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最近、面白い記事を読んだ。伴侶を亡くしたお年寄りが、一つの屋根の下で暮らす・・・と言う記事。勿論、中には、子供がいるのに、ここの方が気楽と言う人も、子供がいない人もいる。男女混合だから、ドアにはちゃんと施錠できる。各部屋には、ミニキッチンとトイレもある。食事は、もう、長年おさんどんをしてきた主婦が多く、歳を取ってまでしたくない・・・と言う人が多いので、昼食と夕食は、ヘルパーさんに頼んで毎日作って頂く。その代わり、朝食は各自、自由にお部屋で摂る。共同のトイレも有り、お風呂は交代。大きなリビングとキッチンが有る。公の援助(NPO)も受け、近くの医療機関にホームドクターになってもらい、訪問看護も受けられると言う。皆さん、非常に快適に暮らしてらっしゃると言う。とても羨ましいと思った。子供に迷惑掛ける事無く、しがらみに縛られる事なく、自分のしたい事を好きなだけしていられる。何とも羨ましい老後じゃないだろうか・・・。この「家」を作るに当たり、随分、話し合ったそうだ。勿論、気の合わない人とは、一緒には暮らせない。その地区の役所に相談に乗ってもらったり、何度も、建築にあたり、クレームを出し、皆の納得のいく、家にしたそうだ。私も、こんな老後が良い。娘達に迷惑掛ける事無く、邪魔にされる事無く、好きなお花に囲まれ、散歩出来る海の近くにこんな家を気の合う人達と建て、終の棲家にしたい。毎日、アンティークに囲まれ、ドールのお洋服を作ったり、好きな映画を見に行ったり。たまに娘の所に気兼ねなく遊びに行ける。一人暮らしじゃないから、寂しくも無い。正に、理想的な暮らしだと思った。もう、子供との同居にこだわる時代じゃない。子供は子供の生活がある。少し離れた場所で生きるのが、一番良いような気がする。老人ホームとは違って、自主的な運営。何でも話し合うそう。本当に、羨ましいと思う。やはり、こういう老後を過ごすには、子供を育て上げたら、貯金しておかなくちゃなあ。そう言えば母が言っていたっけ。「子供を育て上げちゃうと、自然とお金は残るものよ」まだまだ先かぁ。やれやれ、夕食はなにぃと、間の抜けた声。これもまた、良い時間なのかもしれないなあ。
2004年06月29日
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やはり、一日、ゴロゴロする羽目になった。疲れが一晩寝ただけでは、取れなくなった。これが、年を重ねると言う事か・・・何をしようにも、まるで、重りをつけたように体がだるい。今日は、何をしても物にならないと初めから、諦めて、一日、横になっては、電話が鳴れば、うんしょと立ち上がり、ピンポ~ンと宅急便が届けば、起き上がる一日だった。しかし、午後になり、薬が無くなった事に気が付いた。私のと、おばあちゃんのも。4時から午後の診察なので、それまでウトウトしていたら、また、5時過ぎまで寝てしまった。慌てて起き上がり、重い体を何とか着替え、お化粧して、車に乗って、病院へ。動き出すと、何とか成る物。そのまま、夕飯の買い物に行き、ついでに、父の家に様子を見に行った。昨日の報告をして、頂き物の大きなサクランボのおすそ分けに預かり、帰宅した。父は今日は白血球が5300も有り、血小板も2万に増えていた。白血球が5300も有るのは、この病気になってから、初めての数値。もう、常人と変わらない数値だ。感染防止のマスクをしなくても、外出が出来る数値。しかし、白血球増えたと言う事は、比例して芽球も増えているはず。まあ、血小板が2万あれば、内出血も無いので、ひとまず、良かった。平行して飲み始めた新しい健康食品は、先日数値が悪くなった時、辞めさせた。やはり、正解だったようだ。母も「あなたの言うように辞めて良かった」と言っていたが、これが、数値が落ちていたら、反対に責められるのだろう。人間なんて、すごくいい加減な物だと思う。もうすぐ7月。昨年12月に「一年はとても無理」と言ったN医師。このまま行けば、ミラクルが起きそうだ。天寿をまっとう出来るかも知れないね、お父さん。
2004年06月28日
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朝から、パパの従兄弟の結婚式に出かけた。ホームにおばあちゃんを迎えに行って、我が家に連れ帰り、バッグがないので、私ので間に合わせ、真珠のネックレスを、紛失したとかで、これも私のを渡した。二重になったネックレスを気が付くと、留め金を止めず、頭からかぶって、長く首にぶら下げている。もう、そんなことにも気付かないくらいボケてしまっているのかと、少し驚いた。「お義母さん、それ、違うからもう一度、首から取って」とはずさせ、二重になったネックレスの留め金をはめた。高速と一般道路を2時間以上掛け、会場のホテルに着いた。車椅子を用意してもらい、私とおばあちゃんが先に降り、パパは地下に車を置きに行った。控え室まで車椅子を押して行き、親戚の方達にご挨拶。程なくして仲の良い従兄弟夫婦が来たので、おばあちゃんを置いて、お茶を飲みに行った。これが、失敗。親族紹介の時間だと携帯で知らされ、その部屋に行った。皆さんの紹介の後、写真撮影の段になり、車椅子を部屋に置いてきたというのだ。ホテルの方の「時間がありませんので急いでください」と言う、少し剣のある言葉を後に、慌てて、パパと二人で控え室の鍵を預かり車椅子を取りに走った。多分、おばあちゃんの兄弟達が、車椅子に乗せようとしたのに例の調子で「かまへん、大丈夫」と言い張ったのだろう。痴呆だが、プライドや、自我は、しっかり残っているのだ。おばあちゃんを控え室に残した私達のミス。広いホテルは迷路のよう、やっと控え室に着いたら、さっきのホテルマンが車椅子を引いて部屋から出てきた。どうせ来てくれるのなら、最初から、取って来てくれれば良いのに・・と腹が立ったが、そこは、お祝いの席、ぐっと我慢した。写真撮影が終わったら、おばあちゃんを乗せ、式場に。何のことは無い、さっきから部屋を探して走り回っていたホテルの真ん中にある、ドーム状の広場だった。やれやれ、先が思いやられるなあ。席に着いたら、ゴスペル調の男女の生演奏にあわせ、階段の上から、新婦とお父様が降りていらした。バージンロードを従兄弟の所まで歩いて従兄弟にバトンタッチ。賛美歌を歌い、型通りの誓いの言葉などが澄むと、庭に出て、ライスシャワー、ならぬフラワーシャワー。一連の儀式が終わると、披露宴会場へ。私達はいつも、車椅子が有ったので、皆さんとは別のエレベーターで案内された。本当に美しい花嫁さんだった。3人のお兄様のいらっしゃる末っ子の女の子。本当に大切に育てられたのが、よく解るような方。とても品のあるお母様が、何度も、そっと涙を拭いてらっしゃったのが、とても印象的だった。披露宴は、本当に久しぶりだったが、驚いた。数あるホテルが結婚式の争奪戦をしているからなのか、今時のホテルの披露宴は皆、こうなのだろうか・・・。和食のフルコースの後、フランス料理のフルコースが出てきたのだ。小食の私はパパに助けてもらったが、おばあちゃんは、すごい勢いで平らげた。さすがにお赤飯は、持って帰る事が出来る小さな箱入りだったので、止めたが、一人暮らしで延べつ幕なしに食べていた生活から、ホームに移り、規則正しい生活に、いつも空腹を訴えているおばあちゃんは、正に一心不乱に食べていた。糖尿病から、二度脳梗塞を起こし、痴呆になった人だ。「食」に対する欲求は、本能だけに制限が非常に難しい。だが、今日は、特別。「美味しい?」と聞くと顔をクチャクチャにして「美味しいわぁ」と言う姿に、哀れを感じた。今日は、本当に良かったね。帰途の車中、おばあちゃんは、独り言のように、くるくる話題を変えた。最初は、パパも相手をしていたが、何度言っても理解しないのにくたびれたのか、黙っている時間が多くなった。それでも、おばあちゃんは、興奮してしゃべり続けた。時折、疲れたのか、黙り込んだりしていたが、ホームにつく頃には、こちらも、くたくたになった。痴呆がまた、少し、進んだように思う。結婚式は、色んな人の思いが交錯する。最後に会場の出口に並んだ、お二人に「お幸せに」と小さく言った。「ありがとうございます」と仰ったお嫁さんの瞳は、本当に綺麗に輝いていた。おめでとうございます。
2004年06月27日
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今日は朝から、のんびり。パパはお仕事ゴルフ、オネエは、宿題のレポートのための市場調査、残った下の娘はまだ、お布団の中。私は、午前中にシャワーを浴びて、だるい体を横にして、ゆっくり。お昼近く下の娘が起きて来て、急に今日からロードショーの「ハリーポッター、アズカバンの囚人」を見に行こうと言う事になった。そりゃ、彼女にしてみたら「ハリーポッター」が大好きで、学校からのホームステイ先を、撮影場所であるオックスフォードに決めたほどだから、初日に見たいのは当然か。昨日TVで、一作目の「賢者の石」がオンエアーされて行きたくなったのか、パパも、行くなら早く切り上げると言っていたが、昨夜、娘たちが生返事をしていたので、行くつもりがないと思っていた。慌てて、映画館のある場所に市場調査に行っているオネエにチケットを買えるかTEL。良い席が買えるとの事。午後6時過ぎからのチケットを買ってもらった。パパはゴルフ場から直切行くと言うので、娘達と家を出た。途中、高速で、事故直後に遭遇。年配のご夫婦の車がバンパーも取れて、前がグチャグチャになっていたが、幸いお二人とも怪我もなさそうなので、飛んだバンパーを避けながら「良かったね」と娘達と言いながら通り過ぎた。やはり「ハリー・ポッター」は面白い。最高だと思った。「賢者の石」も「秘密の部屋」も娘は本を読んでから見るので、いつも、「また、端折っているよ」と不服そうだったが、私は、今回の作品が、前作二作より面白かった。ハリーの両親のことやら、可愛いハーマイオニーが大活躍する。亡くなった校長先生役は似ても似つかない人だったら、寂しいし、どうなるのかと思っていたが、まあ、よくぞ、ここまで似ている俳優さんを見つけたものだと感心した。少々、前のダンブルドアに比べ、若い俳優さんだからなのだろう、動きが若かった。今回もスネープ先生は味方なのか敵なのか今一解らなかった。でも、今回は前作以上に、心が温かくなる内容だった。前作までは、親のいないハリーに何度も胸がキュンと切なくなり、画面に入って行って、抱きしめてあげたくなる場面が多くあったが、今回は少し大人になったハリーの両親に対する愛情がより深く冷静な目で描かれていたように思う。絡んだ糸が、だんだん解けていくような、内容だった。ますます面白くなってきた。次回作が今からすんごく楽しみだ。売店でグッズをゲット。一作目では、娘にせがまれセーターを買ったが、結局ちっとも着ないので、今回も、ハーマイオニーの時空ネックレスを欲しがったが、実用的なボールペンと、娘が撮ってきたホグワーツの舞台になったオックスフォードの写真を入れるよう、ハリーが表紙になった小さなアルバムを購入した。今日からのロードショーだったので、まだまだ、ハーマイオニーが着ていたピンクのカーディガンや、ハリーのシャツとネクタイセットなどグッズは多く有ったが、一週間もしたら、きっと売リ切れてしまうのだろうなあ。面白いグッズは、魔法の教科書の一つで、人食い本。少々気持ち悪いが、なかなか良く出来ていた。こういうものを前にすると、全部欲しくなってしまう。子供に返ってしまうのが、我ながら困ったものだ。楽しいひととき。帰宅途中、食事をして、夜10時過ぎに帰り着いた。明日はパパの従兄弟の結婚式。おばあちゃんを連れて行かなくては成らない。大変な一日になりそう。今晩は早く寝ましょ。
2004年06月26日
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今日は、午前中から夕方まで、お弁当持ちで、コーラスの練習をした。まあ、半分は舞台の立ち位置の確認や、衣装の打ち合わせなどだが、さすがに夕方のなるにつれ、足が疲れて、つってしまった。メンバーの中では一番年長者ゆえ、椅子に腰掛け、少しでも時間が空くと休んだ。更年期の体にはかなり辛い。歌はなかなか旨く歌えない。素人集団だから、無理も無いが、私はこれで充分と思うのだが、中には、もっともっと・・・と言う人も多い。楽しんで唄うというポリシーだったんじゃないのぉ~と叫びたいが、出る杭は打たれてしまうから、まあ、無理のない程度に頑張っている。しかし、この所の頑張りすぎに、昔から籍を置く仲間数人が、退部の意思を示しているのも確か。仲の良い仲間だけに、私もやはり考えた方が良いのかもしれないなあと、今日はさすがに思ってしまった。のほほーんと唄える雰囲気じゃなくなってきたのが、最大の理由かな?まあ、私には、ほかにしたい事も沢山あるし、友人達と会う方法は幾らでもあるし、それも良いのかもしれない。帰宅後も兎に角疲れた。足の裏がもう、ジンジンとしてまともに歩けない。明後日は、パパの従兄弟の結婚式で、おばあちゃんを連れて行かなければならないので、明日はゆっくり、体を休めようと思う。あ~、疲れた・・・・。
2004年06月25日
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一日、だるかった。座っていても、寝転んでも、辛い。こういう時は、本当にじっとしているに限る。気持ちもだるい。何かしようと立ち上がっても、長続きしない。エイッ今日はおさぼり・・と決め込んだ。午前中に父のところに行った。昨日、注文した超高額な遠赤外線のベッドパットが届いたと言うので、見に行った。成る程、しっかりした作りで、遠赤外線を発するの六角形の形が無数にすけて見える。表面はシルク。身体障害者の開発者が、その昔、寝たきりで寝返りが打てず、床ずれが出来、夜中に何度も奥さんを起こし、体勢を変えてもらっていたそうだ。しかし、これで寝るようになってからは血流が良くなり、長年、ゆっくり眠る事が出来なかった奥さんに、眠りを与える事ができたと言う代物。何回かTVで見て、父に買ってあげたいなあと思ったが、あまりに高額な物なので、プレゼントできなかった。父に話をしたら、すぐ注文してくれとの事。父は、この寝苦しい熱帯夜だというのに、足だけが冷えて目が覚めてしまうらしい。もう、こんな風になってしまったからには、残った人生、安らかな眠りはお金には換えられないと、注文して欲しいと言われ、頼んだ物だ。嬉しそうな父の顔を見るだけで、注文した甲斐があったかな?今晩は、これでゆっくり眠れると良いね。昨日、病院だったらしい。血小板が少ないせいで、口の中が真っ黒に成る程、内出血を起こしていて、I 医師が、一週間に一度の血清の輸血を、二回に増やすように手配してくださったそう。痛くないの?と聞いたら、「ぜーんぜん」と言うので、まあ、本人に辛いことはないようなので、ひとまず安心。しかし、中を見たI医師は「まあ!まあ!」と驚かれたそうだ。家族の方がもう、覚悟が出来てしまっているので、案外冷静だと思った。顔色も良いし、食欲も気力もある。相変わらず、数値的にはかなり危ないようだ。そこは、今までも切り抜けてきたが、最近、内出血が多くなったような気がする。父いわく「これが頭の中で起こったら、はい、さようならだな」。冗談が言えるうちは、まだ大丈夫。などと家族は勝手に判断している。夜中に目が覚めた。リビングで寝てしまった。汗で体がペタペタして気持ちが悪かったので、シャワーを浴びた。真夜中、生まれたままの姿で髪をバスタオルに包んで、一人、ゆっくり座った。ブランデーで漬けた梅酒をソーダで割って飲んだ。ほてった体に本当に美味しかった。シーンとした住宅街を時折、エンジンの音が通り過ぎる。こういう時が一番好き。明日がまた来る。こうして、人間は死に向かって生きていくんだなあとしみじみ思った。生きることを今、少し、お休みしているような気がする。こうして、少し、ゆっくり考えるのも良いのかもしれないな。それに、真夜中に一人、こんなことを考えている自分は幸せ者かもしれない。髪が冷たい。風邪をひかない様、もう、寝よっと。
2004年06月24日
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今日は下の娘の17回目のバースディ。平日だったが、何とかメンツが揃ったので、近くのカジュアルなフランス料理屋さんに予約して去年可哀想なな思いをさせたので今年はきちんと「お誕生日メニュウ」を予約した。アルバイトの音大生なのだろう、ピアノ演奏の方が、席にリクエストを聴きに来てくださった。大好きな平原綾香の「ジュピター」があったのでリクエストした。この曲は元々クラシック音楽なので、彼女もポップスよりは旨く弾けるだろうと思ったが、ミスタッチが残念だった。それでも、久しぶりにとてもゆっくり食事を楽しんだ。17歳。良いなあ。人生これから、一番キラキラしている年齢だ。青春真っ只中。本人には、自覚がない。当たり前だが、これで自覚があったら、本当に素晴らしき人生になるのになあとつくづく娘を見て、まぶしく思った。私、17の時、何を考えていたのかなあ。夢はどんなだったのだろう。もう、本当に夢のように遠い時代だ。なにもかも始まっていなかった。今、もう一度その時に戻れるなら、したい事が山ほどある。手芸の専門学校に行き、海外に勉強に行き、何かの手芸のエキスパートになりたかった。小学生の頃から、いつも針で何かを作っていた。洋裁の学校に行ったが、作りたかったのはこれじゃないと気付いた時は、もう、遅かった。刺繍や、パッチワークなど、まだそう世の中に知られていない時に始めたが、どれも中途半端になった。もっと勉強したかった。時間に余裕は出来たが、残念な事に、今はもう、目も見えなくなった。17歳、本当に、何かしようと決めたら、突っ走れる年齢だ。どうか、しっかり考えて、自分が一番したい事を見つけ、突っ走って欲しい。お誕生日、おめでとう。
2004年06月23日
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最近、鬱が酷い。前に比べると、出来る事が多くなったが、出来る時と、出来ない時の差が大きくなった。今日は、朝から、パパとガッチンコして超低調。出来ない事を責められると、出来ない事を千も承知の自分がどうしようもなく歯がゆく、どうして欲しいのよっ!と叫んでしまう。出来ないって言ってるじゃない!と言うと、それじゃ、俺の良いようにさせてくれと返される。そりゃそう言うのは正論だろうが、そこが正論では通らない病が鬱病なのだ。自分のやらなければ成らない仕事を、ただでも出来なくて自分が情けないのに、人にされたくないのだ。パパは、自分でしたくてしてくれているのに、責められているように感じてしまうし、私が必要と思ってる事は、パパには必要ではなく、処分されてしまう。だから、触らないでくれているのが一番の心が安らぐ方法なのに、そうそう家族は我慢してはくれない。高島忠男さんや、竹脇無我さんの鬱病闘病記などを読むと、男の人が鬱になると、家族が協力して治療に専念しているが、女、特に主婦が鬱になると、それは不可能に等しい事のように思える。長い間、家事が出来ないと、鬱である事が頭では解っていても、洗濯物が畳まずたまっていく、おなべが流しに溜まって、ハエがたかっている、頂き物を出した空のダンボールが廊下に積まれていく、玄関に飾られていたお花が枯れてそのままになっている、洗面所のボールの周りがよごれてくる・・・etcとなると、家族はどうしてお母さんがしないの?と言う図式になってしまうのだ。皆、気になっているけれど、なかなか出来ない事ばかりなのに、言われなくたって、私が一番いやに思っているのにって、逆切れしそうになる。結局、何年経っても解ってもらえてないんだなあ・・・と諦めの境地なのだ。今日はカウンセリングでこんなことを吐露してきた。パパに、自責ではなく、お前はいつも他責だと言われてしまうのだが、動きたいのに、動けない苦しみは成った者にしか解らないだろう。それを責められても、どうする事も出来ないし、出来ない自分が一番死んでしまいたいくらいに情けなく思っている事は、解ってもらえない。それは、たとえ、家族といえども・・・。友人のHさんが自ら命を絶ったのも、多分、こんな気持ちが高じてだったのだろうなあと、理解できる。私が生きていられるのは、多分、一週間に一度のカウンセリングと、こうして思いをぶつける場を持っているからだろう。感謝。
2004年06月22日
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朝から、すごい風。台風が来ている。下の娘は今日は、昨日の創立記念日の振り替え休日で元々お休み。上の娘も、休講になった。したの娘は「明日だったら、4日連休だったのになあ」ほんと、残念でした!!しかし、9時過ぎ、トイレットペーパーが残り少ないのに気付いた。まだ、雨は降ってないから今のうちに買いに行こうと用意していたら、ついてない、振り出した。立体駐車場のある近くのスーパーに行った。しかし、一階の食品売り場は24時間営業だが、二階は10時開店なので、折角濡れないよう立体駐車場に入ったのに、店内には入れなかった。こういう時は、お店も気を利かせて、早めに開店してくれれば良いのにと、思った。まして、エレベーターは売り場の外にあるのだし・・・。結局、下に降りて、青空駐車場に止めたが、良いあんばいに小降りになったので、入り口まで走って行った。帰宅後、雨と風が酷くなって、下が駐車場の南東のリビングは、恐いくらい揺れた。子供達は「恐い」と一番西にある自分達の部屋に逃げ込んだ。雨戸も仕舞ったままにしておいたので、何だか気持ちも体もだるくて横になった。大きな風が吹くたび、床が揺れた。自然の力は本当に大きい。お昼過ぎには、最接近。外では、酒屋さんのビールケースがゴトゴト音を立てて、道路をはって行った。窓から表を見ると、街路樹の枝が沢山折れて風に飛ばされ、我が家の庭の雑草が一面、同じ方向に寝てしまっていた。TVから次々流れる交通情報や、被害の状況。会社に出ていたパパから「大丈夫か」のTEL。しかし、それも、夕方には嘘のように静かになった。雨もやみ、外に出ると、草の匂いや、肌に感じる湿気、遠くに聞こえる普通の町の音、道路端に濡れた折れた枝やゴミ、五感に台風一過の感覚が一度に入って来た。早々と、掃除なさってらっしゃるご近所の奥さん。まめだなあ、と感心してしまった。本当はそんな感覚を楽しむ暇に私も掃除しなくちゃならないのだが、そこは、そこ。まあ、良いやの気持と、もう少しこの感覚にひたりたい自分の気持ちに勝てなかった。大きなな台風だったが、以前のように駐車場の物置が倒れ、車がへこんでしまったり、簡易温室が吹き飛んだり、被害が無かったのは何よりだった。大きな被害を受けた被災者の方にお見舞い申しますm(__)m夜、東京に行った際、パパが弟に会って話をしてきてくれたので、報告に父の家に行った。情けない話ばかりで、両親が可哀想になったが、育てたのは自分達だから・・と、もう、諦めの様子。全く、弟には、腹が立つやら、情けないやら・・・・。話を聴いている父の顔の白さや、顎に出来た内出血を見ていると、「こんな状態に親がなっているのに何をしているのか」と、それでもまだ、親に心配を掛け、大人の考えが出来ない弟に本当に腹が立ってしまう。パパにも恥ずかしい。心底、父が可哀想に思う。人の世の業と言うのか、煩悩と言うのか、そんなどうしようもない物、知性や理性では測れない物を感じてしまうのだ。夜遅く帰宅。精神的な疲れで、だるかった。
2004年06月21日
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今日は、今年初めてのステージ。今回初めて参加した合唱際。色々な団体の歌声が聴けて面白かった。いつも、私達が参加するのは、女性合唱団の合唱祭なので、なかなか混声や、学生の合唱を聴ける機会が無い。小学生から、高校生、そして、私達のような女性合唱団まで40以上の団体が6分を使って表現する歌の数々。とても、面白かったと言っては語弊があるが、正に面白かった。やはり、混声は魅力だなぁと思った。歌声に力と、幅が出るのだ。学校の合唱団を卒業したら、混声に入れていただこうかなぁ。わが合唱団は、とりあえず、問題なく唄い終えた。非常に残念なのは、自分たちの歌を聞けない事。こればかりは、私が二人いないと、出来る事じゃないから仕方ない。ビデオで聞けるが、やはり、生とは違うので、残念だ。舞台に上がってしまえば、何ともないのだが、出番待ちの楽屋裏にいる時が、一番緊張する。もう、かれこれ、40ステージをこなしてきたのに、やはり、次は自分達と言う時は、いつも、喉がからからになりそうになる。何回経験しても慣れない。なのに、不思議なのだが、ステージに上がってしまえば、もう、楽しくなってしまうから、現金なものだ。一度スポットライトを浴びると辞められなくなる、とよく言われるが、それとは、ちょっと違うのだが、そんな感じ。流石に帰りの電車の中は、友人と二人「疲れたねぇ」と言いながら、帰宅した。次回は7月4日。こちらは、合唱祭ではなく、ちゃんと成績の付くシビアなステージ。夜、パパから帰ると電話。新幹線の中からメールが沢山届く。その内、娘も加わって、3人でメールのやり取り。私はTVを見たかったのに、返事を返すとまた、新しいメールが・・・。「こいつぅ、新幹線の2時間をメールで過ごそうと思ってるなぁ」と直感。娘にバトンタッチ。そうこうしている内に名古屋に到着。近くの駅まで電車でも帰れるが、終電に近い時間帯。珍しく眠くなかったので、ちょっと離れた大きな駅までお迎え。深夜の道路は空いていて好き。お疲れ様。長い一日でした。
2004年06月20日
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朝、パパが東京出張のため、駅まで送って行った。予定は月曜までだったが、台風が来ているから、早く帰りたいと言っていたから、明日帰ってくるかも。私は午後から、コーラスのレッスン日。最近、部の雰囲気が変わってきた。色々不満を言う者が出てきたり、しっかり、引っ張って行ってくださる指導者がいなかったり、この先、どうなるのかなあと少し、不安になる。女性ばかりの団体は、多かれ少なかれ、こういう雰囲気になるのが私には苦手。ADHDの頭には、非常に過酷な状況なのだ。物事がうまく整理できない脳を持っている障害なので、うまく、泳げないのだ。上手にお世辞も言えないし、思ったことをそのまま口に出してしまうから、友人には、解ってもらえても、お付き合いの短い方や、ADHD障害を解ってくれていない方には、非常に軽薄に見えているのだと思う。不器用な自分は、黙っているに限る、と今まで何処吹く風を決め込んでいた。しかし、最近、黙っていられなくなる事があり、一部の方に発言した。気まずくなった。解ってもらえると思ったが、やはり、気まずくなった。同調してくれる人も多々いたが、落ち込んだ。もう、部を卒業した友人に長い電話をした。「本当はね、私はいずれそういう風になるだろうなあと思ったんだ。それも、卒業した理由だったの。私は、何も言わずに我慢出来ない性質だから、このままいたら、きっと爆発して言っちゃうと思ったから」そうなのか・・・と思った。さっと身を引いた彼女の賢さが羨ましかった。コーラスは楽しい。楽しくなけりゃ、さっさと卒業した。しかし、こう言う事が続くと、やっぱり、潮時かなあと思ってしまう。何のしがらみも無く、自分が楽しくなけりゃ、つまらないじゃないかと考えさせられた。夕方、パパがいないので食事を作る気がせず、子供達と中華を食べに出た。そこで今日あった話をした。「お母さん間違ってないと思うけど、今までのように黙ってる方がお母さんらしいよ。正しい事言っても、解ってもらえないで気まずくなったらつまらないじゃない。おばさん(友人)みたいに辞める気がないなら、不本意だろうけど、知らん顔してるのが良いよ」大人になったなあと思った。その通りだなあと思った。まだ、一年以上子供がお世話になるから、在籍しようと思うから、これじゃいけないのじゃないかなぁと発言したが、今は、もう、大人しく、唄ってる時だけ楽しければ良いじゃないかと思っている。友人とも、そう言い合ってお互いを慰めた。世の中、なかなか、難しいものだ。馬耳東風。
2004年06月18日
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今日は午後から、パパとデート。何のことは無い。新しいTVゲームを買いに行くのに、付き合っただけ。その前に、パパが親会社に顔を出しに行く間、私はだだっ広い駐車場の車の中で、本を読んで待った。結構、カーナビのTVを見ながら車の中で、のんびりと雑誌を読むのは、良い気分だったのに、思いがけず、早くに用事が終わって帰ってきてしまった。なんだか、ちょっとつまらないなあと、感じるのはどうしてかな?案外、「待つ」事が好きなのかもしれないなあ。それから、ゲームやさんに行って、パパはお目当てのゲームを買った。それから、近くのスーパーでお買い物をする為、今度はパパが車の中で待っていた。買い物は大事な仕事だが、いつだって主婦はこうして家族の食べる物や必要な物を、とても重い思いをして頑張って買う。いつも、冷蔵庫を開ければ、欲しい物が入ってるのは、お母さんのお蔭なんだぞーと、叫びたくなる一瞬だ。つまらないデートだったが、なかなか二人で仕事をサボって出掛けるのは、スリルが有るイベントだ。夕方、キッチンにいたら、下からコツコツ叩く音。ウッソーお父さん?駐車場に出てみたら、母と二人で歩いてきたと言うではないか。おいおい、血小板が減るし、安静にしていなくちゃ駄目でしょう・・と怒った。犬に会いたくなったと言うのだ。退院して、人間らしい生活をしたいと願う父に、少々の無理は仕方無いと思い、車で送って行った。夜、「電池が切れるまで」を見た。いつも、この番組は身につまされてしまう。父の病気と同じ「白血病」「再生不良性貧血症」など、同じ症状の子供達が出てくるし、「感染」防止のマスクをしていたりするので、人事には思えないのだ。まして、その子供達が一生懸命生きる姿や、反対に死んでいく姿は、本当に身につまされてしまう。今日は、無菌室に入った少女が感染してしまう場面で、医師役の陣内孝則さんの「外からの菌に感染したのではなく、自分の中の菌に感染してしまうのです」というセリフは、正に、そのまま私達がI医師から言われた言葉。胸が痛んだ。そして、医局に帰った陣内さんが、医師の限界を無念に思い、机の上の物を乱暴に両手で投げ飛ばし涙するに至っては、ああ、I医師もこんな思いをなさってらっしゃるんだなあ、だから、あんなに誠実で何時、何を伺っても懇切丁寧に答えてくださるんだと思った。まあ、これは、患者の家族の都合の良い想像に過ぎなんだけれど・・。骨髄移植の道が若い人には残ってはいるが、まだまだドナーと骨髄が一致せず、ドナーを待っている間に死に至る子供達が多いのは事実だ。父の場合は骨髄移植が無理なのだから、対処療法しかないのだから、命の電池が残り少ないのも無理ない話しかもしれない。今、こうして、毎日感染に気をつけ、過ごしてはいるが、普通に生活できている幸せを思う。それなのに、あんな風に散歩に我が家に来てしまう無防備さには、恐れ入ってしまうのだ。何が幸せなのかなあとつくづく思う。命の長さ?生きがい?両方を天秤に掛けたら人それぞれの価値観の問題だろう。今の私にはまだ、解らない。父のように「死」を目の前に突きつけられた者のみが、その答えを出せるのだろう。父は今は後者を採っている。それは、父の命であり、父の人生だから、誰も何も言う権利はない。父がそれで良しと思ったのなら、そのように貫くだろう。人生半分以上生きてきて思う。「生きる」って難しい。生きる尊厳、死ぬ尊厳の重さが解って来たような気持ちになった。正に神様からの宿題を探すのが、生きることのような気がする。私はまだ、その宿題が見つけられない。死ぬ瞬間、ああ、そうだったのかと解るのかも知れないなあ。
2004年06月17日
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お昼近く、母から携帯電話。「Iちゃん、今、病院の帰りなんだけど、お父さんの血小板が4000しかないの」「え?入院?」「ううん、I先生がすぐに日赤に血清を手配してくださって、午後から輸血だって」「そう、解った」一旦電話を切った。以前、6000の時、パパと共に病院に呼ばれた。「この数値は、人間が一日生きていくのに、不安な数値なんです。人間は歩いても、物を食べても、話をしても血小板を使います。少なくとも1万ないと無理なんです」と言われた。なのに、4000とは・・・・。そのまま、頭の中の思考が止まってしまった。お昼だなあ、パパの食事を作らなくちゃ・・。台所に立って、ふと思った。・・と言う事は車を運転したり、駐車場から歩くのにも血小板がいるから、私が行かなくちゃならないんじゃないの!慌てて、父の家に電話。「1時半過ぎに行くわ」すぐに用意に掛かった。しかし、1時半前に母から電話。「まだ?お父さん、もう、待っていられなくて自分の車で行くって」「もう、また、どうしてそうなるの?まだ1時半にもなってないのに、せっかちもいい加減にしてよ」「血小板が少なくなると、いらいらしちゃうのよ。だるくて・・。」「解った、じゃ、すぐ行くから」超特急で用意を済ませ、5分後に家を出た。父の家まで1分。父はもう、外にいた。全くもう・・・、しかし、何も言うまい。父の体の辛さは父にしか解らないのだから。病院の点滴室に行っても、まだ、血清は届いていなかった。1時間ほど待って、輸血が始まった。私は通路に出て、久しぶりに雑誌を読んで待った。結局、帰宅したのは5時過ぎ。血清を輸血して血小板が増えた父は、来た時とは打って変わって元気になって、表情も穏やかになった。入院はしなくて良いとの事。とりあえず、また、やれやれ。
2004年06月16日
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カウンセリングの日。ものすごく良いお天気だった。病院に行くまで、洗濯物を干して、お風呂に入って髪を洗い、お布団を干そうと決めた。洗濯機に洗濯物を放り込んで、お風呂のスウィッチを入れた。布団を干した。お風呂に入った。・・・・とここまで書いていると、次々出来たように見えるが、どっこいそうは問屋が卸さない。体と心が重くてなかなか次の行動に移せないのだ。11時が予約時間なのに、お風呂から出て髪をバスタオルにくるんで時計を見たらもう10時半を過ぎていた。柔軟材をかける洗濯機の操作をして、ヘアドライヤーを使った。それから脱水が終わった洗濯物を、少し乾燥機にかけた。こうすると、しわが伸びて、綺麗に干しあがる。その間に着替えた。その時点でもう、11時になってしまっていた。「折角ここまでしたのに、このまま出掛けたら、また、洗濯物を干せなかったって、落ち込んじゃうなあ」と思った。先生には悪かったが、「えい、大遅刻だけど干していく方が、私の気持ちが楽になるのだから、先生も納得してくださるだろう」と洗濯物を干した。病院に着いたのは11時半前。やはり、先生は「それで良いですよ」と仰ってくださった。遅刻はADHDの障害の一つ。解ってくださる方には甘えよう。自分が色々出来た事による満足感の方が、大切なんだとつくづく思った。今日は久しぶりの花丸の日。
2004年06月15日
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今日は良いお天気。久しぶりにお洗濯物を、ちゃんと朝から、干せた。昼間晴れているのに、乾燥機を使う毎日に、自分でも落ち込んでいた。気持ちの良い風に洗濯物が揺れているのは良いものだなあと感慨にふけっていると母からTEL。「お父さん、退院なんだけど、来られる?」「え?」「お父さんより重い症状の人が入院してきて個室を出ないといけなくなったの。で、大部屋は危険だし、お父さん、大部屋だと眠れないからって嫌がって、先生に聞いたら、Fさんは外泊しても病院と同じ空気清浄機や、消毒などしていただいて、危険のない生活を送ってらっしゃるので、退院しても構いませんって」「そう、解った行くわ」「体、大丈夫?」大丈夫って、本当にそう思ってるなら電話して来ないだろが・・・・。少々だるいが、まあ、お目出度い退院だから、ここは頑張って行くことにしましょか。「大丈夫だよ、お昼過ぎに行けば良いね」「はい、じゃあ、お願いね」パパに電話。早めの昼食を摂って出掛けた。病室に入ると、すぐI医師が後ろ向きに座っらっしゃるのが見えた。「あ、ご無沙汰しています」とご挨拶。退院の注意を伺った。「Fさんが発熱した時は、すぐに入院できる体制にして有ります。ERにいらして、そう仰ってください。すぐにFさんに効く抗生物質で対処できるようカルテに書きました」「ありがとうございます」「では」反対だが「お大事に」と言うと、I医師の人懐こい笑顔が返ってきた。大きな荷物を車に載せ、帰宅。やれやれ、何回目だろう・・・。でも、取りあえず、また、退院できた。命の限りは宣告されているが、どんどん先が長くなって行く。あれから、もう半年、生き延びている。神様、ありがとうm(__)m
2004年06月14日
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今日は朝から、この街のお掃除。私の家の組は全部で14軒。少し早く一軒一軒に、割り当てられた土嚢袋と、この市指定のゴミ袋を配ってお掃除のお願いに回った。今日はすごく良いお天気だが、風が涼しく、絶好のお掃除日和。それぞれのお宅の周りは、もう前日までに綺麗にしていただいていたが、歩道の側溝や、立体になった道路の下が汚かった。誰が植えたのか、アジサイが大きくなりすぎ、太い枝が歩道に突き出して危なかった。薄紫の可憐な花がたわわに咲いていたが、つぎつぎ、手折られた。可哀想だなあと思ったが仕方ない。捨ててしまうのは勿体無いと思いゴミ袋に入れられるのを少しいただいたが、「アジサイはすぐ水につけないと、しおれちゃうよ」。やはり、5分も日向に置いていたらしおれてしまった。皆さんでそのあたりを綺麗にして、ゴミの回収にきてくれたトラックに土嚢袋一杯になった土や、ゴミを乗せて、終了。「ありがとうございます。ご苦労様でした」とパパがお礼を言い、解散した。我が家はその立体交差になった道路の上と下に面している。下の歩道は綺麗になったが、橋の上がまだ草が目立っていたので、帰宅後、パパとふたりで、余った土嚢袋に橋の上の歩道の草や土を入れて片付けた。一人家の中に入って、大きなグラスにたっぷりの氷を入れ、コーヒーを注いで、下に持って降りた。駐車場に置いてある木の縁台を歩道の木陰に引っ張り出してパパと二人座り、一休み。「やれやれ、ご苦労様でした」「おお」。それから、暫くゆっくり二人で色々な話をした。こんなゆっくりした時は、久しぶりだなあ。シャワーを浴びて昼食。疲れていたのだろう、午後から夕方まで寝てしまった。夕方から、遠くのお稲荷さんに皆でお参りに行った。今日は充実した日でした。
2004年06月13日
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今年も梅の季節。店頭に青々としたみずみずしい梅が並ぶ。我が家の梅も、小さいながら、毎年、少し実をつけてくれる。一週間ほど前、そろそろ収獲だなあと思ったが、何せ、更年期のだるい体はなかなか言う事を聞いてくれない。今日、採ろう・・・と思っても雨だったり。娘と一緒に採りたいから・・・と土曜日に収獲する事にした。梅ジュースにしようと思う。前の日に台風が来ていたので、どうか、被害に遭わないようにと願った。台風一過の良いお天気。かごを手に娘と庭に出た。あるある、我が家の梅にしては十分大きな梅が、葉っぱに隠れて、風に揺れていた。一つ一つ、愛しむようにもいではかごに入れた。20分もすると、小さなかごに青い梅の山になった。「お母さん、転ばないでよ」と軽口を叩いていた娘も「沢山採れたねぇ」と嬉しそう。少し、伸びすぎた枝を落とし、今年の梅の収獲は終わった。毎年、これで失敗するのだ。梅ジュースにしようと収獲しても、ビンを洗っていなくて一日置き、黄色くなってしまったり・・・。今年はそう言う事がないように万全を期した。すぐに洗って、娘とふたりで、しっかり水を取り、へたを取って、すぐにビンにほおり込み、氷砂糖と交互にしていく。計らなかったが、ビン一杯になったところを見ると、1K以上、収獲できたようだった。最後に腐敗防止にお酢を少しふり掛けた。満足。出来た事がすごく嬉しかった。「ねぇ、ねぇ、何時頃に飲めるかなあ」「3ヶ月待ったら、美味しいのが飲めるよ」「え~、そんなに待つの~」娘との会話も楽しい。神様の季節の贈り物。来年も沢山収獲できると良いなあ。
2004年06月12日
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今日はコーラスと学年懇談会が重なったと言うのに、台風ですごい雨と風。おまけにコーラス部で同じ学年の方達とお昼のランチも一緒に行く事になった。2週続けてのお食事には、少し、気が引ける。パパは、ろくな物を食べていないだろうなあ・・と思うと、申し訳なさで一杯になる。お友達とのお食事は楽しいが、そう、しょっちゅうではやはり、パパに悪いし、楽しくないと思った。パパと食事に行くと、よく喫茶店でランチを食べている子連れの女性グループに出会う。子供が小さな頃にそんな事をした事など皆無の私には、奇異に見える。時代が変わったんだなあと思ってしまう。大体、小さな子を連れて食事をしても、落ち着かないし、話も出来ないと思ってしまうのだから、私も相当古いのかもしれない。パパと外でお昼を食べるのは、2ヶ月に一度くらい。贅沢だなあと思うが、まるで頑張った「ご褒美」のように連れて行ってくれるから、ありがたいと思えるのだ。毎日だったら、やっぱり嫌だな。だから、今日も少し気が引けたが、断りきれなかった。私達の仲良しグループが月一のお楽しみでお食事する金額と同じ位・・それ以上だったから余計だ。今日の学年懇談会は、修学旅行のお話、夏休みの補習のお話、進学のお話。修学旅行は北海道。良いなあ。親の私でさえ、まだ、行っていない場所。私の母校だが、私達の頃は、九州一周だった。北海道の話も出たが、立ち消えになった。だから、北海道には行った事がない。いつか、ゆっくり周りたいなあ・・・。補習の話には、耳がダンボ。オネエの頃は、成績の不振な子が指定者補習になったが、生徒数が倍になった今は、希望者補習になった。これは絶対、チビに受けさせなくちゃ・・。可笑しかったのは、レジュメの中に「航空機内における安全阻害行為等の禁止」などの項目があったこと。実は一昨年、我校の生徒が飛行機の救命胴衣を持ち出し、航空会社に大変なご迷惑をお掛けしてしまった事がある。彼らは、ちょっとした、いたずら心だったのだが、大事になり、校長先生以下、先生方が航空会社に平謝りにお侘びしたのだ。先生方に大目玉を食らったが、高校生なのになんとまあ、子供っぽい事をしでかしたのかと、冷や汗をかかれた先生方には申し訳ないが、大笑いだった。また、そんな事をしでかされてはたまらないと、学校側の気持ちが6枚のレジュメのうち一枚に渡って書かれていたのが、なんとも可笑しかった。2時間に渡っての学年懇が終わったのは5時過ぎ。お友達と、台風の雨の中、駐車場に向ったが、ずぶ濡れになってしまった。雨は大好きだが、ここまではちょっとねぇ。今日は、とても疲れました。ご苦労様。自分に言った。
2004年06月11日
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楽しみにしていた会の日。会場は家から近くのしゃぶしゃぶ専門店。ウキウキしながら、お座敷に通された。久しぶりに会う、友人達の顔、顔。席に落ち着いて、おしゃべりが始まった。父の事、日常の事、体調の事など等。あちこちにおしゃべりの輪が出来た。やっぱり、楽しい。自分の身の置ける場所が有るって、幸せなんだなあとつくづく思った。くだらないおしゃべりにも、一生懸命耳を傾けてくれる人が、こんなに沢山いてくれる・・。感謝。美味しいお肉やお野菜、お刺身、白玉アイスクリーム(これは甘い物が苦手の私は残してしまったが)まで、たっぷり時間を掛けてのお食事。私はすぐにお腹一杯になってしまったが、皆本当に楽しそうに食事とおしゃべりをしている。勿論、大勢の新しい部員をお迎えできる事が出来、とても嬉しかった。場所を学校に移して、コーラスのレッスン。久しぶりの発声だったので、声が出るか心配だったが、何とかできた。明るい皆の中にいると、本当に楽しい。ただ、ずっと立っているのが、少々辛かった。先生に長い間のお休みをお詫びして、友人といつもの喫茶店に向かった。また、楽しいおしゃべり。女ってどうしてこうしゃべってもしゃべっても、話題が尽きないんだろうなあ。授業が済んで待ち合わせていた娘が来たので喫茶店を出て、塾に送って行った。楽しかった。無事行けて良かった。日常が少しずつ、戻って行くようになると良い。そのくらい、神様も許してくれるだろう。父の看病は今は、母に任そう。私の気持ちにもう少し余裕が出来たら、また、病院通いも出来るだろう。
2004年06月04日
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今日は朝から、結構、動けた。TVで簡単ダイエット体操をしていたので、TVを見ながら、一緒に試してみた。良い感じ。これなら、続けられそう。TVを見ながら出来るのが、嬉しい。午後、お買い物に出た。もう、本当に後ろの座席が一杯になるくらい色々な物を買い込んだ。必要な物以外は買わない主義なのに、あれもこれも、無かったと言う事か・・・。ラベベンダーの苗が、100均で小さな鉢に入って売られていたので、5つゲット。久しぶりに、嬉しい。良い香り!!昨日は、頑張って、肉じゃが、シーフードサラダ、おみおつけを作ったが、今日は、お魚のかま焼きを買った。美味。明日は待ちに待った新入部員歓迎会。無事に行けるだろうか・・・。心配。
2004年06月03日
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長崎佐世保の女子児童刺殺事件は、非常にショックだった。一報を聞いた時は、ただ、少し脅そうとして、誤って刺殺したのだと信じて疑わなかった。しかし、事件の仔細が明るみに出てくるごとに、「嘘・・・・」という思いで一杯になった。殺意を持って呼び出し、カーテンを閉め、椅子に座らせた被害者の首を深さ10センチにも及ぶ深さで刺し切り裂いた・・・・・。素直に座った被害者は、何の疑いも無く座ったに違いない。これから、まさか自分の命が尽きてしまうなどと、どうして思ったろう。喧嘩をしていた友人に呼び出され、座るよう言われ、素直に座った彼女の気持ちを考えるとたまらない。一瞬にして首を切られ、何が起こったのか、解らなかったに違いない。どうして首から血が噴出すのか、自分に何が起こったのか。友達がどうしてこんな事をするのか、自分は彼女にこんな事をされるほど彼女を怒らせたのか・・・まで命が尽きるまで、考えられる間はなかっただろう。一瞬の間に、命の尽きる一瞬の間に一体何を考えたのだろう・・・・。あまりに悲しい。殺そうと思って口論も無くいきなり殺した・・・・・。それほどの怒りを私はまだ感じたことはない。誰かを「殺してやりたい」と思ったことは無いとは言わない。誰しも一度くらいそんな思いを持った経験は有るだろう。しかし、それまでだ。それを行動に移すエネルギーは一体何だろう・・・・。「命の重さを教えて行こうと思う」必ず、こういう事件があるとそういうコメントが出る。本当にそうなのだろうか・・・・。そうじゃないと思う。命の重さは彼女には、ちゃんとわかっていたと思う。ただただ、怒りの持って行き様が解らなかったのだと思う。煮えくり返る怒りを納める手立てが無かったのだ。何故なら、彼女はまだ11歳だから・・・・。だからこそ、本当なら、親が彼女の悲しみや怒り、迷いを吸い摂ってやるのがベストだったのだと思う。被害者のご家族の悲しみは言うに及ばず、加害者のご両親のお気持ちを考えると、いかばかりかと思う。聞けば、明るい優秀なお子さんだったと言う。信じられない思いで一杯だろう。親の手を離れ、事情聴取をされている間、どれほど、扉を突き破って彼女を抱きしめ、問い質したかっただろうか。何が彼女をそうさせたのか・・・・。子供が小学生の頃、「ただいま」の一言でその日一日のすべてが解った。「楽しかった一日」「嫌な事があった一日」「悲しい事があった一日」皆、解ったものだ。おかしいなと思い、部屋に行くと案の定、机に座ってボーッとしていたり、慌てて涙を隠したりした事がよくあった。「何でもないよ」と言った目が悲しかったり、娘達の気持ちは手に取るように解った。だから、帰宅後、すぐにフォローも出来た。結婚し子供が出来た時分夫に、どんなに生活が大変でも、子供達が高校生になるまでは子供の「ただいま」を聞ける時間に家にいられるようにして欲しいと頼んだ。子供達が何事も無く大きくなった今、間違っていなかったと思う。子育ては本当に難しい。一歩間違えると、歯車が食い違ってしまうと、気持ちがすれ違い、空回りしてしまう。人一人育てるのだから当たり前かもしれない。とても恐いと思う時さえある。まだまだ、途上だ。しっかりしなくては。
2004年06月02日
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父の最近。父の現状は、あまり変わらない。数値的には、非常に危険な状態と言われている。しかし、父は元気だ。感染さえしなければ、何の心配も無い。しかし、感染すれば、2~3日で死に至る。先日も、少し発熱した。抗生物質が効いたので、事無きをえたが、効いていなかったら、危なかった。では何故、効いたのか。やはり、アガリクスによって、免疫力が確実に上がっているからとしか言いようがない。血小板が少なくなると体のあちらこちらが、内出血する。先日も目の周りに内出血を起こしていた。普段は足のすねの部分や、ベルトで締めた時は、お腹周り。血小板の数値が低いと、てきめんに出る。週に一回ずつ、血清と、赤血球を輸血する。だから、外出や、外泊は輸血のない日のみ。退院の話も出たが、急に具合が悪くなって来院しても、感染の恐い病気なのに、個室が空いていなければ、大部屋に入れられるから、個室を確保しておくために、入院していて欲しいと言われ、I医師にすべてを任せ、そのまま入院の形でいる。そのI医師だが、最近切迫流産の危険があり、父の主治医から外れた。しかし、血液内科の医師が少ないようで、外来だけは、週に一度、勤務してらっしゃるそうだ。切迫流産の危険があるというのに、安静にしていられないなんて、医者も大変な職業だと可哀想になった。多分「丸高」の初産だから、本当に大事になさって欲しい。新しい担当医師とは、まだお目に掛かっていないが、母いわく、「I先生に負けないくらい良い方」らしい。こんな事は父にも母にも言えないが、暫く父に会わないでいたが、やはり、確実にほんの僅かでは有るが、弱っていってるなあと感じた。運動もあまり出来ないでいるから仕方ないのだが、痩せたように思う。昨年12月、命の限りを宣告され、「一年は到底無理」と言われた。金婚式の3月末まで生きられるかなあ、娘がロンドンに行っている間、大丈夫かなあ、桜は見られるかなあと心配したが、もう、半年になる。こうなったら秋の紅葉も見せてやりたい。これから先、どうなるのかは、神のみぞ知る事だろう。それが、父の持って生まれた運命だから、私にはどうする事も出来ない。父は、また最近、新しい食品を試しているらしい。あまりに高額なので、母には「なんでもすがりたい気持ちは解るけれど、気をつけてね」と釘を刺した。二人で一日病室にいると、そういう話題しかないのだろう。何だか、哀れに思う。病室に行ってあげたいのだが、このところ、更年期の症状と、鬱が酷く、毎日、だるい。全く親不幸な娘だね。すみません。
2004年06月01日
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