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前回記事のタイトルで「原作映画は観なくて良いかも…」と書いたが、本当に観ないと思う。さすがに、映画で4時間は長過ぎる。せいぜい2時間30分までだ。上映時間と感動の大きさは必ずしも比例しないし、長くする事で却って物語の本質が見え難くなってしまう場合もある。そういう意味でも、今回の雪組公演【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】は、(映画のあらすじを読んだ限りでは)実に上手く纏められていたと思う。小池修一郎が描きたかったであろう「友情」と「恋」、そして「それぞれの人生模様」はしっかりと伝わって来たし、少年期・青年期・壮年期を通して、望海風斗という男役の魅力を最大限に引き出した作品だと言える。正月に観た【仁義なき戦い】のせいで、暴力シーンには食傷気味になっていた事もあり(笑)、個人的にはこれで充分に満ち足りる内容だった。今公演を控えたインタビュー記事で、トップ就任から3年目を迎えた望海は「皆には自由にして欲しい」と語っていた。それはつまり、組子達に「もっと個性を出して良い」「はみ出して欲しい」という意味だろう。そして、それを受け止めてあげられるようにと、自分自身には「強さ」を課そうとしているではないか、と感じた。そんな彼女の想いと呼応するように、今公演では一人ひとりが枠からはみ出そうと、これまで以上に熱く弾けた芝居で魅せてくれた。あれだけ「個性が見えない」と言っていた雪組だが、今回はどんな場面でも「お、良い表情してるな!」と目に飛び込んで来る演者が多かった。その先頭に立つのが、彩風咲奈だ。彼女の芝居に対しては、【ひかりふる路】の感想で「アニメみたいだ」と揶揄して以来、やや厳しい目線で語って来たが、もうその必要は無さそうだ。望海に後(おく)れを取るまいと必死にもがいて来た結果が、今回の舞台で見事に花開いている。単なるトップスターの引き立て役ではない、マックスという1人の男の生き様がそこにあった。さきも大好きだぁああッ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆どうだ!? エヘン!(何が!?)そんな彩風に、敢えてもう一つだけ助言しておこう。彼女は【宝塚GRAPH / 11月号】の中で、こう語っている。『常に後ろに控えるのではなく、時々「右足が前に出てしまいました!」というくらい思い切ったはみ出し方をしていきたい』しかし、今公演では片足と言わず「望海さん、ここは私について来て下さい!!」と言える位にはみ出して良い。昨年のレビュー本の中で、紅ゆずるが言っていた。「そうきたか」という礼真琴を観てみたい、と。きっと、望海風斗も同じ気持ちだろう。マックスは、それぞれの時間の中で、優しさから狂気まで様々な表情を見せる役柄だ。ヌードルス達のリーダー的存在でもある。望海が受け止めてくれる今だからこそ、もっとはみ出して挑戦できる事もあるはずだ。その経験が、トップスターになった時に必ず君を助けてくれるだろう。望海風斗に遠慮する必要なんて無い。(そんな事をしたら、逆に望海が悲しむ)臆せず挑めッ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆彩風の感想が長くなったので、他のキャストに関しては、また後日に。
2020.01.31

週間予報ではずっと雨模様で心配していたが、28日(火)は運良く晴天に恵まれた。寒いのは我慢できるが、雨は濡れるし、傘もささなければならないので煩わしい。そんな中で観劇した雪組公演【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】は、やはり素晴らしかった。・大きな矛盾や破綻の無いストーリー・違和感の無いキャラクター設定とその心理描写・たとえ僅かでも、きちんと見せ場がある脇役への配慮・場面毎にしっかりと歌われるミュージカル楽曲・薔薇や懐中時計など、その場限りで終わりにしない小道具の使い方小池修一郎が手掛ける作品は、いつも「これぞ宝塚!!」と言わしめるクオリティを保っている。今回の【ONCE ー】も、それに違わぬ見応えのある内容だった。(第1幕の完璧さに比べ、第2幕が多少大味になるのも、彼らしいご愛嬌か…笑)決して目新しい訳ではない。寧ろ、宝塚のセオリーを忠実に守った、古典的な作風とも言える。しかし、そのセオリーを最大限に活用しつつ、観る者を物語の世界に引き込むアイデアとパワーが凄い。飽くまでも宝塚的でありながら、宝塚の枠を超えた魅力を兼ね備えているのが、小池作品の特徴と言えるだろう。それは、演じる雪組生達も同じだ。【ファントム】そして【壬生義士伝】と着実にスケールアップして来た彼らにとって、今回は満を持しての小池作品だと言える。そんな両者が、強力なタッグを組んで挑んだ舞台が、面白くない訳がない。望海風斗と真彩希帆は当然の事ながら、他の組子達の歌唱力も軒並み上がっており、雪組生としての意地と誇りが伝わって来た。芝居でも魅せてくれた事は言うまでもない。フィナーレの大階段でポーズを決める男役スター達の格好良さは、今や宝塚の顔と言っても良い。前作の感想では敢えて苦言を呈し、その結果(かどうかは分からないが…)永久輝せあの組替えというハプニングを招いたが、組子達はその逆境をしっかりと乗り越えて来た。もう何も言う事は無い。やはり、宝塚は本気の集団だ。そんなジェンヌ達の本気に応える脚本を、劇団側には提供して欲しいと思う。小川理事長は、年頭の挨拶で「作品の質」に言及していたが、これに対しては以前から疑問に思っていた事がある。それは「脚本に対して、客観的な意見を述べられる立場の人間」つまり「チェック体制」が劇団内にあるのか、という疑問だ。例えば、宙組【El Japón(エル ハポン)】のラストシーンを観て、「治道はそれで良いとして、藤九郎達はどうなるの…?」と感じた人は少なくないだろう。(あの場面は、ストーリーを変えるまでもなく、台詞一つで辻褄を合わせられるレベルの矛盾だ)そうした「誰もが感じるであろう疑問や矛盾」を、稽古場の段階で指摘する人間が誰もいないのか、という問題だ。それとも、脚本家に遠慮して、誰も意見を言えない環境なのか。具体策も何も無いまま、ただ「質を上げろ」と言われても、脚本家1人の力には限界があるだろう。誰も、駄作を書こうと思って書いている訳ではないのだ。傑作を出し続けるのは無理だとしても、せめて物語の辻褄だけはきちんとして欲しいと思う。それだけでも、観終わった後の印象は変わるだろう。そんな想いを強くした、今回の雪組公演だった。ありがとう!!次回は、キャスト別の感想を。それにしても何だろうか…。最近、1階席よりも2階B席の方が妙に落ち着く自分に気が付いてしまった(笑)。今年は、観劇スタイルをちょっと変えてみようかな。
2020.01.29

予告編を観て以来、ずっと気になっていた映画【彼らは生きていた】。今日発売の【週刊新潮】の映画評で、93点という高得点を獲得しており、更に期待が高まった。こうしたドキュメンタリー映画が、日本でも制作される日を待っている。【ジョジョ・ラビット】の予告編
2020.01.23

先日、VORCHAOS(ヴォルケイオス)のヴォーカル、淳が数年振りに喫茶店へ遊びに来てくれた。(僕達の関係については、こちらを参照 →【変わったり、変わらなかったり…】)スケジュールの都合で2時間程しか話せなかったが、相変わらず元気そうで良かった。何より、わざわざ僕の事を思い出して会いに来てくれたのが嬉しい。バンドの方は2017年にメジャーデビューもし、今年中には2作目を発表できそうだとか。素人の僕からすれば、それだけでも凄いと思うのに、淳に言わせると「でも、2枚目を出すのに3年も掛かってるんで…」と、まだまだ満足できる状況ではないようだ。因みに、レーベルは「キングレコード」らしい。ん、あれ…?ちょっと待てよ。キングレコードって確か…。「呼んだカイ?」(とは言ってない…笑)おお、まさか七海ひろきとVORCHAOSが繋がるとは!!今までレコード会社なんて気にした事も無かったが、何となくでも覚えていて良かった。ジャンルは全く違うが、淳自身は「ポップな曲も演ってみたい」と言っていたし、いつか2人による共作・共演が実現する日が来るかも知れない。キングレコードさん、七海ひろきとVORCHAOSを宜しく!!ついでながら、彼女が声優を務めるTVアニメ【ソマリと森の神様】が凄く面白い。(僕はAmazonの『プライム・ビデオ』で視聴している)勿論、【織田シナモン信長】も観ている。「共演」繋がりで、こちらの話題も。年末に『贋作者もつらいよ…?』というタイトルで記事を書いたら、年明けからNHKで【贋作 男はつらいよ】というドラマが放送されているらしい。BSプレミアムなので僕は観ていないが、示し合わせたかのようなタイトルに笑ってしまった。「贋作」というだけあって、車寅次郎を演じるのは渥美清ではなく、落語家の桂雀々。舞台も葛飾柴又ではなく、現代の大阪になっている。当然、登場人物は皆、大阪弁を話す。しかし、このドラマが面白いのは、「贋作」と言いつつ、脚本を書いているのが原作者の山田洋次であるという点だ。つまり、本家本元が「贋作」と銘打って「本物」を書いているのだ。「なんのこっちゃ…」である(笑)。ん、あれ…?ちょっと待てよ。そうなると、もしこのドラマで続編が作られた場合、紅ゆずるがマドンナ役で出演…、なんて奇跡が起こるかも知れないって事か。(贋作だけど…笑)それで、彼女が寅さんと丁々発止のやり取りを繰り広げる…、なんて場面が見られる可能性も。(桂雀々とだけど…笑)第21作『寅次郎わが道をゆく』のように、歌劇団の花形スター役だったら、ファンとしては嬉しい限りだ。(でも、大阪だとOSK日本歌劇団になっちゃうのかな…笑)松竹エンタテインメントさん、紅ゆずるを宜しく!!
2020.01.22
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月組公演【I AM FROM AUSTRIA】の話題に触れると前後して、以前から観たいと思っていた映画がAmazonの『プライム・ビデオ』にあがっていたので、さっそく鑑賞した。ちょうど「自らのアイデンティティ」に関する作品だった事もあり、興味深く観させてもらった。【サーミの血】…満足度★★★1930年代、スウェーデンで実際に行われていた差別と偏見の記憶。「あなた達の脳は、文明に適応できない」その恥辱と劣等感から抜け出すため、故郷と家族を捨てた少数民族サーミ人の少女エレ・マリャ。確かに、エレ・マリャの置かれた境遇には、同情を通り越して怒りすら覚える。しかし、同時に、彼女の行動原理は何処にでもいる10代の少女と何ら違わず、大人の僕からすれば驚くほど幼く、無謀に映るのも事実。更に、エレ・マリャのスウェーデン人に対する強い憧れは、自らのルーツに対する嫌悪感にも繋がり、妹ニェンナとの仲も引き裂く事に。自らサーミ人を父親に持つアマンダ・シェーネル監督が、インタビューでこんな事を語っている。「自分もサーミ人なのに、サーミを嫌う者がいます。 つまり、アイデンティティを変えた者と、 留まった者との対立が、私の一族の中にまだあるのです。 両者は互いに話をしません」姉妹の関係は、そのままサーミ人同士にある複雑な実情を表してもいるのだ。逃れようとしても、常に付きまとうサーミの血。自らのルーツを否定してまで憧れたスウェーデン人の生活は、果たしてエレ・マリャを幸せにしたのか…。ラストシーンで、彼女の胸に去来する感情が何なのか、今ひとつ汲み取れなかったのが残念。(それは、僕に虐げられた歴史が無いからかも知れない…)予告編からして、既に衝撃的…。
2020.01.15

年末年始はずっと映画中心の生活になっていたが、【カフェブレイク】にARIが登場して、少しずつ気持ちが宝塚に戻りつつある。パブロ・ガルシアという、いかにも男性的なキャラクターを演じた事で、ARIの男役度も一気に増したのだろうか。収録中の表情や仕草が、これまで以上に堂々として来たように感じた。動画を見て、マッチョな男性の動きを色々と研究したらしいし、それが普段の立ち居振る舞いにも表れているのかも知れない。 と、今回は改めて、ARIが演じたパブロについて語ってみたい。ネタバレになると思い、観劇時には敢えて触れなかった話題だ。感想の中で、僕はパブロの事を「愛のためなら性別も飛び越える男」と書いたが、恐らく彼自身に「自分はゲイ(バイ)」という意識は無いのだろうと思う。つまり、「ゲイだからフェリックスを好きになった」訳ではなく、「好きになった人がたまたま男性だった」に過ぎないという事だ。誰に対してもオープンな彼の性格を見るにつけ、パブロはそうした狭い尺度で人間を判断したり、自分を枠に嵌めるような男ではないように感じた。パブロは、ただ自分の気持ちに素直なだけなのだ。そして、それを恥じない男でもある。だから、オペラ舞踏会の場面でも、パブロは自分がゲイである事をカミングアウトしたつもりは、全く無いだろう。ただ、「フェリックスを大好きだ!!」という気持ちを、皆の前で素直に告白しただけだ。(そして、それを周りに納得させるだけのスター性を、彼は兼ね備えている)「LGBT」の受け止め方は人それぞれだろうが、パブロにしてみれば「誰が誰を好きになるか」でいちいち人間を色分けする「LGBT」という発想自体が、窮屈でナンセンスに感じるのではないか。(僕個人としては、「LGBT」の問題はどっちもどっちだと思っている)そして、そんなパブロの告白に誰も不快感や拒絶反応を示さない【IAFA】の世界観は、(法的な問題は別にして)「LGBT」の人々が普通に受け入れられている社会なのだという印象を受けた。「誰かを、本気で好きになる」その気持ちに、マジョリティかマイノリティかなんて区別が必要なのか?そんなパブロの真っ直ぐさとスター性は、ARI自身が持つ魅力と上手く重なり、非常に好感度の高いキャラクターに仕上がっていた。異色の役柄ではあったが、ARIにとっては良い経験になったのではないだろうか。【カフェブレイク】で受け答えする彼女の姿を見ながら、そう感じた。俺もARIが大好きだぁあああッ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆と、どさくさに紛れて愛を叫んだ所で(笑)、今回はここまで。(恒例のキャプチャ画像も、そろそろ卒業かな…)雪組公演までまだ2週間あるし、その間は気の向くままに書いていこうと思う。何も更新しない可能性もある…(笑)。ところで、前回の「こっちにおいでよ」に続き、今回も関東版で「パブロ・ガルイア」という間違いを発見した。(関西版では、ちゃんと「パブロ・ガルシア」に訂正されていた)もしかして、番組を使って、俺に間違い探し的な事を仕掛けてるとか…(笑)。
2020.01.13
1年が経ち、また「十日戎(=えべっさん)」の時期がやって来た。昨年は「残り戎」の11日に交通事故に遭い、記憶に残る戎祭りとなったが、「残り戎」にはもう一つ忘れられない思い出がある。それは、2012年の話だ。その前年末、僕と妻は2人で話し合い、離婚する事に決めていた。これまでにも喧嘩はあったが、今回は修復できないほど夫婦仲が悪化しており、仕事にも支障が出ていたため、お互いに離れる事を選んだのだ。ただ、今後の事もあるし年末年始だったので、暫くは今の生活を続けようという結論になった。そして、年が明けた1月11日の夜。9日の内に参拝を済ませていた僕は、いつも通り歯を磨き寝る準備をしていた。風呂から上がると、妻は居間でダウンジャケットを着たまま、うたた寝をしていた。「風邪引くから、寝るならちゃんと寝ろよ」と僕が声を掛けると、彼女は横になったまま思わぬ事を口にした。「お祭り行きたい…」先程も書いた通り、僕と妻は2週間ほど前に離婚を決めたばかりだ。今更、一緒に祭りへ行くような間柄ではない。驚いて「え、何で?」と僕が尋ねると、彼女は拗ねたように「だって、連れてってくれなかったもん…」と呟いた。意味が分からない(笑)。正直、翌日の仕事を考えると寝たかったが、「これが最後になる…」という気持ちがどこかにあったのだろう。これ以上、彼女に冷たい態度をとりたくない、という罪悪感もあったかも知れない。「じゃあ、早く起きろよ」そう言うと、僕はもう一度服に着替えて、2人で祭りに出掛けた。不思議な感覚だった。祭りの賑わいに対し、気持ちの落ち着かない自分が、とても場違いな感じがした。周りの雰囲気に全く溶け込めない。「何で俺は、こんな所にいるんだ…?」そんな疑問を抱きながら、僕達は出店を見て回り、お好み焼きなどを買って食べた。正直、その時2人で何を話したのか、全く覚えていない。もしかすると、ほとんど喋っていなかったかも知れない。そもそも、もう話す事など僕達には無いはずなのだ。行き交う人達には、僕達の関係はどう映っていただろうか…。その時の僕は、どんな顔をしていただろうか…。途中、立ち寄った露店で雑貨を見ている時に、妻が聞いて来た。「昔、私に買ってくれたピアス、どんな形だったか覚えてる?」何故、女性はこうして男を試すような質問をしたがるのだろうか。本当に困る…(笑)。色も形も微妙に違うが、僕は思い出したものに一番近いものを選んで手に取った。(そもそも、露店にはあまり種類が置いてなくて、選択肢も無かったのだが…)それに対して、彼女は何も答えなかった。こういう所も困る…(笑)。せっかく手に取ったので、僕はそれを買った。少し歩いた所で、ピアスを袋から出すと「付けてみてよ」と言って彼女に渡した。妻は面倒臭いという素振りをしたが、「どうせこれで最後だし…」と僕が言うと、納得したように付けてくれた。そうでもしないと、きっと永遠に付けないだろう。まあ、夫としての最後の意地だ(笑)。そうして1時間ほど祭りを見て回ってから、僕達は部屋へ戻って来た。時計はもう0時を過ぎていた。翌日も5時起きだし、僕が寝ると言うと、彼女はテーブルに腰掛け「もう少し呑む」と言った。僕はそれには答えず、寝室のふすまを閉めた。翌朝、目を覚ますと、妻の姿はどこにも無かった。夜中の間に出て行ったのだ。きっと、もう戻っては来ないだろう…。そんな予感がした。僕はいつも通り顔を洗い、服に着替えると仕事に出掛けた。喫茶店では、来る客来る客に「あれ、奥さんは?」と訊かれたが、その度に「いや〜、実は離婚したんですよ」と、笑いながら答えた。笑うしかなかった。他にできる事は、僕にはもう何も無いのだ。これが、僕と妻の最後の思い出だ。まあ、実際にはもう少し複雑なのだが、全てを書くと彼女に不利益な部分にも触れなければいけなくなるので、この辺りで止めておく。いくら離婚したとは言え、一度は本気で好きになった相手の悪口を書くのは、僕の趣味じゃない。(その後は、メールでのやり取りこそあったものの、直接顔を合わせる事は無かった)それにしても、可笑しな話だと思うだろう。離婚を決めた夫婦が、最後の夜にデートだなんて…。今でも、どうして急に彼女が「祭りに行きたい」なんて言い出したのか分からない。女性なら、妻の気持ちが分かるだろうか…。(まあ、分かった所で何が変わる訳でもないし、知るだけ無駄なのだが…笑)
2020.01.09
フロイド博士を、知恵を受け継ぐ者と認めたモノリス。ところが、ここでモノリスにとって予定外の出来事が起こる。フロイド博士が、木星探査船ディスカバリー号に乗らなかったのだ。代わりに乗船したのは、ボーマン船長を始めとした5名。彼らは(本当の目的を知らされていないのだから、仕方無いのだが…)雑談をしたり、似顔絵を描いたりと、随分と気の抜けた連中に映る。当然、モノリスは疑念を抱く。「果たして、彼らは木星へ連れて行くに値する、知恵を持った人間なのか…?」モノリスはHALを介してボーマン達の知能をテストするが、その結果はモノリスが満足するものではなかった。彼らは自ら答えを出す事も、解決策を示す事もできない、ただの追随者(フォロワー)でしかない。そう判断したモノリスは、5人を排除する事に決める。仮に、ここで船員が全滅しても問題は無い。何しろ、最初の接触から400万年もの間、モノリスは人類が宇宙空間までやって来るのを見守っていたのだ。この先、また何十年か経った所で、大した違いはない。モノリスにとって最も重要なのは、先にも述べた通り、知恵を受け継ぐ人間の確保なのだ。ウィキペディアには「モノリス探査の任務を隠しつつ、乗組員と協力しなければいけないという矛盾に耐え切れず、HALは異常を来した…」と書いてあるが、これはどう考えても無理がある。何故なら、モノリスの件は木星到着後に搭乗員全員に開示される事になっていたからだ。その事は、HAL自身もフロイド博士から命令を受けて知っていた。つまり、木星に到着するまで知る必要の無い情報を、HALがボーマン達に黙っていたとして、何の矛盾も無いのだ。このように、HALが暴走行為に出たのも、全てモノリスの企てだと考えれば辻褄が合う。(HALが故障を指摘した箇所が、「電波」を受信するアンテナというのも、モノリスの関与を示唆している)HALの赤いランプは、モノリスの目だと考えて良い。モノリスはHALを使って船員達を観察し、テストしていたのだ。しかし、モノリスの予想に反し、ボーマン船長は自らの知恵と勇気でHALとの戦いに勝利する。この時のボーマンの姿は、400万年前に敵対する群れから水場を奪い返したあの猿人と重なる。これにより、彼はモノリスから「知恵を持った人間」として認められ、木星探査の真の目的を告げられるのだ。(フロイド博士からのメッセージ映像を流したのも、モノリスの意思だろう)モノリスに導かれ、ボーマンはある部屋に連れて行かれる。現在、ノルウェー領のスヴァールバル諸島には、世界中の農作物種を冷凍保存するための「世界種子貯蔵庫」が設置されているが、ボーマンが来た部屋もきっと同じ目的(=種の保存)のためにあったのだろうと思う。だからこそ、モノリスとしては、より知能の高い人間を選ぶ必要があった。この部屋で、ボーマンは残りの人生を過ごす事になる。ただし、部屋の中に流れている時間が、地球上の1分1秒と同じだとは到底考えられない。カメラが切り替わった途端にボーマン船長がいきなり老けるのも、地球とはまるで違う時間が流れている事を示唆しているのではないか。やがて、ベッドに横たわる年老いたボーマンの前に、再びモノリスが現れる。この時、木星に着いてから何年経っているのか、地球の現生人類はどうなっているのか、繁栄しているのか、絶滅の危機に瀕しているのか、それは全く分からない。ラジオ番組の中で、トータス松本は「核戦争」の可能性について言及していたが、僕もその仮説に賛同する。それこそ、モノリスが人類種を保存しておこうと考えた理由だろう。そして、遂にその時が来たのだ。(最初の感想でも言及したが、テーブル上のグラスが落ちて割れたのが、現生人類が危機的状況に陥ったサインだと、僕は考えている)今回の考察の冒頭で、この映画のキーワードに「触れる」を挙げた。劇中では直接描かれていないが、ベッドの上で手を伸ばしている事から、恐らくボーマンはこの時もモノリスに触れたのだろうと思う。それによって、彼はスターチャイルドへと進化を遂げた。この辺りも、僕がモノリスを道具ではなく、一つの意思を持った生命体だと考える理由だ。仮に、モノリスが道具だとして、「果たして人間をスターチャイルドに進化させられるだけの能力があるのか?」、更にその能力があったとして「そこまで高度なものを作り出せる知的生命体が、そもそも道具などという副次的な物を作る必要があるのか?」という疑問がある。つまり、「道具」という発想自体が既に人間レベルではないか、という事だ。ほぼ万能と言っても良い存在者が、道具を作るだけ無駄な作業のように僕には感じるが…。何れにせよ、こうしてスターチャイルドとなったボーマンは、再び地球へと返される。その後、どうなるかは分からない。果たして、新たな人類はどんな歴史を歩むのか…。スターチャイルドは、人類を正しい歴史へと導けるのか…。モノリスは、今度もただ黙って人類を観察するのだろう。人間が動物を観察するように…。あのラストからは、そんな印象を受けた。いかがだったろうか。人間の視点から見ると、不可解で脅威的なものにしか映らないモノリスの存在やHALの行動も、モノリスの視点から見れば全て理屈で説明できる事が分かってもらえたのではないかと思う。
2020.01.06
せっかく映画の話題が続いているので、書くと言ってから何ヶ月も放置したままになっていた映画【2001年 宇宙の旅】の解説を済ませてしまおうと思う。(映画の感想はこちら →【ものぐさ映画評(part46)】)以前書いた映画【ラ・ラ・ランド】の解説が好評だったのか不評だったのかは全く不明だが(笑)、僕と同じ視点で映画を観ている人は滅多にいないだろうという事を前提に、今回もまた性懲りも無く独断と偏見で解説している。因みに、小説版は読んでいない。読む必要は無いと考えている。スタンリー・キューブリック監督が描いたものを理解しようとする時、他の情報は却って邪魔になるからだ。また、謎の一枚岩「モノリス」に関しては、一般的には地球外知的生命体の「道具」と定義されているようだが、僕個人はこれ自体が「生命体」であると捉えている。それは、ラジオ番組の中でトータス松本が「キューブリック監督は、モノリスを『神』的な存在として登場させた」と語っていたからだ。神を可視化しようと試行錯誤した結果、敢えてあのような無機的な形にしたと言う。僕もこの発想に倣う。さて、この作品のキーワードは「観察」「触れる」そして「選ばれた人間」である。選ばれた人間とは、「知恵」「知性」を持つ人間を指す。それは、誰でも手にできる能力ではない。漫画【サラリーマン金太郎】の中に、こんな台詞がある。学校で教える勉強はすでに世の中に在るものだそれを学び知る事は基礎でしかない人間の知恵とはその先にある世の中にないものを考え出し創り出す事にある或いは、こんな台詞もある。知識なんて大した事ありませんよ(中略)知識より大事なものは知恵ですわそして知識は答えを出さないけど知恵は答えそのものですここで言う「知恵」とは、現状を打破し、自ら運命を切り開く突破力の事だ。それは「知識」とは明確に区別される。例えば、パソコンやスマホを上手に使いこなすのは「知識」だが、そのメカニズムを一から考え出し、形にするのは「知恵」だ。その事を示す箇所が、400万年前に猿人達がモノリスと遭遇する場面で描かれている。ここで重要なのは、何匹もの猿人がモノリスに触れている中で、骨を道具として使う事に気付いた猿人は1匹であるという事実だ。それは、この「最初の1匹」こそが他の猿人達とは違う「知恵」を持った存在であり、彼らの中から「知恵を持つ存在が現れた」という事を意味している。(それ以外の猿人は、彼の「追随者(フォロワー)」でしかない)そして、その知恵は、良くも悪くも人類を新たな次元へと押し上げ、400万年後ついに人間は宇宙空間へと進出する。「思考(=考える)」とは「答えを出す」作業である。当然、その答えは「正解」である事が求められる。そして、常に正しい答えを導き出せる者、集団や組織を正しい方向に導く事ができる者を、人々は「指導者(リーダー)」と呼ぶ。その意味で、月面基地に招かれたフロイド博士は、充分にリーダーの資格を持つ人間である。このフロイド博士とモノリスの接触が、物語を展開させる鍵だ。ウィキペディアでは「モノリスが400万年振りに太陽光を浴びて、信号を発した」とあるが、これは完全に誤解である。超次元の存在であるモノリスが、そのような自然現象に左右されて動くとは到底考えられない。飽くまでも、人間がモノリスに「触れる」事が重要なのだ。しかも、ただ触れるのではない。400万年前、骨を道具に変えたあの猿人と同じ知恵(知性)を受け継ぐ人間が触れなければならない。その人間こそがフロイド博士であり、彼がモノリスに触れた時に何らかの情報確認が行われ、モノリスはフロイド博士を「選ばれた人間」として認識したのだ。(モノリスが掘り出されてからフロイド博士が訪れるまでには何日か経っているはずだし、その間に既に太陽光が当たり、作業員なり研究員なりが触れているはずだ)そして、次への段階として、モノリスは木星へ向けて信号を発する。ここまで読めば、大抵の人が気付くだろう。モノリスが、ある明確な意図を持って行動している事に。それは、知恵(知性)を兼ね備えた人間を木星へと導く事である。その人間に、フロイド博士が選ばれたのだ。後半へ続く。
2020.01.05
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明けましておめでとうございます今年も宜しくお願い致します観に行けないと諦めていた雪組公演【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】だが、公式HPをチェックしたタイミングが良かったのか、1月28日(火)のチケットを奇跡的に手に入れる事ができた。作品は勿論、舞咲りんの最後の公演を観られる事にも感謝したい。因みに、先入観を持ちたくないので、敢えて原作映画は観ていない。さて、米国のギャングを知る前に、日本のヤクザを知らなければという事で、年末年始を利用し、かねてより予告していた映画【仁義なき戦い】をまとめて鑑賞した。同シリーズは、第二次世界大戦後の広島県で実際に発生した「広島抗争」の当事者の一人である美能幸三の手記が基になっている。つまり、脚色こそあれ、基本的にはノンフィクションなのだ。その迫力を、映像で見事に再現してみせたスタッフと俳優陣の情熱、執念が素晴らしい。(ただ、残忍な暴力シーンに抵抗を感じる人は、決して少なくないだろうと思う)人間関係が複雑な上に、シリーズを通して同じ俳優が別の役で出て来るので、正直よく分からない部分もあるのだが、それでも最後まで観たくなる傑作シリーズだ。【仁義なき戦い】…満足度★★★★血で血を洗う抗争、裏切りに次ぐ裏切り。目まぐるしく変わる状況に、複雑な人間関係は更に複雑さを増す。何が正解か、どこがゴールかも分からぬまま、それでもヤクザでしか生きられない男達の群像劇。圧倒的な暴力の中に、人間の滑稽さや悲哀まで描き込んだ、脚本の笠原和夫。「実録」ならではの緊迫感と生々しさを、乱暴ながらも大胆なカメラワークで表現してみせた、監督の深作欣二。そして、広島ヤクザの生き様を迫真の演技で体現した、菅原文太を始めとする役者陣。それぞれが正に三位一体の塊となって観る者を圧倒する、ヤクザ映画の金字塔だ。【仁義なき戦い 広島死闘編】…満足度★★★☆血生臭いヤクザ映画だった第1作目に対し、今作は主人公・山中正治(北大路欣也)の生き様と純愛に焦点が当てられ、シリーズ5作の中では異色の内容と言える。スピンオフ的な作品なので、第1作の正当な続編は【代理戦争】になる。繊細な北大路の役作りと対照的に、外道極まりない千葉真一の怪演も見もの。【仁義なき戦い 代理戦争】…満足度★★★☆菅原文太が演じる主人公・広能昌三が組長となり、若い衆を纏める立場になったせいか、それまでの青春群像劇は影を潜め、大人の駆け引きという色合いが強くなった。広能の背中には、ヤクザの貫禄と共に哀愁が漂う。【仁義なき戦い 頂上作戦】…満足度★★★★上層部では大人達が謀略を巡らし、末端では血の気の多い若者達が暴力で立身を図ろうとする。結局は、自己保身と権力争いの繰り返し…。まるで人間社会の縮図を見ているようで、「ヤクザ」も「カタギ」も基本的には何も違わない事に気付かされる。悲哀よりも、人間の滑稽さや虚しさが滲み出る第4作目。【仁義なき戦い 完結編】…満足度★★★☆ヤクザが、政治結社を名乗る。警察や市民を巻き込み、ヤクザ社会も様変わりする。同時に、組織の中では世代交代が進み、新たな火種が生まれる。結局、広能昌三(菅原文太)は何を成したのだろうか…。彼の生き様を通して、そんな複雑な気持ちにさせられる完結編。
2020.01.02
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