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2013.05.11
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カテゴリ: 読書案内
【藤原てい/旅路】
20130511

◆敗戦下、飢えと寒さの極限を生き抜く母子の旅路

この小説を手に取って一読し、胸を熱くさせたPさんが、私の友人であるSさんに勧めた。「この本を読んでとても感動したので、ぜひどうぞ」と。
Sさんは多忙だったこともあるのだろう、最後までは通読できずじまいだったようだ。その後、Sさんが「良かったら読んでみて」と、私に貸してくれたという経緯。これが私にとってはとても不思議な因縁に思えて仕方がない。
私は、少なくとも同じ感性を持つPさんと、ある意味においてつながっていると思ったのだ。過酷な試練の連続なんて、それほどあるものではないが、藤原ていの敗戦下の辛い体験は、辛酸を嘗め尽くしたものだ。その記録を目の当たりにした時、常人なら涙なしには読めない半生記なのだから。
私はPさんとは面識がなく、直接には知らない方だが、Sさんを通じて聞いた話によると、Pさんは読書の習慣がなく、活字には疎いとのこと。また、学歴にコンプレックスを抱えているようで、大卒のSさんを羨んだこともあったそうだ。
そんなPさんが、仕事の合間を縫ってページをめくり、たどたどしく活字を追い、やがて読了し、思わず誰かに勧めたくなってしまうほどの名著が、つまらないわけがない。
前置きが長くなってしまい恐縮だが、そういう経緯でこの著書に出合えた喜びは、私にとってこの上もない。
この小説には、敗戦下の苦難に耐える人々の血と汗と涙が凝縮されており、今を生きる人々への熱いメッセージにも感じられる。

話はこうだ。
県立諏訪高女に通う“てい”は、家が貧しく、いじめられっ子だった。

その後、気の弱い母親の勧めで、28歳の気象庁に勤める役人とお見合い結婚をする。(この人物が後の新田次郎である)
二人の間に子どもも恵まれ、万事、順風満帆かと思いきや、日本はアメリカと戦争を始めることとなった。昭和16年12月8日の朝、ラジオから、開戦を伝える勇ましいアナウンスが流れた。
それからしばらくして、夫に満州の観象台へ長期出張の辞令が降りた。
満州に渡ってから、二人目、三人目と子どもにも恵まれたが、少しずつ食糧事情が悪くなりつつあった。そして、来るべき時が来てしまった。
日本の敗戦宣告。
それまで日本人街で働く中国人労働者たちは、誰もが親切で、日本語を流暢に話したものだが、日本の敗戦が知れ渡るやいなや日本人に石を投げつけ、軽蔑とからかいの意味を込めて罵倒した。
夫婦と子どもたちは日本に帰国しようと必死で南下する汽車に乗ろうとするが、結局、朝鮮の収容所に押し込められ、夫はソ連兵に連れ去られてしまうのだった。
ていは、心細さから何度もくじけそうになるが、まだ乳飲み子を含めた三人の我が子を、女手一つで守り抜くことを決意する。

藤原ていという一人の女性の旅路は、とても長い道のりだ。
飢えと寒さの極限の最中を、物乞いまでして何とか命をつないで来た。奇跡的に朝鮮から脱出したものの、その体は心身ともにボロボロで、日本に帰国してからも後遺症に悩まされた。(今でいうPTSDであろう)
軍国主義を貫いた一部の軍人たちの先導によって、第二次世界大戦は始まった。

しかし、それで目が覚めた。戦争を放棄した日本は、全精力を経済の立て直しに向けることでこれほどの経済大国となったのだ。
平成を生きる我々は、もはや“戦後の生まれ”とは言わない。
だが先人たちの苦痛と苦闘から得たこの平和を、必ず死守しなければならない。
この著書は、暗黒の戦時下を決して美化することのないよう、全ての国民の皆様に一読をおすすめしたい、名著なのです。

『旅路』藤原てい・著

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最終更新日  2013.05.11 06:07:03
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