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そんなに疲れていたのだろうか…。30日(火)は朝7時30分に目覚ましをセットしていたのだが、起きたら9時を回っていた(笑)。急いで仕込みを済ませたおかげで開演には充分間に合ったが、スヌーズ機能を使ってもアラームに気付かなかったとなると、この先が少し心配だ。(夏バテだったのかな…?)気付かなかったと言えば、コロナ禍と映画の話題に気を取られている間に、宙組の次回作が発表されていた。【カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~】まさか、シャーロック・ホームズに続き、今度はジェームス・ボンドとは…(笑)。映画版【カジノ・ロワイヤル】は観た記憶はあるのだが、内容は全く覚えていない。最近の『007』シリーズはアクション重視でボンドも根暗なので、小池修一郎にはかつてのエンターテインメント性に溢れたお洒落でスマートなボンドを描いて欲しい。という事で、宙組【HiGH&LOW -THE PREQUEL-】を観劇して来た。いつもの如く原作映画は観ずに臨んだのだが、オープニングで大階段を使った各チームの紹介があり、すんなりと物語の世界観に入れた。また、コブラとカナの恋愛模様を先に描き、その後で2人の行動に絡めて他のチーム事情を描くという流れも、物語に纏まりができて理解しやすかった。(まあ、その分「ずんの出番はまだか!?」と気を揉んだが…笑)各チームの場面をレビューのように描いたのは、いかにも宝塚らしく大正解だった。この辺りの見せ方は、野口幸作の真骨頂だろう。そこからクライマックスに向けて一気に畳み掛ける展開も、映画のようなスピード感と高揚感があり、日頃の鬱憤を晴らしてくれた。不良漫画やヤンキー映画というとどうしても暴力的な若い男性像を思い浮かべがちだが、本作の登場人物達にはそれぞれ守るべきものがあり、無闇に喧嘩をしている訳ではない事が描かれている。特に「女性に暴力を振るわない」或いは「そもそも恋愛に興味が無い」という少年漫画ルール(?)が守られているおかげで、殴り合いの場面は多々ありつつも陰湿な感じは全く無い。(その事は、コブラと達磨一家との喧嘩シーンにはっきりと表れている)この辺りが、LDHと宝塚のコラボを可能にした一因かなとも思う。公演プログラムによると脚本の段階からかなり両者が話し合ったらしく、原作の世界観を壊す事なくしっかり宝塚作品として成立している。ジェンヌ達の見せ場も多く、「宝塚 × ヤンキー」の初の成功例となったのではないか。今公演で卒業する留依蒔世は、2番手が演じても可笑しくない破格の配役をもらい、最後の舞台にきっちり爪痕を残している。続く【Capricciosa!!】は明るく楽しい王道レビューで、血沸き肉躍った後に飲む炭酸水のような爽やかさを与えてくれた。(まあ、第3章『水の都ヴェネツィア』で再び心拍数が急上昇する事になるのだが…笑)熱くたぎる【HiGH&LOW】と爽やかな【Capricciosa!!】の組み合わせは僕にとって最高のリフレッシュとなり、レビューを観ながら改めて「やっぱり宝塚が大好きだ」と感じた。この幸せな世界がいつまでも続きますように。ありがとう!!少し駆け足になったが、キャスト別の感想はまた後日。今公演は一度しか観られないので、レビューの感想が上手く纏められなかったら申し訳ない。それにしても、よもやあんな形で「フォレルスケット」の文字を目にする事になるとは。観ろって事かな…?(笑)
2022.08.31

僕は「作品の良し悪しは、脚本と演出でほぼ決まる」という考えだが、今回観た【ラスト・ディール】と【草原の実験】は正にそれを証明する対照的な作品だった。どちらも脚本としては遜色ない出来なのだが、前者は演出が素直過ぎて次の展開が読めてしまい、最後まで物語の世界に没入できなかった。一方の後者は、脚本自体は単純ながら演出がとにかく巧みで、台詞が無くて意味の分からない描写でも、次の展開で「なるほど、そういう事か」と気付かされるなど、最初から最後まで集中力が途切れる事なく観られた。分かり易いが故に単調で想像力を欠いた前者と、何も語らない事で想像力と衝撃を与えた後者。鑑賞後に「映画を観た」「これぞ映画だ」と感じられるのは、間違いなく後者だろう。演出一つで作品の印象が大きく変わる事を、改めて感じさせてくれる良い機会となった。それにしても、このタイミングで【草原の実験】を観た事が、何かの悪い予兆ではない事を心から祈っている。【ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像】… 満足度★★☆最初は、冴えない画商の祖父と思春期の孫が絵画を通して交流を深める物語かと思ったが、そこに娘(母親)が加わると実は「世代間」特に「Z世代」を描いた作品だと気付く。祖父はそもそも商才が無く、おまけに典型的な老害だし、娘(母親)も日々の生活費に追われて頭も心も疲れ切っている。どちらもいわゆる社会の負け組で、残念な大人として描かれているのだが、孫の機転のおかげで何となく丸く収まり、最後は彼に希望を委ねるという展開になっている。(タイトルの「ラスト・ディール(最後の賭け)」とは、そういう意味だろう)良心的な映画だとは思うが、演出まで良心的過ぎたのか次の展開が読めてしまい、全体的に物足りなさを感じた。大事なクライマックスも、あの状況で孫と社長が取った行動はどちらも演出としては最悪で、せっかくの緊迫感を台無しにしてしまっている。芸術の価値が常に金額に換算されて語られる事も、個人的には居心地の悪さを感じた。【草原の実験】… 満足度★★★★ロシア映画だが、舞台は旧ソ連時代のカザフスタン。見渡す限りの青空と草原の中に建つ、貧しい一軒家に暮らす父娘を巡る物語。大好きな映画【とうもろこしの島】も寡黙な作品だったが、本作は全編を通して台詞が一切無く、全てを観る側の解釈に委ねる実験的な作品となっている。登場人物に関する情報も、ほぼ皆無に等しい。物語は後半に進むにつれて難解さを増し、突然のラストを迎えるため、一度の鑑賞で全てを理解できる人はいないだろう。ラストを暗示する描写は幾つもあるのだが、現実離れしたカザフスタンの風景と少女の美しさは、そうした不穏な空気ですら、お伽噺を彩るための1ページのような印象に変えてしまう。彼女に恋する2人の青年もどこか子供っぽく純情で、嫌な予感をつい忘れそうになる。そんな少女が、自立と希望の先に見た光景…。(あのタイミングで少女の自立を描いたのは、あまりに完璧で見事と言う他ない)言葉による説明が何一つ無いため、確かに疑問の残る点も多いが、そこは監督の意図だろうし、それらを差し引いても間違いなく必見の映画である。鑑賞後に「セミパラチンスク」や「チャガン湖」について調べてみると、この作品が単なるフィクションではない事が分かるだろう。(ただし、調べるにはそれなりの覚悟が必要だ) 【草原の実験】予告編
2022.08.24

花組公演が再び中止になった日、実に含蓄溢れる動画を更新してくれた事に感謝したい。やはり、大事なのは「いつ終わるか?」ではなく「どうやって終わらせるか?」。今回の阿波踊りのデータと野中しんすけの提言に、一筋の光を見た。いつまでも受け身で、政府の判断を待っていても何も変わらないのだ。実は、ペストやスペイン風邪がどうやって終息したかは、はっきり分かっていない。歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。そして、もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れて来て終わる。「『いつ終わるんだろう?』と人々が言う場合、それは社会的な終息を指している」という。人々が様々な制約に嫌気が差し、まだウィルスがくすぶっていても、ワクチンや効果的な治療方法が開発されていなくても、もうパンデミックは終わったと宣言する。つまり、病気を抑え込む事によって終わりが訪れるのではなく、人々がパニック状態に疲れて、病気と共に生きるようになる事によっても、パンデミックは終わるという事である。この世界から新型コロナウィルスが消滅する事は、ほぼ永遠に無い。だから、日本人が怖がって気にし続ける限り、このコロナ禍はほぼ永遠に終わらない。来るはずのない終わりを待つか、自分達で終わらせるか…。その判断は、政府ではなく国民一人ひとりの意識に掛かっている。参考記事 → 東洋経済オンライン『歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」』
2022.08.20

ここ暫く、コロナ感染により死亡する人数が、日本でだけ増えている事に疑問を感じていた。世界では減り続けているにも拘わらずだ。例えば、8月14日にコロナ感染により死亡した人数は、全世界で877人。一方、同じ日に日本でコロナ感染により死亡した人数は153人。つまり、全世界の死亡者の内17%を日本人が占めているのだ。普通に考えて、そんな事があり得るだろうか…?恐らく、集計方法に間違いや不正があるのだろうと思っていたら、たまに拝見するYouTube動画の中で正にその通りの解説をしていたので、「もう、コロナ禍については何も語らない」とは言ったものの、最後にもう一度だけ書く事にした(笑)。個人はもとより、ようやく自治体からもこうした真っ当な意見が出て来た事に、安堵している。古舘伊知郎の意見が全て正しいとは言わないが、一般市民にもせめてこれくらいのレベルで、自分なりに考えて行動できるようになって欲しいと思う。「思考停止という病」から抜け出すための処方箋。(最後は「お金」の話になるので、用法用量を守って正しくお使い下さい…笑)
2022.08.17

以前、月組【桜嵐記】の感想で「特攻や玉砕を命令された時、国の未来や愛する家族のために自分は死ぬのだと思わなければ、僕は死に切れない」と書いたが、先週に放送されたNHK『歴史探偵』の中で、女優の中村メイコが同じ事を語っていた。「この小さな子供達のために僕達は潔く命を捧げるんだっていうのが、きっと当時の兵隊さん達にとって、一番の納得感があったんでしょうね。子供を見る事によって、この子達の未来のために自分達は犠牲になるんだ、この子達の良い明日があるように、僕達は我慢して飛んで行くんだっていう。それが死に繋がる事だったんですけど…」「特攻」という自殺にも等しい作戦を前に、死の恐怖に打ち勝ち、自分を納得させるには、兵士達はやはりそう思うしかなかったのだろう。そして、そんな彼らを励ますため、当時10歳の少女が戦地へ慰問に訪れていたという事実に衝撃を受けた。勿論、そこには「戦争に利用された」という側面があったにせよ、これから死地に赴く男達にとって、目の前で歌い踊ってくれる子供やアイドル達の慰問は、随分と心の救いになったろうと思う。軍部が主導して作成し、戦地の兵隊に送ったという女優やアイドル写真が掲載された『慰問雑誌』の存在も知らなかったので、もの凄く勉強になった。(こうした視点から太平洋戦争が語られる機会は、ほとんど無かったように思う)番組では(僕に気を遣ってくれたのか…笑)、宝塚歌劇団のエピソードが多く語られ、当時の宝塚が戦争とどう関わって来たかを窺い知る良い機会となった。当時のトップスターが軍服姿で「皇軍万歳」と諸手を挙げる『宝塚グラフ』の写真や、タカラジェンヌ達を「非国民」呼ばわりする新聞記事などは、ファンとしては観ていて背筋が寒くなった。そうした状況の中で、宝塚の灯火を消さないために、戦争に協力せざるを得なかった劇団の苦心の程が伝わって来た。(ジェンヌ達の慰問を人々が素直に喜んでくれた事が、せめてもの救いだろう)放送された番組内容(一部)はこちら →『戦時下の”アイドル”たちの告白』そうした予備知識を入れた上で観た特集ドラマ【アイドル】は、劇場ムーラン・ルージュ新宿座と宝塚が重なって映る描写も多く、かなり感情移入してしまった。特に、椎名桔平が演じる劇場の支配人・佐々木の立場は、戦争に巻き込まれた宝塚の気持ちも代弁しているように感じた。また、主人公の明日待子(古川琴音)が戦地慰問で訪れた先で、隊長から言われる「これで、あいつらを笑って死なせてやる事ができます」という言葉は、あまりにも残酷な現実だ。(とは言え、自分が死ぬための理由を、最期に実感として得られるかどうかは大きな差だと思う)これは昨年放送された『歴史探偵』の「戦争とエンターテインメント」の回で知った事だが、戦時中のエンターテインメントを批判したのは軍部ではなく、実は一般市民だったらしい。今で言う「自粛警察」である。国民の不満や不安を和らげる目的から、軍部は寧ろ庶民の娯楽に対しては寛容だった。(先述した『慰問雑誌』もその例だろう)しかし、正義感の強い一部の市民達から「こんな時に娯楽なんて不謹慎だ」という投書が相次ぎ、軍部としてはエンターテインメントを取り締まらざるを得なくなったという。「不寛容」という態度は、権力の側からでなく、意外に市民の中から生まれて来るものなのかも知れない。ところで、ドラマ視聴後に愛希れいかのインスタグラムを見たら、本作の脚本が連続テレビ小説【おちょやん】を手掛けた八津弘幸だと知った。だからという訳ではないだろうが、僕の喫茶店の宣伝までしてくれて有り難うございます(笑)。(最初は偶然かと思ったが、あの画角を見て「あ、意図的だな」と気付いた)まあ、おかげで感想を書かざるを得ない状況になってしまい、「俺はNHKに利用されている…」と感じながら、今この記事を書いている最中だ(笑)。本作でのちゃぴは、劇場ムーラン・ルージュのトップスターながら、やがて待子にその座を奪われる高輪芳子を演じていた。タカラジェンヌ時代から表現力には定評があったが、テレビや舞台など宝塚以外の世界を経験する事で磨きが掛かり、女優としての説得力が増している。煙草をくゆらせる姿も違和感が無かったし、待子に対し「あなたはいつまでトップに立ち続ける事ができるかしら!?」と吐き捨てて出て行く時の表情は秀逸で、「良い女優になったなぁ…」としみじみ思った。 そして、今日は77年目の終戦記念日。タカラジェンヌ達は勿論、女性や子供の笑顔が戦争に利用される日が二度と来ないよう、心から祈っている。世界平和という大きな理想ではなく、「タカラジェンヌ達に悲しい想いをさせたくないから」という日常的な理由で平和を願うのも決して間違いではないと、『歴史探偵』と【アイドル】を観ながら感じた。
2022.08.15
星組【ディミトリ~曙光に散る、紫の花~】の主な配役が発表されたが、観劇するまでは原作の詳細に触れない主義なので、ARIが演じるアヴァク・ザカリアンが誰だが分からない(笑)。(ジャラルッディーンが敵役らしいのは、解説文から何となく分かるが…)ポスター画像では髭を生やしているので、ちょっと渋い役柄なのだろうか。という事で、月組公演の感想の続き。夢奈瑠音と礼華はるがそれぞれギャツビー邸の運転手と執事役と聞いた時は単なる脇役かと思ったが、実はもう一つ別の役割があり、ギャツビーの正体を何も知らない僕には面白い展開となった。2人とも眼光鋭く、好青年なニック役の風間柚乃とは対照的な役柄を熱演していた。しっかり見せ場もあり、脇役以上の存在感を出していたように思う。蓮つかさや佳城葵も、短いながら見せ場があり、芝居巧者ぶりを発揮していた。専科から参加した輝月ゆうまは、スマートさの中に冷徹さが顔を覗かせる、正に嵌まり役といった風貌で若手達を率いていた。どうやったらそんな渋さと貫禄が出せるのか、僕もご教授願いたいくらいだ(笑)。そんな彼らが歌い踊るアイス・キャッスル奥の場面で最も目を引いたのが、99期の英かおとだ。同期の帆純まひろや諏訪さきの奮闘に触発されたのか、これまで以上に凛々しく良い眼をするようになった。彼女も元々ポテンシャルは高いし、まだまだ可能性を秘めているだけに、ぜひ頑張って欲しい。99期の意地を見せてやれ!!雪組から組替えして来て、どんどん大人の役を演じてもらいたい彩海せらは、少年役という事で個人的には不満の残る配役だったが、第2幕の『ジーグフェルド・フォリーズ』では弾ける笑顔と爽やかな歌声で魅せてくれた。宝塚大劇場での新人公演が中止になってしまったのは残念でならないが、これに挫けず頑張って欲しい。それ以外で目を引いたのは、少年時代のギャツビーを演じる瑠皇りあ。短い場面だったが、ギャツビー少年の純粋さを全身から感じさせる芝居が印象的だった。新人公演ではニック役を演じるようで、風間から色々と学びつつ自分らしく演じてもらいたい。トム役の七城雅は、今回はちょっと印象に残らなかったが(失礼…)、これからはもっと注目しようと思う。【グレート・ギャツビー】は、男性ばかりでなく、女性の生き方も垣間見せてくれる作品のように思う。天紫珠季が演じるトムの愛人マートルは、僕が嫌いな程度の低い女性で、正直トムや夫のジョージが彼女に惚れる理由がさっぱり分からないのだが(笑)、僕にそう思わせたなら天紫の芝居は正解だという事だろう。僕は、男であれ女であれ「自分で運命を切り拓こうと努力する人」が好きなので、何もしないで不平不満ばかり言う人には何一つ共感できないのだ。逆に、男に頼らず自立した生活を送るのが、彩みちるが演じるジョーダン・ベイカーだ。こちらはしっかりと自分の考えを持ち、かなり共感が持てた。ゴルフを通じて距離を縮めるニックとの関係も、いかにもな結末だが嫌な気はしない。都会的かつ知的なジョーダンの雰囲気を、彩は上手く醸し出していたように思う。ジョーダンと同じく、自分で運命を切り拓こうとはしているのだが、頑張る方向がちょっと間違っているように見えてしまうのが、結愛かれんが演じるヴィッキーだ。おまけに男運も悪いようで、観ていてちょっと気の毒になった(笑)。きよら羽龍が演じるジュディは、まだ幼いのに随分はっきりした結婚観の持ち主で、彼女に恋心を抱くエディ(彩海せら)に対して「彼女はやめておいた方が良いんじゃないかな~?」と、ちょっと同情した(笑)。それ以外では、第2幕『ゴルフ場』の場面で、ギャツビーがデイジーの娘を見ようと乳母車に近付いた時、夏月都が演じる乳母のヒルダが見せた反応にゾクッとした。乳母ではあるが、幼い頃からデイジーを世話して来た彼女も、女として思う所があったのだろう。原作には無い場面だと思うが、小池修一郎と夏月の感性が光る演出だった。そんなヒルダが、あのラストシーンで何を思うのか…。色々と考えさせられる演出となっている。(あの場に一緒に居る事から察するに、ヒルダもデイジーの様子を見て真相に気付いたのではないかと思う)このように、【グレート・ギャツビー】は主要キャスト以外の人間模様も垣間見られる所に、奥行きが感じられる要因かなと思う。まあ、一本立てだから色々なエピソードを描けるという利点もあるだろうが、短い場面で登場人物達の心情やバックボーンを想像させる台詞と演出は、やはり小池修一郎の手腕だろう。そして、その意図を的確に掴み、表現する月組の演技力があればこそ、どこか群像劇にも似た情緒が生まれたのではないだろうか。ありがとう!! さて、今月末まで観劇予定が無いので、宝塚関連の更新も暫く滞るかも知れない。とりあえず、これ以上何も悪い事が起きない事を願っている。では、また…。
2022.08.09
これは本編とは何の関係も無い話だが、物語の序盤で鳳月杏が演じるトム・ブキャナンが「価値も解らずヨーロッパの美術品を買い漁っている」と歌うのを聞いて、宙組【神々の土地】で真風涼帆が演じるロシアの貴族フェリックス・ユスポフが「アメリカ人は芸術の価値も分からない連中だ」と馬鹿にしていたのを思い出した。(ロシア革命後、アメリカに亡命したユスポフは、彼らを相手に偽物の美術品を売り付けていた)『アメリカの貴族』は新曲らしいので、真風と鳳月が同じ92期という事で小池修一郎が遊び心でこの歌詞にしたのだろうか。何れにしろ、素敵な巡り合わせだ。そう言えば、花組【巡礼の年】の感想で「小柳奈穂子と生田大和は2人で何か話し合って、演出を考えたのだろうか?」と書いたが、先日の『カフェブレイク』で星組の天華えまが「稽古中に、たまたまそこにいた生田大和先生から役作りのアドバイスを貰った」と言うのを聞いて、もしかすると僕の妄想は正解だったのかも知れないと嬉しくなった。舞台を長く観続けていると、こうしたマニアックな楽しみ方ができるようになるのも、宝塚の醍醐味の一つだろう。(ぴーすけ、ありがとう!!)ギャツビーが愛する女性デイジーを妻にし、ウィルソンが愛する女性マートルを愛人にするトムは、一見するとこの物語で最も裁かれるべき男のように映る。しかし、冷静に見れば彼の罪らしい罪は「浮気」程度で、態度が横柄で女癖の悪い金持ちはどこにでもいる。妻を誘惑するギャツビーに腹を立てる気持ちも、一般的な男性なら皆似たようなものだろう。また、「自分が幸せになれないのは旦那のせい、国のせい」と言って、家庭の外に捌け口を求めようとするデイジーやマートルのような女性も、世間には大勢いる。ニックも至って普通の青年だ。誰もが皆、「俗物」ではあっても「悪人」ではない。寧ろ、誰よりも純粋で一途なギャツビーの方が、社会的には最も裁かれるべき立場にいる、というのが本作の面白い所である。また、どれだけ富や名声を手に入れようと求めるものはデイジーただ1人という、彼の一点の迷いの無さも、僕達一般人の感覚からすれば驚きだろう。そして、物語が人間の「悪意」ではなく、人間の思惑を超えた「不運」の交差によって展開する事も、観る側には勿論、演じる側にも色々と考えさせる要素になっているのかなと感じた。公演プログラムで、これだけ演者が役作りの難しさを口にしている作品も珍しいのではないか。それだけに本作は、その時々の心の動きによって芝居が変わって来る作品であり、組子達には一公演でも多く舞台で演じさせてあげたいし、ファンには一公演でも多く観劇して色々と感じ取って欲しい作品である。今日、再び公演中止の延期が発表されたが、一日も早い再開を祈りたい。主要キャストの面々は、そんなシンプルだからこそ解釈が難しい物語のキャラクター達を、繊細なバランスで演じていた。一見、悪人にも感じるトム・ブキャナンが、妻の秘密を一緒に抱えて生きて行こうとする場面は、果たして愛情からなのか自己保身からなのか…。ここも解釈が分かれる所だと思うが、個人的には小池修一郎の言う「日本的なセンチメント」として捉えた。公演プログラムを読む限り、鳳月杏もその解釈で演じているように映る。例えば、僕達は花火大会に行って花火の絢爛豪華さに感動したり話題にする事はあっても、それを打ち上げる花火師に注目したり感謝する事はほとんど無い。あのパーティに参加していた人達も、ただギャツビーが打ち上げる派手な花火を見に集まって来ただけで、誰もギャツビー自身の事など見てはいなかったのだろう。そう考えると、あのラストシーンに集まった人達は、少なくとも虚構ではない真実のギャツビーを見てくれた、認めてくれた人達という事になり、たとえ僅かでもギャツビーにとっては救いとなったのではないかと思う。(デイジーの態度が素っ気ないのは、そこにニック達が居たせいではないかと推察する)キャストの感想を書こうと思ったのに、結局また解説のような内容になってしまった(笑)。思った以上に長くなってしまったので、若手や娘役の感想はまた後日に。ありがとう!!
2022.08.02
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