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今年の梅酒を、ついに解禁しました今年の6月13日に梅酒を仕込んでありました。そして師走も近づいた今日このごろ、ついに、その解禁です。コハク色でしょうか、なかなか良い色をしているでしょう。当方は、みかん園の周りに、何本か梅の木があります。1月から2月は、梅の花を楽しみますが、毎年6月には、その梅の実をつかって、青梅では梅酒づくりと、成熟した梅では梅干しづくりをするのが、毎年の恒例の楽しみとなっています。仕込んだ梅酒については、半年近くをねかして、師走の12月になると、それを解禁することにしています。今年も、ようやく待っていた、その時がやって来ました。梅酒は、炭酸で割って飲んでいるのですが、これが、味も色も香りも、なかなかいけます。市販の梅酒と違って、自前の梅酒はそれぞれ絶品です。それぞれ容器によって、同じ梅酒でも、微妙に個性の違いがありますから。数本の瓶がありますが、「これは、色が良い」とか、「これは、味が良い」とか、それぞれの仕上がり具合を、味はもちろん、その感触を比べたりしながら、酒は、ひとり静かに、飲むべかりけり、です。これから、当分の間は、梅酒をじっくり楽しめます。
2012年11月30日
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11月28日、第7回目みかんの収穫の様子です11月28日(水)は、第7回目のみかんの収獲にいってきました。天気は、「関東は、湾岸で雨が降るかも」とのこと。午前5時半に八王子を出発しましたが、やはり富士山は雲に隠れて見えず。午前7時25分に、神奈川県西部・真鶴のみかん園につきました。今回の収穫から、早生ミカンからフツウウンシュウミカンに対象が移ります。前々回分のみかんの箱詰め作業をした後に、午前9時から、本題の収穫作業を始めました。まず、今回の対象とした木です。これは、前回は「まだ少し早い」として、収穫を見送った木です。みかん園について、まず初めに、どこから始めようかと見回ったのですが、メジロが飛び交って、「この木が食べごろだ」とおしえてくれていました。やはり、この木からと言うことでした。木に入ってみると、やはり鳥たちの饗宴が、まさに始まりだした時でした。これは、傷が新しくて、ついばみ始めたばかりのものです。これは饗宴が始まっていたことをしめしています。いずれも、木の内側の、一番熟した果実を選んでいました。そして、この木が、今年の普通温州みかんの木で、結果として、まとまった収穫となった一番目となりました。その木の、陽のあたる南側から見た天辺の姿です。ところが、収穫を始め出してから、ほどなく小雨が降り出しました。瞬間、今日の予定が全部出来なくなると、頭が真っ暗になったのですが。上空には、確かに濃い雨雲が上空にありました。しかし、雨雲が全面的に空を覆うというわけでもなかったので、それまでに収穫した1コンテナを避難させて、様子をみることにしました。みかんの収穫は、雨滴の具合によって、作業ができるかどうか左右されます。今回は、幸いにも小雨がパラついた程度で、ほどなく雨は完全に上がりました。みかんの木は、多少の雨滴がかかりましたが、ほとんど収穫するには支障なし。やれやれ、でした。おかげで、午前9時から午後1時半くらいまで、収穫がしっかりできました。この日の収穫は、この木が中心となりました。この木1本から、今回どのくらいのみかんの収穫があったか?それは、4コンテナの80キロでした。つまり、5キロ箱で16個分です。そして、この日全体の収穫は、6.5コンテナでした。これは、今年が全般的に裏年の大勢にあって、しかも、収穫テンポが、去年よりも20日間も遅れていたなかでは、やれやれの、心強い収穫となりました。今年は、全般的には裏年なんですが、それでも、すべての木が一律に実のなり方が少ないわけではなく、なかには少数ですが、こうして頑張ってくれる木もあるわけです。こうした木には、「ご苦労さんでした」と頭が下がります。表年と裏年、成り年と不作を交互に繰り返す「隔年結果」は、これは自然現象として、ある程度は避けられません。去年は、たくさん実をつけた木は、今回は休養の葉ばかりの状況です。次の木は、そうした木の一つです。木の全体が、やたら緑の葉がおおくて、さびしい感じがしています。去年はたくさん実をつけてくれましたし、来年は収穫が期待できます。したがつて、今年はお休みです。毎年、木々はそれぞれ、たくさんの実をつけてほしいのですが、人も木も、大きな仕事をした後はくたびれますから、翌年は休養するわけです。問題は、販売の予約を取ってきた人たちに、どこまで答えられるかです。去年の収穫よりも、ある程度は予想して、かなり減らして販売予約をとったのですが。実際は、その減らした数よりも、さらにもっと少なさそうだということなんです。すでに、夏の時点で、ある程度の出荷予約を取っていますから、その後の、今の状態では、需要と供給にさらにギャップが出てきそうだということです。収穫がオーバーする分には大して問題にはなりませんが、現実の収穫量が、予約数を下回った場合は、大問題になります。はたしてどうなるか、最悪の場合にはどうするか・・・。そうした現実が見えだしてくる所に、そろそろ来ています。多分に不安が頭をかすめますが・・・、まだ定かなことは分かりません。今は、あれこれ悩んだことで、石にでも蹴つまずいて怪我でもしないようにして、もうすこし先で、見通しが見えてくるまで、今は日々をしっかり頑張るしかありません。その先がどうなってくるかは、そこが商売の喜怒哀楽、西鶴の世界なんですが、それは、もう少し先で考えることにします。
2012年11月29日
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11月28日のみかんの出荷作業11月28日は、第7回目の収穫でした。この収穫の様子は、またあとで紹介するとして、今回は、みかんの出荷作業を紹介します。午前5時半に八王子を出発して、午前7時25分にみかん園につきました。今日の作業ですが、 1、まず、前々回収穫してあったみかんの箱詰めです。 2、次に、本日のみかん収獲です。 3、さいごに、午後3時までに、箱詰めしたみかんを出荷します。これが、本日の作業です。まずは、みかんの箱詰め作業です。11月21日に収穫したあったみかんが対象です。これが、そのみかんです。収穫してから一週間、みかんを乾燥させるために、そして酸味を抜くために、1つのコンテナに、みかんを半分くらい入れて置いておきました。そして、これが今日の出荷のための箱詰め作業です。ねかしてあったみかんを、5キロ箱に箱詰めします。みかん箱は、事前にJA湯河原営農センターで購入してありました。今日の出荷は、みかん箱で宅配便にのせるものです。箱詰めした後に、本日分の収穫をしました。午前9時から始まって、午後2時に収穫を終えました。そして、直ちに車に積んでおいたみかん箱を、ひと走りして、JAの集配所に持ち込みました。これが持ち込んだ箱です。11箱です。今回の宛先は、中学校の恩師や、親類の方、そして、当方が歳を経てくる中で、いろいろお世話になった方々が対象でした。ところで、JAのみかんの集荷場所は、みかん倉庫の一角にあります。そのみかん倉庫では、いまJAの早生みかんの出荷作業が行われていました。ついつい、それが目についちゃうんですね。集荷場所の、すぐ隣には、みかんの選果機がありました。いつもは動いているそうですが、残念ながら、今日、この時は、作業は終了していて、その機械は動いていなかったのですが。みかん農家から持ち込まれたみかんは、このラインの上を流れると、大きさ別に、2L、L、M、Sと、それぞれに分けられます。一人の職員の方が、コンテナに分けられたみかんを、一生懸命、箱詰めしていました。「それは早生みかんですか?」「そうです」作業している前の台には、コンテナは17個積まれていました。1コンテナには、みかんが20キロ強はいってますから、これからこの方は、これから10キロ箱を34個つくるということです。みかんの箱詰めは、丁寧にやるとなると、10キロの1箱をつめるのに15分くらいはかかるのでは・・・と想像します。だとすると、1時間で箱詰めできるのは、だいたい4-5箱でしょう。1人で箱詰め作業をするとなると、このコンテナの山は、終るのに、今夜の8時くらいまではかかってしまします。「ご苦労様です」みかんが持ち込まれて、次々に選果機にかけられて、そうした山が、あっちにも、こっちにも、いま出来つつあります。みかんは、生ものですから、傷をチェックしたりして、時を急いで、高品質をそろえて提供する。それらは、最終的には人間の目が仕分けしていきますから、じつに、たいへんな作業です。当方も、今朝同じことを、みかんの箱詰めを、してきたわけですが、さすがです、JAの商品づくりは。その規模は、たいしたものです。JA事務所には、贈答用のみかんの注文用紙がおいてありました。ちなみに、JA湯河原の大津みかんは、11月15日から12月7日が注文の受付期間だそうで、価格は、5キロ箱で1500円、10キロ箱で3000円、15キロ箱で4500円、でした。みかんの収穫と出荷。いずこもやっていることは同じです。12月、いよいよこれから、作業は佳境に入っていきます。
2012年11月28日
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江戸時代からつづく「十条冨士講」ですこの時期、晴れた大気のすんだ日には、東京からも富士山が見えます。もっとも、これは平塚から見た富士山ですが。東京のあちこちに「富士見町」「富士見坂」などの地名がのこっています。江戸庶民も遠くに見える富士山をあがめていたんですね。東京都北区中十条には、「富士塚」があります。江戸時代の半ばに、江戸には808もの富士講があったといわれています。富士山に登ぼろうという「講」です。実際には、富士山まで旅が出来る人は限られていましたから、多くの人は、この富士塚に登ることで、その代わりとしていたようです。今でも、富士山の山開きの7月1日を祭りの日として、その前夜から、ここには夜店が出るのだそうです。「富士山」ではなく、「冨士山」と書かれていますが、どっちが正しいんでしょうね、分かりません。階段のわきには、ミニ登山道がつくられているんですよ。登山道の所どころに、石祠(せきじ)が建てられています。それには、「天下泰平」「冨士登山33度大願成就-万延元年」とか刻まれています。この講の人たちは、本物の富士山に33度も登ったんでしょうか。それは無理ですよね。おそらく、この富士塚を登ったんだと思います。石碑には、国の平和・安泰への願いが多く刻まれてました。ところで、この富士塚の上には、階段を上った頂上には、何があると思いますか?頂上が気になりませんか? せっかくなので、登ってみました。本当は、ご神体は写真にとってはダメだそうですが。失礼しました。これが、その頂上にある小さな社です。やっぱり、ご神体は写真に撮ってはならないようですが。紹介するために、失礼しました。富士山頂の冨士浅間神社を移して、祭っているようです。こうした冨士塚が、東京には今でも、いくつか残っているようです。本駒込にも冨士神社の境内に、やはり「お富士さん」があります。今も昔も、やはり富士山は、人々をひきつけているようです。
2012年11月27日
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11月25日は、みかんの第6回目の収穫でした昨日、25日は快晴でしたが、「女心と秋の空」なんて言葉がありますが、関東は、11月23日が雨で、今日・26日もまた冷たい雨。11月25日は、貴重な収穫日和でした。休日農夫にとっては、みかんの出来もさることながら、天候の方も、収穫作業を大きく左右してしまいます。水滴が残っていては、みかんの収穫作業は出来ないからです。11月25日は、青空にみかんが良く映えていました。しかし、写真で見たものと、実物とは違います。このみかんは写真の通りなら収穫しちゃうんですが、今回は、収穫を見送りました。現物は、間近で見ると、いまいちだったんです。その木の全体像です。いま一つ、赤みがよわく、成熟に欠けているんですね。すでに、鳥がついばみ出してはいるんですが・・・、しかし、鳥に惑わされません、あと少し赤みが足りません。そんなこと言ってると、鳥に先を越されるかもしれませんが・・・。それでも、「今回は、待て」がかかりました。そんなこんなで、11月25日の第6回目の収穫は、全部で4コンテナの80キロの収穫でした。これは、1週間を小屋でねかせて、12月1日に出荷する予定です。これは、職場の人たちに、当てる予定です。この木のように、みかんをそれなりにつけている木もあるのですが。全体としては、裏年にあたる今年の当みかん園です。次の木々の様子はどうでしょう。これらが、これから収穫を予定しているフツウウンシュウミカンです。左側の木はがんばってますが、その他の木は実が目立ちません。みかんがまったくついていないわけではないのですが、少ないんです。それが、裏年のみかん園の様子で、ちょっとさびしい感じです。これまでの収穫で、早生みかんは、たいして収穫していないのですが、それでも、すでに大方の収穫は終ってしまいました。あとは、フツウウンシュウミカンに収穫の重点が移行していきます。はたして12月の収穫は、目算通りに行くか、不安がしてくるのですが。もう少したたないと、木にどれだけついているか、わからないのですが。裏年の年は、やけに大きめな、人前に出せないものも、多々混じってます。まぁ、いまさら心配しても始まりません。心配して、それでみかんが増えるわけでもありませんから。そんなやけっぱちだと、あとあととんでもないことになります。すでに、あちこちに出荷の「約束手形」を出してあるんですから。信用不安をきたしかねない・・・、どうするんだ、と不安もよぎるのですが。まぁ、みかんの木を信頼して、11年目の勘を当座は信頼することにして。いよいよ、これから早生ミカンの収穫から、普通温州みかんの収穫へ、収穫の重点が移行していく段階にきています。鳥たちも、あちこちに美味しいみかんがあるようで、引き続き加害されてますが、これまでほどではない様に感じます。いよいよ、世の中もあわただしくなってますが、みかんの方も山場の12月に向かっていきます。
2012年11月26日
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本日、第6回目の、みかんの収穫に行ってきました本日、11月25日(日)は、天気は快晴、最高の収穫日和でした。朝のうちは、夜露が残っていますが、午前9時をまわれば、太陽が乾かしてくれます。快晴の日は、富士山がとても綺麗です。といっても、真鶴のみかん園からは、山に隠れて富士山は見えないのですが。みかん園に向かう途中の、平塚や小田原からは、雪をのせて真っ白になった富士山がよく見えます。これば小田原厚木道路の、小田原SAから見た富士山です。手前は丹沢山系でしょうか、すそ野が隠されてしまってます。白い富士山が一段と引き立っています。もっと西に走ると、箱根の山々に富士山は完全に隠されてしまいます。これは、その手前の平塚SAから見た富士山です。遠くから見ているので、すそ野まで見えます。朝日がまだ赤みを帯びています。この間、下界では雨がふりましたが、富士山では雪だったんでしょう。積雪が宝永山よりもかなり下まで下りてきました。今回の積雪のおかげで、宝永火口よりもかなり下の方ですが、そこにも小さな火山と火口があるのが、クレーターがあるのが、この雪景色のおかげで確認出来ました。さて本日の収穫ですが、まずまず順調でしたが、それはまた次回にでも紹介させていただきます。今回は、収穫ローテーションが、いよいよ始まりだしたことを紹介します。前回、11月21日、第5回目に収穫した収穫したみかんですが。それはこの木から収穫されました。その収穫の対象となった早生の木です。この木が、今年は早生の収穫を一手に支えてくれています。そこに今年の厳しさがあるのですが。他の早生の木は、今年はほとんど実をつけていません。今年は、当園の早生の木は、裏年なんですね。これか゜、前回収穫したものです。乾かすためにコンテナに小分けして分散させてありますが、前回の収穫は、全部で3.5コンテナ、70キロくらいの収穫でした。本日、収穫してから4日がたっていますが、糖度を測ってみました。影になって数値が見えにくいのですが、糖度は12.7度です。これはまずまずです。しかし、みかんの美味しさというのは、糖度の高さとともに、酸味が下がるのが重要なところです。とれたては、どうしても酸味が強いきらいがあります。当方は、早生でも5日から7日を目安に、ねかしてから出すようにしています。以前は、「とれたてだ」として、右から左ら出荷していたんですが、それでは、みかんをほんとうに美味しくは食べれないことがわかりました。採るのもタイミングですが、食べるのもタイミングなんですね。熟したみかんを採って、流通期間により、程よい時間で消費者に届くこと。みかんを美味しいタイミングで食べれた人は幸いなんですね。この11月21日に収穫したみかんですが、これは、次回の11月28日に出荷する予定です。本日収穫したみかんですが、これは、その次の12月1日(土)まで、ねかしてあります。いよいよ休日農夫も、みかんの収穫のローテーションが、本格的に動き出したということです。今年は、裏年のため、量としては大したことはないのですが、それでも、このローテーションを、温州みかんの年末終了まで、体力勝負です、安全第一で回転させていきます。
2012年11月25日
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第2回ヘーゲル『哲学入門』(武市健人訳 岩波文庫)を読むこの本の中身は、ヘーゲルが大学進学を目指しているギムナジウム(中高校学生)の生徒を対象にした講義がもとになっていることは、前回紹介しました。ヘーゲルは1805年にイエナ大学の員外教授(助教授)になりますが、そこで1806年『精神現象学』を出版しています。ナポレオンの占領により、イエナ大学が閉鎖されて後は、ヘーゲルは新聞の編集をしたりしてしのいでいましたが、1808年11月にはニュールンベルグのギムナジウムの校長兼哲学教師の職につけました。この『哲学入門』は、そのギムナジウムでの講義がもとになっています。一、全体をみると、第一課程から第三課程までの三つの課程からなっていますが、ヘーゲルの哲学体系が、ここですでにその輪郭が形作られだしていることがうかがえます。その哲学体系が、目次としてではあっても示されたのは、これが初めてではないでしょうか。第二課程 精神現象学と論理学 第一篇 精神現象学 第二篇 論理学第三課程 概念論と哲学的エンチクロペディー 第一篇 概念論 第二篇 哲学的エンチクロペディー 第一部 論理学 第二部 自然の学 第三部 精神の学二、今回は、第一課程の冒頭にある「緒論」と「緒論の説明」が対象です。「緒論」は、12の項目からなっています。簡潔なものですが、要点が提示されてます。これはおそらく講義用に事前に配布された文章ではないでしょうか。「緒論の説明」は、25項目と増えていますが、全体として「緒論」に対応する形で細論されたものと見て取れます。これはヘーゲルが講義において実際に語ったものではないでしょうか。 全体としては簡潔な部類です、ヘーゲルの書いたものとしては。おそらく中・高校生を対象としたための配慮でしょうか。より基礎的な事柄についても論じています。しかし、やはり難解なものです。この冒頭の部分だけが、「緒論とそれに対する説明」の形になっています。それは、実際の講義の様子が伝わってくるようで、なかなか面白いところです。三、内容ですが、ヘーゲルは冒頭で「人間の意志」が対象であり、特殊的意志の一般的意志にたいする関係にあると規定しています。緒論から要となりそうな論点を拾い出してみると、我の対象に対する関係、実践的能力、衝動と意志、意志の自由、責任、行為と行動、自由意志、恣意、行動の中で意志が自由に解放されること、すなわち普遍的意志の出現、などが提起されています。ヘーゲルは、「意志のこの一般的原則についての詳細な規定と展開は、法理論、義務論、宗教論で述べる。」と結んでいます。ところで、この主題に関連して、エンゲルスが述べた言葉があります。『反デューリング論』の11「道徳と法、自由と必然」ですが、「道徳と法について論じるとすれば、いわゆる自由意志の問題、人間の責任能力の問題、必然性と自由の関係の問題にゆきあたらないわけにはいかない」、「ヘーゲルは、自由と必然性の関係をはじめて正しく述べた人である」と。エンゲルスは、ヘーゲルのどんな著作の、どのような言明をさしているのか、問題ですが。ヘーゲルは「自由」については、『精神現象学』(1806年)でもいろいろ書いていますし、イェナ大学では『哲学史序論』(1805年)を講義したそうですが、そこでも述べていました。今回の『哲学入門』も、そうした中の一つになると思います。しかし注目するのは、これは1809年のギムナジウムでの講義です。いわば哲学の初心者向けの哲学授業ですから、丁寧に述べたはずです。その冒頭部分において語ったことです。そもそも「意志の自由」ということを、しかも「意志の一般的原則」などということを主題に論じたのは、これが初めてのことではないでしょうか。さて、ヘーゲルがそれをどのように論じたか、なかなか興味を感じさせられるところです。(今日も、11月24日も、雨上がりの曇天。みかんの収穫は明日にします。)
2012年11月24日
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ソフォクレスの「オイディプス王」を読む長年、ほこりをかぶっていた本の一つでしたが。本棚には、なんと同じ本が3冊もありました。その都度、行方不明になったんですね。ようやくにして、長年の懸案が、11月23日の雨により、目を通すことができました。やはり古代ギリシャの悲劇の代表作であり、傑作です。 話は、テバイのオイディプス王が、前の国王ライオスが亡くなった事情を探る布告を出すところからはじまります。オイディプスは、テバイの人たちにスフィンクスによる災いを解いたことにより、新たにテバイの王となったもの。その前のライオス王が、何ものかによって殺害された後だったんですね。オイディプス王は、その状況を確かめて、犯人を探そうとしだしたわけです。じつは、オイディプスは、以前にある郊外の分かれ道で、自分に殴りかかってきた人を、逆にあやめてしまったことがありましたが、関連しているとは思ってなかったんですね。じつはそれがライオス王の一行だったんですね。そしてそれが自分の実の父親でもあったんですね。しかし、オイディプスは、子どものころに、「このままだと災いをもたらす」との神託により、親の国王などにより国外に捨てられたのでした。小さかったんで、そうした自分の生い立ちについては、何も知らなかったんですね。何も知らずに、真相究明を求めていたオイディプス王でしたが。徐々に取り巻く人たちが真相に気付き、王が究明するのを抑えようとしますが、あくまでオイディプス王は、断固として究明しようと突き進みます。そうして調べていった結果、やがて、断罪すべき加害者が、実は自分自身であることが分かってくる、というどんでん返しがまっているわけです。知らぬが仏で真相究明をしようとするオイディプス王、事態の関係を洞察した家臣たちのとまどい、探究した結果、やがて前王を殺した犯人が、自分自身であったことを知るに至るオイディプス王。はじめと、探求していく過程と、その結果は大きく展開します。この作品は、古代ギリシャの悲劇の傑作ですし、ソフォクレスの代表作です。高校時代から、なんどか読もうとしたのですが、何十年もずーっとほこりをかぶり続けてきたものでした。ようやく今回、祝日の雨日和によって、ほこりを払いました。読みだしたら、「なるほど」「さすがは古典だ」と、その中身に引きつけられて、一気に読むことが出来ました。こういう作品は、もっと早くから、読んでおくべきだったのですが、納得できました、やはり宝です。
2012年11月23日
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みかん園を荒らすヒヨドリとメジロ11月21日に、みかんの収穫をしましたが。相変わらず、メジロとヒヨドリの動きが目立ちました。みかん園は、早生みかんの収穫の最中にあります。その成熟したミカンをめぐって、メジロとヒヨドリが木々の間を飛び回っています。ヒヨドリは、「キーッ、キーッ」と鳴き声はするのですが、落ち着いては、その姿を見せてくれません。メジロの方は、チョコチョコとあっちの枝からこっちの枝へと飛び移っています。みかん園を空けた2,3日のうちに、鳥たちによる新たな饗宴が行われていました。メジロは、くちばしで小さな穴をあけますが、ヒヨドリの方は、美味しいと中身をえぐるように綺麗に食べていきます。せっかく完熟するまで、じっと我慢して待っていたのを、収穫しようとしているほんのわずかな先に、とくに美味しくなった所を、鳥たちはよく知っています。そうした個所は、必ずといってよいほど、荒らしていきます。例年は、まぁ、数個のうちなら、「鳥が、みかんの成熟した箇所を教えてくれている」ものとして、とくに問題にするようなことはないのですが・・・。問題になるのは、いっせいにみかんが熟し出す山場のころで、確かにそのころは、みかんをめぐって取り合いになるんですが、今年は、まだそれまでは、全体が熟すところまでいってないのに、それなのに、加害が始まっています。よほどお腹がすいていると見えます。まだ熟す前の、緑が残っているものまでも、ついばみ出していますし、ましてや熟した枝あたりは、かなりの量を荒らしています。こうなると、いくらなんでも見捨てておけません。しかし、そうはいっても、張り番しているわけにもいかず、実際は、どうしようもないのですが。作業を終えて、発送のためJAの事務所によったのですが。その時に、職員の人に聞いてみました。「今年は、裏年でみかんの量が少ない。ヒヨドリの加害は、今年だけでなく、毎年のことだ。今年はイノシシによる被害も大きい」と言っていました。ヒヨドリの加害に関しては、「毎年こんなものだ」といった調子でした。相手がなにしろ鳥なんで、「それは、そんなものだ」と言ったことで、とくに問題視している風でもないようでした。しかし、当方の実感としては、今年の鳥害については、特に激しく感じています。どちらが先に熟したみかんを確保するか、すでに今から、11月のはじめから、現場では取り合いになっていますから。
2012年11月22日
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11月21日、みかんの5キロ箱を5個を発送し、70キロを収穫しました本日(11月21日)、お昼ころ、みかんの5キロ箱を5個発送しました。「JA湯河原営農経済センター」に持ち込んで、そこから発送しています。今回の送り先は、恩師Sさん、親戚のMさん、職場OBのUさんとKさん、台東区のKさんの5人。これが発送したみかんです。2段になっていて、全部で20キロありました。これは、11月14日に収穫してあったもので、その後1週間寝かせてありました。酸味を下げるためそうしたのですが、はたして酸っぱさはどうなっているか。本日の出荷分の準備ができたら、次は、本日のみかんの収獲作業です。今年は全体としては裏年で、みかんの量が少ないのですが、それでも、本数はわずかですが、立派にみかんをつけた木もあります。いつもなら、今ごろは収穫真っただ中で、大忙しになりだすはずなんですが。今年は、鳥の動きはいつも以上に活発ですが、みかんの収穫作業の方は、ボチボチとしたもので、そこそこの程度でしかありません。それでも収穫は収穫です。朝日に当たって、みかんは実に良い色をしています。太陽の光に当たると、実際以上に完熟したように見えてしまいます。実際にとって見ると、ヘタに黄緑色が残っていたりして、だから、よくよく熟したものをとるようにと、慎重になるんですが、しかし、あまり慎重になりすぎると、一足先にヒヨドリやメジロに食べられてしまいます。食い荒らされた残りを収穫する羽目になってしまいます。早すぎず、遅すぎす-この兼ね合いが、微妙なところで、大事なところです。そして、これが上の果実をつけていた枝です。全体をみると、もう少し時間を置いておきたいようにも感じるのですが。この中の、熟した部分をめぐって、鳥と当方とで取り合っているわけです。本日は、全部で、3コンテナの70キロの収穫でした。コンテナ1個で20キロですが、1つ分を、2つのコンテナに分けてあります。通気性を良くした方が、果皮が乾燥して腐るものが少なくなります。これを1週間おいて、酸味と水分をおとします。取り立てのみかんは、どうしても酸味が強くて、酸っぱいきらいがあります。また、ハサミや切り枝などで、気づかずに果皮に傷があってりすると、そこから全体に痛みが広がりだしてしまいます。一週間くらいねかすことで、美味しいみかんが出来るわけです。この70キロは、来週に出荷する予定です。みかんの収穫作業というのは、ただみかんを採るだけでなく、こうした〔収穫-1週間のねかせ-箱詰め-出荷・発送〕サイクルの作業であり、この作業を、年末まで、あと5週にわたって、順次回転させていくわけです。そうして年末までには、ウンシュウミカンについては、終わらせるといった予定です。
2012年11月21日
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11月18日の富士山と、サトイモの収穫11月18日(日)の富士山です。前日の雨降り模様から、一転して晴れ間が広がりました。雲の切れ間から、雪をのせた富士山が、鮮明に見えました。朝、小田原厚木道路の、小田原SAからみたものです。この日は快晴ではありましたが、みかんの木に水滴が残っていたため、肝心のみかんの収穫が出来なかったことは、前に紹介しました。しかし、遠路出かけてきて、それだけで帰るわけにはいきません。こんな日のために、サトイモが植えてあったんです。みかんの代わりに、この機会にサトイモの収穫をしました。今年の春、3月21日にサトイモの種イモ7個が植え付けしてあったんですね。植えつけしてから7カ月余が過ぎました。サトイモは栽培期間が長いんですが、手がかかりません。このところ、大きなサトイモの葉が、一部ですが枯れ始めてきました。葉が枯れ出すのが収穫の時期と理解しています。それで、試しに3株を掘り起こしてみました。これが、その結果です。小芋が収穫できました。放ったらかしの栽培としては、これはまずまずの収穫と思っています。小さいものや中くらいのものが、柔らかくてぬめりもあって美味しいんですね。帰ってから、さっそく30分ゆでて、二回いただいたんですが、これが期待にたがわず、たいへん美味しかったですね。まだ、手つかずの株が半分残っていますから、たのしみです。これから雨滴などで、みかんの手の空いた時は、この、残りのサトイモの収獲です。しかし明日は、この数日は晴れた日が続いていましたから、明日こそは、肝心のみかんの収獲の予定です。
2012年11月20日
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今年のみかんは、鳥獣被害が深刻です神奈川県西部のみかん園でのこと。当方は、真鶴で小さなみかん園の休日農夫をしています。今年は、みかんは裏年で果実の数が少ないんですが、問題は、ヒヨドリとメジロの加害です。せっかく成熟したみかんが、食い荒らされていることです。これはヒヨドリの仕業ですが。メジロも数羽が群れになってまわってきます。これがメジロです。11月18日は、前日に雨が降り、木に水滴が残っていたため、みかんの収穫は出来ずに、帰途に就いたのですが。その帰路でのことです。海岸沿いの国道は、海の眺めがたいへん綺麗なのですが。当方は、山間の旧道、神奈川県道740号線を使いました。この時期は、国道と県道、両道とも地元の「みかん直売店」が開かれ、綺麗で、美味しいみかんがならびます。このお店は、県道の江の浦にある「青山園」です。地元の農家の方たちが、こうした産直の販売店を開いています。こうしたお店が、道沿いに数店があります。旧道は、この時期「みかんロード」になっています。さすがに、綺麗なみかんです。これなら美味しいことは間違いなしです。当方は、店頭の価格をリサーチをさせていただいています。この値段は、あくまで現地渡しであり、送料抜きということですが。5キロ箱で、みかんの大きさによりますが、1,200円から1,400円。まぁ、1,300円といったところでしょうか。ここの店先で、みかんについての立ち話になりました。今年の出来はどうですか?と聞いてみました。すると、「今年は、裏年でみかんの収穫量が少ない。」「ヒヨドリやメジロ、カラスによる加害がひどい。」これは、当方の状況と共通でした。当方のだけの被害ではなく、この辺り一帯の問題なんですね。が、さらに、「それとこのへんはイノシシと猿によっても大きな被害がでている。」「イノシシは、背の届くかぎりのみかんを、地上から1メートルくらいのみかんを、かなり食べ荒らしている。」「この被害が、ひどいものになっている」とのことでした。当地、根府川や早川あたりは、箱根山が相模湾にせまったところで、その山肌にミカンが栽培されていて、自然が良く残っているんですね。今年は、これまで自然界にいた動物たちが、これまで以上に、人間の生活圏に出てきているとのことです。せっかくそだてたみかんですが、それがちょうど美味しく熟したところを、まして裏年で、数も少ないのに、それを鳥獣たちが食い荒らしているんですね。まだ、この深刻な問題が社会的に取り上げられてませんが、現地の生産者の人たちは、今、たいへん苦労させられています。
2012年11月19日
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11月18日、天気は良くても、みかんは収穫できず今日(11月18日)は、「小春日和」の快晴でした。平塚からも、小田原からも、富士山がみえました。雨上がりの富士山は、青空にくっきりと映えて、たいへん綺麗でした。昨日の雨は、富士山にとっては雪で、前回よりもさらに下界まで雪が積もっています。しかし、この雨上がりというのは、いただけません。みかん園にとっては、枝葉にびっしょりと雨滴がついていて、午前11時を過ぎまで待っても、この始末です。これでは、収穫作業は出来ません。そうした中でも、ヒヨドリとメジロが、あちこち鳴き声をたてて飛び回っていました。これはメジロです。柿の木にとまっていました。が、そのカキの木には、柿の実がまったくありません。例年なら、いまころ盛んに柿の実をついばんでいる鳥たちも、今年は柿も裏年で、とっくに食べつくしてしまってます。そのためもあって、今年は早生みかんに対する加害がすさまじい。前回、加害された果実は、みな落としておきましたから、いま見かけるものは、その後の数日間に食べられてものです。これは、ヒヨドリが食べた跡ですが、メジロも含めて、さかんにあちこちの熟したものをついばんでいます。乾いていれば、当然収穫対象ですが、このように濡れていては、収穫は出来ません。今回はあきらめるしかありません。これは、興津早生の小木です。やはり、びっしょりです。これだけ濡れていては、夕方まで待ったとしても、乾きません。そうしたことで、収穫作業は、次の11月21日(水)までお預けです。それまでみかん園は、鳥たちの饗宴にゆだねるところとなります。早生みかんの収穫は、すでに始まりだしていますが、富士山の雪が下に降りてくる頃は、普通温州みかんにも色づきが広がりだして、普通温州も、12月の収穫のはじまりが、近づいてきたことを示しています。
2012年11月18日
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原発問題から、今の社会を考えさせられる2冊です今日は午前中から雨が予想されていましたが、一度は早起きしたのですが、無理に遠出するのはやめにしました。やはり、雨模様になったからです。みかんの収獲は序の口ですから、無理することはありません。昨日、11月16日に国会が解散され、総選挙となりました。この機会に、今の社会を考えてみることも大切です。原発問題も、国政の焦点の一つです。この問題を扱った2冊の本を取り寄せてありました。1、『原発の闇 その源流と野望を暴く』 (赤旗編集局 新日本出版社 2011年10月30日刊 1200円)2、『原発報道 東京新聞はこう伝えた』 (東京新聞編集局 東京新聞 2012年11月27日刊 1890円)ともに、いま読み始めたばかりですが、1、の第一章は、2011年7月2日の「九州電力のやらせメール」のスクープです。原発の再稼働させるために、佐賀県知事と九州電力が説明番組を世論誘導しようとした。各地で行われてきた説明会には、中部電力にしても、四国電力にしても、東北電力にしても、同じ様に稼働させるための世論作りのために、人と声を動員していたこと。それには、規制機関であるべきはずの経産省の「原子力安全・保安院」が、そうした工作を指示していたこと、これまでの社会構造というものが明らかにされています。2、『東京新聞』が、この間の多岐な角度からの追跡しています。第一部は「スクープと調査報道」として、テーマ別に多岐な問題を紹介しています。第二部は、「折々の報道と、連載「レベル7」、「福島作業員日誌」と、新聞に掲載された記事を、まとめて紹介してくれています。他の新聞社でも、原発問題に関して真相に迫ろうする報道があるにはありますが、これまでの報道の姿勢からして、一時的な世論への付焼き刃の感じがいなめません。それと比べると、この2冊のまとめは読みごたえがあります。ジャーナリストに肝心なのは批判的精神ですが、その点からして、この2冊はたいへん光っています。現代社会の病気、のらりくらりしたもどかしさ、その背後にある社会構造というものに、この2冊はメスをいれています。災いの大元をただしていくうえで、いまどういったことが問題としてあるのか。国民の声が通る政治にかえていくためには、どの様な改革が必要か。原発問題は、大事な土台をしめしてくれていると思います。これから、中身をいろいろと読み進んでいくところですが、初めの部分を読んだだけでも、そうした感じを抱かせてくれます。現代の社会を考えさせられる、おすすめの2冊です。
2012年11月17日
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みかんが、ヒヨドリの加害できびしくなってます「早生みかんは、樹上で完熟させるのが大事だ」というのが、一般的に、これまでベテランのアドバイスでした。ところが今年は、完全に色づくのを待っているとヒヨドリにやられます。当方のみかん園は、神奈川県西部の真鶴なんですが、たまりかねて、周辺のみかん栽培のベテランに問い合わせしてみました。すると、当方だけではなかったんです。この地域は、いずれも同じ様な状態で、鳥に加害されてました。せっかく育てたみかんが、ようやく収穫の時期が迫った来たのに、目の前で、鳥たちに食べ荒らされている、というんです。そもそも当みかん園は、ことしは裏年ですから、木についているみかんの数が、実のなり具合が少ないんです。その少ないみかんに対して、よってたかって鳥がつっいているんですから。お腹のすかしたヒヨドリは、熟す前のみかんまで、えぐって食べています。こんな状況は、これまでになかったのですが。どうしたものか・・・。八百屋さんで見ると、みかんの価格は安い。全国的には、みかんの供給は平年並みか、生産過剰気味とも聞きます。そのなかで、少ないみかんに、この加害されている事態です。当園では、今年の生産の見通しを、厳しく下方修正です。これまで何年かの経験から、これまでの最少に生産量の見通しに変更します。そうしたとしても、はたして、本当にそれが確保できるか、危うい状況が見えてきました。今年のみかんは、きびしい状況です。早生みかんは裏年のため、この木くらいしか満足にみかんをつけてません。そのためヒヨドリがこの木を狙っています。仕方ありません。完熟を待って鳥に食べられるよりも、本意ではないのですが、その少し前に採るようにして、追熟をさせるしか、他にすべなしです。明日、11月17日(土)は、午前9時には雨が降りだすとの予報になってます。木が濡れてしまったら、しばらくの間はみかんの収穫はできなくなります。従って、明日は、朝早めに出かけて、9時までに終わらせる。午前7時半から8時半に収穫を完了するようにします。それも、あくまで天気が許せば、ですが。
2012年11月16日
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相模湾の地魚を賞味しました-真鶴にて11月14日(水)、みかんの収穫は20キロ〔1コンテナ〕でしたから、直ぐに収穫作業は終了しました。せっかく、80キロを走って真鶴まで遠出してきたのですから、前回に収穫したみかんを、ただ発送して帰っただけでは、もったいない。そこで今回は、ちょっと贅沢をきめこみました。帰りがてら寄り道して、相模湾の地魚を正味することにしました。真鶴半島の中央にある「まるなか」へ移動しました。これが今回賞味した地魚です。時計回りに、1.カワハギ、2.ホウボウ、3.マアジ、4.イサキ、5.メアジ、の5品です。いつもながら、地魚の大サービスです。こうした楽しみがあるから、遠出してくるのも、苦になりません。みかんが忙しくなると、こうした寄り道も出来なくなりますから、いまのうちに、こうした美味しいものを食べて、これからの7週間を頑張るということです。「まるなか」のホームページです。http://www.ryokan-marunaka.co.jp/
2012年11月15日
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今年のみかんの収穫は、例年と大分様子が違う11月14日、本日の富士山です。雪の量が増えて、宝永山も雪に覆われました。冬が、下界に降りてきているということです。 早生みかんの収獲ですが、例年だと今ごろは収穫の真っ盛りのはずなんですが。どうも今年は、さっぱりです。例年の収穫量の2割がたでしょうか。それでも何とか、本日11月14日に、はじめての発送を、親類縁者に対して、することが出来たのですが。大きく収穫量が落ち込んでいます。どうやら今年は、これまで提供していた先を、かなりしぼらなければならないようです。全体としても感じるんですが、早生も、普通温州も、今年は裏年の木が多い。ざっとみて、木についている果実の数がまばらで、少ない木が多い。早生の木で頑張っているのは、この木が1本くらいです。左右の奥の木には、果実がみえません。色づきが遅いのではなく、実があまりついてないのです。それに加えて、果実をつけた木も、色づきが遅く、綺麗に成熟するミカンが少ない。それは、鳥たちのついばみにも特徴があります。まだ綺麗に完熟していないのに、鳥たちが争うように盛んにつっいていることです。ヒヨドリの食べ方は、上にあるように、熟した果実を、おおきく中身をえぐるように食べるのが、いつもの食べ方なんですが。今年は、それだけではありません。まだ完全に熟していないうちから、緑色が残っているのに、つっいて穴をあけています。キリの穴をあけたようにして、味を試しただけで移動する、そんな実がかなりあります。ましてや、熟した実については上の様に、盛んに禍害しています。例年だとヒヨドリは、この時期は、みかんよりも柿で、近くにある柿の熟した実を盛んに食べているのですが。じつは、柿も今年は裏年で、柿の木に実がほとんどついていません。数少ない柿の、ついていた実は、きれいに中をえぐるように食べています。そうした好物の柿が、今年はほとんど無いんですね。そうした事情だから、早生みかんに早く焦点があたっています。まだ完熟してないのに、しかも数が少ないのに、これこそをと、集中して餌として狙わなければならないようです。まわりには、もっと沢山みかんがついているみかん園をみかけるのですが、そっちへ行ってくれればよいのに・・・とも思うのですが。鳥にも、どうやら縄張りがあるようで、不作がちな当みかん園から、どうしても離れようとしてくれません。みかん園の様相が例年と違います。こうなると当方としても、早生みかんの収穫の仕方を変えなければならなくなってます。樹上で完熟させるのを目指していたのですが、それをある程度抑えて、収穫して後に追熟させる仕方に切り替える。そうしないと、ほどよく熟す前に、鳥たちにかなりの比率でたべられちゃっている。木についているみかんが少ないから、鳥たちの激しい争奪戦になっているようです。鳥たちは、年がら年中みかん園をまわっていますから、いつでも食べれるのですが、休日農夫は、そこでの作業は、日時が限定されてますから、かないません。すこしくらいなら文句もないのですが、かなりを食べられちゃう。少しはまともな状態で残しておいてほしいのですが。そうしてくれないと、とても予約してもらっている人たちに、所定の量を提供することができなくなるのですが・・・。そんな都合は、鳥たちはまったくお構いなしです。ときどき、すぐちかくまできて、「キーッ、キーッ」と騒いで飛び回ってます。どうやら例年になく食糧難のようです。今年は、あちこちで、イノシシや猿の加害の便りを聞きますが、みかん園でも、鳥たちが果実を盛んについばんでいます。
2012年11月14日
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芥川龍之介著「トロッコ」を、懐かしく読みました11月11日に、中伊豆に小学校の恩師を訪ねた時に、いろいろな話の中で、芥川龍之介の「トロッコ」のことが出てきました。「ぜひ、読んだ方が良い」と紹介していただきました。この芥川の作品は、本棚に埃をかぶって、気にもとまらずに持ってはいたのです。あまたのものとともに、放置されて埃の中にうもれていました。さっそく、引っ張りだしてみたのですが。これは、芥川龍之介の大正11年2月の、小さな作品です。たった5ページの短い作品ですが、芥川にこんな作品があるなんて驚きでした。それは、私などの故郷・真鶴方面の遠い昔の雰囲気を漂わせていました。なつかしい、遠い世界への郷愁を感じさせてくれる作品だったんです。軽便鉄道の熱海線をつくるための工事、そこで使われていたトロッコにまつわる、子どものころの話なんですね。そのころ、1922年(大正11年)ころの追憶を描いたものなのですが。豆相人車鉄道から、この軽便鉄道をへて、東海道本線につながったんですね。その軽便鉄道を建設していたころの話です。どんな点に郷愁を感じたか。戦後の1950年生まれの当方としては、もちろん生の当時を知る由はありません。しかし、昔の姿が、子ども心の追憶として重なる部分があるんですね。1、今は町村合併されて、真鶴町岩ですが。私の小学校の初めのころまでは「岩村」(いわむら)だったんですね。その固有の名前を聞くことはなくなりました。この小品のなかに、その名前が出てきました。2、さらに、あえて方言が、会話の中に書き込まれています。「押してくれよう」(押してくれよ〔たのんでいる〕)「われの家でも心配するずら」(お前の家族も心配しているだろう)綺麗な言葉ではないのですが、親しみのある習慣ですが、もしかして、ひょっとしたおりに、今でも耳にすることがあるかも。3、おもいあたる景観が描かれてますが、いまでも大きくは自然はかわってません。そのなつかしく、今に通じている景観を、いくつも描いていること。「路線はもう一度急こう配になった。其処には、みかん畑に黄色い実がいくつも日をけている」(これは追憶のことで、みかん畑は分かるけど、前提となっている二月には実は着いていない・・、しかし、私が主人のいなくなったみかん園で、鳥たちの饗宴に分け入ったのは、2月中旬でしたから、作品通りウンシュウミカンが残っていたかもしれません)「車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。」「茶店の前には花の咲いた梅に、西日の光が消えかかっている。」そして、「岩村まできた」の名がでてくる。「夕焼けののした日金山〔ひがねやま〕の空も、もう火照りがきえかかっていた。」(「ひがねやま」ではなく、地元では「ひがねさん」が一般的な呼び方かと思う)これらの自然は、昔も、今も、そうたいして変わりません。4、いったい主人公は、どこに住んでいて、トロッコを押してどこへ向かい、どの辺でトロッコから別れて家に引き返したのか。確かなことはわかりませんが。おそらく、夕暮れの日金山の見える帰路と、岩村までの数倍の所まで行ったこと、右に海が開けた、などなどからすると、江の浦あたりまで・・、いや根府川の近くまで行ったのかもしれない。8キロくらいはあると思います。冬の日暮れはつるべ落としです。うっそうとした、人気のない、細い線路道、それは淋しいものです。そこから、いくら一生懸命駆け戻ったとしても、2時間くらいはかかります。途中でほどなく真っ暗になってしまったでしょう。必死になって、ひとりさびしい道を、家のある湯河原方面に向かって、夕暮れから暗闇になっていくのと競争して、駆けもどったのでしょう。類似するような経験は、それぞれに、誰しもあると思うのですが。5、本の解説によると、芥川龍之介には、関係する職場に湯河原出身の力石平三という友人がいたようですが、彼の書いた回想をもとにして、この作品を書いたとのこと。それで、話の輪郭は大体あってきます。芥川龍之介、この文豪はこの小品をよくぞ書き残してくれたものです。そして恩師は、よくぞそれを紹介してくれてものです。ここには、故郷のなまり懐かしく、その景観は今も大きくはそのままに描かれています。その懐かしい追憶を、みごとな作品にして残してくれていました。これを知らなかったののは、じつにもったいことでした。とくに彼の地に生まれ育ったものとしては、懐かしの故郷がよみがえってきます。これは大きな宝物だ、と感じさせられました。
2012年11月13日
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いよいよ、みかんの収穫が始まりだしました11月11日(日)、神奈川県西部・真鶴のみかん園でのこと。昨日のブログで紹介したみかんの収獲について、もう少し紹介します。今回は、午前7時から約一時間で、早生みかんを20キロ収穫しました。これまでの収穫というのは、10月27日に5キロ。11月3日に6キロといった状況でしたから、今回の11月11日の20キロの収穫というのは、いよいよ収穫作業が「動き始めた」といったところです。この日、収穫した早生みかんの木です。写真では、みかんの成熟度の色合いがうまく伝えられないのですが。未だ左下の部分が、部分的に収穫段階にたっした出したところです。木全体からしたら、色づいたのは1割程度で、多くはまだこれからといったところです。その収穫の対象部分をアップしてみました。果実が黄色からオレンジ色にかわること。果実に枝が付いているヘタの部分まで色づいたものが収穫対象とみています。ところが、そこまで色づくのを待っていると、それを、不届きなことに、横取りしてしまうものがいます。ヒヨドリであり、メジロなどが、成熟したみかんを狙っています。ところどころ、すでに先取りされちゃっています。成熟したみかんを提供しようとして、色づくのを我慢して待っていれば、鳥たちに、ほんの一足ですが、先についばまれてしまう。それが1個や2個ではないわけです。1割とか、2割ともなれば、見方が厳しくなってきます。鳥たちのごちそうのために栽培しているわけではありませんから。しかし、だからといって、早やもぎして、黄緑色の残るみかんを出したくはありません。先々週、NHKの『平清盛』で、「悲しきかな君のために奉公の忠をいたさんとすれば、迷慮八万の頂よりなお高き父の恩たちまち忘れんとす。痛ましきかな、不孝の罪をのがれんと思えば、君の御ために既に不忠の逆臣となりぬべし。進退これきわまれり。」この『平家物語』の第二巻の「烽火の沙汰」の場面がありましたが、どこか、通ずるものを感じました。とはいえ、まだみかんの収穫は始まったばかりです。この範囲は、すべてがまだ先の対象です。この左側が早生みかんで、右側がフツウウンシュウミカンです。いずれも、これから成熟が始まりだすところです。まだまだ、みかんの収穫作業ははじまったばかり、序の口です。しかし、始まりの時といっても、動き出すと、一気に色づきだしますから、注意して、みかんの事情に合わせるしかないのですが。そのすべては、これから年末までの、7週間の間のことなんですが。これから、収穫のタイミングをみきわめて、適時に色づいたものから収穫していきます。早やもぎの青田刈りをして、酸っぱいみかんを提供することがないように、そうかといって、のんびりとしすぎて、おおくを鳥の餌にしてしまわないように。「適当に、とっちゃえ」というわけにはいきません。さらにくわえて、天候による支障もあります。雨で濡れてしまっては、痛みやすくなりますから、収穫は出来ません。これらの兼ね合いが、肝心なところで、収穫の機会というのは、みかんと人の都合というのは、そうそう、いつも、のんびりとあるわけではないんですね。休日農夫は、水と土が勝負となっています。
2012年11月12日
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11月11日、雨が降りだす前の富士山と、みかんの収穫11月11日(日)は、午後から南関東は雨が降るとの予報でした。伊豆の大場に、小学校の時の恩師が住んでおられます。今日は、伊豆談義を楽しみに、訪ねる約束になっていました。それで、午前5時25分に八王子発で、まずは真鶴のみかん園に向かいました。その途中、午前6時16分の富士山です。平塚から見たものです。富士山が見えるということは、しばらくは天気は持ちそうです。うっすらとした雪で、登山道のジグザグの線も見えてます。ただし、西からあやしい雲が流れてきています。やはり、天気は下り坂です。午前6時30分、小田原から見た富士山です。頂上が隠されてしまいました。短時間の間に、西から雲が大分増えてきています。今日という日は、まる一週間、みかん園から遠のていましたから、この伊豆に向かう前に、途中下車して、真鶴のみかん園でひと仕事です。1時間半の限定作業で、早生みかんの収穫です。本日は、今季の第三回目の収穫です。早生みかんを1コンテナの20キロを収穫。他に、スダチと、柿9個を収穫しました。みかんは、数日間は酸味をおとすために、数日間、コンテナに小分けして、置いておきます。これで、本日の作業は終了です。初期の段階は、成熟したみかんが、まだ少ないんですね。午前8時30分には、本日の主題の、伊豆・大場に向けて出発しました。道がすいてさえいれば、真鶴から車なら45分とのこと。今日は、日曜日の朝早めだったので、道はすいていて、約1時間たらずで着いちゃいました。おかげで、いろいろ用事が出来ました。伊豆の国市の江川邸の近くからから見た午前10時くらいの富士山です。雪をのせた頂上が、わずかですが見えましたが、雲がさらに一段と増えつつあります。関東から見た富士山は、すそ野が丹沢や箱根山で切られてしまうのですが。伊豆の方面から見ると、すそ野がきれいに広がってみえます。しかし、実物の持つ大きさや雄大な迫力が、残念ながら写真だと伝わりません。それと、雲が富士山を隠しはじめています。伊豆談義は、土地柄の歴史など、楽しいひと時でした。伊豆と真鶴は、思ったよりも近い。函南には、歴史的な遺産もたくさんあり、いろいろ紹介していただきました。来年に予定している「伊豆の旅」にも、参考になることがいっぱいありました。その中身については、おいおい紹介出来ると思います。そして、案の上、天気は下り坂。直帰したのは正解でした。帰京した午後3時ころには、雨がぱらつきだして、この夕方には、雨音がするようになっていました。本日は、全部で240キロを走行しました。真鶴までは78キロでしたから、そこから伊豆・大場までは、その先をさらに40キロという道のりでした。道がすいてる時間帯なら45分だそうですから、これまで思っていたより遠くなく、時間もかからない。熱海峠をこえさえすれば、函南はすぐ隣だということでした。
2012年11月11日
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日露和親条約と、伊豆・戸田にあるロシア人の墓10月31日に西伊豆・戸田港に行ってきたことは、以前に紹介しました。それに関連して、まだ紹介しそこねていた事がらを紹介します。今、日本と中国や韓国との間で領土問題が問題になっています。ロシアとの間にも領土問題があるわけですが。日本とロシアの領土問題を検討するうえで、大事な資料がここにありました。西伊豆の戸田をまわった時に、戸田造船郷土資料博物館があり、そこに1854年の日露和親条約の条文も展示されていました。1854年(安政元年)12月21日に伊豆・下田で調印されたものです。この第二条で、領土問題が合意されて、和親条約が締結されたんですね。「エトロフ島とウルップ島の間に境がある。エトロフ全島は日本に属し、ウルップ全島とそれより北のクリル諸島はロシア領とする。カラフト島は境界を定めず」と。その後、カラフトと千島の交換条約につながっていきますが。幕末の1854年に、日本とロシアが、正式に国境をさだめた文章です。それが博物館に展示されていました。その戸田港です。岬がのびていて、綺麗な自然の湾になっています。この資料館には、幕末当時の位置関係が分かる村の略図も展示されていました。1854年末、伊豆・下田で和親条約を結ぶための交渉が行われようとしたのですが、第一回目の顔合わせをしたとたんに、直ぐその後に、11月4日安政の東海地震が発生した。その約30時間後の、11月5日には今度は安政の南海地震が発生した。この地震と津波で、ロシア代表のプチャーチンのディアナ船が沈没してしまったんですね。ロシアに帰えれなくなり、プチャーチンたちは、幕府と村民の協力を得て、代わりとなる船(ヘダ号)を、この戸田で建造したというんですね。博物館には、その模型がありましたが、200トンくらいの小さな船です。沈没したディアナ号は2000トン級で、528名の乗組員がのっていた。それが、震災の遭難者になってしまったわけです。その略図には、様子が紹介されてます。プチャーチンは宝泉寺を宿舎としたこと。他の大勢の乗員は、地図にもありますが、応急の長屋を建てて、住宅としたとのことです。こうして、船が出来るまでの3ヶ月間くらいでしょうか、一行は、この戸田で難民として暮らしたというんです。当時、戸田村は、人口250人くらいでったでしょうか。そこに、500人余もの避難者を受け入れたんですね。その長屋による仮設住宅のくらしが始まったわけです。もちろん、幕府の支援があったから出来たことですが。戸田村民の温かい被災者支援があったんですね。その時、プチャーチンの宿舎となった宝泉寺です。お寺といっても、小さなお堂があるだけで、裏手はすぐにお墓になっていました。お寺に近づいたら、この庭の右側に、「露国人の墓」がありました。二人のロシア水兵が、その当時に亡くなったとのこと。左側に日本語による碑が、右側にはロシア語の碑文がありました。二つのお墓のうち、右側の円筒形の墓は、安政の当時に建てられたお墓だそうで、そのままのものだそうです。プチャーチンたちは、代わりの船が出来るまで、12月7日から3月22日まで、ここで暮らしていたんですね。条約交渉は、約一カ月の中断の後に下田で再開され、12月21日は、この日露和親条約がまとまり、調印されました。ここからプチャーチンは、下田まで出かけていったことになります。プチャーチンと500名余の乗員の、国交をひらく条約交渉の航海は、とんでもない旅となったなったわけです。安政の東南海大地震、その地震と津波に巻き込まれて、被災者となった。震災直後は、帰る船も失い、お先真っ暗だったでしょう。それでもめげないで、日露和親条約をまとめあげて、使命をはたしたわけです。日本とロシアの両国間に、しっかりと歴史に残る条約の締結となりました。困難な被災者となったプチャーチンは、生活支援と代りの船の建造といった、この村民の難民への支援に対して、プチャーチンは生涯の終りまで感謝の気持ちをもっていたとのことです。その遺志により、娘さんが感謝を伝えに戸田までやってきたそうです。そうしたことは、碑文が建てられているように、今日にも引き継がれてます。
2012年11月10日
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ヘーゲルの『哲学入門』を読んでみませんかヘーゲルの『哲学入門』(武市健人訳 岩波文庫)を、これから読んでみようと思っています。この本は、以前に部分的に所々を拾い読みした程度に過ぎなかったのですが。従って全体観をもつこともなく、読みとおすこともなく、これまで本棚の隅にほこりをかぶっていたのですが。最近、ヘーゲルの著作をいくつか挑戦してきましたが、この本についても関連しそうな部分を開いてみてはいたのですが。 この本の基になっているのは、岩波文庫の解説によると、ヘーゲルが1808年から1811年に、ニュールンベルグのギムナジウムの校長兼哲学教師をしていた時に、そこで哲学授業をおこなうためにつくったテキストだということです。だいたい、ギムナジウムというのは、ドイツでは大学進学を準備するための9年生の学校だそうで、日本で言うと中高一貫教育にあたる学校だそうです。ようするに、この『哲学入門』は、高校生を対象とした哲学授業の教材だったんですね。今回、あらためてこの本に挑戦しようと思ったのは、高校生を相手にした講義だったとすれば、少しは初心者にも理解できるように、ヘーゲルの難解な哲学を説くのに、少しは配慮してくれているのではないか・・・、と淡い期待をいだいたからだったのですが。ヘーゲル(1770年-1831年)の年譜をみると、1805年2月に、ゲーテの推薦で、イエナ大学の員外教授(助教授)になりました。この時期に、ヘーゲルの最初の大作、『精神現象学』(1806年 36歳)をまとめて、刊行しています。ところが、ナポレオンの侵攻によって、プロイセン軍はアウステルリッツで敗れて、1807年3月にイエナ大学は閉鎖されてしまう。このためヘーゲルは、7年間勤めた職を失ってしまったわけです。このピンチを、友人のニートハンマーが世話してくれて、1807年3月から1808年の末までハンベルクの新聞の編集の仕事をしています。さらに、やはりこの人の世話で、1808年11月に、ニュールンベルグのギムナジウムの校長兼哲学教授となりました(38歳)。 この『哲学入門』は、この学校での哲学講義のための教材であり、その講義録を元にまとめられたものだったんですね。ヘーゲルにとって、このギムナジウムの時代というのは、主著の『大論理学』(1812年 42歳)をまとめつつあった時でもありました。その仕事と並行して、この講義は行われていたというものでした。 そうしたことで、この講義(『哲学入門』)は、章建てを見ると、ヘーゲルの論理学とともに、哲学体系の輪郭ができつつあるように感じられる・・・のでありますが。 この後、ヘーゲルは、1816年秋にハイデルベルグ大学の哲学科の正教授の職に、はれて希望していた仕事に就任することがでました。そして活躍が始まりだす。そこで彼の哲学体系を明らかにした『哲学的諸学問のエンチクロペディー』(1817年 47歳)を公刊することになる。 このころから哲学者ヘーゲルは社会的にも影響をもつようになり、1818年の秋にはベルリン大学教授となります(48歳)。そして1821年には『法の哲学』を刊行します(51歳)。そうした最中、1831年11月14日(61歳)突然に死去してしまいます。コレラによるものだったそうですが。つまり、このヘーゲルの『哲学入門』というのは、高校生たちを相手にして、わかりやすく哲学を講義しようとしたものだったというわけです。はたして実際に「分かりやすかった」かどうかはわかりませんが。年譜で見たとおり、その講義の時期は、『大論理学』をまとめつつある時であり、この『哲学入門』の前後をみてみると、1806年に最初の大著『精神現象学』を刊行した後であり、また1817年に『エンチクロペディー』で哲学体系を刊行する前の時期にあたっています。ちようど二つの大著の、その中間の時期だったということです。そうした時に、ヘーゲルは、若い高校生たちを対象にして、いったいどんな哲学授業をしたのか。とかく難解な著作ばかり出している印象をもつヘーゲルですが、その彼が高校生に対してどんな話をしたのか。このように『哲学入門』が書かれた背景をみてみると、これまでの「つまみ食い」のような読み方では済まなくなってきました。また「難解だ」という印象のまま終わらせておくわけにはいかなくなってきた。そこで今回、あらためてこれに挑戦してみる気になった次第です。これから順次、何回かに分けて、読み進みたいと思います。はたして終りまで読み通せるか、それは未だわからないのですが。
2012年11月09日
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ラッキョウの花が咲き、柿の実を収穫しました暦の上では11月7日が、「立冬」とのことですが、みかん園では、まだまだ秋真っ盛りです。これからしばらくの間は、みかんの収穫で大忙しです。そうした中、ラッキョウの花が咲きだしました。雑草たちは、朝晩の寒さで立ち枯れて来つつある中でのこと。秋草は、草刈りしたことで枯れつつある中で、ラッキョウの茎の緑と、ピンク色の小さな花が目立っていました。ラッキョウの花を見たことがありますか。そうそう見られるものではありません、栽培者の特権ですね。なかなか綺麗です、枯れ野の中にピンク色が引き立っています。みかんも、これから収穫に入りますが、柿も収穫の時となっています。今年は柿も裏年です。11月3日に、最初のたった1個でしたが、収穫しました。去年の今頃は、たくさんとれたのですが。今年の実は、木にパラパラといったところで、希少価値になっています。柿も、秋の果物の欠かせない一つです。柿は、ちょうど早生みかんの時期と収穫が重なります。なかなか美味しいです。柿の実の収穫の少ない時は、その果実の一つ一つを粗末にすることなく、鳥たちとも分け合って、当方としても味わい深くいただいています。柿も、やはり、秋本番を実感させてくれます。
2012年11月08日
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紅葉の箱根と、湯河原・みかん狩り (バス旅行)に行ってきました11月7日(水)、八王子健康友の会のバス旅行に行ってきました。「紅葉の箱根と、湯河原でのみかん狩り」の日帰りバス旅行です。当方の眼目は、湯河原のみかん園を見てくることでした。幸いにして、前日の雨模様とはうってかわって青空の天気となりました。バスの車窓から、富士山の全体がすそ野の広がりまで綺麗に見えました。走行中の景色は、写真がピンボケになってしまい、残念ですが紹介出来ません。これは、箱根・大涌谷で見た富士山です。大涌谷からの富士山は、たいへん綺麗でした。箱根・大涌谷は、今が紅葉のシーズンで、平日にもかかわらず、外国人を含む、大勢の観光客でにぎわっていました。山腹までの歩道も、大勢の人が登っていました。手前は、カメラを構えた人たちの蔭です。いつもどおり、硫黄泉が沸々と湧き出す池で、温泉につけて黒い卵にゆでていました。大涌谷の駐車場の方も満杯になりだしていました。芦ノ湖畔への帰り道には、反対側の大涌谷に向かう道は、駐車場の空くのを待つ車の長い渋滞が、延々と伸び出していました。大涌谷の背後の冠ケ岳です。大涌谷というのは山肌にありますが、その本体となる山が冠ケ岳です。山肌からは、この箱根山が今も生きている証として、蒸気と噴煙が上がっています。あたり一帯に硫黄の臭いがただよっています。参道のわきに案内板がありました。「今から3,100年前に神山が大水蒸気爆発した山体が破壊され、火口が出来た。その後200年ほどして、マグマが地下から押し上げられ、火口内に溶岩円頂丘(ドーム)が生じた。その円頂丘の屋根を破って、溶岩尖塔の「冠ケ岳」が現れた」と。写真は、逆光のため山自体の景色がよく見えませんが、すそ野を見ると、大涌谷あたりが、今、紅葉の真っ盛りなことがわかります。この後、芦ノ湖畔にもどって、昼食をとってから、箱根峠を通って、湯河原への道を下って、みかん園に行きました。当方のみかん園は真鶴にありますが、湯河原というのはすぐ隣りの町です。しかし、湯河原のみかん園というのは、私にとっても、まったく初体験でした。湯河原も、徳農家のみかん園がありますから、期待して行ったのでしたが…。みかん狩りをしている観光農園というのは、いろいろあります。素人がみかん狩りをするというのは、簡単なようですが、必ずしも容易ではありません。ここのみかん園ですが、結論からすると、よくなかった。だいたい、木についているのは、熟したみかんはなし。すでに熟したみかんを採ってしまった後の状態でした。よくもまぁ、「どうぞみかん狩りを楽しんでください」などと言えるものだと呆れました。とても樹上には熟したみかんは、ほとんど、いや「まったく」ついてないわけです。そうした木に案内され、何の説明もなく、ほったらかされた素人は、そこで、いくらみかん狩りしても、いくらみかんを選んで採っても、酸っぱいみかんを採るのが、関の山です。追熟させる対象より、それ以前のみかんしか残っていなかった。みかん園の入り口の販売所には、袋詰めされた追熟させたみかんが売られていました。まぁ、この方はそれなりのものでしたが。しかし、まがりなりにも「みかん狩り」を看板にしているのですから、自分の手で、みかんの木から採るのが楽しみに来ている人たちが相手のはずなのに。これでは、せっかくの努力をした人は、酸っぱいみかんを手にすることになる。いくら商売だからといって、なんの説明もなく、ただお金を取るだけ、といった情況でした。これは、みかん農家のあり方として、大きな問題です。これでは、せっかく遠路楽しみにやってきた人たちの期待を裏切っている。同時に、これでは、この地域のみかん農家全体の印象、評判を、落すことになっている。湯河原には、みかん園の徳農家の人たちがいることは知っています。彼らは、美味しいみかんを安く提供しようと、頑張っているんですよ。直接に知り合いの人はいませんが、時々たちよるJA湯河原の産直販売を見れば、それがよくわかります。今回の場合、企画した旅行会社も、みかん農家も、みかん狩りを楽しみに来ている人たちの気持ちに、「一期一会」を大事にして、もっとしっかりと答えるべきだし、そうした責任が両者にあると思う。この点で、両者の、ここのみかん狩りは残念だし、「面汚し」です。言っちゃぁ悪いけど、「かくはありたくない」、との典型でした。
2012年11月07日
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『巨大地震が原発を襲う』 (船瀬俊介著 地湧社 2007年9月1日刊)を読んで震災から1年7カ月が過ぎました。この震災の被害をみると、2012年7月18日現在、死者・行方不明者約19,000人、建物の全・半壊39万以上。8月2日現在、避難者等は34万3,334人(ピーク時、40万人以上)と、発表されています。先日、10月14日-15日と、福島を回る機会がありました。その前後に、何冊かの3.11大震災に関する本を読みました。その中には、菅前首相のものや、福山官房副長官の原発事故への対応の本も読んだのですが。それらは、震災と原発事故の発生と進行しつつある事態をどの様に把握して、それに対して刻々と対応した緊迫の様子を明らかにしていました。そして、それから学ぶことは何か。これはこれで、重要なものと読みましたが。それとは別に、新たに一冊の本を紹介します。船瀬俊介著『巨大地震が原発を襲う』(地湧社 1900円)この本は、2011年3月11日の震災と原発事故が発生する前に書かれた本です。出版されたのは2007年9月1日ですから、震災と事故の3年半前に書かれたものです。もちろん、船瀬氏の説のすべてが正しい、などと言うつもりはないのですが。そんな全般的な知識は、私などにはないのですが。少なくとも、この本に関してですが。彼は、かのチェルノブイリ原発事故は地震が原因との報告書があると紹介して、もしそうなら地震大国の日本では、そこから早急に根本的に学ぶべきだと、主張していました。彼は、そこから予測していました。原発は地震によって電源喪失し、冷却機能が喪失し、原子炉の爆発などの大事故をきたすことを。そして、原発の事故は、放射能が広域に広がり、人を禍害し、広大な地域が人の住めない状態になる、・・・と。とくに日本では、いつ大きな地震が発生するかわからないし、だとすれば直ちにこうした危険をなくすように切り変えよ、と切迫して警告していました。今回の原発事故の結果に照らすと、その後の進展にてらすと、その警鐘は的を得ていました。それがわかります。ただ、船瀬氏が危惧しているのは、今回よりも、もっと大きな危険でした。日本の50数基の原発のすべてが、そのそれぞれが危険であり、たとえば東南海地震による浜岡原発で事故が起きたらどうなるのか。首都圏も避難せざるを得なくなる。そうした規模の災害であると想定される、と指摘しています。それからすれば、今回の事故は、それが今どんなに苛酷な現実があっても、全体の危険な可能性からしたら、まだまだ「序の口」だということです。福島の事態は、首都圏をはじめ、ほとんどの人たちの問題だ、と。今回の福島の原発事故では、一時は4基の爆発的な連鎖反応で、人が近づけなくなることも問題になりました。菅前首相が、それに直面したことを語っています。そうなったら、30キロ圏どころではなくなったはずです。実際に、アメリカは今回の中で、東京圏の米人を大阪方面に避難させることを検討しました。関東圏に住むわれわれは、ちっともそんな事態にあったなどということは、知らなかったのですが。後から知って、ビックリですが。今回の事態が、もうちょっとでも進んだら、それが現実的だったんです。紙一重の幸いだったんですね。この放射能の広域汚染は、原発の危険は、船瀬氏だけの警告ではありません。そうした指摘をする人たちが、メディアでは紹介されないけれど、専門家の人たちが、存在するということです。こうした警告は、今回の事態でみるとかなりの現実性を持っていたし、今現在も危険をかかえているということです。そんな船瀬氏の本については、今回たまたま目にするまで知らなかったのですが、3年余も前に刊行されていたんですね。今と今後ですが。原発の現状をはやく抑えなければなりなせん。変えなければなりません。政治のリーダーシップが、そこに働かなければならないのですが。実際の政治の動きはそうなっていません。現状は、のらりくらり、ずるずると、行ったり来たり。そうした事態がつづくことは、この先に、どの様な惨禍をきたすか。どうしたら、この切り替えるを確実なものにでき、そのテンポを速めれるか。それが、今、問われている問題だと思います。
2012年11月06日
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早生みかんの収穫、二回目です11月3日(土)、二回目の早生ミカンの収穫に行ってきました。今、富士山の雪が下に降りてきていることを紹介しましたが、相模湾の海沿いの真鶴にあるみかん園でも、きっと朝晩の冷え込みを感じている、この頃かとおもいます。この気象が、みかんの成熟にとって欠かせません。果皮が黄色く色づくのを促進させてくれるからです。今回の収穫も、まだ早生みかんの小木の2本くらいからですが。前回の初収穫も、この2本からです。 この2本については、今回で大方の収穫を完了しました。全部で7キロくらいの収穫でした。まだまだ、ほんの序の口でしかないのですが。淡い黄色から、濃い黄色へと成熟してきています。へたのところまで色づくと、収穫時と思っています。みかんの糖度を測ってみました。12.8度ありました。12度以上なら合格と思っています。こっちは、13.1度ありました。これなら十分に合格です。ただし、もう一つ問題があります。みかんの美味しさというのは、条件が3つあります。1.果皮の色づき、2.糖度の12度以上になること、この二つはこれまで見てきました。しかし、もう一つ条件があります。3.酸味の減少の問題です。酸味が減ることにより、酸味と糖度との適度なバランスになることが重要ということです。北限の産地にある当地のみかんは、他の南のものと比べて酸味が強いんですね。したがって、酸味をおとすことが大事になります。それは簡単です。収穫してから一週間くらいねかしておくことです。そうしておくと、みかんの味がより美味しくなることです。これは、実際に食べてみた食感で確かめるしかなし、糖度計の数字では、計れない問題なんですね。これは、当方の経験則なんですが、そう理解しています。さて、そうこうしているうちに、はや11月となり、成木の早生ミカンの木も、徐々に黄色くなりはじめてきました。まとまった量を出せるのは、やはり成木です。いよいよ、美味しいみかんが提供できるかどうか、それを、どのくらいの量を提供できるか。需要と供給の読みも問われます。それは自然ではなく、社会なんですね。みかんの収穫というのは、忙しく、楽しいだけでなく、ハラハラ、冷や冷やさせられるシーズンでもあります。
2012年11月05日
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西伊豆に、土肥金山の跡を見てきました10月31日、西伊豆で土肥(とい)金山の跡を見てきました。土肥金山は、西伊豆の観光名所の一つです。金山といえば佐渡が有名ですが、伊豆も金を採掘していたんですね。佐渡は江戸初期から開発されたようですが、それよりも歴史的には古いようです。足利幕府の時代に、、1370年代には、すでに当地に、金山奉行所を置いていたというんです。門をくぐったところに案内板がありました。採掘が本格化したのは、やはり徳川家康によってだそうで、1606年に大久保長安が奉行を兼ねるようになってからとのこと。大久保長安という人は、佐渡金山の奉行でもあり、石見銀山でも奉行をつとめています。採掘技術の第一人者だったようです。金の採掘量ですが、推定ですが、佐渡が、1601年から1989年までに、金78トン、銀2330トンが採掘されたそうで、土肥は、1965年の閉山までに、金40トン、銀400トンくらいが採掘されたそうです。採掘は、伊豆の山々の何箇所かで行われていたようですが、やはり土肥が、奉行所が置かれていたように、中心だったようです。町もそれによって、賑わっていたようです。これが坑道の入り口とされるところです。掘り進んだ坑道は、のべ100キロメートルになるそうで、海面下180メートルまで掘っていた、と案内板にありました。坑道は、観光用に整備されてます。採掘は1965年まで、最近まで続いていたんだそうです。当時の山の写真が紹介されいてました。写真の右下には、「1962年(昭和37年)に操業を停止した時の施設」と案内されています。実際に山を見ると、基本的に概観が残されていることがわかります。石垣やレールは、そのままの跡を残していました。伊豆に金山があったこと、今回まで知らなかったんですが、佐渡に次ぐ、金の採掘量だったと案内板にはありました。
2012年11月04日
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10月30日、雪をのせた富士山です10月30日、伊豆へ行く途中に、小田原から見た富士山です。いつもなら見えるはずの富士山は、このところ、小田原SAからは見れませんでした。そこを通る時は毎度の曇り天気で、雲に隠れて富士山はなかなか見えませんでした。今回、久しぶりに富士山が見えたのですが、白い冬の富士山に、すっかり様変わりしていました。前回見た時は、9月16日でした。ちょうどそれが初冠雪でした。当方が富士山を見れるのは、みかん園に行く途中のこと。だいたい、週に1度くらいの機会です。地元の人は、もっと頻繁に見れるでしょうから、雪化粧の移り行きを、もっと詳しく観察できているでしょうが。当方にとっては、一ヶ月半ぶりに見えた富士山でしたが、すっかり雪をのせた冬山の姿に変っていました。夏から冬景色に、一気に移ったようです。今回のながめは、いつもと違います。「伊豆の旅」の下見で、「だるま山高原」から見た富士山です。修善寺から戸田に移動する途中の、峠から見た景色です。雲の間から富士山が見えてます。手前は伊豆半島、前の海は駿河湾です。正面は、静岡の日本平でしょうか。ここからの景色は、富士山の絶景ポイントの一つだそうです。確かに、実際の景色はすばらしいんですが。しかし写真となると、簡単ではありません。全体の広がりを入れようとすると、富士山がちっぽけになってしまう。ある程度富士山を大きくしようとすると、こんどは駿河湾全体がはいらず、切らなければならなくなります。実際の景色は、富士山も、そのすそ野の広がりも、全体が一つで、そんな虻蜂取らずなことはないのですが。思い切って周辺の景色を削って、富士山をアップしてみました。宝永山の火口の半分くらいまで、雪が積もっています。この景色は、冬が、すぐ近くまで下りてきているということをしめしています。帰り道の、10月31日は、伊豆半島の中央を北上して、富士吉田方面から中央自動車道にのったのですが。富士山のすぐ近くを通りました。近くで見た富士山は、じつに迫力がありました。午後になると、太陽は反対側になり、逆光になってしまいます。迫力ある姿を写真にしようとするのですが、残念ながら、写真にすると、その迫力は感じられなくなってしまいます。いつ、どこから見ても絵になる富士山ですが、久しぶりに見えた姿は、白く雪をのせた富士山は、冬が、すぐそこまで来ていることを示していました。
2012年11月03日
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3.11原発事故で、2人の著書に注目しましたたまたまでしたが、最近のことですが、ある新聞の紹介で一冊の本を知りました。菅直人著『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎 2012.10.25 860円)今回の2011.3.11原発事故は、何を私たちに提起しているか。東日本大震災の地震と津波。それは自然災害ですが。対応としてはいろいろ考えさせられます。もちろん、それ以上に福島の原発事故の発生がもっている問題点を。それがどのようなものか。何を私たちに提起しているか、今に問われています。その時、国家の首相は、それをどの様にうけとめ、どう対応したのか。どの様な状況におかれていたか、その緊迫した対応・やりとりが伝わってきます。そこにはどの様な問題があるのか。それは、今現在の対応問題につながっています。私なども、その都度、ニュースなどで見てきたつもりでしたが、その首相自身が、退陣したあとで、当時の体験を本に書いたのを、その新聞の紹介を見て、はじめて知りました。さっそく、手に入れて読んでみました。緊迫した対応がつたわってきますし、いろいろ学ばされます。さらに、前首相の本の中で紹介されている、もう一冊の本を知りました。福山哲郎著『原発危機 官邸からの証言』(ちくま新書 2012.8.10 780円)福山氏は、当時の菅内閣の官房副長官です。当時、日本政府の中心者たちが、直面したことを、よりリアルに、彼らが置かれた状況と緊迫した対応を紹介してくれています。こんな本が刊行されていたのを、3ヶ月近くも知らなかったとは。いったいどうしたことか。とにかく、この2冊は、今という時点がもつ問題について、重要なことがらを、たくさんおしえてくれています。どうして、こんな大事な本を、これまで知らなかったんですかね。私としては、まだお読みで無い方は、是非、是非、ご一読をお勧めします。
2012年11月02日
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みかん栽培のまとめ、いよいよ10月は味見でした当地、神奈川県西部のみかん園では、みかんの収穫の季節は11月、12月です。もっとも、それはウンシュウミカンについてのことですが。近年は、みかんも、さまざまな品種が開発されてますから、ひろく柑橘類をみると、9月のスダチに始まって、5月の甘夏までは、ユズ、伊予柑、清見、はるみ、ハッサク、金柑、ポンカン、日向夏、湘南ゴールド、レモン、などなど。つまり1年のうち、その9ヶ月間は、何らかの柑橘類(みかん)を楽しめます。しかし、みかんといえば、やはり中心はウンシュウミカンです。そのウンシュウミカンの様子ですが。まず、フツウウンシュウミカン、その10月20日です。まだまだ、濃緑色です。フツウウンシュウミカンは奥手。12月が収穫時で、まだ先です。次は、早生のウンシュウミカンです。「早生」といわれるだけあって、枝によっては、かなり色づきが始まりだしています。なかには試食したくなるものも出始めていますが、これからです。以上は、成木のウンシュウミカンについてのことで、成木はじっくりとスローモーションで成熟していきます。それに対して、比較的に若い小木の方は、成熟は早めに、しかも短時間に成熟し出します。次の木は、10月27日時点の、宮川早生での小木です。2006年10月に苗木を植えましたから、7年生です。小木は、早く果実の荷をおろしたいかのように、早く成熟し出し、短い時間帯で全体的に色づきだしています。色づきの進んだ個所は、もう収穫して大丈夫そうです。なかなか良い色になっています。これならきっと美味しくなっていると思うのですが。それを首を長くして待っているのは、当方だけではありません。すでに、ヒヨドリたちが、味見をしていました。過度に食べられると鳥害になりますが。ほどほどなら、これもまた成熟のお知らせです。さっそく、早生の小木から、10月27日に味見をしてみました。糖度が12.7度ありました。12度を超えていれば、合格のつもりなんですが。そして、収穫してから3,4日置いておけば、酸味が抜けて、甘さが引き立って、さらに美味しくなります。今年は、10月27日に小木から5キロを収穫したのが、今年の初収穫でした。これから、秋から冬へ、太陽の暖かい日差しと、朝晩と日中の寒暖の差が、みかんの成熟をすすめてくれます。「はじめチョロチョロ、中パッパ」というのは、みかんの収穫にも当てはまります。いよいよ、これからみかんの収穫シーズンに入っていきます。11月は早生の温州みかんの収穫、12月は普通温州みかんの収獲です。10月は、その入り口、味見が合格しだしたところです。これから、みかん農家の人たちは、みかん小屋をあけて、いよいよ1年の計、収穫の大忙しの時に向かって、準備をはじめだしています。猫の手もかりたくなるように、その時は間もなくです。
2012年11月01日
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