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◆経営の本質はお客作りにある「粗利益はお客からしか生まれない」、「商品をどこで買うかはお客が100%決める」、という2つの大原則から、経営の本質は、「まずお客を作り出し、次に作ったお客を維持しながら お客の数を多くしていくことにある」という結論が自然に導き出されます。経営の本質は、当然経営の目的にも通じますから、経営の目的もこうすべきです。それと同時に経営について考える時はお客を出発点にした、「お客起点の経営発想にすべきだ」という結論も自然に出てきます。これを「顧客観発想」と呼びます。あなたが顧客起点の発想で経営を進めると、あなたの都合をグーッと押さえなければならなくなるので、その時はとても気分が悪くなるでしょう。しかしお客の都合が良くなったり、お客の気分が良くなりますから、お客の数が多くなって、業績が良くなります。こうなると、後であなたの気分がとても良くなるはずです。反対にあなたの都合を優先させ、自由に経営を進めると、あなたは思いどおりに振る舞えるので、その時はとても気分が良くなるでしょう。しかしこうすると、お客の都合が悪くなったりお客の気分が悪くなりますから、お客の数が少なくなって赤字になります。赤字が続くと資金繰りに追われるようになりますから、後でまとめて気分が悪くなります。倒産すれば最悪です。どちらがいいでしょうか?前者に決まっていますね。◆経営には「競観発想」が欠かせない忘れてはならない大事なものがもう一つあります。それはNTTのタウンページをめくってみるとわかるとおり、どこの地域にも多数の競争相手がいるという事実です。これを競争の法則として知られる「ランチェスターの法則」に当てはめると、会社と会社の力関係は、ある局面に投入される経営力の「2乗」に比例します。 ランチェスターの法則(第2法則) 攻撃力 = 兵力数の2乗 × 武器性能 (成果)= (量)の2乗 × (質)例えば競争相手のA社が、ある特定地域に投入している経営力が「1」であるのに対して、あなたの会社は半分の「0.5」しか投入していないとします。この場合の真の力関係はこの2乗になって「1対0.25」になってしまいます。これはあなたの会社が仮に「10」の努力をしたとしても、経済的な成果となるアウトプットは半分の「5」しか出ないということです。これでは経営効率が50%も悪くなりますから、たいがい赤字になるでしょう。もし競争相手のA社がある特定地域に投入している力が「1」なのに対して、あなたの会社は「3分の1」の0.33しか投入していない場合、本当の力関係はこの2乗になり「1対0.11」となり、0.33の3分の1になってしまいます。これでは経営効率が67%も悪くなりますから、あなたの会社はひどく苦戦し、ほどなく倒産するのは目に見えていますね。ところが人の目に映る時は、あくまでも「そのままの状態」で見え、2乗になって見えることは決してありませんから、経営戦略を研究しない人は、競争相手の力を過小評価して失敗する人が多いのです。太平洋戦争で日本軍がアメリカ軍の10倍もの戦死者を出して負けたのも、元をただせばこの原則を知らず、少ない軍隊で大軍に立ち向かったからです。(日本軍の戦死者は135~150万人に対して、アメリカ軍は15万人)つまり個人の私生活に「唯我独尊」はあり得ても、経営の世界に唯我独尊はあり得ません。ですから、素質も高くないのに頑固で人の意見を聞こうとしない人は、こうなる危険性が高くなりますからくれぐれも用心してください。このように経営に失敗しないためには「競争相手はどうしているか」という競争相手の情報を集めるのはもちろんのこと、競争相手とあなたの会社の真のカ関係が「何対何」になるかについて考える、「競観発想」が必要になります。「競観」なんてどんな辞書を引いても載っていませんが、あなたの経営の辞書には大きく載せておくべきなのです。 小さな会社は「1通の感謝コミ」で儲けなさい ~まごころを伝えるはがき、FAX、メールの総活用法~ 竹田陽一著より
2004.07.31
◆会社が生きるエネルギーは「粗利益」である人は食事から取るカロリーや栄養によって生きています。もし必要なカロリーが得られなくなると、人の体は徐々にやせていき、やがて死んでしまいます。内乱が起きている国や独裁者が支配する国では、カロリー不足から毎年多くの人が亡くなっています。個人企業であるか株式会社であるか、あるいは大きな会社であるか小さな会社であるかは一切関係なく、すべての会社は「粗利益」をエネルギー源にして生きています。人件費やその他の経費はもちろんのこと、借入金の返済も粗利益の一部から支払われているのです。もし必要な粗利益の確保ができなくなると、赤字によって会社の体が徐々にやせていき、やがて死んでしまいます。倒産です。毎年毎年何万件もの倒産や廃業が起きていますが、元をただせば、粗利益が不足したからです。その証拠に、儲かって儲かって笑いが止まらないという会社とか商店の身売り話や廃業については、あまり聞いたことがないはずです。もちろん黒字倒産もありますが、こういうのは200社に1つあるかないかの率ですから問題になりません。倒産しないためには、経営に欠かせない粗利益を、安定して取り続ける必要があります。これは大昔から今日まで変わらない事実ですから、経営では大原則になります。◆粗利益はお客からしか生まれないその粗利益は、商品か有料のサービスを、お客のお金と交換した時に生まれます。お客のお金に手が触れた「瞬間」に、粗利益の分子が「ポン」と飛び出すのです。この時に「ピカッ」と光が出たり「バン」と音がするといいのですが、そうならないので、うっかりすると粗利益が出る瞬間を忘れてしまいますね。これをよく表わしているのが、販売の「販」という字です。販は「貝」と「反」の字の組み合わせになっています。貝はお金を意味していますから、お客が持っているお金と何かを交換することが、すべての経営の始まりになるのです。漢字は2000年ぐらい前、中国の天才が商売の様子をじっくりと観察して考え出したのです。私たち凡人は、素直にそれに従っておけば、方向を間違えることはありませんから、是非そうしてください。もしこうせずに、間違った先入観によって経営を考えると、たいがい方向違いに考えが行ってしまいますから、必ず失敗をします。会社や店舗の中では、日報書きの仕事をはじめとして、伝票を書いたりパソコンに入力する会計の仕事、それに会議や打ち合わせなどいろんな仕事がされています。これらの仕事はどれも必要です。しかし、これらの仕事からは1円の粗利益も出ませんから、簡単で時間が少ないほどいいのです。とにかくどんな会社もお客がいなければやっていけませんし、どんな産業もお客がいなければ成立しません。これは大昔から今日まで全く変わってない事実ですから、経営では大原則になります。しかも、商品を買うかどうかを決めるのも、買うと決めた場合も、どこの会社から買うかの決定権は「お客が100%」持っていて、売る側には1%もないのです。その証拠に、どんな有名な会社の社長であったとしても「商品を買う時は、私の会社からだけ買いなさい。 そうしないと、あなたのタメになりませんヨ」とは、決して言えません。もちろんこう言うのは自由ですが、後で大変なことになるはずです。これも大昔から今日まで全く変わっていない事実ですから、経営では大原則になりますね。 小さな会社は「1通の感謝コミ」で儲けなさい ~まごころを伝えるはがき、FAX、メールの総活用法~ 竹田陽一著より
2004.07.30
◆「空」の心で経営の本質をはっきりさせる初めに説明したように、未だにお客に対する対応が悪い会社や商店がたくさんあります。しかし見方を変えれば、これは大きなチャンスといえます。それは顧客対応に特別に力を入れ、お客の評判で地元ナンバーワンになればお客の流出が少なくなるからです。そればかりか顧客対応で地元ナンバーワンになれば、お客の紹介によって新しいお客が増えていきますから、売上げが上がります。顧客対応に力を入れても経費はそれほど増えないので、必ず業績が良くなるのです。顧客対応に力を入れてお客の評判で地元ナンバーワンを目指すには、まず着眼大局の原則に従って、経営で一番大事になる経営の本質と、経営を構成する大事な要因をはっきりさせておく必要があります。経営の本質と、経営を構成する大事な要因をきちんと押さえた後で経営改善に取り組むと、社長を含めた全員の努力が、正しい方向にムダなく投入されることになりますから、早く成果が出るというわけです。ところが経営の中心部は形がなくてつかみどころがありません。それに、質が高くなれば高くなるに従って見えなくなるというとても皮肉な性質を持っていますから、経営の中心部をはっきりさせたり、経営の本質をつかむのは結構難しい作業になります。これが原因で、こうしたら儲かる、ああしたら儲かると、経営のやり方には宗教に負けないぐらい怪しげな迷信がいっぱいはびこっていて、一体どれがその会社の経営に役立つのか訳がわからなくなっています。これからすると、運が開ける特別祈願つきのハンコセットは、まだマシな方でしょう。これに対しては、まず道元先生の教えに従って、「こだわらず、とらわれず、偏らず」の「空」の心になります。空の心になると事実をありのまま、素直に見ることができるようになりますから、早く理解ができるようになるというわけです。こうして空の心になった後、次の手順で経営を考えていけば経営の本質が次第にはっきりわかってきます。 小さな会社は「1通の感謝コミ」で儲けなさい ~まごころを伝えるはがき、FAX、メールの総活用法~ 竹田陽一著より
2004.07.29
感謝を伝えるコミュニケーション「感謝コミ」が会社を救う!10年以上取引がある会社にいつものように電話をし、「社長さんお願いします」と言ったら、聞き慣れない女子事務員があなたの会社名を「2度も3度」も聞き返した上に「あなたのお名前は?」、「どういう用件ですか?」と、取り調べるような口調で聞かれ、つい「ムカッー」ときたことはなかったでしょうか?仕入先に商品の注文をしようとFAXしたところ、FAXが使用中で、忙しい中何回もFAXをやり直したことで、ついカッカときたことはなかったでしょうか?長年商品を買っている会社に電話をしたところ、話し中で、何回も電話をかけ直したことでイライラした経験はなかったでしょうか?行きつけの居酒屋に打ち上げの予約をするために、FAXで知らせようとしたところ、FAXが兼用のためにうまく入らず、たったー通のFAXを入れるのに15分以上かかってしまい、ついどなりたくなったことはなかったでしょうか?商品の注文をFAXで送ったのに、ウンともスンとも言ってこないのでつい心配になり、こちらから電話で納期の確認をしたが、何分も待たされた上に応対が悪く、つい怒りたくなったことはなかったでしょうか?業歴が浅い会社から商品を仕入れ、少しまとまった金額であったので「資金繰りのプラスになれば」と気をきかせ、支払日よりもだいぶ早く送金したのに、お礼のはがきもお礼のFAXも来なかったので、いささかがっかりしたことはなかったでしょうか?たぶんほとんどの人がこの中のどれかに「ある」と答えたはずです。中にはこうしたことは「しょっちゅう体験している」と答えた人もいるでしょう。不況の長期化で、企業の「3分の2以上」が赤字になるという厳しい状態が6年以上続いているため、倒産や廃業がとても多くなっています。こうした状況にあっては、お客と直接接触するところがとても大事になりますから、顧客対応には万全の体勢で取り組まなければならないというのに、実際を見ると顧客対応がまともにできてない会社がたくさんあります。これではお客の流出率が高くなり、遠からず電話帳から社名が消えていくのははっきりしています。こうならないようにするには、次の方法が必要になります。まず第1段階として、お客と接触するところでお客に不便をかけないようにしなければなりません。第2段階は、商品の注文があったり送金があったときは、お客に感謝を態度で示し、お客から好かれて気に入られるようにします。第3段階は、定期的にはがきを出して、お客から忘れられないようにします。第4段階は、お客が思っていること以上の「何か」を実行して、お客に心から喜ばれたり感謝されるようにするのです。このように感謝の気持ちをお客に伝えるコミュニケーションを、私は「感謝コミ」と呼んで、あちこちで講演してきました。こうするとお客の流出率が少なくなるばかりか、お客の紹介で新しいお客が増えていきますから、厳しい経済状況にあっても業績を良くすることができるのです。これらをきちんと実行するには、当然実行するときに欠かせない仕組み作りと、従業員教育が必要になります。この本は、これらの実行手順を従業員100人以下、とりわけ30人規模に焦点を当てて書いていますから、わかりやすいばかりか実行しやすくなっているはずです。あなたの気付かないうちに進行しているお客の流出を1日も早く止めるために、この本が必ず役に立ちます。 小さな会社は「1通の感謝コミ」で儲けなさい ~まごころを伝えるはがき、FAX、メールの総活用法~ 竹田陽一著より
2004.07.28
究極的には、誰が一番大きな影響力をもっているでしょうか?地域杜会のリーダー、国のリーダー、国際的なリーダーには影響力があります。しかし、このようなリーダーの多くは、少数の人に大きな影響力を与えるというよりは、多数の人に小さな影響を与える人たちです。これに対して、両親、親戚、友人は、少数の人、特に子どもたちに対して大きな影響力をもっています。子どもがどのような体験をするかということほど重要なことはありません。子どもに希望があれば、世界に希望があります。子どもにとって希望がなければ、希望はまったくありません。世界の未来は、今この子どもが成長してどのような大人になるかにかかっています。子どもにはたくさんの愛情とケアが必要であることは誰でも知っています。赤ちゃんにはたくさんの刺激が必要ですし、少し大きくなってくると方向付けや友情が必要になってきます。シングルペアレントの家族であれ、両親がいる場合であれ、最近は親がみな家の外で仕事をするという状況があります。そういう中で、多くの子どもたちは必要な刺激や、方向付けや、親との友情を手に入れることができないでいます。その結果生じるマイナスの影響は非常に大きなものであり、一生続く可能性もあります。過去三十年の間に、脳の発達について私たちは驚くべきことを発見しました。生まれたばかりの赤ちゃんにあっては、脳の何十億というニューロンはまだプログラムされておらず、外部の刺激に反応して初めて脳の回路に接続するというのです。基本的には、刺激の豊かさと多様性が子どもの脳の構造と能力を決定するのです。誰でも子どもの発達にプラスの影響を及ぼすことができます。たとえば、誰でも赤ちゃんをだっこすることはできますし、歌を歌ってあげることもできますし、一緒に遊んであげることもできます。いろいろなサイズのもの、いろいろな形のもの、いろいろな色のもの、いろいろな肌触りのものに触らせてあげることもできます。誰でも赤ちゃんに音楽を演奏してあげることができます。散歩に連れて行くこともできるし、ボール遊びもできるでしょう。ということは、自分にできる簡単なことを愛情をこめてやることによって、誰でも人の人生を変えることができるのです。これは子どもに限ったことではありません。ある調査で、若い人たちに何が欲しいかという質問をした時に、多くの若者は親やガーディアンや自分のことを気にかけてくれる大人ともっと一緒に過ごしたいと答えています。三分の二の若者は、自分が信頼している大人で、自分を尊敬してくれる大人ともっと一緒に過ごしたいと答えています。年齢によって分断されている社会にあっては、若者と大人との間に十分な交流がありません。でも、それは変えることができます。若い人には、自分の言うことに耳を傾けてくれて、教えてくれて、カづけてくれて、何かを達成したときには共に喜んでくれる大人が少なくとも一人は必要です。大人の誰もがメンターになることが可能です。若者と週に何時間かを過ごし、若者が人生を生きる上での術(すべ)や、人との付き合い方について学ぶ手伝いができるはずです。そうする中で、若者は人生を粘り強く生きていく健康な態度を身につけることができるでしょう。メンター、コーチ、日曜学校の先生、スカウトのリーダーなどを務める大人の人たちは、若い人たちのために時間を割き、身につけた人生の知恵や体験を分かち合うことによって、ものすごい違いを生みだすことができます。このようにして、若者の身を案ずる大人になれば、若者たちに希望を与えることができます。彼らが陥りがちな落とし穴を避けるように手を貸すことができます。逆説的な人生を送る中で、人を愛し、人に援助の手を差し伸べることによって、大いなる人生の意味を見出すことになります。他の人が人生の意味を見つけることの手伝いをすることによってもまた、大いなる意味を見出すことができます。あなたが学んだことを他の人も学べるように手を貸してあげてください。あなた自身が一つの模範例となって、他の人が逆説的な人生を発見し、それを生きるようにインスピレーションになってください。これは希望に満ちた未来につながります。ますます多くの人たちが「成功」よりも、「生きることの意味」に心の焦点を合わせるようになれば、世の中は変わり始めるでしょう。見返りを期待することなく、ごく自然に人の助けをするようになるでしょう。会社の組織の中で誰が出世するかなどということは気にしないで、お互いに助け合うようになるでしょう。自分が大切だと思うことのために人生を生き、心の命じるところにしたがって、自分の人生の使命を果たすようになるでしょう。たとえ、それが権力や富や名声に結びつかなかったとしても。あらゆる決定は、対抗意識に基づいてではなく、一人一人にとっての最善、会社にとっての最善、社会にとっての最善という観点からなされるでしょう。自分自身の権カを強くするために問題を創り出したりせずに、自分にとっての意味を高めるために問題を解決するようになるでしょう。意味志向の人たちが社会の先頭に立って、評価とか拍手喝采を浴びることなど意に介せずに、本当に必要な問題に取り組み、本当の問題を解決していけば、世の中はずっとましな場所になるはずです。あなたが何をする選択をしたとしても、一つのことだけは確実です。逆説的な人生を送ると、この狂った世界において生きることの意味を発見できるだろうということです。あなたは違いを生みだすでしょう。人の人生を変えるでしょう。あなたが変えるであろう人生の一つは、あなた自身の人生です。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.27
それでは、どうすれば違いを生みだすことができるのでしょうか?世の中には大きな問題がいろいろとあります。戦争、飢餓、病気、環境破壊などは大きな問題です。犯罪、失業、人種差別、薬物濫用、教育や医療へのアクセスなどの大きな問題もあります。自分自身を含めた家族や友人、隣人などに直接影響を及ぽすような問題に献身的に取り組むことによって、人は生きることの意味を発見することがあるものです。聖書の中のよきサマリア人のように、たまたま遭遇した問題に取り組むわけです。聖書の中のサマリア人は、殴られて身ぐるみはがされて道端に倒れている人と出会います。サマリア人はその人を宿につれていき、世話をしてあげるのです。聖書では貧しい者、寡婦、孤児のニーズに特に注意を払っています。小さなニーズであれ、大きなニーズであれ、短期間であれ、長期間であれ、近くにある問題であれ、遠くにある問題であれ、あなたが行動を起こせばかならず違いを生みだすことができます。人間の基本的なニーズを満たしてあげれば、きっと違いを生みだすことになるはずです。人間の基本的なニーズは、世界中どこでもそれほど変わることはありません。人間にまず必要なのは衣食住です。そして、健康、安全な生活環境、学ぶための機会、成長するための機会、やりがいのある仕事、友人や家族との時間、帰属意識、人間としての尊厳、平和、正義も必要です。もっとも基本的なニーズを満たすことに助力することによって、大いなる意味を発見することができます。ですから、どうぞ行動してください。世界の平和のために活動してください。正義のために力を尽くしてください。環境を守ってください。飢餓や病気と戦ってください。人に読み方を教えてあげてください。子どもに歌を歌ってあげてください。十代の若者を導いてあげる存在になってください。毎日、何かをしてください。来る日も来る日も、何かをやり続けてください。ジャン・ジオノが書いた『木を植えた男』という素敵な物語があります。主人公はフランス人で、二十世紀のはじめにフランスの南東部に住んでいた人です。彼は荒地に住んでいましたが、そこはかつては森林で、村落もあったところです。彼の生活は単純そのものでした。毎日木を植える、それが彼の生活でした。来る年も来る年も、種を一つずつまきつづけました。やがて、彼が植えた木は成長して森となり、森のおかげで土の中に水が保持されるようになり、他の植物も育ち始め、鳥も巣をつくるようになり、小川ができ、人も戻ってきて家を建て住み始めます。彼が晩年を迎えるころには、かつての荒地はがらりと変貌を遂げ、自然が完全に復活したのです。この物語は意味のある人生についてのわかりやすいたとえ話です。毎日、人のために希望を植え、幸せを育てる人生です。毎日子どもと接する親、ガーディアン、里親にとって、特に意味のあるたとえ話です。それは単調でつまらない仕事かもしれません。しかし、それは大きな影響力をもった仕事であり、しかも、その影響力は長い間持続します。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.26
逆説の十ヶ条を受け入れれば、この狂った世界で人として生きる意味を見出すことができるでしょう。逆説的な人生を送る時、あなたは解放されるでしょう。逆説の十ヶ条に従うことによって、本来のあなたになることができます。人生の本質ではないものから解放されます。真の満足をもたらしてくれないものから解放されます。本当に大切で、人生を豊かにしてくれるものに心の焦点を絞ることができます。逆説の十ヶ条は富、権力、名声といった一般的な成功の象徴に的を絞ったものではありません。意味に的が絞られています。人を愛すること、良いことをすること、正直であること、大きな考えを抱くこと、弱者のために戦うこと、築くこと、他の人を助けること、世の中のために最善を尽くすこと、によって得られる「意味」に焦点がしぼられています。一つ一つの行動がそれ自体で十分でありえるのです。その行動から何かが生まれるか生まれないかは関係がありません。逆説の十ヶ条を生きる時、一つ一つの行動がそれだけで完壁になります。なぜなら、一つ一つの行動それ自体に意味があるからです。どうすれば逆説的な人生を生きることができるのでしょうか?それは、他の人に焦点を絞ることによって、そして自分自身よりも大きな何かになることによって可能になります。愛している人たちに愛の焦点を合わせます。理想を達成する活動に参加する、組織の一部になる、宗教を実践する、このような行為によって、自分自身よりも大きな何かの一部になることから得られる意味を体験することができます。あなたの「内面」に必要な意味を、「自分の外」に目をやることによって達成することができます。つまり、他の人を愛し、手を貸してあげることによって達成できます。詩人のエミリー・ディキンソンは百年以上も前に次のように言っています。 一つの心が壊れるのを止めることができたなら 私の人生は無為ではない 一つの生命の痛みを和らげることができたなら 一つの苦痛をさますことができたなら 気絶した一羽のコマドリを巣に戻してあげることができたなら 私の人生は無為ではないささやかな方法であれ、大がかりな方法であれ、他の人に援助の手を差し伸べる時、自分の人生は無駄ではないということがわかります。他の人の人生に違いをつくることによって、あなた自身の人生に意味が与えられます。実際のところ、これ以外に歩むべき道はありません。人にはたくさんのニーズがあるということがわかった場合、あなたには基本的には三つの選択肢しかありません。1 何もしないで、他の人が必要としているものを無視する。 これは道徳的に誤った選択です。2 他人の弱みに付け込んで、その人のニーズを冷笑しながら搾取して、 その人を犠牲にして自分自身の利益を求める。 これは道徳的にはさらに悪い選択です。3 正しいことをして、人のニーズを満たしてやろうと努力する。3番目の選択が唯一の道徳的な行動です。これだけが愛に基づいた選択であり、希望を生みだすことができる選択です。こうして達成したいことが達成できなかったとしても、それは正しい選択です。正しいこと、良いこと、真実であることをしようとして失敗したと思った場合、他人を搾取してやろうという冷たい選択をする誘惑に駆られるかもしれません。あるいは、何もしないという無関心の選択の誘惑を感じるかもしれません。しかし、思っていたようにことが運ばなかったからといって、あるいは、してあげたことを他の人が感謝しなかったからといって、非道徳的な二つの選択に走る正当な理由はありません。結果を見届けることが必要です。そして、結果を見届けることに心を集中する必要があります。マイナスのフィードバックがあったときには、やっていることを再考する必要があるでしょう。教訓はなんだろうか。次は別なやり方でやるべきだろうか。本当に人の助けになっているだろうか。もっと良い助け方があるだろうか。自分以外に適任の人がいるだろうか。耳を傾け、観察し、じっくりと考え、適切な調整をはかることが重要です。しかし、教訓を学び、調整するということはあきらめることではありません。良い反応を得られなかったことを理由にして、あるいは、思っていたような成功を収めることができなかったからといって、あきらめるべきではありません。評価の問題は確かに大きな問題です。多くの人は自分がやっていることに対して十分な評価を受けていないと感じています。上司は自分を評価してくれない。だから、彼らのために最善を尽くす必要などないと感じています。この問題に対する答えはこうです。私たちは皆、自分自身の誠実さと基準をもっていて、それに基づいて立派な仕事をすることによって意味や満足感を得るということです。私たちがやることを誰も知らなくても、誰も評価してくれなくても、それは問題ではありません。そんなこととは無関係に、私たちは正しいことをしなければなりません。これは自分の問題であって、他人の問題ではないのです。これは私たち自身がどれだけ気にするかという問題であって、他の人がどれだけ気にするかという問題ではありません。評価されたいという願望をもつのは当然です。しかし、他人の拍手喝采を切望すると、意味を見つけることは難しくなります。拍手喝采を切望する人は、他人が必要としているものに心の焦点を合わせる代わりに、拍手喝采を得ることに心の焦点を合わせてしまいます。それだけではありません。人は時として、拍手喝采することを忘れるものです。したがって、拍手喝采を切望する人は、自分の幸せを他人の気まぐれな心の動きにゆだねることになります。これとは対照的に、他人に援助の手を差し伸べることによって得られる意味や満足感は常にあなたのものです。拍手喝采を受けるか受けないかとは無関係です。これは聖人君子の話に聞こえるかもしれません。しかし、逆説の十ヶ条を生きるということは聖人君子になることではなく、正常な人間として生きることです。拍手喝采を受けても、他人に認めてもらっても、他人を愛し、助けることほどの意味は与えてくれないということです。他の人たちが評価してくれないようだという理由で、愛することをやめたり、援助の手を差し伸べることをやめたりするべきではありません。逆説的な人生を送るということは、あるタイプの人間になるということです。実のところ、あなたが属する社会や会社がプレッシャーをかけてこうなりなさいといっているような自分になるのではなく、本当の自分、あるべき自分になるということかもしれません。自分にとって一番大切なものとは何だろうと問いかけ、その価値観を生きることです。それは人間としてのあなたの誠実さ、完全さ、信憑性の問題です。逆説的な人生を送るとは、そのコースにとどまることができるかどうかという能力の問題でもあります。最初に自分自身のことをしっかりと面倒見ることができれば、他の人を愛し助ける能力はさらに助長されます。規則的に運動して、正しい食事を摂り、十分な睡眠をとることが大切です。スピリットを再生するために時間を取るべきです。成長するための新しい方法を発見する必要があります。この世界に対する新しい理解の仕方を発見する必要があります。あなたの前に提示される問題をすべて引き受けることによって、重荷を背負いすぎてはいけません。選択することが大切です。バランスをとることです。燃え尽き症候群にかかったりすれば、人を愛し、人を助けるエネルギーがなくなってしまいます。誰でも目的をもって生まれてくると私は信じています。この目的を発見して達成すれば、限りない意味と満足感を得ることができます。その目的とは何でしょうか?愛する人たちのために、友人たちのために、社会のために違いをつくりだすことと関係があると私は信じています。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.25
世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。西部劇映画のクラシック、『真昼の決闘』の中で、ゲーリー・クーパーが町に平和と秩序をもたらした保安官ケーンの役を演じています。保安官として長年勤め上げた彼は、結婚する決意をして、保安官のバッジをはずし、町を去ることにします。結婚式が終わった直後に、ずっと昔に彼が逮捕したガンマンが刑務所を出て、2時間後に町に戻ってくるという知らせを受けます。このガンマンの3人の旧友が駅で彼を待っています。彼らは、4人でカを合わせてケーンを殺そうと計画していたのです。ケーンは町にとどまって戦うことにします。彼は再びバッジを胸につけ、町の人々に一緒に戦ってくれるようにと依頼します。しかし、彼らは拒否します。ケーンは4人のガンマンと1人で戦う羽目になります。町の人々はケーンを尊敬していました。多くの人たちは、長年にわたって町に平和をもたらしてくれたケーンの勇気に感謝していました。ケーンは町の人々のために最善を尽くしたのです。しかし、ケーンが助けを必要としている時、町の人々は彼が銃弾に倒れるのに任せたのです。それでもケーンは町の人々のために最善を尽くします。彼はとどまって戦うのです。あなたが最善を尽くしても、その後で何が起こるかを判断するのは困難です。感謝され、人々に支持されるかもしれません。しかし、最善を尽くした結果、人の羨望を買い、敵をつくることになるかもしれません。自分を利するような不純な動機があるのではないか、と責められるかもしれません。偽者の友達と本物の敵をつくることになるかもしれません。小さな心をもった小さな人々によって撃ち落されるかもしれません。何年もかけて築いたものが破壊されるのを、目撃することになるかもしれません。あなたが助けている人々によって、攻撃されるかもしれません。正義の戦いを一人で戦わなければならない羽目に陥るかもしれません。最善を尽くすことの代償は、高くつく可能性があります。しかし、それよりも高い唯一の代償は、最善を尽くさないことです。最善を尽くさなければ、あなたは本来のあなたではないのですから。あなたはユニークな存在であることを決して忘れてはなりません。遺伝的にユニークであり、才能と体験の組み合わせにおいてもユニークな存在です。ということは、あなたにしかできない貢献があるということです。世界のために最善を尽くすことによって、その貢献を成し遂げることができます。考えてみてください。自分の最善を尽くしたくない人など、そもそもいるでしょうか?最善を尽くさずに控えめにする理由などあるでしょうか?何かをやる時に、二流の結果を出したいと思う人などいるでしょうか?もちろん、思いやりや作戦、タイミングは大切です。最善を尽くすための適切な機会は、探すことも、創りだすこともできます。しかし、将来に向けて技術を磨いている時でも、今現在のあなたの最善を象徴するものがあるはずです。最善を尽くすということは、その準備ができた後でするということではありません。毎日実行することです。今すでに、あなたはユニークな存在です。今すでに、あなたには提供できる何かがあるのです。今、最善を尽くしていないとすれば、どういう世界のためにあなたは自分の最善をとっておくのでしょうか?あなたに与えられているのは、今のこの人生です。この人生を最大限に生かすこと、それがあなたの仕事です。この世界があなたのすることにどのように反応するか、それは重要なことではありません。一人の人間としての意味は、何であろうと自分の最善を尽くすことから生まれます。世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.24
人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。大学生の時に、アルバイトで、あるお年寄りの運転手をしたことがあります。彼は大企業の創業者で、社会的に成功を収めた人でした。知的で頭が切れる人でしたが、もはやうまく機能してくれない身体の中に閉じ込められ、歩くこともままならず、階段を昇ることはできないという状態でした。食道炎のために食べ物を飲み込むことが難しく、食事の最中に食べ物を吐きだすこともありました。ひげを剃ったりシャワーを浴びたりするのも簡単ではないために、いつもだらしないような感じでした。身体から不快なにおいが漂っていることもありました。私の仕事は彼を公園に連れて行ったり、食事に同伴したり、とにかく彼が行きたいところに彼を連れて行くことでした。この仕事をしているうちに、歩道の縁石、階段、傾斜路、エレベーターという観点から世界を見るようになったものです。彼をどこかに連れて行く時には、階段がないルートを見つけなければなりません。30年前のことですから、身体が不自由な人のために傾斜路をつけなければならないという連邦法はまだありません。車の乗り降りに手を貸し、歩く時には腕を貸しました。彼が歩道の縁石や階段を登り降りするたびごとに、必ず手を貸しました。食事をしている時でも、彼が食べ物を吐き出した時には、いつでもシャツやズボンやテーブルをきれいにする準備をしていなければなりません。私達は友達になりました。私は彼のことが好きでした。彼の様々な体験を聞くのは好きでしたし、彼が達成したことは立派だと思いました。大変だったのは、彼が私のやることなすことに文句を言うことでした。車から出るのを手伝う時の補助の仕方が悪い、腕の持ち方がきつすぎる、腕の持ち方がゆるすぎる、レストランに入る時に選んだ入口が悪い、レストランのテーブルが窓に近すぎて寒い、注文した食べ物がまずい、毎週毎週、どこかに出掛けるたびに私のやることに不平不満が続出するのです。やることなすことすべて不満の種です。「どうなってるの。一生懸命やっているのに」と口にしたくなる時もありました。怒りを覚えることもありました。しかし、私は黙っていました。ある日のことでした。彼が夕食に出掛ける準備をするのを待っている間に、彼の立場になったらどういう感じだろうと想像してみました。自分で自分のことを面倒見ることができなくなってしまったら、どんな感じがするだろう。その時、はっと思い当たったのです。彼は私のやることにいらいらしているのではない。自力で車から出ることもできない自分、自力で歩くこともできない自分、階段を一人で昇ることができない自分、食事をしていてもいつ食べ物を吐き出してしまうかわからない自分、そういう自分にいらいらしているんだということに思い当たったのです。人生にいらいらしているのであって、私にいらいらしているのではないということに気がついたのです。このことに思い当たった時、すべてが簡単になりました。彼の不平不満は止まりませんでしたが、それはもう気にならなくなったのです。誰でも、人生のある時点で何らかの助けが必要になるものです。物事をどう処理するか、問題にどう対処するか、時間の使い方、お金の使い方、人生をどのように生きるか、人間関係の問題、決断を迫られた時、道徳的なジレンマに直面した時・・・私たちには誰かの助けが必要になります。何でも知っている人はいません。何でも一人でできる人も存在しないでしょう。生き残っていくためには、そして、幸せになるためには、自分には今、助けが必要だと知ること、その助けがどこに行けば得られるかを知ることが不可欠です。助けを必要としている人の中には、助けが必要なことを否定する人もいます。自分の能力が不十分であるという事実に直面したくないのです。また、助けを必要としていることを否定はしないけれども、助けてもらうとそれを恨みに思う人がいます。自分が無力であることを認めたくないし、人に依存したくない人です。無知であると思われたくないのです。誰だって無知であると思われたくはありません。そういう人々は、助けが必要なことは一目瞭然でも、助けてあげようとすると、ネガティブな反応を示します。助けようとしているあなたを攻撃しようとさえするかもしれません。そういう人はプライドとか、セルフイメージのために苦しんでいるのかもしれません。どうすればよいのかわからない、という事実を認めることができないのかもしれません。現在おかれている状況は自分が望むものではないこと、あるいは、人生の流れが変わってしまった、という現実を認めることができないのかもしれません。もちろん、間違った援助を与えてしまったり、間違ったやり方で助けの手を差し伸べてしまうという可能性もあります。人を助けてあげるときには、その人の尊厳を損なうことなく、選択肢を残しておくことが大切です。助けを必要としているかどうかを慎重に見極め、必要としているとすれば、どういう助けが適切であるかを知る必要があります。私たちの助けを必要としていることを知っているからといって、恩着せがましい態度をとったり、えらそうに振舞ったりしてはいけません。助けを必要としている人の中には、裏切られた経験がある人もいます。その経験のために、もう二度と裏切りや失望を経験する危険を冒したくないと思っている人もいます。そういう人が心を開き、信頼を寄せてくるまでには時間がかかります。ある人が助けを必要としているかどうか確信が持てない時は、基本的なニーズについて考えてみるとよいでしょう。衣食住が人間のニーズの最も基本的なものです。友達も必要です。意味のある活動も必要でしょう。観察し、質問し、耳を傾けることによって、その人が必要としているものが何であるか、それを満たす最善の方法が何であるかがわかるでしよう。至る所に本当に助けを必要としている人たちがいます。あなたが彼らを助ければ、彼らはあなたを攻撃してきます。しかし、その攻撃はあなたに対するものではありません。自分が置かれている状況に怒りを感じているのかもしれません。無力感、あるいは、助けてもらわなければならないという気持ちと戦っているのかもしれません。彼らが攻撃してきたからといって、助けの手を引っ込めないでください。あなたのことを何度も何度も助けてくれた人がいるはずです。今度は、あなたが助ける番です。適切な方法で人を助けてあげることによって得られる深い意味を楽しんでください。人が人生を向上させるお手伝いをすることによって得られる、生きることの意味を楽しんでください。人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.23
何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。残念なことに、それは毎日起きています。家が焼失する。会社が倒産する。財産が失われる。洪水で町が壊滅する。来る日も、来る日も悲劇は起こり、人々が何年も費やして築いたものが、あっという間に破壊されてしまいます。このような状況にあって、多くの人々が示す勇気に私たちは感心します。そういう人たちに本当に心から同情します。その苦しみが深いものであることもわかります。築いたものが破壊されるというのは厳しい現実です。一夜にしてそれが起こるかもしれません。築いたものが、仮にあなたが死んだ後まで残ったとしても、やがて失われる運命にあります。それでも、それは築く価値があります。築くという行為そのものが、喜びと満足をもたらしてくれるからです。妻の大好きな思い出があります。ある日の午後、彼女は当時4歳だった私たちの娘と砂浜で過ごしました。二人はお城の代わりに、カメさんを砂でつくることにしました。とても大きなカメさんができあがりました。背中の甲羅も完壁で、かわいい小さな足があって、非常に賢そうな目をしていました。二人が作業をしている間に、潮はだんだん満ちてきていました。完成した後に波がやってきて、出来上がったカメさんの上を流れていきました。「カメさん、バイバイ!」カメさんが波の下に消えていくのを見て娘が言いました。「カメさんは海に戻っていったのよ」と娘は母親に教えました。そのようにして、カメが海に戻っていくのは、ごく自然なことのように思われました。子どもたちと一緒に海辺で砂の何かをつくるとき、何かを創造していること、そして、一緒にいることに喜びを感じます。つくったものが永遠に存在し続けるかどうかに、喜びが左右されることはありません。やがて波がやってきて、つくったものはなくなってしまうと承知しています。しかし、なくなってしまうからといって、楽しさや思い出が損なわれるわけではありません。築くことそのものに喜びや意味があり、満足感があるのです。幸いなことに、たいていのものは砂の建造物よりは長持ちします。中には何百年も持続するものもあります。ミケランジェロは約500年前の人ですが、彼の大理石の彫刻作品や絵画は今でも私たちに喜びを与え、私たちの生活を豊かなものにしてくれています。ヨーロッパに行けば800年前に建造された大聖堂を訪れることもできますし、日本の寺院の中には1200年前に建てられたものもあり、エジプトのピラミッドは3000年以上前に建てられたものです。何千年も前に書かれた古文書、法典、宗教的な文書もあります。ハムラビ法典は全容を知られているものとしては最古の法典で、紀元前1750年のバビロンの時代にまでさかのぼります。このように何百年も長持ちするものもありますが、私たちがつくるもののほとんどは、私たち自身の一生よりも長持ちすることはありません。知識産業では、私たちの貢献はそれほどの時間がたたないうちに次の発見によって代わられます。新たな真理、次世代の技術的な大発見によって代わられます。組織の中にあっても、達成したものはたちまちのうちに色あせていきます。人を寄せ集めてチームをつくり、目標に向かって邁進します。その組織を離れる時、私たちはこれからも組織にとどまる人たちの心の中に遺産を残していきます。その遺産は、組織の文化の中に反映されるでしょう。しかし、年月が経つうちに、その遺産のほとんどは失われてしまいます。あるいは、ドラマチックな変化が数ヶ月のうちに起こるかもしれません。それでも、私たちは時間の流れの中において、自分自身の足跡をつけたのです。その時間が意味のあるものであれば、感謝する理由は十分にあります。何年もかけて築いたものが、一夜のうちに破壊されてしまうかもしれません。だからといって、あなたが達成したものが変わるわけではありません。誇りと喜びをもって思いだすことができる何かを達成したのですから。もちろん、あなたが築いたものが未来永劫続けば、それはとても嬉しいことです。しかし、長持ちしないことを理由にして、築くことをやめてしまってはいけません。築くことによって得られる喜びと意味は継続するのですから。それは永遠にあなたのものなのですから。何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.22
人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。1945年、第二次世界大戦も終わりに近づいていた時、一人のアメリカ合衆国海兵隊の大尉が中国の青島に上陸しました。彼は地元のホテルに宿をとり、国民革命軍の将軍と一緒に食事をとりました。この将軍は、青島の周辺にいる中国人の盗賊のリーダーでした。海兵隊大尉の任務は、中国北部での日本軍の降伏の手続きを取り仕切るというものでした。最初の仕事は、港湾労働者を雇って荷物を下ろし、まもなく到着する海兵隊のために住居を確保することでした。戦争から平和へと移行している時期でした。戦場での戦闘からオフィスや兵舎での仕事へと移行していた時期です。青島に到着した海兵隊員の中にはキャリアのすべてを戦闘で過ごし、兵舎での職務経験がまったくない者もいました。青島の兵舎の警備の任務を課された昇級したばかりの若い軍曹も、そういう海兵隊員の一人でした。ある日、任務についたこの海兵隊員は、護衛隊の備品の一部として35着のアルパカのヴェストを受けとり、受領書にサインしました。翌日、彼が任務を終えた時、35着のヴェストのうち2着しか所在を確認することができませんでした。33着のヴェストが姿を消してしまったのです。折りしも冬が近づいており、兵舎の居住空間には暖房設備もなく、ヴェストは貴重品でした。この軍曹がヴェストの受領書にサインしていた丁度その頃に、海兵隊の本部は備品管理を厳しくするようにとの命令を出しました。それ以前の2年間、備品管理はほとんど行なわれていませんでした。海兵隊は戦闘に忙しく、備品目録や書類などの心配をする暇はなかったのです。しかし、平和な時代になって、新しい命令が発効し、軍曹は行方不明になったヴェストが原因で軍法会議にかけられることになりました。大尉は、この軍法会議で軍曹のために弁護人となることに同意しました。大尉は調査を開始し、様々な人々に証言台に立ってもらう必要がある、との結論に達しました。副連隊長、艦砲隊長、当直だった数人の将校、警備の任務についていた数人の軍曹、連隊の行政官、連隊長などの人々でした。これらは、ヴェストが姿を消した前後およびその間に、現場にいたり、もしくは指揮官の立場にあったりした人々でした。彼らを証言台に呼べば、彼らの名前は軍法会議の記録に残り、その記録は再調査のためにワシントンDCの海兵隊本部に送られることになります。当時は、指揮系統の将校にとって微妙な時期でした。彼らの多くは予備将校でしたが、戦争が終わった後には、正規の将校になることを望んでいたのです。また、正規の将校たちもさらに上の任務に就くことを望んでいました。そうすれば、キャリアに有利だからです。大尉のところに、将校たちから電話がかかってくるようになり、「たかが最下級の軍曹のために、なぜそれほど念を入れなければ ならないのか?」と質問されました。大尉は副連隊長、連隊行政官、連隊長に呼びだされました。3人共、彼よりも階級が上の将校です。彼らを軍法会議の証人として呼びだすことはやめた方が、関係者全員のためにも、特に、大尉自身のためにも最善であろうとほのめかしたのです。大尉も予備役の将校で、海兵隊でのキャリアを望んでいました。上級将校の意向に逆らえば、正規の将校になることはおろか、キャリアを続けることも不可能であろうことは、彼にとっても明らかでした。それでも大尉は心を変えませんでした。事件の事実関係を立証するために、証言台に来てもらう必要があることを上司の将校たちに連絡したのです。圧力はさらに増大しました。海兵隊の分艦隊が土曜日の夜にホテルでパーティーを開催し、大尉も招待を受けました。ホテルに到着するや否や、大尉は副分艦隊長のいる部屋に挨拶に行くようにといわれました。副分艦隊長はまもなく始まる軍法会議を話題にして、大尉の行動について個人的に憂慮していること、正規の将校としての任命要請が影響を受けるであろうことなどを語りました。さらに副分艦隊長は、上司である分艦隊長にも「逐一状況を報告している」と語りました。その後、大隊長も大尉のところにやってきて、「肩の力を抜くように」とさりげなく注意をうながしました。大尉は二人の言葉に丁寧に耳を傾けました。自分のキャリアの命運がかかっていることは承知していました。しかし、軍曹は無罪であると大尉は思っていました。その軍曹が罪を着せられるのはフェアではないと思っていたのです。再び、大尉は決断を迫られました。そして、決断を下したのです。大尉は副分艦隊長と大隊長に「肩の力を抜くことはできない」旨を伝えました。月曜日の午後、いつものように訓練が行なわれていましたが、軍曹が大尉の部屋に走りこんできて驚くべきニュースを伝えました。兵舎の自分のバンクベッドの上に33着のアルパカのヴェストが置かれているのを発見したのです。大尉と軍曹は、ヴェストを警備の任務についている軍曹のところにもって行き、受領書に署名をもらいました。そして、警備の軍曹は、副分隊長にヴェストの所在が明らかになり、数も確認された旨を報告しました。その翌日、大尉と軍曹は、軍法会議はキャンセルされ、軍曹に対する告訴はすべて取り下げられた旨の報告を受けたのでした。軍曹は数年後、海兵隊を除隊しましたが、その前に再び昇進し、名誉ある除隊となりました。弱者のために危険をおかした大尉は、希望していたように正規の将校となり、順調に出世して30年立派に勤め上げて大佐となりました。青島の軍法会議事件から7年か8年たち、大尉は軍法会議の件について「逐一報告を受けていた」分艦隊長であった人の下で働くことになりました。分艦隊長は、海兵隊の司令官になっていました。司令官は信頼できる人物を部下にしたいと考え、この大尉は信頼できると知っていたのです。この話はハッピーエンドを迎えました。しかし、このストーリーの中で示された勇気と、大尉が冒した危険はリアルなものでした。私がたまたまこの話を知っているのは、危険を冒した人物を個人的に知っているからです。彼は私の父親です。人は弱者に同情します。弱者の気持ちがよくわかると言います。不利な状況の中で弱者が勝利する話を人は好みます。弱者のために一生懸命に応援します。しかし、自分の家族、キャリア、評判が危うくなると、弱者のために戦うという危険は冒さないのが普通です。状況は弱者にとって常に不利です。弱者は負ける確率が高いものです。弱者が正しかったとしても、心の中ではその人を支持していたとしても、実際に弱者の応援をすれば、危険を冒すことになります。人の不評を買うことになるかもしれません。仕事を失うことにさえなりかねません。自分のキャリアにおいて、昇進したり出世したりするなどの望みがなくなるかもしれません。そういうわけで、人は弱者が大好きですが、勝者の後についていく傾向があります。優勢な人の側につきます。人に尊敬してもらえることをします。妥協します。「わかりました」とうなずいて、皆の後についていきます。弱者が皆正しいというわけではありません。弱者が戦っている問題がすべて重要であるということもありません。しかし、中には重要な場合があります。時として、あなたの助けを必要としている弱者に出会うことがあるはずです。そんな時、あなたがあなたであるというただその理由において、あなたが正しいと信じていることの名において、助けてあげるべきです。人生の終わりに振り返ってみた時、何人かの弱者のために戦ったことこそ、人生の中で最も意味のあることだった、という結論を下すかもしれません。人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.21
最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落とされるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。ソクラテス、ガリレオ、ジャンヌ・ダルク、コロンブス、リンカーン、スーザン・B・アンソニー、ガンジー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。人間の歴史には、大きな男女の物語がいっぱい詰まっています。大きな考えを抱いていた大きな人々が、小さな人々によって、文字通り、あるいは、比楡的な意味で撃ち落された物語です。小さな人々が彼らをあざ笑い、牢獄に閉じ込め、撃ち殺した物語です。世界は大きな人々を必要としています。寛大で、原則をしっかりともち、コミットをし、心を開いて新しい思考と行動で機会を捉え問題を解決する、大きな人々を必要としています。世界はまた、大きな考えを必要としています。真の意味で違いを創り出す考え、大いなる変化を生みだす考え、パラダイムの転換を呼び起こすような考えを必要としています。私たちは大きな問題を抱えています。したがって、私たちは大きな解決を必要としています。現状維持を超越し、より良い世界を先見できる人々が必要です。大きな考えをもった大きな人々は、小さな考えをもった小さな人々にとっては脅威となる存在です。「小さな人」とは、地位が低い人とか、肩書きの低い人とか、お金があまりない人とか、教育をあまり受けていない人という意味ではありません。小さな人は、多くの場合善良な人です。組織に忠実で働き者です。同僚にとってのよき友人です。それでは、何がそういう人たちを小さな人にしてしまうのでしょうか?それは人生を小さな目で見てしまうあり方です。小さな人は、自分自身の人生、自分の組織、自分が住んでいる場所や時間の枠を超えて物事を見ようとしません。だいたいの場合、毎日やるべきことは上手にやれる人で、それが変わって欲しくはないと思っています。したがって、現状にしがみつこうとします。そういう現状を生みだした根本的な理由ではなく、現状そのものにしがみつこうとします。小さな人はすべてのことをきちんと処理し、分類し、許可証も3通つくっておかなければ気がすみません。小さな人は、こうすれば状況は改善できるかもしれないといった話はしたくありません。なぜなら、そうすれば状況が変わることになります。小さな人は、新しいことには挑戦しません。小さな人は、多くの場合、物事を自分の力という観点から見ようとします。それが自分に安逸をもたらしてくれるか、自分にとって都合が良いかどうかという観点から見ようとします。自分にとって最善のことが、家族や組織や地域社会にとっても最善であると信じています。小さな人の人生は、身近な欲求、ニーズ、恐れ以上のものではありません。これだけは確実です。小さな考えをもった小さな人が、人の先頭に立って新しいレベルの卓越したあり方を目指したり、人生の質を改善したりすることは絶対にありません。世の中には、大きな人一人に対して百人以上の小さな人がいます。社会のあらゆるレベル、いたるところに小さな人がいます。あらゆる種類のビジネスの世界、政府、非政府機関のあらゆるレベルに存在します。いる場所がどこであれ、小さな人は最善を尽くして、大きなヴィジョン、大きな夢、大きな展望をもった大きな人たちを撃ち落そうとします。これは悲しいことです。なぜなら、究極的には、小さな人も含めてすべての人が、大きな考えから恩恵を受けるのですから。問題が解決されれば、行き詰った状況が打開されれば、新しい製品が開発されれば、新しい生き方が生まれれば、誰もが恩恵を受けることになります。大きなヴィジョン、大きな夢、大きな展望が新しい機会のドアを開き、望ましい新しい現実を創出すれば、すべての人が恩恵を受けることになります。しかし、小さな人には、やってくるかもしれない大きな恵みが見えません。そこで彼らは、今、享受している小さな恵みにしがみつくのです。大きな考えが大きな失敗をもたらしたことがあるのも確かな事実です。大きなヴィジョンの中には大失敗だったものもあります。しかし、多くの場合、実際にやってみるまで、どうすれば上手くいくのかはわからないものです。それも、不平を言いながら、足を引きずるように、不承不承やるのではなく、十分な時間と資源を費やして一生懸命かつ知的にやってみる必要があります。人も組織も夢を必要としています。リーダーの役目の一つは、グループないしは組織の使命とヴィジョンを形成し、明確に表現することです。ヴィジョンとは未来についての考えです。組織、あるいは組織が奉仕している人々のために、何が可能であるか、何がなされるべきであるかについての考えです。大きなヴィジョンは大きな人々を惹きつけます。自分の能力が挑戦されることに対する準備ができていて、学び、成長し、遂行能力を高める覚悟のある大きな人々を惹きつけます。人は違いを生み出したいと思っています。人には希望を抱くための理由が必要です。努力して向かう目標が必要です。小さな考えが、最高の能力を引き出すことはありません。大きな考えにはそれができます。世界を変えた大きな考え、私たちの生き方に変化をもたらした大きな考えは数えきれないほどあります。アメリカ合衆国の創設者たちは、独立と民主共和政体という夢を抱き、世界の隅々にまで影響を与える国を誕生させました。スーザン・B・アンソニーは、アメリカの女性に投票が許される日を夢見て、男女平等への最初の一歩を踏みだす力になりました。ガンジーは、インドの自由を夢見て、平和革命を起こして1億人の人々を解放しました。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種の平等という夢を抱きました。この夢は、すべての人々にとっての正義と自由が達成されるようにと、今もなお私たちに呼びかけています。フローレンス・ナイチンゲールは、しっかりとした訓練を受けた看護婦のいる近代的な病院というヴィジョンをもっていました。そのヴィジョンを追求する中で、看護婦という近代的な職業を確立し、数多くの人の生命を救ったのです。トーマス・アルヴァ・エジソンは、大きな考えをもって電球や蓄音機を発明し、この二つの発明は世界中の人々の生活を一変させました。日本の渋沢栄一は、農家に生まれ、エリートである大蔵省の役人になりましたが、やがて、その職を去り、実業家になります。日本は新しいビジネスを起こさなければ経済発展を遂げられないと彼は知っていました。そこで、新しいビジネスを起こすという仕事に取り掛かったのです。渋沢は生涯のうちに500以上の会社の創設や育成にかかわりました。彼は人の能力を最大限に生かすことの大切さを知っていましたから、会社の非公式な経営顧問として経営に参画し、訓練プログラムを組織し、経済を専門とする大学の設立に助力しました。レイ・クロックは、マクドナルド兄弟の経営していた小さなレストランは、近代的なファーストフードのプロトタイプになると卓見しました。彼はこのプロトタイプを、何千もの支店をもち、何十億ドルという利益をもたらす国際的なチェーンレストランヘと成長させたのです。デビー・フィールズはビジネスの経験のない若いお母さんでしたが、クッキーだけを売る店で成功できるかもしれないと思いました。その20年後、アメリカ合衆国と11の国に700以上のクッキーの店を彼女は所有していたのです。1964年、ミラード・フラーとリンダ・フラーは「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」と名づけた大きな考えを抱きました。フラー夫妻は、仕事をやめ、マイホームをもつことができるなどとは夢にも思ったことのない人たちのために住居を提供するというプロジェクトに取り掛かりました。25年足らずのうちに、ハビタット・フォー・ヒューマニティは世界中に8万5千軒以上の家を建て、2千の地域社会に住む42万5千人の人々に、安全で廉価な住宅を提供してきました。大きな考え、つまり、夢を抱くことによって、あなたの人生には意味が生まれます。大きな考えは焦点や方向性を与えてくれます。努力するための目標を与えてくれます。あなたの大きな考えが誰かによって撃ち落されたら、それを拾って、挨を払って、再び活動を始めるだけの話です。夢の実現に向かって踏み出す一歩一歩が、限りない意味と満足感を与えてくれるでしょう。最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.20
正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。60年代、私が大学生の時、高等学校の生徒会で活躍するリーダーのためのキャンプで、スタッフとしての仕事をしていました。サマーキャンプでは、高校生のリーダーをいくつかのグループに分けていましたが、私はそのうちの一つでカウンセラーを務めていました。私は史上最年少のカウンセラーでした。それが理由だったのかもしれません。キャンプの責任者が、夜の集会で全学生に向けて話をするように依頼してきました。スピーチの日が近づくにつれて、責任者は心配になってきたようでした。私のところに立ち寄って、冗談に紛らして私のスピーチのことなど聞いてきました。私がどのような話をするのかを知りたかったのです。何を言うかまだ考えているところです、と正直に言うと、ますます心配になったようでした。ついに、彼は本音を言いました。高校生をあおるようなことを言って欲しくないというのが彼の本音でした。「活動家」のような話はして欲しくない。「体制」を批判するようなことは避けて欲しいというわけでした。そのような話をすれば、キャンプでの私の未来は保証できない。私に何か安全で「感じの良い」ことを言って欲しかったのです。そもそも、私に話を依頼した理由はそこにあったのです。夜が来ました。私は講堂の演壇の後ろに立っていました。目の前には何百人という生徒が座っていました。おしゃべりをしている人、椅子に崩れこむようにして座っている人、そわそわと落ち着かない人、いろいろです。講堂の一番後ろに2列の座席が壁のように並び、そこには大人が座っていました。各学校の生徒会活動の責任者である先生やカウンセラーの人たちです。私の心はすでに決まっていました。先生やカウンセラーは攻撃しない、いわゆる「体制」の批判はしないと決めていました。それよりも重要なことをしようと決めていたのです。生徒会についての私の本音を語ろうと思っていました。彼らに挑戦状をつきつけることにしたのです。思っていることを正直に、率直に話してみようと決めていました。私はまず、生徒会の多くは自己満足に陥った集団で、自分のことに夢中で、大学進学の書類に添付するレジュメをつくるのに忙しいだけだと言いました。安易な道を選択して、一般の生徒がそれを希望しようとしまいと、毎年同じ行事を繰り返している。役員の多くは一般生徒、つまり、そもそも彼らを選んだ人たちのことを考えていない。一般の生徒の身になって、彼らの声に耳を傾け、体制の中で活動しながらすべての人にとって良い状況をつくりだすようにしてはどうかと激励しました。要するに、彼らを詐欺師呼ばわりしたのですが、詐欺師である必要はないとも言いました。彼らが属する学校の教育の質、生活の質を向上させる力が彼らにはあると言ったのです。30分して話が終わった時、講堂はしーんと静まりかえっていました。それから、私がお礼を述べ、話のために使ったメモカードを集めていると、拍手が徐々に広がっていきました。表面だけを取り繕う「感じの良い」雰囲気の壁をぶち破ることに成功したのです。私は彼らの目を真正面から見据えて、仲間内のパーティーのことを計画するよりももっと大切なことがあると直言しました。彼らはそのメッセージをしっかりと受けとめてくれました。彼らは前に進みでて、演壇に上がり、私を肩にかついで表に連れ出しました。喜びがはじけていました。私たちは話し合いました。正直に話し合いました。もっと多くのことができる。もっと大きな存在になれる。学年末のプロムのテーマソングの選択よりも、もっと大切な何かのために立ち上がることはできる。私たちは話し続けました。それから、一人一人、生徒たちは私と握手してそれぞれの寄宿舎へと帰っていきました。皆が帰って、私も部屋の方へと歩き始めると、突然、4人の男に囲まれました。一人はキャンプを取り仕切っている責任者でした。カウンセラーの職を解雇したから、ただちにこの場を去るようにと彼は言いました。彼らは私を部屋まで連れて行き、部屋のドアを閉め、ドアのところに立ちふさがって、荷造りをするようにと言いました。電話をすることも、伝言を残すことも許されませんでした。私のグループの生徒に本や資料を貸してあるので、それを返してもらいたいと言いましたが、彼らはただ沈黙していました。荷造りを終えると、私を駐車場まで連れて行き、ステーションワゴンの後部に私を押し込みました。運転手はヘッドライトをつけませんでした。駐車場から出る時に、人に気づかれないようにするためだったのかもしれません。キャンパスから30キロほどの道脇のバス停で私はおろされました。長椅子だけがあって屋根のないバス停でした。夜の9時半でした。私は暗闇の中に一人座って、通過する車のヘッドライトの光を見ていました。私は18歳でしたが、重要なことを学んだのでした。私が学んだのは、生徒会のリーダーたちと私の間に絆が生まれたということでした。お互いに対して正直になろう、率直になろうという決断がその出発点でした。格好をつけるのをやめて、本当のコミュニケーションを始めたのです。その正直さ、率直さが大人たちを怯えさせました。彼らは表面だけを取り繕うゲームを続けたかったのです。私は正直に、率直に話したことによって、自分を無防備な存在にしたために、文字通り町から追い出されました。でも、後悔はしませんでした。高校生たちと一緒にぞくぞくするような時間を過ごしたのですから。偉大な男性や女性のことを思う時、彼らが正直であったこと、率直であったことに思いをはせます。彼らを賞賛し、信頼するのは、彼らの正直さと、率直なあり方のためです。ジョージ・ワシントンの正直さは伝説になっています。アブラハム・リンカーンは「正直者のエーブ」と呼ばれていました。ハリー・トルーマンについて私たちが一番気に入っているのは、彼が思っていることを歯に衣着せずにずけずけと言ったことかもしれません。お互いに正直で率直である時、強い人間関係を築くことができます。お互いに相手がどこに立っているかがわかります。どうすれば相手の二ーズを満たすことができるか、お互いの夢を実現するにはどうすればよいかがわかります。信頼がなければ、何をしたらよいかもわからず右往左往して、自分や他の人を傷つけることになってしまいます。家族や組織内の関係で一番大切なことの一つは信頼です。感じていること、考えていること、願っていること、恐れていることを隠したままでは信頼を築くことはできません。分かち合いによって、正直で率直であることによって、はじめて信頼は生まれます。人間関係、チーム、組織、地域社会において成功を収めるためには、信頼を築くことが不可欠です。気配りは確かに大切です。ある種のことに関しては、言ってよい時と、よくない時があります。中には絶対に言ってはいけないこともあります。秘密の保守は信頼関係に不可欠です。一人の人とだけ分かち合うのが適切なこともあります。あるいは数人の人と分かち合うのが適切なこともあるでしょう。しかし、日常的な人間関係の多くにあっては、気配りや秘密の保守のために、正直であることや率直であることが妨げられてはなりません。もちろん、正直で率直にすれば、あなたは無防備になります。どうすればあなたを攻撃し、傷つけることができるか、人に知らせることになるのですから。防御の構えをやめれば、自分をさらけだすことになります。親密な関係においてだけでなく、グループや組織の中でも同じことが言えます。しかし、無防備さが良い意味をもつこともあります。無防備になると、他の人たちと心がつながりやすくなります。人と深く知り合うことになり、人から容易に学べるようになります。無防備な状態は、新しい人間関係へのドアであり、新しい機会へのドアです。成長するための新しい道にいたるドアであり、共に協力し合って生きる新しい道に通じるドアです。争いでいっぱいのこの世界では、自分の周りに防壁をつくり、鎧に身を固めて行動したくなるのも無理はありません。しかし、これには問題があります。鎧はあなたを守ってはくれますが、同時に、あなたを閉じ込めてしまいます。成長できるとしても限度があって、その限度以上に成長したければ鎧を脱がなければなりません。いったん鎧を脱いでしまうと、あなたは無防備になります。しかし、その無防備さと共に、成長する自由がやってきます。こうして、人間としての成長や、職業人としての成長が楽しめるようになると、鎧はもはや必要ではないことを発見するでしょう。あなたの強さは鎧からくるのではなく、あなたの内面から来るのです。そういうわけですから、最善を尽くして正直で率直であってください。そうすれば無防備にはなりますが、そのおかげで他の人と容易に絆を結べるようになり、一人の人間として、また一人の職業人としての成長を遂げることが容易になります。あなたの鎧を脱いでください。そして、正直で率直であることから得られる人生の意味と満足感を楽しんでください。正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.19
今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。小学生の時に、若いエジプト人の現場監督の話を読んだのを覚えています。彼はファラオのピラミッドの土台をつくる仕事の現場監督でした。灼熱の太陽の下で、部下を励まし、仕事の具合を見守り、問題があれば訂正させました。巨大な石が完壁に合わない場合には、ぴったりと合うまでやり直しをさせました。もう一人の現場監督が彼の仕事を見ていましたが、ついに彼のところにやってきて、頭を振りながらアドバイスをしました。「土台は土の中に埋もれてしまうんだ。 誰にも見えないんだよ。 心配する必要はない。 誰もわからないんだから」「私にはわかります」と若い現場監督は答えて、仕事を続けました。正しいこと、良いこと、真実のことを実行すれば、あなたにはそれがわかるでしょう。あなたはそれを忘れないでしょう。人生を生きる上で、あなたが必要とする意味はそれだけで十分なのです。確かに、あなたの良い行ないの中には、人に認めてもらえるものもあるでしょう。しかし、そうして認めてもらった立派な仕事ですら、多くの場合、忘れられてしまうものです。大切なことは、誰かが覚えているかどうかではありません。大切なことは、人間としてのあなたがどんな人かということです。重要なことは、人生をどう生きるかです。誠実に、寛大に生きている限り、他人がそれを知っているかとか覚えているかということは問題ではありません。何か良いことを名前を知らせずにしてもよい理由はここにあります。良いことをする、ただそれだけで十分です。誰かの力になることができた、あなたの組織を改善することができた、と知っているだけで十分なのです。したがって、あなたの善行が、後任者の功績にされても問題ではありません。組織ではよくある話です。あるマネジャーが、その部門が将来において成功するようにと、一生懸命に土台を築いたとします。その土台なしでは、将来の成功はおぼつかないでしょう。しかし、実際に成功した時には、そのマネジャーは会社を辞めていたり、定年退職していたりするかもしれません。そして、成功は後任のマネジャーの功績になるでしょう。あなたの組織の将来のために土台を築けば、あなた自身は良いことをしたということを知っています。それがやがて花開いて成功を収めれば、あなたも大いに満足するはずです。仮に退職していたり、別な道を歩んでいたりしたとしてもそれは変わらないはずです。実際の話、あなたが成功するための土台の一部は、前任者が築いてくれたものです。それは前任者からあなたへの贈り物だったのです。その贈り物に対するお礼は、一生懸命に仕事をして、あなたの後継者になる人にそれを手渡してあげることです。人がお互いのためにできる最善のこととは、さりげないことなのかもしれません。毎日生活していく中で、思わず唇に微笑をもたらしてくれるようなささやかなこと、元気付けてくれるさりげないことが最高のプレゼントなのです。良いことというのは、時には、常識的な礼儀正しさだったり、思いやりのある行動であったりもします。ロビー・アルムはホノルル在住の弁護士として成功し、州政府の高官を務めたこともあり、銀行家でもあります。ある日、彼は何人かの友人と集まって、どうすればもっと思いやりがあって人に優しい地域社会をつくることができるだろうと話し合ったのです。その話し合いの中から、「リブ・アロハ」というプログラムが誕生しました。「アロハ」にはいろいろな意味がありますが、彼らは、思いやり、愛情、礼儀正しさといった意味を念頭においていました。リブ・アロハにはいろいろなやり方がありますが、彼らは、日常生活の中で礼儀正しさや思いやりをもつことを考えていました。ささやかな親切をすれば、それが積もり積もって生活の質が向上するだろうと考えたのです。彼らが考え出したリストは次のようなものです。●お年寄りと子どもを敬愛する。●どんな場所でもそこを離れるときは、前よりきれいにして立ち去る。●他人のためにドアを開けてあげる。●他人のためにエレベーターのドアを押さえてあげる。●何かを植える。●運転マナーを守る。他の車を優先させる。●異文化のイベントに参加する。●ショッピング・カートを所定の位置に戻す。●外気に触れて自然を楽しむ。●ゴミに気がついたら拾う。●お隣さんと分かち合う。●微笑を浮かべる。リブ・アロハの推進者たちはこう言います。皆の生活を向上させるのに、政治家になる必要もないし、会社の社長になる必要もない。高名なお医者さんになる必要もない。時には、ほんのささやかなことが、非常に大きな違いを生みだすのです。ですから、新聞売り場のおばさんに微笑を投げかけてください。会社の建物の中に荷物を運び入れている人がいたら、手を貸してあげてください。教会での打ち合わせが終わったら、一番に立ち上がって椅子を片付ける人になってください。誰もそのことに気がつかないかもしれません。気がついても、誰もそれを覚えていないかもしれません。しかし、そういうささやかなことでも積もり積もって、他の人の人生を幸せにするのに役立つのです。それが良いことだという、ただそれだけを理由にして、良いことをしてください。あなたにとって自然なことだから、あなたの人生の一部だからというだけの理由で、良いことをしてください。あなたの善行は、あなた自身が生きる上での意味の源になってくれるでしょう。誰もそのことを知らなくても、知っている人が忘れてしまっても、それは変わることはありません。今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著より
2004.07.18
成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。州政府機関の局長および州知事の閣僚の一人になった時、突然新しい友人がたくさんできたのには驚きました。実業界やコミュニティーのリーダーに、私が会いたい時にいつでも会うことができました。いやむしろ、彼らの方が私に会うことを望み、プロジェクトやさまざまなアイデアについて私のサポートを求めてきたのです。何百という会議や特別行事に招待されてスピーチをし、いつも主賓の席に座りました。マスコミはいつも電話を入れてきました。数週間おきに新聞に私のことが掲載され、テレビやラジオにも少なくとも月に一回は出演しました。たくさんの新しい友だちができました。それだけでなく、たくさんの新しい敵も生まれました。実のことを言えば、彼らは私にとっては敵ではなかったのですが、彼らからすると私は敵でした。彼らを攻撃したことなどありませんでしたから、どういうことなのか理解しがたいところがありました。私は彼らを知らなかったのですから。彼らは知事や、私の属する政党や、政府全体を攻撃するために、一つの手段として私を攻撃したのです。私が言っていないことや、したこともないことを理由に私を攻撃したのです。私が局長を務める局の内部にも、表面では友好的に私を支持しているようなふりをしながら、密かに私を追い出そうと活動している人たちがいました。私の方針が気に入らない人たちでした。彼らは私が局長になる前の状態が気に入っていたのです。私は複数の人間が共同して管理するチームをつくろうとしていましたが、彼らはそれぞれの部門を王国のように自分たちで支配する形の継続を望んでいました。非常に困難な時期でした。新しい目標、新しいプロセス、さまざまな新しい人間関係を築かなければならなかったのですから。知事の任期が終わり、局長としての私の任期が完了するころには、実業界やコミュニティーのリーダーと協力し合って楽しく仕事ができるようになっていました。局の内部にも新しい同志意識やチームワークが生まれていました。みんなで達成したことに誇りを感じていましたし、一緒に仕事していた人たちのことも好きになっていました。しかし、私が局長の地位を離れたその日から、人間関係のほとんどが一変しました。ビジネスの世界ですばらしい仕事に就いたのですが、最高経営責任者ではありませんでした。それよりもかなりランクが低いプロジェクト・マネジャーでした。すばらしい仕事ではありましたが、私はもう「重要な」人物ではなく、もはや地位のない人間だったのです。局長時代に身近で共に仕事をした人たちは、町で偶然出会ったりすると何か気まずそうに見えました。彼らは今でも強い影響力をもった人たちでしたが、私はそうではありません。招待されることはなくなり、支持を求められることもなくなり、マスコミもインタビューを申し込んで来なくなりました。突然、新しい友人と敵が生まれたかと思うと、たちまちのうちにその友人と敵がいなくなるという周期を、私は一度ならず体験してきました。私だけでなく数多くの人たちが同じことを経験しているということも承知しています。このことに驚いたとか、幻滅を味わったというわけではありません。幸いなことに、局長になった時、私のメンターがこう言ってくれたのです。「いつまでも局長でいるわけではないことを毎日心に銘記するべきだろう。 いつまでも人の注目を浴び続けることはない。 影響力のある地位にいつまでもついていられるわけでもない。 時間はあっという間に流れて、新しい仕事につくことになる。 おそらくその仕事には局長ほどの権力はついてこないだろうし、 それほど目立つこともないだろう」古いことわざがあります。「出世の階段を登っている時に出会う人たちに親切にしなさい。 なぜなら、出世の階段をやがて降りる時に同じ人たちに出会うのだから」「成功」を体験した人は、友だちには「個人的な」友だちと、「地位的な」友だちの二種類あることに気づくものです。個人的な友だちは、あなたの状況が良かろうが悪かろうが、高い地位についていようが低い地位についていようが、あるいは、どんな地位にもついていなくても、いつもあなたと一緒にいてくれる存在です。個人的な友だちは本当にあなたのことを気にかけてくれる人で、あなたと一緒にいることが楽しいと思っている人です。地位的な友だちは、あなたが就いている影響力のある地位の友だちです。その人は同じ地位に就いていた前任者の友だちでしたし、将来その地位に就くであろう人の友だちになる人です。これは仕事に役立ちます。この種の友だちによって作られるネットワークはあなたにとっても、地位的な友だちにとっても有益なものです。このことには何の問題もありません。ただ、地位的な友だちと個人的な友だちを混同してはいけないということです。地位的な友だちは、「本当の」友だちではありません。政府の高官、軍隊の将軍、最高経営責任者といった人たちは、定年で退職したり、何かの理由でその地位を退いたりすると、地位的な友だちの態度の変化に気づくことになります。突然、地位的な友だちは忙しくて昼食を一緒にできないと言ってきます。こちらから電話をしてメッセージを残しても、電話をしてきません。冗談を言っても笑ってくれず、アイデアを出しても褒めてはくれません。理由は簡単です。地位的な友だちの心の焦点は、新しい政府高官、新しい将軍、新しい最高経営責任者に絞られているからです。新しい人と昼食を食べなければならず、別の電話の返事をしなければならず、新しい冗談に笑わなければならず、新しいアイデアを褒めなければならないのです。もちろん、この他に、本当の意味でのうその友だちもいます。最も露骨な意味において、自分自身の利益のためにあなたとあなたの地位を利用しようとする人たちです。地位的な友だちの場合には、少なくともあなたがその地位についている間は友好的な関係を保とうとします。しかし、うその友だちは、友だちのふりを装って、あなたを利用する機会を待ち受け、利用し終えたと思ったらあなたの元を脱兎のごとく去っていきます。もっとひどい話があります。成功すると本当の敵を手に入れることになるのです。あなたが成功したために成功できなかった人、あなたが勝ったために負けてしまった人、あなたをライバルとみなし、あなたに出世して欲しくないと思っている人、誰であれ成功者を苦々しく思い、何とかして攻撃しよう、少なくとも恥をかかせる手段を見つけようとしている人などです。あなたは成功すればするほど、攻撃の標的になります。このような敵に対処するための簡単な方法をいくつか紹介しましょう。第一に、彼らの行動をあなたへの個人攻撃と考えないことです。あなたを攻撃している人は、人生がうまくいっておらず、不幸に苦しんでいるだけかもしれません。人生に失望していて、そのことであなたを責めているのかもしれません。その人にとってあなたは一つのシンボルで、たまたま便利な攻撃の対象になっているだけかもしれないのです。ですから、攻撃は本当のところはあなたとは無関係で、攻撃している人自身の問題なのです。あなたに対する攻撃だと考えるべきではありません。攻撃されたならば、忍耐と同情の思いをもって受けとめると良いでしょう。二番目のコツです。誰かがあなたを敵とみなしても、あなたはその人を敵とみなす必要はないということです。人によっては、注目を自分に集めるために他人を攻撃する人もいます。あなたを攻撃するのは、自分に注目させるための一つの方法に過ぎません。あるいは、あることを熱狂的に信じている人の中には、あなたがその人と同じような信念をもっていないことに腹を立てて攻撃する人もいます。心を開いて、攻撃してくる人を公平に扱いなさい。彼らの言うことに耳を傾け、適切であると思われる時には、彼らに注目しなさい。何かを学ぶことができるかもしれません。それだけではありません。彼らを敵として扱わなければ、彼らがいつかあなたの仲間となり友人になるのを容易にしてあげることにもなります。最後に、家族や長年の友人を宝物として大切にすることです。彼らはあなたが「成功」する前から、喜びや悲しみを共にしてきた人たちです。家族は、あなたがあなたであるがゆえにあなたを愛しています。長年の友人は、あなたが権力や高い地位についたからあなたの友人になったのではありません。共通する何かがあって、そのために長年にわたる友情が続いているのです。私の子どもたちが学校で習ってきた歌を歌ってくれます。「新しい友をつくろう。古い友も忘れず。新しい友は銀、古い友は金ぞ」人生の歳月が流れ、成功していく中で、昔からの友人はますます大きな意味をもつようになっていくでしょう。同時に新しい友だちをつくる機会もやってきます。そしていつか本当の友だちになっていきます。新しい銀も、いつの日か金となるのです。ヴィジョンを持って一生懸命仕事をしなさい。上手に仕事をしなさい。成功を恐れることはありません。誰かが攻撃してきたら、忍耐心と同情の思いをもってその人に接しなさい。敵は、いつか仲間になり友人になる可能性のある人と考えて、接するとよいでしょう。一番大切なことは、あなたの本当の友だちから離れないことです。こうすれば、どんなにたくさんのうその友だちや本物の敵があなたの家のドアをノックしても、あなたは生きる意味を発見できるでしょう。成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著
2004.07.17
何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。高校二年生、15歳の時に、この教訓を学びました。私は生徒会に関心がありました。私が通っていた高校には生徒代表者会議があり、各ホームルームで選出された代表で構成されていました。その生徒代表者会議では生徒会の役員が司会を務めることになっていました。各学年ごとに役員がいて、彼らはジュニア・プロム(ダンスパーティー)のようなクラスの活動の計画を立てるために会合を開いていました。私が二年生の時に、生徒会の役員たちは生徒代表者会議を廃止して、学年の役員と生徒会の役員からなる小規模な委員会をつくろうとしました。こうすることで、各学年の委員会と生徒会が統一のとれたものとなり、全てが効率的になると彼らは主張しました。これによって大きな改善が達成できると彼らは誠実に信じたわけです。この再編計画に私は不安を覚えました。生徒代表者会議は約65人のメンバーからなる広い基盤をもったグループでした。新しい委員会の人数はわずか20人です。私にとっては、生徒代表者会議は草の根的な活動と民主主義の象徴だったのです。新しい委員会ができれば生徒の参加者の数は3分の2以上も減ることになります。それはエリートのグループで、一種の寡頭政治です。20人の生徒が2400人の生徒を代表するのですから。この再編制を進めるためには生徒会の規約を変えなければなりません。それで全生徒による選挙が必要になるというわけで、キャンパスのリーダーたちは熱心に話を始めました。彼らがこの計画を提示した時、私は反対意見を述べました。生徒会長がこの計画を支持するスピーチをした時、私は反対論のために等しい時間をもらうことを要求し、それを与えられました。学校新聞が再編計画を支持する論説を掲載した時、私はそれを批判する手紙を書きました。数週間の間、この新しい計画にあえて公然と反対したのは私だけだったのです。私の批判にキャンパスのリーダーたちはイライラしました。彼らは生徒の中の「人気グループ」で、キャンパスの主流派的な存在で、反対されることなどなかったのです。私は彼らの嘲笑や、軽蔑的な言葉や、侮辱に耐えなければなりませんでした。彼らは私の時間割を調べて、私が受けている授業に乗り込んできて、担当の先生に私とその場で議論をしたいと申し出たりしました。何の先触れもなしにです。再編計画を支持する生徒の中には、お昼休みの時間にピケを張る者も出てきました。彼らが学校の前で円陣をつくって掲げた垂れ幕は再編計画を支持するだけでなく、私の個人攻撃をするものでした。生徒の中の「人気グループ」の中では、私は「好ましからぬ人物」だったのです。2、3週間するうちに、5、6人の生徒がこの計画に公に反対するなど、この問題に対する意識がキャンパスの中で高まっていきました。最終的に、この問題についての投票を行なう前に、生徒総会を開いて討論することが決定されました。講堂の舞台に2つのテーブルが設けられて、それぞれのテーブルに数人の発言者が着席し、私は反対弁論のリーダー役を務めました。総会は1時間足らずで終了しましたが、私たちの意見を理解してもらうのにはそれで十分でした。開票の結果、再編計画は1700票対400票で否決されました。驚くべき勝利でした。生徒代表者会議は廃止されず、小規模な委員会は設置されないことになったのです。それから数ヶ月後、生徒会長があの再編計画は間違いだったと私に認めました。失敗に終わってよかったと彼女は私に言いました。高校2年生になってまだ2ヶ月しかたっていなかった私が、キャンパスのリーダーを相手にして戦うのは勇気のいることでした。私だけが反対の声を上げていた最初の数週間は非常に孤独でした。他の生徒から攻撃を受けるのはいやなものでしたし、ピケを張って私を締めだそうとするのには驚きました。のけ者にされたようで、良い気分ではありません。投票に勝って私は本当に喜びました。投票結果は私は1人ではないことを明らかにしてくれました。80パーセントの生徒が、私が言おうとしたことを理解してくれたのです。私は生徒会活動にもっと積極的にかかわることにし、次の年の春、生徒会の副会長に立候補しました。立候補者の名前のリストが発表された時、キャンパスのリーダーの1人が、最後の軽蔑的な言葉を私に向かって浴びせたものです。「わかっていたよ」と彼は言いました。「名前を知られるようになるために、再編計画に反対したのだろう。 あとで生徒会に立候補するためにさ。 君はただの便乗主義者だね」彼は顔をしかめて、歩き去っていきました。私は呆気にとられました。再編計画に反対した時、これで生徒会の役員に選ばれたり何かに任命されたりする可能性はなくなるだろうと思っていました。キャンパスのリーダーたちの嘲笑の的だったのですから。投票に勝てるとも思っていませんでした。その問題について強い信念があったので、あえて意見を述べる決断を下したのです。それなのに、私がとった立場は宣伝行為だった、政治的な便乗主義者による計算しつくされた行動だったと言われたのです。そんなことを考える人がいることが私には信じられませんでした。まして、それを口に出して言うとは。これと同じことを何度も目にしてきました。ひねくれてゆがんだ心をもっている人や、疲れきって冷笑的になってしまった人は、だいたいの場合、良いことをするなどということは放棄しています。彼らは自分のために手に入れることができるものは何でも手に入れようとします。そして、自分のそうした行動を正当化します。誰でもそうだ、誰も自分のことだけを考えているのだと主張します。他人も自分と同じ動機で動いていると思っています。ですから、良いことをしている人を見ると、それは良いことをしている「ふりをしている」だけで、実際は何か自分の利益を求めているのだと考えるわけです。自分を利する隠れた動機から行動している人は、他の人も同じだろうと思って非難するのが常です。したがって、あなたが何か良いことをすれば、ひねくれてゆがんだ心を持っている人や、疲れきって冷笑的になってしまった人によって馬鹿にされるかもしれません。これは悲しいことですが、あなたについての話というよりも、彼ら自身についての話なのです。それでも、あなたは正しいこと、良いこと、真実であることをしなければなりません。そうすることによってはじめて、生きることの意味や満足を見出すことができるのです。何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著
2004.07.16
人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。チャールズ・シュルツの漫画、『ピーナッツ』の主人公の一人、ルーシーが言ったことがあります。「私、人類は大好きなんだけど、がまんできないのは人なのよ」人は確かに一筋縄ではいきません。簡単には好きになれない人もいます。なかには、あまりにも非論理的で、わからず屋で、わがままで、がまんできないような人もいます。しかし、それでも、私たちはそういう人を愛すべきです。与えるにしても、受けとるにしても、愛ほどすばらしい贈り物はないのですから。愛情こそは、すべての人が与える必要のある贈り物であり、受けとる必要がある贈り物です。愛のない人生なんて、百パーセントの人生とは言えません。愛を制限すれば、人生を制限することになります。心理学者のアブラハム・マズローはかつて「人間の成長にとって、愛はビタミンやミネラル、たんぱく質と 同じくらい不可欠である」と言っています。人間は愛を燃料として動くものだと私は信じています。そういう風にできているのです。愛を与え、愛を受けとっていなければ、エンジンが全開しているとは言えません。本来の自分になっていません。自分がもっている可能性をすべて体現した状態になっていません。できることをすべてやっている状態ではありません。私たちは同意してもらえないからといって、人を愛さないことにしようと決めることがあります。あるいは、この人は不合理な人だ、わからず屋だ、わがままな人だ。だからこの人は愛する価値がないと決めつけたりします。これは悲劇です。なぜ悲劇かというと、愛は、他人に同意してもらえるかとか、愛する価値があるかという問題ではないからです。愛とはそのようなものではありえません。誰にでも欠点や短所はあります。誰でも怒りたくなったり、弱さをさらけだしたり、誘惑に負けたりするのです。誰だって、しなければよかったと後悔するようなことをした経験があるでしょう。人間は誰からも同意してもらえる行動を常にとるわけではありません。したがって、常に人に愛される価値があるというわけにはいきません。同意してもらったとか、愛する価値があるということが愛情の前提条件であったりしたら、世の中にはほとんど愛情はなくなってしまうのではないでしょうか。最高の愛は無条件の愛です。欠点があっても短所があっても、愛し、愛される、それが無条件の愛です。もちろん、成長してもっと良い人間になろうと努力しなければなりません。しかし、成長してもっと良い人間になりたいという願望や勇気の源は、愛すること、そして、愛されることなのです。一緒にいるだけでいらいらするような知人は誰にでもいるものです。いつも何かを必要としていて、いろいろと要求が多いタイプの人です。何を言っているのか訳がわからないことも多く、無分別な人です。自分のことばかり考えているように見えます。実際自分のことばかり考えているのかもしれません。しかし、私たちがそういう人を愛することができたら、その愛を感じて、最高の何かがその人の中から現われでてくるかもしれません。愛には人を変え、人を愛すべき存在にする力があります。詩人のセオドア・レトキが言っているように、「愛は愛を生む」のです。時として、人は論理的でなく、物わかりが悪いように見えることがありますが、実はただ異なった論理を使っているだけだったり、違った考え方をしているだけだったりするものです。異なった世界観が原因かもしれません。これまでの経験の違いかもしれません。あるいは、私たちが見ている事実とは別な事実が見えているのかもしれません。小学生のときに次のような話を読んだことがあります。眼の見えない人たちが何人か象の周りに立っています。一人が象の鼻に触って、象はホースみたいなものだと言います。一人は象の脚の周りに腕をまわして、象は樹木のようだと言います。もう一人は象の腹に触れて、象は壁のようなものだと言います。さらにもう一人が尻尾に触って、象はロープのようなものだと言います。こういう具合に話は進展するのですが、誰もが正しく、誰もが間違っています。自分が触った部分については正しかったわけですが、全体を見ていないのでそこで間違えています。すべての部分を一緒にして、はじめて象の本当の姿が見えてくるのです。この物語を読んでからというもの、私はこう考えるようにしてきました。「非合理で物わかりが悪い人」の中には、象の別な部分に手を置いているだけの人もいるかもしれない。こういう簡単なことわざもあります。「すべての質問には三つの答えがある。 あなたの答え、私の答え、そして、正しい答え」愛という贈り物を与えてください。受けとってください。そうすることによって得られる限りない意味を楽しんでください。他の人が「扱いにくい」からといって愛することをやめてしまうのはもったいない話です。そんなことをするには、愛はあまりにも大切すぎます。あなただって、私だって、そういう人と同じくらい「扱いにくい」ことが多いのですから。人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著
2004.07.15
人生の意味を見つけるための逆説の十ヶ条1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。 それでもなお、人を愛しなさい。2 何か良いことをすれば、 隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。 それでもなお、成功しなさい。4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。 それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。6 最大の考えをもった最も大きな男女は、 最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。 それでもなお、大きな考えをもちなさい。7 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。 それでもなお、弱者のために戦いなさい。8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。 それでもなお、築きあげなさい。9 人が本当に助けを必要としていても、 実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。 それでもなお、人を助けなさい。10 世界のために最善を尽くしても、 その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。 それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。 「それでもなお、人を愛しなさい - 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 ケント・M・キース著
2004.07.14
「記憶に残るサービス」のために、お客様のパーソナルな情報をサービスとしてアウトプットする・・・。一人が仕入れてきた情報を、社内で共有するためアウトプットする・・・。リッツでは、情報のさまざまなアウトプットが必要だ。そして、これからのリッツがより一層アウトプットしていくものは、お客様の「目に見えないもの」だ。目に見えないものって何か・・・。サービスをする側、つまりリッツの夢、目的、動機付け、思想、ライフスタイル、考え方などのことだ。これをお客様に見せることが、これからのサービスには必要だと思う。たとえば、オーナーである僕が、美容専門雑誌でいろんな人と対談をしている、その内容。たとえば、リッツのスタッフは毎日の朝礼で「クレドカード」について考えている。たとえば、リッツのスタッフは「フォトリーディング」という速読法をやっている。たとえば、リッツは全員で箱根にミーティング合宿に行っている・・・。そういう、リッツ自身のパーソナルな情報だ。具体的には、リッツがやっていることをお客様向けに一冊のパンフレットにまとめて、プレゼントする、という計画も進んでいる。「お客様を知ること」と表裏一体だ。リッツという個性、「どんな考えを持った集団なのか」をお客様に知らせていくことを、これから益々進めていくつもりだ。相手を知り、そして自分を伝える。それが最高の「記憶に残るサービス」に結びつくと信じている。この本での僕のアウトプットが、あなたのサービスに何かしら参考になれば、幸いだ。読んでいただいて本当にありがとう。あなたのサービスが、誰かの記憶に残りますように・・・。 <終>(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.13
コミュニケーションには「軸」が必要 「いきなり一人一人とのコミュニケーションは、僕だって難しい」「人間関係で悩む」というのはどういうことか・・・。それは、「相手のこと」、つまり、「相手の情報をよく知らない」ということじゃないかな。相手が何を考えているのか、どう考えているのか・・・その人の「考え方」も、その人の情報のひとつだ。その人の考えがわかれば、コミュニケーションも簡単になる。リッツのスタッフも、お互いがそれぞれの考え方を知るように努めている。コミュニケーションとは、ひとつの方向にベクトルを合わせる作業だと思う。そのためには、向かうべき方向、すなわち「軸」が必要だ。軸がないと、目的がずれてくる。軸を見つけるためには、効果的な「質問」を投げかけることだ。僕たちの場合は、「リッツをどんなサロンにしたい?」っていう質問が、軸を探すカギになっている。「リッツをこれからどんなサロンにしたい?」と質問して、スタッフから出てくる答えは、たとえば次のようなもの。「お客様とのコミュニケーションができているサロン」「笑顔のあるサロン」「信頼関係のあるサロン」でも、よく考えてみると、逆に言えば、そういう大切なものが、今、まだリッツには足りないってことだよね・・・。たとえば質問が、「今のサロンの悪いところはどこだ?」というようなネガティブなものだったら、質問される方もネガティブになっちゃうよね。いきなり重箱の隅をつつくような愚痴になったりする。本当に大切なことは、出てこないんじゃないかな。つまり、全体でのミーティングでスタッフに問うべきものは、ポジティブなものでなければならない。「これからどんなサロンにしたい?」という、ワクワクするもの、だ。次に、どんなサロンにしたいか、という質問に出てきた答えを、立場が同じ人間同士で話し合う。スタイリスト同士、アシスタント同士・・・。そこでは、出てきた答えに優先順位をつける。「笑顔」が先なのか、「信頼関係」が先なのか・・・。さらにその立場の代表者が、なぜそういう優先順位になったのか、を全体で説明する。「僕らはこう考えます」というときの主語、「僕ら」が誰なのか、を明確にするんだ。そして、そこで出てきたお互いの「共通の問題」こそが、僕たちのコミュニケーションの「軸」だ。その軸ができたら、次に一人一人とのコミュニケーションになる。このときに必要なのは、「自分の情報を開示する」ということ。要するに、「私はこういうことを言われたらうれしいけど、 こういうことを言われたら気分が落ち込みます」っていうようなことを、自分から話してしまえばいいんだ。そうすることで、コミュニケーションはずっと円滑になる。「自分自身が変わらなきゃ・・・」なんて言ったって、人間、そう簡単に変われるものじゃない。それより、「私はこういう人間なんです」って言ってしまった方が、楽だ。コミュニケーションがうまく取れているコミュニティができて、そのコミュニティにお客様を巻き込むことができたら・・・そう、お客様を理解して「記憶に残るサービス」をたっぷり提供できたら、きっと世界一のすばらしいサロンになれると思うんだ。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.12
成功体験がスタッフを成長させる 「成功したままではいけない。ネガティブな要素は、即アウトプットだ」美容師という人種は、ホントに個性的な人が多い。リッツにも、さまざまな個性、価値観を持った人間が集まっている。僕は、リッツのスタッフ一人一人の価値観を変えてやろうとは思っていない。クレドカードやマニュアルも、「リッツ」という集合体としての方向性を示したもので、集合体の中には、いろんなやつがいて、いろんな価値観があってもいいと思っている。ただ、その一人一人の価値観をぶつけ合う場っていうのが、必要なんじゃないかな。それが一人一人の成長につながるんだ。僕たちでいえば、それは毎年リッツの主催で開催するヘア・ショーだ。プロのヘアデザイナーとして活躍するスタッフが、自分の個性を発揮する場であるヘア・ショーに気合いを入れるのは、プロとして当然だよね。でも、それとは別に、まだまだ駆け出しの、アシスタントの連中にも、そういう場、ヘア・ショーをやらせて、個性、価値観を思いっきりぶつけさせている。ヘアデザイナーのスタッフがやるヘア・ショーは、世間一般に対してリッツというブランドを見せつけるものだから、ものすごく大がかり。大きなホールでコーディネーターを付けて、照明、音楽、演出、美術その他、すべて専門家の手によるものだ。一方、アシスタントのヘア・ショーは、何から何まで、全部自分たちでやらせる。下北沢の小さな会場でやるんだけど、衣装も音楽も、みんな自分たちで用意しなきゃいけない。もちろんカットモデルも、ね。最初から上手くいかないっていうのは、アシスタントたち以外の僕たちスタッフは、みんな知ってるんだ。本番も含めて、メチャクチャになったりする。でも、それで当たり前。それでオッケー。ところが、こっちが「失敗してもいいよ」って言っても、みんな「自分たちはできる」と思っている。失敗することなんて考えていない。でも、実際にやってみると、中々上手くいかない。最初は「みんなでやろう」っていっても、協力しないやつがいるんだ。でも、だんだんとそれぞれの個性を発揮して、「音楽は俺がやるから」「衣装は私が」というように、ことが運んでくる。それでも上手くいかなくて、そこで僕たち先輩のテコ入れ、「こうやったらどうよ?」が入るわけ。そこで初めて、何が良いのか、ということがわかる。それまでは手探りだ。そして本番当日、会場に人が集まり出すと、だんだんノってくる。高揚感が出てくる。もう、すべて自分たちのための世界!それがいわゆる「成功体験」になるんだ。一度この体験がインプットされると、他の仕事においても、やはり成功を求めるようになる。自分たちで何かをやりたくなる。そこで初めて、自分で責任を負う体質・・・「エンパワーメント」になるんだ。ただし、成功体験をインプットして終わり、ではだめだ。重要なのは、間髪を入れずに行なう「反省会」。彼らの中には、成功体験と一緒に「反省すべき体験」もインプットされている。要するにネガティブ体験。ポジティブとネガティブが一緒にインプットされているから、反省会という形で、すぐにネガティブなものをアウトプットしてしまうわけだ。実際に何かをやらせて、成功体験を与える・・・というところまでは、経営者の方もよく考えていることだと思うけど、この最後の「ネガティブ体験のアウトプット」は、とても重要。これがないと、何か新しいことをはじめようとする時に、ネガティブな思いがつきまとってしまう。別に「反省会」という名目でなくてもいい。要するに「お疲れさま」だけではない打ち上げ、っていう感じ。こうして若いみんなに成功体験を与えることは、僕たち先輩にとっても、すごい刺激になる。コミュニケーションをとれる場でもあるし、やはり才能を発揮するやつもいるから、うかうかしていると自分が抜かれてしまう、という意識が出てくる。たとえばそんな「うかうかしている」やつに僕がいちいち、「おまえら、ヤバくない?」なんて言っても、「いやあ、そうですね・・・」って、シュンとなって終わり。でも、下からのプレッシャーは、本気で危機感をあおるものなんだ。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.11
ねぎらう 「ねぎらい上手になるには、自分にあったねぎらい方で」ドラマ「スクール・ウォーズ」のモデルにもなった、伏見工業高校ラグビー部総監督・山口良治先生。どうしようもない不良の集団だったラグビー部を、彼らへの信頼と愛で指導、全国大会優勝へと導いた伝説の人だ。その山口先生との雑誌での対談で、先生が「自分に軸を向けた時に、生徒たちに何をしてやれるか考えた」と言われていた。その時初めて、「俺はあいつら(スタッフ)に何もしてやってないんじゃないかな」という気持ちになったんだ。営業コンサルタント・和田裕美さんとお話しした時も、「自分はこの人に何をしてあげられたんだろう」と考えた時に、目の前が広がった、ということを言われていた。そんなとき、小阪裕司氏の著書『「仕事ごころ」にスイッチを!』で「ねぎらい」の概念を知った。「ねぎらい」っていうのは、その人の存在を認め、存在してくれたことへの感謝の気持ちを表すことだ。言葉にしてしまうと、たとえば、「あなたと仕事ができてよかった。なぜならば・・・」ということ。さすがにそのままは使えないよね。最初は僕もリッツのスタッフに対して、「佐藤君がいてくれてよかったよ。なぜなら・・・」なんて、やってみたんだ。でもだめ。恥ずかしい・・・。相手だって「ねぎらわれ慣れ」していないからね。テレちゃうよ。でもね、その後、スタッフとの飲み会に行って、趣味でやっている三線(沖縄の三味線)にあわせてねぎらいの言葉を言ったら、みんなもう、ジーンとくるんだ。自分の会社なりのねぎらい方を考えると、僕らの場合、飲み会を利用するしかない!飲み会の席に、三線を持っていって、ケースに入れて置いておく。だんだんみんな酔っ払ってきて、タイミングを見計らって、ケースを開けたら、ねぎらいの時間のはじまり。「誰からはじめようかな」って感じ。沖縄の歌「19の春」のメロディを僕が弾いて、スタッフがアドリブで替え歌にして、その人がいてくれてよかった、という気持ちを歌っていくわけ。これもマニュアルについて話したのと同じように、最初は強制!でも、浸透して、飲み会でスイッチが入って「ねぎらいモード」になれば、みんな自然とできるようになる。「はい、次は佐藤君。誰、ねぎらおうか?」ってね。サービス業の財産は、やはりスタッフ、「人」だ。だから人は大切にしなければならない。甘やかすんじゃなく、レベルを上げていく。時には「ねぎらい」のように、心に訴えることがあっても、いいんじゃないかな。自分の会社の文化、風土みたいなものにあった「ねぎらい方」を、是非見つけるといいだろう。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.10
マニュアルは誰のものか? 「自分たちがマニュアルをつくっている、という意識を持つべきだ」サービス業では、「マニュアル」の是非というのは、結構微妙な問題だ。サービスにおいて「マニュアルどおり」というのは、ファーストフードのチェーンでの接客とか、メカニカルで心がなく、味気ないものを想像するだろう。でも僕は、結論から言ってしまうと、べーシックな部分のマニュアルは絶対に必要だと思う。「システム」として動かすべきものは、マニュアル化するべき、ということだ。問題は、そのマニュアルを「どう見るか」だ。リッツにもマニュアルは存在する。それは「リッツでは、こうです」という指針だ。前述のクレドカードも、リッツの方向性を示した、言ってみればマニュアルのひとつ。それとは別に、「リッツのスタッフは、こうするものだ」というマニュアルもある。たとえば技術の面でいうと、カットについても「ボブに切る」とは言っても、人それぞれのボブの切り方がある。みんながバラバラに切っていたら、教わるアシスタントは困っちゃうよね。ある人は、「ボブってのは、ノンテンションで、こうやってパツーンと切るんだよ」で、またある人は、「だめだよ。 引っばって、ちょっとハサミ入れて、イングラにして切らなきゃ」なんて言う。仕方ないよね、人それぞれバックボーンが全然違うんだから。でも、いろんなことを言われちゃうと、もう教わる側はそれだけでどうしていいかわからなくなる。だから、「リッツのボブの切り方はこうですよ」という、ひとつのルールをつくるのは必要。また、お客様への挨拶とか、そういう当たり前のことに関しても、マニュアル化されていたほうがいい。要するに、組織の中の共通言語を明確にしておく、ということだ。共通言語があったほうが伝わることって、いっぱいあるものなんだ。でも、よく会社であるような、朝礼でみんなでマニュアルを声に出して「唱和」する必要はない。社長「おはようございます!」社員「おはようございます!」社長「本日もがんばります!」社員「本日もがんばります!」みたいなやつね。みんなで唱和なんかしたら、だめだ。リッツでもクレドカードを読み上げたりするけど、それは「みんなで唱和」ではない。単なる確認作業。なぜ唱和をしたらだめなのか?それは、考えるヒマを与えていないからだ。べーシックのマニュアルをつくったら、それをそのままにしておいてはいけない。スタッフにとって、マニュアルを「自分たちでつくりあげたもの」に見せなければいけない、ということだ。べーシックな部分、ということは、ひとつの考え方のべース。そのべースに対して、誰もが考え、改善していく・・・モノを言うシステムをつくっていかなければいけない。リッツでも、マニュアルに対するスタッフからの意見は、大歓迎!たとえば2年前につくったマニュアルがあったら、それが古くて、現在に当てはまらないことも書かれているのは、当たり前。ならば、それを変えていくのは誰か・・・という話だよね。クレドの場合と同じく、マニュアルについても各店からの意見が毎日メールで事務所に集まるシステムになっている。会社の規模が社員15人くらいまでだったら、こういうシステムはかえってギクシャクしてしまうかもしれない。通常の、面と向かって話すコミュニケーションが、全社員と簡単にできるからね。でも、現在リッツは80人。考えの共有化が絶対に必要なんだ。だから、マニュアル化の怖さっていうのは、「みんながマニュアルどおりにやって、オリジナリティがなくなる」ということより、「みんながマニュアルについて考えなくなった」時の怖さだと思う。オリジナリティがなくなる、というより、オリジナリティのつくり方を忘れる、ということだね。オリジナリティのつくり方を知らなかったら、いつまでたっても「与えられるものを待つ」だけの人間になってしまう。これではとても「記憶に残るサービス」なんてできないよね。もちろん、マニュアルの基となる最初のものは、トップである僕がつくる。後はそれをスタッフが全員で進化させていっている。「そんなに上手くいくわけないじゃないか」って思う?「難しいことだよ・・・」って思う?ところが、全然難しくない!何か新しいことを始めたら、最初は反感があって当然。あってオッケー。でも、トップの人間は、そこで言い通さなくちゃいけない。絶対的な権限を持って言い通す。そう、まずはトップダウン、「上から下への意見」だ。トップダウンから始めないと、組織が飽和しちゃう。途中で意見がこんがらがっちゃうんだね。浸透するまでは徹底してトップダウン。浸透した後は、徹底してボトムアップ、「下から上への意見」だ。「トップダウン型よりも、ボトムアップ型のほうがいい」と単純に言う人がいるけど、僕はそうは思わない。まず徹底したトップダウンがなければ、ボトムアップは始まらない。ボトムアップができるということは、スタッフがそのレベルに育ってはじめてできること。まずトップダウンでスタッフの意識をそこまで持ってくる。気づかせる。そこからボトムアップだ。順番を間違えなければ、会社全体に新しいシステムを導入することは、難しいことじゃない。マニュアルについても、みんなが考えるというシステムができたことは、僕たちにとってすごい自信になっているんだ。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.09
ミーティング 「合宿ミーティングは、コミュニケーション強化のカンフル剤」リッツのミーティングは、各店舗のスタイリストのセクション、アシスタントのセクションで行なわれる「セクションミーティング」、店舗のスタッフ全員の「全体ミーティング」が週一回、各店の店長ディレクターが集まった「事務所ミーティング」が月一回行なわれている。僕が出席するのは事務所ミーティングだけ。後は時々各店に出向いて、雰囲気だけ見て帰ってくる。店舗の細部にまで目を光らせちゃうと、キリがなくなっちゃう。また、経費のことについても、あまりうるさく言って、それにストレスを感じたくないんだよね。スタッフはみんな、清掃も徹底していて、やるべきことを怠っているわけじゃない。その上で「○○が買いたいです」っていうのは、やっぱりリッツのことを好きで、リッツを良くしようと考えてのことだからね。声高に「経費削減」とかって、言いたくないんだ。さて、リッツにはもうひとつ、恒例となっているスタッフ全員での合宿「箱根ミーティング」がある。社員旅行じゃないよ。あくまでもミーティング。最近よくチームづくりのために、合宿が効果的だといわれているけど、この「箱根ミーティング」も、コミュニケーション強化のために、とても効果的だ。この合宿を始めたきっかけは、僕がニューヨークから帰ってきた時に見た、スタッフのレベルの低さに腹が立ったことだった。「俺がニューヨークで頑張ってきたのに、なんだよコレ?」って。すぐには帰れない場所に連れてって、軟禁して泣かせてやろうと思ったんだ!誰か一人、かわりばんこに集中砲火を浴びせる地獄の合宿。だから合宿を始めた数年は、みんな怖くて、日程が迫ってくると胃が痛くなったりしたんだって。それがだんだん変わってきて、今は全く違う目的と雰囲気のものになっている。「ミーティング」と称しているから、もちろん議題がある。議題は毎年違う。その時にリッツにとって必要だと思うものを、先手を打って、リッツのメンバー全員で話し合う。(ちなみに去年は「クリエイティブ&アゲインオーバー」。 この言葉をテーマにして、さまざまなことを話し合った。)一日かけての話し合いになる。朝9時スタートで、夜は7時まで。その後、宴会を経て、また一部屋に集まって、ナイトミーティング。普段あまり話す機会のない他店舗の人とも話せるということで、リッツがひとつになれる。でも、実はこの合宿効果って、一過性のものでもあるんだ。継続性はない。だから、コミュニケーション不足かな・・・と思ったら、やる。カンフル剤みたいなもの。そこで決められた案件は、東京に帰ったらとりあえず実行したりするんだけど、みんな段々と日常に戻っていってしまう。で、日常のあいだには「金井塾」などで新しい情報を社内にアウトプットする。それで、溜まった情報、知識をもとに合宿ミーティング。だから、洋服のコレクションみたいなものかな。春夏・秋冬で一回衣替え。洋服の場合は「色」とかにこだわるけど、僕たちは「新しい情報をいかに浸透させるか」を考えるんだ。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.08
DiSC 「個人の『傾向』がわかれば、人間関係はスムーズになる」スタッフには、当然個人個人の考え方、パーソナリティがある。仕事でのコミュニケーションの中で、その人の「情報」を仕入れることは当然だけど、それ以外にも僕がひとつの情報として把握しているのが、「DiSC」といわれる理論だ。人間にはそれぞれ行動、考え方に特微があり、欲求、行動するための動機、不要に感じること、人に影響を与えることなどが、それぞれ異なる。そんな行動をいわゆる「タイプ分け」するための方法として、「類型法」と「要素法」という二つの方法があるといわれている。「類型法」っていうのは、パターンを当てはめるやり方。でも、この当てはめるパターンに限界があるので、すべての人に合う、とは限らない。そこで、人間の行動傾向をいくつかの「要素」に分類して、その組み合わせで考える「要素法」が注目される。その代表的な理論が、「DiSC理論」なんだ。DiSC理論は、1920年代に、アメリカの行動心理学者・ウィリアム・ムートン・マーストン博士が提唱したもので、人間の行動傾向は次の四つの要素で説明できるとしている。 D=主導傾向(反対を押し切ってでも成果を上げる) i=感化傾向(成果を上げるために他の人を仲間に組み込む) S=安定傾向(任務の遂行のために他人と協力することに重点を置く) C=慎重傾向(現状を維持しながら仕事の質の向上を図る)そして、これらの要素の強弱・・・要するにバランスによって、その人の行動の仕方が決まるっていう考えだ。専用のシートの質問に答えていって、自分がどの傾向が強いかを判断するんだけど、これはおもしろいくらいに、当たっている。当たっている、といっても、占いの類ではないよ。あくまでも、根本的に持っている人間の特性を、科学的に探るものだ。僕はスタッフ全員のDiSCを見て、その人がどの傾向が強いのかを、スタッフのファイルに書き込んでいる。時々、人から、「そこまでやりますか・・・」みたいなことを言われたりするけど、すごく役に立っている。組織の中には、4つの傾向すべてが必要なんだ。一つの円の中にすべてが配属されていて、いかにバランスよくやっていくか、というのがDiSCの考え方だ。組織のバランスを考えた時に、人によって「言われたくない言葉」とか「言われたら動機付けされる言葉」っていうのは、それぞれ違うわけだ。DiSCは、それを事前に知っておいて、人間関係をスムーズにいかせることもできる。また、スタッフ個人個人にとっても、自分のことを知る、という意味で、とても強力なツールだと思う。自分の背中って、見えないでしょ?でも、その背中が・・・要するに自分では気づかない部分が、周りの人に影響を与えているかもしれない。たとえば、自分ではダラダラ歩いているつもりはなくても、ダラダラ歩いていることで、人から「こいつ、やる気ないんじゃないの?」って見られているかもしれない。まず自分自身を知ることができなければ、いろんな気づきも得ることはできないよね。DiSCは、専用のシートの設問に答える際、ちゃんと環境設定(自分が誰に対して接する場合か)をしてから答える。だから、たとえば上司に対しての傾向と、部下に対しての傾向、あるいは家族の中での傾向とか、場面によって違ってくるんだ。だから、自分を知る、ということでは、本当にすごく良くできたツールだと思うよ。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)DiSCの詳細については、こちら
2004.07.07
サービス集団の育て方の章クレドカードって何だ 「リッツのみんながひとつになるためのツールがこれだ」「いやあ、ウチは人が育っていかないんですよ・・・」という悩みを持っている経営者の方、多いんじゃないかな。経営者とスタッフの意識の差って、大きなものがあるだろうからね。会社としての方向性、指針というものは、明確に打ち出して、それを社員に浸透させなければならない。それでないと、スタッフはどこへ向かっていけばいいのかわからなくなる。だから育たない。集団としての方向性、指針をスタッフに伝え、浸透させる、そのためのツールが、僕たちが使っている「クレドカード」というものだ。これは、僕が「サービス業の鑑(かがみ)」と敬愛するホテル「ザ・リッツ・カールトン」の世界中すべての従業員が携帯するクレドカードを参考にして、作ったものだ。「クレド」とは、ラテン語で「信頼」を意味するもの。この場合、「信条」といったほうがいいかもしれない。「リッツとは何か」「リッツの目指すものは何か」というものが、ひとつの信条、ミッションやビジョンになる。リッツのみんなの意識をひとつにするためには、リッツというサロンの存在価値を、お客様や業界にアピールする前に、リッツ内部で自覚させなければならなかったんだ。「僕たちは何のために美容室をやってるの?」ということを、社内で、文化としてつくっていかなければならなかった。そして、「自分が『リッツ』なんだ」ということを、徹底的に自覚してもらいたかった。だから、クレドカードに書かれた内容は、リッツのスタッフ全員で決めたものだ。「金井豊の考え」じゃない。金井豊というトップの人間が、自分の言う事を聞かせるために作ったわけじゃない。リッツのクレドカードには、3つのビジョン6つのミッション(これは僕が最初に考えた『リッツは、こうあろうね』っていう大きな表明だ)、そして18のサービスベーシックが書かれていて、自分の笑顔(一番いい顔ね)の写真を貼り、自分のセルフイメージ、ゴール(目標)を書き込むようになっている。クレドの内容を更新したりする際には、主だったメンバーがミーティングのための合宿をする。セルフイメージっていうのは、たとえば僕なら「ガソリンスタンド」。どうしてかというと、みんなに元気を与える存在でありたいから。自分自身のセルフイメージを意識することによって、ずっと「そうあろう」という気持ちがキープできる。セルフイメージを「サン(太陽)」とかに決めた人なら、いつも太陽のように明るく振る舞うように心がける、とかね。笑顔の写真も大切。毎朝、自分の一番いい笑顔を見てから一日をスタートさせることで、自分自身のモチベーションを上げるんだ。免許証の暗い自分の顔を見ても、暗くなるでしょ?だから必ず、笑顔。サービスベーシックについては、一日に一回、ひとつの項目についてサロンのスタッフ全体で話し合う機会を設け、一人一人が自分の意見を発表する。一番目から始めていって、18日でワンクールが終了する。そして19日目から再び一番からスタートさせる。たとえばサービスベーシックの一番の内容は、「私達はゲストをお名前でお呼びします。 個客心理を考え、口に出せない所まで気を配り、 パーソナルデータに基づいて最高のサービスを提供します」というものだ。これについて、自分がどう感じるか、何をすれば良いか、何か取り入れるべきものはあるか、などを発表するんだ。その日に取り上げるサービスベーシックは、各店舗、つまりリッツ全体で一緒のもの。一番から順番に毎日話し合う。その話し合いの結果は、各店からすべてメールで代官山店に集まり、そこで編集され、閉店後の終礼までにまた各店に送り返される。全店が同じ情報を共有するってことだ。するとどういうことが起きるか・・・「あ、代官山店では、こんなふうに考えてるんだ」「原宿店ではこんな見方なんだね」っていうふうに、違うサロンの見方を受けて、それぞれのスタッフがインスパイアされる。刺激されるんだ。これが情報共感。カタカナ言葉でいうと「ナレッジする」ってやつ。ここでもやはり「情報」がキーワードになってくるね。クレドカードに書かれているサービスベーシックは、いってみれば「主幹」。そこからスタッフのみんなによって、どんどん枝分かれした考え方が出てくる。べーシックの一番という幹があって、それについて話し合うことによって、いろんな枝ができる。それをお客様への「記憶に残るサービス」として実行するんだ。「サービスとはなんだ」といったと時にも、いろんな人が「俺はサービスって、こういうことだと思う」などと言うかもしれないけど、そんなふうに漠然と話していても、出てくるキーワードって、そんなにはないんだ。だから、クレドカードのサービスベーシックは、今は18個だけど、これからどんどん増えてくるだろう。集まった枝によって、あるいは時代の変化によって、クレドカードはどんどん進化していく。それが真のオリジナリティ。クレドカード自体、ザ・リッツ・カールトンの考え方から影響を受けたものだけど、中身に関しては、絶対に他がマネできるものではない。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)(余談) どこかの会社の社長が、某経営コンサルタント会社に、 「育つ社員は、自分から育つ。 育たない社員は、育てようと思っても育たない。」 というようなことを言われたらしいが、 仕事を放棄しているとしか思えない。 まあどっちもどっちだ。(笑)
2004.07.06
7つのインテリジェンス チェックリスト (『こうすれぱ組織は変えられる!』(フォレスト出版)を元に作成)(1)以下に、様々な知能の特徴が77個リストアップされています。 自分に当てはまると思われるものについて、各アイテムの “A”欄にチェックマークをつけてください。(2)自分に当てはまると思われるものについて、 A欄にチェックマークをつける作業が終了したら、 リストの最初に戻ります。 今度は、リストの各アイテムの“B”欄に、 上から順番に1から7まで数字を入れていきます。 8つ目のアイテムまで来たら、もう一度1に戻って、 再び7まで順に数字を入れ、これを最後まで繰り返します。 アイテムは全部で77ありますから、1から7までの数字が 11セット入ることになります。(3)それができたら、今度は、1から7の数字それぞれについて、 自分のつけたチェックマークを見ていきます。 まず、チェックマークのついたアイテムのうち、 B欄に1と書かれたものがいくつあるかを数えてみてください。 その数を下の「1の数 視覚・空間的知能」の欄に書き込みます。 このようにして、「2の数」以降についても同様に チェックマークの数を書き込んでいきます。 AB1.□□ 具体的なイメージを思い浮かべて思考する。2.□□ 実際にやってみるとき、うまく学ぶことができる。3.□□ どんな状況でも生き抜く強さとしたたかさがある。4.□□ 自分の本当の気持ち、夢、考えなどをしっかり自覚している。5.□□ 時間があるときには、楽器を弾いたり歌を歌って過ごす。6.□□ 誤字脱字をしない。7.□□ コンピュータや化学系のことがらが好きである。8.□□ 観察するとき、うまく学ぶことができる。9.□□ 裁縫、木工、陶芸などが得意である。10.□□ 自由な会話が許される、堅苦しくないグループ活動を好む。11.□□ 直観が鋭い。12.□□ レコード、テープ、あるいはCDを集めている。13.□□ 語呂合わせやダジャレなど、言葉遊びが好きである。14.□□ 論理的なルールや形式を好む。15.□□ 記憶力がいい。16.□□ 細かい運動や大きな動きを伴う運動が得意である。17.□□ 他人の気持ちに深く感情移入できる。18.□□ 自分の世界にこだわり、個人的な目標に向かって努力する。19.□□ 音楽に合わせてリズミカルに拍子を取ることができる。20.□□ クロスワードパズルなどのゲームが好きである。21.□□ 法則や定理をよく記憶できる。22.□□ ジグソーパズルや迷路が得意である。23.□□ ジェスチャーやボディーランゲージを使ったコミュニケーション がうまい。24.□□ 家族間、友人や同僚同士のもめごとの仲裁役を果たすことが多い。25.□口 討論の場では、常にはっきりとした意見を主張する。26.□□ 音楽の形態を取ると、ものごとをよく覚えることができる。27.□□ 大風呂敷を広げたり、ジョークやエピソードを話すのが 好きである。28.□□ SFやミステリーを読むのが好きである。29.□□ 時間があるときは、芸術活動やものづくりをして過ごす。30.□□ 座っている時は、足を揺すったり指を動かしたりして、 落ち着かない。31.□□ グループで行うゲームやアクティビティが好きである。32.□□ 服装や行動は、個性的なスタイルを好む。33.□□ 感情を表現する手段に音楽を利用する。34.□□ 筆記テストが得意である。35.□□ 「頭がいい」「賢い」「速い」といったコメントをよくもらう。36.□□ 映画、スライド、ビデオ、写真などを見るのが好きである。37.□□ 水泳、ハイキング、ジョギング、テニス、ゴルフなどをして、 よく体を動かしている。38.□□ 職場や近所での人づき合いは積極的に行っている。39.□□ 個人的なプロジェクトや趣味の追求のために、 一人でいることを好む。40.□□ 作詞や作曲をする。41.□□「しゃれてる」「うまい言い方をする」「知的」といった コメントをよくもらう。42.□□ 分類したり、仮説を立てたりして、観念的に思考する。43.□□ 自宅やオフィスでは、何がどこにあるかをすべて把握している。44.□□ アクションの多い物語を好む。45.□□ 他人をよく理解できる。46.□□ 言葉には出さないが、自分に対して強い自信がある。47.□□ 自分の歌や演奏、あるいは作った曲に対し、 「素晴らしい」「才能がある」といったコメントをよくもらう。48.□□ 言葉で考える。49.□□ 実験を通してパターンや関連性を追究すると、 うまく学ぶことができる。50.□□ 「機械」や「機械的な仕掛け」が好きで、時々自分でもつくる。51.□□ 話す時、相手のことをよく触る。52.□□ 同僚のことがよくわかる。 (誰が好調で、誰が行き詰まっているかなど)53.□□ 「個性的」「自分をよくわかっている」「洞察力がある」 といったコメントをよくもらう。54.□□ よく一人で歌ったり、鼻歌を歌ったり、口笛を吹いたりする。55.□□ 言葉を声に出したり、耳で聞いたりすると、 うまく学ぶことができる。56.□□ 宇宙の仕組みについて常に考えている。57.□□ 地図や図表を読むのが得意である。58.□□ 人のしぐさや行動をまねるのがうまい。59.□□ 「聞き上手」「協力的」「本当の友達」「洞察力がある」 といったコメントをよくもらう。60.□□ 自分の感情に素直である。61.□□ 音楽を聞くと、自然に体が動き、歌が出てくる。62.□□ 文章を書くのが好きである。63.□□ チェスなどの頭を使うゲームやパズルが好きである。64.□□ よく空想に耽ることがある。65.□□ 身のこなしについて、「優雅」「運動神経がいい」 「ダンスがうまい」といったコメントをよくもらう。66.□□ 話しながら考える。67.□□ 単独で活動すると、うまく学ぶことができる。68.□□ 音楽については持論がある。69.□□ 名前や日付など細かいことをよく覚えている。70.□□ 抽象的なことがらを論理的に考えることができる。71.□□ 自分のアート作品に対して、「独創的」「才能がある」 といったコメントをよくもらう。72.□□ 体を動かしたり、何か作業をしたりして、肉体の感覚を 刺激しながら考えると、最も思考がはかどる。73.□□ チームワークやグループ研究の形を取ると、 うまく学ぶことができる。74.□□ 自分をしっかりと持っており、自立心や自制心が強い。75.□□ 言語以外の音に敏感である。76.□□ 読書が好きである。77.□□ 計算が得意である。■合 計1の数 視覚・空間的知能2の数 運動的知能3の数 社交的知能4の数 内省的知能5の数 聴覚的知能6の数 言語的知能7の数 数学・論理的知能※各項目の合計は、あなたの学習能力に関するおおよその構図 となっています。 ただしこれは、IQはもちろん、いかなる知能をはかろうとする ものでもありません。 これは、その人が好む学習のスタイル、他の能力と比較した時、 特に優れている能力を示唆することを目的とするものです。 (僕の場合) 1の数 視覚・空間的知能__5点 2の数 運動的知能_____1点 3の数 社交的知能_____5点 4の数 内省的知能_____10点 5の数 聴覚的知能_____0点 6の数 言語的知能_____9点 7の数 数学・論理的知能__5点(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.05
7つのインテリジェンス 「目からウロコ、とは、まさにこのこと。すげえ理論だ、これは」フォトリーディングをやってみて、インプットの「やり方」は、すごく大事なことなんだと感じた。リッツでも、今まで本を一冊読みきったことのないようなやつが、どんどん本から新しいキーワード、知識を仕入れて喜んでいる。今までは「勉強」と思って、そこでシャットアウトしていたことを、楽しんでやっている。これって、「自分にもできる!」っていう、成功体験の結果だよね。自分に合ったインプット(言い方を変えれば、勉強だけど)の仕方を知らなければ、なかなか上手くいかないんじゃないだろうか。逆に、人に何かを教えるにしても、教える相手に合ったやり方を知っていないと、つまり相手がどんなタイプなのかを知っていないと、絶対に上手く伝わらないと言えるよね。要するに、効果的な勉強方法って、一人一人バラバラなんだ。僕はフォトリーディングを勉強していく過程で、加速学習の「多重知能論」という考え方と出会い、人間には7つの知能があり、人によってどの知能が優れているかが違う、ということを知った。それが「7つのインテリジェンス」だ。自分はどのインテリジェンスが強いのか、を知ることで、どういう学び方をすればいいかがわかるだろう。それぞれのインテリジェンスとはどんなものか。ちょっと面倒くさい話だけど、きっと面白いと思うよ。1.視覚・空間的インテリジェンス 物事を理解するときに、話による説明よりも絵や図表から理解する 能力が高い人。 授業中にノートに落書きをしてしまう人も、このインテリジェンス が高い。2.運動的インテリジェンス よく「手先が器用」などといわれる人、道具を使いこなすのが 上手い人は、このインテリジェンスが高い。 細かい作業が得意な人。3.社交的インテリジエンス 意見のやりとりが好きで、性格は外交的。 反面、発言のチャンスがないと居眠りをしたり・・・という人。4.内省的インテリジェンス 自分を分析する能力に長けている。 人から説明を受けるよりも一人で本を読んで物事を理解するタイプ。5.聴覚的インテリジェンス 音楽を理解、鑑賞する能力に優れていて、言葉で説明されることを 好む人。 人の話をよく理解できる人はこのインテリジェンスが高い。6.言語的インテリジェンス 言葉を使ったコミュニケーションが得意。 話すことや書くことなど、言葉の使い方が上手な人。7.数学的・論理的インテリジェンス 数字に強く、物事を論理的に考える人。 エンジニアや会計士など、数字を扱う仕事の人。こんな感じで、人はそれぞれ優れた知能を持っている。だから、人にあった勉強の仕方は、それぞれのインテリジェンスによって違ってくるんだ。日本の学校教育では、数学的・論理的インテリジェンスと言語的インテリジェンスの優れた人がイコール「優等生」で、他のインテリジェンスはあまり評価されていなかった。でも、数学的・論理的インテリジェンスと言語的インテリジェンスが低いからといって、優秀ではないかというと、もちろんそんなことはない。要はインプットの仕方なんだ。学歴よりも自分の技術やセンスを問われる僕たちみたいな美容の仕事でも、教え方に関してはいわゆる学校教育の延長線上のものが多かった。マニュアルなんかを使った画一的なもの。でも、これも学校と一緒で、そのやり方に合った人たちは伸びていくけど、それに合っていない人は、進歩が遅いんだ。もったいない話だよね、ほんと。いろんなインテリジェンスを持った人たちが集まってくるんだから、教える立場の僕も、それぞれに合った教え方をしなきゃいけない。たとえば、言葉で説明すればいいのか?図を描いて見せればいいのか?数字で説得すべきか?・・・などなど。また、低いインテリジェンスの部分は補ってあげなきゃいけない。極端に低いところは、平均値に持っていく。リッツでは、スタッフみんなのインテリジェンスを調べる。そして、デザイン力、技術力、デザイン提案力、カバー力、第一印象、管理能力、サービス精神という、美容師として求められる要素で、自分に足りないものをチェックして、さらにこの7つのインテリジェンスをあてはめて、何を伸ばして、何を補わなければいけないかを考える。たとえば、最初のお客様へのカウンセリングの時・・・「今日はこうこうこんな感じにしますね」なんて話してても、言ってること、よくわからない美容師っているでしょう?それは言語的インテリジェンスが足りないから。説明ができない。あるいは、視覚的インテリジェンスの低い人は、デザイン画を描かせても、描けない。だから、言葉が足りない人は、スタイルについて文字で説明したものも用意するとか、逆の場合、デザインを言葉で言い表すとか、他のインテリジェンスを使って補う。この「7つのインテリジェンス」は、本当にこれからの学習のやり方として、画期的なものだと思う。僕はリッツのみんなと一緒に、この考え方をもとにして効果的にカット技術を習得できるテクニカルブックもつくっている。では、売れている美容師っていうのは、どのインテリジェンスが高いと思う?それは、まず社交的インテリジェンス、言語的インテリジェンス、それから内省的インテリジェンス。社交的インテリジェンスの高い人は、人に対して奉仕の心がある。要するにサービス者としての才能があるんだ。言語的インテリジェンスは、先ほどもお話ししたように、人に対しての説明のために必要。内省的インテリジェンスが高いということは、自分を分析できる・・・つまり目標設定がちゃんとできるっていうことなんだ。運動的インテリジェンスや視覚的インテリジェンスが高いほうが良さそうだけど、やはりサービスパーソンとしては、自分を含めた「人間」に関係するインテリジェンスが高いほうが、優秀ってことだね。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.04
フォトリーディング 「本は情報の宝庫。だからこのスキルは必須なんだ」「サービスのためには『情報』の収集が必要だ」なんて考えたものの、それって、決して楽なことじゃなかった。とにかく美容師という仕事は、メチャクチャ忙しい。サロンワーク、ミーティング、技術のスキルアップのための練習・・・休みの日には技術講習会への参加だ。そんな中で、どうやっていろんな情報を収集していけばいい?どうやって世の中からの知識をインプットしていけばいい?セミナーなんかは、早くから申し込みをして、日程を空けておけるから、まだいいよね。ところが「本」はどうだろう?たまたま時間があって、本屋さんに行って、「あ、これ読んどこう」って本を買っても、それを読む時間って、なかなかつくれない。僕も以前は、読もうと思って買っても、そのままになっている本が、自宅、サロン、オフィスに何十冊もたまっていた。これって、美容師に限ったことじゃないよね。忙しい現代人は、なかなか本を読む時間って、ないでしょう。でも、新しい言葉を知る、つまり、自分のボキャブラリーを増やす(このことはお客様に対するサービスでも、また社内でのコミュニケーションをうまく進めるためにも、極めて重要)には、より多くの本を読んで、出てくる言葉を覚えるのが、一番手っ取り早い。ところが、手っ取り早いとはいっても、忙しく働いている人たちにとって、本を読む時間というのは、なかなかつくり出せるものではない。これって、ほんとにジレンマだ。そんなふうに思っているとき、「どんなに忙しくても、1日に1冊、本が読めてしまう」という、アメリカ生まれの情報処理法があることを知った。そのセミナーを受けて、「これだ!」って思った。それが「フォトリーデイング」だ。このスキルを活用して、僕は今では少なくとも1日に1冊は本を読んでいる。「フォトリーディング」は、アメリカの神経言語プログラミング・加速学習の世界的権威であるポール・R・シーリィによって開発され、実践マーケッター・神田昌典氏が日本に広めたスキルだ。1ページ1秒のスピードで本を「眺めて」いくという、右脳を活用した情報処理法で、単なる「速読」のテクニックとは違う。もちろん、リッツのスタッフにとって、このスキルは必須。それまでの僕も、本を読むのは好きで、よく読んでいたと思うんだけど、フォトリーデイングは、僕の「読書観」を根底から覆した。はじめからじっくり、時間をかけて読んでいく。大切だと思ったところには赤で傍線を引く。重要なページに付箋を立てる・・・そうやって1冊の本を順序よく味わい尽くすのが以前のぼくの読書だった。フォトリーディングは、一字一句本を読んでいくのではなく、本を「感じる」というやり方だ。本に対して的確な質問をすることで、その本の中にある、本当に自分に必要なキーワードだけが飛び出てくる感覚になる。この「キーワード」を探すというのが、僕たちリッツのスタッフにはとても重要なことなんだ。そう、さっきも言ったように、ボキャブラリーを増やすために、だ。たとえば、スタッフとの会話の中でも、こんなケースがある。「俺の言ってること、わかってんの?」「金井さん、なんのこと言ってるの?」・・・っていうような場合。これって、お互いのボキャブラリーの差なんだ。お客様との関係の中でも、こういうことってあるよね。ボキャブラリーは、多いほどいい。そして、ボキャブラリーを増やすには、本を読むのが一番手っ取り早い。というか、絶対に本は必要。でも、リッツの中にも、「忙しくて、ゆっくり本を読んでいる時間なんてないですよ」とか、「マンガならいいけど、活字を読むのって、どうもあまり好きじゃ ないんですよねえ・・・」なんていう人もいっぱいいるし、それはそうなんだろうな、と思う。僕だって、以前はそうだったからね。だったら、「本を読む」というよりも、「本からキーワードを拾ってくる」という作業をしたほうが、効率的だ。フォトリーデイングは、その本から、自分にとって必要な情報だけを取り出すというものだから、何も1ページ1ページの内容をしっかり覚えこまなくていい。右脳にぺージをビジュアルとして焼きつけ、あとで斜め読みをして「これは!」と思ったところ(キーワード)を拾い出すんだ。僕たちは、みんなで本をフォトリーディングした結果を発表しあっている。つまり、インプットした情報をアウトプットして、シェアしている、ということ。それぞれが「これは!」と思った箇所、自分にとって必要だったことについて話す。たとえば僕が「この本、すげえ良かったよ」といってスタッフに渡す。それをフォトリーディングしたスタッフが、「金井さん、僕はこの本で必要な部分って、ここでしたよ」と言ってくれれば、僕もまた、「あー、そういえばそれもそうだよね」と、また情報が増えることになる。自分達が一冊の本から得た情報をみんなでシェアするというこの作業が、実は会社をすごく活性化させる。みんながフォトリーディングをやり始める以前と今では、社内の活気が全然違うんだ。今の僕にとって、いや、リッツにとっても、このフォトリーディングのスキルはまさに財産になっている。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.03
社内からもインプットする 「サービスの担い手たちの情報ももちろん必要だ」僕には、「これがなかったら、経営者として超やりづらい!」っていう、大事な大事な資料がある。それは、全スタッフのデータが書かれたファイル。このファイルを見ることで、僕は経営者としてのモチベーションを高めているといってもいい。インプットしなければならない情報は、社外、世の中のことだけには限らない。インプットは、「お客様のため」だけのものではない。もちろん、リッツのサービスは「情報」ありきだから、お客様のパーソナルな情報も、ワン・トゥ・ワンのサービスの中から、確実に入手しなければならない。そう、「記憶に残るサービス」は、ここから始まるのだからね。僕白身、経営者としては、社内、つまり「スタッフの情報」も無視できない、ものすごく重要な情報だ。これをおろそかにすると、「マネジメントの問題」で必ず頭を悩まされるだろう。そう、スタッフ一人一人のパーソナルな情報も、しっかりインプットしなければいけないんだ。「そいつは何をやりたいのか?」「何が弱点なのか?」「何が強みなのか?」「何に悩んでいるのか?」といったことを、さまざまな機会(普段の会話やミーティングなど)を通じて、情報収集しなければならない。その中でも一番大切な情報が、スタッフの「笑顔」だろう。その人の笑顔を、自分の中にインプットしておくんだ。具体的に何をしているか?僕はスタッフ一人一人の笑顔もファイリングしている。ファイルには、それぞれのスタッフの性格、得意なもの、目標などのほか、後でお話しする「7つのインテリジェンス」「DiSC理論」など、その人が持っている特性などが記されている。その中でメインに据えているのが、スタッフの笑顔の写真だ。これは社内で撮影したスナップを使っている。スタッフのことを考えるときは、終始このファイルを見ながらあれこれと思いをめぐらせるんだ。毎回、ページをめくり、スタッフの「いい顔」をインプットさせられると、「こいつ、いい顔してんなあ」なんて思い、それが、「こいつのために何をやってやれるだろう」と考えることになるのだ。最近注目を集めている「コーチング」でも、まず「存在」を認めるということが大事になる。自分の中にインプットする相手の存在は、その人の一番いい「笑顔」であったほうがいいに決まっているよね。逆に考えてもそうだろう。免許証をあまり人に見せたくないのはなぜかっていうと、写真がブスに写っているからでしょう?笑顔じゃないし。そんな顔が自分だなんて認識してもらいたくないよね。もちろん僕も人間だから、「好き嫌い」はある。好きな人もいれば、苦手な人もいる。そして、好きな人とばかり付き合っているわけにはいかないっていうことも、もちろんわかる。でも、というか、だからこそ、相手の存在を認めるときには、一番の「笑顔」をインプットしておいたほうがいいんじゃないかな。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.02
インプットとアウトプット 「インプットした情報は、必ずアウトプットしなけれぱならない」「金井さんって、すごくいっぱい本を読んでますよね」「金井さん、またセミナーを聞きにいくんですか?」僕はよく社外の人からこんなふうに言われる。自分で言うのもなんだけど、本はメチャクチャたくさん読んでます。セミナーも年中行ってます。また、仕事の話抜きで、いろんな人と会って、いろんな話をするようにも努めている。「金井さんって、リッツで学校の先生みたいなことしてるんでしょ?」って言われることもある。これもまあ、当たり。スタッフを集めて、美容とは関係のないことを真剣に講義している。外から見たら、ちょっと異様かもね。リッツが目指すものとして、「お客様に成功のための情報を与える」ということがある。そのためにいろんなところから情報を得る。情報を得ることを、「インプット」と呼んでいる。そして、インプットした情報を公開することを「アウトプット」と呼んでいる。これは僕が組織のトップとして、率先して行なっていることなんだ。なぜなら、立場的にいって、僕が一番いろんなことをインプットする機会が多いから。そして、インプットしてきた情報は、スタッフにアウトプットして、共有する。そうすることで、リッツの情報量はどんどん増えていく。「映画を観る」「コンサートに行く」「流行っているお店に行く」などということも、インプットのひとつ。接客、つまりお客様とのちょっとした会話(世間話)のネタとしては十分だけど(お客様個人個人によるが)、社内にアウトプットするもの、つまり組織で共有する情報と考えると、少し足りない。だから僕は、ありとあらゆるセミナーに顔を出し、フォトリーディングという速読法で月に何冊もの本を読む。そしてそこでインプットしたものは、リッツのオープン以来続けている、月に2回の「金井塾」と銘打った、僕が講師をつとめる社内セミナーでアウトプットしているんだ。「俺はこのあいだ、こんなセミナーに行って、こんなことを 覚えてきたんだけどさあ・・・」とか、「このあいだこんな人と会って、こんな話を聞いた。 どう思う?」なんてことを発表する場だ。いってみれば、僕が仕入れた情報の報告会。スタッフは「次はどんなこと話すつもりなんだ?」なんて、結構期待もしているようだ。だから、何かのセミナーに参加するときも、「今日のセミナーの内容を皆(スタッフ)に伝える」という目的があるから、真剣になれるよ。僕が参加するセミナーは、別に美容に関するもの、経営、マネジメントに関するものには限らない。サービスに役立つスキル(たとえばホテルの接客技術など)、情報を得る手段として有効なスキル(たとえば「フォトリーディング」など)を教えるもの、最近では「ヒプノセラピー」という、催眠療法のセミナーにも顔を出したりしている。もちろん、セミナーに参加するということは、それなりの出費がともなうけど、それは自分達への投資と考えなければならない。なぜなら、いいセミナーに出会うための心構えは「数撃ちゃ当たる」の精神だからだ。一度や二度、セミナーに行ってみても、そうそう自分に合ったものには出会えない。「失敗から学べ」という言葉があるけど、僕の場合、「はずれのセミナーに参加しちゃった」ってことが失敗。だからどんどんセミナーに参加して、何度も失敗から学んでいる。(プラス思考でしょ?)たとえばヒプノセラピーにしても、たまたまいろんな本を読んでいるうちに、「ヒプノ」という言葉が妙に心に引っかかった。だから、とりあえずセミナーがあるんだったら出てみよう、という程度。それでセミナーに行ってみて「やっぱり違うな」「俺には必要ないな」と感じても、それでオッケー。「セミナーで失敗するのも投資のうちなんだ」、と思っていれば、講師に依存してしまう・・・「ああ、きっとこの人がなんとか自分をいい方向に導いてくれる」なんてことを考えてしまう必要もなくなるだろう。そうやって常に捜し求めていれば、「これは本当に役立つな」というセミナーに出会うことができるだろう。経営者として、情報の少なさに対する不安があれば、このように積極的にインプットの努力を続けることは可能なんだ。また、その不安を解消する意味でも、情報をインプットしたときに感じる自分なりの「気づき」を放出することを心がけなければならない。それが「アウトプット」の作業だ。「俺はこう思ったんだよ」と言えばいい。僕の場合、意識的にインプットから一週間以内でアウトプットさせるように心がけている。なぜなら、「人間は一日経てば情報の半分を忘れ、一週間で100%忘れてしまう」といわれているからね。情報を覚えているうちに・・・新鮮なうちにいち早くアウトプットすることで、自分自身でもその情報を整理することができる。つまり、話しながら、自分にとって必要なものと、そうでないものを選別していくことができるんだ。それに、インプットされた情報をさっさと外に出すことで、脳の中に余裕が生まれて、次のインプットがスムーズにいく、ということも考えられる。この本を読んでいるあなたが経営者で、いろいろな機会を通じてインプットされた情報を、「せっかく苦労して得た情報なんだから、そうそう簡単にスタッフには 伝えられないよ」などと勿体ぶっているなら、それこそとても勿体無いことだ。情報をアウトプットすることによって、将来的にその情報が会社の財産となったり、自分自身の知識もどんどん手に入れられる。もちろん僕たちの場合は、情報は「記憶に残るサービス」「お客様の成功」に結びつけられる。「情報をアウトプットする」というのは、これからの経営者の必須事項だとさえ思う。(「すべては記憶に残るサービスのために」金井豊著より)
2004.07.01
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