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泣くなく、枯れたみかんの木を伐採しました9月29日(土)、台風17号が接近しつつありますが。まだ、この時点では神奈川県西部は、青空です。台風が吹き荒れる前に、草刈りとともに、枯れたみかんの木を伐採しておきました。カミキリムシに加害されて、枯らされたみかんの木がありました。この木は、一昨年までは、かなり優秀な多産的な木だったのですが・・・。台風の風で、折れて倒れることもありうるので、この際、伐採することにしました。主枝をノコギリで切ったところ、案の定です。木の芯にカミキリムシがトンネルを掘っていました。これでは木は養分を送れません。木が枯れるのは当然です。泣くなく、枝切り作業をしました。30年以上の木なので、ノコギリで幹を切るのは大変です。せめて、大きな枝を切りおろしておきました。その根元には、この春に植えた湘南ゴールドの苗木があります。この木くらいになるには、かなりの歳月が必要ですが。とにかく、バトンタッチをめざします。さて、みかんの成熟の状況ですが。9月末のこの時期、早生みかんの小木からですが、徐々に、色づきが始まりだしています。これは、宮川早生の小木です。2005年に植えたものですから、7年目です。これまでは、そして今回も、かなり摘果してきているのですが、今年あたりから果実を試してみようと、枝の一部はそのままにしておきました。これが、当みかん園で一番色づきがすすんでいる所です。成木よりも、小木の方が先に色づきはじめます。枯らされる木と、新たに実をつけだす木。一度木を枯らされると、ここまでくるのに7年はかかるということです。みかんの害虫にはいろいろありますが、カイガラムシやエカキムシ、ハダニなどの場合は、禍害はされても、木自体は生きてますから、手当てをしてマイナスを取り返すことは可能なのですが。カミキリムシの場合は、いけません。これにやられると、木自体が枯らされてしまいます。こうなると、もはや伐採するしか致し方仕方なくなります。カミキリムシへの恨みつらみの紹介が多くなるのは、そうした事情です。ここさえクリアーしていれば、他の被害ならいくらでも取り返せるのですが。
2012年09月30日
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台風17号のくる前に、土手の草刈りを終了しました9月29日、神奈川県西部のみかん園でのことです。午前7時半に八王子を出発しましたが、台風17号の接近していて、その影響が富士山にも出始めていました。いつもなら富士山は、見えるか見えないか、そのどちらかなんですが。これは平塚から見えた富士山ですが、普段は見れない姿です。雲と富士山が、同時に見えてます。その15分後、小田原では、富士山はまったく雲の中に消えていました。さて、本日は草刈りです。これまで先送りしてきたみかん園周辺の草刈り作業です。これまで先延ばしにしてきたので、今日こそは何としても片付けるということです。これがその対象です。みかん園の土手ですが、メヒシバ、ヤブカラシ、シダ、竹、などなどの雑草が、伸びに伸びてます。今年は暦の上では秋口でも、真夏日が照りつけていましたから。周辺の草刈りは、どうしても後回しになって来ていました。ついに9月末になってしまいました。それで、今日こそは、何が何でも、これを片づけます。これが、その労働手段です。要するに、鎌一本です。これを砥石で研いで、切れ味を高めます。そうすることで、草刈りの労力の負担は、大分軽減できます。本日、9時半から約2時間、その労働の成果です。土手ののり面の草刈りが終了しました。左側はお茶の木ですが、荒剪定したものですが、復活しつつあります。その足元は雑草が絡みついていましたが、これできれいに片付きました。土手の草刈りは、土手の上側の責任として、欠かせない作業です。崩落を防止するためにも、土手の管理はかかせません。これで畦畔の草刈りが、なんとか終了しました。全体からして草刈りは、厳密に見れば不十分ですが、体力からしても、限度があり、完璧というわけにはいかないのですが、まぁ、何とかこれで、草刈り作業は、一段落です。台風17号がやって来る前のひと仕事でした。いよいよ、みかんの収穫期の10月に入っていきます。
2012年09月29日
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新撰組の近藤勇の墓がありました東京・板橋区の埼京線板橋駅前に近藤勇の墓がありました。仕事柄、たまにこの道を車で通るのですが、落ち着いてみる機会がありませんでした。9月27日に、たまたまここを通る機会がありました。板橋駅の駅前ロータリーのはじに、それはあります。流山のあたりで捕えられた近藤勇は、そこから江戸へと護送されますが、江戸にはいることなく、その手前の板橋宿で、斬首の刑に処せられます。その墓の脇には、そうしたエピソードを紹介したプレートがありました。その横には、近藤勇、土方歳三、永倉新八、この三人の写真がありました。永倉新八が、この墓を建てたのだそうです。彼は、近藤勇と意見が合わず、新撰組の隊を離れたようですが、明治となり、世が少し落ち着いてからのことででしょうが、新撰組・近藤勇を、逆賊として歴史から葬られるのを良しとしなかったのでしょう。処刑された地に、こうした墓を建てたのだそうです。なかなか簡単なことではなかったとはおもいますが。その墓には、新しい線香と花が、添えられていました。江戸のはずれ、板橋宿には、そうした歴史が残されています。
2012年09月28日
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最新の福祉用具をあつめた 国際福祉機器展に行ってきました9月27日(木)、2012年「第39回 国際福祉機器展」に行ってきました。これは9月26日から28日に、東京国際展示場・東京ビッグサイトで開催されてます。開会は午前10時ですが、その直前の会場入り口です。当方の本業は、介護用具の貸与(レンタル)事業です。普段、日常的に扱っている介護ベッドや車いすの先端品の紹介や、さまざまに多岐多様な介護用具の品々について、その最新で、先端の用具が、一堂に展示・紹介されています。15カ国、548社・団体の20,000点が展示されているとのこと。介護ペットのコーナーを見てみました。介護ベッドを実際に寝て、試めすことが出来ますし、メーカーの人たちが、その特徴をていねいに説明してくれます。車いすでも同じです。座り心地や、重量が軽いこと、足プレートを外せること、…等。新しい車いすが、どこを工夫しているか、説明者が、丁寧に特徴を紹介してくれます。次は、床ずれ対策のエアーマットのコーナーです。会場の一角では、用具の利用の仕方の講習会も開かれていました。介護の用具をどのように選択するか。実際に使用する人の身体特性にみあったものを、どの様に選ぶか。その道の専門家が、わかりやすくお話していました。だれでも、無料で参加できる介護用具の展示会です。それぞれに必要な、多彩な用具を、じかに試せる場ですから、しかも、それを丁寧に説明してくれますから、メーカーも、使用する者も、事業者にとっても、貴重な機会です。従って、午前10時の開会時は、御覧のとおり大賑わいです。毎年、開催されますから、関心のある方はお問い合わせください。主催者のホームページです。http://www.hcr.or.jp
2012年09月27日
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熱海の間歇泉と、オールコックの愛犬の死引き続き「伊豆の旅」の下見をしています。9月22日には熱海市内の大湯間歇泉を見てきました。熱海といえば温泉ですが、熱海駅前には間歇泉と足湯があります。左下が足湯になっています。これは、よくできていますが、観光用につくられた模造物です。この本物は、市街地の中にある「大湯間歇泉」で、それをイメージしてつくったことを、今回はじめて知りました。その大湯間歇泉を見てきました。全体の形はそのままですが、間歇泉はほとんど枯れて、わずかに面影を残すだけとなっています。今は、街中にひっそりとしていますが、関東大震災で枯れてしまう前までは、これが「世界の三大間歇泉の一つ」といわれるほどだったというのです。そして、明治の初めの熱海は、人口もわずかで、「熱海村」だったそうです。その熱海の温泉は、この辺りを中心にしていたというのです。直ぐ前に大湯間歇泉の案内板がありました。今回、地元の旧友が案内してくれたのですが。地元の名ガイドがつくと、同じものを見ても、独り見た時とはまったく違ってきます。独り疲れた目には「まぁ、こんなものか」と、勝手に通過してしまったところを、ほんの一言、二言で、ビシッと歴史の具体的な現実を引きだしてくれました。単なる通過者ではなく、現実を見る目がしっかりしてくるんですね。 それまでこの間歇泉は、ほぼ1時間おきに、湯けむりを大きくあげて、大量の温泉が噴出していたと言います。明治25年ころは1日に6回と、徐々に減ってはいたようですが。それが関東大震災の後は、完全にとまってしまったといいます。昭和37年に間歇泉の復活工事が行われ、現在では4分ごとに3分間、量は少しですが噴出するようになっています。かつて、この大湯間歇泉には、被害者がいました。もう一つ別の案内板がありました。1859年に来日した初代駐日公使オールコックについてです。1860年9月に彼は富士登山をする。それは『大君の都』第20章に書かれています。日英修交通商条約によって、外交使節団は首都での居住と、帝国内をどこでも自由に旅行できる権利を保障されているはずだ。その権利を実際に行使することを要点として、富士登山を実行する。富士山の魅力に引かれていたこともありましたが。そして、実際に富士山の山頂まで登った様子が紹介されてます。この旅行を通して日本社会の状況をじかに見聞することに目的があったんですね。第21章には、その帰り道に、9月17日に熱海に寄ったことが出てきます。そしてここでイギリスから一緒に来た愛犬の「トピイ」が亡くなったことが書かれています。なぜ亡くなったか、それは『大君の都』には書かれてなかったのですが。この大湯間歇泉の案内板でわかりました。この間歇泉で噴出した熱湯を浴びて、大やけどしたことでトピーは死んでしまった。彼は、江戸に帰ってから、石を送って墓石にしたことが書かれてます。そういわれてみると、今は噴出しても静かな間歇泉ですが、かつては、静から動へ、突然に激しく湯けむりを噴出したのでしょう。オールコックも熱海温泉について、「24時間中に6回ないし8回も大きな爆発音をたてて蒸気を噴出させる温泉の大きな通気孔のところに小さな小屋を建てさせた。これは優秀な風呂になった。」と書いています。当時の熱海は、人口約1400人の農漁民が住む「村」だったそうです。オールコックは愛犬を弔ってくれた村民の対応に心動かされるものがあったようです。「日本人は、支配者によって誤らされ、敵意をもつようにそそのかされないときには、まことに親切な国民である」「私は自分が日本にいるのだということを忘れはじめていた」と書いています。同時に、他方では、墓石一個が江戸から熱海に送られて、実際に墓石としておかれるまでに、江戸幕府の閤老たちから大きな抗議があり、やれ許可が必要だとか、条約違反だとか、多くのゴタゴタがあった問題も書いています。彼の『大君の都』は、この富士山への旅行と見聞を詳しく書き残しています。それは全体のごく一部です。幕末の日本社会のありさまを、具体的に観察して批評しています。今回、『大君の都』は、熱海に関連する部分を読み直しただけですが、しかし、なにか現代人の目からみたかのように、幕末の社会生活の様子を観察しています。その全体をあらためて吟味してみることも大事だと感じました。熱海の間歇泉から、問題の広がりすぎですが。
2012年09月26日
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シソの花が咲き、みかん園は最後の草刈りです9月22日(土)、シソの葉の先に、花が咲きだしていました。シソの花を見るのは、今回が初めてです。みかん園のすき間につくった30センチ四方のシソ畑でのこと。赤ジソに、確かに花が咲きだしていました。今年の赤ジソですが、梅干しづくりに使う予定だったのですが、タイミングもずれたし、ほんのわずかしか育ちませんでした。結局、梅干しづくりには活用できずじまいとなってしまいました。もしかして、この花が咲いたことにより、来年は期待できるかもしれません。赤ジソに交じって、青ジソもひと株ですが、咲こうとしています。赤ジソは、それを梅干につかうと、その効能を一段と高めてくれます。赤ジソを加えるのは、単に色合いを良くするためだけではないんですね。昔からの習慣のなかには、暮らしの知恵が織り込まれているんですね。この花により、来年こそはシソが沢山出来ることを期待しているんですが。ひと雨ごとに草木の伸びるこの時期です。一方で、生育が期待されるものもあれば、他方では繁茂に困るものもあります。メヒシバなどの秋草が繁茂しているのは困りものです。9月22日は、熱海市内の旅の下見を終えた後に、午後2時から3時半までの1時間半、全体の一部ですが草刈りをしました。これでも、大分草を刈ったのですが・・・。例年であれば、8月下旬ないし、9月上旬には、この草刈りは終えているのですが。今年のこの時期の暑さは、尋常ではなかったので、先送りしてきたため、これまでのところほとんど手つかずで来ました。今回は、これ以上は延ばせないので、とにかく実施しました。この秋草の草刈りが、みかんの収穫前の最後の大仕事になります。これは早生みかんの木ですが、根周りを草刈りをしたところです。この草刈をしておくと、その分地面の温度が上がるそうで、より糖度の高い美味しいみかんが出来るというんです。したがって、秋草刈りは、みかん栽培の基本的な作業なのですが、今年は、炎天下の作業を避けて、今ようやく手がつきだしたところです。まだ全体の草刈りまでは、とても出来てはいません。みかん園の周囲は、見てのとおりです。これは、次回に草刈り作業する対象です。大きくは、この時期は、果実の生育を、「寝て待つ」時なんですが、それでも、なんだかんだと、みかんの手入れ作業は続いています。
2012年09月25日
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栗ご飯と、ヒガンバナ9月23日(日)は、朝から雨の降る天気でしたが。小田原・早川のみかん園・「だんだん園」から便りがありました。今、栗の収穫と、ヒガンバナが見ごろのシーズンになった、と。http://www006.upp.so-net.ne.jp/dandanen/それで、草取りと熱海を下見した帰りによせてもらいました。これが、「だんだん園」の栗の木です。枝先には、栗の実が茶色に割れだしています。野猿もこの栗を目当てにやってくるそうです。その足元の土ですが、ある部分だけ、掘り返された跡がありました。イノシシの仕業だそうで、ミミズをとるために地面を掘り返した跡だそうです。この日は、あいにくの雨模様で、栗の収穫は出来なかったのですが。当方は、すでに収穫してあった栗を分けてもらいました。その栗を持ち帰って、さっそく炊き込みごはんをつくりました。やった!初めての挑戦でしたが、さっそく栗ご飯をつくりました。季節の食材をつかって、これぞ旬の味です。「なかなか」、いや、たいへんに美味しい栗ご飯ですよ。確かめていただけないのが、残念なんですが。「だんだん園」では、もう一つ、ヒガンバナが見ごろとの便りでした。当方の、真鶴のみかん園の土手にも、ヒガンバナが数本あるのですが。いつもの年だと、秋分の日には真っ赤な花が咲いているのですが、どうも今年は遅くて、注意してみないと見つかりません。まだ、ご覧のとおり、つぼみの状態なんです。神奈川県西部の一帯が、今年は一般に咲きだしが遅いのかと思っていたら、そうではありませんでした。同じ日に、早川の「だんだん園」では、沢山のヒガンバナが綺麗に咲き始めていました。9月23日、小田原市早川のみかん園「だんだん園」の土手に咲くヒガンバナです。紅・白の彼岸花が、咲き始めていました。白いヒガンバナは、観賞用のものとして、特別に球根を植えたものだそうです。ヒガンバナ、別名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)。毎年、お彼岸のころになると、きまって真っ赤な花を咲かせます。いつみても、なんとも不思議な形をした花です。 仏教の曼荼羅にも描かれていたような気もするのですが。まわりの深緑色の雑草の中に、真っ赤な花がひときわ引き立っています。一つの花のように見えますが、実際は一つの茎の先に6つの花が集まったもの。畑の土手や田んぼの畦道に咲いているのを良く見かけますが、それは、ヒガンバナの茎や球根には、毒があるそうで、田や畑をあらす動物や害虫が近づくのを防いでくれているとのこと。暮らしの知恵ですね、あえて生えさせている面もあるとのことです。ヒガンバナは、こちらでは、あと2週間くらいが見ごろでしょうか。
2012年09月24日
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熱海の芸妓見番「華の舞」を見てきました温泉・熱海の街中に芸妓見番「華の舞」があります。今日、9月23日は雨で、そとの仕事はできません。そこで、進路をかえて、この時とばかり、その踊りを見させていただきました。開演は、土曜と日曜だけ、午前11時から30分間です。観賞券は、1,300円。(10時40分までに入場すること、なるべく事前に電話で予約をしてほしいとのこと)会場は、熱海芸妓見番歌舞練場。熱海市中央町17-13 電話0557-81-3575舞台がはじまるまでは、お菓子とお茶が用意されていました。これが、気持ちを観賞モードに切り替えさせてくれました。8つの番組、「湯めまちをどり」が用意されていました。なんとも独特の伝統芸能、日本文化ですね。これを守り伝えるということは、大変なことかと思います。熱海芸妓置屋連合組合は、なかなか粋なことを提供してくれていたものです。歌いも、踊りも、実演ならでわで、じつに綺麗なんですよ。短時間ですが、独特の世界に、しばしタイムスリップさせてもらいました。こうしたことは、昔の映画の中でしか見たことがないのですが。「猫に小判」の、心ない身ではありますが、時にはこうした歌舞を、観賞できるのもさいわいなことです。開演時間からして、見れる人はかぎられますが、当方は、「伊豆の旅」を準備する下見役で、その役得です。熱海にお出かけの時は、一度は見てやってください。
2012年09月23日
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「伊豆の旅」その2、熱海の伊豆山神社9月16日に、伊豆山神社にをたずねました。熱海市伊豆山上野地708番地1熱海駅からバスも出ています。そもそも伊豆半島の地名・「伊豆」は、この伊豆山からとられたのだそうです。「走り湯」のあった海辺から、正面の山に向かって急な石段がつづきます。下の浜から837段の石段を登ったところに伊豆山神社はあります。足腰の弱っている当方には、とても下からは登れません。手抜きをして、途中の648段の市道から登るようにして、それでも189段を登って、伊豆山神社の社につきました。 この伊豆山神社は、源頼朝と北条政子の逢瀬の場として知られています。「縁結び」の御利益があるとのことで、若いカップルなど、願かけに来る人たちもよくあるとのこと。社殿は、何やら修理中でしたが。背後の向きになりますが、帰りの石段を下る時には、相模湾の景色を正面に見ることになります。大海原が広がり、伊豆半島はもちろん、初島や伊豆大島もよくみえます。この伊豆山神社ですが、そもそもは良く分からないのですが。平安時代には「走湯(そうとう)権現」の名で良く知られていたそうです。仁徳天皇の勅願所ともされていたそうで、国の安全をここでも祈祷していた。その後の代でも推古天皇など、六代の天皇の勅願所となっていたとのこと。後白河院のまとめた『梁塵秘抄』があるそうですが、そこでは、「四方の霊験者は、伊豆の走り湯、信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」とされているそうです。多くの山嶽仏教徒や修験者が山に入って修業をつんだ屈指の霊場だったそうです。今でこそ簡素な境内ですが、鎌倉幕府は、「関八州鎮護」の社として位置づけ、多くの社領を周辺の国から寄進していた。当時は、山全体に沢山の社殿があって、3,800人もの僧兵がいたということです。社殿の右側には、小さな伊豆山郷土資料館があります。その中に、小さな絵図が掲げられています。伊豆山の全体に多くの寺が分布していて、当時を隆盛をうかがわせる絵図でした。源頼朝は、平治の戦さに負けて、伊豆の蛭が小島に流されました。彼は源氏の再興を、この社にそのころから祈っていたとのこと。政子との「逢瀬の場所」でもあった。頼朝が平家に対し石橋山の旗揚げした時には、政子はこの寺に避難し、かくまわれていたとのこと。また鎌倉幕府をひらいてからは、頼朝はここを「関八州鎮護」の社として位置づけ、箱根権現とともに「二所詣で」をして、幕府が栄えるように神仏に祈っていたそうです。それにしても、むかしの人は足腰が強かったんですね。ここまで船できて、海岸にある「走り湯」で身を清めてから、そこから837段もの急な石段を登って、伊豆山権現に詣でていたのですから。伊豆山権現の災難は、豊臣秀吉でした。小田原の北条氏も当社を庇護していたそうで、そのこともあって、秀吉は小田原城攻めのときに、伊豆山権現のすべての社を焼き討ちし、一つ残らず焼失させられたとのこと。徳川家康になって、源氏の流れにあるとした家康ですから、300石の朱印領を寄進して、再興したとのこと。もともとこの社は、明治以前は神仏習合なんですね。それが明治維新の神仏分離令が、ここにも大きな改変をきたさせたそうです。この時に、仏教の寺を切り離し、神様だけの伊豆山神社となったそうです。これが大変だったようで、多くの仏像が壊されたり、売り払われて全国に散ってしまったそうです。名だたる伊豆山権現ですが、その割には資料館には、お宝がほんの数点しかありません。そこにあるある仏像も、地中に埋められたりして、何とか難を免れたことのことでした。戦後は、神社制度も廃止され、新たに宗教法人として、今日に至っているそうです。伊豆山神社は歴史がある-それは、心ないものにも、少しは伝わってきました。
2012年09月22日
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早生みかんが店頭にだされる、一袋398円9月21日、東京・多摩センター駅前のスーパーですが、職場の帰りに通ったら、ついにみかんが売りに出されていました。宮崎県産の早生みかんです。1ネットは、800グラムくらいでしょうか、Mサイズで398円。その隣には、極早生のみかんが並んでいました。こちらは佐賀県産です。いよいよみかんのシーズンの始まりです。やはり、気候の暖かい九州地方のみかんが、一足早く店頭に並びました。みかん栽培には、暖かい太陽の日差しが甘さをつくる一番の自然条件です。九州や瀬戸内、四国、そして和歌山、静岡と、温かい南の地方から、順々に収穫が始まりだします。当方の神奈川県西部というのは、みかんの産地としては北限です。こちらでは、気候も低いし、未だ早生みかんも色づきが始まってません。まだまだ、濃緑色のままです。これからです。秋晴れの太陽の光を浴びで、これから色づきだすわけです。神奈川のみかんは、このように、成熟の早さの点では、したがって出回りの早さの点では、九州・四国にはかなわないのです。しかし、みかんの美味しさという点では、負けてません。こちらの方が、完熟すると味が濃くなり、新鮮さ抜群のジューシーな味になります。ちょっと酸味のきいた甘さ、これが独特の美味しさとなります。(手前みそかもしれませんが)味の点では、きっと当方に軍配が上がると思っています。当方の早生みかんの収穫は、10月下旬からですから、あと一カ月先です。それまでは、ゆっくりと南国産のみかんでも、いろいろ試食させていただいたり、当方のみかんが自然に成熟してくるのを観察して、しばしの休養です。こちらでは、早生みかんは、10月下旬から、最初は徐々にゆっくりと収穫が始まりだします。12月には普通温州みかんの収穫も始まります。収穫の山場ともなると、収穫して、箱詰めし、それを出荷・配送する。そのサイクルを毎週、2循環ずつくり返して、12月末までには300箱を終らせる。こういう、かなりハードな収穫作業が間もなく始まりだします。しかし、それがどんなに忙しくても、収穫というのは楽しいものです。草刈りなどの一年の諸々の苦労が、果実の収穫として、結果として報われるのですから。さらに、その味について、率直な批評をいただける、これが何よりの報酬なんですが。さぁ、あと少しです。収穫の時期としては奥手に位置している関東の休日農夫としては、それまでは各県のブランドみかんの味を賞味しつつ、もうしばらく、「果報を寝て待ち」ます。
2012年09月21日
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宮本顕治著作集の第二巻を読みました第二巻は、普通にいう著作とは違います。「公判闘争の記録」、裁判での発言録です。それは、東京地方裁判所の公判で、1940年(昭和15年)4月18日から1944年(昭和19年)11月30日におこなわれた発言記録なんです。これについては、この著作集の刊行を知る前でしたが、紹介していました。2012年3月10日のブログで、「宮本顕治公判記録」(新日本文庫 1978年刊行)を読んだ感想を紹介しましたが、この著作集第二巻は、それとほぼ同じ内容です。この本の「解題」から、状況説明ですが。宮本氏は1933年12月26日に特高警察に逮捕された。警察での拷問や密室での取り調べに黙秘する。34年11月30日に「治安維持法違反、殺人、同未遂、死体遺棄、不法監禁、銃砲火薬類取締法施行規則違反」の罪状で起訴された。1934年12月1日から、起訴状をもとに予審尋問が始まる。それは34年12月1日、36年5月1日、37年8月30日、38年3月18日、7月14日の計5回おこなわれた。いずれも宮本氏の黙秘のうちに、1938年10月10日には「予審終結決定書」が出されて、1940年4月18日から公判裁判がはじまった。宮本氏の健康の悪化により一度は中断したが、1944年6月13日から再び公判が始まる。裁判は、1944年12月5日の判決公判までつづき、結局、宮本氏は有罪、無期懲役とされた。大審院に上告したが、45年5月4日上告棄却され、6月16日網走刑務所へ送られた。(しかし、8月15日の敗戦となった。)第二巻は、この裁判における宮本氏の発言と、公判記録が内容です。裁判での証言は、第一回は1940年に6回、二回目は1944年に15回、行われています。その証言は、一、国家の治安維持法による共産主義や左翼運動への弾圧の不当性。社会の民主的な変革をすすめようとする共産党の活動の必然性と正当性。二、その幹部へ殺人罪をきさせることで、反社会的なレッテルをはりつけ、国民から切り離そうとする特高警察のもくろみ。この二重の「罪状」に対して、入手できる資料とその分析を駆使して、順々に事実をあきらかにすることで、正面から主張と道理を説いた記録です。前回に読んだ時の印象ですが、治安維持法は最高刑を死刑とされましたから、絶体絶命の逆境のもとです。国家体制が総がかりの裁判です。その矢面に立たされての裁判での発言です。弁論で宮本氏は、事実と道理に基づいて、政党の活動の大義と正当性を説き、かぶせられた殺人罪の濡れ衣を一つひとつはらしていきます。逆境の中で命がけ、迫真の弁論に驚かされました。内容は違いますが、同じように不当な歴史的な裁判として、証言のなかでも地動説のガリレオの裁判が引かれています。また古代ギリシャの「ソクラテスの弁明」の裁判、中世フランスの「ジャンヌダルク裁判」などもうかびます。しかし、それらとの根本的な違いは、この裁判では、立ちはだかる壁に、正面からその活動と主張の正しさを、公判で正々堂々と表明していることです。ましてこの裁判があったのは、歴史からすればごく最近のことです。その置かれた状況は、それほど遠くなく感じる面もあります。あらためて、この裁判の議事録を読みながら考えさせられます。同じ原理にたって社会の民主的前進を目指す活動ですが、それが戦前の社会において受けた困難な状況ということを。いったい、戦前と戦後では、どこが違っているのか、政治的に民主主義の制度があるか、無しか、なんですね。戦前の困難な活動が、今日の民主的制度の基礎となっていること。社会を前進させるには、その時代には、その時代ならでわの課題があるということを。それらを考えさせられる糸口ですが。一、何故、宮本氏は、そして共産主義の運動は、戦前の社会において、罪人とされ、迫害・追及されなければならなかったのか。しかも、12年も監獄にとらわれ、無期懲役とされなければならなかったのか。二、宮本氏の弁明は、予審の罪状の根拠を一つひとつ崩していきます。その裁判は11年間も続けられてます。罪状の論拠は崩されても、それでも判決は無期懲役とされます。「公判調書」というのは、実際の発言のままを伝えていません。当局が作った発言の要点筆記です。それであっても、それを読めばわかるように、事実は明白です。この判決は、そうした公判調書からしても、公正にみたときに正しいといえるのか。三、この宮本氏の証言記録が残されたのは奇跡的です。司法当局は、この裁判記録を空襲の時に持ち出さず、焼失させてしまった。控えを残しておいたから、今日見ることが出来る。そもそも宮本氏の生存も奇跡的なことです。拷問をはじめ長期の監獄の劣悪な下で12年も、生死の境をさまよったこともでてきます。さらに厳寒の網走刑務所へ無期懲役で送られたのですから。その人物の存在も、証言記録も、今日に伝えられているのは、奇跡的な幸いです。四、結局、宮本氏が拘束を解かれたのは、日本の敗戦によって治安維持法の体制が廃止されたこと、それによって政治犯の無罪放免・釈放の措置でした。連合軍による日本民主化の指令によってでした。現行憲法を前提すれば、戦前の軍国主義の政治制度を、治安維持法を廃止することは、当然のはずだったのですが。五、こうしてみると、戦後民主主義の社会に生きているものが、その民主主義が、先人のどのような努力の上に現在あるのか。その戦前の苦闘を今日的にどう評価するか。それはまだ充分に評価されていないと思うのは、私の思い違いでしょうか。現代人が今日でも負っている課題と感じています。今回読み返してみて、「宮本顕治著作集 第二巻」の公判記録は、そうした日本社会の変化と、人間の主体的な努力の重なりが、記録されていること。今日的にも、それは貴重な意義もっていることを確認しておくことは、やはり大事なことだと感じています。
2012年09月19日
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東京・稲城市産のぶどうをいただきました9月18日、美味しいブドウをいただきました。東京でも、美味しいブドウがとれるんですよ。「高尾ぶどう」といい、説明書によると、「巨峰」から改良されたものだそうで、種なしで大粒、甘くておいしいブドウです。稲城市あたりは、りっぱな梨もとれるんですが。ぶどうもまた、さすがの作品です。この「高尾ぶどう」は、稲城市の特産だそうです。JA東京みなみの中の、稲城市高尾ぶどう生産組合でまとめているようです。おそらく、これは「逸品ぶどう」です。山梨県などの名だたるぶどうの産地とは、生産規模がちがいますから、流通の範囲が限られていると思います。まして、この見事な出来栄えですから、都下の一般の消費者のもとまでは、なかなか届かないと思います。この美味しい味に接することの出来る人は、やはり限られていると思います。さっそく、いただいてみたのですが、あまくて、大変美味しい。さすがです。形も綺麗だし、すばらしい高級なぶどうです。ちょうど鮮度も成熟度もよく、今が旬の味でした。東京の農家が、丹精してつくった「高尾ぶどう」です。その出来栄えは、すばらしいもので、脱帽です。いよいよ秋、果物の美味しい季節の始まりです。
2012年09月19日
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いよいよ、みかんのシーズンが近づいてきました9月16日の神奈川県西部・真鶴のみかん園からです。いよいよ、みかんの果実が大きくなりつつあります。これは早生のウンシュウミカンです。 みかんの木の全体を撮ろうとすると、果実の様子がわかりません。枝先の果実を写してみました。早生ミカンが、大分大きくなってきています。早生のウンシュウミカンは、当方では11月初旬から収穫が始まります。あと一ヶ月後、もう少しです。今年のみかんの出来具合は、全体としては裏年です。早生みかんも普通温州みかんも、ともに裏年です。カミキリムシに木が枯らされたこともありますが、去年に比べるとみかんの収穫量は、大分減ります。したがって、去年に比べて出荷量は減らすように予定しています。みかんの木の外見、早生も普通温州も、その違いはほとんどわからないのですが。次のみかんは、フツウウンシュウミカンです。フツウウンシュウミカンは、12月初旬から収穫が始まります。当園では、この普通温州が中心なんですが。次の木が、そのフツウウンシュウミカンの木です。早生みかんも普通温州みかんも、果実の色は、まだ濃緑色をしています。それがこれから変わっていきます。これから、秋の日差しと、朝晩の冷え込みによる温度差によって、みかんの果皮が、黄色く、さらにはオレンジ色に色づきだします。太陽の日差しを受けて、赤く輝いて見えることもあります。みかんの成熟ですが、果皮の色づきが、みかんの成熟の印の一つです。しかし、色の変化に誤魔化されないように注意しなければなりません。やはり、最終的な成熟の判断は、何といっても味です。みかんの糖度が、12度以上になった時が収穫の時です。この収穫のタイミングが、美味しいみかんの分かれ目、一年の苦労が、画竜点睛を欠くかどうか、その分かれ目です。今、八百屋さんの店頭には、温室みかんが並んでいます。これから、九州や四国の暖かい地方の早生ミカンが出回りだすはずです。土地柄の温かさは、早い時から楽しめますから、みかん栽培に有利な条件です。一方、神奈川県西部は、みかんの産地としては北限の地域です。その分、そのみかんが出回るのは少し遅いのですが、しかし、なんの、なんの。それのみかんは、酸味のきいた甘さと、とてもジューシーなのが特徴です。かなりおそくまで、正月くらいまでも楽しめるのも特徴です。(もっとも、最近は、中・晩柑のみかんもでまわりますが)なかには、「これぞ、昔ながらのみかん」と、それこそを楽しみにしてくれている人もいます。当園も、これから11月、12月は、忙しくなりますよ。はじめチョロチョロとしたスタートですが。最後には、ネコの手もかりたくなるような大忙しになります。それが、毎年恒例のこの時期のみかん園です。今の時期は、いわば「嵐の前の静けさ」です。みかんの成熟する様子を、しっかり観察しつつ、あせって、早やもぎをしないように、気持ちを抑えて。果報を寝て待っているのが、いまの時です。
2012年09月18日
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「伊豆の旅」、その1.伊豆山の「走り湯」当方は、毎年に一度、グループでそれぞれの郷土・名所を旅しています。当方は、普段は、みかん園を往復する以外には、ほとんど旅行などはないんですが。毎年、この旅を楽しみにしていて、唯一の「ディスカバージャパン」です。今年は8月に、「越後路の旅」を案内してもらいました。つもは便乗して、くっついていればよいのですが。その来年ですが、「伊豆の旅」となり、当方が案内をつとめることになりました。「伊豆」ですが。真鶴と伊豆半島は、地図上ではすぐ近くなんですが、箱根山を境にして、東の神奈川は、東京方面に目と足が向いていて、西の静岡県側とは行き来がかなり疎いんですね。私なども伊豆方向については、ほとんど弱い地域なんですが。しかし、この機会に、あらためて伊豆の歴史と観光を探ってみることにしました。これから、一年後のツァーの実施まで、時々伊豆半島を調べてみます。その下調べ、今回が第一弾です。その第1回は、伊豆山温泉の「走り湯」です。9月16日に、訪ねてみました。ここは、神奈川県と静岡県の県境の、神奈川側の湯河原に対して、静岡県側の熱海市で、「伊豆山の走り湯」は、すぐ隣にあります。海岸に山が迫っていて、海岸のすぐ近くにあります。山に10メートルくらいの横穴を掘ったものですが、これが伊豆山温泉に源泉を供給する取水口になっています。なかでは、ゴボゴボ、グツグツと源泉が湧き出しています。70度の温泉が、毎分170リットルで噴出しているとのことです。坑道の中は蒸気でムンムンで、まるでサウナ風呂のようになっています。ここは、以前にも、その様子を紹介したことがあります。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201203150000/伊豆といえば熱海、熱海といえば温泉ですが。さすがに熱海温泉で、海岸沿いを中心に、沢山の立派な旅館が立ち並んでます。しかし、その温泉が地中から湧き出しているのを、熱湯が噴出している様子は、なかなかじかには見れ無いのですが、「走り湯」は、その様子をみれる場所の一つです。「走り湯」、すごい名前ですね。走り出た温泉が、海に流れでていた。坑道口の向かいには、昔の伊豆山温泉の写真が展示されてました。豊かな源泉を何本もの樋をつかって、海に流している様子が残っています。さらにその昔は、源泉が「走り出て」、海に流れ注いでいたといいます。今はビーチラインの道路ができて、海岸線の様子は変わっていますか。いまでも、その面影は容易に想像できます。また「熱海」という地名も、誰が名づけたのか、これもすごい。昔は、この辺りは路も不便な寒村のはずですが、その海岸線は温泉の熱で熱かったのでしょうね。「走り湯」をみると、なるほどと感じさせられます。
2012年09月17日
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ニンニクを2個、植え付けました9月16日(日)、朝の富士山です。小田原PAからみたものです。去年の残雪は、ほとんど消えました。それもそのはずです。前回、9月12日の朝、富士山の頂上付近に、うっすらと雪らしきものが見えました。やはり、その日に地方気象台から「今年の初冠雪を観測した」と発表がありました。当方の写真からの予測は、ズバリ当たっていたわけです。平年よりも18日、去年よりも12日、はやい初冠雪だそうです。今年は残暑が厳しい。その分、季節の変化が急速になるかもしれません。しかし、富士山は初冠雪があったとしても、まだまだ残暑は厳しく、日中の日差しも厳しいものがあります。冠雪は、出来たり、消えたり、しばらくは一進一退がつづきます。今日、9月16日、今日も午前9時になると、真夏の強い日差しです。今日の畑仕事は、ニンニクの種球根を植え付けしました。ブログの知人から勧められたんですね。食材用にとってあった市販のニンニクをつかって、その2かけらを、食べずに種球根として植えつけることにしました。地面は、雨がほとんど降ってないので、見ての通りカラカラ状態です。ラッキョウ畑の中ほどに、ニンニクを2個を植え付けしました。以前にもニンニクは栽培したことがあるんですが、1回目はまずまずだったのですが、2回目にして不作となりました。連作を嫌ったのか、土が痩せていたのか、球根が良くなかったのか、後の手入れが不十分だったのか。問題は不明なのですが、ラッキョウくらい大きさの出来となりました。ニンニクの栽培期間は長い。ラッキョウと同じくらいで、収穫は来年の6月くらいです。比較的に、手間はかからないとのことですが。長い分だけ、不作だとガッカリさせられます。それで、断念していたんですが。まして、みかんが、これから忙しくなりますから、かまってはいられないんですが・・・。せめて初めだけは、ということで、水をたっぷりと撒いておきました。ついでにラッキョウにも、水撒きしておきました。みかんの方は、いよいよ1か月です。1ヶ月後の10月下旬から早生ミカンの収穫が始まりだします。みかんの収穫は、はじめはゆっくりですが、その内には、ネコの手も借りたくなるように全速力になります。もっとも、いまのところは、「果報は寝て待て」ですが。
2012年09月16日
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枯れたみかんの木を植え替えして、新たなみかんの木が復活しました当方の、休日みかん農夫が始まってから11年が経過しました。みかん園を維持していく上で、木の植え替えが必要となる場合があります。とくにカミキリムシに加害されて木が枯らされてしまった場合です。成虫が木に卵をうみつけに来る7-8月は、とくに要注意です。私が管理しだしてから、すでに7本くらいは枯らしています。全部で27本の中の7本といえば、かなりのダメージです。枯らされた木の隣には、あらたに苗木を植えてます。新たに植えた苗木が、それなりに実をつけるようになるには、5年はかかります。収穫をあてに出来るようになるためには7年くらいはかかります。1度みかんの木を枯らすと、それを復活するには10年がかかるということです。今回、希望の木が誕生しました。宮川早生の小木です。2005年2月に、枯らされてしまった木に代えて植えたもので、7年生です。そこそこに、自家消費分くらいの果実をつけてくれるようになりました。みかん園をつくっていくには、10年先をイメージしていく、ということです。ところで、東海道線で小田原を下ったあたりから、南側に海と、北側にはみかん園が広がりだしますが。なかには荒廃したみかん園も目に着くのではないでしょうか。山の傾斜地でのみかん栽培は、機械化も多くは出来ませんから、身体一つが資本です。ただみかん畑を上り下りするだけでも大仕事です。働き手の高齢化がすすみ、果実の輸入自由化がはかられて、農家が生産意欲をなくしたり、後継者がいなくなるのも、今日の社会的な条件から、当たり前です。神奈川県の西相地域のある地区の耕作面積と、放棄荒廃面積のデータがあります。 2000年 2005年 2010年経営耕地面積 98ha 87ha 79ha耕作放棄地面積 31ha 40ha 45ha経営+放棄地 129ha 127ha 124ha放棄地比率 24パーセント 31.5パーセント 36.3パーセントこの数字は、現実に目にする現象を、10年の歴史的傾向として示しています。「農業を振興する」と耳良い言葉を、民主党政権は約束するのですが、実際にすすめてきているのは、TPPであり関税の完全自由化です。5-4ないし5、この算数が、1ないし0ではなく、どうして7や8になるのか。小学生にも分かるように説明してほしいのですが。説明出来っこありません。でたらめだということです。国民生活の基盤をメチャメチャに壊して、一部の人の儲けに差し出す。その裸の王様は、しおらしいポーズをとりつつ、国民の悲鳴を蹴飛ばしていく。「そこのけ、そこのけ」と。これが、いままかり通っている姿です。代表選挙をいくらしたって、この裸を指摘できずに、国民反発を避けて推進を競うだけ。これまでもそうした構図だったけれど、それを、さらに大仕掛けで突っ走ろうとしている。そんな手練手管が通じるのか。10年先のまともな暮らしを探ろうとする人たちは、大きく力を合わせて、この勝手放題を正すでしょう。歴史の変化というのは、目前の動きの総体です。
2012年09月15日
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湯河原の老舗・伊豆屋さんの露天風呂です9月12日は、みかんの小木へのハダニ対策の散布が主な仕事でした。その際、8月25日に植え付けしたラッキョウでしたが、その15分の11、つまりほとんどが発芽しだしているのを確認しました。朝晩は涼しくなってきたのですが、午前9時くらいには、残暑が厳しくて、真夏日になります。農作業は、早朝を仕事時間としています。午前10時には、すべての作業を終了にしました。遠路80キロを出かけてきたのですから、それだけで帰途に就くのは、わびしすぎます。それで、湯河原温泉に移動したのですが、いつもの「ままねの湯」は、温泉設備の清掃日ということでお休みでした。さすが湯河原の温泉です。配管などが、成分の塩化カルシウムの白い結晶で詰まってしまうんですね。定期の休みとは別に、変則的ですが、清掃日があるんです。お目当ての場所がお休みだからといって、しっぽを巻いて、そのまま帰ってくる・・・・、そこは湯河原ですから、そんなことはありません。そこで、今回は、その隣の老舗・「伊豆屋」さんを利用させてもらいました。伊豆屋さんは、湯河原温泉の老舗です。玄関の風格が立派です。そして、ここは露天風呂が自慢なんです。天然のかけ流しです。立ち寄りで、入浴料が1000円です。もちろん、源泉かけ流し。貸切の、独りでこの露天風呂を独占させてもらいました。静かな山里の中に、しばしのんびりしたくなるのも、この景観からして、おわかりいただけるとおもいます。しかし野暮なのは、蚊です。少し秋めいてきたので、さほど気にならなくなりましたが、油断していると、飛んで火にいる夏の虫となってしまいます。夏の時期は、群馬の宝川温泉はアブでしたが、ここは蚊がでます。さすがにこの時期まで来ると、蚊も少なくなり、動きも鈍いので、さほど気にせずに、温泉を楽しむことが出来るようになってきたのですが。それでも、要注意です。当方は警戒して、刺されることはありませんでしたが。まったく、無粋なやつです。とにかく、昨日はあわてさせられましたが、写真の機能が、なんとか回復してくれたようです。
2012年09月14日
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ラッキョウのほとんどが発芽し出しています8月25日に種ラッキョウの植え付けをしました。ラッキョウの畑は、5個×3列の15か所、1平米くらいの菜園ですが。それから約3週間が過ぎました。9月12日に、発芽状況を調べてみました。これまでに、1つ、2つ発芽しだしているのは、気が付いていたのですが。この夏の残暑は、例年になく厳しく、土は乾燥しがちなんですが。どんな影響が出るか、心配していたのですが。9月12日に水撒きをしながら、発芽状況を調べてみました。すると、よくみると、すでに11か所くらいが発芽しだしているのがわかりました。15か所くらいの植え付けですから、ほとんどの箇所で、芽が出だしているということです。鳥取砂丘は、ラッキョウの産地として有名ですが。さすがに、砂丘などの条件でも育つ作物です。当方は、みかん園のすき間につくった菜園です。ほとんど手入れもせず、放ったらかしの状態だったのですが、ラッキョウはえらい!お粗末な手入れであっても、この夏の尋常でない暑さと、雨のない水不足の状態でも、そうした諸々の条件をモノともせずに、植え付けしたほとんどの箇所で、新芽を出しはじめています。これからの生育が楽しみです。(今回、写真ソフトに、何かトラブルがおきているようで、写真が掲載できなくなっています。あしからず)9月14日、とりあえず写真が使えるようになりました。やれやれ。
2012年09月13日
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富士山と、みかんの秋枝の発芽朝晩は大分涼しくなってきました。南関東は、9月1・2日以来、夏日にもどっています。まとまった雨がありません。9月12日午前8時少し前、小田原PAから見た富士山です。今回も、雲は見えますが、まとまった雨を降らせてはくれない天気です。富士山の頂上付近を注意して見ると、秋の気配でしょうか、昨夜でしょうか、薄く雪が降ったようになってます。冬の残雪はほとんど溶けてしまっていて、ノの字くらいに残るだけになりました。それらはいずれも肉眼では、ほとんど分からないのですが、こうして写真をアップしてみると、そうした様子の発見があります。(夜、午後6時台の首都圏ニュースによると、これが「今年の、富士山の初冠雪」との報道がありました。)さて、今回のみかん園行きですが、前回に見つけたアカダニの繁殖、その駆除を目的としたのですが。前々回に、アカダニを見つけたスダチの葉です。本来なら葉は、鮮やかな緑色をしているはずですが、ハダニ(アカダニ)により禍害された葉は、まだらな黄緑色に変えられてしまいました。葉の養分が吸い取られてしまったためです。早めに見つけたので、部分で加害を止めたのですが。とにかく、ハダニを見つけたら、広がる前に早めに駆除しなければなりません。そうしたことで、他の小木の葉をチェックしたのですが。涼しくなってきたせいでしょうか、大きな動きはありませんでした。これは湘南ゴールドの小木ですが、今回新発見がありました。その枝先に、秋枝が発芽しだしているのを見つけました。葉の緑が鮮明で、秋枝の黄緑色が引き立ちます。全体としては、まずまず順調に生育しているようです。今年は、9月も半ばというのに、日中の日差しは強く、真夏日のようです。陽気が暑いと、害虫たちの活動も活発です。この柔らかい秋枝が、害虫たちの絶好の餌食になりがちです。今はとくに、ハダニが繁殖しないように注意し、今日は、小木を対象に、5リットルだけ散布をしておきました。
2012年09月12日
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農業問題の夏期講座の後は、大平台の姫之湯です9月9日(日)、農業関係者の学習会は、午後5時過ぎに終わりました。遠路、箱根・大平台まで来たからには、ただでは帰れません。大平台の温泉・姫之湯に、立ち寄らせてもらいました。日曜日も、午後5時を過ぎれば、昼間の喧騒もどこえやら。夕暮れの大平台は、いたって静かな町にもどります。この姫之湯も、時々休養するときに利用させてもらってます。江戸時代の箱根7湯は、今は17湯に増えてますが、大平台温泉もその一つです。ここは湯量が豊かなんですね。それに、姫之湯は、比較的に浴槽温度が高いんです。源泉温度は、67.7度とのこと。観光客一般になじみやすいように、多くの温泉の浴槽温度は42度位かと思います。それに対して、ここは、44度くらいでしょうか。ある程度高めに設定されている浴槽温度です。なれると、これが疲れを取るには、より適当なんですね。仕事帰りの常連さんも、観光客に交じっています。帰りは、午後6時くらいだったでしょうか。夕暮れの早い大平台駅に、登山電車が下りてきました。涼しく、そして静かな大平台駅は、レトロな感じがただよっていました。この時間になると、登山電車もすいています。箱根温泉を、日曜日の大勢の人たちの中で、楽しみもまれた観光客の人たちです。昼間は混み合う登山電車も、この時間ともなれば、見てのとおりです。今は、ゆったりと、のんびりと、居眠りでもしながら家路につくところです。それにしても明と暗、静と動。今回の学習会は、亡国の政治に怒りを高めさせられましたが。いつもいつも憤激ばかりしては、血圧があがっちゃいますから。学習の後のひと時は、大平台の温泉で疲れを流すようにして、明日への英気をやしなってから、家路につくようにしました。
2012年09月11日
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TPPと神奈川の農業、学習会に参加してきました9月9日午後、箱根・大平台で、学習会がありました。神奈川県の農業関係の人たちの学習会です。学習会の前に、一つ予定がありました。一足早く行って、箱根登山鉄道の一つ手前の、塔之沢駅で下車しました。これが、駅前の景色です。ここまで来て、もちろん温泉を利用しない手はありませんから。塔の沢の上湯温泉です。しかし、今回の主題はTPPの学習会です。『環太平洋連携協定(TPP)をやめさせる重要局面だから、この学習会にぜひ参加してほしい』、と知人から声がかかってました。当方も、ささやかな規模ではありますが、みかん栽培をしています。その知人は、同じみかん農家ですが、専業的に営んでます。その声には、負っている責任の大きさを、感じさせるものがありました。当方ごときが参加しても、大勢には影響ないのですが。農家の生の声を聞くことも大事だと思い、参加しました。とかく農夫は、自然を相手に日々悪戦苦闘していますから、このくそ暑さの下での草むしりに汗を流して、カミキリムシやエカキムシ、ハダニなどの病害虫とのとの喧嘩の最中ですから、はたして全体力のどれだけを、TPPなどの社会的問題にさけられるでしょう。当方のそうした状況とは裏腹に、かなり大勢の真剣な面持ちの人たちが、会場の席をうめていました。当方にとっては、このような場は初めてだったのですが、今回の学習会のテーマは、1、切迫するTPPの問題点。農業・国民を犠牲にして、ひた走りしている野田内閣。2、神奈川県西部での農業振興のための様々な努力。などで、たいへんリアルな中身の講演があり、農家の人たち切迫した状況が、具体的で、深刻な問題になっていることを、聞かせていただきました。たとえば、このTPP協定では、例外なく関税をゼロにするとのことですが、コメ一俵(60キロ)の生産価格は、日本の14000円に対しアメリカは2000円。日本の水田耕作と、アメリカの何十haもの大農場とでは、生産の条件がまったく違う。それの前提を一切考慮することなく、関税ゼロで競争させようするわけですから。「日本の農業を崩壊させることになる」というのは、誰が見ても明らかです。とうぜん、国民各界の多数が反対している。なのにどうして、野田内閣は締結に向けてつきすすもうとしているのか。たんに農業だけでなく、食料全般、医療・共済や国民健康保険、公共事業・・・等々。国民生活の広い分野が、外国資本に明け渡されようとしています。アメリカの多国籍企業と日本の大企業の、一部の人たちのもうけのために、国民の生活と権利を守ってきた仕組みを、壊して明け渡たす中身だということです。これをどうとめるのか、この問題が中心でした。ほかにも、この神奈川県西部の農業問題。みかん園の放棄化の傾向がすすんでいること、これに対する、当地で努力している振興策の様子など。大きな日本の問題から、地域の問題まで。農業関係者の声というのは、これまで聞く機会がほとんどなかったのですが・・・。この学習会は、多くの耳新しいことが聞けたし、社会的意識を刺激してくれて、当方にとっては、地域の農業の様子が見えてくる学習会となりました。
2012年09月10日
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これがハダニ(アカダニ)です9月8日、みかん園を見回りしてみました。ミカンは全体としては、順調に生育しつつあります。これは、早生ミカンです。一番綺麗に見えた果実です。つけ過ぎた実を何個か摘果したのですが。摘果した早生の実は、その果汁をしぼったら、すでに少し甘みも感じられるところまで来てました。しかし、収穫はまだまだ先です。果皮も色づき、甘みも増してから、10月下旬からです。小木の夏枝を注意して見ています。虫たちの禍害の対象になりやすいんですね。これはポンカンの小木です。エカキムシの禍害を、このポンカンの木で気がついたのですが、気づいた時は、すでに後の祭り、ほとんど全体を加害されていました。若葉であるべき葉が、見ての通り老化して生気を無くしています。これでは、今年の木自体の生育が、かなり妨げられてしまいました。今回、植えたばかりの湘南ゴールドで異変を見つけました。遠くから見ると順調そうで、まずまずの枝ぶりに育ってるのですが。近づいて、その葉を見たところ。葉の表面に、小さな赤い虫が繁殖しているのがわかりますか。これがハダニ(アカダニ)です。小さいので、注意して見ていないと見逃してしまいます。前回は、スダチの葉にいるのに気がついて、それはピンポイントで、すでに防除したあったのですが。まわりの木でも繁殖していたということです。ハダニも、陽気がこう暑いと、繁殖しやすくなるということです。葉の養分を吸い取って、繁殖しますから、防除の重点対象です。しかし、すでにこの時点で暑くて、暑くて、汗びっしょり。駆除の作業は、次回の課題としました。
2012年09月09日
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菜園の方の水不足は、一息ついたけど9月8日付の新聞記事によると、9月7日現在、首都圏の水がめの中心の一つとなっている利根川水系の8つのダムですが。その貯水量は、合計で40パーセントまで下がっているとのこと。このまま雨が降らないと、9月11日から10パーセントの取水制限を実施するそうです。この8月20日、新潟と福島にまたがる奥只見湖を見る機会がありました。奥只見湖の水力発電の方は、首都圏にも電力供給されているとのことですが、飲み水の方はどうか・・・、それは確かめることは出来なかったんですが。湖水の遊覧船にのって、まわりをみると、湖岸の岸辺には、土が顔を出していた。貯水量が下がりつつあることは、確かです。気になって、関係者に聞いてはみたのですが・・・。そうした大きな問題とは違って、これは当方のミニ菜園でのことです。それは神奈川県の西部にあります。みかん園のすき間にあるミニ菜園です。9月1日、この時は、この夏の暑さと、水不足がつづいていたため、シソはカラカラでヘナヘナ、完全にヘタっていました。人工的に水撒きをすることはしていたのですが、人為的なことなどは限られています、まったく焼け石に水の状態でした。しかし、今は季節の変わり目です。日中は、未だやけに暑いのですが、朝晩は少し涼しくなりました。そして、9月1日から、今日8日までの間に、雨が少し降りました。今日見たら、このお湿りによって、シソがみごとに生き返ってました。いかに水が貴重であるか、自然の力が大きいかを、このシソの変化、甦ったことが、しめしています。自然の力というのは、やはりすごいものです。当方も、自然の力を借りようと、一応は、ささやかな工夫をしています。雨水を、大きなポリバケツにためようというのです。古老の方のアドバイスによるものですが。9月1日の雨が降る前には、この容器の水は、ほとんど底をついていたのですが、それが今日、9月8日には、水が満杯になっていました。自然は大きな仕事を、いとも容易にやってくれます。もちろん畑全体が、この雨で潤うことが出来ましたから、一息つきました。地面が水を含んでくれていました。したがって、今は、このたまった雨水を使う必要はありません。これは、今後の渇水した時に使うための予備です。やれやれです。とりあえずは、この渇水状態は、みかん園とミニ菜園では、解消されていました。問題は、東京都民です。東京都民は、数日前のシソの状態のはずです。秋雨前線が北から南へ下ってきてくれること、その雨が、利根川などの水源地に降ってくれること、これが、東京都民としては、一番望まれる所です。
2012年09月08日
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『宮本顕治著作集』第一巻をよんで(その2) 8月22日にすでに第一巻を読んで、その感想を紹介しました。それは通読したくらいだったんですか。今回は、その続きで、いろいろ関連する著書にもあたった結果です。一、2012年7月「宮本顕治著作集」第一巻を手にして、とにかく通読しまた。第一巻が対象としているのは、戦前に刊行された著作の中から選ばれたものでした。1929年から33年までのものでした。そもそも、私にとってプロレタリア文学は、代表的な2、3の作品は読んでいましたが、ほとんどは読めていないし、まして文芸評論については読んでいませんでした。だから、はじめて接することから、「かなり昔のもの」との印象がありました。まず、日常の読書の対象としては問題にならない、疎遠なものだったのですが。今回、通読してみて、芥川龍之介の『「敗北」の文学』、片上伸の「過渡時代の道標」は、それぞれの歴史的な位置を明らかにしており、今でも新鮮で参考になるし、紹介になっているものと読めました。その他の作品は、ほとんど今回はじめて読むものですから、疎遠な感じがしていたのですが・・・。ここでは、1930年前後のプロレタリア文学を、さらには当時の文壇の文芸作品を、その当時の社会の中で、どのように評価するか、その評価の基準が問題になっています。それは今から80年も前のこと、過去の歴史にぞくするはずのものですが、ところが今回読んでみると、あまり古くないんですね、かなり新鮮に読めました。そこには秘訣があったんです。「宮本顕治文芸評論選集 第一巻のあとがき」(1980年10月)という著者自身によって、それらの作品が書かれた状況、その時の課題などについて、解説してくれている。いわば「評論の評論」が手元にあったからなんです。それが、歴史的な諸著作にたいして、今日的な視点にたって、過去の作品を読み解いていく力を与えてくれていたからでもあります。これを参考にして読むと、ちっとも古くないんですね、今日に引き寄せてくれています。二、同時に、この「評論選集 第一巻のあとがき」は、プロレタリア文学運動が1930年代にどのような社会情勢の中で活動していたか、その当時の歴史状況を大きな視野で分析しています。この当時、1930年前後には蔵原惟人というすばらしい文芸評論家が活躍していたんですね。蔵原氏は、日本のプロレタリア文学を、高かめて前進させていく上で、評論家として大きな業績を残した人です。 その当時の問題について、50年を経た1980年の到達点に立って、当時のプロレタリア文学運動がもっていた問題を、あらためて分析・検討しています。そこで蔵原惟人著「芸術的方法についての感想」(1931.9・10)を分析しています。(たまたま、この論文があったので、比較検討することが出来ました。)その蔵原論文の検討から、1930年代の運動には、主体の側にも問題や誤りがあったこと。それには当時の歴史的な社会背景があったこと。それが、その後の50年の歴史経過と到達に立って分析されています。私などが、プロレタリア文学について、はじめて知ったのは、1960年代の終わり、高校の最後のころでした。友人が紹介してくれた蔵原惟人著「芸術書簡」によってでした。それは、古今東西の文芸批評で、その視野は広く、文学の魅力や見方について、私などの鈍い頭でもいろいろ啓発させられたのを覚えています。その素晴らしい思想が、あらためて「あとがき」の分析と検討によって、明らかにされていますが、さまざまな歴史的制約や問題をもっていたと。それは私などにはまったく思いもよらなかった解明でした。三、『宮本顕治著作集』の第一巻、戦前の諸著作が書かれた当時には、そうした認識はなかったと思います。今日の到達点から検討し返してみると、歴史的な制約がどこにあったか、どのような誤りがあったかが、明確になるということです。あらためて当時の作品を読んでみると、そこにあった苦闘というのは、今日の到達にいたる、そうした流れの基礎になっている貴重な活動だったことがわかります。今回の『宮本顕治著作集』の第一巻と、「評論選集の一巻のあとがき」を読んだことで、プロレタリア文学が、今日でも意義があるし、より身近なものとして、貴重な業績として見えてきたように感じています。問題の対象に通じるということは、そうそう簡単にできることではありません。少なくとも、それが疎遠なものではなく、今日にも通じる大事な問題を持っていることが、わずかな程度ですが、分かったということが、今回の成果でしょうか。
2012年09月06日
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今日は地元の温泉で休養です9月1日、2日には、関東にも待望の雨が降りましたが、まだまだ、雨明ければ厳しい残暑が続く日々でもあります。9月5日(水)、今日は休養です。当方の住んでいる八王子市でも、すぐ近くに温泉があります。その一つのロテン・ガーデンです。東京の八王子市と町田市の境にある天然温泉です。橋本駅から送迎バスが出ているとのこと。温泉で休養したくなった時、ただ温泉だけの時は、わざわざ片道2時間もかけて、箱根くんだりまで遠出して行く気にはなりません。そんな時には、最寄りの温泉を利用させてもらってます。泉質は、ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉(低張性・アルカリ性・温泉)とのこと。東京の温泉は、たいがい茶色をしています。広い休憩室があって、ゆっくりと仮眠がとれるようになっています。土日が1200円、平日が1000円です。夏の疲れが、知らず知らずに出てくる頃ですから、とくに懸案がない場合は、8月下旬から9月上旬には、休憩時間を取るようにしています。この時期、無理して突っ走ると、風邪をひいたり、体の変調をきたします。これまでの経験則で、なんども問題をきたしているんですね。従って、今回は、遠出をせずに、近場で温泉と仮眠です。来年に、伊豆の旅を予定しているのですが、おかげで、川端康成の「伊豆の踊子」(昭和元年・1926年)を読ませてもらいました。川端の初期、28歳の時の作品です。伊豆のひなびた温泉の天城街道を旅する踊子の一行と主人公の学生の交流、湯けむりの様にボヤーっとした、伊豆の旅情感が、どことなくただよっているんですが。それを観察している主人公については、もう一つはっきりしてこないのですが。文学の力というのは、すごいですね。この作品は、伊豆の観光にとっては、今では欠かせない象徴の一つとなっています。ただし、伊豆半島というのは、実際には広いものから、はたして、天城峠まで行けるかどうかは、まだわからないのですが。
2012年09月05日
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9月1日のみかんの様子ですやけに暑つく感じた今年の夏でしたが、ようやくにして、夏から秋へ、今が季節の変わり目の様です。今年の夏の暑い炎天下では、みかんの手入れは、せいぜい1時間が限度です。繁茂する夏草の刈り取りは、あと後に延ばすようにして、見つけたアカダニ等の害虫駆除は、最小限の散布にして、干からびだしている畑への水撒きも、ほどほどにしてきました。それでも、みかんの木は地中から水を吸い上げて、頑張っていました。9月1日、これが今年のベストのみかんの木です。今年一番みかんをつけている木です。今年は、当方のみかんのみかん園は、おおむね裏年です。みかんの花もすくなかったし、結果した果実もすくない。今年は、去年に比べて、お休みの年です。みかんの木は、果樹は一般にそうでしょうが、隔年結果をしています。表年と裏年とを交互にくりかえす。果実がよくなる年と実の少ない年とを、交互にくりかえす。人もそうですが、みかんの木も頑張った年の翌年は少し休む、ということです。それを毎年、交互に繰り返すことで、数年間を通すと、平均して一定の樹勢を維持してくれているわけです。農家は、収穫量を安定させるために、平均的にならすために、人工的に摘果などの手を加えているわけです。去年、裏年だった木では、その翌年の今年は、こんな実の付け方をすることもあります。葡萄の様に見事ですが、これでは、一個一個の果実は大きくならないし、なによりも、木自体の樹勢が弱ってしまいます。そのために、このうちの何個かを摘果するようにしているわけです。次は、理想的に果実をつけた木です。こういった枝が、多くなれば、適度な大きさの果実になるし、木自体も弱わることなく、毎年コンスタントに実をつけてくれる。こうした木が、理想的なみかんの栽培なんですが。とにかく、日が昇ると、まだまだ暑い。まぁ、もうしばらくのところは、様子見です。もう少し涼い陽気になるまで、しばしの休養です。
2012年09月04日
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今、柑橘は摘果の時、新たな楽しみですようやくコオロギが鳴き、秋風を感じるようになってきました。9月1日は、水撒きした直後に、ザーッと雨が降り出しました。カラカラ陽気が続いてきたので、柑橘の摘果と水撒きが、今回の主題だったのですが。この時期になると、幾分秋風も吹き、みかんの枝も落ち着いて見るようになってきます。みかんの木には、果実が肥大してきますから、どのようについているか。多いのか、少ないのか、ある程度は見えてくるようになります。これは、早生ミカンの木の枝です。みごと!まるで葡萄の様に、たくさんの果実をつけています。なかには、こうした枝もあるわけです。これまでなら、「すばらしい!」と感嘆して、見守っているだけでした。もったいなくて、もったいなくて、手出しはせず。摘果などは、ほとんど、まってく、やってこなかったんですが。今回は少し違います。みかんづくりのプロに聞くと、「みかんの葉を○枚につき果実を1個」と。良い果実をつくるために、そこまで目配りをしているというんです。当方は、「ちょっと果実のつけ過ぎかな・・」「立派」、くらいだったんですが。今回は、少し違います。これは、スダチ。スダチの木は1本しかないんですが、今回58個もの摘果をしたものです。「これは密集のしすぎ」「これはキズもの」・・・と。しかし、みかん園の本体は、あくまで温州みかんの木です。先のブドウなりも早生の温州みかんの枝ですから、この方の、温州みかんについても、今回摘果をしました。これが、その摘果の結果です。左が温州ミカン、右がスダチです。これまで、「もったいない」「めんどくさい」と、手出しをしてこなかった摘果を、今回は、なぜ実施するようになったのか?その答えです。これが摘果したスダチです。今年は、夏の雨が少なくて、スダチの生育が、いまひとつ大きくならない、生育が遅い。「木の負担をかるくしてやる?」(スダチサワーが飲みたかっただけですが)そうした時に、静岡のみかん栽培のベテランが、「みかんの摘果は、レモンの代わりになる」と、紹介してくれたんです。スダチだけでなく、温州みかんの摘果もサワーになるというんですね。試してみると、これがなかなかいけるんですね。本来、果実が肥大化するのを見守っているべき時期なんですが。動機が不純ですが、みかん園に行くのが楽しみになりそうです。これまでめんどくさがっていたのに、足しげく摘果しに出かけて行くようになりそうです。この分だと、みかんが美味しく成熟したのを収穫する前に、その前に、チョコチョコ、チョコチョコと、みんな摘果してしまい、みかんが、みんなサワーになって消えてしまいそうです。
2012年09月03日
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ミカン栽培、8月のまとめ今年の夏は暑かった。7月17日に関東は梅雨明してから、ほとんど雨が降りませんでした。しかし、自然は良くしたものです。ようやく、9月1日から2日の朝にかけて、待望の雨がありました。これで、気温も少し下がって、人も植物も一息つくでしょう。7月、梅雨明けを前後して夏草の繁茂が始まりました。強い日差しと水分を含んだ土ですから、日当たりのよい所は、メヒシバが所かまわずを覆い尽くします。6-7月のカミキリムシ対策に続いて、7-8月は、草刈りです。強い真夏日の下での作業となりますから、無理は禁物ですが。たちまち汗びっしょり。その苦労の結果です。ミカンの木は、この時期は夏枝が伸びはじめます。3月-4月の春枝は花や若葉をつけますが、この夏枝は木の骨格を作りますから、木の生育にとっては、ともに大切です。この若葉が美味しいと見えて、これを害虫たちが狙っています。その一つは、ミカンハモクリガ(エカキムシ)です。また、ユキヤナギアブラムシも急速に繁殖しますし、ハダニ(アカダニ)も要注意です。黄緑色のユキヤナギアブラムシです。従って、病害虫カレンダーを念頭におきつつ、小さな病害虫の発生に注意しています。8月は、病害虫の駆除のための薬剤散布です。炎天下の作業となりますから、最小限にとどめたいところですが、それは、なにしろ相手次第です。この時期、ミカンの実は、というと。ミカンのなり具合が見えてきます。また、みかんの木は、セミたちのガラパゴス、楽園になっています。 果実の方は、これは優秀な実ですが、肥大化をはじめています。今年は、隔年結果からして、裏年です。カミキリムシに木が2本枯らされましたから、去年より収穫量は減ってしまうかと思いますが。木にどのくらいのみかんが付いているか、果実の姿が見えてきます。8月下旬には、先頭を切って、苦労の報酬がはじまります。いよいよスダチの収穫に、少しずつですが、Goサインです。今年は、夏に雨が少なかったので、スダチの実は小ぶりですが。とにかく香酸柑橘のスダチが、ミカンシーズンのトップを切って収穫に入りだします。季節も、どこからともなく秋の気配が始まりだしています。まぁ、こういう楽しみもなければ、炎天下の草刈りや、病害虫の駆除だけでは、やってられませんから。スダチの果汁は、なかなか美味しいんですよ。
2012年09月01日
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9月1日、富士山と天の恵み今日は防災の日です。89年前の今日、1923年(大正12年)9月1日は、関東大震災が発生しました。相模湾の北西沖80キロメートルを震源としたM7.9の地震でした。去年の3月11日、やはり地震と津波、くわえて原発事故を体験しているわけです。さて、そうした日の神奈川県西部・真鶴のみかん園行きです。途中、午前6時55分、平塚か見た富士山です。海側でなく山側に入道雲が発生しています。しかも、かなり低い所で発生しているのが分かりました。午前7時10分、小田原PAまでくると、いつもならこの方角に見えるはずの富士山ですが、入道雲に隠れて見ることは出来ません。普通は入道雲は、南側の海の水平線方向にあるはずですが、今回は、丹沢の山々の上、北の方角にわきたっています。それが何を意味するかは、あとでわかりますが。みかん園に着いてみると、地面はカラカラでした。これは、シソを集めておいたか30センチ四方の畑なんですが。シソはなかば乾燥して、枯れかけていました。本日の作業は決まりました。みかんの摘果と、ミニ畑と小木への水まきです。午前8時から9時半までの1時間半、ガッチリと汗をかかせてもらいました。汗びっしょりになったので、本日の作業は終了としました。ところが作業を終えて、車にもどった途端のことです。ザーッと強い雨がふってきたんです。天然の水撒きです。暑さも少し和らぐでしょう。作業をはじめだした時は、完全に快晴だったんですが、作業にはいると、もう空模様なんか見ている余裕はなし。炎天下での、汗かき労働と思っていたのですが。いつのまに、天気は変わったのでしょうか。しかし、とにかくこの雨は、まさに恵みの雨です。カラカラに乾燥しきった大地にとっては、これは最高の恵みです。当方が大汗かいて水撒きしたのですが、それはいくら頑張っても15リットル位のこと、程度は知れてます。シソとサトイモの草類に、限定せざるを得なかったのですが。これなら、みかんの木にも、全体に平等にかけてくれています。予想外でしたが、植物にとって最高のプレゼントです。まさに天の恵みでした。
2012年09月01日
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