2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全18件 (18件中 1-18件目)
1
やはり、朝から、体がだるかった。しかし、そうも言っていられない状況。9時過ぎまで横になっていたが、下に降りて行くと、もう、特別講義を受けに娘も出かけた後で、パパが出かけようとしていた。日曜なのに、会社に出ないと仕事が追いつかないらしい。昨夜は、遅くまで病院にいてくれたから、寝不足のはずなのに・・・。男の人は本当に大変だなあ。朝、母から電話で、個室が空かないためナースセンター横の診察室に入院したそうだとパパから聞いた。外は雨が降っていた。洗濯物を洗濯機に入れ、下の娘に頼み、用意をして、お昼近くに出かけた。出掛ける前、病院に電話をしたら、診察室はTVが無いからと、雑誌を数冊用意して行った。日曜の病院の駐車場は、空いていた。かなり広い4箇所有る駐車場の中でも、病院の敷地内の駐車場はなかなか入れないのだが、今日は難なく入れた。7階まで上がり、突き当たりの診察室を空けると、広い部屋に父と母がいた。「何だ、無理しなくて良いのに・・・」と言ったものの、父は嬉しそうだった。顔色が悪い。口内炎が酷く食事が摂りにくいそうだ。抗生物質らしい点滴をしていた。パーテーションで仕切られた隣はナースステーションで、反対側は、処置室。時折、機械や、機材の音がする。居心地は今一よくないが、そうも言っていられない。縦50センチ、横1メートルほどの酷く古い形式の機械が音を立てて父の横に有った。「何?、これ」「空気清浄機だって」母も呆れた顔をして答えた。父の熱は朝36・7°まで下がったが、午前中のうちにやはり上がって行き、今は37・6°だそうだ。この分だと夕方には38°になりそうだ。入院は一週間くらいだろうか・・・。昼食を摂ったあと、風邪薬を服用したので眠くなってしまった。マスクをしたまま長い時間を過ごすのは苦痛だが、仕方ない。診察室なのでドクター用の机が作りつけになっていたので、少し寝ようとしたら、私の体調を心配した父が、一旦帰れと言い出した。父の様子も、大丈夫そうだし、お言葉に甘え、帰宅する事にし、病室を出た。帰宅したら、途端に眠気が襲ってきて、私はそのまま二階の部屋に上がると、眠ってしまった。気が付くと午後5時過ぎ。母を迎えに行かなくては・・・・と起き上がって着替え、病院に行った。一旦あがった雨も、夕方また振り出し、冷たかった。母を乗せ、買い物をして帰宅。父の熱は、やはり38°になっていた。でも、熱と口内炎以外は案外元気。この分だと大丈夫そうだな・・・・・と感じられた。やれやれ、今回は大した事はなさそうだ。明日は病室が空くと良いなあ。
2004年02月29日
コメント(0)
父がまた入院した。ここのところ、私の風邪が良くならず、熱もある故、なるべく父に近付かないようにしていたのに、何かと理由をつけては、父の方が、私に会いに来ていた。キッチンのドアを叩く音に、だるい体をソファから起こして出て行くと父が草もちや、イチゴ大福など子供達が喜ぶ物を持って来てくれていた。その際、マスクをしていない事があったので、「何のために行かないのか分かってる?私の風邪をうつさないためなのに、マスクしなくちゃ駄目でしょう」と怒ってみても、背中を丸くしてと帰っていく父を見ると、早く治して父のうちに行ってあげたいと思っていたのに・・・。夜9時近く、遅い夕食の用意をしていたら母から電話。「Iちゃん、お父さん熱が37.4度あるから、さっき抗生物質を飲ませたんだけれど、今、熱を測ったら37・6°になってるの。悪いけど、病院に連れて行ってくれない?」自分もしんどくて今日は簡単に済むステーキを鉄板で焼こうとしていたが、娘に後を頼み、出掛ける用意をしてマスクを着用し、父を迎えに行った。ERは、土曜日で、すごい混雑。何人もの、小さな子供が真っ赤な顔をしてぐずっていた。待合室は、感染しやすいから・・・と廊下の椅子で待った。お腹が空いた。仕方ない。母には言えない。やっと診察室に通されたら父のカルテがあったが、夜勤の医師はどうも専門が違うようで、「熱が上がるようでしたら、また、来てください」と言っただけ。こいつ、骨髄異型性症候群は、熱が命取りだと分かっていないなあと思ったが仕方ない。少し息苦しさを訴えた父が点滴室で酸素吸入をしてもらう事になり、感染しそうな菌と患者で一杯の点滴室に寝かされた。来てくれた看護士さんに、看護士さんの方が話しが早いと思い「担当医のI先生に37・5°を越したら、抗生物質を服用し、すぐERに来るように言われています。先ほどの先生は一旦帰宅し、熱の様子を見てからと仰いましたが、この病気は熱が上がると命取りになるんですが・・・。」と伝えると「分かりました。」と仰って、先生に伝えてくれた。血液検査の結果を待つ間、心電図を取ったりした。暫くすると、違う医師が慌ててやってきて「今、I先生に連絡しました。白血球が900しかありません。ここでは、感染が恐いですので、あちらの個室に移っていただきます。マスクはそのままはずさず、していてくださいね。」だから、言ったじゃないの・・・。さっき、様子をみると言った医師は、違う患者を診ていた。多分、自分の判断ミスにばつが悪かったのだろう。何せ、あくびをしながらカルテを見ていたので、こいつ、分かっていないと思ったが、その通りだった訳だから。まあ、まだ若い医師だし、許してやろう・・・。しかし、こうして、患者側が知識を持っていなかったら、完全に医療過誤になるのだ。医療過誤にならないためには、こちらも、学ばなければならないと改めて思った。個室は産婦人科の救急らしく、隣に診察台があった。狭くて硬い診察台に、父は寝ておられず、座ったまま暫くそこにいた。年配の看護士さんがやってきて「今晩から入院になります。7階の病室の準備が出来次第、移っていただきますが、もう少し、ここで待ってください」と仰った。パパは、12時近くに来てくれたが、土曜日なのに出勤していたので、とても疲れた顔だった。夕飯を摂っていない私が自動販売機でたこ焼きを買って食べている間、居て貰ったが目も、寝不足なのか赤く、父が気にして一旦帰宅してもらった。深夜1時近く、私も診察室にあった体温計で測ったら37・4°になっていた。父も落ち着いた様子なので、一旦帰宅する事にし、病院を後にした。深夜の道は、土曜日の晩らしく、いつもの深夜より車の行き来が多かったが、さすがに住宅街に入ると、タクシーしかすれ違わなくなった。そう言えば、ERも、お酒を飲んで血を吐いた若者や、酔ってストレッチャーの上で暴れていた年配の女性がいたっけ。若い救急隊の女性の疲れた顔を思い出した。こんな時も、懸命に働いている人がいるのだ・・・。本当にご苦労様。夜中なのに、おなかが空いていた。冷えた鉄板にスィッチを入れ、残ったお肉に火を通した。だるさがどっと出た。お肉が無償に食べたいと思うのは、きっと体が欲しているからだろう。さすがにご飯は食べたくなかった。肉の塩味が、口の中に広がった。美味しかった・・・。
2004年02月28日
コメント(0)
本当なら、今日はコーラスの練習日。しかし、とても出掛けられる状態じゃない。まして、立ったまま、歌を歌える自信も無く、みなに迷惑がかかってはいけないと思い、休んだ。午前中、パパとチビを出して、ソファに寝たら、そのまま11時まで寝てしまった。熱は37・2°。まだ下がらない・・・・。もういい加減、寝るのにも飽きた。しかし、何かしようと起き上がるが、持続しない。ボンヤリTVを見ていた。いつまで続くのかなあ。ふきのとうも取らなくちゃならないのに。土筆も取りにいきたいのになあ。春休みの娘と、買い物に出た。歩くのがだるいが、買い物は、娘がしてくれるので、私は車の中で待っていた。今頃、皆、歌っているのだろうなあ。早く、行きたい・・・・。
2004年02月27日
コメント(0)
少し、体が楽になったので、映画を見に行った。「ロード・オブ・ザ・リング」三作の完結編。でも、やっぱり、分かりにくい映画だった。体がだるいと、気持ちもだるいみたいだ。娘達は時々、泣きながらみていたが、私は、何も感じなかった。泣けないし、感動も出来なかった。体と気持ちはこんなに、つながっているものなのだと、改めて思った。こんな時に、前作2作を力入れて観たのに、何だか、勿体無い事をしてしまった気がした。帰宅後、やはり、疲れたのだろう、そのまま二階で夜まで寝てしまった。明日、また、お医者さんに行こう・・・。
2004年02月22日
コメント(0)
とうとう、倒れた。発熱して、4日寝込んだ。近くの内科医に診てもらったが、のどの腫れも酷くなく、お腹の調子が少しおかしいくらい。なのに、毎日、朝は、37・2度、夕方から37・8度になった。氷枕をして、お茶ばかり飲んでいた。倒れる前日、決定的なストレスがあった。下の娘がまた、痴漢を捕まえたのだ。19歳の予備校生だった。それも、ごく近所のお宅の人。例のごとく、警察の生活安全課の寒い廊下で3時間あまり待った。待たされるのは、もう、先刻ご承知だったから、「蹴りたい背中」を持って行き、読んでいた。寒いのも承知していたから、厚着して行った。しかし、それが堪えたらしい。待ってる間、当たり前だが、何人もの手錠をした犯人と刑事さんが前を通り過ぎた。以前はその何気ない普通の会話や、二人で話をして笑う様子に「TVと違う」とすごく違和感を覚えたが、3度目になると、本から目を離す事も無く、狭い廊下を行き来する刑事さんと犯人に、ごく自然に道を空けた自分が可笑しかった。相手は、最後まで否認していた。故意に触っているか、ただ手が当たっているか、女の人なら誰でも解るものなのに、刑事さんは男の人ばかりだから、なかなか自白しない。結局、午後まで否認したまま拉致があかず告訴になった。やれやれ、これで反対に名誉毀損で訴えられでもしたら、どうなるのか・・・。しかし、娘は「今回は100パーセント間違いない」と言っている。前回、99パーセントと言って、午後2時まで事情聴取され、嫌疑不十分で犯人が釈放された事が、余程悔しかったのだろう。最初に駅長室から電話してきた時「本当に100パーセント自信があるのね?また、99パーセントだと捕まえられないのよ」と尋ねると「うん、解ってる。間違いない」と言った娘を信じて、告訴状に判を押した。今回はパパが忙しくて警察に行ってやれなかったので、すべて私一人で対処した。乗った駅と降りた駅での現場検証に車を走らせたり、お昼ごはんを途中で調達したり・・。刑事さんと顔見知りと言うのも、いかがなものだろう。前回はお姉~の件で、新聞に載ったり酷い目に遭ったから、今回は、証拠を残そうと録音できる機材も用意して警察に行った。なのに、結局、否認したままだった。事件は警察の手を離れ、司法の手に渡った。本当に我が家は、トラブルメーカーだ。その後、娘を学校に送ってから先生に連絡。「全く腹が立ちますね。僕が傍にいたら殴ってやりたかった」と言って頂いて、溜飲が下がった気がした。しかし、夕方から、酷い鬱になった。きっと、その頃から熱が出始めていたのだろう。翌日のカウンセリングは這うようにして行った。あのカウンセリング室で思いの丈を吐露すれば、少しは気持ちが楽になるかもしれないと思った。カウンセラーに話をすれば、自分の中も整理されると思った。その晩から、高熱が出た。弱っちい自分に、情けなくなった。もっとシャンとしていたかったのになあ。日記もお休みしてしまった。両親にも心配をかけた・・。もっと強くなりたい。強くなれるかなあ・・・。
2004年02月20日
コメント(1)
一日を振り返って、これ以上出ないと言う程高く「あーーーーーっ」っと叫びたくなる事がある。そんな日は、丸ごと、消しゴムで自分を消したくなる。あの時間あの場所に戻って、すべてやり直したくなる。口から出た言葉も、態度も、仕草もすべて帳消しにしたくなる瞬間が瞼の裏で走馬灯のように続く。自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪・・・・。ADHDだからなのか、元々の素養なのか解らないが、大嫌いな自分を、見て、聞いてしまった瞬間だ。だから、消しゴムで消したくなる。人間は生き恥をかきながら生きている・・・泉谷しげるの歌詞にある。私はこの言葉が大好き。今と同じ感覚の言葉、心底から歓迎し、大いにうなづけるから、こういう日は、心の中で何度も反芻し、自分を支える。自分が恥と感じたその時から、じれったい思いを感じながら時を重ねていくしかない。砂が上から落ちてきて、大失敗した絵を少しずつ隠していくように新しい、記憶を幾重にも重ねていかなければ、忘れられない時間だ。大人気ないなあ、情けない、どうしてあんな風になってしまうのか・・・。自分の事なのに、他人のことのように腹が立つ。だから他人は、もっと、嫌な思いをしただろう・・と繰り返し思ってしまう。これが鬱になる原因なのかもしれないと解っていても、どうしようもない。残酷だけど、時間は元には戻らないから。自分を磨いていくしかない。自分を抑えられない瞬間、我を忘れないよう修行を積むしかない。大人になりきれない自分に、煮えくり返る悔しい思い。修行が足りない。修行がたりない。今日は、コーラスの日。Hさんのいない空間は、まだ、納得のいかない気持ちが残る。仲間に状況を尋ねられたが、説明しようとすると、目頭がツーンとなって温かいものが出てきてしまう。尋ねてくれた方は「あーごめん、ごめん」と言ってくれたが、まだ、まともにおしゃべり出来ない。思い出が多すぎるから、Hさんのいた場所に新しい情景を塗り重ねていくしかない。楽しいおしゃべりに夢中になって、気付くと自分の声の余韻にむなしさを覚えてしまう。だんだん支離滅裂に成っていく自分を抑えられなかった。Hさん、本当に寂しいよ。帰宅後、バレンタインに持って行く・・と、娘がイチゴタルトを作っていた。まあ、その要領の悪さについつい、手出ししてしまった。「お母さん、本当は、すごくお菓子作りが好きなんでしょう。」結婚した当初、お菓子の大好きなパパにケーキやタルトを随分作った。「その技術、眠らせておくのは勿体無いよ~」言われなくても解ってる、本当は毎日でも作ってあげたいが、今はまだ、精神的に余裕がない。はあ~早く、昔のように楽しくお菓子作りをしたいなあ。下の娘を塾まで迎えに行き、外食。ここの所、まともにお料理できない。お料理は私の精神的バロメーターのような気がする。本当に気持ちが穏やかになるのは一体何時の事だろう・・・。
2004年02月13日
コメント(1)
今日は、父の診察日。本当は、水曜日なのだが、昨日は祭日だったので、たまたま、担当医のI先生が代診でいらしたので、今日になった。出かける前に髪を洗いたかったが、風邪気味だったので、美容院に行き洗ってもらった。いつも行くお店は空きがなく、母の行き着けのお店に予約してもらい行った。初めて行った店だが、洗い方が優しく、少し物足りなかったが、気持ちは最高だった。早い昼食を済ませ、病院に向かった。「Fさん、すごくお元気そうですね。私が診させて頂いてから、こんなに元気なFさんは初めてですね」と、嬉しそうに仰った。父も「お姫ちゃん(姫マツタケ)が、良いみたいです」とおどけて見せる。先生はフッと笑われて、「それは、本当に良かったですね。数値も芽球が、先々週の32から、4まで下がりました。ただ、血小板が1.6ととても低くなっていますのでやはり、今日は血小板の輸血をしましょう」白血球は3200と良かった。これで芽球が0になったら,血小板の数値も上がるのだろうか。もともと、先生の説明では芽球が異常に増え、免疫力が無くなり、感染が原因で「死」に至るという事だったが、芽球が無くなったら「骨髄異型性症候群」と言う病名は当てはまらなくなる。素人にはよく解らないが、本当に治っちゃうかも知れないなあ・・と思った。帰宅したら、通販番組で頼んであった革のジャケットと、娘がロンドンのステイ先のお土産にするのに丁度良いと選んだ、京小物が届いていた。24時間お買い物の局で、放送開始時期から利用しているので、いつの間にか「ビップ・セレブ」なる会員になっていて、ほとんど、お洋服を初め、大好きなバック、ジュエリー、小物、ケーキ、お節まで購入してしまっていた。これに慣れちゃうと、外に出て、歩き回って買い物をするのが、バカバカしくなる。お値段も、メーカー直なので、非常にリーズナブルで世界中の良い物が手に入る。暫く買い物も控えていたが、父の事が良い方に向かい始めたら、気持ちも少し軽くなり、TVを見て楽しんで買い物が出来るようになった。娘とキャーキャー良いながら、ファッションショー。本当にこんな楽しい気持ち、何ヶ月ぶりかなあ。夜、流石に疲れて、今日は、気持ち良く眠りに入った。
2004年02月12日
コメント(0)
どうしてこう、色々な事が次々起きるのか解らない。昨日、パパの会社のトラックに女性の運転する車が横から突っ込んできた。幸いエアーバックが開き、中に乗っていた女性と小学生の男の子、後ろに乗っていたおばあちゃんは、軽症で済んだ。全くブレーキ痕が無かったそうで、事故の理由は「ここに道があるとは思わなかった」そうだ・・・。うちのトラックの側面の下に入り込み、相手の車のボンネットにはトラックの荷台の下に有るロープを引っ掛ける金具3本が食い込んだ線状の穴があいたくらいの勢いだったらしい。エアーバックが無かったら、シートベルトをしていなかった助手席の子供は、フロントガラスを付き抜けどうなっていたのか・・・。考えただけでゾッとした。何か、本当にマイナスの力が覆い被さっているような気がした。こちらの道は一旦停止をしなくても良い交差点だったが、相手が怪我をした以上、菓子折りを用意し、お見舞いに伺った。子供さんも女性もおばあちゃんも摂りあえずは元気だった。本当に不幸中の幸いとはこの事かと思った。夜、娘のバイト先の方がお礼にいらした。「お嬢様のお陰で、受かる事が出来ました」「いいえ、とんでもない、Kちゃんが頑張ったからですよ。こちらこそ、どうも、合格おめでとうございます」いらっしゃるとお電話があってから慌てて片付け、アロマポットを点け、何とかお客様をお迎え出来る形になったお玄関に正座し、ご挨拶。玄関前の廊下に繋いであったジュリアンを触りたいと娘さんが仰って、上がってらっしゃった。そうすると、お母さまも、「まあ可愛い」と、あっと言う間に上がってこられた。わぉ、そこから先は・・・・。見られたくない状態である。幸いジュリアンが大きくて、先には行けないようになっている、それでもヒヤヒヤ物だった。どうして、こういう時のためにもいつも綺麗にしておけないのか、自己嫌悪。後で、娘に合格のお祝いに気の利いた筆記用具でも差し上げるよう言った。娘がこうして外に出るようになると、バイトとはいえ社会的にも、お付き合いが増えてくる。親として、娘に恥をかかさないよう、襟を正さなければとつくづく思った。欲しかった本が手に入った。「蹴りたい背中」と「13歳のハローワーク」読むのが楽しみだ。
2004年02月11日
コメント(2)
疲れている。今日は、カウンセリングの日。しかし、朝から、眠い。気持ちも何故か、とてもしんどい。それでも、一週間に一度のカウンセリングだから・・と出掛けた。「疲れているようですね」。開口一番に先生に言われた。やはり、そう見えてしまうのだろうか・・。「ここの所、色々なことが有り過ぎましたからね。」先生に言われ、それほど、自分では、感じていないと思っていたので、「そうなのでしょうか」と問うと、「やはり、人間にとって『死』はかなりのストレスですからね」と仰った。「でももう、友人が亡くなってから二週間になりますが」と言うと「そうですね、二週間から、一ヶ月が一番体に出てきます」との事。そうなんだ・・・・・・。そりゃ、二つも、突然の「死」に遭遇してしまったのだからなあ・・・・。いつも前を通る葬儀場への曲がり角を、内心、今度、ここを曲がる時は父の時と、思っていたのにもう、3回も曲がってしまっていたのだから、無理も無い事かもしれないなあ。父のことも心配だし、家族の事も色々重なったし・・・。でもやはり、一番ショックだったのはHさんの「死」だった。彼女には、HPのドールショップのアクセサリーを作って頂いていた。素人とは思えないセンスの良い色使いがとても気に入っていた。私の座っている横に有るプラスチックの引き出しには、彼女の作ってくれたビーズのアクセサリーが一杯入っている。早くUPしなくてはと彼女に会うたび、なかなか出来ない自分が不甲斐なく「ゴメンね」と言っていた。彼女は「良いよ~、気にしないで良いのに~」といつも笑顔で言ってくれていた。私は彼女に大きな「借り」を残したまま、逝かれてしまったのだ。だから、彼女の作ってくれたビーズが、辛くてまだ、まともに見る事が出来ないでいる。焼香させて頂き帰宅した日、細かく袋に几帳面な彼女らしく説明入りで入っているそれらを抱きしめ、涙が枯れるほど泣いた。あの日以来、まだ、一度も引き出しを開けられないでいる。いつか、彼女の息子さん達に、一つずつストラップにしてお返ししようと思っているが、まだ、出来ない。やはりその事も、気付かぬ内に大きな心の傷になっているのだろう。あの日、ご主人に「お預かりしているビーズを後日、お返しに伺います」と申し上げたら、「いいえ、Kさん、私は沢山、思い出の品があります。Kさんが持っていてくださるのが、一番あいつが喜んでくれると思います」と、本当に優しいお言葉を頂いた。カウンセリング室で、涙を見せてしまった時、自分で納得している以上に、引きずっているのが解った。こんな事、彼女は喜ばないに違いないのに・・・。ごめんねHさん。気持ちが不安定だったのだろう。午後の診察も、受付で確認されるまで気付かなかった。予約票も忘れてきた。マイナスのつぼにはまった気持ち。こんな日は、家でじっとしているに限る。午後の診察の帰り、必要な物だけ購入するつもりでスーパーに入った。入り口近くのお花のコーナーに大好きなカラーの花。優しい色、優しい姿。大好きな花。大きな物を2本買った。気持ちが少し癒された。そのままの気持ちで帰宅したくて急いで帰った。疲れていたのは、体ではなく気持ちだった。お花は良い。心が本当に癒される。片付いていない部屋に、お花は似合わない。、大きな透明なガラスの花瓶に、長いままカラーを挿し、玄関に飾った。今日一日、このまま穏やかに過ごせますように。祈るような気持ちだった。
2004年02月10日
コメント(0)
娘の成人式の写真を選択に行った。そこの写真館は、何枚か自分で選べるのが良い。幾つもの大きな賞を取ってらっしゃる評判の良い写真館だ。お店の中にも、絵画風の処理のしてある素敵な、結婚式や赤ちゃん、お腹の大きな女性の写真が飾ってある。お店の端にある、大きな画像の見る事の出来るコーナーで3つのポーズの写真をそれぞれの写真のネガから選んだ。父の分と二冊お願いし、少し小さな飾っておける物もお願いした。少し足を延ばして、ブランドショップに行った。あまり、目立ったブランドが好きではない私と娘は、結構、マニアックなブランドで、気に入ったバッグを見つけた。と言うより、以前から、私が欲しいなあと思っていたゴブラン織りのフランス製のトートバック。もう、半年近く、迷って買えずにいた。それなのに、「あ、それ、可愛い!!」と私が持ったそのバックを娘も気に入ってしまった。「お母さんには、派手だよ」なにを言うか!!!前から、欲しくて迷ってるのだ。色も、落ち着いている、カエルの柄がちょっと躊躇させていたのだ。「何故、派手?」と聞いてみると「だって、ほら、このカエル、ハートがついてて、お花持ってプロポーズしてるじゃない?」「そこが、可愛いんじゃないの」「そこが、派手なんだよねぇ」ウーーーーッ、なんと癪に障るやつめ~。お値段だって、学生ごときに買えるようなお値段じゃない。しかし、最後は、彼女が折れた。何故なら、その後ろに有った犬の方が気に入ったからだ。ああ、良かった。これを買って行ったら、また、いつの間にか取られちゃう所だった。まあまあ、今日は、見るだけと、散々大騒ぎして、店を出た。親子で好みが一緒だと、こういう弊害が起きるのが困る。まあ、楽しみでもあるのだが・・・・。帰宅したら、また、眠ってしまった。どうしたんだろう・・・・私。
2004年02月09日
コメント(2)
今日は下の娘の全統の試験。なのに、寝坊した。大変だぁ。7時半の電車に乗らなければ間に合わないのに、8時近くだった。慌てて車に押し込み走り出した。もう、何回繰り返しているのかと、情けなくなった。「自分でちゃんとどうして起きられないのよ~。緊張が足らない!!」と声を荒げても、こっちもお弁当を作ってやれなかったから、同罪だ。「明日から、もう、起こしてあげないからね!!」と言うのが精一杯。当たり前だ。高校生にもなって、自分で起きられないとは何事か!貴方の年で、ちゃんと社会人してる人だっているんだよ!少し、見習いなさい!学校に着くまで、グチグチ言ってしまった。言った自分に帰り道、自己嫌悪。電車で通学しているが、小一時間かかる。しかし、こうして車で行くと、15分で行ってしまう。電車だと、「コ」の字に学校に行くのが、車だと一直線で行けるからだ。帰宅したら、どっと疲れが出た。なぜか、ここの所疲れる。もう一度ベッドに潜り込んだ。私と入れ替わりにパパは、起きた。会社に行くらしい。お休みなのに、本当にご苦労様。昼近くまで寝てしまった。下に降りて、昼食の用意をしたら、パパが帰ってきた。I君が子供を連れて、ご挨拶に来てくれたそう。「大変だったな」と声を掛けるのが精一杯だったそうだ。子供には母親が自ら命を絶ったとは、言っていないが、気が付いてるらしいとの事。どんな、気持ちなのだろう・・・・。抱きしめてやりたいと思った。これから、大変だろう。頑張って欲しいと思った。昼過ぎ、また、少し眠った。最近父は、少し調子に乗っている。釘を刺しに行った。「お父さん、アガリクスを飲んでいたって、そうそう、早くは効き目は出ないんだから、調子に乗って、人が一杯いる所に行って感染しても知らないから」もともと、百貨店や、スーパーの好きな人だ。本当に困った物だ。口をへの字にして、「解ってるよぅ」と駄々っ子のように言う。何処がわかっているのやら・・・・。夜、お姉~のお祝いに両親と中華を食べに行った。個室のあるお店なので安心。父は、実によく食べた。良かった。お父さん、その調子で、そのまま頑張って生きてね。
2004年02月08日
コメント(0)
今日は、娘の二十歳の誕生日。彼女が生まれた日。10数年ぶりの大雪だった。妊娠中毒症が酷くなった私はバレンタインデーの予定日を前に入院した。入院して二日目、当時珍しかったエコーの検査でさい帯を二重に首に巻いている事が判明、次の日から、陣痛促進剤の錠薬を三時間おきに飲まされ、出産準備に入った。全く陣痛が起きず、その日は中止。また、次の日、早朝から3時間おきに錠剤を飲み始めた。お昼前から、少しずつ陣痛が起き始め破水、昼過ぎからは、点滴による陣痛促進剤で、あまりの痛さに気絶しそうな状態だったが、看護士さんの「Kさん、しっかり息をしないと、赤ちゃんが死んじゃう」と頬を叩かれ、気が付くこともしばしばだった。しかし、所詮、自然な陣痛ではなく、非常に短い陣痛に出産は夜に入った。本来なら、子宮口が充分に開いていないと、自然分娩はできないそうだが、丁度、その夜の担当医が、産科部長だったため、たった7センチだったが、帝王切開を免れ、出産出来た。後で聞いた話では帝王切開の準備がされていたそうで、顔も知らない看護士さんから、「二日がかりで生んだのって貴方?大変だったわねぇ」と言われるほどの難産だったらしい。出産した後も、さい帯で首を絞めていたチアノーゼの出た紫色の娘を見て、もう、だめだと悲しかった。こんな苦しい思いをしたのに・・と涙が出て止まらなかった。しかし、娘は2日間保育器の中で過ごした後、私の元に帰ってきた。3524グラムの大きなベビーだった。あの、地獄のような日からもう、20年なのだなあと思うと、地獄のような日ではなく、素晴らしい日だったのだと思えてくる。大切に、大切に育ててきたつもりだ。何のアクシデントも無く、親が言うのも何だが、優しい娘に育ってくれた。娘の名前には不思議なことがあった。真っ白に染まった街の綺麗な雪景色に「小雪」「沙由紀」など考えた名前も、その晩、夢の中に出てきた神様のような老人に言われた名前に、帳消しになった。本当に不思議なのだが、そのお爺さんは、今の娘の名前を告げると、キラキラと消えていったのである。目が覚めた私はすぐ枕元にあったメモに書き取った。だから、娘の名前は神様に付けてもらったと、今も信じている。お祝いに生ピアノの演奏が有る店に食事に行った。皆でワインで乾杯したら「これからは、大っぴらに飲めるね」と嬉しそうにしていた。帰宅してケーキを用意し、これからは良い物をと、本皮の素敵なハンドバックをプレゼントした。妹には、可愛いペンケースとストラップを。とても嬉しそうな顔を見られるだけで親は幸せ。楽しい、バースデイ。あれから20年、親として感慨無量の夜だった。
2004年02月07日
コメント(0)
良いお天気。起きたら、もう、パパは出掛けた後だった。実力テストのチビを出し、もう少し寝ようとソファに横になった。娘が起きてきて、気がついたら10時過ぎ。「お母さん、私達の寝室の障子を張り替えたいんだけど」!!まあ、自分からこんな事を言うなんて、雨が降りそう。「また、どういう風の吹き回しでござんすか?」と聞くと、「バイト先のお母さんが『試験が終わったら、先生のお宅にお礼に伺いたい』っておっしゃるから、そんな事までして頂かなくてもってお断りしたんだけど、どうしてもって、断りきれなかった」キェー!、ウッソー!なるほど、お玄関に立ったら、障子が破れてるの見えちゃうもんね~。こりゃ大変。慌てて、買い物に走った。帰って来たら、娘がちゃんと障子をはずして二階から下ろしてあった。お昼に近かったので、一度連れて行ってあげたかった近くのお店のランチを食べに行った。父と行った自然食のお店。何種類もの小さな器に、色々な美味しいお料理が並んでいる。「わあ、おいしそう」と娘は皆平らげた。「こんな贅沢は た’ま’に’だからね」と釘をさしておいたが、こうして、娘と二人するランチも良い物だと思った。障子の張替えは、好きな仕事。去年の暮れ、父の入院で出来なかったから、気になっていた。ビニールシートを下に敷いて、障子紙を濡らし、剥がした。娘は「解った。ぐうたらなお母さんがすぐ行動に移したのは、こういう事だったのか」「なによ!」と笑いを殺して言うと。「面白いもん」ハハハッ見抜かれている。笑いながら、「ばれてた?」「うん、解り易い」綺麗に水拭きした障子の枠を少し乾かして、「さあ、これからが、腕の見せ所ね」と少し得意げに言い、障子枠に水で溶いたのりを刷毛でトントンと叩きながらつけた。最近は色々なのりが出ているが、やはり、昔ながらののりが一番良い。一番端から障子紙を当て、くるくると枠を横に走らせて、最後にカッターで切り取った。「よっ、職人技!」「見たか!母のスペシャルテクニック」。はしゃぎながら、二人で作業していった。そう言えば、母と私もお天気の良い日、「I,障子張り替えるよ」と言われ、庭に出て思いっきり障子にボコボコ穴を開けて、二人で楽しみながら張り替えた物だった。こうして、母から娘に伝わっていくのだなあと、感慨深いものがあった。楽しい時間を過ごし、終了。今日は、明日が娘の20歳の誕生日なので、お友達と食事に行く約束があるそう。夕方、出かけて行った。こうして、子供はどんどん、自分の世界を広げていくのだなあと、少し寂しかった。チビと二人食事をしながらチビが「二人っきりって寂しいねぇ」と、言った言葉が余韻を残した。その内、貴方も、こうしてお友達と食事をしに出かけて行くんだよね・・・・と言いそうになったが、食べ物と一緒に飲み込んだ。何だか、本当に寂しくなっちゃうような気がした。明日はまた、新しい日が来る。少し、自信が持てた。何も出来なくなってから、久しぶりの気持ち。何となく、嬉しかった。
2004年02月06日
コメント(0)
今日は、超忙しい。昨日から、少し、緊張気味。少し不安。緊張すると、腸裏がドーンとしてきて、背中が痛くなって、肩がコリコリになって、頭痛が起きる。安定剤を増やして飲んだ。10時、喪服に着替え、I君の奥さんの葬儀に行く準備。10時半、パパと一緒に近くの葬儀場に。昨日と違い、そう多くの人ではなかったが、お別れの列が続く。親族の方に続き、パパの名前が呼ばれ、焼香させて頂く。子供達が、元気だったのが、余計悲しい。ここの所、「命」について考えさせられる事が多く有った。父の命、Hさんの命、I君の奥さんの命。皆大切な命なのに、それぞれ、皆違う。病気で不本意ながら無くなるのを、皆で必死に踏み留めようとしている父の命。何の前触れも無く家族と引き離され、自身も訳も解ら無いまま突然、消えた命。家族を置いてまで、生きる苦しさから自ら絶った命。皆、本当に愛しい愛しい「命」なのに、これほどの違いがある。それが、人間の深い深い意味を持つ「運命」なのだろうか・・・。出棺を終え、葬祭場を後にした。帰宅し、昼食を摂り、すぐ、着替えて、父の所に報告に行き、そのまま、ガソリンスタンドで洗車してもらい、高速に乗る。次の出口で降りて娘の学校へ。間に合わないかとヒヤヒヤ物だったが、どうにか、滑り込みセーフ。一年間の学校の学習の内容や、今年の受け入れの状況、反対に、真っ最中の6年生の大学受験状況報告。可笑しかったのは、昨年、今年の推薦枠入試の為、わざわざW大学の理工学部の教授が、模擬授業をしにいらした際、5,6年生にその授業を受けさせたが、5年生は、チンプンカンプン、6年生は、流石にちゃんと受けていたけれど、そこまでしてくださったW大学の折角の推薦枠に、誰も希望者がいなかったと言うお話。父兄の間に失笑が漏れた。推薦枠に入ると、他の大学が受けられないから当然と言えば当然だ。W大学の理工学部に入れるような実力があれば、もっとレベルが上の大学も受けたいのが人情と言う物。気持ちを重くさせられたのは、娘の年度から、大学受験内容が大きく変わる事。こういう時、いつも引き合いに出される東大などは、英語のヒヤリングが25パーセントも採点の比重が上がると言う。やれやれ、一体、どうなることやら・・・・。3時半からは、海外語学研修のガイダンス。昨年、イラク問題でロンドン研修が無くなって、娘にとって今年は最後のチャンス。「危険と言えば、今は、世界中が危険にさらされている状況で・・」と言う先生の言葉が気になったが、今年、また中止になったら、お姉~は行かせたのに、チビは行けずに可哀想だと思った。今もよく「本当に行って良かった」と上の娘が言う。だから、どうしても、無理をしても下の娘にも経験させてやりたかったが、実施されるようで良かった。しかし、色々な説明を受けているうち、だんだん、肩が凝ってきた。頭痛一歩手前状態。英国の家庭では、例えば、食事も副食は大体2種類しか出ないそうだ。で、お肉が好きと言うと、ステイ先の方はお気を使ってくださって、ずーーーーっと、お肉が出てくるそう。だから、きちんと、自分は、今日はこれが食べたいと言うようにとの事。お洗濯物は、毎日、してくださるから、遠慮なく出す事。チビは、お姉~に比べ、自分の言いたい事が言えない。大丈夫かしら・・。常備薬は、トランクではなく、いつも持つかばんに入れておく事。チビはおなかが痛くなる事が多く、頭痛持ち。トラベラーズチェックはポンドに換金してから使う。ちゃんと換金する場所が解るかしら・・・。パニクッて買いたい物も買えないんじゃないかしら・・。・・・・・・・etc。不安で頭が一杯になった。子供達には月曜日に説明や注意などをしますと先生は仰ったが、チビは、ADHD。一度、自分の世界に入ると、人の話は聞こえなくなる。ちゃんと説明を聞いてこられない場合、私が今日聞いた事を伝えるしかない。「可愛い子には旅をさせろ」と言うが、本当に、本当に難しい。終わったのは5時過ぎ。もう、頭は重くなっている。頭痛薬は持ってこなかった。やばい、早く帰ろう。帰宅後、寝込んだ。もう、起き上がれない。先に戻っていた子供達に「ごめん、少し寝る」と言うのが精一杯。着替えも出来ないで、そのままソファに突っ伏した。「大丈夫?」と言いながら、娘が背中をマッサージしてくれるが、コチンコチンになった背中は、娘の指が当たるたび、酷い痛みを伴った。知らないうちに眠っていた。夜、パパが戻って来て目が覚めた。色々報告。パパも、会社でいろいろな事が有り、参っているよう。疲れたね・・と言い合って、大きなため息。今日は、早く、寝よう・・・・。
2004年02月05日
コメント(0)
今日は父の診察日。いつものように血液検査の後、診察室へ。「Fさん、白血球が3200、血小板が2.6になっています。来週、また、輸血しましょう」そうか・・・・。先週上がった数値が、一週間でこれだけ下がった。しかし、最近の父は、顔色も良いし、食欲もある。アガリクス効果かと、先生に研究所で聞いてきた事を報告した。「そうですか、Fさんの精神的な支えになっているようですから、粗悪品ではないようですし、副作用も気になりませんから、続けてみてください」やはり、I 先生は、服用を許可してくださった。「専門的な説明や、データを頂いてきましたが、私共では理解しかねますので、先生にお預けいたしますので、宜しくお願い致します」と、貰ってきた資料を渡した。「はい、では、少しお預かりさせて頂きますね」と仰って受け取ってくださった。先週は、午後から芽球の数値が上がり、先生からお電話があって心配したが、今日は、そのまま、何も無かったので、そう、数値は変わりなかったのだろう。一安心。今日は水曜日なのに、風邪が流行っているのか、すごい人だった。結局、病院を出たのはお昼近く。昼食を摂って帰宅。午後から、やっと、髪を染めに行った。もう、一月以上、染めていない。白い部分が4センチ近くにもなっていた。5歳はふけて見えてしまうので、本当に嫌だったが、兎に角、3時間あまりかかるヘアダイの時間が無かった。ほんの少し、こげ茶に染まった髪の私が鏡に映っている。ほっとする一瞬だ。思わず「嬉しいなあ」と言ったら、美容院の女性が「良かったね」。女って、こういう一瞬がとっても幸せに思える。つやつやになった髪の毛は、柔らかい手触り。買い物に行く足取りも軽やかになるのが不思議だ。お通夜に持っていくお使い物を買って帰宅。喪服に着替え、用意をしてパパを待つ。暗くなった道を沈痛な面持ちのパパと葬祭場に向かう。喪主であるI君と話がしたくて、少し、早く着いた。彼は、「すみません」と一言言うと、深く頭をさげた。ご両親に挨拶し、用意された椅子に座って待った。パパはまだ、話をしている。色々あったご夫婦の最後の別れの場は、少し居心地が悪かった。お通夜が始まり、多くの子供さんの同級生親子が、いらした。とても、複雑な気持ちだった。I君は悲しいのだろうか、それとも・・・。・・・・亡くなった奥さんは、自ら命を絶っていた。私には、理解しかねた。きっと、本当に辛かったに違いない。しかし、私には、先日、子供を残して亡くなったHさんが、どれほど悲しかったか、悔しかったか、身に沁みたばかりだったから、I君の奥さんの気持ちは、到底、凡人の私には理解できる範疇ではなかった。ご仏前で大人しく頭をたれ、お経を聞いている子供達を見て、つくづく思った。「母は、元気でいなくちゃいけない・・・・」ご冥福をお祈りします。
2004年02月04日
コメント(0)
寝坊した。あわてて、チビを車に乗せ、学校に向かった。お弁当も作れなかったので、高速に入る前、コンビニに寄った。学校の敷地の山を登り、人影のない校庭横の木立で降ろした。走っていく娘の後姿に、頑張るんだよ・・心の中でエールを送った。帰宅したら、上の娘が起きてきた。「お父さん、昨日、夜中に帰ってきた。やっぱ、落ち込んでた」そう・・・。そうだろうなあ。9時ごろ、パパからTEL。「亡くなったよ」やはり、だめだったか・・・。小さな子供さんが小学生を頭に3人いる。これから、どうするのだろう・・・・・。お気の毒に・・。今日はカウンセリングの日。気分は最悪。どうしてこう、嫌なことばかり起きるのだろう。午後から、少し寝た。疲れていた。やはり、参っているのかもしれないな。夕方友人から、大きく引き伸ばした、先日亡くなったHさんと一緒に撮った、暮れのコーラス部の追い出し会の写真が送られてきた。とっても、優しい、良い顔をした、楽しそうな彼女の笑顔、何とも悲しかった。明日、父の病院。午後から、やっと、なかなか染められなかった髪を染めに行き、夜、お通夜に行く。明日も、疲れる日になりそう。早く寝よう・・・。
2004年02月03日
コメント(0)
今日は、朝から、久しぶりの雨。こういう日は、大好き!しとしと降る雨は優しい。しかし、最近、家の周りが騒がしい。ガス工事をしているので、9時になると、すごい音がしてくる。公共事業による工事には、文句は言えぬ。新聞を取りに行く時も、「すみません」と仰る現場の人に、にっこり笑って、「ご苦労様です」と言う。お昼前、内科に自分のとおばあちゃんの薬を貰いに行く。風邪がすごく流行ってるみたいで、めちゃくちゃ混んでいた。1時近くに帰宅。パパがいた。会社の社員の家が火事になり、奥さんが重体になったと酷く落ち込んでいた。私も2度ほどお目にかかっているので、すごくショック。お見舞いに行くのも憚られる状態らしい。よくなられると良いのだが・・・・。暫く会社には出て来られないないだろうとの事。今、猫の手も借りたいくらいの忙しさらしい。しかし、私が行っても何の役にも立たない仕事だから、頑張ってと言うしかない。頑張ってる人に「頑張って」と言うほど失礼な事はないな・・・・と思いつつ、それしか言えない。体に気をつけて・・・それは、妻である私の責任。しっかりね・・・・・いつも、私が言われてる事だから、私には言われたくないだろう。ここの所、本当に休みを取っていない。昨日の映画も、会社から来て付き合ってくれた。この時代、中小企業のオヤジほど、体を酷使している業種もないだろう。社員を休ますため、自分が足らない部分を補わなければ成らない上、代表者としての仕事も山ほどある。パパの頭の中は、一体いくつの引き出しがあるのかしらと、本当にご苦労様と思う。そんな世界に引き込んだ事、少し、反省し、心から、ありがとうと思う。夕食は、帰れそうもないので、会社でコンビニのお弁当を食べるからと、お昼ごはんを一緒に食べた。今晩も夜中まで仕事をするそうだ。本当に体を壊さなければいいのだが・・・・。ご苦労様。少し、体調が悪い。おなかが痛い訳ではないが、ドーンとしている。しっかりしなくちゃね。風邪にも、気をつけよう。
2004年02月02日
コメント(0)
朝、9時に目が覚めてしまった。もう、眠れそうも無いので、起きた。すぐ、下水道工事のお店にTEL。一時間ほどで来てもらった。以前にも来てくださった業者さん。「ああ、奥さんとこは、木があるから、どうしようもないよ」「奥さん、夏に根っこがどれ位伸びるか知ってるかい?一日4センチも伸びるんだよ」そうなんだ、驚いた。だから、下水が詰まるそうだ。下水管の周り3メートルの木を切ってしまえば、こんな事にはならないそう。「私ね、いつも、新築の家に工事に行くと、植木屋と喧嘩になるんよ。木の根は、石も割るくらいなのに、下水管なんか、ひとたまりも無いから、下水管の周りに植えないでくれって言うんだ」確かにおじさんが言うように、つまりの原因は、腐った根っこの塊だった。植えたくて植えたんじゃないので、こちらも本当は、すぱっと綺麗にして芝生を植えたいのだが・・・。しかし、今はどうしようもない。おじさんに半年に一度、定期的に根っこの駆除に来てもらう事にした。全く、やっかいな家だ事。午後から見たかった映画を見に行った。「ラストサムライ」。父のことが有ってから、なかなか、映画館に出向いて観る気になれなかったが、ここで、一息入れたくなった。時代考証が全くでたらめな所や、武士道などの表現が、やはり日本人から見ると、かなりいい加減ではあるものの、外国の人が書いた本である事を思えば、仕方あるまい。映画自体は、非常に面白かった。やはり、渡辺謙が、トム・クルーズを完全に食っていた。あれ?トム・クルーズってこの程度だっけ・・・と思わせたすごさが、渡辺謙の演技にあった。娯楽映画として、十分、見ごたえのある映画だった。パパは、歴史や武士道、禅、神道などすごくうるさい人だから、見終わって、散々、文句を言っていた。天皇と直接しゃべる許可を持つ者が、なんであんな村にいるんだ・・から始まって、最後の武士は新撰組なのに、何だあの鎧は。見るからに戦国武将が、なんで、明治天皇の時代にいるんだ、武士道の描き方が間違ってる・・・・・。文句が出だしたら止まらない。天皇の部隊と戦うのに、ナンダ、あの場所は・・。未だに外国人から見た日本人はあんなものか・・まで行った。「まあまあ、これは、娯楽大作なんだから」しかし、唯一、小雪さんが日本の女の色気を出していたと褒める所なんぞ、ただのオヤジ。さすがにハリウッド映画と思わせたのは、対戦場面の迫力。次々、馬が倒れて、入り乱れた対戦の様子は、ハリウッド映画ならでだろう。最後のスクロールタイトルが、すごく長くて、本当に沢山の人がこの映画に関わって作られた事が実感できる。単純な私には、やはり、すごい映画だと思えたし、映画のCMじゃないけれど、「渡辺謙が、すごい」。アカデミー賞が取れると良いな。父は、今日もいつものように元気。アガリクスを飲み始めて、下痢をしたそうだ。しかし、これは、飲み始めた人は必ず起きる副作用。昨日から、熱が36・4度になったそうだ。退院してから、平熱になったのは、初めてとか、やはりアガリクス効果かな?このまま、良い方向に行くと本当に嬉しい。
2004年02月01日
コメント(3)
全18件 (18件中 1-18件目)
1