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朝から、何だか落ち着かない。今、あっちは何時だろうと、チビのことばかり気になる。忘れ物はしていないかしら・・・無事、飛行機に乗れるかしら・・・。気が付けば、もう、とっくに搭乗している時間だった。午前中、何も手につかなかったが、お昼近くになってやっと洗濯機に洗濯物を放り込み、食器洗い機に昨日の分を入れた。あれ?娘が起きてこない。出掛けたのか?・・・慌てて二階に駆け上がって見ると、ベッドの布団が膨らんでいる。ありゃりゃ、まだ、寝てるってか~?「お~い、生きてるか~、もう、お昼だけど」と言うと、ガバッと起き上がり、枕元の携帯に目を凝らした。このくらいの年の子は、皆、こんな風に携帯が命なのだろうか・・・。「あ~良かった、今日は何も無かった」「あんまり起きて来ないから死んでるかと思っちゃったわよ」と言うと、ボサボサの頭で「すまんすまん」年頃の娘とは思えないなあ。お昼ごはんを作って、二人で食べた。少し、仕事の電話を不動産屋さんにしたり用事を済ませた。今日は6時に迎えに行くので、その前に病院に行く予定。3時過ぎから、夕食の用意に入った。おなべを洗い、おみおつけを作って、炊飯器のお釜を洗って、水と無洗米を入れ6時にセット。後は、例の焼き鳥と、ブロッコリーのシーチキン煮びたし。もう、5時近く。娘も一緒に病院に行くと言うので用意して出掛けた。父の病室に入ると、今、入れ違いに従兄弟がお見舞いに来てくれていたとの事。父はいつものように座って数値の表を見ていた。「今日なあ、I 先生が来てなあ、骨髄の中の芽球が、今まで見たことも無い形になっているって言うんだよ」「どういう事?」「今まで見たことが無い、細胞の形になっちゃってるんだって」「うん?」「つまりなあ、芽球がグチャグチャの組織になっていて、今までの症例に無い形になってるらしい」「・・・・」「それが、そのまま崩れていく前兆なのか、反対に爆発して急増する前兆なのか全く解らないって困ってたよ」「アガリクスのせい?」「そうだろうなあ。だって、長い事血液内科医をしていますが、見たことも無い芽球の組織なんですって仰ってたからなあ、本当に困っている様子だったよ」父は、本当に面白そうに、そう話した。私も、本当にすごい事になっているような気がした。あれだけの医師が、見たことが無いと正直に謙虚に仰ったのだ。そこで、明日から、輸血以外の治療を一切止めるそうだ。それでまた、芽球の数値が上がってきたら、抗がん剤治療に切り替えるそうだ。なんと、今日の芽球の数値はとうとう「1」。好中球は「6」白血球は3800。もう、バンザーイと言いたいほどだった。やはり、アガリクスは本物だった。娘も一緒にチビを迎えに行く予定だったが、あまりに外が寒かったので、そのまま病室に残った。私は駅前の解散場所に向かった。暫く待つと、大型のバスが旅行会社に聞いた場所と反対側に着いて、子供達が降りる様子が見えた。慌てて信号が変わるのももどかしく、駆けつけた。娘達は、疲れた様子だったが、私の姿をを見付けると、ホッとしたような笑顔になった。先生方にお礼を言って、駐車場にトランクを引きながら向かった。その間中、娘は興奮してしゃべり続けた。お姉ちゃんの時は本当に疲れ切っていて、おしゃべりする余裕も無かったが、チビは元気、元気。そのまま病院に戻った。病室の重いドアを開けて元気な「ただいま」が個室に響いた。「お~、帰ってきたか~、よしよし、元気に帰れたな」と父は相好を崩して喜んだ。娘が「おじいちゃん、ありがとうございました」と言うと、「おお、少し、顔が大人になって帰ってきたな」と本当に嬉しそう。これ食べなさいあれ食べなさいと待ち構えていた母が、次々お菓子を出した。どこにそんなに有ったのかと思うほど出てきた。娘は「お腹すいてたんだあ」と、早速、食べた。土産話を暫くして、父の病室を後にした。母を送り、帰宅。娘は焼き鳥を前に歓声を上げた。ご飯を口にすると「美味しいっ!!」特に米飯が好きな子なので、本当にひとしおだったのだろう。インスタントのおみおつけを持って行ったのに、結局一つも食べなかったとかで、これも美味しそうにすすっていた。「お母さんが一人になっちゃうから、Aがいない間、ずっと食事時には、帰って来ていたんだよ」と上の娘が下の娘に言うと、「大変だったねぇお姉ちゃん」思わず噴出しそうになったが、娘がそんな気を使っていてくれたとは気付かなかった。すみませんねぇ、お気を使わせまして、と言うと、「いいえ」と言い返された。こういう時、子供に追い越された気持ちと、成長の喜びを感じる。こうして無事、娘達と一緒に食事が出来て、良かった。先生、添乗員さん、ありがとうございましたm(__)m
2004年03月31日
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今日はカウンセリングの日。病院の横に数本植わっている桜が、もう、3分咲き。私は桜が大好き。自然と、頬がほころんでしまう。「Kさん、今日は元気そうですね」とカウンセラー。父の調子が良い、娘が無事明日帰ってくる、季節柄大好きなお花が咲き始めた・・etc.嬉しいことばかり。おまけに、2年近く手付かずだったおばあちゃんの部屋を片付けられた。私の鬱、少しずつだけど、良くなっているなあと実感出来る今日この頃。長い長い治療だったが、なんだか、先が見え始めた気がした。ADHD障害者と診断されて5年近く。最初は自分の色々な至らなさが障害からくる物だと知り、救われた気になった。しかし次に来たのは、障害は、生涯直らないと言う絶望感。長い間苦しんだ鬱が障害から来る物と知った時の、この先自分はどうなるのかと言う不安にさいなまれた日々。でも、ようやく、出口が見えた気がしている。今朝から、すごい雨。以前はこういう日は家の中にいたくて、大好きな雨の音を聞きながら過ごした。しかし、そうも言っておられず、夕方買い物に出掛けた。今月初めから近くのスーパー入り口横に、清潔感のある、近代的な車の焼き鳥屋さんが出店していた。私も娘達も焼き鳥が好物。今月は毎週、月、火曜日に出店していると聞き買いに行っていたが、今日を最後に他の土地に移るとの事。次回は二ヶ月先と言う。残念。明日ロンドンから戻ってくる娘に食べさせたくて、どっさり買い込んだ。そのまま、病院に行った。今週、母は季節の変わり目の洋服の入れ替えなどの準備のため、夕方に帰ってしまい、私が父の夕食時に行く約束だったが、今日は母がまだ病室にいた。母がいない2~3日、学校帰りの娘が駅からバスに乗って私がいる病室に来てくれていた。いつも、8時近くまで父と3人でTVを見て過ごし、帰宅していたが、今日は母が、・・皮膚科に寄って行きたいので私を待っていたとの事。暫く3人で話していたら、娘がやって来た。父の数値は、また、良くなっていた。芽球が何と「2」になっているのだ。47パーセント有った白血病細胞が、今は血液中に2パーセントになったのだ。「お父さん、本当に助かっちゃうかもね」と言うと「おお、なあ」と人事のように言った。「これからどうなるんだろう」「さあ、先生にもわからんらしいから、俺にも解らないなあ」。もう少し父と話したかったが、母にせかされて、娘と3人で病室をあとにした。皮膚科に寄って薬をもらい母を送って帰宅。明日は娘を迎えに行くので、お昼間に行く予定。早く元気な顔を父に見せてあげたい。そして、娘にも元気な父の姿を見せてやりたい。心配したがあっという間に日にちが過ぎた。何だか、娘が出かける前の事が嘘のような気がした。
2004年03月30日
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今日は朝から、銀行に出掛けた。この市では、駅前にしか無い銀行で、非常に不便なのだが、指定銀行なので、仕方ない。通帳の名義の変更で、書類を持って行った。しかし、おバカな私は母の印鑑を押してくるのを忘れてしまい、折角、長い順番待ちをして窓口にたどり着いたのに、アウト!!仕方なくもう一度、帰宅し、母に印鑑を借りに行き、押捺して再び、駅前まで行った。すると、今度は、以前に出した書類に不備があり、結局、もう一度、違う書類を出さなくては成らなくなり、帰宅。新しい書類に記入し、また、母の印を貰いに行ったら、「もう、何度もトンボ返りしてないで印鑑持って行きなさい」と言われ、またまた、駅前まで逆戻り。印鑑貸してくれるなら、最初から貸してくれりゃ、良いのにとブツブツ文句を言いながら車を走らせていたら、パパからTEL.丁度、今、近くにいるからお昼を一緒に食べようとの事。え?もう、そんな時間と時計を見ると、もう、11時半過ぎ。OH~NO~。午前中、銀行の三往復で、時間が潰れてしまった。近くの大型コーヒーチェーン店で待ち合わせ、一緒にお昼を摂った。病院のすぐ前だったので、そのままお店の駐車場に車を置いて、二人で歩いて病院に行った。父は丁度、昼食を終わり、ゆっくりした所だった。今日はI 医師がいらして仰ったそうだ。先生が思っていた父の状態よりやはり良い状態なのだそう。先生は、先週末から、好中球の数値がぐっと落ち、免疫力が全くなくなり、感染し易い状態が暫く続いて、好中球が上がってくるまでが大変と考えてらっしゃったそうだ。私達が受けた以前の説明もそうだった。血中の好中球の数値が落ちてから、危ない状態が続く。この時期に感染すれば、命の保障が出来ない・・・と言うお話だった。しかし、好中球は一旦確かに下がったが、この2~3日で、どんどん数値が上がってきているのだ。先生が想像してらした「長い低免疫力の時期」が無かったのだ。だから、先生も戸惑っておられ、父の前でも「これから、どのようにしていこうかと迷っています」と、正直に仰ったそうだ。今まで、このような症例が無いのだろう。もし、それが本当なら、父の症例で、これから、この病に苦しむ方達にも、希望が持てるかもしれないと思った。アガリクス、効いてるなあと確信した。血中の芽球の数値はどんどん下がり、好中球の数値は上がっているのに、骨髄の中の数値は悪い。しかし、これで、良いじゃないかと思った。だって、父は、免疫力を上げて、毎日、元気に過ぎて行っている。アガリクスを飲んでいる癌患者も、同じように、癌細胞を体に持ちつつ、余命いくばくも無いと言われつつ、元気に生き続けている。事実、叔父がそうなのだ。だから、父も、骨髄の中の数値が悪くても、元気に生き続ければ良いのだ。明日、最後の抗がん剤を打ってから、暫く、輸血だけで、他の治療はしないで様子を見るそうだ。本当に、今日も父は顔色も良く、元気。病院を出て、パパとお店の駐車場に戻り、私は銀行に、パパは会社に戻った。3時少し前、滑り込みで最後の書類を提出。今日は、一日、銀行の往復で済んでしまった日だった。夜、ロンドンから最後の電話。今、バースに観光に来ているとの事。明日、ロンドンの観光と買い物を最後に帰宅する。毎日のように電話があり、その電話もまるで隣の家から掛けている様に近く、時差も感じられなかったので、地球の反対側にいる感覚がなかった。イラク開戦から丁度一年目の日から出掛けた。当然、テロを心配した。学校側も、テロを心配し、観光客が多く集まる大英博物館などは、避けた。空港でも、なるべく一塊にならないよう、立ち止まらないよう注意されたと言う。こんな時期にと、批判を受けるのを承知で出した。学校側も、ふそくの事態を想定し、何段階かの緊急連絡の方法を用意。昨年中止になったので、今年を逃すと、もう、学校から行けるチャンスがなくなる娘には、一か八かの参加だった。学校側も、先生が前もって北周りでフランクフルト経由で試しに行って見て、全くのフリーパスで空港に入れる事に懸念を抱き、急遽、関空からの直行便に変更してくれた。あと一日、何事も無く、無事帰って来る事を願わずにいられない。
2004年03月29日
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今日は日曜日。久しぶりにパパがお休み。お昼まで、こちらもゆっくりしたが、お昼ご飯を食べると、娘は友人に会いに行き、パパも用事で出掛けて、いつものように、昼間は私一人。とっても良いお天気。そうだ!!おばあちゃんの部屋を片付けよう・・・・と思いたった。父の家のマッサージ椅子を貰う約束だったが、未だに取りに行っていない。早く、運ばなくてはと思っているが、置く場所は、ここを片付けて置くしかなかった。2年足らずの間に、とりあえず入らない物を放り込んでいたため、もう、足の踏み場も無い状態。おまけにジュンを暫く中に入れていたので、厚いビニールシートが敷いてある。まず、洗浄剤を撒き、キッチンペーパーで片っ端からシートを拭いた。ジュンは雄なので、少し高さのある物におしっこを引っ掛けた。気付いた時は拭いていたが、プラスチックの洋服の押入れタンスをどけると、そこかしこに古いしみが出来ていた。そこも、皆、綺麗に拭いた。2メーター四方のビニールシートをやっと綺麗に拭いて、巻いて部屋の隅に立てた。それから、沢山の洗濯し終わった、夏服や、靴下の入った袋を部屋から出した。こんなに沢山あったなんて・・・・。我ながら、本当に何も出来なかった日々の遺物がこんなに有ったのかと今さらながら驚き。一つ一つの袋から洗濯し直す物、処分する物に分けた。そうこうしていたら、もう、夕方。掃除はとても一日では無理な状態。今日は、これで良しとして・・・。今日は結婚記念日に行けなかった食事に行く予定だった。久しぶりの念入りなドレスアップ。父が入院して病気が解ってから、とてもそんな気になれなかった。いつも、父の死に怯える気持ちが何処かにあって、コーラスで歌う気持ちにもなれず、ずっとお休みしている。それが、ここの所の父の調子に、ほんの少し希望の光が見えて、心から美味しい食事を父のいない所で楽しむゆとりが出来た。ほどなくして娘とパパが帰宅して、出掛けた。やはり、素敵なお店だった。時間を置いて出てくるお料理は素材もフォアグラなど、高級食材。味も、本当に皆どれも美味しく、一つ一つのお料理に舌鼓を打った。ギャルソンの方のお話も、とても興味あるお話で、沢山のチーズの中からチョイスして、スライスして頂いたものをフランスパンに乗せていただく頃はもう、お腹も心地よい満腹感。そして、最後に本当に嬉しいイベントのプレゼントがあった。美しいガラスの大きなプレートに、イチゴのピンクのムース、チョコレートとバニラのアイスクリーム、ハーブが、綺麗に粉砂糖やシロップなどで飾られ可愛く盛られたデザートの手前にチョコレートで書かれた文字が並んでいた。フランス語で「21回目の結婚記念日おめでとうございます」。「わあ、嬉しい」と私が思わず言うと、ギャルソンが「おめでとうございます」とにこやかに仰った。心憎い演出。記念に携帯電話のカメラに収めた。本当に、こんなに家族でゆったりとした気持ちでお食事ができたのは何ヶ月ぶりだろう・・・。それもこれも、I 先生や、友人、お知り合いの方達の暖かい気持ちのお蔭だなあとそして誰より、パパや、娘達の支えが有ってこそだなあと感謝。気持ちにゆとりが持てるのは、自分の気持ちだけでなく、人の優しい気持ちを貰ってこそなのだなあと改めて感じた。皆さん、本当にありがとうございますm(__)m
2004年03月28日
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気が付けば、今日は、もう、27日。父の病状の悪化と、命の限りを宣告されてから、幾日経ったろう。せめて、金婚式まで生かしてやりたい・・・・と思った辛い日。何時の間にか、心から願ったその日まで何事も無く、父は生きている。娘をロンドンに出す時も、覚悟して出した。もしもの事があったら、どう対処しよう・・・。内心、思った。しかし、もう4日もすれば、娘の語学研修が終わり、元気に帰って父に笑顔でただいまを言える。今の父を見ていると、何事も無く、その日も過ぎて行きそうだ。数値的なもの、医学の専門的な事などは解らないが、確かに父は今日も、元気に食事し、笑い、よく話す。入院する前は少し体を動かしただけで、はあはあと苦しそうな息をしていたのに、今は、入浴しても酸素吸入も無く、過ごせる。本当によく、頑張ってくれていると思う。そして、私の元気の元は、友人達の暖かい気持ち。本当に、感謝してもし足りないくらいの支えになってくれている。一人で抱える強さの無い自分に情けなくなるが、話を聞いてくれる友人達に励まされて、どれほど心が和らぐ事か。ありがたい。本当に、感謝。今日は母が久しぶりに髪の毛を染めに、午後から自宅近くの美容院に行くと言うので、迎えに行くついでに、お昼を用意して出掛けた。昨日のぶり大根も持って行った。父は、いつものようにベッドに座ってTVを見ていた。一緒にお昼ご飯を済ませ、母を連れて帰宅した。今朝からとても良いお天気だったので、午前中に4回お洗濯をして、久しぶりにお日様に干した。午後帰宅後、少しお昼寝して、夕方、母のいない病室に行った。行く途中、娘の成人式の写真がやっと出来たとの事で、写真館に取りに寄った。すぐ帰るつもりだったが、写真館のご子息と下の娘が同級生なので、少しおしゃべり。写真を持って病室に入ると、父が嬉しそうに「写真出来たか!」と待ち構えていた。父が、綺麗な台紙に入った娘の写真を嬉しそうに見ていたら、娘が入って来た。父の夕食後、亡くなったいかりや長介の追悼番組でドリスターズのコントをやっていて、三人で笑いながら見た。8時近くまでいて、帰宅。今日は土曜日なので何の検査もなかった。父は今日も元気。帰宅後オックスフォードにいる娘から電話。今日はホストファミリーと過ごす予定だったが、「私は貴方たちに食事とベッドを提供するだけで、ベビーシッターではない。貴方たちには何の責任もないが、そう言う彼(先生)はクレージー」と言われ、その代わり、バスの乗り方を教えてもらい、友人と二人で今、いろいろな所に行こうとしているとの事。やはり、ホームステイに対する考え方が、海外と日本人との間に感覚の違いが有り、仕方の無い事と解っているが、可哀想になった。お姉ちゃんの時もケンブリッジで鍵っ子をして来たので、今回は子供のいる家を希望したが、一人暮らしの病院に病人を抱える未亡人に当たってしまい、それは、本当に運、不運で仕方の無い事らしい。中には、パーティを開いてもらった子もいて、ホストファミリーの家を去る時、泣き出した子もいたと上の娘が以前言っていた。まあ、これも経験だと、「このチャンスに自分達だけで色んなところに行って見てご覧」と言った。オックスフォード自体は、一日あれば十分回れる街らしいので、安心。あと4日、明日からは、ロンドンでケンブリッジに行っていた子達と合流し、ホテル泊まり。バースに観光に行ったりする予定。思いっきり、エンジョイしてきて欲しいと思う。A、おじいちゃん、元気だから安心してね。
2004年03月27日
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今日は、父と母が結婚して50年目の日。一体、日本中のご夫婦の中で、50年を迎えられるご夫婦は、どのくらいの割合なのだろう・・・。少なくとも、私とパパは、多分、迎える事は出来ないと思う。何か、病院でお祝いできないかなあと考えたが、やはり、食べる事くらいだなあと、お昼前に近くの美味しい中華料理屋さんに電話をして、食べたいと言っていたフヨウハイ(漢字変換できませ~ん)を病室に持ってきてもらう手配をした。父は昔から、卵料理が好き。母は、お花が好きだから、可愛いお花でも持って行こうと思ったが、病室に置く場所がないので今回は取りやめ。病室に着くと同時に出前のお姉さんと病室の前で会った。「面会謝絶」の札を見て、中に入るのを躊躇されていたので、その場所でお金を払い、両手で持って中に入った。父は、丁度昼食を摂り終わろうとしていたが、美味しそうな香りのする大好きなかに玉を見ると、「おお、旨そうだなあ」と一旦置いたお箸をまた手にし、食べ始めた。「うん、旨い!」母は、一緒に注文したラーメンを私と半分づつ食べた。私にも、母にも、その量で充分だった。「折角の金婚式だけど、これが、私からのお祝い」と言うと、「うん、これで充分だ」と嬉しそうに父は言った。食欲も十分。今日も元気。良かった。午後、お風呂の日だったらしく、看護師のEさんが、血清の輸血の前にどうぞ、と言いに来て下さった。父が、お風呂に行ってから母が話し出した。「昨日の骨髄の数値がまだなのよ、あまり良くないみたい」「そう」「今朝I先生がいらして、仰るには、前の数値とあまり変わりないらしいのよ」「前って、芽球で骨髄の中は一杯って数値?」「そう、お父さんの芽球がすごく元気なんだって」「折角、血液の数値が良いのにねぇ」「まあ、お父さん自身があんなに元気だし、熱さえ出なければ、大丈夫って先生は仰るんだけどね」「うん、そうだよ、アガリクスで免疫力が上がってるし、血液中の芽球の数値はどんどん下がってるんだから、大丈夫、大丈夫」私は母に気休めを言った訳でなく、本当にそう思っていた。父がさっぱりした顔をして戻ってきた。すぐ血清の輸血が始まった。今回はBプラスでなく、ちゃんとBマイナス。・・・と、見ると、ポタンポタンと布団の上に漏れている。慌てて、看護士さんを呼んだ。このBマイナスの血清は、一人分の血液から出来ないそうだ。最低、三人の方からの献血が無いと、これだけの量は確保出来ないと、以前伺った。そんな貴重なものなのに、一滴たりとも無駄にしては罰が当たる。父は、「本当にありがたい事だよなあ。こんな俺の為に、誰かが、献血してくれてるんだもんなあ」としみじみつぶやいた。本当にねぇと母も頷いた。私もどこかで自分の血を献血してくださった方に、本当にお礼を言いたかった。私も以前、献血しようと献血車に行ったが、断られてしまった経験がある。血が薄いそうだ。その上、自然治癒した結核の後が3つもあると、内科のレントゲンで解ったと言われた。結核経験者の献血は出来ないそう・・・。ダブルパンチ。誰かのお役に立つ事は、なかなか難しい。暫く点滴をしていたら、看護士さんが、今日の血液検査の結果を持って来て下さった。何と、芽球の数値5、ここに入院した時は47だった。こんなに白血病細胞が減っている!!嬉しかった。「なにぃ?5かい?」とベッドに横になったまま、父も嬉しそうに歓声を上げた。本当に嬉しかった。これで血液の中の芽球が0になったら、今度は骨髄の中の芽球をやっつけてやりたい。金婚式だから今晩も泊まるわ、と母が言うので、夕方一人で帰宅した。何だか、嬉しくて、溜まったおなべを少し片付けられた。今日は、パパがお出かけ。駅前の会のあるホテルまで送って、帰宅後、ぶり大根を作った。娘と二人、ぶり大根とサラダで夕食。手の込んだお料理は久しぶりに出来た。「おお、久しぶりじゃない」と娘も、「美味しい」を連発して食べた。父の調子が良いと、こんなに、気持ちが軽くなる。お父さん、ゆっくりで良いから、長い時間が掛かるかもしれないけれど、どうかこのまま、元気でいてください。
2004年03月26日
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今日は、ホームにいる姑の誕生日。そうなのだ、私達の結婚記念日と、おばあちゃんのバースディと、両親の結婚記念日がくっついているのだ。お昼前、パパから、「今日、お袋の誕生日だから、昼、どこかに連れて行ってやりたいんだけど」とTEL.お昼まで、久しぶりにちゃんとお洗濯をし、玄関のお届け物を片付けた。着替えて待っていたら12時少し過ぎ、パパの車の音。鍵を掛け家を出た。ホームに迎えに行くと、おばあちゃんは、おぼつかない足取りで、出てきた。まだ、72歳だと言うのに、本当に年を取ったおばあさんのようだ。車に乗って、近くのお店に。糖尿病によっての脳梗塞で、視野の狭い障害と、耳が不自由。他にも心房細動、不整脈、痴呆ときてる。最近はその痴呆が進んで、昨日言った事が思い出せない、言われた事を忘れる。まだ、正常な部分が多いので、プライドが傷つけられたり、思い通りに行かないと、非常に攻撃的な態度や、暴言を吐く。今は、ホームのケアの方にお願いしてあるので、被害者は、その方達だが、一年半前は私に矛先が向けられ、痴呆と認めたくないパパとの間で確執があり、鬱が酷くなった。不器用な私にも責任の一端はあったが、兎に角、顔を見るのも嫌なくらいおばあちゃんが嫌になった。しかし、こうして離れて暮らすうち、おばあちゃんに、余裕を持って接する事が出来るようになった。だから、今日も、一緒に食事が自然に出来た。お誕生日おめでとうとも、言えた。これで良かったのだと私は思っている。しかし、パパの中では、あんな所に自分の親を入れなきゃ成らないなんて・・と言う思いが当然有り、結構、傷ついている。申し訳ないと思いつつ、自分の家族が潰されてまで、家で看る心の大きさは私には無かった。やっと良くなりかけていた鬱も、恐怖症状まで出て、お風呂に入れなくなった。糖尿が酷くなり、脳梗塞で倒れたが、幸い大事に至らず、一人暮らしが良くないと言われ、我が家に引き取った。しかし、周りがあんなに「食べ物には気をつけるように」と言ったのに、言う事も聞かず、喧嘩ばかりで、とうとう、また、一人暮らしを始め、再び脳梗塞で倒れ、痴呆になった。完全に我が家に引き取ってからは、もう、パパの怒鳴り声の響く毎日で、とうとう私が精神科のドクターストップにあった。そんな修羅場が今は嘘のようだ。食事をしてから、おばあちゃんを送って帰宅。私は、それから、ジュリアンのいる場所を掃除した。大きな厚いビニールシートを敷いて、新聞紙を敷き、おトイレをセット。大きいから一仕事。それから、また、最近買った通販のお洋服をチェック。半分返品。元通りにきちんとビニールに入れ、伝票をチェック、通販会社にTEL.段ボール箱に入れ、伝票を入れ、終了。結構、大変。夕方、父の病院へ。父のベッドの横には、何時ぞやの古い空気清浄機が置かれてあった。家から、99.9%のウィルス、花粉を除去すると言う、最新式の空気清浄機を持ってきてあるので、必要ないと思うのだが、病院がする事だから、これで良いのだろう。「どう?」と聞くと、今日の骨髄の検査の結果がまだ、出ていないらしいが、あまり、数値は変わりないみたいと、母。「そうか、それで、この空気清浄機ね」「うん、血液の数値は良いんだけどな、明日、また、血清の輸血らしいよ」と父。「さっき、うちに電話しなかった?」二階で洋服を片付けている時、電話が鳴ったが、出ようとしたら、切れた。「あ、したした」母は少し嬉しそうに「明日は金婚式の日だから、今晩、泊まろうと思ってね」「そうですか~、それはそれは、仲の宜しい事で」母は嬉しそうだが、父は、迷惑そうにしている。しかし、実は、内心嬉しいに決まっているはず。「帰れって言ってるのになあ。この人がいると、うるさいからなあ」まんざらでもないのだ。そこへ、娘がやってきた。今日は学校に行って成績表を貰って来たとか。ちょうど、チビのロンドンの画像が学校のHPにあったので、プリントアウトして来た。写真を父に見せたら、とても喜んでいた。母が今日はそう言う訳だから、もう、帰って良いわよ・・と言うので、娘と病室を後にした。帰宅後して、夕食を摂り、やっと、土筆の袴を取って料理した。5年ぶりの土筆のほろっと苦い味に、泣きたいくらい嬉しかった。私の鬱、本当に少しづつだけど、良くなっているのかも知れない。とても、嬉しかった。来年は、ちゃんと取ってきた日に料理したいなあ。
2004年03月25日
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今日は21回目の結婚記念日。しかし平日なので、イベントは何もなし。日曜日に食事に行こうとパパが朝、言った。駄目もとで、前から行きたかった超高級レストランの名前を出したら、「良いよ、予約しとけよ」「あのさ~、Gパンとか、サンダルとか、駄目なとこだよ」と言うと「スーツ着てきゃ良いんだろ?」「うん、そうだけど・・・・。ほんとに良いの」「俺の気が変わらないうちにしとけよ」「はいっ」こんなチャンス多分、二度とない。本当に気の変わらぬうちに予約しとこうっと!いつも前を通る時、真っ白い塀の向こうの素敵な庭園が気になっていた。一杯の花と木に囲まれた素敵な門と、素敵な建物、結婚式も出来るし、覗くと、ギャルソンがいつも立っている、憧れのフランス料理屋さん。いつか、ちゃんと正装して行って見たかった、憧れのお店。本当に気が変わらないうちにしとかなくちゃ。でも、本当は今日だから、せめて、輸入牛肉で良いからステーキにしよう・・。昨日、病院に行っている間にロンドンから留守電が入っていた。2日に一回で良いから電話しろと言ってあったから、「もう、明後日までしません」と言っていた。おととい、掛けてきた時は、9時間の時差でこちらが夜だったのに、昨日は学校に着いてから掛けてきたらしく、夕方、病院に行っている留守中に掛かった。可哀想なことをしたと反省。今日は、こちらから、ステイ先に掛けようと思った。チビが、朝、出かける前に掛けるには、こちらは、夕方5時くらいかな?知らせたい事もあったし、そのため、病院は午後から行って、夕方に帰ってきた。父は、娘に数値の書き込める表をパソコンで作るよう昨日頼んでいたが、出来上がった表を見て、嬉しそうにしていた。丁度、Bマイナスの血液が用意され、輸血中だった。今日の数値は、芽球が7まで下がっていたが、その代わり好中球が2にまで下がってしまっていた。I 先生がいらして明日、もう一度、抗がん剤を注射すると仰った。「何か気になる事はありませんか」と先生「少し、足が浮腫んでいます」と言うと、先生は父の足を見た。「そうですね、少し浮腫んでいるようですね」。「どうして浮腫むのでしょうか?」と伺うと、「Fさんの体の中で悪い物と戦っているのが、たんぱく質なのですが、そのたんぱく質が足りないと、こういう症状が出ます」先生が言い終わるか終わらないうちに、母と私と娘が異口同音に「だから、好き嫌いしちゃ駄目なんだよ!」「だから、ちゃんと牛乳を飲まなくちゃいけないのに」「だから、もっと食べなくちゃいけないんだよおじいちゃん」と一斉に言った。先生が慌てて「私、F さんに大変な事言ってしまいました。すみません」と笑いながら父に頭を下げられた。父は「ねぇ、いつもこう、叱られてばかりなんですよ。恐いでしょう」と困ったように笑った。それもこれも、父の状態が良いからの、状況だ。I 先生、本当にいつも、暖かいお心、ありがとうございますm(__)mI 先生に出会えた幸せを心から感謝します。夕方、ロンドンに電話。すぐ、娘が出た。伝えたい事を言って電話を切ろうとしたら「おじいちゃん、大丈夫」心配していたのだ。「うん、大丈夫だよ。すごく元気だよ」と言うと、「良かった~」異国の空の下、自分のことだけで精一杯のはずなのに、やはり、心配していてくれたのだ。ありがとうA.。「思いっきり、楽しんでおいで」「うん」スクールバスが来る時間になったので電話を切った。親が思う程、甘えん坊ではないらしい。やはり、可愛い子には旅をさせろだなとつくづく思った。明日も良い日だと良いな。
2004年03月24日
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今日は、私のカウンセリングと診察の日。だから、病院は夕方までおさぼり。父の数値が落ち着いているから、安心。カウンセリングが終わって、お昼の買い物をして、帰宅。家に入る前、裏の斜面に降りてみた。久々に角から角まで見て歩いた。もう、ふきは15センチくらいに伸びてしっかり、蕗のトウが立っていた。あれ?こんな所にも・・・と知らない場所にまで、ふきのとうを探していた頃に、気付かなかった場所にも生えていた。下に降りて行くと、杉子がたっくさん、生えていた。「あ、土筆もあるかも」と思い、探すと、あった、あった。誰も来ないから、太くて長い物が5本。根元に近い所から収穫。元気な頃は、毎年、子供達と大きな河川敷まで取りに行って、袴を取り、おしょうゆとお砂糖で佃煮にして食べたものだ。ほろ苦い春の味がした。鬱が酷くなり行けなくなって、もう、5年になるなあ。そうだ、今日、娘と取りに行こう・・。急に思い立った。娘に言うと「うん、行こう」午後の診察は早く終わり、もう、4時近かったが、娘と河川敷に着いた。車を土手に止め、土筆取り開始。気持ち良かった。少し、まだ、寒かったが、すぐ頭の上には、大きく膨らんだ桜のつぼみが揺れていた。ここは、桜の名所。何千本と大きな桜が並んでいた。しかし、土筆はなかなか見つからなかった。ここは、我が家より、南に位置するし、家のある団地は、結構、山の方面に向かって入っているから、どちらかと言うと、海から程近いここは、もう、土筆の季節が終わっているのかもしれない・・・・。しまったなあと言いながら、でも諦めきれず、300メートルくらい歩いて行った。すると、可愛い土筆の頭が少し下に見えた。「有ったー!」見ると、そこら辺は手付かずだったらしく、そこかしこに取り残された土筆があった。昨日の雨で、きっとあると思ったとおりだった。娘も見つけたらしく、歓声が上がった。小一時間、私と娘は、子供に返って土筆取りに興じた。早咲きの、桜の花を愛で、膨らんだ桜のつぼみを愛しく思い、本当に気持ちの良い時間を過ごした。人間、こうして自然に触れる時が一番、癒されるのじゃないだろうか。気が付くと、うっすら、汗がにじんでいた。娘と、取った土筆の量を比べながら、車に戻り、病院に向かった。「楽しかったねぇ」「でも、犬の糞が多過ぎだよね」「マナーの悪い飼い主が多過ぎだよね」など、少しはしゃいだりして、本当に楽しい時間が過ごせた。病院に入ると、娘と手を除菌剤の入ったウォッシュソープで洗い、病室の外でスカートに付いた花粉を落として、病室のドアの横にある消毒液で手を消毒して病室に入った。父は、頬を赤くした娘の顔を見て「何処行っていたんだ」と聞いた。「土筆取りして来たよ」と言うと、嬉しそうに「そうか~、面白かったか?子供だなあ」と笑った。父の血液の数値は、驚くべき数値だった。芽球14、血小板1.8 好中球8 白血球6800本当に良くなっている!!「この調子、この調子、良かったねぇお父さん、数値が良くて」「うん、このまま数値が良ければ、今週末も、外出して良いってさ」「良かった・・・。」神様、ありがとう。暫くするとI医師がいらした。「いかがですか?」「はい、調子良いみたいです」と言うと、I医師も「そうですね、木曜にまた、骨髄の検査をして見ましょう」と仰って、病室を出て行かれた。夕方、娘と母を乗せ、帰宅。今日は、少し疲れたなあ・・・あ、そうか、土筆取りにいったんだった。帰ってきたパパに土筆を見せたら、笑われてしまった。良かった。今日は、機嫌が良い。父も取りあえず元気。今日は、良い日でした。
2004年03月23日
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お昼近く、昨日買っておいた牛肉を少し甘辛く、スキヤキの濃いバージョン、佃煮風にして病院に持って行った。丁度、昼食時で、弟は席をはずしていた。「お父さん、これ、作ってきたよ」父は少し間を置いて「何だ」と言った。少し機嫌が悪い。おかしい。そこに弟が入って来た。「あ、姉貴、来てたのか。昨日、親父がまた、大変だったんだぞ」すごく、大げさに物を言う奴なのだ。「何故、Iは今日、来ない」と父が言ったそうだ「姉貴だって、生活があるんだからって言ったらな、『昨日の事できっと、怒ってるんだ』って言ってなあ」「何を言ってるの、何故、私が怒んなきゃなんない訳?」と父に言うと、「お前は大袈裟なんだ、別にそんな意味で言ったんじゃない」と弟に仏頂面。「もう、良いよ、最初から何も気にしてないから」と言うと「当たり前だ」と父。本当にシャイなのだ。それから、母と弟と昼食に出た。そのまま弟は帰って行った。今日中に仕事相手と会う約束が有るという。やれやれ全く疲れる奴だが、弟に代わりない・・・。病室に母と帰ると、ひとしきり、弟の話になった。本当に父は可哀想だと思った。この年の父親にこんな思いをさせて、無償に腹が立ったが、もう、40過ぎた男に何を言ってもだめだろう。自分で自分の道を生きるしかないのだから。「良いじゃないの、私も、Aもいるじゃない」と言うと、「そうだな、後の事は、Sに頼むし、仕方ないと思ってるよ」と、少し、晴れ晴れした顔をした。病気の父親にこんな思いをさせる弟には、本当に情けないと思ったが、今は、関わらないようにしたい。父の看病を心置きなくしたいと思った。お父さん、私に100パーセント頼ってくれて良いよ。私はちゃんとそのつもりだからね。安心して闘病してください。夕方、母と娘を連れてスーパーに行ったら、そこにパパからTEL。早く家に帰ったが、あとどのくらいで帰宅するのかと、聞いてきた。娘が今、来たばかりだというと、機嫌が悪そうに「もう、良い。何か食べて会社に戻る」と言って電話を切った。すぐ、掛けなおしたが、もう、留守電になっていて、出てくれなかった。パパは本当に疲れている。機嫌が悪くなって当然だ。折角帰ってきても、女房は、父親の病院に行ったきり・・・。家の中は、グチャグチャ。パパ、本当にすみません。ごめんね。パパもプライドが有るから、面と向かって文句一つ言わない。本当に忍耐強い人。パパがパパで良かったよ私。
2004年03月22日
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今日は朝から、ずっと起きられなかった。眠かった。病院には、弟が行っているだろうから、私まで行ったら、病室が一杯になってしまうと勝手な思いで、今日はおさぼり。寝た。兎に角、寝た。どうしてこんなに眠いのかと思う程、寝た。夕方、やっと起きられた。お使いに行き、買い物をしていても、頭がボーッとしていた。チビの用意でこんなに疲れていたんだなあと改めて実感。パパは日曜なのに会社に行ったので、夕食は、早くしようと用意した。母が一緒に食事しようと誘ってくれたが、あの弟と一緒だとパパが疲れると思い、丁寧に断った。正解だった。後で母から聞いたが、店に居座って、なかなか、帰れなかったそうだ。良かった、行かなくて(*^^)vパパは、珍しく早く帰ってきて、3人揃って食事が出来た。そのまま、疲れたと寝てしまった。ご苦労様。しかし、この日、私が病院に行かなかったことが後で、また、トラブルの元になってしまったのだ。全く、困ったものだ。
2004年03月21日
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早朝5時。先に目を覚ましたパパに起こされた。まだ、起きる時間じゃ無かったが、もう一度寝たら起きられそうにないので、そのまま、起きた。用意をし、さあ、出発。大きなトランクをパパが車のトランクに積み込み、チビを乗せ、駅前の集合場所へ。もう、ほとんどの子が来ていた。一緒に行動するYちゃんとは、確か、幼稚園から一緒だった。バスに乗り込み、関空へ出発。我が家は、高速に入る道沿いの住宅街なので、バスに追走したが、途中で、追い抜いて車の中から見送った。やれやれ、やっと一息入れられた。帰宅後、もう、我慢出来ず、クッションを枕に横になったら、すぐ、眠りに落ちた。弟が東京から来ているはずだが、父の家に行く元気が無かった。それから、お昼近く、電話で起こされるまでずっと眠った。電話は母からだった。父は昨日に比べ元気が無いと言う。聞けば、今朝、外出前、I 医師が父の病室に来て、「来週末から、数値が悪く成るかも知れません。くれぐれも感染に気をつけてください」と言われたそう。母に、死を前に、帰宅させてあげようと言う配慮からの外出許可じゃないかと言っていると言う。こちらも心配だったので、本当に数値が良いからの外出なのか、父が疑心暗鬼になっているような理由なのか、確かめたくて病院に電話した。しかし、この事が後で父のプライドを傷つけ、喧嘩になる原因になった。I 医師は、席を外していらっしゃったので、婦長さんに電話の趣旨を伝え、先生に伺っていただいた。「いいえ、本当に数値が良いからの、外出ですよ。ご心配なくと仰ってください」ああ、良かった。父に伝えようと電話した。しかし、酷く叱られた。そんな事で他人に電話するな・・・と。父にはプライドがあったのだ。覚悟は出来ている。そう、虚勢を張っていたのだ。弱音を吐いている自分を家族以外に知られたくなかったのだ。しかし、私は娘として心配だったから電話したまで。意固地になった父は、午後、母と一緒に頂き物のメロンを届けに来てくれた際も、仏頂面で、その時は何故怒っているのか解らなかった。夜、母と弟が食事に出た頃を見計らって病院に娘と向かった。病室に入ると、やはり仏頂面の父がいた。「お前には、もう、何も話さない!」機嫌が悪い。ここは、私より、娘の出番。娘が筋の通った説得をすると、やっと、私にも笑顔で話すようになった。全く、困ったものだ。つまらない事でプライドが傷つき、怒るのだ。自分が死に直面していれば、そんな事、誰だって思うし、確かに婦長さんは他人だけど、父の病気は私より理解なさってるのに・・・・。沢山の患者さんを診てらっしゃった方だから、もっと、甘えて良いのに・・・。素直に甘えられない損な性格だと可哀想になった。それが出来ないのが、年をとった証拠かな?しかし、娘のお陰で一件落着。明日も、外出許可が出たが、血清の輸血が有ると聞き、取りやめたそうだ。もう、いつでも、調子の良い時は外出できる事が解ったからだろう。父は怒ったが、これで良かったと思った。父は、今日も、摂り合えず、元気だった。夜、弟がやってきた。こいつは、話出すと、本当に長いので、我が弟ながら苦手なのだ。パパが帰って来てくれた。パパには一目も二目を置いているので、パパにバトンタッチ。やはり10時に来て、母が途中で心配して電話して来たにも関わらず、明日もパパは仕事と言うのに、結局夜中の1時近くまで居座った。パパは最後はトイレに立って、そのまま二階に上がって寝てしまった。パパ、ずるい!!しかし、どうあろうと、自分の弟だ。いい加減にして、帰りなさいと言ってやっと帰っていった。41歳になって未だ独身。全くこの弟が父の一番の向こう脛、弁慶の泣き所だ。物書きなんて言う人間は、大体こんな風なのが多い。書きたい事があるから物書きに成る訳で、それに負けないくらい、言いたい事もあるらしい。あれ、私もその一端になっちゃうのかな???気をつけようっと。
2004年03月20日
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朝から、やはり、眠い。しかし、状況はそうも言っていられない。昨日、借りてきたトランクは手付かずで、玄関に置いてある。チビを叩き起こし、準備に入った。洋服、洗面用具、お風呂セット、雨具、勉強道具、etc.もう、こっちも気持ちがグチャグチャになりそうなのを、久々にリタリンを服用して整えた。昼、父の外出許可に合わせ、予約してあったT亭に父と母と娘を乗せて向かった。パパは、ホームにおばあちゃんを迎えに行って、先にT亭に着いていた。私はそのまま、一人で下の娘を迎えに学校へ。今日は、終業式。最後の高校1年生の日。制服のまま皆の待つT亭に着いた。ここは、先月亡くなったHさんと待ち合わせて行くはずだった食事会のあったお店。3000円のランチなのに、本当に良い素材で、これでもかと言うほど、美味しいお料理がでてくる。前から父に食べさせたかった。今日のお料理のテーマは「春」だそう。ピンクが基調の美しい器とお料理に父は、本当に嬉しそう。口取りのオードブル、お刺身、蒸し物、生春巻き、カルパッチョ、茶碗蒸し、創作焼き魚、揚げ物、桜の葉の揚げ物には、ピンクの衣が付いて、パリパリして美味しい。嗜好を凝らしたお料理は京都から来た板さんの腕。小さな鍋物から、コンニャクの田楽、練り物のお団子、お寿司茶漬け、デザートのムースと果物が、これでもかと出てきた。皆、本当に美味しいねぇと口々に言いながら、笑顔で頂いた。人間、元気で美味しい物を食べている時ほど、幸せな時間は無いんじゃないかなあ。父は、ほとんど平らげた。びっくりした。食べ盛りの娘と変わりない量を、食べたのだ。嬉しかった。「本当に、元気なんだ」と実感した。ひとまず、父の事は心配無い。楽しいひとときを過ごして、午後、両親を送って帰宅。眠たかったが、それどころではない。さあ、それからが、もう、戦争だった。明日、早朝の集合なので、遅くとも9時には休みたかった。しかし、最後に、パスポートや大切な書類まで揃ったのは、10時近かった。おまけに、風邪を引いた娘が頭痛を訴える。「大丈夫かなあ」「ちゃんとお医者さんのお薬を飛行機の中でも、スチュワーデスさんにお水を貰ってのむんだよ」「うん、そうする」「日付変更線を超えると、時計を直す様言われるけど、その時も、ちゃんと6時間空けて飲まなきゃだめよ」心配だ。下の子は、本当になんだか頼りなく思ってしまう。こうして海外に出す事は、彼女の成長の為にも、私の子離れのきっかけにもなれば・・・と思っての事だが、たかだか10日あまりの語学研修なのに、本気で一緒に付いて行きたくなる。疲れた。すべての用意をし、玄関にトランクと機内持ち込み用のかばんを置いて、「おやすみなさい」目覚ましを5時にセット。無事、出かけられます様に。
2004年03月19日
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10時から午後4じまでの外出が許可された今日は一日。しかし、朝から、緊張の糸が切れた私は、風邪の薬の作用も手伝って、超眠い。完全に、安心してしまったのだ。気が付くと9時過ぎ。昨日、母は、一人で迎えに行くし、帰りはタクシーに乗ってくるから貴方は、Aの用意をしてあげなさいと言ってくれた。お言葉に甘え、朝から、気になっていた仕事を片付けた。眠い。少しウツラウツラした。すると11時近く、ピンポーン。「お母さん、お客さん」と娘が言いにきた。出てみると、友人が心配そうな顔をして立っていた。家業の医院の手伝いをするようになって、電話ではよくおしゃべりするが、なかなか以前のように会えなくなっていた友人だった。「大丈夫~」「わあ、来てくれたの~」「うん、心配になって・・・」すごく嬉しかった。以前は、暇に任せ、本当に何でも話をしていた友人である。父の状態が少し好転した事を伝えると、一緒に喜んでくれた。彼女も最近、お姑さんを亡くしたばかりだった。暫く玄関のドアを開けたままおしゃべりしていたが、今日はすごく寒い日で、二人とも寒くなってしまい、玄関の中に入ってもらい、座ってまた、暫く色々な話をした。こういう時、上がっていただけないのが、本当に、我ながら、情け無かった。娘のロンドン行きの用意でただでもグチャグチャの家の中が輪を掛けて、片付いていない状態だった。本当に久しぶりのおしゃべりだった。ここの所、父の事で学校に出掛ける事がなくなり、友人達とも会えずにいる。私も堰を切ったように、久しぶりに楽しいおしゃべりをした。帰りがけ、彼女は、手作りのローストビーフをくださった。嬉しかった。彼女の心使いが、心からありがたかった。わざわざ心配して来てくださって本当に私、良い友人が沢山いてくれるのだなあ・・。幸せ者だと思った。Mちゃん、ありがとうね。m(__)m父のことが気になったが、娘達とお昼ご飯を食べたあとも、用意に余念がなかった。上の娘が父の所にジュンを連れて行った。私は、買いに行く物をメモしたり、次から次へ、しなければならない事が出てきた。暫くして、娘から怒って電話。「お母さん来ないの?」「うん、すぐ行く」トランクも借りに行かなければならないので下の娘を伴って父の家に向かった。父は入浴して、こざっぱりと髪を撫でつけ、すっきりした顔で、自分の椅子に腰掛けていた。「おお、元気そうじゃない、良かった」と言うと、「まさか、生きて帰れるとは思わなかった。桐の箱に入って帰ってくると思っていたからなあ・・。」と、手で箱の形を描きながら、半分本気で言って、少し、ウルウルしていた。父も本当に嬉しかったのだろう。二階に上がり、海外に行く事が多い母の数点のトランクから、SARS騒ぎでキャンセルになって使わず仕舞いだった、一番大きなおニューのトランクを借りた。暫く父と話し、娘達と帰宅。さあ、大変、何も用意していなかった娘の為、買い物に走った。パジャマ、薬、シャンプー、下着・・・etc.最後はクリーニング屋さんに預けてあった、来ていくコート類を取りに行って、店を出たら、もう、外は暗くなっていた。お父さん、ごめんね、せっかくの外出なのに、なかなか付き合ってあげられなくて・・。明日は、一緒に食事しようね。娘の用意で今日一日振り回されたが、もう、あと1日しかないのだから、仕方あるまい。上の娘の時は少しずつ、早くから用意をしてやれたが、父の入院で、本当に何もしてやっていなかった。可哀想な思いをさせてしまった。せめて、何も、不足のないように用意してやりたい。気ばかりあせるが、明日はもう少し落ち着いて用意しないと、大事な物を忘れて行きそうだ。明後日、Aを見送ったら、お母さん、倒れるね・・。上の娘が言う。倒れても良い。後は、ゆっくり出来る。さあ、もう、一日、がんばるぞ。
2004年03月18日
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いつもなら、お昼前に病院に行くのだが、昨日の疲れから、どうしても出掛ける事が出来なかった。午前中は、昨日と違ったゴミの収集日だったので、上の娘が、私の代わりに病院に父の様子を見に行ってくれたので、下の娘に手伝ってもらい、溜まったゴミを捨てに行った。昼前、病院の母に行けない事を伝える電話をした。新聞も溜まっていて気になっていたので、紐で結び片付けたが、7つにもなった。ほとんど読む暇が無いので、新品のまま、縛った。しかし、どうしてこう、広告や、ダイレクトメール、カタログが多いのかと、呆れ返った。そうこうしている内に、お昼過ぎになったので、下の娘とお昼ごはん。何だか、バラバラのメニュウ。娘は焼きそば、私は、ラーメン。残り物ばかりだった。昼食を摂ってから、溜まっていた用事を片付けた。TV通販で買った物のうち、返品するものが多々あったので、梱包して宅配業者に取りに来てもらったり、ご注文のあったウィグを梱包して発送したり、海外からのメールを片っ端から片付けたり・・・・。一つ一つは、そんな大した用事じゃないのだが、これだけ溜まると、結構な時間が経った。夕方、風邪が酷くなった娘を内科医に連れて行った。ロンドンに行くまで風邪で熱でも出したら大変と、連れて行った。出発日まであと2日しかないと言うのに、まだ、何もしていない。気ばかりあせる。娘を内科医に迎えに行き、一旦帰宅し、そのまま病院に母を迎えに早めに出た。病室に入ると、パパが丁度、来ていた。母が突然、私の目の前に紙片を差し出した。「ウン?何これ」「外出許可証3月18日」「外出許可証3月19日」とある。「どうしたのぉ、これ。出ても良いって?」「これ見ろ」父から血液の数値の詳しく書かれたデータ用紙を渡された。白血球8600、血小板14000、好中球8、芽球34。数値が良くなっていた。信じられなかった。「これなあ、さっき血清を輸血する前の数値なんだよ。だから、きっと、今、血液検査したら、好中球は8万以上になってるだろうし、血小板も2万以上になってるだろうって、さっきI先生が言ってたよ」「良かった~」「やっぱり、お姫ちゃんが効いてるんだよ」父はアガリクスのことをお姫ちゃんと言う。「先生も、びっくりしてたよ。それで、気晴らしに昼間だけ、外出しても良いって仰ってなあ。風呂に入っても良いって言われたぞ」とても得意そうに父が言った。4日前、叔母が来てくれた際、外出して金婚式のお祝いに食事したいと言った時、「何を考えてらっしゃるのですか!、今、病室を出たら、すぐ、敗血症で亡くなりますよ」と、I 医師ではないが、違う血液内科の医師に叱られたばかりだった。だから、こうして外出許可が出た事は、「最後の帰還」の意味ではなく、本当に数値が良くなっての気晴らしの外出なのだ。奇跡が起きたのだ。「先生何て?」「先生としては、アガリクスの効果とは、口が裂けてもいえないだろうけれど、抗がん剤と、輸血で良くなったとは、思ってらっしゃらないはず。だってな、『こんなに数値が良くなると思わなかったです。良かったですねぇ』って、本当にニコニコして嬉しそうに仰ったからな」父は本当に嬉しかったのだろう。とても、口が滑らかだった。実は、朝、母から電話で熱が37.2°になっていると聞き、いよいよかと覚悟した。しかし昼過ぎの電話で、36.8°まで下がったと聞き、胸なで降ろしたばかりだった。まさか、外出許可が下りるなど、夢にも思っていなかった。本当に良かった。このままの調子で、数値が良くなれば、また、退院できるかもしれない。嬉しかった。しかし、その反面、緊張の糸がプチンと切れたような感じもあり、どっと疲れが出た。帰宅途中、無償に眠くなった。車に乗って、運転している時、眠くなった事は、免許を取ってから一度もない。それが、自慢だった。しかし、この時は本当に、信号待ちの時、ちょっと目を瞑ったらそのまま寝てしまいそうに眠かった。帰宅後夕食をとり、すぐ寝たかったが、パパが11時過ぎまで仕事。夕食は必ず帰宅してから摂る人なので、キッチンのテーブルに頬杖をついてうつらうつらした。神様、どうか、このまま順調に良い方に向かっていきますように(=人=)
2004年03月17日
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今日は私のカウンセリングの日。昨日から、そう、母に言ってあったので、ゆっくり起きるつもりだったのに、8時過ぎに目が覚めてしまった。溜まったゴミを捨てるのに丁度良いと思い、起き上がった。お風呂に入りたかった。スイッチを入れ、キッチンに行くと娘がいた。今から、ごみ、捨てに行くから手伝ってねと言うと、うんと、頷いた。ゴミは大きな袋に5つもあった。リフォーム業者が真っ先にチラシを入れていく、ボロ家の我が家と違い、裏口の前に建っているこの街で恐らく一番のお屋敷の前に引越し社の大きなトラックが二台止まっていた。ここのところずっと、リフォームのために業者の車が数台止まっていたがいよいよ引っ越していらしたらしい。車に積み込みゴミを捨てに行き、入浴し、カウンセリングに行った。最近の私は父の事やら、会社の殺人的な忙しさを何とか乗り越えているパパの事や、20日からロンドンに行く娘の準備で気持ちがグチャグチャになっていた。カウンセラーの前で、友人の暖かさに触れて嬉しいと言って泣き、父があんな状態なのに、娘が自分の為にロンドンに行けなくなるのは嫌だから、何があっても行って欲しいと思っていると言っては泣き、本当に混乱していた。カウンセラーが、一緒に涙を流してくださった事にも、気持ちが揺れた。帰宅後、今度は学校の三者懇談に出かけた。成績表をもらい、進路について相談に乗って頂き帰路、お昼ご飯もそこそこに学校に行ったので、3時を過ぎていたが、娘と食事した。娘を家に降ろし、そのまま私は近くの内科医に行った。今朝からまた、くしゃみや、鼻水、せきが出ていたので、診察していただき、薬をもらい帰宅。病院の母から電話。「話があるから、来て」との事。バイトに出る娘と、帰りに買い物に連れて行くため下の娘も連れて病院へ。病院に行くと父がベッドに座っていた。元気そうだったが、少し、表情が沈んでいた。娘達を見て嬉しそうにしている父をおいて、母が私を促し病室から出てきた。食堂に行くと母が話し出した。「昼間、I 先生がいらしてね、好中球が今日、1になったので、明日、抗がん剤を打つと、0になるだろうって。」「それで?」「来週くらいから、熱が出始めるだろうって。そして、頭に出血があれば、脳溢血で亡くなりますって。」「お父さんの前でそう仰ったの?」「うん、本当はこういう話はご本人にはしないのですが、Fさんは、よく解ってらっしゃるし、しっかりなさってらっしゃるので、話させていただきますって。」「でお父さんは何て?」「癌で苦しんで、苦しんで死に行く人もいるのに、脳溢血とは、良かったって」「頭じゃ無かったら、どこに出血するの?」「胃とか、腸とか、肺だって」「そうなるとどうなるの?」」「そうなると、もう、輸血も、血清も何も効果がなくて、多分、意識が無くなり死に至るでしょうって」・・・・・・・・・・。入院してから、今まで、あまりに元気な父だったので、全く実感が無かった。生き抜けるかもしれないと思っていた。こんな話を聞いても、まだ、実感が無かった。冷静に母の話を聞き、病室に戻った。「お父さん、大変な事になりそうだね」と言うと、「おお、でも、まだ、大丈夫だよ。来週くらいからって事だからな」「大丈夫だよ、アガリクスで免疫力が上がってるし、芽球も減ってるから、お父さんさえ、安静にして感染に気をつければ・・」「そうだな、もう、まな板の上の鯉の気分だ」父は落ち着いてそう言って微笑んだ。何か、しっかりと見据えているような表情だった。「Sに話をしたいんだけど、仕事が忙しいから、時間を取らせるのも可哀想だしなあ」先生にこんな話をされてもまだパパを気遣っている。「大丈夫、今日、ちゃんと話しておくから」と言うと、うんうんと頷いていた。バイトに行くからと娘が言い出したので、母と娘達と帰ることにし、「お父さん、大人しく寝てるんだよ」と言うと、「はいはい、今日は、面白いTVが有るからそうするよ」。じゃあねと言い3人で病室を出た。「おじいいちゃんに何があっても、ロンドンに行きなさい」と下の娘に言うと「うん、さっき、お母さんたちが出て行った後、おじいちゃんもそう、言ってた。あみやげ買って来るから頑張ってって言ったら、Aが無事に帰ってくれば、それで良いよって」こんな状態でも、孫を気遣う父に本当に孫が可愛くて仕方無いのだなあと思った。絶対、娘が帰って来るまで無事でいて欲しいと思った。母を送ってから、近くのショッピングセンターに行き、ロンドン行きための買い物をしていたら、パパから電話。近くにいるから、一緒に食事をしようと合流してお店に入った。パパに話をした。パパは、鎮痛な面持ちになった。「先生が本人の前で言ったのか・・・。解った、明日、お父さんのところに行くよ」食事を済ませ、パパは会社に戻っていった。もう少し買い物をしてから、帰宅。夜、貯まった衣類を仕舞って、下に降りて、TVを見ていた。急に悲しくなった。初めて・・・、本当に初めて実感した。父は死ぬかもしれないと思った。心が震えた。どうしよう、父がいなくなる・・・。恐かった。これからどうなるのか、恐かった。自分がどうなるのか、恐かった。今まで、何も心配していなかったのに、きっと、乗り切ると信じていたのに、12月に宣告されてから、初めて、本気でそう感じた。血が逆流するような、胃の辺りがキューっとなるようなそんな感じ。恐い。今まで、強靭な肉体で切り抜けてきたのに・・・。いやいや、ちゃんと一週間生き抜いてきたじゃないか、大丈夫、今度も、大丈夫と自分に言い聞かせた。自分を騙そうと思った。すべてを知った父の前でも、自分を騙し続けようと思った。残り少ない父との時間を大事にしたいと思った。生きている父の姿をしっかり胸に焼き付けておきたいと思った。ただ、無理せず、自分のリズムで・・・と今一度、自分に言い聞かせた。
2004年03月16日
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いつものように、お昼前、上の娘と昼食を買い、病院へ。父は毎日、抗がん剤を打ってもらっているが、体調は良いようだ。外側から見る父はこんなに元気なのに、父の体の中では、大変な状態になっているのだという。本当に信じられなかった。聞けば、昨日、一昨日といらっしゃらなかったI 先生が今朝きてくださり、「芽球が37になっている」と仰ったそうだ。増える心配をしていたが、減ったので、明日から、もう一度、白血球の数値を増やす注射をして、芽球を骨髄から追い出し、抗がん剤で叩く方法がとられるそうだ。午後、娘を連れて、買い物に行った。父の状態が安定しているので、娘と久々に洋服を見て歩き、気に入った物を購入した。その後、娘の紹介で、娘の行きつけの美容院に急遽予約し、娘と別れ、髪の毛を染めに行った。何だか、普段の生活が戻ったような気がした。夕方、染まった髪で、母を迎えに行った。時間が遅かったので、もう、病室に寄らす、乗降口で母と待ち合わせ、拾って帰った。父は元気だそうだ。良かった。パパは、今日は接待。上の娘は小学校の同窓会でいなかった。8時に下の娘を迎えに塾まで行き、二人で、何だか悔しいから、美味しい物でも食べに行っちゃおうかと相談。前からランチを食べに行っていたが、夜は行った事がなかった近くのお店に行き、食事を済ませた。丁度、店を出る頃、上の娘からTEL。駅前まで迎えにまた、戻った。月曜だと言うのに、暴走族が走り回っていた。娘を拾ったら、すぐミニパトカーが来て、暴走していたバイクを追いかけ始めた。私の車の前をすりぬけるバイクにぶつかりそうになった。本当に危ない。今日は、久しぶりになんだか、ゆったりした気分。体は忙しかったが、やはり、髪を染めて、気になっていた事が一つ解消されたかもしれない。女は、こういう事が大事だなあとつくづく思った。
2004年03月15日
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朝9時、父の家に行った。母はタクシーに乗って先に病院に向かった。私は、叔母と従兄弟とお茶を飲みながら、少しの間、TVを見たり、話をしたりしていた。10時過ぎ、叔母と従兄弟と父の家を出て、家に寄り下の娘も一緒に病院に向かった。病室に入ると父は元気そうにベッドに腰掛けていた。「大丈夫なの」と心配してくれる叔母に父は「元気よ、昨日は輸血してる所を見せて、心配させたけれど、元気でしょう」とおどけて見せた。暫く、色々な話をして過ごしたが、お昼前、叔母はそれじゃそろそろ行くわねと、立ち上がった。父にお大事にねと、何度も言ってくれ、父と叔母は二人で頭を下げあった。無理にお引止めしてしまったが、泊まっていただいて本当に良かったと思った。父があんなに嬉しそうにしていたのだから。駅前までお二人を送った。大好きな叔母は、改札口で見送る私に、何度も振り返り手を振ってくれた。本当にありがとうございましたm(__)m病室に戻って、報告をすると、父は嬉しそうだった。娘は母とパソコンに夢中・・・・と言うより、母を指導していた。お昼過ぎ、父が少し寝ると言うので、近くの美容院に行き、シャンプーしてもらった。もう、一月以上染めていない髪は、白髪が5センチほど伸びて、美容院の鏡に映った顔は、5歳は老けて見えた。父の様子に変わりが無いので、一旦娘を連れて病院を出た。途中、娘の靴を買うため、ショップに行ったが、なかなか、25.5の女の子用の靴が無く、結局スニーカーになってしまい、どうしても普通の靴が買ってやりたくなり、駅前のデパートに行った。散々さがしてやっと、トールサイズのコーナーで、一足だけ赤い可愛い靴を見つけた。履いてみると、なかなか履き心地が良いというので、お金を払い、慣れる為にそのまま履いて、鰻が食べたいと言った父のため、下の食品売り場に行った。少し小さい物を両親用に、ついでに我が家の分も買い、病院に届けた。丁度、夕食が用意された所だった。父は買って来た鰻をおいしそうに食べた。「うん、旨い!」「そう、良かった」嬉しかった。こんな脂っこい物がたべられるんだと改めて、安心した。母にと思った分も、半分手をつけるくらい、元気だった。それから暫く病室にいてから、娘と三人で帰宅。今日は、父のお陰で美味しいうな丼。父が明日も元気でありますように。
2004年03月14日
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昼前、お休みの下の娘と一緒に病院に出かけた、東京の叔母が今日、お見舞いに来てくれるとの事で、早く、病院に行きたかった。病院に着くと、父は起き上がって母とTVを見ていた。「お父さん、元気そうだね」「おお、今朝も抗がん剤を打ったけど大丈夫だ」下の娘を見て、嬉しそうに相好を崩した。明日、調子が良かったら、金婚式のお祝いの食事に外出出来たらいいねぇ、と父を励ますつもりで言った私の言葉に、そうだなあと嬉しそうに言った。娘が20日から、ロンドンに語学研修に行ってしまうので、本当に明日しか、一緒にお祝いできる日がないのだ。母と昼食を済ませた頃、頼んであったノートパソコンを、パパが病室に持ってきた。暇つぶしに母がパソコンをしたいと言うので、持ってきてくれたのだ。そうでもしないと、一日中病室で顔をつき合わせている二人が、些細な事で、またぶつかるのだ。早速、新しいパソコンの使い方を娘が母に教え始めた。暫くして、看護婦さんが父にBマイナスの輸血をします・・と、病室に入って来た。それじゃまた来ます、とパパが言い病室を出たので、母がエレベーターホールまで一緒に行ったが、なかなか、戻って来なかった。暫くすると、偶然、上がってらした叔母と従兄弟に会え、パパと話も出来、丁度良かった、と母がお二人と一緒に戻ってきた。93歳の叔母は、背の高い従兄弟と並ぶと、本当に小さく見えた。赤い血を輸血している父を見て驚いてしまったのか、叔母は戸惑ったような顔をして、黙ってしまった。初めてこの姿を見れば、誰でもショックに違いない。しかし、父の口は相変わらず元気。輸血しながら、次々話しをし始めた。心配そうに叔母は、「そんなにしゃべって良いの?」と父と私を交互に見て聞いてくれるが、本当にいつも、こんな調子なのと言うと、やっと安心したように、また、父をじっと見ていた。息子を心配し見るような、慈悲深い母の表情に見えたのは、私だけだろうか。しかし、父は少し、興奮していた。輸血しながら、叔母に今晩泊まって欲しいと言い、明日、丁度良い機会だから、お祝いをしようと言い出した。私も今の父を見ると本当に大丈夫なような気がしてしまい、父の願いは全部聞いてあげたくなり、叔母に今日は泊まってらしてくださいとお願いした。東京に日帰りすると言う93歳の叔母の体も心配だった。何より、兎に角、もう一度、元気な父に会って行って欲しいと思った。本当に父の言うように、外出が出来たら、金婚式のお祝いが出来たら良いなと思ったのも正直な気持ちだった。叔母が病室を出る時、輸血したままの姿の父の顔がゆがんだ。泣いていたのだ。口は元気でも、やはり、心はそうじゃないんだなあと、改めて父が愛しくなった。叔母と従兄弟に父の家に来ていただいた。無理を言って来ていただいたのに、私は病院に戻るため、結局、お二人には、そのまま夜まで待っていただく事に成ってしまった。娘を送って家に戻ったついでに少し用事を済ませ、夕方、病院に戻り、父の夕食が終えたのを見て、母を乗せ、父の家に行った。父は輸血したせいか、とても顔色も良く、元気だった。夜、娘達を自宅に迎えに行き、父の家で、叔母達と一緒に夕食にお寿司を取った。久しぶりの叔母とのひとときは、私にも宝物のようだった。今日は、無理を言って、急遽、泊まっていただくことになったが、今度は、叔母が元気なうちに、ちゃんと綺麗な温泉に皆で行きたいなあ・・・。
2004年03月13日
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午前中、「肉が食べたい」と言う父のため、近くのスーパーにステーキ肉を買いに走った。昨日、夕食に間に合うように行きつけのステーキやさんにお弁当を頼み届けたが、あまり美味しく無かったと言うのだ。確かにお店で食べるお肉とは全く違うお肉で、硬かった。「旨い肉が食いたいなあ」と言う父の希望で、スーパーで霜降りのお肉を買い、出掛ける寸前に焼いた。冷めないようにアルミで包み、保温の為タオルで包んだ。一緒に食べようと、母と私のお弁当も用意し病院に向かった。ちょうど、昼食が運ばれてきた所だった。父は、今朝、抗がん剤を打ってもらったらしい。副作用は、先生の仰った通り、全く無いようだった。父は私が持ってきたお肉をお皿にいれると、「旨そうだなあ」と言い、一口食べた。「うん、旨い!これでなくちゃなあ。昨日のあれは、最悪だったなあ」と、勝手な事を言っている。良かった。喜んでくれて。私も父の横に座り、サンドウィッチを食べ始めた。好物の焼き鳥を食べようとしたら、「おい、それ、旨そうだな、一つくれ」と父が箸を伸ばしてきた。本当に、こんなに元気なのに、父は逝ってしまうのかと、信じられなかった。心配していた抗がん剤の影響も無く、食欲もある。こんな脂っこい物も平気でたべているのに・・・。今朝、学会に行く前I医師が胸のレントゲンを持ってきたそうだ。肺に少し、白いもやっとした陰が有ったそうだ。それで、朝から、抗生物質を点滴したと言う。いよいよか・・・・。今日、血小板を輸血するとの事。良かった、Bプラスの血清が用意されたのだ。血清を輸血すると、決まって、少し具合が悪くなった。だるさを訴え、微熱も出たのが今までだったので、母は今晩、簡易ベッドで泊まることになった。I医師は、今日と明日、学会で不在との事。余計、心配だった。なのに、父は、母が簡易ベッドから、落ちないか、風邪をひかないかと心配で、自分が眠れないから帰れと言う。私も、心配だから、母に泊まって欲しかったので、色々理由を見つけて説得した。午後になっても父は元気だった。抗がん剤の副作用も全くないようだった。「良かった、お父さん、抗がん剤の副作用、ぜんぜん無いね」「うん、なんとも無い。これじゃ、もう少し量を増やしても大丈夫だな」と笑いながら言う。I医師は、胃腸の弱い父の状態をちゃんと解ってくださっているのだ。だから、10分の1の抗がん剤なのだ。「I先生に何かお礼をしたいなあ。でも、住所は教えてくれないし、看護婦に聞いても口を割らないしなあ」公立病院は、こういうところが非常に硬い。当たり前と言えば、当たり前だが、何とか父の気持ちに応えてあげたい。午後、血清の点滴をした。夕方、少し寝ると言うので、母と駅前のデパートに父の下着やら、靴下やら買い物に行った。久しぶりの百貨店。もう、すっかり春物ばかりだった。何気なくエスカレーターを降りてくると、1軒新しいブランドが入っていて、私の好みの洋服が並んでいた。久しぶりに、あ、これ欲しいと思えるデザインばかり。ウェストもゴムが入っている物が多く「KOSINO」ブランドだが着られそうだった。次々、ああ、これ良い・・と言う私を見て、母が一枚、買ってくれた。「良かったねぇ。貴方の好みの着られるお洋服があって」と自分の事のように喜んでいる。父のことが有ってから、こんな明るい表情の母は、久々だ。買い物を済ませ、病室に戻ると、父は、目を覚まし、起きてTVを見ていた。買って来た物を見せ、私の洋服も見せたら、うれしそうに「そうか、そうか、良い店があったか、良かったな」と本当に嬉しそうに言った。こんな状態になっていても、本当に親は、親なのだ。この年になった娘の少しでも喜ぶ顔が見たいのだ。私が薬の副作用で太ってから、本当に着る洋服がないのを知っていた。元気な頃、一緒に大好きな百貨店に遠出をしても、なかなか、Lサイズの可愛い洋服が無く、いつも、買わずに帰ってきた。可哀想だなあと、いつも言ってくれていた。だから、今回、こんな状態になっても、嬉しそうに私好みの着られる洋服が沢山あったと聞いて、こんな風に喜んでくれるのだ。私も嬉しかったが、それ以上に、父がこんなに喜んでくれる事が嬉しかった。父は血清を点滴したのに、元気だった。夕食を済ませた両親を見て、病室を出た。父は本当に元気だったが、昨日に比べ、少し、声がかすれていたのが気になった。肺の炎症のせいだろう。何とか乗り切って欲しかった。くたくたになった。頭痛がしたが、頑張って夕食を作った。食事を取ってしばらくすると娘が大きな袋を持って入って来た。「お母さん、玄関の表にこれあった」見ると、有名な果物屋さんの袋で、中に果物が入っている。中を探すと可愛い封筒。すぐに出してみた。友人からだった。暖かい言葉の並んだ便箋に涙がこぼれた。胸が熱くなった。留守の間にわざわざ来てくれて、置いて行って下さったのだ。ありがとう。私、本当に良い友達がいるんだなあ。つくづく思った。電話したがお留守。明日、お礼を言おう。K ちゃん、心からありがとうm(__)m
2004年03月12日
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10時、先生の説明を伺いに、行った。今回は娘にも、もう、聞かせてやりたかったので連れて行った。カンファレスルームに通された。I 先生の説明は、昨日、母に聞いた事とほとんど一緒だったが、命の限りの時間が違っていた。一週間と言うのだ。ただ、「昨日、お母様にお話させていただいてから、色々検討してみたのですが、一つ、方法を見出しました」先生はカルテをメモ代わりに説明し始めた。「前回、白血球を増やす注射をしましたが、白血球が増えたかわりに、芽球も増えたので、辞めましたが、今回、これをもう一度試みようと思います。骨髄に逃げ込んだ芽球を血液中に引っ張り出して、抗がん剤で叩いてやろうかと思います」「可能性はどうなんでしょう?」「全く解りません。骨髄異型性症候群でも、Fさんのように進行の早いのは、珍しいです」「父はこの先どうなるのでしょうか?」「まず、最初にお話したように、全く今、免疫が無い状態なんです」「無菌室に入ればたすかるのですか?」「いいえ、感染が恐いと言うのは、ご自分の中の『菌』に感染する率が高いんです」「自家中毒のようなものですか?}「簡単に言うとそうです。外からの感染より、ご自分の中の菌に感染するのがこわいんです」「感染すると、どうなるんでしょうか?」「感染する菌にもよりますが、熱が出て、呼吸が出来なくなり、あるいは、体の中から出血します」「・・・・・」「本当に一週間しか、持たないのですか?」「今、血小板が6000しかありません。人間が生きていくのにこの数値は、不可能な数値なんです。人間は歩いても、息をしても、血小板が減ります。そこで、Fさんの血液型Bマイナスのドナーを今捜していますが、大変、厳しい状況です。そこで、許可を頂きたいのですが、血清に関しては、Bプラスの血清を輸血する事が可能なのですが、副作用の湿疹、むくみなどが心配されます。それでも、ご家族が承知頂ければ、それを取り寄せ、至急、輸血します」父の命には代えられない。多少の副作用は仕方ない。「お願いします」「はい、では、すぐ、手配します。ただ、赤血球は、Bマイナスじゃないと、出来ませんので、緊急という事で日赤に今お願いしていますが、ドナーの状態にもよります事、ご承知ください」無いものは無いのだ。仕方がない。この時ほど、自分の血液型が父と同じマイナスでない事を恨んだことは無い。「あと考えられることは、お父様は肺がんをなさってらっしゃるので、ここの炎症が恐いです」「ここに炎症が起きた場合、抗生物質で、何とかしてみますが・・・」「弟に一週間、様子を見て、連絡しようと思っていたのですが・・・」「いえ、それじゃ、遅いです。すぐ、連絡して、戻るよう仰ってください」この先生の言葉でようやく、それほど、父の状態が切羽詰っている状態なのだと実感した。一時間ほど説明を受けた。父が一週間以上、生きられる可能性は、非常に低い。たとえ乗り越えても、抗がん剤で無くなった好中球が、外からの補充で父の中で落ち着くまで2ヶ月かかるとのこと。その間は、全く免疫の無い状態が続く。何とか乗り切って欲しい。父の病室に行った。父には、内緒のインフォードコンセプトだったので、今来たような顔をして入って行った。先生から、病状と治療の説明があると言い、もう一度、皆で先生の所に行った。I 先生は、ぎりぎりの所まで説明してくださった。父は、機嫌よく「先生に預けた命ですから、先生の信じる方法でお願いします」と言い頭を下げ、病室に帰った。私とパパと娘は、食事に行くと言い病室を出た。送ってきた母に、「一週間が山だって」と言うと「そう」と言って黙った。注文した物が喉を通る時、ゴクンと言った。食べられなかった。「大丈夫、おじいちゃんは強いからさ」娘が言った。そう・・・。なるようにしかならない。信じようと思った。病室に帰った。父はやはり、元気だった。よく食べ、よくしゃべり、よく笑った。明日から、大変だ。何時、急変しても良い様、心の準備をしておかなくちゃ。本当に、ここが、私の頑張り所だろう。しっかりしろ!私。
2004年03月11日
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今日は父の診察日。最近、父は元気なので、前のように、毎回付いていく様なことが無かったが、父の行きつけのお洋服やさんが、組合で展示会をホテルですると言うので、診察の後、行こうという事になり、出かけた。血液検査の後、I先生に呼ばれ、診察室に入った。父の体の状態は、少し、おなか周りに内出血があった。気分も良いし、元気ですと言う父に先生が仰った。「今日の白血球が、異常に多いので、詳しい検査結果が出るまで、少しお待ちいただけませんでしょうか」白血球が6400もあった。いままで、1600とか、2400とかだったのだから、これは、異常な数値だ。一旦、表の椅子で待った。再び呼ばれた。「Fさん、芽球が47に成ってしまっています。前回、ほとんどありませんでしたので、これは、とても重大な状況に成っています。すぐに、入院していただけますか」父は、一瞬、間を置いてからこう言った。「私の命は先生にお預けしているつもりです。」「そうですか、解りました。では、今日は、準備もおありでしょうから、午後から病室が空いたら、来ていただけますか?」「はい、解りました。」「それから、今後の治療ですが、抗がん剤を使って行きたいと思っていますが、ご承知いただけますか?ただ、普通の人と同じ量をFさんには使えませんので、10分の1の量を朝晩注射させていただきます」「副作用はだいじょうぶですか?」「はい、そのために10分の1にします。吐き気も、副作用も出ませんが、少し、食欲は減るかもしれません」父は、無言で頷いていた。「そして、平行して、輸血や、血清の輸血をしましょう」「すべて、先生にお任せします」私達は、看護士さんの説明を受けてから、いったん、病院を出た。そして、予定通り、展示会に行った。父が心配だったが、「大丈夫だよ」の言葉通り、車を運転し、駐車場から、軽い足取りで、ホテルまで歩いた。こんなに元気なのに、父の体の中で、がん細胞は、増殖し続けているのだ。展示会はほとんど、年配の女性用の高級品ばかりで、父は私に何でも良いから欲しい物を買うように言ってくれたが、申し訳なかったが、私の着るような物は無かった。しかし、何も買わないわけに行かない義理があったので、薄手のジャケットを買ってもらい、ホテルの中の和食やさんに入った。しかし、開店したばかりらしく、お運びさんの要領も悪く、おまけに、頼んだ松花弁当は、衣の分厚い天ぷらや、桜餅に見立てたもち米の煮物もあまり美味しくなく、父の機嫌は超悪くなった。「折角のシャバの最後の食事がこれじゃあんまりだな」笑いながら言った父の気持ちも解るが、仕方ない。そそくさと店を出て、帰宅する途中、入院が長引きそうなので銀行に寄ったり、看護婦さんたちに差し上げる焼き菓子を買うため、いつものケーキ屋さんに行った。夕方、入院病棟に行くと、婦長さんが、満面の笑みを浮かべて、「Fさんのために、前の個室、掃除して待っていたよ」とおっしゃった。偶然、父が前回退院した後に入った方が、今日、退院したそう。「そうか、そうか、まるで、解っていたみたいだな」と父も笑って答えた。骨髄液を摂るので麻酔し、処置がされた後、父が眠ったので暫くして、私は帰宅した。その夜、母の家からからすぐ来てとの電話。行くと母が鎮痛な面持ちでいた。「どうしたの?」「あのね、貴方が帰ったあと、I先生からお父さんに内緒で呼ばれたの。娘さんはお帰りになっちゃったのですかって言われてね・・・」「で、何て?」「骨髄の中はもう、ほとんど芽球で、二週間が限度ですって」「はあ?二週間で死ぬってこと?」部屋の隅に座り込んだ母は、赤い目をして頷いた。「そう・・・。でね、詳しい話をしたいから、明日娘さんの都合の良い時間をしらせてくださいって」。「お母さん、大丈夫?」「うん、案外大丈夫だよ。」「私、今日、こっちに泊まろうか」「ううん、大丈夫よ、もう、覚悟出来てるし・・・。」本当に、母はすっきりとした顔をしていた。強い人だと思った。いや、実感が無いのかもしれない。「でも、信じられないよね、だって、お父さん、あんなに元気なのに。お父さんの体の中だけが、大変になってるだけなのにね・・・。」私も、納得がいかなかった。「抗がん剤も、アガリスクも武器を二つ手に入れたからって貴方が言ってたの、信じようよ」気休めで言った訳じゃなかった。アガリスクを飲み始めて一月あまり、芽球が急に増えたのは好転作用だと思った。まさか、父の命がそんな、切羽詰っているなんて、思いもしなかった。これじゃ、あの、12月に病院の廊下で言われた通りじゃないか・・・そう思った。パパにすぐ電話した。「そうか、解った」まだ、実感が無かった。本当に父との別れが近くに来ているとは、到底信じられなかった。だって、あんなに元気じゃない・・・。夜、友人から電話があった。弱気になっ禎太のかもしれない。つい、話してしまった。「Iっちゃん、お父様、今まで強靭な精神と体で乗り切ってこられたじゃない。今回だって、そうなるよ」彼女の気持ちが有りがたかった。本当にそんな気がした。26日は父と母の金婚式。50年目の記念は盛大にしてあげようと思っていた。料理の鉄人に勝ったオーナーシェフの店で、美味しいお料理を、親しい人たちと楽しもうと思っていた。しかし、すべてキャンセルした。せめて、26日まで生かしてあげたい。明日、パパとお話を聞きに行く。
2004年03月10日
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嫌なうわさを聞いた。先日亡くなったHさんは自殺だったと言うのだ。信じられなかったが、思い当たるふしは、あった。しかし、私達と食事に行くのをあんなに楽しみにしていたし、子供のことを心配いていた彼女がまさかと思った。それに、私以外の友人が、前日に食事会のことで電話を入れているのだ。信じられない。うわさである事を願った。カウンセリングに行った。彼女のことばかりしゃべった。やはり、私の中で全く納得していなかったのだ。もし、本当なら、あまりに悲しすぎる。やと、一月経って、悲しみが薄れ、やっと、彼女のビーズが整理出来る様になったのに・・・。帰宅後、何だか、疲れ、昼寝した。嫌な夢を見た。体の中を虫が巣食い、肌の穴から押し出すと、無数に出てきた。背中や、体中に虫の穴が開いたような痛みがあった。目覚めた。ぐっしょり汗をかいた。一体、なんと言う夢だったのだろう。折角、体が元気になったというのに・・。花を買いに行った。嫌な気分を払拭したかった。ピンクのチューリップを沢山買った。とっても綺麗!!お玄関に生けた。少し、気持ちが華やいだ。私、大丈夫だろうか・・・。精神的に、参ってるかもしれない・・・。お花は良い。心が本当に休まる。素敵な曲を聴いた。前から「ジュピター」と言う曲が好きだった平原綾香さんの曲。涙が出た。やっぱり少し、心が疲れているのだろう「明日」良い曲。CDを買いに行こう。
2004年03月09日
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不思議と体が軽くなっていた。もう、大丈夫のような感じ。あれ?私、もう、だるくない。嘘みたいだった。しかし、起き上がってみたら、確かに楽だった。良かった、やっと直ったんだ。家族も、皆やっと治ったねぇと嬉しそう。用心のため、風邪薬を飲んだ。「今日、かに食べに行こう」パパが言い出した。前から、好物のかにを食べに行きたいと言っていた。予約をした。午後、父が母と一緒に来てくれた。「お誕生日おめでとう」と言って、お小遣いをくれた。「何か、お洋服でも買いなさい」「うん、ありがとう」この年になっても、親は親だなあ。ありがたいと思った。夜、久しぶりにドレスアップして、かに専門店に行った。私は、焼きがにが一番好き。かにすきなど、もっての外と思っている。折角のかにの旨みを何も、「なべ」にして流してしまう事はないと思っているのだ。しかし、好きな物を頼んで良いと言ったパパは自分は「かにすき」をまず、頼んでいた。私は焼きがに、かに味噌のお寿司、かにのお刺身 かにの甲羅焼き、など頼んだ。食べた・・・。もう、かにの風味が解らなくなるくらい。死ぬほど食べた。もう、かにの香りを嗅ぐのも嫌になったのは、初めての経験。かにだけは、どんなに食べても絶対そうならないと思っていたのに・・・。やはり、少し食べるから、ありがたいし、美味しいし、もっと食べたいと思うものなんだと、今更ながら、改めて思った。おバカな自分が可笑しかった。パパ、本当にありがとうm(__)mかにが好物の娘も、堪能したようだった。「これで、暫く、食べなくて良い」と笑った。日曜日は「砂の器」の日だったが、もう、店を出たら、夜10時を過ぎていた。あ~、見逃しちゃった。でも、かにがたらふく食べられたし、いっか。夜風が気持ち良かった。
2004年03月07日
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今日はもうすぐ大台に乗る前の最後の誕生日。よく生きてたなあ。幸せだったと思う。感謝。感謝。朝から、だるかった。少し眠った。「そんなにだるかったら、食事にもいけないなあ・・。」パパが言う。「うん、良いよ、また良くなったら行こう」しかし、ゆっくりもしていられなかった。娘の痴漢事件で、警察から、状況写真が撮っていなかったので、来てくれと電話があったのは、一昨日。今日の10時に約束だった。起き上がって、娘を制服に着替えさせた。しかし、どうにもだるくて、なかなか用意がはかどらない。仕方ないので電話で30分延ばしていただいた。車を出し、走り出した物の、道は工事渋滞。30分を少し過ぎてしまったが、刑事さんと婦警さんに案内され、講堂の広い場所で、犯人の手の位置と、娘の体の位置の確認の写真を数枚撮った。物の15分程度だった。帰りに娘と近くのお店で早めのランチを摂って帰宅。夕食は簡単で、少し豪華にと、ステーキをした。娘が用意してくれたケーキにロウソクを立て、照れくさい「ハッピーバースディ」の合唱の後、一気に吹き消した。そして、娘達から、素敵なゴブランのバックとカチューシャのプレゼント!!!注文は、髪を止めるカチューシャだけだったのに・・・・。「ありがとう・・」本当に幸せだなあと思った。感謝。すぐ、眠くなったので、早くに休んだ。幸せのまま眠りに尽きたかった。不思議だが、そんな気がした。
2004年03月06日
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だるかった。もう、病院に行かなくて良いと思ったら、起きられなくなった。お昼近くまで寝た。下に降りたら上の娘がいた。今日はバイトも無いらしい。「お母さん、どうにもこうにもだるいから、後頼むわね」と言い、また、ソファに横になった。熱はまた、37.2°。本当にどうなってるのだろう・・・・。外はすごい風が吹いている。ふき、今年は取れなかったなあ・・・。一日、どうしてこんなに眠れるのかと思う程、寝た。午後、父に電話。「風邪がまた、酷くなったから、来たらだめよ」釘を刺した。明日は私のバースデイなのに・・・・。だるい・・・。
2004年03月05日
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母が、10時に検査結果が良かったらそのまま退院だと言うので、だるい体に鞭打ち、早くから起き上がり9時過ぎに家を出た。3月は工事が多く、道が渋滞していて、いつもの倍、時間がかかり病院に到着。3日前から、愛車は車検のため、車屋さんが持って行き、代車は軽なので、アクセルを踏み込んでもなかなか思うように走ってくれない。やはり、軽は嫌いだ。11時過ぎまで待ったが、何も病院から言ってもらえなかった。だんだん体がだるくなってきて、こちらもイライラし始めた頃、回診。「あの~、昨日、今日の血液検査の結果が良ければ退院と伺ったのですが、まだ、でしょうか?」「ええ、結果は午後ですから、お昼を召し上がって頂いてからですね」・・・・。どうなってるの~、10時に解るんじゃなかったの?先生が出ていらしてから「誰が10時に解るって言ったのよ!」と母に問いただすと「そうじゃないかと言っただけ・・・」冗談じゃない、こっちはだるい体に鞭打ち、こうして来たのに・・・。文句も言えず出来るだけ自分を抑えて言った。「それじゃ、一旦帰るわ。退院が決まったら電話して」コートを引っ掛けながら言った。無償に腹が立った。心配を掛けまいと、熱がある事も言わずに来たけれど、母のいい加減さに、腹が立った。病室を出る時、父が背中で言った。「良いよ、退院の時はタクシーに乗るから」もう、何も言いたくなかった。それほど、だるかった。帰宅後、すぐソファに横になった。気が付くと寝ていたらしい。電話のベルで目が覚めた。娘が出ていた「うん、寝てる。解った」電話を切る音がした。「おじいちゃん?」「うん、今、帰ってきたって」「そう」・・・・。また、眠りに落ちていった。「迎えに行かなくて悪かった」と言いたかったが、すべて、もう、どうでも良くなった。兎に角、眠くて、だるくて仕方なかった。熱は相変わらずらしい。何時になったら治るのかなあ・・・・・。
2004年03月04日
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月曜日から、個室に移った。しかし、母から772号室と聞いていなければ、分からなかった。父の病室は個室の上、面会謝絶の札がかけられ、名札に名前も無かった。やれやれ、これを見たら、誰だって、重病人と誤解するなあ。しかし、本人はいたって元気。・・・・と言うより、超我がまま。元気になるにつれ、点滴の管が邪魔になって仕方ないらしい。時々、癇癪を起こし、母と喧嘩になるのだ。今日は、こっちもだるくて、起きられず、夕方だけ、顔を出した。もう、病室をうろうろ動いている父に比べ、こっちの方が余程、しんどいくらい。話をしていたらI先生がいらした。「Fさん、安定剤を処方してもらってると聞きましたが・・・」「ええ、もう、イライラして眠れなく成るそうです」と言うと、酷く驚かれた。「え?Fさんがイライラなさるんですか!!」I先生は、ショートカットで背丈も小ぶりなまるで少女のような方。縁のない眼鏡の奥の瞳は、いつも、穏やかで、優しい光に満ちていらっしゃる人だ。ゆくりとしたお話の仕方からも、育ちの良さがにじみ出ている。本当に驚かれたようで「ええ、この人、営業マンを20年していたものですから、人当たりが良いのは表だけで、家の中では、すごく難しい人なんです」とまるで、ここぞとばかりに言う母の言葉に目を丸くされ、口をポカンと開け、一瞬戸惑った表情を浮かべ仰った。「そうなんですか・・・。今日、また、Fさんの知らない一面を見せていただきました。一日、一日、違うFさんがでてきますねぇ」と、ニコニコなさった。この方は本当に医者と言う職業が天職のような人だと思った。そして、この穏やかな人格の医師に見てもらえる父の幸せを思った。先生がおしゃべりをして、部屋を出て行かれたすぐ後、ふいに父が涙を流した。「どうした?」「いや・・・。」「情けなくなっちゃった?」聞くとうんうんと頷いた。「仕方ないじゃん、年、取ったんだからさ、このまま、低空飛行して、生き延びりゃ良いよ」と言うと、また、大きく頷いた。やはり、精神的に不安定になるのだろう。しかし、こちらも鬱病患者ゆえ、なかなか旨くフォローできない。しかし、明日、血液検査の状態が良ければ退院との事。良かった・・・。熱も、心配するので言わないが、私の方があるくらいだから、大丈夫だろう。夕方、母を乗せ、帰宅。自宅に上がったら、そのままソファに突っ伏した。だるい、めちゃめちゃだるい。熱は37.4°。父はさっき36.7°だったから、やはりこっちの方が重症だった。しかし、今日はお雛祭り。病院に行く前、錦糸玉子と、海老、みつば、穴子の照り焼き ハマグリのお吸い物、菜の花のおひたしを作っておいた。後は、一年に一回、この日のために出す桶にご飯を入れ、出来合いの散らし寿司の元を入れ、作っておいた具を散らした。今年、初め、お買い物番組で購入しておいた赤い、桜の抜き彫りのある30センチ四方のお盆を4つ机に並べ、おひな祭りの時だけ使う、お雛様のはし置きと、お雛様模様の瀬戸物のボールとお皿を出し、それぞれ赤いお盆に載せた。ここの所、なかなか、こういう家のイベントが出来なかったので、娘達にせめて今日だけはと頑張った甲斐があった。食卓を見た彼女たちは歓声を上げ、嬉しそうにお寿司をお皿に盛って、おいしそうに食べてくれた。久しぶりにこういう事が出来た自分が嬉しかった。しかし、後はだるかった。
2004年03月03日
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