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朝、母から電話で弟が帰るから、暇なら駅まで送って途の事。私も、明日、大阪に行く切符を買いに行かなければならないので、着替えて、母の家に迎えに行った。一周忌のお礼の品物などを買いに行き、発送の手続きなどし、私も切符などを買っていたら、お昼になった。3人で、近くの喫茶店に入り、軽い昼食を摂り、弟を改札口で送った。帰りに母の買い物に付き合い、夕方帰宅した。何だか、疲れてしまった。明日は、大ちゃんの「バクマツバンプー」の千秋楽に行く。めちゃめちゃ楽しみだ。気がつくと、うたた寝してしまっていた。今日で、10月も終わりだというのに、暑い。地球の温暖化は、こんな普通の生活をしている、普通の人間でさえ、危機感を募らせる段階にきているのだなあと、アメリカが京都議定書に調印しなかった事に、馬鹿みたいだが、今更、腹が立った。ブッシュさんに「あなた、本当に、地球をどうするつもり!!」と、言いたくなった。海の面積が増えていて、砂浜がどんどんなくなってるとか。本当、もう、何とかしなくちゃならないんじゃないんですか?
2005年10月31日
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チビのウィルス性胃腸炎が大分よくなった。久しぶりに弟がゆっくりできるというので、夕食を食べに、行った。弟が来ると、いつも行くのは、ステーキ屋さんか、焼肉屋さん。今日は、いつも我が家が行く、焼肉屋さん。ここのねぎ塩タンが美味なのだ。ここは、牧場を持っているので、美味しくて、安い、良いお肉が売り。声の大きい弟の為、個室を頼んだ。相変わらず、切れ目なくしゃべる弟に、我が家のメンバーは辟易。仕方ないなあ、弟だから。おなか一杯になって、焼肉屋さんを出た。仕事も何をやってるんだか。一度、平台に並ぶような本を出し、売れてから、この仕事が辞められなくなった。一応、雑誌などに仕事を貰っているみたいだが、昔、一度、そんな思いをすると、この世界は、なかなか抜け出せないようだ。もっと、堅実な仕事に就いて、堅実な生活を送って欲しいのだが、あの父さえ、弟を諌めることが出来なかったのだから、私など、喧嘩になるだけなので、もう、何も言わない。例の一度、舞台の上でスポットをあびると、なかなか辞められない歌手と同じなんだろう。しかし事実は、アルバイトで生活をしている状態。弟の人生だから、勝手にすれば良いが、もう、これ以上、迷惑だけは、掛けられたくない。頼むから、こっちに迷惑掛けないで・・と我、弟ながら、情けなかった。本人は、こっちの気持を知っているのかいないのか、いつもの調子の良い態度だった。先が思いやられる事ばかりだなあ。
2005年10月30日
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一周忌は早めにするそうで、今日、父の一周忌をした。なにぶん、物を知らない私は、随分遅くにお寺さんにお願いした物だから、午後からの法要になってしまった。午後2時半、喪服を着て、パパと娘達と母の所に行った。東京から愚弟が戻っており、それも、免停になりそうなので、今回は電車で来たとか、足が無いので迎えにきてくれとは、本物の愚弟だ。オネエが自分の車にチビを乗せて行ってくれた。お寺で約一時間の読経、食事まで時間があったので、母のところに来ていただき、お茶。このお茶の事で、先日またもめた。ちょっとお茶とお菓子を出すくらいなのに、やれ、和菓子のフォークの揃いが無いだの、お座布団が無いだの、どうでも良いことに、母は気を廻し過ぎる。私など、父のお仏壇に参ってくださりに来てくださるだけで、ありがたいなあと思うだけなのに。「ごめんなさいねぇ、色色揃ってなくて」って如何して言えないんだろう。もっと楽になれば、母も気苦労はないのになあ。以前の私も、母のように完璧主義者だったが、鬱になり、自分を見つめなおす機会が多くなり、完璧主義が、身に合わないと解ってから、辞めた。カウンセリングと、カウンセラーの御蔭かな?お食事は近くのしゃぶしゃぶ屋さん。だが、お料理は、普通の会席料理だった。皆さんにお礼を言い、お送りして、やれやれ、一周忌も無事済んだ。実感の無い一周忌だったなあ。
2005年10月29日
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今日は、コーラスの練習日。あと、学校の本番まで1回、この県の大会まで2回の練習で、歌詞を入れないと成らない。結構、辛いなあ。今日は、朝から、練習。御弁当持ちのはずだったのに、チビが、朝からおなかが痛いと言い出し、いつも乗る電車に乗れなくなった。どうも、また、例の病気みたい。こりゃ、お医者さんに連れて行かなきゃならないかなあ。仕方ない、友人に電話をして、少し遅れて練習に行く事にし、ホームドクターの所に連れて行った。案の定、「ウィルス性の胃腸炎ですね」またか~。だからあんなに、寝不足しちゃ駄目って言ったのに。もう、カンカンに怒った。以前これに成った時、夜は、12時までに就寝する約束をしたのに、また最近相変わらずの宵っ張りになってきていたからだ。いくら言っても聞かない、本当にこっちは怒っていたから、ほらご覧・・・と言う事になった。今日は、どうせチビが塾に行って遅いだろうし、映画の試写会にオネエと行く予定だった。結局、熱はないが、学校に電話してお休みさせた。「もう、だからあんなに言ったのに、御母さんの言う事聞かないから、ちっとも可哀想じゃないわよ!罰として、今日は、遅くなるから、ちゃんと一人で寝てなさい!」ときつ~く叱って家を出た。午前中は発声の練習。午後からは、歌の練習やら、出の練習、立ち位置の確認など。学校の合唱コンクールは、先生方も途中から参加されるから、一緒に懐かしい唱歌を練習した。夕方、車で駅まで行き、駐車場に放りこんで名古屋に出た。待ち合わせしたオネエと一緒に、中小企業センターへ。見たくて見たくて仕方が無かった映画「ALWAYS」。もう、一杯の人が並んでいたが、何とか、良い席につけた。本当に良い映画だった。昭和33年、東京タワーのすぐ下、一生懸命生きる、戦争を乗り越えてきた人々の物語。昭和30年、「もはや戦後は終わった」と言われた。街は活気にみち、東北から集団就職の子ども達を乗せた列車が上野に着く。勢いのある、時代の本当に心が温かくて、優しい気持ちになる映画。何より、私がうまれて育った、その場所そのものなのだ。東京タワーから真っ直ぐ伸びる、日比谷までの道の途中に私は昭和30年に生まれ、10歳まで育った。その町そのものなのだ。コンピューターグラフィックスで現れたその町の姿を見た時点でもう、ジワーと来た。そして、力道山の空手チョップを見た途端、涙が止まらなかった。そう、この画面を見たその時、私の傍にはいつも父がいたから。ピアノと声楽のレッスンに通った都電も、そのまま、道の真ん中にあった停留場の標識もそのまま、壁に掛かったお鍋は未だに母が使っている。そして、氷を入れる形式の冷蔵庫、大騒ぎをして、うやうやしくテレビを見たあの時代。なんて、優しい時間なのでしょう。映画の筋にも、涙、涙。気がつくと、オネエも涙、隣に座っている、若い女の子達もハンカチを目に当てていた。試写会に来ていた人は、結構年輩の人が多かったが、皆、涙を流して、見てらっしゃった。本当に良い映画だった。これ、絶対、母にも見せてあげよう。母は父との思い出が有る街だから、もっと泣くかもしれない。映画が終わっても、タイトルバックが流れても、誰も、そそくさと立つ人はいなかった。じ~んと心に沁みた思いは、皆一緒なのだろう。会場を出た時、そこの街の喧騒が、すごくすごく白々しく見えた。「違うんじゃないの」そんな気にさせられる映画だった。駅までの道々、思い出しては、涙する私に、恥ずかしいなあ・・・と腐っていた娘だが、ぽつんと言った。「御母さんは幸せだね、だって、自分が生まれて育ったその場所が、時間が、映画で見られるなんて、なかなか無いことだよ、すごく幸せな事だよ」本当だね。この映画、私の一番になりそうだ。
2005年10月28日
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風邪のせいか、チビが朝から、おなかが痛いという。今朝は、秋の深まりが肌でわかるような日革のジャケットを羽織り、仕方が無いので、学校まで送っていった。本当は、禁止なのだが、今日は仕方あるまい。バックミラーに映る顔は青い。目を瞑っている。「帰ろうか?」と聞くと「ううん、行く」。あと何回、こうして送って行けるのかなあ。三学期は、登校しないから、学校に行くのは、この12月の冬休み前までだ。紅葉し始めた木々のある学校の坂を登りながら、ちょっと感慨深くなった。校舎の横にチビを降ろし、来た道を帰った。午後に母から電話があり、つまらない事を言うので、喧嘩になった。意味が解らないうちに、いきなり捨て台詞の後、電話を切られた。弟が明日来るから車を貸してくれと言うのだ。何故自分の車に乗ってこないのか、聞いたのだが、どうにも要領を得ない。どうして?と聞いただけなのに、怒っていきなり電話を切った。何とも、むかっ腹が立ち、そのまま母の家に行った。また、母の自分勝手な判断、早とちりだったのだ。いい加減にして欲しい。おまけに、夜になって、弟が来るのは、父の一周忌の法事のある明後日だとパパが電話で確かめて、わかった。それで、母に電話すると、「ああ、そうなんだって、私の早とちりよ」・・・・。こちらが電話するまで、それも言ってこない自分勝手さに本当に腹が立った。オネエが「おばあちゃん、ちょっと可笑しいかも」とつぶやいた。いや、昔から、そうだった。本当に、気持を引っかき回され、非常に不愉快だった。何とも気持がささくれていたら、郵便やさんが来た。沢山の郵便物と、一緒に宅配のものもあった。ふと見ると、「ジェイ・ストーム」とある。あ、これ、嵐君のレコード会社だ。開けたら、びっくり、「ご当選、おめでとうございます」の文字。えーーー当たったんだ~。開けると、写真集が出てきた。すごい、1000分の1に入ったんだ。多分、何万人の応募だったろうから、本当に嬉しい!!昨日、車をぶつけられ、良いことがあったじゃない!で、嬉しかったので、画像をアップ。嵐君の写真は、規則で載せてはいけないので、封筒で隠した。一辺に気持が持ち直した。ありがとう嵐君。
2005年10月27日
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午前中、溜まっていたHDDをまとめて見た。「1リットルの涙」3回分。泣いた。この原作は、もう随分前に出ている。その当時、凄い話題になった。多分、映画とか、TVにもなったんじゃないかなあ。見たら、絶対泣くと思ったが、役者さんが良いので、見ようと思い録った。やっぱり、泣かされた。しかし、この本が出た頃と違った涙だった。自分でも少し驚いた。当時は、ご本人の気持で泣いた。今回は、薬師丸ひろこ演じる母親の気持になっている自分に気が付いた。「代わってやりたい」と思った。お医者さんから告知された時、一人車の中で泣く、母親のシーンの前に、一緒にお医者さんに告知された気持になっていた。本当に代わってあげたいと思っていた。以前と見方が違っている事がとても自分で面白かった。続けて3話見たら、すっかりその世界に入り込んでしまって、3話が終わる頃は、もう、グショグショに泣いていた。一緒に見ていた娘も泣き虫なので、泣きに泣いていた。これだから、いまだに「ホタルの墓」が見られないのだ。お昼にパパが帰って来て、3人で食事。今日からカウンセリングの時間が夕方に変わった。いつも、午前中に済まして、お買い物に行くのだが、今日も結局、終わってから買い物に行った。で、最後に行ったお店の駐車場で車をぶつけられた。買い物が終わり、車の所に戻ったら、私の車の横で女の人が立ち話をしていた。バックしてきた車が、その人達をよけて、私の車の前に凄い音を立てて、当たって止まった。もう、ビックリしてしまった。アチャーこれで帰りが遅くなるよ~。お肉もお魚も無事でいられるかなあ。と、車をよそにまず考えた自分が可笑しかった。すぐにパパにTEL。「相手の名前、車のナンバー、保険会社の名前と電話を聞いておけ」と言うので、一緒に店の中に戻り、免許証をコピーさせてもらった。パパから電話がありこちらに向かっているから、待っているように言われた。相手の人は、任意保険の証書が見つからず、車の中を探して、困っていた。中に可愛いチワワがいたので、私はずっとその子と遊んでいた。見るとチャイルドシートがあったので、聞いたら、大阪から1年前に引っ越してきたそう。今、奥さんとお子さんは、御実家に帰ってらっしゃるとか。ただ、おかしいなあ・・と思ったのは、1年も住んでいるのに、自宅に電話をつけていない・・・との事。最近の若い人は、携帯が有るから、電話をつけないのかなあ。パパが来た。「お前は車にいなさい」と言うので、パパの車に乗ってTVを見ていた。暫くして、保険を探しに、相手の家に行く事になった。相手の家は、実家のすぐそばのアパートだった。そこから警察に連絡したら、来てくれとの事で、三台で警察に行き、事故証明を発行してもらうよう、手続きをした。警察を出る時に相手の人がボソッと言った。「良い車なので、その筋の奥さんだったらどうしようと思いました」ああ、それでパパが来たとき、ホッとしたお顔をなさったのか。しっかし、私、その筋の人の奥さんに見えるのかしら。ボアっとしてるのになあ。姉(アネ)さんに見えるほど、しゃきっとしてないのになあ。ちょっとショックだった。パパに言ったら大笑いされた。本当に失礼な奴だ。帰宅してから、遅い夕食になった。車は、少しへこんだ。また修理だなあ。代車が来るけど、あ~、面倒臭い。この車、これで駐車中にぶつけられたの、三回目。全くなあ。何なんでしょうかねぇ。
2005年10月26日
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昨日から、チビと、パパが風邪を引いている。パパは、熱があるみたい。病は気から・・の主義の人だから、「気」で治そうとするから、熱も計ろうとしないし、お医者さんにも行かない。「大丈夫」と言うだけ。こちらも仕方が無いから、その主義に乗ってあげる。おみかんを買ってきて、ビタミンCの補給。食事は、野菜たっぷりの消化の良いものを。後は、売薬と睡眠。こういうやり方をしているから、医者嫌いの家族になり、御祖母ちゃんは糖尿病が酷くなって、おじいちゃんは、癌の発見が遅れ、60歳を過ぎたばかりで、亡くなった。私は、こういうやり方は、意に沿わない。やはり、専門家であるお医者さんに委ねるべきといつも思う。何故なら、素人判断で、風邪の中に他の病気が隠れている事も、無い訳ではないからだ。人に笑われるくらい、気をつけて丁度良いのだと思う。虚弱体質に生まれついた私の持論。チビは、寝不足が原因だから、寝たら治るだろう。2日様子を見て、治らなかったら、お医者さんに連れて行こうと思う。金曜からバタバタした日が続き、やっと、今日は、朝から、ゆっくりした。大ちゃんのお芝居のパンフレットをやっと隅から隅まで読んだ。面白かったなあ。お芝居。今度は大阪です。
2005年10月25日
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今日は、前々から予定のPTAの役員の集まり。卒業式の後の謝恩会の話し合い。女の人ばかりの、こういう役員会はすっごく苦手。めちゃめちゃ気を使う。先日、事務的能力に長けたDさんに頼んで、御父兄に配る、参加不参加のアンケートを作っていただき、二人で学校に持って行き、学年主任の先生に託してきたのだが、そのお返事が返って来てから、皆で今後の話し合いをする予定だった。人の良いDさんが、少し先のことを考えてくださって、先生にお願いした帰り、他の方にお電話くださったが、反論されてしまったと、すぐにお電話があった。正直、そう言う事を仰る方が出て来るだろうなあ・・どうしよう、Dさんを止めた方が良いかな・・・と迷っているうちに、Dさんが、速攻で行動に移し、結局、嫌な思いをさせてしまい、申し訳かったと反省した。こういう方が出てくるだろうなあ・・と、解っていたのだから、止めてあげるべきだった。上の娘から続けてやってるので、約8年。中には、物申す方も多いのは解っていたのに、止められなかった不甲斐ない自分が情けなかった。Dさんは、良いよ気にしてないから・・と仰ってくださったが、本当に、駄目だなあ私。で、今日は、もう、突っ走った。勢いでやっちゃった。案外早く事が進み、先生の会費の件やら、細かい事まで、長いお付き合いの方の助けもあり、何とか、まとまった。反対意見も出ず、思っていたよりスムーズに事が運んだ。良かった~。咽喉がからからになった。疲れた。これで、何とか、形になりそう。あとは、企画だなあ。前途多難。頑張りましょう。
2005年10月24日
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疲れていたのだろう。目がさめたのは、9時過ぎ。きゃー、大変、10時にチェックアウトなのに。急いで、着替えて、荷物を用意し、昨日買っておいた、朝食のサンドウィッチを食べ、チェックアウトして表に出た。さあてどうしようかな?とりあえず、駅前までの、ワンコインバスに乗り、荷物をコインロッカーに仕舞った。いつもは、ホテルから送っちゃうのだが、明日、出かけなければならないので、今日は、買い物も無いし、持って帰る事にした。昨日のキッシュが美味しかったので、おみやげに買って、一緒にロッカーに入れた。時間は、10時半過ぎ。伯母の家に向かった。新宿から三鷹まで、中央線で約20分。駅に降りると、すぐにバスがいたので乗った。子どもの時は歩いたが、いつも降りる停留場の次まで乗って行った。伯母の家はどちらからでもさして変わりない距離なので、バスから降りて、懐かしい道を歩いた。私は、新橋で生まれ、10歳の時、小学校5年生でこの街に来た。厳密に言うと、伯母の家の二軒隣の産院で生まれたのだが、その時に住んでいたのは新橋だから、幼稚園も、小学校も新橋だった。転校生は、総じていじめに合う。ご他聞に漏れず、私もいじめられた。昨今、騒がれて久しいが、いじめは、40年前からあった。水を掛けられたり、帰ろうとして靴を隠され上靴のまま帰宅したり、ランドセル、体操服などかくされるのは、日常茶飯事だった。校舎の裏に連れ込まれ、嫌がらせされたり、担任が非常にヒステリックな女性教師で、授業中、私の椅子の下に男の子が這ってきて、ふくらはぎにマジックで落書きしているのを、見てみぬ振りをした。味方はいないと自分に言い聞かせ、戦おうと思った。教師自体に酷い事を言われた事もある。しかし、私は、負けなかった。何をされても、笑ってやった。いじめてもめげない私に皆、飽きたのだろう、そのうち、いじめはなくなった。伯母の家に小さな頃から遊びに来ていて、隣のクラスに幼馴染が二人いた事も幸いした。その隣のクラスの男性の先生が、いつも暖かく見守ってくださったのも救いだった。クラス担任の女性教師は助けてくれなかったが、その男性教師はいじめを知ってらしてか、「頑張れよ」といつも顔をあわせると仰ってくださった。中学は二つの小学校が一緒になった。御蔭で、私には、私がいた小学校からの友達は多くはなかったが、隣の、井之頭小学校から来た子に沢山の友達が出来た。当時、教育評論家がTVに出始めた頃で、井の頭小学校の教師の一人が有名な人だった。だから、本当に井之小の子達は、皆、とても良い子が多かった。今も続いている友人もいる。伯母の家までの道を歩きながら、懐かしく色色な亊を思い出した。伯母は元気だった。従姉妹が今年定年を迎え、教員生活に終止符を打って、家にいるようになり、従姉妹のダンナサマも、定年延長が終わり、60歳以上が家に沢山いるようになったと、「おっそろしい」と、以前従姉妹がぼやいていた。一番下の従兄弟も遊びに来ていた。私に泳ぎを教えてくれたり、初めて映画につれて行ってくれた7つ上のお兄ちゃんみたいな従兄弟。従姉妹のダンナサマが放蕩鍋を作ってくれた。うちのパパに爪の垢でも煎じてのませたいくらい。皆で、美味しいおうどんの放蕩汁をいただいた。生まれて初めて食べた味だった。これ、家で作ろうっと。食事後は、女ばかりでおしゃべりに花が咲いた。95歳の伯母と、72歳の従姉妹と60歳の従姉妹。こうして書くと、すごい年齢に見えるが、どうしてどうして、皆、全然そんな年には見えない。皆、10歳は若く見える。見えるだけではなく、72歳の従姉妹は一昨年、自転車でジブリまで私と一緒にすごいスピードで、偵察に行ってくれたし、60歳の従姉妹は、一年に何回も海外に出かけ、先日は、中国の山岳民族に会いにいったり、ゴルフをしたり、フットワークの軽い人だ。皆、私のオムツを代えてくれた人ばかり。結局、夕方までおしゃべりしてしまった。4時過ぎ、従姉妹に送ってもらい、三鷹の駅まで行き、ご挨拶して、電車に乗った。そこから娘達に頼まれたハーブスターのチキンを買いに原宿に行った。日曜の原宿は、行くもんじゃないなあ。思ったよりチキンが重くて参った。新宿に戻って、カバンを出し、品川に行き、のぞみに乗った。人身事故とかで遅れていて、名古屋に着いたのは、8時を過ぎた。買ってあった電車が出てしまって、特急券が無駄になった。次の電車の中からパパにメールしたら、駅まで迎えに来てくれた。帰宅後、皆で食事。お疲れ様。ジブリ美術館のある三鷹の駅で売っていた、キャラクターを刺繍した可愛いハンカチしか、今回はお土産はなし。あとは、キッシュとチキンだけ。さすがに疲れました。
2005年10月23日
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朝、8時過ぎに出発。のぞみに乗ったら、席は窓際だったのだが、隣に、年輩のオジサンが、ものすごく、でかい態度で座っていた。靴を脱いで、荷物を自分の足の下に置いて、思いっきりずれて座って本を見ている。東京まで、この隣だと思うと、憂鬱になった。持って来た文庫本を読み始めたら、すぐに眠くなった。気が付いたら、もう、横浜を過ぎた。しっかり寝ちゃっていた。まず新宿まで行き、ホテルに荷物を置いた。寒いかな・・・と一旦着替えたが、暑かったので、もう一回着替えて、元の格好に。馬鹿みたい。お昼どうしようかなあ。とりあえず、新大久保まで行っちゃおう・・・と電車に乗った。外は雨。グローブ座に行くまでに、結構、食べるお店がある。前に見つけた美味しい定食のお店に入った。600円のカルビ焼き定食を頼んだ。たっぷりのお肉におみおつけ、お漬物にご飯。安いよなあ。お客さんの半分は、グローブ座のお客さんらしい。お店を出て、グローブ座に着いたら、丁度良い時間だった。パンフレットを買って、ファミリークラブで抽選の手続きをして、席に着いた。あっ、また、オペラグラス忘れたよ~。今回は、一番後ろだから、持って来ようと思ってたのに~。まあ、グローブ座は、一番後ろからも、十分、見えるんだけど、大ちゃんの表情が見たかったのになあ。お芝居は、新撰組が実は、吸血鬼集団だったっていう、奇想天外な内容。しかし、良くまとまっていて、先日の相葉ちゃんのお芝居が、「静」のお芝居なら、これは、完全に「動」のお芝居。殺陣は流石にうまい。大ちゃんのあの華麗な宙を舞うような踊りをそのまま殺陣にしたように、華麗な殺陣だった。舞台装置も、なかなか凝っていて、良かった。最後に皆、魔力の刀剣で死んでしまうのだけれど、大ちゃん一人、生き残る。吸血鬼、近藤勇に拾われ育てられた沖田役の大ちゃんは、実は、吸血鬼じゃなく人間だった・・という筋で、最後は大ちゃんの死んでいった皆の分も強く生きよう・・と言う言葉で終わる、奇想天外な内容なんだけれど、大ちゃん演じる沖田聡司がろうがい(肺結核)という、史実に忠実なところが、返って何とも可笑しかった。芝居の中に嵐ネタが多くて、笑わせられた。坂本竜馬が下ネタを連発した後に「オマエの御蔭で一幕が台無しだ」って大ちゃんが言うのもネタみたい。土方さんが、客席に降りてきて「沖田の生写真、今日は、4枚あげるよ!昨日は、3枚だった。しかし、昨日、そこのマツキヨの前に一枚落ちてたらしい。そういうことが無いようにしてな」なんて、ファンサービスもあった。思いっきり、楽しい、お芝居だった。後は、共演の有森也美さんの、着物の立ち振る舞いが美しかった。流石に女優さんだなあと感心した。白足袋が、とても美しい動きをしていた。センゴクプーは泣かされたが、今回バクマツプーは、あまり泣かされるお芝居ではなかった。どちらかと言うと、楽しいお芝居だった。グローブ座から出ると、雨は上がっていた。横にある、大きなウィンドーに大ちゃんの大きなポスターが貼ってあったので、記念撮影。ここに、潤君の「エデンの東」、ニノの「理由無き反抗」の大きなポスターが掛かった。私は、大阪だったので相葉ちゃんのポスターは観られなかったが、これで、翔君以外の4人のポスターが掛けられた訳か・・。夕食を食べに行こうかと思ったが、何となく、疲れていた。新宿の駅前のデパチカで何か買って帰ろうとお店に入ったら、すぐ靴売り場。見ると、私が今はいているメーカーの靴が並んでいた。正に見っけ。という感じ。このメーカー、日本じゃなかなか手に入らない。私は、特別に輸入したTV通販で手に入れた。兎に角、履きやすくて、お洒落。フランスのウォーキングシューズメーカーなのだ。見ていたら、店員さんが来た。私の靴を見て、「どちらで、お求めになられました」と聞かれたので言うと、「やはりそうですか。日本じゃこのメーカーは、うちともう一軒しか置いてないものですから」「そうなんですか」「はい、でも、今お客様が履いてらっしゃるデザインと色は、日本には入っていませんよ」って言われた。ピンクが主体のベージュとのツートンカラーの紐靴で、とても履きやすく、最近、こればかり履いていたら、他の靴が履けなくなっちゃったのだ。で、このメーカーの靴が欲しくて探したが、どこにもなかった。そういう訳なら名古屋にも無いはずだ。これは、神様が偶然私にくれたチャンスだなと思った。で、気に入ったベージュのバックスキンのショートブーツを買った。色が、良いのだ。ちょっとピンク掛かったベージュ。包んでもらって、エスカレーターで下に降り、デパチカでホウレン草のキッシュと、海老マヨとチキンを買ってホテルに帰った。しかし、そのまま、靴も脱がず、気が付くと、ベッドに倒れこんで寝てしまっていた。余程 疲れていたのだろう。それから、遅い夕食を摂ってシャワーを浴びて寝た。楽しかったなあ。それに、靴は、ラッキー!今日は、良い日でした。
2005年10月22日
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も~、きつかった、今日のコーラス。御指導の先生の声の強さが、いつもの3倍だった。「本気だ」って、鬼気迫る感があって、ノンポリ部員の私には、「あ~、しんど」って感じのレッスンだった。しっかし、声って、本気で出すと、出るもんだ。自分の声に驚いた。カラオケじゃ、いつも下手ッピーの自分の声が、情け無いんだけど。どうして、コーラスの時は、うまく声が出るのかな?唄い方が違うからかなあ。歌は楽しい。ものすご~く疲れるけれど。音は、何とか入ったけれど、なかなか歌詞が入らない。簡単な言葉使いじゃなくて、文語の歌詞なので、入りにくい。詩自体は、非常に綺麗な詩なんだけど、音になかなか乗せると難しい。あと、二週間。覚えられるかなあ。最後なんだから、頑張ろうっと。帰りに電車の切符を買いに行った。泊まろうか最後まで迷った。考えがまとまらないので、アフタヌーンティーに入って、フレバーティを頼んで、考えた。この前、泊まったのは、何時だっけ?そうだ、7月に小雀どもを伴って、夏コンの初日に泊まったきりだ。その次に帰った時は、日帰りだった。あれから3ヶ月泊まってないなあ。で、決めた。泊まろう。携帯のIモードで新幹線の時刻表で調べ、切符を買いに行った。今日は、疲れて、用意する気になれなかったので、すぐに、寝た。明日、早く起きて、用意しようっと。
2005年10月21日
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夜更かしをしているものだから、朝寝がくせになった。まずいよなぁ。10時過ぎに起きたら、良いお天気。昔は、さっさと洗濯機に洗濯物を放り込み、お布団を干し、家事をこなしていたのに、今は、何も出来ない。下の娘が大学の推薦を3つもらった。しかし、推薦を貰ったって、論文、面接試験に合格できなけりゃ、受からない。推薦は、結構、簡単にもらえるから。推薦は10中8~9は落ちると思っていてください・・・と進学指導の先生に釘を刺されている。娘にもそれはよく言ってあるが、今日も模擬の面接試験をしたそう。様子を聞くと、前途多難だなあ。私も、推薦で入っちゃったから、本当の受験は経験がない。論文と面接だけだったので、娘に大きな事は言えない。まあ、頑張ってください。鬱は、相変わらず。夕方になるほど辛くなる。今日は、本当なら、土曜日に見に行く大ちゃんのお芝居のため、新幹線の切符を買いに行こうと思っていたのに、結局、家から出られなかった。一日、行こう行こうと思っていたのに、出られたのは、パパがお昼に戻ってきて、パパの車で一緒に近くのスーパーにお昼の食材やら、お弁当のおかずの食材を買いに出ただけ。あ、綺麗なゆりのお花も買った。本当は、茜色の薔薇も買いたかったが、少し、痛んでいたので、ユリにした。こうして、お花を買うときは、結構、気持が萎えていたり、反対に嬉しかったりする時が多い。お花を買う時は、気持が普通じゃない時みたいだ。結局、乗る予定の電車の時間を書いたメモを、ずっと、横に置いたまま、家の中から出られなかった。大ちゃんのお芝居を観たら、元気になれるかなあ。東京に帰ったら、元気になれるかなあ。折角行くのだから泊まって来ようと思ったが、これも、気持が乗らない。パパも泊まって来いよって言ってくれたのに、日帰りなんて、何だか、勿体無いね。まあ、仕方ないか。またチャンスはあるし。明日はコーラス。また疲れちゃうかな?上手く行けると良いな。
2005年10月20日
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カウンセリングの日。鬱になる原因を探っていたら、反対に鬱になってしまった。カウンセリングルームから出て、会計で待っていたら、ありゃ?鬱、酷くなってるよ。私の中にある、御祖母ちゃんへの思いが、まだ、片付いてない・・・と言われた。そんな事は解っている。「相手は何も解らないのだから、良い機会じゃないですか、胸に溜まった、言えなかった言葉をぶつけてみては如何ですか?」と言われた。だが、私の中には、何も解らなくなった御祖母ちゃんに今更、何を言っても・・・と言う気持ちがある。御祖母ちゃんと同居した一年に私の鬱は、酷くなった。言い返せば良かった。今になって思う。こんな辛い思いをするくらいなら、あの時、鬱病がこんなに治らないと解っていたら、毎回、毎回、嫌な思いをした時に言い返したら良かった・・・。だが言い返すのは、大人気ない、理性が無い・・そうかたくなに思ってしまっていた。言い返したら、泥沼になるとも思った。言い返していた妹のように、簡単に水に流せられるほど、私は器が大きくない。心が大きくない。だから言い返せなかった。それを、今になって、あの時の思いを思い出し、何も覚えて無い人に、恨みつらみを言えと言われたのだ。頭が混乱して、落ち込んだ。「今日の事を覚えてないからこそ、言うチャンスじゃないですか」カウンセラーが言った。解らない相手に言って、気持ちは救われるのだろうか?言われた方は何のことを言われたのか解らないのに、言っても本当に救われるのだろうか。言ったら、自分が傷つくだけのような気がする。怖い。こうしてブログに気持をぶつける。私の中でわだかまっている事を、吐き出す。自分がこれほど、執念深い人間とは、思っていなかった。しかし、現実に何度も同じことを書いている。そして、我が身の醜さを突きつけられるようで、後で、読み返したくない日記になるのだ。しかし、何かにぶつけないと、ふつふつと湧き上がった思いは、行き場がなくなっていく。カウンセラーが言うように、その本人に言う事が出来るのなら、それが一番良いのかもしれないが、まだ、気持が納得しない。納得出来ないから、また、鬱、鬱となる。悪循環だなあ。
2005年10月19日
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今日は、診察の日だった。鬱が少しひどくなったことを担当医に言った。いつものように、「まあ、ゆっくり、治しましょう」と言うだけ。自分で解ってる分、ましって訳か。やはり、御祖母ちゃんのことが原因だそうだ。何時になったら、この泥沼から抜け出せるのかな。最近、TVのCMで「鬱は、半月辛かったら・・・」と言うのがある。調子が良いときは、見ても泣かない。しかし、調子が悪いと、泣いてしまう。CMの中、女性が優しい言葉を言うのだが、それが鬱気味の時は応えてしまうのだ。今は、泣いてしまう時。早く治らないかなあ。最近、はまっている物がある。勿論、嵐君は別格。映画「ALWAYS」。昭和33年が舞台の東京の物語。まだ、封切りされていない。11月からの上映だ。まあ、この映画も嵐君の御蔭で知った。スーパーに買い物に行き、嵐君達がCMをやってるお菓子を買ったら、その裏にこの映画の事が出ていた。どうやら、このお菓子とタイアップしているらしい。ちょっと興味をそそられて、ホームページに行って予告編を見た。泣いた。予告編だけなのに、泣いた。あまりの懐かしさに、心が震えるくらい、たまらなく嬉しかった。昭和33年、東京のある街での小さな出来事が描かれた映画。出てくる、街の風景が、東京新橋で育った私には、私の育った環境そのままだった。フラフープで遊ぶ子ども達、駄菓子や、オート三輪。力道山、空手チョップ 路面電車、初めての電気冷蔵庫、白黒TVの前に集まった人々。そして、建築中の東京タワー。もう、どれもこれも、懐かしく、いとおしい。早速、会員登録をした。この映画が上映されたら、母を連れて行ってあげたい。子ども達に私の育った街そのもののこの映画の舞台を見せてやりたい。パパとこの時代を懐かしみたい。多分、母は私同様、泣くだろう。父と暮らした、東京の下町を思い出し泣くだろう。予告編だけで、こんなに心打たれたのだから。楽しみが増えた。
2005年10月18日
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昨夜、一睡も出来なかった。カラオケで興奮していたからかなあ・・・と、悶々とベッドの中で考えた。仕方がないので、起きた。下に降りたら、まだ、オネエが起きていたので、お風呂に入り、夏の間、ずっと使っていなかった湯船を掃除した。お風呂用のクレンザーでピカピカに磨いて、壁も綺麗にして、窓際もみんな掃除して、湯船にお湯を張って入った。気持ちよかった。ボゥっとしていたらいきなりシーンとした中、「誰だ」とパパの声、飛び上がった。もう、ビックリさせないでよ~。「私」と言うと、何だオマエかって。誰だったら良かったんだ?トイレに起きてきたらしい。お風呂から出てTVをつけたら、松田聖子のリサイタルをやっていた。あの広さから、相当広い会場だろう。流石にすごい。新曲から、天使の羽をつけた衣装で、古い歌のメドレーまで、皆知っている曲ばかり、本当にこの人は、凄い人なんだなあ・・・と改めて思った。で、最後まで見たら、時計は3時過ぎ。そろそろ眠れるかなと布団に入るも、4時まで目が冴えて眠れなかった。何故かなあ・・・ともう一度考えて、やっと気が付いた。カラオケから帰って、薬を飲むのを忘れた。ああ、そうなんだと気が付いた。しかし、今、飲んだら、朝起きられない。もう、4時半。おなかの薬だけ飲みに下に降りた。もう、起きてようかしら・・・とも思ったが、少しでも体を休めようと、また、二階に上がって、ベッドにもぐりこんだが色色考えてしまい、結局、6時から7時過ぎに娘におこされるまで、一時間しか眠れなかった。で、皆を出してから、朝食にヨーグルトを食べて、薬を飲み、もう一度、二階に上がって寝た。次に気がついたのは、午後一時。パパからの電話だった。お昼を食べに行こうとのこと。5時間は眠れたからもう大丈夫・・・と起きた。しかし、やっぱり、少し頭痛がする。パパの車が迎えのクラクションを鳴らしたので、表に出たら雨だった。近くのちょっと洒落た、落ち着いたイタメシ屋さんでランチ。隣の年輩3人の女性グループが凄い勢いでおしゃべりしていた。パパが頼んだメニューを、お店の人が持ってくるとき、「それなんですか」と聞いていた。お店の人が言うと「あ、やっぱりそれにすれば良かったわぁ」。思わず、私は笑っちゃったが、パパは呆れていた。このくらいのお年になると、女の人は怖い物無しなんだよな。家の建築の話やら、お洋服の話やら、耳をそばだてなくてもこちらが、黙って黙々と食べていると、嫌でも耳に入ってくる。お前達のお食事会も、他の人から見ると、こういう風に見えてるぞってパパが言ので、「いや、私たちは、まだあそこまでは行ってないと思うよ」と、ドリンクバーのお代わりを取りに行き、言った。人の振り見て我振り直せだな。小さなお店なので、おば様たちの声は店中に聞こえていた。気をつけましょう。
2005年10月17日
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お昼に昨日のすき焼きにおうどんを入れて食べた。オネエは午後から卒論のために学校に行った。私は、パパと二人で、つまらないテレビを見ながら、のんびりしていた。チビが昨日から、今日はカラオケに行きたいと言っていた。オネエもそのつもりで出て行ったと言う。夕方、寝てしまった。目が覚めたらもう、6時半。あ、カラオケ。でも誰も起こしに来ない。下に降りると、オネエ待ちだそう。今日から、潤君司会の「歌笑」が始まるから、あまり出たくないなあ。まあ、録画しておけばいいけど。オネエが戻ってきて、車で出発。途中、潤君のテレビを見ながら走った。潤君は、21日から始まる「花より男子」の道明寺役のため、髪にパーマがあたっていた。漫画を読んだ限りでは、この髪型、良いんじゃない?お顔が綺麗だと、どんな髪型も似合っちゃうよね!カラオケは、たっぷり二時間。私は、嵐君の「ONE」の曲ばかり。聞くと唄うでは大違い。歌詞を見てると、音が外れる事に気が付き、見ないで唄ったら、結構唄えた。カラオケは面白い。声楽をやってたオネエは風邪を引いていても、惚れ惚れするほど、上手い。今は、大学の教授が趣味でやってるバンドにスカウトされ、唄っている。大学院の試験と卒論の為、今年の学祭は、お休み。丁度今日、学校で、別の教授に「大学院どうした?」と尋ねられ「お蔭さまで受かりました」と言ったら「じゃ、学祭で君の歌、聞けるね」と仰っていただいたそう。しかし、6月に出演するメンバー登録を済ませていないと出られないので、今年は出ない・・・と言ったら、「残念だな、じゃ、今年の忘年会にクラブを借り切ってライヴするから、その時、歌ってな」と言われたとか。ありがたい話じゃないですか。オネエはもっぱら、YUKIと椎名林檎、サリュー。チビは、きりんじ、YUKI パパは、古い歌ばかり。私も最後はユーミン。楽しかった~。我が家は本当に家族でよく遊ぶ。映画もカラオケもゲーセン、美味しいお店行脚も。これって良い事?それとも、少しキモイ事?まあ良いっか。黙っていたって、そのうち娘は出て行くんだから。それまで、家族で思い切り遊びたい。
2005年10月16日
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朝からのんびりの土曜日。どうも、体の疲れが取れない。午前中に少し寝た。気持の方は、何とか、持ち直した。パパは、雨が振ってきたと言うのに、ゴルフ。お客様の車が駐車場に入っていたから、パパが乗せて行ったのだろう。ご苦労様です。お昼にチビとオネエと三人で、食事をしていたら、母から電話。「いつまで待ったら良いのよ!」「え???」「お使い、連れて行ってくれるって言ったじゃない」あ、忘れてた。昨日、コーラスに行って、すっかり忘れちゃっていた。「御免御免、お昼食べたらすぐ行く」で、こういう時、言わなきゃ良いのに、この人は、一言言う。「なんだ、それなら、午前中に美容院に行けば良かった」こういう一言が、人を嫌な思いにさせる事を、全く理解して無い。忘れたこちらも悪いが、謝ってるのに、相手の気持を全く考えず、追い討ちを掛けて、自分の気持を言わないと気が済まないのだ。他人に使われた事がないので、平気でこういう我ままが言えてしまうのだ。父の仕事を手伝って、苦労している割には、他人の中でお給料を貰って、他人の中で誰も頼る人が無い社会人をしたことが母の人生に一度も無い。働いたのは、社長の奥さん・・と言う立場でしかないから、こう言う事を言っても誰も注意してくれなかった。ある意味、可哀想な人なのだ。しかし、娘である私は、バンバン言ってしまう。迎えに行った時も、まだブツブツ言っている。「美容院に行きたかったのに、こんな事なら行けばよかった」と非常に不機嫌。「そんなに言うなら、辞めて行けば良いじゃん」「良いわよ、今からじゃ予約も取れないし」「何故、午前中に確認しないんだよ」「良いわよもう」良いなら、そう言う事、言うな!って言いそうになるのを、ぐっと我慢した。本当に、これだから、長いことコーラスに通っているのに、友達ができないんだよなぁ。母のお使いに付き合い、車の後ろが一杯になったが、最後のスーパーで雨に濡れながら、降りて私も夕食の食材を買いに行った。しかし、やはり、まだ、本調子じゃなかったのだろう。どうにもこうにもだるくて歩けなくなってしまった。どうにかこうにか買い物を済ませ、ベンチに座って、母を待つ間、買ったドリンク剤を飲んだが、口の中が、気持ち悪い。母に先に車の中で待っていると伝え、自動販売機で飲み物を買って、車に戻り、買った物を積み込み、運転席に座り、飲んだ。やっと、何とか、人心地が付き、自分の体の弱さが恨めしかった。夏ばてかなあ。まあ、仕方ないよね。母の買い物を積み込み、帰宅。母の家に母と荷物を降ろして自分の家に戻った。荷物を降ろすのを、子ども達に手伝わせ、ふと見ると、母の買い物があった。やれやれ、もう一度、母の家に戻り、手渡して、やっと帰宅。ドリンク剤が効いてきたのか、少しうごけるようになって、風邪を引いているオネエに元気をつけようと奮発して、すき焼きの支度をした。夜半、雨は、酷くなっていった。
2005年10月15日
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お昼、眼科に御祖母ちゃんを連れて行ったパパと風邪で大学を休んだ娘と合流し、お蕎麦を食べた。御祖母ちゃんの糖尿病性網膜症が進んでいて、次回、また、レーザー手術だそう。なのに、お蕎麦の汁を全部飲もうとしていたので、娘が止めた。「おいしいのに」と文句が出る。もう、全く、解っていないので、糖尿病だから・・の説明をしても無駄なのだ。哀れ。先週は、革工芸に行ったので、コーラスを休んだ。毎週は、きついよね。今日の練習は、面白かった。御指導頂いた、新しい、女性の先生が、素晴らしい方だった。非常に人の心を掴むのが、お上手。後ろの方で、隣の子が「吉本(お笑い)入ってるね」とつぶやいた。音大の声楽家をでてらっしゃるのに、中学の方で数学の講師をなさっている変り種。非常に楽しい練習だった。しかし、時間は大幅に延長。もう、声がかすれるし、足はつるし、くたくたになった。先生、更年期の年輩が多くいる事、解ってらっしゃいますか?友人とお茶を飲みに近くのお店に行った。甘い飲み物を痛んだ咽喉に流し込み、やっと、人心地がついた。暫くおしゃべりをし、帰りが一緒の方を乗せ、送っていき、スーパーに寄った。今日は、疲れて何もしたくないなあ・・と、しょうが漬けのお肉とエリンギと薔薇を買った。帰宅したら、誰もいなかった。オネエは風邪なのに、どうしても休めず家庭教師のバイトに行った。チビは、塾。買い物して来た物を片付けて一休みしていたら、パパが帰って来た。まあ、珍しい。時間が空いたとか。すぐに夕食を作り、食べ始めようとしたら、オネエが帰って来た。3人で食事。今日は、疲れました。食後、少し元気になったので、潤君の「花より男子」の製作発表の記事の載った新聞をコンビ二に買いに出た。夜風が気持ちよかった。
2005年10月14日
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気分は、何とか持ち直した。良かった。明日は、コーラスだし、このままじゃ、まずいと思ったので、一安心。自分で自分の気持がコントロールできないって、敢えて表現するなら、何だか、私の中に、小さな悪魔が私に断り無く勝手に住んでいる感じ。抗鬱剤を服用していないから、なかなか治らない。抗鬱剤は、ものすごい数があるらしいが、私は、副作用がほとんど無い・・と言われている物も、すべて、体が受け付けない。酷い便秘をしたり、その反対になったり。腸が虚弱だかららしい。で、安定剤だけ服用している。この安定剤も、普通の内科が出すものと同じ弱いもの。しかしこの薬の副作用で肥満になった。担当医は副作用に苦しむ私に現在、非常に困っている状態。あとは、おなかの薬。自分の力で消化ができないので、消化を助ける整腸剤と、胃の粘膜を守る薬、吐き気を抑える薬の3種。もう、10年以上、お世話になっている。調子が良くて、安心して飲まないと、酷い目に遭う。酷い吐き気をもようし、頭痛になる。七転八倒の痛さは、なった者にしか解ら無いだろう。おなかは、小さな頃から弱かった。緑便しかしない赤ん坊だったそうだから、仕方がないよね。健康体に生まれたかったなぁ。本当に、健康が一番の宝だ。自覚して無い人が多い。何があったって、健康であれば、それだけでどれほど幸せなのか。解っていない人が多い。健康じゃないから、人一倍気に成る。だからサプリメントは欠かせない。このサプリメントを辞めたら、どうなるかなぁ。お~、怖い、想像しただけで怖くなる。本当に、心から思う、健康になりたい!!
2005年10月13日
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相当ヤバいなあ・・・・と言う感じ。鬱が酷い。朝から、つまらない事で母と喧嘩したり。一歩も外に出たくない。髪の毛が気持ち悪いので、入浴しようにも、体が言う事をきかない。誰にも会いたくない。誰ともしゃべりたくない。困った状態。これ、突然くるから厄介だなぁ。原因は何か?昨日の御祖母ちゃんの一件か。多分にその要素はある。折角、相葉ちゃんのお芝居を観て、元気になってきたのに、翌日、御祖母ちゃんと一緒に一日いて、こっぴどく傷つけられた思い出が潜在意識の中で恐怖に変わったのだろうか、解らない。しかし、確実なのは、トイレットペーパーも、犬のおしっこを片付けるためのキッチンペーパーも、夕食の材料も買いに出なければならないという事実。でも、一歩も、表に出られない。表に出ようとすると、体の奥の方から、震えが来る。また、恐怖症?入浴できないって言うのが、裸と言う無防備な状態になれないと言う事で、自分を守る態勢に入っているそうだ。全く厄介な病気だなぁ。仕方が無いので、夕飯は御寿司を取った。それも、電話が出来ず、チビにしてもらった。一日も早く、肥満の原因の薬から解放されたいのに、これじゃ、何時まで経っても駄目じゃない・・・・。情け無い。本当に情け無い。いやいや、こういうマイナス思考がいけないんだった。本当に辛いです。よわっちい自分を鍛えたい。どうしてこうなっちゃったのかなぁ・・・・。夜、どうにか抜け出した。嵐君の「Gの嵐」に救われたやっぱり、嵐君は、私の最高の癒しなんだなあ。
2005年10月12日
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昨日の疲れで、皆を出した後、一眠りした。10時ごろ、ホームからTEL。気が付かなかったが、上着を忘れてきた。それだけの用事かと思ったら、延々、愚痴られた。「今朝から、『もう、帰るから車を呼んでくれ』とか、仰るんで、皆さんお仕事ですよって言うんですが、『息子に電話して』って仰ったり『あんたらは私に意地悪をしてるだけだ』って仰って、荷物を持って、柵の所まで出てらして、ガチャガチャなさったり、気晴らしに運動しましょうって申しても、『足が痛いから、嫌』って仰るんです」こちらは、何とも言いようがない。「昨日感じたのですが、認知症が酷くなってますね」と答えると、「昨日のように外に出て帰ってらっしゃると、酷いみたいですね」と言われてしまった。「ご迷惑をお掛けいたしますが、宜しくお願いします」と平身低頭お願いして電話を切った。こうなるだろうな~と思った。やはり、連れ出すのは、もう、あまり良い事とは思えない。丁度、用事でパパから電話があったので、報告した。「上着は俺が取ってくるから、お前は行かなくても良いよ」お言葉に甘えた。夕方から母を整形外科に連れて行った。あばらの部分が痛いそうだ。聞けば、ピアノの上の物を取ろうとして、椅子から落ちたそう。それも一週間も前に。「何故言わないのよ」「だって、貴方に言ったら叱られちゃうもん」検査結果は、たいした事がないそう。やれやれ、元気すぎるのも、考え物です。パパが帰宅後聞いた。「ホームの人、愚痴ってたでしょう」「うん、仕方ないよ」「謝った?」「いや、こういう時の対処法とか、無いのか聞いた。毎月、認知症のケアの勉強会とか有るみたいで、普通の人も認知症になると、攻撃的に成る人が多いみたいだぞ」そうなんだ。「大好きな御祖母ちゃんだったのに、認知症になってから、酷い言葉を浴びせられて、御祖母ちゃんが転んだ時、このまま死んでくれたらお父さんもお母さんも楽になるのに、って思った孫の話とかされた」・・・・・。認知症、本当に周りが大変だよね。皆、辛い思いは一緒なんだなぁ。これから、何年、こんな事、続くのかなあ。健康で長生きがどんなに大切か、思い知った日だった。
2005年10月11日
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お墓参りに行きました。もう、た~いへんでした。朝10時過ぎ、おばあちゃんを迎えにホームに。よたよたと歩く御祖母ちゃんを後ろに乗せ、いざ出発。昨日、鈴鹿でF1があったので、道が混んでいるかも・・・と心配したが、大丈夫だった。途中、御祖母ちゃんがおトイレに行きたいと言い出したが、一緒にコンビニに降りて、トイレにはいるものの、幾ら待っても、出てこない。どうしたのか心配になったら、「和式だから、出来ない」こりゃ大変だ。また、よたよたと車に戻り、今、通り過ぎてきた道の駅なるドライブインに逆戻り。パパは超機嫌が悪いが仕方ないっしょ、君の親じゃん。で、身障者用のおトイレで、無事、用を足す。前途多難。一路京都に。名神を降りてすぐ、ファミレスでお昼ご飯。中華のお店だったが、結構美味しかった。しかし、そこでも、問題が。頼んだ物の量が多かった。仕方が無いので、少し取って食べさせた。御祖母ちゃんは、もう、本当にボケボケだった。墓地に着いても「ここどこ?」「お墓じゃない」「うそー、初めて来たわ」娘達に手を引かれて、車から降りたが、うちのお墓は、丘の上。パパがおぶって登った。「死ぬ」と言うパパに「痛い、痛い」と御祖母ちゃん。「何処が痛いの?」「胸が痛い」パパの背中にあばらが当たって痛いらしい。しかし、そうしなければ、到底上には上がれなかった。墓石を見ても、「はじめてだわ」「何言ってるんだ、お袋が建てたんじゃないか」「うそや」「そんな事嘘ついてどうする」滑稽な会話が交わされる。草が一杯だったので、子ども達と一緒に草取り。気がつくと、御祖母ちゃんが、向こうに行きだしている。危ない!慌てて「何処行くの?」「いや~、ちょっと下に行こうおもて」「危ないから、ここにいてね」娘一人に御祖母ちゃんの相手をさせ、持って来たお花を供え、お線香をつけて供えた。手を合わせて拝んだら、御祖母ちゃんは、かしわ手をしてしまい、「違う違う、おばあちゃん、お墓だから、手叩いちゃだめ」と娘に言われ、「そうか~」パパは草が気になり、置いてあった鎌で草を取り出したが、御祖母ちゃんは、さっさと来た道を下りだした。「危ないよ!」慌てて止めた。杖をついていて、ふらふらな歩きの人が降りられるわけが無い。しかし、自分は、大丈夫と思っているから、たちが悪い。「パパ、草なんかどうでも良いよ、御祖母ちゃん何とかして」本当にしっかりしてよ~。また、手を引いて、脇の下に手を入れて、抱き上げながら下に降りた。「あんた、腰大丈夫か?」ボケていても母親なのだ。「そう思うなら、ちゃんと毎日、歩く練習をしてくれよ」「そやなあ」と言うも、ケアの方が歩かせようとしても、「足が痛い」と絶対、言う事をきかないらしい。私達の前では、言う事を心得ているから、ボケといえども性質(たち)が悪い。墓地を出て、パパの弟の所に行きたいか、御祖母ちゃんの妹の所に行きたいか聞いた。「Tのとこに行く」と言うので、大津の弟の所に向かった。その最中、何回も「で、私は今晩、Tのところに泊まるんやな?」「違うよ、御母さんはHに帰って寝るんだよ」「そうか」この会話を、10回は繰り返したが、また、5分もすると、「で、今晩私は、あんたんとこで泊まるんやな」。もう、誰も答えなかった。認知症、本当に、周りが大変です。弟の家の前まで来たら、「ここどこ?」「Tの家の前じゃないか」「へ~、初めて来たわ」「何言ってんだ、百回くらい泊まりに来てるし、そこの店にも何回も買い物にきてるじゃないか」「いや~、来た事あらへん!」「何言ってるんだ、しっかりしてくれよ」パパ、まともに相手すると、疲れちゃうよ。ちょっと、認知症が進んだようだった。弟一家と近くのお店にお茶を飲みに行った。看護士の義理の妹がこれから夜勤だと言うので、あまり長居は出来ない。おばあちゃんに言うと「へ~、看護婦さん、初めて知ったわ」もう、何も言わなかった。散々、お世話になってるのに、義妹が可哀想だった。義弟の子ども達は、うちの子供たちが大好き。特にオネエは子どもが好きなので、人気がある。オネエの大学院の合格をお祝いしてくださった。おばあちゃんがおトイレに行きたいと言うので、義妹と一緒に連れて行った。そこは、大きなショッピングセンターだったので、車椅子用のおトイレがあった。一緒におトイレに入ったが、ズボンを脱いだ御祖母ちゃんの肌は、もう、本当に、年老いた老婆そのものだった。私の母と二歳しか違わないのに、この違いは何なのだろう。母の肌は、まだまだ、女の肌なのに・・・・。尿意はあるのに、尿がでないと言う。看護士の義妹が、下腹を少し叩き、水道を出しっぱなしにした。「こうすると、出易いんです」流石にベテランの看護士さんだ。私じゃ思いつかない。しかし、ほんの少しも出なかった。その間も「今晩、あんたんとこに泊めて」と義妹に言う「今晩、私、夜勤だし、明日は子どもも学校で、パパも仕事だから、駄目なの」そういわれると、「そうか」と納得する。暫く待ったが、駄目だった。紙おむつをしているし、このままで大丈夫だと言うので、皆の所に戻った。脳梗塞で左半分が見えない状態なので、ふらふらと、右に行ってしまうのを、左にいた私が引っ張りながら、ゆっくり歩いた。何だか、哀れだった。こういう年の取り方は絶対しないようにしたいなあ。健康に留意し、頑張ろうと御祖母ちゃんを見てると思う。弟一家とそこで別れ、帰途に着いた。「これから、Tのとこに行くの?」「今、会ったじゃないか、帰るんだよ」「何で?、泊まらないのか」「みんな学校や仕事だから」「そうか」高速に乗った。この会話はその後、何度も繰り返された。その度、パパや、娘達が同じ事を繰り返し、言った。本当に、認知症が酷くなった。御祖母ちゃんをホームに送って、娘お薦めのお店に寄り、夕食を摂って帰宅。くたくたになった。こうして連れ出すと、翌日があまりよろしくない。明日が思いやられます。パパの気持は痛い程わかるけれど、もう、京都に連れ出すのは、限界じゃないだろうか。今日は、つくづく思った。理解出来ない分、いつもいつも御祖母ちゃんの気持は、ハングリーで満たされない。返って、可哀想じゃないのかなあ。
2005年10月10日
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午後2時近くの近鉄に乗って、大阪へ。車中、阪南のお祭りに出くわした。大勢の男性が男の人の乗った山車を曳いていた。有名な、だんじり祭りと同じくらい、有名なお祭りと、翌日のニュースで知った。難波に付いたら、こちらもパレード。何だろう・・と思い立ち止まり見た。御堂筋の沿道には、鈴なりの人、人、人。次々、大きな色色なバルーンが来る。阪神タイガースの優勝記念?みたいだった。開演まで二時間ある。子ども達に頼まれた蓬莱の肉まんを買って、早い夕食を摂ろうと、商店街に入った。ふと見ると、法善寺横町がすぐ。何か美味しい物を食べようと入ったが、ふぐ料理のお店やら、そう簡単に気軽に入れるお店じゃなさそうな店舗が並んでいた。こりゃ駄目だと通りを出て、元の通りに戻った。実は、以前娘達と来た時に入った、お店に行きたかったのだが、あれから、一度、難波に来ているのだが、その時は何処だか、場所が解らなくて行けなかったのだ。ものすごく、美味しいお好み焼き屋さんだった。今回は、少し時間があるから・・・と、探したが、やはり、見つからない。仕方なく、道頓堀脇のお店に入った。しかし、失敗。あのお店ほど美味しくなかった。時間を見たら、5時を過ぎていた。お店を出て、近くからタクシーに乗った。大阪厚生年金会館までは近く、ワンメーターで行くはずだった。所が、例のパレードで、御堂筋を横断できず、遠回りの渋滞にはまった。何とか、裏道、裏道を探して行ってくださった。「すみませんね」と仰る運転手さんにお礼を言って降りた。会場は、もう、一杯。すぐに、中に入った。席は、一階の前の方だが、端のブロックの通路側。千秋楽の「燕のいる駅」が始まった。最初から、テンションの高い相葉ちゃんの演技。2085年と言う近未来の、レトロな雰囲気の駅舎での物語り。会話劇だったので、少し、中だるみがあった。意味無いなあ・・・と思わせる会話や、脇の大袈裟な演技もちょとなぁと思った。しかし、結果は、非常に怖いシビアな話で、その何でも無い日常の会話や演技が余計に、後に起こる出来事を浮き立たせていた事を、後から気がついた。国際結婚が普通になる中、純血の日本人以外は、差別の対象になっているその地区。それでも日本人の血を持つ者は、赤いバッチがつけられ、守られていた。駅から見える、はるか向こうに、おかしな形の雲が湧き上がる。それは、劇が始まった頃から、段々大きくなって行く。隣の駅で起こった人身事故から、一方にしか電車が行かなくなり、駅に足止めをくらった人々の間で、色色な会話が交わされる。よくお顔をテレビで見るベテランの役者さんの演技は、流石に観客をひきつける。確か、この方は、舞台俳優さんから出てきた人だなあ。流石に芸達者。上手い。駅員役の相葉ちゃんが出てくるのは、時間にすると短い。むしろ、そのベテランの方達の方が台詞も多い。今回このお芝居を見ようと思った理由の一つに、「ふたりっこ」の岩崎ひろみさんが、出ている事もあった。期待通り、ほんの少しの場面の演技でも、きちんと、涙を流していて、流石だなあと思った。実物は思った通りに可愛い人だった。そして、後半、幼馴染の赤いバッチをつけた新婚の友人が収容所送りになる。この役者さんは、「冬ソナ」でサンギョクの吹き替えをしていた役者さん。相葉ちゃんとの軽妙なやり取りは、素晴らしかった。友人が収容所送りの車で去った後に残された相葉ちゃんの熱演は迫真の演技だった。最後の電車が来るが、それは、あの不気味な雲の方向に行く。何も知らない相葉ちゃんは、善意から人々を乗せてしまう。恋心を抱いていた売店の娘もそちらの方へ使いにやってしまう。そして、駅舎に誰もいなくなってから、電話で、戦争が始まっている事を知る。大きくなって行く雲は、実はすべてを破滅に導く程の威力を持つ核爆弾だったと示唆する台詞がある。舞台奥に不気味に広がる黒い雲が映し出される。いずれ自分もその雲に巻き込まれる運命。最後に駅舎の巣から落ちた燕のひなを抱きしめて、怒りにみちた静かな相葉ちゃんの台詞で幕が降りた。深く考えると、非常に怖い劇だった。胸の奥から、震えるような感動が湧き上がり、しゃくりあげそうになる自分を抑えるのに、大変だった。それでも、涙が止まらなかった。カーテンコールでは、千秋楽なので・・と役者さんから一言ずつご挨拶があったが、ひろみちゃんも、涙、涙。相葉ちゃんは、涙と汗で顔がくしゃくしゃ。鳴り止まない拍手に何度も、何度も、あの大きな手を振って出てきてくれ、劇場の隅から隅まで手を振ってくれた。最後は、土下座をして、駅舎のガラスにほっぺたをつけて、いつものお茶目な笑顔で、手をふりながら、はけた。ロビーに出て、十年後の自分に手紙を出せる企画、タイムレターを申し込みに行った。家で書いてきた、10年後の自分に書いた手紙を投函して、劇場を後にした。難波の駅にタクシーで帰り、少し、時間があったので、難波ウォークを少し見て歩いた。9時半の電車だったので、9時過ぎ、駅に行ったら、奈良で落雷があり、停電で電車が遅れていた。難波を出たのが9時40分。パンフレットを読みながら、少しおなかがすいたので蓬莱の肉まんを一つ食べた。午後11時40分帰宅。良いお芝居を見た。迷ったが、行って良かったと思った。
2005年10月09日
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朝から雨。なのに暑い。珍しくパパがいる。3連休だそう。チビもテストが終わり、お昼過ぎまで寝ていた。オネエだけ、卒論のために、学校に出かけていった。明日、私は大阪に行く。相葉ちゃんのお芝居の千秋楽を見に行くのだが、マチネなので、気持は、のんびり。本当は、娘達が一緒に行き、一泊し、翌日、パパがこちらからおばあちゃんを連れて、私達は、大阪から、京都へ合流して、京都にお墓参りに行く予定だった。しかし、オネエが「だめだ、一日でも勿体無い」と言い出した。卒論の提出は12月だそうで、毎土日は貴重だそう。仕方が無いので、明日は私一人、日帰りして翌日に京都に行く事になった。夕方、駅にオネエと、塾に行ったチビを迎えに行き、明日の切符を購入し、オネエのお祝いをしに、沖縄料理のお店に行った。一度、行って見たかった沖縄料理のお店。「うみぶどう」「ミミンガー」が食べてみたかった。うみぶどうは、すごく美味しかった。プチプチした海草なのだが、プチプチの中はおくらのようにヌメっとした液体で、これは、パソコンでお取り寄せの価値有り。以前から、一度食べてから取り寄せしようと思っていた。ミミンガーは、軟骨が少し苦手。味は美味しかった。ラフテーも美味。沖縄料理は、長寿の料理。料理本も買って来た。しかしなかなか食材が揃わなかったが、最近は大きなお店に行くと手に入るようになった。皆すごく美味しかった。お店を出る頃、席待ちの人で入り口が一杯だった。人気、あるんだなぁ。帰宅後、明日の準備をして寝た。
2005年10月08日
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月一回の革工芸の日色んな事があり、迷ったが、気晴らしも必要だと出かけた。今日は、いつもの半分の人数しかいなかった。革工芸は面白い。黙々と、木槌で叩いていく作業が、とても面白い。平面だった革が隆起し、平面に刻まれていた花が、立体的になる。色色な道具で、色色な蔭が出来る。しかし、まだまだ、技術が無い。失敗しては、ため息がでてしまう。先生は、穏やかに見守ってくださっている、時々、「ちょっと見せて」と仰って、アドバイスしてくださる。コツコツとした作業の間に、お花の話や、美味しかった果物の話、お天気の話や、町の話が交わされる。そんな時、携帯が鳴った。今日は、オネエの大学院の合否の発表の日。出かける前、学校に行くと言っていた。合否は、期日指定で郵送されて来る予定だったので、それが届いてから行く・・と言っていた。慌てて出た。「御母さん?、大丈夫だった」「本当?良かったわねぇ、おめでとう」「うん、ありがと」じわじわ、嬉しさがこみ上げてきた。大学に合格した時より、嬉しかった。皆さんが「おめでとう」とお祝いを仰ってくださった。教室から出て、パパと母にTEL。パパは「うん、今、聞いた」。母は「そう~、良かったわねぇ」と、ことのほか、喜んでいた。やれやれ、今年、二つの受験のうち、一つが終わった。後は、チビだけか。明日にでもお祝いしてやろう。ここの所のマイナスの波の中、本当に救われるような朗報だった。お昼には、皆さんと行きつけのお店にランチを食べに行った。古い民家を移築したとても素敵なお店で、そこかしこに私の大好きな骨董が置かれている。ランチが美味しいのだ。手作りの柔らかいお豆腐、季節のお野菜の煮物、お惣菜お刺身、揚げ物、ちょっと変わったマリネ、茶碗蒸しおみおつけに、デザート、五穀米、お漬物、コーヒー、お紅茶どちらかがついて1000円。皆、本当に少しずつなのだが、いつも食べきれない。お教室に帰る道が、丁度食後の散歩に良い距離。午後から、雨が降り出した。また、作業をし始め、私のセカンドバックも、ソロソロ最終段階に入った。これは教材の一つで、誰もが作る。次が、この教室に入れていただくきっかけになったトートバック。あ~、早く、作りたいな~。今まで作ったのは、札入れ二つ、セカンドバック二つ。本当なら、一年でトートバックまで行き着きたかった。しかし、父の入院やら、御祖母ちゃんの脳梗塞やらで、のびのびになってしまい、もう二年になるのに、ここまでしか出来なかった。でも革工芸は、一生続けて行きたい私のライフワーク。東京に戻られる先生と、お教室の方を乗せ、近くの駅まで送った。帰宅後、少し疲れ、寝てしまった。オネエが戻ってきて、夕食を作り食べた。パパは、今日は、お付き合い。3人で遅い夕食を摂っていたら、普段から、あまりお酒を飲まないパパが、真っ赤になってタクシーで帰って来た。どんなに飲んでも、酔っ払ったパパを見た事がない。今日もしっかりしていた。オネエに「おめでとう」と言うと、大好きなチョコレートアイスを食べていた。ご苦労様ですm(__)m
2005年10月07日
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昨夜はあまり眠れなかった。気持は、少し、落ち着いた。私は、私の出来る事しか出来ないから。美味しいご飯を作って、家族が美味しいと言ってくれれば、それだけで、良いのじゃないかなあと思った。チビは、昨日から中間テスト。お昼に帰って来た。受験生とは思えない時間の過ごし方。まあ、チビの人生だから、仕方ないね。お昼に美味しいラーメンを作った。パパは、ラーメンが大好き。最近は、良いお値段の物も出ていて、生めんで、本当に下手なお店より、美味しい。おねぎをたっぷり入れ、美味しいチャーシュー、シナチクを入れた。「うまいなぁ」とパパ。流石にパパ、昨日より、大分立ち直っている。感情に流されている暇は無いのだろう。私も、頑張らなくちゃ。午後から、髪を染めに行った。眠れなかったので、ヘアダイしてもらっている間、寝て仕舞った。帰宅後、ぶり大根を作った。今日は、穏やかな日だった。
2005年10月06日
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カウンセリングに久しぶりに行った。やはり、今の私には、必要な時間だった。昨日、パパが帰宅して、Hさんの詳しい状況がわかり、パパに詫びる遺書があった事も解り、パパは、かなり、参っていた。私は、何も言ってあげられなかった。パパは、本当によくやってくれていた。「気にすることないよ」あまりに空しい言葉。人一人、亡くなったのに、どんな言葉を掛けて良いのか、全く解らなかった。お葬式の時、パパがぽつんと言った言葉が蘇った。「もしかすると・・」まさかと思ったし、当たっていなければ良いと思ったし、もしそうなら、辛すぎると思った。しかし、現実は、厳しかった。今日知ったのは、自己破産をするにも、お金が無いと出来ないって事。何のための自己破産なのだろう・・・・。Hさんの息子さんが相談に行ったそう。事業主が自己破産を申請するには、百を超えるお金がいるのだそうだ。本当に、お金、お金の世の中なのだ。Hさん一家は、一体どうなってしまうのだろう。私も事業主の娘だから、良く解る。私の場合は、16歳の誕生日に、夜逃げのように、暖炉のある家から、脱衣場の無い、2Kのアパートに引っ越した。高校生だった。毎晩、夜中まで父は、兄の会社のために働いた。ある日、父が帰ってこなかった次の朝、憔悴しきった父が玄関を開けた。「差し押さえがくるかもしれないから、荷物をまとめておけ」どうしたら良いのか、混乱した。それでも母は私を学校に出した。学校に行った私は、一時間目が終わった休み時間、ふらふらと職員室に行き、大好きだった担任のT先生に話した。話をしているうちに、泣き出した。T先生は、優しく手を握って「もう、帰んなさい。そんな気持じゃ、心配で授業も身にはいらないでしょう」。すごく良いお天気の日だった。誰も歩いていない駅までの白い道を家に向かって帰った。帰った私に母は驚いたが、一緒にたんすの中の衣類や、生活に必要な最低限の物をカバンに詰めた。二人とも無言だった。不思議と、私に悲壮感は無かった。実感がなかったのだ。裁判所がくると、紙を張られるそうだ。そして、それが張られた箪笥からは、何一つ出してはいけないのだ。幸い、差し押さえは免れた。しかし、次の日から、家を買いに来る人が、所、時、構わず訪れた。今、住んでいるのに、他人の無遠慮な視線が、とても嫌だった。そして、父は兄の会社を辞め、夜逃げのように引越しをした。誰も手伝いの無い、引越しで、偶然、私の16の誕生日だった。東京から連れてきた犬も、前日、持って行かれた。お向かいのおばさんが、お盆にココアを沢山のコップに入れて持って来て下さった。父たちが、荷物を運び出し、持って行ったもので、広い家の中に私一人だった。「貴方一人なの!」とびっくりなさり、一緒に荷造りを手伝ってくださった。「可哀想ねぇ」と何度も仰ってくださったが、家を無くしたのに、これから不安だったのに、両親の気持とは裏腹に、私の気持は落ち着いていた。正直、これで父は死なずに済むと思った。その時、私はつい、父に言った。「お父さん、良かったねぇ!」父はびっくりしていた。しかし、私にすれば、毎晩、毎晩、徹夜続きで、このままの仕事では、父は死んでしまうと心から思っていたので、自然に出た言葉だった。後から聞いた話だが、私のその言葉で、父は、自分の選んだ道は間違ってないと確信したそうだ。もう、東京に帰る準備をしていた。父に帰って来いと仰ってくださったのが、今や女性誌などの出版社最大手の社長さんの弟で、以前、父のすぐ下で、父と営業の仕事をしていた方だった。その頃はもう、その出版社の専務さんになっていらした。しかし、捨てる神あれば、拾う神もあるもので、父は、今の仕事を始めるよう、今の親会社の方に言われ、結局、東京には帰らず、起業した。あれから30年経つ。事業をしていれば、こんな事は、誰でも一度や二度は経験する物だ。そこから、どう這い上がるかなのだ。しかしHさんは、這い上がるには、御年を召されていた。だから、悔しかった。Hさんが、どんなお気持で亡くなったのか、あの世で父と会って、どんな言葉が交わされるのか思うと、可哀想で仕方なかった。パパに詫びた遺書を残したHさんのお気持ちが、あまりに哀れだった。一生懸命力になってあげていたパパにしてみれば、本当にたまらないだろう。悔しいだろう。その気持を何も受け止めて上げられない自分が、本当に情けなかった。仕事の事は、一切、解らないし、私は、私のやり方で、パパを支えてきたが、今回ばかりは、混乱していた。カウンセリングで、気持を吐き出した。泣きたくないのに、パパの気持を考えると、涙が出た。パパは、私の前では、何も変わらない。感情を出す人ではない。ただ、時々ふっとした時「馬鹿野郎」とつぶやいた。Hさんに対してではなく、こういう状況にしたHさんの回りに対してだ。本当に、今となっては、どうにもならない。早く、パパの気持が癒えると良いな。お父さん、パパを守ってください。
2005年10月05日
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二ヶ月ぶりくらいに、担当医師の診察に行った。ここの所、あまり良くない。そりゃ、人の生死に関わってしまったし、これからの事を考えると、やはり、気持は、鬱、鬱となった。先生は、いつも、「どうですか?変わりはないですか?」と仰る。ぽつぽつと話す私の話に少し驚かれた様子だった。「まあ、あまり、お気にされると、また、良くないので・・」と仰った。そう言うしか無いだろう。その後、Hさんの死は、自らの死と解った。こつこつと仕事をしてらっしゃって普通のサラリーマンならもうとっくに定年で、揺揺自適の生活を送っているお年だった。父もパパも事業主は誰でもそうだが、一生、現役なわけで、それ自体は、一国一城の主だから、やり甲斐もあるだろうが、それ以上に、この厳しい世の中、会社一つ廻して行く事は本当に並の努力じゃ出来ない。また、運もある。Hさんは、私が結婚する前からの父とのお付き合いで、私には、Hさんの押しの強い、精力的に仕事をなさっていた、恰幅の良い、笑顔の姿しか今、思い浮かばない。お棺の中にいたHさんは、全く私の知らないHさんだった。頑張ってらしたのに、本当に可哀想だった。息子さんが起業してからは、いつも、パパからの話だけで、大丈夫かなあ・・・とふと思うだけで、父の葬儀以来、お目にも掛かっていなかった。突然の死に本当に驚いてしまった。そして、それが、自らの死と知った今日は、本当に、混乱していた。いつもの薬を貰い、帰宅。とても疲れてしまった。
2005年10月04日
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今日は、謝恩会のことで、学校に行った。役員に選出された時、事務的な能力が抜群のDさんに、その方はお任せした。彼女の細部まで心の行き届いた仕事は、見事と言うしかない。先日も、役員の集まりで、父兄に配布する出欠のお知らせを頼んでおいたら、数種類、PCで作られたカラーの見本を持って来て下さった。その仕事ぶりに、やはり皆さん驚かれていた。本当にDさんにお願いして良かったと思った。皆で相談し、今日、その出欠の紙を生徒を通じ、御父兄に配布していただくよう、学校に持って行ったのだが、クラス別に分けられたA4の茶封筒に、各先生にあてた、ご挨拶までプリントしてくださっていた。ああ、この方に頼んでよかった・・と改めて、つくづく思った。学年主任のH先生と応接室で少しお話させていただいた。思えば、オネエが中学に入った時の担任の先生。最後にチビの学年主任とは、何ともご縁のある先生だ。おまけに、弟の一年後輩なので、何となく、気安くお話ができる。10年は、人の外観が変わる。当たり前の事だが、教職と言う、今一番難しい職業に携わってこられたそれも、非常に優秀で人望も厚い先生の10年がどんなに大変だったか、その増えた白髪や、痩せられた姿を見れば、一目瞭然だ。それだけ、こちらも年を重ねてきてる訳で、人のことは言えないか・・。オネエの近況を少しお話して帰った。先生は、頑張ってますね・・と嬉しそうに仰った。これで、一つ、仕事が終わった。今度は24日の役員会だなあ。
2005年10月03日
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今日は、のんびり。週明け明日からの、バタバタするであろう事を思うと、パパが可哀想になった。男の人は大変です。本当に。ゆっくりお休みください。オネエはお友達と午後から遊びに行った。夕食も済ませてくると言うので、チビと、パパと3人で、この住宅街の下にあるお店に食べに行った。夜、うちのベトナムからの研修生からTEL.一人の子の荷物が無くなっていて、昨日から戻らない・・と。さあ、大変。パパと寮のマンションに向かった。一緒の部屋の子が、私の顔を見ると泣き出した。部屋に上がり、事情を聞いた。泣いている子を抱きしめた。不安だったのだろう、しがみついてきた。いなくなった子は、本国にダンナサマも子どもさんもいる人だった。荷物を見てくれと言うので、泣いていた子と一緒に確かめたが、確かに衣類が少し残っているだけで、大きなカバンがなくなっていた。程なくして、政府との間に入っている業者の人が来た。こう言う事は、珍しいことではないそう。闇の世界には、こうして真面目に働く外国からの労働者を、まして、女の子を、よりお給料の良い、水商売に引き込む業者もいるのだ。しかし、身に危険が及ぶのは否めない。まして、警察に届けた時点で、入管が介入してくれば、見つかり次第、強制送還になるのだ。こちらは、2日、待つことになった。それでも戻らなければ、届けなければならない。やれやれ、先日亡くなった方の会社の事が落ち着いてないのに、今度は、従業員ですか・・・。中小企業は、本当に大変です。本当にパパは大変だよ。ご苦労様ですm(__)m何か、私に出来る事無いかな。そう言ったら、笑われた。失礼な奴だ。ま、ここの所がパパの手腕のみせどころだから、頑張ってね。
2005年10月02日
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