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旅行の余韻と荷物片付けもそこそこに昨日は兵庫県守る会の理事会でした。総会準備と次年度の事業を検討。6月2日の総会後の講演講師は神戸大の高田先生です。NPO医療的ケアネット理事でもあり、4月発行のブックレット「どうなってんの?医療的ケア一部法制化」の各地の取り組み経過の兵庫県をまとめたのも先生です。大変お忙しいスケジュールの中来ていただけることになり、理事一同安堵しました。 旅行は東京ディズニーランドでした。木曜24時自家用車(セレナのスロープ車ですが、信ちゃんは2・3列目に寝かせて)で出発、朝ホテル着。(ホテルは一番近い東京ディズニーランドホテル)お部屋はちょっと贅沢でしたが奮発して、スタンダードのジュニアファミリールームにしていました。天候は曇り、気温は11~14度ぐらいで少し寒いぐらいでした。しかし暑かったり、空気が乾燥しているよりは信ちゃんには都合がよくて、体温上昇によるぴくつきも大きな発作もなくて良かったです。ウトウトしていることが多かったですが、ショーはすべて見れました。家族全員でこれたこと、体調が崩れなかった、私たちが十分楽しかったことで、満足しています。行く前に体調が崩れたり、埋め込みポートの事を決めたり、いろいろ不安はありましたが、また3年後(30歳の誕生日)ごろどこかに行けたらと思っています。ご心配いただいた皆様ありがとうございました!(写真そのうちアップします。。)
2012.04.25
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家族4人での旅行は昨年私が言い出しました。思えば信ちゃんが17歳の秋なんだか様子がおかしくて近くの病院に受診し(毎回阪大はしんどくて次男が小学校入学後は信ちゃんの鉄の点滴や軽症時はお世話になっていた)、風邪でしょうと薬ももらって帰った夜、パパが帰宅後信ちゃんの顔色などから「いつもと違う」と言い出し、再度昼の病院に夜間受診してそのまま入院したのが発端です。採血とレントゲン、点滴開始で一晩、数日この病院でお世話になるものの、血液データーが悪化し、転院を勧められたが空きベット待ち、直談判に行ってようやく転院OK出て発症から数日後に転院、小児科に入院できたときにはかなり危険な状態でした。(今から思えば昼の時点で最初から阪大に受診していたら軽症ですんだかも知れません。当時の私は通院そのものにとても疲れていました。また体調不良の翌日は小児神経の定期受診日で朝に連れていくからその夜は一晩様子をみるつもりでした。夜間に阪大緊急受診もその時点では想定外でした。)ようやく阪大小児科に入院できたものの即手術ができないほど血液データーが悪く、点滴や輸血で数値を上げようやく手術のOKが出たけれど、「こんなに危険率の高い手術は阪大でもめったにしません、五分五分です」との説明でした。そんな状態から生還した信ちゃんです。生まれてからたくさんの医療費も使っていただいて、またこうして私たちのところに帰ってきました。正直私は手術のOKがでた安堵感とは裏腹に、その後のこと(さらなるケアが増える可能性がある等自分が対応できるかの不安)も心配でした。信ちゃんは「私の限界」をいつも越えていきます。そのたびに私は自分では限界と思っているハードルをなんとかして上げないといけません。そんな節目の旅行初日にお友達の訃報です。信ちゃんはYちゃんにエールを送られて、新たな一歩を踏み出します。家族は神さまが与えられた信ちゃんの使命を探しつつ、ともに歩んでいこうと話しています。Yちゃんのお別れのことはJUNOさんのブログに書かれています。(MLには流れていません。)
2012.04.23
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信ちゃんが一回目の腸閉塞から奇跡的に生還して今年で10年です。昨年からイベントを考えていて、いよいよ明日夜から実行です。もう明日なのに、何にも準備ができていない・・しばらくブログはお休みします。無事に帰ってきたら、ご報告いたします。
2012.04.18
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困っている人から相談を受け、自分の知っていることを伝えたり、次にどこかにつなげてあげる。そんなことが増えて来た。不思議なことに自分がすごく落ち込んでいる時に限って相談者が現れるように感じる。こんな私でもまだまだ誰かの役に立ちなさい・・と神様が仕向けてくださっているのかな?みんないろいろなことを抱えて生きている。知ることでその方のつらさが乗り移りそうになるので、本当はあんまり知りたくないのだけれど、神様がなさることだからいたしかたない。
2012.04.18
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日本に伝道のためにいらした日系3世。たまたまうちの教会の方と知り合って先月とこの日曜教会にいらして、帰りに私が駅までお送りすることになった。奥様は桜を初めて見たそう。どうして私が教会に来るようになったか短くお話し、たまたま鞄に入っていた信ちゃんの写真をお見せすると「うちの教会によく似た青年がいます!」と。病院の医療ミスで40日生死をさまよった青年。多くの機能が戻らなかったけれどそのことがきっかけで本人も家族も救われたと。今は病院で生活し日曜は教会に来られているそう。病気やけが、普通では不幸と思われる状態になった時、神も仏もないものか?と誰でもが悩み悲しみときには憤る。私もそうだった。それらすべての答えはまだ見出していないけれど、人には計り知れないものがあるように思う。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい。」いつもいつもそんな風に思えないけれど、それでもそのことから教えられることはたくさんあって、最後はやっぱり神様に「助けて!!」と求めている自分がいる。私の知らない遠いところに、そんな青年とそのことを受け入れたご家族がいた。なんだかその方たちに会いに行きたくなった。
2012.04.17
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京都祇園の事故でてんかん協会に誹謗中傷メール爆発的に増え、サーバーがダウンしているそうです。簡易ページから声明文が出ています。こちら
2012.04.14
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なんとか簡単にプリント作って報告とお知らせは済ませた。ヤレヤレ役員さんもなんとか決まり、こちらもヤレヤレ。帰りにY君のお父さんが和歌山で釣って来たばかりの鯛をいただきに寄り(しかも目の前で刺身に!)ラッキー。よく頑張ったご褒美ということか?感謝!
2012.04.13
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あっさり埋め込みポートを決めてしまったわりに、いろいろ心配している私。言い出したのは私なのに・・点滴後すっかり回復した信ちゃんを見ていたらまた心が揺れる。そうこうしてたら、また相談のメールが・・何度かやりとりし、Drを紹介、まず一歩踏み出せた彼女。「まずは問題を一つ一つ解決」それだよね。今の私のすべきことは先の心配ではなく、明日の保護者会。なんにも準備ができてない・・どうするあっちゃん!!
2012.04.12
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久しぶりに御手洗通りを車で走った。そういえば3月末からあまり外に出ていなかった。一気に桜が咲いていた。先週は二人亡くなった子のことを聞いた。今年に入って3人目、ご家族はどんな思いでこの桜をみているだろう?
2012.04.10
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3月24日の重心ラー西宮大会で生ほのかあさんとお会いした!その時はブログを少し拝見しただけで本はまだ読んでいなかった。お会いしてやっぱり読みたくなって、ネットで購入。(次男だのみでいまだに自分では買えない。二度のクリックで購入できてしまうそうで、あっちゃんにさせるのは危険とOKがでない・・トホホ)「ほのさんのいのちを知って」長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活出産直前まで胎児が元気だったのはうちと同じ。ほのちゃんとうち(信ちゃん)の違いはへその緒が切れたか巻いただけだったか。(もっともうちはNICUのない個人の産婦人科だったから切れていたら即アウトだったかな)誰にでも起こるかもしれない・・出産の怖いところ。そんな運命を受け入れ、家に連れて帰ったほのさんの両親、家族三人一緒が幸せと言い切る。呼吸管理・排便・排尿・体温調整などすべての面で細心の注意とケアが必要なほのさん。両親の愛情とケアの手技、多くの人の支え(それも両親の努力によって獲得してきた)このレベルでうちなら同じことができただろうか?市内にもNICUから退院してきた超重症のお子さんがたくさんいると聞く。このあたりでは入院中から退院後の生活を誰かがコーディネートして、またささえる資源ができてきたから可能になってきたようだが、それにしても若い保護者の負担はかなり大きいだろうな~
2012.04.09
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物言えぬ人に代わってだれかが決断していかなくちゃ・・そうしていろいろ選択してきた。今回も・・きっと今よりいいことがある・・よね?勇気をだしてまた受け入れていこう!
2012.04.07
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昨日の採血結果で、胆石の仕業ではなく、電解質のバランスが崩れたと判明。そもそも信ちゃんは2度の腸閉そくで小腸が短くなっていて吸収がしずらい。脱水解消のための水分多めがかえって血液を薄める場合も・・その都度自宅点滴をしてしのいできたけど、今回はとても厄介だった。昨日取れず(先生の名誉のために・・うまい評判なのですが、信ちゃんの血管がどんどん取りずらくなっている)今日再チャレンジでようやく点滴が入り一安心。今後のことも考え、前から話がでていた「埋め込みポート」を真剣に考える時期かな?
2012.04.06
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原因・・思い当たることはひとつあったけど、それではなさそう・・単なる脱水傾向によるものか?昨夜からミルクをOS1に変え、普段はつけていないパルスオキシメーターをつける。SPO2不安定、酸素の用意もするが、けいれん薬が入ると安定してきた。明日つばさからそのままショートの予定。行けるかな~
2012.04.05
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昨日の風はすごかった!信ちゃんもいつもより早く帰って来た。火曜はその後だれも来ない日なので、天候の悪い日の訪問看護さんやヘルパーさんや往診医は大変だろうな~と考えていた。そしたら原因は天候ではないかもしれないけど、今日の訪問看護さんが風邪でお休みの連絡。普段から余裕があるわけでなし、一人の欠員はどこもそうだが痛い!そんでもって「どうしても外せない」人だけの訪問になり、その意味ではうちは違うから当然「今日はいいですよ」と返事する。全介助で一人暮らししている障害者の人の暮らしはどれだけの人が支えているのだろうか?支える人はたりているの?無理していない?「制度は後からついてくる」のは事実、無理は続かないのも事実。
2012.04.04
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パソコンメール、アドレス帳がまだ見れないので、もらったメールに返信することしかできません。頼みの次男は明日昼すぎしか帰ってこないので、まだやらなければいけないことができません。補助輪付きの自転車しか乗れない子の補助輪が外れた状態と自分のことを比ゆする私。その状態では「私自転車乗れます!」とは言わないと次男。もはや次男なくしてはお手上げ状態。前は主人に依存してきて今パソコンはこども、いっつも誰かに依存している私。でもこれだからいろんな人を巻き込んできたのだ!と自画自賛。こんなダメ母ちゃんに「なんとかしたるからもうちょっとまっとき」と出ていく息子。あ~苦労して産んだ甲斐がありました!
2012.04.03
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故障の原因はどう考えても家の前の電柱工事が関係しているらしい。中のデーター(ハードディスク)は無事で一安心!メールも送受信できるようになりました。
2012.04.02
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自立支援法になり重症児通園という名称もなくなり、重心施設は次々と名称を変更している。でもそこに住む人はなんら変わらず、そこを頼りにしている在宅者は増える一方。全国の通園施設は守る会HPに載っている。重症心身障害児、施設の歴史は「愛することからはじめよう」でさらに詳しく知ることができた。県支部のHPが欲しい。効率よく情報発信し、人数の少ない重症児者だからこそ、国・県・自治体で絆を強めたい。
2012.04.01
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