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玄関を激しく叩く音で眼が覚めた。誰?郵便やさんや宅配便は、門扉のチャイムを鳴らして出なければ、そのまま帰る。怖くなって、そのままにしていたら、娘が出た。パパだった。パパは、今朝からお付き合いのゴルフ・・のはずだった。「あれ?どうしたの~?」と言う私に、ゴルフウェアを着たままのパパが苦笑。「トランクを閉めるとき、キーを中に落っことした」!!!何と言う、どんくささ。「だって、家の予備の鍵、駐車場にあるじゃない」娘達が、私の留守中に帰宅した時用に、駐車場に隠してあった。「・・そうか、慌ててたから、気が付かなかった」「で、今、JAF待ち。凍え死ぬかと思ったぞ」大笑い。大晦日は毎年、大掃除の邪魔者の男どもが、ゴルフに行く恒例になっている。我が家にとってパパは邪魔者じゃないのだが、お付き合いだから、仕方なく、毎年、大晦日に楽しそうに出て行くパパを恨めしい気持で見ていた。それが、こんなアクシデントで、今年は、いるのだ。ラッキー!!しかし、こんなに何もしない大晦日は初めて。本当に何もしていない。台所のガス台の上は、油まみれ、流しの横には、今年のお正月に使ったままのザルがそのまま置かれている。床も掃除機を掛けること無く、唯一、リビングだけは、みなが座れるようにソファのカバーを洗い、机をおばあちゃんの部屋から用意した。それなのに、気持は、本当に穏やか。こんなに穏やかな気持の大晦日は今までに無い。いつも追い詰められたウサギのように、どうしようどうしよう・・・と思いながら、時間に追われていた。何からして良いのか混乱し、TVも見なかった。これでよかったんだと思った。何故今までこんな風にできなかったんだろう。追い詰められ、無理をして、お正月が過ぎると、寝込んだ。昨日から、今日になるだけじゃないか・・。そう思った。パパは、8時過ぎに御祖母ちゃんをホームに迎えに行った。おばあちゃんは、もう、自分一人では歩けなくなっていた。夜、来ていた母を見て、私の娘だと言った。痴呆、進んでるなあ。唯一、慌てて用意したのは、玄関のお花。毎年、自分で庭の南天や、松、笹で作るのだが、今年は、11時を過ぎて、一人車に飛び乗り、24時間営業のスーパーに作ってあるお花の飾りを買いに行った。高い!初めて買ったが、可愛い竹の入れ物に入り、金銀の水引やら、飾りがしてあって3000円だった。帰宅後、持ち合わせの七福神やら、金屏風やら、迎春の飾りを付けたら、豪華になり、一安心。やはり、お玄関にお花がなくちゃね~。それから、夜半近く、母を迎えに行ってから、真空パックで届いていたお節を母とわいわい言いながら、楽しくお重に詰めたり、伊達巻を焼いたりした。ジャニーズカウントダウンコンサートが始まった。あと今年も15分弱。嵐君、やっぱ、良い。潤君の爽やかな笑顔。会場に行きたかったが、こうしてTVでまじかで見るのもいいなあ。ジャニーズムービングステージの上、嵐君達は、ほかの人たちより、使い慣れてるから、思い思いの格好で、ほかの人より、自由に使いこなしていたのが、見ていて誇らしかった。今年一年、私にとって、本当に良い年だったと思う。50歳になって、長年続けていたコーラスを卒業し、自分のやりたい事を追求したいと思った。嵐君を追いかけ、お芝居もミュージカルも見た。文章もやり始めたばかりで、賞を頂いた。本当に良い年だったのじゃないかなあ。12時、「おめでとうございます」とみなで言いあった。
2005年12月31日
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朝から、おトイレを掃除。パパのタバコのヤニで黒くなったお気に入りのフランス製のカーテンを漂白剤に漬けたのに、なかなか白くならない。恐るべし、ヤニ。このヤニが受動喫煙で私達の胸の中にあると思うと、本当に嫌になる。ここの所、娘達のパパへのタバコに対する批判が厳しい。リビングは、キレイになったソファカバーと、御祖母ちゃんの部屋から運んだ大きな机で、何とか、型が付いた。おばあちゃんが来る。お布団を敷くにも、場所が無い。さあ、大変。朝から、子ども達を総動員して片付け。とりあえず、御祖母ちゃんのいられる場所だけ作った。お布団も、用意した。あとは、御祖母ちゃんのいる場所に敷くカーペットを買いにいかなくればならない。今日は、30日、戦場のようなスーパーに行く気になれなかった。しかし、名案が!あのスーパー、深夜までやってるのだ。深夜といえども、その日だから、30日。お客様感謝デーで、5パーセント引き。ラッキー!!夕食後、皆で出かけた。深夜11時を過ぎていたが、結構お客さんがいた。娘達と、私達のお布団を買って、御祖母ちゃんのカーペットを買って、帰宅。今日は、もう、疲れたので、明日、片付けよう。帰宅後、遅まきながら、年賀状を作った。パパの誕生日にお店のママが撮ってくださった写真から、上手く作った。ついでに、自分でも、白地にポートレイトジュモーの画像を入れて、名刺を作った。たくさんできた。皆で、それぞれに、年賀状を書いて、深夜、本局に出しに行った。いつ届くかなあ。来年は、間に合うように出したいです。
2005年12月30日
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きゃーーもう、29日になっちゃった。とりあえず、一夜飾りは、縁起が良くないと言うので、大型スーパーにお花を買いに走った。長い松と、南天を買った。不思議なことに、この押し迫ったスーパーががら空き。「如何してこんなに空いているんですか?」とレジの女性に尋ねたら「明日、お客様感謝デーで、晦日なので、多分明日は、戦場になります」なるほど。だって、いつもの日曜より、お客さんが少ないんだもん。御蔭でゆっくり買い物もできた。清水寺に行った時の写真もできた。暮れのスーパーはすごい。レジが全開になり、そこに売り場の中まで並ぶのだ。それに比べたら、少々安くなくても、すっすと買い物のできる今日で正解だった。帰宅後、パパに庭の笹と一緒に、門扉に松と南天とくくりつけてもらった。これが我が家の門松。それから、二階の押入れからお正月用のしめ縄のリースを出してきて、お玄関と、裏のドアに飾った。これでよし。夕方には、ショップチャンネルで頼んだお節が大きな段ボールに入って届いた。日本全国から選りすぐった素材で作られた本当に美味しいお節なのだ。黒豆など、口に入れると、解けてしまうように柔らかく、見たことも無い位大きい。さけの昆布巻きも中のさけは鮭じゃなくてキングサーモン。うまきなど、本当にフワフワのうなぎなのだ。私が一番好きなのは、青梅。これも、お口に入れると解けちゃうのだ。このお節にして、今年で3年目。友人に教えてあげたら、好評で、彼女も、次の年から、これにしていて、すぐに売切れてしまうので、仕事中の彼女に代わり私がTVの番をし、売り出した時、彼女にすぐに電話した。「御蔭で今年も無事に買えたよ」と喜んでもらった。有頭海老から、しょうゆ漬けいくら、子持ち昆布、数の子などなど、その素材のよさから、どう考えても5万円以上するそうだが、なんと、2万円しないで、買えちゃうのだ。それも、真空パックで来るから、好きなように、入れられる。全く、このお節は、ショップチャンネルのヒット商品だ。やはり、通販は強いあとは、掃除だけだなあ。がんばろうと。
2005年12月29日
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もう、本当に久しぶりのカウンセリングに行った。廊下で待っていると、先生が笑顔でやってきた。「お久しぶりです」と言うと、「Kさん、お元気そうですね」それから、この3ヶ月にあった事を話した。「お顔を拝見して、随分、変わられたと思いました」「?」「何か、良いように変わられたなあ・・と思いました」と仰って頂いた。そう、この3ヶ月、先生に話しを聴いてもらいたいと何回か思う日もあった。落ち込んで、辛い日もあった。しかし、何とか、自分で這い上がってきた。やはり一番落ち込んだのは、久保田一竹さんの帯を買ってしまい、それから、10日あまり、頭痛が止まらなくなったことだろう。しかし、それも、大人の考えで、乗り越えた。責任を自分で課したことで、少し大人になった様な気がした。御祖母ちゃんも、会わなければ、なんとも無かった。まずまずの毎日だったような気がしますと言うと、「そうですね」と綺麗な笑顔で仰った。やはり、先生に会い、自分の気持を吐き出してしまうと、気持が軽くなった。私には、やはりこの場所は、必要な場所なのだ・・と実感した。先生、これからも、宜しくお願いします。夜、パパが名刺を作ってくれた。ピンクの地に私が撮影したポートレイトジュモーの画像を楕円に入れて、綺麗な名刺を作ってくれた。ありがとうパパ
2005年12月28日
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以前あれは確か、コーラス部のお別れ会の有った日だった。いつも出しに行く、クリーニング屋さんで「Kさん、今日暇?」と聴かれた「暇なのはいけないんだけど、暇かな?」と答えると、「あのさ~、Kさんなら、絶対喜ぶと思うんだけど・・」と前置きして仰るには、近所に私が好きそうな小物やら、家具やらをご自宅を開放して売ってらっしゃる所があるそう。で、その日が、お店の空いている日だったのだ。面白そうだが、行ったら、お付き合いで買わなくちゃならない。まあ、小物だからちょっと行ってみましょうか。と「良いよ、連れて行ってよ」と言う事になり、迎えの方が自転車でそのクリーニングやさんにいらした。「私のあとを付いてきて下さい」といわれるがまま、その方の後を車で付いていった。そのクリーニング屋さんは、いつも買い物をする、この団地の道一本隔てた隣の団地の中にある、スーパーの横にある。そこの駐車場を出て、何本か、我が家の方向に行った団地の中、新しい一戸建ての小奇麗なお宅だった。表から見ただけでは普通のお家。車を止めて、降りて、導かれるがまま門を入った。玄関横に可愛らしいプレートに「WELCOME」のステンシルの文字。お玄関に入って驚いた。普通のお家なのだが、そりゃ、可愛い装飾がなされていた。中から出てらした方とご挨拶していたら、「あら?Kさん?」と見覚えのあるお顔。この団地で内科医をしてらっしゃるTさんの奥さんだった。コーラスでご一緒させていただいていたが、ここ2~3年、TVのレポーターのお仕事が忙しいとかで、退部なさった方だった。「まあTさん、お久しぶりです。こういうこともなさってらっしゃるの?」と聞くと「ううん、お友達なの」とのこと。リビングに通されると、他にいらっしゃっていた方がいた。「Kさん、アンティークドールなさってらしゃったのよね」とTさんが仰ると、そこにいらした方が、「是非、見せてください」と仰った。こういう時、名刺が必要だから、作らなくちゃと常々思っていたが、持っていないので仕方ない、私のHPのとこちらのアドレスを紙に書いてお渡しした。暫くTさんとおしゃべりして、商品を見せていただいた。手作りのビーズアクセサリー、輸入した古い葉書、ブロンズの置物。アンティークのレプリカ・・・。もう、本当に何点あるかわからないくらい私の好きそうなものが並んでいた。そのお宅の方に聞けば、まあ偶然、以前、私が行きつけていたアンティーク家具の置いてあったレストランのオーナーさんだった。「もう、お店は辞めてしまったのですが、今は、こうして日にちを決めて、自宅を開放しています」途の事。レプリカだったが、気に入った木と革でできた、ドーム型の蓋の付いたケースをドールを入れるのに丁度良いので購入した。暫く見せていただき、失礼した。すごく良いお店だった。自宅を開放して、あんな素敵なお店ができるのだなあ・・・と感動した。私も頑張らなくちゃなあ・・と決心を新にさせられた。なのに、そのケースは、未だに家の中に入れられず、駐車場の片隅に置かれたまま。あ~、現実は、厳しいなあ。
2005年12月27日
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毎年クリスマスが過ぎると、大掃除に掛かるのだが、今年は、何もする気になれない。困ったものだ。夜、隣の団地のイルミネーションを見に行った。まだ、やってるかなあ。そりゃ、キレイなのだ。昨年は4軒のお宅が競っていたが、今年はさらに3軒のお宅が参加なさって、ディズニーランドも真っ青の本当に素晴らしいイルミネーションなのだ。クリスマスまでと思ったが、まだ、キレイに飾って有った。窓に登ろうとしているサンタあり、首を上下するイルミネーションのトナカイが二匹向かい合っている。壁面が、光に包まれているのだ。去年は、TVの中継もされた。本当にキレイ。来年は写真に撮ってみようかな。こういうこと、してみたいなあ。早く元気になりたい。
2005年12月26日
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こんなクリスマス初めてだった。プレゼント無し、ケーキも通販でチョコレートケーキを買ったので、いつものケーキ屋さんでは、小さいものにした。チキンじゃなくてターキー。でもやっぱり、家族で迎えられる幸せを思う。ターキーは、思ったとおり、今一だった。曰くつきのターキーなのだ。今日、夕方、デパートにターキーを取りに行った。夕方だったのだが、すでに、すべてのお店で半額セールをしていた。私が予約したお店に行くと、なんと、まだ、予約の人が来ているのに、その横で、半額で売っているのだ。そりゃ無いんじゃないの~。さすがの私も怒った。予約した私が、5800円で買い、予約して無い人が、横で同じ物を2900円で買って行くのだ。怒らない方がよほどのお人よし。しかし、誰が見てるのか、分からない田舎。うちの従業員にでも見られたら、パパの恥になる。ここが辛い立場なのだ。本当に腹が立ったから、外商のKさんを呼んでもらおうかと思ったが、それも何だかなあ。しかし、もう少し、知恵を働かせられない物だろうか。予約の人の分は裏で渡すとか・・・・。幾らなんでも、隣で半額で売る無神経さに本当に、ばかばかしくなった。いわくつきのターキーは、値段の割りに美味しくなかった。もう、来年から、やめようと、皆が言った。「御母さん、どこかきっと自分のところで焼いているお店があるよ」「そうだよ、この一年で探そうよ」そうだね。もう二度と、お客の事を考えない、あの店で買いたくない。ささやかなパーティは、小さなケーキを切って終わった。来年は、24日にするからねぇ~と最後に、宣言した。やっぱ、クリスマスパーティは、24日じゃなきゃね!
2005年12月25日
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本当なら、今日が、クリスマスパーティなのに、オネエが駄目なので、明日になった。何でも、今日、卒論の発表と、その後、打ち上げだそうで、夜遅くになるそう。つまんないねぇ、子どもが大きくなると・・・・。午後、チビが、言い出した。「今日映画行こうよ」そうだ。そうしよう。調べてみたら、「ALWAYS」がレイトショーでやっていた。午後8時過ぎからだけど、良いじゃない。早めに夕食を済ませ、パパと3人で出かけた。レイトショーなのに、真ん中の席がもう無かった。これで、私にとって4回目の「ALWAYS」。パパは二回目。二回目が一番、泣けるんだよね!!チビも泣いていた。「良い映画だね」と一言。最近、映画賞を総なめにしている。自分の事のように嬉しい。パパは、やはり、思い切り泣けたそう。エレベーターで下に降りると、いつに無く人が多い。そうか、今日は、クリスマスイヴだもんね。クリスマスの街は、夜遅いが、にぎやかだった。暖かい気持を抱いたまま、帰宅した。オネエが帰っていた。「ALWAYS見てきたよ」と言うと、「御父さん、二回目、泣けた?」パパは少し照れながら「おお」そうなんだよね、あの映画、二回目が一番泣けちゃうんだよ。みなの気持が分かっていて見るからね。本当に良い映画だもんね。こんな良い映画を世に送り出してくれた監督、役者さん、脚本家に感謝。
2005年12月24日
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昨日、オネエが帰還してから、一辺に部屋が散らかった。お土産だの、衣類だの。そこかしこに散乱。全く、どうなっちゃってるんだぁ。叱って、洗濯させ、御祖母ちゃんのところにお土産を持って行った。行く前に、しっかり軍資金を頂戴していたらしい。母は楽しそうな娘の話に耳を傾けていた。いつも祭日でも仕事のパパが、今日は朝から、TVゲームに没頭。あれ?今日は、仕事じゃないの?と尋ねると、「休み」早く言ってよ~。それなら、映画に行くんだったのに。見たい映画が山積。「ハリーポッター炎のゴブレット」「SAYURI」「男達の大和」「キングコング」。あ、チビがまだ「ALWAYS」を見ていない。それもいかなくちゃ。でも、今日は、本当にのんびりした。
2005年12月23日
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一日、何もしたくなくて、ボーッとしていた。夜。メールが来た。「ALWAYS」メール。私が今一番素晴らしい映画と思っている、昭和33年を舞台にした映画の公式サイトから。ここが、9月から、写真と文章を募集していた。「あなたの昭和を教えてください」という物で、私は東京タワー下で昭和33年に父が撮ってくれた写真と、フラフ-プをする写真と家族で映っている写真とそれぞれに文章をつけて応募していたのだが、そのうち、家族で写っている写真と、父のことを書いたものが、選考に入り、賞を頂いた。自分の事も書いたが、父の事を書いた物が選らばれ、すごく嬉しかった。http://blog.always3.jp/index.php?action=showPresentAnnounceShowa950あまりの中の40数人の受賞だが、本当に嬉しかった。私にとって、この映画は、本当に大切な映画だったから。これは、選外だった私の事を書いたもの選外だったので、いずれ消えてしまうだろう。記念にここに載せ様「昭和30年3月、東京都港区芝田村町(現 西新橋)で生を受けた。父の勤める会社は、東京タワーの建設の際の足場の木材を扱った会社だった。今はもう無く、現在はその場所に永谷園の本社ビルが建っている。私は、父の会社があった向かいの4軒長屋の社宅で育った。当時、永谷園はまだ小さなお茶屋さんで、同級生の永谷君と、よく一緒に遊んだものだ。いつも私の傍には、東京タワー、愛宕山、日比谷公園があった。写真は昭和34年の東京タワー下。小さな頃は、芝の金毘羅さんのお祭りに、よく、父に手を引かれ行った。お祭りでの父の楽しみは、バナナの叩き売り。丁々発止と、的屋のおじさんとやりあい、当時は高級品であった台湾バナナを、威勢の良いおじさんの「もう良いよ!もってけ泥棒」と言う言葉と共に新聞に包んだバナナを買って帰ったものだ。私は、縁日のアセチレンのボァっとした光の下に並んだ、海ほうずきが欲しくてたまらなかったが、高値の花。セルロイドで出来たおままごとのスプーンや、お茶碗を買ってもらうのが関の山だった。お祭りの華は大人神輿。小さいながら、憧れた。春夏秋冬、東京の真ん中なのに、愛宕山の御蔭で、自然に触れながら育つ事が出来た。七五三のお参りをした愛宕神社がある山の上には、玉音放送がされたNHKの建物がまだ残っていて、記念館になっていた。雨の音の仕掛けや、ボタンを押すと、大きなテレビカメラに自分が映るのが面白くて、格好の遊び場所だった。路地裏の遊びは、もっぱらフラフープとおままごとと、ダッコちゃん。33年当時、3歳だった私は、器用にフラフープを廻した。少し大きくなり、通りでは缶蹴りで遊んだ。まだ、道で遊んでいても、危なく無い時代だった。木村コーヒー(キーコーヒー)の本社も社宅横にあった。貧乏が当たり前の時代、木村コーヒーからコーヒー豆の入っていた袋を貰い、母に夜寝る前、おなかが冷えないようパジャマの上から、その袋に入り、紐で巻いてもらって寝た。少しチクチクした感覚が今も忘れられない。そう言えば、33年と言えば、二人目の子を身ごもった母が、たらいに洗濯板で洗濯をしていて流産した年だ。次の日、すぐに我が家に、横に絞り機のついた電機洗濯機がやってきた。小さな私は、そのレバーを廻すのが大好きだった。ぺたんこになった洗濯物が出てくる面白さがたまらなかった。父の楽しみは、力道山プロレス。新橋の駅前にある広場は、いつも街頭テレビを見る人でいっぱいだった。若かった両親に連れられ、新橋まで歩いて、ガードを超え、ほんの少し銀座をブラブラする銀ブラの後、必ず、帰りには、父の肩車で、街頭テレビのプロレスを見た。空手チョップが出ると、どっと歓声が上がった。昭和39年、TVが我が家に入った時、東京五輪の開会式を見ていた父が、「空に描かれた五輪がみえるかもなぁ」と言い、私は外に飛び出した。今、テレビで見たばかりの白黒だった五輪は、その瞬間、綺麗な五色で空に現れた。皆、家から飛び出し、空を見上げ、笑顔で見ていた。当時は、アンテナも卓上だった。夏には、上手に並べられた水槽で一杯のリヤカーを曳いて金魚売りが「キンギョーエ、キンギョ」と売りに来た。そして、氷屋さんが「シャキシャキ」と良い音をさせ、氷を切り、最後に麦藁帽子を被ったおじさんが、のこぎりの背でコンと叩くと、綺麗に割れた。氷式の冷蔵庫のための氷だった。そして、子ども相手に粘土細工用のレンガで出来た型や、粘土につける色の金粉を売りに来る人や、飴細工を売りにくる人が学校横の公園にいた。お小遣いの無かった私は、いつも「見る人」だったが、十分面白かった。毎朝、お豆腐屋さんが、ラッパを吹いてやって来て、当たり前のようにガラスのはまった引き戸の玄関を開け、上がりかまちに藁で包まれた納豆を置いていった。母は、月末にお給料が出ると、まとめて支払っていた。そんな、のんびりとした優しい時代だった。」
2005年12月22日
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クリスマスのプレゼントも何も用意していないのに、もう、日が迫っていた。ケーキだけは早くに予約した。チキンを予約しようと、デパートに出かけた。正直、期待していなかった。東京からこちらに越してきて、一番がっかりしたのが、焼き鳥。東京のおしょうゆと、みりんだけのたれとちがい、うどん粉の入ったドロっとしたタレに、本当に「まずい」と思った。これじゃ、折角のチキンの味が台無しだと思った。しかし、何処に行っても、このたれなのだ。みたらし団子じゃないんだから・・・。小型トラックで全国を行商している焼き鳥屋さんが、近くのスーパーに来たとき、本当に何年ぶりかで美味しい焼き鳥を買った。ここのたれは東京のたれのように、シャビシャビだった。デパートで予約する時、聞いた。「たれはみたらし団子みたいなのですか?」そうだった。仕方ない。予約した。ここは、チキンじゃなくて、ターキーだった。おばさん、美味しいチキン、食べたいです。
2005年12月21日
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昨日の夜行バスで、オネエが、お友達と「卒論提出記念旅行」に出かけている。行き先は、東京ディズニーランド。大学のお友達と、楽しい旅行。帰りも夜行バスで、足掛け4日。今時の子にしては、新幹線を使わないリーズナブルな旅行で、なかなか堅実だ。今、ディズニーランドは、クリスマスイベントの真っ最中。さぞかし楽しい旅行になるだろう。卒論、ご苦労様。もう、あれから、4ねも経ったなんて、あっという間だった。オネエの受験に付いていったあの日々。昨日のことみたいだが、早いなあ。それだけ、こちらも年を重ねてるってことか~。こりゃ、うかうかしてられないね。
2005年12月20日
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雪。今日は、学校に三者面談に行かなくちゃならないのに、朝起きたら、積もっていた。ここの所、毎日、チラチラと雪がちらつく。車で出ようと思っているので、様子を見た。チビと充分間に合う時間に出た。ところが・・・・。判断ミスをした。家を出る頃、晴れてきていて、高速で行くか、下を通って行くか迷ったが、道に雪の残っている様子もないので、高速に乗ってしまった。最初は、スイスイ、調子良く走っていたのだが・・・・。途中で止まってしまったのだ。道路公団の車が反対を走っていく。私の乗ったインターチェンジから、学校までは、たったの一つだったが、その学校のあるインターチェンジから先名古屋までの区間、高速が閉鎖になったのだ。参った。乗った以上は、次の出口まで逆戻りが出来ない。どうにもこうにも動かない。学校までうちの駐車場から、いつもなら15分の距離。半分も行っていないのに、止まってしまった。仕方ない、携帯電話で、学校に事情を話し、遅れることにした。しかし、それから、一時間、本当に1メートルずつくらいしか動かず、やっと、どうにか動いたのはもう、出口に近かった。チビと、「下から行ってたら、3往復出来ちゃったね」と笑いながら、教室まで走った。先生が済まなさそうに「Kさんすみません、Aさんはもう滑り止めが受かってらっしゃるんで、頑張れって言いたかっただけだったので、お電話頂戴したときに、もう、帰ってもらって良いって言おうと思っていたのですが・・。」と仰った。しかし、もう、高速に乗っちゃっていたから「先生のお気持、ありがとうございます。でも、もう、乗ってしまってましたので・・・」と言うと、先生も、私も顔を見合わせて笑ってしまった。「うちもねぇ、昨日、膝下まで積もりまして、屋根の雪下ろしをしたり、道路の雪をどかしたりで、今日、実は腰が痛いんですよ」と気さくな先生は仰った。オネエの時からお世話になっている先生なので、こういう時は、話しやすくて、大助かりだ。まあ、何のために来たのか解らない三者懇だったが、先生のお顔を見られて、良かったかな?帰宅後、翔君と、大ちゃんの単独コンサートの申し込みをした。当たるといいな。葉書の申し込みだと、奥の手を使えるが、今回は、電話登録による申し込みなので、くじ運が物を言う。まあ、潤君じゃないから、当たったら、行くし、当たらなくても、仕方が無いなあと諦めよう。う~、諦められるかな?
2005年12月19日
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朝起きたら、雪!!それも、積もってる。10センチもあろうか。今夜、パパのバースディに予約したレストランが、丘の上にあり、その登る坂がすごく急なのだ。この雪、大丈夫かなあ。昨日から「花より男子」の最終回を、もう、朝から、何回リピートして見た事か。やっぱり、良い!!潤君、最高!!夕方、着替えて、娘達とパパの帰りを待った。パパは、今日は、お付き合いのゴルフ。雪なので、クローズになるかと思っていたら、そこのゴルフ場は、大丈夫だったらしい。一応、ドレスコードのあるお店なので、久しぶりにドレスアップしてレストランへ。行く前に電話をして確かめたら、「大丈夫ですよ、お昼前から、お店やってますし」途の事。小さなお店なのだが、多分、この町では一番美味しいフランス料理を食べさすと、私は勝手に思っている。丘の上から見る、窓一杯に広がった夜景も本当に素晴らしい。美味しいお料理を頂いて、お誕生日だと言ってあったので、マダムが記念写真を撮ってくださった。毎年、ここは、こういうサービスをしてくださる。良い写真だったので、年賀状に使おうかな。驚いたことに、娘達からパパにプレゼントがあった。娘ならではのプレゼント、ブランドの下着。パパもすごく嬉しそう。良かったね!幸せな時間だった。神様、こんな素敵な時間をありがとう。感謝。
2005年12月18日
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今日は、以前から予定してあった、父のお骨の本山への納骨に京都に出かけた。大谷廟へは、もう、京都に帰るたびに何回も通っている場所なので、難なく行けた。初めて、母と家族4人との3時間の道中。おしゃべりな母に、孫である娘達は楽しそうにしていた。色色な手続きの後、本殿に行き、読経。何と、驚いたことに、畳が暖かかった。つまり、床暖房がされていたのだ。そりゃ、こんな真冬、開け放した本殿で、正座をして読経を聞き、お参りをする訳だから、寒さは覚悟していたが、ビックリした。それから、納骨をしないお参りだけの人は、別の場所に行った。私達は、気の遠くなるような数が並んだ、納骨堂に導かれた。地上2階の「ハの61」と言う通路に、うちのお寺の納骨堂があった。観音開きの扉をあけると、10数段の引き出しに成っていて、上から6つ目くらいの引き出しを開けると、母が用意した六角形の骨壷が整然と隙間なく入っていた。父の入った骨壷が、その隙間に入れられた。まるで六角形のタイルがはまるようなシステムに、な~るほど、と感心してしまった。読経してもらって、お焼香をしてまた読経を聞いていたら、母が泣いた。まだ、泣けちゃうんだなあ。読経が終り、納骨を済ませ、表に出た。これで、すべて、済んだなあ。「さあ、どうする?」「清水さんに行きたい」目の前の道を入れば、清水寺。よし、行こう。お昼ごはんも三年坂に美味しいお店があったはずだ。清水寺の下に車を止めて、皆でそのお店を探したら、すぐにあり、入った。お昼を済まして、表に出てふと気がついた。オネエが卒業式の袴に合わせる巾着袋を探してたんだった。京都で買ったら、本望じゃない。清水寺は、もう、紅葉が終わりかけていたが、まだまだ、綺麗だった。外人さんが一杯。清水の舞台で記念撮影。母は、20年ぶりだそう。父としょっちゅう京都に来ていたが、清水寺は、階段があるので父が嫌がり、清水の舞台に上がるのは、本当に、高校生以来だそう。娘の私は、もう、何回も来ているのに。姑が元気な頃は、私が道案内して、連れてきてあげたこともあった。地元で生まれた姑なのに、やはり地元の者は、なかなか行かないそうだ。娘の受験のお守りを買い、また、参道に戻った。パパは会社にお土産を買い、「好きなだけ行って来い」と、早々と一人車に戻った。女4人、好きなだけショッピング。娘達は、可愛い、古裂のバッグを買った。私は、同じ柄の小さな携帯入れを買った。母は小さなお店で、洒落た葉書を何枚も買っていた。私もそのお店で、可愛い油取り紙を友人達にお土産に買った。さっき、泣いていた母だったが、清水さんの優しい佇まいで、癒されたようだった。お漬物やら、ごま八ツ橋やら沢山お土産を買って車に戻った。楽しかったねぇ。いつかまた、こうして、来たいねと、娘や母と言いながら、パパの運転する車で帰宅した。本当に姑が倒れてから、京都で遊ぶのは久しぶりだった。以前は帰省するたび、京都の四条やら、京極をパパや娘達と遊びまわったものだった。初めてショットバーに連れて行ってもらったのも、京極だった。レトロな作りのカウンターだけの、白い口髭を蓄えたおじいさんがシェーカーを振る本当に素敵なバーだった。まだ、子どもが小さくて、おばあちゃんに、預けて飲みに行ったのになあ。そのおばあちゃんも、今は、今日の事も解らなくなってしまった。何だか切なかった。もう、京都に家も無くなった。寂しいなあ。京都で生まれ育ったパパの胸中は、きっと、私以上に寂しかったに違いない。だって、あんなに京都が好きなパパだもの。パパ、今日は、本当にありがとうございました。
2005年12月17日
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本当に久しぶりの革工芸。先月、も、その前も、先生の御都合で無くなったから、3ヶ月ぶり。金曜日は、いつもコーラスに行っていたから、何だか、気持が、のんびりとしてしまい、革工芸も、心置きなく楽しめた。なかなか上達しない。そりゃ、あまり、家でやらないからなあ。来年から、頑張って、一杯作ろう。今作っているのは、セカンドバック。これが終わったら、私が革工芸をする事になったきっかけのトートバック。上達しない悔しさが、上達するきっかけになるのだ。拙い自分の打った革が、恨めしい。それでも、出来上がり、先生がカットを入れてくださると、どうにか、見られるようになるから不思議。うちの教室の革工芸は、本当に、皮に色色な工具で、革を打ち出していく方法で、染めたり、形を凝ったりする方法じゃない。だからこそ、その打ち方で、決まる。ウィリアム・モリスの素敵な図案で打ってらっしゃる方もいる。私も、以前サンドブラストをしていたので、その図案集が、10冊はある。早く、上手くなって、自由に自分の選んだ形で、好きな図案を打ちたい。材料は、ヌメ革、一色。もう、20年もやってらっしゃる方の物は、もう、本当に素晴らしい。精巧な打ち出しにため息が出ちゃう。図案は、あくまで、草花。それも、私向き。時間はあっという間に過ぎる。「良いお年を」をご挨拶代わりに、解散。私より、うんと人生の先輩方の大勢いらっしゃるこのレッスンは、私にとって、貴重な宝物みたいな時間だ。来年からは、もっと、しっかりやって行こう。
2005年12月16日
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今朝、雪が降った。寒い。暖冬だと誰かが言っていたが、何処が暖冬なんだ。毎日、本当に寒い。御蔭で、早速風邪を引いた。せきが出て、止まらない。昨日、ドックから帰り、ホームドクターのところで診察してもらった。どっさり、薬を出された。私は、元々、365日飲まなくちゃならない、おなかの薬と、安定剤がある。このおなかの薬を飲まないと、自分の力じゃ消化できない情け無い腸の持ち主なのに、その上、3種類の錠剤と、粉薬、咳止めの水薬が増えた。全く、一生、医者と縁の切れない体だこと。オネエは今日、卒論の提出日。昨夜、大学のゼミ室に泊まって帰って来ないと言っていたが、教授が早くから来てくださって最終チェックをしてくださり、泊まらず、夜遅く帰宅した。今日も朝早くから登校していたが、夕方帰宅。「出せた?」「何とか」良かった、良かった。こういう日は、何もしたく無い。困ったなあ。そろそろ、年末の準備をしなくちゃならないのになあ。朝から、風邪薬のせいか、眠くて仕方ない。気がつくと、うとうとしていた。HDDに録画してあった嵐君の歌や、ドラマを見て、元気のエネルギーをもらった。あ、そう言えば、明日「花より男子」最終回だ!!!愛しの潤君、今回、当たり役だったね。潤君の新しいファンが増えたかもしれないなあ。「っるせ~ブスっ!」があれだけ自然に言えるのは、潤君くらいだろうなあ。潤君の瞳は、本当に綺麗な瞳なんだもん。オネエは、「演技が下手!」って言うけれど、あの、目の演技は、潤君じゃなきゃできないね。あのくらい、大きくて、綺麗で・・・・。力のある目の表現は、なかなか出来無いよ。悲しい目、愛しさの溢れる目、悔しさの目、潤君の目はみな、出来てるから良い。明日の最終回は、漫画と同じなのかなあ。来週から、もう見られないのかと思うと、本当に寂しい。きっと、また、このあとも、ジャニさんのことだから、隠し球があるんだろうけれど。あ、翔君と大ちゃんの単独ライブ、当たると良いなあ。たのしみだわん。あれ、やっぱり、私、元気になってるじゃん。
2005年12月15日
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今日は、先日キャンセルした人間ドック。朝から、水も飲めないから、早々と、病院に行った。それでも、順番は相当、後になった。着替えて、待っていると、まず、呼ばれて体重、身長、視力、血圧を計る。体重は、内緒。身長は、どういうわけだか、毎回、少しずつ、まだ伸びている。まさか・・・・といつも思うが、確かに、一昨年は、165・5だったのが、昨年は165・9で、今年は166・2になった。どうなってるんだろう私。視力は、右が0.9で左が1.2まずまずかな。血圧も普通。若い時は、低血圧だったが、最近は普通になった。暫く呼ばれなかったので、持って行った刺繍をしていた。この刺繍、出来上がると、ハンドバックになる予定なのだが、父が入院する前から、やってるが、まだ出来ない。確か、オネエが大学入試の特からし始めたから、かれこれ5年近くになる。こうして、時間を潰す時にしかしないので、まだ出来ないのだ。ハーフクロスで全面50センチ四方の刺繍なので、かなりな物になる。楽しいから、刺繍は大好き。次は、血液検査。これが問題。私の血管は、細くて、看護婦さん泣かせなのだ。やはり、若い看護婦さんが一度は針を入れたものの、血管に入らず、こちらは、超痛い思いをさせられて、ベテランの方に代わった。失敗した方にベルトが巻かれた。さすがに上手かったが、「本当に、細いなあ」と言われてしまった。暫く、失敗した方が痛かった。これ、多分、明日になったら青地になっちゃうんだろうなあ。痛い腕をさすりながら、椅子に座った。今度は、聴力、眼底血圧、肺活量、腹部エコー、心電図・・・と次々、計測していった。聴力は、お医者さんがいつも驚くくらい良い。肺活量も、歌をやっていたから、相当有る。心電図も問題なし。ここで、私達女性は、小さなバンに乗って婦人科に行った。曜日によっては院内で診察してもらえるが、たまたま今日は、院外診察。近くの婦人科へ。更年期も終りだと自分で思っていたのだが、「いやいや、まだ、膜が残っているから、もう少しあるよ。終わりじゃないよ」と言われてしまった。何回診察してもらっても、婦人科は嫌な物だ。昨年、子宮筋腫があると言われたので心配だったが、「更年期が終わったら、筋腫が大きくなることは無いから、このまま、もう、放って置いてかまいませんよ」と言われた。そうなんだ、手術しなくて済むのか・・良かった。初めて知った。また車に乗って病院に帰り、いよいよバリウム。私はバリウムが全く、全然、平気。帰りの車の中で、ほかの方が、バリウムが嫌で仕方が無い・・・と仰っていたが、一度も嫌だと思ったことが無い。イチゴ味だったり、バナナ味だったり、結構、「今年はどっちかな?」と思ったりしている。味の無い、ヨーグルトみたいな物。ただ、後の、発泡剤が駄目。でも、今年は上手く発泡剤を飲み込めた。これで全部終り。歯を磨いて、口をすすいで、うがいをして、レストランで飲み物を出してもらう。バリウムを早く出すため、お茶、コーヒーなど、用意されている。熱い物とコーヒーが駄目な私は、冷たいお茶を飲んだ。後は、医師のお話。パパと一緒に呼ばれた。特に問題なし。着替えてレストランに行き、お食事。今年は、お蕎麦に天ぷら、お刺身に煮物。それに、おみお付けとデザート。朝から何も食べていなかったので、美味しかった。午後2時、終了。今年も無事、終わりました。後は、二週間後に送られてくる、結果待ち。さあて、どんな結果になりますやら。
2005年12月14日
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今日は、パパの46回目の誕生日。これで半分は、私と一緒に過ごす誕生日になった。でも、平日なので、週末にお店を予約。おまけに明日、人間ドックなので、午後9時以降は、食事も飲酒も駄目なので、今日は、普通にしようかな・・と思ったが、やはり、可哀想なので、パパが大好きな粕汁と、ステーキにした。毎年、母と一緒に、パパのお気に入りのブランドのセーターやシャツを名古屋まで買いにいくのだが、今年は、私の体調が悪いので、年が明けてゆっくりした気持になってから、一緒に買いに行く事にした。だから、大きなプレゼントがない。でもやっぱり、可哀想なので、中島美嘉のベストCDを買って来た。夜遅く、帰宅したパパを囲んで、ささやかなパーティ。いつもより小さなケーキにロウソクを立てて、ハッピーバースディ♪をしてから、吹き消したパパに「はい」とCDを渡した。今日は、これで終り。ちょっと寂しいが、夜も遅いので、お開き。「俺も46か~」としみじみ言ってた。それじゃ、50の私はどうよ・・・と言いたかったが、飲み込んだ。まあ、今日は、穏やかに、終わりましょう。ハッピーバースディ・パパ
2005年12月13日
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今日からチビは、最後の期末テスト。これが終わったら、もう、授業はない。3学期も学校に行かないから、最後の高校生活。凄く寒い朝だった。オネエは卒論でカリカリしている。近寄らないほうが無難。明日はパパの誕生日。しかし、その次の日は、人間ドックだから、御馳走は食べられない。次の土曜に棚上げ。母が、うるさくパパへのプレゼントを買いに行こうと電話をしてくるが、名古屋まで行く元気が無い。頭痛は相変わらずだから。映画「ALWAYS」のサントラを買いに行ったら、売り切れていたので、注文した。ついでに、パパに何かCDをプレゼントしようと見たら、中島美嘉のベストが出ていたので購入した。上手にはがして、車のCDに入れた。ベストは良い。特に、中島美嘉のは、知っている曲が多いから聞き応えがある。家に帰るまで、半分聞けたが、なかなか良いので、私も買おうかなあ。お店に寄って、クリスマスのケーキを予約した。明日のパパのケーキ、どうしよう・・・。帰宅後、少しショックな事があった。毎年、我が家は決まったお店のチキンを買って来た。以前、住んでいたマンションの近くにある鳥肉の専門店。引っ越して10年になるが、その間、色色なところのグリルチキンを試して見たが、どうしてもそこのチキンに適うものがなくちょっと遠いが、そこに買いに行っていた。丸焼きを一羽と、手羽先の焼いたものをいつも2キロ頼んだ。チビもオネエも、私も大好物で、手羽先は、小分けして、冷凍にして、3ヶ月くらい掛けて食べるのが、楽しみだった。本当に美味しくて、お友達にも紹介してあげたら好評だった。そこに、今年も頼もうと電話したら、「あ、いつも丸焼きを御注文の方ですよね」と聞きなれない声。「はい、そうですが・・・?」と言うと、「実は、母が夏に急死いたしまして、焼ける者がいなくなり、もう、焼き物は辞めてしまったのですが」「・・・・・。」ビックリした。本当にビックリしてしまった。かれこれ、20年のお付き合いのおばさんだった。まだ、そんなお年じゃなかったはずだ。「まだ、そんなお年じゃなかったですよね」と言うと「はい、67でした。。もう、本当に急だったんです」「そうでしたか・・・。残念ですね」とご挨拶して電話を切った。凄くショックだった。当たり前の事だと思っていた。いつも当たり前に注文していた。あの美味しいチキンがもう、食べられないと思ったら、本当に、何故もっと早く、おばさんがお元気なうちに、お顔を見に行かなかったんだろうと、後悔した。子ども達が帰宅してから報告したら、子供達も「えーーー、あれ、もう、たべられないのぉ」と本当に残念そうだった。人との縁とは、本当にほんの少しの油断で、無くしてしまうものなんだなあと、悲しかった。おばさん、どうか、安らかに、お休みください。おばさんの焼いた鶏肉、最高でした。
2005年12月12日
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二ヶ月ぶりの食事会だった。先月は、体調が悪くていけなくて、その前は、東京に行っていて参加出来なかった。今回もTちゃんとは会えなかった。年末はみな忙しい。まして、大学4年になった親同士だから、就職のために子どもが帰郷したり、反対に、学生マンションから出なくてはいけなかったりするから、土日は、手伝いに忙しいのだ。今日のメンバーは、ご主人が中国に単身赴任、子ども達は、それぞれ、大学が遠くで一人暮らしをしていて、お気楽なワンコとの一人暮らしのIさんと、内科医の奥さんで薬剤師をしているOさん、歯科医の奥さんで、受付を手伝っているMちゃん、ピアノの先生をしているTさん、それに私。本当は、Kちゃんも来るはずだった。今日は、忘年会のつもりで、少し贅沢をして、お豆腐の専門店のお座敷に行った。暫く待ってもKちゃんが現れない。何回か、携帯と、自宅に電話してみるが出ない。こういう事、前にもあった。そう、Hさんが亡くなった時。でも、Kちゃんに関しては大丈夫だよ・・・と言った。何故なら、何かあったら、娘にまずkちゃんのお嬢さんから連絡が入るはずだから。すぐに、こちらに掛かってくるだろう。お店に悪いので、先に始めた。2時過ぎ、Kちゃんから電話。電話口で泣かんばかりに、自分を責めている。寝過ごしたというのだ。余程疲れているのだろう。彼女の仕事は並じゃない。不動産屋さんなのだが、お店を二つ持っていて、一つが彼女の責任の元にある。毎日、夜遅くまで頑張っている。この年で、家業のため、宅建や、建築技師2級の免許を取った、頑張りやさんだ。みなに少しずつ電話を代わって、話をした。「気にいなくて良いよ」と何回も言ったが、彼女の性格じゃ、気にするだろう。電話を切ったら、Oさんが涙を流した。「なんでもなくて良かった」そうなのだ。私達の中では、Hさんのことがまだ、色濃く残っているのだ。「大丈夫だって・・・」とOさんの背中をさすった。私達、本当に色色な亊、乗り越えてきた仲間なんだなあとつくづく思った。お豆腐はあまり好きじゃない。しかし、こうして調理した色色なお料理は好き。湯豆腐の入ったお鍋をぐつぐつ放っておいたら、上に湯葉が出来た。面白くて、みなで、「お豆腐、飽きちゃったから、このまま湯葉にしちゃおうよ」大笑い。私は、本当に幸せだと思った。こんな生涯の友達がいる。大切な大切な宝物だ。いつまでも、このままでいようね!感謝。
2005年12月11日
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もうそろそろ掃除をしないとなあ。下のリビングを片付けるには、まず、ソファの上の洗濯物を畳んでしまわなければならない。その洗濯物を片付けるには、二階の箪笥の中を片付けなければならない。それには、押入れの中の衣装ケースの中を片付けなければならない。で、朝から、その二階の衣装ケースの中を片付け始めた。しかし、いらないものと、いるもの、仕舞っておくものと分けるだけで、くたくた。頭痛は相変わらずだから、なかなかはかどらない。段ボールに衣料救済センターに送るものを入れたり、もう着なくなったけれど、値段が高かった高級既製服を仕舞ったり、こんなに放って置いたのかとわれながら、呆れた。お昼になってしまった。オネエは卒論のために今日も朝早くから出かけていない。チビは、まだ寝ている。起こして、パパが帰ってきて、3人で食事。チビは、午後から塾。さあ、また頑張りますか。何時になったら終わる事やら。
2005年12月10日
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頭痛5日目。もう絶対おかしい。用意をして、髪を洗いに行き、病院に向かった。大きな病院は、混雑するから嫌い。受付ギリギリの時間に入った。申込書に記入し、カルテを作ってもらい、脳神経外科に。1時間ほど待たされた。待つ事は苦にならない。持って行った刺繍をして待った。呼ばれてすぐにCTを撮るよう、書類を渡された。CTの撮影室に行って、受付にカルテを出した。暫くして呼ばれ、中に入り、台に横になった。機械の動く音がした。ものの3分ほどで、撮影が終り、廊下で待った。貰った写真を持って、また脳外科へ。呼ばれて中に入った。「う~ん、画像からは、これと言って、問題は無いですね」良かった。「一度、神経内科に行って見たら良いと思います」受け付けに書類を出して、会計を済まして、パパに連絡。お昼を一緒に済まし報告した。「なんでもなくて良かったじゃないか」でもこの頭痛はなんなんだ?全く嫌になっちゃう。明日は皆と月一のお食事会なのになあ。
2005年12月09日
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こんなに長引く事はなかった。少し怖くなった。今日は、病院はお休みだから、明日、CTを撮りに行く事にした。風邪がよくならない。お風呂に入りたいが、また風邪が酷くなるのが怖くて、なかなか入れなかったが、えい!と入ったら、やはり、頭痛が酷くなった。弱い体は、一文の特にもならない。虚弱体質は、どうやっても虚弱体質だ。母から電話があった。パパの誕生日のプレゼントを買いにいこうと言う。しかし、とても出られそうに無い。嵐君のDVDを見た。唯一、元気が出る源。良いなあ。やっぱり、潤君のお顔の美しさ。真面目な潤君がだいすきです。最近は、大ちゃんの男らしさにも気がつき始めた。目だった事をしない人だけど、懐が大きいのが良く解る。卒の無い翔君とおもっていたが、結構、こける。可愛い顔に似合わず、ニノの歯に衣着せぬもの言いも面白くて大好き。相葉ちゃんのだれとでもすぐに仲良くなっちゃう人柄も好き。本当に嵐は、良い。あ、少し、元気になってきた。明日は絶対、病院に行こう。
2005年12月08日
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ほとんど、頭痛で目が覚めた。ありゃ?珍しいなあ。頭痛が尾を引く事はまずない。寝ちゃえば、治る。仕方ない、オネエに温シップを貼ってもらう。こういう頭痛は、薬を飲んでも治らない。厄介な事。今日一日、何も出来なかった。少し、頭を動かすだけで、痛い。いつもの頭痛と、ちょっと違うなあ。それでも、食事の用意はしなくちゃならない。主婦は本当に大変です。
2005年12月07日
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怒涛のような一日が終わって、今日は、朝から頭痛。つーか、頭痛で目が覚めた。あ~、こういう日は最悪なのだ。薬を飲んでも治らない。パパが「何が原因だ」「なにか、悩みとかあるのか」と聞くが、さしたる悩みなど無い。しいて言えば、チビの受験くらいかなあ。あ、それから、年末への掃除。おばあちゃんの部屋が、物置状態だから。何とかしなくちゃなあ。頭痛、本当に嫌です。
2005年12月06日
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昨年、オネエのお振袖と帯を買ったお店から、御招待で、名古屋の展示会に行った。小紋がおまけについてくる、地震のあった十日町に寄付するため、千円だけお願いします・・との事。バスで、お店の前からつれて行って貰った。今回は、二人の受験や進学で着物を買う余裕などないから・・と何回もお断りしたが、どうしても、来て欲しいと前々から言われていた。昼食つき、小紋つきの御招待。まあ、今まで、やれ宝飾品の展示会だ、新作の展示会だと言われるごとにお断りしてきたが、断りきれなかったのが、行く理由だった。バスでいつも骨董市が開かれるだだっ広い会場に行った。バスは、午後2時出発だそうで、どうやって時間を潰そうか思案。そう言えば、名古屋で骨董屋が、ビルの上から下まで入っているところのすぐ近くだった。あ、抜け出して、あそこに行こう・・と思った。しか~し、会場の入り口で足が止まってしまった。なんと、あの久保田一竹さんの作品が展示してあった。私は一竹さんの着物や帯が大好きで、京都の博物館まで見に行ったり、名古屋の展示会にも行ったり、図録も色色もっていた。その大好きな一竹さんの作品が、ガラスごしでなく、すぐ目の前にあった。立ち止まってしまった私に、私に付いていたMさんが、「お好きなんですか?」と聞いてきた。もう、私の目がハートになっていたのだろう。勿論、非売品だったが、その素晴らしい、優しい色使い、何回も、何回も染められた辻が花は本当に素晴らしいものだった。それから、会場に入り、少し見ていたら、「Kさん、もし、ただで上げるといわれたら、どれが良いですか?」とMさんが仰ったので、つらつらと見回して、桐の箱に入れられた黄土色と金色に渋く輝く絞りの着物を指差した。・・・とそれは、何と、一竹さんの作品だった。お値段をみたら740万円。は~、到底、手に入る値段じゃない。しかし、着せて頂いた。夢みたい。「着るだけはタダですから」皆で笑った。一竹さんは、一昨年亡くなった。山梨の美術館に、作品が展示されているので、一度は行って見たかった。ふと見ると、からし色に素晴らしい辻が花の帯があった。見ていると、男の方が薦めてくれた。しかし、それも、亡くなった一竹さんの遺作だった。今、一竹さんの工房は、息子さんが継いでらっしゃるそうだ。私が一竹さんが好きだと知って、工房の方が色色おしえてくださった。そして何と、そのからし色の帯を、すごい値引きしてくださると言う。「解っていただけて、これだけお好きな方にこそ締めて頂きたい」と仰ったが、到底、手に入るお値段じゃない。人が集まって来ちゃった。展示会の主催者の方やら、一竹さんの会社の方やら。あ~、助けてMさん。でも、欲しいなぁ。一竹さんの作品を一生に一つ、持っていたかった。夢だった。ほれぼれする柄、染、色。以前も一竹さんの銘の作品が売られているのを見た事が有るが、その方曰く、「ほとんど、一部に刺繍や、絞りがあるだけでしょう?」・・と仰った、確かにそうだった。「あれは息子さんか、お弟子さんの作品ですよ」「あ、そうなんですか」「でも、これは、間違いなく、一竹の生前の作品です」そりゃ、見りゃ解る。全体に施された絞り、染、刺繍 そして、えもいわれぬ色。どれを取っても、素晴らしい。「でもこのお値段ではとてもとても手が出ません」と苦笑して、お断りした。すると、主催者さんと、一竹さんの会社の方が何か話しをしていたが、突然、私の方にいらして、「Kさん、どうしてもあなたに手にして欲しいと仰って、このお値段で良いって」と電卓にお値段を出された。え?うっそ!信じられないお値段だった。欲しい!「本当に宜しいんですか?」と聞くと一竹さんの会社の方は「亡くなった一竹も、きっと貴方に持っていただけたら嬉しいと思います。実は、これ、値札はつけて有りますが、一竹の作品も数がもうあまり無いので、非売品だったんです。でも、これほど一竹を愛して下さってらっしゃる方に出会えたのも何かの縁だと思いますので、是非、本当に一竹をお好きなあなたに締めて頂きたいと思いますので」もう、夢のようだった。思わず涙が出て来てしまった。あの美術館でため息を出して見ていた帯が手に入るお値段になったのだ。思わず「ありがとうございます」と頭を下げた。「とんでもない。こちらこそ、それほどまで一竹の作品を愛してくださってありがとうございます」Mさんが「Kさん、良かったですねぇ」と仰った。「これ『幻花』と言う作品です。きちんと桐箱に入れ、一竹さんの息子さんに、お名前も銘も入れさせていただきます」本当に夢のようだった。あの久保田一竹さんの作品が私のものになるなんて、信じられなかった。その代わり、思い切り、最長のローンにしてもらった。何から何まで、ご縁だなあと思った。帰りは、もう、幸せな気持で、バスに揺られた。一竹さんの辻が花を見てから、辻が花の着物が欲しくて欲しくて、10年前にやっと、違う作者の辻が花の着物と帯を購入した。チビの入学式に着たが、それだけで幸せだった。今度は、本家本元の持っていれば確実に芸術品として、値打ちの上がる一竹さんの作品である。こんな事ってあるんだなあ。どうやって時間を潰そうと思っていたのに。今日は、幸せな気持で一杯だった。
2005年12月05日
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12月も入ったばかりだというのに、クリスマスのイルミネーションが、そろそろ現れた。チビの推薦入試は、結局、3つ受けて、一つだけ受かった。先生の「8~9割りは、駄目だと思ってください」のお言葉から言えば、3割で受かったのだから良しとしなくちゃね。しかし、チビは、どうしてもそこには行きたくないと言う。じゃあ、頑張って、一般入試でやるっきゃ無いじゃん。3つの推薦入試を経験して、良かった事は、本人に自覚ができた事。いままでは、のほほーんとしていたが、二つの失敗を経験し、次の日から、毎日、熟にちゃんと通うようなった。よしよし、この調子で頑張って欲しい。今君が経験していることは、多分、すごく大切なことなんだから。頑張れ!
2005年12月04日
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何だか、新しい朝が来た、みたいな感覚。やはり、辞めて良かったのだなあ。思い切り寝坊した。昨日から、パパは埼玉に出張。オネエは卒論が15日提出なものだから、朝早くに出て行った。チビは、来週から最後のテスト。3学期は登校しないから、このテストが終わったら、暫く午前中授業があって、16日から、もう、休みに入る。実質、学校に行くのは、もう、一月も無い。何だか寂しい。オネエの幼稚園から、小学校、中高、そして、4年遅れでチビが幼稚園。足掛け、18年お世話になった学園ともお別れだ。私と弟もお世話になったから、私の人生の半分くらいの、この学園とのお付き合いがとうとう終わる。今度は、孫がこの学園に行けると良いなあ。夜、パパが帰還。お土産を一杯買って来た。お菓子ばっかり。甘いもの好きだからなあ。私は、和菓子が苦手。甘いものも苦手。あんみつ、羊かん、アイスクリームが駄目。洋菓子は好きなんだけどなあ。私へのお土産は東京バナナ。娘達には、ごま団子と和風の東京バナナと、ひよこ。おのぼりさん並のお土産!私が東京に帰ったときは、ハーブスターのチキンなのに。こりゃ、反対だね。
2005年12月03日
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午前中に髪を洗った。ギリギリに会場に向かった。さあ、今日で、皆と声を合わせて歌うのも最後だなあ・・・と少し、センチになった。会場に入ると、もう、ほとんどの人が席に着いていたが、Kちゃんがまだだった。Kちゃんの席を確保して、座っておしゃべりしていたら、委員のIさんに、「Kさん、ご挨拶お願いね」と言われた。偶然、お向かいに座ったSちゃんと私が部をやめるらしい。委員のご挨拶から、会が始まった。Kちゃんは、遅れてやってきた。いつものごとく、せかせかと、コートを脱いで、私の横に座った。Iさんが、マイクを持ってやってきた。そうか~、やっぱり、ご挨拶しなくちゃいけないのか・・・。少し長くなったが、この10年の思いをお話させていただいた。楽しかった事、悲しかった事、このコーラス部で、私は、人生の宝である一生の友人を得たこと、そして、辞める理由。最後に皆に託す言葉を述べて、席に着いた。ふと見ると、横でKちゃんが泣いていた。おいおい、泣かないでよ~。これで終わりじゃないよ、Kちゃんとは、一生の付き合いじゃん。Sさんは、介護士の仕事をしているが、今回、経営の仕事にも携わる事になり、コーラスに時間を割けなくなったそう。見るからに、お洒落で可愛らしい人、とても、地味な介護の仕事をしているようには見えない人なのだが、以前、御祖母ちゃんの事を話したら、なんと、彼女は、市の介護認定委員さんもやってらした、バリバリの介護士だとわかってビックリしたものだ。彼女の辞める理由に比べたら、私の理由など、本当に、わがままなものだが、やはり、気持に変わりは無い。パーティーは、なかなか盛況だった。帰りに可愛いセンポーリアを頂いて帰った。一つ、私の時代が終わった。
2005年12月02日
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明日、コーラス部最後の集まりに出る。この10年、毎年、5月の親入部員歓迎会と、12月の卒業生追い出し会に出席してきた。オネエが卒業する時には、大きな花束も頂いた。チビが残り、そのまま在籍して4年が経った。迷ったが、やはり、退部しようと思う。唄うことは、好きだが、楽しいが、私の「一番」ではない。50歳になって、あと元気で動けるとして15年。私には、したいことが沢山ある。コーラスに割く時間が非常に勿体無いのだ。コーラスを、家の中に持ち込んだ事は無い。学校の音楽室を出たら、楽譜は開かなかった。それでもやって来られたコーラス部だから在籍したが、指導者が変わり、そうも行かなくなった。コーラスの練習をする暇があったら、私は、ドールの事に時間を使いたい。コーラスが生活の中に割って入って来た途端、邪魔になったのだ。だから、辞め様と思った。趣味ってそんなものじゃないだろうか。生活の中で邪魔になったらいけない。邪魔になった所で辞めるべきだと思う。革工芸のように、月に一度のご指導で、人から進行も強制されず、自分の時間を自由に使えるような趣味こそ私にとっての趣味だと思う。革工芸は、個人、コーラスは、集団だから仕方が無い。コーラスの練習が家で楽しく出来る人ではないから、これで良いのだ。同じ唄うのなら、嵐君の歌を歌っていたい方だから、やはり、辞めるべきだろう。だが、寂しさはある。そりゃ、10年続けてきたのだから、思い出も一杯有るし、思い入れも一杯あった。もう、学校に行く事も無いと思うと、非常に寂しい。ましてや、自分の青春の一部であった母校だ。先生にお目に掛かれなくなるのも寂しい。折角、来年は、私の恩師である先生が校長になられるのになあ。・・・・とも思うが、やはり、今は、しなくてはいけない事が山積だから、これで良いのだと思う。明日は、思い切り、楽しもう。10年最後の慰労会だもの。
2005年12月01日
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