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昨日は「きんとん」と「黒豆」を作りながら、そこそこの掃除洗濯。今日は、煮物系の料理を数点を、大物の洗濯をしながらやる予定。明日は息子の自宅に行って、「餅搗き」である。昨年までは私の実家を会場に餅つきをしていたのだが、小学校6年生の孫が、31日までバレーボールの練習があるというので、帰宅してすぐにお餅を搗くためには、息子の家でやるしかないということで…。お嫁さんは最初からお餅つき準備をしたことがないので、夫が年越し蕎麦を打ってから、午前中には諸々の食材等を持参して出発しなくてはならない。「餅つき」は、もちろん「杵と臼」でつくわけです。1週間ほど前に町内会の餅つき大会があって行ったのだけれど、私はお餅のちぎり役だった。私より年配の人が何人もいたのだけど、「お餅をちぎったことがない」という人ばかりで驚いた。私の町内会ではこの行事は初めてだったので、杵取りもちぎり役もできる人は、たった二人だけ!ひょっとすると、できても遠慮深くしている人がいるのかもしれないが、私はその事実にちょっと驚いた。どちらもさほど難しいことではないのだが、やったことがなければ尻込みする気持ちもわかる。今回は、私もそれほど上手ではないが、搗きたてのお餅のちぎり方を教える立場。うーん、私も「お年寄り」なんだなと実感です。明日は、お嫁さんにお餅つきのイロハの伝授をしてきます。
2014年12月30日
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キム・ジョンウン第1書記の暗殺を題材にしたコメディー映画「ザ・インタビュー」が、サイバー攻撃やテロ予告にも屈せず公開されたという。それに対して早速北朝鮮は北朝鮮 映画公開でオバマ大統領を非難12月27日 15時03分まあ、そうなるでしょうね。本当に表現の自由のための公開なのでしょうか。いや、違うでしょう。興行収入の欲に屈したと言った方がいいんじゃないですか。何でも「自由や正義のため」といいながら、強欲な国(や人)がどんなことをしているのか…。美しい言葉で惑わされてはいけないと思う。こんな悪趣味な映画を作った会社が、「ソニー系列」ということが、私はとても恥ずかしいと思う。喜んで観て笑っている人、自分の感性を疑ってください。
2014年12月28日
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私は子どもの頃から、毎晩のように夢を見ていた。それも、どちらかというと「悪夢」に近い夢が多かったように思う。ひょっとしたら楽しい夢も見ていたのかもしれないが、目覚めて印象に残る夢は楽しくないものが多い。仕事をしている頃は、何かの事業やイベントの準備の時に悪夢でうなされることが多かったが、不思議なことに「悪夢」を見たらその事業はうまくいく傾向にあった。きっと、夢に見るほど必死に仕事をしていたからであって、失敗やミスを犯す時は、絶対に悪夢は見ないのだ。次第に、事業が終盤にかかった時には「悪夢を期待する」ようになってしまった。退職し、追い詰められる気持ちになることが少なくなったせいか、悪夢どころか夢を覚えていないことが多くなった。夢は見ているのだが、どんな夢か思い出せないのだ。まあ、別に覚えていなければならないわけじゃないので、「年のせいかも」なんて思っているのだが…。ところが、このところかつてのようにとても現実とリンクする夢を時々見る。その中で、先月末と、今朝の夢を覚書として書いておく。「先月末の夢」…覚えていたつもりなのに、書こうとしたら半分忘れている(>_
2014年12月26日
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日祭日が関係ない毎日を送っているため、天皇誕生日のことは昨日の新聞やテレビで気がついた。私は天皇ご一家のファンであるのにね天皇陛下81歳の誕生日 会見全文いつも、天皇・皇后陛下の会見の内容は、細部まで心配りをされていると感心している。中でも、次の言葉を政治家にはかみしめていただきたい。「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常によりよい日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、のちに来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています。」また、北国に暮らす私達には、次の言葉はとてもありがたい。「私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから、高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き、高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません。」人に迷惑をかけたくない、自分でできることは自分でやるという高齢者の心意気はいいのだけれど、屋根の雪下ろしは若い人だって事故になる。自分のためにも周囲の親しい人のためにも、遠慮なく手助けを頼むことが大切。業者に頼めばお金がかかるから、自分でやるしかない人もいる。ボランティアをする若者が減っている地域では、雪下ろしは社会の責任としてすべきだと思っているので、このお言葉はとてもありがたいことと感じた。同時に、「自分でやるから」といって無理しようとするお年寄りには「天皇陛下が心配なさっているよ」という言葉は効果あるんじゃないかな。
2014年12月24日
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北海道新聞に「豆タンたちの占守島」が連載中だ。電子版でも読めるので、リンクしておこう。<1>終戦2日 深夜の敵襲<2>激戦 戦車相次ぎ炎上<3>敵兵の手に家族写真まだ連載途中だが、後の記事も楽しみである。戦争体験者はどんどん少なくなっている。戦争の体験は、その人の性別、年齢、学歴、軍隊での所属部隊や階級によって随分と異なるだろう。連載中の体験談は、戦車部隊の少年兵だった人のものである。実は、私の父も同じ占守島の歩兵部隊の中隊長として終戦後にソ連と戦い、その後約二年間のシベリアでの抑留体験後に帰還している。戦車部隊と歩兵部隊では与えられている武器も戦い方も異なる。また、大勢の部下に命令をする立場だった父と、一番下っ端の少年兵で、上官の命令に従うしかなかった人との体験や思いも、ずいぶんと違うものだろう。多分、階級が上になるに従い色々な意味で責任も重くなり、人には言えないことをすることも増えるだろうということが想像できる。戦場であるから人を殺すことは当たり前である。平時に戻れば絶対に出来ないことを、戦場では感覚も麻痺して鬼畜ともなるだろう。高等教育を受けていて召集された学徒兵たちは、世界の情勢の中での日本の戦いに葛藤することも多かっただろう。そして多くの戦争体験者は、「最も言いたいけれど平時では言いにくいこと」は黙して語らず、次々と亡くなっていった。私の父も、元気なころはほとんど戦争体験を語らなかった。私は「語れないことをしてきたからだろう」と思っていた。しかし、それもあったかもしれないが、父が語らなかった一番の理由は、帰国してこの日本社会で生きていくためだっただろうと今は思っている。父は「軍隊組織」を毛嫌いしていた。晩年、「抑留生活で一番嫌だったのは、軍隊組織と日本人の厭らしさ」と言っていた。人一倍体力に恵まれていて、かつ北海道の田舎育ちの父は、厳寒の食料の乏しいソ連でも山野草やヘビや蛙、野兎など、食べられるものを得る技術と知恵があり、十分に煮炊きしないものでも食べる事のできる丈夫な胃腸を持っていた。しかし、それらの力がない人達は、飢えや体調を壊すことで亡くなっていったという。そう、シベリア抑留でも生き残った人は、それなりの体力や耐え忍ぶ精神力を備えた人たちだったと思う。さて、極限の状態になって生き残れるのは、どのような場所にあっても運に恵まれ体力気力に恵まれている人だろう。普通の庶民は、そんなに力のある人達ばかりではない。多くの人は、物を言うこともできずに淘汰されてゆくしかない。戦争の最も悲惨な実態、人が鬼畜になってゆく実態、上に立つ者が自己保身にまみれてゆく実態は、当事者からはほとんど語られぬまま、歴史の闇の中に埋もれてゆく。私達はきれいごとの歴史ではなく、庶民を否応なく巻き込んでいく戦争というものを、限られた記録をてがかりに想像力を駆使してくみ取ってゆくしかないのだろう。参考までに、その頃の父のことをもう少し書いたものが下記。父が戦争後に受けた心の傷2007年04月02日
2014年12月23日
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原発再稼働の自治体に重点配分 電源交付金、停止は削減方針 2014年12月22日 11時38分 経済産業省が、原発が立地する自治体を対象とする電源3法交付金について、原発が再稼働した自治体に重点的に配分する方向で検討していることが22日、分かった。原発事故後、停止した原発についても稼働しているとみなして一律に配分しているが、2016年度にも重点配分を始める。 24日の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会で示す中間整理で「稼働実績を踏まえた公平性の担保など既存の支援措置の見直し」という表現で、原発の発電量に応じて配分する必要性を明記する。 再稼働に事実上必要な立地自治体の同意が得やすくなる効果が見込まれる。 (共同)「再稼働しなければ、お金はあげないよ」ってことですね。「最後は金目でしょ!」との石原伸晃環境相の言葉は、上品な言い方ではないにせよ真実だったわけだ。さて、やはり原発のある自治体は、これに食いつくのでしょうか。地元の人は、それで納得するのでしょうか。電力会社の再生可能エネルギーの新規受け入れ制限策と、これはセットなのかな?国が再生可能エネルギー開発に本気で取り組んだら解決することがあるのではないかと思うが、それはせずに原発再稼働しなくてはならない、本当の理由は何なのでしょうか。
2014年12月22日
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STAP細胞、小保方氏の今後は科学評論家? 科学ライター「一度のミスで科学界追放はおかしい」- tocana(2014年12月20日20時00分)科学ライターがいいのかどうかわからないが、小保方さんにはこのようなことで潰れてほしくない。今回のことは、失敗やミスではあっても、犯罪ではないだろう。人は、失敗しながら成長するものだ。「七転び八起き」という言葉があるが、立ち上がるたびに強くなり新しい発見もあるはずだ。一般的に他人のミスを必要以上に責める人は、自分のミスをごまかそうとする人たちのような気がする。「自己責任」という言葉で、弱い立場の人を袋叩きにする人も、人を責めることで自分のことを正当化する卑怯な人だと思っている。今回のことでは、メディアも自分達の胡散臭さを、何かをターゲットに責めることで覆い隠しているのではないかと思ってしまう。それにしても、小保方さんの心の傷はどうであろう。自分を引き立ててくれた尊敬する笹井教授が、自分のことが要因で自殺したのだ。その自殺の要因は、追いかけまわしたメディアにあると思っている。特に、NHKの特別番組は深くその責任を感じてほしいと思うのだが、NHK内部での反省はあるのかどうか。親しい人が自死した時の苦しみや悲しみを知らない人は、時に本当に残酷なことをする。小保方さんが二重三重に傷ついていることも、想像に難くない。周囲の人が支えてあげてほしいと切に願う。そして、様々な苦しみを体験した人として、自分のためにも世のためにも役立つ仕事で立ち上がりますように。【追記】下記のブログにも同感!現代の宗教裁判(1) 論文には「正しいこと」を書かなければならない??武田邦彦氏のブログ 2014年12月21日
2014年12月21日
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STAP真相解明難しく 小保方氏退職 理研、処分できず12/19 20:03、12/20 02:45 更新あれほど自信満々だったのは何だったのかと、とても不思議だった。それに、それほど疑惑満々の論文が、何人もの共著者によってGOサインがでていたということも。小保方さんだけが悪いとは、私は今でも思えない。共著者にも責任があるだろうけれど、このようなことは論文にはよくあることだろうし…。では、こんな結果になった一番の原因は何なのか?と思っていたら、今朝の下記の記事。STAP否定 「正体はES細胞」強まる産経新聞 12月20日(土)7時55分配信 これを読んで少し理解できるような気がした。多分一番の原因は、人間の中にある「ちょっとした手違い、勘違い、期待感による思い込み」なんじゃないか。そして、多分科学の進歩は、そんなものに「偶然」などが入りこみ、新発見とつながってきたのじゃなかろうか。そうだとすれば、小保方さんだけを悪者にしてしまうのは、科学にとっての自殺行為のような気がする。
2014年12月20日
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道内暴風雪、教訓生きたか 自治体の対応迅速/高潮対策に課題12/19 (北海道新聞)自治体も、先手先手の厳戒態勢で、この地域も早々に昨日の全小中学校の臨時休校を決めたり、行事の中止を呼びかけていた。それを受けて私たちも、本当に不安を抱えて昨日・一昨日を過ごしたけれど、ありがたいことに当地は穏やかに過ぎた。(寒さは厳しかったけれど)とはいえ、道東や本州では被害のニュースが相次いでいる。本州の友人からも「大丈夫?」のメールが届いた。「北海道で暴風雪」とニュースが流れたら心配になるでしょうが、北海道は広いですからね。被害に遭った地域の皆様には、申し訳ないくらいの私達です。
2014年12月19日
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至近距離から銃撃=無抵抗の子供「処刑」―パキスタン学校襲撃時事通信 12月17日(水)17時5分配信 どんな理由で何の罪もない子ども達を殺害するのか、全く理解できない。このニュースで最初に思ったのは、マララさんがノーベル平和賞を受けたことへの卑怯な報復か?ということだった。それにしても、『神は偉大なり』と叫びながら襲撃したり火をつけたりするなど、狂っているとしか思えない。(狂っているのは確かだろうけど)これが更なる報復の連鎖となることが、本当に怖い。「目には目を」は、「目」だけでは終わらないのが、人間の性であろうと思う。そのことを深く考えた上での、テロ対策が必要なのではないか。
2014年12月17日
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コンビニに行ったら「北方ジャーナル」の特集記事「南幌殺人事件 地獄の家」が目にとまり購入した。この事件は、高校二年生の三女が祖母と母親を刺殺した事件で、事件直後から祖母の異常に厳しいしつけについて色々書かれていたが、その後、この三女の同級生や町の人たちから、処遇に配慮してほしいという嘆願書が出ていることは、新聞やテレビで知ってはいた。容疑の高2「処遇に配慮を」 1万人署名の嘆願書 南幌刺殺事件祖母のしつけが「虐待に近い」という認識は持っていたが、今日、この雑誌で虐待の詳細を知り、改めてこの三女が可哀そうでならない。ここに書かれていることが本当であるのなら、人間というものはこれほどに残酷なことが家族にできるものなのかと、身震いする思いだ。そして、そんな人間でも、一応一般人として生きてきたわけだし、この子が「祖母・母殺し」をせずに家を出たなら、まだ大きな顔をして世間を闊歩していたのだろうと思うと、人間社会は本当に魑魅魍魎の棲家なのだと思う。もちろん、こんな事例は少数であると思いたいが、時折ニュースなどで目にする児童虐待、DV、老人虐待などの事件を考えると、人間はちょっとしたきっかけで残酷になるし、それがどんどんエスカレートして、歯止めがかからず暴走する性質を持っているのだろうか。この三女も、同居していた長女も、本当によく耐え頑張ってきたし、精神的にこれほど追いつめられても精神的な病とはなっていないようだし、特に三女は生徒会長になる予定だったことからも、友達に信頼される良い子だったのだと思う。それを思うと、人間の底力を少しは信じられるようにも思う。三女が犯した罪「殺人」はやはり許されない行為なので、それに対しての罰はうけなければならないのだろうが、それなりの刑に服したなら、新しい人生をやり直してもらいたい。そして、お姉さんと二人で力を合わせて、本当の自分の人生を歩んでほしい。そのためには、彼女の社会復帰が妨げられないように、できるだけの配慮をしてほしいと願う。
2014年12月16日
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各党の獲得議席それでも北海道では低迷の道内民主に光明 信頼回復へ正念場12/15 05:00、12/15 06:14 更新昨日は、選挙速報番組を見るのもだんだん嫌になってしまった。投票率は予想通り低くて、戦後最低だったようだ。<衆院選>投票率は戦後最低に 推定52.67%毎日新聞 12月15日(月)4時55分配信 有権者の半分しか投票せずに与党独裁。ほとんどの人は、あまり納得できはしないけれど、安倍首相の「この道しかない」をもう少し信じてみようと思ったのかな。そんな中で、唯一野党らしい野党の共産党は衆院選2014 共産・志位氏「画期的な勝利」産経新聞 12月15日(月)7時55分配信 このような結果になったのだから、公明党がブレーキ役を自覚して頑張ることと、庶民の本音をガンガン主張する共産党に頑張ってもらうしかない。雨後の筍のように出没した色々な党は、これで少し整理されたかな。今後どうするんだろう。結局「寄らば大樹のかげ」になるるのだろうか。それとも、「武士は食わねど高楊枝」で痩せ我慢するのかな。
2014年12月15日
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今朝の北海道新聞の卓上四季には苦笑した。<政治とは悪さ加減の選択>は福沢諭吉の言葉である。今日は衆議院選挙投票日。まさに、国民は「悪さ加減」を検討し投票することになるのだろう。どの政党に対しても、もろ手をあげて賛同しようという庶民はほとんどいないのではないか。考えているうちに「どんな結果になっても、あまり良くなる気がしない」と、棄権したり迷った末に白票のまま投票する人も多いのかもしれない。それでもやっぱり、自分がこの国の一員であり、ささやかだけど現在や将来の社会への責任があるのだと、少しでも結果がましな方向になるようにとの祈りをこめて、投票してみませんか?私は、人間の行動は「思いや祈り」に基づくものだと思う。「自分の一票くらい何の役にも立たないし…」と思う人は、自分の価値を自分で低くするだけではなく、何の願いや祈りも持たないことと同じになるのではないか。少なくても、「自分の権利を放棄」ということのないように人としての矜持を杖に、一票を投じましょうよ…。
2014年12月14日
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<ニュース虫めがね>衆院議員の待遇は 解散後も期末手当、計15億円12/13 05:00 北海道新聞電子版 Q 衆院選は14日に投開票が迫ったけど、議員の「身を切る改革」がないじゃないか、という声がある。そもそも、衆院議員って、どんな待遇なの。 A 衆院の事務局によると、11月21日の解散から1週間後の28日に、前議員に12月の期末手当が支給された。479人のうち、477人の前議員に1人当たり318万9710円。議長に534万9050円。副議長には390万4560円。総額は15億3千万円余りになる。 Q 解散後は事実上選挙戦に入っていたのに、おかしくない? A 「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」(歳費法)で、11月16日から30日までの間に在籍していれば、期末手当の基準日の12月1日までいたとみなされるんだ。 Q お手盛りみたい。月給はいくらなの。 A 歳費というんだけど、これも歳費法に書かれている。議員が129万4千円、議長は217万円、副議長が158万4千円。毎月10日に支払われる。 Q 一時期、カットされていたよね。 A 2012年5月から、東日本大震災の復興の財源を確保するためとして13%、この年の12月からは、衆院の定数削減を実現するまでとして7%、それぞれ削られたが、今年5月から元に戻った。削減を続けるべきだという意見もあったが、大きな議論にならなかった。 Q 衆院選後の12月分はどうなるの。 A 投開票日の14日から31日までの18日分を日割り計算して支給される。議員の場合は、約75万円。議長と副議長は、14日から特別国会の召集前日までが議員と同じ額、選任された召集日から31日までは、正副議長の歳費の日割り分が払われる。仮に24日召集だと、議長が約98万円、副議長が約83万円になる。 Q 随分優遇されているんだね。 A 国会議員には、「文書通信交通滞在費」というものも毎月、1人100万円支払われている。使い道を明らかにする必要がないし、税金もかからない。主に選挙区と東京を往復するための鉄道、飛行機のチケットなども、もらえる。 Q それにしても、国会議員って、そんなにお金がかかるの。 A 聞くと、勉強会などの会合に出たり、情報収集のために人に会ったりするのに、毎日のように出費があるらしい。決算書を見ると、2013年度、衆院議員には、秘書手当などを合わせて、ざっと293億円が税金から支出された。有権者は、議員たちが費用に見合った仕事をしたか、今後できるのか、新人なら、前職より働けるかといった観点で、厳しく査定してほしい。(村山 健)今朝、北海道新聞でこの記事を読み、「エーッ!」と思わず声を出してしまった。ちょうど、昨夜泊った次男にこの話をしたら「318万円って、俺の二年間の収入だぜ。それは許せん!」と怒っていた。この時期に選挙やって税金使って、その上にそんなに平気でもらうのか。「身を切る改革」とやらは、議員本人には関係ないってことか。ため息が出る…。
2014年12月13日
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昨日は雨交じりの外出は避けたい天気。投票日も雪の予報ということもあり、買い物ついでに期日前投票を済ませて来た。同じような気持ちの人もたくさんいるのか、投票会場は賑わっていた。今朝の北海道新聞で下記の記事を読んだ。政治に不満、増える白票 道内は前回、最多5万6000票 「候補者名 書いてこそ」12/12 05:00、12/12 07:53 更新別のサイトで、「白票運動」なるものがあるとの記事も見たが、確かに先日息子が言っていたように、政治不信の意思表示という側面もあるのかもしれないが、「運動」となれば、きっとどこかの政党を利するための運動ではないかと勘ぐってしまう。仮にそうでないとしても、間違いなく白票は無効票であり、強い政治団体を利する結果に帰するだけなのだから、賢い方法とは言えない。ちなみに、同時に行われる「最高裁判所裁判官国民審査」は棄権した。ハッキリ言って、多くの国民にとっては判断できる情報が少なすぎる。それぞれの裁判官の裁判での判決への関与状況を丁寧に調べていったら、「この人の考え方は納得」とか、「ちょっとあぶない」なんて判断もできるかもしれないが、選挙公報の情報だけでは無理である。もっと、国民が有効に関与できる方法はないのだろうか。少なくても、法律について無知な私のような人間に問われても、わかりっこない。最低でも、法律の専門家の人たちや、裁判に関与した経験のある人達に判断していただける方法はないのだろうか。いつも、「無駄だなあ…」と思いつつ、棄権する私である。(これも、×印をつけない限り信任したとされるので、信任の判断もできない私は棄権するしかない)さて、今回の投票率や白票数、そして結果はいかがなものになるのだろうか。
2014年12月12日
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国連で昨年お話しした通り「1人の子ども、1人の教師、1本のペン、そして1冊の本が世界を変えられる」のです。 今日、世界の半分では急速な発展や近代化、開発が見られます。しかし、非常に古い問題である飢餓や貧困、不公平、紛争で何百万人もがなお苦しんでいる国々があります。 実際、第1次世界大戦から1世紀が過ぎた2014年ですが、100年前に何百万もの命を失った際の教訓を私たちが十分学んでいないことをあらためて思い知らされています。 何十万もの罪のない人々が命を失う紛争が今もあります。シリアやガザ、イラクでは多くの家族が難民となっています。ナイジェリア北部ではいまだに学校に行く自由のない女の子たちがいます。パキスタンと アフガニスタン では、自爆攻撃や爆弾で罪なき人々が殺されています。 アフリカでは、多くの子どもたちが貧困のため学校に行けません。 インドとパキスタンでは、多くの子どもたちが社会的なタブーのために教育の権利を奪われたり、児童労働を強制されたりしており、少女が児童婚を強いられたりもしています。 私と同い年のとても仲の良い級友の1人は、勇敢で自信に満ちた少女で、医者になることを夢見ていました。しかし、彼女の夢は夢のままで終わりました。12歳で結婚させられ、彼女自身がまだ子どもだった時に息子を産みました。わずか14歳の時です。彼女はとても良い医者になっただろうと思います。 でも、それはかないませんでした。彼女が女の子だったからです。 彼女の話こそ、私が ノーベル賞 の賞金をマララ基金に託す理由です。世界中の女の子たちに質の高い教育を与える手助けをし、指導者たちに私やメゾンやアミナのような女の子を支援するよう呼び掛けるためです。この資金は最初に、私の心のよりどころであるパキスタン、特に私の故郷スワトとシャングラでの学校建設のために使われます。 私の村では、いまだに女の子が通える中学校がありません。友達が教育を受け、夢をかなえるための機会を得られる学校を建てたい。 私はそこから始めます。でも、それでおしまいではありません。全ての子どもたちが学校に行くのを見届けるまで、私は闘い続けます。銃撃されて死線をくぐり抜けた後、私はより強くなったと感じます。誰も私を、あるいは私たちを止められないと分かったからです。今や私たちは何百万人(もの仲間)になり、共に立ち上がっているからです。 親愛なる兄弟、姉妹たちよ。変革をもたらした偉大な人々、例えば(米公民権運動指導者の)マーチン・ルーサー・キングや(南アフリカで黒人解放闘争を主導した)ネルソン・マンデラ、(貧しい人々の救済に尽くした修道女)マザー・テレサや(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーは、かつてこの場に立ちました。彼らと同じように、カイラシュ・サトヤルティと私がこれまでしてきたことやこれから取り組むことが、長く続く変革をもたらしてほしいと思います。 私の大いなる望みは、児童教育のための闘いをこれで最後にすることです。これを解決し、最後にできるよう、皆さんには団結して私たちの取り組みを支持してほしいと思います。 繰り返しますが、私たちは既に正しい方向に多くの歩みを重ねてきました。今こそ飛躍の時です。 教育がいかに重要か理解するよう指導者に求める時ではありません。彼らは既に知っているのです。彼らの子どもたちは良い学校に入っています。今こそ行動を起こすよう彼らに求める時です。 世界の指導者たちに対し、結束し教育を最重要課題とするよう求めます。 15年前、世界の指導者たちは国連ミレニアム開発目標という一連の地球規模の目標を定めました。それからの年月で、一定の成果は見られました。学校に行けない子どもたちは半減しました。しかし、世界は初等教育の拡充だけに目を向け、進展は全員に行き渡りませんでした。 来年、2015年には、次の一連の目標である持続可能な開発目標を決めるため、世界中の代表が国連に集まります。来るべき世代のための世界の大きな目標を設定することになります。全ての子どもたちに無料で良質な初等および中等教育を保証するため、指導者たちはこの機会を捉えなければなりません。 現実的でないとか、費用が掛かりすぎるとか、あまりに困難だと言う人もいるでしょう。不可能という声すらあると思います。でも、世界はより大きなことを考えるべき時なのです。 親愛なる兄弟、姉妹たちよ。いわゆる大人の世界は理解するでしょうが、私たち子どもには分かりません。「強い」といわれる国々は、戦争を起こす上では非常に力強いのに、なぜ平和をもたらす上ではあまりに弱いのか。銃を渡すことはとても簡単なのに、なぜ本を与えるのはそれほど大変なのか。戦車を造るのは極めて易しいのに、なぜ学校を建てるのはそんなに難しいのか。 21世紀の現代に生きる私たちは、不可能なことはないと信じています。月にだって行けるし、火星にもそのうち着陸するかもしれない。ですから、この21世紀に、誰もが良質な教育を受けられるという夢もかなうのだとの決意を持たなければならないのです。 平等と正義、そして平和をみんなにもたらしましょう。政治家や世界の指導者たちだけでなく、全員が貢献する必要があります。私も、あなたも。それが私たちの義務なのです。 だから、立ち止まらず、努力しなければなりません。 私の仲間である子どもたちに、世界中で立ち上がるよう求めます。 親愛なる姉妹、兄弟たちよ。最後になることを決める最初の世代になりましょう。 空っぽの教室、失われた子ども時代、生かされなかった可能性。これらを私たちでもう終わりにしましょう。 少年や少女が子ども時代を工場で過ごすのは、もう終わりにしましょう。 少女が児童婚を強いられるのは、もう終わりにしましょう。 純真な子どもが戦争で命を落とすのは、もう終わりにしましょう。 教室が空っぽのままであり続けるのは、もう終わりにしましょう。 教育は権利ではなく犯罪だと少女が言われるのは、もう終わりにしましょう。 子どもが学校に行けない状況は、もう終わりにしましょう。 終わりにすることを始めましょう。 私たちで終わりにしましょう。 今ここで、より良い未来を築きましょう。 ありがとうございました。 (オスロ共同)
2014年12月11日
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道新電子版より転載 慈悲深く慈愛あまねき神の御名において。 陛下、ノルウェー・ ノーベル賞委員会 の皆さま、親愛なる姉妹や兄弟たち、本日は私にとって本当に幸せな日です。ノーベル賞委員会にこの貴重な賞の対象に選んでいただき、恐れ多い気持ちです。 支援と愛情を与え続けてくださる全ての方に感謝します。世界中から今も届く手紙やカードをありがたく思っています。優しい励ましの言葉を読んで私は元気づけられ、鼓舞されています。 無償の愛を注いでくれる両親にも感謝したいと思います。私の翼を折らずに羽ばたかせてくれた父に感謝します。忍耐強くなることを教え、どんな時も真実を話すよう励ましてくれた母に感謝します。それがイスラムの真の教えだと強く信じています。 私は最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、最初の若者としてこの賞を受けることをとても誇りに思います。きっと、いまだに弟たちとけんかしている最初のノーベル平和賞受賞者でもあるでしょう。あらゆる場所が平和になることを望んでいますが、私と弟たちはまだ努力している途中です。 私はまた、子どもの権利擁護に長年取り組んできたカイラシュ・サトヤルティとこの賞を分かち合えて光栄に思います。彼が取り組んできた時間は、私が生きてきた時間の実に2倍もの長さです。私たちが力を合わせ、1人のインド人と1人のパキスタン人が平和的に団結し、子どもの権利のために共に取り組めると世界に示せることもうれしいです。 親愛なる兄弟や姉妹たちよ。私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクである(民族的英雄)マイワンドのマラライにちなんで付けられました。マララという言葉は、「悲嘆に暮れた」「悲しい」といった意味です。でも、私の祖父は少しでも幸せを呼ぶようにいつも「マララ、この世界で一番幸せな女の子」と呼んでくれました。そして本日、重要な目的に向かって私たちは共に立ち上がっており、私は本当に幸せです。 この賞は私だけのものではありません。教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。平和を求める、おびえた子どもたちのためのものです。変革を求める、声なき子どもたちのためのものです。 私は子どもたちの権利のために立ち上がり、子どもたちに声を上げてもらうためにここにいます。今は彼らを哀れむときではありません。教育を奪われた子どもを目にするのが最後となるよう行動に移すときなのです。 私は人々が私のことをさまざまな表現で語ることに気付きました。 ある人たちは、タリバンに撃たれた少女と呼びます。 権利のために闘った少女と呼ぶ人もいます。 今では「 ノーベル賞 受賞者」と呼ぶ人もいます。 私が知る限り、私はただ全ての子どもが良質の教育を受けるよう望み、女性が平等な権利を得られるよう望み、世界の隅々まで平和であるよう望む、一生懸命で頑固な人間にすぎません。 教育は人生の恵みの一つであり、人生に欠かせないものの一つでもあります。これは私の人生、17年間の経験で分かったことです。私の故郷であるパキスタン北部のスワト渓谷で、私はいつも学校を愛し、新しいことを学ぶことを愛していました。特別な日には、友達と植物ヘナの色素で手を彩ったことが思い出されます。花や模様ではなく、数学の公式や方程式を描いたものでした。 私たちは教育を渇望していました。なぜなら私たちの未来はまさに教室にあったからです。私たちは一緒に座り、本を読み、学んだものでした。私たちはこぎれいな学校の制服を着るのが好きで、大きな夢を見ながら座っていたものです。私たちは、両親に誇りに思ってほしかった。私たちも勉強で秀でて、いろいろなことを成し遂げられると証明したかったのです。男の子にしかできないと思っている人もいますから。 物事は同じようには続きませんでした。私が10歳の時、風光明媚な観光地スワトは、突如としてテロの舞台となりました。400以上の学校が破壊され、女の子は学校に通うのを禁じられました。女性はむちで打たれ、罪のない人々が殺されました。私たちの誰もが苦しみました。そして私たちの美しい夢は、悪夢に変わったのです。 教育は、権利から犯罪へと変わりました。 しかし、私の世界が突然変わった時、私の中の優先順位も変わりました。 私には二つの選択肢がありました。一つ目は、沈黙したまま殺されるのを待つこと。二つ目は、声を上げて殺されること。私は後者を選びました。声を上げることにしたのです。 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日に私と私の友達を襲撃しました。でも、彼らの銃弾は勝てませんでした。 私たちは生き延びました。そしてその日から、私たちの声はより大きくなる一方でした。 私が自分の話をするのは、それが特別だからではなく、むしろ特別ではないからなのです。 多くの少女に共通した話なのです。 本日、私は彼女たちの話もします。ここオスロには、私と同じ経験をした友達や、パキスタン、ナイジェリア、シリアの友達も来てくれています。私の勇敢な同志であるシャジアとカイナト・リアズは、あの日スワトで私と共に銃撃されました。彼女たちも痛ましいトラウマを経験しました。パキスタンから来てくれたカイナト・ソムロはひどい暴力と虐待に苦しみ、兄弟が殺されましたが、屈することはありませんでした。 そして、私がマララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちです。シリア出身の勇敢な16歳のメゾン、彼女は今ヨルダンの難民キャンプに暮らし、テントを回りながら女の子や男の子たちが学ぶのを手助けしています。私の親友のアミナはナイジェリア北部出身です。そこでは(イスラム過激派) ボコ・ハラム が、ただ学校に行きたいと願っている少女たちを脅し、拉致しています。 私はハイヒールの高さを加えても身長約157センチです。1人の少女、1人の人間としてここにいますが、1人で声を上げているわけではありません。私は大勢(の代弁者)なのです。 私はシャジアです。 私はカイナト・リアズです。 私はカイナト・ソムロです。 私はメゾンです。 私はアミナです。私は学校に行けない6600万人の少女なのです。 人々はよく私に、どうして教育が特に女の子にとって重要なのか尋ねます。私の答えはいつも同じです。 私が(イスラム教の聖典である)コーランの最初の2章から学んだのはイクラという言葉で、「読みなさい」という意味です。そして「ペンによって」という意味のヌーン・ワルカラム。(2)に続く
2014年12月11日
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昨日、昼食を食べながら息子たちと選挙の話になった。我が家と息子たちでは選挙区が違うのだが、息子たちは二人とも「どうするかなあ」と言っている。「ダメだよ。選挙に行かなくちゃ、今の政治をそれでよしとしているのと同じだよ」と、私。息子A「うーん、入れたい政党ないし、ここの選挙区の候補者パッとしないしなあ」。息子B「じゃあ、選挙に行って白票出すかな」。私 「それもダメだよ。同じく今の政治を認める結果になるよ」息子B「白票は、一つの政治不信の意思表示だと思うけど…」私 「そんなことで政治家が反省すると思ってるの? 選挙は結果が全てだから、反省なんかするわけないよ」息子A「ホントに入れたい政党も候補者もいないんだって…」私 「それはわかるけど、今回は自民党の圧勝にはしないという目的で投票しなさいよ。」ボソボソと夫「ということは、選挙区は自民党以外で、自分の意見に近いか対抗できるかなという人。比例は頑張ってほしい野党ということになる」二人の息子「ウーン」ホントに悩ましい選挙である。
2014年12月10日
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今日は久しぶりにぶどう畑作業。全国的に寒気に覆われ、四国でも雪の被害が出ているが、当然こちらも雪が降り真冬日状態。これ以上雪が積もると、枝を雪から掘り起こしながらの作業になるので、その前に何とか片づけたいということで、多分今年最後の助っ人となる。幸い風がなくて、時折雪もちらついたけれど順調に作業が進み、後二日ほどで終了できるところまでこぎつけた。はー、やれやれ。
2014年12月09日
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<衆院選中盤情勢>与党、3分の2超す勢い…本社総合調査毎日新聞 12月7日(日)23時18分配信 いよいよ選挙も後半戦。どんな状況かと新聞・テレビを見てみると…。私は、アベノミクスが「これしかない」なんて言葉で、いつも嫌な気分になる。「アベノミクス」じゃなくて、「アベノリスク」が怖いよ~ほんとに、このままでいいのですか?衆院選:投票先に悩むアナタへ…「戦略的投票」のススメ 毎日新聞 2014年12月03日 19時54分(最終更新 12月03日 23時23分)確かに、「この政党、この候補者を支持しよう」という気持ちにはなれないけれど、せめて戦略的投票くらいはしましょうよ。
2014年12月08日
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先日、父の従兄妹(いとこ)の死について書いたのだが、次は叔母の死についてである。12月2~5日まで石見銀山や萩、松江等を巡るツアーに参加していたのだが、帰宅した5日に103才の叔母(母の姉)が亡くなったという知らせがあった。次の日の通夜、そして昨日の葬儀と参列したのだが、その時に感じたことなどを書いておこう。母は8人姉妹の末っ子で、今回亡くなったのは3番目の姉である。母とは随分年が離れているためもあり、これから書くようにおばさんも苦労続きの人生だったし、従兄弟たちも私達よりも随分年上の人が多く、あまり親しく話した記憶がない。母の姉妹はとても仲が良く、母にとっては今も「実家や姉さんたち」が一番大好きで、嫁いだ家のことはどうしても本当に好きになれないままに今に至っているような感じなのだ。確かに、おばさんたちは私達から見てもとても優しく辛抱強く、苦労をあまり顔には出さない人たちばかりだ。さて本題である。今回亡くなったおばさんは、商売をしていたご主人と結婚し、10人の子どもを産んでいる。そのうち二人は幼少時に亡くなり、8人の子を育て上げたのだが、そのご主人が幼い8人の子を残して、肺の病気(肺結核か、肺癌かは不明)のため40代で亡くなった。戦中・戦後の時代に入退院を繰り返して亡くなったのだから、貯えがあるはずもない。その時、今回の喪主を務めた長男が中学生で、以下7人の子がいたわけだから、「もし自分が…」と思ったら、想像するのも怖いくらいだ。しかし、おばさんの母親としての底力は半端ではなかった。小さなお店は人手に渡ったが、その片隅に住まわせて貰う形で、子ども達を育てるために大変な日々が始まった。母の実家は農家で、先に書いたとおり母の姉妹は本当に仲が良い。他の姉妹には多少ゆとりのある家に嫁いだ者もいるので、姉や妹の嫁ぎ先に頭を下げて借金もしたという。実は、末の妹の嫁ぎ先である私の実家にも、どの時点かわからないがお金を借りに来たそうだ。母に言わせれば、「私は本当に肩身が狭くて身が縮む思いだったけど、おじいちゃんは『困った時はお互いさま。利子なんかいらないから』と言ってくれてありがたかった」ということである。しかし、妹の所に頭を下げにきたおばさんの思いはいかばかりだったであろう。それもこれも、「残された子ども達を育てるためには、悪いこと以外は何でもする」という強い覚悟があったからだろう。叔母さんは、行商、数件の家政婦の掛けもち、母子会が行うイベント会場での商売等々、それこそできることは何でもしたようである。私の実家もそうであるが、実家である農家や姉妹の嫁ぎ先である農家には可能な限り手伝いに駆けつけて、借金のある家には「利子変わりの労働」、そうでない家からは農作物をいただいて背負って帰ったそうである。それでも、そのようにできたのは姉妹たちがみんな助け合える人柄であり、嫁ぎ先もまたそれを応援する人たちだったということだろう。それが自然に可能になったのは、やはりおばさんの人柄によるものが多いだろう。私の記憶している叔母さんは、いつも笑顔で優しくて、「ありがとう、ありがとう」が口癖だった。丸ッこい腰のまがった体で、くるくるとよく働く人というのが私の印象である。従兄弟たちが8人もいるのだが、私は年齢が離れているので子どもの頃は話をした記憶がない。だから、今回の葬儀で初めて親しく話をして、おばさんのことを聞く機会が持てた。叔母さんも苦労しただろうが、子ども達だって苦労したはずなのに、みんな本当に優しい笑顔で話をしてくれた。長男だけは一家を支えなくて気ならないからと大学まで進学したが、以下の子ども達はみんな中学卒業後は働きながら定時制高校で学んだらしい。長女・次女は、母親を支えて小さな弟妹たちの面倒をみながらである。叔母さんと一緒に苦労を背負った一番上のお姉さんは、ずっと独身のままで40代で癌で亡くなった。その後も、孫やそれぞれの配偶者の死などと、子どもが多ければ喜びも一杯あったかもしれないが、それ以上に辛さや悲しみも多かっただろう。90代で足腰が弱くなり、家族に面倒をかけると自ら施設への入所を希望し、車いすにはなったけれど施設での生活を十分に感謝し、かつ楽しんでいたという。どんな行事にも積極的に参加し、食事もいつも「おいしい」といただき、職員の人たちとの会話を楽しんでいたらしい。私は数年前に母と一緒にお見舞いに行ったのが最後であったが、「よく来てくれたね」と笑顔で昔の話をしてくれたことを思い出す。最後の日、「もう、長いことはない」との知らせで、母達3人の妹やその子ども達がお見舞いに行ったのだが、目は開かなかったけれどちゃんとみんなのことは分かったらしく、声かけに口を開けて返事をしようとしたという。みんなが帰ってから30分くらいして、眠るようにこの世から旅立ったという。きっと、妹達に会えて喜んで「ありがとう、ありがとう」と手を合わせながら逝ったのだろうと確信する。本当に見事な一生だった。ご長男の御挨拶の中で「くじけず、妬まず、諦めず、いつも笑顔で」を全うした人生。多少でもその血が自分にも流れているはずと思うと、それだけで勇気が出てくるような気がする。先月の父の一周忌の時に来てくれた長男である従兄弟が、「母さんを見ていると長生きはそれだけで尊いものだと思うようになった」と言っていた。母の両親は長寿の遺伝子を持っていたようで、母達姉妹もみんな長生き。同じ長生きするならば、「長生きは尊いものだ」と周囲の人に思わせるように生きたいとつくづく思う。しかし、これもその人に与えられたものが大きくて、どうしてもネガティブな気持ちになる人はそうはなりにくい。母の姉妹の中でも、ポジティブタイプとネガティブタイプがいて、願わくば私はポジティブタイプでありたいと思うが、うーん、若干ネガティブに近いタイプのように思う。いやいや、まだまだポジティブの種が眠っているかもしれないから、それに期待しよう。叔母さんは、子どもや孫やひ孫たちに、いつも良い話をしてくれたという。その中でも、二つだけ書いておこう。「困った時に人に助けてもらうのは、恥ずかしいことじゃないよ。でも、助けてもらったことは忘れちゃいけない。もしもお金を借りたなら、兄弟姉妹でもきっちり利子は払うんだよ」「勉強は人の話がちゃんとわかるようになるためにするもの。偉くなるためじゃないんだよ」うーん、本当にすごい言葉だと思う。特に「勉強は人の話がちゃんとわかるためにするもので、偉くなるためではない」なんて、私もそうだけれど、現代で言える人は本当に少ないことだろう。あー、もっとおばさんの所に行っていろいろ話をするべきだったと思う。先日の父の従姉妹のおばさんの死にもそう思ったが、後悔先に立たずである。最後にもう一つ、おばさんの血を引いているのか、それとも苦労しながら助け合って生きてきた結果なのか、叔母の子ども達・孫たちが醸し出す雰囲気は、本当に温かいものだった。103という天寿を全うした人の葬儀はどことなく明るいものなのだが、今回も温かく幸せな気持ちになるものだった。本当におばさんに感謝である。本当にお疲れ様でした。あの温かい笑顔でみんなを見守って下さいね。
2014年12月08日
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昨年の父の葬儀やご法事には来てくださった、父の母方のいとこである93歳のおばさんが亡くなったと連絡が来た。祖母にとても良く似ていて、お会いするととても懐かしい気持ちになる人だった。父と同じ年齢だったので、父の葬儀の時には「本当に寂しいよ…」とおっしゃっていた。詳しいことはわからないのだが、急に体調を崩したようである。子どもの頃から、色々な意味でご苦労をされたという。祖母から「あの人は可哀そうだった」という話を聞いていた。でも、昨年お会いした時には「運命だからね」と穏やかな口調で昔話をして下さった。愚痴を言わずに凛としていたのは、祖母と同じDNAなのかもしれない。父は、父方も母方も親戚が少ない。もう、父や祖母の若い頃の話を聞ける人はいなくなってしまった。そう思うと、時の流れで仕方のないこととはいえ、とても寂しい気がする。今頃は、あちらの世界で祖母や父が「お疲れさん」と迎えているのだろうか。そう思うと、ちょっぴり心が休まる気がする。おばさん、長い間本当にお疲れ様でした。
2014年12月01日
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