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私の会社のある課の話。 席でお茶を飲むと必ずoutlookに着信があるらしい。 ひらくと現れるメッセージ。 仕事中お茶を飲むのはいかがなものかと しばらくすると3m先の上司が近づき言うそうだ。 メールはみていただけましたか? うぇー。粘着。3m先というのがなんともまた。 口説きに使えそうな話だけど。 たとえば。 outlookに着信。 ひらくと現れるメッセージ。 ア イ シ テ ル しばらくすると3m先の男が歩いてきて(以下略) ・・・書いていてムカついてきた。やっぱり粘着だわー。 結論:いいたいことは口で直接いおう ・・・と、直接いわずWEB上でぼやく私も同じ穴の狢かしらん。(♂)
2007年11月30日
必要にせまられ名刺入れを漁る。10年前にもらった家庭教師の教え子の入社したてのころの名刺が目に入る。 ふと気になり検索。ぽちっとな。 名前の検索、それは私の病。大学の仲間からは老若男女を問わず(日本語変)ヘンタイ扱いされている趣味なのだが、それはそれとして。 某電機メーカーのSEになっていた。役職がついている。さらにMSから表彰されて顔写真まで。すげえ。出世だ。SEじゃないので用語がわからんが。カッコイイな。 ・・・なにをやっているのかオレ。 あわてて仕事モードに切り替える。名刺入れのスペースには昔つかったテレカがテキトーに突っ込んであるのだが、ふと1枚が目にとまる。 タチヒロシが片方の手を片方のヒジに添えてポーズをとっている。 自動的に口にでる。 そんなわたしもタッチヒロシ そんなコピーでCMをやっていたやつだこれは って、そんなどうでもいい記憶のために海馬をつかっているのってどうよ。 ああ、この海馬に別のことを入力しておけば。いまごろはぼーえー事務次官ぐらいになれたかしらん。 脳細胞の一部は確実にそういうモノでできている・・・という一般論ではなくて、たぶん私の脳だけの話だ。世間のオトナたちはムダなことに脳をつかわずにまっとうに生きているのだろう。 ほら、また頭に流れるメロディ。 ぶるっくぼんどぶるっくぼんど♪飲んで飲んでぷりーず♪いえっさー。 もう廃版になった紅茶飲料の歌を覚えていてどうしたいのだオレ。(♂)
2007年11月29日
地下鉄にあった不動産広告。 「空前の丘」 「絶対に負けられない戦い」(←負けてんじゃねえかだいたい)みたいなコピーかな、と思いきや。 戸建プロジェクトの名称らしい。 ちなみにyahoo!の辞書検索では。 くうぜん‐ぜつご【空前絶後】 過去にも例がなく、将来もありえないと思われること。きわめて珍しいこと。 空前(そらまえ)という地名ではなくどうもそういう意味からきているらしい。 ・・・センスすげえ。 ゴジラ(1984版)を倒す秘密兵器に「スーパーX」と名づけるような。 モー娘の誰かの子供への命名センスといい勝負ができそうだ。 いっそのこと「絶後の谷」とか「至高の街」とか「究極の団地」とか「恍惚の町並み」とか「放蕩の商店街」とか「華麗なる学校」とか「全米NO1の映画館」とか。どんどん増やしていっていただきたい。 私は住みませんので。(♂)
2007年11月28日
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ラジオに「あなたの年収を3倍にする料理のパワー」の著者が出演していたのを興味深く聴く。 経営者に料理好きが多いという点に注目した著者がいうには、料理は下準備から片づけまでの段取り勝負であり、両手をつかう脳刺激の場であることから、ビジネスへのアイデアがでやすい。ということであった。 経営者の中には奥様が病気になったのをきっかけにはじめたところそれこそタイトルではないが収入が5倍になるアイデアがでたという。 ・・・これだけで説明が済んでしまう気もしたのだが。 料理をめったにしない男にむけて著者はインタビューでいう。 男の料理とかそういうレシピ本を買ってきて珍しい食材などをつかうのはいただけません。それよりはトーストの焼きかたなどを研究したほうがいいでしょう。 そうかなー? 自分が(年収は3倍になっていないが)料理をいちおうふつうにできるようになったきっかけはケンタロウのレシピだった。そういうのをみながらあれやこれややり、クック●ウをつかったりしているうちにやりかたを覚えていったのだが。 トーストの焼き方から料理スキルがあがることはまずない。いかにもレシピっぽい料理から「おままごと」をはじめて、日常のスキルとして身に着けていくほうが楽しくないかね? これは考え方だろう。それこそ、あくまでビジネスへの脳トレとしてとりくむのか。それとも家事の楽しさを覚えるのか。 年収3倍・年収3倍と言い聞かせながらつくる料理はおいしくつくれるとは思えないのだが。 包丁を握っているとき、集中して無心にはなっているからアイデアはでやすいかもしれない。あくまで「かも」だけど。(♂)あなたの年収を3倍にする料理のパワー
2007年11月27日
2007年11月26日
相変わらずの快晴。昼寝のときに目がさめないように布団を干すことにする。 パンと味噌汁とで朝食。朝挨拶するといつもニコニコしているのはいい傾向だ。 練習パンツをオムツに替えて外出。 近くの保育園でうさぎを見せる。 うさぎってなんで子供に人気なんだろう。鳴きもしないし、愛想がいいわけでもないのに。「さびしいと死んじゃうんだよ」はサカイノリコの台詞だったか?←とんでもないウソだ。サカルと同性でも襲うらしい。 イメージのギャップとしては全然生態は平和の使者じゃない鳩に近い。まあそんな情報を教えはしないけれど。トリビアにしてもひどすぎるし。 スーパーで玉ねぎとヨーグルトとベーコンを買う。 スーパーにたどりついてへばったので帰りはバス。 布団をしまう。 昼は納豆ご飯と味噌汁と魚。長距離散歩がうまくダメージを与えたらしく車にのせたら即爆睡。 ・・・と思いきや、下ろすとすぐ目がさめるのってどうよ。 どうやら寝るともったいないと思っているらしい。あきらめて部屋に放牧しつつ私は軽く昼寝。 4時ぐらいに公園まで第2次散歩。喜びすぎて顔から転ぶ。軽く大泣きしてすぐ復活。 暗くなったのでまだ遊ぶと主張するムスメを強引に連れて帰る。 テレビを点けると教育で子供相手にルー大柴が感情表現を教えていた(笑)しかし凄いわルー。さすがタレントで生き残っているひとの表現の瞬発力は違う。オトナも受けたい授業かも。濃い顔に濃い表現。だれが勝てるというのだ。 チャンネルを替えると報道特集で冤罪をうむ捜査の実態をやっていた。震撼、というのはこういうときに使う言葉だ。 取調官に仕事が受け渡されるまでにチームとしてシナリオをつくっているので取調べをした結果シロ、という想定はまったくないらしい。あらゆる精神的な苦痛を与えてとにかく結果(自白)をだすことしか頭にないという。 行ってもいない場所の地図を取調官が後ろから手を添えて描かせるという。ここまで来るとコントだ。鹿児島では謝罪もしていないらしい。だれもとめられないのか暴走。またやるだろうこの構造だと? 野菜をざくざく切り、鍋にいれて料理の準備。 しばらくしてかみさんの帰る時間になったので車に乗せて迎えに行く。 夕食はベーコンと野菜とペンネをゆでてヨーグルトと卵をかけたベジカルボナーラ。(♂)
2007年11月25日
午前中散歩をかねてホームセンターへ。掃除機のフィルターを買い、ムスメの「散歩欲」を満たすためだ。 数歩歩いては「抱っこ!」(dacco!というイントネーション)と要求するのはあいかわらずなので数メートル先を歩いて待つ。 今度は「お手手!お手手!」というのでつないでほしいのかと思いきや、つないでやるととたんに「抱っこ!」って罠ですか。 そんな風に戦いつつ店に到着。ムスメ得意の「これ!なーんだ!?」クイズをだされるまえにこちらから出題してやる。 「うさぎ、だよ」「りす、だよ」食べ物ほど覚えてはくれないが。 うちは鼻持ちならない街で、この時期になるとライトアップがあちこちの家でされるため、イルミネーションセットも積まれている。ほらほらトナカイだよ、などと教えていたらそこにリアルサンタが。 カーネルサンダース風の等身大で音楽にあわせて顔も体も動くやつである。顔のムキムキマッチョ具合がきもちわりー、ぐらいに思っていたら。 胸元で硬直→絶叫するひと発見。 うぎゃー あわてて回避行動に。まてまてでんぐり君もそうだが、とにかく魂のないものが動くのは怖いらしい。まあ人間としてはこういう動物的な感覚ってほんとは大切なんだけど。 おめあてのブツを買い、帰ろうとすると「あっち」とのたまう。あちらに「彼」がいるのは覚えているので別のルートに行きたいらしい。 だいじょうぶだよあっちむいてな、といって同じ道を通って脱出。 せっかくの休日のイベントとしてパンやでパンを食わせるかスーパーで海苔巻きを買ってやるか迷い、結局後者を選ぶ。 昼ごはんのあとに車に乗せて昼寝させる作戦だったが、散歩が楽しかったのか車から降ろされた瞬間起きて暴れ始める。 しかたがないので浦和‐鹿島戦を観戦。人数が減った側が運動量でスペースをつくって勝ちペースになる日本的な展開。がっかり。 夕方、オムツを買いに某赤ちゃん用品店に外出。帰るときに赤ちゃんセンベイを食べさせるとようやく「昼寝」をはじめる。遅いよ(怒)。 おかげで味噌汁をつくることに成功。具は白菜と人参大根と豆腐。 そんなわけで寝ないムスメは仕事から帰ってきたかみさんに「サンタシャン動いた!ぶっくりした!」と報告。「ぶっくり」って。きみのおなかですか。(♂)
2007年11月24日
私の実家へムスメとペアで行く。 朝、思いついて電話すると「ためしてなんとか」という番組をみてつくった豚汁があるのでぜひ来いとの旨。実行にうつすことに。 ローカル線では途中飽きたときにどうなるかわからない。いちかばちかで車に乗せることにする。どっちの手段でもいちかばちかではあるが。 ふだんであればかみさんが騒ぐムスメをケアしつつ私は運転に集中できるのだが。あんまり騒ぐならUターンしよう、ぐらいの軽い気持ちだ。 さっそく乗せようとしたところで抵抗←いきなり難関かよ。 しかたがないのでミカンをもってきて「汝、坐すれば与えられん」といったところ素直に坐るのってどうよ。親の顔がみたいぜ。 おとなしくさせるためにスナックを食わせ続けるアホ親よりはヘルシーだが、方法論としては変わらないのが哀しい。 ウェーハースをかじりつつ運転していると後ろからよこせというので手を伸ばして渡す。 「おせんべ」「おせんべ」乾いたお菓子はみんなおせんべらしい。 BGMは中島みゆきの新譜。 途中コンビニで休憩。背伸びをするだけでこうも疲れが違うとは。ムスメは腹が満たされたとたん寝はじめる。 2時間で到着。連休なのに思ったより空いている。 玄関で場所見知りをしていたムスメだが、おもちゃをもらい、手を洗ったりしているうちに慣れてパワー全開に。 それでも筝の稽古場ではだれもいないのにおそるおそる入るのがおかしい。違う気でも張っているのか。 昼食は豚汁とハンバーグとヅケ丼。 父母両方にだんだん慣れ、「営業活動」をはじめたので昼寝をさせてもらうことにする。たかだか1時間。でも至福の時間である。 計画通り、真っ暗になる前に脱出。かみさんのいない朝に慣れてないだろうからと今回は帰りコースにしたが。思ったよりリラックスしていたので次回はお泊りにチャレンジだ。 リラックスしすぎてここでも抵抗にあう。今度はパンで懐柔して坐らせる←食べ物ばっかりっすか。親の顔が(以下略)。 無言の宝石は女の心をつかみます(ヴェローナの2紳士) ムスメにとっては宝石はパンかミカンらしい。やれやれ。(♂)
2007年11月23日
会社1Fのギャラリーで開催していた会社のイベントが終了。 ボスが課のミーティングで総括(というかぼやき)。「残念だったのは各界で反響があったのに肝心の社内では全体でもりあがるような動きにはならなかったことです。あれは専任スタッフだけがやっていることだろ?みたいな壁があったような気がします」 すみません、私もそうでした。 ・・・そうですが、なにか?とケンカを売るつもりはない←一瞬課の一部でそういう空気が流れたのも確かだけど。 ただ、正直難しいんだよなー。 こういうイベントをそういう「動き」=オラガギョウジに発展させるためには全員になんらかの「迷惑」をかけなければいけないわけで。 ただ迷惑はあくまで迷惑なわけで、さじ加減が難しい。 そのへんが会社として各自の仕事に影響あってはいけない、と思っているやさしさが裏目にでたと思う。子供にさせる家事のようなものだ。やらせなければやらせないまま他人事になってしまう。 一体感をねらうならブーイングされようが「業務命令」にしたほうがいい。自分がほんのすこしでも関わったなら軽い苦労話とともに宣伝するだろう。そして同僚と同じ空気を味わうだろう。軽い被害者意識の共有。お客さんではないという実感。 ムラの行事に似ている。檀家のつきあいとか、祭りの当番とか、一見しがらみにみえるひとつひとつがコミューンを維持させる。参加する面倒くささと同時に一体感をあじわえる装置。 と同時にイベントブログを開設するとか、イベント通信を発行するとか、そういういまなにかをやっている「ハレ」の雰囲気をばらまかなければいけなかったのだろう。 すべては経験である。 そういう後ろめたさがあったからというわけではないが、声をかけられたので夕方からのバラシ(演劇用語かこれ)に参加。あれだけごちゃついていたギャラリーが更地になっていく。仕込み(これまた演劇用語か)よりバラシのほうが好きだ。非日常が日常へと戻っていく過程。演劇的だ。 なんてな。声をかけられたかったわけではないけど、たぶん根本的にはイベントが好きなんだろうオレ。(♂)
2007年11月22日
友人からサトイモをいただけることになり、ふと。 「主婦偉い度」の話になる。 栗を剥くひとが偉いか、サトイモ剥くひとが偉いか? 自慢ではなくて、サトイモを剥いた経験がないからである。「かゆい」とよく母が連発していたのでそれはそれはウルシでも触ったときのようにひどいことになるのかなあと。 とりあえず同じ課の家事能力の高い人♂に聞いてみる。 断然栗です。 と即答。 電子レンジであっためて、ちょちょいのちょいですよ。 ほほう。ということは母が連発していたのはおそらく肌の弱さからくるもので、通常のひとのかゆさよりは差し引いて考えるべきなのかな?(ぶつぶつ) よくわかりませんが、栗にくらべればサトイモ剥くのは楽勝ですよ。 よし、オレ偉い!←違うし。 それにしてもこの落ち着いた答え。できるひとの風格である。 あの食材はね、と淡々と話すのは飲み会で男が「オレは~という料理がつくれるぜ」という自慢よりもレベルが高い。違う次元である。 男家事力競技大会があればおそらくこの男がぶっちぎりとみた。社内では←狭い。 実況はこんなところか↓「今回からレギュレーションが変わり日曜大工ではポイントがつかなくなりました」「前半、栗を剥いて確実にポイントを稼いだスズキ。つづいては里芋をキレイに剥いて猛追するサトウ。タナカは蕎麦をうって巻き返しに賭けます」「蕎麦はたしかにポイントが高いのですが片付けをやるかどうかが勝負のカギを握るでしょう」 むぅ、負けないぜ←意味不明。(♂)
2007年11月21日
電車の吊り広告でみたガテン系おっさん週刊誌の見出しより。 かっとびフルヌード計画 「べつに」の女優の記事なのであるが。かっとびって・・・なんですか。 yahooの辞書で検索。 すべての辞書検索で該当する情報は見つかりませんでした。 そうでしたか。 「かっとびロックンロール」ってなんだっけ。と頭の中のムダフォルダーからでてきた言葉をもてあそびつつ考える。なめ猫とかああいう世代が使う言葉として理解していたので、現代用語とはいいづらかろう。おそらくそういうヤンキーテイスト溢れる写真ということか?車高短に寝そべっているとか。珍走族の旗に包まれているとか。長いスカートはいてつぶれた鞄もっているとか。 歳がばれるぜ。 それにしてもヌードのコピーはどれを聞いてもよくわからない。「大胆」とか「鮮烈」とか「衝撃」とか。なにが鮮烈なんだかとか、大胆じゃないヌードはあるのか、とか、衝撃はなにをもって衝撃なのかとか。余計なことが気になってしまう。 まあこうやって気になって買わせたら勝ちなのだろう。とりあえず買わなかったので今日は私の勝ち。 こういうあとで本当にヌードになったときつい口にしそうだ。 「ほう、これがかっとび、か・・・」なんか秋ってかんじだわ。(♂)
2007年11月20日
ムスメの誕生日なので仕事を蹴飛ばし早めに帰宅。 途中スーパーでオトナの飲み物を購入。わたしはクラシックラガー350ml。かみさんにはミツヤサイダー。アルコールがとれないのでせめて後ろめたさをあじわうんだとか。 帰ると義妹のくれた服ででむかえるムスメ。非日常感があるのか妙に興奮している。 保育園でいただいたアルバムをもって走り回っている。保育園での写真が貼られて、手形が押されて先生のメッセージが書いてあるものだが、丁寧なつくりに先生の真剣さをみる。ひとりひとりつくっているのかと思うとほんとうに凄い仕事だ。 着替えもそこそこに、記念撮影。三脚をたててハイポーズ。 ディナーは洋風懐石、というべきか。 丸い皿に、小さくまとめた南瓜と薩摩芋と人参とハンバーグがちょこちょこ散らされて載っている。見た目の可愛さの割にはボリューム感。 「南瓜オイシーネ」と連発するムスメ。 食べ終わったのでケーキをひっぱりだす。さすがに蝋燭は吹き消せず。「ふー」はできたのでよしとしよう。 半分を3人でわけてあとはしまう。ふわふわの生クリームがやばい。何度もいうがほんとに鼻持ちならない街だ。ケーキやとパンやが美味い街。 ムスメもおおよろこび。ケーキデビュー。そのうち連れて喫茶店にでも行くことになるのだろうか。 食ってる写真ばっかり撮ってしまったが、まあこの1年も元気でやりませう。(♂)
2007年11月19日
帰りのバスのこと。 ぼーっと本を読んでいたらおっさんの怒鳴り声が聞こえてきた。 「はやくしろよ!」 見ると、料金を払うところでカードが切れた女子高生がもたついて鞄から小銭イレをひっぱりだしている。そんなおっさんの怒鳴り声に焦ったのかますます小銭入れはでてこない。 みょうな空気の中、ようやく小銭を放りこんで女子高生が降りていった。表情はみえなかった。 もちろん、あらかじめ小銭を用意しないのもダメだし、後ろにまわるとかそういう気遣いがないのもダメだ。前後にすみませんのひとこともないのもダメだが(おりていくとき黙って降りていくのもどうよ)・・・とダメ3連発はともかく。 怒鳴ることないだろおっさん。 空気を読め、とやたらいう傾向は好きじゃないが(プチファッショだ)、すくなくともおっさんが怒鳴ることで空気は汚れたのだ。 だいいちあんたは怒鳴ってすっきりしたのか?ますますいらだっただけじゃないか。 ようやく家路だ、とほっとしていた乗客はたぶん女子高生のもたつきよりそのおっさんの怒鳴り声でうんざりしながら降りていくことだろう。なんだよ殺気だちやがって、みたいなことをブツブツ言いながら。 負の連鎖。いらだちの波紋。 少なくとも私はおっさんよくいった!とは思わなかった。相手が御しやすい女の子相手だからいった、としかみえなかったし、早くしろといって早くなったためしはないのだ。 会社でも悲しみや怒りやいらだちを訴えて場を自分の世界にしたがる人がいる。空気読めとはいわないが、すくなくともあんたがいることでだれかの世界に影響があるよ、という意識はもってほしいのだ。 それがオトナの優しさというものだろう。ガキじゃないんだろ? ・・・って怒鳴りちらしてやればいいんだろうか。(♂)
2007年11月19日
朝7時起床。洗濯。シメジとキャベツと人参と油揚げで味噌汁づくり。J-WAVEをかけっぱなしでなんとなく家事をこなす。 新聞を開き何の気なしに商品開発記事をみたら自分が昔いた会社のリクルーターさんの顔が。出世に感動。あれから1●年か。すれちがっても気がつかないんだろう、などと思ったり。 地方でアナウンサーをやっている後輩のブログを覗いたら地元で芝居をやっていた。何年ぶりの舞台です!などと鼻息荒い。彼とあったのは何年が最後だろう。さらに公演情報をみたら原案のところに東京にいるはずの後輩の名前が。なにやってるんだか。 懐古趣味?と笑われてもしょうがないのだが、「座標」が気になる。いま自分がどこにいて、どこにむかっているのか。かといって生き方を変えるぜ!みたいな熱さはない。ただ知りたいだけだ。 8時30分ごろムスメが起きてきたので朝食。ご飯と味噌汁と卵焼きと海苔←おお旅館の食事だ。 親から電話。手伝いのお礼だとか。自分がうけとった差し入れのお客さんの名前を伝えたらノーマークだったらしく感謝される。いちおう差し入れにはエンピツで名前をいれたのだが。演奏の感想を伝える。 布団を外に干す。和室に掃除機をかけ、床を拭く。ムスメに「このおむつポイしてきて」というとちゃんと行く。おお成長だ。 庭にムスメをだし、軽く遊ばせる。昼になったのでパンと味噌汁と魚のすり身でつくった焼き物で昼食。 最近食べながらカタチにツッコミをいれるのがブーム。すり身は魚の形をしているのだが、ひとくち齧るごとに「あ、うさぎさん!」とかうるさい。こういうのに「うるさい」というと豊かな感性を潰すことになるのだろうなあ、と考えたり。やらんけど。 昼寝のためにドライブ。ちゃんと16時30分まで寝てくれる。 夕方、ムスメの首に私のマフラーを巻いて徒歩で買い物へ。秋刀魚2匹を購入。 ムスメはデカくなって重い。重いが秋には暖かい。ぬくもりの実感がある季節だ。いつまで抱っこさせてくれるのだろう。考えてみれば人を抱っこする時間も一生でないのだろう。カップルだって町じゃ抱っこできないだろう物理的に。ラオウならともかく。 ふたたびかみさんをむかえに今度は車で外出。中島みゆきを聴かせつつ駅のロータリーでひとを待つ。そんな情操教育は大丈夫なのか幼児?(♂)
2007年11月18日

体調がいまいちなかみさんとムスメを置いて実家へ。 母の筝の演奏会の手伝い。バンドでいうところのローディーである。 山登りのおじさんおばさんが溢れるローカル線にゆられてうとうと。1週間の疲れをうたたねで解消。それにしてもここ最近でいちばん寒い日だ。 いちおう「お師匠さんの息子」なのでスーツにネクタイである。仕事以外で着るとなんだか浮いている気がする。 10時前に駅に到着。父が車で出迎えてくれたのでそのまま会場へと向かう。 小さいころに写生会でふつうに出入りしていた寺だが、あらためてみるとなかなか風格がある。700年の歴史があるらしい。いい値段で庫裏をお借りできることになったので演奏会となった次第。 イスを並べるのを手伝い、手があいたので一度家に戻り父と珈琲を飲む。家族の話から、時事ネタまで。会場の弁当を父がうけとりにいき、二人でお茶をいれて昼食。 12時になったので会場に入る。あちらこちらにご挨拶しつつ、missionの確認。 芝居に比べるとあまりにテキトーな会場受付進行にはらはらする。前日読んだ国際大会の設営に関わるサッカー協会のスタッフのインタビューを思い出す。 日本式はきっちり決めすぎて、変更点があったときに混乱する。欧米式はそれぞれの役割がわかっているのでだいたいしか決めないまますすめてもなんとかなる。どちらがいいとか悪いとかではなくて、文化の違いについて語っていたのだが。 それに従えば欧米式なのか(違)。勝手がわかっているお手伝いの人たちがいるので安心ではあるのだが。テキトーな師匠にはしっかり者がつくものだ。不思議だ。 あちこちの会場の写真を撮っているうちに開演時間になったので外に立つ。入り口がわかりづらいので間違って入りそうなところに立ち、あちらですと案内。 客の中には同級生の親もいる。「あら、北海道じゃなかったの」とか「作家になったんじゃないの?」とか。虚実いりまじる噂がとりあえず挨拶ひとことでリセットされる。こんな会話のときはおそらく私はふぬけた息子顔をしているのだろう。孫ができたひとはもう話したくて話したくてとうずうずしているので話をむけてみる。 お弟子さんの元彼の親と現旦那が鉢合わせ、というのもまたオトナの味わいだ(笑)。 しばらくするとお弟子さんが筝運びをやってと言いにきたので会場の裏へまわる。 はさまっている札には曲名が書いてある。チューニングが曲ごとに替えてあるのでそれにしたがってセットするのだ。 裏側からみる客席はいつかみた風景だ。「お師匠」がここから写真を撮ったら?とさんざん煽ったが「お客さんに音が聞こえるよ!」と断固拒否。 次の曲の筝を運び、前の曲の筝を楽屋まで運ぶ。出番を待つ人たちをみるのもそうだが、演奏している音を裏で聴くのが面白い。客席よりもダメだしがしやすい気がする。 さすがに経験を重ねているせいか、テンポがいい。筝替えも早く終わり、予想よりいいペースですすむ。観客は次の曲に早くいってほしいだろう、というのもある。そんなところで役にたっているだけでもちょっとした充実感。 というより、芝居に比べると音楽をやっているひとは曲間がチューニングやセットで間があくことにあまり怖がっていないことにこちらが驚くのだが。その「間」でなにかサービスしろよ、と私などは思ってしまうのだけれど。 弟子♀共はほぼ私と同世代。幼稚園小学生からのつきあいなので下手すれば20年から30年のつきあいになる。いまだに「ちゃん」よばわりなのはどうよ?まあ地元育ちの哀しさか(苦笑)。 途中住職さんのお話もいただきつつ、廊下をいったりきたりしてなんとか無事終了。 演奏のテンション自体はやはり以前とくらべると見事に練習量に比例していた。生活に追われる歳だからしょうがない。でも経験とこの寺のもつ雰囲気とお客さんが演奏をフォローしてくれたようだ。 集合写真を撮り、客の送り出しを撮り、軽く片づけをして挨拶をして退散。実家でうどんの束をもらって帰宅。 昔お手伝いの人に打ち上げに出てもらえないのを残念に思っていたが、こういうあっさりしたひきあげかたもまたプロっぽくてオツなものだ。心にゴルゴ。そんなかんじ。(♂)
2007年11月17日
産経新聞で桂小金治さんのインタビューが載っていた。 草笛が特技らしい。きっかけが泣かせる。 小さいころ、父にハーモニカをねだった。父は彼に理由を聞いた。いい音がでるから、と答えると父は神棚の葉っぱを1枚とって「故郷」を吹いた。 「いい音ならこれでもでる」 彼は3日間練習した。ちっともでないのでやめる、というと父はいった。 「努力ならだれでもする。辛抱はだれもしない。辛抱の上に花が咲くんだ」 彼は10日練習した。ようやく音がでた。父にいうとすごく褒めてくれた。 しかも朝おきると枕元には新聞紙で包まれたハーモニカが置かれていた。母に聞くと3日前には買っておいたモノらしい。父いわく「あいつなら音がでるだろう」と。 涙がでた。 「人に信じられる人間になろう、と思いました」とは彼の弁。 くー。父凄い。目標をみせて、突き放して、見守って、ちゃんと「果実」を用意して。 凄く段階を踏んで計算されているようだけど、エエカッコシイのいやらしいものではなくて、ほんとに子供のことを思い、見守って、考え抜いたしかけなんだろう。 モノで釣る、というのはよくダメ子育てである話だけど、これは違う。ちゃんと親の足跡が残るモノの使い方だ。 風呂上りの服でさえ風邪を恐れてついせっかちに着せてしまいがちだけど、いい意味での「見守り」ができればいいと思う。 それにしても。 小金治少年を努力する子だと信じることができたのはやはりお父さんもそういうタイプだったのだろうか。自分を振り返ったときに、ムスメが自分に似ている実感があって「努力する子」と信じきれるだろうか?はなはだ自信がない。 っていうか、信じろよ。(♂)
2007年11月16日
特許を多くもっている知人の話。 ある宴席で、それを知らない人が特許自慢をはじめたらしい。「ぼかーね、とっきょといったらねえ!」と小沢昭一口調だったかどうか知らないがとにかく鼻息の荒いこと。宴席でよくある風景ではある。 それはすごい、と知人は静かにニコニコと話を聞いたそうだ。ところでキミはいくつあるの?という話にならなかったのは幸いであった。自慢好きの人だから、そういう話の振り方はしないだろうが。 「さすがに、その話の流れから『ちなみに私は何個ありますよ』とはいえませんよ」と知人は言っていたが。 それを聞いて思ったこと。というより思わなければいけないこと。 私は、話をする相手のことは知っているようでなにも知らないのだ。 それは恐ろしくもあるが、面白くもある。 謙虚であれ、と先人たちがいうのはたぶんそういうことなんだろう。 しかし、思う。 話の流れでいったらたしかにこのやりとりはオトナの対応なんだが。 むきになって自慢しかえすひとのほうが可愛げがないか? 大人の対応というのは底意地が悪いことのような気がする。 見方によっては陰で笑っているといえなくもないではないか。 結論:自慢はくだらないこと限定で、が無難。(♂)
2007年11月15日
スポーツ選手の引退についての興味深い記事を読んだ。 引退原因のほとんどは体力面よりも精神的なものだ、と。よくいわれることではあるが、具体的な引退前の兆候まではあまり聞かない。その記事はそこまで追いかけていた。 ピークをすぎると、他人への関心が沸いてくるらしい。「あいつはここがいいからこれからやるだろう」「ここをなおせばいいのに」豊かな経験からの観点、批評が口に上るようになる。裏をかえせば、自分というプレイヤーへの関心の薄れである。エゴイスティックに完成した(させた)がゆえに、成長の限界を知り、他人の成長を知る。でも認めたくない。じわじわとくる、引退へのカウントダウン。 そんな内容であった。 それは指導者への新たな一歩でもある、とつづく論旨であったが、私は批評をしはじめるきっかけに注目した。 他人への関心は自分への無関心 とはいいすぎだろうが、つい「批評」してしまう己については批判するべきか。謙虚であろうとするなら。 他人を批判するほど、自分の仕事は完成されているのか? まわりをみろ、と簡単にいうが、みすぎていないのか? 第三者的な視点を疑うべきである。それは才能ではなくて、余裕をもっているつもりの錯覚かもしれない。集中力の欠如である可能性もある。 学生時代、冷めてるね、とよくいわれた。今思えばそれはわかったつもりになって、主体的に動かない(動けない)人間だっただけのような気がする。 無我夢中 いまこそ、見直すべき言葉だ。経験はあってもベテランではないのだから。(♂)
2007年11月14日
故ナンシー関は人の話を聞かないで自分の世界に入る(を築く)ひとたちをすべて熟女タレントと呼んだ。それに従えば全盛期のトモちゃんとかもはいるそうだ。年齢性別を問わないらしい。 同じ発想ではないが、おばはん度ランキングというのをつけてみたい。それは性別を問わない。ずうずうしさがありながらぎりぎり笑える存在。怒らせたら失格だ(K点越え)。相手のテリトリーを侵害しつつしゃれですますナチュラルな生存本能。すべて天然であろう。 私の人生の中でいまのところ最高ランクに位置するのは、母の弟子のひとりである。 まだ大学生だった兄が、帰宅して居間のコタツにはいろうとしたらそこには彼女の頭があった。 ぎょえー といったかどうかはわからない。いってはいないがぜひいっててほしい(再現フィルムは要ジュンあたりで)。 当時40代後半。「すやすや」か「すぴー」か“ZZZ・・・”かわからないが、とにかく稽古の休憩時間に頭だけだして寝息をたてる中年女性にびびった兄をだれがせめられよう。たしかに自宅でやっている教室なので厳密に稽古場以外はプライベートもなにもないのだが。上半身だしてうとうとならまだしも、完全に横である。 女のくせに、とかいい歳なんだから、とかそういう説教をはるか遠くにすっとばすインパクト。芸術点・技術点ともにいい線だが、後続が来ない。いまのところぶっちぎりである。 ぜひ、各自他人のうちでの行動を検証されたし。というわけでエントリー受付中↓ というより、いわれないと気づかない指摘事項があるだけで十分資格ありとみた。(♂)
2007年11月13日
朝の電車、ベビーカー連れの母子+友人(妹?)が乗り込んできた。 通勤ラッシュのど真ん中である。 どうやら会話から推測すると浦安鼠島にいくところらしい。まじっすか。各駅停車でいこうよマミー。 あーあ、乗ったよこいつら。 と思ったらベビーカーの3歳ぐらいの男の子が泣き出した。 あわてて降りる3人。 通勤快速をあきらめたらしい。賢いのは男の子だ。 こういう心の会話を読まれたのだろうか。 そして心の狭い大人がオレだけじゃなかったとしたら。 おそらく男の子の耳には「乗るよ」「乗りやがった」「乗ったな」「乗るのかよ」 というおとなどもの声にならない叫び、舌打ちが壁になって立ちふさがったに違いない。 池上遼一先生風の「ゆーらー」とか原哲夫風の「ゴゴゴゴゴゴ」みたいな擬態語が目に浮かぶ。心の渦巻き。 遊びにいくひと専用車両があったらよかったのかしらん。空いてたら腹がたつけど。 でもね、お母さん←っていうかたぶんオレより年下。もう1時間早起きしようね。それでもたぶんこの電車は混んでるけどね。 応援はしません。平日だからね。おじさんもほんとは遊びたいからね。 ・・・ほんとに狭いねオレ。っていうよりオレたち?と周囲をまきこんでみる。(♂)
2007年11月12日
産経新聞の連載「やばいぞ日本」が面白い。 防衛から経済、教育にいたるまで日本の凋落傾向をここ何ヶ月かレポートしている。ほんとうは暗澹たる気持ちになっている。となりのでかい国のハッカー部隊の脅威とか、理科離れがとまらない現状とか。そんなのを毎日読まされて明るい気持ちになれるわけがない。 真剣に選挙には行くべきだと改めて思う。ミンス党支持者は支持する政治家どもに背中にケリをいれてやれ。国を動かす仕事しろって。 珍しく今日は希望がもてる内容であった。現在は上田市に統合された真田町の例で、2年かけて給食を和食中心のメニューに改善し、量もふんだんにすることと地道に子供を絡めて花壇を整備することで非行が劇的に減り、成績があがったという。 中心になった人は神戸の惨劇現場や、福島の親殺しのいた学校現場を視察したそうだ。校門近くで枯れている花をみて子供の心に想いをはせたという。 食育と住環境の整備。いい環境とはなにか?と考えればとくに奇をてらった方策ではない。多くの関係者は「なーんだうちもやってるよ」というのかもしれない。やっているところは多いのだろうが徹底が足りないのだ。 効率という「オトナの論理」を考えず「ほんとうに子供のためになること」という視点からいけばオーソドックスである。その地道な手段をとかく忘れがちになるのは不思議なことだ。 たぶん会社や家庭でもそうだろう。「ほんとうにいいこと」の多くは地味で、すぐに結果がでない。ついカンフル剤を求めて「反則」をしてしまう。必要なのは布石と検証というすぐに目にみえない、農業のような作業だ。ゆるやかな正比例のグラフをずっと見守ることだ。 ゆっくりと時間をかければ、強固な土台になる。急につくれば、急に壊れる。 あたりまえのことをあたりまえにやる。ある種の緊張感をもって地道にコトをおこなう。言うのは簡単だがやるのは意外と難しい。意外とかつての日本の急成長はそんな高い意識の集合体による化学変化だったりするものなのかもしれない。 という国家への想いよりまず自分。(♂)
2007年11月11日
ムスメが最近脈絡なくおっぱっぴーという。 さすがにアクションまではいれないが。よしおは好きだが覚えてほしくない。覚えたところで害はないが。美学の問題である。 家のテレビではお笑いを観せていない(ようつべではみているが)のでどこで教わったかと思う。おそらく保育園でだれかが連発しているのだろう。 成敗。 どうせ教育本などでは「頭ごなしに否定するのではなく、やんわりとお父さんは好きじゃないなと伝えましょう。そしてときには番組をいっしょにみせて感想をつたえたほうがいいでしょう」とか書いてあるのだ。たぶん。 うるせー。 親がかつてドリフやひょうきん族を嫌った感覚というのがこの歳でよくわかる。できれば自分も笑いを弾圧して、こそこそと笑いを観る感覚を覚えてもらいたい。 こんな風にやっていても次から次へと親が嫌がるモノを覚えてくるのだろう。だとすればおもいっきり嫌がり、弾圧してやるのも親心というやつだろう。 というより、親のリアクションを求めてしつこくネタをやろうとするのはやめようなムスメよ。芸人魂ですか。(♂)
2007年11月10日
会社の朝のミーティングの時間がだんだん延びていて閉口している。 以前は朝礼ふくめて20分弱ぐらいだったのが、いまは35分。たかだか10分というなかれ。他社との調整が中心の仕事上9時までにスタートできるかできないかは違うのだ。 言ってる内容にムダはほとんどない。おそらく、原因としてあるのは話し方である。 あらゆる業務連絡を箇条書き風に淡白にすすめればいいものを、丁寧にいおうとして、結果として非常に長いものになっている。メリハリがない。 たとえば社長の予定などは正直どうでもいいわけで、淡々と聞き流させればいいのに、ひとつの文章としてまとめるから助詞が時間を食うのだ。ああ、もう!ですます要らん!といらいらする。 そのくせ電話が入ると途中ででたり。途中ででたりするような程度の内容ならやっている意味がない。会議力などという本があったが、連絡を遮断して話をすすめればそれだけでロスがないはずなのだ。 この時間のこの部署は連絡がとれない。 という常識化をすすめればいいのに。 根本にあるのは、体制が変わりつつある中での部署の一体化へのボスの焦りであろう、とみている。あるいは言葉不足の後継世代(私を含む)への教育への意識か。 はたして、「長くないっすかー」と私ごときが指摘していいものかどうか?言ったからといって出世にひびくとかそういう配慮ではなく。 いうべき位置に自分がいるのか?という資格への懐疑であったり。 やるべきことをやっているひとが発言権がある、とつねづね思っているのだが、社内ではろくに仕事をしないくせに偉そうなことばっかりいっている人がみうけられて。 逆にそれが自分を臆病にするのだ。 だからいうタイミングをはかっている。長いことへの害がわかるなにかがあればいいのだが。 それにしても私の会社の偉い人はなんでみんな話が長いのだ。きっと削られる機会がないからだろう。たとえばサービス業なら相手を飽きさせたら仕事として終わりなはずである。 ・・・などと、文ならいくらでも長くながながと書けるのだけれど。ずるずる。(♂)
2007年11月09日
電車に乗ったら、小学生のガキが3人座っていた。 よくある風景なのだが、頭にきたのは場所が優先席であったことだ。周囲にはとくに社会的弱者はいない。こういうときにいつも戸惑う。 だれも迷惑をかけてないのだから座ればいいのだが、なんとなく腹がたつのってなんだろう。 ひたすら3人ともルービックキューブをおとなしくやっている。おとなしいのはいいことだ。いまどきめずらしくモノ食っていない。 しばらくすると赤いジャージをはおって痛い髪形の母?に連れられて降りていった。ああこの親だからこういう優先席ガキ3連発ということをやっても平気なのね。 ・・・と外見からの偏見満ちまくりで眺める私。もちろん自戒をこめて、自分がいつこの「母」になるかという恐れをもある(言い訳)。 europeではね、とやたらいいまくる趣味はないが、子供の扱いについては結構同意することが多い。簡単にはレストランデビューをさせない、とかそういう人としての「分」みたいなのがあるのはいいことだ。 個人的に座りたかったわけではないが、とりあえず。 通勤退社時間は子供は立て。 通勤退社時間はハイキング老人は乗るな。 働いているひとに栄光と休息を。 ・・・みんなよく文句いわないよなー。いおうよ労働者。鉄道会社への要求じゃなくて社会ルールの問題。 とかいって、将来ムスメは座らせたりして。(♂)
2007年11月08日
自分が仕事でガタガタやっているときに、あきらかにのほほんと遊んでいるひとをみると役職を問わず頭にくる。 キャパせまっ。といいたければいうがいい。自分だって思うぐらいだ。他人が思うのも当然だろう。 せめて仕事するふりしろよ。と日本人的プチファッショな、農耕民族的感性が目を覚ますわけで。それまた仕事へのターボをかけるきっかけにはなるのだが。 そんなある日、社内報に載っていた表彰状の文が目に入った。 「あなたは~して社内の~に貢献しました。よってこれを表彰し」 文章にしてしまえば「え、そんなことで表彰されるんだ?」という戸惑いをうけそうな文。もちろん文章化の問題であって、それ以上に貢献しているからこそ表彰は行われている。 しかし文が自分のツボに入った。ヘンな、というか文章安いなー。 というわけで頭にきたら表彰することに決めた。もちろん脳内である。 あなたは立ち話をして、社内情報の流通の円滑化に努めました。よってこれを評価すると同時にもんたま氏の労働意欲を著しくかきたてた反面教師としてここに表彰状をおくります 北野武は「がたがたいうとお前のブランド着るぞ」と言った。故ナンシー関はそれを聴いて「がたがたいうと大正琴で弾くぞ」というネタを書いていたが。 私はいおう。騒ぐと表彰状の文にするぞ、と。 それともされたいのか?(♂)
2007年11月07日
年季のいる日本語ってある。 たとえば「坊主」だ。 おぅ!ぼうず!勉強してるか? とか。ドラマ(というより映画だ)ではでてくるが実際口にだすのは難しい。私にも甥がいるがさすがにいえない。言ってもうそ臭い。 子供を坊主といいきる確固たる大人の匂い。態度。人生という修行を積み重ねた結果、子供との差が肉体年齢以外にできてきたときにいえるのだろう。 ぼうず。温かみと威厳だ、必要なのは。 福田恒存訳「マクベス」では、マクダフ夫人と別れるときのロスの台詞はこうだ。 坊も元気で!(My pretty cousin, Blessing upon you! ) ・・・もっといえねえって。「しろばんば」かよ。 「お嬢ちゃん」も厳しい。「奥さん」はつかわざるを得ないので練習中だ。 おっさんっぽいって、実はほめことばなのかもしれない。・・・・と、おいちゃんは思うヨ って、これもいえない。うぬー。道は遠いわ。(♂)
2007年11月06日
つくづく自分が執念深いと思うのは。失敗したときに 「あー気にしないきにしない!」 という精神的リセットを数回繰り返すことである。数回繰り返すということはつまりそれだけずるずるとひきずっている証拠なわけで。 見てみぬふり→失敗の実感→見てみぬふり→失敗の実感(前回よりやや弱め) という作業をして切り替えていくのだ。 そういうわけで、いまさら結婚式でうまくしゃべれなかったことを考えてみる。 要は慣れだ。 ・・・といってしまえば終わりなんだが。もうひとつは、これは仕事の考え方といっしょなんだが、言いたいことははやめにまとめるということだ。 テレビやラジオじゃないんだから、多少の「間」はゆるしてもらえるだろう。 言いたいことというしっかりしたゴールにむかって、パスをつないでいく。はやさよりは、しっかりしていることが大切だ。べつに多少とろいやつと思われていいのだ。 ハンス・オフトがかつての日本代表に要求したのは強くて速いパスを確実につなぐことだった。速さを追求した結果あわててミスをするようでは意味がない。自分なりの速さということだ。 ワンセンテンスは短く、はっきりと。 これで私も挨拶上手♪ ・・・だといいんだが。 それよりは、口は遅くていいからはやめに言いたいことをまとめよう。なにも感じない瞬間を日常でつくるな。日ごろから考えろ。 台詞の「間」とは時間をあけることではない。台詞をいおうとしての内面変化が口の動きを邪魔した結果だ。 と書いてきて気づいたのだが、遅く喋ることをなぜそんなに怖がっているのだろう自分。 早く喋れとは親に言われたことないし、友人からいわれたことはあるしそれでも結果として遅いわけだけど。 大切なのはちゃんと喋ること。速さとか、強さとか、そういうテクニックの巧拙は置いておいてちゃんとしっかり喋ろう。ゴールをみろ。 今、どんな気持ちだ? あのとき、「気持ち」の表し方に正解をもとめていたのだろうか。とりつくろって守るものなんてないのに。 戸惑いなら戸惑いでもいいのだ。素直に気持ちを表すって難しい。 ・・・なんか、作文教室に似てるな喋り方分析。そんなことを考える秋。(♂)
2007年11月05日
昨日の酒が残る朝。シャワーを浴びる。最近首のへんがヘンな汗をかきカラダが冷えるのってなに?運動不足か。 昨日のごはんの残りに卵とツナとカレーパウダーを軽くいれ、だし汁をいれて焼き飯。美味。天才かも。ムスメには栗ご飯とおでんをくわせ、自分はチャーハン。 天気がいいので布団を干す。空が青い。 洗濯物を干しつつタイマー録画したビデオを観る。「僕は、ここにいる。~父と子の闘争日記~ 第三話・秋」中学生日記の特別編として重松清企画のドラマ。進路をめぐって闘う親子。父の職場環境。祖父の黙々と働く姿。「親が喜ぶから」と親のいうことを普通に受け入れ進路を決める同級生に動揺する主人公。 リーマンが多い現代社会の悲劇は子供に「労働」の価値やたいへんさが伝わりずらいところだ。子供を認める、と口でいうのは簡単だが子供が子供である部分を指摘すれば育ちはじめたプライドを傷つけることになるのだろう。かといって授業参観のごとく職場をみせても伝わるとも思えないし。むーん。 父の職場での姿がリアル。主人公はもちろんだが、父にも幸せになってほしいものだ。ラストシーン、子供の通学姿をみおくりつつ違う道を歩いていく場面が印象に残った。 白菜と玉ねぎと豆腐で味噌汁をつくる。部屋の床をふき、掃除機をかける。味噌汁をつくるときにチャイルドゲートをあけて侵入するのでつまみだす。ふつうにつまみだすと泣くのでじゃーんぷ!とマリオのごとく飛ぶマネをしてつまみだすと「モウイッカイ」とリクエスト。おいおい。喜ばれているよ。 今日、大月隆寛が書いていた新聞のコラム。「安部→朝●龍→亀●→●尻って、みんな心の病と簡単にいいすぎではないのか?心の概念は明治以降だ」との指摘。 激しく同意。ほんとに病気のひとはいるけれど、すぐ病気認定をされればOK!みたいな傾向ってあると思う。オレもつかいたいもん←おい。 昼食でごはんにのりをつけて小さなおにぎりをつくってだしたらおおよろこび。「おにー」「おにー」と連発。よろこんでいただきなにより。 車に乗せて昼寝をさせる。秋だなあ。そんなほっこりした空気。(♂)
2007年11月04日

後輩の結婚式のためお台場へ。 不思議な縁である。出身サークルのOB会の幹事で出会ったのだがわざわざ呼んでいただいた。こんなこともそうそうない。 途中新宿のロッテリアで癒し系レスラー吉江豊を発見。でかっ。早起きは3文の得だ。 乗換駅にて。こういう風景をみると昔みた未来都市のイメージだなあと思う。 そしてゆりかもめに乗るたびわくわくする自分は間違いなく田舎者だ。 セレモニーを待つ間、先輩とおしゃべり。 神前の結婚式でもドレスでやっていいはずだよなー。 いいんだけど疑われるらしいよ。 なにを? 巫女さんのバイトしていたひとがいうには、着物だと腹を圧迫しちゃうからできちゃった婚かなあ?という話になるんだって。 ふーん。 そんな邪念まみれの巫女さんにお祈りされてもなー。 式はガイジンの神父が仕切っていた。ヘンな日本語と英語のちゃんぽん。不思議な空気に。 ホテルでガイジン神父が多いのって、神前の祝詞みたいなもので「なんだかわけわからんがとにかくおごそかでめでたい」感じをだしたいためじゃないかしらん。それとも「ガイジンのほうがキリスト教っぽいじゃん」というガイジンコンプレックスか。「よーわからんが雰囲気でるから雇っておけ」という理由で採用されたフランス人ウエイターという「王様のレストラン」のネタを思い出す。 ジュピターの演奏あり。義妹の結婚式でも生歌はジュピターだった。結婚式のトレンドですか? 並ぶ際新郎側にいくか新婦側にいくかで悩む。どっちでもいいのだが。 何度観てもバージンロードを歩く父娘の姿はいい。いろんな思いがわずか数メートルの道に滲んできてこちらの涙腺を軽く押す。 外の鐘からゆりかもめがみえるのは面白い。内なるテツ大喜び。聖堂から出て外の鐘の前でそのまま撮影タイムになるのはアイデア。それにしてもフラワーシャワーはうまく撒けない。 披露宴の前に余興のうちあわせ。たかだか数分の小芝居に音響とライトまでいれる無茶な進行。台詞はどうでもいいのだが、「わいわいがやがや」の台詞なき台詞がまったく呼吸があわない。 基本的にこの手の企画は練習時間がないのだからあいまいな台詞は削っておかないとダメだよ脚本担当←あ、オレだよ。 そういうグダグダな状況に不安を覚えつついざ披露宴へ。 この時点では披露宴よりロクに練習をしていないネタが心配であわあわとすごす・・・ってゴメンね新郎新婦。 席の名札をひっくりかえすとそれぞれに肉筆のメッセージ。一億総ワープロ時代に手書きに触れるというだけで気持ちが伝わるというものだ。全員に書いたとすれば凄い。 ふたりのそれぞれの上司の挨拶がよかった。「将来有望」「成績優秀」というありきたりな表現ではなく、職場の顔がみえるようなエピソード。ああいう血が通った挨拶(しかも長くない!)をそれなりの立場になったときにいつでもできるようになりたいものだ。蟹と帆立のガトー仕立て こんなのとか。舌平目のムースリーヌ ソースショロン こんなのとか。牛フィレ肉のポアレ 赤ワインソース こんなのとか。マスカルポーネのドーム仕立て こんなデザートを食いつつ喋る。 司会があらかじめ話には聞いていたがオネエ喋り(顔は水道橋博士風)なのは時代だ。的確なツッコミとリズム。面白いひとだった。撮影のとき「こっちよーん」と彼(?)が声をかけるとみんなが和む風景はおかしい。 結論:場の空気が固かったらおねえことば・・・つかう予定はないが。 全員参加のくじ引きで日本酒があたる。新郎新婦のバカ写真がプリントされている日本盛だ。うれしー(棒読み)。一言挨拶をもとめられておろおろする。 常在戦場 心がけねば。 しかしこの後さらに挨拶で指名され、火だるまにぐだぐだというのはこういうとき使う言葉だ。うえーんこんなときオトナでも絵文字を2つもつかいたくなるというものだ。 さらに披露宴会場からでたらビデオカメラまでむけられたのは困った。アドリブ弱いんだけど。 おたがい、いい意味で相手の期待を裏切ってください、というような話をする(したつもり)。うー。後悔が残ったのであとでブログネタにする予定。 式で呼ぶ人をしっかり選ばなきゃいけないなあと思うのはなにかって出席者に親・親族の顔をみせることだ。自分が歳をとったときにこうなる、というのをみる場になる。あるいはこうやって育ったというのをさらす場である。それだけ裸になるのだ。などと意地悪く考えているのはオレだけだろう。ちなみにそれぞれ明るいお母さんとしっかりしたお父さんであった(偉そうに)。こちらまでほのぼのとする。 逆にこちらもみられているのかもしれないが。 なんとか小芝居(芝居直前出演者が失踪して困った新婦を新郎が救う、というあらすじ)はギャラリーの強力なアシストに助けられ無事?終了。正確なセンタリングをはずしまくるFWの気分を味わう。ひやひや。 2次会で新郎の同期が「乾杯」を肩組みながら歌うアナクロかつパワフルなモノを披露したが、余興はベッタベタに古臭くて単純なヤツのほうがいいのかも←次回の教訓。ネタをやる機会があるかどうかはともかく。 それにしても。 新婦が読む家族への手紙という企画は卑怯だ。アレで泣かないやつがいるだろうか。サービス精神とちょっと濃い目の演出。おふたりの人柄がよく出た場に、ハッピーになって帰宅。ありがとう。(♂)
2007年11月03日
同僚で、茄子が嫌い、というのがいた。理由は「切ったらムシがでそうだから」だそうな。 デザイン的にはわかるが実際少ないのではないか。実際多いのはアレとアレとアレだ←言わないけど。今日つかうひとのやる気を殺いでもアレだし。 そんなわけで。 今日、野菜を切ったらムシがいた。しかも3匹。うねうね。 そんな目にあった日にゃあ件の同僚は野菜嫌いリストに1品加えるんだろうか。 「!」 叫びを抑えつつ必死で対策を練る。 声なき叫びはなにかに似ているなと思ったら夜中に脚がつってとなりに家族が寝ているときのリアクションであった。 口はあうあうしつつも声はださない。しかしとめられない苦痛と寒気というかなんというか。 こんなとき詩でもかければ石垣りんになれるのに。あるいは小説なら志賀直哉か。 うねうね。 動きは非常に高度だ。この動きを人の手でつくろうとするとそれこそ技術の粋がいるのだろう。 この恐怖ってなんだろう。野菜が新鮮である証拠なんだから「はっはっは、こんなところに隠れてちゃだめだぞハニーでておいで」ぐらいの余裕をかましたいものである。 モリゾーがでてくる番組を観ていて、ムシを楽しそうに語るおじさんとかでてくると尊敬してしまう。男親としてはこういう恐怖は子供に悟られたらダメだ。それが情操教育というものだろう。というよりコケンとかメンツというものだ。 速攻で野菜をばらし、仲間をさがし糞がひどいところは排除。食べられるところはよく洗い、カット。 ぜいぜい。 よく、悪にも原因がありますよあれは世間が悪いのですよとかなんとか正義に民主的なバランスをとろうとするひとはこういう作業を日常でやったことのないひとではないか、というイチャモンが頭に浮かぶ。 理屈をすっとばして徹底排除するべきモノは世間にはあるのだ。 などと個人的な憎悪を社会問題にしてみたりして。 腹がたつのは食うだけ食ってフンをしていくことだ。せめて食ったなら謙虚に去っていってほしいのだが。それが仁義というものだろう。コンビニ前に吸殻とラーメンおいてくガキどもを想像してしまう。 ムシ全体にいえたことではあるが。 ああ、ムシごときにおろおろする自分はすっかり都会の人間なのだなあ。 にゅーよーく♪してぃーぼーい♪(PET SHOP BOYS)意味わからん。(♂)
2007年11月02日
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昭和のある思想史の一面、とりわけ「戦争をどうとらえるか」の変遷がわかる。本来学徒出陣の特攻隊員の遺稿集の編集をきっかけにつくられたはずの組織が変質していく姿は面白くも哀しい。 われわれが昭和という時代にケリをつけていないまま放置していることがこの迷走に現れているといっていいだろう。というようなことをいえば二言目には一部勢力は「謝罪」「謝罪」と言い出すのだが謝罪で終わるのか?いつまでたっても外交カードとして利用されるだけだろう。 もっとも、意味を問いつづけている、という浅いカッコイイいい方はできるだろうが。 左翼運動の動きと似ている。学術系の人間がつくる組織の性格なのか。DNAレベルで存在意義を問いつづけることで、存在意義を見失い、やがては本来中心になるべきはずの遺族を「加害者の遺族」として排除していく。精神の純度をあげるつもりが、柔軟な思考を削っていく。敵を探しているうちに自らを傷つけていく。言葉は悪いが内ゲバである。同時代性を無理やりもとうとした結果であろう。 時代性とはもとうとすれば古くなるのだ。 カネにもちだしの部分があるボランティア的性格がそういう外部からの「支配」がはいりこむ余地をつくったのは間違いない。会の経営基盤を守り、拡大しようとしたほうがもしかしたら「遺族の精神」を維持できたのかもしれない。もっともそれはそれでこの手の組織では「商業主義」との批判をうけるのかもしれないが。 集団というものがはらんだ「性格」によっていかに迷走してしまうか?という意地の悪い見方ができる1冊。そして、編集という行為がもつ「原罪」を問われる本。
2007年11月01日
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