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これから、年末年始の忙しさの中に突入します。一年間、この日記を通して、多くの見知らぬ方々と出会い、色々なことを考えさせていただきました。現在のところ、開設以来560日で、日記記入率は82.5%、56970アクセス(約102アクセス/日)となっています。こう書いてみると、慶應を通信で卒業したと同様、自分でも「すごいなあ」と思ってしまいます。誰かが見てくださっているということが、たとえ「たわごと」に近い日記でも書き続ける動機付けとなっているようです。匿名性を大切にしているので、自分がやっていることや家族のことなどは、あまり具体的には書かないようにしているのですが、それでも自分が読んだらちゃんとわかりますので、個人的な日記の役割も果たしています。少し残念なのは、家族にさえもこの日記のことは教えていないので、もしも私が突然の災害で命を失うことになったら、更新されないままにしばらくは放置されることでしょう。この日記の存在を知っている一人の友人は近くに住んでいるので、きっと落ち着いた頃に何とかしてくれるのではないでしょうか。さて、一応この日記、来年も可能な限り続ける予定です。リンクさせていただいている皆様、遊びに来てくださった皆様、本当にありがとうございました。来年の日記には、もっと明るいことを書きたいものだと思います。それでは、来年またネット上でお会いしましょう。どうぞ、良いお年を!
2004年12月29日
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26日に起きたスマトラ沖地震の津波の被害は、ニュースを見るたびに増えている。以下は、北海道新聞のHPから転載。26日に起きたスマトラ沖地震の津波の被害は27日、インド洋沿岸各国で拡大、国際赤十字によると、死者の合計は10カ国で2万3700人に達した。1896(明治29)年の明治三陸地震(約2万2000人死亡)を上回り、地震による津波として史上最悪の惨事となった。日本人は、タイ南部で8人が行方不明となるなど20人以上の安否が未確認。津波の経験が少なく地震・津波の国際的情報網が確立していない各国が直撃され、救援活動も難航、犠牲者がさらに増えるのは必至だ。 ロイター通信が伝えた各国の死者は、スリランカ約1万人、インド約6600人、インドネシア約5000人、タイ839人、モルディブ52人など。約6000キロ離れた東アフリカでもソマリアで約60人、ケニアで1人など死者が出た。被害者数や被害地の惨状の映像を目にすると、約15年前の奥尻沖地震のことを思い出す。何年か後に奥尻を訪れた時、住民の方からその時の様子や津波が襲ってきた時の高さなどを聞いて、自然のエネルギーの強大さに言葉を失った。今回の津波は、その奥尻津波被害などとは規模が桁外れに違う。自然の力の前には、人間なんてチリのようなものである。年末を海外の美しい自然の中でのんびりと過ごそうと思っていたであろう多くの観光客は、自然のもう一つの顔にあっという間に飲み込まれてしまった。天災は、いつどこから降り掛かるかわからない。私達はこれほどか弱い存在なのだと、胸苦しい気持ちで痛感している。☆日記とは無関係ですが、今気付いたことです。今日の9:38:11 に、sowonさんが[56789]番目にご訪問くださいました。キリ番とは言わないのでしょうが、このような数字を見るだけで少し楽しくなる私って、変でしょうか。悲しい事件や災害の中でも、どうぞ小さな楽しみや喜びを見つけて、一日も早く元気になって頂きたいと願うばかりです。【追記】「柳はみどり」さん改め「Light Yellow」さんの日記で、下記のニュースを知った。嬉しかったので、転載します。<インド洋津波>「日本の防波壁が首都を守った」モルディブ 【マレ(モルディブ)福本容子】「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」――。モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は、地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った。 災害対策本部の置かれたマレ市のイスカンダール小学校校庭でボランティア活動を指揮する元オリンピックマラソン選手のフセイン・ハリームさん(35)。彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。するとすぐに答えが返ってきた。「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助のおかげだと聞いている」 その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手のアハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。 大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。南部の海岸通りには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。(毎日新聞) - 12月28日15時32分更新
2004年12月28日
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10日ほど前に、Kさんという方からメールでの質問をいただいた。来年の4月入学に向けて、出願の検討準備をなさっているという。その質問は、出願に際する小論文のことであった。多分、これから出願しようとしている方には共通する疑問ではないかと思ったので、ご本人のご了解を得て、その質問と私のお返事を日記に書こうと思う。ただし、ご本人の希望で、多少の脚色や補足をさせていただきます。【質問】出願に際して、自分の学びたい学問領域に関連する書籍の論評がありますが、私は二冊の日本人論に関する書籍を取り上げたいと考えています。しかし、要求されていることに対して的外れになってしまうのではないか、論文になっていないのではないかと、心配になっております。これから勉強するのですから、あまり専門的になってもいけないのかとも・・。また、教科書から離れてかなりの月日が経っている上に、基礎のまったくできていない英語も、とても心配です。希望と自信のなさとの間で、揺れながら準備をしています。【私の返事】メールにも書かれていたとおり、これから勉強するわけですから、それほど高度な論評を求められているわけではないと思います。なぜその本に興味(関心)を持ったのか、自分の学問的関心分野(心理学.社会学.社会心理学.言語学・哲学・文化人類学などなど)との関係性などや、著者の考え方に対して共感する部分や疑問点など、ご自分の「主観」を大切にして論評なさったらよいのではないかと思います。学問というのは、他の領域とも関連しあっているものですし、初心者にはその区別さえも付かない部分があって当然だと思います。ですから、多少的外れであっても、「何をどうして学びたいのか。自分が考えていることを他人にわかるように書くことができるか」という点が、とても重要だと思います。無理な背伸びをして、自分でもよくわかっていない「他人の論評」を真似たりすることは、慎むほうが賢明でしょう。書類選考で落とされる人もいるとは聞きますが、「基本的な日本語の読み書き能力での選考」だと思います。通信とは言え定員もありますし、入学希望者が多ければ入学動機がはっきりしていて、レポートを書く力がある人から入学許可をされることも当然でしょう。自分の考えを文章で書く力がとても弱ければ、通信教育での勉強を続けることが、とても難しいと思いますし・・。もしも不安ならば、どなたかに読んでもらって、書いてあることがどの程度正確に相手に伝わっているか確かめられたらよいかと思います。そのためには、直接顔を合わせて質疑応答できる人に読んでもらうことです。ご心配されている英語についてですが、HPにも書いてありますが、私の英語の基礎力はゼロに等しいものでした。これは、正真正銘の事実です。ですから、とても苦労したということも事実ですが、「成せば成るもんだ」ということも自信を持って言えます。ただし、その間の「なんでこんなことやってるんだ・・」という、何ともいえない不安感や苛立ちを乗り越えることができるかどうかということでもあります。 まあ、何事もやってみなくてはわかりません。あまり肩に力をいれず、「ダメでもともと」という気持ちで気楽に取り組んでみてください。そのうち「意外と楽しい」と思えたなら、もう卒業にかなり近づいたと言えるでしょう。それでは、また何かありましたら、ご遠慮なくどうぞ。私が入学した1993年にも、小論文の提出はあつた。その時自分が何を書いたのか完全に忘れてしまっているが、多分今よりは入学は簡単だったのではないだろうか。確か、入学した年のスクーリング参加者数は「過去最高」と言われていたと思う。在学生が多すぎると、レポートの返却も遅れるだろう。そんなことで、レポート返却遅延訴訟のような事態にもなったと思う。「慶應義塾大学」はそれだけで知名度も高く、その大学名に惹かれて入学を希望する人も多いのかもしれない。しかし、「ブランド」への憧れだけでは卒業にたどり着くのはなかなか大変かもしれない。自分が大学の学び自体に喜びや感動を味わうことができるか否かが、モチベーションの維持・強化に大きく関係する。だからこそ、自分がどうして慶應で学びたいのかということが明確であることが大切なのだと思う。
2004年12月26日
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前夜は、サンタが希望のおもちゃを持ってきてくれることを楽しみに眠りについた孫であったが、上の孫と一緒に寝た私は、ゴロゴロと彼が動き回るためによく寝られず寝不足気味。寝たのが遅いので、多分七時半過ぎに起きるだろうと予想していたのだが、何と孫の目が開いたのは午前6時頃である。当然、まだ薄暗い。寝不足の私は、もう一眠りしたいと思って孫が起きたのに気が付かぬふりをする。「おばあちゃん?」と小さな声で呼ばれたけれど、私はタヌキ寝入り。しかたがないと思ったのか、孫は黙って布団の中にいる。いつもならば、そのままもう一眠りするところなので、私はそれを願っていた。静かになったので、眠ったのかと薄目を開けると、何とパッチリ開いた孫の目と合ってしまった。「おばあちゃん、サンタさん、来たかな?」「そうだね。来てくれたんじゃないかな」「ねえ、起きて見に行こうよ。ボク、寝られないよ」そりゃそうだろう。これでまだ寝なさいというのは、ほとんど拷問である。それで、二人で居間に下りることにした。寝ていた部屋は2階で、ドアを開けたところにある階段から居間が見える。孫は、頭を低くして、そーっと見下ろす。次の瞬間、彼の顔がパッと輝き、私をふり返った。指でプレゼントの箱を指差しながら、「あれ、見て! プレゼントがあるみたいだよ!」そう叫ぶやいなや、転がるように居間に下りていった。それからの彼の興奮状態については、うまく表現できそうもない。箱を開く前に、孫は自分が書いた手紙がどうなっているかを確認した。「お手紙ないよ。サンタさんが持って行ったんだね。きっと、やまみちドライブを持ってきてくれたよ」前夜の私の意地悪な言葉を気にしていたようだ。その物音に、他の大人たちも起き出して来た。孫がプレゼントを発見した瞬間の歓喜の声と表情を最初に見たのはこの私。そのとびっきりの笑顔が、私にとって最高のプレゼントであった。
2004年12月25日
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夜中にドカ雪が降り、朝から雪かきに汗を流すクリスマス・イブ。昼間の予定を終え、夕方から夫と二人で息子一家の住む山里の町へ。クリスマス・イブだというのに、サンタのじいさん夫婦は、ローストチキンとワインの代わりに、コンビニで買ったペットボトルのお茶とおにぎりをかじりながら、トナカイの引くソリならぬマイカーで、サンタを待ちわびる孫の家に急ぐ。到着は午後七時過ぎ。私たちがサンタ夫婦などとは想像もしていない孫達だが、サンタの登場かのごとくに大喜びで跳ね回りながら出迎えてくれるのでそれだけでも本当に幸せを感じさせてもらった。息子達夫婦は、それこそ「ロースト・チキンとワイン」でほろ酔い気分。私たちも、少しだけそのおこぼれをいただく。その後は、孫達お待ちかねの「クリスマス・ケーキ」である。これは、実家の両親、つまり孫達にとっては「ひいじいちゃん、ひいばあちゃん」からのプレゼント。ケーキをほおばりながら、電話でひいばあちゃんに孫達からお礼の電話。「ひいばあちゃん? ケーキ、ありがとう。おいしいよ」それを聞いている私の母がどんなに曾孫からどれほどの元気をもらっていることか。私たちにとってのサンタは、この孫達だろう。(サンタというより、天使でした)来月で五歳になる孫は、覚え始めた文字で「サンタさんへのおてがみ」を書いたという。彼の記念すべき手紙第一号である。彼が希望しているのは、「トミカの山道ドライブ」とやらで、昨年のサンタさんのプレゼントであった「高速ドライブ」と接続して遊べるのだという。この孫は、物心付いた時から、興味はひたすら「自動車」である。絵本もおもちゃも、とにかく自動車一本やり。彼の「宝物」は、たくさんのミニカーなのである。一緒にお風呂に入りながら、私は聞いた。「ねえ、サンタさんが間違って違うおもちゃを持ってきたら、どうする?」「大丈夫、ちゃんとお手紙書いたから、それを読んだら間違えないよ」「でも、サンタさんもたくさんの子ども達のところを回るから、違うものしかなかったりするかも」(我ながら意地悪ばあさんだ)孫は、不安そうな顔をして、黙ってしまった。私は慌てて、「きっと大丈夫だと思うけど、誰でも間違ったり失敗することあるからね。そしたら、Aちゃんは泣くかい?」次の言葉に、私は驚いた。「ううん、泣かないよ。サンタさんが持ってきてくれたものだったら、それでも我慢するよ」がーん、という感じである。4歳でこれほど人間が出来ているなんて、信じられない!これって、本音でそう思えるのだろうか。それとも、私が喜ぶような答えを咄嗟に判断したのだろうか。どちらにせよ5歳にもならない子どもでも、誰かのことを思いやって我慢することを知っているのだ。何でも自分の思い通りにならないと八つ当たりするような大人になりきれない人たちに、孫の爪の垢でも煎じてあげたいものだ。(人のことよりも、まずは私自身のために、可愛い爪の垢をいただかなくては)私たちが居ることではしゃいでいた孫達が寝たのは、夜10時近くなっていた。布団に入っても、何度も「サンタさん、くるかなあ?」と繰り返す。「サンタさんは、みんなが寝ないと来れないんだよ。早く寝よう」と言っても、なかなか寝付けないほど期待感で心がワクワクしているようだった。やっと寝付いてから、サンタのおじいさんは自動車から二人へのプレゼントの箱を持ってきた。居間のクリスマス・ツリーの前に、二人の名前を書いたクリスマス・ブーツが置いてある。その前に、二人へのプレゼントを置く。もちろん、上の孫には「やまみちドライブ」である。下の孫には、アンパンマンをテーマにしたおもちゃである。息子夫婦は、クリスマスをテーマにした絵本と、お菓子セット。クリスマス・ツリーの脇に大切そうに置いてあった「サンタさんへの手紙」は、サンタのおじいちゃん夫婦が記念にいただくことにした。これは大切に取って置いて、いつか孫が大人になった時に、クリスマスプレゼントとして渡すつもり。(うーん、そのためには元気で生きてなくちゃ)明朝、孫達がこれを見つけたときの反応が楽しみである。
2004年12月24日
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朝から、バタバタと忙しく過ごした一日。朝刊で天皇陛下の文書回答を読んで、天皇誕生日であることを思い出した私は、愛国心に乏しい国民かな?先日の秋篠宮の発言が世間では色々取り沙汰されているが、私はその様子を見聞きして、両陛下はきっと心配されていることだろうと思っていた。今日の回答を読むと、私にはその「親心」が透けて見えるような気がする。さて、今日は朝からホーマックに行って、カーテンなど家庭雑貨を大量に買ってくる。その合間に年賀状書きをしたり、実家に行ってクリスマスケーキを天皇誕生を祝いながら食べたり・・(?)明日は、朝から某会の今年最後の例会に行き、午後からは孫へのクリスマスプレゼントを持って息子一家の家に行くことになっている。ということで、3日間ほど日記を書けないかもしれません。
2004年12月23日
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日記リンクしている秀0430さんは、数学の先生のようである。秀さんの日記(12日20日)へのコメントで、私自身が数学嫌いになった理由に少し触れた。そのことで色々なことを思い出したので、今日の日記に書こうと思う。私は最初から数学が嫌いなわけではなかった。少なくても、中学生頃までは苦手意識はなく、パズルを解くような感じで成績もさほど悪くはなかったと思う。しかし、中学三年生の頃(だったと思う)から、次第に面白いとは思わなくなってきた。数学というよりは、学校の勉強そのものに面白さを感じなくなっていったと思う。田舎の学校ではあったが、やはり高校受験は大きな関心事であり、私の高校進学の時から小学区制から大学区制になるというので、教師達は都会の学校に成績優秀な生徒を送り込もうと、私たちにハッパをかけ始めた。もともと、私は「競争」ということが嫌いな性質で、成績が優秀なだけで、あるいは運動が得意で走るのが速いだけでもてはやされるということが、イヤになりはじめていた。(私は、どちらでももてはやされることはなかったせいだろう)数学という教科は、○×がはっきりしている科目だし、頭の良し悪しを測るのに都合が良いのか、「数学で良い成績を取る人=優秀」と見られがちで、そのあたりに嫌悪感を抱き始めたのだ。同級生で数学が出来るM君は、やたら理屈っぽくて何かにつけて文句(批判)を言い、クラスの団結心をくじくところがあり、彼の頭の良さを認めつつも尊敬できなかったのだ。数学ができることと彼の性格には何の因果関係もないのだが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないが、数学教師が彼を誉め、彼のようにガンバレみたいなことを言ったりすると、天邪鬼な私は「頑張るもんか」という気持ちになってしまったことを思い出した。そのように、数学に対して多少いじけた気持ちを持ちながら高校に進学したわけだが、ここで出会った数学教師は、人柄としては率直で、それなりに生徒思いの良い先生だったのではないかと思うが、私の数学の先生としては最悪であった。最初は何とか授業についていった私であるが、一年生の後半であろうか、公式についてどうも自分ですっきりと理解できなくなっていった。私の頭は、自分なりに納得できないと覚えることもできないという不器用さがある。数学が得意な男子に聞いてみたが、彼なりに色々説明してくれても私には理解できなかったりで、とうとう勇気をふるって職員室を訪ねた。私が知りたかったのは、「どうして公式は正しくて絶対的なのか」ということだったと思う。それに対して、「そう決まっているからだ。公式は暗記して利用することだけを考えればいいんだ」というようなことを言われたのだ。その時の教師の表情も、私ははっきりと覚えている。それは、(色々説明してもこいつにはわからんだろう)というような、多少馬鹿にしたような表情だったのだ。確かに、私は先生の説明が理解できなかったからそのような状態になったはずなので、やむを得ないことだったのかもしれない。だが現実に私の疑問は無視され、数学は決まりきったことを文句なく受け入れなくてはならない教科だということだけが教えられたのである。これで数学が素直に好きになる人がいたら、お目にかかりたいものだ。結果的に、私はその教師とセットで数学嫌いとなり、試験ではいつも赤点すれすれであった。悪いことに、その教師は私の学級担任であり、三年生の時には面談で言われた。「おまえはオレに恨みでもあるのか?」つまり、数学が他の教科と比べて考えられないほどひどい成績だったのだ。私に言うだけならまだしも、彼は私の母にまで言ったそうだ。「やればできるのに、勉強しようとしない」と。帰宅した母は、「おまえのせいで恥をかいた」と私を叱った。それでも私は、二人の前ではその理由は語らず貝のように口を閉じ、無言の反抗をしていた。その教師の授業で、強く記憶に残っている次の言葉がある。「今やっている数学は、日常生活では役に立たないかもしれない。だが、数学は順序だてて考えるという訓練をする意味があるのだ」。その言葉だけを取ったら正しいと思うが、私にしたら「言っていることとやっていることが違う」という証明のように思えて、いよいよ腹が立ってしまった。だからこそ、その言葉を覚えているのだと思う。彼に関しては、クラス担任としての楽しい思い出があって良いはずなのだが、申し訳ないがそのようなイヤな思い出しかない。私はけっこう、執念深い性格のようだ。
2004年12月22日
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今年も残すところあと10日。いつもは「主婦もどき」で、掃除などは手抜きばっかりの私なので、一年に一度くらいは「掃除に取り組もうとは思っている。というわけで、数日前から不要になった書類などを整理したり、押入れを片付けたりと、私なりに頑張っているのだが・・。はっきりいって、私は「整理整頓」が苦手である。その一番の原因は、物を捨てられないこと。もう、絶対に使わないだろうと思う食器類や雑貨類も、「捨てるのはやはりもったいない」と、また元の場所に戻したり。毎年毎年、これを繰り返してしまう。なかなか捨てられないものとしては、息子達が使ったものや制作物がある。その中の一つに、ゲーム類がある。「サッカーゲーム」「人生ゲーム」「日本一周旅行ゲーム」などや、もちろん「テレビゲーム」などもある。ずっと納戸に押し込んでいて、チェックすらもしていなかったので、引っ張り出してみた。今後も使える代物かどうかということだ。このように引っ張り出して孫のために再利用したものとしては、積み木やブロック、鯉のぼりなどがあるので、ゲーム類ももしも使えるものならば・・と思ったのだ。ところが、当然ではあるが部品などが不ぞろいのものばっかり。積み木やブロックは完全に揃っていなくてもそれなりに遊べるが、ゲーム類はそうはいかない。これはもう諦めようかと思い、一応息子達にメールで了解をとることにした。すると、長男から「テレビゲーム関係だけは残しておいて」というメールが入った。どうやら、懐かしくなったようなのだ。それを購入したのは、長男が5年生のクリスマスだったと思う。私はテレビゲームの購入に最後まで反対していて、長男はゲームをしたくて、友達の家をはしごして歩くようになってしまった。当時私はフルタイムで仕事をしていたため、息子達の監視をしているわけにはいかず、「困ったなあ」と悩んでいた。テレビゲームを購入すると、今度は我家が子ども達の溜まり場になることは目に見えている。そうなると、「母親が家を留守にしているから、子ども達が・・」と言われるに決まっている。それに、自由に使えるわけだから、長時間ゲームをやり続けることも目に見えている。そんなことを考えると、どんなに欲しがっても、すぐに「はい、そうですか」とはいかない。5年生ともなると、子どもも知恵が付いてくるから「みんな持ってる」「絶対に時間を決めてやる」「勉強も頑張る」などと、どうせ空約束になることを言い募る。その攻防戦を見ていた実家の父が、とうとう我慢できなくなったようだ。「おじいちゃんが、クリスマスに買ってやる!」と宣言した。(もう、その頃にはサンタは信じていなかった)私も、「そろそろ潮時か」と思っていたので、その言葉に甘えることにした。そして提案した。「おじいちゃんが買ってくれるのだから、おじいちゃんの家に置いておこう。休みの日に遊びに行った時は、好きなだけ遊んでもいいよ」と。息子達は、買ってくれるのならと同意した。というわけで、そのゲーム機はしばらくの間は実家にあったものだ。いつ、それが我家に来ることになったのか、はっきりは覚えていない。多分、その時も息子達との攻防戦があつたと思うが、その頃には私も諦めてしまったのだろう。そのうち飽きるかと思ったけれど、次から次へと新しいゲームカセットが発売され、息子達は「お年玉」でそれを買うのを楽しみにしていた。その延長線上に、現在のパソコンでのゲームがある。そのようにゲームにはまり始めた世代の息子たちなのだが、本人達が言っている。「テレビゲームで遊ぶようになってから、野球などの外遊びをしなくなった」と。そして、「あれは、子どもにとって良くないよな」とまでいう。その長男も、今は二児の父親である。そろそろ子どもとの攻防戦が始まるのだろうが、今はあの当時よりもっと親は大変かもしれない。それにしても、このテレビゲーム、取っておいてどうするつもりなんだろう。
2004年12月21日
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本来ならば、「政治」などのテーマで書いたほうが良いのかもしれないが、私の個人的な気持ちを書くので、「つぶやき」のテーマで書こう。☆北朝鮮問題について過日の横田めぐみさんの遺骨が別人のものと日本が表明したことについて、また北朝鮮がムチャクチャなことを言っている。あのような状況の国がどのような戦略で敵国と対峙するのかは、私には想像不可能のことであり、「北朝鮮拉致問題」のニュースを見るときにはいつも、怒りと同時にあきれ果ててしまう。横田さんを始めとする被害者家族の心情は察するにあまりあるが、私は(申し訳ないが)「他人」であるので、即「経済制裁をすべき」とは言い切れないものがある。しかし、日本人の憤りを表明するには、「経済制裁を!!!」との大合唱に加わるべきなのかもしれないとも思う。先日、日韓首脳会談が行われ、北朝鮮問題についても話し合われたようだが、日韓の北朝鮮に対する気持ちには温度差があることがはっきり見えた。多くの人たちが指摘しているように、韓国・中国と日本の状況は全く違うから当然であろう。ましてや、韓国にとっては北朝鮮は基本的に「同胞の国」なのだ。かつての日本も、敗戦後に北海道あたりはソ連の領土になったかもしれない。(実際に北方領土や樺太は取られてしまった)北方領土や樺太に住んでいたほとんどの日本人は、故郷を捨てて北海道に逃げてきたため、家族がソ連と日本に分断されることは少なかった。しかし、これが北海道であったらどうだったであろう。想像することさえ恐ろしいことだ。そして、多くの同じ民族や親族が厳しい状況にあるのがわかっていたなら、草の根レベルではその人たちを助けようとするのも自然なことだ。在日の人たちが、北朝鮮で苦しい状況にある人たちを支えようとするのも、私にはよくわかる。かといって、あの国の体制をそのままにしておくことはできないし、何よりも私たちの国の人たちが、北朝鮮にあって救出を待っているのがはっきりしているのだから、これもまたのんびりしているわけにはいかない。自分で書いていても、「じゃあ、どうすりゃいいんだ」という感じでわけがわからなくなってくるが、とにかく日本人としての怒りを強く表明するしかないのかもしれない。だとすると、やはりあの国の体制を壊すことに一番有効なことを主張すべきか。それは、「経済制裁だ!」と叫ぶことしかないのか?私は、「脱北者」をどんどん受け入れたらどうかと思う。韓国や中国は国境を接しているからどんどん脱北していて、その受け入れに苦慮していると聞く。イラクの人道支援にあれだけの予算をまわせるのだから、もっと現実的で効果のある人道支援もしたらどうかと思うのだけど・・。☆首相の靖国参拝問題について今日の秀0430さんの日記靖国問題の本質 を読んで、思わず手を叩きたくなってしまった。常日頃から私がこの問題でぼんやりと思っていて、言葉で上手に表現できなかったことを、実に明確に書いてくださっている。・・と書いたら、ちょっとミエを張っているかもしれないな。要するに、「その通りだ!!」ととても納得して、今まで見逃していたこともはっきりと見えたということだろう。特に最後の「靖国問題には、二つの根本問題が複雑に絡み合っていると思う。それは一つは、日本が世界に向けて、国際社会に受け入れてもらうために受け入れた約束に関わる外交上の問題だ。そしてもう一つは、その受け入れに伴って、日本人の主体性としての、戦争責任の問題が横たわっていると思う。この二つの面は、一つは「悪いのはすべてA級戦犯だ」ということがあり、もう一つは「悪いのはA級戦犯だけではない」ということがある。この対立するように見える根本問題が、靖国の問題を複雑化し、解決を困難にしているのではないかと思う」上記の文章に、私自身の中で問題がすっきりしたような気がする。 本当は、私自身の言葉でこのことについて書きたいのだけれど、きっと秀さんの言葉の真似になるに決まっているからやめておく。とにかく、秀さんの日記を読んでいただきたい。誰がどのように靖国神社に参拝しようが、私は批判するつもりはさらさらない。日本の歴史を考えた時、国を代表する首相が参拝することが道理に反しているというだけのことだ。小泉首相は、この点においては個人的なこだわりは横に置いて、お得意の「冷静な判断」をしていただきたい。そして、この日記で主張されている「主体性」ということを、もっと考えなくてはならないと思う。現在の「教育問題」と深く関係するけれど、数値で計ることの出来る「学力低下」に目を奪われて、子ども達の「主体性」を奪う方向が強化されないようにと祈る思いだ。今年前半に吹き荒れた「自己責任」の大合唱は、そのことにも関係しているように思う。自己責任は、自己の主体性とセットのはずである。当然どの人にも、自分の行為に対する責任は発生するのだから、誰かを「自己責任だ!」と批判した方たちは、その後の経緯の中ではっきりしたことを踏まえて、ご自分の責任も考えて頂きたいと思っている。もちろん私自身も、もしも後で「あれは考え違いだった」と気付いたら、率直に反省して次のステップに進むよう努力したいと思う。
2004年12月20日
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高松宮妃喜久子さまが、92歳で亡くなられた。この方は、90歳を超えても凛とした美しさがあり、すごいなあと思っていた人の一人だ。それにしても、紀宮様の婚約会見発表の日にお亡くなりになるとは、ご本人も「わたくしの一生の不覚」と思っていらっしゃるのでは?紀宮さまの会見発表をとても楽しみになさっていたようなので、ここまで頑張られたご褒美に、あと一日の命を猶予して差し上げたかったと思う。私は、さほどの皇室ファンとは言えないけれど、日本人と皇室との関係については、とても興味はある。現在のアメリカのイラク占領政策はほとんど失敗に近いものだと思うが、日本における戦後の占領政策は、百点満点だったと思われる。あれに味をしめて、アメリカは図に乗ったのではないかとさえ思う。その成功のキーポイントは、やっぱり「天皇」の存在であっただろう。私は、異論があるのは承知ではあるが、天皇の戦争責任はあったと思うし、昭和天皇はご自身でそのことを自覚して、戦後は精一杯努められたと思っている。昭和天皇の人格的なことはともかくとして、はっきりと戦争責任がある方に対して、多くの日本人が戦時中と変わらぬ親愛感情を抱いていたことに、私は本当に不思議に感じ続けていた。高松宮がかつて喜久子さまに、「皇室が警察に守られるようではダメなのだ。国民に守られる皇室でなければ」とおっしゃったということを知り、「なるほどな・・」と思った。日本の皇室は、基本的に国民に守られていたと思ったからだ。天皇を中心とした皇室への敬愛感情に裏打ちされていたから、日本人はあれほど従順にアメリカの占領を受け入れた側面があるのだろう。今でも、天皇陛下のお言葉は、とても大きな意味を持っていると感じることがある。かつて「国体」とか、人間である天皇のことを「玉(ぎょく)」と称する事に、とても不思議な感じを抱いたものだが、今でも(私たちの世代でも)戦中戦後の時代のように、そのような感覚を抱いている人がいることに、日本人と皇室の関係の歴史に培われたDNAを感じたりする。ともあれ、喜久子様のご逝去により紀宮様の婚約会見は延期された。正直なところ、折角の晴れの日がこのようになってお気の毒だと思う。(19日朝/記)☆ぞろ目アクセス55555・・は《*.titech.ac.jp 》さんでした。どなただったのかな?
2004年12月18日
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パソコンの調子も、今のところまずまずのようで一安心である。このパソコンは夫も使っているので、ひょっとすると彼が何かやらかしたのかも・・。とはいえ、使用頻度では私の方が何倍も高いのだが。さて、このところ「復習ページ」を追加しようかどうかと迷っていた。後輩達がレポートを書く時の参考にしたり、これから学ぼうと思う人が「慶應通信のレポート」についてのイメージをつかむ参考になればと思っていたのだが、テキスト改訂も進んでいるようだし、あまり役に立たないかも・・と思うようになっていた。単なる「自己満足」だけのものなら、やめたほうがいいのかなとも思っていた。しかし、日記リンクしているメイミーさんからも、「参考にしています」というメールをいただいたり、私書箱メールで「読んでます」と書いていただいたりしたので、また元気が出て、今日は「都市構造論」を追加した。このレポートを書いてから、もう8年もたっているのに、レポートやテキストを見直してみると、この科目を勉強していた頃のことが甦ってくる。見直しても、あまり甦らない科目もあるので、「都市構造論」は、私なりに努力したり悩んだりした思い出深い科目なのだとあらためて思う。【追記】多分2・3日中に、55555というゾロ目アクセスになると思う。この番号を踏んで下さる方は、どなただろうか。楽天のお仲間だったらわかりやすいのだけど・・。
2004年12月17日
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数日前からパソコンの調子が悪く、特にインターネットを始めるとすぐに変になってしまっていた。この楽天日記も、編集ページになると「ページが表示できない」となり、「まいったなあ」という感じであった。マニュアル本を色々調べて、ウィルスチェックをしてみたり、不必要なファイルを消してみたりと、試行錯誤を繰り返した。結局、「システムの復元」とやらを試してみて、これが功を奏したのか、今のところ大丈夫かな?でも、先ほども「ページが表示できない」となってしまって、「またか!」と焦った。これも、うまくアップできればいいけれど・・。さて、このような状態になってから、色々考えてしまった。数年前までは、パソコンも使っていなかったわけだから、もしもインターネットができなくなっても、数年前の状態に戻るだけである。別にさほど困らないはずなのだが、今ではメールのやりとりが通信手段の主流になってしまったので、その点ではかなり不便になるだろう。この「楽天日記」については、毎日拝見している日記が読めないのは少し寂しいけれど、携帯では読めるようになっているから、まあいいだろう。でも、自分が考えていることの記録という意味では、もう「日記帳に書く」ということは面倒で出来そうもない。この日記が書けなくなったら、以前のように「手帳のメモ」が日記代わり。ライターになるわけでもないから、まあ、これも何とかなるか。ひょっとすると、ネットを色々検索する時間がなくなれば、読書やビデオを見るなどに、もっと時間がとれるかも・・。問題は、自分が管理している某会のHPである。これだけは責任もあるし、現在は代わりをしてくれる人もいないので、かなり困る。というようなことを、色々考えてしまった数日間であった。さて、我パソコン、あとどのくらい頑張ってくれるであろう。
2004年12月16日
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昨日から、インターネットを続けることが出来ず、困っている。すぐに「ページを表示できません」という画面になる。楽天日記の編集ページからの書き込みも、何度も失敗。ということで、これはケータイからの書き込みである。我が家のバソコンのせいなのか?今の私は、バソコンなしでは本当に困るので、非常に不安である。コメントやメールをいただいても、返信出来ないかもしれませんので、その場合はお許しください。m(__)m
2004年12月15日
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このニュースを聞いたのは、昨日のテレビだったかな・・。自治体の財政状態が悪化して、残業手当もままならぬというニュースならまだしも、「カラ残業」ってどういうことだと、首を傾げてしまった。雑用をしながら聞いたニュースなので詳細がわからず、さきほどネットで調べてみたら、何だか根が深い様子。区役所のカラ残業告発=税務課で32万円と市民グループ-大阪市 大阪市阿倍野区役所の税務課職員らが残業をしたように装い、超過勤務手当約32万円を受け取っていたとして、市民グループ「見張り番」が10日、同課課長らに関する詐欺容疑の告発状を大阪地検に提出した。告発状によると、同課の職員20人は9月分の超過勤務命令簿に計93時間の残業をしたと虚偽の記入をし、計約32万円の手当を受け取った。(時事通信) 12月10日18時0分さらに闇の正体!”張り込み1ヵ月”大阪市「カラ残業」の実態というVOICEの記事を読むと、大阪市は5兆円の借金を抱え、財政非常事態宣言を出しているにも関わらず、こんなことを続けていたそうな。本当にあきれるばかりで、北海道警察の裏金事件に負けていない。これは、一部の職員の「ズル」などではなく、道警の裏金同様組織ぐるみのことだ。まあ、縦割り行政のすることだから、全ての組織ではないかもしれないけど・・。かつて、予算が潤沢な頃には、このようなことはあっても不思議はなかったと思う。予算というのは前年度の実績が基準になるので、予算がついたからには消化しなくてはならない。(次年度の予算要求ができないから)私はそのような職場とは正反対の、いつも12月くらいで超過勤務手当ての予算はなくなってしまう職場で、それでも仕事はしなくてはならなず、あとはサービス残業にせざるを得なかった。仕事の関係上、行政とおつきあいも多かったのだが、昼間は仕事らしい仕事もせずに、夜になると働き始めるような職員がいたことは知っている。一度、そのタイプの人に、皮肉交じりに聞いたことがある。「夜も仕事をしたら、疲れるでしょう?」彼は、アッケラカンと答えたものだ。「昼間は、来客などがあつて気が散ってしまう。夜のほうが集中できるし・・」。そんな問題か?公務員がみんなそうだとは言わないが、どうも「公金」という意識は一般的に低いような気がしていた。しかし、それも十年以上前のことである。財政再建という至上命令が出されるようになっている現在も、このようなことがまかり通っていたなんて、本当に市民を馬鹿にするにもほどがある。これって、大阪市に限ったことなのだろうかと、ちょっと心配になってしまう。
2004年12月13日
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NHK大河ドラマ「新選組」が終了した。今年の1月、このドラマが始まった時には少し違和感があり、前半はさほどしっかりと見ていなかったのだが、このドラマが思いのほか若者に人気があるようなので、そのことへの関心もあって見続けるようになった。一年間見続けていると、不思議なものでそれぞれの俳優が演じる歴史上の人物像が、「こうだったのかもしれないな・・」と感じるようになってくる。結果的に、私の従来の「新撰組」のイメージが、このドラマによって新しい「新選組」のイメージに変化したことは間違いがない。ちなみに、わたしのパソコンでは、いまも「しんせんぐみ」と入力すると「新撰組」に変換される。私は「新撰組」がもともとの文字だと思っていたので、「新選組」と知った時には正直なところ驚いた。いつから「新撰組」と表示されるようになったのだろう?従来の「新撰組」のイメージは、それまでのテレビや映画での俳優の影響なのだろう、もっと年齢層が高い感じがしていた。しっかりと史実を読めばすぐわかることだったのだけれど、それほどの関心も持っていなかった私は、このドラマによって始めて、新選組メンバーがみんな若者だったことを実感したのだ。もっとも、現在の30歳は間違いなく「若者」だけど、当時の30歳は壮年に近いのかもしれないが・・。私がこのドラマを、最後までどうも好きになれなかったのは、「法度による粛清」のせいだろう。それなりの必然性があるのかもしれないけれど、仲間を次々と殺していくことに対しては、生理的不快感がある。そのせいもあって、粛清の続く時期の放映は、見たり見なかったりであった。それでも、それを他の人たちはどのように受け止めているかを知りたくて、月曜日になると楽天日記の「新撰組!」のテーマ日記をいくつか拾い読みしていた。多くの人たちが、殺す側・殺される側の人物に感情移入して、感動したり悔しがったり悲しんだりしている。そして、それを「かっこよい生き方」のように捉えているような人もいて、「ふーん、そうなんだ・・」というような感じがすることもままあった。(信念のために命をかけて突進することは、時にはかっこいいのかもしれないけれど、多くは「思い込みの身勝手さ」と結びついてることも考えて欲しい)私などは、一連の「粛清」から「連合赤軍」を連想してしまう。そのせいか、どう逆立ちしても「かっこいい」とは思えない。しかし、彼らが「若者」であるということを考えると、そうなってしまうのかもしれないとも思う。話はちょっとずれるが、先月、某高校生に進路のことを聞いた。彼は、高校ではボランティア部で活動していた、正義感が強く誰かの役に立ちたいという気持ちの強い男性である。その彼が、「自衛隊入隊が決まった」と誇らしげに言っていた。私は、時期が時期だけに少し戸惑い、「えっ、そうなの? これからの自衛隊は、海外の危険な地域にも行かなくてはならない場合があるから、大変だね。不安じゃない?」と聞いた。すると彼は誇らしげに、「不安じゃありません。国際貢献ができるなら、嬉しいです」と答えた。私は、希望に燃えている青年の気持ちに水をさしたくはないので、「そうなの。体に気をつけて頑張ってね」というようなことを、内心の戸惑いを必死に隠しながら言うしかなかった。彼の志(こころざし)は、尊いと思う。若者らしい純粋さで、本気で日本のために役立ちたいと思っていることは間違いがない。そしてまた、彼らのように純な気持ちで黙々と任務につく人たちのお陰で、日本が支えられている側面も確かにある。だからこそ、そのような若者達を権力側(国)が権力の維持のために利用しないで欲しいと願うのだ。自分の意志や願いとは無関係なところで、時代の流れや時の権力者の意図により、大切な命を翻弄された人たちがどれほど多いことか。私がとてもおぞましく感じる新撰組の「粛清」や、私の若い頃に吹き荒れた「学生運動の嵐」、その後の連合赤軍事件なども、もともとは若者の純粋な正義感から発したものではなかったかと思う。若者は間違いを犯しながら成長するものだと思うが、誰かの命を奪うことになってはいけない。たとえ自分が手を下さなくても、それを「やむを得ないこと」と認めた人間も、罪としては同じである。背後にその行為を了解する人たちが大勢いると思うから、少しばかりの心の痛みも振り切れるのだ。人を殺す行為、あるいは傷つける行為に対して、間違っても「カッコいい」とか「正しかった」などと思わないで欲しい。人を殺して良い正しい理由なんて、あるはずがないと私は思う。人間は最後は必ず死ぬものだけど、少なくても殺されるために生まれてきたはずはないのだ。自分が誰かに殺されることを想像したら、殺す側が正義だとかカッコいいなんて、間違っても思えるはずはないだろう。このドラマは、そのようなことも描いていたとは思うけれど、今の世相とあわせて考えた時、ちょっぴり心配にもなっていたことも、私の本音である。
2004年12月12日
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こうなることは予想はしていたけれど、はっきり決まるとやっぱりガックリ。昨日、高遠さんのお話を聞いてから、いよいよ「これでいいのか?」という気持ちである。(断っておくが、彼女は自分が体験し、現在もイラクの友人達から得ている事実を、精一杯述べていただけであり、アメリカ批判や日本の政治批判はこれっぽっちもしていない。彼女は、「情報量をフェアにしたいのです。その上で皆さんに考えて欲しいのです」と言っていた)以前はとても親日的だったイラクの人達も、今では徐々に「占領軍アメリカを支援している国」と思うようになっているようだ。何かの雑誌で読んだが、日本人が思うほどにはアメリカは親日ではないという。中国も韓国もソ連も、もちろん親日国家とはいえず、欧米だって似たようなものだという。そんな中で中東は全体的に「親日」だったそうだが、それも怪しくなっている。アメリカ中心主義に巻き込まれて、結局は日本だけが孤立しなければいいけれど・・。(アメリカが孤立しても、あちらは何せでっかくて力がある)
2004年12月10日
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札幌を中心とした「戦禍を語り継ぐ会」が主催の講演会に参加した。この会は、札幌近辺の浄土真宗の若手僧侶が中心となった会で、毎年12月8日の日米開戦の日に、戦争体験者の話を聞く集いを18年前から開いている。私がこの集いに参加するようになったのは、十年ほど前からだろうか。たしか、「731部隊」の証言の話という記事を新聞で見て、参加したと思う。いつもは、札幌市内の寺院の本堂で開かれるのだけれど、今回は高遠菜穂子さんが証言者ということで、「かでる2・7」の大ホールで開催された。高遠さんの話を直接聞くのは、初めてである。イラクで単独でボランティア活動をしている人ということで、一年ほど前から関心は持っていたように思う。だから、彼女達3人が拘束された時にはとても心配だったし、その時に日本人が「自己責任」とその家族も含めてバッシングした時には、いても立ってもいられないような気持ちになり、日記にも書いたりもした。解放され帰国した彼女が体調を崩していることを知り、陰ながら心配だった。解放された直後「それでもイラクの人を嫌いになれない」と涙ぐんだ彼女の姿に、私は彼女が本当にイラクの人たちと心を通わせた活動をしていたのだと確信した。それなのに、一部の心無い人達は、そんな彼女の言葉にさえも非難をしたので、私は日本人の心がいかに冷たくなっているかと思い、暗澹とした気分になったことを思い出す。前置きが長くなってしまったが、彼女の講演について書こう。彼女は講演に先立ち、緊張した面持ちで、あの事件の時についての心配をかけたことに対するお詫びと、応援してくれたことへの感謝の言葉を述べた。彼女は今まで、何度この言葉をいい続けたのだろうと思った。そして、何度も同じ言葉を言ってもこのように緊張している彼女の姿に、誠実さを感じた。その証言は、たくさんのファルージャを中心とした写真やビデオを紹介しながらのものであった。それは、私たちがマスコミで見るものに近いものもあったけれど、米軍の無差別攻撃で亡くなった子ども達の死体や、その身元確認作業、埋葬の状況など、思わず目をそむけたくなるものばかりであった。昨年のバクダッド陥落直後から、NGOなどに協力して医薬品や支援物資の移送や必要な物資の情報収集の活動のために、何度もファルージャとバグダッドをイラク人仲間と往復していた高遠さんは、たとえ多少危険であろうと、イラクに戻って支援活動をしなくてはという気持ちになったことは、とてもよく理解できた。ファルージャは日本における京都のように、モスクが多く敬虔なイスラームの人たちが住む町で、その神聖なモスクを米軍は「テロ掃討作戦」の名の下に破壊しているという。アメリカ軍の兵士達は、「イラクは無差別テロをする武装勢力の巣窟」のように言われており、その上に基本的なイラクの常識や言葉も知らないから、そのことによって罪もない人たちが殺され、米軍への憎悪という悪循環に陥っているという。その具体的な事例を聞くにつけ、無知ということがどれほどの悲劇をもたらすのかと、あらためて痛感した。また、米兵の中には、あの刑務所での虐待事件のように、本当に鬼畜同様のふるまいをする人もいる。戦争という状況は、人々の(特に若者)の心理状態を狂わせててしまうから、多分一人一人の兵士は普通の状態ならば決してそのようなことはしないのだろう。今現在も、イラクではそのようなことが日常のこととして行われており、罪のない一般の人たちが命を奪われ、人間としての尊厳などかけらもないように打ち捨てられ、放置されているという。今は各国のジャーナリストもイラクから締め出されているので、現地の人に日本製の「ハンディカム・ビデオ」を渡して、それを手に入れて報道しようとしているらしいが、アメリカ軍がそれを許すはずもない。だから、それが見つかったらすぐに刑務所行きか、命を落とすかなのである。命の危険を犯してまで、現地の人が映像を外部に出そうとするのは、イラクの現状を世界の人に知って欲しいという必死な思いの表れだろう。高遠さんが紹介してくれたビデオも、そのように撮影されたものだという。彼女は、このところ毎日のようにこの写真やビデオを使って講演を続けていて、「私はイラクの人たちの死体をさらしものにしているのではないか」と辛くなるという。しかし、「自分がしなくてはならないことは、イラクの事実を伝え続けること」と思いなおしながら、毎日講演行脚をしているという。そして、彼女は家族に「もし私にもしものことがあったら、それを公開して欲しい」と伝えてあるそうだ。その覚悟で、彼女は活動を続けているのだ。現在彼女は、拉致されたとき以来のカンパ金などで、「イラク再建プロジェクト」「子どもの自立支援プロジェクト」を立ちあげ、イラクの友人達と連絡を取り合ってプロジェクトの推進をしているという。もう少しで、100%日本の人たちの資金によって、学校の再建がされるという。ストリートチルドレンの自立支援活動も、今のところ順調らしい。彼女のような活動によって、かろうじてイラクの人たちの「親日感情」は保たれているのではないかとすら思った。ネットで彼女のHPを探したら、イラク・ホープ・ダイアリーという、高遠さんの日記を見つけた。今回お話になったことも、詳しく書かれている関心のある人は、ぜひ読んで頂きたいと思う。集いの第二部は、「イラク戦争で犠牲になった全ての命への追悼法要」であった。これは、詩とシンセサイザーとお経によるもので、僧侶達がシンセサイザーの音楽に合わせて読経をするものである。最初にこの集いに参加したときは、お寺の本堂でシンセサイザーとお経が始まってびっくりしたが、これがなかなかいいのである。例年は本堂のご本尊に向かっての読経なのでとてもしっくりするのだが、今回は会場の関係もあり「本尊」を置くわけにもいかず、色々と知恵を絞ったのであろうが、ちょっとぱかりの違和感はあったけれど、これはやむを得ないことだろう。それでも、若い僧侶達がこのような取り組みをしていることには、いつもながら心が洗われる思いがした。今回朗読された詩の一部を紹介しよう。我々のことばの回復を(詩創作 打本顕真)(前略)みずからのいのちを盾に突っ込んでいくイスラムの青年や女性の抵抗を「自爆テロ」と断罪する何を我々はもっているというのであろうかそもそもテロとは何であろうかテロとレジスタンスの線引きを我々はどれほど明晰にしてきたであろうか(中略)砲弾の下を逃げまどう子どもたちの姿が見えてはいるか劣化ウラン弾による被爆によって白血病に冒され治療も受けられずに死んでいくアフガンやイラクの人びとの苦悩が見えてはいるか?(中略)我々はまず我々の論理とことばを回復しなければならぬテロとは何か自己責任とは何か人道復興支援とは何かどうすることが本当の国際協力になるのか操作されたものではなく我々の目と足で確かめた我々の論理とことばを取り戻さねばならぬ世界の人びとと尊敬と信頼をもって共に生きるためにそこから始めなければならぬ
2004年12月09日
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☆曽我さん一家佐渡へ昨日、やっと曽我ひとみさんが家族そろって佐渡に帰ることが出来た。それに先立つように、夫のジェンキンス氏はアメリカのタイム誌のインタビューに対してかなり踏み込んだことを語っているようだ。政治ニュース「北朝鮮、娘をスパイにする意図」米誌でジェンキンス氏今朝、昨日の曽我さん一家の記者会見をテレビで見たが、ジェンキンス氏は時折声をつまらせて、「人生の最終章を家族と佐渡で過ごしたい」と語っていた。それは多分、本当に正直な気持ちだろうと思った。曽我さんはもっと嬉しそうな顔をしているのかと思ったが、意外と硬い表情だったのが気にかかる。ひょっとすると、一家を守る大黒柱としての責任感と緊張で、喜びに浸れないのかもしれないなと思った。あるいは、行方不明の母親のことが、今まで以上に気にかかるようになっているのかもしれない。ジェンキンスさんとその母親を会わせてあげたいとの気持ちで、頑張ってきたようにも言っていた。どこまでも、曽我さんの苦労は尽きないようだ。☆またまた大学生の破廉恥行動まったく、体育会系の大学生達はどうなっているんだという気分。このような輩(やから)は一部の人間だろうけれど、本当に嘆かわしいと思う。痴漢行為やレイプなどをした学生には、学生であるか否かを問わず厳しく対処して欲しいが、このような時にいつも気になるのが「連帯責任」である。もちろん、他の部員達の中に同様の行為をしているものがいないかどうかは厳しく調べて欲しいが、それがはっきりしない状況の中で「活動停止」「出場辞退」も、何だか変だなとも思う。これほどの行為でなくても、高校野球などでは一部の生徒の事件で出場停止などのことが時々ある。今回のことでも、真面目に頑張ってきた学生達は、本当に気の毒だと思う。それにしても、日本人のモラルは一般的に本当に低下してきている。大学などでのアカハラ(アカデミック・ハラスメント)などもさほど珍しいことではなくなっていると聞いたことがあるので、大学生の不届きな行動も珍しくはないのだろうか。政治家のモラルなんて、どこにぶっ飛んだのかという感じだし・・。いくら法律を厳しくしたって、各自の心の中に「自制心・自立心」が育ってなかったら、何のブレーキにもならない。☆日本の15歳の学力低下日本の学力「世界トップ水準と言えず」…OECD調査というニュースが、またまた教育関係者たちを慌てさせるのだろうか。私は、学力の低下よりもモラルの低下の方がもっと怖い。また、「ゆとり教育の弊害」などという言い方がされるのだろうが、だいたいちゃんとしたゆとりを子どもに与えもせずに、何を言ってるんだか。特に「読解力」の低下が見られるらしいが、読解力を高めるために一番いいのは「読書」だと思う。本を読む楽しさを知った子どもは、自然に本を楽しむようになる。本を面白く読んでいるうちに、自然に読解力は高まると思う。最近、「朝読書」をする学校が少しずつ増えてきている。赤ちゃんの時から本を通しての親子コミュニケーションを定着させようと、「ブックスタート」を実施する自治体も増えている。私は、何年か後には、このような地道な取り組みが成果をあげるのではないかと期待している。もう少し長い目で、そして広い視野の上で、子どもの学力を考えていかなくてはならないと思う。☆めぐみさんの遺骨は別人のもの「遺骨」は、めぐみさんと別人というニュースが流れた。夕方の横田ご一家の記者会見を見ながら、遺骨が別人と判明して本当に良かったと思うと共に、北朝鮮の意図に首を傾げてしまう。こんなことをして、日本の怒りを買うことくらいわかるだろうに・・。おりしも今日は12月8日。日米開戦の引き金となった「真珠湾攻撃」の日である。当時の日本は、アメリカから見たら今の北朝鮮みたいなものだったのかもしれないと、ふと思ってしまった。例年この日には、札幌市で「12・8戦禍を語り継ぐ会」が開かれている。私も何度か参加して、戦争の実態について体験者(証言者)の話を聞くことが出来た。今年は何かの事情があったのか明日開催され、内容も高遠菜穂子さんの講演である。(札幌市かでる2・7で午後6時より、参加費1000円)一度彼女の話を実際に聞いてみたいと思っていたので、行ってみようと思っている。
2004年12月08日
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以前から観たいと思っていたこの映画を、やっとビデオで見ることができた。「冬のソナタ」では全く泣けそうもなかった私だが、この映画ではグッとくるものがあった。今までに何本かの中国映画を見たことがあるが、その中でもこれは秀逸であった。この映画もまた、冬ソナ同様に現代中国の「おとぎばなし」なのかもしれないけれど、主人公チュンと親ばかで教育熱心な親子の姿は、決して現実離れしたものではないような気がした。そして、二人が親子になったいきさつには、「大地の子」を育ててくれた中国残留孤児の養父母の姿と重なってしまった。(おりしも、先日のNHKスペシャル「“大地の子”を育てて~中日友好楼の日々」を見ていたので)子どもを愛するということは、子どもが自分の能力を生かして社会ではばたくことができるように、精一杯応援すること。そして、この父親は自分の能力を生かすということを、全身で息子に伝えていると思った。無学でも貧しくても、それは恥じることではない。大切なのは、人としての誇りを持って、今、自分が持っている力を精一杯使うことなのだと。この父親は、そんな難しいことを考えているわけではない。ただただ息子の幸せな未来を願って、自分ができることを精一杯にやっているだけだ。そんな父親を、時には鬱陶しく身勝手と感じて、父親に反抗する姿にも共感できた。映像的には、やはり「赤」がポイントかな。中国の人にとっては、「赤」は特別な何かを感じさせるのだろうか。中国社会は、急激に変化しているようだ。多分、この親子のようなサクセス・ストーリーも夢物語ではないのだろう。だからこそ、あの父親は純粋に息子のために奔走できるのかもしれない。しかし、このような「子どもを思っての奔走」も、行き過ぎると悲劇となる。このような純粋な親子の愛情が、物質やお金至上主義と連動して、いずれ今の日本社会と似たような状態になるであろうことが少し悲しい。この映画のラストは、そのような傾向に対しての疑問を投げかけているのかも。映画には感動してたのに、つい変な方向に指が動いてしまった ( ´△`)
2004年12月07日
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実は昨年までは、意地になって「プリントゴッコ」で作っていた。今使っているパソコンには、もちろん年賀状などが簡単に作成できるソフトも入っているというのに・・。我家では、ずーっと以前から3種類の年賀状を作っている。親戚用・夫婦共通の知人宛には夫婦連名のもの、純粋に夫の仕事関係へのもの、私個人の友人・知人のものである。デザインも、それにあわせて少し変えたりしてきた。パソコンの年賀状が届くのが増えてきたし、昨年は一部をパソコンで作ってみた。しかし、プリントゴッコ製の「手作り感」も捨てがたく、意地を張っていたのだけれど・・。昨年でプリントゴッコ用のランプもマスターも使い切ってしまい、新たに購入するのももったいない気がして、今年は全部パソコンで作ろうと思う。というわけで、朝からデザインをネットで物色したり、パソコンに入っているソフトをいじってみたりと、それだけで午前中が終わる。まあ、年賀状なんて「ご挨拶のしるし」なのだし、もともとさほどデザインの才能があるわけではないので、誰も我家の年賀状に期待なんてしていないのだから、それほど悩まなくてもいいんだけど・・。そんな作業をしながら、時々楽天日記に遊びに行ったり・・。昨日と今日の「雪かき」のせいで痛む腰の上に、長時間のパソコンで肩まで痛くなってきてしまった。もう、今日はこれでやめておこう。
2004年12月06日
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雪が少なくて喜んでいたけれど、やっぱり来る時にはドカッと来た。朝から休むことなく降り続けて、1日の降雪量は、多分50cm近かったと思う。それも北海道の雪らしくはなくて、湿って重い雪である。幸い休日だったので、夫が「雪かき」をしてくれたので大助かり。我家の前の道路に除雪車が入ったのは、深夜であった。これが凍ったら大変と、夜中に身支度をして夫婦で重い雪の塊と格闘。温暖化の影響で、北海道の雪がサラサラだったのが過去のことになるんじゃないかと、雪と同様重い気分だ。この雪の影響で、飛行機の欠航やJRのにも影響が相次ぎ、交通網はマヒ状態。一方、本州では高気温と暴風だったとか。まったく、どうなってるんだか。
2004年12月05日
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数日前、借りている「冬のソナタ」の原作(?)をやっと読んだ。先日の日記でも書いたとおり、私にはのめりこむほどの面白さを感じなかったので、とにかく筋だけはなぞったという感じであった。多分、このドラマは「読むものではなく、観るもの」だろうと思い、昨日レンタルビデオ店に足を運んだ。今でもまだ人気のビデオのようで、まだほとんどが貸し出し中であったが、幸い最終巻があったので借りてきた。あらすじはわかっているので、最後だけ見たら充分だろうと思ったが、正解であった。さて、感想は・・。残念ながら、やっぱり「感動!」というわけにはいかない私であった。このドラマ、「親の因果が子に報い」というような内容であるが、私は主人公の親の世代に属しているせいか、彼等の親の身勝手さに頭にきてしまった。それに対して、主人公達(子ども達)の従順さ・・。これって、本当に現代の韓国の若者達に重なるんだろうか。そして、「純愛」といわれるものの「身勝手さ、思い込み」が見えて、このドラマに感動するってどういうことかと、また首を傾げてしまった。私だって、「初恋」くらいは体験している。私の友人達にも、純愛に心を焦がし、傷つけあっていた人もいっぱいいる。初恋の甘酸っぱさの価値だって、少しはわかるつもりだけれど、いくらドラマといってもこれはちょっと度が過ぎている。そしてまた、傷つけあった者同士、たった3年でにこやかに談笑なんて、私には信じられない。私なんぞ、傷つけたとわかる相手に向き合った時には、いまだに顔が引きつり目を伏せたくなるのを我慢し、平静を保つのに若干の努力を要する。それなのに、たった3年であれほど許しあい友情が復活するなど、「ほんまかいな?」である。もしもこれが現代の若者の様相であるとするなら、そちらのほうが心配である。もう一つ、「何、これ?」と思ったこと。それは、失明した主人公の動作である。失明してからもう二年は経過していると思うのに、韓国では白杖がないのだろうか。韓国における視覚障害者の状況がどのようになっているのかと、とても気になってしまった。(もっとも、ドラマで障害を持つ人を描く時は、「無知」を感じることは日本映画でもあるけれど)ひとつだけ、「なるほど」と思ったこと。それは、墓参りのシーンで韓国の墓地を見た時の感想である。韓国の墓地は、あのような山の斜面にあることが多いのだろうか。だとしたら、北朝鮮が「拉致被害者の墓が流された」ということも少し理解できる。あんな斜面に土饅頭では、大雨になったら流されても不思議はないかも。あのようなお墓では、年をとって足腰が弱くなったら、墓参りが辛いだろうな・・。ということで、残念ながら主人公達がいっぱい涙を流せば流すほど、しらけてしまう私であった。どなたかが書いていたけど、ひょっとすると「吹き替え」でなくて字幕ならば、もう少し感情移入できたかも。映像は確かに美しかったし、主人公達も美男美女。それだけは認めます。
2004年12月04日
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先月で、10年間続けた○○委員を退任した。過日、退任にあたっての感謝状贈呈式があるとの案内があったが、さほどの活動をしていなかったという引け目もあるので欠席をした。事務局には「あとで取りに来ますから」と言ったのだが、「いえいえ、ご自宅までお持ちします」と言うので、他にも私のように欠席する人がいるのだろうし、事務局の都合もあるのだろうと、届けてもらうことにしていた。ところが・・、届いてびっくり仰天である。な・な・な・何と、感謝状は四枚もあったのである。その一つ一つに「額縁」がついているので、かさばる上に重たい。これは届けてもらって良かったと、内心ホッとした。贈呈式に出たら、これをエッチラオッチラと背負ってこなくてはならなかった (^。^;)それにしても、どうして感謝状ばかりなの?我家は賞状を飾るような部屋もないし、もしもあっても掲げる気もない。額縁代だってばかにならないだろうに、全国規模で計算したら莫大なお金になるだろう。なんだか、ものすごい無駄遣いのような気がする。○○委員は大臣や知事などから委嘱を受けたもので、少しの活動費は出るけれど報酬というものはない。報酬がないから「公的ボランティア」と言われがちだが、私はこれには違和感を感じている。少なくてもボランティアならば、自主的な活動だが、(中にはやりたくてやっている人もいるだろうが)大半は事務局や地域の先輩などに拝み倒されて、逃げられなくて引き受けている人が多い。もちろん、私もそのクチであった。いくら「イヤイヤ」であっても、引き受けたからには責任を果たさなくてはならないから、私もそれなりに活動してはきたつもりだ。私は大して活動をした方ではないけれど、中には本当に熱心に取り組んでいる人もいらっしゃる。そんな人には感謝状もいいだろうが、私程度の人間にまで、ただその役をやっていたというだけでこんなにお金を使っていいのだろうか。貰っておいてこんなことを言うのも変だが、どうも釈然としないし、申し訳ない。実は、夫のものも含めて我家には他にも納戸に押し込まれている賞状がある。(感謝状か表彰状か、どうしてもらったのかも忘れているが)この世の中で、社会福祉に関係する世界に生きていたら、こんなことになるのだ。(他の世界のことは知らない)今回のものも含めて、我家では日の目を見ずに終わってしまうことになるはずだが、何とももったいないことである。こんな私でも、せっかく下さった額縁なので、リサイクルショップに出すのも抵抗がある。あー、この経費、せめて「図書カード」などにでもしてくれたら、本当に感謝するのになあ。・・・・・・・・・・・・昨日から、某会の会報作りをしているのだが、先ほど突然パソコンが固まってしまって、一時間半ほどの作業分がパーになってしまった。また、保存前にこんなことになって、もう、いやっ!!ただでさえ原稿の集まりが遅くて作業が遅れているのに、ガッカリである。この日記は、固まる前にアップしなきゃ。
2004年12月03日
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昨日、今年の流行語大賞が「チョー気持ちいい!」に決まったというニュースを見た。そのほかにはどのような言葉がノミネートされていたのかと、今朝の北海道新聞の記事を見た。それだけでは、どうもよくわからないところがあるので、さらにネット検索で確認。それによるとノミネートされていたのは、・ チョー気持ちいい (北島康介) ・ 気合だー! (アニマル浜口) ・ サプライズ ( 武部勤) ・ 自己責任 ・ 新規参入 (ライブドア社長 堀江貴文) ・ セカチュー (作家 片山恭一) ・ 中二階 (参議院議員 山本一太) ・ って言うじゃない… ○○斬り! …残念!!(波田陽区) ・ 負け犬 (酒井順子) ・ 冬ソナ (チュサン役 萩原聖人、ユジン役 田中美里 さん)「なるほど」というより、「へ~」という気分である。 この中で、私は世間知らずなのか「中二階」は、そういえばそんなこと言ってたかな? 程度の認識しかなかった。(ちなみに、山本一太議員は嫌いだし・・)「って言うじゃない… ○○斬り! …残念!!」については、全く知らなかった。当然、波田陽区も知らない。顔を見たら、「ああ、あの人か」と思うのかもしれないが。私の頭の中で今年一番クルクル回っていた言葉は、「自己責任」であった。あの言葉は、いったい誰が最初に言い始めたのだろう。言葉が本来の意味とは少しずれたところで、勝手にもて遊ばれたようなイヤな気分がするし、多分、多くの人がそれぞれの立場で苦い思いをするだろうから、大賞に選ばれる可能性はなかっただろう。そんな意味では、とても嬉しい気持ちを素直に表現した 「チョー気持ちいい!」が大賞になったのも、まあ、無難な結果かもしれない。だが、残念ながら私好みの言葉ではない。なんでも、「チョー」をつけるのは、日本人の言葉の表現力が貧しくなった表れだと思うので、これを大賞として認知するのはちょっと・・という気分でもある。ノミネートされた言葉の中で、全く知らなかったのが一つだけという結果には、少しばかりホッとしている。これから年末にかけて、レコード大賞などの音楽賞が色々あり、その集大成のように紅白歌合戦があるのだが、毎年これらの番組を見ていて、年末なのに「今年初めて聴く音楽」「初めて見る歌手」が続くことになることは目に見えている。年末はいつも息子達が帰省しているので、「これ誰?」「こんな歌、流行ってた?」を連発して馬鹿にされることが恒例行事のようになっている。ああ、またあの悲しい季節になったのだなあ。
2004年12月02日
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「通信教育」のテーマを覗いたらニューズレター12月号という松柏[しょうはく]さんの日記があった。「ニューズレター」と「三色旗」は慶應通信の補助教材として、在学中は毎月届いていたので、とても懐かしくなってしまった。その日記によると、慶應通信の制度が着々と再整備されているようだ。「科目の統廃合と採用テキストの更新」も進んでいるようだし、科目試験のときに学生にアンケートを実施して制度改革の参考にしているらしい。多分、かつて私が四苦八苦した古いテキストなども、もう使用されなくなっているのではないだろうか。入学の時の「小論文」や卒論指導の時のポイントも明示されているらしいので、学生にとっては取り組みやすくなっているようだ。私が在学中の大きな課題であった「レポートの早期返却」もされるようになったらしいし、大学側が真剣に通信学生のことを考えてくれていることが、学生にも見えてきているのではないか。以前、別の掲示板で慶應通信、そして通信制大学への苦言なども寄せられたが、これからは志を持って入学した人たちがみんな、意欲をそがれることなく学び続け、喜びと自信に溢れた卒業の日を迎えられるようになれば良いと思う。昨日も、「マリさん」から入学の難易についての質問があった。彼女は来年4月の入学を考えていて、私の記事なども参考にしてくれているようだが、どんどん改革が進んでいるのなら、私の古い体験など役に立たないのかもしれない。返信にも書いたけれど、現在のことは現役の学生に聞いたほうが良いだろう。それでも、通信は独学で学び続けることに変わりはないし、レポート提出と科目試験、スクーリング、という基本も変わることはないだろう。そのあたりの一般論として、先輩として少しでもアドバイスや応援ができれば嬉しいと思っている。
2004年12月01日
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