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オリンピックに出場する人たちには、一人一人に大変な努力とそれまでのドラマがある。どうしてもメダルの期待できる人に焦点が当たるので、その道程を自分のことのように感情移入して、一喜一憂してしまうことも多い。そのことを否定はしないし、そこにスポーツの価値も確かにあるのだが、ファンの一方的な期待が一人の人間にとって重荷になるのなら、外野席は気にせず、自分と自分の愛する人のために持ちうる力を発揮してほしいと先日のブログに書いた。今回のオリンピックで一番金メダルを期待されていたのは、女子ジャンプの高梨沙羅ではなかっただろうか。あの小柄な背中に、どれだけの重荷を背負っていたのかと思う。結果はメダルに届かなかったのだが、それがプレッシャーの重さというものではないかと感じた。浅田真央のショートの失敗も、きっとそうではないかと勝手に想像していた。そして、もうメダルは気にしなくていいのだから、自分自身のためにだけ滑ってほしいと祈っていた。それでも、前日の大変なショックがあるだろうから、フリーも悔いが残っては可哀そう過ぎるとも。きっと、ほとんどの日本人がそう思っていただろうと思う。そんな中で、やはり真央は特別の人だった。昨日は、何度も何度もフリーのビデオ映像を見て、それほどのファンとは言えない私も、その都度こみ上げてしまうものがあった。プレッシャーに押しつぶされ、そしてたった一日で心を切り替えて立ち直り、自分の持てる力のすべてを出し切ったすがすがしさ。日本人が感動しただけではなく、世界のトップスケーター達から称賛の声というニュースを見て、浅田真央は歴史に名を残す「世界の真央」なのだなと、改めて思った。【フィギュア】世界が真央称賛!皇帝プルシェンコも「真の戦士だ」「今夜の主役は真央」「真の戦士だ」。ショートプログラム(SP)で大きく出遅れながら、フリーで完璧な演技を披露して10人抜きの6位になったフィギュアスケート女子の浅田真央(23)=中京大=に、世界のトップスケーターたちがツイッターなどで賛辞を贈った。 フィギュアの「皇帝」と呼ばれ、ソチでも団体で金メダルを獲得したロシアのエフゲニー・プルシェンコは、浅田がフリーで成功させたトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を称賛し、「真の戦士だ」と投稿した。 長野五輪で銀メダルに輝いた米国のミシェル・クワンさんはSP後「悲痛」と顔文字付きで書き込んだが、20日の会心の演技後は「永遠に忘れられないパフォーマンスだ」と喜んだ。バンクーバー五輪で浅田選手に次ぐ銅メダルを獲得したカナダのジョアニー・ロシェットさんも「素晴らしいスケート」と興奮気味に書き込んだ。 ソルトレークシティー五輪王者のロシアのアレクセイ・ヤグディンさんも「泣きたくなるほど素晴らしい」とたたえた。五輪で2回銀メダルを獲得したカナダのエルビス・ストイコさんは、メダリスト3人にひと言ずつ触れながら「私にとって今夜の主役は浅田真央だ」と記した。 10代のころから浅田選手のライバルだった安藤美姫さんとみられるツイッターは「メダルよりも価値のある物を見せて、プレゼントしてくれたのかなと思います」との言葉を送った。真央ちゃん、本当にお疲れ様。しばらくのんびりするために、北海道の「湧駒荘」の温泉に浸かりに来てください。
2014年02月22日
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ソチオリンピックが始まった。始まる前から、日本人選手が何個メダルを取るかどうかと、予想談義がテレビで展開されていた。四年に一度のことだから、夢を語るのもいいけれど、心のどこかでは「なんだかなあ」という気持ちが泡のように立ち上っていた。人は誰でも、自分ではかなえられない夢を他人に託すことがある。他人の夢を自分の夢と同一化し、託した人が期待外れだとあたかもその人のせいで夢を壊されたと腹を立てたりすることもある。そんな心理を受け止めてなのか、スポーツ選手が「人に夢を与えられるように頑張ります」なんて言ったりもする。そんな言葉を聞くたびに、「それは違うよ。人に夢なんか与えようとしなくていいんだよ」と、心の中で呟いている。期待された結果を出せなかった時、精一杯頑張ってきたのにも関わらず、選手が「申し訳ない。ごめんなさい」と言ったりする。謝らなくたっていい。勝手に期待して勝手にがっかりしている人に、謝る必要なんてない。メダルを期待するのだってこっちの勝手なんだから、それをプレッシャーにしてしまったなら、謝るべきはこちらの方なんです。期待されて、期待にこたえられずに、それ自分のせいだと自己嫌悪で辛くなり、心も体も縮こまっていって、次第に身動きとれなくなる若者たちが多い。その現実がこの日本にはあふれかえっているのに、そして自分自身もその辛さと闘っているかもしれないのに、みんな束の間の夢を誰かに託し、「ガンバレ、ガンバレ」と叫び、夢が破れたと感じた時には、「やっぱりダメだったね」なんて忘れ去り、次の夢を託す人を探していたり…。他人のために頑張るようなことは言わなくていい。自分と自分の愛する人のために、持てる力を発揮してほしい。それ以外の誰かのことを気にしていては、心は自由にはなれない。心が自由にならなければ、体だって自在に羽ばたけない。メダルの数が、そんなに大切なことですか。期待されないことも寂しいでしょうが、期待され過ぎるのは選手にとって邪魔なだけのような気がする。とはいえ、私は「競争」で勝つということそのものが元々避けたい性質なので、こんなことを思うのかもしれない。アスリートというのは、「期待を力に変える」ことができるのかな。でも、きっと周囲の期待を否定できないから「期待を力に変えます。応援よろしくお願いします」と言うのかも。あのマニュアル言葉のような「応援よろしくお願いします」の言葉を聞くたびに、期待に対して過剰適応している現代の若者の姿を感じるのは、私が特別に天の邪鬼だからでしょうか。選手たちには、それこそ彼ら自身の夢の舞台で持てる力を全部使って、「今の自分の力では上出来」と納得し、その喜びを素直に表現してほしい。もしもマイクを向けられたなら、マニュアル化したような言葉でも、マスコミ受けするような言葉でもなく、自分の言葉で素直な気持ちを語ってほしいと思う。少なくても私は、そんな言葉に「ありがとう」と拍手したいです。
2014年02月10日
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