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~コロナ後の世界~ 菅総理が都知事と初会合を持った。コロナやオリンピック、そして来年の都議会選を見越した協力依頼だろうが、あくまでも二階幹事長が間に入った「手打ち」で、形式的な物だろう。文大統領や習国家主席との電話会談も、軽いあいさつ程度で深い意義はないはず。新閣僚の中では河野行革相の突破力に期待したい。少々型破りでも、必要なことを必要な時に言うのは勇気がいるし、政治家として清々しい。 香港の改革派の若者が逮捕起訴された。間もなく判決が言い渡されるが恐らくは有罪だろう。逮捕の容疑は法に違反してマスクを着用し、市民を混乱に導いたこと。民主的な政治を求めただけで逮捕起訴され有罪となれば、自由は滅びて「一国一制度」と化す。それで中国の没落はさらに近まるだろう。到底世界の多くの国では通用しない論理思考。中国共産党一党支配は内側からも外側からも崩壊するはずだ。 過日EUを訪問した中国の王毅外相は、ウイグル人への弾圧や人権侵害に関して詰問され、ほうほうのていで帰国した由。経済でもコロナでもなく、少数民族政策での強固な抗議は、予想外のことだったのだろう。オーストラリアはWHOに対して、新型コロナウイルスによるパンデミックの発生源について、独立調査団による中国国内での査察を申し入れた。それがどうなるかは間もなく分かる。 中国が猛然とオーストラリアに襲い掛かったのはその直後だ。オーストラリアの記者を香港を含む国内から追放し、オーストラリアからの膨大な農産物の輸入を止めた。だがオーストラリアの追及は変わらず、中国包囲網の中心国として活動している。 香港から米国に亡命した女性ウイルス研究者の閻さんによれば、人民解放軍の2つの生物兵器研究所で開発したのが今回の新型コロナウイルスに酷似し、コウモリ由来のウイルスに手を加えたもので、それが以前から安全性が心配された武漢のウイルス研究所から漏れた可能性が極めて高い由。中国は既にそのことを昨年夏に知り、大慌てでワクチン開発に乗り出したと推察される。 ことは急だが、中国共産党幹部がアメリカに感染症発生の経緯を漏らしたと言う。理由は習主席の退陣を促すため。即ちクーデターの勃発だ。果たしてフェイクか真実か。大統領選までまでには明らかになろう。 今習国家主席は土壇場に立たされている。コロナ、貿易、外交、一帯一路の破綻に加えて、少数民族や香港市民への弾圧で国際的な非難を浴び、国内では相次ぐ水害と蝗害などで食糧危機に陥った。トランプ大統領の強硬姿勢で、米国内領事館からの追放、留学生の帰国命令、弾圧関係者の資金凍結と元からドルへの交換拒否が進むにつれて、外貨は失われ元は大暴落の状態だ。 中国の宇宙ロケットは今年に入ってから、まだ一度も打ち上げに成功していない。原因はアメリカが半導体を中国に輸出しないためだ。日本が韓国への輸出を厳しくした3つの物質。あれも高性能な半導体製造には欠かせない資材素材のため、韓国経由でも入手出来なくなったのだ。共産党幹部や大学の研究者からも、今は習主席への批判が公然と起きているようだ。共産党の崩壊はそう遠くないはずだ。 人民解放軍の幹部300人が軍事委員会の首席を習主席から李首相に変更するよう血書署名した由。いずれもこれまでになかったことだ。中国の国家主席の選出にはルールはない。中央委員就任後は、適当な理由でライバルを次々に失脚させるだけ。小学校しか出ていない習近平はそうしてトップの座を手に入れ、党規約を改正して2期10年の任期を延長し、これまで権力を振るって来たのだ。 2020年の今年は、彼がかつて宣言した全ての国民を裕福にするとの約束の年だった。それが国民の平均月収は1万円にも満たないのが現実。その綻びを補うようにこのたび夫人が夫の政策の正しさを訴え、「人民日報」が第一面に掲載した由。為政者の妻が政治の舞台に上がったのは、毛沢東夫人の江青女史以来のこと。江青は夫の代理で紅衛兵を動かし、結果的に何千万人もの犠牲者が出た。 毛沢東は自身が非難されることを怖れて夫人を身代わりにした。江青は元女優で不倫婚。一方、元歌手の習主席夫人はお見合い婚。責任逃れの代役が、果たして夫の失政を補えるだろうか。しかしあの大国が、いかにでたらめで民主的なルールも、確とした政策もないことを知って驚いた。それで良く今まで国として機能して来たものだ。共産党はギャングのボスで、多くの国民はそれに気づいていない。 世界の大国となった中国だが、国際ルールや民主的な手続きを全く理解してなかった。中国の本質と現状を見抜き、よほど上手く付き合わないと共倒れになる。世界も中国の危うさにようやく気付いたようだ。猛烈な所得格差の中で苦労している中国の国民が気の毒。 習近平の娘はアメリカのグリーンカード(永住権)を持っている。だが彼女の再入国をアメリカ許すかどうかは不明。現状から言えば、恐らく無理だと思われる。またカリフォルニア州の山火事の一部は、カナダ在住の中国人女性の放火が原因と言うが、真実はどうか。いずれにせよ極度の高温が火災を拡大したことは間違いない事実だが。米国内の対立もさることながら、米中の戦いが今後どう展開するか注目だ。
2020.09.29
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~台風と秋雨前線~ 頭痛がした。手足も冷える。台風12号が東に逸れて、気温が低くなると天気予報で言っていた。厚めの長袖シャツの上からカーディガンを羽織った。それでもまだ室内が寒い。年寄りは冷えると血管が縮まって血圧が上がる。そして不整脈が出やすくなる。念のため石油ヒーターを確認すると、タンクに灯油が入っていた。ボタンを押すがなかなか室温が上がらない。そこで室温の設定を変えた。 冷蔵庫の中の作り「置きおかず」が乏しくなった。それでも工夫すれば何とかなる。天気が悪い日は体も不活発で、少量で十分。何せ体に一番良い薬は「空腹」だそうだ。幸い私は貧乏にも空腹にも耐えられるので、どんなものでも工夫して美味しく食べられる。それも結構栄養のバランスは悪くない。さて、夜間のトイレが多いのは、老人の腎臓の機能低下と膀胱の柔軟性が失われるせいらしい。 大相撲秋場所を見て夕食を食べ、暇潰しに「プレバト」を観た。特別編で3時間番組だった。水彩画、スプレー画、そして9時過ぎてから俳句が始まった。これも普段と違う構成で、チーム対決の最後が尻切れトンボになった。勝ったのは果たして東大チームか、プレバトチームか。あの流れだと恐らく東大だろう。結果はプレバトチームが勝ったとKazuさんが教えてくれた。へえ。これにはビックリ。 布団はいつもより少し厚めにした。そして風呂を沸かした。暑い日は残り湯でも、シャワーでも良いのだが、寒く感じる日はやはりお風呂で体を温めるのが一番。風呂から上がってパソコンで東北楽天の結果を確認。5連勝で貯金が4つに増えていた。これは嬉しい。これは意外。ようやく主砲浅村の調子が戻って来た。それに先発に戻った松井の調子が良かったようだ。 それから「アイアンロード」を観た。これは今年の1月に放送したものの再放送のようだが、NHKは金があるねえ。相当取材費がかかったことだろう。これまでヒッタイトが世界で一番古くから鉄の文化を興したと思っていたのだが、その後東アジアにまで製鉄の技術をもたらしたのはスキタイらしい。鉄を得た匈奴が遅れて鉄を入手した漢と死に物狂いで戦った時代。それから200年くらい遅れて日本列島へ伝えられた鉄。 堅い鉄の武器と柔らかい青銅器の武器とでは戦にならない。しかし採鉱、製煉、冶金、鍛造技術と、鉄と出会ってから人は生産性を高め、殺戮の精度を高めて現代に至った。そして資源を巡っての民族の大移動の歴史。それが必ずしも平和につながっただけではなかった。人間とは罪な存在だ。<続く>
2020.09.28
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~東アジアの潮流1~ *写真と文章は無関係です。 私は中国や朝鮮半島の歴史と文化に関心を持ち、かつては日本よりも先進国だった彼の国を尊敬もしていた。歴史の一時期にせよ、それらの国から文字や仏教や芸術や技術を伝えられ、それがわが国の文化を高めたことは紛れもない事実だからだ。だがその気持ちが消えたのはここ10年くらいだろうか。 「南京大虐殺」を執拗に世界にプロパガンダし、尖閣を自国領と言い張る中国。白頭山で聖なる戦いの火ぶたを切ったと言い、多くの日本人を拉致した北朝鮮。日本併合時代の恩恵を受けながら、事実と異なる従軍慰安婦や徴用工など徹底した反日を貫く韓国。それらの国の欺瞞性と歴史を捏造する民族性に強い違和感を抱き、これはおかしいぞと気づいたのが、私の認識転換のきっかけだった。 なぜ彼らは嘘をつくのか。それは彼らの歴史と民族性が嘘を恥じとしないからであり、勝つためなら嘘も立派な武器であり策略なのだ。それが恥を重んじる日本とは決定的に違う点だろう。国家としての「中国」の概念は比較的新しいもので、それ以前は漢民族対それ以外の異民族との戦いの連続であり、異民族と戦って領土を広げることが漢民族の歴史そのもので、それは現代もまだ続いている。 近代になってからもロシアや日本と戦い、満州族やモンゴル族と戦い、それが終わっても漢民族同士の共産党と国民党が戦い、共産党が勝利すると、チベット族やウイグル族と戦い、領土を巡ってインドと戦い、「中華人民共和国」誕生後は、共産党による文化大革命で6千万人もの同胞を殺戮し、「天安門事件」でも1千万人もの国民が犠牲になったと言われる。どれだけ同胞を殺せば済むのだろう。 「南京大虐殺」も当初は10万人だった犠牲者が20万人、30万人と増え、最後は40万人にまでなった。当時南京攻略を指揮した陸軍将校松井石根は国際法の専門家を引率し、常に国際法に違反していないか注意していた由。ところが中国軍は市民に変装した兵士を南京市内に潜らせ、日本軍へゲリラ攻撃をしかけた。これは国際法違反行為。止む無く市民を含む2万人ほどの死者が出たのが南京の真相のようだ。 それを30万人の南京市民が虐殺されたと世界に報じたのは、ドイツのゾリンゲン社の社員。自社製品を販売するため中国共産党のプロパガンダに協力したのだ。アメリカが事実を知りながら黙認したのは、広島と長崎に原爆を投下し、東京などの大都市を無差別に空襲したため。無抵抗な市民への攻撃は国際法違反行為。自国の犯罪性を薄めるため、中国の主張に目をつぶったのだ。 当時の南京市の人口は25万人と言われる。それが戦後は35万人に増加した。そのことだけでも日本軍による大量虐殺が事実でないことが分かる。中国のゲリラ戦法に手を焼いた日本軍はシンガポールに転戦する。終戦後各地に残った日本兵が、その国の軍に混じって独立に寄与した。そして「東京裁判」ではインドの判事だけが日本を無罪とした。国際法に違反する行為が皆無だったためだ。 勝者が必ずしも正義でないことはこれでも分かると思う。戦争に敗れた日本は正当な北方領土を奪われ、国連へも暫くの間加盟出来なかった。その間に韓国は竹島を奪ったのだ。「李承晩ライン」と言うのを勝手に決め、島に近づいた島根県の漁民を軍が攻撃した。いつの時代も彼らは卑怯な行為を恥じとしない。<続く>
2020.09.27
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~それた台風~ 大雨が心配された台風12号の進路が東にずれて、このブログを予約で書いている24日(木)の仙台の朝は曇り。涼しいので庭の草取りをとも思ったが、体を休ませることにした。軽い頭痛もあり、体のあちこちに痛みもあった。きっと運動不足が原因だろうが、ウイルスが原因の「鬱」もあるとの記事が新聞に載っていた。へえと思う。カット用の写真が乏しくなり、相応しくないのも止む無く使用した。 ソフトバンクホークスの勢いが少し衰えて来たみたい。そしてわが東北楽天は貯金が3つに。今年は変則的なスケジュールに加えて、猛暑が続いたので各球団ともに疲れが出て来る頃。それにしても今年はシーズン途中のトレードが多いねえ。こんなことはこれまでなかった。新型コロナ感染症の影響も大きく、国民の生活様式がすっかり様変わりだ。 菅内閣の発足後、新総理の意欲的な活動が目につく。各国首脳との電話での会談は、先ずオーストラリア首相から始まって、米国のトランプさん、フランス、ドイツ、イギリス、EU、インド、韓国と続き、中国とも行うそうだ。国内外で評判を落とした中国、国内が荒れ気味の韓国などは放置しておいても良いが、相手もよほど困って日本にすがって来たのだろう。 通訳を交えての会談は時間的にも短いのだろうが、新総理の国際感覚を養うには有効だろう。新政権発足後の支持率も高い。庶民的な感覚が好感を持たれた原因か。新総理は連日のように各界の識者との歓談によって情報交換をしてるとも聞いた。それも国民の声の代弁として尊いし、最新の情報も得られる。だが週刊誌の皮肉っぽい論調は相変わらずだ。彼らは売れてなんぼの商売。面白おかしく書いて責任は取らない。私は新聞広告の「見出し」だけで十分。中身を読む気はない。 国連総会での演説もコロナの流行に鑑み、予め撮影した動画によるものだった。「中国コロナ」と呼ぶ相変わらずのトランプ節。一方中国の習近平氏は、アメリカの国際世界への非協力をなじったが、一体どの口が言うのか。NHKが30年以上前に撮影した『海のシルクロード』の再放送をここ数日立て続けに観たが、とても興味深かった。中国の「一帯一路」の原点かも。改めて紹介したいと思う。<続く>
2020.09.26
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<別れ> ブログ友の御夫君が亡くなられた。先日拙い詩で紹介した方。亡くなられたその当夜、私のブログを訪れコメントしてくれていたのに気づいたのは翌朝。長い間私が励ましていたとは言え、最愛のご主人を失った悲しみはいかばかりか。そんな中でも訪ねてくれたのは、長い間来れないで申し訳ないと言う気持ちが強かったのだろう。そんなこと何も気にすることはないのだよ。 彼女の御夫君が出張先のアメリカから帰国して直ぐに体調を崩されたのは、確か1年ほど前だったと思う。心身の疲労が重なったのが原因だろうと思っていたのに、精密検査の結果、脳腫瘍との診断。それから闘病生活が始まった。彼女のご両親、夫君の母上が病気で入院中だったのに加えて御夫君の入院と手術。どれだけ苦しかったことか。そしてご自身も先日乳がんの手術を終えたばかりだった。 嫁がれたお嬢様、潰瘍性大腸炎で闘病中の息子さんもご両親の体調を気遣って良く介護された。そしてご近所の方、お友達、ブログ友、ドクターや看護師、介護スタッフの介助により、ご自宅で最期までお世話された。その涙ぐましい努力ですら、彼女は明るくさらりとブログで紹介されていた。何という精神力だろう。何と強い家族愛だろう。最後まで尽くされたご家族に敬意を表し、ご冥福を祈る。合掌。 途中のお店でイチゴ大福を買って兄宅へ行った。今年は初盆。そして今回が初めてのお彼岸だった。今後の行く末などについて義姉と話し、おはぎをご馳走になって帰宅した。だが帰宅してリュックを開けてビックリ。義姉が渡してくれた古い写真が入ってない。きっと兄宅に忘れて来たのだと思う。私は見たから良いが、4つ下の弟にも見せたい、父や兄や私や幼い弟が写った古い写真だったのだが。 その夜は圧力釜でご飯を炊いてるのを忘れてソファーで寝ていた。夜中に気づいてIHクッキングヒーターを消そうとしたが、自動的に消えていた。だが時間からすると底が焦げはず。だが上の方はもちもちしていつもよりも美味しく、底の焦げも「そこそこ」食べられた。まあ「炭」にならないで良かった。昼の写真と言い、夜は夜での失敗。往復20kmの自転車で疲れたか。俺も焼きが回ったものだ。 その翌日、朝一で病院に行った。薬は3日分ほど残ってはいるが、台風が近づくせいで2日はど大雨が続く予報。雨だと自転車は無理。それで慌てて出かけたのだ。疲労と軽い不整脈がたまに出るが、大事には至らないだろう。ドクターに市の健康診断で「注意」が出た腎臓のことを尋ねた。要は老化による機能低下とのこと。確かに喜寿。もう青年でも壮年でもなく、立派な後期高齢者の身。無理は禁物だ。 と言いながらも、午後から庭木の剪定をした。バラ、梅の枝など。そして若干の草取りと万願寺唐辛子の収穫。まだこうして何がしか収穫出来る野菜があるのはありがたい。雲南百薬に花が咲き出した。こうなると花に栄養を取られ、葉はやせて薄くなり食べられなくなる。間もなく葉が枯れて来るはずだ。伸びたシュウメイギクを鎌で刈る。可哀想だが台風で花びらが散ると汚くなるし。 秋冬野菜が順調に育っている。しっかり根付いて地中の栄養を急襲出来るようになったのだろう。種を蒔いた大根、白菜、聖護院大根はその後間引きしたせいか、結構葉が大きくなって来た。問題は蝶々が卵を産み付けることだ。乾燥し切った植木鉢に水やり。畑と庭は明日から雨で不要。台所の裏で干していたタマネギを物置に移動。貴重な自家製野菜が大雨で濡れたら腐ってしまう。今日も疲れた。
2020.09.25
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<最近観たテレビドラマを通じて> 文学新人賞を取った三女の梅が、五郎を連れて故郷の豊橋に帰った。朝ドラ「エール」の話だが、久しぶりに撮影を再開し、新たな物語のスタートがこれだった。作曲した軍歌「露営の歌」が爆発的に流行したことで、裕一は一躍時の人となる。音は買ってもらったオルガンで、子供たちを相手に音楽教室を開く。暫しの平安を破るかのように、長女の夫の職業軍人が訪ねて来る。太平洋戦争への突入で一変する国民の暮らし。あの暗く重苦しい時代を、朝ドラは今後どう描くのだろう。 大河ドラマ「麒麟がくる」も再スタートした。いきなり足利将軍の暗殺だ。次の将軍を巡って、暗躍を始める武士と公家。細川、三好、斯波、松永、朝倉、六角そして織田。いよいよ武士による天下統一を巡って戦国時代が動き出す。しかし三好氏があれほどまでの実力があったことを初めて知った。元々は甲斐源氏につながる一党らしい。しかし将軍に担がれる足利の末路が哀れだ。 私は徳島県で勤務したことがあるが、当時の土成町に「御所」と言う地名があるのを不思議に思っていた。なぜそんな辺鄙な場所に「御所」がと。今回の放送でその謎がようやく解けた、三好氏の一派が担いだ将軍家の血筋(公方様)を一時匿っていたようだ。町はその後阿波市と名前が変わった。歴史と時代の変化を興味深く眺めて居る。明智光秀の今後に注目したい。結局光秀は何をしたかったのだろう。 日曜日の夜に再放送の韓国歴史ドラマ「太陽を抱く月」最終回を見た。王と王妃の数奇な運命と純愛物語を楽しませてもらったこの半年間。お決まりの宮中の権力闘争と妃らの悪だくみに嫌気がさすが、今回は絵に描いたような結論で最後に救われた思いだ。しかしなぜ朝鮮民族は「絵空事」の歴史を好むのだろう。同時並行で観た「百日間の郎君様」も似たような粗筋。あれが朝鮮民族の理想な歴史館なのだろう。 ドラマだからあれで済むが、現実の歴史は真逆。つまり歴史を正視しない民族の本質が現れている。いつの場合も自分たちの民族の歴史はこうあって欲しいとの立場から、平気で歴史を捏造する。だから韓国国民の8割が祖先は両班(やんぱん=貴族)だったと主張。実際は1割もおらず、8割の人が平民または奴婢(どれい)だったことを恥とする。きっと「反日」にもつながる精神構造、病理なのだろう。 「敬老の日」に因むTVを観た。ドキュメンタリー番組の方は、97歳の夫が95歳の認知症の妻を介護する実話。夫は不自由な体の妻を労わり、筋力をつけるための筋トレすら辞さない。物凄い情熱と夫婦愛。それを実の娘(映画監督)が撮影する。しかも決して手出しをしない。実に勇気ある行動だ。あの年齢まで生きることすら困難だと思うのに、何という人間の底力だろう。 ドラマの方は一部だけ観て眠ってしまった。ドラマだからの話だが、夫の隠し子の相談に乗り、夫の愛人を自宅に招いて話す老婦人。この世にそんな出来た女はいないだろうが、ドラマとは言え、人生のあり方を考え直すに十分だった。人は何に生き甲斐を感じ、何を思いながら人生を閉じるのだろう。状況こそ違え、私も今似たような心境にある。最後は愛する者の腕に抱かれて死ねたら本望と。 現実そのもののドキュメント番組もそれを撮る監督も凄いが、ドラマを描く作家や脚本家も凄いと思う。時は絶え間なく移ろい、人生は過去へと遠ざかる。生きてこの世に在ることの意義。その間に観たさまざまな事象。暑く苦しかった夏は終わり、虫の音がすだく秋へと向かう季節。女は高い天に向かって祈る。そして男は豊穣の地に臥して祈る。与えられた命にひたすら感謝して。
2020.09.24
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~政治と国民性と良心~ スタートしたばかりの菅総理が、各大臣あてに矢継ぎ早の指示を出し、指示を受けた大臣がそれに応えて動く出す様子がとても良く分かって好感が持てた。やはり安倍総理の下で8年余、世界の外交や役人の動向や野党の反応などをつぶさに観察してのだと思う。二世、三世の議員でもなく、地方出身で農家の苦しみを知り、地方行政も熟知した苦労人でもあった。その長い忍耐が生きる時がやって来た。 早速便乗商品「たたき揚げ」が発売された。新総理の生い立ちを物語るようなネーミング。「叩き上げ」が「たたき揚げ」とは考えたものだ。解散総選挙は「コロナ」次第と言うが、上昇気流に乗って「衆参同時選挙」もありそうな雰囲気だ。日本を取り巻く環境は厳しく外交センスが急速に磨かれることに期待したいが、先ずは内政。チーム日本で一丸になって取り組んで欲しいものだ。 トランプさん宛の郵便物に猛毒のリシンを入れて送った女性が逮捕されたようだ。ホワイトハウスと同時にアリゾナ州の機関にも送付した容疑。目下リシンに対応する解毒剤はない由。しかし女性の目的は何か、そして本当に大統領に危害を加えようと思ったのだろうか。今回の大統領選挙は「郵便」による方法も採るらしく、決着が着くのに時間がかかりそうだ。国外からの妨害も予想される。 菅総理誕生に関して中国の習近平氏から祝電が届いたことに驚いた。一時はアメリカの大統領選を混乱させようと、台湾と尖閣への同時侵攻もあるとの噂があった。それが一変して祝電とは、中国もよほど国際世論を気にしているのだろう。トランプさんの攻撃で貿易は一挙に降下し、かなりのドルも手放した。それに相次ぐ洪水や虫害による農産物の不作で、食糧難が一気に進むと目されている。 そして李克強首相との激しい主導権争い。香港やウイグル族に続く内モンゴルにおけるモンゴル族への人権抑圧で、国際世論が一気に硬化した。さらに先ごろ発表した「新型コロナ」に対応するワクチンの開発成功だが、ワクチン完成させるには、遅くとも昨年9月には開発を開始していないと間に合わないとされ、生物兵器開発への疑惑が深まった。また同ワクチンは激しい副作用を伴う失敗作とも言われる。 習近平の学歴にも疑問があるようだ。名門精華大学卒で法学博士取得とされるが、文化大革命当時、中学生だった彼は父親と一緒に地方へ追放されるいわゆる「下放」の身で、長期間肉体労働に従事していた由。大革命が終了して父親の復権と同時に共産党に復帰し、政敵を次々に陥れて今の地位を手に入れた由。だから大学は他の者の代行とか。極端から極端に走る政策も、それを聞くと頷ける。 一方韓国もガタガタだ。貿易、内政、北朝鮮との関係も最悪。また女性法務大臣の不正も明らかになった。「タマネギ男」に続く疑獄だ。韓国ではなぜ次々に似たようなことが起きるのか。恐らくは構造的な欠陥が潜んでいるのだろう。直ぐに激高し、非論理的で協調性のない国民性。「反日」が唯一の拠り所とは気の毒。中国同様に世界から相手にされなくなる時代が、直ぐに来そうな気配だ。 そんな中でも救いがあるのが、李栄薫氏編著による『反日種族主義との闘争』の刊行。韓国内で猛烈な批判を浴びながらも、信念を貫き通し裁判でも自論の正しさを具体的な事例を上げて立証した『反日種族主義』の続編だ。 そしてこの度は池萬元氏による『元韓国陸軍大佐の反日への最後通告』が刊行された。前者は歴史学者、後者は元軍人と言う立場の違いこそあれ、長年にわたる漢国における反日教育の弊害を説いた。 池氏の著書のサブタイトルには「日本は学ぶことが多い国」とある。どちらも日本国内で翻訳刊行され、ベストセラーになっているようだ。文大統領の狂ったまでの対日政策を見せつけられた身には、まさに「目からうろこ」。韓国人の中にも真実が見え、論理的に考えられる人がいることに驚き、かつ尊敬する。あれほどまでにわが国が苦しみながらも南北朝鮮を育てた日本併合時代。 私は新聞広告を見てこの文章を書いているが、国内の反響の大きさに驚きかつ喜んでいる。
2020.09.23
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詩 季節は足早に 裏のお宅の庭に白い花が咲いてるのを 何日か前に気づいた 百合の花にしては少し様子が変 デジカメの望遠で撮ったら夾竹桃だった キョウチクトウの花を見たのは久しぶり お向かいのKさんがわが家の畑を作垣根越しに覗き込んで 防虫剤をやろうかと言った その言葉に甘えて果粒状の防虫剤を撒いてもらった キャベツ 大根 ブロッコリー 聖護院大根 キャベツには早くも穴 良く見たら大きな青虫がいた 和室の窓から庭を眺めていたら青い花 まさしくシコンノボタンの花だ 紫紺野牡丹が咲いたのはこの夏三度目のこと きっとそれだけ気候の変動が大きかったのだろう 長雨 猛暑 乾燥 秋の長雨と猛暑の復活 私の体も辛かった 昨年の夏も辛かったが今年も同じくらい辛かった 去年は眩暈と耳鳴り 耳鼻科に行ったら脳の血流が悪くなってるとドクター 処方された薬を半年ほど飲んだらすっかり良くなった 今年はきっと運動不足だろう コロナ自粛の鬱鬱した日々 新聞を読みパソコンに向かってブログを書き 週に一度自転車に乗って買い物に行くのが 唯一の運動の機会だった 他人と話す唯一の機会だった それで家の中をグルグル歩き回ることにした 階段を上り下りしたりもした だが話す機会はなく 歩き回りながら歌を歌うことにした そんな今年の夏だった ある日植木鉢のハイビスカスが咲いてるのに気づいた 去年は一度も咲かなかったこの花が 今年は二度も花を咲かせてくれた がんと闘っているブログ友がいる。 その父上も母上もがん そして夫君もがん ご自身も先ごろ乳がんの摘出術を受けたばかり 夫君の認知症の母上を住まいの施設に入れて見舞い 潰瘍性大腸炎の息子さんも含めて一家で病気と闘っている そんな彼女のブログを俺は読み 励ましのエールを送る独り暮らしの俺だ 秋の四連休の初日俺は墓参りに行った 自転車と地下鉄を乗り継いで市営墓地へと 途中いつも行くスーパーで花を買った 黄色と白の菊の花を二束 花は少し開き加減で安かった 次回のために線香もそこで買った 地下鉄の駅で降りた後市営墓地まで歩いた 暑い暑い秋の陽 俺は途中の公園でトイレに寄り 長袖シャツを脱いでリュックに入れた そしてまた歩き出した 兄と私と弟がお金を出し合って建てた自然石の墓 そこに最初に入ったのは父 そして次に母と姉 最後にと言っても今年の七月 兄もそこに入った でも俺は入らないつもり 死なないのではなく俺には墓も戒名も不要 それに遠くで暮らす子供たちに面倒をかけたくないから 俺の遺骨は細かく砕いでどこかの海に流してもらいたい 沖縄 松山 東京湾 仙台湾 今のところ候補地は四つ 墓参りの帰り道 黄花コスモスを見た そこは以前畑だった場所 ここ二〇年もの間に仙台の風景もすっかり変わったよ そして妻が家を出て俺の暮らしも変わった 調子が今一と感じながらも俺は生きている そして曲がりなりにも料理を作って 三食きちんと食べてお通じもあり 風呂に入り洗濯をし たまには思い出して掃除をし ほとんど薬も飲み忘れることなく 緑内障の目薬も寝る前に差し 時々不眠に悩まされて目覚め 夜中に何度かトイレに起き それでも粗相をすることもなく この蒸し暑くて苦しかった夏を乗り切り ようやく少しだけ涼しくなった秋を迎えた 先だって郵便物を出しに行くついでに空を見上げた 最近では滅多に見上げることのない夜空 満月の両側に明るい星があった あれはきっと金星と木星のはず どちらが金星か木星かは知らないが 「惑星直列」が今年は起きているらしいと聞いた だがあれがそうかは分からない でも良いのだ 分からなくとも良いのだ なぜなら俺はこうして今生きている 生きて夜中に郵便物を投函しに出かけた それだけで十分じゃないか そしてブログに詩を書き それに相応しい写真も載せた それで十分じゃないか 俺の生きた証として 庭のバラが何本か枯れた 死んでしまったのか それともまた息を吹き返すのか その一方でシュウメイギクの勢いが凄い 秋の青空を目指して首を伸ばし 白とピンクの花を咲かせている あれは大阪住まいの宿舎から妻が持ち帰ったもの 仙台に家を建てた最初の年に移植したもの 猫の聲せし坂道や秋彼岸 市営墓地からの帰り道、裏の坂道を下っているとどこからか猫の声が聞こえた。そこで詠んだのが上の句。時は秋。まだ生きてこの世に在る者も、既に彼岸に渡った者も、一度は何かの縁で生活を共にしたのだ。生きて在ることに感謝。生かされて在ることに感謝。かくして秋は深まり、天はますます高い。<この項完>
2020.09.22
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~菅内閣の船出~ 自民党の新総裁に選出後の記者会見でのこの人の発言に注目していた。「棚から牡丹餅」のような形で転がって来た総理総裁の座。だが、この人に奢ったたいどはなかった。自分の言葉、自分の語り口で、誰にでも分かる内容の話を、気負いなく話していたと私は感じた。それは安倍前総理を8年余にわたって支え続けた女房役のこの人だからか。「たたき上げ」の苦労人だからか。元からそういう人柄だからか。 秋田県湯沢市出身で農家の長男。高卒後上京した後の苦労話はさておき、生まれながらの議員2世や3世のお坊ちゃまとは一味違った。議員秘書、市会議員、国会議員とステップアップしながらも、派閥には属さぬまま党内で実力を磨いて行った。いつも不機嫌そうなA候補、スマートだが頼りがいの無いB候補とは明らかに違っていた。あっという間に神輿の担ぎ手が集まり、総裁に上り詰めた。 国会での首班指名でも全く危なげがなかった。何の思惑か共産党が枝野氏に1票を投じ、問題を起こした丸山議員が自民の小泉議員に1票を投じたが、波紋はそれだけだった。国会での総理指名前夜から、首相官邸に閉じ籠っての組閣構想が続き、一部は早くも漏れ出していた。派閥の要請は受けないと言明していた通り、新総理はあくまでも自身の信念を貫いた。「持ち駒」を最大限どう生かすかと。 皇居での認証式を経て、初閣議、新総理の記者会見と行事は続いた。「代り映えがしない」。「若さが乏しい」。「女性の登用が少ない」。相変わらずの評価だが、大臣に選ばれる議員がそうなのだから止むを得ない。「順番待ち」でどうしようもない大臣が選ばれなったのが何よりだ。規制緩和。縦割り行政の排除。デジタル化の推進。オリンピックと万博の推進。そして何よりもコロナの収束。 総理として初めての記者会見も良かったのではないか。飾り気のない言葉で、要領よく今後の施政方針を述べた。続く各社担当記者の代表質問への回答もけれんみのないものだった。翌日の野党党首の感想は散々だったが、攻めるのは簡単。この厳しい世界情勢のなかで、日本丸をどう舵取るのか。責任のない者だからこその無責任な感想。選挙目当ての烏合の衆が、何をほざいているのか。 それらに比べたら、街の声は素直だった。期待する声に混じって、期待はしたいが難しいとの正直な声。代わり映えしない。暮らしの平安が戻るように。災害からの復興。不景気からの脱却。安全で平和な世の中への期待。きっと庶民出身の宰相は、それらの声を聴いて今後の政治に生かしてくれることだろう。自分は制度を作って来た。「それを壊すのを河野大臣に頼みたい」。実に正直な人だと思う。 新総理就任祝いのメッセージが各国から届いた。プーチンさんが最初だったことに先ず驚いた。そして中国の習近平氏からも。強気の彼が対米戦争に疲労し、何とか日本を取り込もうと方針変更に舵を切ったのか。少し遅れて盟友アメリカのトランプさんから。大統領選まで残り1か月半。安倍総理との蜜月が今さらながら思い出されたのだと思う。世界を2人でリードして来たのだから。 華々しいことは望まない。今はしっかり内政を守ってね。少なくとも国民が自国の将来に期待しないようでは駄目。着実に、確実に国民を安全で安心出来る方向に引っ張って行って欲しいんだ。野党の皮肉、マスコミの冷淡に負けないで欲しい。政策で協力出来る野党の力を借り、柔軟な発想でより良い日本を作って欲しいな。秋田のイチゴ農家の長男坊。今はあんたに期待するしかないんだよ。菅さん。<続く>
2020.09.21
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~政治とわたし~ A B C 安倍総理が体調不良を理由に、総理の辞任を申し出た。潰瘍性大腸炎(国指定の特定難病)と言う持病を抱えながらも良く長期間激務に耐えたと思う。そしてここ8か月は休暇を取ることなく、働きづめだった。それも未知の新型コロナウイルスに拠る地球規模のパンデミック発生と、それに伴う経済活動の悪化と相次ぐ倒産。恐らく気が休まる暇もなかったことだろう。 総理の決断を受けて、自民党内では急遽選挙が挙行された。候補者は3名。安倍総理の下で長らく官房長官を務めた菅さん(B)。今回初めて立候補した岸田政調会長(C)。そして4回目の立候補になる石破元幹事長(A)。結果は既に明らか。議員票、地方票共に菅氏の圧勝。2位は岸田氏だった。 安倍体制の継承を願う党内は菅官房長官支持で固まり、各派閥が雪崩を打って支持表明し、あっという間に決着を見た。当初総理が禅譲すると見られていた岸田氏は「平時には良いが、「戦時」には向いてないと目され、総理の座には手が届かなかった。それに初めての総裁選立候補。経験も乏しく事前の活動も低調だった。恐らくは事態の深刻さに気付いていなかったのだろう。認識不足に尽きた。 さらに悲惨だったのが石破氏。党内での信望は皆無に近かった。日ごろの内閣批判と一時党を離脱したことで疑念が消えなかった。彼は後ろから鉄砲を撃つ男。つまり「党内野党」的存在への不満だ。推薦人ぎりぎりの19人しか同志がいないのも苦しい。まさに「信なくば立たず」の典型だ。欲求不満が、彼の顔に良く出ている。あんな憮然とした表情では、とても上に立てないだろう。菅内閣に関する感想と評価はいずれ記したい。 最近気になったニュースの一つがこの地図。1800年代半ばにイギリス海軍が作成した竹島の地図だ。当時の名称「松島」が、iland of Matsuima と明記され、日本と同じ色が施されてある。現在の島根県の漁師が、当時この島でオットセイ漁をしていた。右側の赤く囲ったのが竹島(当時は松島)で、緯度、経度もはっきりしている。 左側の赤線内の島が、韓国領の鬱陵島。その東隣に小島が見え、両島とも無彩色。韓国はかつてその小島を竹島と主張していたが、鬱陵島の西側にある地図もある。位置も鬱陵島からの距離も、韓国の主張が偽りであることが明白。竹島が自国領となった時期も、日本側は江戸時代から。これに対して韓国は、竹島は日本併合後に奪われたと主張するが、事実に反する。 地図は英国海軍によって作成され英国女王に捧げられた。近代的な測量によって作成された精緻な地図。なお日本側にも経度緯度が入った竹島(当時は松島)の詳細な地図がある。韓国が国際司法裁判所に訴えないのは、到底勝ち目がないことを知ってるからだ。それで実効支配を続けている。実に悔しい。 気になった2つ目のニュースは中国の「法輪功」が中国政府に逮捕拘束され、臓器を摘出されているとの残虐な事案。ウイグル人に対する拘束や、不妊手術の強制は知っていたが、同じ漢民族の同胞に対しても残虐行為を行っていたことに戦慄を覚えた。彼らから勝手に摘出した臓器は、他の中国人に移植するのが目的だろうが、倫理的にも許されない犯罪行為だ。 法輪功(ほうりんこう)は中国の道教や仏教思想に、気功を加えた心身の鍛錬法。中国政府はこれを危険思想と見なして、以前から取り締まりを強化している。共産党への批判を畏れたのだろう。 台湾の名所「日月潭前の文武廟」山門 私は昨年6月に台湾一周旅行に参加し、観光名所の一つである「日月潭」を訪れた。ここは戦前日本領だった時代に日本が作ったダム湖。その畔に聖地「文武廟」がある。訪れた際、ここで署名活動をしてる法輪功の人たちがいた。私は日本人ですがと断って署名した。当時は何も知らなかったのだが、彼らの仲間が中国本土で大量に拘束され、迫害されていたのだ。 それがまさか臓器摘出と言う残酷な所業につながっていたとは驚きだ。私にとって「旅」は単なる物見遊山ではない。訪れた外国で良く観察すると、見えて来るものがある。台湾然り、中国然り。中国も一般の市民はとても友好的で、共産党幹部の狂った感覚とは全く異なる善良さなのだが。<続く>
2020.09.20
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~マックス爺の日常~ ドクター 先ごろ、近所の歯医者に行った。3か月に1度ほどの頻度で口内のチェックと歯石の除去を受けている。先月日を間違えて行ったら、お盆休みで閉まっていた。文字通り「しまった」だ。失敗の原因は、私が書き込んだカレンダーの予約日が1か月ずれてメモしたこと。まあ命に別状はないから良いのだが。今月は予め、ドクターの奥様から絵入りのハガキ(予約日の確認)が届いて、間違わずに済んだ。 今日の「カット」は全て奥様の手書きのものだ。いつもご丁寧にありがとうございます。奥様。 ニャロメ さて、先日気づいたガレージで干していたタマネギ。腐ったのは2,3個かなと疑い、改めて2箱全部ひっくり返して調べた。ところが仰天。20個ほどが腐っていた。これは大変。そこで腐っている全てを取り出して点検。悪い所を除き食べられる部分を残した。腐敗部分は袋へ。箱は水洗いして干し、大丈夫だった玉ネギは箱に戻し、風通しの良い場所に運んで干した。 ケムンパス さて、食べられるタマネギをどう使うか。そこで決断。半分以上は刻んで「酢タマネギ」に。これは血液サラサラの健康食品。残りも刻んで大豆、鶏肉と一緒に薄味で煮た。これは「作り置きおかず」用。鶏肉の旨味が出てなかなか美味。そして皮を剥いたままの新しいタマネギ15個は袋に入れて冷蔵庫で保存。これもなるべく早く使おう。 ウナギイヌ 町内会の役員が「国勢調査票」を持って来られた。その夜開封して点検すると、それほど面倒な内容ではない。消しゴム付きのシャープペンシルを探して、慎重に記入し始める。ざっと書いて専用の封筒に挿入。もし聞きたいことがあれば電話連絡がある。5年前は夫婦2人だったのが、今は独り暮らし。多分それ以外の変化はない。翌朝早朝にポストへ投函。これで国民としての勤めは果たした。やれやれ。 バカボンのパパ そう言えばもう一通ポストに入れた。「来年のおせち料理」の注文ハガキだ。〇日までに申し込めば「早期割引」の対象とある。この年末、東京の次男は多分帰省しないはず。東京はコロナが収束していないはずで、来られても怖い。だから「手頃」な値段のにした。私一人なら「並み」で十分。決めたらもう実にさっぱりとしたものだ。 オールキャスト 多少睡眠不足気味だが、日が出たので久しぶりに洗濯機を回し、ベランダに干した後は大掃除に取り掛かった。2階は3部屋全部洋間なので、化学モップ。階段と手すりもそれで。ただしモップの綿埃は丹念に叩いて落とす。1階は「はたき」を掛け、マットも叩いて埃を落とし、後は化学モップで。トイレは専用の雑巾と掃除用品を使い、居間ははたきとモップと掃除機で丁寧に。 午後は買い物をし、おかずを作り、味噌汁も作った。後は自民党の総裁選の結果と、立憲民主の議員総会の結果を確認。まあ、全て予定通りの結果なのだろう。落ち着くべきところに落ち着き、やがて衆議院の解散総選挙へと雪崩打つはずだ。国内の状況もさることながら、今一番重要な世界の情勢を見つめて、わが国がどうあるべきかを考えて欲しいと願うのみ。<続く>
2020.09.19
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~スポーツとわたし~ 岸部四郎が死んだ。まだ71歳の若さだった。死因を調べたら「拡張型心筋症」と言う病気だった。だが何年か前に脳出血で倒れ、その後パーキンソン氏病も併発して闘病中だったようだ。名前は知っていた。20歳の時に映画「西遊記」で沙悟浄の役で出ていた由。因みに三蔵法師は夏目雅子で、孫悟空は堺正章だった。その夏目雅子も若くして死んだ。死因は確か白血病だったか。命の儚さを感じる。合掌。 女子プロテニスの4大タイトルマッチの一つ「USオープン」で大坂なおみが2回目の優勝を果たした。その前の試合では足を負傷し、決勝戦を棄権した。その試合で彼女は黒いマスクを着けて参加し、一時は準決勝をボイコットする姿勢を見せた。だが、大会本部は理解ある態度を示し、失格にはしなかった。人種問題で大揺れのアメリカ。協会もきっと何らかの選択を迫られたのだろう。 US女子オープンで彼女が用意した「黒マスク」は7枚。そこには人種差別で死んだ7人の男女の名前が刻してあった。その7枚全てを着用出来たら決勝戦進出だ。彼女はその目標に向かって邁進した。スポーツの世界に政治性を持ち込むことに対する批判があるのは当然だが。日本人と黒人のハーフである彼女が、人種問題に何らかのメッセージを送りたかったのは確かだ。 彼女自身が日本で差別を受けたことはないと話す。だが、今彼女が主に活動し生活の根拠があるのはアメリカ。その地で凄まじい人種差別、黒人蔑視の実態を観た。彼女のボーイフレンドは黒人のラッパー。それだけに何らかの声を上げたかったのだろう。信念を貫き通した彼女に、世界のマスコミは優しかっただけでなく、称賛の賛辞を送った。これで彼女は一流のアスリートとしてさらに成長したはずだ。 大相撲秋場所が始まった。初日から2日の横綱が全休とは20数年ぶりの異例事。こんな時こそ大関以下の力士の奮闘を待ちたい。そんな中で先場所カド番を脱出した大関の貴景勝が結婚した。相手は元大関北天祐(故人)の次女で、モデルだった女性。既に同居して大関を支えている由。因みに元大関の高安も結婚した模様。コロナ渦中で協会から処分された親方や力士がいた中で、爽やかな話題だった。 弟弟子に暴力を振るって2度処分され引退した貴ノ富士が、体重を50kg落として総合格闘技に参加する由。貴ノ岩もそうだったが、貴乃花親方の注意を守らない力士の結末がこれだ。その一方で、照ノ富士の復活。朝青竜の甥っ子の入幕、琴の若の息子で大鵬の孫の活躍、関脇正代の快進撃など話題は尽きない。まだ序盤だが、千秋楽まで熱い戦いを展開して欲しいものだ。 読売ジャイアンツの原監督が、監督としての球団新記録達成と言う。川上など錚々たる名監督がいるチームで、原監督は不振から監督を下ろされたことが何度かあった。それでも腐らずにこの栄光を手にした。そして過日は、早くも今季のマジックが点灯した。シーズン中のトレードに成功した巨人と、失敗したかに見える東北楽天。恐らく石井GMの見る目がなかったのだろう。プロの世界は厳しいものだ。<続く>
2020.09.18
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~不確実性の時代~ 若き日。私は「新刊ニュース」を見るのが好きだった。職場は大学図書館なので、近々どんな本が出版されるかを調べるのも重要な仕事なのだが、同時にちょっとした憩いでもあった。1つは自分の趣味である、古代史、考古学、民俗学などの新刊書のチェックと、連載の「ショートショート」を読む楽しみだ。それは600字ほどのごく短いSFで、星新一などがその当時の主な書き手だった。 SFつまりサイエンスフィクションはまだ新しい分野だった。私が読んで面白かったの作品の白眉は、何と言っても小松左京の「日本沈没」上下巻だろう。1973年が初版で、後に映画化もされて有名になったが、地殻変動で日本列島が海中に沈み、脱出した日本人が世界の各地に移民して生きると言う文字通り地球規模の手に汗を握る、面白くかつ日本人にとっては恐ろしいストーリーだった。 その小松左京のSFに「復活の日」1964年初版がある。驚くことに、テーマは未知のウイルス。人類が未知のウイルスと遭遇してどう戦い、どう克服したかを描く。東京オリンピックが開催された昭和39年の段階で、なぜ小松がこんな突拍子もない話が書けたのか。それは彼が過去の精密な調査だけでなく、その事象を未来への予見に当てたことにあるらしい。そして彼が常時アメリカ文化センター(後のアメリカンセンター)に出入りし、学術雑誌のScientific American などにせっせと目を通し、 最新の科学情報を入手していたからこそ可能だった由。京都大学文学部でイタリア文学を専攻した彼は、類稀な科学的精神の持ち主でもあった。だから遺伝学や分子生物学などの領域にまで関心を寄せ、核酸だけのウイルスも想像していた。ともあれ、66年も前に新型コロナウイルスによるパンデミックを想定させる科学小説を発表していた先見性に、まず驚かされるのだ。 さて、話を現実の世界に戻そう。先ごろロシアの体制批判派の活動家が何者かによって毒物を飲まされ、空港着陸後病院に運ばれた。ロシアの医者は毒物によるものではないと公表したが、彼の支持者によって転送されたドイツの病院の検査で、酵素の作用を阻害するロシアの毒物が検出された由。それはさらにフランスなどの検査機関による分析でも確認されている。 以前には放射性物質を盛られて英国で死亡したロシアの反体制活動家もいた。ロシアはスパイが横行するとても危険な国家だ。プーチン自体がKGBと言う諜報組織にいたことが知られている。そして彼は先ごろ憲法を改正し、自らが85歳くらいになるまで現在の地位に留まることが可能になった。40年にも及ぶ長期政権。そうして自らに反逆する者を次々に排除する強権発動の連続。ロシア国民はそれでも幸せなのか。 11月の大統領選を目前に控えたアメリカでは、共和党、民主党を問わず外国からのサイバー攻撃に曝されている由。調査によれば攻撃の主は、中国、ロシア、イランとか。幸いまだ大きな被害は出ていないが、世界は今スパイや情報操作で自国の有利な状況を作ろうとする、危険極まりない時代に突入した感がある。 日本でも最近預金が勝手に下ろされる事件があったばかり。最近は政府にもサイバー対策部門や、自衛隊内にも専門の部隊が出来たが、野党の反対でスパイ防止法すらない頼りなさなのだ。菅新政権ではいよいよITを含む情報技術の革新を目指すデジタル庁の新設や、省庁の縦割りによる弊害の排除に乗り出す意向のようだ。遅きに失した感は拭えないが、やらないよりはマシだ。 さて今回の新型コロナ騒動が、もし企図されたものだとしたらどうだろう。つまり「生物兵器」としての活用だ。あながち否定は出来ない。現にテキサス州ヒューストンにあった中国領事館の関係者は国外追放になった。ロサンゼルスで逮捕された中国人研究者は中国人民軍の女医で、アメリカのウイルス研究情報を盗んで本国に送る任務を担っていたと言われる。トランプさんが怒るのももっともだろう。 彼女の逮捕を黙認したのは、カリフォルニア州にある中国の大使館の閉鎖を免れるためとも言われる。そして中国は武漢のアメリカ領事館の閉鎖と、領事館員の即刻退去を命じた。また武漢における新型コロナ感染症の発生源を追っていたオーストラリアの記者の逮捕を図った。彼らは香港の大使館に逃げ込み、何とか母国に脱出した。オーストラリアが対中国政策を見直したことへの制裁。 こんな風に今は情報収集合戦のさ中。どちらがより優位な状況に立つかの戦争なのだ。南シナ海、東シナ海における横暴や国内での人権侵害を理由に、中国の封じ込めを狙う欧米のG7グループ。貿易、経済、国連改革など自由主義国家と全体主義国家間による地球規模の戦いの真っ最中だ。オリンピックも新型コロナも、米国大統領選も果たしてどうなるか。不確実性の現代はまさに人類の岐路なのだろう。
2020.09.17
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~信じるべきこととは~ 京都大学医学研究科のさる特別教授が言うには、〇新型コロナには今の段階の3つの型があることが分かった。日本には比較的症状が弱いX型とY型しか入っておらず、劇症型のZ型はまだ。なぜ日本における新型コロナの感染者と死者が少なかったのかだが、恐らくは毒性の弱いウイルスに感染した中で、自己免疫が形成されたのだろうと。つまり感染中に自分の体でワクチンを作ったのだと。 それから欧米諸国が比較的早い段階で中国人の入国を制止したために自己免疫を作ることが出来ないまま、劇症型ウイルスが到達した第2波でいきなり強烈なウイルスと対峙したため、重症者数と死者数が増えたのだろうと。ところが日本が中国人の入国を制止したのが3月後半。この期間までの感染で自己免疫が出来たのだろうと。それに風呂、手洗い、マスクと規則を守る生活スタイルが蔓延を防いだとも。 その医師によれば、以上のことや世界の情勢から判断すると、日本国内での新型コロナは今年中にはおおよそ収束すると考えられる由。「ほんまかいな?」と言いたくなるが、理論的にはそう言えるのだそうだ。でも油断は禁物だ。東京オリンピックの開催は、人類が新型コロナに勝利した証とも言われるが、是非そうあって欲しいし、早急な収束を願う。それでも「ウイズコロナ」を忘れてはいけない。<続く>
2020.09.16
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~ウイズコロナの時代を生きる~ gotoに東京が入ることになった。10月1日かららしい。そして東京都の「夜の街」の営業時間の延長も決まった。わが家へもツーリストからのパンフがかなり届くようになったし、メールでの旅の誘いもある。それでも腰が重いのは、やはりまだ心の奥底で用心してるのだ。旅の楽しさと、「もしもコロナに感染したら」との思いが「綱引き」してるのは紛れもない事実。 筑波勤務当時の「悪友会」は、今年は東京都内で飲み会の予定だったが、このご時世を考慮し休止を決めた。高校時代のクラス会も今年は私たちの喜寿と恩師の卒寿を祝う予定だったが、一向に音沙汰がない。やはり無理をすべきではないと幹事が判断したのだと思う。無理もないし、それで良いと思う。そして級友の誰も反対する者はいないはず。 日本のさるメーカーがフランスにPCRキットを大量に輸出してる由。フランスなどに送らずに、なぜ日本国内で販売しないのかと誰しもが思うだろう。ところがその会社はフランス政府との契約で、5年前から最新型ウイルス用の検査キットを開発しており、完成後はフランスに優先的に送ることが義務付けられている由。つまり「サーズ」や「マーズ」で大きな被害を受けた同国の危機管理政策だったのだ。 ところがあの時期、さしたる被害が生じなかったわが国では、新型コロナに対する対応が極めて鈍かった。全く予想しない事態だったのだ。だからPCRの数も不足なら、診療体制も不足。それどころか治療方針すらなかなか決められなかった。その上に医療機関や老人施設での集団感染が続き、パニック気味にもなった。大型クルーザーの横浜寄港すら天地がひっくり返るほどの一大事態だったのだ。 サーズ、マーズで大きな被害が出た韓国が今回は早急な防疫体制を採って成功した。別格なのが中国。密かに生物兵器の研究をしていたからこそ、いち早いワクチン開発にも成功したのだろう。武漢の病院で新型コロナは人から人への強い感染性があることを告発して、政府に口止めされて病死した良心ある医師、その状況を現場で調査した香港の医師が、アメリカに亡命して実態を公表したこともあったっけ。<続く>
2020.09.15
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生きる日々・思うこと(1) 蒸し暑い夜に眠って、雨の朝に目覚める。おうおう、今日もまだ生きている。小雨に濡れながら新聞を取りに郵便受けに。そのついでにタマネギを2個、ガレージから運んだ。グニャリとした感触は、どちらも一部が腐っているのだろう。布団を上げ、冷たいウーロン茶を飲み、洗面とトイレを済ませて血圧を測る。いつものルーチンだ。素早く朝食の準備をし、食後は服薬と歯磨き。 先ずは料理を作ろう。パパっと頭の中でメニューと味付け、そして手順を考える。先ずカボチャの煮物を鍋で。味付けはっキュウリの佃煮の残り汁でOK。それに味醂を追加。次にジャガイモを圧力鍋で煮る。硬くて時間を要するためだ。8分ほど「強」で煮てるうちに、野菜炒めの準備。ナス、タマネギ、ニンジン、椎茸、ベーコンを刻む。これは残り汁を薄め、味醂と味噌を追加。 茹で上がったジャガイモをを取り出し、次に圧力鍋で「モツ」を茹でる。既にボイルしてある「白モツ」だが、匂い消しと脂分を除くため。それが終わると水で曝し、大鍋でモツの煮込みを作る、材料はジャガイモ、ニンジン、タマネギ、モツ2パック、そして木綿豆腐半丁。それを煮てる間に野菜のピクルス作り。材料は角切りのニンジン、キュウリ、そしてスライスしたタマネギ。味付けは酢とレモン汁。 完成した料理を容器に移す。そして使い終わった鍋やまな板、包丁、菜箸などを洗う。タマネギの腐った部分などを入れたビニール袋を縛ってゴミ袋に。アッと言う間に作り起きおかず4品の完成。それに焼き魚や練り製品などもあるので、4,5日は持つはずだ。 統合した野党の名称は「立憲民主」に決まった。そして党首は枝野さん。結果は最初から分かっていたこと。野党は結集して選挙に臨むと力説するが、これまで安倍内閣打倒で息巻いていた相手がいなくなって、大義名分はあるのか。政府批判はもう良いから、自分らが政権を取ったら一体何を目指すのか。先ずそれを明確にしないとねえ。私など国民民主の方がまだ筋が通っているように感じるのだが。 あれは「安全保障関連法案」改正時だったか。与党が提示した改正案に対して、野党は「もし法案が通ったら、徴兵制になり青年たちは戦地に行かされる」と狂ったように訴えていた。共産党に民主党などだ。あれだけ騒いだ結果はどうだったか。実に平穏なものだ。表現の自由を奪われると反対した法案の改正案も、その後不都合な点は全く生じなかった。あの頃マスコミは総理の独断と横暴を訴え、国民は総理を呼び捨てにした。 煽る政党とマスコミ。ワイドショウはわが国が民主主義から逸脱するかのように報道し、自らの頭で考え、判断することを放棄した国民。憲法論議をしようものなら、まるで狂犬のようにうなり声を上げる始末。「スパイ防止法」がないわが国は、世界最大のスパイ天国なんだよ。マスコミも政治家もエサをぶら下げられ、他国の国益に動かされるのに気付かない。<続く>
2020.09.14
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~秋に想う~ 8月の俳句教室に私は3つの句を提出した。兼題(宿題のテーマ)は立秋。8月なのに「秋」がテーマなのは俳句の世界では旧暦が生きているため。それはさておき、提出した中の1句が講師に惨憺たる評価を受けた。気分は最悪だったが、私は気を取り直して9月の兼題を尋ねた。「初紅葉」と講師。帰宅した私はうっ憤を晴らすかのように、急いで幾つかの句を詠んだ。 その中には赤ちゃんの手をモミジに見立てた句も。だがあまりにも通俗過ぎると感じて、ノートに清書しないまま捨てた。それから2週間ほど経ったある日、老人センターから電話があった。俳句教室の会場だ。9月の俳句教室は講師が手術のため、休止する由。彼がガンと戦っていることは何度か聞いた。さてそのことがあって8月の教室では不機嫌だったのか。私は私の俳句道を往くだけの話だ。 乳飲み子のぐずりて眠る残暑かな *ちのみご=赤ちゃん 嬰児の寝息安けき白露かな *みどりご=赤ちゃん *白露=秋の季語で24節季の一つ 初もみじを背に宮島の大鳥居 安芸の宮島(広島県)は日本三景の一つで、平清盛が信奉した国宝の厳島神社がある島。背後の弥山(みせん)は紅葉の名所で、宮島の観光土産はかの有名な「紅葉饅頭」だ。句はその紅葉が美しい弥山を背にして海中に立つ大鳥居を詠んだ。私はこの島を2度訪ねたが、山頂までは行けなかった。この山頂の岩には、奇妙な文字が刻まれており、世界共通の神聖文字と言われている。 山野辺の径迷ひつつ初紅葉 「山野辺の道」は奈良県の明日香村から天理市まで続く、わが国最古の官道で7年ほど前に私はこの道を迷いながら歩いたことがあった。大神神社、石上神社、狭井神社、元伊勢の古社、箸墓古墳、幾つかの天皇陵などがある曲がりくねった道に難儀した覚えがある。大和王朝と出雲族、蘇我氏、物部氏らの古代豪族が深く関与する土地柄で日本史の故郷でもある。今となっては懐かしい思い出だ。 月清ら苫屋に神は降臨す *とまや=粗末な小屋 沖縄勤務時代、沖縄本島の北にある伊是名(いぜな)島を訪ねたことがあった。とても神秘的な島で、風景の清らかさと荘厳さに先ず驚かされた。それもそのはず、この島は後に第二琉球王朝の祖となった金丸(後の尚円王)の生誕の地で、古い城跡が残っている。島の集落に一見みすぼらしい小屋があった。 それは神アシャギ(足上げが変化したもので、神様が寄る神聖な家の意味)と呼ばれる茅葺の小屋。その小屋の神々しさに、思わず息を飲んだ。日本の神社にも共通する神聖さだが、さらに原始的でもっと神に近い存在だと直感したものだ。沖縄にはそんな聖地が各所に残されている。つまり「原始神道」の島なのだ。精神のより深いところで日本と沖縄が繋がっている証拠みたいなもの。それを思い出して詠んだ。 絵筆持つ妻の項や虫の聲 *うなじ *虫の声が秋の季語 前妻は趣味で絵を描いた。その妻が家を出、大量の絵が残された。私はそれを全て処分した。その他にも不要品を4トン車に載るほど捨てた。2か月にも及ぶ過酷な断捨離だった。妻が複数の男性と付き合っていたことを知ったのは、離婚後妻が家を出てからのこと。それも意外な出来事だった。だが妻は子供たちには私が妻の金を盗み、私に恋人がいると話していたようだ。認知機能が狂っていたのだと思う。 離婚調停が終わったその年、私は一人の女流画家を知った。あるブロ友の紹介で彼女の個展を観に行ったのだ。その方がその後私のブログを何度か訪ねてくれた。それもきっと何かの縁なのだろう。方やアマチュアで方やプロの画家。とても不思議な縁を、幻想的に詠んだ一句。もちろん女流画家は妻ではないが、夢のままでも良いかなと思っている。
2020.09.13
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~最近のニュースなど~ 若大将こと加山雄三さんが誤嚥で苦しんだとのニュースに驚いた。彼はまだ現役の歌手。そして家族もおられる。だから普段から声帯を良く使っていると思う。独り者の私とはまるきり条件が違う。会話をしないと声帯の筋肉が衰え、誤嚥の要因になることは知ってるし、経験もある。彼の場合は急いで水を飲んだのが誤嚥につながったようだ。さらに咽(むせ)て咳をしたことで小脳に出血があった由。 誤嚥は誤嚥性肺炎につながり、高齢者が亡くなる大きな要因になるという。噺家の歌丸師匠もそうだったと記憶している。若大将加山雄三も83歳。だがステージに立とうとする意欲は失っていないようだ。無理は禁物だが、なお歌おうとする体力と生命力に脱帽だ。 この人の退陣に関して大学時代の恩師が語った言葉が新聞に載っていた。議会運営が強引過ぎた。野次を飛ばすなど紳士ではなかった。自分に反対意見を唱える議員を冷遇した。三世議員の脆弱さがあった。党の規約を変えてまで、総裁に三選されるべきではなかった。身びいきが目立った。語ったのは成蹊大学法学部政治学科のさる名誉教授。なかなか厳しい指摘だが、幾つか思い当たる。だが内政は不可としても外交に関する評価がないのが、腑に落ちなかった。 そう言えば与党に対してかなり厳しい意見の教授がいた。それがあの大学の当該学部の伝統なのだろうか、それとも個人的見解か。ただし、「民主的な」憲法学者の意見が必ずしも正しいとは限らない。政治は学問ではなく実践の場。まして国益と国益がもろにぶつかり合う国際政治の場では、為政者が判断を誤れば世界で生き残れない。強い信念のかつ清廉潔白な政治家がわが国に欲しい。 安田記念講堂 イギリスの学術機関が「世界の上位大学」の昨年のランキングを発表した。アジアで上位に入ったのは中国の精華大学と北京大学で、両校は昨年よりも順位を上げた。日本で100位内に入ったのが東大と京大。これも昨年同様だ。ランキングの基準は研究者数や学生数、そして世界で引用される学術論文の点数など。 中国の努力には敬意を表するが、それが国民に良い影響を与えているかは別問題。共産党が全ての上位にある国家に真の自由はないからだ。為政者の不正、富の偏在、都市と農村部の格差、汚染まみれの国土、「一帯一路」など無謀な世界戦略、宇宙開発と軍備力強化を伴う世界制覇への野望。様々な矛盾を抱えつつ雄叫びを上げる中華思想の大国は、今後どこへ向かうのだろう。 コロナ騒動で番組制作が困難になったTV界。そのせいで再放送をたくさん見たが、良いこともあった。過去の名番組の復活だ。その一つがNHKの「シルクロード」。2つのバージョンがあるが、どちらも懐かしかった。テーマ音楽、ナレーション、そしてシルクロードの遺跡などなど。若き日に読んだスェン・ヘディンの「彷徨える湖」が脳裏に蘇った。 黒城遺跡 近代のある時期、魅せられたように中国奥地への探検を目ざしたヨーロッパ列強。イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、そしてスエーデン。そして日本も明治期に大谷探検隊を送って数々の成果を上げた。番組はNHKと中国の共同制作によるもので、国境越え禁止などの制約もある中で、学術性の高い取材が敢行された。シルクロードを旅することは不可能だが、再び名場面を観られただけでも嬉しい。 敦煌莫高窟壁画 各国探検隊が持ち帰った美術品などは、今大英博物館、大英図書館、ギメ美術館(フランス)、エルミタージュ美術館(ロシア)、カロリンスカ(スエーデン)などで大事に保管されている。ベルリン所蔵の大部分は戦火で失われたが、幸い映像が残されている。私は今年の1月に中国の大連と旅順に旅し、旅順博物館で旧満鉄が収集した中国の美術品を数多く観ることが出来た。 中国国内の「絹の道」 その中には、大谷探検隊が発掘した人骨も。それを中国の最新技術で、容貌も当時の衣服も完全に復元されていた。その見事さに思わず声を上げたほど。残念ながら撮影禁止のため写真は撮れなかったが、日本は中国大陸で悪さだけしていたのでなく、世界的な遺産を後世に伝える役割を立派に果たしたことを付記したい。「旅順博物館」で撮った美術品は、いずれブログで紹介する予定だ。<続く>
2020.09.12
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~すだく虫の音~ ヤブラン(龍のヒゲ)日中はあれほど猛暑にも関わらず、さすがに朝と夜は冷え込むのか庭から虫の音が聞こえて来る。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」。ある朝私は布団を2階に上げ、タオルケットと枕も二階へ持って上がった。それから長袖シャツに「冷却スプレー」を振りかける。いわゆる「エアーサロンパス」。ランナーだった私の必需品だった。そして靴下とトレパンを履き、首には濡れタオル。 ワレモコウ’(吾亦紅) 草刈時にはサロンパスを貼ると良いと教えてくれたのは走友のKさん。だが私は炎症を起こしてない時にそれを貼ると肌が発赤する。その成分に弱いのだ。それで長袖の上から噴射した。その日は残っていた家の裏側の草取り。念のため「蚊取り線香」も点けたが、全く蚊に食われなかった。やはり強い匂いに弱いのだろう。おまけに汗もいつもほどでなく、作業後気持ち良く水風呂を浴びた。 ゴミ袋 これが今回の作業の成果。55リットル用ゴミ袋がほぼ満杯。燃えるゴミの日は火曜と金曜なので、これに一般ゴミも入れて出す。さてこれに入れたのは「種」が実った雑草だけで、種のないものはそのまま裏庭に積んだ。再度発芽の心配がないためだ。草取りは後1回。その後は草木の剪定作業かな。草刈の後は、植えた苗や種を蒔いて発芽した苗、植木鉢への水やり。 左がキャベツで右がブロッコリーだけど、見分けがつくかな? 左が大根で、右が聖護院大根。聖護院はカブの仲間で形は大きいですよ。 そしてこちらは白菜。これから蝶々が卵を産み付けに来るので大変です。どれもみな子孫を残すのに必死ですからねえ。 万願寺唐辛子の実が真っ赤に色づいていますが、こんな色をしてても、全く辛くありません。甘い品種のシシトウは京都の伝統野菜で、とても栄養があって美味しいですよ。赤くなるのはきっと「先祖返り」なのでしょうね。 ツユクサ(露草)は可憐な雑草です。それでも取り忘れると種が出来て増えて行きます。キンミズヒキソウ、ワレモコウなども風情があるのですが、結構強い野草で放っておくと増え過ぎて大変なことになるんですよ。タンポポ、ハハコグサ、ドクダミ、ヨモギ、スギナ、オオバコ、そしてイネ科の雑草。それらと夏の暑い盛りに戦うのはきついです。死ぬまでがそんな日々なのでしょうね。きっと。<続く>
2020.09.11
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~ブログのことなど~ ヘチマの花 9月だって言うのに、今日の仙台は35度の猛暑日になるとテレビの天気予報。何かが狂っている。どこかがおかしい。私たちが子供の頃の仙台は夏でも30度を越える日はごくわずかだった。そして海水浴が出来るのも梅雨明けからお盆前の1週間程度くらいなものだった。それに海風があって、仙台は案外涼しい土地でもあった。だが、どうだろう。今では四国や九州と変わらない暑さ。仕方なく空調を入れる。 コムラサキ 最近はブログにコメントしてくれる人がめっきり減った。ただしアクセス数が激減したのではない。それで良いし、当然の帰結なのだと思う。ヒステリックな人のブログは訪ねなくなった。更新する度にコメントしてたブログも、その相手が1か月も訪ねなくなると行くのを止めた。プライドが高い人は敷居が高いし、議論の相手にはならないと判断した人のブログへも行かなくなった。それもまた人生の一コマだ。 今年の梅干し 掲示板、日記、ブログ。ネットに日記を書くようになって20年ほどになる。その中で、ネット仲間の脅迫や嫌がらせもあった。またブログ仲間の死や、病気、認知症による閉鎖なども。去った者、去ったブログも多数。それもまた人生。物事には必ず終わりがある。それをいつ、どう見極めるか。毎日の更新をモットーにするわがブログも、いつか文章が書けなくなる日も来ることだろう。 玉造の宿の絵 先日パソコンの待ち受け画面を自分の写真から、ある人のものに変えた。これまでのは神戸マラソンのゴール間近の橋の上で撮ったもの。今度のは展覧会の会場で微笑む女性のもの。パソコンを開くたびにその人が私を見つめるようでドキッとする。ふ~む。これはボケ防止にはちょうど良いかも。男は女に見つめられるうちが花か。まあそれは多分女も同じだと思うのだが。 島根の焼物 台風10号の脅威がそれほどでもなかったのは、直前にほぼ同じコースを辿った9号が海水を攪拌したことで、水温が下がったのが原因とか。それで膨大な量の水蒸気の補給が絶たれたのかも知れない。物事には因果関係がある。それは人間の世界も自然界も同様なのだろう。ともかく今は厳しい残暑に耐えるだけだ。涼しい秋になれば少しは体の疲労も抜けるだろうし。 宍道湖の夜明け 猛暑が続いたせいか、ふだんは飲まないビールを良く飲んだし、美味いとも感じた。兄の葬儀のお返しに義姉がくれたお中元のミニサイズ。あれがきっと心の渇きを癒してくれたに違いない。そしてその一方で体重増加の一因になったのも確かだ。先日蒔いた大根、白菜、聖護院大根が発芽した。そしてキャベツの苗には蝶々がやって来た。卵を産み付ける機会を狙っているのだ。季節は音もなく移ろいで行く。 ある日の朝食 自民党総裁選の告示がなされる。そして、国民民主と立憲民主の統合議員総会が開かれる。夏休み中だった国会に間もなく活気が戻るだろう。そして解散総選挙へと一挙に政局が動くかも知れない。コロナが今後どう収拾しようとも、来年の東京オリンピックとパラリンピックは、予定通り実施するとIOCの幹部が宣言した。秋が深まって、猛暑が幾分でも治まってくれると助かるのだが。<続く>
2020.09.10
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~中国はどこへ~ 上海 「災害をジョークのネタにしちゃいけないんだが」。男が言った。上海が水害に遭ったら海上になるんだってよ。上海は長江(揚子江)の河口にある。その長江で今年は大災害が続き、上海も浸水被害が起きたそうだなあ。上海は元々標高が低い。それに海の傍だし長江のデルタ地帯に立地している。そして高層ビル建築のため、地下水を汲み上げてる可能性もあるしな。 これが長江の中流から下流にかけての地図。左端の赤い線が問題の「三峡ダム」の設置個所なんだがね。ダムの上流にある大都会が漢口。そしてダムの下流にある大都会が、例の武漢、南京、蘇州、そして河口の上海だ。この地域で今年は2か月以上雨が降り、三峡ダムの崩壊が懸念されたんだよ。ダムの上流では土砂崩れが200か所くらいで起きたし、ダムの決壊を防ぐため放流を続けた。 その結果が中流下流での水害だ。ここには20以上もの河跡湖がある。中には琵琶湖の何十倍も広い湖もある。昔長江が氾濫した跡だが、それが今でも調整池として機能してるんだね。ところが三峡ダムの放流で満杯になり、そのままだと大都市が困るため、軍が幾つかの調整池を爆破した。その結果、農地は大洪水で今年の収穫はゼロになったのさ。天災と人災のダブルパンチと言う訳だ。 中国国内の自治区 中国の国土の半分はチベット、新疆ウイグル、内蒙古が占めている。そこに住む人口は全土の1割だ。ところが残りの半分に人口の9割が住んでいる。だが農耕に適した土地は少なく、中国の農産物の半分を賄う長江の中下流域は水害が多いと来ている。だが、他に行きようのない農民は、たとえ氾濫が起きやすい農地でも、そこを離れる訳には行かないのさ。3つの自治区は漢民族にとっては異民族。最近内蒙古自治区でも中国語による教育を開始したようだ。言って見れば同和教育だ。 香港 香港人の大部分は漢族だが、中国化を強めるために制定したのが「香港国家安全維持法」だ。だが中国が約束した「一国二制度」がそれで反故になった。民主化の担い手だった周庭さんや「アップルデーリー」新聞社の社主が逮捕されたのは知っての通り。翌日保釈されたが、周庭さんのパスポートは取り上げられ、国外への脱出は不可能になった。社主はたとえ中国に連行されても戦うと宣言した。物凄い執念の人だねえ。彼こそが真の愛国者。真の報道人。真の香港魂の持ち主だと思うよ。 当然トランプさんはその制裁に乗り出した。中国共産党幹部及びその家族の資産凍結とビザの発給停止、香港行政府の幹部も同様だ。おかげでアメリカの大学に留学中の林長官の次男も香港に帰れないみたいだし、中国人留学生や研究生を追放することも決まった。またファーウエイに次ぐ中国企業への制裁措置もね。これで中国の弱体化はさらに進みそうだ。 中国人研究者が発表する論文数は世界第3位だったかまでに上昇した。だがそれは欧米諸国が研究者や留学生を受け入れてくれていたからだ。それを「隠れみの」に先端技術や情報を盗むことも多かった。ようやく米国はそれに気づいたんだね。大学から「孔子学院」を追放したのもその一環だろう。「武漢ウイルス」を蔓延させて置きながら、いち早くワクチンを開発するなんてどうしてそんなことが可能なのか。 中国が推進する「一帯一路」の債務の罠や、アジアインフラ開発銀行の高利の欺瞞にようやく世界も気づき出した。こうなると中国の食糧不足に手を指し延べようとする国が出て来るかどうかだね。これまで散々悪辣なことをして来た報いかもなあ。ジジイはさらりと言ったが、昔からのことわざに「窮鼠猫を噛む」と言うのもあるでなあ。あくまでも疑い深いジジイなのである。<続く>
2020.09.09
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~世論とは~ 辞意を表明した途端に内閣の支持率が急上昇した由。先だってまでA社の世論調査による内閣支持率は確か38%ほどだったはず。それが一転60%にまで跳ね上がり、他社の調査でも58%に及んだ由。ふ~ん、そんなものか。それを知っても私は特段の感慨も浮かばなかった。なぜそうも白けているかと言えば、世論調査を端から信じてなかったからだ。 どういうことかと言うと、設問の仕方一つで数字は変わると言うこと。先ず結論があって、世論をその方に向けようとすれば、それに相応しい設問を用意すれば良いだけ。私は長い間そのことに気づいていた。それだけ日本の国民は「利益誘導」されやすいと言うか、ジャーナリズムによる潜在意識操作が蔓延してると言うか。つまり自己確立が出来てないため、一見正義ぶった意見に囚われてしまうのだろう。 やれ「モリカケ」。やれ「さくらを観る会」。そして昭恵夫人が「公的存在」か「私的存在」かなどなど。TVのワイドショウや週刊誌のどぎつい目次につい騙され、いかにも自分が正義の味方であるごとく錯覚し、挙句の果ては一国の総理を「あべ」呼ばわりにする愚かしさ。そんなブログを幾つみただろうか。私はそれを見て鼻で笑っていた。他人の意見に惑わされる日本人がいかに多いことか。 ところが総理が辞任を表明後、盟友トランプ氏のみならず欧米の指導者が一斉に、安倍総理に対する称賛と惜別を露わにした。国連事務総長の賛辞などはその典型だろう。そうなって初めて国内のマスコミが後追いする。安倍総理がこれまでの任期中に果たした外交実績にようやく気付く。それも世界が認めなければいつまでも嘲笑し、責任追及に血眼だったであろうに。馬鹿は死ななきゃ治らないのだ。 「安倍はトランプの金魚のウンチ」。私のブログにそう書き込んだ御仁がおられた。私は以後その人のブログには行かなかった。意見は自由だが、他人のブログに書く言葉ではない。そしてもしたとえ金魚のウンチだとしても、それでどんな国益を損なう事例が発生したと言うのだろう。8年もの就任期間で国政は安定し、G7での日本の国際的な立場も強固なものとなった。そんな総理がこれまでいたかどうか。 ミャンマーのアウンサンスーチーさんや、アメリカのオバマ氏はノーベル平和賞を受賞した。だがそれは絶対ではない。アウンサンスーチーさんはその後軍事政権と妥協したし、何よりも少数民族ロヒンギャを蔑視することで、彼らは難民となって隣国のバングラデシュで未だにテント生活を強いられている。そして貧しいバングラディシュでも迫害されている。 一方のオバマ氏はどうか。彼がノーベル賞をもらっているうちに北朝鮮は軍事大国となって原爆を保有し、中国は南シナ海に軍事基地を建設してしまった。どちらもアメリカが停止させる機会がなかったとは言えない。それに強硬姿勢を見せたのは素人政治家で破天荒なトランプ氏。あのお騒がせ大統領が、世界覇権を目指す中国に待ったをかけ、危うい北朝鮮と必死に駆け引きを続けている。 ジャーナリズムなんてそのまま信用してはいけない。彼らは「売れる記事」を書き、そのために人の樹を引く「見出し」をつけ、多くの広告収入で自社が潤えば良いだけの話。それは野党も同じ。与党を攻め、総理を攻め、いかにも自分たちが正義漢面して国会議事堂を闊歩してるだけの話。人間は誰でも自分が正義だと信じたい存在。その弱みに付けこまれるのもまた人間の弱さなのだろう。 弛まぬ信念を持つことは難しい。人間は他人の意見に左右されやすい生き物だ。そしてそれを持ち続けることはさらに難しい。人間はいつか年老い、変容して行く生き物だ。「無私」や「無欲」はさらになる高み。神ならぬ人間は誤謬を保有する生き物だ。たかがブログされどブログ。たかが人生、されどわが唯一無二の人生。かくてジジイは今日も迷いつつ生き、何が物事の本質かを見極めるつもり。<続く>
2020.09.08
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~怪我もしたけど~ 前夜からそれを玄関に置いて用意していた。そして当日の朝は、十分間に合うように起きた。天気も悪くない。雨が降れば延期になる町内会の草刈。だが「生憎」雨は降ってない。いつものように朝一の血圧を測定し朝食。そして食後の服薬と歯磨き。全てはルーチンで、順番が狂うことはない。行き付けの内科医では毎回50日分の薬を処方されるのだが、間違うのはせいぜい1回。 第1日曜日の朝7時半、バス停前の花壇に集合するのがわが班の約束事。その草取りをするのだが私が一番乗りだった。先月は雨がパラパラ降ってたので、これは中止だろう。そう思って行かなかったのだが、皆は小雨の中作業をしたみたい。それで今回は新しい鎌を買い、忘れないようにわざわざ玄関に置いていたのだ。新しい鎌はさずがに良く切れた。これは助かる。気分良くドンドン雑草を刈る。 だが好事魔多しとはこのこと。刈た草を手に持ってバス停に行こうとした途端に転んだ。花壇は斜面になっていて、前日の雨で滑ったのだ。幸い鋭利な鎌で切ることはなかったが、コンクリートブロックで肘をこすり血が出た。まあ軽傷軽傷。ほんのかすり傷。そう言い聞かせてそのまま終了時間まで働き続けた。わずか30分でお開きになり。雑草が詰まったビニール袋をゴミ収集所まで運んだ。 私の場合、本番はそれからだ。続いて庭と畑の草取りをする。この日は覚悟をしていた。雨は降っておらず比較的涼しい。それに蚊も少ないみたいだ。先ずキュウリとゴーヤのネット並びに支柱を外す。ついでトマトとモロッコインゲンの支柱を外し、苗を抜く。最後にカボチャの蔓を抜き、ナスの苗を抜いた。残った苗は万願寺唐辛子だけだからもうサッパリしたもの。これで草取りも楽だろう。 これが最後の収穫。なんともう1本ゴーヤが獲れた。都合4本。昨年の種を蒔いての収穫なので、まあまあか。この後、モッコウバラの蔓と長く伸びた梅の枝を剪定する。そして通行の邪魔になっていたシュウメイギクの茎も少々。それらの残骸は全て裏庭の片隅に積み上げた。いずれ腐れば立派な堆肥になるはず。そのためにも種がある雑草は別途より分けて燃えるゴミ用の袋に詰める。 これが今年最後のトマトが15こほど。そのまま放置すればやがて色づいて食べられるようになるが、ゴーヤやさつま揚げなどと煮込んで、佃煮を作ることに決めていた。その方が無駄なく効率的に食べられるし、調理後も長持ちすると考えたからだ。 これが作りかけの佃煮。青トマトがまるでカレーの中のジャガイモか玉ネギのように見えるのが愉快。何だかミスマッチみたいだけど、トマトの佃煮、さっぱりしてとても美味しいですよ。きっと栄養のバランスも良いはず。 そしてこれがわが家の「ただ」のカボチャ。「ただ」と言うのは、去年食べたカボチャの種を取って置き、それを蒔いたのが発芽したから。右の小さい方が先日梅の木に巻き付いていたもの。買えば300円くらいかな。そして左が今回の収穫。蔓のへたがまだ若いけど、完熟するまで待てば500円くらいかな。それにしても上出来でしたね。 そして最後に植木鉢のゴムの木の枝を2本切りました。4月中旬に外へ出していたらドンドン成長して、枝が伸びたんですね。それがカーブするようになったので、少し負担を減らしてやろうとおもったのさ。自分が生きるだけでなく、庭の植木の生育や、畑の野菜の生育にも出来るだけ心を配らないとね。常に求められる何らかの判断も、ジジイにとっては訓練の良い機会なんだよ。<続く>
2020.09.07
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~老後を生きる~ 作家の内館牧子さんがTV番組で話してるのを聞いた。テーマは老後の話。端的に言えば自分が死んだ後の始末についてだった。未婚の彼女は女性作家としての苦労を重ねたはず。サバサバした性格なのか、自分は余生を楽しめればそれで良く、死後は不要だと思った品は捨ててもらって構わないと。もし遺産を相続する家族もいないのなら、そしてそれで済むのなら楽で良いとも思う。 このところ良く目にするのが曽野綾子と石原慎太郎の対談集のコマーシャル。かなり高齢な二人が死を目前にした今、何を考えているかという内容のようだ。カトリック信者の曽野と法華経を信じる石原。先ずはそれぞれの確固たる宗教心を羨む。曽野は88歳で夫の三浦朱門を見送ってからは、それまでの信念がさらに深まったように感じる。一方の石原も都知事時代は散々批判されたが、超然としていた。 私が二人を羨む2番目の理由は、死後の心配をしないで済むことだ。葬式のことや財産の始末だ。曽野の遺族の存在は知らないが、石原には立派な息子が3人もいる。だから何の心配もなく死ねるはずだ。だが私はどうだろう。まだ生きているうちから財産の処理と葬式の心配もしている。それは2人の息子が遠くで暮らしているからであり、父親の死後の始末を出来るとも思えないためだ。 最近はポスティングで売家を求めるチラシが良く入る。それはわが家が高齢者の独り暮らしであることを住宅販売会社が知ってるからであり、チラシはその「出汁」なのだ。今ならどれくらいの値段で売れますよとのゼスチャーだが、私はそんな手には乗らない。家を売った途端に住む家がなくなるし、第一大型の家具を始末する必要があるが私にはまだそんな気はないし、体力もない。 わが家を建てた大手の住宅メーカーからも、家の「サムストック評価」なるものを受けないかとの誘いが良く来る。これも来るたびに無視。彼らは家を建てるだけでなく、点検とリフォームでも家主に金を遣わせ、挙句の果ては家を買ってリフォームし、高く売り付けるのも商売の内。またわが家くらいの敷地があれば更地にして2棟建てられるかも知れない。とも角今は先方の都合に合わせる気持ちはない。 本音を言えばこれからのわが人生の最後の10年を付き合ってくれる伴侶を探しているのだが、見通しは暗い。先日思い余って「結婚相談所」をネットで探して連絡した。全国に名が通った会社は安心が出来ると考えて資料請求。それで申し込みをし、仙台支社へ行って相談した。だが結婚相談は若い人が中心で、大半が30代から40代の男女。東北地区の60代以上の女性会員はわずかだかった。 次に「性格心理学」と「色彩心理学」の設問に答える。私と相性が良い女性会員は大阪に2人いる由。だが実際に会うことは無理と考えて諦めた。次の電話は「仲人業」の女性。だが、電話はもう使われてなかった。次は「安心・無料」の相談所。こちらも電話は通じなかった。そんな訳で、もうすっかり疲れ果て家に引き籠っている。 そんなこんなで意気消沈の日々だが、あらためて別の会社で結構相談をするか。それともエンディングノートに少しずつ「後始末」をメモし、息子たちがまごつかないように準備するか。コロナ自粛が当分続くこの機会に、人生最後の断捨離を考えておこうと思っている。<続く>
2020.09.06
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~心を癒すものは・・~ 暗いキッチンで何かを踏んだ。その足の裏の感触で、ナメクジだと分かった。勝手口の扉を開け、夜のとばりの中でキッチンマットを振るった。照明をつけると、グニャリとしたあの物体はもういなかった。それにしてもどこから侵入したのか。翌朝は霧がかかった畑へ出て、自家製野菜を収穫した。小さなトマトが腐って落下していた。そして取り上げたトマトの傷口にうごめく黒い物体。それはアリだった。 傷口に指を突っ込み、アリの群れをほじくり出す。台所に戻って傷ついた部分を包丁で切り落とす。残りを半分に切って食べたらとても甘い。恐らくはあのアリたちもトマトが完熟して甘くなったのを知っていたのだろう。大きめのゴーヤが完熟して黄色に変色。これはゴーヤチャンプルーには無理なので、そのまま切って野菜サラダにする予定。こうなるともう全く苦味は失せている。 「コロナ鬱」と言う言葉を知ったのは今年の春ごろだったか。「コロナ自粛」で家に閉じ籠っていると、そんな精神状態になるのだ。学校は休校、職場へは行かずに自宅でのリモート勤務。旅行業、飲食店、そして製造業など、人々の行動が制限されたことに伴う経済活動の低下。生活の激変による精神の長い緊張が、人々の心を縛り付けてしまった。 これまでアメリカでは鬱病は冬に多く発生するのが普通だったそうだ。それが今年は夏にも増えている由。コロナのせいでの倒産が目立つようになった。職を離れた労働者も多いし、「コロナ離婚」も出るようになったとか。ある企業は本社を東京から淡路島へ移転した。もう東京の高いビルを借りる必要はなく、淡路島へ移転してもリモートでかなりの部分をカバー出来るとか。働き方まで変わってしまったのだ。 私は最近あまり体調が良くない。恐らくは激しい暑さが原因の一つだろう。そして大型台風の接近に伴う気圧の変化も大きい。そんなことが血圧などにも影響を与えるのは、昨年の夏にも経験済みだった。幸いにして先月受けた市の健康診断の結果はまあまあだった。特段目立つような兆候はなく、しっかり治療を続けていれば、このまま小康は保てるように思う。 さて、そろそろキッチンで料理をする頃だ。今回は3本のゴーヤなどでゴーヤチャンプルーを作り、ナスの味噌炒めを作り、後は野菜サラダを作ろうか。暑さが迫って来た。台風による南風の吹き込みが原因だろうか。もう室温は30度を越えたはず。午後からは猛烈な雨との予報も出た。さて超大型の台風10号が、わが日本列島にどんな影響をもたらすかが心配だ。<続く>
2020.09.05
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~時期は秋冬野菜の準備へと~ 8月の末から私は少々焦っていた。庭と畑の雑草が物凄いことになっていたからだ。原因は高温と多雨だが、熱中症の心配で草取りが出来なかったのも大きい。それに私は蚊に刺されやすく、それらが躊躇させる要素になっていた。だがこれ以上は待てない。そろそろ秋冬野菜の準備時期が迫っている。それにある店の「割引券」の使用期限が8月末までだった。これは何とかしなくちゃ。 連日にわたる早朝の草取り作業。その中で幾つかの発見もあった。その第1がミョウガ。8月の猛暑で葉が枯れかかっていたミョウガ。それが朝夕ホースでの水やりを続けたせいで、例年よりも多くのミョウガが収穫出来た。そして第2の発見がタカサゴユリの開花。この種を庭の各所へ蒔いたのは4年ほど前。ほんの遊び心からだった。ペラペラのまるで紙のように薄い種。まさかそれが発芽するとは。 それがどうだろう。日当たりの悪い場所や、雨が当たらない堅い粘土の軒下でも育ち、コロナ禍で沈む今年、庭のあちこちで開花してくれた。夏の朝のジョギングで、今年は山百合を見ずに終わった。それだけに嬉しさが募る。カサブランカの華やかさに比べたら何の飾りっ気もない清楚なタカサゴユリ。良いではないか。単純明快で。独り暮らしの私を慰めるために咲いてくれたかのような気高いその姿。 発見のその3はこのカボチャ。ある朝、梅の木のてっぺんまで伸びたカボチャの蔓を鎌で切り、下へ引きずり落としたらズシリとした手ごたえ。これは変だ。どうしたのかと思ったら何とこれが付いて来た。まだ若い実。完熟までにはまだ間がありそうだ。モミジの樹に伸びた蔓は私が受粉させたので知っていた。それをビニールひもで樹にしばって楽しみにしていた。だが、梅の木の方はきっとミツバチのお陰だろう。 4つ目はゴーヤ。雑草の始末と併せてナスの苗3本、モロッコインゲン、南の畑のキュウリ、そしてツルムラサキ、ヘチマの苗を処分した。その畝をスコップで掘り、石灰と発酵鶏糞を撒いて均した。そして何気なく残ったゴーヤの蔓を見ると、貧弱な実が3本生っていた。これは昨年食べたのの種を植えたもの。遊び心の積りだったが失敗したと諦めていた。それが始末する間際にようやく実を結んだのだ。 南の畑のナスとトマトは処分せずに残した。まだあと少しだけ収穫が望めそうだからだ。野菜が高い今はわが家の野菜も貴重な食糧だ。耕した畑に、残り物の大根の種を蒔いた。「発芽保証時期」を2年も過ぎているが多分発芽するはず。そして、1株66円で買ったブロッコリー10株とキャベツ3株も植え付けた。タイミング良くその日の夜に雨が降った。天気予報を観るのも大事なことだ。 園芸店から届いた「バースデープレゼント」のポイントもギリギリ間に合った。ちょうどその日は月末の割り引きデートも重なって、わざわざ出かけた甲斐があった。早速帰宅して白菜と聖護院大根の種を蒔いた。白菜はヘチマを抜いた後の畝に、そして聖護院大根は裏の畑の雑草を抜いた後に。これでひとまず当面の作業は済んだ。残りはトマトの畝にタマネギを植えるが、それは10月末で十分だ。 長雨に日照不足など天候不良で思わしくないわが家の夏野菜だったが、それなりの収穫はあった。そして梅雨の合間を見て作った今年の梅干しも完成して、既に食べ始めている。健康に感謝、野菜や花や植木たちの生命に感謝。時には辛さも感じる農作業と庭仕事だが、これからも出来るだけ長く楽しみたいと願っている。わが生命の許す限り。<続く>
2020.09.04
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~オヤジの手作り料理~ 暗いキッチンに立つ。クーラーが効いた居間の扉を開けるとムッとする暑さ。せめて照明を点け、料理を作り始める。冷蔵庫の中の「作り置きおかず」がかなり減っていた。ここは補充しておかないとヤバイ。そう思ってのことだった。冷蔵庫の中の残った食材を確認し、どんな味付けのどんな料理を作るかを思い巡らす。そして作る順番も。最初に手掛けたのはキュウリとさつま揚げの佃煮。これはなかなかの上出来。 次は生野菜のサラダ。材料はキュウリ、トマト、細切りのニンジン、オクラ、ハム、スライスしてあく抜きしたタマネギ。それらをボウルに入れ、手作りのドレッシングとレモン汁をかけて混ぜるだけ。これで2品目。次はピクルス。大根、ニンジン、キュウリ、を短冊に切り、スライスしたニンニクを2、3片。これは穀物酢に漬けるだけ。4品目はキュウリの酢の物。スライスしたキュウリに塩をして絞り、予め作って置いた少量の砂糖が入った酢をかけるだけ。刻んだシソの葉を入れて混ぜた。 大量に獲れた庭のミョウガを水洗いして刻み、だし醤油で卵とじスープを作る。味噌汁がなくなっていたためだ。ミョウガは土の中から掘ったため、十分に洗って土を落とす。20個以上もあったが、煮ればペちゃんとなる。普段は使わない出汁を少し入れた。香りはあるが旨味が乏しいミョウガ。それが卵とじにすれば栄養のバランスも良くなる。焼き魚は鮭の切り身と一夜干しのイワシが4匹。一夜干しも私が作ったものだ。 別な日にカボチャの煮つけを作る。調味料は醤油、出汁醤油、味醂、三温糖を適宜。水はほんの少しで十分。多過ぎると味が薄くなって美味しくない。このカボチャはスーパーで買った見切り品。中ぐらいの大きさのが350円ほどだった。夏場のカロチンは貴重。半分だけ料理に使い、残りは冷蔵庫で保存。ミョウガの卵とじを食べ終えた後は、ネギ、ワカメ、豆腐、油揚げの味噌汁を作り置きに。 別の日、買い物から帰って直ぐに食品を仕分けし収容。最後に鮮魚を捌く。太刀魚は適当にぶつ切りし、軽く塩をしてトレーのまま冷凍。次に「半身」400円ほどで買ったカツオを出刃包丁で捌く。半身をさらに2つ切りし、血合いと中骨の部分を切り離し、最後に皮を持って丁寧に「さく」を作る。まあまあ美しく出来、皿に盛った。3回分の夕食のメインの料理は、チルドで十分に持つ。 レジ袋が有料になって以降、マイバックとリュック持参してるためまだ買ったことはない。ところが先日先日スーパーへ行ったら、「小分け」用の透明の袋まで有料に変わり、1枚1円になっていた。これはゴミ出しに不便。多少汚れた袋も水洗いして、大事に使わないとねえ。台風9号に加えて10号まで日本に接近中のようだ。問題は洗濯物。先日は久しぶりに大掃除をしたが、大変な量の「綿埃」に驚いたものだ。あんまり間を開けちゃいけないね。もっとまめに掃除しないと。<続く>
2020.09.03
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~未明の悪夢~ 暗い道を妻が歩いて行く。どこへ行くのと聞くと、家を出て友達の家へ行くとのこと。不思議に思ってその訳を尋ねると、その前に天気予報が心配だと妻。足元は泥んこ道。おまけに小雨も降って来た。これは気持ち悪いことになりそうと思った途端に目が覚めた。点けっぱなしだったテレビでは天気予報の最中。気象予報士が台風9号の進路の解説中だった。妻の声と思ったのはTVの音だったのだ。 散歩中などの途中、妻が自分だけ勝手な方向に行くようになったのは果たしていつ頃からだったか。多分妻が40代半ばには起きたように思う。そんなことが転勤の先々でも起こり、次第に気持ちが通じ合わなくなったと感じた。あの頃から妻は認知症が始まったのだろうか。ようやく長年放置していた故郷の地に家を建て、東北へ転勤もして落ち着いた老後を送れそうと安心したのもつかの間だった。 そんな日が一変したのは妻の父が死亡した日から。父に溺愛されて育った妻の精神が、その死で一度に壊れてしまったのだろう。私の首を絞めようと私の2階の部屋へ忍び寄って来たのはその当夜だった。一時的だったにせよ、精神に異常を来したのは明らかだった。翌朝の早朝に妻が裸足で家を飛び出して行ったと話したのは、ちょうど帰省中だった長男。その様子に驚愕したようだ。 妻が私がお金を盗ったとか、どこそこに愛人がいると言い出したのはその6年後くらいだったか。そして自分名義のお金は全部自分のものとも言い出した。結婚後40年もの間、家計はすべて妻がやりくりし、退職金も妻が処理した。「年金分割」法が成立すると、離婚したら私の年金の半分がもらえると思っていた。そうではないよといくら説明しても分からない。私は体調を崩して不整脈が出始めた。 激しい発作に苦しむ私の様子を目の当たりにして、妻は離婚を決めたようだ。そして高校時代の友人に相談して弁護士を紹介してもらい、家庭裁判所での離婚調停が始まった。金の亡者と化した妻はさらに民事裁判をしようと考えたようだ。体調が悪い私は耐え切れなくなり、「手切れ金」を支払い調停に従った。あれから3年。私の意識の中ではまだそのことが後を引き、こうしてまだ時々悪夢を見る。 人生とは何と残酷なことだろう。こうして齢を取って独り暮らしをしていると、一層そのことが身に沁みる。しかし悔いはないし、人生の良い勉強をしたとも思う。苦しい思いをしながら夜学で学び、試験を受けて管理職となり、全国を異動する転勤族となった。家族にはずいぶん苦労をかけ、上司のパワハラなどで苦しみもしたが、全ては勉強と思えるまでになれた。時々まだこうして悪夢を見ることはあっても。<続く>
2020.09.02
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~アメリカの動向に注視~ 安倍総理の体調不良による首相辞任の報に接して、最初に残念の意を表明したのがトランプさんだった。何せ気難しく、国際政治に全くの素人だった彼の良き相談相手として、安倍総理はつねに彼の傍らにいた。対中国、対北朝鮮、対韓国、そしてアジアや世界の情勢に関する総理の認識が、どれくらいトランプさんの判断と外交方針決定に寄与しただろうか。 アメリカの議会で行った安倍総理の演説。そして国連総会で何度か行った総理の基調演説。その高邁な理想と明確な国際認識に、思わず私は感激したほどだった。多分演説の原稿はゴーストライターの手によるのだろうが、それを越える深い感銘を感じたものだ。このたびの総理の辞任表明に対し、国連事務総長は、深い感謝の念を表明した。総理の積極的な発言がどれだけ世界の混乱を救ったか。 4年前この人が大統領選に立候補した際、どれだけの人が当選を予想しただろうか。あんな素人の当選はあり得ない。対するヒラリー夫人には政治の世界での実績があった。私の記憶に拠れば、日本人の政治評論家で彼の当選を予言した唯一の人が木村太郎氏だった。元NHK出身のベテランジャーナリスト。今や82歳の老齢ニュースキャスターが、明確にトランプの当選を口にした。 トランプ氏がホワイトハウスの主になって以来、と言うか大統領選を戦っているさ中かから、彼の評判は決して良い物ではなかった。ロシア疑惑にウクライナ疑惑。そして大統領に就任後は、次々に閣僚を罷免して、多難な船出が予測された。膨大な数の密入国者対策として、メキシコとの国境に「壁」を建てることを明言した。そんな破天荒で一見無謀とも思える大統領が、それまで存在しただろうか。 アメリカはグローバリゼーション志向から「一国主義」へと舵を切り、それまで協議していたTPPから脱退し、相手国との1対1で貿易を原点から見直す手段に出た。膨大な貿易赤字を見直すために、それまでの慣行を徹底的に排除し、アメリカの国益を守り、失業者の救済を図り、世界の警察官の座から自ら降り、海外への米軍派遣に対する経費負担の増強を求めた。 そして国連運営や世界経済で急速に影響力を増した中国に対して、世界覇権の徹底的な阻害を図った。貿易の不均衡による関税の見直しから始まって、中国に有利な現状の改善、中国による最新技術や軍事情報や、国家機密の漏洩を阻止するため、世界的なIT企業ファーウエイの不正と、それを陰で操る中国政府と中国共産党の「化けの皮」を次々に剥いで行った。 その間にも極めて悪質な「フェイクニュース」が飛び交った。それを実感したこの4年間だった。相手を陥れるための偽情報を発信し、かつ敵の機密を不正な方法で入手する。そんな世界の実態が、トランプ氏の登場で明らかになった。今は平和を唱えていたら平和が来るような時代ではない。世界は「自国第一主義」に向かい、国連などの国際機関も力で支配される時代。だからこそしっかりと目を見開くことが求められるのだ。 11月の大統領選に向けて、米国内での動きはさらに活発化するだろう。彼の国の貧困問題、人種問題は相当なものだ。それに加えてまだまだ予測がつかない「新型コロナウイルス感染症問題」。人類の未来が今後どうなるかの瀬戸際とも言える。「東京オリンピック」どころではない。ワクチンと治療薬の開発。そしてそれらが公平に世界各国で確保されてこその平和の祭典だ。厳しい食糧難と水の確保。そしてますます加速する地球温暖化。 11月の大統領選の結果はアメリカだけの問題ではなく、その後の世界情勢に大きく影響するだろう。目下バイデンさんが優位に立っているが、やがて両大統領候補と両副大統領候補によるテレビ討論会が実施されたら、結果は明白になるはずだ。安倍総理の後継者選びなんて「コップの中の嵐」程度。価値観と価値観のぶつかり合い。2か月後、アメリカ国民はどんな審判を下すのか。<完>
2020.09.01
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~「日本丸」のかじ取り~ 安倍総理が先月検査のためK大学の病院で診察を受けたところ、「国会で健康状態を説明すべき」と主張した御仁がおった。さる野党の党首だ。その1か月後総理が再度K大学病院での診察後に病状と辞意を表明した際、「危機管理が出来ない人物が総理になるべきではない」とツイッターで言い放った国会議員がいたそうだ。直ちに大勢の方の反撃にあったが、先ごろの党首と同じ党所属の人だった。 最初の首相就任後辞職をしたのと同じ「潰瘍性大腸炎」。国指定の難病だ。その持病を抱えながら未知の「新型コロナ感染症」への対策やら、経済活動との調整を重ね3か月近く休みも取らずに働いて来た一国の総理に対して、全く礼を失した態度。党首が党首なら党員も党員。それが野党の実態だ。 しかしここ数年、総理は政治や政策の本質から外れた事項で「難癖」をつけられっぱなしだった。いわく「モリカケ問題」いわく「さくらを観る会」。マスコミが大騒ぎすることで国民も与党への批判を強めたが、私は全く問題にしてなかった。事柄の本質を考えれば、総理自身がそれを命じ、指揮する事案でないことが分かるはずだ。ただ私が残念に思うのは、「丁寧に説明します」と言いながら、真っ向勝負を避けた感があったことだ。 その背後には昭恵夫人が曲がりなりにも「関与」した後ろめたさがあったのかも知れない。それはあくまでも私の推量だが。加えて選挙違反容疑で取り調べを受けている元法相夫妻や、IRに関する買収疑惑で逮捕された議員など、与党の国会議員の不行跡や、中央官庁の行政マンの不行跡が目立ったのも、総理の心胆を寒からしめ、辞任を速めたようにも思う。 今回の総理の辞任表明に関して、沖縄県の若い女性が「沖縄の希望を何も叶えてくれなかった」と話したのが気になった。「イージスアショア」に代わるミサイル追撃システムの導入に関して、ある新聞記者が中国や韓国の了解を取る必要がないかを河野防衛相に質問した。防衛相は直ちに答えた。「我が国の防衛についてなぜ他国の了解を得る必要があるのか」と。沖縄の女性と同じレベルの認識しかないのだろう。 両人とも日本が置かれている立場や、東アジアの政治情勢を全く理解していないのだ。中国の公艦が100日間以上もの長期に亘って尖閣の接続領域に侵入した。尖閣の奪取は中国共産党の準機関紙で明確に表明している。そして8月中旬には300隻を越える中国漁船の尖閣海域への潜入が懸念もされていた。それは数年前にも起きたことで、世界から非難されている中国が、自国民へ見せる強気のポーズでもあった。 沖縄独立を標榜し、米軍基地の撤廃を叫ぶ沖縄の2大新聞社。その主張しか信じない沖縄県民は、普天間基地の辺野古移転と言う、旧民主党政権時代に決まった事柄すら認めようとしない。今中国艦船は沖縄どころか、小笠原諸島の南鳥島付近にまで出没し、日本の了解なしにレアメタルなどの鉱物資源の調査活動と言う非常識極まりない無法者なのだ。 安倍総理が唱えていた「憲法改正」や拉致被害者の奪還がならなかったのが残念だ。米国のトランプ大統領とは極めて親しい関係にあり、今後も同じ価値観と世界観で行動を共に出来た可能性が強かったのだが、総理辞任の決断でそれが不可能になったのが悲しい。日本の一部マスコミや「進歩的知識人」の思想の何と貧弱なことか。私は一介の老人だが、それでも世界の動向に注目している積り。 新型コロナの収束、経済活動の向上、東京オリンピックの今後、東アジア情勢の変化への対応等々、「日本丸」のかじ取りが心配される今後。次期後継者選出と、その後の総選挙など喫緊の課題は多い。今後の我が国の健やかな発展を祈り、これまで長期に亘って貢献された安倍総理に対し、深甚なる謝意を申し述べたい。<続く>
2020.08.31
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~中国のことなど~ *写真と文章は無関係です* ネパール王室内の内紛で殺人事件があったのはもう10年前にもなるだろうか。あの騒動以来ネパールは王政から議会制民主主義国家となり、国会は中国共産党系の議員が過半数を占めるようになったと聞いた。そしてつい最近、「幸せの国」ブータンの東端にある自然保護区に中国軍が侵攻した。そこは中国の領土だと主張して。とんでもない、そこはブータン領で境界線に関する争いは全くなかったのだ。 中国が侵攻し急遽主権を主張したのは、アッサムでインドと国境争いをしていたため。インドの抵抗で膠着状態が続き、領土を拡張出来ないと見た中国は矛先を変えたのかも。カシミールでもインドと国境を巡って争っている中国は、停戦協定を破ってインド領に侵攻しインド兵20名が死亡したと聞いた。中国の領土に対する野心は並たいていのものではない。 チベットを手中にした中国は、ダライ・ラマ14世を拘束しようとして失敗。彼はインドに逃れ亡命政府を樹立した。だが最近中国人男性がインド人女性と結婚してインドのパスポートを入手し、ダライ・ラマ14世に接近した由。幸い14世の側近がそれに気づき、ダライ・ラマに危害はなかった。チベット仏教の指導者・生き仏であるダライ・ラマ14世は、未だにチベット人の心の灯なのだ。 新疆ウイグル自治区で、中国がウイグル人を迫害してることは何年も前から耳にし、キャンプに連行されたウイグル人が思想教育を受けていることも知っていた。それが最近、ウイグル人女性への不妊手術の強行や男性に対しては集団で迫害している事実が明らかになった。中国がそれらの地域で主権を主張するのは「国境」だから。「サラミソーセージ作戦」と言い、少しずつ領土を侵食すれば、相手にばれないと言う論理で、これまでどこの地域でも成功していた。またチベットには鉱物資源があり、ウイグル自治区は原爆の実験地として欠かせない。 スイス銀行は預金者の秘密を守ることで有名だった。だが、近くその考えを変えることになりそうだ。アメリカが中国共産党や香港行政府幹部の隠し財産を凍結する意志を示し、それに違反した銀行とは取引しないことを明言したためだ。ドルとの交換が不可能となれば国際金融界では生きて行けない。アメリカの中国に対する制裁は本物で楽観は出来ない。今後包囲網はさらに厳しくなるはずだ。 北朝鮮の様子がおかしい。エリンギ君はなりを潜め、妹の与正へ権限を割譲したみたい。130kgを超える体が異常を来したのか、長引く経済封制裁と忍び寄る「新型コロナ」でガタが来たのか。それに水害が追い打ちし、国土の疲弊と国民の飢餓が極限まで来てるような雰囲気だ。そんな状態で拉致被害者を拘束し、軍事力の拡張に明け暮れるこの国に未来はないだろう。 その北にすり寄り、中国と「コウモリ外交」を続ける南の文大統領も裸の王様だ。こちらも経済は大減速し失業率はアップ、加えて大雨と台風による大きな被害が出ている。そんな中で、慰安婦や徴用工問題に関する欺瞞が噴出し、国論は真っ二つに分かれた。若者の就職難が続き、希望を失った国民。それでも反日まっしぐらで、「レッドグループ」入りを目指す文さん。WTO対策もままならず、GSOMIA破棄も決め手に欠く有様。こんな為政者に導かれる国民の何と気の毒なことか。<続く>
2020.08.30
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~彷徨える巨人・中国(1)~ 古代出雲への旅の話を書きながらも、脳裏には常に中国の動向が意識されていた。「新型コロナ感染症」の蔓延による、世界的な大恐慌。その原発国として責任を果たすべき中国の動向が、ここ数年おかしいことに危惧の念があった。新型コロナ以降、あるいはそれ以前から中国は破滅の道に向かって突き進んでいるのではないか。そう思わせるほど中国には不安要因が目立っていた。久しぶりにニュースを取り上げるが、やはりその中国から書き始めるのが妥当だろう。 コロナを模した中国国旗 中国が世界から信用を失った第一は「新型コロナ」だろう。発生の時期、場所、初期対応、WHOへの通告など、そのすべてにおいて中国の対応は適切さを欠き、秘密裏に隠ぺい工作を行った。その初動対応のミスが、世界にこの凶悪で未知のウイルスを物凄い勢いで蔓延させ、各国における治療手段を奪い、結果的に多くの死者を出す要因になったと言っても過言ではない。中国に忖度したWHOの責任も大きい。 今年、中国では実にさまざまなことが起きた。新型コロナの収束を待たず、黄河、揚子江など国内の主要河川で度重なる水害の発生。なかんずく長江(揚子江)中流域の「三峡ダム」が決壊するほどの大雨が長引き、その後も幾つかの台風来襲による被害が重なった。元来地盤が脆弱な地への巨大ダムの建設に対しては、計画段階から専門家の反対があった。だが、当時の指導者が強引に工事を強行した由。 6月中旬から降り出した大雨は三峡ダムの安全水位を遥かに超えた。このためダム上流部では何か所もで土砂崩れが発生してダム湖の水位を押し上げ、そのことが洪水と土砂崩れの連鎖を起こした。中・下流域でも大雨による洪水が発生して穀倉の半分が被害に遭い、約6千万人が被災した。党は「三峡ダム」の決壊を防ぐため連日大量の水を放水し、都市の大洪水を防ぐため、遊水地である湖の土手を軍が複数個所爆破し農村部に濁流を誘引した。大都市の水害を防ぐためだが、農民は踏んだり蹴ったりだ。 それでも武漢、南京の大都会が浸水し、河口の上海ですら50cm以上冠水したと聞く。この地区は中国のGDPの50%が集中し、軍の兵站部や外国の企業も数多く進出しているのだが、停電の発生などでかなりの被害が出た模様。ダム上流の漢口や成都などの被害も甚大。だが、習近平が被害地への視察に行ったのは状況が落ち着いてからで平服のまま。一方首相の李克強は長くつ姿で泥水の中を視察した。 毎年避暑地の北戴河では政府首脳と共産党OBの会合が持たれるが、今年は習近平の失政に対する追及が厳しかったと言う。鄧小平以来中国は不利な時はじっと身を潜めてやり過ごすという方針で成功した。ところが近年はトランプ大統領ともろに殴り合いを始め、経済的な損失が一気に増えた。また「一帯一路」への疑念が世界で起き始めた。それらを方向変換せよとの忠告だ。だが習近平は批判をそらすため強気に出、一気に国際緊張を高める手段を取った。 台湾の奪取、尖閣や南シナ海領域の死守、香港への干渉、アメリカへの対抗意識などを中国共産党の名において宣言したのには驚いた。だがその後も長老達から叱責されたようで、過激な言動を一旦控えた。この間に李克強首相との間で壮絶なバトルがあったようで、習近平は軍における力を誇示し、逆に首相に迫ったようだ。だが、今年の中国は上層部同士でバトルをしてる暇はないのだ。 6月中旬からの長雨で、黄河や長江(揚子江)など、国内の広範囲で大きな水害が発生していた。中でも長江の上流、中、下流の被害は著しく、6千万人の被害者が出たと言う。これに加えてバッタやイナゴの害も加わって、国民の食糧確保すら危うくなった。加えて、新型コロナ、香港への弾圧、ウイグル族への人権侵害を理由に、中国に対する世界の圧力が一気に高まった。中国の本質に世界が気づいたのだ。 中国が推進してきた「一帯一路」への風当たりが強くなった。スリランカ、モルジブ、パキスタン、マレーシア、ケニアでは「債務のわな」による港湾や鉄道、道路などの建設施設が中国の手に渡った。不正な契約内容を知らされなかった国民が、契約は無効として最高裁に訴え、ケニアでは逆転有罪。一旦は中国の手に渡った港湾や鉄道を取り戻し、コロナ対策に要した経費と相殺させる措置に出た。 トランプさんは一切妥協せず、中国のIT企業を追放し、中国のプロパガンダ組織である「孔子学院」を解体させ、中国共産党と香港政府幹部の資産を凍結し、香港における香港ドルと、米ドルとの交換を廃止する措置に出た。その上中国が居座る南シナ海で、空母などによる訓練を行った。東シナ海、南シナ海における中国の覇権を決して許さないとの強硬な姿勢だ。 これに対して、中国は自国が訓練中の海域へ中距離弾道ミサイルを4発発射した。中国も不退の姿勢を示したのだろう。また米国債の大量売却に出ようとしてるようだが、これは自国の首を絞めることにもつながる。ドルでの決済が出来なければ貿易は成り立たず、弱い人民元の価値がさらに下がるだけだからだ。香港抑圧の影響は、今後一層中国に強い反作用となって表れるはずだ。 4人の預言者が今年中に崩壊すると宣言した中国だが、確かにその雰囲気が出て来た。いち早く「新型コロナ」のワクチンを開発したかに見える中国だが、国民の生活は実に悲惨。自己中心的な上層部の実態があぶり出され、全体主義国家の裏面が世界へ知れ渡った。これまでのような独裁を貫くことは困難だろう。日々大きく変化する世界情勢。新型コロナに負けず、厳しい目を世界に向けたいと思う。<続く>
2020.08.29
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~さよなら出雲~ ひょんなことから実現した今回のgoto出雲への旅だったが、収穫は十分にあった。2つの博物館を訪れて、本物の発掘物を観たこと。膨大な勾玉、銅剣、銅矛、銅鐸、古代の装飾太刀などだ。出雲大社の境内から発掘された巨大な宇豆柱と心御柱の「残骸」。小さな古墳へも行ったし、長年心の奥底でくすぶっていた北島国造家にも訪れて、古代出雲の謎を解くヒントを得た気にもなった。 旅先で関裕二著「出雲大社の暗号」(講談社文庫)と、偶然出会ったことも嬉しい出来事だった。博物館の売店で手にし、パラパラと目次をめくって、これは是非買って読まなくちゃと直感。出雲から松江への車中で読み始め、あまりの面白さに松江で降りるのを忘れたほどだった。私が古代出雲に対して抱いていた疑問の大半が、この本を手掛かりにして解け始めたように思うのだ。 <唐古・鍵遺跡復元楼閣> <纏向遺跡> 著者は著書の中で、奈良県の唐古・鍵遺跡や纏向遺跡についても触れている。当然邪馬台国とヤマト王権との関係や古代出雲との関係に関する考察もあるが、ここでは触れない。いずれにせよ古代出雲王国がいかにしてヤマト政権に組み込まれて行くのかが、キーだ。私はyoutubeで、古代出雲王国が「越」の植民地だったという説や、日本海など当時の海運を巡る覇権争いがあったことも知った。 古代出雲の兵士 しかしと私は思う。それでも古代出雲において「倭国大乱」のような争いは起きなかったのではないかと。理由は簡単だ。それだけ大きな戦闘があれば、大量の人骨が発掘されてもおかしくないからだ。それとも、大勢の兵士の死体が全て土に埋もれて融けたとでも言うのか。縄文から弥生への移行に際しても、大きな争いで大量の死者が出たことの証明はまだされていないと思う。 それにしても疑問なのは、「古代出雲歴史博物館」において、なぜ「四隅突出型墳丘墓」の見本や説明をしないのか。あれは古代出雲の特徴の一つなのに。なぜ出雲大社を司祭した二つの国造家に対する説明がないのか。ひょっとして遠慮なのか、それともタブーなのか。やはりその疑問へも応える必要があるように思う。博物館は大社のすぐ傍に位置しているのだから、そして荒神谷と加茂岩倉両遺跡から出土した大量の青銅器の謎の解明は、今後の研究の進捗を待ちたい。 もう一つの謎が出雲人気質。昨年のツアーで出雲大社の境内を案内してくれた現地ガイドの女性の何と気難しいこと。私の8番目と11番目の職場の上司も出雲の人だったが、とても気難しくて付き合いにくかった。恐らくは出雲の風土に根差したもののように思う。そしてこれは私の直感なのだが、出雲国府が置かれた松江付近の人はおっとりした性格なのに、出雲市付近の気質がセカセカしてるのは、出雲大社を有する優越感と同時に、古代から疎外されたための陰鬱さが交錯しているせいかも知れないと。 宍道湖に浮かぶ嫁島 旅の最終日、松江から空港へ向かうバスの車窓から「嫁島」が見えた。宍道湖に浮かぶとても小さな島だ。実は40年ほど前に島根へ出張した際に玉造温泉に一泊し、冬の早朝松江まで走って往復したことがあった。2月の湖は凍り付き、白鳥が片足で立って眠っていた。その白鳥と夜明け前の嫁島の姿が忘れられない。再び島を観たが、もう一度出雲へ来ることはないはず。合計21回プラス3回書いた古代出雲シリーズを、感謝して終えたい。ありがとう、遥かなるわが出雲よ。<完>
2020.08.28
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~大橋川界隈を歩く~ 旅の最終日。私は松江市駅前のシティーホテルで、朝早く目覚めた。食事は7時からと決めていた。「出雲縁結び空港」発の仙台行きに搭乗するためには、8時35分の松江駅発の空港行き連絡バスに乗る必要があった。その前に朝食を摂ろうと、少々緊張気味だったのだろう。だが朝食には早過ぎた。そうだ散歩に行こう。松江に来たら川か湖は見たい。ホテルの裏側が川であることは前もって確認済み。 川の名前は大橋川。中国山地から流れ出た斐伊川が宍道湖に注ぎ、大橋川を流れ下って中の海に到り、河口の境港港からは海水が遡っている。つまり中の海も宍道湖も真水と海水が混じり合う汽水湖なのだ。だから宍道湖はシジミの名産地。朝一番でシジミ漁の小舟が宍道湖に向かっている。それを「くにびき大橋」の上から暫し眺めた。舟の行き先は西の方角だ。 左の写真は中州を経て宍道湖方面を見ている。右はくにびき大橋の東側で、中の海方向に当たる。間もなく朝日が昇る頃だ。 これは大橋川の対岸から、JR松江駅の北口方面を見ている。松江城付近の濠はもっと繊細だが、この辺りは大河の趣がある。この川の中でもシジミが獲れるはずだ。冬の寒いさ中も、湖に入って専門の「籠」のような道具を使って、シジミを獲る風景を何度も見た。今回の旅では、玉造温泉で朝夕2回、松江の朝食で1回、シジミの味噌汁を食べた。ごく小ぶりの上品な貝だった。 大橋川の北岸に係留された舟は、すべてシジミを獲るためのものだろう。まだ誰もいないが、出漁時間になると、三々五々漁民が集まって来るはずだ。 「新大橋」の標識(左)と新大橋からの風景。宍道湖方面(西側)を見ている。 新大橋から中の海方面(東)を見ている。中国地方はこの日、梅雨が明けたはずだ。 また一艘、シジミ漁の小舟が宍道湖方面に向かう。内海には波も立たない。 今回の旅では、「松江市立玉作資料館」と「島根県立古代出雲歴史博物館」を観ただけだったが、全く不満はない。松江は40年前に仕事で訪れたついでに松江城と堀端界隈を歩き、ラフカディオハーン(小泉八雲)が愛した「城山稲荷」や堀端の柳を愛でながら散策し、明治期の松江の雰囲気を味わった。もうあれで十分ではないかハーンと夫人の節が一時期を過ごした松江。再びここに来れて嬉しい。 大橋川に梅雨明けの太陽が映える。きっと古代の出雲族たちも、こんな風景を眺めて来たのだろう。全部で3度訪れた出雲の地。特に今回は古代出雲の謎に幾分迫ることが出来たのではないか。いつも思うのだが、疑問を抱き続けていると、何かの拍子にその謎が解けることがある。だからこそ、探求心を失ってはいけない。さて、次に歴史の旅が出来るのは一体どの地だろうか。楽しみだ。<続く> 小公園越しに臨む大橋川と朝日
2020.08.27
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~神の戦い人の戦い~ 記紀には倭建(日本武尊=左)が出雲建(大国主命=右)をだまし討ちにしたことが記されている。九州の熊襲を倒して大和に帰る途中出雲に立ち寄った日本武尊は親睦の証として互いの剣を交換しようと提案。大国主命は了解して自分の鉄剣を差し出した。ところが武尊が差し出したのは木剣。簡単に大国主命を倒した武尊は意気揚々と大和へ引き上げた。神話だが、日本武尊は天皇の皇子であり、彼の子もまた天皇とされている。 朝廷の使いが、出雲の神宝を検分に来たことが記されている。この時も騙されて神宝を奪われてしまった。出雲国造家の祝詞には、密かにこの時の恨み言が込められていると言う。三種の神器は太刀(鉄剣)、鏡、そして勾玉だ。出雲は北部九州を通じて朝鮮半島とも交流があり、鉄も容易に入手出来た。鏡は三角縁神獣鏡が出土したくらいだし、勾玉は玉造製造の適地があった。 第24代継体天皇は越前国敦賀の出身。第15代応神天皇の5代孫とされ、朝廷の血が途絶えそうになり急遽都に招かれた。后は琵琶湖一帯を制する息長(おきなが)氏の出で、古代豪族の尾張氏とも縁があった。越前も琵琶湖も尾張も水運で栄えた地。古代出雲は越前を含む「越」の国の支配下にあったとの説がある。古代の越前は日本海の海運により、各地の豪族と協力関係にあり、出雲はやがてその植民地となったとの説がある。 大国主命には温和な和御霊(にぎみたま)と破壊につながる荒御霊(あらみたま)の両面があった。明日香、藤原宮、纏向王朝期は大神(おおみわ)神社の祭神として都を守り、平城京に遷都してからは現奈良市に摂社を移して都を守った。だが荒御霊が垂仁天皇の皇子に祟り、皇子は成人しても口が利けなかった。出雲大社に使いを出して、大国主命を祀った結果、口が利けるようになった由。 貴族政治代表格の藤原氏は中臣鎌足が祖。「乙巳の変」(大化の改新)の功で藤原姓を賜り、急速に力をつけた。その子不比等には4人の男子があり。それぞれ「藤原四家」の祖となった。ところが天平4年(737年)の疫病(疱瘡)で、4人全員が病死した。藤原氏は慌てて出雲大社参じ、出雲に大神殿の建設を約束したのか。なお、平安中期の道長は北家の末裔。「この世をばわが世とぞ思う望月の」の作者だ。 天平の疫病は疱瘡(ほうそう)で、朝鮮半島から対馬を経由し、北九州から上陸して全国へ流行した由。天平7年から9年までの3年間で、当時の人口の25%から30%に当たる100万人から150万人が死亡したようだ。医学も十分になかった時代の恐怖は現代の「新型コロナ」にも匹敵したことだろう。疫病を畏れた人々が神仏の加護を祈った気持ちが良く分かる。「呪い」は安倍晴明の出番を作った。 出雲大社の奥に鎮座しているのが素鵞(そが)社。かつて中臣鎌足が絶滅させた蘇我氏を祀るもの。そして出雲大社司祭の北島国造家の境内に鎮座するのが天神社(右)。これも藤原氏の讒言により太宰府で死んだ菅原道真公の鎮魂のための社だ。道真の怨念が紫宸殿への落雷となり死者を出したことに慄(おのの)き、北野天満宮の造営と官位の復位などによって、天変地異が治まったのだった。 京都府亀岡市の出雲大神宮(左)とその磐座(いわくら=右)は丹波国一之宮だが、明治に入るとご祭神の大国主命を出雲に移される。明治新政府は廃仏毀釈を進めるだけでなく、架空の天皇である神武のために橿原神宮を創建した。また神社の格式や名称を整理、それまで原始神道だった沖縄の社にも鳥居を建てさせた。全ての神社が神祇省の下に管理される、いわゆる国家神道の始まりだった。 <出雲大社の摂社 日御碕神社の鳥居> この沖合に海中遺跡がある。 大急ぎで古代出雲の謎を追及して来たが、まだまだ意は尽くしていない。昨年の山陰旅行で「島根県立古代出雲歴史博物館」の存在を知った。今年はそこを訪ね念願の常設展示を見た。また、謎解きのヒントとなる1冊の本と出会った。いずれも偶然だが必然でもある。不思議なことに古代史や考古学の疑問を長年抱き続けていると、突然それが解けることがあるのだ。だから面白い。きっと人生も同じなのだろう。 「神が戦い人も戦った古代出雲への旅」。そんな大仰なタイトルを付けたこのシリーズも、とうとうゴールが見えて来たようだ。いつも退屈な文章に付き合ってくれた読者に心から感謝している。<続く>
2020.08.26
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~2つの遺跡からの出土物~ 加茂岩倉遺跡における銅鐸の埋納状況再現レプリカ。こんな風に銅鐸は同じ方向に向かって並べられ、横たわっていました。青銅の銅鐸も新たに鋳造すると、こんな風に金色に輝いて見えるのです。神秘性が増しますね。 これは実際に埋められていた際の映像。土にまみれて汚れ、銅鐸の神秘性はほとんど感じられません。 発掘され、ある程度汚れを落として並べられた銅鐸群。最下列の2基は「入れ子」状態で発見されました。 「入れ子」状態が分かるよう、半透明のプラスチック(外側)の銅鐸を通じて中の銅鐸(土色をした一回り小さなもの)が見えますね。 どちらの銅鐸にも上部に小さな穴が2つずつ開けられています。ひょっとしたら細長いひものようなものを通して、銅鐸を持ち運んだのでしょうか。田植えや稲刈りなどの行事の際に田んぼの傍まで運んで銅鐸を鳴らし、神に感謝したのかも知れません。銅鐸には動物や舟、建物などの絵が描かれているものもあります。 荒神谷遺跡の直ぐ傍からは、銅鐸と一緒に数本の銅矛や銅剣も出土しました。 加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸(全て国宝)の背後に、荒神谷遺跡から出土した銅剣、銅矛(全て国宝)が見えます。 同一の遺跡から358本もの銅矛と銅剣が出土したのは日本最多です。全て国宝に指定されています。左上段の光り輝いて見える銅剣は、展示用に新たに鋳造したレプリカです。 青銅器の一部でしょうか。破壊されたのか、それとも本体から偶然外れたのかは分かりません。なんだか分からないまま、心惹かれるものがあってシャッターを切りました。これで「島根県立古代出雲歴史博物館」で撮影した写真は全て紹介したことになります。地味な内容に良くお付き合いいただいたことに深く感謝します。<続く>
2020.08.25
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~銅鐸三昧 その1~ さて、古代出雲への回帰旅もそろそろ終わりに近づいて来た。今日と明日の2回で、「島根県立古代出雲博物館」常設展のメインであった、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡から発掘された膨大な青銅器を載せたいと思う。写真が中心なので詳細な説明は出来ないため、ご面倒でも過去の掲載分を参照されたい。 館内にこんな説明文があったので載せておく。古代中国で発祥し、朝鮮半島経由でわが国に伝えられた青銅文化。しかし私たちの先祖である弥生人が選んだ青銅器は、銅剣、銅矛、銅鐸、銅鏡などに限られている。しかも鉄器の渡来に伴って銅剣や銅矛はやがて姿を消して行く。本来は大型の楽器だった銅鐸も、わが国では小型化し水稲栽培における祭器と化して行った。 俗に言う、銅矛、銅剣、銅鐸の文化圏を図示したもの。だが上の図を良く見ると、そのいずれもの文化を有した唯一の地が古代出雲だったことが分かる。それだけも出雲の特殊性が理解出来るが、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡から出土した銅剣、銅矛、銅鐸の数量が半端ではなかった。さらにそれらの大量の祭器が人里離れた山奥にひっそりと埋納されていた。そしてその理由は未だ解明されていない。謎のままなのだ。 これは銅鐸が出土した出雲地方の遺跡。1が日本で最大数の銅鐸が発掘された、加茂岩倉遺跡。2が大量の銅剣、銅矛と共に銅鐸が出土した荒神谷遺跡。いずれも出雲大社にほど近く、かつ吉備(現在の岡山県)王国に通じる古道の途中に位置している。 常設展示の一角に加茂岩倉遺跡出土の「国宝銅鐸」のコーナーがあった。以下に私が撮った写真を載せるが、他の遺跡出土の銅鐸が間違って載ってないことを祈る。なお、ここには理解を助けるため、銅鐸のレプリカや埋蔵状態を再現するセットも混じっていることをお断りする。 これほど身近に銅鐸を見たのは初めてだった。ただし文様の細部が明確に分からないのが残念だが。 はっきりとは分からないが、何かの絵が描かれているのは確かだ。 銅鐸の内側。中につり下がって銅鐸に触れて音を出すための「舌」(ぜつ)は見えない。古代中国の銅鐸は巨大な楽器だが、日本ではいわば「風鈴」のように、稲作に関わる神事の際に鳴らしたようだ。 わざわざ破壊したように見える銅鐸。銅鐸の祭器としての用い方が変わったのか。それとも他の豪族に渡したくなかったのか。人為的な破壊の理由が謎だ。 その一方で、美しく整ったままの銅鐸も多い。やはり神聖な銅鐸を破壊した理由が謎だ。<続く>
2020.08.24
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~2泊3日の旅の中で~ 宿の間接照明 出雲の古代史や考古学の話を一旦置いて、今日は旅の逸話を紹介しよう。トップバッターは松江市玉湯町の高台にあった「松江市立玉作資料館」に陳列されていた布志名(ふしな)焼を楽しんでいただこうと思う。 関ヶ原の戦いの後、西国の知行地がなかなか落ち着かずにいた。松江藩は何度か藩主の入れ替えがあった後、越前福井藩から松平公が入府した。松江領18万6千石、隠岐領1万4千石。併せて20万石の大藩である。第7代藩主である松平治郷公は、疲弊した藩の改革を成し遂げた後、趣味の茶道にまい進し、玉湯町に藩の御用窯雲善窯を造らせた、後に民間の船木窯も開かれて陶芸が盛んとなったようだ。今回はそれらの作品の紹介だ。 蓋つきの椀 魚のデザインの絵皿はとても現代風だ。 渋色の釉薬をかけた蓮の蕾を模した容器。 唐三彩にも似た雰囲気の花瓶(左)と花柄を全面に配した大ぶりの花瓶(右) シンプルで清楚な花瓶(左)と極めて現代的なデザインの壺(右)。 一見キウイの輪切りと見紛うような大ぶりの浅鉢(?) 自由さに溢れた作品群は、ひょっとして船木窯のものだろうか。でも渋いねえ<続く>
2020.08.23
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~あの日出雲で何が起きていたのか~ 私は今、この本を読みながらこのシリーズを書いている。関裕二著「出雲大社の暗号」講談社文庫。その帯には「あの日、出雲に何が起きていたのか」とある。一体「あの日」とは何を指すのだろう。ヤマト王権の使いに「出雲の神宝」を騙し取られた日か、それとも出雲がヤマトに国を譲った日か、いやそうではなくヤマトタケルに代表されるヤマトの精鋭に大国主命が暗殺された日だろうか。 一見穏やかに国譲りした代償としての杵築大社(後の出雲大社)。だが境内から出土した鎌倉時代の超巨大な宇豆柱と心御柱。そんな時代になってもなお、朝廷が出雲の神を畏れた理由はなんだったのだろう。そして出雲の神は一体何が悔しくて後世まで朝廷を苦しめたのだろう。原因はやはり出雲の神宝を盗み取られた怒りだろう。それがヤマト朝廷の「三種の神器」になったとすればなおさらだ。 同書で著者は出雲神の祟りの第一は疫病だと言う。使いを遣わした隋や唐、そして半島に渡って戦った新羅からなど、何度か疱瘡(ほうそう)がわが国に入って蔓延し、多くの死者を出した。出雲が古来「根の国」(あの世)とされたが理由もそこにあったのかも知れない。もう一つは第10代垂仁天皇の皇子が成人しても口がきけなかったこと。それらを朝廷では出雲神の祟りと考えて使者を遣わして許しを乞うた。 思い起こしてほしい。大黒天は元々ヒンズー教の暗黒神。破壊の神だった。自分を裏切ったヤマトを恨み、神意を示したのだ。その猛威にヤマトは驚き、他に類例がない巨大な神殿を出雲に建立した。それも数度に渡ってだ。そして朝廷から勅使が遣わされる有数の大社となった。それでようやく大国主命の「荒御霊」(あらみたま)が鎮まったのだろう。 上右図は有名な京都祇園祭の山鉾である。これは平安時代の貞観年間に京都で疫病が蔓延し、多くの死者が出たため犠牲者の霊を祀るために始まったとされる。祭りを主催する八坂神社(祇園社)の祭神が牛頭天王。山鉾もこの牛頭天王もヒンズー教縁のもの。そして牛頭天王は神仏混交でスサノオノミコトとの関係が取り沙汰されている。 ここでも疫病、出雲の祟りが登場する。出雲は神が集まり、先進地区との交流で疫病も入って来た。また凄まじい出雲神のパワーは、怖い疫病すら鎮めると信じられた。そしてヤマト政権が出雲に大きな神殿を建てて敬うと、疫病はようやく退散したのだ。こうして大国主命そして出雲神の持つ温和さと凶暴性の両面が国全体に再認識されて行ったのだろう。 因幡の白兎 話の続きはまだあるのだが、先を急ごう。「島根県立古代出雲歴史博物館」を去るに際して、売店で一冊の本を買った。冒頭のものだ。その後北島国造家を訪ね、出雲市駅から第2日目の宿泊地である松江にJRで向かった。ところがこの本が面白過ぎて、何と気づいた時は「東松江」だった。てっきりその次が松江駅だと思っていたのだが、いつになっても松江駅のコールはなく慌てて途中駅で降り松江に帰って来た。 ヤマタノオロチ この本は旅から帰宅後の今も読み続けている。出雲王国とヤマト王権との関係など、著者の長年の研究に基づく知見が方々に散りばめられ、実に読み応えがあって面白い。古代史や考古学の学者ではない市井の市民が、よくもこれだけ丹念に「証拠集め」をしたものだ。必要があれば、この続きを改めて書くことにしたい。それにしても古代出雲は謎だらけで面白い。しかし真実の日本史とは何なのだろう。<続く>
2020.08.22
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~出雲神話を考える~ 出雲国風土記 元明天皇によって編纂を命じられた記紀(古事記と日本書紀)だが、その一環として各国に対して「風土記」の提出が命じられた。出雲国においては出雲国造広島が監修に携わり、和銅6年(713年)~天平5年(733年)の20年間をかけて上下2冊にまとめられて提出された。他国の風土記に対して数倍の詳細さであり、記紀にはない出雲独自の神話が豊富に収載されている。以下に私見などを述べたい。 根堅洲国(あの世)に須佐之男命(スサノオノミコト)を訪ねた大国主命はスサノオから色んな試練を受ける。その苦難を救ったのがスサノオの娘であるスセリビメ(上)。姫が大国主の正妻となる。さてスサオノオは天津神の代表格で、一方の大国主命は在来の国津神の代表。ところが記紀ではオオクニヌシをスサオノの6世の孫としたり、7世の孫とする説がある。日本書紀では息子との説もある。 国津神が天津神の子である訳がない。また6世や7世の孫が、6世代前7世代も前の女性と結婚出来るわけがない。天皇家と在来の出雲族を無理に関係づけた矛盾が出たのだろう。 次に大国主命の2人の妃を紹介しよう。左はヤガミヒメ。出雲の隣国因幡国(鳥取県)八上郡の豪族の娘で美女の誉れが高かった。因幡の白兎伝説では、6人もの兄がウサギに悪いことを教えて通り過ぎた。大国主命は怪我をした白兎に治療法を教えたため、白兎が知恵を授けてたためにヤガミヒメを得ることが出来た。 右はヌナカワヒメで、越後国(新潟県)糸魚川市の豪族の娘のようだ。糸魚川を流れる姫川は古代から翡翠の産地として有名。当然この地の豪族は勢力を誇っていたことだろう。ここの翡翠は三内丸山遺跡(青森県)や遠く沖縄本島にまで届いていた。彼女も大国主命の妃となる。つまりどちらも出雲との交流の証であり、日本海を通じて協力関係があった証と私は考えている。 「国引き伝説」の解釈 出雲神話の代表格が「国引き伝説」。高い山から眺めて出雲の国土の狭さを嘆いた神が、朝鮮半島、能登半島、隠岐の島などから余った土地を出雲に引っ張って来たと言うとんでもない内容。それを博物館では出雲とそれらの地との交流があった証と考える。まあ先の妃を娶(めと)る話とも通じて妥当な線だ。朝鮮半島はやはり製鉄の先進地だったため。当然九州北部との宗像氏(海部族)との交流も欠かせない。 島根半島 さて上の地図は島根半島を含む出雲地方。こうして見ると島根半島が元々「島」だったことが分かる。半島右手下の薄い緑色は砂州が伸びて弓ヶ浜になった証拠。半島左手下の薄い緑色の部分は斐伊川と神戸川の土砂の堆積で平野になったことが良く分かる。地図の薄い緑色はそうした土砂の堆積によって「拡張」された部分。古代の人々が国土が広がったと感じたことが頷ける事実だ。 出雲大社がある半島左端の付け根は、沖積平野で地盤は軟弱だったはず。出雲大社の古称は杵築大社。これは神社を建てるために先ず境内を杵(きね)で搗き固めた証とも言える。 次に紹介するのが神話三人男。左端の素戔嗚尊(須佐之男命=すさのおのみこと)は、天照大神と月読大神の弟。天孫族だが地上の国への派遣を前に高天原の姉天照大神に挨拶に行くが、馬の皮を剥いで家に投げ込んだり、大事な田に糞をしたりと大暴れ。根の国に母イザナミノミコトを訪ねた後、出雲の斐伊川上流の八岐大蛇を征伐して、その尾から草薙剣を得た・ 中央は日本武尊。第12代景行天皇の皇子とされるが兄弟の中で一番の暴れ者だったため、九州の熊襲征伐や東国の蝦夷征伐を父から命じられる。熱田神宮にいた叔母から預かった草薙剣で東国の賊を討ち果たした。別名倭建(ヤマトタケル)が出雲建(イズモタケル)を倒したとの説もある。東国からの帰路、伊吹山付近で倒れ、魂が白鳥になって大和に帰ったとの神話が残る。 右端が大国主命。温和な彼は剣を持たない。しかし天孫族に葦原中国(あしはらなかつきに)を国譲りする。やはり出雲一国を譲ったのではなく、古代日本日本全体を譲り、その代わりに出雲に立派な神殿を建てることを所望する。幾つもの別名があり、和御霊(にぎみたま)と荒御霊(あらみたま)の両面を持つ。ヤマト朝廷にとっては「出雲の祟る神」としてとても厄介な存在だった。それについては次回に述べたい。<続く>
2020.08.21
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~マックス爺の小さな失敗~ ヘチマの花 「俺はバイデン派だ」。男が言った。「アメリカの大統領選ですか」。黒犬が聞いた。いやそうじゃないよマックス。わが家は屋根の上でソーラー発電をしてる。その電気を電力会社に売ってるってわけさ。「ああ。その売電」ですか。ああ、今年の夏は太陽がギラギラ。だから売電量が凄いぞ。で大統領選は、ご主人様。ああ今後のカード次第だねえ。戦う相手がトランプだけに。あちゃ~。 シュウメイギクのつぼみ ある日のことだマックス。今度は何の話です、ご主人様。うん台所の隅のコーナーで、俺はある袋を手にした。ところが透明な袋の中が鮮やかなグリーンに変わっていた。んんん。元々何が入ってたんですかその袋には。ああパンだよマックス。ところがそれが鮮やかな緑一色。どうしたんでしょうね。ご主人様。ああ暫く俺が放置してるうちに、すっかりカビだらけになったんだなあ。あちゃ~。 別の日のお昼ごろ。俺はラーメンを食おうとして台所で準備していた。それで? まあ焦るなマックス。一方の鍋ではラーメンを茹で、もう一方の小鍋ではスープを煮立てていた。ところが、そのスープを丼に移す時に気づいた。何にですご主人様。ああ、甘酸っぱい匂いがしたんだよなあ。ラーメンのスープがですか。ああ。良く見たらそれは冷やし中華のスープだったんだよ。あちゃ~。またやりましたね。 ツルムラサキ 今度は飛び切りの話だぞマックス。また失敗談ですか、ご主人様の。ある日兄嫁が訪ねて来て俺に言った。なぜ先日は来なかったのかとな。それで俺は何のことかと義姉に尋ねた。そしたら死んだ兄貴の四十九日だったのさ。お坊さんに来てもらってお経を上げ、墓に遺骨を納骨したんだなあ。それでご主人様はなぜ?うん。通夜の席でもらった「メモ」には「七七忌」と書かれていた。 クチナシ 49と77じゃ違いますよねえ、ご主人様。ああ俺もそう考えていたんだが。何か違ったんですか。うむ7と7を掛けるとどうなるかな。七七シジュウク。あっ、49日ってこと?そうなんだなあ。それに気づかなかった。ちゃんと49日と書いてあれば分かったのになあ。経験不足でしたねご主人様。まあそう言うこった。転勤族の俺はずっと仙台を留守にし、法事は全部兄嫁任せだったからなあ。あちゃ~。 おはぎ それでも俺はちゃんと済ませた。何をですご主人様。ああ墓参りと新盆の兄宅へお線香を上げにな。良かったですねえ。で今度は何か失敗は。そんなことないさマックス。仏壇に供えるクッキーと、和菓子屋でおはぎを買ってね。おはぎって?ああ餡子と、「ずんだ」と胡麻の3種類あってね。それを兄嫁と一緒に食べ、暑い中自転車に乗って家に帰って来たさ。 ヤブラン 毎日暑いなあマックス。ボクは墓の中ですから涼しいですが。ああお前は良いけど、生きてる俺はとても辛い。それにコロナ自粛もあるしなあ。あんまり暑いため庭の雑草は伸び放題。せめて水やりしようと、朝夕ホースで庭と畑に水を撒いてるぞ。そして熱中症にならないよう、ちゃんと扇風機もクーラーも点けている。ところがある朝カーテンを開けたら様子がおかしい。 万願寺唐辛子の花 何がです、ご主人様。ああ。窓が開いて網戸になっていた。と言うことは? ああ。網戸のままでクーラーをかけていたと言う訳さ。何と勿体ない。うん。たまにはそんなこともあるが、まだ俺は立派に生きているぞマックス。心配ですねえご主人様は。その齢で独り暮らし、それに失敗ばかりじゃねえ。ああ。俺も嫁さんが欲しいんだがなあ。誰が良い人いないかなあ、ご主人様と一緒に暮らしてくれる。死んでから9年になるお前にそんな心配をさせてスマンなあマックス。しっかりしてくださいよご主人様。
2020.08.20
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~伝承と記録~ 常設展示の中に興味深いものがあった。三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)だ。青銅製で島根県雲南市の神原神社古墳出土で3世紀のものとある。そして、説明板の冒頭には「卑弥呼の鏡」かとかなり思い切った言葉がある。「三角縁」とは鏡のへりの断面が三角形に見えることから。また「神獣」とは鏡の裏面に怪獣や中国の仙人と見える文様が刻まれていることからの命名だ。 卑弥呼の名が唯一文献に現れるのがご存知「三国志」の中の「魏志倭人伝」だ。これによれば倭の邪馬台国の女王である卑弥呼が景初3年(239年)に魏の皇帝に使いを送ったことが記されている。それに対して魏の皇帝は「親魏倭王」の金印と銅鏡100枚を贈ったと書かれている。さらには倭国までの行程と方向が細かく記されている。それに基づいて「邪馬台国」が果たしてどこか、古くから論じられて来た。 解決策の第一は「親魏倭王の金印の発見場所だが、次の鍵が「三角縁神獣鏡」の存在場所。鏡に制作年が刻まれていたら別だが、青銅の合金の比率や文様が魏のものであることの証とされている。最近では日本国内で製造されたと思われる鏡の存在や、三角縁神獣鏡が100枚以上国内で発見されているとの説もある。そして「景初」の年号入りの銅鏡も発見されたと言われるが、邪馬台国論争は今なお続いている。 次に島根県奥出雲町常楽寺古墳から出土した埴輪を紹介したい。3体の埴輪は「個性豊かな出雲の埴輪」とある。6世紀のものなので、古墳時代の後期に入る頃か。 その埴輪を初めて作ったのが出雲族の野見宿祢(のみのすくね)と言われている。彼は垂仁天皇の命によって大和国葛城の豪族であった当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取って勝ち、葛城の土地を与えられた。かつて貴人が崩じた際は、部下が殉死するのが通例だった.天皇から陵墓の管理を任された野見宿祢がそれを悼み、殉死者の代わりとして埴輪を古墳に立てた。 そのことがあってか、彼は土器を制作する土師(はじ)氏の祖とされる。また出身の出雲にあっては、国造に任じられたとも伝わる。そんな経緯があるためか、出雲大社の境内に「野見宿祢神社」(上)と言う小さな神社があり、付近には土俵が設けられている。今も神事として神前で相撲を取っているのだろう。 日本最古の歴史書である「古事記」を編纂したのが太安万侶(おおのやすまろ=左)であることは誰でも知っておろう。彼は第43代元明天皇(女帝)に命じられて古事記の編纂に取り掛かった。神代(神話の時代)から推古天皇の御代までを上中下の3巻にまとめ、和銅5年(712年)に完成し、元明天皇に献上した。右は彼の墓。私は偶然にもこの墓に詣でている。 太安万侶の名が刻まれた銅板(墓誌銘) 通常天皇は別として貴族の墓が明らかになることはない。ところが奈良市郊外にある彼の墓が発見されたのは偶然のこと。農家の人が茶畑を開墾中に横穴に遭遇。発掘調査の結果、大量の炭に覆われた墓と、その中から銅製の「墓誌名」が出たことによる。私は全国47都道府県を走破したが、最後の県が奈良。近鉄奈良駅のロッカーに荷物を入れ、リュックを背負い奈良市の周囲をぐるりと一周。その50kmの旅の途中で太安万侶の墓の標識を見つけて立ち寄った次第。考古学ファンには思わぬプレゼントだった。 稗田野神社(京都府亀岡市) 太安万侶が古事記を編纂するに当たって重要な役割を果たした人物が稗田阿礼(ひえだのあれ)。彼は記憶力抜群の男として有名だったようだ。元明天皇が太安万侶に編纂を命じるに際して、「稗田のあれ」を呼べと命じた。全国から届いた「風土記」を彼に暗記させ、それを太安万侶の前で暗唱させた由。稗田出身の男には名前がなかった。それで「稗田のあれ」が「稗田阿礼」になった由。まるで笑い話ではないか。 古事記伝 私はこの稗田阿礼にも、ちょっとした因縁話がある。大阪勤務当時私が住んでいたのが大阪府高槻市。そこからマラソン会場の兵庫県篠山市まで自転車で何度か行った。往復100kmだが、私にはちょうど良いトレーニング。高槻市から峠を越えると京都府の亀岡市に出る。そこから「湯の花温泉」を経由して篠山市に向かう途中にあるのが「稗田野神社」(上)。 名前からひょっとして稗田阿礼と関係あるかもと思っていたのだが、この文章を書くためネットで検索し、ここが彼の生誕地だと知った。古事記の編纂者である太安万侶と、その彼に日本各地の神話や歴史を読み聞かせた稗田阿礼。その2人に関係する場所をこの目で確認した私は、物凄い幸運の持ち主なのかも知れない。これもランニングや自転車で遊んでいたお陰。偶然にしても恐ろしいものだ。<続く>
2020.08.19
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~王から地方の豪族へ~ こんな絵があった。「領地」を見回る王のようだ。昨日の騎馬像とはかなり様子が異なるのが馬の体格。ずっと低くて小型だったことが分かる。なぜあんな大きな騎馬像を作ったのかが疑問だ。 そしてこちらは王とその馬を飾る装飾品と馬具の名称。照明と影が映り込んで見難いが、お許しあれ。 上は轡(くつわ)などの馬具。下は鞍の前輪(まえわ)と後輪(しずわ)で座位を固定するもの。その下は鉄剣。 騎馬像の王とは異なる冠と装身具 王冠の形もそうだが、太刀の形も出雲の東部と西部とではかなり異なっていたようだ。それはそれぞれが同盟を結んでいたヤマト王権の中央豪族が違っていたことの証とある。騎馬像の王は出雲西部の出雲市上塩冶築山古墳の主だったから、上の王冠を被った王は出雲東部の王と言うことになろう。展示されていた太刀を以下に載せる。大部分は西部の出雲市上塩冶築山古墳出土品だと思われるが、詳細は不明。 これは確か古墳の持ち主が明治時代に石室を開けて取り出したとあったので、西部出雲市の上塩冶築山古墳出土品だろう。それにしても見事な造りだ。 遠目にはいわゆる「環頭太刀」のように見えたのだが。 これも環頭太刀の仲間なのかも知れない。それにしても素晴らしい装飾性だ。古墳の持ち主が明治期に石室を開けて取り出し、剣を破壊したり研磨したりしているのが残念。西の出雲市西塩冶築山古墳出土品。 この太刀も破壊されている。 この太刀も鉄剣だが、他のものとは束頭(つかがしら)の形と装飾が異なる。 装飾付太刀各種 <参考>東北の蝦夷や東国の豪族が使用していた蕨手刀(わらびてとう)。剛直で装飾性は極めて低い。 さて、7世紀中ごろに律令国家の政権が誕生すると、権威の象徴でもあった装飾付太刀は不要になって行った由。 奈良県明日香村高松塚古墳東壁に描かれた男子群像のイメージ。彼らはもう王冠を被らず、規則に従って位に応じた帽子を被り、ベルトも簡素で太刀も佩(お)びていない。平和な時代の貴人に太刀は不要になったのだろう。こうして天皇制が定まって安定した律令国家になると、国は武力ではなく法で動くようになる。<続く>
2020.08.18
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~米作と権力者の出現 ムラからクニへ~ インディカ(長粒米=左)とジャポニカ(短粒米) かつて縄文時代に米作はないとされたが、いまでは陸稲の栽培が認められている。また水稲の朝鮮半島経由説も消えた。1973年揚子江下流の河姆渡遺跡からジャポニカ種の米が発掘され、我が国の種とDNAが一致することが判明。これで北部九州か山口周辺に大陸から直接渡ったと考えられたのだ。 吉野ケ里遺跡 私が小学生のころに習った弥生時代の遺跡の代表格が静岡の登呂遺跡。これは水田遺跡だった。ところが佐賀県の吉野ケ里遺跡の発見が弥生時代のイメージを大きく変えることになった。2重の環濠で囲まれた集落には、楼閣を思わせる高い建物が複数あったし、環濠に沿って丸太の柵が張り巡らされていた。水田による稲作が強大な権力者を誕生させ、ムラがやがてクニへと発展する基礎ともなった。 <小さな名札を手掛かりに=古代出雲歴史博物館の展示物から> とてもみすぼらしい出土品が常設展示にあった。撮影したのは全くの偶然。たまたま説明板を撮影していたことが役立った。出雲市青木遺跡からの出土で奈良~平安時代(8~9世紀)とあった。このブログを書くに際してネットで同遺跡を検索した。その結果古墳時代から江戸時代にかけての複合遺跡であることが分かった。古墳は出雲特有の四隅突出墓。道路工事中の発見のようだ。 改めて出土品を見直すと、円面硯(えんめんけん)、下駄、刀子などがある。円面硯は字を書くため、墨を擦るための道具。下駄は履物。刀子(とうす)は木を削るための道具。当時は紙が貴重なため、木簡(もっかん=木製の名札)に字を書いた。その字を間違えた際は木を削って、その上に書いた。今ならさしずめ「消しゴム」のような役目だ。 硯やベルトの金具が出土してるのを見ると郡衙(郡の建物)が置かれ役人が勤務したのだろう。出雲国府や出雲国分寺、国分尼寺は松江市付近にあるため、郡の建物ではないかと考えたのだ。土の表面は現代の物。下に行くに従って古い時代の遺跡となる。古墳時代から江戸時代までこの地に人が住んでいた。だが道路工事のため簡単な埋蔵文化財調査で終わってしまう。古墳も破壊されたはずだ。もっと掘り下げたら縄文時代の遺跡すら出る可能性があるのだが。 出雲市上塩冶築山古墳から出た遺物から復元した6世紀後半の大首長とのこと。王冠、装飾太刀、馬具などの華美さからヤマト王権から与えられたものだとのこと。西出雲地方で最も権威があった豪族のようだ。この古墳は個人の所有で、明治20年に所有者が石室を開けて中の遺物を取り出した由。幸いにも215点のほとんどが公的機関で保管され、国の重要文化財に指定。遺跡も国の史跡となった。 だが、あまりにも立派な騎馬像に私は驚いた。違和感を抱いたのは馬があまりにも大き過ぎるためだ。古代の馬は体高110cmから120cmしかないのだが、これじゃまるで競馬用のサラブレッド。きっと復元する際にそこまで考えが及ばなかったのだろう。私は日本馬の古来種を3種ほど知っていた。沖縄与那国島の与那国馬。長崎県対馬の対州(たいしゅう)馬。そして愛媛県今治市の野間(のま)馬。 小さな野間馬 私が住む仙台市の動物園には対州馬が飼われていて、実際に見た。与那国島へは行ったことがないが、沖縄には3年間勤務し名前だけは知っていた。愛媛県にも3年間勤務し、その野生馬の飼育牧場の傍を通り、名前を知っていた。わが国に大型馬がもたらされたのは平安末期。多分十三湊(青森)の安東氏が大陸と交易した結果だろう。奥州の馬産地としての評判が上がるのはそれ以降だ。<続く>
2020.08.17
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<出雲の歴史概観> 余計なお世話だが日本の歴史は 〇旧石器時代(人類が日本列島に移住して以来約16500年前まで)〇縄文時代(概ね16000年前~3000年前まで) 〇弥生時代(紀元前4世紀~紀元3世紀中ごろまで) 〇古墳時代(3世紀半ば~7世紀ころまで) 〇飛鳥時代(592~710年) 〇奈良時代(710~794年) 〇平安時代(794~1185年)のように区分され、以下鎌倉、南北朝、室町、安土桃山、江戸と続く。これに従って出雲地方の遺跡を見ようと思う。 砂原遺跡出土の旧石器 出雲市の砂原遺跡で発掘された旧石器。同志社大学が発掘調査し、国内最古の旧石器関係遺跡で12万年前のものとされるが、年代には異論もあるようだ。この博物館での展示はなく、たまたまネット検索中に遺跡の存在を知り、写真もネットから借りた。 同館には縄文時代の資料もなかった。たまたま開催中の企画展の中に縄文時代の土偶と思われるものを発見したが撮影禁止。そこで覚えていたイメージに合う画像をネットで探したのが上の写真。正座する土偶とは珍しい。年代は縄文に違いないと考えて載せたが、もし撮影が許可されていたらどれだけ反響が大きかったかと思う。 弥生時代の資料はこのブログでもたくさん載せた。あの圧倒的な量の銅剣銅矛が埋納されていた荒神谷遺跡は弥生前期の遺跡。そして国内で最大数の銅鐸が埋納されていた加茂岩倉遺跡は弥生中期から後期にかけての遺跡だった。直線距離で3.4kmほど離れた2つの遺跡から出土した銅鐸の上部にはなぜか×印が刻まれていた。(上の写真の円内)。これも新たな謎。2つの遺跡の謎はまだほとんどが解明されていない。今後の研究が待たれる所以だ。 鳥取県米子市穐吉角田遺跡出土の高楼と船が描かれた弥生式土器。制作年代は1世紀。 肩の部分に壺や動物が飾られた壺。松江市増福寺20号墳の「出雲型子持壺」と言うらしい。古墳時代の5世紀のもののよう。「子持勾玉」もあったが壺までが「子持」とは出雲は別格だ。こんな風に説明板を撮らないと後で調べる手立てがなくなり、説明不足のブログとなる。これはたまたま撮っていたが、探すのが大変だった。これからもきっと試行錯誤が続くことだろう。<続く>
2020.08.16
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~舞台裏の話~ この博物館は異例づくめだった。観覧の順路はちゃんと表示されていたのか。歴史に関する博物館であれば年代順に展示するのが普通。それがいきなり大量の銅剣、銅矛、銅鐸が目の前にどど~んと現れた。私が古代出雲に対して抱いていた謎を解く糸口は見つからず、これまでの話は私が知ってることを中心に書き、写真もネットから借用するなどして組み立てた。今日は苦労しっ放しの舞台裏を見せよう。 銅ゆう鐘(左)と銅鏃(右) これらがあるコーナーへ来て、違和感がさらに募った。一見してそれらが古代中国の青銅器であることが分かった。台北の故宮博物館(台湾)や旅順博物館(中国)で、数多くの青銅器を見ていたからだ。小さな説明板を撮影していたお陰で、時代と名前が分かった。だが一般の入館者は疑問すら抱かないだろう。後でようやく展示の意図は分かったが、それにしても不可解だ。 有蓋鼎(真ん中)など 時代区分を明確にし、展示物が何であるかを客観的に示す必要があるはず。それが公立博物館の最低の仕事だ。まして「古代出雲歴史博物館」を標榜するなら、「古代出雲王国」の謎が解けるものでなければ。私はかつて素人ながらも考古学、古代史、人類学、文化人類学、神話学、民俗学、言語学などの専門書を読んだ「貯え」があったから何とか少しずつ謎解きが出来たが、もしそうでなかったらどうだったか。 以下は青銅製の鏡です。 それにしても不親切な展示だ。展示物の「名札」が小さく、説明も少ない。これでは自分の「霊感」に頼るしかないではないか。故宮博物館や旅順博物館はもっと分かりやすい展示だった。国内でも国立や県立博物館をかなり見たが、こんな「不思議な国のアリス」のように迷ったのは初めて。交通の便も悪いし、昨年ツアーで訪ねた出雲大社でも不愉快な思いをした。今年もその思いは同じだった。 撮影した写真を整理しながら私は戸惑い、「仮A」、「仮B」とかと便宜的な名前をつけながら前進した。形を見ればそれが何かは大体分かる。だが考古学資料に「大体」はない。だから「仮」なのだ。また展示全体の構成が不明のためそれらの明確な位置づけが出来ず、直感に頼ったのも事実。 ようやくこの写真を見つけた。「東アジアの青銅器文化と日本の青銅器」。つまりこの図では、古代中国の青銅器文化が、その後朝鮮半島と日本ではどう変化したかを示したかったのだろう。それにしても不親切。誰にでも理解出来る説明をもっと目立つよう、もっと以前に行うのは不可能だったのか。最初の古代中国の青銅器も小さな「説明板」を、たまたま私は撮影していたため、帰宅後こうして名前、用途、時代が分かった。普通の人はそこまではしないし、何が何だか分からないままに帰ってしまうだろう。 名前が不明だが、これも古代中国特有の意匠で貴重な資料だと感じた。他の青銅器もそうだが、古代中国の青銅器がなぜこの館にあるのか。島根県内の遺跡から出土した訳がない。そして購入も出来ない物のはずで、それをわざわざ展示する理由と経緯が不明だ。 最後に偶然見つけたのが、この小さな説明文。私は4時間かかって展示物を観、丁寧に写真を撮った。だから自分なりに理解し、ブログも書けた。この説明文によれば、結局古代出雲の、銅剣、銅矛、銅鐸は祭器としての位置づけが強い由。もっと早い段階でこの「説明」を入館者に出来なかったのか。博物館では分かりやすい展示と説明が何より大切。「驚かす」のは邪道。それが私の結論だ。勝手な感想だが、舞台裏の苦労が少しでもご理解いただけたら嬉しい。<続く>
2020.08.15
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~出雲の旅で食べたのは~ 古代出雲への旅のシリーズは学術的な内容で、どうしても堅い文章になりがちです。そのため、5回に1回の頻度で休憩を取り、少しリラックスしていただこうと考えました。今回は出雲への旅でわたしが食べた(飲んだ)ものの話です。なお上の写真は、初日に泊った玉造温泉の川べりにあった造形を挿絵代わりに入れたものです。どちらも大国主命にまつわるお話のようです。 初日の宿の夕食です。見かけは悪くないのですが、内容はさっぱりでした。焼き魚として「ハタハタ」が出ました。仲居さんに「ここで獲れたの」と聞くと返事がありません。ハタハタは同じ日本海でも北の山形や秋田で獲れる魚。しかも漁期は冬です。雷が鳴る頃に産卵のために海岸に近づいて来るのを獲るのです。長期間冷凍してたのか、脂が酸化して味が変でした。その代わり日本酒は出雲大社のお神酒で、とても美味しかったです。 旅の2日目。玉造温泉のホテルの朝食は最低。ほとんどが佃煮で、写真を撮る気も起きませんでした。昼食は4時間も観覧した「島根県立古代出雲歴史博物館」のレストランで。あまりにも空腹だったため美味しそうに見えたポスターの「火山オムライス」を注文。野菜サラダはほんのちょっぴり。オムライスの中身は梅干し味の「ゆかり」のふりかけご飯。美味しそうに見えたポスターとは全くの別物でした。 2泊目は松江市のシティホテル。夕食がなかったため、駅付近の海鮮居酒屋へ。お通し、モズクの酢の物、脂が乗ったしめサバ、島根牛を軽く炙った握り寿司、地元のさつま揚げである「赤揚げ」。どれも美味しくいただきました。それに地元の吟醸酒を冷で2杯。ご飯を頼んだらどんぶり1杯の大盛りで満腹でしたよ。 旅の最終日。ホテルの朝食はとても心が籠ったもので、バランスの良い内容でした。私は旅行をしても、さほど食事内容には拘らない方ですがこのホテルの朝食が一番安心出来るもので、感謝でした。 最終日の朝の散歩。松江市の大橋川河畔の可愛い造形です。<続く>
2020.08.14
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<出雲の神などについて> 館内の一角に神社の模型が置かれていた。「大社造り」の形から、出雲大社の本殿(国宝)のように見えるが本殿は撮影禁止とされている。が、ネットで画像検索すればちゃんと出て来る。誰かが撮影して投稿したに違いない。この模型の傍にも「撮影禁止」と書かれていたような気もするが、定かではない。それに私は「人間が作ったものに原則忌否はない」と考える。祟りも恐れない方。1) 2) 3) 出雲大社の祭神が大国主命(おおくにぬしのみこと)であることや大黒様と同一視されていることは誰でも知っている。だが大己貴命(おおなむちのみこと)の別名があり、和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)の両面があることや、大黒天が元々ヒンズー教のシヴァ神の一面としてのマハーカーラ(暗黒神・大黒神・破壊の神(3)だったことを知る人は少ないだろう。 大和国一之宮である大神神社の祭神が大己貴命で大国主命の荒御霊として、藤原京の守護神だった由。だが平城京遷都に伴う移動はなかった。恐らく「祟る」ことへの忌避があたのかも知れない。それにしても本来は出雲の神がなぜ大和国の守り神となったのか。 大国主命の名から思えば、彼が元々この国全体の主だったのではないのか。それがヤマト朝廷に国を譲る羽目になった。そのことへの怨念が残ったとは考えられないか。上の2)は笑顔でない大国主命。彼の知られざる側面だが「だいこく」とも読める大国が「大黒」へと変わり、次第に福の神へと変質して行った。息子の事代主神も同様に「恵比寿様」として福の神に変身して行く。 1) 2) 次に島根県に多い古墳を紹介しよう。1)の四隅突出墓(よすみとっしゅつぼ)はヒトデのように、4つの隅が飛び出して石が葺(ふ)かれ、墳丘上に祭祀のための施設が設けられている。朝鮮半島に起源を持つとされるが、遠くは新潟県までの日本海沿いに分布が見られる。2)は前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)。方墳を2つ重ねた形だ。 写真は岡山市の造山(つくりやま)古墳。墳丘長が360mもある前方後円墳で、全国で第4位の大きさ。旧吉備国(岡山県)ではほかに作山古墳もある。前方後円墳はヤマト朝廷との関係が深い豪族が築いたとされ、その点出雲は特異だ。日本海側では元伊勢と呼ばれる籠神社がある丹後国宮津、継体天皇の出身地である若狭国の敦賀、越後国の最初の開拓者が入った弥彦がヤマト朝廷との関係が深いと考えられる。 気多大社 写真は石川県能登半島の付け根にある気多大社。祭神は出雲大社と同じ大国主命。能登半島には大国主命が町や村を訪ね歩くと言う祭りが今も伝わっている。また海中に鳥居が立つ神社が多く、祭神が海を渡ってこの地に来たことを思い起こさせる。 1) 2) 1)は龍蛇神と呼ばれ、出雲では神々の先導役とされる。捕らえた後出雲大社に奉納される。その実態はエラブウミヘビ。産卵のためインド洋から、黒潮や対馬海流に乗って出雲に到る。沖縄の久高島では古来神の使いとして、久高祝女(のろ)と西銘祝女しか捕らえることが出来なかった。今では燻製にして強壮剤となる。コブラ科で猛毒だが性質は温和。口も小さいため危害は少ない。 2)は「加賀の潜戸」(かがのくけど)と呼ばれる奇勝。石川県から遠く離れた島根に「加賀」の名称があるのは、海を通じての交流があった証拠だろうか。神々が出雲に集まったことも、交流の証ともいえよう。 島根県出雲地方の主要神社。1が出雲大社。 7が北島国造家が祀っていた熊野大社。13が海蛇を捕らえる美保神社。4が日御碕神社。伊勢神宮同様に太陽神である天照大神を祀るが、伊勢は朝日、日御碕神社は夕日が主役だ。 また出雲は「根の国」(黄泉よみ=あの世)とされ、亡くなった妻のイザナミを追って夫のイザナギが訪れた地でもあった。黄泉の入り口のよもつ比良坂(ひらさか)に揖屋(いや)神社があるとされる。<続く>
2020.08.13
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~「北島国造館」を訪ねて~ <北島国造館境内図> しばらく「島根県立古代出雲歴史博物館」の展示物が続いたので、今回は一旦博物館を飛び出して「北島国造館」を訪ねてみたいと思います。博物館は右下方向へ500mほどの箇所に、また出雲大社は左手紫の旗が立っている箇所からが境内になります。つまり北島国造館は出雲大社の直ぐ東側にあり、目の前の道路は「社家通り」と呼ばれています。 北島国造館の正門と門前の表札です。千家国造館と比しても全くそん色がありません。 出雲教本殿と由緒。明治初期、神祇省によってそれまでの「国造」を廃されたことを契機に、出雲大社の本来の教えに立ち帰って「出雲教」を興したとあります。千家家はこれまで通り出雲大社の神事を司り、「出雲大社教」を名乗って共に神社庁から独立した宗教法人となりました。 境内の要所には摂社に通じる威厳ある門が設置されています。 境内の奥まった一角に鎮座する摂社 思いがけず境内の一角から滝の音が聞こえて来ました。名称は「亀の尾の瀧」。水源は熊野(よしの)川です。北島国造家が当初祀った神社が出雲東部の熊野大社。当時は杵築大社(後の出雲大社)よりも社格は上だった由。また神武天皇を案内したとされる紀伊半島の熊野本宮大社との関連をも、なぜか考えさせられるのです。 滝の名に因む親子の亀の石像。 天神社 天神社の左手に亀の尾の瀧が見えます。 北島国造館の境内に天神社があることに奇異な感を受けますが、菅原道真公が太宰府に左遷されて非業の最後を遂げたことを思うと納得が行きます。かつての北島国造家には、古代出雲の神宝をヤマト朝廷の遣いに騙し取られ、納得の行かない「国譲り」をしたことに対する恨み言が子々孫々口伝えにされて来たと言われます。 また高さ48mにもなる巨大な神殿は、大国主命が国譲りをした代償として造営を要求したとされています。そしてその巨大な本殿の造営が少なくとも鎌倉時代まで続いた(その柱材が地中に埋まっていたことで証明出来る)理由は、出雲に対して朝廷が何か「疚(やま)しさ」を感じ、出雲を怖いと感じていたことの証でしょう。あの大量の銅剣、銅矛、銅鐸の埋納とも関係しているのか、謎が謎を生みます。 出雲大社及び北島国造家所領地古図 千家家のみならず、北島国造家にまでこれほど手厚い処遇があった背景に何があったのでしょう。古代出雲の謎は尽きません。<続く>
2020.08.12
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~2つの遺跡・銅剣、銅矛、銅鐸大量埋納の謎~ 正座する土偶 今回も古代史や考古学に関心がない方にとっては退屈な話になるはず。だがに関心があるに方には、「よだれ」が垂れそうな話なのである。ただ必死で撮った私の写真は、話を書くために都合良く並んでいない。展示品が多いために片っ端からシャッターを切ることになり、写真の前後関係が分からなくなったり、何の写真か不明なのもままある。だから文を書くためには、そのジグゾーパズルを解くことから始まる。 昭和59年(1984年)島根県斐川町(当時)の山中で農道工事中の工夫が地中に文化財があることに気づき、急いで発掘調査が行われた。山の斜面にはおびただしい数の銅剣が埋蔵されていた、こんなことはこれまで国内にはなかった。整然と4列に並べられた青銅の剣。発掘に携わった職員は、一本ずつ丁寧に取り上げ、ガーゼに包んで運び出した。後に荒神谷遺跡と名付けられ国の史跡ともなった。 実際の埋蔵状態。385本の青銅製の剣が4列になって、整然と並んで埋納されていた。出雲地区の式内社(延喜式に記された古社)は385と言われるがこれは偶然か、それともたまたまなのか。 1年後遺跡の7m傍から16振りの銅矛(どうほこ)と6個の銅鐸が発掘されている。一か所から16振りの銅矛の出土は日本一。これらの鉾は全てが国宝に指定された。それほど貴重な存在だったのだ。 整備の上同博物館に陳列された銅剣と銅矛。下部の陳列品は出土した本物。上段4列の光る銅剣類は銅、錫(すず)、鉛の合金である青銅を新たに鋳造して製作した模造品。これでもまだ全体ではない。 神に祈って大量の銅剣を地中に埋納する古代の出雲族。(想像図) 驚くのは早かった。平成5年(1996年)加茂町(当時)の山中で農道を工事中の業者が地中に何かが埋まっているのに気付いた。それで慌てて工事を止めて町役場に連絡。驚くべきことに地中には39個の銅鐸が埋納されていた。一か所の数としてはこれまた国内最高で、中には「入れ子」(銅鐸の中に小型の銅鐸が重なって入ってる状態=上の写真にもある。これらの銅鐸も国宝となり、ここ加茂岩倉遺跡も国の史跡に指定された。 荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の位置関係は上図のとおり。2つの遺跡は山の隣り合わせにあり、この間の直線距離は3.4から3.8km程度。古代豪族の吉備氏が支配した吉備国(現在の岡山県)は地図の下方(南方)にあり、古代出雲は天皇の命を受けた吉備氏などによって神宝を奪われ、権力と権威の失墜につながったとの見方がある。しかし神器でも祭器でもあった銅剣、銅矛、銅鐸が人知れぬ山中になぜ大量に埋められ、長い間発見出来なかったのかが不明。古代出雲最大の謎であろうか。<続く>
2020.08.11
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