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<最近起きたことがら b> 断捨離中に起きた怪現象については明後日から始まる「光る眼・濁った眼」に書いた。あの激務で体調不良の折に、「応援要請」を受けて嫌になるなどして、「お気に入り」を幾つか削除した。ネット界には結構自分勝手な人が多い。私がインターネットを知って23年。それだけ早くネットに親しんだのは、当時の仕事と関連していたからだが、ただしメカ音痴のままだ。 23年の間に幾つかのトラブルを体験した。脅迫のような犯罪に近いものから、中傷や非難など「ネチケットクラス」まで5,6回。そのほとんどに女性が関係していた。社会的な立場にあり、常に自制を求められる男はそんなことはしない。現実の仕事上も人事権を握っていた女ボスや、職場の女性上司からパワハラや不快な対応を受け、定年1年前に辞職した。 ただ私の辞任を承認したアッコちゃんは、文部事務次官→駐トルコ大使→文部科学大臣を歴任し、いずれも「女性初」の冠がついた。つまり「本物」は、性を問わず権力を振りかざしたりはしない。中途半端なヤツだけが偉ぶるのを、私は何度も見て来た。死ぬほどの「修羅場」にありながら異動で全国を巡ったのを、大臣発令管理職の「勲章」としたい。 退職の挨拶状に、わたしは以下の一句を載せた。 職辞して 春風われのものとなる *しゅんぷう それが私が初めて詠んだ俳句らしい俳句。だが定年1年前に辞めて自宅へ戻った私への妻の攻撃は激しく、頭髪はたった一週間で「真っ白」になった。妻は「年金が減る」と誤解していたが、勤続35年以上だと全く無関係。それに後進に道を譲ったため、「退職金は割増」となったのだが、幾ら説明しても理解出来ない妻。 新たな悩みの始まりであった。「女は怖い」それが私の実感だが、こけしちゃんやYさんは全く違った。気持ちが通じ合わない夫婦の悲哀は続き、その日から「家庭内別居」が始まった、全て実話だ。 ネット界にも「峰倶楽部」の会員や、Yさんのように素晴らしい女性もおられた。Yさんは「ありがとう、私の大事な人たち」と挨拶してブログを閉じられ、その後ネット界で見かけたことはない。名前の通り百合の精のような気高い女性だった。さて、1か月ほど前に脅迫めいた書き込みをした女性がいたが、無視した。ただの爺の私は何も失うものはないが、相手の社会的地位と信用はどうなるか。 これまで現実に出会った女性の中で、一番素晴らしかったのがこけしちゃんだった。だから一般市民である彼女に絶対迷惑が及ばないよう、私は「おとぎ話」を作り、こけしちゃんと呼んで実像を隠した。だがその写真に、「こけしの顔が傾いている」と書き込まれた方がいた。 前述の背景を知らなかったのだろうが、かなりナーバスになっていた私がそれに反応した。当時の私は心身ともに極限状態で生きていたのだ。 それらと全く無関係の方が、最近コメント欄を閉じられた。きっと何らかの気配を察知されたのだろう。この場を借りて、ご迷惑をかけたことを深くお詫びしたい。 さて、マイクロソフト社の方針により、これまでの私の写真入力と編集機能が使えなくなるみたいで、その兆候が現れ出した。最初のように文字だけのブログに戻すか。PC内の画像を繰り返し使うか。PC内の画像を大幅に減らせば使える可能性もあるが、アナログ人間の私は、そんなことでも悩んでいる。<完>
2020.03.13
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<気がつけば a> 3月初旬のある朝、薬を飲もうとしてビックリ。あると思っていた薬の種類と数が不足してることに気づいたのだ。あれっと思い何が原因かを考えた。そして思い出した。断捨離中に体調不良で血圧が上った時、つい少し強めの降圧剤を使ってしまった。それで最短の外来診療日をいつにすべきか考えた。病院は山の上、電動アシスト付き自転車が一番便利なのだが、生憎雨の日には使えない。 それで予報で次に「晴れる日」にと決めていた。その日までは、何とか残った薬で間に合わせようと。薬の数に無理やり体調を合わせるのだから無理は承知。だがもしもの時にこれじゃ困ると考え、慌てて出発。幸い雨が降るのは午後から、今なら行けそう。病院がガラガラなのにビックリ。風邪などを移されたくなくて、用心して来ないのだとドクターから後で聞いた。なるほど市民の感覚は、そんなとこか。 私はてっきり「コロナウイルス騒動」で病院はごった返していると思っていたが、逆だった。診察室でドクターが言う。「あれ、頭が若返りましたね」。「本当は金髪にしようと思ったんですがね」と私。この日の血糖値は低めだった。それで1月下旬から40日間、断捨離を続けていたことなどを話した。ドクターも自宅の片付けを業者に依頼し、不用品がトラック3台分あったと。 「間もなく後期高齢者になるので、コロナのり患が心配だ」と言う私へ、ドクター。「70代はまだ大丈夫で、本当に危ないのは80代以上」。「それに自ら断捨離」をしようとする意欲のある人は大丈夫」とも。へえ~っ、それは意外で予期せぬ言葉。今は静養中と言うと、それも「正解」とドクター。とも角今は疲労を溜め込まないのが肝要だと。薬局で50日間の薬を受け取り、安心して家路に就いた。 途中、コンビニで見切り品のホウレン草や甘納豆などを購入。甘い物は頑張った自分へのご褒美。ホウレン草は簡単にお浸しに出来る。前夜、ある走友からメールが届いていた。5月17日の練習会の案内だ。そうか宮城UMCの新年会の際、F田さんが話していたのがこれかと納得。台原森林公園はアップダウンの激しいコースだが、「3時間走」の部に申し込んだ。ただし全部歩く予定。 つい最近、ネット上でちょっとした「トラブル」があった。それをリセットするため、既に予約していた幾つかのブログの日付をやりくりし、急遽これを入れた。当然先に予約したブログは後へ後へと押し出されたが、不自然さを感じない程度に納まった。やれやれだ。<続く>
2020.03.12
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あれから あれから9年の月日が経ちました そちらはいかがですか 私はまだ生きいます でも色んなことがありました 不整脈の手術を3度受け 最後の手術は6時間かかりました 執刀医によれば不整脈の震源地が5か所もあり それをレーザー光線で一個ずつ焼き切るため 手こずったと笑っていました そうそう 硬膜下血腫の手術も受けました 頭蓋骨に穴を開け 管を入れて溜まった血を吸い出したのです 毛細管現象の応用と言ったら分かるでしょうか 硬膜下に溜まっていた血液は約200cc そのせいで その夏はなんだかとても気分が悪かったのですよ その年の3月末 妻と別れました 家庭裁判所で1年間にわたる調停を受けた結果でした 4月末に妻が長女の元に去った その直後に 初めて乗った電動アシスト付き自転車 細い道の前方から突然現れた宅急便の軽トラ それを割けようと左にハンドルを切ったら そこに段差があったのです わずか3cmほどでしたが そこは以前平らな三和土(たたき) あれからその土地に家が建ち駐車場が出来ていました そのコンクリートの段差が3cm 偶然が幾つか重なったのです いえね電動アシスト付き自転車に乗ったのはその日が初めて それまでのマウンテンバイクとは 重さもタイヤの厚さも全然違っていました そしてハンドルの操作性がまるきり違うのです。 マウンテンバイクは軽くて咄嗟に切り替えられますが 買ったばかりの電動の方はいかにも鈍重でした いえね 転んでも全く痛くなかったのですよ 頭をコツンと打ったくらいでね ただしついてなかったのは そのころちょうど血液サラサラの 薬を飲んでいたのです 不整脈のため血栓が出来るのを避けるために その意味でも6つぐらいの偶然が重なっていましたね かかりつけのドクターは後になって それも「運」だと言ってました 行きつけの循環器内科のドクターに話したらこれから至急脳神経外科へ行き 頭部のCTスキャンを撮れと言うので 山越えで街の病院へ行きました もちろん自転車で その結果硬膜下血腫が判明し その日のうちに総合病院への入院と 翌日の手術が決まりました 今でも嘘みたいです 保証人は義姉 今わたしが頼れるのは彼女だけ 何せ兄貴はもう45年も寝たきりなので そうそう昨年の春先 夜間に救急車を呼びました 風呂に入ってる途中 手が痺れる感覚がし 次第に後頭部までが痺れて来たように感じたので 119番に電話したんですよ そしたらね姉貴 救急車が迎えに行くまで布団で寝てろと言われたんですが わたしは着替えや洗面用具をリュックに詰め ポシェットに「お薬手帳」や「健康保険証」も入れました そして向かいのKさんだけには事情を話し 救急車に乗り込んだのです 結局入院したのは1晩だけで翌日にはバスに乗って帰って来ましたよ そうそう昨年の夏ごろは耳鳴りとめまいが酷くなり 耳鼻科で検査した結果 脳内の血液循環が良くないらしく 半年近く通って薬を飲んだら症状は治まりました それで先だって40日間ほど断捨離作業をしたばかりです 「断捨離」はね姉貴 最近の流行語で不用品の始末のことですよ 終活って言葉もあります いえトンカツとは違います 50年近い結婚生活で溜まりに溜まった不要品をこの際 思い切って捨てました全部で4.5トンほど お陰で家の中がスッキリ すっからかんになりました その代わり体はクタクタ 4kg以上痩せてこちらもスッキリ 今は静養中の身の上 いつも元気が取り柄のわたしがですよ姉上 長くなりましたので今日はこの辺で止めます ああ、そちらにおられるお父さんやお母さんにもよろしく それから黒犬のマックスを見かけたら 頭の1つも 撫ででやってくださいな 少々臭い黒犬ですがね あれから今日で9年 わたしもいろいろありましたが まあまあ元気で時々は恋もしています ただし 目下19連敗中と言うザマ お恥ずかしい限りです そしてあれから丸9年目になる今日ですが 今年は政府主催の慰霊式も挙行されません 例の新型コロナウイルスによる肺炎の大流行で 今はどこも連日「お通夜」のように静まり返っています ただ安倍総理がテレビで挨拶はされると聞きました。 相変わらず政府の対応を非難する政党と新聞ばかりですが 原因は密かに中国軍が行っていた「生物兵器」の実験材料の 実験動物の死体を密かに外部に持ち出した者がいたみたい そしてウイルスの形を分析すると人工的に手を加えた痕跡があると アメリカで研究中の台湾の医学者が言っています だから中国政府は武漢を閉鎖し、医者ではなく生物兵器 担当の部隊を派遣して厳しく情報と住民を封じ込めたとも では姉上もお元気で それからしばらくの間地球には近づかないように 何せ中国で発生した新型のコロナウイルスがずいぶん 暴れ回っていましてね そちらの世界にもたくさんの人が 逝きました ですから姉上もそちらで感染しないようご注意を 元看護婦の姉上も油断は禁物です なにせ伝染のスピードが速いんです そしてこんな大騒動にも関わら相変わらず船や飛行機で 世界を動き回る連中がいますのでね 姉上 あれから今日でちょうど9年 毎年この日には泣きながら祈っています 嘘じゃありません その証拠に目が腫れぼたいでしょ 墓前に花を供えました 姉上が好きだった白百合です どうぞ安らかにお休みくださいね わたしもそろそろ風呂に入って寝ますから わたしのブログは3人の子が見ない代わり 宮崎の弟が毎日見てくれています 兄弟のありがたさをつくづく感じます 妻に逃げられ子供に見放された父としては 最後はいつもの愚痴になってしまいました では本当にこれでペンを置きます 姉上もお元気で わたしもそのうちきっとそちらに行きますよ 少しは粘って地球にいるつもりですが 最近地球も住みにくくなりましてね せ北極や南極の氷が猛烈なスピードで 解け始めたので あの小説みたいになるかもね ああ「日本沈没」ですよ あれは傑作でした では失礼 いつもの乱筆乱文をお許しを 仙台の可愛い次男より 天国lの姉上さま玉案下
2020.03.11
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<わが家の23年点検記> 2月27日、自宅を建築した住宅メーカーの点検を受けた。建築後23年目と言う中後半端なものだが、これにもちゃんと理由がある由。まあ、住宅メーカーは家を建てるだけでなく、その後も「点検」の名を借りて数々の「リフォーム」を提案して来るし、家主が高齢ともなると、「売却のための査定」を熱心に勧めるなど、油断ならない存在。今回もその攻防だったが、現在家がどんな状態かは、やはりプロが行った点検結果を聞く必要があるのは確か。さて、どんな結果になるか。 図面はわが家のものだが、右の室内風景はメーカーのパンフから借用した。また以下のプロによる点検風景も同様で、彼らに付いて回ったわけではない。点検の様子が良く分かるよう、参考資料として拝借した次第。 屋根(左)スレート材は、現在建築法で禁止されているアスベストを用いていた由。当時は許可されていたのだ。専用のカメラでの確認によれば、東側の屋根の一部のスレートに、「ひび」が入った箇所と、部材が欠けた箇所が、各1かしょずつあった由。でもスレートは2枚から3枚重ねてあり。かつその下に防水シートがあるため、後数年間はあえて取り換える必要はない由。やれやれ。右は屋根裏の点検。 外壁の壁面や目地に亀裂はなかった由。目地(めじ=つなぎ目)は20年点検時にメーカーに補修工事を依頼し、屋根と壁面は知り合いの業者に依頼して、3年前最高級の塗料で塗装しており、まだ良好な状態を保っている。前妻との離婚で何かと出費が多かったが、その後も長く住むために最善を尽くす道を選びリフォームを重ねた。私はそれで良かったと信じている。 バルコニー(ベランダ)の床に水が溜まるのは、素材の継ぎ目の段差のせいで、漏水の恐れはまだない由。漏水が生じる前兆としては、今後コーナー付近に現れる「ひび割れ」に注意すれば良い由。断捨離時、私が丁寧に掃除したせいで、排水状態も良好。手すり部分からの漏水の兆候もないとのこと。先ずはやれやれだ。 庭の山茶花 床下根太(ねだ)部分に白アリの被害は観られなかった由。今回床下へは、洗面所床下収蔵部分から入ったが、私は予めそのことを想定してここの収容物を全て移動し、清掃していたためスムースに作業に入れた。これも「大断捨離」と「大清掃」のお陰と言えようか。 浴室の排水関係(左)と、キッチン部分の排水関係(右)に、漏水はなかった由。やったね。 トイレ(1階および2階)の排水関係での漏水はなかった由。洗面所の排水に関しては、以前結露による床面腐食があったが、20年点検後に行った給湯工事の際に実施業者が発見し、排水管に断熱材を巻いて保全。今回漏水はなかった由。「20年点検時の点検ミスじゃないの」と言いたかったが、給湯による結露の可能性もあり、強くは言わなかった。 ユズの木の奥に見える汚水管の最終出口(右の小さい方)。この地下から市の下水管につながる。左の大きなマンホールが雨水管の最終出口で地下で道路の側溝につながっている。今回木の根が少し詰まっていたようだが、多分ユズだろう。外水道からの排水路は別にあり、東の擁壁をぶちぬいて側溝へ。雨水と外水道の水は側溝→近所の後田川→ザル川→名取川を経由し、やがて太平洋へと注ぐ。 2月の点検時に家の傍に木材を置いたままにすると白アリが来ると言われていたので、古い丸太(左)を慌ててゴミに出した。点検の最終報告で再びそれを言われたため、以前物置小屋の床下に入れて置いたままの数枚の板を思い出した。慌てて探すとやはりあり、白アリに食われてボロボロに。(右)これはヤバイ。間一髪で間に合った。機械油を噴射し、袋に詰めてゴミに出した。うひゃ~。 やもめ男一人のわび住まいだが、何とかこの家を守りたい。「売っても良いけど、それで新しい家は買えないもんなあ」。私が言うと、あっさり「そうですね」と業者。もちろん新築の一戸建てを他に買う気はなく、中古のワンルームマンションくらいが関の山。要支援でも、要介護でもない私は出来るだけ元気でしぶとく生き抜くのだ。そろそろ庭の改造作業でも再開するか。
2020.03.10
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<散歩中に観た花を中心に その1> スイセンの葉 コロナウイルス旋風に揺れる日本列島にも、春は密かに近づいているのである。弥生三月は私の誕生月。3月に入ってからも東北は暴風が吹き荒んだり、一変して抜けるような青空が戻ったりと、大忙しなのである。暖冬と言われた今年。桜の開花も早そうで、ここ仙台でも3月下旬にはソメイヨシノが咲くとの予報。どうやら仙台管区気象台の予報が始まって以来の、新記録になるらしいのだ。レッドロビン(ベニカナメモチ) 私の心にも暴風が吹き荒れていた「断捨離活動期」。今は暫しの休養に入って、鋭意体力を回復中の身。そこで久しぶりに散歩するか。そうなればブログネタを探すのがブロガーの性。何か「絵」になるものはないか。もしかしてお金など落ちてはいないかと、キョロキョロと周囲を見渡す筆者なのであった。ふむふむ。結構あるわ。絵になるものが。散歩に出た甲斐があったぞ。しめしめ。 かなり草臥れて来ましたのう、葉牡丹ちゃん。いえいえ、とんでもありません。まだまだ美貌を保っておりますの、わたし。 あら、おばさまもかなりお疲れのようで。なんですと、失礼な。わたしゃねえ、昔から資〇堂の白椿会の会員でね。ずっと愛用して来たんだけど、やっぱり最近お肌の衰え方が早いはねえ。悔しい。 その点、わたしはまだピチピチ。ほら葉っぱだってこんなにツヤツヤざますわ・ホホホ。 あら、あなたはどなた。この辺じゃあまり見かけない顔ねえ。なに、私のこと呼んだ? わたしゃねえ、梅は梅でも黄色い梅と書いて、オウバイと読むのよ。知らないの、いやねえ。オバサマたちは情報不足よ、そんなじゃ。 何言ってるんだか、この娘っ子は。私たちだって負けてないわよ。桜は桜でも芝桜。間違っても「姥桜」なんて言わないでよ絶対。一字違いで大違い。たく~っ、気にしてんのにさあ。 良いわねえ、皆さん方は。ちゃんとな名前を呼んでもらえて。わたしなんか珍しいらしくて、なかなか名前を覚えてもらえないのよ。ちょっとハーブの仲間のようにも見えるわよね。ハーブとハーフじゃ、一字違いで大違い。何マネしてんのよ、この新入り娘のくせして、図々しいわよ、あんた。きゃ~怖。 わたしはアシビ。漢字で書くと「馬酔木」ね。明治時代の有名な文芸誌の名前にもなったのよ。オッホン。まあ、地方によっては「アセビ」と呼ぶところもあるわね。一見地味だけど、この真珠のような色が素敵でしょ。おほほ。 良いですわねみなさん方。お上品な名前を付けていただいて。わたしなんか雑草の上に、つけてもらった名前が「オオイヌノフグリ」。直訳すればワンちゃんのオチ〇チンですってよ。まあ恥ずかしい。でも最近は気の毒がって、星の眸(ホシノヒトミ)なんて素敵な呼び名を付けてくれたのよ。まあ嬉しい。 良いじゃないの、広い場所で悠々と咲いててさ。こっちなんか、狭いプランターにギュウギュウ詰めの身分よ。でもあんたと違って、みんなに注目してもらえるけどね。それに肥料もたっぷりとね。 まあ遅い。わたしが最後ってどういうこと。小さいけど、香りが抜群のわたしなのにさあ。それに歌にもなったよね。知らないの。「春よ、来い」よ。松任谷由美 作詞作曲 淡き光立つ俄雨 いとし面影の沈丁花 (略) 春よ遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の 懐かしき声がする かなり昔なんで、わたしも忘れてしまったわねえ。でも良い歌よね、哀愁があって。今でも歌うとじ~んと来るわ、心に。<続く>
2020.03.09
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<食事・いのちをつなぐ行為 その2> 1月下旬から3月上旬にかけての、家中の物品の9割(総重量は4.5トンほどか)を捨てた断捨離に続く、家と物置小屋の大掃除、家全体の模様替えと、美術品・工芸品などの再配置、庭の改造を連続して行えた陰には、1日3回の食事を疎かにせず低カロリーながら、自ら料理しかつ美味しくいただけたからだと思う。重労働と睡眠不足で体重はかなり落ちたが、幸いにして食欲は落ちなかった。 動物性たんぱく質は決して多くはなかったが、野菜と果物などの食物繊維は十分摂取したせいで、快食快便の日々。良くぞ最後まで体が持ってくれたと思う。長年ウルトラマラソンで鍛えた精神と身体、そして忍耐力のお陰だろう。普通の人なら半月も持たないだろう。ところが私は「行」だと自分に言い聞かせて何とか持ちこたえた。まさに奇跡的。それらの日々の中で食べた物を、記念に残していた。 動物性たんぱく質の大部分は魚や練り物や卵で、肉は安物のブタの細切れ、若鶏のレバー、冷凍のラム肉程度。牛乳は低脂肪乳で補足。そして納豆や豆腐、油揚げなどの植物性たんぱく質、ワカメ、昆布などの海藻類、キノコも良く食べた。それらの大部分は「見切り品」で、買った時からどう料理するかのイメージが湧いていた。冷蔵庫の中の食品の賞味期限にも注意し、ほとんど無駄にはしなかった。 買い物に行けなくて食品が乏しくなると、残った味噌汁に冷や飯や卵、残り物のおかずや野菜、魚の小片など何でも入れて「おじや」にした。これは増量が効き、かつ腹ごなしも良い優れもの。男一人だから出来ることで、女性が見たら多分「ゴミ」としか見えないはず。だが、永平寺の修行僧を思えば、どんな食べ物でも美味しく、いただいた。これは戦後数年間の飢餓を体験した者ならではの強みだろう。 私の食事の写真を見たこけしちゃんが、激務の後の「ドカ食い」の危険性を心配してくれたが、私はランナーとしての長い経験から、心が満たされている場合は「食」もコントロール出来ることを知っており、何の心配もしてなかった。むしろ「痩せ過ぎ」てないかの方が心配で、長い激務を休止して静養に入ってから、睡眠時間と体重がわずかずつでも戻って来たのが嬉しかったほどだ。 でんぷん質はご飯がメインで、麺類やパンで補い変化をつけた。パンは2割引き、3割引きのものを買い、食パンを焼いてコロッケやアジフライ、手作りの野菜サラダなどを挟んだ。自分で作ったユズのマーマレードも酸味が美味しく、食欲をそそった。ヒジキの炊き込みご飯など、「創作料理」も工夫した。まさに「必要は発明の母」を地で行ったのだ。創意工夫は脳の活性化にもつながる。ボケ防止だ。 圧力鍋、電子レンジ、トースターを効率良く利用することも覚えた。米は前夜のうちに研いでおき、最低でも30分間はうるかし(仙台弁で水に漬けること)、圧力の強弱、IHレンジの強弱と時間の加減を失敗しながら学習して行った。そして次第に粘り気がある美味しいご飯が炊けるようになった。左は自家製のジャガイモなどを使ったポテトサラダと、野菜サラダをミックスした。増量と栄養のバランスだ。 そして夕食には、安物の焼酎のごくごく薄い水割りを1杯。それがささやかなる慰労と言う、超安上がりな爺の楽しみなのであった。長期間にわたる作業の激務を支えてくれたたくさんの食事。それを作った自分、食べた自分、片付けた自分、工夫した自分に感謝。そして生かされてあることへの心からの感謝を、食事の度に感じた私だった。<不定期に続く>
2020.03.08
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<食事・いのちをつなぐ行為 その1> 「行」で先ず思い出すのが比叡山延暦寺の「千日回峰行」。これはほぼ不眠不休で経を唱え、1日40kmから80kmまでの山道を、神仏を拝みながらひたすら歩き続けるもので、それが約千日間続くことから「千日回峰行」と呼ばれ、これを達成した者は確か「大阿闍梨」(だいあじゃり)と言う称号を受ける。大変名誉ある称号で、これまでこれを授けられた僧はほんの数人と言う荒行なのである。 また思い出すのは、曹洞宗の大本山である永平寺の修行。ここで修行する僧は、早朝から深夜まで厳しい鍛錬の場を与えられる。寒さ厳しい山中でも素足で、腰を屈めながら掃除をし、乏しい灯の下で経を読み、読経しながら僧堂を巡る。食事は一汁一菜。これを作るのもまた僧で、命を粗末にしないため、野菜は葉のみならず根も全て刻んで食す。そして最後は茶碗に入れてもらった白湯で茶碗を濯ぎ、それも残さずに飲み干す。グルメに慣れた青年など多分一日も持たないであろう質素さ。それが一年間続く。 私は今回約40日ほどの断捨離、清掃、模様替え、美化、庭の改造に取り組んだ。睡眠時間は4時間足らず、断捨離中は1日15時間ほど家中の不要物品を処分する重労働に耐えた。家の中の物品の9割を捨て、その総重量は恐らく4.5トンに及んだであろう。それをゴミ収集日の前夜、自転車の前後に載せて、収集所まで運んだ。腰、肩、肘、膝、手、指は痛み、その苦痛と重度の疲労に耐え続けた。 その「荒行」に耐えられたのは、長年の趣味であったウルトラマラソンによって培われた「忍耐力」であろう。そしてそのエネルギー源は、自らが作る「貧乏料理」。「見切り品」多用の男料理は、見栄えも悪く、カロリーも成人男子に必要なカロリーの6割程度と思われる。野菜が中心で動物性たんぱく質は不足気味。だが、私は毎回感謝して食べ、食べ終われば直ちに食器を洗う。独り暮らしの私にとっては、まさに「行」そのものの日々であった。 私はほとんど既製品を買わない。今回は時間の節約と体力消耗を避けるため、珍しくインスタントラーメンを買った。恐らく食べたのは20年ぶりくらいだろうか。1日3食全てが手作り。しかも素材は自らが育てた野菜か、スーパーで購入した見切り品中心のもの。調味料も限られているが、そこは知恵を使う。男は「想像力豊か。在庫品の何を使って、どんな味にするか。買った時からほぼ決めている。 おでん(左)は自家製の大根とジャガイモを予め圧力鍋で煮て時間を節約し、2割引きで買ったはんぺんと「手羽先」を入れた。味は適当だが出汁が効いて実に旨かった。右のシチューには「粉茶」の残りを入れた。それで全体が緑色に見える。捨てればゴミだが、使えばカテキンとビタミンC豊富な食材と化す。何せ他に家人がいないので、見た目は無関係。何でも美味しく感謝して食べる男なのであった。 茹でる順番も熟慮する。左は昆布の芯。海水で煮てるため塩辛い。これを刻んで最初に茹で、その茹で汁で右の若鶏のレバーを茹でる。するとレバーの臭みが取れる。実はもう1段階あって、レバーの前にモヤシと絹サヤを茹でた。そして茹で汁はそのままシンクに流さず、裏庭の野菜の残骸や剪定枝の堆積所に捨てる。シンクのぬめりと汚れを防ぎ、かつ堆肥の促進を助け、一石二鳥なのである。男は手間と知恵を惜しまず、「24年点検」時も汚水管はとてもきれいだったと点検員の弁。よっしゃ~。<続く>
2020.03.07
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<氷雨のち晴れ その2> 翌3月3日(火)は、朝から抜けるような青空。前日あれほど降り続いた氷雨が、まるで嘘のように空はからりと晴れ上がっていた。もう春の空そのもの。また生命溢れる春が今年も近づきつつあることを、意識させる暖かい光に溢れていた。 そして3月3日と言えば、ひな祭り。桃の節句でもある。長女が生まれた年、妻の母がはるばる仙台から送ってくれた8段飾りの雛人形セット。あの重たいセットは、娘が弾いていたピアノと共に、筑波、鳴門、沖縄、松山、大阪と転勤に伴って私たちと共に移動し、仙台に自宅を建ててようやく落ち着いたかに見えた。だが妻が家を出たことで、あの大量の飾りもピアノも処分した苦い記憶が蘇る。 ベランダの手すりに布団を干したのも、実に久しぶりの出来事。2階まで布団を運ぶ、階段の途中で腰が悲鳴を上げた。まだ断捨離時の疲労が体の奥底に潜み、こんな時にひょっこり顔を出すのだ。この日は出来るだけ体を休めよう、そう決意し早速2日分の新聞に目を通す。新聞すら読めなかった日々。そして全国版の「俳句欄」は3週間分溜まって、手つかずのままだ。 庭に出て、作業後の様子を観察。確かに今年は春の到来が早そうだ。先日整備したばかりと言うのに、もう雑草が生えて来ている。生物は実に正直で、季節の変化に敏感に反応する。裏庭に回ってアオキの下に何やら青い葉の苗。おお、これは紛れもなく「鳥の落とし物」。鳥の糞に混じっていた種が発芽した、何かの植物だった。これだから面白い。アオキの実を食べに来た野鳥が、枝に止まって糞をしたのだ。 左がその正体不明の子。明らかにアオキの葉とは異なり、裏がエンジ色。そして右はフキノトウ。近所の畑にもまだ生えてなく、近所ではうちの子が、どうやら今年の一番乗りみたい。午後から窓辺に横たわり、丹前を被って昼寝。わずか15分ほどだが、本当に久しぶりの午睡。心が少しずつ「休養モード」に入ってくれたようで嬉しい。目覚めて直ぐ、干していた布団を入れ、夕方から台所に立つ。 立て続けにヒジキの煮物(上)、野菜炒め(中)、玉子焼き(下)を作り、大根おろしとサバの水煮を和えた。これで4品完成。「断捨離行」の最後は食材が乏しくなり、何でも入れて煮込んだ「闇汁」ならぬ「おじや」で凌いだ。あの頃に比べたら立派なご馳走。そしてさらに思い付き、ヒジキをさらに濃い味で煮直し、炊き立てのご飯と混ぜて、「ヒジキの炊き込みご飯」にした。 ひょっとして俺は料理の天才かも知れない。そのうち、本でも出して印税を稼ぐか。それは冗談だが、別途「男の家政学シリーズ」を書こうとも思う。実はある時、俳句も、掃除も料理も、全く一緒だと気づいた。それは最初に「本質に迫ること」。それが見極められたら、後はその応用に過ぎない。本質の理解こそが、全ての物事の始まりだ。それも今回の「断捨離行」で悟った。 その夜の就寝は1時過ぎ。それでも4時間半ほどの睡眠時間が取れた。この分では徐々に体力を回復出来るだろう。夕刻には自己流のストレッチ体操もやった。整骨院での治療に頼ってばかりではいけない。先ず自らケアする気持ちがないと、体は治らないと気づいたのだ。地味でも良いからコツコツと。そしていつかまた、ゆっくりと走れる日が来るのを待とう。壮大な夢を土産にして、眠りに就いた。<続く>
2020.03.06
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<氷雨のち晴れ その1> 3月2日(月)は氷雨が降る寒い朝。天気予報だと雨は午後からのはずだったのに、ガッカリ。この日は幾つかの用件をこなす必要があった。自転車が唯一の足である私の場合、雨は禁物。だがそうも言ってはいられない。覚悟を決めてジャンパーの上から青いウインドブレーカーを羽織って、雨空へペダルを踏み出した。たちまち眼鏡のレンズが曇る。これは危険。立ち止まってレンズを拭く。 最初の行き先は最寄りのJA。火災保険の更新なのだが、建物が閉まっていた。どうやら工事中みたい。張り紙を読もうとすると、自動扉が閉まって字が読めない。そのうち近所の人がお金を下ろしに来た。その人に聞くと開店は9時30分とのこと。手は寒さでかじかみ、氷雨に濡れたせいでトイレに行きたくなった。おお大丈夫か自分。時間が来てようやく扉が開き、中に飛び込む。 担当者に用件を伝え、トイレに飛び込む。辛うじてセーフ。良かった間に合った。カウンターで書類に記入し、保険料を支払い関係資料を受理。いずれ保険証は郵送されるはず。1件目終了。次は来年度の「俳句教室」の申し込み。JAから東に向かう途中、ある建物を窺う。「おおやってるみたい」。「帰りに寄ってみようか。勇気をもって」。 いつもの建物に入ろうとして異常に気付く。どうも閉館みたい。あらら、困った。どうしようか。するとたまたま内側にいた人が扉を開けてくれた。「月曜日は閉館日なんですよ。で用件は」。私が来年度の俳句教室の申し込みだと言うと、申請用紙をくれた。抽選後の許可のための「返送用ハガキを渡す。彼は館運営のための「民間人」で、過去の受講者と講師の諍いについて話してくれた。そうだったのか。 私がこの地区と郡山官衙(かんが)の関係や、古墳発掘調査の結果、ここが古代東北では当時最先端の文化地帯だったことを教えると、いつか受講者に話してくれないかと真剣に言う。あらまあ。私は単なる考古学ファンですからと断ったが、案外本気みたい。ともあれ2つ目の用件も偶然に助けられて無事完了し帰途に就く。さて、気を良くしたところで寄ってみようと決心。覚悟は決まった。 とある建物の中庭にある薬局へ。薬剤師さんが「処方箋は?」と聞くが、ないんです。こけしちゃんに用があってと言うと、奥の部屋にいるこけしちゃんを呼んでくれた。ビックリした表情の彼女に、「2月はお世話になりました。あの時お話を聞いていただきありがとうございました」と言うと、「「何の話でしたっけ」と彼女「断捨離です」。「ああ、あの時のねえ」で、教えてもらったブログを見たら。 ある方の名前を出した。確かに走友。ただし私が入会したのはその人の退会後、再び入会した時は私はほぼ活動を停止した頃で、その人は私のブログを知らない。一緒に走ったのは唯一「A内陸」。その90km地点であっさり抜かれた。私はランナーとしてはもう晩年期で、その人は現役バリバリ。年齢は13ほど下か。明るく美しいこけしちゃんは、相変わらず素晴らしい笑顔。来て良かった。「また出直します」と退散し。再び雨の中でペダルを踏み出した私だった。 うわ~っ、大感激。再びこけしちゃんに会えるとは。帰宅後、郵便局でお金を下ろした後、急いで昼食。そして覚悟を決めてあるものを書いた。それは私が2月に断捨離の話をした時、彼女が「改装なったわが家を見たい」と申し出てくれたことへの返事。あの時はよもやの展開に、頭が付いて行けず、とっさに返事が出来なかった。まだ彼女がそのことを覚えている保証はないが、ここは勝負時。 そこで手作りの「招待状」を作成。氷雨はますます強くなり、自転車で行くのは無理。ここは公共交通機関の乗り継ぐしかない。バスの時刻を確認し、服装を整えた。シャツ、ズボン、コート、マフラー、そして傘と帽子、革靴。全部茶系統でコーディネート。よれよれの親父が、一見紳士に見えなくもない。そして案内状をポシェットに詰め、バスに飛び乗った。後は彼女の勤務時間に間に合うかどうか。 朝とはすっかり違った姿の私を薬局の方もこけしちゃんも私と気づかなかったみたい。「いつもは行き倒れの爺さんもお洒落をすればこうなります」。するとこけしちゃん。「女も口紅一つで変わるのよ」。私が「招待状」をおずおず手渡すと、「あらラブレター」と無邪気。おお、アン王女。あなたはやっぱりノーブルな女性。「頑張って~」と手を振ると、「マックスさんもね」と手を振る彼女。 帰りは雨の中を濡れながら歩いて帰った。もうズボンはびしょ濡れ。それでも私は嬉しかった。まさか再びこけしちゃんの笑顔に会えたとは。それも1日に午前と午後の2回も。もうこれは奇跡そのもの。やはりこけしちゃんは「ローマの休日」のアン王女そのもの。私は「雨に歩けば」を歌っていた。just walking in the rain。ジニー・レイの歌を歌った日本人歌手は確か小坂一也。もう遥かなる懐メロだ。 家に着いてヒーターを点け、ズボンなど一式を脱いで、普段着に着替え。またヨボヨボの爺に戻った。これが紛れのない俺。床の間のこけしに挨拶。会えて嬉しかったです。勇気を出せて良かった。だが、その後電話が鳴ることも、Eメールが届くこともなかった。元々私に勝算はない。賢明な彼女が私に合わせて演技してくれただけだろう。それでも勇気を奮った価値はあった。ありがとうこけしちゃん。その夜は久しぶりに穏やかに眠れた男だった。<続く>
2020.03.05
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<総括編その2> 私が断捨離を始めたことを知った徳島のブログ友じゅんじゅん姉が、次のようなコメントを寄せてくれた。「断捨離をすると、心が清められるよ」と。多分1月下旬の頃だ。断捨離は緒に就いたばかりでその実感はなかったが、私は本当に純粋な気持ちで断捨離に取り組んでいた。独り暮らしの私がやるとすればまだ体力がある今しかない。妻は去り、子供は帰らない。だから責任者は、私以外にないのだ。 <ぼやけて撮れたわが家のクリスマスローズ> 「だが」とじゅんじゅん姉。それがなかなか思うようには行かないの。ちょっと片付けたくらいじゃ、すっきりしないの」と。そんなものか。ともかく私は捨てに捨てた。前妻はほとんど捨てられないまま去り、3人の子は大量の不要品を置いたまま。特に長男の遺留品に絶望。無限の「ゴミ」に向かう私は、風車に向かって突進する「ドン・キホーテ。しかも家来のサンチョ・パンザもおらず、槍もない。 じゅんじゅん姉がご自分のブログに書かれていた。「今度は本気になって断捨離に取り組む」と。そのため当分ブログを休む由。その志や良し。「頑張ってねじゅんじゅん姉さん。でも優しいご主人様がおられるので大丈夫。いつもご夫妻で社会奉仕や社会活動に取り組まれて来たお二人ならきっと立派に目的を達成されるはず。そしていつも優しいメッセージをありがとう。 彼女はブログを休まれるが、私はあの大作業中も、1日も欠かさずにブログを更新した。だからこそ二重の苦しみだった。でもそれを選んだのは自分。断捨離もブログも止めようと思えば止められ、休もうと思えばいつでも休むことが出来た。だが私はその道を選ばなかった。それが私に与えられた「試練」。その試練に耐えられずして何のための人生か。今でも「男は黙ってサッポロビール」なのじゃ。 しかし、あれだけの重労働を睡眠不足の中で続けて来て、良くも死ななかったものと。ただ限りある時間を有効利用するため私は考えた。今の私に不要と思われるブログを削除し、心から信じ合える友のブログだけにした。たとえ訪問出来なくとも、気持ちはつながっているはず、そう信じて。ブログの断捨離は心の断捨離そのもの。生半可な整理では済まない。後は開き直って生きるだけだ。 数日前から大事を取って、庭仕事を一旦休止した。それと同時に潜んでいた疲れが、どこからともなく湧き出した。安心したせいか目が落ち窪み、冴えない表情の自分が鏡に写っている。睡眠時間が少しだけ長く、体重がほんの少しだけ戻り、人間らしい気持ちが戻った。だが油断は禁物。 藪椿の芯 このシリーズも後30回は続くはず、だが、たまに休憩を取ろうと思う。また時々は異なるタイトルでも書く。時々ドキッとさせるのは、読者が飽きないための工夫。時系列の無視や、一見無関係のテーマの混入もある。何せ私のブログは実験的な要素が大。まるで私の人生そのものだ。では、今日はこれにてバイチャ。<不定期に続く>
2020.03.04
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<総括編その1> 1月20日の夜から初めた断捨離をこのたびひとまず終えた。その長い行程の細部と、その過程において私が考え、悩んだこと、今後の展望などを記すのがこのシリーズの狙いだ。第1回目の今日は、私が断捨離をどう捉え、どう実践して行ったかについて述べたい。 日程の概略は以下のようなものだろうか。 1月20日~2月18日 断捨離実行 家の中、及び物置小屋の物品の9割、約4.5トン分を廃棄。 2月19日~2月24日 家の中の清掃作業。ほとんどの部分を私自身が清掃した。 2月25日 3人の子供へ、彼らの関係品として選別した物品を宅急便で発送。 2月25日~2月26日 家中の模様替え実行。 2月26日夜~2月27日午前 家の中の美化作戦。美術品や工芸品、写真、陶器類などを配置。 2月27日午前 住宅メーカーによる「24年点検」を受ける。 2月27日午後~2月29日 庭の改造計画実行。2月29日で一時休止中。 この間、作業を休んだことはなかった。作業時間は平均1日15時間前後。 睡眠時間は長くて4時間程度か。腰、肩、肘、膝、手などの痛みが半端じゃなく、この間早朝整骨院で10回程度施術を受けた。 激しい疲労の影響で、曜日の感覚はなく、新聞を読めない日も多かった。そんな中でも苦戦しながらブログの更新を続けていた。今にして思えば奇跡以外の何物でもない。そのことによって、少ない睡眠時間がさらに減った。また脳内の酸素不足、エネルギー不足による影響か、物忘れが激しく「部分入れ歯」を忘失した。このため頻繁に「メモ」を記し、良く目につく場所に置いて、自分への喚起を促した。 食欲と便通はあったが、カロリーの摂取量が不足の上に連日激しい作業を続けたため、体重がかなり減った。かつてウルトラマラソンランナーの減益だった頃は、良く食べても66.6kg。体脂肪率は17%が通常だった。今回は常に体重は63kg台で体脂肪率は13~14%台。運動を止めた数年前に比べたら、体重は5kg減。体脂肪率も4%ほど減った。私にとっては「行」そのものだった。 体重、体脂肪率計測のほか、毎日定期的に血圧を測定した。おおよそ午前中に2回、午後に2回測定し、その結果を「血圧手帳」に転記。また頭痛などがある場合は特記し、健康に留意した積り。ただ疲労が蓄積すると、風呂の中で眠り、お湯が冷めて気づくようなことが後半増えた。整骨院にジャンパーを忘れ、俳句教室へ眼鏡をかけずに行ったこともあった。 限りなく体力の限界が近づいているのが分かった。断捨離を始めてから1週間ほどで口の周辺に異変が生じ、5年か7年ぶりに「口唇ヘルペス」が発症したことを知った。慌ててネットで区内の皮膚科を調べ、苦労の末に診察と内服薬の処方を受けた。こうしてこけしちゃんとの奇跡的な遭遇が生まれた。だが、天真爛漫なこけしちゃんの真心に直ぐ応えられなかったのが悔しい。そのうち必ずリベンジしたいと思っているのだが、果たしてこけしちゃんが許してくれるかどうか。でも勇気を奮いたい。<続く>
2020.03.03
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<石と遊ぶ> シャラと冬空 庭で一番大きな鮫川石(福島県産の青石)はアプローチの傍にあります。遊び心で石の上に、白いホタテ貝の貝殻を載せて見ました。庭に来る小鳥の水飲み場になればなどと思ったのですが、水飲み場にしては少し「皿」が浅かったかもなあ。 2つ目の鮫川石は居間の前庭にあり、山茶花とウメモドキの木の下に鎮まっています。今は山茶花が散り時となり、石の上にも零れ落ちた山茶花の花びらが幾つか折り重なっていました。 3つ目の鮫川石が今回整備を終えた花壇の中央に、どっしりと落ち着いています。石の前側(東側)には庭に散らばっていた万年青(オモト)を集め、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。また岩の裏側には、今回一旦掘り上げたツツジとヒイラギナンテンから、邪魔者のドクダミと芝生の根を除去し、元の位置に改めて植え直しました。不要な枝を切ったため、とてもスッキリしましたね。 義父が生前楽しんでいた盆石を、幾つかわが家に持って来てくれました。本来は石の形に合わせた置台に載せて石だけを鑑賞するのですが、私はこれを庭石にしました。これは居間の前庭の鮫川石の隣に鎮座しています。石の大きさはさほどでもないのに、この石の形と石の性質が小さな庭に独特の哲学的な雰囲気をもたらしているように感じます。 2つめの盆石があるのは花壇。この石のすぐ下には雨水のマンホールの白い蓋があり、とても興覚めでした。そこで底が平らなこの石を目隠し代わりに置いたのです。遊び心で水を撒いたら泥が落ち、小さな2つの窪みに入った水が、新たな表情を見せてくれました。穴の一つに「小さなヤブコウジ」(藪柑子)が根付いています。穴に溜まった土が、ヤブコウジの生育を助けたのでしょう。面白いのでそのまま放置しています。雨が当たる場所にあり、雨水が天の恵みをもたらしているみたいです。 三つ目の盆石は、アプローチの少し奥まった位置にあり、どっしりとした風格を有しています。持つととても重く、まるで「隕鉄」で持ったような錯覚を覚えるほどです。周囲にはスイセンやクリスマスローズなどがあり。間もなく賑やかなスイセンの林に取り囲まれることでしょう。家の中で「鑑賞する盆栽も良いのですが、こうして庭に置かれ、新たな使命を与えられたのも、この石にとっては良かったようにも思うのですが、いかがでしょうか。 これはかつて、河原にでもあったのでしょう。それが何かの悪戯でわが家の庭に埋もれ、花や樹木を植えた時か、畑を開墾した時に私が地中から掘り上げたものです。先日紹介した愛犬マックスの墓標代わりのの石もそうでした。こちらは花壇の鮫川石や盆石の傍に置いて、三位一体で花壇を守る鎮護石となりました。そんな遊び心も妻や子が去って独り暮らしとなった私にとっては、大いなる喜びなのです。 今回全て除去した南通路の居間よりの空きスペースに、これまで花壇の奥に重ねていた川原石を転用してここに敷きました。HCで売ってるきれいな「玉石」のようには行きませんが、きれいに角が取れて丸くなったものよりもどこか「無骨な表情」が色濃く残されて「いるのもまた一興でしょう。庭は植木や草花を楽しむだけでなく、物言わぬ石を愛でる場でもあるのです。こうして庭は色んな表情を見せるようになります。 後1か月もしないうちに、庭は一面の春の花で溢れかえることでしょう。その姿が目に浮かびます。わが家の狭い庭と畑ですが、花や木、そして野菜たちが成長して花を咲かせ、たわわな実を結ぶ姿を楽しみにしつつ、残されたわが人生を豊かに過ごしたいと心から願っているところです。今日の睡眠時間は4時間足らずですが、体調が良ければ通路の小石を広い集め、「ミョウガ帝国」を石で埋めたいと思っています。<不定期に続く>
2020.03.02
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<当分作業を「中断します> 例のコロナウイルスの感染者がついに仙台市内でも発生しました。断捨離から続く、大掃除、模様替え、家中の美化、庭の改造と1日も休まずにかなりの重労働とブログ更新を続けて来ましたが、もう既に体力の限界を超えています。悪質な病気にり患しないためにもここ当分は作業を中断し、体力の回復に専念する所存です。ブログも手持ちの写真が中心になりますが、なにとぞご了承願います。 2月27日、住宅メーカーの「24年点検」が終了した午後から、庭の改造に取り掛かりました。最初に手掛けたのは、花壇のツツジとヒイラギナンテンを掘り上げた後、芝生、ドクダミの根っこを一掃。次いで小菊も全部抜いて整理し、改めて植え直し。その後は庭の万年青(オモト)を、花壇の鮫川石の周辺に集めました。その方が見栄えが良いためです。 この日使用した道具類です。大型と中型のスコップが必要でした。主に長くつを履き、箇所によってはランニングシューズでしたが、メッシュの隙間から土が入って来ました。玄関を汚さないために、連絡用の「サンダル」を使用。小菊も抜いたのでスッキリ。球根類は植え直しました。元気に芽が出てくれると嬉しいのですが。 鮫川石の近くに移植した万年青です。玄人好みするのが万年青の魅力でしょうか。やはり独特の風格がありますね。 花壇が一段落した後は、アプローチの敷石を外して芝生とドクダミなどの根を除去する大仕事です。作業の手順を考え、玄関に近い場所の敷石を外しました。西側に広いスペースがあるため、芝生の根から土だけ振るい落とし、かクダミの根を除去するなど結構面倒な作業です。 ところが予想外の出来事が。何と玄関脇のシャラの根が、花壇方面にまで伸びていたのです。人の目に見えない地中で、色んな植物が戦っていたのです。みな生き延びるのに必死。雨水管や汚水管の中にも、植木の根が侵入していたと、午前中に点検した業者の人が話していました。 敷石を退けるとこんな具合。芝生の根っこが地中に侵入する様子が分かります。その深さが半端じゃありません。従って、かなり慎重に土を掘り取る必要があります。 これは敷石と敷石のわずかな隙間に潜り込み、その後成長した芝生の様子です。これだけ盛り上がるのですから、芝の生命力がいかに強いかが分かります。 玄関前の一列分の処理が終わると、今度は逆に西の芝生の方向に向かって、芝生を切り裂いて行きます。これもその後の作業手順を考え、広い作業スペースを確保するためです。芝生を除去するとむき出しの土が現れるので、玄関前が土や泥で汚れないよう、その分に見合った大きさのプラスチック製のマットを敷きます。 和室2の鍵を開け、窓辺に飲み物と各種のキャンディーを載せたお盆を用意しました。喉が渇いたり、疲れを感じた時にいつでも休むための「臨時休憩所」を設けたのです。これは我ながらグッドアイデアでした。風が出て寒くなった夕刻には作業の道具類を全部片づけ、家に入って今度は料理の時間です。この日は「おでん」と「シチュー」を両方とも大きな鍋で作りました。とても美味しかったですよ。<続く>
2020.03.01
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<庭の改造でもうクタクタ > 庭仕事で必要な道具とは まず軍手は不可欠ですね。手が泥だらけになったり、汚れたり、怪我するのを防ぐ役割がありますね。今回も10組以上使いました。雨の日、雪の日は泥だらけになり、それを洗って、何度も使い回しをします。問題は足元。晴れた日は古いランニングシューズで十分。でも雨の日や雪の日は、どうしても長靴が必要です。泥で汚れ、そのままでは玄関から入れないため、履き替えようのサンダルを用意しています。 左から園芸用の小さな「熊手」。これで土の中から、根っこなどの邪魔者だけを選び出します。真ん中は移植ごて。植木を掘り上げるためには大きなスコップ。それよりも手軽な中型のスコップも使います。一番右が「稲刈り用の鎌」。これは切れ味が鋭く、かつ土の中深くの根も切ることが可能です。 園芸や農作業専用の「外バケツ」。20年以上も使用し、今回水漏れするようになったため、切った根と共にゴミに出しました。水や土の中から出て来た石を運ぶなど、本当に良く活躍してくれました。長い間、どうもありがとうね。そしてお疲れ様でした。 掃除などで使う「内バケツ」が3個あったので、その内の1つを「外バケツ」にしました。早速汚れた軍手を水に漬けています。よろしく頼むね、新顔さん。 住宅メーカーの「24年目点検」が終了した日の午後から、早速南通路の整備にかかります。左側はすっかり丸見えになったユズの根元。右はその隣のレンギョウを剪定して、スッキリと。 この際とばかりに東通路の植木を剪定しました。左側はムクゲで、右側はクチナシ。どちらもかなり刈り込んで、とてもスッキリした形に。両者の中間のヤブツバキは、写真を撮り忘れました。 「ミョウガ帝国」のムラサキシキブ(左)とアオキ(右)もかなり刈り込んでスッキリと。この日切った枝はまだゴミに出さず、一旦裏の集積所に積み上げます。葉が枯れ落ち、枝だけになったら紐で縛って燃えるゴミとして出します。長さは80cm以内に切り揃え、芝って出せば無料です。 花壇と南通路から出た邪魔な根などだけで45リットル用2袋、40リットル用1袋を燃えるゴミとして出しました。それがかなり重たいんですよねえ。今回も前夜のうちに自転車で運びました。 切ったアオキの枝とヤブツバキを「一輪挿し」に活けて玄関に。アオキは赤い実が、ヤブツバキにはたくさんの蕾があったので、捨てるのはもったいないと思ってね。<続く>
2020.02.29
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<近づく春の息吹> 暖冬だったこの冬。世界は「コロナウイルス肺炎騒動」におののいた。中国で発生した恐るべき病気。あっと言う間に世界へ感染し、様々な国で死者が出ている。そんな騒ぎをよそに、私はどこにも出かけず。断捨離に続いて、家中の大掃除と模様替えに明け暮れ、その後引き続き庭の改造に勤しんでいる。まだ体が持ってるのが奇跡とも思える苦痛の連続。だが、わが家の庭にも春が近づいたようだ。 例年なら4月中旬から5月にかけて咲くクリスマスローズが、もうこんなに成長している。 家の中から外に出して庭に植えたミニスイセン(左)が、こんなにも元気になった。やはりスイセンは寒さに強い花であることを実感。元々地植えのスイセン(右)の蕾が、もうこんなに大きく。 大改造のため一旦花壇から掘り起こした球根を再び花壇へ。左はチューリップ。右はアイリスか。 これからが楽しみなスイセン。左は花壇、右は庭のソーラー灯の下へ移植したもの。 今回の大改造で邪魔になっていたシュウメイギクを他の場所5か所に分けた。その根の深さと太さにビックリ。シュウメイギクは土質を選ばないしぶとさがあることを初めて知った。根付いてくれよな。 さすがにヴィオラ(左)は寒さに強い。暖冬のせいか、今年は梅が膨らむのが早いなあ。 愛犬マックスの墓石は開墾中に出て来たピンク色の石を用いた。両脇にはアジサイとユキヤナギが植えてある。私のHNマックス爺も、俳号真楠(まっくす)も勿論彼の名の無断借用。庭で戯れる1人と1匹。どちらもまだ若くて元気だった。マックスとは最長で11kmを一緒に走ったが、最後はバテバテで気の毒なことをした。最後の日、彼は私の腕に10時間抱かれ、天国へ旅立った。安らかにな。 裏庭のニラがもうこんな具合。(2月25日現在)絶好調だねえ。<続く>
2020.02.28
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<続・庭の改造計画> 東通路と東の畑 この通路沿いの植木は、手前からバラ、ユズ、レンギョウ、キンシバイ、フヨウ、クチナシ、西洋シャクナゲ、ドウダン、ムラサキシキブなど。今回この通路には手を付けず、強いて言えば邪魔になる小石を拾い集めて、突き当りの「ミョウガ帝国」を石置き場にするくらい。鎌での通常の草刈や除草剤の効き目を効果的にするためにも、小石を撒いたのは失敗だと気が付いたため。畑には既にジャガイモを植えた。 ミョウガ帝国 ミョウガも案外しぶとい植物で、地下茎の強さが半端じゃない。自分のテリトリーを遥かに超えて、東の畑のき北側5分の1ほどを占領している。このままでは大帝国の誕生は明らかなので、今年中に何らかの措置を講じる予定。とてもミョウガの収穫で喜ぶどころではなく、放置したら東の畑全体が「帝国」になる日も近い。 地下深くで行われる密かなバトル。これは笑い事では済まない。そしてその対策ではないが、ここの角地に庭や畑から出た小石を全て集める予定。その分各通路がスッキリ見えることだろう。でもそれでも出て来たミョウガは収穫して、美味しくいただきますがね。 整備後の花壇 これが花壇の最新版。柵は庭にあったのを移動した。こちらの方が、来客に境目を明確に出来るため。今後の予定は上に見える、ヒイラギ南天とツツジを一旦掘り上げ、地下にはびこるドクダミなどの邪魔者を一掃する。さらに左側に見える敷石を1枚ずつ外し、同様に芝生、ドクダミ他の邪魔者を一掃する計画、これも根気を要する作業で、問題は根を除去した後の土を水平に保てるか。じゃないと、敷石が凸凹するので。 鮫川石と万年青(オモト) 花壇がスッキリしたせいで、鮫川石が良く目立つようになった。この前に庭中の万年青(オモト)を集めた。左手の小ぶり石は元来観賞用の盆石。その下に雨水の流路とマンホールの白い蓋があり、興ざめなので「目隠し用」。まさかそんな仕掛けがあるとは、誰も気づかないはず。亭主の密かな楽しみである。 居間の前庭 これまで生えていた草を全部除去した。そのせいでここの鮫川石もスッキリ。右手の石は義父が愛した盆石。遺品として譲り受け。山茶花、ウメモドキの下に置いた。なかなかの雅趣。義父は自分の息子よりも私を信頼して、転勤先の全てを訪れてくれた。妻は去ったが、こうして義父との縁は絶たれていない。その奥、ツツジの傍に外灯が立ち、ガレージから玄関まで夜の来客を誘導している。 南通路の「玉砂利もどき」 芝生を全部除去すると困るのが土埃。そこでかつて名取川から拾って来た川石を敷き詰めた。玉砂利とまでは行かないが、まあまあの風情。足らなかった手前のスペースには、和室前の小菊の苗を移植。小菊も生命力が強く、秋になれば淋しくなったこの通路を、明るく飾ってくれると信じている。 最後の邪魔者 これはユズの樹下にはびこるリュウノヒゲ(ヤブラン)。これも生命力が半端じゃなく、種と球根の両方で、猛烈な勢いで庭を席券する。そしてこれまた地下茎がどこまでも伸び、新たなアジトを形成する。ユズの根もかなり周囲に伸び、今回の作業でずいぶん分断した。樹下に汚水管と汚水桝があり、ユズの根が侵入しないかが気がかり。昨年は50個を超える収穫。わが家の可愛いシンボルだ。 さて、本日は住宅メーカーの24年目点検の日。今回が最後になる。このメーカーの言いなりにならず、私なりに知恵を絞ってリフォームを重ねたお陰でとても住みやすく、とても築24年の家とは見えない美しさ。先日の断捨離に続く、大清掃作戦と模様替えも良い効果を生んだ。今日も相手をギャフンと言わせる予定。むざむざそっちのペースには乗らないよ~だ。 <続く>
2020.02.27
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<断捨離に引き続いて庭の整備を> 断捨離に引き続き、またしても「片付け病」にり患した。今度は庭の整備だ。芝生とドクダミの根に悩まされてるわが家の庭。それほどその根は深く長く伸び、ドンドン周囲を席巻する。まだ寒いこの時期なら作業も比較的楽なはず。そう考えて花壇から手を付けた。だか一旦全部土を取り除き、球根などは別な場所に保管し、2つの根だけをゴミ袋へ。残骸置き場に置こうものなら、菌をばら撒くのと同じ。 南通路その1 手前が花壇。楕円形の大理石は「元テーブル」右手の植木はツツジとモッコウバラ。一番奥にユズ。この部分も芝生、ドクダミのみならず、リュウノヒゲ、ハーブ、ノコンギク、雑草、山芋の根など全て除去する。どれも生命力が強く、放置すれば植木が弱ってしまう。奥の4つほどの石を除き、全て踏み石を一旦取って、その下にはびこる根を掘ってゴミ袋に入れた。その量が半端じゃない。 南通路その2 芝生を除去するとスッキリするが、困ったことがある。風が強い日の土埃で、サッシが汚れることだ。そのため、建物の基礎と踏み石との間に、丸くてきれいな川石を敷くのだ。以前名取川から拾って来て、花壇の一部に使っていた。今回はそれを取り出して、再利用する予定。工事代は無料。何せ作業員が家主自身なので、賃金を支払う必要がないのだ。ただし、その分疲労が著しいが。 家の裏通路 今回は手をつけずに雑草が生え次第鎌で切り、酷い時は除草剤を撒く。労力を減らすためだ。左側は家の裏側の壁。右手前は物置小屋。その手前の小さな畑はミョウガの天下。ここを庭や畑から出る小石の集積所にする予定。物置の奥が三つ葉畑、その奥がニラ畑、その奥がジャガイモ畑で、擁壁側が野菜の残骸などの集積所。この通路はコンクリートブロックと、マンホールの蓋が飛び石状に連なる。奥の白いのが給湯設備。 西通路 ここも今回は手をつけず、通常の草刈で対応する。通路脇にアジサイ、ユキヤナギ、ヤブツバキ、ハナズオウなどの植木があり、愛犬マックスのお墓もこの通りにある。奥の突き当りが、野菜の残骸や、剪定した木の枝などの集積所。種のある雑草はゴミ袋に入れて、燃えるゴミの日に出す。種が、庭や畑に拡散するのを防ぐためだ。敷石は、以前私が石屋の廃材を使い、自分で敷いた。結構気に入っている。 畑と和室の間の芝生 ここは芝生の一部を切り取ってレンガの敷石を敷く予定。芝生を一部残すのは、畑で作業した際に、靴に付いた土や泥を拭うため。ただ、芝生の根が際限なく広がるのを防ぐため、定期的に芝生の根切り作業をする必要がある。また和室前へ広がる芝生を切り取るため、現在生えている小菊を一旦掘り上げるかも。この菊の根も強い生命力があり、そのまま放っておけば、際限なく繁茂する。 飛び石になる予定のレンガ 煉瓦は、これまで花壇の「縁取り」にしていたものを再利用する。花壇の縁取り用には、新たにHCで「柵」を購入する。その方が見栄えが良いし、今回広がった花壇の境目がハッキリするはずだ。<続く>
2020.02.26
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<雪の日の庭仕事> 冬の花壇 家の中の断捨離が一段落ついて、庭仕事を始めた。今年は暖冬のせいで雑草の伸び具合が早いように感じたからだ。それに今の時期だとほかの植物が成長してないため、雑草を直ぐに見つけることが出来る。そしてふとひらめいたことがあった。今のうちに邪魔な芝生の根っこを切ることだ。特に安い芝生は丈夫で、どこまでも根を張る。そして他の植物の根っこと絡み合う。そうなったら厄介だ。 芝生の根 それで天気の良い日に、和室の基礎との境目から切り始めた。たちまちのうちに根っこが袋一杯になる。これを裏に積んで堆肥にしようとしても、丈夫な芝の根は死なない。そして腐葉土と一緒に庭に撒こうものなら、あっという間に根付いてしまう。それで居間の前庭に潜り込んだ芝の根も退治し、ついでにハーブの根も全て抜き、芝生と見分けがつかない「芝桜」も全部抜き、その跡へスイセンを植えた。 厄介者のドクダミの根 しかし、前庭の方はそれで一件落着だが、芝生は花壇へも潜り込んでいる。さらに厄介なのがドクダミ。こちらは30cmほど地下に潜り込み、わずか1cmでも取り残したり、折れたりすると、そこから発芽して、夏はドクダミが背比べする花壇だった。そうだ今のうちに何とかしよう。そう思いついて始めたのは良いが、そのうちに雪。そして冷たいみぞれに変わった。レ・ミゼラブル。 絞りの山茶花 そして完成したのが冒頭の写真。作業の都合上、球根は一旦全て掘り上げた。そしてスコップで土を掘り上げる度に、土をかき分けて芝生とドクダミの根を探してゴミ袋に。ドクダミも裏庭に積めない。事情を知らない前妻がドクダミの根が混じった堆肥を庭中に撒き、「ドクダミ帝国」に変身した経緯がある。 藪椿 偶然畑の土と花壇の土を交換した形になった。これで花壇の土質も少しは改善されよう。そこで掘り上げた球根を花壇に戻し、余った球根とシュウメイギクは他の場所に植え替えた。これで第1弾は終わったが、引き続き第2弾を予定。芝生をほとんど切り取り、その後へ石を敷くのだ。当然雑草対策。ただし畑の脇だけはjっ間の芝生を残し、玄関前及び玄関が泥で汚れ難くする。 そして玄関へのアプローチ部分の敷石を一旦全部どけて、その下に潜り込んでいた各種の根も除去する予定。またもや大作業になった。ガンバレ>自分。<続く>
2020.02.25
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<おおミステーク > 大規模な断捨離を行った際の疲労のせいか、ここのところミスが続く。曜日を忘れるなどは序の口で、先日は火災保険の更新手続きに行ったのだが、まだ契約期限が残っていた。それでJAの窓口でコーヒーを戴きながら、得意の断捨離論を一席ぶった。ビックリした受付嬢は、しぶしぶタオルをくれた。3月初旬に改めて手続きに行く。 飛んで来たキジバト(山鳩) 昨日子供へ送る段ボールを近所の宅急便受付店に持って行き、送り状に住所を書こうとして愕然。そのメモを入れた財布を先日捨てたことを思い出したのだ。かなりボロボロの財布、これじゃいくら何でもと新しいのを買ったまでは良かった。カードや診察券などは新しい財布に移し替えた。ただ「ミニ住所録」を新しいのに移さず、そのまま捨てたんだと思う。 メモは、子供、兄弟、従弟、親戚など比較的連絡を取り合ってる関係者ばかりの重要なもの。それ以外の手がかりはない。幾ら疲労が激しくて曜日を忘れても、あれだけは失くしちゃいけない。自分は一体何と言う大失態をやらかしたのだろう。ガックリし再び段ボールを積み、すごすご引き返したのだった。「立山登山マラニックゴール」 段ボールを家まで運び、玄関で財布を再点検。「仕切り」の内側と外側。カード入れ3か所。どこにもない。そして「秘密のポケット」。急いで開くと、なんとあのメモがあるではないか。きっと「無意識のうちに、移し替えていたのだ。私は家を出た妻の話をおばちゃんに聞かせたが。あんなに驚いた小母ちゃんを見たのは初めて。もちろん彼女は元妻を知っていた。 「立山登山マ。ラ」の難所 今回の作業中に亡くしたものの一つが「部分入れ歯」。全く物が噛めない訳なじゃないが、咀嚼力は著しく劣る。「置き場所」が決まっているのにない。やはり無意識のうちに、ゴミと一緒に捨てたのだ。お金を出せば作り直せるが、疲労の影響は、体重3kg減、口唇ヘルペス発症だけではなかった。 地植えにした水仙 勘違いもあった。黄色のミニ水仙だが、居間に入れ水やりを欠かさなかった。ある時、付いてた「説明札」を読むと、スイセンは冬の寒さに当てると長持ちする由。確かに地植えのスイセンはどれもみな元気。そう思って一晩外へ置き、翌日庭へ地植えにした。ゴメンね誤解から過保護に育てて。わが子の育て方も間違えたかもなあ。 次にミスしそうなのがこの2つ。実は月に1度の「俳句教室」とKちゃんが集金に来るのが同じ日なのだ。Kちゃんには伝言があるのだが、私が出かける前に来れば良いが、出かけた後だとドアノブに引っかけたこの袋のみが「頼みの綱」。伝言は1から3まで。最後が一番大事なのだが、果たして私の意が彼女に上手く伝わるかどうか。ふ~む。 小雪が舞い散る中で、ジャガイモの種芋を植えた。南の畑に一列。東の畑に一列。比較的粒が大きく日当たりも良いので、立派に発育するだろう。小粒の11個は、裏の畑。ここは地味も日当たりも悪いが、生命力が強ければ、必ず育つはず。願いを込めて発酵鶏糞、草木灰、化学肥料を土にすき込み、畝も去年よりもぐっと厚くした。これも育児と似てるか。う~む。 ジャガイモに小さな「芽」が。 さて19日(書いてるのは前日)は市民税、県民税申告用に私が指定された日。関係資料は完全に整えた積りだが、最近チョンボが多いんでねえ。開始は9時だが早めに行けば早く終わる。そんな訳で今日は早朝から区役所へ出かけて来ます。何とか一発合格を。これが公開された時には、きっとどれも決まっていることでしょう。ところが実際は持参した添付資料が違っていたのだ。なんとお馬鹿な私。
2020.02.24
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<雨の日の仕事 後編> ようやく証拠が出そろった。男は次々と写真を並べたのじゃ。 まず。これが第1現場の写真。実に鮮やかでござるのう。ふぉっふぉっふぉ。 そしてこれが最初の事件の遠因となったブツ。左が間接的、そして右が直接的原因じゃ。ん?さっぱりわからんじゃと。つまり男が茶碗を落としたのは、「もぐもぐタイム」でお茶菓子が気になっていたんじゃよ。そして右の杉板の上に茶碗を置こうとしたんじゃが、その「微妙な段差」がもとで茶碗が倒れた。その証拠に杉板にもお茶がこぼれておろうが。でも良うわからんかのう。 そしてこれが第2の事件現場。この日、男は間もなく火災保険の契約が切れることに気づいた。そこで男は慌てて自転車で「JA共済」へ行こうとしたんじゃ。ところがこの日は生憎の雨。思わず「クソ~っ」と怒鳴った男は思いっきり椅子に腰を下ろした。ところがこの椅子の様子がおかしい。あるはずのない「隙間」が開いとった。またまた怒った男思いっきり椅子を蹴飛ばしたらじゃ・・。 その衝撃でさらにグラグラし出した。グリグラグリグラ。それを言うなら「グリとグラ」じゃろ、「こどもの友」社の絵本の。 これが次の証拠品。「んんん?」。どの写真もみんな、色は焦げ茶色とモスグリーンの組み合わせじゃ。男は昔からこの組合わせが好きでの、若い頃は焦げ茶色のスエッドのスーツに、モスグリーンの細い編みタイを締めてた。それにタイピンは真珠1粒だけのシンプルなヤツ。確かその組み合わせは上品で優しいとフロイトが言っておったが。 室堂平付近のチングルマ 次の新しい茶碗 ところが男の専攻は色彩心理学じゃなく、女性心理学。だがいくら本を読んでも、女性心理の奥義つかめず、常に女に振られっ放しだった。「女心はよ~山の天気よ」それで立山室堂平のチングルマと言う訳。ハハハ。あの手拭いから拝借した。こんな調子で、仕事は捗らず、雨で段ボール箱も発送出来なかった。なんとまあ気の毒な。だが男は満足そうに新しい茶碗をじっと見てたんじゃと。<続く>
2020.02.23
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<雨の日の仕事 前編> 紫陽花の芽 畑の土起こしの翌日は朝から雨。ほほう、これは良い。理由は、1)少しは自分の体を休められる。2)畑が潤い、早速施した肥料の効果が出やすい。3)家の中にいる分、残っている仕事が捗る。と、あくまでも前向きなマックス爺なのだった。 庭のフユシラズ やりたかった仕事の第一は、3人の子供たちに送付する段ボールのサイズをよりコンパクト化すること。居間に古毛布を敷き、段ボール箱と工具、ガムテープなどを運んた。箱は長期間2階にあり、箱が古く汚れていた、表面を雑巾で拭き、用心して古毛布も敷いた。居間での作業は、暖房があるため。 苦労の甲斐あって、段ボールはぐっとスリムに。その代わりに彼らの幼児・少年期の思い出が消された。後は各自心に残る映像を思い浮かべてくれ。父はそう願う。次男の箱だけに手紙。後はじっくり練った文案を送付予定。かなり厳しい文面になろう。特に「私とは親子の縁を切った」と言う長女には。散々苦労かけた上、あれほどまで父を愚弄した報いだ。 次がアイロンがけ。と言っても服ではなく、花瓶などを引き立てるため下に敷く布地。中には汚れたり、変色したものもあった。それら洗剤入りの湯に漬け込み、もみ洗いした。みっともないのがピンとなれば、少しはマシになるはず。 しわくちゃの手ぬぐいはアイロンがけ後、階段の踊り場の「特等席」にピンで止めた。思い出深い「立山登山マラニック」の参加賞が、ようやく「檜舞台」に。実にメデタイとここまでは良かったのだが。 お気に入りの茶碗 ところが手元が狂ってお茶が入った茶碗が落ちて、床にシミを作ってしまった。「どうもシミマセン」と謝ったがもう遅く、ゴザに黒々と沁み込んだのだ。男はこうして「雨の日用の仕事」を増やし、まさに「自給自足」であった。 <続く>
2020.02.22
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<遥かなるリフォーム作戦> 思い切ってプロに障子の張替えを依頼して良かった。私が頑張ってもこんなに上手に行かないのは分かり切ってるし、第一にして「障子滑らし」を上手に張り替えるのでさえ、プロは専門の道具を使って鮮やかにこなす。だから仕上がりが見事なのだろう。 この陰影が鮮やかに戻った。以前は破れたまま。紙も劣化してたのだろうし、前妻が手を突っ込んだ破れも多かった。「空間認識」が衰えたのか、至る所にその痕跡を残していた。風呂の小窓を開閉するハンドル、換気扇のタイマーを壊し、IHクッキングには焦げ跡。その同じ焦げ跡の形が「ヤカン」の底にも。だがいつも「私は壊してない」と主張する前妻だった。 我が家は「軽量鉄骨住宅」。地盤強化工事もしたため、地震の揺れにも強い。そのメーカーの「24年目点検」が今月末にある。だが断捨離と大掃除を自ら行ったことで、幾つかの弱点をバルコニーで発見。今回の点検の眼目は、屋根の塗装の劣化と、バルコニーの防水とか。そのバルコニーの欠陥を見つけたのだ。そして屋根の塗装は、前回の20年点検時に別の業者に発注し、既に済ませてある。 住宅建築メーカーのリフォームは、目玉が飛び出るほど高い。下請け業者からの1割ピンハネは常識。実はそのことに関して、ある業者と相談している。その業者に「直」に発注すると3割は安く上がる。 「住宅建築メーカー」の見積もり後、某業者へ連絡予定。年金生活者はそれくらいでないと、金をドブに捨てるようなもの。極力複数業者と接して、より多くの業界情報を得ることだ。私は「ソーラーシステム」と塗装を住宅建築メーカー任せにしなかった。 別の業者が言うには。「もし私に新しいお嫁さんが来たら、お祝いに好きなリフォームをプレゼントする由」それで新妻のための、リフォームは決めている。そして出来ればとある外構工事も、私とその業者の2人で。そんなことをするのは、出来るだけ長くこの家に住み、この家で死ぬためだ。業者に売れば買い叩かれた上、その代金で買える家などないと思った方が賢明。業者は自社の利益しか眼中にない。 ハイビスカスの鉢 2Fトイレのウォシュレット化は、別な業者に発注予定。ずいぶんお金を注ぎ込んだこの家には、とても愛着がある。出来るだけ長く庭や畑を楽しみたいし、その体力も保ちたい。最後まで私の面倒を見てくれた嫁さんには出来るだけのことをして上げたい。離れて暮らす父など顧みないわが子よりも、最後まで面倒見てくれた血のつながらない妻を大事にしたい。いざとなれば公正証書(遺言)と言う奥の手」もある。<続く>
2020.02.21
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<体と疲れを癒しながら> 3週間にも及んだ断捨離の疲れを取りながら、次々と重要な案件に対処している。お陰様で体調は少しずつ回復しつつある。ひと頃の「曜日忘失」もなくなった。しかし断捨離のどさくさに紛れて、部分入れ歯が無くなった。きっと間違えて捨ててしまったのだ。咀嚼機能の減退は痛く、次の予約日まで我慢だ。 しかし「口唇ヘルペス」の発症には参った。痛みは全然なかったのが、この病気の本質を知って愕然とした。そしてこの治癒を最優先した。だが体に潜むウイルスの完全な駆除は、現代医学でも困難の由。それなら再発を防ぐこと。またパートナーが出来たら、相手に迷惑をかけないことが最優先。眼精疲労用の目薬、総合ビタミン剤の効果もあり、ヘルペスの症状はほぼ消滅。 次に優先度が高いのが、市民税、県民税の申告。2月19日の午前9時と指定されている。関係資料を整え、「医療費控除を申請するための表の作成を急いだ。毎年関係法令が改正され、「控除申請」を極力抑えるための複雑化としか思えない、帳票は区役所打ち出せる。なぜ高齢者に面倒な仕事をさせるのか。 ある夜、1本の電話。業者に和室の障子の張替えを頼んだ。翌日「見積もり」を見てビックリ。普通の4倍ほどの料金。だが今は自分でやってる暇がない。料金は高くてもプロの手に任せたら、立派な仕上がりになる。それに、「断捨離」が終わっても、「破れ障子」じゃね。早速相当額を引き落として準備。 翌日の早朝に、職人さんが来た。石川県出身で、私の10番目の職場があった市の近くで修行された由。これも何かの縁。彼が仕事をしている間、私は庭と畑の整備に勤しんだ。お陰で庭仕事が捗るとともに、良い気分転換に。家の内外が美しくなるのは実に気持ちが良い。 これが裏に積まれた、雑草と剪定枝。これがわずか2日分だから、勢いが強い夏などは、暑いし、蚊に食われるしで、大変な苦行。しかし晴れて暖かい週末で助かった、畑の準備を急いだのには訳があった。ジャガイモの植え付け時期が迫っていたのだ。 その前にやることがあった。大根は土に埋めた5本を掘り上げ、立派な1本を裏のSさんにお上げした。東の畑からは収穫し損ねたジャガイモが幾つか。それらを他の食品と合わせて急遽「おでん」を作った。当意即妙なのがマックス流。 和室2の大小の窓と障子。 和室1の障子と床の間。障子の張替えが終わった。さすがプロの技は凄い。「障子滑らし」も張り替えたので、戸の開閉も楽に。そして今回の「障子紙」は通常の4倍、つまり10年間持つと言う。経費は4倍支払ったが、今後10年間美しいままなら、結局損はない。いやむしろ良いかもよ。 作業中、タマネギと雲南百薬の苗に追肥を施し、南、東、裏の畑を耕し、石灰、発酵鶏糞を施して整地。これでもういつでもジャガイモを植えられる。今回の種芋は早生品種の「インカのめざめ」を2kg購入したが。濃厚な味らしく、収穫し食べるのが楽しみだ。 最後の白菜 今回の土起こしに合わせて、発酵鶏糞2袋、黄色いスイセンの鉢植えを買い、食卓に飾った。庭の雑草取りと植木の剪定、花壇の縁のレンガの組み直し、野茨の除去、芝生の剪定も行えとてもすっきり。断捨離に続く整備で、ますます気持ちが良い。また表具店とは、次の作戦を計画中。<続く>
2020.02.20
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<迷彩服ドクターと「こけし語録」> 宇宙病院で迷彩服ドクターの話を聞き、さらに帰宅後ネットで病気のことを調べてガックリ、これじゃあたとえパートナーが見つかったとしても、一体どんな愛の営みが出来ると言うのだろう、「じゃあオヤスミ」と手をつないで寝るだけなの。あんなに長い期間、家庭内別居に耐えて来たのになあ。 でもその鬱屈した気持ちが「中庭薬局」でこけしちゃんに出会ってから救われたね。私が空前絶後の断捨離を決行したことを話すと、彼女も最近同じような体験をしたと教えてくれた。誰だか分からない初対面の人にだよ。「めんこいね」と言うと「おばあさん」と一言。とんでもないこけしちゃん。 あんたほどの器量なら今すぐにでもお嫁に行けるさ。それに気持ちもとってもめんこくてね。私が名札を覗き込むと、見易いように持ち上げてくれたの。その可愛い仕草に爺さんはすっかりハートを奪われたのさ。そして、断捨離後の家が、美術館や博物館のような感じになったと言うと、見に行きたいと仰る。他のスタッフもおられる中でだよ。爺さんはたまげた。そしてまたもや感激。 そして、それだけの重労働をした後は、太り過ぎに要注意だって。へえあの小保方さんは割烹着だったけど、こけしちゃんは本物の白衣。そして「リケジョ」らしい客観的で適切な意見。これにも感心。私も学術畑の仕事が長かったから、論理的で客観的な考え方は、とても居心地が良い。そしてなんと言う、無邪気さ。遠い昔に観た「ローマの休日」のアン王女を思い出したのさ。あの可憐なオードリー・ヘプバーンをねえ。 この娘はきっと深窓のご令嬢で、上品に育ったのだろう。そのご家庭が偲ばれる。父上は教育者だったのかもなあ。そして私がブログをしてると言うと、自分もしたいと言う。そこでブログ名を殴り書きしたメモを渡すと、「きっとコメントするね」と彼女。本当なら嬉しいんだけど。 その夜、爺はブログを確かめた。だが待てど暮らせど、こけしちゃんからのコメントはない。何日か経ってから爺は考えた。ひょっとして、コメントし難い内容だったかもなあ。そこでランニングの話を書いた。それはたまたまそんな巡り合わせだったんだけど。そしてらありましたよ。本当に書いてくれたんだねこけしちゃん。そして「私も前に進みます」って。彼女の身の上に一体何があっのだろう。 天が三物も四物も与えたこけしちゃん。きっと彼女に相応しいジェントルマンが直ぐに現れるはず。もしもそうでなくても、彼女なら独り立ちできるだろう。さて本日14日は庭と畑の整理。明日15日は障子の張替え。19日は市民税、県民税の申告で、20日は俳句教室。月末は住宅メーカーの「24年時点検と。今月は猛烈に忙しく、重要事項が目白押しだ。 ようやく体調が回復して来た。でも「中庭薬局」に寄るのは、遠慮しよう。ふと薬の袋をみたら、彼女の丸い印。ああ懐かしき名前よ。こけしちゃん、ひと時の夢をありがとうね。そして限りなき前進をされますよう。ではお元気で。たった1日だけのわたしのアン王女さま。 <完>
2020.02.19
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<3度目の正直> ついに「宇宙病院」に行く日が来た。ところが生憎の氷雨。合羽を着てフル装備。何分わが家からは直接的な交通手段がない。それでどうしても自転車になるのだ。場所は知ってる。病院の前に一番乗り。まだスタッフは誰も来ていない。それから2人3人とスタッフが来、最後に「迷彩服」を着た若い男。するとあれが院長か。どうやら雨中をバイクで来た感じ。9時少し前、ついに皮膚科の扉が開いた。 ふ~む。やはり宇宙ではなく、ここは普通の病院みたい。受付へ保険証、お薬手帳を提出し、初診なので「問診表」に記入。「質問があればどうぞ」とあったので、そこにも口唇ヘルペスなどに関しての幾つかの疑問を記した。予めトイレに行き、診察に備えた。 院長と直接面談しながらの診察。今の症状を全治するには5日分の内服薬を飲めば済む由。次いで「質問OK」とのことだったので、口唇ヘルペス、性器ヘルペス、帯状疱疹の特徴と治療法、今後の注意及びパートナーと接する際の注意などを聞いた。そのものズバリなので若い院長は驚いたようだが、大学病院に3年、国立大学の医学図書館2か所に勤務した私にとっては、別に驚くほどでもない常識程度のことだ。 次に向かったのが例の喫茶店みたいな薬局。普通なら行かないが、ここが皮膚科に一番近いので良いと咄嗟の判断。そこが「ワンダーランド」の入口だった。処方箋を渡しながら私は症状が出るに至った経過を必死に話した。驚くべきここ3週間の激務。そして「新生」への強い願望。それを初対面の女性に向かって必死に訴えていた。それを嫌がりもせずに聞いてくれたのが「こけしちゃん」だった。<続く>
2020.02.18
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<融通の利かない院長> 受付へ診察券と保険証を提出。「その後お変わりありませんか」と微笑む係の人。ああ大変なことがありましてね、目の前が真っ白になって見えないんです」。それから待たされること2時間あまり。持参した新聞も本の字も見えないため、頭の中で何かを想像するしかない。そして時々はトイレに。ようやく名前が呼ばれて検査室へ。いつもの眼圧測定と、念のための視力検査。案外見えたのが意外だった。 マイPC またかなり待たされてから診察室へ。ドクターに症状を訴えても「でも視力は出てますから」の一点張り。ずっと前から私の訴えは聞かず、眼科医としての診察結果だけを言う。これまでも緑内障のことを尋ね眩暈を訴えても、それは「耳鼻科の領分」とだけ。私は両目の焦点距離が違うため、物が二重に見える。それが眩暈の原因になるかと尋ねたのだが、相変わらずの石部金吉。最後に「眼精疲労」を取る目薬の処方を頼んだらそれは聞いてくれた。 PC脇のお菓子など 受付へ戻って「眼科専門医検定状」を見る。副院長の奥様も同じ眼科医で3歳年下。こちらの方が柔軟な印象。東北大学の眼科教室はまだ木造建築だった頃から知っていた。主任教授は確か「桐谷」だったかなあ。場所は1階の東端に行く最初の曲がり角。私はかつてそこの医事課に勤務していた。もう55年も前の話だ。次回の「視野検査」を予約し、診療費を支払い、処方箋を受け取る。 幼き日の孫たち 隣の薬局で緑内障用の目薬2本と赤い眼精疲労用の目薬1本を受領。こちらは1日4回点眼して良しとのこと。これで何とか助かった。途中HCで灯油の給油ポンプ、種ジャガイモ「インカの春」2kgを、スーパーでコロッケ、お茶、和菓子などを購入して帰宅。いやはやこの日は予想以上の大遠征となった。そしてその夜から雪が降り、翌日の新年会会場へのランの準備を始めた私だった。<続く>
2020.02.17
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<ネットで探した病院はいずこ?> 3週間以上ぶっ通しで続いた断捨離作業はほぼ目途がついたが、まだやり残していたことが幾つかあった。それに気がかりなこともあった。それは5年ぶりに発症した「口唇ヘルペス」のこと。ネットで調べたら案外しつこくてヤバイ感じ。それで是非とも皮膚科を見つけて受診し、症状を全快させようとする試みだった。それは自分自身のためだけでなく、まだ見ぬパートナーのためにも絶対に。 先週土曜日の夜、区内の皮膚科をネットで検索した。ヒットした中で住所が分かる医院を、今度は地図情報で検索。地下鉄の駅前と言う大きな目標はある。だが今一場所が特定出来ない。これは前もって日曜日に確認しておく必要があるな。そう判断して自転車で出かけた。想定通り実に分かり難い構造のマンション。どうやら2階に歯科と皮膚科があるようだが、階段が幾つもあって何とも不可解。そして中庭にはまるで喫茶店みたいな薬局があるのを知った。ああこれじゃ「不思議の国のアリス」だよなあ。 待望の月曜日になった。早速喜び勇んで皮膚科へ。なんと「宇宙」めいた名前の医院。この日も迷いに迷って探し当て、皮膚科の前に行くと「本日院長の体調不良のため休診します」の張り紙。何なのこの皮膚科は。本当にやる気があるんだろうか。やっぱりここは宇宙だったか。ガッカリした私はキッパリ諦めて眼科へ向かった。緑内障用の目薬がほとんどない。それに連日の重労働で目が見え難い。どうしても目薬をもらう必要があった。<続く>
2020.02.16
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<マックス爺大いに吠える> ランパン 走友会など団体への所属が必ずしも良いことばかりとは限らない。在る年のあるレース後、10も若い後輩がいきなり「〇さん評判悪いですよ」と私に言った。なぜそんなタイミングでそんなことを口にしたのか。多分自分が完走出来なかったはらいせだと私は直感した。そして「裏で悪口を言ってるのはお前だろうが」とも。それは彼が別な時に「〇さんは走友会を利用してる」と言ったのでも分かった。 ランシャツ こいつはよっぽどの馬鹿。そして転勤族の苦労を知らないなとも。と言うのは言われた当人は中部地方から仙台に赴任した転勤族。そしてわが走友会にたどり着いて入会した次第。走友会など「利用してなんぼ」のもの。すべからく利用するためにあるのがそもそも走友会の役割。それを会の中心に据え熱心に会員を勧誘している走友会が存在するほど。利用するための走友会で一体何が悪いのか。 そもそもその当人が一番便宜を得てるはず。彼は誰かと一緒じゃないと距離の長いレースを走れない人。私はそんなのが大嫌い。ウルトラは1人で走ってなんぼの世界。コースに迷うのも、地図を読み解くのも、食料や水分の調達、どんなペースで走り、無事にゴールするか。それを自分だけの判断で最後まで走り切るのがウルトラマラソン。それを他人の援助にすがってしか走れないなんてウルトラランナーとは呼ばない。 ウインドブレーカー こんなこともあった。その1年間、ずっと私に負けっ放しだった12歳も年下の男が、行事で写真を撮る際、私の前まで来るとくるりと引き返す。そんな訳で、私の写真はそれ以降走友会のHPには1枚も載らなくなった。何と言う度量の狭さ。ケツの穴の小さな奴ばかり揃ってるとはなあ。私の完走記は実に詳細。だが嘘は書かない、その文章で心理分析までされてよほど悔しかったのだろう。 この日も4つ年下の男を叱った。4歳違えば少年時代の状況がまるきり異なる。都市と地方では食糧事情が異なるし、仙台には進駐軍が常駐し、朝鮮戦争と同時に、米軍の射撃演習が郊外で始まった。食えない家では娘が「パン助」になり、男は「闇屋」で食いつないだ。生きるか死ぬかの時代だった。ところが「ランニング馬鹿」は歴史も文化も学ばない。人は何時か老い、何時か死ぬ。いつまでもランナーで通すのは無理な相談なのだ。 ある人が今年は北海道を自由に走る計画中教えてくれた。1520kmの「本州縦断フットレース」を完走した強者が、70を目前に果敢に自分の夢を目指す。エベレスト走った81歳の長老。昨年100kmを完走した80歳の長老。膝を傷めた84歳の長老。かつての勢いがなくなったことを憂い、もう会合に顔を出さないかつてのスピードランナー。老いは誰にも平等に訪れ、いつしか体力も弱るのが宿命か。 「ムンバイマラソン」に行くと言ってたA山さん、Y野さんはどうだったのか。インドは1月でも30どを超えるだろうが、心臓の悪い2人が無理してなければ良いが。私も誘われたが「大連旅行」を優先した。「仙台鉄人会レース」を今年は形を変えて再出発させるとF氏。スタートが朝6時なら「10時間走」か。あのコースでそれは厳しいねえ。しかし新年会でT田氏と飲んだ酒は旨かった。 S氏とは昨年死んだ彼の兄の話をした。兄は高校の3年後輩。彼ら兄弟とは実に不思議な縁で結ばれていた。人生とは不思議だね。弟は私の愛犬の名前を出した。三神峯公園で花見をした時、私が連れて行ったのだ。その愛犬が私の腕に10時間抱かれて死んだことを教えた。家族で唯一私を裏切らなかった愛犬。ありがとうわが走友たち、これからもどうぞよろしくね。 文中敬称を略しました。 <完>
2020.02.15
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<映像編> 永遠のマドンナ。まあどんな? まだまだ元気でランニングライフ!! みんな笑顔が素敵だよ。 私(右)とレバノンへ逃れたゴーン氏(?) みんなのお顔も真っ赤っか。 81歳のM仙人(左)と新役員のS君、お疲れ様で~す。 Yさん福島原発からの避難、お疲れ様でしたね。一緒に飲んだ「銀河ビール」懐かしいなあ。 K野さんM井さん役員お疲れ様でした。白髪が増えましたねKさん。 K山長老は84歳、M仙人は81歳。まだまだ走るそうです。凄い先輩たちに大きな拍手を。 昼の酒は効くねえ。もう腰がフラフラ。お開きはまだなの。もうちょっとだよ。 記念撮影その1。最前列の左側が私。みんな良く飲みましたね。 記念撮影その2 ちゃんと前向いてよ、おんちゃん前会長~っ!! <続く>
2020.02.14
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<総会そして新年会へ> やっぱり天然温泉は良い。眼下の名取川の清冽な流れにも癒された。本当はもっとゆっくりお湯に浸かりたかったが、そろそろ総会が始まる頃。もう送迎用のバスに乗って、仲間が大広間で待ってるだろう。 それにしても良く今の体調で、幅が40cmもない粗雑な小径を走れたものだ。あそこは散々練習で走った小径だし、雪もまだあんな程度だから危険性は全くなかった。もし怪我するとすれば、それは自分の不注意。9kmくらいあるかと思ったが、実際に走ったら6.5kmから7kmの間だろう。自分の勇気と判断力に拍手。十分注意しゆっくっりとなら、これからもまだランを楽しめる。男はそう確信した。 総会中の役員たち O川会長はじめ真剣な表情の執行部。すでに会長の挨拶、昨年度活動報告、会計報告、監査報告が型どおり終わっていた。会費を値下げしたためかなり財政は苦しそうだ。議題は新年度の活動計画案に移り、活動計画と年間予算案がそれぞれ会長と会計担当役員から説明された。 総会遠景 新年度活動計画案に関する質疑及び討議に移り、今後は経費と事務省力化のため極力「ペーパーレス」を目指すことになった。会の正式な行事として残すものの決定、役員の退任と東京から仙台に赴任したS水会員が新役員となること、および退会した会員名が披露された。私が参加出来なかったここ数年の間に、大きな時代の流れと会員の高齢化が進んだことを意識させられた。 戯れるAさんとKさん(新年会にて) 最後に私が緊急動議を出した。それは財政難の走友会に寄付すること。OKみたいなので直ちに財布から2万円を出して提供。ビックリする仲間達。「宮城UMCには?」とKさん。そう来たか、それならとさらに1万円をKさんの手に。本日の会費+3万円は大変な出費には違いないがここ数年間。私は全く会の中では異邦人。そのくらいは安い物。それにウルトラマラソンなら1回分でそれぐらいする。だからこの新年会&総会はが自分にとって久しぶりの「ウルトラ」に参加したと考えれば済む。 こうして予め準備された議題は全て討議され、挙手による賛成多数で全議題が可決された。この後はM井会計担当(左)の司会で、新宴会の部に突入。一気にアルコールの海に浸かるのであった。だがそこでも厳しい声。「値段が高いビンビールは極力抑えました」と天からの一声。それ以降は「プシュッ!」と言う缶ビールを開ける音が大広間に響き渡ったのであった。 <明日に続く>
2020.02.13
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<いざ雪道へ> 所属走友会の新年会&総会の前夜、雪はしんしんと降り続いていた。あれまあ。これは想定外のことが起きた。でも明日は何としてでも行く。男が一旦口にしたことは何が何でも守る必要がある。それだからこそ生きる価値がある。そう思って深夜にランニングの準備を始めた男だった。先ずは最悪のケースを考えての服装。明朝までにどれくらいの積雪になるか。そして足元は、そして西風対策は。 朝が明け、外を見てビックリ。庭は一面の銀世界。なるほど。これなら走れる。だが問題はあの峠道。あそこさえクリヤー出来たら、後は峠からの下りに注意すれば何とか行けるだろう。男はそんな風に考え直した。しかしこんな日にこの冬一番の大雪とはなあ。だがウルトラマラソンなどしていたら、こんなハプニングなんてしょっちゅうだ。それに対応するのが本物のウルトラランナーではないか。 時間の経過と共に気温が上がり、道路の状態が変化した。ふ~む。これなら重装備は必要ない。そう判断した男は折角前夜準備した荷物を全部解いて、改めて服装と荷物の中身を変更。もう道路の雪は融け始め、グチャグチャ状態。厄介だが、それも自然現象のなせる業。ランナーはそれに合わせて走るだけだ。9時ジャスト家から走り出し、自販機でホット紅茶を購入。もちろん道中の水分補給用だ。 街中は難なく通過し、いよいよ問題の峠へ。人が走れるのは右側の狭い歩道。到底歩道とは言えない狭い幅しかなく、足元はデコボコで横から木の枝が邪魔をする。車道は元国道286号線。これが狭くて車が多いため走る訳には行かない。だからこの真っ白くて狭い空間を行くしかない。でもここは30kmから最長77kmまでの私のかつての練習コースで30回は走っている。だから走れるのだ。 徐々に標高が上がる。たまに広い箇所があるが、こんなのはごく一部。時々車道の様子を窺い、車が来ない時だけ車道の端っこを走る。さすがに下が安定して走りやすい。でも車が来たら再び「獣道」へ。その内に車道の雪が融けて水たまりに。そこを車が通れば、当然泥水が撥ね飛んでズボンを濡らす。それもまた想定内。せめて脇の木の枝が掃われていたら、さぞかし走りやすいだろうと、思うのだが。 数kmの峠道はやがて下り坂となり、間もなく「山神」などの石碑が立つ場所まで来た。ここまで来たら後はちゃんとした歩道になる。一安心し、山に向かって放尿。ふむふむ。これで大丈夫。国道との合流地点までさらに下る。そして広い国道の広い歩道へ。ここまで来たらもう安全。横断歩道を2つ渡って道路の向かい側へ。そこから左折すると、あとは会場の温泉までは一本道。雪があっても走れる。 10時20分会場へ到着。開会は11時なので十分間に合う。部屋に荷物を置き、着替えなどを持って早速温泉へ。ここは何年ぶりだったか。サラサラして気持ち良い泉質。目の前の山も川岸もすべてが真っ白。昨年の大雨ではここが氾濫しかけたと聞いた。今はとても静かな流れに戻っている。体を洗ってお湯に浸かり、大急ぎで部屋へ戻ると、既に「総会」が始まっていた。着替え後、その席へ。<続く>
2020.02.12
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<模様替え> 拡大鏡 突然じゃが、デザインを変えた。今回の「断捨離」で腰と肩を傷め、5年ぶりに「口唇ヘルペス」を発症するほど体調が悪化。疲労のせいか、目が霞んであまり見えない。そんな中でブログを続けるため、少しでも字が黒く見える方が助かる。指の動きが悪く、変換ミスも増えた。そんな訳なので、どうぞヨロシク。 工具箱 そんな私に対して、しつこく「ポチ」(応援)を迫る人がいる。そんなのは友じゃない。最初から命令口調で「ポチ」を迫る人だった。それは人に物を頼む言葉じゃないだろう。そう言ってやりたかった。恐らく「名古屋のなんとか爺」を真似たのだろうが、トンデモナ。それならポチと結婚したら良いのだ。ずっとポチと一緒にいられるからの。 辞書用書架 日曜日は、午後から浴槽、洗面所、1Fトイレの床を拭き掃除。夜は辞書用書架を釘で打ち付け、、工具箱2個を総点検し、不用品を捨てた。その夜は早めの睡眠剤。それをすっかり忘れ、夜中にもう1錠飲んでしまった。忘れっぽくなったなあ。。それが大騒動の引き金だったとはなあ。 深夜異常を感じて起きた。トイレだ。そこでトイレへ行ことしたが方向が分からない。室内は真っ暗で、鉢物置き場所を変えたばかり。この日は物干竿まで使って、大量の洗濯物を干していた。それが「寝ぼけた爺」にはジャングルに思えたのだから不思議。洗濯物。カーテン、植木類などが森で、自分は迷い込んだ小人。そのうち下腹部から暖かい液体が。何なのコレは一体 切手アルバム 不覚にも夢の中でお漏らしした爺がやっとトイレを探し当てた時、残量は半分ほどに減っていた。それでも、パジャマ、下着など一式を洗濯機に入れ、風呂の湯で体を拭き、寝ぼけながらも洗濯していたんだと。翌朝爺が見たのは。開いたままのガラス戸。だがシャッターが下りていた。だから外へ出られなかったんだねえ。やれやれ。 籐籠(とうかご) 翌朝、勇んで爺は皮膚科へ出かけた。この日も実に寒い朝での。手袋などしてないも同然じゃった。それに訪れたビルが複雑で肝心の医院が見つからん。ようやく探し当てた時、病院の玄関に「本日ドクターが体調不良につき、休診します」だってさ。まさに第二の悲劇じゃった。 それでも爺はへこたれない。帰宅するなり、ベランダの汚れ落としじゃ・寒空の下で軍歌を歌いながら床をこすっておったら、裏を通る人が一体何ごとじゃと振り返っておったぞ。そんなに俺の声が良かったかのう。続いて爺は玄関周りの汚れ落としじゃ。畑や植木鉢の土が付着し、黒ずんだりカビが生えて厄介。最後にバケツの水を流して、思わず快哉を叫んだ爺じゃった。 この日の昼食はパンじゃった。と言っても食い忘れた古い食パンじゃ・先ずトースターで2枚焼き、そに野菜サラダとアジフライを挟めば完成。ブドウパンも同様に焼き、爺特製のユズジャムとピーナツクリームを塗ったんじゃ。「人はパンのみにて生くるものに非ず」。聖書にそうあるが、爺はレモンティーも飲んだぞ。 <第11回「立山登山マラニック」の参加賞の手ぬぐい> ここからは11日(火=祭日)の話。今日は所属走友会の新年会&総会が近郊の温泉であるんじゃ。爺は送迎バスには乗らず、自力で行くと既に連絡済。ところが前夜の11時現在で8cmほどの積雪。今朝は今年一番の大雪じゃろう。「立山登山マラニック」か「八甲田山死の彷徨」の二の舞じゃ。ふぉっふぉっふぉ。 では皆の衆サラバじゃ。達者での。もし生きて帰ったらブログを書くし、雪に埋もれたら春までお別れじゃ。これは久しぶりに凄い体験が出来る。「コロナ新型ウイルス」どころの騒ぎじゃないぞ。吾輩はもう英雄じゃ。まあ足が凍傷で腐ってしまわねば良いが。ではサイナラ、サイナラ、サイナラ。さあ今夜はオシッコ漏らさないよう、もう寝よ。<さてこのシリーズが今後も続くかどうか。じゃあね。
2020.02.11
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~月と雪と氷~ 昨夜遅く、風呂に入るため脱衣所に行ってビックリ。何と床がきたない。裸でも構わず、濡らした雑巾でごしごしと床を拭いた。汚れが落ちたのか、かなり雑巾が汚い。どうしたことだろうと思って、風呂から上がった後も裸でゴシゴシを続けた。しかし不思議なことがあるものだ。きっと雑巾が汚れ過ぎて逆に汚くなったのかも知れない。翌朝の洗顔時にも男は気になって、もう一度床を拭いたんだと。 目が覚めたのは日曜日の朝4時。まだ4時間も眠ってない。それなのになぜそんな時間に起きたのか。実はこの日は月に1度だけの「資源ゴミ回収日」なのだ。それでガレージに積んだ資源ごみを一気に片付けたいと思ったのだ。そして車で往復して運んでくれると言ったKさんとの約束の時間は8時。それにしてもあまりにも早過ぎるこの日の起床だった。早速男は着替えし、布団を上げた。和室の障子を開くと、真冬の空に煌々と輝く月が出ていた。これはブログネタにちょうど良い。男はそう呟いた。 4時55分、1回目の血圧を測定。147の89、脈拍62。連日の疲労と寝不足の割には悪くない数値だった。このずっと後、全ての作業を終えた後8時15分の測定時は、130の86で脈拍63だった。寒い早朝の激務にも関わらず、依然として好調な様子に、男は一人笑みを浮かべた。 これが昨日の朝食。1)刻んだキュウリとシソの実の漬物、シナチクが乗っかったご飯。2)具沢山スープ。3)アジフライの小片、野菜と豚肉のケチャップ炒め。4)納豆。6)大根おろし。7)さつま揚小2個。8)トマト、キュウリ、ピクルス。9)果物はリンゴの小片2とミカン1個。男は途中一度だけ咽たが、それでも最後まで食べた。一片アジフライだけは残したが、大作業を前に良くぞ食べたものだ。 朝食を食べ終えた男が口内の掃除をしてた時、ふと気づいた。あれま、前歯の隙間に何かの骨が挟まってるぞ。そこでやおら小さめのピンセットとフロスを手に持ち、懸命に除去作業に励む男。だがあざ笑うように依然として骨は退こうともしない。最後にフロスで何とか取れた、出て来たのはアジの中骨。ほほうこんな物が。忌々し気に男は続けて朝食後の薬を飲んだんだと。6時ちょうど、いよいよ外へ。 一口水を飲み、男は先ずトイレへ。ズボンは二本ともひも付き。立ったり座ったりの作業でズボンが落ちないよう、紐は硬く縛ってある。こんな寒い朝は直ぐにトイレに行きたくなるんだが、ズボンを脱ぐ時が危険帯ってわけ。それで用心のためにまず済ませた訳さ。もう外は明るくて、懐中電灯は不要だった。それに男の自転車は周囲が暗いと勝手に点灯する仕掛けなんじゃよ。オッホン。 コラマテ慌てるな。こんな時は先ず準備だ。大きめの大きな本を手前に集める。そしておおまかに分類してしておくだよ。男は元大学図書館員らしく、「分類」と言う言葉を使った。これが後後ジワジワ効いて来て、作業効率がぐっと良くなったんだと。そして男は自転車の荷台には分厚くて丈夫な「チューブ」のロープでしっかり固定した。 そして前の籠には軽めの物を丁寧に入れる。それで前後左右の安定を図るんだよ。そして重心が真っ直ぐだと、雪道でも大丈夫。それにこの程度の新雪ならほとんど滑らないことを、男は体験的に知っていた。そして資源ごみの数隻所でも、男は運んだ物を最初からきちんと場所を分けて、丁寧に積んで行ったのさ。自分のが入るだけじゃなく、町内の方のスペースもちゃんと空けて置いたんだねえ。ここでもまた男は「分類」と自慢そうに頷いたのさ。 7時。一旦家に帰ってトイレに入った男が何かの音に気付いた。こりゃまずい。これは水道が凍るぞ。そして慌ててトイレの中にある「弁」を締めた。それは屋内水道の凍結予防のための装置。それが一瞬の機転で間に合ったらしく、「キンキン」言う金属音がやがて聞こええなくなって来た。次に男は「外水道」へ。だが既に遅く、バケツの水も外水道の蛇口も、完全に凍ってピクリともしない。零下5度以下に下がる日、外水道は予め「水抜き」する必要があるんだが、忙しさに紛れて男はうっかりしていたのだ。 7時30分、全作業終了。もうガレージに「資源ゴミ」の山はない。夜はすっかり明け、実に清々しい朝だ。町内会の人も何度か私を不審げな目で見ていたが、ちゃんと自分たちの「スペース」が確保されているので、文句のつけようがないのだ。ワハハ、ワハハ、ワハハ。やった、やった、ついにやったぞ~。 7時35分。屋内水道の凍結が解除され始め、やがて音を立てて水が流れ出した。こんな時は一気に噴出するため、やはり「弁」は絞る。あちこちで水が「暴れる」のを防ぐのだ。その時トイレの床も汚いことに気づいた。洞のお湯に手を突っ込んだ時、浴槽の汚れに気づいた。「これはひょっとして、原因は白髪染めか」と。 私の推理はこうだ。ある夜、私がした白髪染め薬が何かの理由(恐らくは汗か」に混じって浴槽に入り、そのお湯を使って拭き掃除をした結果、きれいにするんじゃんくて、逆に床を汚したと考えるのはどうだろう。それほど「白髪染め」は落ちにくい証拠だが、逆に困る場合もある。似たような例がベランダ。真っ黒になった水でいくら雑巾で拭いても、逆に汚したケースはなかったか。 しゅうりょうご 作業終了後、Kさん宅へ作業を終えたことを報告しに行った。「あんな重たい本をどうして」と訝る彼に私は言った。「俺は大学図書館で長く働いて来たので、本の扱い方は良く知ってるの」と。彼は一瞬呆気に取られたようだ。手伝うとは言ったものの、あれだけの作業をしたら体を怪我する恐れもあった。その山が消えてないのだ。「私は今朝4時起きだったので」そう言うと、彼はさらに驚いたようだ。 「皮膚科」を探しに自転車で家を出た時、集積所の前では軽トラの荷台で親父が張り切って働いていた。良くもこんな立派な本を出したなあ。これは相当儲けたぞ。きっとそうほくそ笑んでいたことだろう。私が念願の皮膚科をついに見つけ、ついでに買い物まで済ませて帰宅した際に見たら、集積所にはもう一切の資源ゴミの姿はなかった。ハハハ大成功。そして今朝は早くから皮膚科へ行って来ますね。では。 <注>挿絵は今年のカレンダーから借用したmものです。<不定期に続く>
2020.02.10
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~最後の力を振り絞って~ < 洋間1 花器 > 土曜日も整骨院で眠ってしまった。帰路はゆっくりと走って帰る。距離は1kmもないが、こうして走れるのが良い。整骨院の先生は「筋トレとストレッチだね」と言う。まさにその通りなのだが、今は必死で断捨離を続けてる。帰宅後は2階の全ての窓のレールの拭き掃除。レールの溝に、土や汚れが溜まってて汚い。 < 洋間3 ブドウの陶額 > 次にベランダの床の清掃。2回目だが今回は硬化プラスチックのマットを全部外し、芝生に投げ落とす。軽い掃き掃除後、洗剤に浸した雑巾で拭くのだが、たちまち真っ黒に。それを何度か繰り返し、最後にはブラシを使ったが、あまりにも水が汚れていて効果が乏しい。比較的きれいな布地で拭くと、こちらもたちまち真っ黒け。やらないよりはマシだが、やはり水を取り替えるべきだったと反省。 急に思いついて、物置小屋の掃除を開始。色んなガラクタを全て外へ出して清掃。必要なものだけを残して、清掃後の小屋に収納したら、何と気持ちの良いことか。長男が捨てて行った衛星放送用のアンテナなども分解。最後にベランダのマットも分解してゴミ袋へ。これでゴミを一掃だ。 これがこの日出たごみの山。左側が巨大ゴミ袋の燃えるゴミ6袋分。右がこの日出た金属類2袋分。 夕方近くなってからHCへ自転車で。途中皮膚科の看板を見かけたので、HCに到着後病院名をメモ。この日買ったのは、掃除道具各種。新しい箒も角型ハンガーも新しい物に。古くなると劣化して洗濯ばさみ部分が壊れやすくなるためだ。帰宅後皮先刻の膚科をネットで調べたが、その病院はあったものの、そこに皮膚科はないようだ。あの看板は一体何だったのだろう。それとも疲労がなせる業か。 夕食後、前日買ったキャスター付きワゴンに簡便な「取っ手」を取り付けた。これもこの日HCで買ったものの1つ。これで楽に運べるし、両手で持ち上げることが出来便利になった。セメダインで、表面のめくれた部分を接着。まあ現品限りの半額品だが、手を加えれば結構楽しいではないか。夕食後区内の皮膚科をネット検索すると、比較的近くにあり月曜日受診の予定。今朝は「資源ゴミの搬出作業。お向かいのKさんの車で往復していただく。収容所がわが家だけで満杯にならねば良いのだが。<続く>
2020.02.09
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~体調は回復傾向へ ~ 木曜夜放送の「プレバト」俳句編は見逃せない。さて、その夜は思いついて「鍋」にした。出汁は豪快に「鶏ガラ丸ごと1羽分」。肉がほとんどないため、茹でて脂抜きした「白モツ」を。これに葉物野菜、キノコ、長ネギ、豆腐などを放り込んで具沢山。これがなかなかの味で「締め」にうどんを入れていただくと、これまたグー。久しぶりに「平らげた」感じがした。 金曜日も整骨院で眠ってしまった。まあ眠れるのは良いこと。帰宅後、和室、居間、2Fクローゼットを掃除機で。1F2Fのフローリング部分をモップ掛け。お日様が出てから、ベランダの手すり一杯ににずらりと4枚の布団、枕2個を干す。半分はピンクなので、近所の人は「何事か」と驚いたはず。実に壮観な眺めだったはず。物干ざおに毛布敷布」を2枚干す。これでフカフカ感が増すはずだ。 植木鉢を通して見た前庭 居間の窓辺の植木鉢を一旦全部移動して、これまでのテーブルの台を外へ。代わりに銀色の敷物。改めてその上に植木鉢を移動。こんな作業をしたのは、前妻が買ったこれまでの大理石製が、重過ぎて運べないため。「見え」で高価なものを買っても人は老い、必ず体が弱る時が来る。体に負担がかかるようでは論外だ。 これが「高級テーブル」の末路。大理石は庭の「雑草除け」になった。表面を下にし、ザラザラ部分を上にすると踏んでも滑らない。これも用心のためだ。4本の脚はカンガルーのではなく、テーブルを分解したもの。この後はゴミ袋に入れられ「燃えるゴミ」の日にお別れ。これでスッキリし、安全になった。 棟方志巧の渋~い版画 1Fの窓のレール部分と裏側の窓枠を拭き掃除。「住まいの洗剤」を浸した雑巾を長い柄にひもで縛り、網戸を拭いた。次に前日の作業で汚れたガレージの樋の泥をブラシで落とし、踏み台を使ってガレージの「梁」の汚れも拭いた。たちまちバケツの水が真っ黒に。次は布団などの取り込み。かなりフカフカになっていて嬉しいな。 午後思いついてHCへ。大型スーパーに寄るか迷ったが、先日来通っているHCを優先。探したのはキャスター付き小型テーブル。ソファーでお茶を飲む時、こんなテーブルがあったら便利。それが「現品限りで半額」の掘り出し物が(右)があった。値段は捨てたテーブルの約50分の1。良い物が見つかって最高。これでKちゃんとお茶出来たら楽しいね。 窓辺の小物 朝「毛布敷布」の上の小さな異物を派遣。形と大きさから、ひょっとして唇の瘡蓋(かさぶた)かと一瞬狂喜。唇を触れると、確かに以前よりつるつるだが、完治ではない。完治のためには皮膚科で治療を受け、内服薬をもらう必要があるとネットで判明。完治させないと、パートナーに伝染させる危険性がある由、来週早々必ず皮膚科へ行こう。自分のためだけじゃなく、Kちゃんに迷惑をかけないためにも。 シュガー容器 残った作業は、ベランダの掃除と花瓶の再配置くらいか。体も楽になるはず。来週の火曜日は所属走友会の新年会兼総会。会場までは自力で行くとメールしてある。で、9kmを走って行く予定。それまでに何とか体調を戻したい。この夜も「鍋うどん」となった。さて今日の日曜も有意義に過ごそうね。<続く>
2020.02.08
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~ついに病魔現る~ 下駄箱の上 (1) 前夜の整理作業はその後も続き、下駄箱の上が埃だらけなのに気付いた。そこで元「ピアノ掛用の敷物」の陶磁器類を全部移動させ、掃除した。これは下駄箱の上の左半分。一見和紙の箱らしいものには、小荷物受領用の認印と朱肉、花切り鋏、自転車の鍵などが入っている。花器台は屋久島杉の根っこで、白い壺は山形の高清水焼。山形勤務を終えた時の記念品だ。 下駄箱の上(右半分) 右半分はほとんどが沖縄の焼き物が中心。シーサー3種。抱き瓶(だちびん)など。一番右のシーサーは沖縄勤務時の職場の走友からいただいた特注品で、職場の走ろう会の名入り。 玄関のマチスはこれに入れ替え。人物のシルエットが鋭角的なところが良いと感じて。他のマチスの絵は全部棟方志功の版画に取り換えた。残り物を確認したら、やはり志功の版画の芸術性の高さは別格と感じたため。4点を選んで、サイドボード横、1Fトイレ、キッチン、デスク周辺に。これで一段と家の中が美術兼博物館の様相を呈して来た。本当に楽しい作業だ。家の中はこうありたいね。 木曜日は、仙台も久しぶりに雪の朝になった。整骨院へ歩いて向かう際に、愛犬「ヘバ」を連れて散歩中のT杉夫人に遭遇。私に良く声を掛けてくれる人。私もこの犬が好きで良く頭を撫で、夏は野菜を届けている。帰りにはS藤夫人と遭遇。退院後はずっと家におられ、話したのは4年ぶりくらいか。お互いに健康に気を付けて頑張りましょうと「エール交換」独り身の私にはとても嬉しい隣組の気づかいだ。 サイドボード側面の棟方作品 朝食後、自転車で近所の薬屋へ。ネットで「口唇ヘルペス」の市販品があると聞いたため。この病気はとても厄介で、普段は身を潜めているのに、過労などで抵抗力、免疫力が落ちた時に突然現れて牙を剥く。断捨離作業中は睡眠不足がちで、体重が2.5kgほどの減。また、血圧上昇、軽い不整脈、胃もたれなども起きて、数日前から唇にピリピリ感があった。 薬剤師が常駐していると言う薬局は私が行く眼科の付近。薬剤師と話して右側の塗り薬を買った。本当は皮膚科で治療を受けた人のみの販売とか。私は帯状疱疹で診察を受けたことがあるので、適当に話を合わせてゲット。使える期間は最大1Wだけとのこと。う~む厳しい。左はその前に寄った薬屋で勧められた総合ビタミン薬。結構高いが、こちらも効いてくれたら嬉しいね。 今回出た資源ゴミ 午後は予定を変更して、和室及び物置小屋に集めていた資源ごみを、全部運んでガレージに積んだ。それを見ていた向かいのKさんが、「こんなに量があったら大変だから、収集日には彼の車で何度か往復すると言ってくれた。朝の2人のご夫人と言い、夕方のKさんの声かけと言い、実に有難い話。同じ班にこんな善意の方が何人もおらる嬉しさよ。早くKちゃんも来て、同じ班に入って欲しいな。 志功の小品と職場の記念絵葉書(手前) その後、ガレージの樋に詰まった泥の撤去作業。気温がどんどん下がり、樋の泥は半ば凍っていた。その冷たい塊を必死で手で掻い出す。たちまち軍手が真っ黒け。手が冷たい。風が冷たい。その寒さに耐えながら最後まで頑張り、ついでにバラの伸びた枝も剪定。予定外の作業だったが、これでまた一歩前進。後は2Fクローゼットの掃除のみか。今夜こそグッスリ眠りたいねえ。<続く>
2020.02.07
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<夢か現実か> 藪椿のツボミ 昨日は朝から氷雨だった。恐らくは日本海側の雪雲が強い西風に乗って仙台上空へ達し、太平洋側で雨に変わったのだろう。その雨の中、歩いて整骨院へ。今日は施術中に眠ることはなかったが、さすがにもう先生も私の断捨離の話は聞かなかった。何せ行く度に毎回毎回断捨離話では、いくら大切な患者とは言え、彼の耳にもきっと「たこ」が出来たに相違ない。 <庭の山茶花1> 帰宅後、早速居間に掃除機をかける。大事な作業前に床の汚れを少なくしようと思ったのだ。何せ家の中は半月続いた断捨離作業のせいで、汚れに汚れていた。その汚れが付いたスリッパで方々歩き回るため、居間のカーペットにも色んな付着物が。それで徹底的に「はたき」をかけ、掃除機をかけ、フローリング部分はモップをかけ、木製品は洗剤がついた雑巾で拭いた。 <庭のミニバラ> 掃除後に最初にやったのは、冬用の「毛布敷布「の四隅についている「ゴム部分」の修繕。最初は針に糸を通して縫おうとしたのだが、糸が針の穴を通らない。それだけ視力が悪いのだ。それならと輪ゴム8本を用意。それを伸びたゴム1隅を2か所ずつ輪ゴムで止めた。これはグッドアイデアで、たちまち作業は終了。これなら気持ち良く「毛布敷布」がきちんと治まるはず。 次に和室から順番に布団を居間に運び、布団カバーをかける作業。これは私用の敷き布団。捨てようとした古い布団に洗ったばかりの布団カバーをかけた。まあ良い良い。私はこれで十分だ。天気の良い日に何度か干せば、少しは「フカフカ感」が戻って来ると思うのだが。 これはKちゃん用の冬用布団。新しい客用布団に、先日大型スーパーで買った布団カバーをかけた。どちらも全く同じ柄で色は薄いピンク。敷布団は普通サイズだが、掛布団は少し大きめのサイズ。写真を撮ったもののどちらが「掛け」か分からなくなったので、そのまま載せた。 これはKちゃん用の枕に、新しく買った枕カバーを付けたもの。ピンク系統の女物ばかり買った爺を不審がらるかと思い、わざとレジで「後は母ちゃんが選ぶだろう」とつぶやいて支払い。別に悪いことをしてる訳でもないので「演技」は不要だが、そんな芝居を楽しんだ次第。やっぱり新しい物は良い。そして家の中に女性用寝具があるだけで、心が安らぐのも確か。 <庭の山茶花2> ずいぶん前のこと、ブログに20首ほどの相聞歌(そうもんか=恋の歌)を載せた時、「これは夢ですか、それとも現実ですか」とコメントされたブロ友がおられた。あのシリーズへのコメントには一切返事を書かないと言う態度を貫いたが、今回の壮大なる断捨離作業も、実は夢とも現実とも言えるのだ。なぜなら、「夢」をエネルギー源にして行った「現実」の行動だったからだ。恋は人に夢を与え、愛は人に偉大なパワーを与える。それが今回の実感だ。 今回入れ替えた絵はほとんどがマチスの作品。と言ってもこれは新聞社のサービス品。ちゃちではあるが気分転換にはなるはず。これは玄関用に。 この斬新な2点(上下で)の作品は台所の壁の片隅に。 このいかにもマチスらしい絵は、居間のPC用デスクの壁に飾られ、いつも私を見尾ろしている。 今回の断捨離作業中に引っ張り出したレース中の写真、これはフルマラソンの自己新記録(3時間36分03秒)を出した1994年の「NAHAマラソン」(沖縄)か。胸のゼッケンの数字が若いので、かなり前方からスタート出来たはず。NAHAには珍しく気温18度と好条件に恵まれ、松山勤務当時の走友とタイムを競えたのも自己ベストの原因だと思う。他の数枚も各部屋に飾った。やはりプロのカメラマンの写真はアングルが良く、迫力が全く違う。良い記念品になった。さて、後始末はまだ少々続く。<続く>
2020.02.06
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<断捨離作業開始後2週間を過ぎて> 断捨離作業もとうとう大詰めを迎えた。一昨日の月曜日は思いついて台所へ。食器戸棚のなかにある陶磁器類、サイドボードの中のも含めて不要品を引っ張り出した。もうこの齢になってからまで虚勢を張る必要はない。日用品として使うものだけを置き、残りは全部捨てた。 次に食器戸棚の引き出しとキッチンの引き出しの中の物一切を一旦出して掃除し、必要なものだけ戻して後は捨てた、金属はそれだけをビニール袋に、陶磁器やガラス製品は他のゴミに混ぜて大きなゴミ袋に。こうして溜まったゴミの大袋を、深夜自転車に積んで、ゴミ集積所へ。これを何度か繰り返して無事終了。ガレージに詰まれたゴミは消えた。 その夜は、額縁の絵の取り換え作業を最後まで行い、ついでに位置も変えた。翌朝は「ビン缶、金属、板ガラスなどを集積所の決まった場所へ。遅い朝食を済ませて整骨院へ。出遅れたためもう先客が8名ほど。先生の施術と電気治療中もずっと眠っていた。帰宅後は断捨離作業をしてた和室を清掃。かなりゴミ吸ったため、掃除機の中も清掃。 1階クローゼットから、スーツなど普段着ないものを2階のクローゼットへ移動。空いた分がKちゃん用。その後洗濯物と掛け布団3組をベランダに干す。さらに捨てようとしていた敷布団、掛布団を点検し、新しい布団カバーを掛けたらまだ使えると判断。買ったばかりの布団カバーを出して、本日の作業の準備。それを干して私が使い、私が現在使用中のものを客用にしよう。極力無駄は避けよう。 夕方廃品回収業者の車を停めて、家の中を見てもらう。本や雑紙などを引き取ってもらおうとしたのだが、「鑑札」がないため無料で引き取れない由。次の日曜が資源ゴミ回収日なので、土曜日の深夜にでも運ぼうと思う。大量の紙類は、s減ゴミとして再利用される。中には高額な本もあるが、古本屋まで持って行くのが大変。かくてまだ片付け継続だ。 作業の期間中、連ドラはおろか、朝ドラも見られなかった。新聞もろくろく読めない日々。それでも重労働を続けたのは、断捨離するなら今しかないと思ったため。良くあの苦痛に耐えられたもの。それは唯一の願いを成就すること。いやどうしてもj成就させたいとの強い気持ちがあったからだろう。だがまだ安心はしていない。慎重かつ丁寧に最後まで。<不定期に続く> ブロ友の皆さんスミマセン。間もなく疲労も回復しそうで、お邪魔しますね。ではでは。
2020.02.05
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<宮城UMC新年会のことなど> 2月1日(土)宮城UMC新年会へ出席するため街に出る。まだ誰も来ておらず、私が一番乗りだった。何せ2週間近く連続で断捨離の重労働中だったため、アルコールを飲んでも大丈夫かと心配だったが、何とか最後まで持った。だが不覚にも帰路の車中で眠ってしまい。かなり遠くのバス停で、ようやく降りて家に戻った。まずは怪我しないで良かった。肝臓も何とか持ちこたえてくれたみたいだ。 「宮城UMC」とは宮城県内のウルトラマラソン愛好者の集いで、2年ほど前に結成20周年を迎えたところだ。かつての鉄人もやはり齢には勝てず、衰えが目立つのが普通。だが80歳を過ぎてもまだ現役でウルトラマラソンに挑戦し続けている「万年青年」も中にはいるんだよねえ。 席は長年の走友T田さんの隣。kazuさんが初孫ちゃんのお宮参りのため欠席だったのが残念。とも角T田さんとはかつて一緒に走ったレースの思い出話に花が咲き、走友たちのチェレンジ精神に強い刺激を受けたのだった、80歳のF田さんが昨年「伊奈川」の100kmを完走したこと。81歳のM仙人が昨年3度の100kmレースに挑戦したことなどを聞くと、ウルトラマラソン道の奥深さをしみじみ感じさせられたのだ。 73歳のK藤さんが今年は親戚の結婚式のため連続10回完走記録を持つ「佐渡島一周」(206km)に参加出来なかったのが残念。同じく三婆の1人76歳のK村さんが昨年100kmを完走したこと。64歳の名幹事のKさんが今年も520kmの「川の道」に3度目の完走を目指して挑戦することなど。やはり鍛えている人は違う。まさに「継続は力なり」だ。 そんな中、今年の9月5日(土)の開催を目指して頑張っている仲間もいる。第4回目の今年は、最短60kmから最長115kmの部までコースを5つに増やした由。アップダウンの激しいコース設定だが、コース途中の温泉3か所にも自由に入れるのが「売り」だ。この体調ではスタッフとして手伝うのも無理だが、気持ちだけでも大勢のウルトラランナーを応援したい。集え、そしてガンバレ、全国の走友たちよ。 この日、会に新たな仲間3名が加わった。顔ぶれも昔とはまるきり変わったが、それも時代の流れ。こうして顔を合わせ、話せるのは嬉しくかつ楽しいひと時であった。最後に私とH多さんがハグするのをビックリした顔で見ている若い会員。厳しいコースのレースを共に走り、共に苦しんだ仲間だからこそ、男女など関係ないんだよ。そして年齢も。チャレンジする気持ちがあるうちはまだランナーなのだ。<思い出のレースから> 今ではヨボヨボの爺だが、私かつてはランナーだった「証拠写真」を探した。ご笑覧あれ。 「NAHAマラソン」フル=沖縄県 {愛媛マラソン」フル 1994年 「小豆島オリーブマラソン」ハーフ=香川 1996年 「しまなみ海道」100km 広島県福山市~愛媛県今治市 2005年 「秋田内陸ウルトラ」100km 2004年 「えちごくびき野ウルトラ」100km 2006年 「立山登山マラニック」 富山県 距離65km 標高差3003m 2007年 神戸マラソン(フル)2013年 浜名湖一周(70kmをワープ)2013年 久米島マラソン(フル=沖縄県)2014年 これが「小豆島オリーブマラソン」(ハーフ=香川県)です。 疲労のため途中で操作ミスしたみたいで、全部載らなかったのが残念。
2020.02.04
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<新生に向けてその1> <庭に置いたテーブルの大理石> 土曜日の宮城UMC新年会は、懐かしい走友たちと久しぶりに会って大いに話し、大いに飲んだ。やはり疲労した身には効いたのかバスで寝てしまい、かなり遠くの停留所まで行ってしまった。それでも日ごろの運動不足解消とばかりに手を振って歩いて戻った。つまみ程度の料理ばかりだったが、もう夕食は摂らず、この夜も遅くまで起きていた。 翌日の日曜日も早朝から断捨離作業を決行。最初に3人の子供たちに送る物品を最終的に決定。後は暇を見て手紙を書く予定。最後に残った本を紐で縛り、本のケース、不要な段ボール箱もそれぞれ縛った。昨夜のうちに済ませていた洗濯物を干したが、生憎途中で小雨が降り出したが、そのままにした。これでほぼ作業を終え、簡単に掃除をして遅い朝食を済ませる。 今回の作業中に見つけた記念品などを居間のデスク周辺に移動。これは筑波大学開学10周年を記念し創設時から勤務した職員に配られた青銅の彫り物。古代エジプト風のとても重厚な物。他に幼児時代の2人の孫の写真や使えそうな空き箱や手元に置きたい本を数冊。後は全部捨てた。その後、自転車に乗ってHCへ。古い生活用品を捨て、新生活に相応しいものを選んだ。 1F(上)2F(下)のトイレ キッチンマット(上)とバスマット(下) 玄関扉の前に泥落とし用のマット2枚を敷く。畑仕事をした靴のまま入ると、玄関の内側が汚れてしまうためだ。居間の植木鉢置き場にしていたテーブルの大理石を庭の雑草除け用とし、代わりにデスクの引き戸2枚を敷いて植木鉢を載せた。これで床への荷重を減らし、危険性も防げる。気分転換に小さめのシクラメンの鉢を置いてみた。午後は下駄箱の中を掃除し、不用品を捨てた。 前妻が選んだソファーや座椅子などは人間工学を無視した形の物ばかり。それでは腰に負担がかかるため、円形のクッションを買った。これで姿勢が良くなり、腰の痛みも減るはず。ついでに座椅子の背もたれ用のクッションも変えた。HCでは今回初めてポイントカードを作った。こんなことならもっと前に作っておけばかなりポイント貯まっていたのにと、少々残念だがまあ良いか。<定期に続く>
2020.02.03
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夢中になっているうちに・・ 断捨離作業に熱中して疲労が蓄積し、曜日は忘れるは、整骨院で施術を受けるはで大変なのであります。その施術を受けながら、なんと居眠りしている始末。そろそろ体力の限界に近づいたようだ。整骨院からの帰り道あるアパートの前に、今年も真っ先に紅梅が咲いているのを見つけた。立春、節分と続くこれからは日差しも強まり、一気に春の気配が漂って来るのだろう。 今日は「宮城UMC」の新年会へ出かける。この疲労ぶりでは泥酔するのが心配だ。怪我無く無事に帰宅出来ることを祈る。 大相撲界にも春の嵐が吹き荒れた。何と10勝1敗の好成績で初優勝したのは幕尻の徳勝龍と言う意外さ。出身の近畿大学相撲部伊東監督の急死に発奮した由。賜杯を手にし、土俵の上で男泣きする姿に場内から大きな拍手が送られた。それにしても今場所はお粗末。2人の横綱は初めから休場し、大関2人が席脇に陥落。その1人の豪栄道は引退を宣言して、来場所はもういない。正代、炎鵬、北海富士らの活躍が光った。時代の交代期のようだ。 カルロス・ゴーン氏の逃亡劇には呆れた。東京地検がキャロル夫人および逃亡を助けた米国人3人の逮捕状を取った。また、中国で発生したコロナウイルス型肺炎騒動の急転には驚いた。WHOの中国人事務局長が、密かに幕引きを図ったようだ。今夏開催の東京オリンピックにも多大の影響が出そうで怖い。 イギリスのヘンリー王子とメーガン妃が王室からの離脱と公用から自由になることを宣言した。英国には何せ口さがない国民が多いようで、これまでも2人が傷ついていたのは確かみたいだ。 その英国がEUを離脱することが昨日正式決定された。だが、貿易や人の移動の問題など課題は山積し、TPPへの参加もある由。イラン問題と合わせて注目だ。 とも角忙しい。断捨離の残り。市民税県民税申告の準備、住宅メーカーによる点検作業への対応。今月の俳句教室への準備。粗大ごみの選別と移動、ベランダの清掃。「KK作戦」の準備。畑作業の準備とジャガイモの植え付けの準備などなど。所属走友会の新年会&総会もある。そんなこんなで、ブログ友の皆さんのところへなかなかお邪魔出来ないのが実状。次のシリーズ「国境・その時空を超えて」にもそろそろ本腰を入れなくちゃいけない時期なのだが。ゴメンなさいね皆様。
2020.02.02
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<この拙き歌を新妻となる予定のK子に捧げる> 家と言ふ幸の形のいにしへの古き写真をことごとく捨つ 全力で断捨離を終へ父としての最後の文を子に出さむとす 商ひで訪ねて来るその人がわが妻となることの不思議さ *きたる 子は四人いずれも娘と言ひし人微かに笑みてわれを見たる日 君を迎かふ準備はすべて整ひぬ全力投球のこの一か月 震災の津波襲ひしその町に生まれし君が傍らに立つ 七十も半ばを過ぎて得たる君をわが掌中の珠として生く*しょうちゅうのたま わが余命幾歳あるや知らねどもただひたすらに君を守らむ *いくとせ 喜びも悲しみもまた共にせむたとへ果てなき道であるとも 幸薄きわが妻なるか震へたる君を抱きしめわれも嗚咽す *ふるえ*おえつ 雪の中二時間ほども語りたる多分あの時が恋の始まり これほどに深く愛せしことありやその人の名を幾度も呼ぶ *いくたび ああK子永遠に麗しき名の君にわが魂も癒されまほし *とわ *うるわし *いやされ 嗚呼妻よ君と縁の赤き糸はいついかにしてつながりたるや *ああ *えにし 美しき響き持ちたる君の名を呼べば微けき返事ありけり *うるわし*かそけき 今回の断捨離作業中、私は新約聖書の「コリント人への第二の手紙」の中でキリストが語った「愛」に関する言葉を必死に思い浮かべていました。私が教会に行ったのは50年以上も前のことで、ほとんど忘れていましたが、それでも2、3の聖句を思い出すことが出来ました。キリストが語る「愛」とは、無私無欲の行為。それだからこそ尊いのだと改めて感じた次第です。 ここに載せた短歌はどれ一つ現実ではなく、すべて私の心の中にあるものです。魂に潜む愛のカタチ。それが短歌となりました。人を愛するという行為。美しい日本語で短歌を詠むという行為。どちらも魂を清めるとともに、希望と勇気を与えてくれたと思っています。こんな歌が誕生したことに心から感謝しています。ではまた。
2020.02.01
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<断捨離と模様替え> 午前3時の外は静か。どうやら嵐は去ったようだ。まだ未明だが起きて和室2の作業場へ。暖房が無くて寒い。気を紛らわすためにラジオを点ける。もうあまりにも疲れ過ぎて、何曜日かも分からない。だが、何とか断捨離を進めようとする自分。段ボール箱を開けて、中の本を取り出す。ケースがないのはサイズごとに紐で縛って、部屋の隅っこへ積み始める。 長男の「コレクション」は実に厄介だった。硬く立派なケースの中から、大量のレーザーディスクを抜き出して「燃えるゴミ」用のビニール袋に。そのままだと重くて破損するため、保護のための「細工」も。美術全集のケースもまとめて和室2に積んだ。これも資源ゴミとしてリサイクルへ出す予定。 ゴミはまとめて、ガレージの一角へ。1個で30kgほどの重さになる。自転車で2袋ずつゴミ集積所に運ぶのは容易ではない。離婚後もう100個以上のゴミ袋を捨てた。さらに断捨離するため、さらに増える。仙台市指定のゴミ袋は燃えるゴミ用が特大、中、小、特小の4種類があり勿論有料でスーパーで買う。プラゴミ用も、大。中、小とあって、それぞれ値段が異なる。ゴミ処理も有料なんだよ。 これは和室2に置いて古蒲団。粗大ごみはその内容ごとの「チケット」をスーパーで購入し、各自が業者に連絡するのがわが仙台市のルール。まだ2階の布団袋にも入っているため、今後も増えそう。汚れが酷いのも、臭いのもあるだろう、だから新しい布団カバーをかけても、無駄のはず。 わが家は、1階に和室が2部屋と居間があり、2階には3つの洋間と書斎コーナーがある。また各階にウォークインクローゼット。物置が1階に1か所。トイレが各階に1か所。1階には浴室、洗面所兼脱衣所、キッチン。別途物置小屋が家の北にあり、農作業用の道具などを格納している。断捨離と同時に清掃も行ったが、まだ今後も作業は続く。配置換えを終えた各部屋の状況は以下の写真でね。 <洋間1> <洋間2> 右側は壁を利用し、大型の美術全集コーナーに。 <洋間3> <2F書斎コーナー> 私の趣味の日本古代史、考古学関係資料。一部は1階PCコーナーへも移動。 また、デスクは1F居間へ。本箱は2階の洋間各室に異動。 将来泊りや遊びに来るであろうKちゃんのお嬢さんたちのために、2階の洋間各部屋には、本を並べ、楽しい置物を飾った。2階のトイレもウォシュレットに取り換える。女の子は清潔が大事だもんね 浴室(左)と脱衣所・洗面所(右) <キッチン> IH調理台 電子レンジとトースター 特注品の食器戸棚 1階(左)、2階(右)のウォークインクローゼット。2Fも近く片付けが終わる予定 この広いわが家全体の断捨離、掃除、物の移動と模様替えを1人でやって草臥れた。春になれば、畑作業と草取りも始まる。俺は頑張るぞ、健康第一でね。<不定期に続く>
2020.01.31
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<哀しみの氷雨> 朝からの氷雨。それもかなり強いもので、宮城県内には大雨注意報と暴風警報が発令された由。私は歩いて整骨院へ。そして彼女はこの大雨の中でも集金をしているのだろう。K元気か~っ。気をつけて風邪など引くんjないぞ~っ。でもその声は届かないはず。だって私の心の叫びだもの。 昨日もそしてたくさんのコメントをいただいたが、返事は書かない。そして書かない積り。これは実話ではあるが、そんな軽い話ではないのだ。むしろどうしようもなく暗い話だ。だがそこから抜け出そうとしてもがき苦しんでいる男の話。今日も腰が痛むまま、断捨離を続けた。かなり作業が進み、残り3割と言えるところまで来たのではないか。 どうか幸せになってくださいなどと書いてくれた方には申し訳ないが、あれから彼女とは会っていない。もちろん電話番号も聞いてない。最も早く会える可能性があるのは3週間先。それまでは私の頭の中で繰り広げられる空想話に過ぎない。 思い切って彼女を家の中に入れたらなどと書かれた方がいるが、とんでもない話。勤務中の彼女がもしそんなことをし、会社に知れたらたちまち懲戒免職のはずだ。彼女は会社の名前が入った車に乗って仕事をしている。変な噂など立とうものなら、すぐさま会社に通報されるはず。私が彼女が首になるようなことをするわけがないのだ。 今日、着物タンスを整理中、桐の箱に入った「臍の緒」を見つけた。長女、長男、そして次男。3人の子を産んだ前妻がタンスの奥にしまっていたのだろうが、思い切って捨てた。そして「引きこもり状態時代」の長男が収集した大量のレーザーディスク。ロリコンの山を見るたびにうんざりしていたが、これですっきり馬鹿な長男が100万円近くはたいて集めたコレクションも。霧と消えた。よしよし。 家族の思い出は大切にと書いてくれた人がいたが、トンデモナイ話。結婚後50年近く私を騙してへそくりを重ね、大金を持って家を出た妻。その妻の援助で自宅を建てた長女からは、「お父さんとは縁を切った」と告げられた。もう2人の孫にも会えない。長男はいくら電話をかけても着信拒否。老いた父が今どんな暮らしをしてるのかさえ知らないまま。 年末に帰省する次男が、今年は仕事で帰らなかった。その彼が仙台で暮らすつもりはないと明言。ひょっとして私の心中を一番よく察しているのは、ひょっとしてKちゃんかも知れない。全くの他人の彼女が、唯一の私の心の灯だ、その彼女にまだ聞けてないことがある。 それはご主人様の死因。彼女は決して言わないが、私は密かにあの「東日本大震災の津波」だと思っている。その哀しみを忘れようと、彼女はこの仙台に来て全く新しい暮らしを始めた。多分それが真相なのだろうが、あえて聞かないし、まだ聞く勇気がない。初めて彼女に会った時に感じた強い慟哭は、それが原因なのではないか。 お互いに家庭を失った者同士だからこそ、相手に何かを感じ理解出来るのだろう。「どうかKちゃん俺を信じ、思い切って胸に飛び込んで来い」。俺なんかで良かったらしっかり抱き止めてやるから。心の中でそんな自問自答をしながら、俺は今日も片付けに励んだ。Kちゃんの笑顔がみたい。まだ見ぬ4人のお嬢ちゃんたちと会えるのが楽しみ。もう本当の孫には会えない仙台のじいじも笑顔になりたいしね。 他の写真は全部捨てても、お前のだけは捨てないよ。だってお前だけは俺を裏切らなかったもんなあマックス。そのうちまた一緒に遊ぼうな。だからもう少しそっちの世界で待っててね。俺もそのうち必ず行って、真っ先にお前を見つけるからな。じゃあそれまで元気で。俺もこっちの世界でもう少し頑張ろうと思うんだ。とっても可愛い人が出来たんでな。でもやきもちを焼くんじゃないぞ。マックス。<続く>
2020.01.30
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~断捨離と模様替え~ いや~っ、スマンスマン。ほら、昨日コメントしてくれた君らじゃよ、君ら。爺は今猛烈に忙しくての。もう返事を書いてる暇がないんじゃ。何せ睡眠だって、左の瞼と右の瞼を交互に30秒ずつ瞑るくらい。そんなもんでこのブログが君らへの返事代わり。まだちゃんとこうして生存し、ブログも更新しとるぞと言う意味での。まあ眠たくて文字変換がかなりおかしくはなっとるが。ふぉっふぉっふぉ。 向かいのKさんが先日俺にこう言った。「ずいぶんゴミを出したけど、どうしたの」とね。それで俺は答えたんじゃ。「老人ホームに入るためには家を売らなくちゃいけない。そして家を売るには要らないものを片付ける必要がある」とな。それでKさんが納得したかは知らないが、まんざら嘘とも限らない。遅かれ早かれそんな時期が来るのは目に見えとるでな。そう言いつつも、爺さん案外朗らかじゃったよ。 断捨離をしたのは良いんじゃが、後が大変での。ゴミ収集日の前夜、自転車で運んだのさ。ところがゴミが重過ぎて自転車が倒れた。何せ前の籠と後ろの荷台にでかいのが2つ。どうしてもバランスが崩れる。倒れた場所が収集所の前だったから良いものの、あれが道路だったら大ごとだったぞ。まあそれでも俺は執念で全部片づけた。板ガラスも8枚ほど。金属類も全部な。それでガレージがスカスカだ。 ところが人間、齢を取るもんじゃないね。腰は痛むは肩が苦しいわ。参った参った。それで昨日、整骨院に行って来たんだ。帰りしなに先生に聞いた。「腰の具合はどうですか」とな。「そしたら答えは硬い」だとさ。「対策は何か」との問いには、「ストレッチ体操あるのみ」だとさ。やっぱりなあ。 2階のトイレの棚を掃除してたら、上から何かがヒラヒラ落ちて来た。これは何だと良く見たら、何と生理用品のビニールの包装紙が劣化してボロボロになっとったんじゃのう。考えてみたら長女が一旦家に帰って結婚のため家を出たのが23年ほど前だから劣化もするさ。まあ崩壊したわが家の象徴のように思えたなあ。とも角最近は良く掃除をし、良く物を片付け、移動もした。 しかし大変なものだ。新しかった家も23年も経ったら真っ黒けだ。角や溝の中などは埃や汚れで真っ黒け。おかげで大量に作った雑巾が役に立った。そして「暮らしの洗剤」の2本目もなくなりそうだ。ゴミもガラクタも多かった。椅子は2脚分分解して捨てたし、大きな額縁も壊してゴミ袋へ。一番大きなゴミ袋(45リットル用)で15個分にはなったぞ。その他に紙類は資源ゴミ用に仕分け、本は本で縛って出す予定。一度は古本屋まで大変な思いをして運んだが、「お引き取り出来ません」だとさ。 以下のものも買った。女ものの寝具類、懐中電灯。ヘアドライヤー。それらは今まで家になかったもの。そして粗大ごゴミとして捨てるのは、古い布団、使わないタンス、生かしたものの模様替えもやった。俺のPCも場所替え。頭上の照明が暗かったからなあ。問題は子供たちの写真やアルバム類、学校関係品かなあ。自分のを捨てるのは簡単だが、子供たちのものを処分するのは気が重い。家の歴史そのものだもんなあ。 そうそう、俺はどぶ掃除と表の側溝清掃もした。間もなく住宅メーカーの「24年点検」だが、その前に大掃除出来て良かった。またソーラーによる電力の売電と、賢い電気契約の話、ウォシュレット工事の経費について聞けたのも助かった。1Fトイレの水槽の故障も修繕した。これから何年生きられるか分からないけど、出来るだけエコで、元気に暮らしたいんじゃ。 今回これだけ俺が頑張ったのは、Kちゃんに気持ち良く住んでもらうため。そして彼女の4人のお嬢さんが気楽に遊びに来たり、泊まったり出来るための大掃除と模様替えだった。もちろんKちゃんには何も話してないし、彼女は全くそんなことを予想もしてないはず。でもこれが俺の気持ち。彼女のお嬢様たちの「仙台のじいじ」になってやるのさ。だから断捨離はまだ続けるよ。ではまたの。
2020.01.29
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~雪の日の話~ その日の仙台は朝からの雪。暖かかった今冬にしては珍しい空模様だった。この日は朝食を早めに済ませて山上の病院に向かった。処方された薬はもう残り僅か。用心のためにも雪が降ろうが雨が降ろうがどうしても行く必要があった。最初に採血、そして血圧測定。どちらも数値は良かった。診察室から名前を呼ばれ、ドクターに挨拶。 ドクターは中国で発生した「コロナウイルス性肺炎」を心配して、私の頭部に装置を照射。これは中国からの出国と日本への入国時に受けたサーモグラフィーの小型版なのだろう。体温は少し高めで38度ほどだったか。それからシャツを手繰り上げて、聴診器でラッセル音を聞き血圧測定。血糖値も含めてさほど悪い数値ではなかった。診療費を支払い、処方箋を持参して薬局へ。 猛スピードで坂を下り、買い物にも寄らず自宅へ直行。10分ほど後に、Kさんが探訪。その日は彼女の会社の集金日・その日は使用済みのレンタル品と代金を入れた袋をドアノブに吊るすのを忘れていた。用心のため玄関内の靴箱の上に置いたのだ。チャイムに促されてドアを開け、彼女と話す。話題はいつものことだが、この日の彼女はとても辛抱強く、私の話をじっと聞いてくれた。 それらの中で、彼女に関する新たな事実を幾つか知った。昨年の春先、彼女が初めてわが家に来た時、「この人は何か大きな悲しみを内包している」と直感し、同時に生活と仕事に対する不安を抱いていることも感じた。そして「これは貴方の仕事なんだから、お客さんにはちゃんと伝えないといけないんだよ」と諭した。 「先輩からはドアノブの袋のお金をもらうだけで良いと聞いた」と彼女。「それではだめ。私は話を拒絶して訳じゃないの。たまたま私が出かけた時に集金出来ないと困るから、袋に入れてるだけ。特に今月は料金が上がるんだから、チャイムを鳴らしてちゃんと説明しないと」。それで彼女は驚いた。そんなことなど言う客はいなかったのだろう。ただし先輩からの引継ぎをこなしたから良いと。 私の話は、社会人としての当然のこと。それらを指導しない会社も会社だが、まだ慣れてないとは言え、彼女たちはそれらを任務として採用されたはず。それなら最低限の商品知識と客への応対例を指導すべきはず、もしそうなれば、彼女も会社も業績が上がり、客の信頼も増すと思うんだが。 寒い玄関先で、彼女との話は2時間近くに及んだ。その会話に関する彼女の幾つかの反応に驚いた。想定外のものだったためだ・当初ににはなかった明るさとある種の自信。さらに強い母性と慈しみの心。そうかこの娘にはこんな一面があったのか。 「もっと話したかったなあ」。私がそう言うと「そうしたくても出来ないこともあるんです」。へえ~っ。それは意外な反応。さて来月の集金日は私の「俳句教室」と重なり、その先はもう来年度まで口を利くチャンスはない。何か作戦を考えないといけない。心の中で目覚め始めた感情。チャンスはそう多くはない。ここで思い切った勝負に出ないと一生後悔するかも知れない。<続く>
2020.01.28
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~埼玉古墳群と博物館~ このシリーズも今日が最終回となった。「古墳の話に・・」シリーズと合わせてもわずか8回。そんな短編なのに苦しんだのは、ひとえに考古学と言う専門分野が関係したのは間違いない。中国からの帰国後の体調の悪さ。家事と日常生活。毎日ブログを更新すると決めた自分のルール。旅の写真の整理と、未公開写真の活用。どれ一つとってもそれはまことに重たい軛(くびき=手かせ足かせ)であった。 それらを同時にこなせたのは、奇跡と言うしかない。実際一度は深夜に倒れ、一度は鼻血を出した。あんまり根を詰め過ぎたせいか、視力が急速に落ちた、それでも作業の手をを止めなかったのは、生真面目さゆえの執念だろう。これでは身がもたないと判断して、最近幾つかのブログを訪れるのを止めた。 私は自分の命をかけてブログを書いている。だから私の心に響かないブログ、必要な情報がないブログへは行かないと決心した。ただし気持ちが通じ、長い付き合いのある友は言うまでもなくこれまで通り。命は限られている。私に残された時間は少なく、無駄遣いは出来ない。これからも私らしく生きるにも、何かを切る必要があった。そんな理由のため、あえて謝罪はしない。 いつものことだが、旅や歴史の話は、予め持っている知識、現地で得た情報と自分の目で確認した直感。そしてブログを書くに際してネットで確認した情報。それらのミックスだ。写真も同様に、現地で自分が撮影したもの。補足や参考のため後日ネットで検索した画像。そして現地で入手した印刷物を参考にして総合的な見地から文章と写真とを組み合わせるのがい私のいつもの方法だ。 今回は現地で、上の冊子を購入した。確か1200円だったはず。これは現地の博物館の学芸員や研究者による情報なので、ネットよりもさらに詳細で最新の情報が得られる。今回の探訪記もこの冊子の説明や掲載された写真を拝借した。この場を借りてお礼を申し上げる。こんな作業の中から、全国的かつ、最新の情報が得られ、客観的な評価や判断が可能になる。さて最終回の画像を以下に乗せたい。 当時、この古墳群の被葬者であるカサヒヨ一族(笠原氏か)と近隣の一族との間で、紛争があったようだ。その諍いを調停したのが安閑天皇だったことが「安閑天皇紀」に記載されてことが博物館内の展示物にあったのを撮った。こんな風に、一つの事実を確認するためには、様々な工夫や努力が必要となる。それはこんな分野をブログのテーマとした者の当然の手続きなのだが、意外にこれが疲れ、目も悪くなる。 目が限界に近づいたようだ。説明は↑の解説をお読みいただきたい。 稲荷山古墳の発掘調査。これを見ると登頂部だけでなく、周溝部周辺も発掘調査をした様子が窺える。 器台型の土器(左)とこれに載せための小型の壺(右)が見える。 お椀型の土器。 高坏(たかつき) いずれも高温で焼かれたようには見えないが、実際はどうなのか。 銀環(下)とヒスイ製の勾玉。 いずれも国宝 こちらも上と同様の遺物で国宝だが、文化庁所有と記されている。 分解した状態で発掘された 国宝の帯金(ベルトの金属部分) 上の発掘品から想定した復原図。金具の正確な名称は図を参照されたい。 馬の装飾に使われた環鈴(かんれい=国宝)形が雲珠(うず)にも似てるかな。飾りであると同時に、鈴の音もした。それらの形と音を聞いた者たちが驚く様子が目に浮かぶ。当時馬は朝鮮半島経由でもたらされたと考えられ、とても貴重な存在だったために農耕用ではなく、軍馬だったのだろう。そして馬のいななきにもまた、驚く民の様子が想像出来る。 ブログ友の夢穂さんは東京国立博物館で開催中の特別展「出雲と大和」をご覧になったようだが、私はこの時に現地の博物館内に掲示されたこのポスターで知った。前期の展示は終了し、目下展示品の入れ替え中。その後3月末近くまで後期の展示は観られそうだ。(詳細は東京国立博物館のHPでご確認願います。これでこのシリーズを終了します。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。<完>
2020.01.27
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<軌道修正> 突然椅子が倒れ、私は床に転がった。この状態をどう理解すべきか。先ず部屋の照明を点けた。PCの蓋が開いたまま。その左側に焼酎のコップ。空調機と、石油ファンヒーターは消えていた。本来なら寒いはずの部屋が、足元だけが暖かい。何か変だと見ると、電気ストーブの管が1本だけ赤い。それで足元がほんのり暖かい理由は分かった。 コップの焼酎をシンクに捨てて、寝床に潜り込む。さすがに2時間も暖房を切った布団は冷たい。そこでソファーに転がっていた靴下を履いてみる。照明を落とし眠ろうと意識。そしてこんな状況になった理由を思い出した。中国から帰国後、私はあるプランに熱中していた。微熱があり、洟水も出たが、例の「コロナウイルス」による肺炎ではないと判断。前日の検温は36度2分。これならいけるはず。 それにしても危なかった。椅子が倒れた時に電気ストーブが倒れたら火事になる可能性もあった。それがそうならなかったのは、私が倒れた場所とストーブとの間に隙間があり、それでストーブを蹴飛ばさずに済んだ。不注意な事故。まかり間違えば焼死したかも知れないのだ。もし火事の原因が「当事者の過失」なら保険金が支払われたかどうか。もっとも自分が受け取れたかも不明だ。 冷たい寝床の中で考えた。倒れた原因は疲れ。睡眠不足で体調は最悪だった。それでこの晩はどうしても寝た方が良いと判断し、いつもの焼酎に加え睡眠導入剤を1錠飲んだ。あれが第一の判断ミス。しかも眠った場所が最悪。おまけにその状態でPCを立ち上げ、急に眠気がして倒れた。しかしなぜスローモーションみたいな倒れ方をしたのか。 実は数日前から椅子の背もたれ部分がバラバラになりかけていた。もともと木組みが弱い安物だが、何度も背中を預けているうちネジの部分が緩んだのだ。針金で椅子全体を縛り、ペンチで懸命に締めた。だが、それでも強度不足だったのだろう。もう謎解きは止め、眠りに集中する。 前日恩師から電話があり、ある場所で待ち合わせた。かなり前から私はその建物の入口に立って、バス停から来る人数を予想していた最大値は3だったが。降りて来たのは紙袋を下げた恩師のみ。それでもう成り行きは分かった。3階の喫茶店で言葉を交わす。「最初の指導は「ラブレターの書き方」。あんなんじゃ女は受け取らない由。 2つ目の指摘は私が経歴を描いたこと。70代半ばにもなる男が、今さら高校時代の恩師にそんなことを言われる筋合いもないが、説教が仕事と考える彼のために、我慢して聞いた。だが私の本音は別。「学術畑」の話は、普段彼らが接することがない世界なので、親切心で書いただけ。 全国的な転勤に触れたのも、彼らに実感をもってもらうためで、自慢する意図はない。だが仙台市内で働いた経験しかない2人に辞令1本で全く事情の異なる土地へ家族全員で異動する激務を2、3年おきに繰り返すことなど到底想像できない世界だったのだろう。それが管理職の定め。そんな厳しい世界を分かれと言う方が無理だったのかも。 恩師が最後に聞いた。恩師の子供時代の友で、私にとっは2番目の上司だった方の自殺の理由。私は筑波に異動し、たまたま研修の会場で、訃報と葬儀場所の電報を受けた。特別に休暇をもらい、急遽仙台へ。彼の死因は絶望のはず。彼は県からある教授のつてで転勤した人。 それから彼の絶望が始まったのでは。教授に頼まれたから転勤した。行った先の事情も課題も把握しないまま。その一方、行政に明るいH氏(私の最初の上司)は人望もあり、進取の精神に富んだ彼は、一旦他部の課長補佐となり、元の部署の長として戻った。そうなるともうS氏が逆転するのは至難。死者に鞭打つようだが、結局彼は優柔不断だったのだろう。 つまりはどれも似たようなもの。変化刺激に乏しい平和な職場に安住していると、その雰囲気にどっぷり安住し、それ以外の風景が見えなくなる。頼まれたから異動した。頼まれたから見合相手の写真を見た。だが自分の考えと異なる相手だった時は可能性や限界が見えて、「お断り」すら他者に頼んだのではないのか。 一方の私は勝手に将来設計までし、結婚式を挙げる教会の下見までしていた。そしてそれが駄目な場合の代案も。だが私が選んだお土産が不満で、その返却を実兄に頼んだ。何もかお膳立てしてもらうのは縁談だけでなく、仕事も同様で、彼女は部下が造ったプランに目を通すだけだったに違いない。 妹さんへと託した梅干しとユズのマーマレードも、彼女が口にしたかは不明。恐らく兄にチェックされたのは間違いない。すると「あて馬か出汁」だったんだねえ俺は」。まだ青年時代の頃、合唱団の先輩女性からこう言われた。「たとえ恋に恋して破れても、恋しないよりは良いんだよ」と。その時はそんなものかと思ったが、今ならうなずける。私は今声高らかに宣言する。「命短し恋せよ爺と。<続く>
2020.01.26
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~鉄剣などに刻まれた文字~ <国宝の鉄鏃てつぞく=やじり:稲荷山古墳出土> 埼玉古墳群・稲荷山古墳から発見された鉄剣がとんでもなく貴重なものだったこと何度も記した。それなら文字が刻まれた鉄剣はとても数がすくないのだろうか。「いや実はそうでもなんですよ」。と言ったら亭大抵の人は「そんな馬鹿な」と言うだろう。だがそんなこともないのだ。種明かしをすればこんなこと。例えば日本刀の古刀にも作者の銘を刻んだものが結構ある。しかしそれは刀の値打ちを高めても、必ずしも日本史の謎の解明に役立つかどうかは、別問題なのだ。これでお分かりだろうか。 さて鉄剣に刻された銘文が発見されたと言われている遺跡(古墳など)は全国で8か所ある。残念ながら字が潰れて読めず、きっと〇ズキルーペを掛けても無理なはず。どうもスミマセンね。 それがこの8本なのだが、これもまた見づらいんだよなあ。小さくて字が読めない! しゃあない。では繰り返しになるけど、ちょっと復習しましょう。これが埼玉県行田市の稲荷山古墳。鉄剣が出たのは後円部(実際は奥の方)の頂上部。ここにあった礫郭からの発見でしたね。 ここの博物館では、真空の小部屋を作り、その中に剣を吊るしていました。真空にするのは腐食を防ぐため。そして吊るしたのは、前後左右から「裏表」の双方を見てもらうための工夫でした。 でもそれでは読みにくいため、やはり横に寝せて見ました。上の写真では金の文字がはっきり確認d来ますね。 これが全体像。この文字が出て来た時、きっと研究者の方は身震いしたことでしょうね。明らかに意味のある言葉がそこに刻まれていたためです。その興奮した様子が目に浮かびます。 これが鉄剣の<表側>の読み下し文。オワケノ臣はじめ8人の人名(恐らくは笠原氏)が読み取れます。 そしてこちらが裏側の読み下し文。「カサヒヨ」=「笠原氏と推定の根拠」。古代の発音は今と少し違っていましたが、推定は可能です。(例、伊治:当初は「イジ」後に「コレハリ=栗原)宮城県栗原市にあった古代の城柵です。 「白い部分」は刀に刻まれた字の形をより忠実に再現した。 やっと2番目。こちらは稲荷台1号墳(千葉県市原市)から出土した鉄剣。かなり腐食が進み、辛うじて字だと分かります。王から賜ったと記載されている由。 こちらは奈良県天理市の東大寺山古墳から出土した剣。刻まれた字は明瞭ではないですが、環頭束(かんとうづか)の形が独特ですね。私は初めて見ましたが、これは中国大陸に源流があるものの特徴で、朝鮮半島を経由してわが国にもたらされたと推定出来るそうです。 これはご存知、奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮所蔵の「七支剣」です。まるで「スギナ」のように枝分かれしていますね。この刀を地面に差して農事をしていたために腐食が進んだのです。それを明治期に考古学に造詣が深い宮司がたまたま着任し、これは貴重な剣と見抜き、さび落としに出したのが大発見につながったのです。 いつだれがこの剣を作り、だれに献上したかが分かります。この珍しい形の剣は百済の国王からヤマトの大王に献上されたのです。つまり百済がわが国に対して朝貢関係にあったことが一目瞭然。その意味でも貴重なのです。中国の史書には倭人を朝鮮半島3国の「安東将軍」に任命したことが明記されています。そして朝鮮半島の南部にはわが国の半島支配の足掛かりとなる根拠地(かつては任名(みなま日本府と呼ばれていましたが、今は韓国に遠慮したのか、そうは呼ばないことが増えましたが)。またかつての百済領地及び半島南西部地域からは幾つもの前方後円墳が発見されています。 一時日本の前方後円墳は韓国が起源と韓国の研究者がいきり立ちましたが、日本よりかなり遅い時期の建造と分かると、認識は一変します。。また縄文人がかなり古い時代から朝鮮半島で活動していたのは、隠岐の黒曜石が半島から出土することや半島南部全体から縄文土器が出土することでも裏付けられます。さて七支刀の重要性の確認後、この剣が再び農事に用いられることはなくなりました。 兵庫県八鹿(ようか)町の簀谷2号墳です。出土した剣の映像は見つかりませんでした。 松江市の岡田山1号墳です。ここからは「額田部臣(ぬかたべのおみ)」銘の大刀が出土しています。 お待たせ。最後にやっと登場したのは、熊本県菊水町にある「江田岩船山古墳」出土の鉄剣で、製造されたのは5世紀から6世紀にかけてと推定されています。この鉄剣に刻まれたのが「ワカタキル大王」つまり宋書に倭王武とある雄略天皇その人の名。稲荷山古墳の他にここからも彼の名が出たことで、雄略天皇実在説が確定した。いかに「金石文」が重要な史料であるかが分かるでしょう。<続く>
2020.01.25
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<蘇る死者> 皆の衆今日は!わしの名はオワケノ臣。住所は埼玉県行田市にある「埼玉古墳群」の一つ、稲荷山古墳の住人じゃよ。だがわし宛に手紙を出しても届かんぞ。なにせわしは今から1529年ほど前に死んどるでのう。それでもわしの名が日本全国に知られるようになったのは、わしの墓から1本の錆びた鉄刀が発掘されたからなんじゃよ。何とも不思議な話じゃ。今日はわし自身がわしの話を聞かせてあげようかのう。それにしても足元がスース―するぞ。何せわしは靴も靴下もないでのう。ふぉっふぉっふぉ。 これがわしが1500年以上も眠っとった稲荷山古墳じゃよ。墓は左手の階段を上った頂上にあっての。本当は2つの墓があったんじゃよ。わしの他にももう1人横に眠っておったんじゃのう。ふぉっふぉっふぉ。 こっちはもう一人が眠っておった石郭のある墓。ひょっとしてわしの親父どのじゃったんかのう。だがのう生憎そっちの方は後世盗掘にあっての、何も残ってなかったらしい。どの時代にも悪いヤツがおったんじゃのう。もしわしが生きとったら、絶対許さんのじゃがなあ。う~む残念無念。 でこっちがわしの寝床もといお墓があった場所。石ころを集めた墓を考古学の世界では礫郭(れきかく)と言うらしい。もっともこのままではみじめ。そこでわしにも少しマシなお棺が造られたんじゃ。 これがわしの棺桶じゃよ。大木を真っ二つに割っての。中を刳り抜いてあるんじゃ。礫郭が凹んどるのは、この大木の重さによってなんじゃよ・ふぉっふぉっふぉ。そしてわしの横には全部で5振りの鉄剣が置かれていた。もちろんわしはこの辺の豪族でかなり力を持っていたからのう。ふぉっふぉっふぉ。 これが後年金歓嵌文が発見された鉄剣じゃ。なに、2本もあるってか。いやいやそうじゃない。これは分かりやすいように表と裏の両方をみせたんじゃ。ここに彫ってあった115文字の文が、やがて日本国内を驚かせたんじゃから愉快じゃのう。やあ痛快痛快。 さて、こっちは何にも書かれてなくても国宝になった鉄剣じゃ。なに、それは不公平じゃとな。いや、そうではないんじゃ。115文字の銘文の解析で、副葬品として備えられた他の品々も、その貴重性ゆえ国宝になったと言う訳じゃ。貴重な歴史資料だからのう。それは3日後くらいに話すことにしよう。1)死者の名前などについて。 最初にある漢字の名前がわし。これで「ヲワケ」と読むんじゃよ。そしてここにはわしの名のほかにご先祖様のオオヒコ以下7名の名が刻まれておる。みなわしらの一族。つまりこの地を治めておった豪族(推定=笠原氏)なんじゃよ。そこまで分かったんじゃからビックリポンと言う訳さ。 2)わしらがしていた仕事の話・ ちょっと難しい表現じゃが、わしらは代々杖刀人首と言う役職に就いておったんじゃ。でもここでではないぞ。都におられる天皇の警備隊長と言ったら分かるかのう。つまりは腕を見込まれた武官なんじゃよ。そして遥々遠い都へ派遣されたと言う訳なんじゃ。都へは後の中山道を通るのが普通。山道で一見遠回りに見えるが、逆にその方が安全だったんじゃ。太平洋側の東海道には大河が多くて、渡るのが大変だったからのう。一旦大雨でも降ろうものなら当分の間は増水しとるでのう。 3)わしらが仕えた人の名は ハハハ。もう分かったじゃろう。ワカタキルさま。つまり後世第21代の雄略天皇と呼ばれたお方じゃ。この方はとても乱暴での、ご自分の本当の兄弟を何人も手に掛けたことで悪名が高いんじゃ。そして「宋書のいわゆる「倭の五王」の1人である「武」に比定されておる。やはり腕力が強かったでの。わしらもいつ罰せられるかとヒヤヒヤしとったぞ。ここだけの話」。 しっかり刻まれた「ワカタキル大王」の金色の名が眩しい。 実は、このワカタキルの名を刻んだ剣が熊本県の古墳からも出たことで、雄略天皇が実在したことが歴史的に確認されたと言う、日本史上の一大発見につながった訳。だからこそこの鉄剣が国宝となり、同時に埋葬された副葬品の全てが国宝指定と言う、前代未聞の快挙になったんじゃよ。分かったかの。 4)わしらが活躍した時代はいつ? 鉄剣には「辛亥」の字が刻まれていた。これは十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の表現なので、西暦に換算すると紀元471年に相当し、今から1529年前にこの鉄剣が制作されたことが判明した。このことも雄略天皇の実在を裏付ける根拠となったのじゃよ。 こんな具合に、古代史や考古学は思い付きや適当な推定で物事を判断してるわけじゃなく、実証を繰り返して成立する学問であることを強調しておこう。つまり他にも人類学、生態学、言語学、神話学、文化人類学、植物学、解剖学、地質学、などの分野の協力を得て、最新学説が定説化されて行くんじゃ。分かったの。最後は少し肩に力が入ったが、さらに論考を続けよう。<続く>
2020.01.24
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