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浅田真央の休養表明。それ自体は、前から予想されていた事であるので何の驚きもない。これまで唯ひたすら全力疾走を続けて来た真央ちゃんには、本当に心行くまでゆっくりして欲しいと願っているのですが、唯一つ、気になることがある。勿論休養中の事にまでファンが一々口を差し挟む権利などない。それは十分分かっているし、本当に身勝手なファンの我儘以外の何物でもないと、自分でも重々承知しているのだけれど、それでも気になるので敢えて言わせて貰う。真央ちゃんは、休養後の進退については全く不明だと言っている。気持ちは十分過ぎる位分かるし、それで当然だとは思う。ソチを目指して走り続けたこの4年間、それこそ血の滲むような苦労を重ねて来られた。ソチで集大成の演技が出来る事を信じて。それだけを信じて走り続けて来られたのだ。そして彼女はソチで、集大成の演技を演じきった。やり切ったと、彼女が心から思える演技が出来たのだ。彼女がやり切った!と心底思える演技が出来たこと、これ以上の喜びは無いし、私は心から満足もしたものだ。もう真央ちゃんを、「自由に」してあげたい、「解放」してあげたい、そう心から思ったし、これからの人生、彼女の好きなように、望むがまま生きて行って欲しいと願っている。それは本当に真実の想いであり、偽りなどあろうはずもない。けれど・・もしも彼女が、現役復帰に少しでも「可能性」を見出しているのであれば、勿論今の時点でそんなことは考えることも出来ない、先の事は分からないとしか言えない状態であるというその事は、重々承知ではあるのだけれど、もし彼女が競技に復帰すると言う可能性を完全に捨て切れていないのであれば、私は彼女に、氷上でのトレーニング、特にジャンプの練習~勿論軽度のものでよい~、を継続して頂きたいと思っている。そんなことは言わずもがなで、当然の如く彼女は氷上でのトレーニングを続けるのかも知れないけれど、もしそれをしないで完全に「休養」ということになってしまったなら、浅田真央はもう、競技者として試合の場に出てくることが不可能になってしまうのではないか?そう危惧するからだ。浅田真央は「天才」ではない。勿論素晴らしい才能に恵まれてはいる人だけど、天才揃いのトップアスリートの世界においては、語弊があるかも知れないけれど私は彼女を「凡人」だと思っている。「凡人」の彼女がここまで長きに渡り、世界トップで闘い続けて来られた最大の理由は、ただひたすら、毎日の精進の積み重ねによる、そう思っている。浅田真央は正に「努力の人」以外の何物でもない。努力こそが、日々の修練こそが、浅田真央を世界トップレベルのスケーターにまで押し上げ、その地位を不動のものとさせていたのだ、と思っている。それは逆に言えば、日々の修練を重ねなくなったら、その時点で浅田真央は浅田真央ではなくなってしまう可能性が高いという事だ。ここで言う浅田真央とはあくまで世界トップレベルの選手としての浅田真央という意味であり、彼女がもうその地位からは解放されたい、一人の人間としての浅田真央、或いはプロスケーターとしての浅田真央という人生をあらたに選択するというのなら話は別で、それならそれで全く問題ないし、新しい「浅田真央」を、私は心から応援していきたいと思う。けれど、競技者としての「浅田真央」に少しでも未練があるのなら、完全に休養するということからは少し距離を置いて、ゆっくり休みながらでも彼女のペースで十分なので、氷上でのトレーニングを続けて欲しいと思うのだ。でなければ、「通用」しなくなる、とまで考えてしまうのは私が人一倍心配性だからだろうか。けれど考えても見て欲しい。真央ちゃんは9月で24歳になる。普通に競技者レベルの精進を怠らない日々が続いたとしても、これから身体能力は確実に落ちる。落ちて行くばかりなのだ。高難度ジャンプは確実にどんどん跳べなくなる。普通の競技者レベルのストイックな生活を続けて行ったとしても、この件ばかりはどうしようもない。この年齢からはジャンプのレベルを上げるなんてどころではなく、現状をいかに「維持」出来るか、ジャンプの難度、質の低下を招くことは避けられない宿命なのだから、その低下の速度をいかにゆっくりとしたものに出来るか?が問題になって来ると思う。要は24歳になる真央ちゃんの身体能力はこれから落ちて行くばかりだという事、その「現実」を彼女がどこまで深刻に捉えているか、ファンの方もいつまでも選手は若くはないという、厳然たる、当たり前の事実にどこまで腹をくくって付き合っていくことが出来るか、そうしたことがこれからは問われてくるのだと思う。繰り返すが浅田真央は「天才ジャンパー」ではない。安藤美姫や金妍児や羽生結弦のような天才ジャンパーとは全く異なるのだ。この人たちは、ある程度のブランクがあっても大丈夫だろうと思うし、実際大丈夫だった。けど浅田真央は違う。天才どころかむしろ不器用で、特にジャンプに関しては課題を残したままだ。ソチでは確かに素晴らしい演技を見せてくれた。しかしジャンプには課題が残されたままであったのは残念ながら事実であり、4年かけて一から矯正し直してもそれでもやはり彼女にとって、ジャンプは鬼門であったという事を明白に物語っている。と言うかそもそもまだ「修正」の途中ですよね?そんな彼女がジャンプの練習を止めてしまったら・・これまでとほぼ同じ質、量の練習をしなくなればどうなるか?身体能力の低下と相まって、最悪の場合ジャンプが殆ど跳べなくなってしまう可能性だってゼロではない、と思う。流石にそれは言い過ぎだとしても、競技に復帰し世界と闘えるレベルのジャンプは維持出来なくなる可能性は高いと思う。それに彼女のジャンプは元々それ程評価されてはいない。「質」が決して「良くはない」からだ。回転不足の心配も常に付いて回る。佐藤コーチの元で彼女はそうした自らの欠点と真正面から向き合い、少しずつではあるが評価されるジャンプへと、ジャンプの質を向上させて来た。それは素人目にも明らかで、折角ここまで進化させて来たジャンプの質が、休養することにより元に戻ってしまわないか、非常に不安なのだ。彼女が「天才ジャンパー」ならこんな心配はしない。する必要もない。しかし彼女は天才ジャンパーどころかジャンプがむしろ「弱点」とも言える選手だ。確かに彼女は高難度ジャンプが跳べる。けれどただ「跳べる」だけでは不十分で、いかに「見事に」跳べるかが今のフィギュアスケートにおける評価基準となっているのだから私は彼女のジャンプを心配せずにはいられない。私は真央ちゃんには常に傍らに専門の方がいて、彼女のジャンプについては特に厳しく見て頂かないといけないと思っている。「自己流」で痛い目にあった過去が過去だけに、二度と同じ轍を踏んではならない。休養ということは、当然暫くは佐藤コーチともお別れするということだろう。あくまで「暫く」ではあるけれど、この「暫く」がどのように働くか、どのような結果をもたらすかが、非常に気がかりでならないのだ。正直な所、これを良い機会として、高難度ジャンプに見切りを付け、低難度であっても加点の貰える華麗なジャンプを物にすることに情熱を注いでくれることにならないかな、と思っていたりもします。浅田真央のあの美しいスケーティングに質の良い華麗なジャンプが加われば、どんなに素晴らしい世界が見られることか、それを想像するとワクワクするのです。勿論今述べたようなことはど素人の戯言であり、「リスク」に関しては真央ちゃん本人が一番良く理解しておられる筈です。その上での休養表明に反対など出来る訳がないし、私も彼女が休養してくれることを心から願ってもいる。先の事を部外者がどれだけ気に病んでも仕方がないし、休養に伴って必然的に生じるリスクは真央ちゃん本人が負うべきものであり「自己責任」以外の何物でもない。このまま競技者人生を終える事を決意されるのだとしたらなんの問題にもならないし、それも彼女の人生、彼女の新しい人生の始まりを私は心から祝福したいと思っている。真央ちゃんにはプロスケーターに成って欲しい、私はそう思っています。ショーなどでの彼女は実に生き生きしているし、心から「表現すること」を楽しんでいるように見えるから。彼女の「幸せ」を考えたなら、それがベストな選択であるようにも思うのですが、僭越過ぎますね、すみません・・
2014年05月22日
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ヨナさんの引退記念プログラム?の「トゥーランドット」の映像を見て、すっかり引き込まれてしまいました。いや、素晴らしいの一言。これぞ「キムヨナ」。久方ぶりに、ヨナさんの魂が燃えている、そう感じました。冷酷で権高な姫、というイメージ(オペラの事何も知りませんが)には元々ピッタリだと思える人でしたけど、役柄がどうとか言うレベルではない、想いが溢れ迸るそのエネルギー、その「熱さ」に驚きました。五輪での彼女の演技が少々消化不良気味だったのが嘘みたい。メダルを獲らなければとか、ファンの期待に応えなければとか、そういった一切の呪縛から解き放たれて、最後の最後に本当に自分が演じてみたかった曲で現役生活にサヨナラする。彼女のこれまでの人生そのものを象徴するかのような、狂おしいまでの舞に圧倒されました。彼女の演技の根底にあるものはクールとかドライという言葉で表現されるような質のもので、感情を掻き立てられるとか血が騒ぐとか、そういうタイプのものではなかった、と私は思っている。観客の心の奥にまでは入っては来ない人だった。それが時には表面的とも映り、皮相な印象を与えることもしばしばだったのは事実だろう。私は好きだったけどね、彼女のクールさが。バンクーバー五輪シーズンの「007」と「ピアノ協奏曲」ではそうした彼女の特質が目一杯生かされて、どちらのプログラムもキムヨナの代名詞となった感さえある。あの一切の妥協を排した「007」。研ぎ澄まされた鋭利な刃物を思わせるようだった、ヨナのボンドガール。そして「流麗」という言葉がこれ程相応しい演技も無いだろうと思わせた「ピアノ協奏曲」。どちらのプロもエモーショナルでなく、感情を掻き立てることなく、それでいてヨナの仕掛けた罠に、観客はしっかり捕まってしまうという、悪魔的なプログラムだった。そう、罠。ヨナの仕掛ける罠は実に実に巧妙で、思わず知らず観客は心をがっちり捕えられてしまうのだ。かくいう私が正にそれだった。真央ちゃんを応援し続けた8年間は、そのままヨナを見続けた8年間と重なる。一見正反対の2人、それでいて不思議にどこか似ている。通底している部分があると感じて来た。でなければここまでキムヨナという人に真央ファンの多くが、心をかき乱されることは無かった筈だ。どんな事情があったにせよね。私は浅田真央のファンではあるけれど、当初からヨナの演技にも惹かれていた。シニアデビューして1、2年はヨナの事も、或いはヨナの方が好きだったという真央ファンは多い。「あげひばり」での彼女の透明な演技は忘れられない。あの儚げで純朴な少女が変わってしまったと嘆く人も多いが、それはヨナ自身が決めたことだ。変わることを決意したヨナの勇気に私は拍手を贈りたい。彼女のあの変身は、何が何でも金メダルを獲るのだという決意表明に他ならなかったのだろうと思う。変わるという事は強くなるという事だもの。ソチ五輪に出場すると決めたのも、ヨナの強さに他ならない。だってもし、メダル獲れなければどうするの?前回五輪女王としての誇りは地に墜ちてしまう。最悪な場合全てを失いかねない。「リスク」を考えたらソチ五輪など出場しない方がよいに決まってる。私はヨナがソチ五輪に出場するだなんて、正直全く思っていませんでした。なので本当に驚いたし、また嬉しかったものです。バンクーバーから数年、キムヨナのいないフィギュアスケートに、一抹の寂しさを感じていたのは紛れもない事実でしたから。そして今度こそ、ヨナに勝って真央ちゃんにリベンジを果たして貰いたい、という思いが沸々と湧き起って来ました。ヨナのいない五輪で「不戦勝」するのではなく、正々堂々と闘った上で金メダルに輝いて欲しい。「正真正銘の」金メダリストになって貰いたい、そう心から願いました。相手が強ければ強い程、その相手に勝っての金メダルは価値が上がります。だから、ヨナにも以前と同じレベルで競技に戻ってきて貰いたいと思っていました。IOC委員になる為に五輪に出場?メダルには拘らない?そんな弱気な事でいいのかな、と思う反面逆に「恐さ」を感じたりもして。こういう精神状態にある人の方がプレッシャー無くて強いよね、逆に真央ちゃんは金メダルを意識してガチガチになってしまわないだろうか・・とか色々な事を思わせられました。けどそれよりも何よりも、またキムヨナの演技が見られるという事が嬉しくて堪らないと感じている自分自身にも気が付いていました。あれ、私ってこんなにヨナさんの事好きだったかな?そこまで思ってはいなかった筈なんだけど、ってなんだか可笑しな気分になったりして。ともかくまぁ楽しみでした。この二人の「物語」の結末やいかに?と。すみません、続きはまた。といっても次がいつになるやら分からないのですが・・
2014年05月07日
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全く更新が出来ない状況で申し訳ありません。世間はいまだフィギュアスケートの話題で結構賑やかな様子ですが?プロ野球ファンでもある私は、この時期もう殆どフィギュアには関心がありません。野球の事で頭が一杯の状態でフィギュアスケートの事「なんか」、すっかり忘れてしまっています。時折思い出したように録画を見たり動画を見たりはしていますけれどね。フィギュアを「思い出す」のは例年いつも夏になってから。「ザ・アイス」を見に行ったり、また夏のあのうだる様な暑さの中でスケートを見るのはクールビズのような効果もあり、ひと時とは言え暑さを忘れることも出来るのがとても心地よいのです。それでその状態のまま気分も盛り上がって行ってシーズン開幕。ここ数年ずっとそんな感じが続いていました。でも今年は・・例年とは少し、いやかなり違った気持ちでシーズンを迎えることになるのかも知れません。真央ちゃんがいない(少なくとも今季は完全にお休みでしょう)フィギュアスケートのシーズン。パトリックもいないシーズン。うう~ん・・ある程度覚悟はしていましたけれどこうして改めて考えてみると、本当に寂しいということを実感させられます。ヨナさんももういない、鈴木選手ももういないんですよね・・勿論ソトニコワやリプニツカヤを私は好きだし、ゴールドも好きだし宮原選手にも心惹かれるものがあるし、これからもフィギュアスケートを楽しみたいという気持ちは勿論あります。けど、今まで程の熱意をフィギュアに対して持ち続ける事が果たして出来るのだろうか?否、今まで余りにもフィギュアに対して熱が入り過ぎていたので、これからはもっと気楽に、普通に楽しむという事が出来るのかも知れないなぁ、とも思っています。浅田真央が好きだった私、フィギュアスケートが好きと言うよりも浅田真央が好きだった私、けど浅田真央を見続ける事によってフィギュアスケートを、フィギュアスケートという競技そのものを好きになることが出来た。これからの私は純粋なフィギュアスケートの一ファンとして選手たちの演技を心から楽しみ、応援することが出来る様になれるかも知れない。そう思うと、今季は私にとっても新しい「出発」、「仕切り直し」のシーズンになると、言えるかも知れないと思う。新ルールも発表されましたね。エッジエラーに対しては更に厳格に採点することになったようですね。良いことだと思っています。正しいエッジで「正確な」ジャンプを跳ぶ、これは本来基本中の基本ですね。今までその辺りが何ともあいまいな形で放置されており言葉は悪いかも知れませんが、正しくは無いジャンプが「見逃されていた」と思います。今回のルール改定により、選手は益々基本のエッジ遣いの大切さというものを見に沁みて感じることになるのではないかと思います。何事も先ずは「基本」です。基本が出来ていない選手に「応用」などあり得ません。リプニツカヤは3Lz-3Tを外すようになるかも知れません。出来ることなら、文句の付けようのない完璧なルッツを習得して頂きたい、と思ってはいますが彼女の場合、体型変化もそろそろ訪れるでしょうし、元々低空飛行のジャンプがこれからどうなって行くのか、難しい時期に彼女は差し掛かる事になるやも知れません。頑張って欲しいですけどね、私はやっぱり彼女の演技が好きなんです。あれ程ノーブルな雰囲気を湛えている選手は他にいないと思いますので。ソトニコワのルッツも少々微妙ですよねぇ・・となるとやはり完璧なルッツを跳べるゴールドがかなり有利と言えるやも知れません。「ルッツが得意」って、やはり素晴らしいと思います。私はキムヨナのルッツが大好きでした。安藤さんのルッツも素晴らしかったですが、やはりジャンプに「飛びこんで行く」としか表現の仕様のないヨナのルッツは垂涎ものでした。「世界一美しいルッツ」と評価されていると聞いた時にも全くその通り、としか思えませんでした。と同時にルッツが得意というのがどれ程「大きい」か、どれ程「有利」か、という事についても考えさせられました。ヨナの得意ジャンプがフリップであったなら、あそこまで圧倒的な「女王」には成れなかった。「説得力」にも欠けていただろう、と思います(安藤さんも同様)。ルッツをあれ程のレベルにまで磨き上げ、更に安定して跳び続けることの出来たキムヨナは凄い。これでループを習得し、物に出来ていたならば、間違いなくソチでも金メダルに輝き、五輪連覇という輝かしい成績を修めることが出来たでしょうに、勿体ないですね。真央ちゃんは残念ながら、ルッツを物にすることは叶いませんでした。だから勝つ為には3Aに固執するしかなかった、とも言えます。私はこれからの選手(女子選手です)には何よりも先ず完璧な3Lzを見せて欲しいと思っています。3A、或いは4Tへの挑戦は本来その「後」の話です。いずれにせよ、新しい時代の幕が切って落とされようとしています。今季のフィギュアスケートの「形」がどのようなものになるのか、想像するとやはりワクワクして来ます。その前に先ず野球なんですけどね、私の場合(笑)。
2014年05月02日
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