した。関心のある人は、左側をズーッと下がってご覧下さい。(レポートを提出した順に記述していくつもりですが、もしも参考にしたい科目があればお知らせください)。
2004年04月27日
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一週間ほど前に、「この指とまれ!」という世界中の学校を網羅した、会員制のネット同窓会サイトをみつけた。参加無料だというので、早速出身中学校に登録してみた。登録者名簿を開いてみると、私と同期の人の登録は二人だけで、これほどインターネットが普及しているのに意外と少ないのだな・・と思いつつ、もう一人の名前を見ると・・。何とそれは、ずーっと「消息不明」ということで同窓生名簿が空欄になっていた人だったので、本当にビックリ!彼とは小学校の時に同じクラスだったと思うが、中学では同じ教室で学んだことはない。だから、その名前を見ても「懐かしい!」という感じではないのだが、地元に住み続けて万年幹事の私は、住所が空欄になっている人については、何となく気になっていたのである。早速、その人にメールを出すと、数日後に返信が届いた。そのメールによると、家庭の事情もあり中学卒業後すぐにこの地を離れ、その後も転居を繰り返したことで、卒業後に中学の同級生に会ったことは一度もないのだという。だから、ネット上ででも誰かと再会できないかと登録して一年以上がたつけれど、今まで誰にも出会えず寂しい思いをしていたらしい。早速、昨年開催された時に作成された同期生名簿と、その時の写真数枚をカラーコピーして、彼に郵送した。名簿の名前を見て、中学時代の様々な思い出がよみがえったという、お礼のメールが昨日届いた。インターネットがなければ、決してなかった再会である。こちらには親戚もなく、仕事で来道することはあっても、この地に足を運んだことはないらしい。彼にとっては、小中学校の数年間暮らした町だけれど、やはり懐かしさを感じているのだろう。メールによると、家庭的にも複雑な事情があったようで、決して楽しいばかりの少年時代ではなかったようだが、年を重ねるとそんなことも懐かしさに変わるものなのか・・。ともあれ、彼の希望が一つ叶ったわけで、気まぐれに登録してみて本当に良かったと、私も嬉しくなっている。まだ、同期生名簿には住所不明の人が何人もいる。そんな人が登録してくれて、嬉しい再会ができればいいなと思っている。
2004年04月26日
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もう、「自己責任」という単語を使って日記を書きたくはないのだけれど、三人の閣僚の国民年金未納のニュースとその顛末を見聞きしていて、やっぱり一言書いておきたくなった。年金制度は正直に言って複雑なので、転職したり結婚したりしたなら、その都度注意深く届出をしないと、自覚しなくても未納者になっていることがある。だから、この三人の閣僚のような場合も、一般人ならばそのようなこともあるだろうと、多少は同情の余地がある。(制度の不備ということにおいて)しかし、年金問題でずーっと論議されているというのに、「自分はどうなのかな?」と思いもしなかったのかと、その無自覚さにあきれる。同時に、ひょっとすると「確信犯だったのでは?」とすら勘ぐってしまう。(特に、中川氏についてはそう思う)。我々庶民には「秘書」などはいないから、調べようとしたら自分で役所に足を運んだりしなくてはならないが、国会議員の人たちにはご立派で優秀な秘書がついているのだから、ちょっと指示さえしたならすぐに確認できるはずだ。その「チョット調べておけ」くらいも思いつかないなんて、政治的能力も疑ってしまう。追求している議員さんたちも、大丈夫なんでしょうかね。(多分、大丈夫ではないだろう。今のうちに調べて、払える分だけでも払っておいた方がいいですよ)それにも増して腹が立つのは、小泉首相も福田官房長官も、何と身内に甘いことか。(身内どころか、自分に甘いのか・・)このような場合は、我々が「自己責任は?!」と批判するのは当たらないのでしょうか。ひょっとするとあの人達にはそもそも、「自己責任」の意味が分かっていなかったという証拠なのかも。未納三人組も、「辞職するかしないかは任命権者の問題」と、自分の意志は持てないかのような発言・・。はぁー、そういうものですか?●北朝鮮で大事故が起きた。色々な意見もあるだろうが、苦痛にうめく人たちは理屈ぬきで助けてあげたいと思う。同時に、この事故が「金正日体制の崩壊」の前兆であることを願ってもいる。●北海道新聞に、イラクで拘束された安田純平さんの手記が連載されている。高遠さんたち三人も早く元気になって、その目で見たイラクのことを教えてほしいと願う。
2004年04月25日
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義兄の13回忌のため、朝から出かけた。法事が執り行われるお寺は、丘の上にある。お寺というのはどこもそうなのかもしれないけれど、とにかく寒い。最近は、厚手のタイツのうえにジーパンやパンツを身につけているので、久しぶりのスカートと(厚手のではあるが)ストッキングでは、足元がスースーして風邪をひきそうだった。義兄は、50代前半に消化器系の難病にかかり、入退院を繰り返して、最後の一年半は点滴で命をつないで力尽きて逝った。その闘病生活は、見ていても本当に辛かった。何が可哀想だと言って、口から食事ができないことが一番に気の毒だった。入院し点滴で栄養補給をされていたのだけれど、食事時には当然食べ物の匂いが流れてくるし、隣のベッドでは食事をとる姿も見える。「あー、ラーメンの汁でもいいから飲みたいナー」と、冗談めかして言った言葉が忘れられない。本人はまだ若いから、辛抱して必ず元気になって見せると強い意志で闘病していたのだが、とうとう憧れのラーメンのつゆすら口に含むことも出来ずに、苦痛の中で死んでいった。その時のことを思い出すと、今でもこみ上げてくるものがある。当時、私の息子達は高校生だった。幼い頃からこの叔父さんにとても可愛がられていた息子達は、いつも私達と一緒にお見舞いに行った。「元気になったら、パットゴルフ(子どもも楽しめるゴルフに似たゲーム。最近は見かけない)に行こうな」と、ベッドの上でいつも約束していた。次男が修学旅行で、京都から「般若心教」の巻物入りの、お守りのようなお土産を買ってきたのだが、苦しくなるといつもそれをブツブツと読んでいたそうだ。元気な頃には、普通の日本人的な宗教心だけの人で、特定の宗教に帰依している人ではなかったのだが、辛くなった時には、そのようなものにもすがりたくなったのであろう。「これ唱えていると、何だか元気になるような気がするんだ」と、弱弱しい笑顔を見せてくれたのは最後のころだったかと思う。手術をしても体力が落ちていたので傷口がふさがらず、最後の一ヶ月は点滴や膿排出の管、排尿の管エトセトラ・・。身体に何本ものチューブが絡みついた状態で、お見舞いに行ってその姿を見るのも辛かった。家族は、これ以上治療しても回復は無理だとはわかっていても、そのチューブのたった一つでもはずすことが、即「死」につながると思えば、どうしても「楽にしてあげて」とは言えなかった。その当時はまだ二十代だった長男も、今では40代のおじさんになって、法事を取り仕切っていた。私にしてみれば、つい昨日のことのように思うその日が、もう13年も前のことになったことに、正直驚いている。葬儀の日、学生服姿で涙を流しながらお棺をかついだ息子も、もう二人の子の親になっているのだ。まだまだ生きたかった人の分だけ、命を与えられているものは大切に日々を暮らしたいものだ。「法事」は、あの世から生きているものへのメッセージを受け取るための時間なのかもしれない。
2004年04月24日
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人質になった人達に対するバッシングへのまっとうな批判をあちこちで見聞きするようになったので、もうこのことについては触れないことにしようと思ったのだが、今朝の新聞やリンク先の日記を読んでいるうちに、書きたいことが出てきてしまった。☆さすが北海道の知事、よく言った!三人のイラクでの人質被害者家族に、北海道東京事務所を提供していた高橋はるみ知事は、「実費以外に経費の請求をするつもりはない。職員の残業代や施設の管理費は、業務としての経費」と言ってくれた。このこと自体は特に賞賛することではないのだけど、政府の人たちの見当違いの言葉を見聞きしていた今は、何だかホッとして嬉しくなってしまった。もう一つ、今北海道の警察関係者を震え上がらせている「裏金疑惑」について、この事件が発覚した当初、道警本部長が否定したことを支持するような対応をしたことについて、「先を見通せなかった」と率直に反省の弁を述べている。これも、間違いに気付いて反省しただけのことで、人間としては当たり前のことであるが、その当たり前のことができない人があまりにも多いので、「偉い!」と拍手をしたくなる。今は、当たり前のことをこのように取り立てて賞賛しなければならないんだな。心して、当たり前のことを見つけて褒め称えていかなければ・・。☆東京犬さんの日記で紹介されていたサイトこれは、とても痛快であり、かつ共感できた。多くの人たちに読んで頂きたいと思う。藤原新也さんの「人質バッシング」への見解http://www.fujiwarashinya.com/talk/2004_0416.html
2004年04月23日
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今日からは、少しは心温まることを書いていきたいと思いつつ、外出ついでにグルリとサイクリングをしてきた。私の住む場所は、少しばかり自転車をこぐとすぐに郊外になり、自然一杯の田舎になってしまう。住宅街の家々の庭ををチラチラと横目で見ると、クロッカスなどの白やピンクや紫が、春の訪れを感じさせてくれる。住宅街を過ぎると河川に出る。土手にはフキノトウの黄色が、目に鮮やかに飛び込んでくる。雪解けと共に顔を出す福寿草はもう終わりで、ヒョロヒョロと情けない姿・・。(お勤め、ご苦労さんでした)山から流れてきた雪解け水で、川の流れもたっぷりと豊かに輝いている。牧場もある畑作地帯に入ると、耕された土や肥料の匂いが漂ってくる。広大な畑のはるか向こうには、真っ白な残雪を被った山並みが見える。この季節の北海道の山々は、本当に美しい。青空と木々の緑と、青い山々の山頂を縁取る白い雪と・・。この季節になると、北国に住んでいる幸せを心から感謝する。数日たてば、エゾムラサキツツジやレンギョウの花が一斉に開くことだろう。そして間もなく桜やコブシの花も開花して、今はまだ殺風景な森や林が、ぼんぼりが一斉に灯ったように明るく華やかになってゆく。春の気配や空気を胸いっぱいに吸ったら、何だか心が軽くなったような気がする。さあ、気持ちを切り替えて、良いことを探していこう。
2004年04月22日
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昨日、別のサイトの掲示板に私が書き込んだ言葉を、日記代わりに書いておく。このサイトは、「私の親しい仲間部屋」なので紹介しないことをお許しください。*******************今回のことで、私は人間の心の弱さのようなものをつくづく感じました。バッシングしている人たちは、なぜにあのように堂々と「弱い者いじめ」のような発言が出来るのか。それは、政府首脳がそのように言っているからです。もしも小泉首相が「彼らは悪くない。政府はこのような勇気ある日本人がいることを誇りに思う。その人たちを救うために全力を尽くすのが私達の使命だ!」と言い切ったなら、あのようなバッシングをしないだけではなく、「小泉首相の言うとおり! 彼らは偉い!」と、彼らをヒーロー扱いしたかもしれない・・。つまり、いかに「強い方につかなくては」と戦々恐々としているかということで、そのような人たちはとても弱虫なのではないかということです。そして、あのように勇気ある行動(それが多少慎重さに欠けていたとしても、少なくてもバッシングしている人たちよりは勇気がある)ができる人たちでも、人の心の冷たさや言葉の凶器に対しては、あれほどに怯えてしまうということです。それを「心の弱さ」と言ってしまうことは適当ではないのでしょうが、「心は傷つくのだ」ということを、お互いに理解したいものだと思います。ただし、心は人によって傷つくけれど、人の思いやりによって必ず癒され、さらにパワーアップできる可能性も秘めているということを忘れたくはありません。あの三人とそのご家族が、一日も早く元気な笑顔を見せてくれることを願います。【追記】良くも悪くも、権力を持つ人の言葉の影響力は大きい。自分の言葉の与えた影響について、小泉首相や福田官房長官はよく考えて少しは反省して欲しいけれど、無理なのだろうな。今回の事件について「怪しい、怪しい」と言っていた人たちから、その言葉を撤回して反省する言葉も見られないどころか、まだ最初の想像的思い込みに固執しているみたいだ。私は、少なくても「自作自演」については全くのデマだと思うし、ビデオで「恐怖を演出」されたとしても、その時の彼らは充分に怖かったと思う。「自作自演の噂」も官邸周辺からとの話もあるけれど、事実はどうなのだろう。家族の態度が世間を怒らせたというけれど、そんな世間に私はずっと腹を立てている。世間はそんな人ばかりではないということを伝えたくて、この一週間はこんなことを書き続けた。でも、もういささか疲れてきたので、この話題については今日限りにしたいと思っている。
2004年04月21日
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昨日の日記は、新聞の転載を二つしたのだけど、それがこのような数字に繋がるなんて、ビックリと嬉しさといささかのガッカリ・・。つまり、私自身の言葉の説得力のなさが証明されたような気が・・。まあ、それは自分でも自覚しているので、今更ガッカリすることでもないのだけれど。日記リンクしている「秀0430」で紹介されている「松沢呉一●黒子の部屋687」(msk222さんも日記で紹介している)で書かれていることは、今回のことについて私がずっと感じてきた釈然としない不快感を、実にわかりやすく説明している。まずは、それを読んでいただきたい。それでもまだ拉致された人たちやその家族をバッシングする人たちは、ご自分が思っているよりもずっと理解力がなく、かつ非論理的だということに、少しは気付いて欲しい。そして私も、なかなか説得力のある文章が書けないということに情けない思いをしている。それでも、こうやって毎日ここに日記を書き、「論理的な文章」の数々に触れ、自分とは異なる論理を垣間見て自分の考えを検証することで、少しずつでも説得的に言葉を使いこなせるようになりたいと願っている。そしてまた、今回の様々な意見を読んでいて痛感していることは、少なくても誰かを個人攻撃するような言葉は使いたくないということだ。「言葉は凶器になる」と東京犬さんが書いているが、全くその通りである。イラクで拉致されて解放された3人が深く傷ついているのは、多分日本の人たちの心無い言葉の数々ではないか。PTSDになるとしたら拉致されたことそのものよりも、日本政府や顔の見えない人たちの誹謗中傷による心の傷のような気がしてならない。そしてまた、必死で家族の命を救いたいと頭を下げ続けた家族の人たちは、もろに批判を受け続けていたのだから、そのことによる疲れや心の傷も心配だ。実は、私がリンクしている別サイトの掲示板にも、昨夜心ない書き込みがあった。高遠さんの実家のある「千歳の住民」という名前で、彼らのこととからめて、不登校や引きこもりの人たちに対する誹謗中傷であった。間もなく管理人によってその記事は削除されたけれど、きっとあの人はあちこちのサイトに、手当たり次第に今回の被害者へのバッシングを書き込んでいるのだろう。とても心寒い気がしている。気になっているのだが、「自作自演論」はどうなったのだろうか。そのような無責任な憶測情報を流し続けた人の責任は問われないのだろうか。もう一つ書いておきたい。とにかく5人は無事に帰国した。しかし、まだ多くの日本人がイラクに仕事で残っている。自衛隊員の皆さん達だ。この人たちもまた、使命感と派遣希望を出したという自己責任でイラクに赴いた。彼らがもし捉えられたなら、あの5人のように「武器を持っていない民間人」ということで解放されることはないだろう。イスラム聖職者協会だって、その場合には解放のための尽力など望むべくもない。スペインは撤退を決めた。日本も即時撤退せよ、とまでは私は言えない。私は、同じ道民であり市民である自衛隊の人たちが、一日も早く無事で帰ってきて欲しいだけだ。そしてまた、その手に持つ武器をイラクの人たちに向けて、間違ってでも罪のない一般の人たちを傷つけることがないようにと祈るばかりだ。
2004年04月20日
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私が購読しているのは「北海道新聞」である。北海道の地方紙であるので、北海道関連の記事が多い。今回の人質事件で、最初に解放された三人のうち二人が北海道の人であったこともあり、この新聞は終始三人の無事を願い、家族の心情を思った報道をしていたと思う。同時に北海道には、サマワに自衛隊を派遣している部隊が各地にある。当然、同じ道民である自衛隊員の無事な活躍を願う気持ちは、日本中で一番強いのではないだろうか。その北海道新聞の今朝の朝刊に、黒田記者が書いた記事があった。これを読んで、今の私の気持ちとピッタリと重なるので、少し長くなるが引用しておくことにする。北海道出身の二人にだけ言及した記事であることは、この新聞の地方性を考慮してお読みいただきたい。(北海道新聞のHPを捜したが、現時点でこの記事を見つけられなかったので、一所懸命にパソコンに打ち直しながら、何度も込み上げるものがあった)「活動、必ず理解得るはず」高遠さんら人質事件を取材して(報道本部・黒田理) 18日夕、高遠菜穂子さん、今井紀明さんらが関西空港に到着した。高遠さんは終始うつむき、弟修一さんの背に隠れるように歩いた。今井さんはしっかりした足取りだが、表情はこわばっていた。 喜びの帰国のはずだが、二人に笑顔はなかった。 疲れもあるのだろうが、解放後に噴出した「自己責任」批判が、重くのしかかっているのだろう。 私は3月中旬から三週間あまり、イラク南部サマワで陸上自衛隊の活動を取材後、アンマン(ヨルダン)とドバイ(アラブ首長国連邦)で、高遠さんら人質事件の解決を見届け、同じ飛行機で帰国した。 高遠さん、今井さんは取材を通じて以前から知っていた。高遠さんはバクダッドで路上生活をする子ども達の世話をしてきた。薬物中毒の子供達に手を差し伸べる人は、高遠さんしかいなかった。 高遠さんが拘束されている間、私のところに彼女がサマワで一緒に仕事をした人権団体メンバーの男性(30)が、何度も電子メールを送ってきた。「ナホコを救い出す」と、彼はバグダッドまで行き、有力者との面会を求めた。彼女を慕い、救出を願ったイラク人が大勢いた。 解放直後、中東の衛星テレビに彼女が映った。「(今後も)活動を続けます」と言って、「イラク人のことを嫌いになれないです」と涙声で語った。 高遠さんの頭には、彼女を待つバグダッドの子ども達の姿があるのだな、とその心情を思った。 ところが、そうとは思わない人も少なくはなかった。「自覚を持って欲しい」(小泉首相)など非難が集中した。自民党には「遊泳禁止の札が立っているのに、泳ぎに行ったようなものだ」との批判もあった。 最近、イラクに入国した人ならば、危険回避の難しさは身にしみてわかる。私が襲われていても不思議はなかった。イラク入りの判断が正しかったかどうかは検証しなければならないが、そもそも、海が荒れた原因は何か。米国主導のイラク戦争ではなかったか。日本政府もそれを指示し、賛否が割れる中で自衛隊を派遣した。 高遠さんは、波間で苦しむ子どもを救おうと、あえて荒れる海に入った。荒れていなければ、入ることもなかった海へ。 サマワでは陸自を歓迎するムードがある。派遣隊員も真っ黒に日焼けし、砂まみれになって作業を続けていた。その努力はなみだぐましいほどだ。 だが、米軍の激しい攻勢を受けるバグダッドやファルージャを中心に、日本政府の対米追従姿勢に反発し、陸自を「占領軍の一部」とみなす人が多い。人質事件の犯行グループが「自衛隊の撤退」を要求したのもそのためだ。 混乱の続くイラクの人たちが日本に期待するのは、日本政府の活動ばかりではない。高遠さんのような個人や非政府組織(NGO)が中立の立場で、小さくても地道な活動を続けている。そのことが草の根レベルで日本への信頼感を増している。自衛隊駐留に反発する人々の心さえ、日本につなぎとめている。 16日、ドバイの病院前で、私が「高遠さん」と呼びかけると、高遠さんは一瞬笑顔を見せたあと、すぐに泣き顔になり、頭を深く下げた。無事な姿を見て、私は「よかった、本当によかった」と、取材記者の立場を忘れて思った。 高遠さん、今井さん。お疲れさま。いろいろと「批判」はあるけれど、多くの人はあなたたちの活動を理解してくれるだろう。だから、もう、頭を上げて。 *************************北海道新聞より、さらにローカルな「室蘭民報」のコラムを転載します。これにも共感しています。「個人と国家」 四月十五日、イラクで拉致され人質になっていた三人の日本人が無事解放されました。一週間に及ぶ監禁状態は情報の乏しい中最悪の事態も想像されただけに、その無事を確信した時の家族の安堵の表情に、関心を持ち続けた人たちもほっとしたことでしょう。この事件で、イラク戦争が身近に感じた人も増えたに違いありません。 その間、真綿で首を絞められるような恐怖心を抱きながら無事を祈り続けた家族のもとに、心ない中傷や罵声を浴びせた輩がいたという報道もありました。 人の不幸を見て「ざまあみろ!」とあざける卑劣な行為も世の常ですが、決して許されるものではありません。 現在も二人のジャーナリストが拉致(編集者注・日本時間十七日午後解放される)されているとのことですが、彼らはプロであり戦火の中で取材するのは「死」をも覚悟した上での行動とはいえ、それでもなお無事を祈るのは当たり前の人情です。人命の重さを痛感します。 今回の事件は、退避勧告が出ている戦乱のイラクで、ボランティアとして市民の中に入り市民と共に生きたいと切望した日本人が、「人質」としての価値を持つという事実を、国民に突きつけました。 止むに止まれぬ志と使命感の強さが、状況判断を誤ったことは否定できません。天候の異常を察知して山に登らず引き返す決断が本当の勇気であると考えれば、ボランティアの個人の意思は尊重されながらも、その個人の自己責任が問われることは必然です。 個人の想いで行動することは、「私発」というボランティア活動の原点です。何事もなければ、個人の活動として終始したのですが、「人質」となった瞬間に「個人」ではなく「日本国民」としての存在が問われ、個人と国家との関係を如実に象徴した事件となったのです。 それは、個人レベルの想像や行動の範疇を越えて、個人が国家間ないし民族間の争乱に巻き込まれたときには、簡単に戦略として「利用」される存在となるのです。その行為が卑怯だという倫理観では、決して解決されない現実を突きつけました。平和を当たり前の生活環境として享受し、その価値の重さに気づかない日本人に衝撃を与えたのです。それが戦争本来の姿であると。それは、「テロ」という言葉で一方的に相手の非を責めてきた「つけ」を払うことでもあったのです。 ボランティアは、想いも活動もそれぞれですが、「よきこと」をしているという善意を強調するだけでは、安心かつ安全の保障にはなりません。受け止める相手やその環境状況の判断を誤ると、「からまわり」したり「押しつけ」や「自己満足」とも映る危険性をはらんでいます。また、今回の事件では、拉致したグループから自衛隊の撤退要求が出されたことで、今後日本の国や国民がイラクに対してどのような支援がベストなのか、事態の進展を見極めながら論議されなければなりません。 さて、NHKのニュースの中で、「ボランティア活動家」と紹介されていましたが、「活動家」という表現には違和感を感じます。「活動家」というこわもてのイメージを付加することは不要です。私は、「ボランティア」です。(NPO法人北海道ボランティアコーディネーター協会 鳥居 一頼)
2004年04月19日
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日本人5人が解放され人質もいない今こそ、日本政府には本気でこの問題を広い視野で考えて欲しいと願っていたので、このNHKスペシャルは関心を持って視聴した。この一週間の報道のありかたやスタンスにかなり疑問を感じていたので、まず「やっとバランスの取れた番組を見ることができた」と安堵した。某週刊誌が、人質が解放されていない時点で被害者のプライバシーを偏見に満ちた姿勢で取材していた一方で、このような番組を作るために取材をしていた人たちもいるということに(そのことは当然なのだが)、安堵している。さて、番組の中のアナン事務総長の言動を見ていて、さすが国連事務総長をするだけの人は違うと思った。また、イラクの国づくりに国連が関与していく現地リーダーとして派遣されているブラヒミ国連特別顧問にしても、国連政治局選挙支援部のカリーナ・ペレリ部長にしても、世の中には尊敬できる人も数多くいるのだという、これまた当然のことを具体的に示されて、救われたように思っている。まあ、あの位置にいる人たちを私達と同列に見ることはそもそも無理なのだけど、日本にも明石さんや緒方さんが同じ様に活動していらっしゃったのだと、あらためて思い出した。このところ、主にネット上でではあるが、日本人の心の狭さや卑しさにうんざりすることが多かったので、この番組でやっと私自身の心のバランスが取れたように感じている。アメリカも、やっと自分達の「力」だけではどうにもならなくなり、国連との協力路線に方向をシフトしてきている。日本はやっと当たり前のことをアメリカに対して言える状態になったはずだ。法治国家として、そして世界でも特筆される憲法を持つ国として、当たり前の主張をしていってほしい。
2004年04月18日
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昨日の小泉首相以下の人質解放後のコメントを聞いていて、不思議でならないことがあった。色々な事情があっても、あるいは主義主張や立場が違っても、お世話になった人に「ありがとうございました」くらいは普通の人間なら言うだろうに、政府関係者からイラクのイスラム聖職者協会のご尽力に対して、キチンとした感謝の言葉がなかったことだ。三人のご家族は、胸が痛むくらいに感謝とおわびを繰り返しているのと対照的だ。今朝の新聞で、聖職者協会のクバイシ師が、「我々の方が日本政府よりも人質のことを考えていた」という批判的な言葉が報じられていたが、人質が解放された時すぐに、聖職者協会に対して政府の責任ある人が心からの感謝の言葉を伝えていたら、ここまで言われなかっただろうと思う。また、その仕事に携わっている人が奔走するのは当たり前な話で、それを「人に迷惑をかけておいて・・」などと言うなんて、論外だと思う。さらに、「どれだけお金がかかったことか」などよく言えると、あきれて開いた口がふさがらない。クバイシ師はさらに、「日本政府は人質がおかれた状況を知るために、我々と接触しようとしなかった」と言っている。これが本当だとするなら、「あらゆる手段を使って24時間体制で、情報収集や協力要請をしている」と言えるのか?クバイシ師には、三人の解放後に日本の複数のメディアが電話インタビューをしている。政府がコンタクトできなかった(しなかった)とするなら、どんな理由があるのだろう。また、その程度の仕事しか出来ない外務省官僚を雇っている方が、よっぽど税金の無駄ではないか?日本政府のひどい言い方の数々にプンプンしながらネットを開くと、リンクしているk-nanaさんの日記で、嬉しい言葉を見ることができた。アメリカのパウエル長官の言葉だ。「危険を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを、日本人は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない」パウエルさんから言われてしまったよ! 小泉さん。彼の言葉の中には言外の意味もあるかもしれないけれど、でも、それがまっとうな人間の、そして政治家の言葉だと思う。政治家であるならば、あらゆることを視野に入れて、新たな敵を作らないように配慮すべきだと思う。強い方ばっかり気にしていてはいけないはずだ。救われたような情けないような、複雑な気分だ。私は、三人の行動が全面的に適切だったとは言ってはいないし、彼らを必要以上にヒーローにするのもいかがなものかと思う。ただ、少なくても今までの世間の論調は、大変な状況にある人に対してあまりにも冷淡であることに憤りを感じている。勇気を持って行動したことがたまたま失敗したからといって、「自己責任だ、身勝手だ、それみたことか」というような礫(つぶて)が四方八方から飛んでくるとしたら、危険よりも何よりも、そちら(世間)が怖くて何も出来なるではないか。失敗した時にこそ大きなものを学ぶチャンスだし、くじけそうになる人に対して親身に、「これからはここに気をつけよう。でも、君の志や発想は素晴らしかったよ」と励まされてこそ、次の行動への勇気やステップアップした行動へと繋がるのではないか。何か問題が起きた時に一番辛い思いをし、自責の念や反省に駆られるのはまず本人だ。その人たちを寄ってたかって非難する(ほとんどいじめ)ような人たちこそ、反省して欲しいものだ。(でも、決してそのようには思わないんだろうな・・)自分達の置かれている状況が正確に把握できていない時の言葉尻をとって「あれはけしからん」なんて、もしも自分が言われたらどんな気分がするか考えてみて欲しい。(あー、でもその程度の想像力もないから言えるのだな・・)それから、週刊新潮が三人のことや家族について中傷めいた記事を掲載しているらしい。私は読んでいないのだが、まだ解放されていない頃にそのような記事を準備していたのかと、気分が悪くなる。今の日本には「情報」から「情(なさけ)」がすっぽりと抜け落ちているようだ。
2004年04月17日
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昨夜は、9時過ぎに「3人が解放」のニュースが入ってから、テレビに釘付けになっていた。それらの感想についてはひとまず置いておいて、まずはイスラム聖職者協会のクバイシ師など、今回のことで尽力してくださった人たちに心から感謝をしたい。テレビでクバイシ師に笑顔で声をかけられて涙ぐむ高遠さんの姿に、滅多に涙が流れないクールな私も気がついたら涙を流していた。高遠さんがどのような気持ちで涙を流したのかはわからないけれど、私の涙は、クバイシ師の人間的な大きさを感じてのものだったと思う。さすが聖職者協会のリーダーだと感じたのだ。彼は少数派であるスンニ派のリーダーであるが、多数派のシーア派との連携を呼びかけているようだ。イラクの人たちにとっては、アメリカを中心とするイラクでの軍事行動は、とても納得できるものではないだろう。人々にとっての心の拠りどころとも言えるモスクを攻撃するなどは、私などですら「それをテロと言わずに何と言うのだ!?」と思うのだから、イラク人にとっては宗派の違いを超えて許せないことになるだろうし、それに対しての抵抗運動は当然のなりゆきだと、私のような素人でも思う。(蛇足だが、人質をとって何かを要求することを正当化しているわけではない。誤解されると困るので、念のため・・)そのような中で、アメリカに加担している日本と民間人とをキッチリ分けて考え、人質の解放を呼びかけ続けてくれた聖職者協会と、それを支援してくれたイラクの人たちに「ありがとう」を何万遍も言いたい気持ちだ。武装グループが、自衛隊の撤退要求声明を三人に託したこと、そしてクバイシ師が「ファルージャの状況を日本に伝えて欲しい」と言ったことは、当然のことである。まだ二人の日本人の行方が気にかかるが、こちらも無事に解放されたなら、本気で日本政府も「冷静に日本のあるべき姿」を考えて欲しいと願う。今回のことで、「自己責任」ということが随分言われていた。そのことの重さをどのくらい自覚して、三人やその家族を批判していたのだろう。批判している人の自己責任とは何なのだろう。他人に自己責任を説くならば、自分の責任のあり方も同時に深く考えて欲しいものだ。(特に、責任ある立場の人には強く言いたい)今回のことで、私達は多くのことを考え学んだはずだ。一人の行動は、一人の命は、決してその人だけのものではないと言う事を・・。人間は意識するか否かに関わらず、みんな繋がりあって生きている。私は、人間の一番大切な仕事は「あの世からお迎えが来るまで生き続けること」だと考えている。だから、どんなに思想信条が違おうとも、他の人の命を軽んじてはならないと思っている。人の命が徹底的に軽んじられるのが戦争だ。だから、戦争を正当化する人は、実は自分の命も軽く見ているのだと思う。
2004年04月16日
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朝刊を見ると、また日本人ジャーナリストが拘束されたようだ。三人の拉致問題で日本がこれほどワーワー騒いでいて、極論したら世論が二分されているわけで、イラクのレジスタンスであれ身代金目的であれ、この日本人を利用(活用)しない手はないと思うだろう。やっと小泉首相も、「テロ」と言わず「抵抗勢力」と多少の配慮をした物言いになってきてはいるが、彼のお得意の「冷静な判断」をするならば、今のイラクの状況は「戦後」ではなく「戦時中」であることは明らかなように思われるのだが・・。三人の被害者家族が連日のように会見を開くことが出来るのも、言い換えれば日本はまだ「戦争状態にはない」という証であるが、このような被害者がどんどん増えてきたならば、メディアも追いかけきれなくなるだろうし、何よりも数の上からそれぞれの命の意味はどんどん軽くなっていくのであろう。そして、「被害にあっているのはあんただけではない。国益や正義のためなら、多少の犠牲はやむなし」という論調が強くなったとするなら、それはまさしく戦時下状況ということになるのではないだろうか。もうすでに、「自衛隊は復興支援に行っている」という言葉も、何だか虚しい響きを漂わせてきている。原点に立ち戻って欲しい。日本は戦争に加担することを憲法で禁じている国なのだ。自国の防衛のためにだけ活動できるのであって、他国の紛争に加わることは絶対にあってはならないのだ。もう一つ、つぶやきたいことがある。高遠さんたちの活動について、「志はわかるが、なぜ危険なイラクなのだ? 日本にだって活動の場はあるではないか」という意見も、時々見られる。こう書く人は、彼らの行為を一応は認めながらの発言なのだと思うけれど、それはボランティア活動をしている人の気持ちを知らない人、もっと言えば、本当のボランティア活動をしたことがない人の言葉だろうと思わざるを得ない。一度でも、自分の中の突き上げる思いに動かされて、損得抜きでボランティア活動をして、その時に出会った人々との心の交流の喜びを味わった人ならば、高遠さんや今井さんの行為を理解できるだろう。私は、何かのボランティア活動に関わるきっかけは、「出会い」だと思っている。それは人との出会いかもしれない。一枚の写真かもしれない。テレビの映像かもしれない。いずれにせよ、その出会いによって自分の心が突き動かされて、身体を動かさずにはいられなくなったから、結果として関わることになるのだと思う。そこに共通するものは「感動」である。その感動を知った人ならば、彼らの行動を単なる無謀と切り捨てることはできないだろう。高遠さんや今井さんは、イラクと出会ってしまったのだ。今井さんはまだ若いから何とも言えないけれど、多くの紛争地域で活動をしてきた高遠さんは、この時点でイラクに入国することを不安に感じなかったはずはない。でも、「イラクの子供達と約束したから・・」と、彼女は出発した。私にはその気持ちがとてもよくわかる。人間同士として心が通じ合い喜びを分かち合った仲間がそこに待っていると思ったら、彼女は出発せずにはいられない人だったのだ。そんな彼女の気持ちはわかるような気がするけれど、私にはできない行為でもある。私はもっともっと自己防衛本能が強くて、危険が怖くて、たとえ約束を破ることにどんなに心が痛んでも、自分の命を守る方向に動くだろう。どちらが良い悪いではない。それぞれの体質・気質が違うということだけだ。このような状況の時にたとえ約束を守れなくても、彼女のイラクの仲間達は責めはしないだろう。そんなことも重々わかっていながらも、彼女は行かずにはいられない人だったのだ。私はそんな三人を、日本人として誇りに思っている。今井さんのお父さまが、外国人記者に「なぜ息子さんがイラクに行くことを止めなかった?」と聞かれ、それまでの経緯を説明し「息子を誇りに思う」と答えて、記者を感動させたという。それがまっとうな人間の感覚ではないのか。私は自衛隊のイラク派遣には反対だったし、今は自衛隊がまともに復興支援できる状況にないと思うが、自衛隊の皆さんの志もまた尊いと思っている。そして、この状況でイラクに居続けなくてはならない隊員を、気の毒だと思う。(以上、午前中に記す)【もう二つ追加・・】(午後三時半に記す)北朝鮮から拉致被害者5人が帰国して、もう一年半。それなのに、彼らの状況は何も変わっていないという。北朝鮮で25年間家族との再会を待って、帰国してまた家族を待ち続けて・・、想像することも恐ろしいような日々を送っている。本当に国は「精一杯」やっているのだろうか・・。鷺沢萠さんの死は、やはり自殺だったそうだ。最初に新聞記事で「心不全で・・」と書いてあったのを見て、ひょっとすると・・と感じていた。才能も美貌も兼ね備えて生まれても、それが単純に幸せとはならないのが人間の複雑なところだ。でも、とても残念である。ここを乗り切ったらきっと新しい地平が開けて、また違う作品が生まれたのではないか。生き続けるよりも死んだ方がよほど楽に思う日は、長い人生の中では多いことだろう。でも、人間は相当なことでも乗り越えられるものなのだ。彼女の死に触発されて、迷っている人が「私も・・」と思わないことを祈る。どうしても死にたい時は、身近な誰かに「死にたい気分なの」と伝えて欲しい。そう言われた人は、「何言ってるの、ガンバレ」なんて言わずに、「私を哀しませないためにだけでも、とにかく生きていて欲しい」と言ってあげて欲しい。「あなたが死んじゃったら、私は本当に辛い」・・と。本当は人間は自分から死にたくないものなのだ。自分が生きている価値がないと思い込むから、「死ななくちゃ」と思ったりする。たった一人でも自分を必要としてくれる人がいると実感したら、何とかもう一日だけ生きてみるかと思うかもしれない。身近な人が自殺したなら、それは想像以上に辛いことなのだ。
2004年04月15日
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昨日は所属しているグループの会報を作成し印刷してきた。今日はその発送作業を終え、午前中にポストに投函してきた。気がかりなことを一つ終えて、ホッと一安心。この2日間はとても良い天気で、北海道にも春がやってきたという実感。外出ついでに、自転車で近所をひとまわり。市内を流れる川に添ったサイクリングロードを走ってきた。今日は少し風があるけれど、運動不足のこの身には多少の負荷がかかった方が良いだろう。イラクの問題はどうなるのだろう。高遠さんの実家のある町は、私の住む町と同様の「自衛隊城下町」。彼女のご両親やご家族がどのような仕事をしているのかわからないけれど、家族が人質になっているという心配だけではなく、様々な意味での不安や苦しみがあるのではないだろうか。お昼のテレビを見ていたら、カンボジアで亡くなった戦場カメラマン・一之瀬泰三氏のお母さんが電話のインタビューに答えていた。その言葉を正確に覚えてはいないのだが、息子の生死がわからない不安の中でとても励まされたのは、「(きっと)大丈夫だよ」という言葉だったようなことをおっしゃっていた。藁をもすがりたい気持ちの身内には、何の確証もないそんな言葉でさえ、励ましになるのだな・・と思った。私などはつい、そのような無責任な励ましはできないと思ってしまうが、このような場合には許されるのかもしれない。小・中・高校と同級生だった幼馴染から、転勤通知が届いた。やんちゃ坊主だった彼は意外なことに(失礼!)教師になり、今春とうとう校長先生になってしまった。どちらかというと「ガキ大将」に近かったので、小学生の頃のおとなしい私は彼が苦手だった。でも、やんちゃと同時に正義感が強いところがあり、人をいじめるようなところはなかったから、みんなに好かれていたと思う。管理職に近づくにつれて仕事が忙しくなってきたようで、もう十年以上もクラス会や同窓会には顔を見せていない。色々な意味で校長の仕事は大変だろうと思う。でも、彼らしさを失わないで、子供達に好かれる校長先生になって欲しいと願っている。
2004年04月14日
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私の住む町には自衛隊の駐屯地があり、自衛隊員やその家族が多いことだけではなく、自衛隊に関係して(あるいは依存して)働いている人も多い。だから、防衛に関することや自衛隊に関することを話すことはタブーに近いものがある。自衛隊のイラク派遣の頃にも、表立ってこの話題で話をすることはほとんどなかったし、ましてやその賛否について論じることもなかった。私はこの日記や掲示板で色々書いてはいるが、日常生活の中でこのような話をすることはほとんどない。しかし、さすがに今回の事件では、「まだ解放されないね・・」「国って冷たいね・・」という会話もされている。今日は、某団体の役員会があったのだが、その話し合いが終了するとすぐに「まだ解放されないんだろうか・・」という話になった。たまたま今日は、自衛隊家族の人がいなかったせいもあり、結構この話題で熱く語られた。もちろん私も、この数日この日記に書いてきたようなことを話した。みんなの意見が一致したことが、いくつかある。まず、「まだ情報収集をしている、何もわからない」と言うと同時に、「自衛隊は撤退させない」と言い切った政府の態度への失望である。せめて「様々な方法を視野に入れて、冷静に判断したい」くらいは言えなかったのだろうか・・と。それから、この時期にアメリカの副大統領と握手をし、「支援を依頼する小泉首相」に対する失望。せめて、アメリカの行過ぎた掃討作戦に対して苦言を呈するくらいはできないのか・・と。そして、イラクで起きていることはもはやテロではなく戦争なのだから、自衛隊が支援をする前提がそもそも崩れているということ。そんな話で熱くなった後、一人が言った。「もう、あの能面面(ヅラ)の閣僚達の顔は見たくない!」その言葉に、私も何人かの顔を思い浮かべて「まったくだ・・」と思った。本当に、どの人もこの人も、表情を失ったような顔をしている。(このような時だからというわけではなさそうだ)もちろん、政治にはポーカーフェイスも必要だろう。政治家だけではなく、私だって日常的にポーカーフェイスを使い分けたりしている。だが、しかし、ちょっとした目の動き言葉の端などに、その人の人間性を垣間見ることはできるものだ。私は、小泉首相を最初の頃は結構評価していたけれど、この頃少し「見損なっただろうか・・」と思い始めている。また、一人が言った。「本音では、自衛隊員の家族は早く撤退して欲しいと思っているだろうね・・」まったくだと思う。どのような事態になるかわからない場所で、自分の夫や息子など身内がいると思うと、どんなにか不安なことだろう。一刻も早く3人が解放されてから、本気で日本がどうするべきなのかを考えて欲しい。
2004年04月13日
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昨日は留守にしていたのだが、ずっとニュースを気にしていた。そして今朝、期待を込めてテレビをつけたけれど、まだ朗報を見ることはできない。イラクでは、日本人以外にも多くの人たちが誘拐されているらしい。そして、現在は停戦状態のようだが、拉致されたと思われる地域ではアメリカの攻撃がイラクに対してなされている。そして、多くのイラクの罪もない人たちが、それによって命を落としている。どの人たちにもそれぞれ家族があり、今、三人の家族達が味わっているであろうと同様の苦しみを味わっているはずだ。イラクはまさに「戦争状態」であると考えた方が良いだろう。つまり、一部のテロリストの問題ではないということである。戦争下では、冷静な狂気が全体を覆っていく。イラクはそのような状態であろうと思う。日本はとても大変なところに足を突っ込んでいることだけは確かだ。三人の無事を祈ると共に、これ以上の戦争の犠牲者を出さない方向を冷静に判断してくれることを、各国のリーダー達に願うばかりだ。
2004年04月12日
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イラクで人質になった三人は、今頃どうしているだろう。彼らはきっと、それなりの覚悟でやむにやまれぬ思いでイラクに向かったのだと思う。そして家族も万一の事態を覚悟しながら、彼らを送り出したのだと思う。色々な意見があるけれど、いくら覚悟をしていても、自分や身内の命が奪われようとしている瞬間に、「助けてくれ!」というのを誰も責められないはずだと思う。彼らの写真やビデオを見てしまった今、私は理屈ぬきで彼らを何とか助けられないのかと思うのだが、さて何ができるだろう。昨日から、複数の知人から首相や防衛庁にメールを送ろうという呼びかけメールが届いた。手っ取り早くできることといったら、多分そのようなことなのだろうが、私はそれらの行動を取らずにいる。なぜそれをしないのか、すぐにそれをする気になれないのか・・、つまりは自信をもって「こうすべきだ」ということが見つからないからなのだ。自衛隊を撤退すればそれでいいのか・・。私はもともとあの時点での自衛隊派遣に反対だったから、これを機会に撤退してもいいのではないかと心の半分では思うのだが、それが最良の選択かとは確信が持てない。つまりは、私もまた無責任などっちつかずの外野席にいるということを感じている。そんな私ができることは、ただ祈るのみだ。そして、祈りの方向はただ一つ。彼らを拘束しているメンバー達が、思い直してくれるようにと願い続けている。三人は決してあなた達の敵ではない。あなた達が憎むアメリカの片棒をかつぐ日本に所属はしているけれど、あなたたちの国のために役立とうとしている仲間なのだと。あなた達が三人に苦痛を与えることは、決してあなたたちの願いをかなえることには繋がらず、むしろ反対の結果を招くことなのだと。そしてもう一つ、三人に対して願い続けている。あなた達の勇気ある行動は、決して間違ってはいないと。そして、日本人のほとんどがあなたたちの無事を祈り続けているのだから、決して諦めずに拘束しているメンバーに対して、ご自分達の願いを伝えようと努力して欲しいと。私は、人間の祈りや思いの力を信じたい。だから、拘束しているメンバー達が、冷静に判断して三人を解放してくれることを祈っている。
2004年04月10日
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昨夜は夕方からなぜか頭痛が激しくなり、九時頃に横になった。一眠りして少し楽になったので、11時頃に起き出してテレビをつけると・・。「イラクで日本人3人が誘拐され、3日以内に自衛隊を撤退させないと殺害する」というニュースが飛び込んだ。これからの経緯がとても気になるが、今はその時と今朝の気持ちを正直に書いておこう。まず、ニュースを見たときの率直な気持ちは「ああ、とうとうこんなことが起きたか」というもので、もちろん誘拐した相手への怒りは覚えるけれど、なるべくしてこのようなことが起きたという感じだった。そして、福田官房長官の「自衛隊は撤退させない」という言葉に、どうしてこの時点でこのように言明するのかと、そっちの方に怒りを覚えた。状況がわからない時点でこのように断言することは、「犠牲もやむなし、見殺しにします」と言っていると同様に感じたのだ。ぶつけようもない怒りを抱きながら再度布団に入り、色々と考えてしまった。三人の内で、今井さんと高遠さんは北海道の人であり、新聞などでその活動の一端は知っていたから、きっとご両親はやりきれないだろうと、そちらの方に気持ちが向いていた。私は、自衛隊を派遣するなら、どうしてこのような民間人を護衛するという活動が加わらないのかと思っていたのだが、今回のニュースでいよいよそんな気持ちが渦巻いていた。そして今朝、新聞を読んでまたまた驚いた。「防衛庁は民間人の拘束は想定外だった」と書いてあるではないか。「ウッソー!」というのが最初の感情。自衛隊とは、国民と国土を守るために存在したのではないのか?自衛隊を派遣する時に、「自己完結できる唯一の組織」と石破防衛庁長官は言っていたと思うが、結局は「自衛隊と親分(アメリカ)組織」を守ることだけが自衛ということだったの?考えてみれば、日本の軍隊が本当に国民と国土を守っていたことなんて、そんなになかったのかもしれない。第二次大戦の終盤の沖縄戦でも、日本軍が民間人の服装でゲリラ戦を行ったから、アメリカ軍は民間人と軍隊の見分けることができず、結果として多くの沖縄の人を巻き添えにしたと聞いた。軍隊組織にとっては、民間人は取るに足らない存在なのか?幸いにもまだ日本は、自衛隊を「軍隊」と言い切ってはいないし、憲法九条だってまだ現役だ。そこに私は望みをつなぎたい。自衛隊の撤退も選択肢に入れながら、三人を無事に救出することに全力を挙げてもらいたい。【追記】上の文章を書いてから、あちこちの関連サイトや掲示板を見て回った。色々な見方があるのは想像していたけれど、あの三人を「平和ボケ」だの「自作自演」だのと書いていることには、正直言って情けないというか腹が立つ。ことの真偽はわからないから、その主張が実は正しいということもありうるけれど、書かれている語調からは「無責任な野次馬性」が立ち上ってくるからである。たとえ平和ボケであったとしても、少なくても高遠さんや今井さんは、自分の信念を危険を承知で行動に移したのだ。その信念や思いの強さを知っているからこそ、家族は無事を祈りつつ送り出したはずだ。そして今、我が子の命を助けたい一心で、必死に国に対して「助けて欲しい」と頼んでいる。それのどこが「身勝手」なのか。「今更そんなことをするくらいなら、行かせるのを止めるべきだった」なんて、外野席の無責任なヤジにすぎない。たとえ心の中で思っていても、そんなことを堂々と言わないでほしい。恥を知らない平和ボケは、どっちだ!
2004年04月09日
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年を重ねるごとに、「ご縁」という言葉が身にしみるようになってきた。生まれてから今日までに、何人の人と出会ってきたのかわからないけれど、ご縁がなければその出会いはその時限りのものになっているような気がする。「ああ、いい人だな。ずっと付き合っていきたいな」と思ってもいつのまにか疎遠になる人もいれば、「あまり仲良くしたいわけでもない・・」と思っているのに、気がつけばン十年の付き合いになっている人もいる。初対面のつもりで色々と話しているうちに、共通の友達がいたり遠縁だったりしてビックリすることもある。そんな時には、「縁のある人とは出会うことになっているのかも・・」と思ったり、「他生の縁かも」と思ったりする。また、初対面でも初めて会ったような気がしなくて、何だか懐かしい感じを受ける人もいる。こんな感覚は私だけのものではなく、結構多くの人が感じているのではないだろうか。さて数年前、「きっと前世では姉妹か親友だったんではないか」と思う人との出会いがあった。彼女とは、行政から委嘱を受けた○○委員同士として出会った。それ以来気が合って、私が関わっている会の協力者にもなってもらい、いつのまにか強力な助っ人→同士へと絆が深くなってきた。私は基本的に、公的な場で出会った人とは適当な距離を持って付き合うようにしているので、彼女に対しても多少クールに付き合ってきた積りだ。(たとえば、二人だけでおしゃべり目的のランチなどはしないなど・・)しかし心の底では、お互いに役目を離れたときには、本当の友達として遠慮なく付き合いたいと思っていた。ところが、この4月から彼女は行政の嘱託職員として働くことになったので、○○委員も辞職することになった。これからは公的な部分でのつながりがなくなったので、堂々と彼女とプライベートな友達関係になることができる。早速昨日、彼女の経過報告も兼ねて食事をしたのだが、その笑顔を見詰めながら、もしも「前世」というものがあるなら、きっと強い絆で結ばれていたことだろうと思ってしまった。(梨木果歩の小説に多少影響されていると思うが・・)彼女も私も長寿の遺伝子を持っているようなので、これからの半生は彼女と語り合うことが多いのだろうと思う。どちらが先にあちらの世界に行くことになるかわからないけれど、別れる時にはきっと、「生まれ変わったらまた会いたいね」と言うような気がしている。さて、もっとも縁の深い出会いであったはずの夫には、同じ様にいえるかな? 「生まれ変わっても夫婦になろうね」なんて・・。うーん私は、兄と妹、あるいはボーイフレンドくらいがいいな。二度も夫婦をやるなんて、チョッピリシンドイ。いやいや、そう思っているのは夫の方であろう。「妻にするならば、別の人がいいな・・」とね。そういえば、とても手のかかる夫に対して良妻賢母を頑張り続けている知人が、夫から「生まれ変わってもおまえと結婚したい」と言われて、「私もだよ」とは答えられなかったと言っていた。「俺じゃダメか?」とムッとされて、当たり障りのない返事をしながら、「冗談じゃない、今度はもっと優しくて協力的な人と結婚したいよ!」と思っていたとか。それを聞いてみんなで笑ってしまったが、そう思っている人も多いことだろう。でも、夫婦になるほどの縁を紡いでしまった相手とは、きっとまた来世でも出会うのでしょうね。
2004年04月08日
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☆塾に行かない息子を母親が絞殺子どもを育てていたら「カッとなる」ことは多い。そこまでは私もとても理解できる。しかし殺してしまうとなると、やはり常軌を逸していると思う。それも「塾に行かない」ことが原因となると、死んだお子さんがとても哀れだ。母親にしても、カッとなって我を忘れた状態だったはずだから、これからが地獄の日々だと思う。母親が子どもに必要以上に当たってしまうのには、背景に別の問題が隠れていることが多い。人間関係、理想と現実とのギャップによる葛藤、百人百様のストレスを上手に解消できずに爆発したということが多い。私も子育て中はずっと仕事をしていたので、仕事・子育て・家族との関係など、それらがゴチャゴチャになって、何度も「キレた!」という感じがあった。次男が低学年の頃、なかなか足し算や引き算がのみこめず、担任から「少し家庭で手伝ってあげてください」と言われて、食後に教えていたことがある。当時、仕事上でも悩んでいることがあり、子育てと仕事の両立にボロボロになりかかっていた私は、息子に教えながら情けなくなってしまって、つい「どうしてわからないの!」と声を荒げ、そんな自分にまた自己嫌悪になりボロボロと涙が出てきてしまった。私は、普段は人前で涙を出せるタイプではないのだが、あの頃は精神的に鬱状態に近かったのではないかと思う。大人になった次男と昔話をしていた時、「あの時、お母さんが泣いてしまって、本当に嫌だったなー」と言われた。あまり物事に執着しないマイ・ペースの息子なのだが、その時の私の態度はよほど強烈な印象を与えてしまったらしい。本当に申し訳なかったと「そうだったの、悪かったね」と謝ってから、「はっきり覚えてはいないけれど、決してあんたが情けなくて泣いたわけではないよ。色々なことが重なり合って、自分がやりきれなくてあんたに当たったのだと思う」と言い訳をしてしまった。そんなことは、その時ばかりではなく、何度もあったように思う。それでも私は息子を殺すまでには至らなかった。本当に良かったと思うと同時に、このような事件の報道を見るたびに、ここまで行く前になんとかならなかったのかと、心が痛むのである。☆北海道警察、弟子屈署の裏金を認める・・が前弟子屈署次長の証言に基づき道警は裏金を認めたけれど、やっぱりというかなんというか、すべてをこの次長の責任に押し付けた形の認め方である。こんな言い訳を、今の北海道民の何人が信じるであろう。このような態度をとっている限り、警察の信頼は決して取り戻せないと思うのだけど、組織というものは本当にどうしようもない。どんどん内部告発者が出て、自己崩壊するしかないのだろうか・・。正義感と倫理観を持つ(元)警察官、立ってくれ!
2004年04月07日
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英語を幼児のうちから教えることについては、私は多少批判的な立場である。まずは「日本語」での「読み、書き、会話」の力をつける方が大事だろう・・という意味で。しかし、英語など外国語で話す人と触れ合うのは、早いに越したことがないと思っている。その延長線上での英会話ならば、大賛成なのだ。私の長男家族の住んでいる所はとても田舎なので、幼児の英会話スクールなんてないはずだ。それでも、外大で出会った息子夫婦は英語の歌のCDを購入して、よく孫達に聞かせているらしい。先日遊びに来た孫が、その英語の歌を歌うのを聞いて驚いた。4歳とまだ2歳にならない孫達が、見事な発音で歌っているではないか。もちろん、二人とも意味はわかってはいない。ただ、音楽として耳から聞いたものを声に出しているだけだ。なるほど・・、こんな方法もあるか・・と思った。息子夫婦は外大で出会った先輩・後輩の間柄だが、子どもの頃から英語に親しんでいたわけではない。勉強としての「英語」が好きで、好きだから英語の成績が良くて、結果として英語を勉強したという二人である。だから読み書きはできても、会話の方はさほど得意とは言えないらしい。そんなこともあって、幼児の頃から英語に耳を慣れさせておこうとしているらしい。実は、その長男が四年生の頃、近所に子供向けの英語教室ができて、勧誘の人が訪問して来た時に息子は「行きたい、行きたーい」と叫び、私も「それならば」と通わせたことがあった。しかし、年齢的に外で遊ぶことの方がずっと楽しい時期で、私も当時は仕事をしていたので、何度もサボる息子に業を煮やして、一年ほどで辞めさせた。彼が英語を好きになったのは中学生の頃からで、本人曰く「あの英語スクールは、記憶にもない」とのこと。だから、長男自身が英語の早期教育には疑問を感じているのだが、好きな音楽を通してなら話はまた別だということなのだろう。さて、最初に「英語などを話す人との出会いは早いに越したことはない」と書いたのは、私の苦い経験からである。私は北海道の田舎で生まれ育ったので、成人するまで外国人と直接接したことがない。だから、初めて外人と出会ったときには、生来の気の弱さもあって本当に戸惑った。特に、肌の色が黒かったりすると、近づくのさえ怖かったのだ。外国人とわかる人が前から歩いてくると、つい顔をそむけたり、用もないのに別の道に曲がったり・・。われながら本当に情けない反応をしてしまったものだ。そんなことをされたら、相手の外人さんもどんなに不快だったことだろう。そんな私が、今から十年ほど前に、断りきれない義理で留学生のホームステイを引き受けることになったときは、「なんで私が・・」と思った。でも、引き受けたからには仕方がないと覚悟を決めたのだが、その日々は驚きと感動の連続であった。そして、外国人といっても同じ人間だという当たり前のことを、やっと私は体得し始めたのだ。また、文化や習慣の違いというものは生活の細部にわたり、かつそのことは考え方の違いにもつながるということも・・。そんな当然すぎることを、その時まで私はわかっていなかったといえる。だから私は、できるだけ早いうちから違う文化や言葉に接して、お互いの違いを認めながらも自分を主張する経験を積んで欲しいと思うのだ。孫達が大人になる時代は、今よりももっと社会はグローバル化していることだろう。外国語は英語に限らないけれど、これから世界の中の日本人として生きてゆくためには、母国語以外にも自由にあやつれる言葉を獲得しておくのは良いことだろう。しかし、やはり基本は「日本語」だということは忘れないで欲しい。言葉はその国の文化そのものなのだから。
2004年04月06日
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私は長年、NHKの大河ドラマのファンであった。多少「つまらないな・・」という気持ちがよぎっても、長年の親友とのお付き合いのような気分も混じって、律儀に見続けてきたのである。ところが、今年の「新選組」では、とうとうそんな私もついていけなくなってしまった。それでも、前回までは何とか見ていたのであるが、とうとう昨日は何かとバタバタしていたせいもあり、完全に見なかった。見逃した時にはBS放送で見るのが私の行動パターンであったが、それもする気にならなかった。結構若い人達には評判が良いようなので、「年のせいだろうな・・」と、時代の流れについていけなくなった自分を苦笑いで見つめている。どうして面白くないのか? うーん、あまりにも現代ドラマ的かつ漫画的だからでしょうね。あの時代は、若い人達には「昔話」なのでどんなアレンジもいいのかもしれないけれど、私達以上の世代にはリアリティーの残っている話だし、それなりの「新撰組(新選組ではない)」や近藤勇、土方、沖田など有名メンバーのイメージや知識もあり、切り口の違いはOKでも、あまりにも戯画的になるとどうもねえ・・。近藤勇役の香取慎吾君は頑張っていると思うけれど、「香取大明神」の掛け軸なんかが掛かっているのをみちゃうと、ゲーッという感じがしてしまい、ユーモアの使い方が違うだろうと白けてしまうのは、どうにも止められない。【追記】Romduolさんから、「香取大明神」の掛け軸は、道場ならどこでもかけてあるというご指摘を受けました。私は全く知らなかったので、「ギャグ」と思い込んでしまったのです。無知とは怖いものですね。でも、私のような無知による思い込みも、世の中には多いことでしょう(このことに限らず・・)。それを一つ一つ確認して完璧を追求するのも私には不可能なので、無知を披瀝することを恐れず、思うことを書いていきたいと思った次第です。今後も、遠慮なく「事実の間違い」は指摘してくださいね。ついでに、朝の連続ドラマも然り。これも、時計代わりにずーっと視聴している番組なのだが、今回の「天花」は今のところ「つまらない予感」。出演している俳優はそれぞれ個性もあり好きな人が多いのだけど、どうも漫画的というか・・。それでも、これから少しずつ慣れて行くのかな・・。韓国の人気ドラマ「冬のソナタ」が日本でも始まったそうで、今日のお昼のワイドショーで主演俳優のぺ・ヨンジュンさんの来日騒ぎを報じていた。たしかにとても素敵な人だとは思うけれど、女性達のあの大騒ぎには本当にびっくり。どんな内容のドラマなのかわからないのだけど、女性達の熱狂ぶりを見てしまうと、何だかつまらなくなってしまったのは、私も相当に天邪鬼のようだ。今までの理想であった「素敵なおばあちゃん」になるのは無理かもしれないけれど、ひょっとすると「魔女ばあさん」には向いているかも・・。
2004年04月05日
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この本は、知人が「面白かったよ」と言っていた作品である。図書館に行った時に何度か探してみたのだが、人気があるのかいつも貸し出し中だったが、買い物のついでに書店に立ち寄ると文庫本が見つかったので、つい購入してしまった。夜中に目が覚めてしまったので、睡眠薬代わりに読みはじめたのだが、想像以上に面白かったので読み切ってしまった。ジャンル的には「ファンタジー」になるのだろうか。主人公の中学一年生のまいは、不登校になったことをきっかけに「おばあちゃんの家」に滞在することになる。そこでのおばあちゃんとの生活が、感受性の豊かなまいの心に、様々な栄養と力を与えていくというような物語。おばあちゃんは「魔女」の血を引く血筋で、まいもまたその血統の流れをくんでいるので、おばあちゃんのアドバイスや指導に従って「魔女修行」をするのであるが・・・。なかなかに含蓄のある内容であり、おばあちゃんの生活の仕方や言葉の中に、人間というものに対する作者の考え方が色濃く表現されている。そしてそれは、私が現在感じていることとかなり共通点があり、知人がこれを私に勧めてくれた意味もわかったような感じがした。人間観、人生観、死生観。それが、とてもわかりやすい言葉とエピソードで描かれていて、今まで梨木香歩の作品を読んだことがなかったことが残念なくらい・・。それと同時に、「おばあちゃん」の役割というものにも考えさせられた。私も遅ればせながら魔女修行をして、孫に「魔女」と呼ばれてみたいものだ。
2004年04月04日
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今朝、カーテンを開けると銀世界になっていた。やっと道路の雪もなくなり、春だと嬉しくなっていたのに・・。トホホ・・である。今日は孫達がやってくる。上の孫は、先週買った「自転車(補助輪つき)」に乗って遊ぶことを楽しみにしているらしいが、この雪は孫が来るまでに融けてくれるだろうか。陽射しは暖かいので今日中には融けると思うが、またベチャベチャ道路になるはずだから、洋服が汚れることだろう。昨夜は、札幌ドームでの日本ハムと西武の初試合。野球にあまり関心のない私も、記念すべき北海道を拠点とする野球チームの初試合なので、テレビで観戦した。このところ負けが続いていたというので心配していたが、勝てて本当に良かった。北海道も「日本ハム&新庄効果」で元気になるかな・・。勝投手になった金村の「なまら最高です!」という北海道弁を使ったコメントに、北海道に早く溶け込もうとする意欲を感じて嬉しくなった。私も、一度くらいは札幌ドームに観戦に行こうかしら・・。(私は自慢ではないが生まれてこの方、野球観戦はしたことがないのだ)☆ひょっとすると今日か明日には20000アクセスに達するかな?誰が踏んでくださるのか、ちょっと楽しみ・・。(自分だったりして・・)
2004年04月03日
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私は自分がスポーツ音痴であるせいもあり、スポーツには興味があるほうではない。ましてや、普段はあまりテレビでも見ることのない「テコンドー」については「無知」であり、オリンピックなどで見たことがある程度である。多分、私のような人も多いのではないだろうか。そんな私ですら、今回の岡本選手がオリンピックに行けるかどうかということについては、注目せざるを得ないでいる。ザーッとインターネットで事の成り行きを見た限りでは、スポーツマンシップとは程遠い次元でのドタバタに、テコンドーまっしぐらで頑張ってきた岡本選手が巻き込まれ、かつ自分の力で勝ち取ったはずのオリンピック出場が危ぶまれているらしい。もう、岡本さんが可哀想でならない。テレビで数度彼女のインタビューを見たけれど、笑顔を必死で保ちながらも、その両眼からは涙が次々とあふれていた。私は「すぐに泣く女」は大嫌いだが、彼女の涙はそんな甘いものではないことがよくわかった。団体の分裂騒動というのは、大抵が個人的な意地や権力の争いであり、大義名分なんて理屈付けでしかないことが多い。(私は両団体については全くわからないので、あくまでも一般論である)このような団体の一般的・本質的目的から見れば、このようなドタバタは本末転倒と言うしかないように思う。こんなことで岡本選手がオリンピックに出られないとするなら、テコンドー関係者はもとより、日本の恥とも言える。ルールを守って戦うのがスポーツであるならば、異論はあろうともルールを守るべきであろう。でも、・・・日本は拡大解釈も得意だから・・どうなるのか。政治的な力によって、ルールが捻じ曲げられないように願う。とにかく、この問題に関心を持つ人ほとんどが、岡本さんの味方であるはずだ。みんなが応援しているから、岡本さんはオリンピック出場目指してトレーニングに励んでください。オリンピックであなたの笑顔を見たいと思います。【この日記は、リンクしているAsMode2003.comさんの日記に触発されて書きました】
2004年04月02日
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日記に何を書こうかとテーマを探していたら、「理想の死の迎え方」というのがあったので、私の死の理想を書いておくことにした。一言で言えば「苦しまないで死にたい」。これに尽きる。親戚の男性は、重症の潰瘍性大腸炎を患い、苦しみぬいて死んでいった。この病気は難病指定されており、根本的な治療法はない(はずだ)。少なくても、十年前は対症療法しかなかった。何と、一年半も口から食事をすることができずに、点滴だけで生きた。スープでもいいから、味のあるものを口から飲み込みたいと言っていた。家族も知人も、「治ったら好きなだけ食べられるんだから・・」と励まし続けたが、とうとうその日は来なかった。「死んでもいいからラーメンが食べたい」と言ったというのに、まだ50代だったこともあり、本人も家族も本気で「死んでもいい」とは思えなかった。少なくても、あのような死は嫌だと思う。どんな病気でも運命だから仕方がないけれど、私は苦痛が続くのだけは勘弁して欲しいとずっと思ってきた。もう子育ても終わったし、若い頃からやりたいと思っていたことはほとんど手をつけたから、思い残すことはあまりない。私はドナーカードを持っているが、それは「脳死では臓器提供をしません」という意思表示であり、ついでに必要以上の延命もいらないと書いてある。(心臓が止まったら、好きなように切り刻んでいただいて結構。私は、心臓が動いているのに死んでいるとは思えないもので・・)そうだ、「苦痛だけは取り除いて欲しい」と書いておこうかな。(もう、書き込むスペースはないかも・・)私の祖母は101歳で死んだので、まったく苦しそうではなかった。昼食後に入浴し、ベッドに戻ってから呼吸が荒くなり、病院からの知らせで三十分後にかけつけた私を待っていたかのように目を落とした。眠るように・・という形容がピッタリで、もしも在宅だったらいつ死んだかわからなかっただろう。そういえば、実家の近所のおじいさんの死も、男性には理想的だろう。多分90歳くらいだったと思うが、毎晩少しだけ晩酌をする人だったらしいが、その夜も食事とともに好きなお酒を少しだけ飲んで、「あー、うまかった。ごちそうさん」と言い、いつものように居間でゴロリと横になりうたたねを始めたという。その後お嫁さんが台所の片づけを終えて、「おじいさん、部屋で寝ましょう」と声をかけたときには、すでにこの世の人ではなかったという。それを聞いたのは私がまだ中学生の頃だったけれど、私もそんな死に方ならばいつでもいいな・・と思ったものだった。それ以来ずっと、そんな楽な死に方をしたいと思ってきたような気がする。苦しまずに死ねるのなら場所は選ばない。絶対に嫌な死に方は、病院のベッドの上でチューブを何本も身体に突き刺されて、なおかつ苦しんで死んでいくことである。もう一つ追加すると、殺されるのはもっと嫌だ。
2004年04月01日
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