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ロッド・スチュワート【Sailing】1975年 歌詞&和訳I am sailing, I am sailing僕は渡って行く 櫓(ろ)に手を添えてHome again, 'cross the sea家に帰ろう この海を越えてI am sailing, stormy waters僕は漕ぎ続ける 荒れ狂う海原でTo be near you, to be freeあなたの元へ 自由を求めI am flying, I am flying僕は渡って行く 両手を広げてLike a bird, 'cross the sky鳥のように この空を越えてI am flying, passing high clouds僕は飛び続ける 高い雲の彼方へTo be near you, to be freeあなたの元へ 自由を求めCan you hear me, can you hear me届いていますか 僕の声がThrough the dark night, far away深い闇夜を抜け どこまでも遠くI am dying, forever cryingこの命が尽きようと 僕は呼び続けるTo be with you, who can sayあなたと共に いられないとしてもWe are sailing, we are sailing僕達は渡って行く 櫓に手を添えてHome again, 'cross the sea家に帰ろう この海を越えてWe are sailing, stormy waters僕達は漕ぎ続ける 荒れ狂う海原でTo be near you, to be freeあなたの元へ 自由を求めOh Lord, to be near you, to be freeあぁ 神よ あなたの元へ 自由を求めOh Lord...あぁ 神よ…
2022.12.31

歴史学者の磯田道史が、現在の日本に抱く危機感がかなり切実。「知る権利が保障されてこその民主主義」「同じ日本人が貧しくなって行くを見て怒りを感じないのは本当の愛国ではない」「教育にも国内にも投資しない、自分でリスクも取らないのに、経済成長だけ求めても絶対に日本は発展しない」という発言は、この国の本質を突いていると思う。「1660年体制」の話も非常に興味深かった。
2022.12.31

宝塚大劇場の星組に続き、東京の雪組公演も滞りなく幕を下ろした。その間、月組の退団者リストに絶句したりもしたが、とりあえずジェンヌ達が無事にこの日を迎えられて良かった。(因みに、月組【応天の門】は2月21日(火)のチケットを1回分だけだが手に入れた)七海ひろき主演のドラマも回を追うごとに面白さを増し、爆笑と多幸感の内に大団円を迎えた。蘇芳の告白に夏目漱石のエピソードを使ってくれたのは、宝塚ファン(特に月担)としては冥利に尽きる演出だった。宝塚OGがこうした形でドラマ出演するのは特殊なだけに、同じパターンはかなり難しいだろうが、これがまた次の可能性に繋がってくれると嬉しい。皆んな、おめでとう!!そして、ありがとう!!2022年が終わろうとしている。昨年までは、まだ純粋に「コロナ騒動」と呼べた国内の状況も、今年に入ってからは「ワクチン騒動」「利権ビジネス騒動」へと様変わりし、いつの間にか焦点が刷り変わっていた。まあ、あれだけ桁違いの感染者数を記録しながら、一度も緊急事態宣言が出されなかった事からも明らかなように、オミクロン株が大した脅威ではなく、世界的に見ればコロナ禍が既に終息に向かっている事を日本政府ははっきりと認識しており、後はとにかく1回でも多く国民にワクチンを接種させる事が目的になっていたのだから、この流れは当然と言える。僕は最初からあまりワクチンには興味が無かったので「打ちたい人が好きなだけ打てば良い」というスタンスで傍観しているつもりだったが、無意味なコロナ対策が思った以上に宝塚の公演に支障を来たしたために苛立ちが募り(笑)、余計な口を挟む結果になった。先日、遂に厚労省も、新型コロナウィルスの重症化率と致死率が季節性インフルエンザより低い事実を認めたが、5類相当への引き下げは依然として「検討中」のままだ。また、ワクチン接種率が先進7ヶ国の中で1位になったらしいが、感染者数と死亡者数は相変わらず世界1位のままで、日本人の間抜けぶりを数字で証明している。こんな茶番劇のために、本気で舞台に立っているタカラジェンヌ達が悲しんだり悔しい思いをして良いはずがない。彼女達のためなら、僕は相手が国家権力でもレジスト(抵抗)しよう。そうして振るった言葉の剣が、一体どこまでジェンヌ達のために道を開けたかは定かではないが、そんな2022年に観た作品は以下の通り。花組 × 1公演(2回)【巡礼の年 / Fashionable Empire】× 2回月組 × 2公演(3回)【今夜、ロマンス劇場で / FULL SWING】× 2回【グレート・ギャツビー】× 1回雪組 × 2公演(4回)【夢介千両みやげ / Sensational!】× 2回【蒼穹の昴】× 2回星組 × 2公演(2回)【めぐり会いは再び next generation / Gran Cantante!!】× 1回【ディミトリ / JAGUAR BEAT】× 1回宙組 × 1公演(1回)【HiGH&LOW / Capricciosa!!】× 1回今年は8公演12回。今年も宙組【NEVER SAY GOODBYE】を始め幾つかの回がコロナ禍の影響で観られなかったが、一方で演出家同士のコラボや過去作品へのオマージュ、宝塚の威信を懸けた大作など、普段とは少し違った部分でも楽しむ事ができた年だったように思う。(ちょっとした謎解きまであった…笑)また、遠く離れた国ジョージアと、不思議な縁で繋がった年でもあった。そんな中で2022年のベストを選ぶとすれば、「演出家の生田大和」を挙げたい。(演出家も宝塚の舞台に欠かせないメンバーなので、こういう選び方もある…笑)最初は花組【巡礼の年】を候補にしていたのだが、続く星組【ディミトリ】も予想以上に素晴らしく感動的だったので、今後への更なる期待も込めて選ばせてもらった。とは言え、小柳奈穂子の【今夜、ロマンス劇場で】、野口幸作の【HiGH&LOW】、原田諒の【蒼穹の昴】など見応えのある力作ばかりで、次世代の演出家達が躍動した1年だったように思う。レビューは雪組【Sensational!】と迷ったのだが、礼真琴と暁千星の初共演が見られた事と単純に楽しかった事から星組【JAGUAR BEAT】に決めた。(花組のレビューは毎回のように優勝候補になるので、いっそ殿堂入りさせたい気分だ…笑)来年は、どんな素敵な作品やコラボレーションと出会えるだろうか。昨年の『宝塚まとめ』では、一応まだ気を遣って「オミクロン株の驚異がどの程度か分からないので…」などと書いていたが、半年も経つとそれが全くの茶番である事が判明し、後半は愚鈍で愚劣な岸田政権に対して「自由」と「権利」を求める戦いになった。果たして、来年の今頃はどうしているだろうか。相変わらず憤っているのか、それともジェンヌ達と一緒に歓喜の歌を歌っているのか…。何れにしろ、いつか時が経ってコロナ禍の話題になった時、「俺はタカラジェンヌ達のために戦ったんだ」と言えるファンでありたいと思う。それが、宝塚に対する僕なりの愛と勇気の示し方である。I stand for liberty !!さあ! 選びたまえ!国王の 貴族の道具として 民衆に銃を向けるのか自由な市民として民衆とともに この輝かしい偉業に参加するか!ロナン・マズリエよ、一足先にバスティーユで待っているぞ!!たとえ見えない夜があろうと、月はいつだって綺麗だよ
2022.12.25

1990年代初頭、NIRVANAと共にHR/HMシーンの流れを一変させた伝説のバンド、PANTERA。彼らが、2023年限定で復活開催されるメタル・フェスティバル『LOUD PARK』にヘッドライナーとして参加する事が発表された。ダイムバッグ・ダレル(G)とヴィニー・ポール(Ds)のアボット兄弟が既に他界し、オリジナルのラインアップではないが、サポートがザック・ワイルドとANTHRAXのチャーリー・ベナンテとなれば往年のファンとしては期待せずにはいられない。
2022.12.23

僕が先日の「コロナ総括」で語った事を、宮台真司は既に10年前からしっかり指摘していた…。やはり、日本は民主主義社会ではなかったんだな…(笑)。東日本大震災と今のコロナ禍の状況を比べても、日本人が全く何も学習していない事が分かる。今更ながら、彼が襲撃されたというニュースはかなり動揺したが、無事で本当に良かった。僕達が正しく未来を考えるために、宮台真司は今の日本に最も必要不可欠な知識人だ。(いつか誰か、彼の発言集を全てアーカイブ化して欲しい)「グローバル社会」に関しての厳しい意見はこちら。蛇足ながら、「マイノリティの経験」と「利己よりも利他の動機の方が強い」という話を聞いて、星組【ディミトリ】で生田大和が問い掛けた「勇気とは、何か」に通底するものを感じた。
2022.12.18

宝塚大劇場での星組公演が、無事に千秋楽を迎えたようだ。東京で公演中の雪組も、このまま無事に最後の日まで駆け抜けられる事を祈っている。さて、今年はジョージアと素敵な縁が生まれたという事で、クリスマス音楽もジョージアからお送りしたいと思う。歌詞の内容は分からないが、聖歌からポップな歌謡曲までジョージアのクリスマスの雰囲気を少しでも感じてもらえればと思う。ジョージアの音楽を聴きながら、美しい風景を楽しめる動画。こちらは英語ながら、解説付きでジョージアの観光名所を巡れる動画。
2022.12.13
8割超の国民がワクチンを2回接種し、マスク着用率も圧倒的に高い日本で感染拡大が止まらない。いや、寧ろワクチン接種が始まってからの方が、感染者数も死亡者数も増えているように見える。(2020年、2021年、2022年の超過死亡数を比較してみると、ワクチンの効果に疑問を抱かずにはいられない)また、世界ではオミクロン株の弱毒性が確認され、社会活動に支障をきたす程の脅威ではないという認識が広がり、徐々に「脱コロナ」が進んでいるというのに、日本では相変わらず国民の不安を煽る報道ばかりだ。常にスウェーデンのコロナ対策を追っていた僕としては、この世界と日本の乖離具合はどうにも解せなかった。効果が出ていないなら、本来は一度立ち止まって政策を見直すべきである。しかし、政府は頑なに方針を転換しようとせず、「ワクチンありき」「マスクありき」の政策を押し通そうとする。それは、勝算が無いまま作戦を遂行し戦況を悪化させた挙げ句、国民に特攻や玉砕という愚行を指示した80年前の軍部と何も違わない。そして敗戦後、米国から言われて民主主義を始めただけの国民はその意味も価値も理解できないまま、結局は政府の指示を鵜呑みにして従うしかない。この国の合言葉は、昔も今も「一億総◯◯」と「欲しがりません 勝つまでは」である。以前、大阪都構想の時に「どれだけ体制(枠組み)を変えようと、日本人の体質(国民性)が変わらなければ結果は同じだ」と指摘したが、今回のコロナ禍は有事における日本人の思考・行動パターンが戦前から何も変わっていない事を浮き彫りにした。或いは、先入観や固定観念に囚われて「旦那と息子が脱いだ服を裏返しのまま洗濯カゴに入れる」と腹を立てている主婦と同じで、逆転の発想や柔軟な思考ができない。「マスクが正しい」「ワクチンが全て」と思い込んだら、もうそれに盲進するしか選択肢が無くなってしまうのだ。いかにも特攻や玉砕を生んだ国らしい理屈である。少なくとも、決して成功しているとは言えないコロナ対策を相変わらず続けている時点で、日本人は愚かだと言わざるを得ないだろう。また、これは【週刊新潮】のコラムで中川淳一郎も指摘していた事だが、日本人が毎日せっせと大量消費している不織布マスクはプラスチック繊維でできており、道端に捨てられたマスクが土に還る事はない。飲食店やスーパーなど至る場所で目にするアクリル板やビニールカーテンも、コロナ禍が終わればほとんどが産業廃棄物になるだろう。自粛生活によるテイクアウトや通販、食品の個包装などでも大量のプラスチックが使われ、捨てられる結果になった。しかし、SDGsを推進する企業や環境活動家がそれらを問題視している気配はまるで無い。当然、一般市民がそんな事を気にするはずもない。まあ、地球の未来もサステナブル社会も海ガメの生命も、自分が死んでは何の価値も無くなってしまうのだから、こうした精神的に余裕が無い状況でこそ人間の本性が現れるのだろう。若新雄純がかつて指摘していたように、本質を理解しない日本人にとってSDGsやサステナブルは、自分を「善い人」に見せるためのファッションやアクセサリーでしかないのだ。無駄なコロナ対策の犠牲になっているのは、自然や動物だけではない。日本では、子供達も犠牲になっている。子供の未来を重視するスウェーデンでは、子供達の生活を脅かす事がないように最大限の配慮がなされ、黙食は勿論、マスクの着用も学級閉鎖も1度も行われなかった。ワクチン接種も推奨されていない。大人の勝手な都合で、3年も子供達を抑圧し続けている日本とは雲泥の差である。将来、この子達が真実を知り、大人達を恨んだり軽蔑する事になったとしても、僕達は文句を言えない。太平洋戦争を生きた世代と同様に、このコロナ禍を生きた僕達は未来の世代から裁定、断罪される立場にいるのだ。このように、現在のコロナ禍における日本の状況は、80年前の戦時中とほとんど何も違わない。それは、終戦の翌年、1946年8月に映画監督の伊丹万作が【映画春秋】に寄稿した『戦争責任者の問題』を読んでも明らかだ。(映画監督の伊丹十三は、万作の息子)(前略)しかもそれは、「騙し」の専門家と「騙され」の専門家とに画然と分れていた訳ではなく、今、一人の人間が誰かに騙されると、次の瞬間には、もうその男が別の誰かをつかまえて騙すというような事を際限なく繰り返していたので、つまり日本人全体が夢中になって互に騙したり騙されたりしていたのだろうと思う。この事は、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオの馬鹿馬鹿しさや、さては町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的に騙す側に協力していたかを思い出してみれば直ぐに分かる事である。(中略)たとえ、はっきり嘘を意識しないまでも、戦争中、一度も間違った事を我子に教えなかったと言いきれる親が果たしているだろうか。いたいけな子供達は何も言いはしないが、もしも彼らが批判の眼を持っていたとしたら、彼らから見た世の大人達は、一人残らず戦争責任者に見えるに違いないのである。もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。(中略)そして騙された者の罪は、ただ単に騙されたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なく騙されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。(中略)「騙されていた」と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力が無ければ人間が進歩する訳はない。この意味から戦犯者の追求という事もむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要な事は、まず国民全体が騙されたという事の意味を本当に理解し、騙されるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始める事である。(後略) 全ての世代がこの言葉の意味を正しく理解し実践できないならば、これから先の80年で日本が辿る道は、間違いなく「自滅」である…。
2022.12.11
僕がワクチンに対して最初に覚えた違和感は「2回接種しなければいけない」という説明だった。「2回接種しなければ効果が出ないワクチンに、果たして本当に効果があるのか?」と感じた。更に、日本で接種が始まる以前から既に海外ではブレイクスルー感染が確認されており、これが僕の疑念に拍車をかけた。しかも、ワクチンの効果は一時的らしく、コロナ禍の終息にまだ見通しが立っていない当時の状況から考えると、とても2回の接種では済みそうにない気配だった。これからあと何回この正体不明の液体を体内に注入される羽目になるか…。(最終的にはインフルエンザの予防接種と同じ年1回になるだろうと僕は予想していたが、蓋を開けてみれば3ヶ月に1回という恐ろしい結果になった)こうなると、コロナ感染よりワクチンによる将来的な後遺症の方がリスクが大きくなって来る。そして、決定打となったのが「自分が感染しても他人には感染させない」という「思いやりワクチン」の報道だ。効果は一時的だしブレイクスルー感染もするという、お世辞にも優秀とは言えないワクチンに、何故か「他人には感染させない」というお得なオプションが付いている…。そんな都合の良い話は絶対にあり得ないと思ったし、こうした嘘を付いてまで政府は国民にワクチンを打たせたいのだな、と感じた。この直感はやがて当たる事になる。(→ 以前の記事『やはり嘘だった…』)こうなると、僕に残されたワクチン接種のメリットは「重症化しない」という事だけになる。ここで思い出して欲しいのが、今回のコロナ禍では亡くなる人も確かに多かった一方で、感染しても無症状の人達も相当数いたという事実だ。感染しても症状が無いのであれば、その人達はそもそもワクチンを接種するメリットが無いという事になる。下手に接種して副作用や後遺症が出た時の方が、後悔は大きいだろう。こうした理由から、焦って接種するより少し様子を見てからでも遅くはないと判断した。(1) 接種して副作用が出た上に、感染して重症化した(2) 接種して副作用は出たが、感染しても重症化はしなかった(3) 接種したが副作用は出ず、感染も重症化もしなかった(4) 接種しなかったために、感染して重症化した(5) 接種しなかったために感染したが、重症化はしなかった(6) 接種しなかったが、感染も重症化もしなかったワクチン接種に対して、僕は以上のように幾つかの可能性に分けて考えていた。しかし、これは個人差があるため誰がどこに該当するかは判断のしようがなく、また仮に感染した人が本当に「ワクチンのおかげで重症化しなかった」のかどうかも確認しようがない。最後はやはり「運(=確率)」の問題になる。どれに懸けても同じ確率なら、最終的に最もリスクが少ない「接種しなかったが、感染も重症化もしなかった」に懸けるのが得策だ。パンデミックが始まって既に1年半が経っていたが体調に異変は全く無く、このままウィルスが弱毒化するならワクチンを接種せずに済むかも知れない。数年前に受けた血液検査で「普通の人より免疫力が高い」と言われていた事、インフルエンザに感染した経験が1度も無かった事、基礎疾患が何も無かった事なども、この判断を後押しした。因みに、ネット界隈で噂になった「陰謀論」も一応は考えていた(笑)。これが映画やドラマなら、最終的にワクチンを接種しなかった少数派が生き残るパターンだ。何れにしろ「慌てて接種する必要は無い」という結論に変わりはなかった。とは言え、これは飽くまで僕個人の判断であり、万人に対して正解という意味ではない。同じ日本人と言えど、それぞれに年齢や体質、疾患が違うからだ。なので、僕は自分の家族が接種するのを止めてはいない。(子供達の接種には反対したが…)僕も当初は「重症化を防ぐ」という部分ではワクチンの効果を認めていたし、「打ちたい人は打てば良い」というスタンスだった。それでパンデミックが終わってくれるなら、僕としても助かる。しかし、実際にワクチン接種が始まり、新型コロナウィルスがオミクロン株に変異した頃から、どうも様子が怪しくなって来る…。
2022.12.06
2020年にパンデミックが起こった当初は、確かに僕にも怖いという気持ちが多少あったが、その一方で「意外に大丈夫なのではないか?」という楽観もあった。何故なら、14世紀に欧州人口の3分の1を死に至らしめたペストを始め、スペイン風邪やいかなる疫病、自然災害、戦争が何度起きようと人類は滅亡して来なかったからである。そればかりか、近年では人口増加が問題になる始末だ。(つい先日には、とうとう世界人口が80億人を超えた)そこから僕が出した結論は「このコロナ禍で僕は死ぬかも知れないが、人類が滅びる事はない」というものだった(笑)。また、僕は良寛の「病む時は病むがよろしく候 死ぬ時は死ぬがよろしく候 是はこれ災難を逃るる妙法にて候」という教えに従って生きている身なので、こういう時こそ「感染したら感染した、死んだら死んだ」を自分の真芯に据えて過ごそうと決めた。仮に新型コロナウィルスで死ななかったとしても、結局いつかは何かで死ぬのだから同じ事だ。そもそも、毎年のように流行するインフルエンザを見ても明らかなように、ウィルス感染は防ぎようもなければ根絶のしようもなく、いくら気を付けた所で感染するかしないか、重症化するかしないかは「運(=確率)」でしかない。実際、僕の周りでも「食事を買いに行く以外は部屋から出ない」「1日に4回マスクを交換する」といった人達が感染する一方で、何度も濃厚接触者になりながら1度も陽性反応が出なかったという人達もいる。怖がった所で、騒いだ所でほとんど何の意味も無いのだ。そこで次に考えたのは「ウィルスに関する知識もワクチンも無い時代に、どうやってペストやスペイン風邪は終息したのか?」という疑問だった。幾ら対策を講じようと、目に見えないウィルスを当時の人間が根絶する事など不可能だろう。そこには、他に何かしら要因があるはずだ。と同時に「何故、日本人にスペイン風邪の記憶(教訓)が残っていないのか?」も気になった。忘れる程度なら、大した脅威ではなかったのではないか…。そんな時に読んだのが、以前にも紹介した東洋経済オンラインの『歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」』という記事だった。この記事はパンデミックが始まったばかりの2020年5月に掲載されており、僕も「今回も恐らくこの流れになるだろう」と感じた。結局、最後は人々がこの新型ウィルスを怖がるのを止めるかどうかに懸かっている。(3年経った現在、日本人がここまで無知で臆病な国民だったという事実に唖然としているが…笑)ウィルスは変異を繰り返す間に弱毒化するという情報もあり、スペイン風邪を参考にしながらコロナ禍が終息する(=パンデミックが終わり人々の警戒心が薄れる)時期を2~3年後と予測した。後は状況を冷静に観察し、分析し対応すれば良い。こうして、僕の中でコロナ禍との向き合い方が定まった。さて、パンデミックが起こって以来、各国がそれぞれにコロナ対策を講じたが、その中で僕が当初から注目していたのがスウェーデンだった。(【週刊新潮】が定期的にスウェーデンの状況を伝えてくれたのは凄く助かった)ロックダウンもマスクもしない独自の政策には世界中で賛否両論が巻き起こったが、僕個人は恐らく彼らのやり方が今後の感染症対策のロールモデルになるだろうと考えていた。勿論、その政策が最初から全て上手く行った訳ではない。特に医療介護での混乱は国内外から批判を受けたが、それはどの国も同じであり、3年経っても未だにパニック状態から抜け出せない日本に比べれば、いち早く終息宣言に至ったスウェーデンの対応は見事と言える。日本など、ワクチン接種率もマスク着用率も圧倒的に高いにも拘わらず、現在の第8波で感染者数が世界1位、死亡者数は世界2位という間抜けな記録を更新して世界に醜態を晒している。この国が一体どこを目指して頑張っているのか、僕にはさっぱり理解できない…(笑)。マスクに関しては「一長一短」というのが僕の正直な印象だ。確かに飛沫感染には有効かも知れないが、空気感染にはあまり効果が無いように感じる。また、マスクに付着した雑菌やウィルスはどんどん繁殖するので、それを使い回したり1日中付けて生活するのは、却って不衛生で不健康ではないかと思う。一部の報道によると、ウィルスの残存時間はマスクの内側が最も長く、約7日間らしい。「コロナには感染しないかも知れないが、他の疾病にかかるリスクは増す」という感じだ。そして、それはワクチンに対しても同じ事が言える。このブログを続けて読んでいる人達は既に気付いているだろうが、僕はワクチンをこれまで1回も接種していない。0回だ。その理由を説明しよう。
2022.12.05

12月に入り、2022年も残り僅かとなった。コロナ禍が始まって3年が経とうとしている。ちょうど半年前、僕は「80年前と同様に、今回もまた政府は何も決断できずダラダラと日数だけが過ぎて行く可能性が高いし、国民は国民で不安と同調圧力に抗えず、これからも黙ってマスクをつけ続けるだろう」と予想したが、やはりその通りの展開になった。中国ではここに来て「ゼロコロナ政策」に対する大規模な抗議活動が始まったようだが、同様に無意味な政策を続けるだけで未だに終息宣言を出せずにいる日本の現状を見ると「日本人の思考レベルは中国人と大して違いがないのだな…」という事が分かる。つまり、日本の民主主義は中国の共産主義と同じレベルという事だ。(抗議活動が起きるだけ、寧ろ中国の方が民主的のような気もするが…笑)日本のコロナ禍は、太平洋戦争の時と重ねて見ると驚くほど似ている。小池百合子は相変わらず「今が踏ん張り時だ」と訴えているが、彼女の言説は80年前の戦争中に軍部が唱えていた事と全く同じだ。権力者はどんな時も自分達の利権や保身でしか動かない。国民も「欲しがりません 勝つまでは」という戦前からの奴隷気質が抜けないため、政府の対応に疑問を感じながらも結局は指示に従うしか能が無い。(これ程あっさりと「生殺与奪の権」を他人に握らせて平気でいられる国民も珍しい)テレビや新聞は政府の見解を伝えるだけでメディアとしての役割を果たさず、YouTubeでは平然と言論統制や情報規制が行われている。これが、日本人の言う「戦後・民主主義」の実像である。コロナ禍は、この80年の間に日本人が思想的にほとんど何も成長、成熟していない事を改めて浮き彫りにした。まあ、僕自身はスウェーデンの終息宣言に合わせて既にコロナ禍を終わらせているので、今はこの国の茶番劇を呆れながら観察している最中だが、せっかくの機会なのでこの3年間を僕が何を考え、どう過ごして来たかを総括してみようと思う。何回かに分けての不定期連載になる。朝日新聞によるとオミクロン株対応ワクチンの接種率が伸び悩んでいるらしいが、こちらの動画を観ると、結局これまでの漢方薬で充分に効果があった事が判明。政府がやって来た事は、やはり単なる茶番劇だった(笑)。
2022.12.03
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