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事の発端は、どなたかのブログで「ARIが悩んでいた」という記事を読んだためだ。しかし、近所に【歌劇 / 10月号】を売っている本屋も無く、Amazonで注文すると配送料で600円も取られる事に二の足を踏み(笑)、11月17日の宙組観劇まで待たなければならなかった。その後、座談会の記事は読んだものの、「【カフェブレイク】を観てからの方が良いか…」と思ったり、何をどう伝えるべきかを考えていたら、更新が今日になった。ARIが悩んでいる…。しかし、それは悪い事ではない。いや、寧ろそれで良い。ARIの演技スタイルを考えれば、いつか何処かで壁にぶつかる事は分かっていた。(ARIなら、自分で答えを見付けられるかとも思い、黙って見守っていたが…)悩むという事は、ARIがそこまで順当に成長して来たという証拠だ。研10になってもその焦りや不安を感じていなかったら危険信号だったが、座談会によれば研9になる手前の時期だったようで、それなら問題は無い。今の君のその悩みは、正しい感情なのだ。ただし、がむしゃらに前に進めば良かった今までとは違い、これから暫くは試行錯誤の日々が続くだろう。役者としての成長だけでなく、それを下支えするARIの人間としての成長が、今以上に求められるようになるからだ。いつだったか、僕はARIの男役をこう評した。「暁千星という男役は、ARIという生身の人間が子供から大人へと成長する中で、培われて行く」今回の座談会でも、周りから指摘されていたのは殆どが「気持ち」の部分だ。これからARIは、精神的にもっと大人にならなければならない。そして、芝居に対してもっと貪欲にならなければならない。ARIが『暁千星・第2章』の扉を開けられるかどうかは、恐らくそこが鍵となるだろう。ARIは「私にしか出せないものが絶対にある」と、個性ばかりを気にしているようだが、個性とは「心・技・体」が整って初めて会得できるもの。ただ闇雲に「自分らしさ」を求めても、答えは出ない。それは、何の手掛かりも目印も無いまま、砂漠を歩き回る行為に等しい。迷った時は、先ず自分の現在地をきちんと確認し、そこから進むべき目標を立てる事が肝心だ。今のARIを分かり易く喩えるなら、全集中の呼吸を身に付けないまま鬼達と闘って来た竈門炭治郎のようなもの。ここまでよく頑張ったと褒めてあげたい所だが、これからの道程は今の実力では厳しい。役の心情を掘り下げる力も、それを舞台で表現する力も、まだまだ未熟だからだ。いくら炭治郎が「鬼舞辻無惨を倒します!!」と熱弁しても、 産敷屋耀哉に「今の炭治郎にはできないから、まず十二鬼月を一人倒そうね」と窘(たしな)められてしまうのと同じだ。自分の呼吸を見付ける前に、ARIはもう一度、役者としての基礎体力を鍛え直す必要がある。そのためには、例えば、自分が「こういう芝居をしたい」「こんな男役になりたい」と思う歴代の男役スター達を、よく観察し真似してみる事だ。他人と比べて何が違うかを客観的に観察・分析する事で、自分の弱点が見えて来る。「声の調子」「イントネーション」「話すスピード」「抑揚の付け方」「間の取り方」「広角の動き」「目線の向け方」「眉毛の動き」「姿勢」「指先の使い方」「歩き方」等々…。他人の芝居を真似してみる事で、彼らがどうやって喜怒哀楽を表現しているかが、実感として分かって来る。特に、「台詞回し」は色々と勉強になるはずだ。以前にも書いたが、「目より先に手が肥える事はない」。「芝居が上手い」と思う人達の何がそう思わせるのかをよく観察し、自分とどこがどう違うかを分析する。その違いに気付けるようになれば、自ずと道は開けて来るだろう。まあ、これは飽くまでも一つの提案であり正解ではないが、行き詰まった時や自分の中に答えを見出せない時は、外からヒントや手掛かりを見付けて来るという手段もある。最初は誰かのモノマネでも、それが暁千星の芝居に馴染めば、やがて立派な個性になる。表現のバリエーションが増えれば、同じ台詞を何通りもの言い方、色々と仕草を変えて試せるようになる。その中で、これだと思えるものを堂々と舞台で表現すれば良いのだ。(ただし、ARIは童顔なので、あまり身振り手振りを大きくすると、余計に幼く見えてしまうので、気を付けた方が良い)【夢現無双】の感想で「3年後のARIを楽しみにしている」と書いたように、僕は今直ぐの成長や成果を求めている訳ではない。未来の話をしているのだ。しかし、未来はいつまでも未来のままではない。必ず「今日」になる時が訪れる。その日のために、ARIが今からどれだけの努力と試行錯誤を重ねられるか…。その本気度と真価が問われるステージが始まったのだ。例えば、これがファンなら「私は理想の宝塚ファンになれないけど、それで良いです」で済むが、タカラジェンヌはそういう訳にはいかない。たとえ、直ぐには自分の望む成果が出なかったとしても、理想の舞台人を目指して、絶えず努力を続けなければならない。「歌が下手だ」「芝居が下手だ」と馬鹿にされても、悩みながら葛藤しながら、舞台に立ち続けなければならない。「私は歌が下手だけど、これで良いです」などと開き直るジェンヌがいたら、その人はもう舞台に立つ資格は無いだろう。だから、ARIが舞台に立ち続ける限り、僕は彼女がタカラジェンヌとしての誇りを胸に、悩みながら葛藤しながら、努力を続けているのだと信じよう。ARIだけではない。宝塚の舞台に立つ全てのジェンヌを信じよう、認めよう。僕は人の努力を否定しないし、努力する人間を否定しない。皆それぞれ、得手不得手があるのは当たり前だ。歩幅や呼吸だって、一人ひとり違う。一朝一夕に答えは見付からないだろう。悩んで良い、迷って良い、泣いても良い。それでも、タカラジェンヌである限り、その歩みを止めてはいけない。それが106年という歳月を超えて、受け継がれて来た誇りなのだ。集中しろ心を燃やせ誰が何と言おうと君達はタカラジェンヌだ己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと歯を喰いしばって前を向け胸を張って生きろ!!(あれ、この台詞どこかで聞いた事あるな…笑)大丈夫だ、俺はいつでも君達の味方になる。俺は鬼にはならない!!よし、もっと集中してジェンヌ達を褒めるぞ!!(こういう事しちゃうから、説得力が無くなるんだよな…笑)
2020.12.30

ずん、誕生日おめでとおぉぉおおうッ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆「スパシーバ、同志よ!!」(とは言ってない…笑)今回、ずんが演じたヴラド・ポポフという男は、実に掴みどころの無いキャラクターだった。全編通して出て来る割には、彼の言動からは主たる目的がほとんど感じられない。皇太后マリアの報奨金話に乗って、ディミトリとアーニャを盛り立てて一緒にパリまでは行くが、アーニャが本物のアナスタシアかどうかを気にする素振りも見せなければ、報奨金に固執している様子も無い。ただ、その時々で自分のやるべき事を全力でやるだけ。そして、役目が終わると、驚く程あっさりと舞台から退場してしまう。しかし、この【アナスタシア】の物語は、ヴラド無くしては成立しない。上流階級でありながら貧しい平民のディミトリと行動を共にし、記憶喪失のアーニャに貴族の素養を身につけさせ、皇太后マリアに取り入ってくれる知人がいて、それでいて脇役扱い…(笑)。物語を展開させる上で埋めなければならない穴を全て完璧に補ってくれる、最高に都合の良いキャラクター。それがヴラドなのだ。それにしても、あまりに都合も段取りも良過ぎる。そして、ある瞬間、ふと思った。「あれ…、これって実は全部ヴラドなんじゃないか?」例えば、第2幕でヴラドとリリーが再会する場面。リリーは「かつてヴラドがダイヤを盗んだ」と言っているが、その詳細は明らかにされていない。では、もしこのダイヤが、アーニャの下着に縫い付けられていたものと同じだとしたら…。アナスタシアを王宮から助け出し、ボリシェヴィキの追跡が及ばない遠く離れた街まで運んだ(運ばせた)のは、実はヴラド・ポポフ…、と推察する事もできてしまうのだ。(そもそも、落ちぶれ貴族である彼は、何故ボリシェヴィキに追われていたのか…?)そうなると、ヴラドにとって、アーニャとの出会い(=予期せぬアナスタシアとの再会)、そして彼女を皇太后マリアに会わせるという計画は、ディミトリとは全く別の意味を持つ事になる。確かに、ユスポフ宮殿の場面で、アーニャを追い返そうとしたディミトリを宥(なだ)め、彼女に食事を与え、話を聞こうと促すのは全てヴラドだ。(この時だけは珍しくヴラドが主導権を握り、ディミトリに指図している)パリへ向かう列車が止められた場面でも、誰よりも危険を感じ、状況を確認しに行くのは彼だ。僕は、先の感想でヴラドの事を「木を見て森を見ずの一点集中型」と評したが、実は彼こそ初めから全てを理解していた人物なのではないかという気がして来た。だからこそ、その時々で自分がすべき事に集中できたのではないか。このように、彼だけが最後まで「アーニャが本物のアナスタシアかどうか?」という疑問を口にしなかったのも、気にしていなかったからではなく、寧ろ最初から彼女がアナスタシアであると確信した上で行動していたから、と考えれば辻褄が合う。「この計画が成功したら、二度とアーニャに会えなくなるけど良いのか…?」という台詞も、真実を知っているからこそのディミトリへの気遣いだとすれば、色合いが変わる。そして、第2幕『第12場 ホテルの控え室』で、ヴラドが去り際に言う台詞。「ありがとうございました」最初の観劇の時も2回目も、この言葉の響きが何となく不思議だった。「ごめんなさい」でも「さようなら」でもない、「ありがとう」。ヴラドが本当に金銭目当てで女性達を騙しているだけの男だとしたら、この状況でこの言葉は不釣り合いな気がするのだ。(報奨金の話も、結局彼は一度も口にしないまま立ち去っている)しかし、これが皇太后マリアがアーニャを受け入れてくれた事に対する素直な謝辞だと考えれば、すんなりと納得が行く。かなり早い段階で、ヴラドの中にアーニャがアナスタシアだという確信はあったにせよ、本人が記憶を取り戻さない限り、それを証明できるものは何も無い。自分のような男が何を言っても信じてはもらえないだろうし、逆に疑いを深めるだけだ。最後は、やはり皇太后の判断に委ねるしかない。彼らの中で唯一、真実を知る人間だからこそ出た言葉が、「ありがとう」だったのではないか。(アーニャと皇太后の面会中、居たたまれずウォッカを飲みに走った気持ちもよく分かる…笑)そんなヴラドの気苦労を知ってか知らずか、リリーだけは彼を庇う発言をしている。彼女だけは彼の本心を見抜き、その上で受け止め、愛してくれる女性なのだ。実は、この「見抜いてくれる」というリリーの聡明さが、ヴラドにある種の安心感と信頼感を与えている。これに関しては、皇太后マリアも「素顔の自分でいられるのは、貴女の前でだけです」と言っており、リリーとはそうした彼らの胸の内を言わずとも察する事ができる女性なのだろう。そして、それを受け止められる度量の持ち主でもある。確かに、再会した時もリリーは「何か企んでるでしょ?」と、ヴラドの下心を見抜いてはいる。しかし、それと同時に、リリーなら「わざわざパリまで会いに来る程だから、それ相応の理由があるに違いない」という所まで頭を働かせてくれるはずだ、という信頼感がヴラドの側にもある。(実際、彼女もアーニャと直接会った瞬間に、ヴラドの真意を理解した)そういう女性でなければ、彼は駄目なのだ。恐らくだが、ヴラドは自分を含めた貴族という身分を恥じていた、或いはそれに馴染めなかった人のように思う。自分の事を「偽者」だの「ただの男」と言ったり、リリーがせっかく記者団に「ポポフ伯爵」と紹介してくれたのを茶化したりするのは、貴族として見られたくないという心理の現れだろう。少なくとも、ネヴァクラブの連中のように、上流階級を鼻に掛けるような男ではない。そうでなければ、いくら助けてもらったとは言え、階級社会の常識から考えて、身分も違えば年齢的にも随分と若いディミトリに対して、あんなに対等な接し方はしない(させない)だろう。(実際、ネヴァクラブを訪れたグレブは、セルゲイに冷たくあしらわれている)そうした社交界の鼻持ちならない連中と接する中で、彼が身に付けた処世術が、あの軽薄なキャラクターだったのではないだろうか。しかし、リリーの前では、そんな自分の軽口も、彼女への真実の愛も全て丸裸にされる。彼女が虚実を見抜いてくれるから、自分はいつも安心してお調子者のヴラドでいられる。ただの男でいられる。だからこそ、ヴラドにとってリリーは理想の女性なのだ。と、ここまで長々としたり顔で語って来たが、きっと間違ってるんだろうな…(笑)。ただ、そう解釈できない訳ではないので、可能性の一つとして語ってみた。のぅ、稲葉太地先生よ。ワシの可愛いずんのために、宝塚版だけそういう格好良い裏設定にしてくれんかのぅ?ずんは、ワシの朝日ソーラーじゃけん!!(何故か、菅原文太になっちゃった…笑)
2020.12.27

ジョン・レノンの生誕80年を記念して、オノ・ヨーコとショーン・レノンが選曲、リミックスしたベスト・アルバム【GIMME SOME TRUTH.】からの音源を使用した、新たなMVが発表された。あなたにも、ハッピー・クリスマスが訪れますように。
2020.12.24
「まとめ」という程ではないが、とりあえず1年の総括として。2020年も、間もなく終わろうとしている。今年はコロナ禍に世界中が揺れた1年だったが、個人的には特に何も変わらなかった。喫茶店はいつも通りの営業を続け、「誰が感染した」という話も聞かず、これまでと同じ生活を続けていた。とは言え、何も変わらなかった訳ではない。実は、昨年後半から売上げが急激に悪くなり、いよいよ経営が厳しくなって来た。今年3月で開業から丸10年になる事もあり、一区切りした感もあったため、6月までの売上げの推移を見て、喫茶店を廃業するかどうか答えを出そうと思っていたのだ。ところが、このコロナ禍である。景気は悪化し、廃業する店や失業者の増加がニュースで報じられた。「あれ、今辞めても、次の仕事が見つからないんじゃないか…?」そんな状況になってしまった(笑)。売上げも戻らず、来年以降がどうなるのかも分からないが、あまり考え込まず「不測に立ちて無有に遊ぶ」の心境でやれる事をやろうと思う。僕はヒーローでもなければリーダーでもない。1人の人間が生きて死ぬだけの話だ。大した問題は無い。とりあえず、宝塚のチケット代を確保できるくらいの生活は続けたい…(笑)。宝塚歌劇もコロナ禍の煽りを受け、公演の中止・延期を余儀なくされた。そんな2020年に、僕が観劇した舞台は以下の通り。花組 × 0回月組 × 2回【ピガール狂騒曲】× 2回雪組 × 1回【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】× 1回星組 × 1回【眩耀の谷】× 1回宙組 × 2回【アナスタシア】× 2回花組公演は一度も観られず、4公演6回の観劇に留まった。まあ、状況が状況なので、例年とは比べようもないのだが、今は無事に公演が再開された事を喜ぶべきだろう。(来年6月からは、全国ツアーも予定されている)そして、不安の中でも全身全霊で舞台に立つジェンヌ達と、それを全力で支えるスタッフに改めて感謝したい。来年以降も見通しが立ったとは言えず、まだ暫くは一歩一歩といった所だが、それでも彩凪翔や華優希の退団発表に象徴されるように、たとえ一歩ずつでも宝塚が前に進む限り、そこには必ず変化が生まれる。それは時に小さく、時に大きく、時には喜びとなって、時には悲しみとなって僕達を襲う。それを受け止める事がファンの宿命なのだろう。そうした諸々を、普段以上に実感させられる1年となった。さて、たった4公演からベストを選ぶ事はさすがに無理だが、個人的に雪組【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】は映画版を観る切っ掛けともなり、僕の人生に大きな足跡を残す作品となった。このブログの読者なら分かると思うが、僕は独特の感性と価値観の持ち主だ。そして、確かにこれまでも「この感性で生きて行こう」と思いながら生きて来た。しかし、映画【ONCE ー】を独自の視点で読み解いた事で、初めて「ああ、俺はこれで良いんだ」という確信が持てた。普通、人は周りに認められる、受け入れられる事で、自分の居場所を見つけようとする。しかし、僕は逆に、誰にも辿り着けない領域に足を踏み入れる事で、自分を認める事ができた。この違いは大きい。人気漫画【鬼滅の刃】の言葉を借りるなら、ようやく自分の呼吸を見つけたといった所だろう。(何の呼吸かは知らないが…笑)その最後のひと呼吸を与えてくれた小池修一郎と雪組には、改めて礼を言いたい。たった一度、2階B席からの観劇ではあったが、僕にとっては最前列から観たのと同じくらい価値のある公演だった。ありがとう。映画を観てから改めて宝塚版のDVDを鑑賞すると、映画では曖昧に描かれていた部分が、上手く改変・加筆されている事に気付く。映画を下敷きにしつつも、全く別の物語として観られるのは、さすが小池修一郎の手腕だろう。ただ、それだけに、ラストの再会シーンはもう少し哀愁を込めて描いても良かったかなとも思う。デボラとの恋愛模様が上手く描かれているだけに、逆に男の友情物語としてはどこか物足りなさが残る。ヌードルスからマックスへ歩み寄る台詞がもう一言二言あれば、2人の再会にもっと深みなり厚みが出たのではないか、そんな気がする。因みにだが、「マフィア」の語源は、1282年3月30日に当時フランスの支配下にあったイタリアのシチリア島で起きた「シチリアの晩鐘事件」に由来するという。フランス人に対して暴動を起こしたシチリア人達が合言葉にした「Morte alla Francia Italia anela(全てのフランス人に死を)」の頭文字を並べると「マフィア(mafia)」になり、これが語源とされているようだ。話を戻そう。とは言え、他の3作品もそれぞれに面白く見応えがあり、個人的な思い入れが無ければ、やはりどれがベストとは決められない、いや「決めたくない」というのが正直なところだ。困難な状況にあっても舞台を届けようと努力してくれる、彼らの想いに優劣は付けられない。5組に分かれているとは言え、今は宝塚歌劇団が一つに団結して闘わなければならない時だ。僕もファンの1人として、その輪の中に加えてもらえるよう、自分がタカラジェンヌ達のために何を発信できるかを考えながら、ブログを書いて行きたい。(ただ、まあ、相変わらず協調性はゼロだと思いますが…笑)ところで、【鬼滅の刃】の作者・吾峠呼世晴は女性らしいのだが、宝塚の舞台は観た事があるのだろうか。絶対に面白いから、ぜひ一度観て欲しいな。それで、もし気に入らなかったら、その時はチケット代は俺が返す!! (笑)
2020.12.21

僕が浅川マキを知ったのは、まだほんの数年前だが、その歌声と歌詞の世界観に触れた瞬間から、彼女の虜になってしまった。「アンダーグラウンドの女王」と謳われた彼女の歌は、どれも暗い。それは、一時の悲しさや切なさよりも深い、人生の影を引き摺りながら生きている女の暗さだ。(歌詞に出て来る男達も、あまりロクなのがいない…笑)しかし、だからと言って、彼女はそれを嘆く事も、慰めを求める事も、男を責める事もしない。寧ろ、最初から分かっていたかのように「いいのよ、オーライ」と言ってしまう。僕はそこに浅川マキの美学というか格好良さを感じ、痺れてしまったのだ。「昭和生まれ」の僕には、どこか懐かしさすら感じる暗さだが、「平成生まれ」の人達には浅川マキの歌はどう感じるのだろうか…。シンプルな曲だが「不幸せという名の猫がいつも寄り添っているから、私は独りぼっちじゃない」という歌詞に衝撃を受けた【ふしあわせという名の猫】。後々、作詞が寺山修司と知り、その感性に再び感嘆した。こちらも「ゆうべ、私が死んだ嫌な夢を見たのさ」というハッとする歌詞で始まる、【ブルー・スピリット・ブルース】。個人的に、かなり好きな1曲だ。暗い曲ばかりでなく、こうしたアヴァンギャルドな曲もある。彼女の生き方を表明したかのようなタイトルの曲【時代に合わせて呼吸をする積りはない】。誰もが知る洋楽【朝日のあたる家(The House of the Rising Sun)】を、浅川マキが和訳して歌った【朝日楼】。アニマルズが歌った最も有名なバージョンでは主人公が男性になっているが、元々は娼婦に身を落とした女性の歌であり、浅川は暗い情念に満ちた女の歌に仕上げている。
2020.12.16

12月8日(火)は宙組【アナスタシア】、2度目の観劇。気付けば、これが今年最後の観劇だった。(『観劇まとめ 2020年』を書き始めたら、こちらの感想が遅くなった…)そして、星風まどかの専科への異動が発表されてから、初めての観劇でもある。本人がどのタイミングで異動を知らされたのかは不明だが、前回に彼女から感じた気迫のようなものは、これが原因だったのかなと今となっては思う。それくらい、彼女の演技はいつにも増して熱が入っていた。そんな星風への餞(はなむけ)ではないだろうが、8日に観た【アナスタシア】は先月17日の時よりも更に組子達の演技や歌に磨きがかかり、作品の完成度が確実に高まっていた。何があろうと、宙組の勢いはまだまだ止まりそうにない。そんな彼らの熱に引き込まれ、観ているこちら側もいつしかアナスタシアの物語に没入し、登場人物達と一緒に笑って泣いて感動した。そして、宝塚歌劇という素晴らしい世界、タカラジェンヌという素晴らしい人達と巡り逢えた奇跡に、改めて感謝した。僕も微力ながら、これからも宝塚を盛り上げ、タカラジェンヌ達を励ませるブログを書いて行こうと思う。俺は、君達が大好きだ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ありがとう!!さて、星風まどかの異動と同時に、宙組では潤花の次期トップ娘役就任が発表された。こういう人事は初めてだったので驚いたが、過去には檀れいなどに前例があるようだ。潤花に対しては、とにかく笑顔が眩しいという印象が強い。組替えしたばかりで不慣れな事もあるだろうが、その持ち前の明るさで、宙組を照らして欲しい。頑張れ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆そんな宙組の次回作は、何と真風涼帆が演じるシャーロック・ホームズ。イメージの段階で、既に似合い過ぎている(笑)。タイトルに「(仮)」とあるので、オリジナルのストーリーのようだが、果たしてどんな物語が展開されるのか、そちらも楽しみだ。ホームズ役と言えば、最近ではベネディクト・カンバーバッチが有名だが、僕にとってはジェレミー・ブレットこそ永遠のホームズ。そして、吹き替えは露口茂。NHKで放送されていた【シャーロック・ホームズの冒険】が大好きだった。吹き替え版の映像がほとんど無く、こちらの動画で雰囲気だけでも伝われば…。ちょうど舞台の解説にも出て来る「アイリーン・アドラー」について語られる場面だ。(アイリーンではなく、エレーナと紹介されているが…)ところで、望海風斗のサヨナラ公演【fff】の第2抽選方式は……運命に負けた… (T-T)まあ、そう言って前回公演も抽選・先着順ともに外れながら、一般前売りでチケットを手に入れられたので、最後まで望みは捨てずにいようと思う。せっかくなので、偶然YouTubeで見付けた大空ゆうひと音楽ユニット『TSUKEMEN』メンバーとの対談動画も。普通に可愛い(笑)。
2020.12.11
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