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~もしも元気であったなら~ ツリガネスイセンのつぼみ 昨日の月曜日。便利屋さんに来てもらいました。庭の除草作業がいくらくらいかかるのか見積もりを取るためでした。結果は9万7千円。振込手数料を入れたおおよそ10万円になるでしょう。昨年までは自分でしてましたからただ。それが10万円とはねえ。それも年1度で済めば良いのですが多分済まないはず。馬鹿らしいと思いましたが依頼することにしました。 モミジの若葉 昨年は窓ガラス、網戸、風呂場、駐車場、ベランダ、キッチンの清掃を専門業者に依頼しました。こちらは17万5千円くらいかかりました。キッチンや風呂場やベランダは自分でもやれたと思うのですが、専門業者がやればどうなるか確認したかったのと、面倒になったのです。便利屋さんが帰った後、近所を散歩してみました。わずか1kmほどでしたが、やはり運動の必要性を感じた次第です。 私はいつも前日に翌日分のブログを予約しています。今回はこれくらいで止め、元気が回復したら続きを書く予定でいます。ではまた。 知床観光の遊覧船会社。全くのブラック企業でしたね。社長は全く海や船についての知識がなく、2年ほど前にベテランの船長全員を辞めさせて、経験の乏しい船長に代えた由。理由は人件費の節減。沈没した船を操縦していた船長は、湖の遊覧船しか操縦した経験がなかったそうですね。そして甲板員も素人。当日出ていた風波の注意報を社長が無視して出航させたと言うから、人迷惑な殺人事件でした。 宇登呂漁港とオロンコ岩(左) 私は27年前にこの港を見ています。北海道一周の旅の途中。ウトロ温泉に泊まり、翌日は知床半島方面にジョギングしました。前方に動物が固まっているのを見て引き返しました。熊ではなくエゾシカだったのでしょうが用心のため。港の端にある台形の島が印象的で、私はきっと「チャシ」だろうと思っていました。アイヌ語で砦や見張りや柵囲いを意味します。ウトロもオロンコもアイヌ語が語源のはずです。 ユネスコ世界遺産に登録されて以来、知床の人気は高まりました。遊覧船からヒグマが見えたり、滝が見えたり、クジラとで出会うこともあるからです。だが、現場は岩礁地帯で、特に西風と波が高くなると危険性が増す由。海水温は3度ほど。15分間浸かれば意識を失うそうです。22歳と21歳の恋人同士も乗船し、サプライズのプロポーズをする予定だったとか。防げた事故を欲張りな社長が強行しました。 元大関把瑠都 元大関の把瑠都が引退して故郷のエストニアに帰り、国会議員になったそうです。四股名は「バルト海」から取ったのでしょうね。今彼はエストニアと日本との懸け橋になるべく頑張っているようです。ロシアのバルチック艦隊を日本の太平洋艦隊を破るなどした日露戦争。今ロシアはウクライナのみならずバルト三国はじめ、バルト海沿岸の諸国に圧力をかけています。バルト三国はじめフィンランドやスェーデンがNATO加盟を急ぐ理由も分かりますね。それもこれも、ロシアの恐怖政治が招いた結果です。 北欧地図 バルト海周辺はロシアと接した国家が多いのです。リトアニアに南にはロシアの飛び地があり、ロシア軍の基地と軍港があります。第二次世界大戦中にフィンランドはロシアと戦って敗れ、領土の一部を割譲しました。今回の戦争でフィンランドはヘルシンキからロシアのサンクトペテルブルクに繋がる鉄道を閉鎖しました。ロシアは北極海の島ノバヤゼムリャで核実験を行っています。ロシアは戦争大国です。 アメリカの2人の長官 アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官がそろってウクライナを訪れ、キエフでゼレンスキー大統領と会談しました。主目的は戦況と援助物資の確認でしょう。追って国連の事務総長がロシアとウクライナを訪問予定ですが、頼りにならない国連よりアメリカやNATO加盟国の応援が一番の便りです。ゼレンスキー氏は2人の長官に対して、無事ポーランドに入国した後にポーランドに到着したことを発表して欲しいと釘を刺し、アメリカは約束を守ったようです。全ては安全のためです。 一方ロシアの暴君は、撃沈したミサイル巡洋艦の艦長(司令官)を逮捕した由。黒海艦隊の旗艦を失った責任を取らせたのでしょう。元はと言えば自分の作戦ミスが原因なのに。そしてキーウ近郊のブチャで大勢のウクライナ市民を虐殺した将官に勲章と特別の称号を与えた由。だが再開した東部戦線での旗色は必ずしもロシアに有利とは限りません。独裁者の目には、きっと「真実の姿」が見えてないのでしょう。 左上の地図で赤い色がついた島国がソロモン諸島です。場所はパプアニューギニアの東側でオーストラリアの北東に位置します。この島嶼国家が最近中国と安全保障協定を結んだみたいです。別にソロモン諸島に危機が迫っている訳ではなく、中国が南太平洋にまで強い影響を及ぼそうとした結果。中国は他にも3つの島嶼国家と外交関係を結んだようで、自治領がある米国やフランスが警戒しています。 右上の地図は沖縄本島から東の海上にある大東島です。上から北大東島、南大東島、沖大東島の3つがあります。最近中国の艦船が我が国の領海付近に盛んに進出するようになりました。これに危機感を抱いた政府が、南大東島に自衛隊のレーダー基地を設けることを決めたようです。もしそれが実現すれば、膨大な空白域をカバー出来ることになります。海洋国家日本にも様々な脅威が迫っているのです。
2022.04.26
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~解けたなぞ~ なぜ朝ドラ「おかえりモネ」ってあんなに重苦しいのだろう。ずっとそんな風に思って来た。話の主な舞台は宮城県最北端の気仙沼市。気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島(ドラマでは亀島)に住む漁師の一家。でも漁師はお爺ちゃんだけ。お祖母ちゃん(竹下景子)はずっと姿を見せず、ナレーションだけ。それも養殖のカキと言う設定。不思議だ不思議だと思っていた。東日本大震災の被災地である宮城に住む私がそんな調子なので、東北以外(あるいは東北でも)の他県の人は訳が分からないと思う。 その謎が昨日ようやく解けた。あの大地震と大津波が来た日、認知症のお祖母ちゃんは孫のみーちゃんがいくら逃げようと言っても家を動かなかった由。それで自分だけ逃げたみーちゃんはずっと自責の念に捕らわれていたんだねえ。当時仙台の大学にいたモネも同様。銀行員の父も教師だった母も、家にはいなかった。ああ、そういう設定だったのかと初めて知った。それで朝ドラなのに静かな不思議さが漂っていたのだ。そう思うと被災地の人々の深い悲しみが分かる。あの朝ドラは「挽歌」だったのだ。 腰痛と心身の不調で10日ほど買い物に行かず、冷蔵庫と物置にある食糧で生き延びて来た。今は冷凍のものが少しあるが、野菜や果物などの「生もの」は食べ尽くした。それでもン残り物を使ってカレーを作った。これで後2,3日は大丈夫なはず。青トマトも、一部腐り出したタマネギも、虫が食ったモロッコインゲンも全部役立ち、私の腹の中に納まった。 業を煮やしてお掃除の会社に電話した。今月半ばに実施したプロによる大掃除。5人が来て1日かかったあの代金の請求がなかなか来なかったからだ。最初に見積もりしてくれた担当者の話だと18日締めと言っていたが、それにしてももう月末ではないか。暫くして返事があり、今週末には振込依頼書を郵送する由。それだと振り込むのは来月の初めになるよと言うと、それで良いとのこと。何とも悠長な話だ。 ようやく選挙公報が届いた。あと数日で選挙と言うのに、こちらものんびりした話。まあ衆議院議員も、県知事も投票する人は既に決めている。問題は最高裁判所の裁判官審査だ。どんな判事が今回の審査対象なのか一応知って置こうと思ったのだ。まあ彼らがどんな裁判をして来たのかは書かれた内容では分からない。それで出身大学と経歴だけ見た。中には法曹界とは全く異なる経歴の人もいることに驚いた。 巨人軍の長嶋永世名誉監督が今年の文化勲章を受章することが決定したようだ。85歳の高齢で脳梗塞の後遺症もある身ながら、東京オリンピックの開会式にも最終ランナーとして参加(右)されていた。ソフトバンクの王さん、元NYヤンキースの松井選手と一緒だったが、観ていてとても痛々しく感じた。あんな遅い時間帯まで、障害のあるお年寄りを酷使してどうする。私はあの演出に怒りを覚えたほどだ。 私は70歳までウルトラマラソンをやって来て、体力にはかなりの自信があった。現役の頃は自分は普通の人より鍛えたスーパーマンとの自負もあった。だが、最近は腰痛などで苦しみ、日常生活もやっとこ維持してるだけ。フレイル(寝た切り)にならないためには、70代の時にどれだけ筋肉を使うかが重要らしい。スーパーマンではなく普通のジジイで良いから、何とか元気で暮らしたい。それが最近の切なる願いだ。
2021.10.29
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~楽しいショウタイム♬~ おやおや。舞台の上で何かが始まったよ。みんなが力を合わせて「風」を起こしてるんだって。 おいおい君たち。風を起こして一体何をするんだい? 何をするって、ボクたちのことをちゃんと見ていたら、そのうちに分かるよ。 これはキノコじゃなくて歯車なの。ほらね、色んな歯車が一斉に動き始めたよ。 ガンバレ、ガンバレ。みんなで力を合わせて風を送ろう。 ボクたちワタシたちが一生懸命に風を送っていたのは。この3つのバルーンを空に浮かべるためだったのさ。でもこれはただのバルーンじゃないの。パラリンピックのシンボルの「スリーアギトス」さ。「アギトス」は昨日も勉強したよね。「どんな困難なことが起きても決してあきらめず、限界に挑戦し続ける」パラリンピアンを表したのさ。ラテン語で『私は動く』って意味なの。ああ疲れた~っ。 舞台の上では懸命なパフォーマンスがつづいています。 ここは「パラ空港」。世界中からいろんな飛行機がここを目指して飛んで来るんだよ。 お~い。たくさんの飛行機さ~ん。パラ空港はこっちだよ~。 おやまあ気の毒に。中には翼が折れた飛行機や、片翼だけの飛行機もあるねえ。 みなさん大変でしたね。ようこそパラリンピック東京大会へ。 「片翼の小さな飛行機」を演じたのは東京都内の公立中学2年生の和合由依さん(13歳)。先天的な障害のため手足が自由に動かない。でも好奇心旺盛で「学校の先生や家族に自分が頑張っている姿を見せたい」とキャストのオーディションに応募。審査では楽器の演奏、歌、絵画を披露し、応募した798人の中から主役に抜擢された元気娘。 普段は電動車いすを利用しているが、より自然な演技がしたいと手動の車いすを選択し、週3回、1回8時間の練習をこなして本番に臨んだそうだよ。一度は空を飛ぶ夢をあきらめた飛行機がほかの飛行機と出会う中で、自分の持つ力に気づく姿を表情豊かに演じました。とても素敵だったよ由依さん。 最後に派手なデコレーションのトラックも登場。どうやら、飛行機たちを見守っていたようです。 聖火台への最終点火アスリートは、車いすテニスの上地結衣選手、ボッチャの内田峻介選手、パラリフティングの森崎可林選手の3人でした。皆さんどうもお疲れ様でしたね。このようにパラリンピックの開会式はオリンピックの開会式に比べてとてもシンプルでしたが、それだけ観る人の心に訴える力が強く、パラリンピックの精神を良く理解出来たように感じた次第です。 この後、天皇陛下がパラリンピック東京大会の開会宣言をされました。なお閉会式には陛下の名代で秋篠宮殿下が列席されるそうです。 開会式の翌日からは、「スリーアギトス」の精神に則って、パラリピアンたちの激しくも美しい戦いが始まり、TVを通じて私もたくさんの競技を楽しませてもらいました。その中で知ったのですが、マラソンの解説者として有名な増田明美さんが、何と「日本パラ陸上委員会」の理事長を務めておらるんですねえ。増田さんのお人柄を観た想いがします。これからも選手の皆さんを応援しましょうね。では。
2021.08.30
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~世界はこれからどう動くのか~ 1)世界の新型コロナ感染状況 2)主要国の感染者数推移 1)は新型コロナウイルス感染症に関する感染度を色の濃淡で表示したもの。ロシア、メキシコ、インド、南米大陸などの感染度がかなり高いことが一目瞭然。それらに比べてわが日本列島の色は薄い。 一方2)は主要国の感染者数の推移。アメリカの感染者数(茶色)の増え方は異常で、一気に上昇している。ロシア、ブラジル、英国、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスとヨーロッパの大国がその後を追っている。「発症国」と目される中国はいち早く「対処した」ためか、それとも正確なデータがないのか、ほぼ一直線で増減が不明。そして日本はワクチン不足にも耐えながら、感染者数の伸びは緩やかだ。 3)主な変異株の特徴 3)は主な変異株の特徴を表にしたもの。新型コロナウイルス感染症の症状も発症直後とは大きく様相を変えて来ている。世界に蔓延するうち、ウイルスに幾つかの変異株が出現したのだ。このため、症状はより重症化し、死者数の増加につながる。これがウイルスの特徴とも言える。ウイルスは「自らの生き残り」のために形を変えてワクチンの効き目を下げ、寄生主の人間を苦しめる。 ワクチン不足に苦しむ台湾に対しては、イギリスが4万回分、日本が124万回分のアストラゼネカ社(イギリス)製ワクチンを送付した。台湾では事情により同社のワクチンしか使用出来ず、日本では安全性確認のため、まだ接種を見合わせている段階だったため、協力することにしたもの。台湾からはこれまで、「阪神淡路」や「東日本大震災」当時に、迅速かつ暖かい援助を受けており、今回はその返礼だ。その一方、「偽ワクチン」に騙される国が出ている、ヨーロッパ、中米および韓国などで。 心強いニュースもある。大阪大学と中外製薬が共同研究していた「新型コロナウイルス感染症」の治療薬アクテムラ(トリシズマブ)だが、死亡率の低下、入院日数の減少、炎症の抑制、人工呼吸器(エクモ)使用数の減少などに効果があることが判明している。実用化はまだ先だが、ワクチンと共に治療薬の研究が進むのは人類にとっての朗報だろう。 新型コロナウイルス感染症の発祥が武漢のウイルス研究所とする「説」を裏付ける情報がまた出現した。1つは中国で実際に「生物兵器」の研究に従事していた研究者が、亡命先のアメリカで匿われ、CIAやFBI関係者と接触を絶たれているが、彼の証言で発生源が武漢だったことが確認された由。彼を暗殺や妨害から守るため、厳重に隔離されているそうだ。 2つ目はオーストラリアの報道社の情報によれば、武漢のウイルス研究所における「生物兵器」の研究は5年前から開始されていた由。それらは既報のファウチ博士主導による「機能獲得研究」の「武漢への委託」と関係している可能性が極めて高く、今後の動きが注目される。 それらとは別に、武漢ウイルス研究所では2019年夏から、人間の胎児の肺細胞を埋め込んだ「ヒト型マウス」をウイルスにり患させる実験を行っていたが、22名のメンバーのうち11名が人民解放軍の科学者だったことが判明している由。 来る11日からイギリスのコーンウォール地方において、G7が開催される。インド、韓国、オーストラリアの3か国が招待されるが、そこで協議されると考えられる事項を以下に列記する。〇 中国の権威主義的な動きへの対応と、ウイグルなどへの人権問題への対応。〇 中国、ロシアなど権威主義国家への対応。〇 中東、ミャンマー、北朝鮮情勢への対応。〇 ガス排出量の削減への対応〇 途上国への「新型コロナウイルス感染症」対応ワクチンの公平的な分配。〇 「コロナ禍」からの回復策。 またG7では「東京オリンピック」への賛同と協力を呼び掛ける予定と聞いている。地球の環境がより良いものになることを祈ってやまない。
2021.06.10
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~花蓮市の石屋さん~ 旅の4日目。太魯閣(タロコ)渓谷の次に私たちが訪れたのは、花蓮市の石屋さんだった。台湾山脈はほぼ大理石で出来ている。するとここの石屋さんも主に大理石を扱っているのだろうか。そんな気持ちで工場へ入って行ったのだ。 おやおや。これは白い大理石ではなく、緑色の部分があるねえ。と言うことは翡翠の原石だろうか。 大理石の見事な椅子。でもこんなに硬いんじゃ座るのも大変だろうなあ。 大理石の横の溝はワイヤーの痕。ワイヤーを動力で作動させ、石を切り出すみたい。 これが作業場で、相当広い空間だと分かる。私たちはここから展示コーナーへ移動した。 展示館の外に置かれた翡翠の原石。こんな場所で盗まれないのかなあ。 ここからは展示館。陳さんが説明中、私は1人離れて美術品を撮るのに夢中だった。 私は夢中になってシャッターを切っていた。それほど見事な翡翠細工だったのですよ。 美しい乳白色の石。こんな貴重な石が台湾で算出するんだねえ。 置物と時計を組み合わせたもの。見事な造りです。 ユーモラスな獅子の表情をお楽しみあれ。 扇形に彫り込まれた翡翠。翡翠にも色んな色があるんですね。 龍のような、麒麟のような空想上の獣。扉の外の展示コーナーには誰もおらず、私は写真を撮るのに必死だった。それにしても見事な作品ばかりですね。<不定期に続く>
2019.08.25
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~素朴な花たち~ <シュンラン> 春蘭 ラン科シュンラン属に属する地生ラン 春先に薄緑色の花をつける。 シュンランの場所に気づかずに通り過ぎてから、ボランティアの方に教えてもらって引き返した。名前は良く聞く。姿も登米市の武家屋敷で観たことがあるが、花が咲いてるのを見たのは、今回が初めてだった。ランと言うには地味な花。だが早春に茎をすっくともたげて咲く姿には、凛としたものを感じる。 <セリバオウレン> 芹葉黄連 キンポウゲ科オウレン属 多年草 とても小さな花で、良く注意しないと見つからないほど。背丈も小さい。葉がセリの葉に似てることからの命名。黄連は中国原産の植物だが、その名前を借用した模様。 <バイカオウレン> 梅花黄連 キンポウゲ科オウレン属の多年草 福島県以南の本州と四国 セリバオウレンの仲間だが、花の形が梅の花に似ていることからの命名。セリバオウレンよりはよほど見つけやすい。 <コシノカンアオイ> 越の寒葵 クマノスズクサ科カンアオイ属の多年草 直接地面から花が咲いているように見える不気味さがある。根茎は暗紫色で花は薄紫色のを1個だけ付ける。秋田、山形、福島(会津)、新潟、長野の多雪地帯の山林に生育し、ギフチョウの幼虫の食草となる。花には異臭があるようだ。 <ショウジョウバカマ> 猩々袴 メランチウム科ショウジョウバカマ属の多年草 生育地は北海道から九州までのやや湿った場所。ただし、「垂直分布」が、人里から高山の高層湿原までととても広いのが特徴で、お馴染みの高山植物だ。猩々(顔が赤い動物)の顔が花の赤さに似ていることからの命名。また袴(はかま)は葉の重なりが袴に似ていることからの命名。 こちらは白花のショウジョウバカマ。このように赤い花だけでなく、中には紫や白の花を咲かせる品種もある。また花期が過ぎても花の色が褪せながらも枯れずに残り、夏に緑色の花が見られる由。 上の2枚とかなり離れた場所でもショウジョウバカマを見つけた。だがそこは柵の内側で、見られたのはその背面だけ。別に恥ずかしがっていた訳でもないのだが、ついに正面の顔を拝むことが出来なかった次第。 <アズマスゲ> 東菅 カヤツリグサ科多年草 名前は確かではない。帰り際、職員の方に「スゲを撮ったのですが、名前を教えてください」と聞いたら、「園内で一番多いのはアズマスゲですが」との答え。ネットで観た植物図鑑の写真も、似ているように思うのだが。何せど素人なので、間違った場合はご容赦を。<続く>
2019.04.29
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~私が気にしたニュースたち~ 山茶花の実 外国人旅行者減退の原因になっていた2つの災害に進展があった。最初は関空。こちらは滑走路が完全に復旧し、鉄道が復活した由。残りは連絡橋の道路だが、これは来年の5月をめどに工事を急ぐ由。関西経済界はホッと胸を撫で下ろしているのではないか。道路は目下片側だけ。それを対面通行で利用し、自家用車などの乗り入れは禁止されているようだ。短期間で、良くここまで復旧したと思う。 花梨(カリン) もう一方は北海道の苫東厚真発電所の復活。全道ブラックアウトの原因になっただけに、復旧が待たれていた。今回判明したブラックアウトの原因は、「強制停電」の設定にどうやら問題があったらしいと言うこと。「電力自由化」政策の推進によって、より採算性を優先させた結果だろうか。そこに思ってもみなかった地震の発生。原発の問題も含めて、エネルギー政策を見直す必要性はないのだろうか。 ムカゴ 自民党の総裁選挙が終わった。全体の7割を獲った安倍総理の圧勝と言えようか。政治家は負ければ終わり。いくら悔しがっても「負け犬の遠吠え」に過ぎない。小泉筆頭副幹事長は投票10分前に「石破支持」を表明したが、そのことがどんな意味を持ったのか。ある人は「まるで評論家みたい」と辛らつ。政治家なら、もっと信念を持てと言いたかったらしい。将来性のある政治家なら特にだ。 ブドウ 海上自衛隊が南シナ海で潜水艦の追跡訓練を実施した。その後潜水艦はベトナムのカムラン湾に寄港。どちらも初めてだった由。これは南シナ海に軍事基地を作った中国に対する牽制であり、中国軍の潜水艦追跡能力を試したのだろう。もちろん公海上なので航行は自由。目下中国と壮烈な「関税戦争」を展開中の米国に対する側面支援と言えるのかも知れない。 彼岸花 アメリカはこの度中国からの輸入品2千億ドル(約22兆円)に対し関税を課すことを決定した。既に実施済み分と合わせれば2500億ドル相当となる。中国も対抗措置を取るようだがもしそうなれば、中国からの全輸入品に関税を課すと明言。トランプ氏がそこまで強硬なのは、対中貿易赤字が膨大なためで、多分中国は対抗措置が取れないだろうと見られる由。 ナナカマド 強硬な態度を崩さない背景には、中国の北朝鮮への経済制裁の甘さ、言い換えれば「核放棄」への出口が明確でないことと、ロシア、北朝鮮と共に、中国のサイバー攻撃がアメリカにとって脅威となっているためでもある由。世の中は単純ではない。平和を唱えて平和になるなら、国連などなくても良いはず。国際司法裁判所も不要だ。世界には国際常識が通じない国が現存する。日本人はもっと現実を知らないと。 キウイ 平壌で開催されていた何度目かの南北会議が終わった。両首脳は北朝鮮建国神話の象徴である白頭山へも一緒に登った由。経済状況がさらに悪化している韓国。文大統領は国内の支持率を引き上げるためにも、そして金正恩は何とか経済制裁を逃れ、一日も早く朝鮮戦争の終戦を引き出すために必死なのだろう。それにしても韓国の政情の急変に驚く。右から左へと大きく振り子が動く国と国民性。 柿 大相撲秋場所は14日目で休場明けの白鵬が41回目の優勝を決めた。同時に幕内1千勝と横綱での801勝目を達成した。例の事件以来すっかり嫌いになったが、偉大な記録であることは間違いない。横綱稀勢の里は鶴竜に勝って10勝目。大関栃ノ心と関脇御嶽海もようやく勝ち越した。怪我の遠藤は3勝目。例の問題で幕下寸前まで降格した貴ノ岩が復活したのが嬉しい。さて今日の千秋楽はどうか。
2018.09.23
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🌸 passer-byさんお早うございます。もしあなたが私が考える方と同じ仙台市の方なら、緊急にご連絡します。 下記の場所で下記の時間に待ち合わせ出来ないでしょうか。 急なお願いで恐縮なのですが、私がかつて所属した合唱団の ジョイントコンサートがあり、一緒に音楽を聴きたいと思うのですが。 日時;8月4日(土)13時30分 場所;仙台市営地下鉄南北線旭ヶ丘駅 駅(北) 日立システムズホール仙台正面玄関前 なお演奏団体はかつて私が所属していた混声合唱団「クールルミエール」ほかです。 開演時間は2時からなので間に合うはずです。〇もしこれをご覧になった場合はお手数でも、参加可能、参加不能の別をご連絡いただけたら嬉しいです。急なお話ですみませんが、あなたの目に止まることを願っています。ではでは♬++++本日の通常のブログはこの下↓に公開済みですのでご連絡します。
2018.08.02
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~日本民族は海洋民族~ <長崎県壱岐島左京鼻から見た玄界灘> 昨年10月の旅で、私は長崎県の壱岐、対馬、五島(福江島)を訪れた。移動はほとんどが飛行機だったが、博多港から壱岐までと、壱岐から対馬までは船に乗った。またどの島からも海が見えた。玄界灘、対馬海峡、そして東シナ海と名前は違っても、海に変わりはない。それも私達日本人にとっては、とても重要な意味を持つ海なのだと思う。 日本人の祖先たちは、この海を渡って大陸から日本列島へとやって来た。稲も海を渡ってやって来、やがて日本列島に根付いた。大陸の優れた文化や様々な国の様々な民族も、みなこの海を渡ってやって来たのだ。 不幸なことにこの海を挟んで戦いもあった。人は文化を伝えるだけでなく、戦い領土を奪う存在でもあるのだ。白村江の戦い、元寇、朝鮮征伐、満州国の樹立などだ。また国家間の戦いだけでなく、倭寇のような海賊行為もあったし、また戦いだけでなく、海を渡って東南アジアの諸国と貿易なども行って来た。 現代人はもうそんな意識はないが、日本人はかつて海洋民族だった。広い海を通じて得られた交流こそが、日本人を日本人たらしめたとも言えようか。今年も出来たら旅をしたい。その中で海と出会い、海の息吹を感じられたら嬉しいのだが。
2018.01.02
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3泊4日の長崎県離島の旅でしたが、台風の影響で最後の五島列島福江島から脱出できず、もう1泊せざるを得なくなり、1日遅れで本日夜無事帰宅しました。写真の整理も全くできておらず、疲労のため明日のブログを予約することも出来ません。まだ留守中にいただいたコメントも読んでない状態です。 ともあれ、無事帰宅したことをご報告いたします。また、コメントをありがとうございました。24日のブログはゆっくり書かせていただきますね。先ずは来宅の挨拶と留守中の御礼まで。おやすみなさい。💛
2017.10.23
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皆さん今日は。病院暮らしから無事シャバへ戻りました。留守中の暖かいメッセージ、ありがとうございます。それぞれの気持ちに感謝感激です。1人ごとのお返事は書けませんが、まとめての御礼をお許し下さいね。 病名は慢性硬膜下血腫と言うもので、脳の出血ではなく頭蓋骨の直下にある「硬膜」と脳の間の出血でした。原因は5月に自転車で転んだ際の頭部打撲。(だと私は推察しています)血栓予防のために血液サラサラの薬を服用しているため、血が止まり難かったのでしょう。200ccほど溜まっていたようです。お金なら幾ら溜まっても良いのですがねえ。 手術の準備に30分。手術が30分と言う簡便さ。頭蓋骨に直径1.5cmの穴を開け、そこに管を差し込んで溜まった血を排出すると言うごく簡単な仕組みです。幸いにして後遺症もなく(今の所)、頭部のCTスキャン及び抜糸は1週間後に外来で行います。 帰宅後は処方された薬の整理、入院関係の書類の整理、衣類の整理などを行い、ようやく一段落したところです。でも留守中に冷蔵庫の中の食べ物がどうなったのかの確認はこれからです。とりあえずは無事帰還のご報告と、いただいたメッセージへのお礼とさせていただきます。本当にありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお付き合いくださいね。なお、皆様へのご訪問は、体調が落ち着いてからにさせていただきますね。重ね重ねの非礼をお許しいただけたら幸いです。では。マックス爺 頓首
2017.09.19
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今晩は。本日病院を3か所梯子した結果、脳内に出血があることが分かりました。これが頭痛の原因でした。今から支度して今夜入院します。手術は明日です。最短で3日、長くて5日の入院。暫くブログはお休みします。私は案外元気でおります。ではでは。
2017.09.15
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今日は写真を入れようとしてもエラーになってしまいますね。2度3度とトライしていますが、全然進まず状態。2,3日前から不調でしたが、今日はかなりの重症ですなあ。しばらく後にもう一度やり直してみますね。どうもスミマセ~ン!!
2016.11.13
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↓のブログ、15日となってますが、古い形式で書いたため直すのを忘れていました。9月16日分として読み替えてくださいね。どうも済みませ~ん!!
2016.09.16
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皆さん今晩は~!!旅先から先ほど無事帰宅しました。留守中のコメント、ありがとうございます♪写真の整理はこれからなので、明日のブログは少し遅くなるかもです。ともあれ、明日からどうぞよろしくです。
2016.09.04
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虫が鳴いている。台風10号は大きな被害を残して日本海へと消えた。一月に4つの台風に襲われた北海道。統計史上初めて東北の太平洋側に上陸し、多数の死者を出した岩手県。犠牲者の皆様には心から哀悼の意を表し、災害を受けられた方々には、何とか元気で立ち上がっていただきたいと願っている。 台風10号が去った翌日。私は眼科へ行き、緑内障の症状の進み具合を確認するため「視野検査」と「眼圧測定」を受けた。検査の結果、幸いにも症状はさほど進んでいないとのこと。最悪の場合は失明すると言う緑内障だが、それなりに見えることに感謝し、2本の目薬を処方してもらって帰宅した。 その日の午後、バスと地下鉄を乗り継いで街へ出かけた。数日前、私は全精神力を駆使し、この日のために資料を準備した。人生の岐路とも言うべき舞台。何としても正義を貫き、第三者に身の潔白を訴える必要があった。きっとその姿に訴えるものがあったのだろう。私の言い分は通り、相手は妥協せざるを得なかったようだ。そうか。そんな展開になりそうか。だが私は油断せず、二の矢、三の矢を準備する積りだ。 長い間、私を苦しめて来たこの問題。きっと血圧や不整脈にもあまり良い影響は与えなかっただろう。だが、ほんの少しだけ前途に明かりが見えて来たように思う。正直者がじっと苦痛に耐えなければいけない状況は異常だと思うのだが、そんな状態から脱却出来る日が、やがて来ることを信じたい。 先日「24時間テレビ」で林家たい平が100kmマラソンに挑戦する姿を観た。20年以上ウルトラマラソンに挑戦し、70歳で最後のフルマラソンを走った私から見て、彼が本当に100kmもの道を走ったかどうかは不明。わずか数か月の練習で100kmが走れるほどウルトラマラソンは楽じゃないのだ。 結局<8月のラン&ウォーク>は14回、96kmに留まった。猛暑、体調、緊迫した精神状態の中で、それがやっと私が到達出来た距離だった。仲間が走った「薬莱山とお足」への参加も叶わなかった。だが、これが私の現状。猛暑の中の草取り作業も厳しかったが、何とか3回ほど行った。 私は今朝から旅に出る。今夜は岡山県倉敷市のホテルで、筑波勤務時の悪友達と1年ぶりに再会する。80代半ばのS先輩が参加すると聞いたが、昨年は療養中で参加出来なかったF君が今回来れるかどうかは確認していない。ともあれ懐かしい仲間たちと、今夜は愉快な一時を楽しもう。2日目は瀬戸大橋線で高松へ渡り、そこからバスで鳴門へ向かう予定でいる。 2人の孫がそれぞれ中学校、高校の香川県代表として、鳴門市で開催される合唱コンクールの四国大会へ出場することになった由。それを会場で直接聴こうと言うわけだ。鳴門にはかつて私が心血を注いで創った職場がある。当時の部下たちが歓迎会を開いてくれる由。これは年老いた私には何よりも嬉しいプレゼントだ。 上の孫が出場する高校生の部は2日目の開催予定。折悪しく目下台風12号が発達中で、そのころに四国や西日本が進路になりそうな気配。果たして2人の孫娘たちの合唱が聞けるかどうか。懐かしい鳴門の街や海はきっと見られるだろうが、これもまた天候次第。出来れば首尾良く行くことを願っている。何せ四国は遠い。ひょっとして、これが最後の四国行きの可能性すらあるのだ。 鳴門からバスで淡路島を横断し、大阪へ出る予定でいる。「小鳴門橋」、「大鳴門橋」、そして「明石大橋」が見られるはずだが、雨で何も見えない可能性もある。ともあれ帰宅は日曜日の夜の予定。台風の進路次第では、月曜日の帰宅もあるかもね。どうぞそれまで皆様もお元気で。では行って来ますね~!!
2016.09.02
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昨夜パソコンが急に動かなくなり、今朝も同じ状態が続いていました。これではブログの更新も出来ません。 今日は近所の電気屋さんに相談し、急遽古いパソコンをお借りすることにしました。もちろん保存していた写真も使えず、「お気に入り」のデータも消えてしまっています。お友達のブログにを伺うのも不自由だし、勝手にキーが飛んでしまったりで満足な文章も書けません。 新らしいパソコンはウインドウズ10になる予定。きっと難儀ことでしょう。そんなわけで当分不自由な生活ですがよろしく事情を御察しくださいませ~!!簡単ですがご挨拶まで。
2016.06.11
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散歩中などに撮った近所の花々を載せています。飽きないよう他の話題と交互に届けていますが、今日も美しい花々を楽しんでいただけたら嬉しいです。 近所のヤマボウシ(山法師)です。ハナミズキの仲間みたいです。そう言えば花の形が似てますものね。 花の名前の由来は、白い花(実はガクなのですが)の形が山の荒法師の頭巾に似ていることからの命名です。いや、ガクではなく苞だったかな? この花を初めて知ったのは山中を30kmほど走ったマラニックでのことでした。単純な色と形のこの花が、とても強く印象に残りました。あれからもう13年が経ちました。 近所の大きな庭があるお宅に咲いているデルフィニウムなどです。 デルフィニウムの名はあるブログ友さんの所で知ったのですが、この花と同一かの自信はありません。 この庭はとても広く、家が4軒ほど楽々建てられるほどです。家人が庭にいた時は、自由に庭に入って花の写真を撮らせてくれます。 ガーデニングを楽しんでおられてますが、日頃の管理がとても大変なようですね。 これまでに何度か登場した我が家の白花シラン(紫蘭)です。結構長く咲いています。 ムラサキツユクサ(紫露草)です。この花が咲き出すと、もうすぐ梅雨入りですね。 どこででも見かける普通のツツジ(躑躅)。今年は花期が早く訪れたように感じました。 咲き始めのアジサイ(紫陽花)には、まだ色がほとんどついていません。 こちらははっきりとした白い色がついています。これから青い色に染まって行くのでしょう。 こちらはしっかり赤く染まっていますね。アジサイは植えられた場所の土壌の成分で色が変わると言われています。 こんな形をしていますが、これもアジサイの仲間です。恐らくは原始的なガクアジサイなのでしょう。 花壇の植え込みのペチュニア。鮮やかな色の組み合わせが目を引きますね。 白一色のヴィオラもなかなか素敵です。 公園の花壇は対象的に、様々な色が溢れています。 コンクリートの擁壁から垂れ下がるニワハギ(庭萩)。今頃の時期に咲くマメ科の植物です。 ブラックベリーの花です。今年はかなり刈り込まれて、とても小さな株になったのが残念です。 アパートの垣根のブラックベリーは、実が鈴なりに生るのが楽しみだったのですが。 別のお宅のブラックベリーには、ほんのりと色がついていました。 オキザリスは地中に球根があり、なかなか繁殖力の強い植物です。 ホタルブクロ(蛍袋)です。捕まえた蛍をこの花に閉じ込めたと言うイメージでしょうか。日本人の豊かな感性と発想力に感心します。<不定期に続く> 今日はアップ直前に消えるアクシデントがありました。これは2回目の試みです。今度は上手く行きますように!!
2016.06.06
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今日の日づけを勘違いし、「空の表情」<その2↓>を昨日分として載せてしまいました。本日分として読み替えていただければ幸いです。お散歩うさぎさん、ご指摘どうもありがとうございました~!!
2016.03.23
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本日第2弾。メインは下↓にあります。第70回目の終戦記念日の仙台の正午の空です。これからも平和な日本であることを祈ります。
2015.08.15
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<リゾートホテルの一夜> 五能線に乗れて良かった。時間に間に合って良かった。予定通りしらかみ5号に乗れたことで、ホテルの送迎バスにも乗れた。ホテルの入口で大勢の従業員が出迎えてくれた。ここは数ある宿泊あっせん企業の一つから選んだもの。五能線沿線で翌日の行動にも便利なことが理由だが、一人で泊まれる温泉宿はここしかなかったことが大きい。前夜の大湯より高いが、コースの中でもっとも安いプランを選んだ。チェックインし、部屋へと向かう。 部屋のカーテンを開けると、目の前に岩木山が見えた。曇ってボンヤリした山の姿。もっとはっきりした山容を見たかったのだが、翌日は完全に雲の中に隠れてしまった。この山は津軽の人々にとって、心の支えになって来たのだと思う。歌にも歌われ、小説にも登場する郷土の誇り。津軽平野に単独でそそり立つ1825mの雄姿は、津軽富士の名に相応しい。 早速デジカメ持参で温泉に行く。内湯はどうしてもレンズが曇ってしまう。露天風呂は海を見下ろす位置にあった。この温泉の謳い文句は「化石海水温泉」。30万年前の海水がその後の地殻変動で陸封され、地下の火山活動で温泉になったのだろう。舐めると実に美味しい。まるで出汁が利いたおつゆのようだ。写真は先客に撮ってもらった。私と同じ宮城県から来た若い人。こんな裸の姿で済みませんね、皆さん。 これが最も安いコースの夕食。港町だけに、お造りなど海の物が実に新鮮で美味しい。この日もつい冷や酒を頼んでしまった。レシートにサインすると、若い男性のスタッフが言った。安藤水軍は古代豪族の安倍氏が始まりで、安藤氏はその後を継いだと。そこで私は言った。「確か秋田氏や最後は北海道の松前に行った蛎崎氏も関係してるね」。そうなんですよ。彼は答えたが、まさかそこまで知ってる人がいたことに、一瞬驚いた表情。 夕暮れの庭 後で知るのだが、ここ鰺ヶ沢は南部藩が最初に攻めて来た湊。きっと下北半島と津軽半島を船で廻って上陸したのだろう。城を築いて拠点とし、先住豪族を攻め滅ぼした。そして家老職だった大浦氏がこの地を乗っ取り、津軽氏を名乗り弘前藩の大名になる。北前船の西廻り航路の重要な港でもあったが、やがてその役目を他の港に奪われたようだ。この地を巡る争奪史以前に、津軽には華やかな縄文文化があったし、稲作も結構早い時期から伝わっている。 夜になるとロビーが一層明るく感じる。8時半からここで津軽三味線のライブがあると言う。折角だから聞いてみようか。これも旅の楽しみの一つ。一昨年泊った浅虫温泉の宿でも、叩くような演奏の津軽三味線を聞いたっけ。 一番前の右側の席が一つだけ空いていて、私はそこに座って演奏を聴いていた。津軽人にしては洒脱な男が口上を述べ、客を笑わせた。この仕事で東京へも行くそうだ。今の津軽三味線は吉田兄弟のように「叩く」人が多いが、亡き高橋竹山師はそうは教えなかったそうだ。その弟子も、今では数人しか残ってない由。太鼓は女性客の中から彼が指名し、教えながら伴奏させた。 岩木山が津軽人の心の拠り所であるように、津軽三味線もまたこの地方の民衆の心そのものだったのだろう。「津軽追分」など力強い三味線の音色と、長年鍛えた民謡が、朗々と夜のロビーに響き渡った。これも良い思い出だ。演奏を聴いた後、私はホテルのパソコンで、自分のブログを更新した。長時間冷房の利いた空間にいたせいで、すっかり体が冷えてしまった。 翌朝カーテンを開けると、外はどんよりと曇り、小雨が降っていた。5時になるのを待って、朝風呂に行った。前夜(左側)とは男女の湯船が入れ替わっていた。だが、露天風呂の景色は似たようなもの。海の色が濁って見えるのは、天気が悪いせいだろう。すだれを通し、頭に雨滴が垂れて来る。雨の中の露天風呂も悪くはない。そしてまた味の良いお湯を舐める私だった。 6月27日土曜日。旅の第3日目。この日の青森県は全県1日雨の予報。さて、今日はどんな出会いがあるのだろう。最初から覚悟していた雨ではあるが、果たして何が起きるのか。<続く>
2015.07.06
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皆さん今晩は~!!旅先のホテルから書き込みしています。留守中のコメントありがとうございます。初日は岩手のブログ友ニッパさんに無事お会い出来、紫波城公園などいろんな場所に案内していただきました。ニッパさんありがとうございました。2日目は秋田県鹿角市にある大湯サイクルストーンを見学し、五能線の鯵ヶ沢に宿泊しています。明日はつがる市の亀が岡遺跡を訪ねますが、雨になりそうです。途中で帽子を亡くしました。さて、どなりますか?では、またね。おやすみなさ~い♪
2015.06.26
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昨夜遅く、妻の兄が亡くなりました。少しの間ブログをお休みします。また申し訳ありませんが、コメント欄を閉じさせていただきますね。皆様のところにもお訪ね出来ませんが、ご了承ねがいます。寒さ厳しい折りから、どうぞご健勝で過ごされますよう。
2015.01.03
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今日のブログが手続きのミスで昨日の日付のままになってしまいました。これは朝の5時前に書き始めると生じる楽天ブログの問題点です。申し訳ありませんが、12月9日(火)分として読み替えてくださいね~。明日は気をつけますので♪
2014.12.09
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sumimasenn.mokka paso-konn ga koshou desu.
2014.08.31
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下のブログ↓ は間違えて11月27日のままですが、28日分に読み替えてくださいね。つい文章を書くのに夢中になって、日時の指定と口コミテーマを忘れてしまいました。
2013.11.28
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ありゃりゃ~?10月10日(木)の分として書いた日記↓ が9日になってますねえ??10日分としてお読みいただけたら幸いで~す。
2013.10.10
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日本列島の各地に大きな被害をもたらした「爆弾低気圧」は北海道付近にあって、北日本は今日一日荒天のようだ。昨日の午前中、私は妻と一緒に自転車で近所のスーパーへ行った。一週間分の食料品などを買うためだ。ポイントがたくさんつくとかで、気合が入っている妻。彼女が買い物をしている間、私はサービスカウンターに並んで5千円のバスカードを2枚買った。これもポイントは10倍らしく、大喜びの妻。 重い荷物はリュックに詰めて背負い、軽いものは自転車のかごに入れる。妻は合羽に着替えてもう1軒の店へ向かい、私はそのまま家に帰った。真っ暗な空からポツポツ降り出した雨。そのうち稲光がして、雷が落ちた。これは大変。自転車に落ちたらおおごとだ。慌てて帰宅し、買った品物をそれぞれ所定の所に収容。玄関には雑巾とバスタオルを置いた。遅れて帰宅する妻のためだ。 彼女の話によれば、雷がどこに落ちたのか話題になったとか。帰路は雹(ひょう)も降った由。県内では落雷による停電が発生した模様。大雨による被害は無さそうだが、強風で東北新幹線はじめかなりの列車が運休になった。もしマラソンに行っていたら、やはり何らかの影響は受けただろう。 Kスタでは千葉ロッテとのデーゲームが15分遅れで始まったがスタンドはガラガラ。大雨警報や強風警報が出ているから当然だ。だが折角始めた試合も強い雨のため、途中でノーゲームに。0対1で負けていたため楽天にとってはラッキーだった。ファンを喜ばせようと、銀次がビニールシートの水溜りに向かって何度もダイビングヘッド。この日、西武がオリックスに敗れたため、楽天は戦わずして首位に躍り出た。ワハハ。 数日前、私は冬の間室内に取り込んでいた20鉢もの植木鉢を、全て外へ出した。南向きとは言え、暖房のない部屋で良く耐えた植物達。もう遅霜の心配はないだろうとの判断からだが、出して正解。今回の雨で、かなり生気を取り戻したはず。ハイビスカスとノボタンは枝の先を切り戻した。これから気温が上がれば、淋しかった我が家の庭でも色んな花が咲き出すはず。今日は貧弱だが我が家の花達を紹介しよう。 先ずはシンビジウム。花の乏しい冬の間、私達を楽しませてくれたことに感謝したい。これは何度か切り花を楽しんだ後の姿。それぞれもう何年にもなる古い株だが、今も花を咲かせてくれる。 どうってこともないシクラメンだが、これも冬の室内を彩ってくれた。買ったものではなく夏越ししたためヨレヨレだが、それなりに可愛いものだ。 春のトップバッターはブンゴウメ(豊後梅)。昨年は少ない実で梅干しを作った。今年は結構花が多いのだが、蜜を吸うためヒヨドリが花を落とすのが憎らしい。 ムスカリ坊やも春の主役かな?暖かくなるにつれて、背がだんだん延びて来ましたよ~♪ まだ彩の乏しい庭で、一際鮮やかなヒヤシンス。花に飢えていた私達には何よりのプレゼントかも。 ようやく咲き始めた塀際のレンギョウ。今からが本番ですよ~。 ハナモモの花芽。ピンボケですが、折角撮ったので載せてみました♪ この冬、何度も雪を被ったビオラとパンジー。今はもっときれいに復活していますが。
2013.04.08
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打ちたてのソバと揚げたての天麩羅が美味しかった。ソバは少し堅めで腰があり、天麩羅は暖かい。そして食後に小さくて丸い餅が出た。やはり地元の名産で、名前は「松皮餅」だそうだ。これも少し堅く、中には漉し餡。甘さ控えめでとても美味しかった。早めに昼食を済ませた私は外へ出た。隣に物産市の建物。妻はそこでお土産を買った。 駐車場に大きな看板。それは由利本荘市全体と近隣まで含んだ観光案内だった。鳥海山をぐるりと取り囲む市町村。そのところどころに湿原や沼がある。地元の人に聞くと、この市は1市7町が合併して出来た由。道理で海から山までと、市域が広いわけだ。私が以前M仙人に連れて行ってもらったのは「獅子ケ原湿原」で、滝は「奈曽の滝」。もっと海岸に近い隣の市にあることが分かった。 バスは山道へ入る。驚くような細さで、対向車が来ると、どちらかが少し広い場所まで下がる繰り返し。車内で添乗員から事前の説明。若い人だが愛想が悪く、話す内容はほとんど事務的なもの。このツアーの目玉だったレンゲツツジとワタスゲはほとんど終わり、ハイキングコースは泥んこ状態の由。だが、この時はまだそれほど深刻だとは考えてなかった。 バスは桑の木台湿原の駐車場に入った。市の職員の人が何人かで誘導中。ここから先はさらに道が細く、市のマイクロバスに便乗して湿原へ行くようだ。尾瀬沼へ行く時も同じだが、あれは環境保護のため。地元のガイドさんが2人乗り込んだ。悪路に揺られながら山中を行く。数年前までは約1時間ほどを歩いて行ったとか。これでも楽になったようだ。 湿原の入口に到着。ここが最後のトイレ。仮設で使い難いが、男子用は簡単だ。女子用は扉が良く閉まらず、妻が入っている間は私が扉を抑える始末。2班に分かれて出発。私達1班の引率はベテランのSさん。年齢は60歳くらいか。2班の引率者は40歳代の元気な方で、Sさんの教え子のようだ。この湿原は観光客に知られてからまだ日が浅く、目下ガイドの養成中なのだとか。 歩き出して間もなく、戻って来たハイキング客を観てビックリ。彼らの足元は一様に泥だらけ。それがどうしたらあれほど汚れるかと思うほどの凄まじさなのだ。スニーカーを履いた添乗員はバスに残ったが、ようやくその理由が分かった。彼はこの泥道の酷さを十分知っていたのだ。こうなったら覚悟を決めるしかない。やがて問題の泥道が目前に現れた。 普段は歩き易い道だそうだが、先日の台風4号でかなりの雨が降り、悪路と化している。粘土の上、道幅いっぱいの水たまり。転んだら大変と、必死になって笹をつかむ。もう妻のことまで気が回らない。ツアーで転んだ人も結構いるとガイドのSさん。せめて事前に分かっていたら、泥除けのスパッツを持参したのに。市の職員が所々に臨時の木道を架けている。その幅が狭く、桟木もないため、かえって滑り易い。 周回路に入ると間もなく、周囲は鬱蒼としたブナ林に変わる。これで樹齢は200年ほどとか。1本のブナは年間8トンの水を吸い上げ、葉っぱの数は20万から30万枚。落葉すると1ヘクタール当たり3トンの腐葉土が出来、これが天然のダムになる由。そして1年間に放出する酸素の量は44人分に当たるそうだ。かつては営林署が積極的に伐採を急いだ時代があったが、今はその貴重さに気づきブナの苗を植林している由。<続く>
2012.06.25
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野口みずきより ハナミズキ チャーシューメンより シクラメン 恥知らずより フユシラズ レバニラより ハナニラ もうすぐ駅に ツキミソウ 父もいるのに ハハコグサ どんなアホでも エーデルワイス オニユリ怖い お母ちゃん 父ちゃんビビって サルスベリ 火星水星 キンモクセイ 眠たい赤ちゃん ムスカリます 言語 ドウダンツツジ つべこべ言わずに オダマキ! 猿でもないのに 珍パンジー 言ってることが バラバラだ オラそんなこと シラネアオイ もっと頭を ヒヤシンス ツバキを吐いてはいけません きれいな花だね スイセンします 妹も美人だけど アネモネ♪ ゴミを捨てたの ダリア!! 死人にクチナシ どうしましょ? ボタンが取れて 青い顔 人をアヤメると 罪が重いよ 毬つき楽しい オオテマリ 車の無い人 カーネーション 頭がなんだか ボケの花 目が疲れて カスミソウ 何の花? いやいやそれは 菜の花よ 俺だけ怒られ シャクナゲ!! 難問もうすぐ トケイソウ マチスの絵を クレマチス 仕事を辞めて フリージャー マーガレット 読んだあの頃懐かしい お盆はいつも キキョウする 甘い口づけ チューリップ あの恋絶対 ワスレナグサ 金メダル取ったら 頭をナデシコ
2012.04.28
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大相撲春場所の千秋楽。優勝がかかった一番で鶴竜は敗れた。結びの一番では横綱の白鵬が勝って2敗同士の優勝決定戦になった。こうなると場数を踏んでいる横綱の方が圧倒的に有利。それに先場所は優勝を逃しているため、2場所連続で賜杯を手に出来ないのでは横綱のプライドが許さないだろう。やはり白鵬の強さと上手さが優り、22回目の優勝を決めた。 これで優勝回数は尊敬する貴乃花と並んだ。鶴竜のお父さんが日本に来ていたようだが、残念ながらお父さんに賜杯を見せることは叶わなかったものの、大関昇進の切符を手にしたのは立派。大関と初優勝のかかる今場所は、きっと緊張の連続だったに違いない。来場所の大関は6人体勢になるが、粗製乱造にならないよう、切磋琢磨して欲しいものだ。 昨夜床に就いて間もなく家が大きく揺れた。慌ててテレビを点けると震度4の模様。そのまま眠ったが、明け方にも弱い地震があった。今朝は珍しく早起きの妻。愛犬との散歩から帰った時には朝食の用意が出来ていた。いつもは私だけの食事だが、今日、彼女は東京へ向かう。 四国に住む孫娘がピアノだか歌かで入賞し、東京で発表会があるようだ。それを機会に長女、2人の孫娘、東京にいる次男で会い、発表会の翌日にはディ○ニーランドへも行くのだとか。3日間の交通費や宿泊費などの全ては、妻が負担するらしい。まあ可愛い孫や子供と会えるのだから、いくらお金がかかっても嬉しいのだろう。そんな訳で、私は今日から3日間1人暮らしになる。 今日は職場で新たな展開があった。4月から勤務する先の上司と初めて話した結果、これまでに聞いていた条件がまるきり変わってしまったのだ。火曜日と金曜日は別なビルで7時から勤務。勤務時間は2時間半。時間給の単価も下がるみたいだ。あれあれ?と思ったが、この歳でまだ仕事が出来るのは幸運と考えることにしよう。 心配していた同僚の異動先もようやく決定した。何とそれは私がかなり前にお願いしてみた別の事業所。彼も勤務場所、勤務時間、勤務条件がまるきり変わることになる。2人にとっては厳しい現実だが、そのまま受け入れるしかない。早速来週7時から勤務する現場を確認し、明日は他社の人に現場の引き継ぎをする予定。 激動の今日は天候も急変。朝は気持ち良く晴れていたのが強風となり、午後は一時吹雪になった。ソーラーのパネルは昨日中に全て屋根に乗った。まだ電源は繋がっていないため利用は出来ないが、工事代金の残額は今日支払う予定。プロ野球のオープン戦は昨日で全て終了し、来週末には公式試合が始まる。またメジャーリーグが2チーム来日し、練習試合と公式戦が幾つか行われる予定。 昨日のテレビで観たら、野村名誉監督の順位予想によれば、東北楽天はパリーグで5位。これは他チームに比較して、補強が十分でなかったことが大きな理由。まあ、それが妥当な評価だろう。「予想が5位だと星野監督も逆にやりやすいと思うよ」。名誉監督はあっさり言った。余計なプレッシャーを感じなければ、思わぬ展開もあるかもね。
2012.03.26
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< あれから・・ > 沖縄の本部半島を走ったあの日。ピンクのフヨウが美しく咲き乱れ、セミが煩いほど鳴いていた。あれから12日。仙台では北風が吹き荒れる季節になった。それにしても沖縄の変貌には驚いた。沖縄振興予算で、大学院大学の新設、国立工業高専の誕生、離島との間の架橋、道路の拡張と整備などが次々に進められ、すっかり様相が違っていたからだ。だから言う訳ではないが、国土防衛についての関心が沖縄県民の間にもう少し高まっても良いように思うのだが。 帰宅した日、体重は2kg増え、体脂肪率は6%減っていた。沖縄で増えた体重は、4日間でようやく元に戻った。減った体脂肪は約4kgだが、これも徐々に戻りつつある。さて、今回走った距離を精査すると、当初の計画は57kmだった。予定になかった古宇利島一周分の4km、オランダ墓往復分が2km、今帰仁城内の散策と最初の迷子で1km。計7kmが増えた分。逆に減ったのが瀬底大橋往復分の1km。差し引き63km走ったことになる。 第1年次(2008年7月)の「西海岸縦断」が3日間で140km。第2年次(2009年11月)の「東海岸縦断」が2日間で150km。第3年次(2010年12月)の「知念半島一周」プラスNAHAマラソンが2日間で74km。そして今回が63kmを1日で。合計8日間で427km走った計算だ。 もし過去の記録を読みたい方は、先ずこのページの一番下まで行き、「一覧」をクリック。次に「もっと読む」をクリックし、出て来た「過去の年月」(上記のカッコ内参照)をクリックすると見られるので参考まで。 今回の走り旅で、念願だった「沖縄本島単独一周」の夢は果たせた。この他にも走りたい場所はたくさんあるが、夢は夢として取って置くのも良いと思う。また走らないまでも行きたい島はある。イリオモテヤマネコの住む西表島や、最南端の波照間島、台湾との国境に近い与那国島など先島諸島だ。これは死ぬまでに何とか実現したいと思っている。 さて余談だが、那覇の書店で買った2冊の本が一時「行方不明」になったのには驚きもし、大層悲しかった。私は滅多に物を無くすことはないのだ。最終的に見つけた場所は玄関。何と帰宅した日に予備のシューズをスポーツバッグから取り出す際、邪魔になるためそこに置いたのをすっかり忘れ、てっきり妻の荷物とばかり思っていたのだ。 「絵で解る琉球王国 ~歴史と人物~」、大城立裕著「小説琉球処分」がその本。私の勘違いが原因で思わぬ騒動を引き起こしてしまったこの2冊の本を、いつから読めるか楽しみだ。そして我が妻をも、いつかはあの美しい南の島へ連れて行きたいと心から願っている私だ。<完>
2011.11.16
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< 頑張った仲間達 > 収容バスがゴールに着いたのはまだ2時前。この時間にゴールしているのは8時間台のスピードランナーだけだ。「リタイヤ証明」をもらい、預けた荷物を受け取る。出来れば「秋田内陸鉄道」に乗って角館まで帰りたかった。そしてマラソンコースを車窓から観たかった。今回が「秋田」の最後との思いが強かったのだ。 ともかくお風呂に行こう。そして着替えをしよう。気持ちを切り替えて温泉行きのマイクロバスに乗り込む。暫くしてJUNさんが乗り込んで来た。第1回の「佐渡島一周」で一緒だった青年は、今回も8時間台でのゴール。14位だったとのこと。故郷でのレースに出場するため、わざわざ一時帰国した由。 中国への赴任後に参加したレースでは日本人1位になったことや、優勝したこともあったようだ。中国の市民ランナーのレベルはまだ低いとも。私は大震災以降に不整脈が起き、今日も早々にリタイヤしたことを告げた。マイクロバスが向かったのは6kmほど先の天然温泉。途中から100kmのコースに入った。 道路の向こう側を9時間台の選手が走っている。まさか逆向きでゴールを目指す選手を観られるとは思わなかった。坂を登り、空港の地下道に入る。ここは95km地点。選手にとっては苦しい場所だ。誰か知り合いはいないかと目を凝らしたが、知らないランナーだけだった。温泉に着くと荷物を仕分け、ゆっくり洗い場へ向かう。 ここではシャンプーなどが備わっていない。仕方なく誰かが忘れた石鹸で頭を洗い、体も洗った。それから茶色い色の浴槽に沈む。ゆっくりお湯に浸かっているうち、悲痛な想いが少しだけ薄れて来た。やはり電車で帰らず、仲間のゴールシーンをこの目で確かめよう。夕方6時の制限時間までにはまだ3時間以上もある。 体重を測ると68kgを超えている。いつもより2kgほど増えていたことにビックリ。原因は前夜祭で焼きそばを食べた後、旅館の夕食を平らげたことだろう。だが、ゴールに戻るとそんなことは忘れ、蕎麦2杯、おでん、切りたんぽ、ビールなどを次々に飲み食いした。内臓の疲労が少ないため、食欲が旺盛なのだ。ここには既にゴールしたS水さんや、リタイヤしたM井さんがいた。 旅館のマイクロバスを探して荷物を預け、ゴールへ向かう。たんぽぽ走友会のS藤さんが心配そうにご主人のゴールを待っている。M井さんはゴールシーンを撮影するため待ち構えていた。徐々にウルトラ仲間が帰って来る。その1人1人と握手。立山で剣岳にも登った「す」さん、白マスクのCちゃんは途中で転んで指を骨折し、前歯がグラグラになったようだ。 50kmの部のK藤さん、K村さんも元気にゴールした。K藤さんは200km超級の「佐渡島」を1週間前に走った直後の偉業だ。今回クリスタルランナーに王手をかけていたKさんとK彦さんが一緒にゴールしたのには驚いた。偶然とは言え、感動のシーンだった。北海道のH賀さん、クリスタルのS氏、山男のS村さんも無事ゴール。彼は翌日も登山の予定とか。恐るべき体力の持ち主だ。 最後にM仙人が飛び込んで来た。珍しく疲労感が漂っているが、72歳目前の完走は見事。残念ながらゴール出来なかった仲間も何人かいた。6時ちょうど。花火が上がり、それまで鳴り響いていた大太鼓の音が止み、13時間ものドラマがようやく終った。だがタイムオーバーの選手達がまだ走って来る。<続く>
2011.10.03
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< 歴史小説と真実味 > あれほど寝苦しかったのが、朝になったら急に涼しくなっていた。この急激な温度変化は何なのだろう。楽天は昨日も破れた。最近の6試合中、4試合がサヨナラ負けと言う事実を、ファンはどう捉えるべきか。星野監督の来季継続が三木谷オーナーから確約されて以来、楽天はほとんど勝っていない。そして大リーグのスカウトが日本の球場に現れて以来、岩隈が勝てなくなったのは何故? 昨夕は「テンペスト」の最終回を観た。原作者の池上永一氏は沖縄生まれの小説家で、本名は又吉真也と言うらしい。ドラマの元になった小説は雑誌「野性時代」に掲載され、かなり人気の高い作品とのこと。私がテレビ化されたドラマを観始めたのは、第3回くらいだと思うが、その不自然なストーリーには当初から疑問を感じていた。 もちろん小説だから何を書いても自由だが、歴史を扱うとなれば嘘の連続でも困るのだ。特にNHKが取り上げると影響が大きい。つまり沖縄の歴史を知らない人が観ると、あれが真実だと思われるのが怖い。20年以上も前の大河ドラマ「琉球の風」もかなりインチキな話だったし、ストーリーが面白いだけで取り上げるのは、歴史観を歪めることにつながると思うのだが。 以下、私が変だと感じた点を列挙したい。1)琉球王朝には宦官がいないはず。2)第1琉球王朝の子孫が王朝を奪回すると言う話がおかしい。第1王朝(1406年~1469年)は7代で滅び、一種のクーデターで第2王朝(1470年~1879年)が誕生した。テンペストの舞台は幕末から明治なので、第1王朝が滅んで400年近く経っての再興はあり得ない話。 3)第1王朝の子孫が中国に渡り、その子孫がかなり後に琉球に戻るなど無理。4)中国の宦官として孫姓を名乗ること、琉球王朝に仕えることはあり得ない。琉球王国では中国姓を名乗るのは使節として中国に渡るか、中国からの使者を迎える時だけ。5)もし第1王朝の子孫ならば、姓は「仲井真」(なかいま)になるはず。これは中山(ちゅうざん)王の「なかやま」から変化したもので、一族の墓所は旧玉城村仲井真集落にある。 6)主人公が宦官(男)になったり、側室(女)になって御内原(大奥のような所)に入るなどあり得ない。7)琉球では貴族や武士は必ず「名乗り頭」を持つが、父の名乗り頭が「嗣」で、その子が「寧」はあり得ない話。これが貴族の場合は「朝」で、日本の古代の職制である「朝臣」に由来するとか。つまり沖縄では一族の男は名前の最初の一字が同じ漢字になるのが約束事で、今でもかなり守られている。 8)琉球王朝時代の高官には必ず知行地の地名が姓になるとのルールがあり、従って「孫親方」はあり得ない。9)国王の姉である聞得大君(きこえおおぎみ=宗教界の最高権力者)が尾類(じゅり=女郎)となることはあり得ない。10)主人公が幼少時代に、当時琉球で布教していたベッテルハイムから13ヶ国語を習ったとされるが、彼は8年間の滞在中はほとんど監視体制下にあったため、まだ子供だった主人公が短期間で十以上の外国語を学ぶのはあり得ない話。11)また琉球王と薩摩藩の武士の双方を愛するなど到底無理。 琉球大学の高良倉吉教授の名前が「時代考証」担当として上げられていたが、これは「琉球の風」でも同様だ。権威者の名前を借りればそれで「良し」とするのか。高良教授は「琉球史」をダイナミックに捉える人ではあるが、沖縄の歴史観を歪めかねないドラマの片棒を担ぐのはいかがなものだろう。それともフィクションにまでとやかく言う私が間違いで、「漫画」と理解すれば良いのか。<続く>
2011.09.19
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未明大きな揺れがあった。時間は3時22分。テレビを点けると震源地は福島県沖で、この辺の震度は4。それを確認して再び眠った。3月11日の「東日本大震災」以来、結構大きな余震が続いている。起床は4時半。愛犬と散歩に行くため1階に下りると妻の姿が見えない。きっとあれから眠れなくなり、走りに行ったのだと思う。 地震の時に吠えていた愛犬も、その後は鎮まった。昨夜も暑かったが、私が近づくと元気に起き上がる。散歩はいつもの30分コース。今朝は珍しくランニング中の妻に会うことはなかった。坂の上から真っ赤な太陽が上がる姿が見えた。きれいな朝やけだ。坂を下りて前方のアパートを見ると人影。 今日も1人のお婆さんが「作業中」。彼女が採っているのは木イチゴ。正式な名前は知らないが立派な実だ。最初の頃は私が近づくと直ぐに逃げた。それが次の日には逃げなくなり、翌々日からはビニール袋を持って、本格的な収穫をするようになった。もちろんお婆さんはそのアパートの住人ではない。 一度だけお婆さんの姿が見えない時に、その垣根に寄ってみた。10本以上の苗木に、ビッシリと実る黒い実。試しに1個つまんで口に入れると酸っぱい。でも良く熟したものは甘いようだ。確かにこれだけの量があれば、あのお婆さんが毎朝採ってもなかなか減らないだろう。そのアパートに住んでいるのは工事関係の男の人だけ。きっと木イチゴには無関心なのだ。 帰宅して愛犬に餌と水を与え、野菜の収穫。キュウリは曲がったのも入れて4本。これは葉が黄ばんで来たので、もうすぐ終わりだろう。ミニトマトも一頃の勢いがなくなった。実も小さくなったが20個ほどは採れる。トマトは3個。これはまだ実が残っている。ゴーヤが3本。これからが本番だ。 第1現場のガラス扉に異変があることに気づき、掃除担当の小母さんを呼ぶ。鳥がぶつかったようだ。目、くちばし、翼の形そのままの汚れがすっかり分かる。低い所は小母さんが、高い所は私が拭いてきれいになった。鳥の姿は既にないが、ぶつかった時はさぞ驚いたことだろう。 最年長は72歳のお婆さん。彼女がビルの外で拭き掃除をしている時に、突然見知らぬ女の人から「この給料泥棒!」と言われたそうだ。彼女はビックリしたものの返事はしなかった由。一見無駄に見える作業も、全てビルと清掃会社の契約によるもの。事情を知らない人から「給料泥棒」などと罵倒される筋合いはないのだ。 第2現場の若い同僚が私に言う。「公園にボロボロしてるあれって面倒だね」。ええっ!?と驚く。「あれは花だよ」。「あれが花ですか」と、まだ疑問顔。ニセアカシアに良く似た花の残骸が、高い木の上から落ちて来るのだ。彼は農業高校の卒業だけど、あれが花と分からないのが不思議。それに「掃除が面倒」となれば、清掃員の必要性も無くなってしまうではないか。 今日は金曜日。5日分の汗を吸った警備服、2日間の汗を吸った作業服など一式を持ち帰り、洗濯機に放り込む。夕方愛犬と2度目の散歩。今日も暑い1日だった。帰宅後、庭に散水すると、幾分涼しくなる。ユズの実が少し大きくなっている。そして今はクチナシに替わって咲き始めたムクゲ。これでも季節は少し動いているみたいだ。
2011.08.12
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< 喪の色を着て > 2時にセットした目覚ましが鳴る4分前に目が覚めた。直ちにトイレを済ませ、歯を磨く。その間にポットでお湯を沸かし、味噌汁を作る準備。両足には丹念にテーピング。右膝の痛みが気になったが、サポート機能のあるセミロングタイツを履くため、テーピングはしなかった。摩擦を起こしそうな場所にはワセリンを塗布。 朝食は鮭弁当。店で唯一売れ残っていたのがこれだった。前日食べ残したお握りも、何故か紅鮭入り。同じ鮭ならお握りの方が美味い。弁当のご飯を半分残す。野菜ジュースを飲んで、ビタミン不足を少しでも解消。薬は血圧降下剤が2種類、血栓予防剤が3種類、そして不整脈抑止剤が1種類。これで健康が保てると考えれば、負担には感じない。 服装は上がグレーのランシャツで、下が黒のセミロングタイツ。暑くなると考えての選択だった。帽子はグレーのメッシュで靴下は白。シューズはグレーで、タオルハンカチは紺色。今日は派手な色は選ばず、静かに走る積り。まさに震災の犠牲者を弔う喪の色だ。ランシャツの胸には「がんばろう東北、がんばろう宮城」のワッペンを着けた。 家を出る時、妻には一片のメモを手渡した。兄、弟、現在の職場の上司、そして前職最後の職場の人事課の4つの電話番号だ。最後の職場に電話すれば、それ以前に勤務した全ての職場に連絡されるシステム。杞憂かも知れないが、もしレース中に不慮の事態が生じた際の備えだった。 準備を終え、フロントにキーを返却して駅前まで歩く。待っていたのは3時発の最終便。それも時間前に満席になり、スタート地点の北上総合運動公園に出発。15分ほどで到着し、競技場内で早速出走のチェックを済ます。この会場へ来るのはフルマラソンを含めて7度目。空いた2階のトイレに入り、その後軽く体を動かす。 宮城UMCの走友達が徐々に集まって来た。エールを交わし、スタート時間を待つ。3時40分。上着を脱いでリュックに入れ、荷物を全てゴール行きの輸送車に預ける。ロビーで仲間と記念写真を撮り、いよいよトラックへ。空が少しずつ明るみ出す。ランシャツでも寒くない気温。仲間は三々五々、スタートし易い場所へ散った。カウントダウンの後、大助師匠の号砲が鳴る。4時ちょうど100kmの部がスタートした。 いつもは競技場の中を1周半走ってから公園に出るのだが、今日はスタート直後に公園へ。どうやらコースが少し変わる気配。競技場の周囲を2周するうちに面白いほど後のランナーに抜かれる。今日はどうも調子が悪そうだ。50kmの部に出るM子さんと応援に来られたS木さんの奥様から声援を受ける。 2km地点のタイムが14分以上。「バルタン星人」や背広姿の仮装ランナーにも場内で抜かれた。そしてちょっとした勾配が気に架かる。どうも変だ。全くスピードが上がらない。Y田さんには3km過ぎで、その後明走会のG島さんにもあっさり抜かれ、4km地点の手前で早くも完走は無理と悟った。後はこのスピードでどこまで行けるかが問題だ。スタート直前に食べた大福で、胃が重苦しい。<続く>
2011.06.14
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↓ の「国見峠を越えて(1)」は早朝時の関係で前日の日記になってしまいましたが、5月6日(金)分ですので、ご了解くださいませ。
2011.05.06
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< 電車の中で > ホームに行くと山形方面から新幹線がやって来た。だが乗客が乗り込んでからも発車しない。不思議に思っていたが、奥羽本線は単線のため、上りの列車が来るまで待ち合わせしていることに気づいた。新幹線の方が普通列車を待ってるなんて、都会ではあり得ない話。やって来た山形行きの電車に乗り「優先席」に座る。 そして周囲の人が居眠りしているうちにTシャツを脱いで着替え。靴下を脱ぐと足が埃で汚れていたが、そのまま新しい靴下を履く。目が覚めた周囲の人が、私の服装が全く変わったことに気づいて驚いていた。隣のお婆さんに、「仙台から関山トンネルを通って62km走って来た」と教えると、ビックリした顔。 彼女は高校野球の応援を続けているそうだ。「今回の震災で春の東北大会が中止になったけど、宮城では高校野球が出来ないの?」と尋ねる。「海沿いでの被害が酷くて、どこの高校も練習どころじゃないと思うよ」と私。それにしても75歳で野球の応援を続けるお婆さんは凄い元気。今日も遥々他の市まで応援に行くそうだ。 山形駅に着きビールとつまみを購入。本来は改札口を出られないそうだが、何せホームに売店が無いのだ。仙台行きの快速電車は15時42分の発車。座席に落ち着いて悠々とビールを飲み始める。動き出した列車の中で北山形と羽前千歳駅がダブっていたことに気づいた。本来は山形まで行かずに、羽前千歳駅で仙山線に乗り換えるべきだったのだ。道理で山形駅の改札係が良い顔をしなかった訳だ。 山寺駅に着く頃には雨が上がった。駅の真ん前が芭蕉の句で有名な立石寺。大きな岩山の所々に桜の木が見える。芭蕉にはとても及ばないが、ここでも一句 雨止みて 桜燦々 立石寺 *さんさん 苦労して越えた県境のトンネルを、いとも簡単に通り抜ける電車。やがて雪の残る谷間を過ぎて作並駅へ。渓流釣りをしたのか長靴姿で乗り込む釣り人。この時、突然視野が白っぽく。きっと10時間24分もの間走った疲労が出たのだろう。往路に通った熊ケ根橋の橋脚が赤い。道路は雨で濡れ、田圃ではトラクターが忙しく働いていた。そろそろ田植えの準備だろうか。 芽吹く葉を 包みて優し春の雨 田起こしや 春雨止みて寺の鐘 北山駅を過ぎて間もなく、右手に霊園が見える。その中から我が家の墓を素早く見つけた。震災直後でもあり墓参りに行けなかった春の彼岸。そのうち落ち着いたら父母の墓前で色々報告したいと思う。仙台駅に着くと、Kスタ帰りの観客がゾロゾロ歩いている。楽天が勝ったか尋ねると3-1での勝利だった由。貯金3つの、とても嬉しい白星だった。 こうして今年の峠越え第1弾は無事終わった。掛かった経費は全部で2968円。これで1日遊び、かつトレーニングも出来るのだから安いもの。第2弾は明日の「こどもの日」に実行予定。行き先は「南の方」とだけ書いておこう。<完>
2011.05.04
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◎3月28日(月)<震災18日目> センバツ高校野球で東北高校が日大大垣に0対7で敗れた。震災後はほとんど練習が出来ず、しかも被災者へのボランティア活動をしていた東北高校。方やその東北に全力で挑んだ日大大垣。結果は厳しかったが、両校とも実に爽やかなプレーだったと思う。 第1現場で不要になった非常食を大量に頂いて帰宅。これは被害を受けた所属走友会員のご家族に対する支援物資に役立てる予定。夜、一編の詩を書く。このところYさんのブログの更新が途絶えている。彼女は私のブログの第一の愛読者。悲惨な映像をテレビで繰り返し見せられ、私の「震災日記」を読んでるうちに、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が出たのでなければ良いがと心配。◎3月29日(火)<震災19日目> 休んでいた第1現場のS運転手が復帰。津波で行方不明になっていた石巻在住の姉上の遺体確認に行ってた由。長い間水に浸かった顔はどうにか判別出来る程度だったが、身につけた持ち物が決め手になったそうだ。H運転手の場合は、付近のマンホールから真黒な濁流が溢れ出し、裏の小川はあと10cmで氾濫するところだったとか。 東北電力管轄区の計画停電が中止されたのは、急遽水力発電のパーセンテージを上げたためと聞いた。そう言えば、昨春に行った奥只見ダムの電力資料館では「電力量余剰のため付近の発電所では、ほとんど施設維持に必要な分しか発電してない」と話していた。勿体ない話と感じたものだが、非常事態でようやく本来の力を発揮した訳だ。 夜、頭痛が酷くなったため、特製の4種混合薬を服用する。内訳は風邪薬、睡眠薬、血圧降下剤、そして焼酎の水割り。でも危険性が高いため、決して真似をしないように。◎3月30日(水)<震災20日目> 朝から後頭部が痛む。これはひょっとして「くも膜下出血」の危険性があるかもと思い直し、極力リラックスに努めることにした。痛みの原因は極度の緊張と睡眠不足が続いたため。水分の補給にも注意し、声を出して笑い、血圧降下剤は自分の判断で1日2回服用することにした。服用中の睡眠薬と血圧降下剤はとても薬理作用が緩いもの。 帰宅後、タンスの中からランニング用のTシャツのうち比較的新しいものを選別。ほとんど未使用のバスタオル、新しいタオルや靴下などを拠り分け、救援物資用として準備。香川のYさんから丁重な手紙と見舞金をいただき、心から感謝している。 この日楽天は西武との練習試合をしたようだ。先発の田中は3対0の完封勝ち。いよいよ本来の調子が出て来たか。本拠地Kスタでの初戦は4月29日(祝)に決定。そして連休中は全てデーゲームになるようだ。◎3月31日(木)<震災21日目> 魔の3月も今日で終わり、明日からは4月。震災後3週間を迎えたが、公共交通やインフラの整備にはまだまだの感がある。17回を数えた「震災日記」を今回でひとまず終了し、明日からは新たな視点で書きたいと思う。長期間のご愛読に感謝します。これから3回目の入浴に行く予定。<3月のラン&ウォーク>ラン回数:3回 ラン距離14km ウォーク回数:毎日 ウォーク距離:205km(自転車の距離の40%分を含む) 年間走行距離:409km 年間累計:871km これまでの累計:75551km
2011.03.31
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◎3月27日(日)<震災17日目> 朝食後、近所の温泉へ直行。2度並んで整理券を2枚ゲットし、他の人と交換して同じ時間帯のものが2枚揃った。着替えも含めてわずか30分間の入浴タイムだが、これで妻も体を洗えると喜ぶ。入浴ルールを書いたメモと整理券をテーブルの上に置いて、久しぶりにランニングに行く。 17日遅れで届いた医療用インソールの具合が果たしてどうなのか。そして今月まだ8kmしか走っていない足が正常に動くのか。その2つが問題点。やはりゆっくりと走る体力しかないようだ。何と言うのろまなランナーなのだろう。いやこれではジョガーとも言えないだろう。途中、震災のため臨時的に開けた消火栓で給水。 坂道往復を繰り返し47分走って帰宅。走ってみての感触は、自分勝手にインソールを削ったのが原因で、足底部のフォロー機能が乏しい感じ。これでは薄過ぎて医療用インソールの役目を果たさないかも知れない。20kmほど走った場合はどうなのか。そして100kmクラスのウルトラレースで、障害が出ないかが心配。 帰宅するとメモと入浴用整理券が裏返しになっていた。それは妻の「自分は行くつもりはない」と言う意志表示。買い物から帰った妻に声を掛けたが、手を横に振るだけ。12時20分頃に温泉へ到着。何度か入った人の話だと、30分を過ぎて入っていても文句は言われないそうだ。少し様子が落ち着いて来たのかも知れない。 洗い場に座ってシャンプーを始めようとしたら置き場所に無い。隣の人が戻さないのだ。不思議に思ったが黙ってそれを取り、頭を洗った。体を洗っている途中、隣の男の人の体が小刻みに震えていることに気づいた。「どこから来たのですか」との問いに、石巻で津波に遭って逃げて来た由。その声も正常とは言えない。 どこをどう逃げたのか全く覚えていない。拾ったジュースを飲んだら油の味がした。石巻から古川までは自衛隊のヘリコプターで運ばれた。避難所で2日間過ごしたが、1日の食料が乾パン1枚だけだった。古川から兄弟が住む仙台まで、再び自衛隊のヘリコプターで運ばれた。会社は海に流された。自分は1人暮らしで、温泉に入るのは初めて。私の問いに、ボソボソと答える男の人。 体に少し泡が着いたまま、彼は浴槽に入った。お湯の中にタオルを入れるので、「それはダメだよ」と教える。見せてもらった彼の手はボロボロ。夢中で何かを掴んだのだろう。死んだ人をたくさん見たと言う。その恐怖が未だに去らないのだ。「元気を出してね」と肩に触れて、私は先に出た。 廊下でジュースを飲み彼の分も買って待っていると、ある女性と話す彼。それは心配して待っていた妹さん。彼女は車に乗って逃げたそうだ。「白髪染めがまだ出来なくて」と、こちらは身なりを気遣うだけの余裕がある。今は仙台の姉宅で世話になっている由。「兄が他人と口を利き、笑顔を見せたのは震災後初めて」と妹。「親切な人がいてくれて助かりました」と丁重に礼を言われた。よほど嬉しかったのだと思う。 夕方の散歩でトムに会う。彼はラブラドル犬のオスで体が一際大きい。震災当日は庭で留守番中。地震で開いた戸から家の中に入り、倒れる家具を避けながら震えていた由。それ以来、余震の都度怖がって家族の布団に上がるらしい。夜だけ玄関に入れる我が家のマックスは余震のたびに立ち上がり、頭や体を撫でるとようやく安心する。彼らにとっても今回の地震は大変な恐怖だったと思う。 ブログへはS木さんからのメモ。古川グループでは往復36kmの「買い出しラン」を決行した由。トレーニングを兼ねてと言うから恐れ入る。翌日も再び「買い出しラン」を行う予定。K野さんのHPなどで津波被害の写真を見たが、景色が一変してしまった。 田圃に海水が入った塩害で今後数年間は稲作が不可能とか。また農機具の買い替えには約1千万円が必要らしい。宮城県内では1割の自動車が被災して廃車扱いとなり、県の被害総額は1兆円超で年間予算額を上回る由。 この状況下でも「さくら道」270kmは決行。「野辺山100km」は中止が決定。
2011.03.30
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今朝、詩を書いて載せましたが、システムの関係で『3月28日分』として掲載されています。よろしければ下↓ の詩もお読み頂けると嬉しいです。◎3月25日(金)<震災15日目> 前夜は久しぶりに5時間も眠れた。今日はいつもより3日早く給与が支給される。震災のため思わぬ出費を迫られた多くの社員にとっては朗報のはず。暫定的に前月の実績と同額支給のため、来月は日数の関係で支払額が減る計算だ。さるスーパーでは、たくさんの種類の商品が安く、しかも行列しないで買えると聞き早めに帰宅した。「昼休み中の買い出し許可制」の初の行使。 家に寄らず某スーパーへ直行。商品が満ち溢れた店内に買い物客はまばら。さらに驚いたのが値段の安さ。大量買い付けで低価格を維持し、「買い貯め」騒ぎの無い地区の商品も廻せる。これが全国チェーン店の強みか。大根1本800円でも買わざるを得なかった店とは雲泥の差。騒動が一段落すれば、そんな店には誰も寄りつかなくなるのに。 成分無調整の牛乳が2本で380円だから、まあまあか。他の店では並んでも買えない。県内の酪農家では容器の牛乳パックがないため出荷出来ない由。直接訪ねた場合は1人2リットルまで販売してくれるようだがガソリンが無いため誰も行けず、むざむざ生乳を捨ててるとか。いやはや勿体ない話。これで我が家の「カスピ海ヨーグルト」は何とか絶滅を免れた。 次に行ったのがチケットの払い戻し。プロ野球の今季日程が狂ったお陰でお金が戻るのも変な感じだが、極力有効に活用したいと思う。どうやら私がその店での「払い戻し第1号」だったようで、手続きに少し時間がかかった。そこは昨年末に2度強盗に襲われた店。震災騒動で商品がほとんど無いことも、店主の表情を堅くさせていたのだろう。 区内でガス管とガス器具の点検が始まったが、残念ながらこの日は来宅せず。福島原発の放射能漏れがいよいよ現実のものになって来た。夜9時前に大きな余震。震度4だが、それくらいではもう驚かない。香川のTANさんから2度、地震見舞いのメールをいただく。◎3月26日(土)<震災16日目> テーブルの上に妻あてのメモを置いた。内容は某スーパーのことと、灯油の販売状況など。だがメモが裏返しされただけで反応はない。老人福祉施設に勤める近所の人の話では、老人は配給の乾パンは堅くて食べられない由。電気もガスも水道もないろうそくだけの生活で、体調を崩す老人が続出してるそうだ。 間の悪いことに自室の電気コタツが壊れ、寒さで頭痛がし出した。「何でも良いから風邪薬を出して」とのメモにも無反応。仕方なく歯医者でもらった痛み止めと化膿止めを代用。ようやく見つけた小さな電気カーペットをコタツに入れ、毛布と厚めの靴下で何とか暖を取る。 この日届いたのが愛媛のH岡さんからの自家製米30kg、香川の長女から食料各種と米と果物、九州の弟から某秘密燃料。それぞれ有難く頂戴する。岡山のH瀬さんからは心配のメール2回。欲しいものは特にないと返事。ガスの点検は今日も来ず。電子レンジで2枚の濡れタオルを温め、体を拭く。 鹿児島のN田氏、沖縄のA井さん、神奈川のT氏から頂いた地震見舞いへの返事を書いて投函。BS放送では連続ドラマ「てっぱん」の最終放送。無理なストーリーではあったが、家族と隣人愛の大切さを感じることが出来た。メデタシメデタシのエンディングは、ゴタゴタ続きの昨今には一服の清涼剤になった感も。 楽しみにしていたマラニック4月の「秋保夢舞い」、6月の「エンジョイジョガーinみちのく」は、共に中止が決定。同じく5月の「仙台国際ハーフ」、「吾妻スカイライン」も中止。エントリーしていた「洋~湖~海」は今のところ連絡無し。「仙台鉄人会10時間走」は不明。唯一6月の「いわて銀河ウルトラ」は開催決定。9月の「秋田」はエントリーしないまま様子見。 夜@futabaさんのブログを通じて坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を聞き、長女が送ってくれた沖縄のオリオンビールとミミガー(豚の耳の皮)ジャーキーを味わう。謝礼電話をかけたが留守電だった。疲労の限界か、曜日を忘れ、指と声が震える。
2011.03.29
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◎3月24日(木)<震災14日目> この日は私の67歳の誕生日。大震災の年の誕生日を、生涯忘れることはないだろう。朝食は弟が送ってくれた非常食の赤飯。塩を振って食べたが、もちもちしてとても美味しい。台所にもう一つ出して置いたが、妻は食べなかったようだ。誕生祝いをする心の余裕がなかったのか。それとも非常食が食べられなかったのか。多分その両方だと思う。 妻の寝室に「行って来ます。今日は俺の誕生日だよ」と声を掛けて出勤。試しにいつものバス停まで歩いて行った。バスの運行状態によっては、通勤と勤務後の帰宅ランを再開出来るからだ。 だが2週間乗らないうちに経路が変わり、今は国道を通っていることが分かった。それも平日なのに休日用ダイアでの運行。それでは勤務に間に合わない。慌てて自宅まで走って戻り、自転車で出勤。今月のランは地震前の7kmだけ。だから1kmと言えども今朝は貴重な練習になったし、足の痛みの確認も出来た。落ちてた朝刊を読んだら、購読紙と全く違って妥当な報道。やはり契約を変えるべきか。 第1現場では施設の巡回から仕事が始まる。震災後いち早く他県に移転した会社。被害地の最前線で頑張る会社。一時事業を縮小した会社。自宅に帰れず泊りこむ社員。遠くから歩いて通う人。そして急に増えた自転車族。交通事情の悪化のために出勤時間を遅らせた会社が多い。 ビル内では出来るだけ各社の社員に声を掛けるようにした。「被害はありませんでしたか?」。「水は出るようになりましたか?」。「体調はいかがですか?」。「親戚の方は大丈夫でしたか?」などなど。声を掛けられて一瞬戸惑った表情を見せるものの、答えが必ず返って来るのが嬉しい。 震災の翌日シャンプーを無料にした2Fの美容室は、3日目から有料で500円となり、1週間後には通常料金に戻った。他の店舗が全て被害に遭い、スタッフ全員がこの店に来た。彼らに給料を支払うためにも、善意の奉仕を続ける訳には行かないのだろう。 事情は我が社も同じ。契約先のビルが被害を受けたため、減額されたり契約解除になるケースもありそうだ。特に仙台空港ビルではこの先数カ月は閉鎖となる。その間は仕事がないため我が社への支払いも当然なくなる。そして千名のパート職員の中には、本人や家族が亡くなった人、家や車を失った人が必ずいるはずだ。 第2現場では昼休みを早め、買い出しに行くことが許可された由。それは初耳。そんな重要な情報を何故もっと早く教えてくれなかったのか。帰宅後近所の人から面白い話を聞いた。隣町の集会所には、「どの店にどれだけ行列してるか」黒板に書かれている由。さらにスーパーなどの開店情報はネットで調べる由。なるほど、それなら正確で効率が良いわけだ。 鹿児島のN田氏から見舞いのはがき。そして義肢製作所で調整中だったインソールが17日ぶりで届いた。待ちに待った医療用インソールをシューズに入れて散歩。だが私が不用意に削ったため補正機能に問題がありそうな感触。果たしてこれで走れるか不安になった。妻は病を押して通院し、風邪薬などをもらって来た。 今日初めてガス局の職員が訪れ、元栓に「使用禁止」のテープを張って行った。明日から点検が始まるが、1軒1軒ガス管とガス器具を確認するため直ぐには使えそうもない。果たしていつまで待ったらガスが出るのか。 セパ両リーグの同日開催が正式に決まったこの日、プロバスケットbjリーグの仙台89ersでは、コーチ以下全選手の契約解除が発表された。今回の震災でスポンサーが降り、運営資金の目途が立たなくなったのだろう。東北楽天の本拠地であるKスタでも被害があり、補修にはかなりの日数を要するとか。現状は悲惨そのものだが、こんな時こそ力を振り絞って前進する必要がある。ガンバロー東北!!
2011.03.28
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◎3月23日(水)<震災13日目> 第1現場で頭と顔を濡れタオルで拭く。鏡に写る蒼白な顔の自分にギョッとする。連日の不眠が堅い表情しか出来なくしてるのだろう。果たして自分はどんな救援が出来るのだろう。ビル内を巡回しながらそのことを考える。マラソンで鍛えた積りだがこのところ全く走れず、「地震酔い」のため足取りが覚束ない。こんな時こそ怪我しないよう気を抜かないのが大事。 役員送迎車の運転手さんに、思い切って「支援物資」の供出をお願いしてみた。緊迫した顔を見て、一瞬戸惑いの表情。いくら冗談を言い合っている仲とは言え、やはり唐突だったかと反省。だが彼は「何か探して見てみますよ」と応えてくれた。管理室から新しい雑巾2枚、清掃担当者から新品のタオル1枚を戴く。 第1現場でも第2現場でも、一層厳しくなった省エネで寒いほど。第2現場の休憩室で私は言った。「ワハハワハハ。嘘でも笑っていると元気になるらしいよ」。皆もつられて笑った。掃除の小母ちゃん達は離婚で1人暮らしの人が多く、余震が怖くて眠れないのを知っていたからだ。 帰宅すると、さる講習会の中止のメール。大震災で交通が遮断され、インフラが回復せず、生活が覚束ない現状での開催は無理だと思う。全財産を失った走友の実家や、私の親戚、知人のことを考えれば、まだエントリーしていないマラソン大会へは参加せず、その分を支援に回すべきかとも。「長野」や「かすみがうら」も中止が決定。 兄宅ではその後屋根のブルーシートを頑丈にし、食料も十分確保出来た由。また津波で全財産を失った兄の知人Wさんについては、親戚や友人が救援してるため心配ないとのこと。これでちょっぴり気持ちが軽くなった。 その後、家族を探すためにオートバイで南三陸町に向かった姪の夫君。水産工場の方はトラックで逃げて全員無事だったようだが、実家では膝の悪い母上が心配する孫たちを逃し、自分は家ごと津波に流されたそうだ。覚悟していたとは言え、厳しい現実だった。一方、妻の実家の墓は津波に飲まれたものの、元の場所に残っている由。 その電話の間、耳を塞いで聞こうとしない妻。きっと連続するストレスに耐えられず、パニックになっているのだと思う。岩手県釜石市の104歳の現役陸上選手、下川原さんも津波の犠牲になったと聞いた。昂ぶる神経をさらに張り詰め、その日2回目のブログ搭載。沖縄のAさん、神奈川のT氏から震災見舞いの手紙を戴く。
2011.03.27
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◎3月22日(火)<震災12日目> 深夜に目覚めて焼酎の水割りと睡眠薬を飲んだが、3時過ぎには再び目覚めてしまった。まだまだ緊張感が解けないようだ。仕方なく起床し、ブログの原稿を書き始める。そして今後の救援策を考え始めた。 所属してる南仙台走友会の、震災と津波で全財産を失った会員のご家族のために出来ることは何か(支援物資の種類と義捐金の額は既に決められている)。震災直前に妻を失った従弟を助ける方法はないか。(個人タクシーの運転手だが、色んな事情が重なり収入が激減している) 津波で全財産を失った兄の友人W氏に対する救援策。そして妻を悩ます2人の息子の生活安定と、最大の課題である夫婦関係修復のために今後私が為すべきこと。この4件を何とかしようと私は考え始めた。少しでも被害者への救援が出来るよう、そして少しでも妻の心が和らぐよう。 第1現場の管理室に着いて直ぐ、暖かいタオルで体を拭き、髪を拭き、髭を剃る。寝不足で頭がボ~っとしているが、警備に手抜かりは許されない。建物の中を巡回しながら、自販機でジュースを飲んだ。これも大切な栄養。私が選んだものが最後の1缶だったようで、表示が変わった。自販機の飲み物はほとんどが売り切れ状態なのだ。 今日から2つの現場のビルで被害状況の点検が開始。表面上の被害だけでなく、天井裏の漏水なども徹底的に調べる。さらに両方のビルでは、臨時のゴミ置き場を設けた。被害で壊れた物品や毎日出る生活ゴミなどに区分。量も馬鹿にならないが、臭いが酷いものもある。 帰宅途中、米屋の前を通った。もう行列はなく、普段通りに売ってると言う。値段は5kgで2100円。実はストックは元々かなりあったのだとか。じゃあ、あの騒ぎは一体何だったのだ。「妻と相談します」と答えて退散。物流が戻れば慌てる必要はないし、値段は下がるはず。 この日電話をいただいたのは、徳島時代の同僚I垣さん。筑波時代の麻雀仲間F田さん、そして弟。(彼は赴任先の宮崎で妻を失い、定年後もそこで暮らしている)。F田氏及び弟との電話では初めて笑い声が出た。弟は何とかしてカセットボンベを送ると言う。茨城勤務時代のN川さんからはブログへお見舞いのコメント。 愛媛時代の部下で走友でもあるH岡さんから2度目の電話。自家製の米を運送会社の営業所まで送ったので週末には届くとのこと。思いがけない厚意と対応の速さに驚く。自転車で営業所の場所を確認に行った。これで米の心配も解決。愛媛からは併せて5回も心配の電話をもらった。来年は必ず「愛媛マラソン」へ参加し、かつての走友達にお礼を言おうと思う。 歯の治療はこの日で終了。痛みもすっかり無くなった。奥様、先生、スタッフの皆さんから、届けた野菜や果物のお礼を言われた。3回ともじゃんけんに負けてトマトとキュウリが当たったがとても美味しかったとまるで天使のように無邪気な奥様。2人の子供が、食料と灯油の調達係とか。この日も患者さんが「蒸かしいも」を届けてくれた。 「スマイルハート歯科医院」では大震災の中でも休まずに治療を続けた。名前通りの立派な行為だったと思う。食料調達もままならなかったため、スタッフ一同空腹の日々だったはず。先生の顔が相当やつれていた。それでも院内に漂う暖かい空気はいつもと同じだった。1切れのサツマイモと2杯のお茶をご馳走になり、歌を歌いながら家路を急いだ。 今日は新潟からのパイプラインで、2つの病院にガスが通った由。ありがとうね新潟!!そして一貫してセパ両リーグの同時開催を求め続けた新井選手会長(阪神)の努力が実った日でもあった。新井、おまえは本当に立派だったよ!! 夜、ケルティックウーマンの美しい歌声を聞いて就寝。
2011.03.26
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◎3月21日(月)春分の日<震災11日目> 朝食後、愛犬を庭に放って草取り。前夜も眠れてはいないが、体を動かすうちに少し緊張がほぐれる。やはり人間には休養が必要だ。地震の後で姿を消していたヒヨドリが、数日前から再び庭に来出した。ヒヨドリに啄まれたチヂミ菜でも食べられないこともないが、そのうちトウが立ったのを摘もうと思う。 草取りの後、畑の始末。結局「仮設トイレ」を使ったのは4回。その跡も含めて均す。玉ネギ畑に他から7本の苗を移植し追肥。淋しい庭にフユシラズが咲いているのには気づいていたが、ツルギキョウとクリスマスローズが新たに咲き出した。スイセンの蕾がかなり大きい。枯れたと思った福寿草が生きてたし、牡丹の赤い芽が元気そう。どうやら春も近そうだ。 近所のスーパーに並び、幾つかの食品を買う。従弟宅を弔問する際の供え物にするためだ。果物は買える個数が制限。亡くなった方へは申し訳ないが、こんな非常時には生きている人のための食品が良い。従弟の家でもその方が有難いはず。だがそのことでも妻と口論になり、結局代金はもらえなかった。 従弟の家に行くのは2度目。転勤で31年間仙台を離れた間に、すっかり街の様子が変わっている。途中の町ではガス漏れの調査中だった。迷いながらも従弟の家に辿り着く。久しぶりに見る従弟は、堂々たる親父の顔になっていた。長男の嫁はうつ病で別居中の由。長男もその影響を受けて失職中とか。従弟の苦労が偲ばれたが、決して弱みは見せなかった。 霊前に線香を手向け冥福を祈る。とても出来た妻だったと従弟。叔父叔母の位牌にも手を合わせた。彼から今回津波で亡くなった従兄の話も含め、親戚の被害状況などを聞く。塩竃市や松島町の被害が少なかったのは、松島の島々が防波堤代わりになったからとのこと。福島原発への津波の高さは14mだったようだ。 帰宅後、愛媛時代の部下H岡さんから電話。有難いことだ。所属走友会の掲示板を見たら、津波などで家族が全財産を失った会員が4人居られ、義捐金と援助物資を募集中との案内があった。黙ってるけどみんな苦労してるんだ。私もこんなことくらいで負けてはいられない。 復興まで数カ月かかるとされたガスの供給は、民間会社の新潟からのパイプラインを活用し、1カ月ほどで開通出来ることを知った。これは思いがけない朗報だった。元気を出すためにも、この日からブログのコメント欄に返事を書くことにした。皆さんご心配いただき、ありがとうございま~す♪
2011.03.25
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今日3月24日(木)は私の67歳の誕生日です。大震災が起きた月なので、決して忘れることはないでしょう。震災後の出来ごととブログ掲載日にタイムラグがあり、事態は刻々と変化しています。極力タイムラグを無くす努力をしていますが、なかなか省略しづらい面もあります。この事情をご理解いただければ幸いです。◎3月20日(日)<震災10日目> 前夜はアルコールと睡眠薬を一緒に飲んだ。きっと眠れるだろうと期待したのだが、効果は薄かった。それだけ緊張が強いのだ。心身の安定のためならブログは書かない方が良い。詳細に書けば書くほど、さらに神経を覚醒させるためだ。だが私はどうしても書くことに強い拘りがある。100kmや200kmのレースを走った後で完走記を書く状況と大変良く似ている。 朝の散歩時に薪になりそうな木を探す。ガスの復帰に後4カ月もかかり、カセットボンベが入手出来ない現状を考えれば、かまどを作って炊事をせざるを得ないのだ。かなり大きめの丸太を見つけ、家の裏側に隠した。妻が「かまど」に反対のためだ。物置の中には薪になりそうな木も少しあるので、3日分の燃料にはなるだろう。 前夜から兄宅への支援物資を準備していた。トイレットペーパー、キッチンペーパー、植物油、洗剤、私の小遣いで買った食料品など。それに見舞い金。重いものはリュックに背負い、軽いものは袋に入れてリュックに重ねる。マウンテンバイクで9kmを慎重に漕いで無事到着。口の利けない兄に代わって兄嫁と話をする。 壊れた瓦の上にブルーシートを暫定的にかけたこと。地震で真っ二つに割れた室内の板戸は、修復を依頼中であること。先月から4件葬式があり、全て兄嫁が参列したことなどなど。亡くなったのは名古屋の叔父、兄嫁の実兄、従弟の嫁、それに今回津波で死んだ従兄。品物は受け取ったが、見舞い金はなかなか受け取らない。それを無理に渡した。 実は家を出る際、妻と大口論をした。トイレットペーパーは自分が苦労して買ったものだと言うのだ。安い時に買って置いたものが家には捨てるほどある。数巻のトイレットペーパーくらい知れたものではないか。身障者の兄の介護だけでも大変なのに、長男の嫁として全ての法事に出席したらお金はかかるし、体も疲れる。そんな状態で買い物の行列に長時間並ぶのは無理なのだ。 昨夜の妻の夕食とこの日の朝食は私が作った。そのお粥に混ぜたしらす干しも、兄宅へ届けるために私が買ったもの。妻の異常とも言える金銭感覚は前からだが、その異常性がどこから来るのかが私には謎だった。兄嫁は自分が苦労して手に入れたカセットボンベ3本を快く譲ってくれた。そしてそれを売っているHCの場所を教えてくれた。 見知らぬ田圃の中の道を迷いながら探す。途中で2人の人に聞いて、ようやく見つかった。約1時間待って、待望のカセットボンベを2組(6本)買えた。兄嫁がくれたのを併せると9本。これで当分は大丈夫。フラフラ状態の私を見かねて、隣に並んでいた女性がチョコレートをくれた。 家に帰って妻に見せると、さほど喜ぶ様子はない。試しに別の種類のボンベを入れると、それも使えることが分かった。それらのことは、HCで並んだ時に聞いた情報。疲れたが大収穫だった。早速兄嫁に連絡すると、とても喜んでくれた。昼食は麺類。午後から乏しくなっていた焼酎とつまみを買う。つまみは他に転用するため。今はどんな食べ物でも貴重なのだ。そのことを妻は全く知らない。 兄の友人が津波で全財産を失ったことを知った。私に何か出来ることはないか。そして妻をガンで失った従弟のために出来ることはないか。トイレットペーパーのことで喧嘩になったと話した時、ひょっとしてうつ病ではないかと言っていた兄嫁。まさかとは思うのだが。 夕方、近所に引っ越して来たお宅に地震の被害状況を尋ねると、逆に「良かったらお風呂に入りませんか」との話。そして夜我が家まで誘いに来てくれた。そこはオール電化の新築の家なのだ。妻は熱があるため辞退し、私は前日温泉に入ったのでまだ大丈夫。 留守中に筑波時代の先輩Tさんから電話をいただいた由。この日のビッグニュースは、石巻市の祖母と孫が、9日ぶりに被害に遭った家の中から発見されたこと。生命力の凄さに感銘を受けた。そして自分が書いたブログを読み返していたら、急に悲しさがこみ上げて涙が止まらず、声を上げて大泣き。 妻がうつ病かは医師の診断を受けないと分からないが、少なくてもうつ状態にあるのは間違いない。この大地震で彼女は大きなストレスを受けたはず。だがどうしてもこれまでの行動パターンを変えられないのだと思う。焼酎を2杯を飲んで寝たが、この夜もやはり眠れずに朝を迎えた。
2011.03.24
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◎3月23日(水)2度目のブログです。1回目(no8)は↓○3月18日(金)<震災8日目> ようやく開通した水道。まだ濁りはあるのだが、妻は震災後初めての洗濯をし出した。大量に水を使用すれば、徐々に水質は良くなると思う。この朝の最低気温はマイナス4度。通勤手段はやはり自転車しかない。職場に着き、事務室で寝泊まりしている青年に弁当を渡した。少しずつおかずを寄せ集めて私が作ったものだが、栄養のバランスは良いはず。いくら若いと言ってもカップ麺だけでは体に悪い。 帰宅途中にかかりつけの内科に寄って診察券を出す。睡眠不足が続き体調が心配だったからだ。銀行でお金を下ろし、診療費や薬代の支払いに備える。ドッグフードを持っている人を見つけ、売ってる店の名前を聞いた。まだ愛犬の餌は残っているが、これだけ買い貯めが続くと、つい入手出来るかが心配になる。 診察の結果、血圧の状態は良かった。医師に地震以来の不眠を訴えると、ごく弱い睡眠導入剤を処方してくれた。薬をもらいドッグフードを買った後、温泉へ向かう。つい最近になって営業を開始したのをニュースで知ったため、確認に行った訳。その日の整理券は既に終了し、翌日は9時に整理券を配布する由。だが早い人は6時から並ぶそうだ。 帰宅後、義肢製作所に電話。地震発生の4日前に調整を頼んだインソールが11日も経って、まだ着かない理由を確かめるためだ。社長の話によれば運送会社の集荷所にあるのだが、ガソリン不足で配達が出来ないのだとか。そこで運送会社にも連絡し、医療用のインソールなので無いと足に負担がかかることを告げた。だが、取りに来れば渡すとのこと。 我が家には自転車しかない。クタクタの体で20km先の高台まで行くのは無理だと言うと、善処してもらえることになった。結論は義肢製作所まで戻し、ガソリン事情が改善したら自宅まで届けてもらうことにした。先ずは所在が分かって一安心。 夜、四国の長女から電話。1つ目は仙台から脱出して四国へ避難する件。これは困難と回答。2つ目は長距離バスに乗って新宿で落ち合い、米とカセットボンベを長女から受け取る案。これも気持ちは有難いものの、そこまでする必要はないと返事。長女の夫君の母上からも、地震見舞いの電話をいただく。 この日は他に、石川勤務時代の走友K河さんから電話をいただき、沖縄のM原さんからは、メールをいただいた。その夜、早速もらったばかりの睡眠薬を飲んだが、全然眠れない。作用がごく弱いみたいだ。 ○3月19日(土)<震災9日目-1> 早朝に目覚めたため散歩と朝食を済ませてから、近くの温泉へ行った。6時前だと言うのに50人はいた。後で正式に数えたら私は60番目。整理券をもらうまで3時間近くかかった。この行列を整理したのは職員ではなく、順番待ちの3人。そうでなかったら、大混乱になるところだった。何しろ8日間も風呂に入ってない連中ばかりなのだから。帰宅して妻にお風呂へ入るよう勧めると、風邪気味なので遠慮する由。 午後に歯科の診療がある。この前に近所のスーパーに並んで野菜と果物を購入。これを歯科に持参するとスタッフ全員が大喜び。どうやらプレゼントと思ったようだ。私は忙しい彼らに代わって調達した積りだったのだが、それを見たらもうお金は取れない。 宮崎の弟から食品と地震見舞いが届く。弟に電話し、このお金は実際に被害を受けた兄宅に廻すことにした。もちろん我が家も同じ額を追加した。徳島のHさんからも手紙と義捐金。早速電話で丁重に謝礼を申し上げる。 報道によれば、仙台の都市ガスは生産まで数カ月かかり、ガス管を点検して供給するにはさらに日数を要するみたいだ。いやはや何とも長い戦いになりそうだ。兄宅へ連絡すると、従兄が入院していた病院で津波に遭い、この日が合同の葬儀だったことが分かった。風邪気味の妻は完全に寝込む。夜、筑波の悪友F田氏から電話。
2011.03.23
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○3月17日(木)<震災7日目ー2> 勤務後、一番町の裏通りに行く。ここでは何か食べられると聞いたからだ。今日はまず腹ごしらえをし、米屋の行列に並ぶ積りだ。なるほど幾つかの店が開いていた。電気と水が復活したのは分かるが、燃料はプロパンガスなのだろうか。小さなお握りが2個で200円。店内でしか食べられない所、お持ち帰りが可能な所など様々。 私が入った店は焼きそばとトン汁のセットで400円。それでは量的に足らないため、別の店からお握りを買ってきて食べた。少量のキムチがついていた。かなりかかってトン汁。次いで焼きそばが目の前に。どちらも良心的な内容で、今この値段なら直ぐに売れ切れてしまうだろう。近所のオフィス街からどっとサラリーマンが押し寄せ、狭い店内に活気があふれる。 帰宅がてら寄った米屋は、残念ながら既に本日分は売り切れ。明日も売る予定だが土曜日は不明とか。毎日一定量しか売らないため、どうしても欲しい人は6時頃から並ぶ。まあ仕事をしてない人しか無理かも知れない。諦めて帰る途中、近所に卵屋さんがあることに気づき、ついでに訪ねることにした。卵は妻も欲しがっていたからだ。 販売機には無かったが、裏の建物に行列。ちょうど良いタイミングで売り出し始めたばかり。少しだけ待って10個入りの袋を2個買えた。値段は400円だから安いもの。ただし餌が不足しているので、いつまで鶏が卵を産むか分からない由。ともかく貴重な卵をゲットして意気揚々と帰る。あっと言う間に長くなった行列。あの分では買えない人が出るはず。激しい生存競争だ。 妻の昼食はお好み焼きだった由。粉もあったし熱源としてホットプレートが使える。昼寝を1時間したら少し体が楽になった。隣町の集会所で20リットルの水をもらって帰宅する途中、同じ路地の人がここでも水が出てることを教えてくれた。その家ではかなり前から出ていた由。ええっ?と驚く。ようやく町内会の役員が連絡に来たのは、かなり後になってから。 水圧の関係で屋外の水道が出ると聞き直ぐに試す。確かに出るがまだ濁りがある。家の中でも出たが、まだ僅かなものだった。それでも我が家にとっては朗報。あれほど苦しんだ水の運搬が無くなればかなり楽になるからだ。最悪の場合、トイレ用の水は近所の川から汲もうと思ったほど。 夕方の散歩時に歯医者に寄り、診察の予約をした。やはり痛みに耐えられなくなっていたのだ。後で家に電話をくれるとのこと。外水道でバケツに2杯汲み、風呂を掃除して水を出した。最初はきれいに見えた水が、増えるにつれて底に茶色い下り物。長い間使用してなかったため、水道管の鉄錆が出たのだろう。ガッカリしてそのまま放置。2階のトイレは落差の関係で全く問題外だった。 歯医者に行く際に卵を持参した。驚く奥様とスタッフ達。こんな貴重品をどうやって入手出来たのか不思議だったようだ。先生の診察では、インプラント部分の下2か所に炎症がある由。口内の歯周ポケットに薬を注入し、抗生物質の処方を受ける。 この日安否確認の電話をいただいたのは、愛媛時代の部下だったA馬さん、愛媛の走友のIスポーツ店主。筑波時代の麻雀仲間のT村さん、K間さん。徳島時代の知人Y田さん。こうやってわざわざ心配してもらえるのは有難いことだ。 夜、市内の温泉の営業開始のニュースを観た。ただし燃料が無くなった時点で再び閉鎖されるとのこと。福島原発2号機への注水開始のニュースも注目だ。夜遅く歯医者の奥様から、久しぶりに食べた「卵かけご飯」がとても美味しかったと感謝の電話。卵かけご飯が大変なご馳走とは、まるで戦後の風景そのものではないか。
2011.03.23
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○3月16日(水)<震災6日目ー2> 昼食後、生協の配達が届いてないか確認に行く。これは数人のグループ毎に毎週発注し、我が班ではあるお宅の庭に水曜日に届けられることになっている。仕事のある妻に代わって、ほとんどの場合私が取りに行ってるのだが、荷物はなかった。このご時世だ、配達する物品が揃わないし、届けるためのガソリンがないのだろう。妻は期待していたようだが、私は初めから無理だと思っていた。 その帰り、近所のスーパーに並ぶ人を見た。おやっ、何故行列が? と思ったら、何かを仕入れて売ってるようだ。普段は高くて買わない店なのだが、これくらいの短い行列の店は珍しい。多分他の地区の人は、こんな店があることを知らないのだろう。何が買えるか分からないが一応列の最後尾に並んで見た。 30分ほど待って、4人に入店許可が出た。あまり多く入れると混乱するからだ。買えたのは野菜と果物数点。いずれも新鮮なものばかり。喜び勇んで家に帰り、妻に見せると迷惑そうな顔。野菜はたくさんあるため、不必要だと言う。妻は高い食品は絶対買わない主義。1円でも安いのを血眼になって探す方。今はストックがあるため、そんな高いものは買う必要がないと言う考え方だ。 それなら明日第2現場へ持って行こう。街中では並んでも買えない貴重品。家の中もまだ片付いてない人が多くかつ物流が少ないため、長時間並んでも買える保証がないのが実情。郊外に居る妻はそんな現状を全く知らないのだ。 米の残量がちょっと心配。通常なら何の心配も無く手に入る米が、物流がほとんど途絶えた震災後はどの家でも何とか確保しようと必死なのだが、肝心の「もの」がない。私がいない留守中に、近所の歯医者さんから電話があったと妻。その病院では水が出るそうだ。良かったらいつでも来て下さいとの嬉しい伝言だった。でも、今は職場からリュックに入れて運べるから大丈夫。 だが、最近左の奥歯が痛み出した。12年ほど前の山形勤務の時に実施したインプラントの個所がやけに疼くのだ。顎下リンパ腺が大きく腫れているが、私はこんな時は我慢するのが常だった。散歩の時に、隣の町内会集会所の前で給水しているのに気づいた。役員の人に「何故水が出てるのですか」と尋ねたら、「答えようがない。出るから出る」みたいな雰囲気。 早速家に帰って、20リットルのタンクを自転車に積み、満タンにしてもらった。我が町内会の役員も傍にいてお世話をしている。どうやらここは市の認定を受けて、正式の給水所になったようだ。これで職場からリュックで運ぶ苦役から免れることが出来そうだ。少しは体を休められそうで嬉しい。電気、電話、インターネットに続いて、水問題にも明かりが灯った。 留守中に東京勤務時代の後輩S田さんから電話があったと妻。やはり心配していたのだろう。夜は徳島勤務時代の先輩Hさん、愛媛勤務時代の走友Aさんから電話が入った。私達の無事を知り安心したようだ。遠い地方の人はほとんど東北の事情に疎いため、テレビで惨状を観てビックリしたのだと思う。皆さん、大変ご心配かけましたが、何とか無事に暮らしてますよ~♪ 夕食はヒジキの煮物、鶏肉のカレー炒め。夜頭痛が激しい。極端な寝不足で疲労感が増す。この夜から私のブログへ安否を尋ねたり、励ましの言葉を書き込んで下さった方のブログを順番に訪ね、お礼の言葉を書き始める。○3月17日(木)<震災7日目ー1> 前夜は雪が降った。この日の最低気温は零下3度。道路が凍っているため、自転車を慎重に走らせる。下手にブレーキをかけると転倒して大けがの危険性もあるからだ。まだ6時半だと言うのに米屋の前で行列の人。ほほう、この米屋にはまだ在庫があるようだ。いざという場合は並んで買うが、平日は勤務があって無理。一応勤務帰りに寄ってみよう。 第1現場では、温水で顔を洗い、髭を剃り、タオルで髪を拭く。今朝は現場のシャワートイレを使えた。便座が暖かく温水が出るトイレがとても有難い。第2現場では、責任者の女性に、野菜と果物が入った袋をそっと手渡す。後で中を覗いた彼女は大感激。彼女は避難所から通勤しているため、ろくなものを食べてないのだ。大喜びで代金を支払ってくれた。 その代わり、彼女に一つのお願いをした。この現場の洗濯機でワイシャツを洗ってもらう件だ。本来は使用済み雑巾やモップを洗うための洗濯機。だが、警備の時に着るべきワイシャツがどうしても家では洗えない。肌着は幾つも着替えがあるがワイシャツは3枚のみ。1週間着た汚れたものでは、いくら緊急事態と言えども拙いだろう。私の苦しい事情は彼女にも理解してもらえたようだ。
2011.03.22
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○3月15日(火)<震災5日目ー2> 前日のことで書き忘れていたことがあった。兄宅から帰宅後、風呂の残り水で体を洗ったことがそれ。自転車を9km漕ぐと、結構体が熱くなる。その熱を利用すれば冷水でも大丈夫のはず。水温は4度くらいか。余りにも冷た過ぎて泡が立たない。頭と体を洗って水を浴びる。気合だ~!!気合だ~!!気合だ~!! そしてその後、妻の姉宅へ愛犬の散歩を兼ねて実家の報告をしに行った。義姉宅では大切な食器がかなり壊れて放心状態だった。義姉は鬱状態の感じだが無理もない。実家の被害状況、海沿いの親戚2軒は水に浸かったものの、命は助かり避難所暮らしをしてること、姪の夫君の実家とは連絡が取れないことなどだ。恐らく妻や義姉の実家のお墓は、地理的に津波に飲まれたはず。 15日(火)の夕方、小雨の中を愛犬と散歩中に近所の人が車で通りかかった。これは放射能雨だから危険だと話す。私はまだ大丈夫だと答えた。確かに微量の放射性物質は含まれているだろうし、事故直後の雨に当たらない方が安全なのは分かるが、生活上やむを得ないこともある。四国に住む娘は仙台を脱出して高松に来るよう心配してくれたが、私も妻も仕事を放棄することは出来ないし、愛犬の世話も欠かせないのだ。 夕食は鮭、野菜炒め、シュウマイの残り物。震災にも関わらずこれだけ豪華な食事が出来るのは、偏に日頃から安い食品を買い貯めしてる妻のお陰。冷凍庫も野菜室も満杯だったし、作り置きのおかずが結構あった。恐らく冷蔵庫の中の食品を上手に使えば1カ月以上耐えられるかも知れない。 さて、私達の安否を心配した方々から電話を戴いた。何度かかけたが駄目で、ようやくこの日につながったとのこと。沖縄のA井さんは沖縄勤務時の先輩。広島のI藤さんは大阪勤務時代の同僚。遠い仙台の私達のことまで気遣っていただき、本当に嬉しく有難かった。 新潟や長野などでも東北関東大震災に連動した大きな地震が起きたことを知った。長野の震源地は走るナースさんが住む辺りではないか。毎日素晴らしい文章のブログを公開しているナースさん。激務の傍ら認知症のお母様を介護されているが、果たして大丈夫だろうか。大震災当日とその翌日はまあまあ眠れたのに、最近はほとんど眠れていない。そして常に体が揺れているように感じる。これは「地震酔い」とか言うようだ。○3月16日(水)<震災6日目ー1> 朝から氷雨になった。気温は零下。出勤時間に遅れないためには、自転車通勤以外の方法がない。前夜、急に良いアイデアが浮かんだ。昨年買った登山用の合羽だ。それにリュックカバーも使えばさほど濡れずに済むはず。手袋は2重にしたがかなり冷たかった。第1現場に着いて直ぐ裸になり温水を浸したタオルで体を拭う。 月曜日からずっと管理室で寝泊まりしている若い職員。電車がストップして通勤できないのだ。不便な生活を強いられているのは被害地に住む者の宿命だが、彼はほとんどカップ麺くらいしか口にしてないはず。その彼から風邪薬を分けてもらった。薬局には毎日長蛇の列が出来ている。この貴重な風邪薬は妻へのもの。寒い中でホームヘルパーとして働いている彼女は、とうとう風邪を引いてしまったのだ。 今月分の給料計算のため、早めに出勤簿を整理して提出。遅番の同僚は結局5日間の欠勤扱いになるようだ。こんな時こそ有給休暇扱いにして欲しいものだが、我が社には約千人のパート職員がいるため厳しいのかも知れない。この地震によって我が社が契約を打ち切られるケースもあり得るからだ。 第1現場のビルには美容室がある。ここでシャンプーのサービスを始め出した。初日は無料だったが、2日目からは500円。女性客に混じって男性客も何人か訪れた。ただしお湯の量に限りがあるため、毎日40名ほどまでで終わるのだけれど。 第2現場の湯沸かし室では熱湯が出る。この日はリュックにラーメンと小さな籠を忍ばせていた。ビルの管理人の目を盗み、籠のラーメンに熱湯を掛けた。だが鍋で煮るのと違って麺は広がらずに団子状になる。帰宅後の昼食は「冷やし団子ラーメン」。美味しいはずがないが、貴重な食品を有効利用するのが最優先だ。 帰宅途中、自転車族の若者達がほとんどゴーグルをしていた。後で考えたのだが、過熱する原発事故報道に関して、放射能の被害を避けるためにはゴーグルが有効。つまり雨が目に入ると危険だと騒いでいるのだろう。だが私は防ぎようがない。目にも鼻にも、そして唇にも無情の雨。せいぜい唇を舐めて唾を吐くのが関の山。 しかし、原発事故報道は果たしてこのままで良いのか。我が家で取ってる新聞などは毎日恐怖を煽る内容。あれでは不安に陥らない方が不思議と言うもの。こんな時だからこそ、マスコミはより正確な報道を心がけると共に、国民には冷静な行動と辛抱とを呼び掛けるべきだと思うのだが。 関東地区でも計画停電が始まり、一層混乱が深まった感じ。静岡では大地震発生。偏った報道で国民の不安が一気に高まり、急速な「買い貯め」が始まったようだ。被災地では今、極端な物不足に苦しんでいることを強く認識して欲しい。私はこの騒ぎが収まったら、購読している新聞を止めようと思う。ましてこんな非常事態にプロ野球がナイターをするなどは非常識以外の何物でもない。この馬鹿野郎!!
2011.03.21
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