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これから出かけますので、取り急ぎ・・。昨日、ふと見つけた「ぼちぼち7203」の日記を読んで嬉しくなり、日記リンクさせていただきました。今、このような自在な発想が出来る人が、あらゆるところでとても求められていると思います。そして、自分のためだけではなく、他人や社会のために何ができるかを常に意識して、些細なことであってもそのように行動できる人が・・。お年寄りや障害を持つ人、乳幼児を抱える人を安全な場所に移して欲しいと思っていましたが、呼びかけても動かないお年寄り達が多いとか・・。「家族と一緒に、住みなれたこの場所に・・」という願いは本当によく理解できますけれど、今は緊急事態なのです。自分の行動が周囲の人たちに及ぼす影響、自分のできることできないこと、それをしっかりと見詰めて適切な行動をすることが、このような場合にはとても大切だと思うのです。切ない思いをしながら自分の本音とは違う選択をした勇気ある人たちには、どうぞ最善を尽くしてあげてください。走り書きで誤解を招く表現があったら、お許しください。
2004年10月29日
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昨日の、2歳の男児が土砂の中から救出されたニュースは、私も三人の無事を祈り続けながら見ていた。残念ながら、母親は即死状態で亡くなっていたらしいが、たった一人で4日間を生き延びた男の子の生命力に感動した。きっと、母親の魂が子どもを守り続けたのではないかと思う。ところで、このような災害の時に、どうして各局のテレビは同じような情報ばかり流すのだろう。三人の救出映像も、カメラのアングルこそ多少違っていても、内容は似たり寄ったり・・。実は、昨日、郵便局で支援金を送付したのだが、その時に窓口の人が確認に手間取っていた。私の利用する特定郵便局では、寄付金の送金は私が最初だったらしい。その時、現地の郵便事情がどのようになっているのか聞いた。長岡市に知人が住んでいるので(幸いにも自宅も本人も無事)、心ばかりの物を送ろうと思ったのだ。ところが、現地の郵便事情についても、郵便局でははっきりしなかった。「何も情報が入っていないので、多分混乱していると思います。小包は届くのに時間がかかるかもしれないので、もう少しあとにしたほうが良いと思います」とのことだった。救援物資輸送の妨げになってはいけないので、私も今無理に送ろうとは思っていない。それにしても、郵便局同士でも情報はきめ細かには流れていないということを知った。テレビ局は何局もある。テレビ局同士で時間帯で役割分担するなどして、現地の情報を流し続けるところはないものか。寄付金の送付先、救援物資やボランティアの受け入れ窓口、どこで何が不足しているのかの情報、などなど、外部から協力しようと思う人が必要な情報をすぐに手に入れられるような、本当に重要な情報を提供して欲しい。私達は、現地の人たちが困っていることなどは充分にわかっている。恐怖に引きつる人の顔よりも、何を手伝えるのかが知りたい。また、支援金がどこにどのように使われるように計画されているのかも知りたい。日赤や共同募金だけではなく、支援活動をしているNPOやボランティア団体だって、活動資金は必要だ。そのような団体の情報も提供して欲しい。興味本位の情報は、一局だけで充分だ。
2004年10月28日
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外出していることが多くて、なかなか日記を書き込めずにいる。また、震度6の地震が新潟県を襲ったようだ。地震に遭われている方々の恐怖や不安はいかばかりなものだろう。ボランティアも動き始めているようだけれども、このような時こそ機動力抜群の自衛隊の出番だろうと思うが、地元からの要請が遅かったのか、何だか出動が遅いような・・。頑丈なテント設営など朝飯前のことだろうに、自衛隊が設営するテントに避難している姿も見ない。車中で寝泊りしている人が多いようだが、そろそろ限界ではないだろうかととても心配だ。兵庫県の台風水害の被害も、まだまだ解決していない。私たちにできることは何か。行って手伝うことが出来ないなら、少額でも良いからみんなで義捐金を送ろう。私も、これから郵便局に行って送金するつもりである。また、日本人が拘束されたようだ。これからどのような展開になるのか、とても心配である。先日は、自衛隊の宿営地に砲弾が打ち込まれたけれど、現在、現地で自衛隊はどのような仕事ができているのだろう。現地の人たちに守ってもらいながら仕事をするのなら、自衛隊でなくても良いのではないか。自分達の身の安全を守るだけのために存在するのが自衛隊ではないだろうに。とにかく、今は日本が大変な時なのである。本当に必要とされている場所で働きたいのが、人情ではないか?テロや誘拐・殺人は許されないけれど、海外で誘拐された人を守るのは国の責任である。くれぐれも、また政府首脳のみならず同じ日本国民が、「自己責任」などといって、誘拐された人を誹謗中傷することがないようにと願う。
2004年10月27日
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23日(土)の午後6時頃、新潟県の中越地方でマグニチュード6.8の地震が発生。この余震が、三日目の今日もまだ続いている。記録として、ネットでの「共同通信ニュース」を転記しておく。23人死亡、負傷2100人 参考値は震度7新潟県中越地方を襲った地震の被害は24日、確認作業とともに拡大、県警の調べで死者は23人に上り、負傷者は2100人を超えた(共同通信まとめ)。死傷者数による被害規模は1995年の阪神大震災以来。防災科学技術研究所は、本震で観測した小千谷市での揺れが参考値ながら「震度7相当だった」と地震調査委員会に報告。政府は非常災害対策本部を設置した。震度5強、5弱などの余震が続き、避難者は夜になって8万5000人に達した。気象庁は「平成16年(2004年)新潟県中越地震」と命名。新潟県は被害が大きかった小千谷市や川口町など26市町村に災害救助法を適用した。営業運転中の新幹線として初の脱線事故を起こした上越新幹線の復旧には数週間かかる見通しだ。県によると、全半壊と一部損壊を合わせ建物の被害は住宅約2700棟、事務所や公共施設などが約1200棟。警察庁によると、約60カ所で山崩れが起きた。毎日報道される地震情報では、震度5前後の余震が頻発している。「震度5」なんて、余震レベルではない大地震だ。そのような揺れが次々と起きる地域にいる人たちの不安と恐怖は、いかばかりのものであろう。現在でもまだ、孤立している集落がたくさんあるという。日に日に被害者数が増えていくのは、阪神大震災の時と同様である。台風などで地盤が緩んだところへの大地震が、重複被害をもたらしたともいえるだろう。天気予報によると、また新潟地方は雨模様になり、気温も低下するそうだ。被災者の人たちの二次被害が、本当に心配である。阪神淡路大震災の時、長男は神戸に住んでいた。朝、テレビで地震発生のニュースを目にしたときの、血の気が引く思いが甦る。あわてて電話をしたら、「無音」であった。「ツー」とも「プー」とも鳴らない完全無音は、最悪の状況を想像させた。しかし、その不安な時間も、息子からの電話で一時間で終了した。こちらからは通じなかったけれど、神戸市内からの電話は通じだのだ。「神戸市内には電話が通じないし、テレビもつかないし、ここはどうなっているの?」という電話だった。あの時の、心から安堵した思いを忘れることはできない。その瞬間息子は、寝ぼけ状態の中で「戦争が始まって、爆弾が落とされたのか?」と思い、布団を頭からかぶって丸くなっているばかりだったという。湾岸戦争の記憶が新しかったせいだろうと思う。昨今の北朝鮮の脅威のニュースの中で、咄嗟に北朝鮮からの攻撃を連想した人もいたのではないだろうか。自然災害はかくも簡単に社会生活を破壊する力があるということを、またもや見せつけられている。日本のような地震国には、防災への努力がもっともっと必要である。あの阪神淡路大震災の時に得た教訓は、全く生かされていなかったわけではあるまい。しかし、現実はこの通りである。加えて、台風が次から次へとやってくる状態に日本は直面している。天災を防ぐことはできないけれど、少なくてもそのような時に情報収集を円滑に行い、必要な場所に救援に向う手段くらいは『国・自治体』の責任において確保しておいてほしい。今回は、阪神大震災の時と違って「携帯電話」が普及しているから、通信網は格段に進歩していると思っていたが、これも停電の影響を強く受けていて通じない場所が多いとか。何だか、とても間が抜けていると感じるのは、私だけだろうか。とにかく、一刻も早く被災者を救助し、生きてゆくために必要な物資を確保して欲しい。インターネット上では、必要な物資の送付先などはわかるのだろうか。これから検索してみようと思う。☆関連サイトNHKニュース新潟県中越地震情報
2004年10月25日
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台風23号の被害は、今年最悪になったそうだ。何度も何度も台風に襲われた地域の人たちに、何とお見舞いを言ったらいいのか・・。そんなニュースを気にしながら寝たせいか、久しぶりに鮮明な夢を見た。実家の裏庭と池が台風で水浸しになり、裏山の陰にある「倉(現在は夫の趣味小屋)」が流されそうになっている夢だった。夢とはいえ、とても臨場感があって、濁流が渦巻く裏庭の向こうに、倉を守ろうと必死になっている夫の姿を見て、本当に焦りまくっていた。手伝いに行こうと思っても、濁流にはばまれて行くことができないのだ。その焦りや不安感は、今もはっきりと甦ってくる。目が覚めて、「私もやはり、妻だったんだ」と、妙な納得をしながらホッとしていた。・・けれども、これが夢ではなく現実の人たちが、日本中にどれだけいることか。「悪夢であって欲しい」と思いながら、その現実と向き合っている人たちの心中はいかばかりかと思う。もしも、天気予報がない時代なら台風は「神風」と呼ばれ、神の意思を伝えるものと考えられたかもしれない。当然、時の権力者の治世が悪いせいだと考えられたことだろう。大国の言いなりになって、自国の民のことをないがしろにするせいだと、各地で一揆などの暴動が起きているかもしれない。小泉さん、天気予報がある時代で良かったね。だから、被害に遭った人たちの救済や復興のために、大いに(権)力を発揮してください。
2004年10月21日
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昨日は、某団体の「昼食会」。いつも真面目な話し合いばかりしているので、たまには食事会でもしようということだった。そのことについて書き始めたら長くなりそうだし、具体的に書くのもちょっと・・という気がするので、これについては私の「秘密日記」に書いておこう。今日は、某団体の会報作成。昨夜のうちにほとんど仕上げておいたので、今朝は確認してから事務局にメールで送付。このようなことには、本当にインターネットは便利だ。明日から二週間ほどは、毎日のように予定が入っている。もちろん、一日中というわけではないのだけれど、どこかに出かけなくてはならないというだけで、最近の私は少し億劫に感じてしまう。なぜかなあと思うが、多分秋になってきて、心身がスローペースモードになってきているんじゃないだろうか。一端外出してしまえばどうということはないのだが、出かけるまでが何となく気が重い。風邪でもひいて、欠席する理由が生じないかと思ったりする。秋冬になると、このようになる人って私だけではないと思うのだけど・・。
2004年10月19日
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今日は不登校(登校拒否)関係の集会に参加してきた。少子化にも関わらず増加し続けていた不登校が、昨年度少し減少傾向になり、様々な学校や教育行政の取り組みが功を奏したなどという論調もあるけれど、多少の数の減少が子ども達にとっての教育環境が好転した結果とは、私にはとうてい思えない。そんなことはさておき、今回の集まりは、全道各地の「親の会」「学校関係者」「当事者(不登校体験者)」など、色々な立場の人たちが集まる場であった。「どの子にも不登校は起こりうる」と、数年前に文部科学省が明言したけれど、本当は「どの学校にも不登校は起こる」と言ったほうがよいのかもしれない。ということは、教師の資質や学校の取り組みだけでは、不登校はなくならないと私は思っている。それなのに、今、子どもが不登校になった時、最初に問われるのは「子ども自身の問題」「家庭の問題」「いじめの有無」そして「担任の指導力」などと、どれも「個人的な問題」に原因を探そうとする。そのことが、それぞれの個人を責める視線につながり、関係者がフランクに対策を考え合うことを遅らせているように思う。子どもを問い詰めたとしても、たいていの場合はこどもがチャンと不登校に至るプロセスや心境を語ることはなく、子どもをいよいよ心細く不安に追い詰めることになる。最近は、各地に「親の会」ができてきた。少ないけれど「学校に行けない子どもの居場所」も、親や心ある人たちの取り組みで、設けられるようになった。通信制・単位制の高校、フリースクールなど、学ぶ方法の選択肢も増えてきた。そんな今、一番遅れているのは、「先生たちが率直に語り合える場」ではないかと思っている。私は学校現場のことはよくわからないが、色々な機会で見聞きする限り、自分のクラスで「不登校児・非行児」などが出たり、様々な状況から学級崩壊に近くなると、担任が必要以上にかかえこみ、責任を問われる状況になることも多いようだ。子どもが不登校になると、多くの(母)親はまず「自分の育て方が悪かったのでは・・」と自分を責め、自分が何とかしなくてはならないと焦り、それが嵩じて子どもを責めたりストレスが累積して子どもに当たったり、時には精神的に鬱状態になるという悪循環に入ってしまう。同じようなことが、教師にも起きているように思う。以前、学校の先生達の自主研修に参加したとき、私は不登校の親達との付き合いが長いので、そこから感じてきたことなどをお話した。そして、「決して先生達だけに何とかしてもらおうなんて、親だって思っていません。先生だってわからないことが多いはずですから、お互いにわからないこと・できないことは率直に言って、子どもが少しでも元気になるようになることを、親と一緒に考えてください」というようなことを話した。その時の、ある先生の言葉が、とても印象に残っている。「そう言われて、ホッとしました。どうも教師というものは、『わからない』『悩んでいる』と言うことが、負けを認めることのように思ってしまうみたいで・・。」今日の集まりでも、ある先生が同じようなことを言った。「わからないという勇気を持ちたいと思う。そして、色々な人と相談し合うようにしなくてはならないんですね。自分の担任する生徒が学校に来なくなると、職員室に行きづらくなることもあるのです」と。学校の先生は、きっと子ども達に言っていることだろう。「困ったことがあったら、我慢せずにちゃんと言いなさい。先生も一緒に考えてあげるよ」と。(それを言わない先生も、もちろん中にはいるだろうけれど、それは論外)少なくても、そのように子どもに語りかけている先生達は、ご自分の悩みも迷いも自分で抱え込まないで欲しい。「三人寄れば文殊の智慧」と言うではないか。この世の中、全部がわかり全てを完璧にできる人なんていない。悪循環に陥る最初の罠は、「抱え込み」ではないだろうか。自分の責任を放棄してはならないし、責任転嫁もしてはいけないが、一緒に考えあうことはそれと矛盾しない。自分のやるべきこと、自分ではできないから誰かに頼むこと、任せること、それを整理するだけでも心はスッキリしてくる。それは課題解決への第一歩なのだから。みんなが、それぞれの思いを語り合って、「苦しいのは自分だけではない」と実感し、少しだけ心が軽くなり元気になって、明日からまた頑張ろうという気持ちになる。そのようなみんなの気持ちが感じられる、良い集まりであった。
2004年10月17日
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ということは、毎日読みたい日記が増えるということで・・。最近の私は、リンクしている日記をザーッと読むのが日課になっている。もちろん、とても忙しかったり、パソコンを開いていてもどうしてもやらなくてはならないことがある時は、「ぐっと我慢」をしているけれど、時には(いや、しょっちゅうかな?)優先順位を間違えることも多い。気になるニュースがあった時は、それについて書いている日記を探したりもする。そして、自分とは違った視点や感想を読んで、「なるほど」と思ったり、「へ? そんな風に思うんだ」と頭を傾げたり。つまらないことをあれこれと思うこと(考えるとまではいかない想念)が趣味とも言える私には、みなさんの日記を読んでいる時間は結構楽しい。それにしても、いくら斜め読みとしても数が増えれば時間もかかる。随分前から、「もう、コレくらいが私の許容量」と自制していたけれど・・。やはり、自分の考えていることに近い人の文章を読むと、仲間が増えたようで嬉しくなってしまって・・・。これがネット依存へのプロセスかもしれない。自分の自律性が試されているような気がする。
2004年10月16日
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「生きていて幸せだなあ」と思う瞬間の一つに、「美味しいものを食べる時」があるんじゃないだろうか。少なくても、私はそうだ。好物の一つが「イクラ」である。しかし、夫はコレステロールや中性脂肪が高いので、イクラなど魚卵類は身体に悪い。やはり同居人が食べられないものを食卓に並べるのは可哀想だから、こんなワガママな私でも一応遠慮してしまう。今年は鮭が豊漁なのか、「生筋子」が例年より安いような気がする。特売品に「生筋子」が並んでいると、イクラの醤油漬けを作って、「イクラ丼」をおなか一杯食べたい欲求に駆られてしまう。我家の息子達もイクラは大好物で、子ども達が家にいる頃は夫も健康体だったので、毎年イクラを作って食べていた。そのせいもあってか、この時期になるとどうしても「イクラが食べたいモード」になってしまうようだ。というわけで、買い物に行って「生筋子」が安ければ葛藤を繰り返すわけだが、結局今年は三回も作ってしまった。一回目は、来道した妹家族へのお土産のため。二回目は、長男家族のため。(二歳と四歳の孫も、イクラが大好物なのだ)この二回は、私は一応夫に遠慮して、味見をした程度で全部渡してしまった。しかし、その後「やっぱり少し取って置けばよかった・・」と、「もっと食べたかった・・」という不満が心を渦巻いていた。そして、とうとう数日前、なんと「100グラム150円」という、今までに見た中での最低価格を目にしてがまんが出来なくなった。今回は、誰に差し上げる予定もない。「私が食べるんだ!」という身勝手な決意に基づくイクラ作りであった。そして、夫不在の昼食メニューは「イクラ丼」にするぞと決めた。いつもは「残り物整理」の昼食が、俄然豪勢になってニンマリである。一人で美味しいものを食べても味気なく思う人もいるだろうが、幸いにも私は、美味しいものを独り占めしても幸せを感じられるのだ。(意地悪で食べさせないのではない。夫の身体のためであるし・・)しかし、夫とてこれは好物の一つ。今夜は、ホンの少しだけ味見をさせてあげようかな・・。お昼ごはんにイクラ丼を食べているなんて、間違っても口にしないように気をつけよう。
2004年10月15日
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昨日のアクセスは、最近にない多さだった。やはり、「集団自殺」についての関心は高いのだろうと思う。日記リンクをしているk-nanaさんの今日の日記「名誉回復のために」で、「身勝手」などと死者に鞭打つようなレッテルを貼らないで欲しいというようなことが書かれていた。私の昨日の日記も、ひょっとするとそのような部類に入るのだろうかと見直してみた。(彼女は、別に私の日記を批判しているわけではないのだが)確かに、死者に鞭打つ書き方とも言えるかもしれない。ということで、念のためにもう一度書くけれど、私は「自分の死に人を誘うのは身勝手ではないか」と書きたかったのだ。私の周囲の自殺した人も、生きている間は身勝手とは対極の人たちばかりだった。むしろ、周囲に気を使いすぎていたのが、自分を苦しめる要因ではなかったかと思う。彼らは、一人ぼっちで死んでいった。私の叔父もそうだったけれど、遺書すらも残さなかった人もいる。そのような人たちに、「身勝手だ」と言うつもりはさらさらない。だから、残された人達も彼らを非難するようなことは間違っても言えず、ただただ死者の苦しみに気付かず、死んだ人の優しさに甘えていたことへの痛恨の思いに苦しむ。気付かなかったことは悪いのかもしれないけれど、彼らのサインは本当に控えめで、よほど敏感な人でなければ気付けなかったということもある。鈍感な人を「罪な人だ」と私は責めることができない。なぜなら、私も自分の痛みには敏感だけど、他人の痛みには鈍感な人間だと思うから。私もまた、「あの時、もっと何か出来る事はなかったのか?」と自責の念にかられることはあるが、それが私の限界でもあったのだからどうしようもない。でも、これははっきり言える。もしも彼らが「死のうと思う」あるいは「死にたい」と言ったなら、「あなたが死んだら、私は辛い。だから死なないで欲しい」と言っただろう。ましてや、「誰か仲間を誘って死のうと思う」などと言ったら、「そんなことを言うのは病気に違いないから、一緒に病院に行こう」というだろう。間違っても、「死」への願望を口にする人に、「バカ言ってんじゃない!」なんて笑ったり、相手にしなかったりはしないつもりだ。ただし、それは「直接顔の見える相手」に限る。いくらネット上で付き合いがあろうと、私には「文字だけ」でその人の全体を理解する力はない。部分的に共感や理解は出来ても、その人の生き死にに関わることを責任を持って言うことはできない。だから、控えめに「死なないでほしい。あなたの周囲の人は悲しむだろう」としか言えない。その人が「周囲に悲しんでくれる人なんていない」と言ったら、「そんなはずはない」とは思うが、「絶対に違う」とまで断言は出来ないのだ。ネット上の交流というものは、その範囲だと私は思う。それをわきまえることが、とても難しい状況になっているらしい。それが、私には怖いことだと思う。
2004年10月14日
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埼玉の7人 ネットにのめりこみ、子供に遺書もというニュースに、「またか」と悲しくなる。人間、生きていれば「死んだほうがマシだ」と思う時期は一度や二度はやってくる。そのような思いをしたことがない人は、今までとても幸せであったか、あるいはとても「鈍感」な人であるかのどちらかだろう。後者の場合は、ひょっとすると周りの人に「この人さえいなければ・・」と思われているかもしれない。私は、死にたいほど辛い思いに長年捉われている人は、とても気の毒だと思う。そして、その苦しさに耐えられず自ら命を絶ったとしても、単純に責める気持ちにはなれない。今までに、何人もそのような死に方をした人を知っているが、死んだ本人に対しては「辛かったね。よく今まで頑張った。お疲れ様」と、手を合わせている。しかし、ひとたび目をその家族に転じると、その悲しみや苦しさは死んだ人に勝るとも劣らない。このように悲しんでくれる家族のことにすら思いが至らないほど、苦しかったんだろうと思うしかない。そして思う。死にたくなったなら、自分が死んだ時の家族の気持ちを考えようと。以上のように、一人で死んでいく人に対しては、「もう少し頑張ったなら、光が見えたかもしれないのに」くらいしか言えないのだけど、自分の死に仲間を募るのは卑怯だと思う。死ぬ覚悟ができたなら、自分ひとりで死になさい。迷っている人を誘うようなことはやめなさい。一緒に死ぬ人を見つけて、傷をなめあいながら死んだ人たちに対しては、同情はしないことにする。生まれたからには、生き続けることが一番の仕事だと思っている。人は、一人だけでは生きて行けない。一人だけで生きてこなかった人間の命は、自分だけで勝手に断ってはいけないのだと思う。自分の命を粗末にしないということは、今まで自分を支えてくれた人たちへの最低限の思いやりの表明だ。思いやる心を見失った時に自分一人で死ぬのまでは何とか認めるとしても、人を巻き込むほどに身勝手な人を認めるわけにはいかない。【追記】上記のことを書いてから、いろいろと考えていてフッと思った。集団自殺した人たちは、ネットにのめりこんでいたという。私が「自殺」という言葉で連想するのは、生きていることがとても辛い状態になって、その苦しみから逃れるために死を選ぶという状況である。生きていることが辛くなるには、挫折や病気、失望・絶望など、生きづらさの積み重ねによる精神的疲労、または精神的に病んだ状態になってのことと思っていた。しかし、ひょっとすると、ネットで仲間を募って死ぬタイプの人たちは、今までの「自殺への道のり」とは違うのではないか。私は、パソコンを使うようになって、とても目が悪くなった。それと似たようなことが、脳内でも起きるということはないだろうか。現実生活の苦しさの有無とは無関係に、死を希求する傾向性を生じさせる何かが・・。ストレスによる生理的変化についての研究は色々あるようだが、パソコンなどの機械に向い続けることによる生理的・心理的変化、パーソナリティーの変化などについての研究はどうなっているのだろうか。
2004年10月13日
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朝から小雨交じりの天候だったけれど、今が紅葉の盛りということで、夫に誘われてニセコ方面へ。支笏湖の美笛峠を越え、留寿都から真狩を通りニセコへのルートである。先月の「風台風」の爪あとが、道路脇にも次々と見られる。大風で木が痛めつけられたので、今年の紅葉はあまり美しくないという話をきいていたが、北海道の木々は予想以上にたくましかった。小雨交じりの天候だったせいか、黄色に色づき始めた木々が「灯火」のように森林を明るくしている。まだ中心部に緑が残り、その縁取りをするように黄色く色づいているので、色がとても鮮やかなのだ。その間に、花が咲いたように真紅の紅葉が輝いている。そして、ところどころには針葉樹の深緑色がきりりと景色を引き締める。この針葉樹があるから、北海道の紅葉は美しいのだと思う。ニセコから岩内に抜けるニセコパノラマラインを上っていくと、次第に雲海の中に入り込みあたりは全く見えなくなった。そのあたりは「ダケカンバ」の樹林地帯でもあり、紅葉とダケカンバの白骨のようにもみえる白い木肌が、この世のものではないような風景を見せてくれるのだけれど、とにかく天候には勝てない。五色沼温泉のほうにも行ってみたが、状況はほぼ同じで、車から降りることもなくUターン。それでも、視界が開けるあたりの紅葉は、本当にきれいだった。もう一つのお目当ては、ニセコの駅前に出来たという温泉に入ること。ニセコ駅前の「綺羅乃湯」はすぐわかり、その駐車場に車を止めると同時に、何と「ボーッ!」という汽笛の音が!えっ?と振り向くと、ニセコ駅にSL列車が入ってきた。そういえば、期間限定でSLが走るとどこかで見たような気が・・。それが、これほどグッド・タイミングでやってくるとは、何と言う幸運であろう。急いで駅のほうに走り、なつかしいSLの写真を撮った。私が中学生の頃までは、SLが主流であった。通学路は線路沿いにあったこともあり、特に冬季間は線路を道路代わりに歩いたりもした。(今と違って、通学する道は除雪されているわけでもなく、吹雪いたらすぐに道の痕跡も見えなくなる。列車が来たら避ければいいだけのことなので、大人も「線路を歩くな」なんて注意もしない時代だった。久しぶりに汽笛の音を聞き、煙の匂いを嗅いで、幼い頃に戻った気分になった。温泉は、洋風と和風の浴室が日替わりで男女交替になるらしい。本日は、女性は「和風」だったようだが、とても落ち着いた雰囲気で良かった。さほど混んでもいなかったので、ゆっくりと露天風呂やサウナまでも楽しんでしまった。ところで、ニセコの商店街がとてもシャレた町並みに変化していたのにはビックリ。ニセコ駅は、昔からヨーロッパ風のシャレた建物だったけれど、この町全体がそのような感じになっている。でも、これにも随分お金がかかっているのだろうなあ。改築に際しては、きっと色々な助成金などもあるのだろうけれど、それぞれの家では借金もかかえているのじゃないだろうか。今回のドライブの道中も、あちこちで道路工事がされている。もちろん、補修などは当然必要なのだけれど、曲がりくねった道路を直線にするとか、多少の曲線を直線にするらしいとか、あまり意味がないように予想される「工事をするための工事」のように思えるものも多かった。北海道で交通事故が多いのは、スピードの出る直線道路が多いせいもある。グネグネした道路では、以外に事故は起きないものなのだ。それに、あまりスイスイ走れる幅広い道路は、周囲の景色を味わう風情もなくしてしまうのに。もう少し晴れていたならと、ちょっぴり残念。でも、ニセコの紅葉は、今が一番美しいのではないだろうか。
2004年10月11日
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若い頃は毎晩のように明確な夢を見て、かつそれを覚えていたものだが、いつの頃からか夢を見ても忘れてしまうようになった。私の夢は「現実的」なものが多く、ファンタジー的なものはほとんどない。「非現実的」なものも、自分の日常から考えればそうだけれど、戦火の中でうろついていたり、(多分戦争の)焼け跡の後始末をしていたりなどは、今も地球上で現実に起きていることだ。幼い頃や若い頃が舞台の夢も時々見るけれど、それも最近はとんとご無沙汰だった。夢を見たような感じはするけれど、内容を覚えていないというパターンばかりになっていたのだ。今朝は、本当に久しぶりに「夢を覚えていた」。せっかくの貴重な出来事(?)なので、書いておこう。舞台は私が卒業した中学校の校舎である。当然、当時の校舎なので、木造の薄暗い隙間風の入り込むようなボロ校舎である。卒業式を明日に控えているのだが、私はまだ提出しなくてはならない宿題(のようなもの)を出していないようだ。それで、同じような同級生と一緒に、音楽室でそれに取り組んでいる。確かに同級生なのだが、それが誰なのかはわからない。直線の校舎の右端が音楽室、玄関は左端にある。夕方になり、校内は暗くなり、私達は急いで帰ろうとした。(提出物は完成したのか?? わからない・・)暗い廊下は永遠に続くほど長くて、私達は暗闇の中を手探りで玄関に向う。障害物など学校の廊下にそんなにあるとは思えないのだが、なぜか私は何度も躓いて転んで立ち上がり、廊下の壁を手探りで歩いている。先に玄関に行った友達が、「早く、早く」と呼んでいるのだが、私の足はなかなか進まない。どうして私はこんなにノロマなのかと、焦りと申し訳なさと不安で、ほとんどパニックになりそうな気分。そんなことをして、やっとの思いで玄関にたどり着き、自分の下駄箱を見ると・・。そこには私の靴がない!!またまた薄暗い下駄箱を次々と探すのだが、どうしても見つからない。「あった!」と思ってはいてみると、小さすぎたりしてガッカリすることを繰り返す。誰かが、「人のを借りて帰りなよ」と、とても迷惑そうに勧める。しかし、妙に融通のきかない私は、それをすることができない。「私のことはいいから、みんな先に帰って!」といいたいのだが、今度は声がでないのだ。・・・その後、どうなったのかよくわからない。多分、そのあたりで目が覚めたのだろう。このような夢を見た時の常なのだが、目覚めた時はドッと疲れてゲンナリした気分なのである。多分、「悪夢」のジャンルに入るかも・・。考えてみれば、私の夢にはこのようなパターンが多かった。やることなすことうまくいかず、焦って不安で泣きそうになって、それでも何とかしなきゃともがいている。そんな夢を見る時はも現実生活でも何かに追われていることが多い。今の私も、二つの会報の作成期限が迫っていて、せめて一つだけでも連休前に仕上げたいと思っていた。そしてまた、中学校の夢を見たのは、多分一種の「予知夢」だったのだろう。というのは、午前中にパソコンで会報作成作業をしていたら、珍しい訪問客があったのだ。チャイムで玄関を開けると、中学の同級生Oさんが立っていた。彼女の人生も色々なことがあり、結局彼女は「○○○の塔」の信者となった。子連れでパンフレットを持って歩くことを「奉仕活動」と称する宗教である。随分前になるが、何度も彼女の訪問を受け、昔からのよしみで無下に拒否することも出来ず、何度かその小冊子を買った事があった。しかし、彼女が自分の子どもが中学生になっても一緒に歩く姿にはどうしても納得が出来ず、とうとう私は勇気を出して(彼女のいうところの)奉仕活動がらみの訪問を断った。「同級生として遊びに来てくれるなら、私は嬉しい。でも、あなたの信仰している宗教に対しては共感できないので、それが目的なら残念だけどこれ以上はお話が出来ない」と。それ以来、パタッと彼女の訪問は途絶えた。断っておくが、彼女は本来、とても真面目で優しく、かつ頭の良い人だ。ただ、その性格ゆえにのめりこんでしまったと私は思っている。さて、本当に10年ぶりくらいの訪問で(町で出会ったことなどはある)、正直なところ私は身構えてしまった。しかし、彼女は直接的には宗教がらみの話はせず、同級生や先生などの消息などを聞いてきた。彼女は、そのような活動をしていることもあってか、あまり同窓会には出てこないのだ。お互いの子どもの話になり、あの頃一緒に歩いていた息子さん達はどうしているかと聞くと、アルバイトをしながら奉仕活動をしているという。・・・・何と言えば良いのか・・・信仰は自由である。自ら選んだものなら、私は何も言わない。しかし、彼女の子ども達は、自ら選んだ信仰といえるのだろうか・・。さらにショックなことがあった。息子さんの話をしていたら、玄関の脇に人影が見えた。この活動は複数で歩いていることが多いので、「お仲間?」と聞いたら、そこには私も知っている少女がいた。その少女は、一時期学校に行けなかったり拒食になったりと、辛い思いの日々をくぐってきた。当然その母親も、とても辛い思いをしていた。彼女がいつからこの宗教に入るようになったのか、私は知らない。しかし、まだ16歳なのだ。「えっ! Aちゃんもこれに入っているの?!」私は、二人を前に、さらに絶句するしかなかった。そして、内心の困惑と混乱を必死に隠しながら、「今日はちょっと用があるので・・。元気でね」と言って、やんわりとサヨナラを言うしかなかった。というわけで、今日は悪夢の二重奏の気分である。しかし、一つの会報だけは仕上げ、先ほど印刷もしてきた。今夜は安らかに眠りたいものだ。
2004年10月08日
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何ヶ月か前から、変なメールが時々届くようになった。このようにHPを開設しているから(実は、関わっている団体のHPも管理している)、自分のアドレスは色々なところで拾われる可能性があることは覚悟している。だから、「未承諾広告」なんていうものは、まあ仕方がないと諦めているのだが・・。どうも納得できないのが、私が出会系サイトに登録しているんではないかと思うようなメールが届くことだ。それも、女性から。女らしくはないかもしれないが、一応私は「女性」だ。人妻にお誘いを受けたら、「ゲーッ!」という気分。また、私からのメールが届いたのでその返事というようなメールが届くと、気持ちが悪くてならない。他人のアドレスを使ってメールの送受信ができるのか?また、時々ではあるが「あなたから妙なメールが届きましたが、私には心当たりありませんので」というような、相手も迷惑顔らしいメールが届くこともある。ウィルス感染が怖いので、プロバイダにウィルスチェックサービスを受けているのだが、最近は「受信メール中にコンピュータウィルスを検出しました」というお知らせが時々届く。相手のアドレスは通知されるので、知人ではないかと確認するが、見知らぬ人ばかりだ。ひょっとすると、HPを見てメールを下さった人かもしれないけれど、内容まではわからないので削除している。もしも、私にメールを出して返事が届かない方は、ウィルス感染の疑いがあるのでご用心を!所持している携帯電話にも、結構迷惑メールもどきが入る。一時はCメールが多かったが、最近はそれほどでもない。でも、今日は不気味だった。本州に住む妹から、私からの変なCメールが入ったと、確認の電話があったのだ。何でも、携帯の留守電(?)に私らしい声が入っていて、「今、こっちに来てるから会わない?」と言っていたそうだ。私だと思いこんだ妹は、ちょっと声が違うような気がするけれど・・と、確認してきたのだ。もちろん、私ではない。どうなっているのかと、本当に不気味な世界である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気がつくと、この日記は[400件目]であった。開設してから一年四ヶ月、我ながらよく続いたと思う。「どうしようかなあ」なんてね迷うことも時々あるが、それほど多忙な日々を送っているわけでもないし、ネット依存になるほどでもないので、気が向くままにこれからも続けていこうと思う。
2004年10月05日
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急に友人に誘われて、「トゥー・ブラザーズ」を観てきた。実は、この映画については全く知らなかった。事前情報は、「動物の映画だよ。双子のトラの話」という友人の言葉だけで、特別見たいと思っていたわけではないが折角のお誘いなので、ネットで情報を仕入れる間もなく出かけたわけだ。近くのシネコンで18:30分頃から見たのだが、何と観客は私達を含めて三人のみ。私は内心、「あんまり有名な映画じゃないんだろうか?」なんて思ったくらいだ。誘ってくれた友人は動物好きだが私はそうでもないので、上映が開始するまではさほどの期待感もなく、貸切り状態の館内で友人との雑談(映画とは無関係)を続けていた。・・ところが・・。何という映画なんだ!!!そこは昨年私が訪れた「カンボジア」の風景そのもの。内容は、ジャングルの中の遺跡をねぐらにしたトラの夫婦に、可愛い二匹のトラの兄弟が誕生し、ハンターによる「トラ狩」で親と離れ離れになったトラ達の波乱万丈物語である。トラの親子の情愛、兄弟の絆、トラと人間の友情、人間の身勝手さや弱さ、そして優しさ、もう感動のオンパレードという感じだが、何よりも驚いたのは「トラと人間が一緒に演技をしている」ことだった。私はどうも、物語にドップリと感情を移入できないところがある。子トラの表情やしぐさ、親子のトラの情愛を感じさせる動作、目の表情など、どれをとってもとても自然でありながらストーリー性があるので、そのような映像に仕立てていった監督やカメラマンの(多分)ものすごい辛抱強い努力を感じて、そちらのほうに感動してしまった。帰宅してからこの映画のサイトを見てみると、やはりという感じであった。この映画のために用意されたトラは30頭(内18頭は子どものトラ)で、シーンにあわせて性格や能力の違うトラをキャスティングしたそうだ。カメラマン達は檻の中に入り、何台ものカメラを終始回し続けて撮影したという。いくら人間に慣れているとしても、相手は「猛獣」である。どれほどの緊張感の中で撮影が続けられたかと想像すると、それに感動してしまう。映画を見ている間は、舞台がどこかなのかははっきりとわからなかった。昨年訪れたアンコール遺跡や、プノンペンの王宮に似ている場所が出てきたが、カンボジア・ラオス・タイには似たような場所が多いと聞いていたし、出てくる住民達の服装を見ると、ベトナムのように感じる時もあった。いずれにせよ、フランス植民地時代のインドシナが舞台である。私が多少ボランティアで関わっているカンボジアは、この映画の時代の後も、苦難の歴史を刻んでいる。大切な遺跡群が、略奪や破壊を繰り返され、その波の中にそこに生きていた人達は翻弄され、トラなどの動物達も追い詰められていったのだ。(動物どころか、同国の人間をも虫けらのように虐殺したのだ)そして、今現在も、カンボジアの人たちはまだまだ苦難の状況にあるのだ。大国の人間の身勝手さも、この映画は背景にしのばせている。はっきり言えることは、この世で一番怖い動物は人間だろうということだ。しかしその人間には、「家族愛、友情」などを希求する心ももっていて、こんなに大変な思いをして感動ドラマを作りたいと願う動物でもある。最近は映画を見る機会が多くなっているのだが、映画って色々なことを考えさせてくれるものなんだなと、あらためて思う。
2004年10月04日
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夫が、仕事がらみで某市の「紅葉まつり」に行ってきた。帰宅して、イベント中の賞金つきゲームの顛末を話してくれたのだが・・。子どもでも簡単に参加できるゲームで賞金が付いているので、家族ぐるみで参加していた人が多かったようだ。○×ゲームに近いもので、ロープで区切ったところを移動して、ダメだった人はその場から離れるという方法だったらしいが、人数が多くてわかりにくいことをいいことに、再度こっそりともぐりこむ人も多かったようだ。自分が勝手にズルをするならまだしも(それだって良くない!)、子どもに「いいから入りなさい」と親がそそのかしている人が何人もいたとか。さらにひどいのは、係員が「ダメだよ」と指摘しても、「いや、僕は最初からこっちにいた」と強気で頑張り通し、周囲のひんしゅくを無視して、何とその子が賞金を獲得してしまったとか。夫は後方からその顛末を見ていたのだが、まさか賞金獲得までしてしまうとは思っていなかったので、結果を見て愕然としたと言っていた。いきさつを知らない司会者は、「おめでとうございます! ご感想は?」なんてインタビューして、その子は悪びれることもなく、生意気な受け答えをしていたらしい。その少年がズルをしていたことは、彼の周辺にいた子ども達もわかっているはずだ。そのような顛末を見ていた子ども達は、何を感じ、何を学んだのだろう。ひょっとすると、「世の中はずるいことを堂々としたほうが勝ちだ」なんて思う子がいたかもしれない。「このような場合には、ごまかしてもいいのだ」と思う子がいたかも・・。何より、当のご本人は、これから一層堂々とずるいことをすることは間違いがない。ゲームとは言え、このような不正を許さない厳しさが、子ども相手のイベントだからこそ必要なのではないだろうか。子どもの言い訳に負けてしまった担当者は、どう思っていることだろう。
2004年10月03日
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先日、若者対象のボランティア交流研修会で、初めての講演体験をした。以前からの知り合いに頼まれたので無下に断ることが出来ず、私なりに精一杯準備をして、緊張して臨んだ。一時間は、写真などを多用して、自分の体験や出会った人達の話をし、後半は質問用紙に書かれたことに答えるという形をとった。思いがけずたくさんの質問や感想が寄せられて、私の話が共感を持って受け止められ、また色々な質問を喚起する内容であったことを確認し、ホッとした。もともとボランティア活動に関わっている人たちだったから、私の言葉も「ボランティア活動の先輩」の話として、共感をもたれたのだろうと思う。さて、今朝はやはりボランティア活動に関わっている知人から、高校生を対象にしたボランティア研修会の案内がメールで届いた。その内容を見ながら、どうもこの手の研修会は、マンネリ傾向にあるのではないかと感じた。私が話をさせていただいて言うのもなんだけど、ボランティア活動について勉強するような研修は、参加者にとってはあまり魅力がないのではないかと思う。特に、ボランティア活動を推進する仕事をしているような人の話は、あまり面白くないことが定番だ。それよりは、実際のボランティア活動の苦労話や感動体験、あるいは障害を持つ人たちの体験談など、自分達とは違う視点や生き方と直接触れ合うような研修が良いと思うのだが・・。たとえば、ボランティアのキーワードにもなる「無償性、自発性・共生」なんてことも、どれ一つとっても現実の生き方や活動の中では矛盾をはらむものである。その矛盾にしっかりと向き合ってこそ、そのことの大切さと、大切にすることの困難さがわかるものだ。向き合うためには、その間でもがいている人の率直な話を聞かなくては始まらない。そんなことを常々感じていたので、私は自分の話の中では、意図的にそのような話をしたつもりだ。(でも、まだ中途半端だったと思う)特に学生達は、指導され教えられることにはうんざりというのが正直なところではないか。それよりも、社会の偏見や差別に苦しんでいたり、大人になっても様々に悩み迷いながら、それでも希望や夢や感動を失っていない人たちに、一人でも多く出会わせてあげたい。そのような出会いとの感動から、若者達は自分で何かをつかみ取るに違いないと信じている。
2004年10月02日
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友人の仕事がお休みだということで、突然誘われてドライブに行くことになった。そろそろ紅葉が始まっているのではないかと期待して、支笏湖方面へ出発。千歳から支笏湖に向う道路脇には、先月の台風でなぎ倒された木々が倒れたままになっている。特に、白樺やエゾ松・とど松類が倒れているように感じる。あちこちで道路工事がされているのは、台風と関係があるのかないのか・・。もちろん、倒木処理に動いているブルドーザーなどもみかける。昭和29年の台風以来の被害というが、その時の倒木処理には5~6年かかったと聞いている。今は機械類も発達しているから後始末にはそんなにかからないとは思うが、あれほどなぎ倒された森林が元の姿にもどるには、結構な時間がかかることだろう。あらためて、自然の力の大きさを感じた。本州では、また台風被害が起きている。こちらでは考えられないような集中豪雨による土砂崩れなど、考えるだけで恐ろしい。温暖化で、本州が熱帯地方になり、北海道がいままでの本州のような気候になってきているのだろうか。これから地球は、そして日本はどうなっていくのだろうか。さて、支笏湖周辺の紅葉は、チラホラ赤みがかかってきているというところだろうか。いつ訪れても、支笏湖の水はキリリと青くて美しい。周辺があまり観光地化されていないので、大自然の中の湖という風情がある。この湖の姿は、太古の頃から変わっていないのではないかと思わせてくれる。昼食は、支笏湖畔の反対側に位置する「丸駒温泉」のレストランで。それこそ、人里離れた場所にある温泉ホテルなのだけれど、平日の昼食時間にもかかわらず、結構人が来ていた。私達同様、紅葉目当てなのか、ちょっと足を延ばした贅沢なランチを楽しむのか・・。年齢層は、もちろん中高年。静かな湖を眼下に、友人と久しぶりの会話を楽しんでいると、この瞬間にも命の危険と隣り合わせの人々が世界には一杯いるということが不思議なほどだ。時間がなかったので「露天風呂」には入れなかったけれど、ここの露天風呂は湖と直結。詳しくは、丸駒温泉のHPをご覧下さい。
2004年10月01日
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